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      <title>2025年デボーション by 熊本北聖書キリスト教会</title>
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      <description></description>
      <language>en-us</language>
      <pubDate>2024-12-31 22:05:31 UTC</pubDate>
      <lastBuildDate>2026-08-24 21:14:36 UTC</lastBuildDate>
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         <title>使徒の働き17：2 ～ 4</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3277908610</link>
         <description><![CDATA[<p>2 パウロはいつもしているように、会堂に入って行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。</p><p><br/></p><p>3 そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです」と言った。</p><p><br/></p><p>4 彼らのうちの幾人かはよくわかって、パウロとシラスに従った。またほかに、神を敬うギリシヤ人が大ぜいおり、貴婦人たちも少なくなかった。</p><p><br/></p><p>テサロニケ伝道（2）</p><p>会堂での伝道</p><p>「パウロはいつもしているように、会堂に入って行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた」。（1）パウロはすぐに会堂に行った。これは、パウロの伝道戦略であった。先ずユダヤ人に、次に異邦人にというのが、彼がどの町でも採用した方法である。（2）使徒13：14 ～ 15 にピシデヤのアンテオケでの出来事が記されているが、これが基本パターンである。「しかし彼らは、ペルガから進んでピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂に入って席に着いた。･･･『兄弟たち。あなたがたのうちどなたか、この人たちのために奨励のことばがあったら、どうぞお話しください』」。これはピシデヤのアンテオケでの話だが、テサロニケでも、パウロは巡回ラビとして語ることが許された。（3）パウロは、3 週間にわたりユダヤ人伝道を行った。テサロニケでの滞在期間は短かったが、ユダヤ人伝道は3 週間以上続いた。それ以降は、異邦人伝道を行ったのであろう。（4）パウロは、聖書を基に論じた。ヘブル語聖書の中のメシア預言を解説し、ユダヤ人たちと対話した。パウロの伝道の鍵は、旧約聖書の解説によってイエスがメシアであることを証明することであった。</p><p>「そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、『私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです』と言った」。パウロが説明し、論証した内容は、以下の3 点である。①キリストは苦しみを受け、②死者の中からよみがえらなければならない。③私が伝えているイエスこそ、キリストである。</p><p>「彼らのうちの幾人かはよくわかって、パウロとシラスに従った。またほかに、神を敬うギリシヤ人が大ぜいおり、貴婦人たちも少なくなかった」。（1）パウロのメッセージを信じたのは、少数であった。ユダヤ人のうちの幾人かは信じ、パウロとシラスに従った。その中には、ヤソン、アリスタルコ、セクンドも含まれていた（使20：4 参照）。（2）異邦人で信じる人が大ぜい起こされた。①神を敬うギリシア人が大ぜい信じた。②貴族階級の婦人たちも、相当数、信じた。彼女たちは、ユダヤ教に関心を抱いていた人たちである。</p><p>偶像礼拝の背景を持っていた人たちが救われたのは、力と聖霊と強い確信による。「なぜなら、私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです」（1 テサ1：5a）</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p><br/></p><p>父なる神よ。今も福音は、ことば、聖霊の力、強い確信によって伝えられます。どうか私を福音の使者として用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2024-12-31 22:08:45 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>使徒の働き17：5 ～ 10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3278206619</link>
         <description><![CDATA[<p>5 ところが、ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した。</p><p><br/></p><p>6 しかし、見つからないので、ヤソンと兄弟たちの幾人かを、町の役人たちのところへひっぱって行き、大声でこう言った。「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにも入り込んでいます。</p><p><br/></p><p>7 それをヤソンが家に迎え入れたのです。彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅しょうちょくにそむく行いをしているのです。」</p><p><br/></p><p>8 こうして、それを聞いた群衆と町の役人たちとを不安に陥れた。</p><p><br/></p><p>9 彼らは、ヤソンとそのほかの者たちから保証金を取ったうえで釈放した。</p><p><br/></p><p>10 兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂に入って行った。</p><p><br/></p><p>テサロニケ伝道（3）</p><p>ユダヤ人たちの反発</p><p>「ところが、ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した」。（1）神を恐れる異邦人が救われ始めると、ユダヤ人からの迫害が起こる。同じことが、第一次伝道旅行でも起こった（ピシデヤのアンテオケ、イコニオム、ルステラ）。（2）煽動せんどうするのはユダヤ人だが、実行するのは「広場にたむろしているならず者」（新共同訳）である。（3）暴徒たちは、ヤソンの家を襲った。①ヤソンは、新しく信者になったユダヤ人である。②ヤソンは、パウロとシラスを家に迎え、伝道の拠点を提供していた。③暴徒たちは、家の扉を破り、中に入ってパウロとシラスを捕らえようとした。町の法廷に引きずり出すためである。④しかし、パウロとシラスを見つけることはできなかった。そこで、ヤソンと信者数名を、町の役人たちのところへ引っ張って行った（法廷に引き出した）。（4）ピリピでは、長官（ストラテイゴス）が登場したが、テサロニケでは、役人（ポリターケイス）が登場している。「ポリターケイス」とは、自由都市の役人のタイトルである。</p><p>「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにも入り込んでいます」。（1）これは、反逆罪の訴えである。「彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行いをしているのです」。この言葉から、暴動の背後にユダヤ人がいるのが分かる。確かにパウロは、メシアが王として再臨されるというメッセージをしていた。（2）群衆も役人たちも不安を覚えたが、役人たちは冷静に対応した。①ピリピの長官たちとは異なる。②彼らは、ヤソンとその他の者たちから保証金を取ったうえで釈放した。③パウロとシラスがすぐにテサロニケを去り、二度と戻らないことを約束させた。④騒ぎがこのまま収まれば保証金は返還される。</p><p>「兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した」。（1）パウロとシラスは、どこかに匿かくまわれていたのであろう。その夜、二人は町を出て、ベレアに向かった。（2）教会に対する迫害はますます強くなったが、テサロニケのクリスチャンたちの信仰は成長した。（3）パウロは短期間の内にテサロニケを去らなければならなくなった。これが原因で後にパウロは、テサロニケの教会に宛てて2 通の手紙を書くことになる。結局は、主の御心がなったのである。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p><br/></p><p>天の父なる神さま。あなたは、すべてのことを働かせて益としてくださるお方です。あなたを信頼します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-01-01 21:20:15 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き17：5 ～ 10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3278895078</link>
         <description><![CDATA[<p>5 ところが、ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した。</p><p><br></p><p>6 しかし、見つからないので、ヤソンと兄弟たちの幾人かを、町の役人たちのところへひっぱって行き、大声でこう言った。「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにも入り込んでいます。</p><p><br></p><p>7 それをヤソンが家に迎え入れたのです。彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅しょうちょくにそむく行いをしているのです。」</p><p><br></p><p>8 こうして、それを聞いた群衆と町の役人たちとを不安に陥れた。</p><p><br></p><p>9 彼らは、ヤソンとそのほかの者たちから保証金を取ったうえで釈放した。</p><p><br></p><p>10 兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂に入って行った。</p><p><br></p><p>テサロニケ伝道（4）</p><p>テサロニケでの伝道の評価</p><p>次に進む前に、テサロニケでの伝道の特徴を振り返ってみよう。</p><p>（1）力と聖霊と強い確信</p><p>「なぜなら、私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです」（1 テサ1：5a）。神の超自然的な働きによって、彼らは救われた。これは、彼らの救いが神の計画によるものであることを証明している。パウロは、自分の体験（ダマスコ途上での主イエスとの出会い）と彼らの救いの体験を重ね合わせている。</p><p>（2）伝道者の手本</p><p>「また、私たちがあなたがたのところで、あなたがたのために、どのようにふるまったかは、あなたがたが知っています」（1 テサ1：5b）。パウロの伝道を経済的に支えたのは、ピリピ教会であった（ピリ4：15 ～ 16）。またパウロは、自給伝道も行った。「兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。私たちはあなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました」（1 テサ2：9）（2 テサ3：7 ～ 8 も参照）。パウロは、自分の働きが批判されないように、自らの手で糧かてを稼いだ。もちろんパウロは、フルタイムで奉仕をする主のしもべが信徒たちから経済的支援を受けることは、当然のことと考えていた。</p><p>（3）真の神への立ち帰り</p><p>「私たちがどのようにあなたがたに受け入れられたか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、また、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来られるのを待ち望むようになったか、それらのことは他の人々が言い広めているのです」（1 テサ1：9 ～ 10）。テサロニケの信者たちは、誠実に真の神に立ち帰った。「やがて来る御怒り」とは、患難期のことである（黙6 ～ 19 章）。信者は、患難期から救い出される。この希望があったので、彼らは患難の中でも忍耐と確信を失うことがなかった。</p><p>上記3 つのキーワードを心に留めよう。①聖霊による確信、②誠実な歩み、③真の神への立ち帰りから来る希望、この3 つがあれば、試練を乗り越えることができる。</p><p><br></p><p>きょうの祈り</p><p><br></p><p>天の父なる神さま。聖霊による確信、誠実な歩み、真の神への立ち帰りから来る希望は、試練を乗り越える力です。きょうも導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-01-02 22:31:07 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き17：10 ～ 15</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3279501819</link>
         <description><![CDATA[<p>10 兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂に入って行った。</p><p><br/></p><p>11 ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。</p><p><br/></p><p>12 そのため、彼らのうちの多くの者が信仰に入った。その中にはギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった。</p><p><br/></p><p>13 ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレヤでも神のことばを伝えていることを知り、ここにもやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こした。</p><p><br/></p><p>14 そこで兄弟たちは、ただちにパウロを送り出して海べまで行かせたが、シラスとテモテはベレヤに踏みとどまった。</p><p><br/></p><p>15 パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行った。そしてシラスとテモテに一刻も早く来るように、という命令を受けて、帰って行った。</p><p><br/></p><p>ベレア伝道（1）</p><p>はじめに</p><p>今私たちは、マケドニア州でのパウロ伝道を追いかけている。旅程は、ピリピ、テサロニケ、ベレアである。前回は、テサロニケでの伝道を取り上げた。テサロニケでは、ユダヤ人たちが町のならず者たちを煽動し、暴動を起こした。暴徒たちは、新しく信仰に入ったヤソンの家を襲った。パウロとシラスは、夜のうちにテサロニケから逃れた。</p><p>この箇所では、ベレアでの伝道を取り上げる。この町は、現在はヴェリア、ヴェロイアなどと呼ばれている。ここが、マケドニア伝道の最後の町である。</p><p><br/></p><p>テサロニケからベレアへ</p><p>「兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂に入って行った」。（1）テサロニケの兄弟たちは、夜のうちにパウロとシラスを送り出した。パウロが夜のうちに町を出るのは、これが2 度目である。最初の出来事は、使徒9：24 ～ 25 に記されている（ダマスコでの出来事）。（2）パウロが去った後でも、テサロニケの教会は健全に成長し続けた。本物の信仰を得ていたからである。この教会は、試練の中で成長する教会となった。（3）パウロとシラスは、イグナチオ街道を通ってベレアに向かった（南西に約80 キロの道のり。テサロニケからアテネに向かう途中にある町）。①パウロは落胆するどころか、ますます伝道の意欲に燃えた。②ベレアは、マケドニアの古い町であるが、この町には、多くのユダヤ人が住んでいた。（4）パウロの伝道パターンは、新しい町に着くと、先ず会堂に行ってユダヤ人に語りかけ、次に異邦人に語りかけるというものであった。（5）ルカは省略しているが、テサロニケで起こったのと同じことがベレアでも起こっている。「パウロはいつもしているように、会堂に入って行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、『私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです』と言った」（使17：2 ～ 3）。パウロはベレアでも、旧約聖書からメシア預言を取り上げ、それを解説した。彼は、福音の三要素を提示し、イエスこそメシアであることを論証した。</p><p>私たちが伝える福音は、パウロが伝えたものと同じである。キリスト教は使徒たちの教えの上に成り立っている。使徒たちの教えには、学ぶ者を祝福する力がある。日々のデボーションを通して、その力を受け取ろう。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p><br/></p><p>天の父なる神さま。使徒たちの教えを学び、それと合致した歩みができるよう、御霊によって助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=yApIyrrOLAg" />
         <pubDate>2025-01-03 20:28:44 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>使徒の働き17：10 ～ 15</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3279893731</link>
         <description><![CDATA[<p>10 兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂に入って行った。</p><p><br></p><p>11 ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。</p><p><br></p><p>12 そのため、彼らのうちの多くの者が信仰に入った。その中にはギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった。</p><p><br></p><p>13 ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレヤでも神のことばを伝えていることを知り、ここにもやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こした。</p><p><br></p><p>14 そこで兄弟たちは、ただちにパウロを送り出して海べまで行かせたが、シラスとテモテはベレヤに踏みとどまった。</p><p><br></p><p>15 パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行った。そしてシラスとテモテに一刻も早く来るように、という命令を受けて、帰って行った。</p><p><br></p><p>ベレア伝道（2）</p><p>伝道の結果</p><p>ベレアのユダヤ人たちは、パウロのメッセージに良い反応を示した。「ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた」。（1）ベレアのユダヤ人たちの特徴を見てみよう。①彼らは、妬ねたみに基づいて行動しなかった。「この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、」（新改訳2017）とある。②彼らは、聖書に対して心が開かれていた。③彼らは、偏見なしにパウロの主張を吟味する心の準備ができていた。④彼らは、パウロが語ることが本当かどうかを確かめるために、毎日聖書を調べた。彼らには、聖書を体系的に調べる能力があった。</p><p>「そのため、彼らのうちの多くの者が信仰に入った。その中にはギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった」。（1）その結果、多くのユダヤ人たちが信仰に入った。ソパテロもその一人であった。彼の名前は、使徒20：4 に出て来る。「彼に同行していたのは、ピロの子であるベレア人ソパテロ、テサロニケ人のアリスタルコとセクンド、デルベ人のガイオ、テモテ、アジア人のティキコとトロフィモであった」（新改訳2017）。（2）さらに、多くの異邦人が信仰に入った。ルカは、①ギリシア人の貴婦人たちと②男性たち（恐らく貴族階級であろう）を上げている。彼らは、神を恐れる異邦人である。</p><p><br></p><p>聖書研究の重要性</p><p>（1）ベレアのユダヤ人たちは、聖書研究の結果、多くの者たちが信仰に入った。「そのため、彼らのうちの多くの者が信仰に入った。その中にはギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった」（12 節）。「そのため」という言葉の訳を比較してみよう。①「そのため」（新改訳）、②「それで」（新改訳2017）、③「そこで」（新共同訳）、④「そういうわけで」（口語訳）、⑤「この故に」（文語訳）。いずれも因果関係を表現する接続詞（順接）である。聖書研究は、その人を真理に導く。（2）ベレアのユダヤ人から学ぶ教訓とは、次のようなものである。①彼らは、パウロの語ることを受け入れた。「非常に熱心にみことばを受け入れ」（新改訳2017）。②パウロの語ることが聖書と一致しているかどうか調べた。③毎日聖書を調べた。（3）悪魔との戦いに勝利する秘訣は、単純な聖書研究である。①新しい教えに接したなら、聖書と一致しているかどうか吟味する必要がある。②聖書観の崩壊は、キリスト教信仰の崩壊につながる。③悪魔は、単純な聖書研究を最も恐れている。</p><p><br></p><p>きょうの祈り</p><p><br></p><p>聖なる神よ。あなたのみことばは私の足のともしび、私の道の光です。きょうも、みことばによって歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br></p><p>年間聖書通読</p><p><br></p><p>創世記 9～10、箴言 1</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=KLMKlnrmwjg" />
         <pubDate>2025-01-04 23:22:21 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>使徒の働き17：10 ～ 15</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3280290328</link>
         <description><![CDATA[<p>10 兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂に入って行った。</p><p><br></p><p>11 ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。</p><p><br></p><p>12 そのため、彼らのうちの多くの者が信仰に入った。その中にはギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった。</p><p><br></p><p>13 ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレヤでも神のことばを伝えていることを知り、ここにもやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こした。</p><p><br></p><p>14 そこで兄弟たちは、ただちにパウロを送り出して海べまで行かせたが、シラスとテモテはベレヤに踏みとどまった。</p><p><br></p><p>15 パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行った。そしてシラスとテモテに一刻も早く来るように、という命令を受けて、帰って行った。</p><p><br></p><p>ベレア伝道（3）</p><p>ユダヤ人の暴動</p><p>「ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレヤでも神のことばを伝えていることを知り、ここにもやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こした」。（1）テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレアでも伝道しているということを聞き、代表団を召集した。彼らは、約80 キロも旅をしてベレアに着くと、群衆を扇動して騒ぎを起こした。（2）テサロニケのユダヤ人たちとベレアのユダヤ人たちとは、対照的である。①ベレアのユダヤ人たちは、パウロの教えが聖書と一致しているかどうか調べた。②テサロニケのユダヤ人たちは、執拗しつようにパウロを迫害した。彼らこそが、「世界中を騒がせて来た者」である。</p><p><br></p><p>避難</p><p>「そこで兄弟たちは、ただちにパウロを送り出して海べまで行かせたが、シラスとテモテはベレヤに踏みとどまった」。（1）パウロは、信者たちの助けによってベレアを去ったが、シラスとテモテは、ベレアに残った。（2）パウロの避難行程には、2 つの可能性がある。①ベレアから海路でアテネまで行った。②海路で行くと見せかけて、陸路で行った。（3）これで、マケドニアでの伝道が終了し、次にアカヤでの伝道が始まる。</p><p>「パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行った。そしてシラスとテモテに一刻も早く来るように、という命令を受けて、帰って行った」。（1）ベレアの信者たちは、パウロをアテネまで案内した（約310 キロ）。（2）シラスとテモテは、ベレアに残って弟子訓練の働きを継続した。パウロは、シラスとテモテが一刻も早く自分に合流するようにと伝えた。（3）アテネで二人を待つ間に、パウロは単独でアテネでの伝道を行った。（4）その後、シラスとテモテは、アテネでパウロに合流するのであるが、パウロは二人を再度マケドニアに派遣する。テモテをテサロニケに（1 テサ3：2）、シラスを恐らくベレアに。3 人が再び合流するのは、コリントにおいてである（使18：5）。</p><p>べレアを早期に去るのは、失敗のように見えるかもしれないが、そうではない。伝道のために先に進むのは、聖書的である。マタイ10：23 にこうある。「彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町にのがれなさい。というわけは、…あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです」。これは、イエスが十二弟子に教えたものだが、ここには普遍的な適用がある。種が蒔かれた地が不毛の地であるなら、先に進み、別の土地に種を蒔くということである。</p><p><br></p><p>きょうの祈り</p><p><br></p><p>聖なる神よ。人の目に失敗のように見えても、あなたの目にはそうではありません。きょうも信仰によって歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=Bg9HbTbiuxY" />
         <pubDate>2025-01-05 21:06:41 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き17：16 ～ 21</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3281471036</link>
         <description><![CDATA[<p>16 さて、アテネでふたりを待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤いきどおりを感じた。</p><p><br/></p><p>17 そこでパウロは、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じた。</p><p><br/></p><p>18 エピクロス派とストア派の哲学者たちも幾人かいて、パウロと論じ合っていたが、その中のある者たちは、「このおしゃべりは、何を言うつもりなのか」と言い、ほかの者たちは、「彼は外国の神々を伝えているらしい」と言った。パウロがイエスと復活とを宣べ伝えたからである。</p><p><br/></p><p>19 そこで彼らは、パウロをアレオパゴスに連れて行ってこう言った。「あなたの語っているその新しい教えがどんなものであるか、知らせていただけませんか。</p><p><br/></p><p>20 私たちにとっては珍しいことを聞かせてくださるので、それがいったいどんなものか、私たちは知りたいのです。」</p><p><br/></p><p>21 アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。</p><p><br/></p><p>アテネ伝道（1）</p><p>はじめに</p><p>前回の箇所で、マケドニア州でのパウロの伝道が終わった。この箇所から、アカヤ州での伝道が始まる。アテネでの伝道は、パウロの当初の計画に入っていなかった可能性がある。考えられる当初の計画は、次のようなものである。マケドニア州をそのまま西に向かい、反対側の海岸に出る。そこから船に乗り、直接ローマに行く。しかしパウロは、ローマに行かなかった。その理由は、①ローマからのユダヤ人追放令が出された直後であること、②マケドニア州を安全に移動することができなくなったこと、などであろう。</p><p><br/></p><p>偶像で満ちた町（16 節）</p><p>「さて、アテネでふたりを待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた」。（1）アテネは、エーゲ海から8 キロ内陸に入った所にある町である。ギリシアの中心都市であり、民主主義発祥の地としても有名である。アテネは、前4 ～ 5 世紀の文化的、政治的な功績により、ヨーロッパに大きな影響を与えた。（2）アテネの黄金時代は約500 年前に終わっていた。パウロが訪問した時には、一級都市としての地位は失っていた。しかし、ローマ帝国内における哲学、芸術、文学の中心都市としての地位は保っていた（アレキサンドリア、タルソ、アテネの三大大学都市）。（3）ここでパウロは、シラスとテモテの到着を待っていた。二人は、ベレアに留まっていた。恐らく、パウロが待っていた期間は、ほんの1 週間程度であろう。その間、パウロは単独で伝道を開始する。その理由は、「心に感じた憤り」である。「町が偶像でいっぱいなのを見て、」とある。アテネという名は、女神アテナに敬意を表するために付けられたものである。アクロポリスの上にはパルテノン神殿が建っている（アテナを祀まつる神殿）。この町は、数多くの神殿と彫刻された像で満ちていた。ユダヤ人パウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。現代の私たちにとって、アテネの遺跡は文化遺産だが、パウロにとっては、それらの建造物は偶像礼拝の反映である。彼は、ギリシア・ローマ風の都市に慣れていたはずだが、アテネの偶像礼拝は、許容限度を超えていた。ペトロニウスという風刺作家はこう書いている。「アテネでは、人間を見つけるよりも偶像を見つける方が容易である」</p><p>私たちもまた、偶像に満ちた国に住んでいる。偶像を見て心に憤りを感じることは、伝道のエネルギーになる。偶像礼拝を行っている人たちを愛し、彼らの救いのために祈ろうではないか。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p><br/></p><p>恵み深い父なる神さま。きょうも、あなたの愛を実践することができるよう、御霊によって助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=3KSDbAv6290" />
         <pubDate>2025-01-06 20:00:19 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き17：16 ～ 21</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3282955194</link>
         <description><![CDATA[<p>16 さて、アテネでふたりを待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤いきどおりを感じた。</p><p><br/></p><p>17 そこでパウロは、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じた。</p><p><br/></p><p>18 エピクロス派とストア派の哲学者たちも幾人かいて、パウロと論じ合っていたが、その中のある者たちは、「このおしゃべりは、何を言うつもりなのか」と言い、ほかの者たちは、「彼は外国の神々を伝えているらしい」と言った。パウロがイエスと復活とを宣べ伝えたからである。</p><p><br/></p><p>19 そこで彼らは、パウロをアレオパゴスに連れて行ってこう言った。「あなたの語っているその新しい教えがどんなものであるか、知らせていただけませんか。</p><p><br/></p><p>20 私たちにとっては珍しいことを聞かせてくださるので、それがいったいどんなものか、私たちは知りたいのです。」</p><p><br/></p><p>21 アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。</p><p><br/></p><p>アテネ伝道（2）</p><p>広場での伝道（17 ～ 18 節）</p><p>「そこでパウロは、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じた」。（1）パウロが採用した伝道の原則は、先ずユダヤ人に、次に異邦人にという順番を踏襲とうしゅうすることであった。アテネでも、パウロは同じ伝道の原則を実施した。（2）週日には、広場（アゴラ）に行って、そこに居合わせた人たち（異邦人）と論じた。アゴラは、公の市場であり、公園であり、町の中心である。そこには、巡回教師や議論好きの人たちが集まっていた。また、エピクロス派の学者とストア派の学者もいた。この2 つは、当時のギリシア哲学の代表的な学派である。</p><p><br/></p><p>エピクロス派とストア派</p><p>「･･･その中のある者たちは、『このおしゃべりは、何を言うつもりなのか』と言い、ほかの者たちは、『彼は外国の神々を伝えているらしい』と言った。･･･」。（1）エピクロス派の創始者は、エピクロス（前341 ～ 270 年）である。その教えの基本は、唯物論に基づく快楽主義である。彼らが言う快楽とは、欲望、苦痛、死の恐怖から解放された平静な状態のことである。彼らは、たとえ神々が存在したとしても人間に関心を持ったりはしないので、宗教は悪であると考えた。また、死はすべての終わりであると主張した。彼らは、世俗的不可知論者である。（2）ストア派の創始者は、ゼノン（前340 ～ 265 年）である。この学派の特徴は、「人間の理性」に対する絶対的な自信である（彼らは、汎神論はんしんろん者であり、運命論者である）。彼らは破壊的な衝動は判断の誤りから生まれるので、自然との調和が必要であると考えた。賢人は、破壊的な衝動に苛さいなまれることはない。宇宙理性としてのロゴス（神）が世界に遍在することを知っているからである。一切の事象は、そのロゴス（神）の摂理によって必然的に生起する。賢人は、アパティア（悟りの境地）に入り、真の幸福に到達することができる。（3）哲学者たちは、2 つの反応を示した。①「このおしゃべりは、何を言うつもりなのか」。「おしゃべり」とは、あちこちから教えをつまみ食いして来て、それをさも自分のものであるかのように語っている安物教師のことである。②「彼は外国の神々を伝えているらしい」。パウロは、イエスとその復活を伝えていた。彼らには、その意味が全く理解できなかった。</p><p>この世の知者にとって、十字架のことばは愚かに聞こえる。しかしそれは、救いを受ける私たちには、神の力である。神の愚かさは、人間の知恵よりも賢い。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p><br/></p><p>天の父なる神さま。あなたの愚かさは人よりも賢く、あなたの弱さは人よりも強いのです。あなたを信頼して歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-01-07 20:26:15 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き17：16 ～ 21</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3284483145</link>
         <description><![CDATA[<p>16 さて、アテネでふたりを待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤いきどおりを感じた。</p><p><br/></p><p>17 そこでパウロは、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じた。</p><p><br/></p><p>18 エピクロス派とストア派の哲学者たちも幾人かいて、パウロと論じ合っていたが、その中のある者たちは、「このおしゃべりは、何を言うつもりなのか」と言い、ほかの者たちは、「彼は外国の神々を伝えているらしい」と言った。パウロがイエスと復活とを宣べ伝えたからである。</p><p><br/></p><p>19 そこで彼らは、パウロをアレオパゴスに連れて行ってこう言った。「あなたの語っているその新しい教えがどんなものであるか、知らせていただけませんか。</p><p><br/></p><p>20 私たちにとっては珍しいことを聞かせてくださるので、それがいったいどんなものか、私たちは知りたいのです。」</p><p><br/></p><p>21 アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。</p><p><br/></p><p>アテネ伝道（3）</p><p>アレオパゴスに連行されるパウロ（19 ～ 21 節）</p><p>（1）パウロの語ることに興味を示した哲学者たちは、パウロをアレオパゴスに連れて行った。①パウロが招かれたのか、出頭命令を受けたのかは、明らかではない。②アレオパゴスは、場所を指す場合と、評議会も指す場合がある。場所を指しているなら、それはマルスの丘である。評議会なら、アゴラの中の建物である。③この評議会は、アテネ政治における貴族勢力の牙城である。30 人の議員がおり、ローマの元老院のような役割を果たしていた。④この評議会は、宗教、道徳、教育に対する権威を有しており、巡回教師たちの教えや活動を吟味する役割を果たしていた。（2）当時のローマ法では、新しい宗教を伝えることは違法とされていた。①アテネの哲学者ソクラテスは、前399 年に、伝統的な神々を否定し若者を惑わす危険思想を教えたとして有罪になり、刑死した。②ここでパウロに起こっていることは、裁判ではなく聴聞であるが、彼がある種の危険に晒さらされていたことは確かである。（3）ルカは、アテネ文化に詳しくない読者のために、挿入句を書いている。「アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた」。アテネの住民たちは、新しい情報に異常なほどの関心を持っていた。それゆえパウロは、アレオパゴスで証言する機会を得たのである。</p><p><br/></p><p>パウロによる偶像礼拝の糾弾</p><p>（1）ユダヤ人たちは、元来偶像礼拝に引かれていく民であったが、バビロン捕囚を経験して以降、偶像礼拝から解放された。（2）アテネは、ペリクレス（前495 ～ 429 年）の時代に最盛期を迎えた。その時期に、イスラエルで何が起こっていたか。①ネヘミヤ記に記された出来事（前445 ～ 420 年）。②捕囚期後の預言者たちの奉仕（ハガイ、ゼカリヤ、マラキ）。イスラエルが神に立ち帰っていた時期に、アテネは偶像礼拝を広めていたのである。</p><p>ここには、ヘレニズム思想と福音の対峙が見られる。ギリシア哲学者たちは、ヘレニズム思想の代弁者である。世界の知的センターが、偶像礼拝を生み出していた。アテネの偶像礼拝は、人間性や自然の力を神格化したものであるが、偶像には人間を引き上げる力はない。アテネの知者たちにパウロは、イエスの死と復活を宣べ伝えた。今日、アテネの偶像たちは、遺跡としてしか存在していない。しかし、パウロが伝えた福音は、今も世界に広がり続けている。永遠の真理に立つ人は、幸いである。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p><br/></p><p>全知全能なる神よ。世の偶像の神は実際には存在せず、唯一のお方であるあなた以外に神は存在しません。永遠の真理に立たせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=eUdVyJIpsc8" />
         <pubDate>2025-01-08 22:37:16 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>使徒の働き17：22 ～ 28</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3285824028</link>
         <description><![CDATA[<p>22 そこでパウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。</p><p><br/></p><p>23 私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。</p><p><br/></p><p>24 この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。</p><p><br/></p><p>25 また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。</p><p><br/></p><p>26 神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。</p><p><br/></p><p>27 これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。</p><p><br/></p><p>28 私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である』と言ったとおりです。</p><p><br/></p><p>アテネ伝道（4）</p><p>メッセージのイントロダクション</p><p>「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております」。（1）これは、知的な異邦人に語られたメッセージのサンプルである。彼らは旧約聖書に関して無知であると同時に、非常に知的で哲学的である。（2）話者は先ず、聴衆との接点を見出す必要がある。①ここでは、ヘブル語聖書も唯一神信仰も、接点とはなり得ない。②パウロが採用したのは、アテネの人たちが「宗教心にあつい」という点である。③パウロは、先ず聴衆のことをほめた。彼は、相手を侮辱ぶじょくしたり、怒らせたりしないように、細心の注意を払っている。（3）「宗教心にあつい」は、ギリシア語で「デイシダイモニステロス」である。平均的な人たちよりも神を敬う心があるという意味もあれば、非常に迷信的であるという意味もある。本来の意味は、「悪霊を恐れる」である。パウロは、意識してこの言葉を曖昧あいまいに使用している。もし聴衆の宗教心をほめたとするなら、それは欺瞞ぎまんである。もし偶像礼拝を非難したとするなら、相手の心を閉ざしてしまう。</p><p>「私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。･･･」。（1）彼は、町を巡りながら、アテネ人たちが拝むものを観察した。①偶像（エイドウロン）という言葉を使わないで、②拝む対象（セバスマ）という言葉を使っている。（2）そして、｢知られない神に｣と刻まれた祭壇があるのを見つけた。①「知られない神」という概念が、コミュニケーションの接点となる。②町のあちこちに、このような祭壇があった。③自分たちの無知のゆえに、敬っていない神々がいるかもしれない。そういう神々の怒りを買わないために、祭壇を建てる（保険を掛けるようなものである）。（3）パウロは、この習慣は間違っていないという前提で、話を進める。①事実、あなたがたが知らないで拝んでいる神が存在している。②その神について、私は教えたいと思う。③この論法によって、違法に伝道しているという告発を回避することができた。④パウロの手法は、ユダヤ教のラビの教授法でもある。「知っているもの」（拝んでいるという事実）から、「知らないもの」（知られない神）へという移行がある。</p><p>この箇所から学ぶ教訓は、3 つある。①対話の接触点を探そう。②相手に理解できる言葉で語ろう。③相手に敬意を表し、見下すことのないようにしよう。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p><br/></p><p>天の父なる神さま。パウロの例に倣い、相手が誰であっても、知恵をもって語ることができるよう助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=5SfuwXRDyhQ" />
         <pubDate>2025-01-09 21:03:56 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き17：22 ～ 28</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3287031709</link>
         <description><![CDATA[<p>22 そこでパウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。</p><p><br></p><p>23 私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。</p><p><br></p><p>24 この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。</p><p><br></p><p>25 また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。</p><p><br></p><p>26 神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。</p><p><br></p><p>27 これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。</p><p><br></p><p>28 私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である』と言ったとおりです。</p><p><br></p><p>アテネ伝道（5）</p><p>創造主としての神（24 ～ 25 節）</p><p>導入部分を語り終えたパウロは、本論に入って行く。「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません」。（1）神は、天地を創造したお方である。①これは、アテネ人たちの世界観を否定する内容となっている。②ある者たちは、もし世界が創造されたものであるなら、それはデミウルゴスという存在によるものであると考えていた。③また、物質は永遠不滅であると考える者もいた。④さらに、ストア派は汎神論を教えていた。⑤一般的なギリシア人は、多神教を信じていた。（2）神は、この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった。①それゆえ、人間が作った宮に閉じ込めることはできない。②アクロポリスの上に建つ荘厳なパルテノン神殿でさえも、神を閉じ込めることはできない。③この言葉の背後には、ヘブル語聖書の教えがある。</p><p>「また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです」。（1）神は、自己充足しておられるお方である。①アテネ人たちは、捧げ物によって神々を喜ばせることができると考えていた。②しかし、神は人の手によって仕えられる必要はない。（2）人は、神によって支えられて生きている。私たちは、神からいのちと息を与えられた。私たちは、神からその他のすべてのものを与えられた。</p><p><br></p><p>パウロの異邦人伝道に見られるヘブル語聖書の背景</p><p>神は、神殿以上のお方である。（1）これは、1 列王記8：27 の教えである。「それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです」。（2）さらに、イザヤ66：1 ～ 2 の教えでもある。「【主】はこう仰せられる。『天はわたしの王座、地はわたしの足台。わたしのために、あなたがたの建てる家は、いったいどこにあるのか。わたしのいこいの場は、いったいどこにあるのか。これらすべては、わたしの手が造ったもの、これらすべてはわたしのものだ。──【主】の御告げ──わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ』」。（3）使徒7：46 ～ 48 も、同じことを教えている。</p><p>私たちが信じている神の偉大さを思い起こそう。すべては神から出て、神に至る。アーメン。</p><p><br></p><p>きょうの祈り</p><p><br></p><p>創造主なる神よ。すべては、あなたから出て、あなたに至ります。あなたの偉大さを覚え、賛美しつつ歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-01-10 22:31:17 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>使徒の働き17：22 ～ 28</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3287482107</link>
         <description><![CDATA[<p><strong><br></strong>22 そこでパウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。</p><p>23 私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。</p><p>24 この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。</p><p>25 また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。</p><p>26 神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。</p><p>27 これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。</p><p>28 私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である』と言ったとおりです。</p><p><strong>アテネ伝道（6）</strong></p><p><strong>被造物としての人間（26 節）</strong></p><p>「神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました」。（1）アテネ人たちは、自分たちはアテネの地から出た特別な民であると考えていた。パウロは、その神話的確信を打ち破ろうとした。（2）パウロは、創世記1 章の内容を、聖書を引用せずに解説する。①神は、一人の人（アダム）からすべての国の人々を造り出した。それゆえ、ある民族が特に優秀ということはない。②神は、人々を地の全面に住まわせた。③神は、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになった。つまり、神は、活発に人類の歴史を支配しておられるということである。④この説明の背後には、ヘブル語聖書がある。これは、エピクロス派の理神論と不可知論に対する反論、また、ストア派の汎神論と運命論に対する反論になっている。</p><p><strong>神と人間の関係（27 ～ 28 節）</strong></p><p>「これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。･･･」。（1）「これは」というのは前節（26 節）を受けた言葉である。神が摂理的に働いておられるのは、人間に神を求めさせるためである。（2）神を求める人は、神を見出す（ロマ2：14 ～ 16 参照）。なぜなら、神は私たちのそばにおられるからである。神は、エピクロス派が言うような理神論の神ではない。また、ギリシア神話に出て来るゼウスのように、オリンポス山に座している神でもない。（3）私たち人間は、神の中に生き、動き、存在している。つまり、神が私たち人間を支えておられるのである。（4）ここでパウロは、古いにしえのギリシア人の詩人たちの言葉を紹介する。「･･･あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である』と言ったとおりです」。これは、①クレタ島人のエピメニデス（前600 年頃）と②キリキヤ人のアラトゥス（前315 ～ 240 年）の言葉である。③ギリシア人たちは、自分たちのことをゼウス神の子孫だと考えていた。これは明らかにヘブライズム思想とは異なる。しかしパウロは、誤解を招きかねない表現を敢えて用いて、ぎりぎりのところで聴衆の宗教心を捉とらえようとした。<br>パウロは、「私たちは神の子孫なのだから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じだと考えてはならない」と言いたいのである。今も、神は私たちのそばにおられる。このことを思い起こそう。</p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたは求める者に応えてくださるお方です。いつも私のそばにいて、導いてくださることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-01-11 20:46:14 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>使徒の働き17：29 ～ 34</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3287991448</link>
         <description><![CDATA[<p>29 そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。</p><p><br/></p><p>30 神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。</p><p><br/></p><p>31 なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」</p><p><br/></p><p>32 死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、「このことについては、またいつか聞くことにしよう」と言った。</p><p><br/></p><p>33 こうして、パウロは彼らの中から出て行った。</p><p><br/></p><p>34 しかし、彼につき従って信仰に入った人たちもいた。それは、アレオパゴスの裁判官デオヌシオ、ダマリスという女、その他の人々であった。</p><p><br/></p><p>アテネ伝道（7）</p><p>悔い改めへの招き（29 ～ 31 節）</p><p>「そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません」。（1）パウロは、私たち人間は神の作品（神から出た者）なので、神を金や銀や石の像と考えるのは非論理的なことであると論じる。神は、物質を創造した霊的存在である。（2）ここでパウロが語っているのは、十戒の最初の2 戒である。①真の神以外の神を礼拝してはならない。②偶像を作ってはならない。（3）これは、アテネの人たちには相当ショッキングなメッセージである（ロマ1：22 ～ 23 参照）。</p><p>「神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます」。（1）かつての時代において神は、偶像礼拝の愚おろかさを見過ごしておられた。見過ごしておられたのは、許容していたということではなく、偶像礼拝を厳しくは裁かなかったということ、つまり、忍耐されたということである（使14：16 参照）。（2）福音が啓示された今の時代においては、神はすべての人に悔い改めを命じておられる。ここでの「悔い改め」とは、偶像から真の神に方向転換することである。もし信じないなら、その罪は、かつての時代の人たちの罪よりも大きい。福音を伝える側にも、より重い責任が課されるようになった。</p><p>「なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです」。（1）神がこの世界を裁く時が近づいている。神がこの世界を裁く基準は、神の義である。裁きの執行者は、「お立てになったひとりの人」、つまりメシアである（ヨハ5：22、1 テサ1：10 参照）。（2）裁きの時が近いという証拠がある。メシアは死んで復活された。メシアの復活は、この方を通した裁きの日が定まったという証拠である。裁きが行われるのは、メシア再臨の時である。（3）肉体の復活のメッセージは、ギリシヤ哲学と調和しない。ギリシヤ人たちは、理想的な状態は墓の向こう側にあると考え、肉体から抜け出したいと願っていたからである。また、個人的裁きも、彼らには受け入れ難い教えであった。</p><p>偶像礼拝の愚かさについて黙想してみよう。神を金や銀や石などの像と考えるのは、非論理的なことである。偶像を拝んでいる人たちの救いのために祈ろうではないか。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p><br/></p><p>天の父なる神さま。偶像に人を救う力はありません。一人でも多くの人が、あなたを知り、救いに至ることを願います。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-01-12 20:14:12 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き17：29 ～ 34</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3289462519</link>
         <description><![CDATA[<p>29 そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。</p><p><br/></p><p>30 神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。</p><p><br/></p><p>31 なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」</p><p><br/></p><p>32 死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、「このことについては、またいつか聞くことにしよう」と言った。</p><p><br/></p><p>33 こうして、パウロは彼らの中から出て行った。</p><p><br/></p><p>34 しかし、彼につき従って信仰に入った人たちもいた。それは、アレオパゴスの裁判官デオヌシオ、ダマリスという女、その他の人々であった。</p><p><br/></p><p>アテネ伝道（8）</p><p>結果（メッセージに対する応答）（32 ～ 34 節）</p><p>「死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、『このことについては、またいつか聞くことにしよう』と言った。こうして、パウロは彼らの中から出て行った」。（1）残念なことに、パウロのメッセージは、途中で遮さえぎられた。アレオパゴス（評議会）は、ここまでパウロのメッセージに耳を傾けて来た。①創造主としての神（24 ～ 25 節）。②被造物としての人間（26 節）。③神と人間の関係（27 ～ 28 節）。（2）しかし、悔い改めへの招き（29 ～ 31 節）に入ると、彼らは聴くことを止めた。①将来の裁き。②死者の復活。この2 つは、アテネ人たちの許容範囲を超えていた。あざ笑う者たちがいた。「このことについては、またいつか聞くことにしよう」と言う者たちもいた。これは、丁寧な断りの言葉である。（3）かくして、アレオパゴスでの聴聞は、途中で打ち切られた。パウロが教えていることは、ローマ人やアテネ人にとって危険なものではない。全く新しい教えなので、興味深いだけである。それゆえ、聴聞は打ち切られたのである。（4）こうしてパウロは、アレオパゴスを去った。これ以上パウロに質問する者はいなかった。また、パウロを拘束する者もいなかった。パウロはそこを立ち去り、アテネには2 度と戻らなかった。</p><p><br/></p><p>アテネ伝道の評価</p><p>「しかし、彼につき従って信仰に入った人たちもいた。それは、アレオパゴスの裁判官デオヌシオ、ダマリスという女、その他の人々であった」。（1）パウロのアテネ伝道を評価してみよう。①ここでは、多くの収穫を得ることはなかった。②しかし、少数ではあっても、信じる人が起こされた。（2）パウロにつき従って信仰に入った人たちがいた。①デオヌシオ。彼は、アレオパゴスの30 人の議員の一人である。②ダマリスという女。彼女は貴婦人だが、それ以上の情報はない。③その他の人々。</p><p>パウロは忠実に福音を語った。そして主は、そのメッセージに応答する人たちを起こされた。キリストのしもべに要求されるのは、このような忠実さである。収穫が多いか少ないかは、神がお決めになることである。私たちに関しては、真理のみことばを語ることに専念しよう。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p><br/></p><p>天の父なる神さま。福音に応答する人を起こしてくださるのはあなたです。真理のみことばを忠実に語れるよう助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=f5mMeywmx6w" />
         <pubDate>2025-01-13 20:52:40 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>使徒の働き17：29 ～ 34</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3291061451</link>
         <description><![CDATA[<p>29 そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。</p><p><br/></p><p>30 神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。</p><p><br/></p><p>31 なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」</p><p><br/></p><p>32 死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、「このことについては、またいつか聞くことにしよう」と言った。</p><p><br/></p><p>33 こうして、パウロは彼らの中から出て行った。</p><p><br/></p><p>34 しかし、彼につき従って信仰に入った人たちもいた。それは、アレオパゴスの裁判官デオヌシオ、ダマリスという女、その他の人々であった。</p><p><br/></p><p>アテネ伝道（9）</p><p>アテネでの伝道から学ぶ教訓</p><p>次に進む前に、アテネ伝道から学ぶ教訓を確認してみよう。</p><p>（1）メッセージの準備ではなく、自分自身の準備に力を注ぐ。</p><p>振り返ってみると、パウロのメッセージは、そのほとんどが即興であった。①川岸でのメッセージ、広場でのメッセージ、アレオパゴスでのメッセージなどがあった。②アテネでの伝道においても、彼は、福音伝達の機会を特定の場に限定しなかった。③彼には、メッセージを準備する時間的余裕がなかった。④しかし、いつでも福音を語ることができるように、自分自身を整えていた。</p><p><br/></p><p>（2）福音の神髄を語る。</p><p>パウロは、融和的イントロダクションから始め、最後は福音の神髄しんずいを語った。ヨハネ16：8 にこうある。「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます」。パウロのメッセージは、この聖句通りであった。①偶像礼拝の罪（29 節）。②義（31 節）。③裁き（31 節）。「神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられる」。福音の神髄を語るところまで行かないなら、それは本物の伝道ではない。</p><p><br/></p><p>（3）問題は、聴く人の心の中にあることを知る。</p><p>応答する人が少なかったのは、パウロのメッセージに問題があったからではない。①問題は、聴く人の心の中にある。②アテネ人は、論じるのは好きだが、行動に移すのは嫌という人たちである。③福音の神髄を語るなら、救われる人は必ず起こされる。それは、神御自身がなさることである。</p><p><br/></p><p>（4）迫害なしに次の町へ移動できることを、神に感謝する。</p><p>アテネは、迫害なしに去ることができた最初の町である。アテネに教会が誕生したかどうかは、ルカは記録していない。しかし、紀元2 世紀～ 4 世紀にかけて、アテネ教会は多くの指導者たちを輩出はいしゅつしている。パウロが蒔まいた種が大きく生長したのである。私たちが為すべきことは、忠実に福音を語り、結果は神に委ねることである。神に喜ばれているという確信を持っている人は、幸いである。迫害なしに伝道できることを、神に感謝しよう。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p><br/></p><p>父なる神さま。今は、伝道の自由が守られていることを感謝します。忠実に福音を語ることができるよう、聖霊によって助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-01-14 20:15:43 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き18：1 ～ 4</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3292635631</link>
         <description><![CDATA[<p>1 その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。</p><p><br/></p><p>2 ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、</p><p><br/></p><p>3 自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。</p><p><br/></p><p>4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした。</p><p><br/></p><p>コリント伝道（1）</p><p>パウロの旅程</p><p>文脈を確認してみよう。（1）マケドニア州でのパウロ伝道が終わり、アテネを訪問したところから、アカヤ州での伝道が始まる。パウロがアテネ滞在中に、シラスとテモテがベレアから遅れて到着した。その後、シラスはピリピ教会を励ますためにピリピに派遣され、テモテはテサロニケ教会に派遣された（パウロは、テサロニケ教会が迫害の中でどうなったのか、不安を覚えていた）。（2）パウロは単独でアテネ伝道を行ったが、さほどの成果がなかったので、短時間でアテネを去り、コリントに移動した。この時のパウロは、不安と恐れを抱いていた（1コリ2：3、使18：9 参照）。</p><p><br/></p><p>コリントという町</p><p>（1）アテネから約80 キロ西に位置する町である。アテネからコリントに行くのは、大学の町ボストンからギャンブルの町ラスベガスに行くようなものである。（2）ローマ帝国内で4 番目に大きな町である。当時の人口は、約20 万人から50 万人（アテネの20 倍）と推定される。ローマを追放されたユダヤ人も多くいたと思われる。（3）前146 年にローマ軍はコリントの町を破壊したが、前46年にジュリアス・シーザーが再建し、植民都市（コロニー）とした。アカヤ州の首都で、東西に2 つの港を持っていた。①レカイオンは、コリント湾からアドリア海に至るための港町。②ケンクレアは、エーゲ海に面した港町。港と港の間は約6 キロしかないので、船ごと台車に乗せて、港と港の間を運んでいた。その方が、ペロポネソス半島を400 キロ迂回するよりもはるかに便利であった（19 世紀の終わりに、トルコ政府は運河を造った）。この町は、アジアとヨーロッパをつなぐ商業都市であった。（4）堕落した町であった。「korinthiazomai」（英語でcorinthianize）という動詞（堕落するという意味）が生まれたほどである（前5 世紀）。「corinthian girl」とは、娼婦のことである。また、偶像礼拝の町でもあった。ギリシア神話の女神アフロディーテの神殿が、アクロコリントスの山頂（570メートル）に建っていた。アフロディーテは、愛・美・性の神で、ローマ神話のビーナスに相当する。その神殿には、1,000 人の神殿娼婦がいた（1 コリ6：15～ 17 参照）。その他の偶像の宮としては、メルカルト（水夫の神）、アポロ（音楽と詩の神）、アスクレーピオス（アポロの息子、医療の神）などがあった。</p><p>堕落しきった町にも、神の愛が届けられた。神はすべての人が御自身のもとに立ち帰ることを願っておられる。私たちの上にも、神の愛が注がれている。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p><br/></p><p>恵み深い父なる神さま。きょうも、愛を注いでくださることを感謝します。どうか、すべての人がこの愛を受け取ることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=tPR1WKxX2jE" />
         <pubDate>2025-01-15 21:21:28 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き18：1 ～ 4</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3294065540</link>
         <description><![CDATA[<p>1 その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。</p><p><br></p><p>2 ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、</p><p><br></p><p>3 自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。</p><p><br></p><p>4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした。</p><p><br></p><p>コリント伝道（2）</p><p>コリント到着（1 節）</p><p>「その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った」。（1）パウロがアテネに滞在中に、シラスとテモテがベレアから遅れてそこに到着した。その後、シラスはピリピ教会を励ますために派遣され、テモテはテサロニケ教会に派遣された。この2 人を派遣したパウロは、単独でアテネ伝道を行ったが、願ったような結果は得られなかった。（2）そこでパウロは、アテネを去って1 人でコリントへ向かった。ここにも、神の導きがあることを見落としてはならない。（3）この時のパウロは、間違いなく不安と恐れを抱いていた。1 コリント2：3 にはこうある。「あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました」。使徒18：9 は、パウロが恐れていたことを記録している。「ある夜、主は幻によってパウロに、『恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない』」。恐れていたとは言え、コリントは戦略的に重要な町なので、伝道しないわけにはいかない。</p><p><br></p><p>新しい同労者との出会い（2 ～ 3 節a）</p><p>「ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。･･･」。（1）パウロは、支援者がいないので、自給伝道をする必要があった（ラビたちは、職業を持ちながらヘブル語聖書を教えるのが普通であった）。パウロは、天幕職人の組合（ギルド）を探したはずである。（2）神はパウロのために、アクラとその妻プリスキラとの出会いを用意された。①アクラは、ポント生まれで、イエスを信じるユダヤ人である。ポントは、小アジアにあるローマの属州で、ビテニアの東に位置する。②プリスキラは、プリスカとも呼ばれる（プリスカの方が正式な呼び名である）。③この2 人が信者になった経緯は記録されていないが、信者になってある程度の年数は経っていたと思われる。④彼らは、クラウデオ帝（在位41 ～ 54 年）のユダヤ人追放令によってローマから退去させられ、最近、コリントに来ていた。歴史家スエトニウス（69 年～ 140 年頃）は、紀元49 年～ 50 年にこの勅令が出されたと書いている。</p><p>神は、弱っているパウロを励ました。彼は、アクラとプリスカとの出会いによって生涯の友人を得た。アクラとプリスカもまた、ローマから追放され、弱さを覚えていたはずである。しかし、クラウデオ帝の勅令がなければ、この出会いはなかった。私たちは、すべてのことについて神を賛美することができる。このことは今も真理である。</p><p><br></p><p>きょうの祈り</p><p><br></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。弱さを覚えるとき、どうか、あなたの愛で励ましてください。あなたを賛美します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-01-16 20:46:09 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き18：1 ～ 4</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3295358564</link>
         <description><![CDATA[<p>1 その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。</p><p><br/></p><p>2 ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、</p><p><br/></p><p>3 自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。</p><p><br/></p><p>4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした。</p><p><br/></p><p>コリント伝道（3）</p><p>天幕作り（2b ～ 3 節）</p><p>「パウロはふたりのところに行き、 自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった」。（1）アクラとプリスキラは、パウロに好意を示した。彼らはパウロと同業者であったので、家に住まわせ、一緒に仕事をした。当時、商人の店は1 階にあり、住居は2 階にあった。（2）「いっしょに仕事をした」とは、天幕の製造や修理を行ったということである。天幕作りは、ギリシャ語で「スケイノポイオス」である。正確には、天幕職人と言うよりは、革職人である。彼らの友情は、生涯続くものとなった。（3）2節では、ルカは夫のアクラを先に紹介している。①彼らの名前は、ここ以外に5回出て来るが、4 回までプリスキラが先に出て来る（使18：18、26、ロマ16：3、2 テモ4：19）。例外は1 コリント16：19 である。②プリスキラは、高貴な出の婦人であったのかもしれない。あるいは、なんらかの理由で夫よりも重要だと思われたのであろう。</p><p><br/></p><p>会堂での伝道（4 節）</p><p>「パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした」。（1）コリントでも、パウロはユダヤ人伝道を優先させた。①安息日ごとに会堂で論じた。②ユダヤ人とギリシャ人（神を恐れる異邦人）を説得しようとした。③パウロは、イエスは約束のメシアであるというメッセージを語った。（2）シラスとテモテが合流してからは、伝道に専念するようになる。</p><p>コリント伝道は、「罪の増すところには、恵みも増す」という真理を証明している。この堕落した町にも、やがて教会が誕生する。しかし、コリント教会には、多くの問題があった。それを解決するために、パウロは、この教会に3 つの手紙を書いた（残っているのは2 つ）。その内容と適用は、極めて現代的なものである。1 コリント1：1 ～ 2（新改訳2017）では、コリントの信者たちが「キリスト・イエスにあって聖なる者とされ、聖徒として召された方々」と呼ばれている。彼らは、数々の問題を抱えながらも、「聖徒」と呼ばれている。この聖句は、位置的聖化（キリストにあってすでに聖化されているという真理）を教えている。パウロはそれらの手紙によって、コリントの信者たちに与えられている位置的聖化を、実際的聖化に高めようとしたのである。霊的に成長するとは、位置的聖化と実際的聖化の距離が縮まって行くことで、これは聖霊の御業である。きょうも、聖霊の導きに従おうではないか。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p><br/></p><p>聖なる神よ。私も聖化の過程にあります。どうか、聖霊の導きによって、私の霊的成長を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://youtu.be/Oega4HLVirk" />
         <pubDate>2025-01-17 21:31:14 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き18：5 ～ 11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3295943594</link>
         <description><![CDATA[<p><br/></p><p>5 そして、シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した。</p><p>6 しかし、彼らが反抗して暴言を吐はいたので、パウロは着物を振り払って、「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く」と言った。</p><p>7 そして、そこを去って、神を敬うテテオ・ユストという人の家に行った。その家は会堂の隣であった。</p><p>8 会堂管理者クリスポは、一家をあげて主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。</p><p>9 ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。</p><p>10 わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」と言われた。</p><p>11 そこでパウロは、一年半ここに腰を据すえて、彼らの間で神のことばを教え続けた。</p><p><br/></p><p><strong>コリント伝道（4）</strong></p><p><strong>シラスとテモテの合流（5 節）</strong></p><p>今パウロは、コリントにいて伝道している。アクラとプリスキラ夫婦との出会いは、彼を大いに励ました。そうこうする内に、同労者がコリントに着いた。「そして、シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した」。シラスとテモテの合流は、パウロに大きな励ましをもたらした。ここには、①弱さの中に働く神の摂理と、②勤勉さの中に働く神の摂理が見える。弱さを覚える時でも、勤勉に神にお仕えしよう。神は私たちの姿勢を見ておられる。<br>シラスは、ピリピからコリントに到着した。彼は、ピリピ教会からの伝道支援献金を持って来た。ピリピ4：15 にはこうある。「ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした」。パウロは、ピリピの信徒たちの献金によって、どれほど慰められたことであろうか。<br>テモテは、テサロニケから到着した。①テモテは、良いニュースをもたらした。「ところが、今テモテがあなたがたのところから私たちのもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせをもたらしてくれました。･･･私たちはあらゆる苦しみと患難のうちにも、あなたがたのことでは、その信仰によって、慰めを受けました。･･･」（1 テサ3：6 ～ 8）。②さらにテモテは、テサロニケの信者たちが抱いている携挙と再臨に関する質問を持ち帰った（1 テサ4：13 ～ 5：11）。この質問に答えて、パウロは、テサロニケ人への手紙第一を書き、さらに、コリントにいる間にテサロニケ人への手紙第二も書いた。<br>シラスとテモテが合流したので、パウロは伝道に専念することができた。2 コリント11：9 にはこうある。「あなたがたのところにいて困窮していたときも、私はだれにも負担をかけませんでした。マケドニヤから来た兄弟たちが、私の欠乏を十分に補ってくれたのです。私は、万事につけあなたがたの重荷にならないようにしましたし、今後もそうするつもりです」。この段階での伝道は、会堂を中心としたユダヤ人伝道である。メッセージの内容は、「イエスがヘブル語聖書で預言されているメシアである」というものである。忠実なしもべの上に、神の目が注がれていることを覚えよう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。弱さの中でこそ、勤勉に従うことを学びました。どうか、しもべの上に、その目を注いでください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-01-18 21:33:22 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き18：5 ～ 11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3296548194</link>
         <description><![CDATA[<p><br></p><p>5 そして、シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した。</p><p>6 しかし、彼らが反抗して暴言を吐はいたので、パウロは着物を振り払って、「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く」と言った。</p><p>7 そして、そこを去って、神を敬うテテオ・ユストという人の家に行った。その家は会堂の隣であった。</p><p>8 会堂管理者クリスポは、一家をあげて主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。</p><p>9 ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。</p><p>10 わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」と言われた。</p><p>11 そこでパウロは、一年半ここに腰を据すえて、彼らの間で神のことばを教え続けた。</p><p><br></p><p><br></p><p><strong>コリント伝道（5）</strong></p><p><strong>ユダヤ人伝道の優先（6 節）</strong></p><p>この段階では、パウロはユダヤ人伝道に専念していた。メッセージの内容は、「イエスがヘブル語聖書で預言されているメシアである」というものであった。メッセージの背景には、ダマスコ途上での回心体験がある。このメッセージは、ユダヤ人にとってはつまずきとなった。「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、」（1 コリ1：23）<br>「しかし、彼らが反抗して暴言を吐いたので、パウロは着物を振り払って、『あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く』と言った」。ユダヤ人たちの反応は、どうであったか。①パウロは、これまでにも増して力強く語り始めた。②ユダヤ人たちは、パウロのメッセージに反抗した。これは組織的な反抗である。③彼らは、イエスの御名をののしった（冒涜した）。つまり、イエスについて誤ったことを言ったのである。④これは、ピシデヤのアンテオケとテサロニケで起こったことの再現である。</p><p><strong>ユダヤ人の不信仰に対するパウロの応答</strong></p><p>（1）彼は、着物のちりを振り払った。これは、自分には責任がないということを示す象徴的行為で、サンダルのちりを払うのと同じである。（2）「あなたがたの血は、あなたがたの頭上に降りかかれ。私には責任がない」。この言葉の背景にエゼキエル3：17 ～ 20 がある。「･･･わたしが悪者に、『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたが彼に警告を与えず、悪者に悪の道から離れて生きのびるように語って、警告しないなら、その悪者は自分の不義のために死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う」（エゼ33：2 ～ 9 も参照）。（3）これ以降、コリントにおけるパウロの伝道は異邦人が対象になる。①コリントの町におけるユダヤ人伝道が終わったという意味である。②もし相手の方から求めて来るなら、ユダヤ人であっても対話は行われる。③別の町に行けば、ユダヤ人伝道から始めるという原則が再び適用される。<br>パウロは、人が救われるのは聖霊の働きであることをよく知っていた。「･･･神の御霊によって語る者はだれも、『イエスはのろわれよ』と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません」（1コリ12：3）。伝道の主体は聖霊にあることを覚え、キリストのしもべとして成長させていただこうではないか。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。キリストのしもべとして成長し、御霊によって福音を語ることができるよう、私を導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-01-19 21:29:22 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き18：5 ～ 11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3297757607</link>
         <description><![CDATA[<p>5 そして、シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した。</p><p><br/></p><p>6 しかし、彼らが反抗して暴言を吐はいたので、パウロは着物を振り払って、「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く」と言った。</p><p><br/></p><p>7 そして、そこを去って、神を敬うテテオ・ユストという人の家に行った。その家は会堂の隣であった。</p><p><br/></p><p>8 会堂管理者クリスポは、一家をあげて主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。</p><p><br/></p><p>9 ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。</p><p><br/></p><p>10 わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」と言われた。</p><p><br/></p><p>11 そこでパウロは、一年半ここに腰を据すえて、彼らの間で神のことばを教え続けた。</p><p><br/></p><p>コリント伝道（6）</p><p>ユダヤ人伝道から異邦人伝道へ（7 節）</p><p>パウロの伝道原則は、先ずユダヤ人に、次に異邦人に、というものであった。コリントのユダヤ人たちは、パウロが伝える福音に反発した。そこでパウロは、ユダヤ人伝道から異邦人伝道に向かうことになる。</p><p>「そして、そこを去って、神を敬うテテオ・ユストという人の家に行った。その家は会堂の隣であった」。（1）ここでパウロは、アクラとプリスカの家から新しい家に転居している。（2）新しい家主は、テテオ・ユストという異邦人である。①彼は、神を敬う異邦人で、パウロの伝道によってイエスを信じる信者になった人である。②名前から判断すると、ローマ市民だと思われる。③彼の家は、会堂の隣にあった。その家は、そこで集会を開くことができるほど大きな家であった。（3）この家が、パウロのコリント伝道の拠点となった。会堂を去ったパウロは、隣の建物で異邦人伝道を行った。物理的には隣同士だが、信じる者と信じない者の霊的距離は無限大に遠い。</p><p><br/></p><p>会堂管理者クリスポの救い（8 節）</p><p>「会堂管理者クリスポは、一家をあげて主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた」。（1）会堂司クリスポとその家族全員が、救われた。これもまた、不思議なことである（神のユーモアであろうか）。会堂司は、会堂の施設を管理し、礼拝の秩序を維持する役割を担っていた。その彼がイエスを信じたことは、会堂全体にとって衝撃的なことであった。彼は旧約聖書に精通していたので、ユダヤ人に良き伝道をしたに違いない。（2）クリスポは、会堂司の職を奪われた。その後継者が、会堂司ソステネである（17 節に登場する）。</p><p>コリント伝道の初期に信じた人たちを列挙してみる。① 1 コリント16：15。「兄弟たちよ。あなたがたに勧めます。ご承知のように、ステパナの家族は、アカヤの初穂であって、聖徒たちのために熱心に奉仕してくれました」。② 1 コリ1：14。「私は、クリスポとガイオのほか、あなたがたのだれにもバプテスマを授けたことがないことを感謝しています」。クリスポは、会堂司である。ガイオは、パウロの家主となったテテオ・ユストと同一人物であろう。ガイオはファーストネームである。③以上の情報により、シラスとテモテが合流する前から、パウロの伝道は実を結んでいたことが分かる。伝道には順風の時も逆風の時もあるが、状況に縛られないで忠実に奉仕をするなら、長い間には、伝道は確実に前進する。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p><br/></p><p>全知全能なる神よ。伝道を前進されるのはあなたです。そのことを覚え、みことばに従いつつ歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-01-20 19:08:49 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き18：5 ～ 11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3299363999</link>
         <description><![CDATA[<p>5 そして、シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した。</p><p>6 しかし、彼らが反抗して暴言を吐はいたので、パウロは着物を振り払って、「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く」と言った。</p><p>7 そして、そこを去って、神を敬うテテオ・ユストという人の家に行った。その家は会堂の隣であった。</p><p>8 会堂管理者クリスポは、一家をあげて主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。</p><p>9 ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。</p><p>10 わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」と言われた。</p><p>11 そこでパウロは、一年半ここに腰を据すえて、彼らの間で神のことばを教え続けた。</p><p><br/></p><p><strong>コリント伝道（7）</strong></p><p><strong>夜の幻（9 ～ 10 節）</strong></p><p>「ある夜、主は幻によってパウロに、『恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから』と言われた」。（1）「ある夜」とあるが、これは、伝道の拠点を会堂の隣に移す直前か、直後のことであろう。主は幻によってパウロに語られた。（2）「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない」。このことばから、この時のパウロが恐れを抱いていたことが分かる。（3）恐れなくてもよい理由が2 つある。①神がともにおられるので、パウロを襲って、危害を加える者はいない。このことばによって、コリントでのパウロの身の安全は保証された。②「この町には、わたしの民がたくさんいるから」。このことばによって、伝道の実が豊かに実ることが約束された。</p><p><br/></p><p><strong>幻の結果（11 節）</strong></p><p>「そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた」。（1）会堂を去ってから、伝道の成果はより素晴らしいものとなった。①パウロは、一年半の間、コリントに住んで伝道を行った。②また、コリントの玄関口の港町であるケンクレアにも活動を広げた。ローマ16：1 には、ケンクレアの教会への言及がある。「ケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、あなたがたに推薦します」。（2）パウロが一箇所に滞在する期間は短かったが、例外もあった。最長はエペソでの3 年、次がコリントでの1 年半である。<br>コリントは道徳的に堕落した町であった。パウロは、この町に信仰に入る人が多くいるとは考えなかったはずである。しかし、神の視点は違う。「この町には、わたしの民がたくさんいるから」というのが神の視点である。神は、御自身の民を選んでおられる。神の選びと神の予知を信じることは、私たちを無責任にするのではない。むしろ、この町に神が招かれた人たちがいると確信するので、伝道するのである。私たちの心に恐れがとどまっているなら、神のことばによって、恐れを取り除いていただこう。「わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない」</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能なる神よ。あなたの目にはすべてのことが見えています。私の心から恐れを取り除いてください。あなたを信頼します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=9EZvUC_F6mE" />
         <pubDate>2025-01-21 20:44:44 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き18：12 ～ 18</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3300938982</link>
         <description><![CDATA[<p>12 ところが、ガリオがアカヤの地方総督であったとき、ユダヤ人たちはこぞってパウロに反抗し、彼を法廷に引いて行って、</p><p><br/></p><p>13 「 この人は、律法にそむいて神を拝むことを、人々に説き勧めています」と訴うったえた。</p><p><br/></p><p>14 パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人に向かってこう言った。「ユダヤ人の諸君。不正事件や悪質な犯罪のことであれば、私は当然、あなたがたの訴えを取り上げもしようが、</p><p><br/></p><p>15 あなたがたの、ことばや名称や律法に関する問題であるなら、自分たちで始末をつけるのがよかろう。私はそのようなことの裁判官にはなりたくない。」</p><p><br/></p><p>16 こうして、彼らを法廷から追い出した。</p><p><br/></p><p>17 そこで、みなの者は、会堂管理者ソステネを捕らえ、法廷の前で打ちたたいた。ガリオは、そのようなことは少しも気にしなかった。</p><p><br/></p><p>18 パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆しゅっぱんした。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願せいがんを立てていたので、ケンクレヤで髪をそった。</p><p><br/></p><p>コリント伝道（8）</p><p>地方総督ガリオ</p><p>「ところが、ガリオがアカヤの地方総督であったとき、ユダヤ人たちはこぞってパウロに反抗し、彼を法廷に引いて行って、」。地方総督ガリオは、名家の出身である。（1）大セネカ（マルクス・アンナエウス・セネカ）という修辞学者には、3 人の息子たちがいた。①ルキウス・アンナエウス・ノバトゥス。彼は、修辞学者のルキウス・ユリウス・ガリオの養子になり、後にルキウス・ユリウス・アンナエウス・ガリオと呼ばれた。使徒18：12 に登場するのは、このガリオである。②小セネカ（ルキウス・アンナエウス・セネカ）は、ストア派の哲学者で、ネロの家庭教師となった。彼は、ローマでは大きな影響力を持っていた。③アンナエウス・メラ。（2）この箇所に登場するガリオは、大セネカの長男であり、小セネカの兄である。①ガリオは、温厚な好人物としての評価が高かった。②弟の小セネカは、「ガリオほど魅力的な人物は他にいない」と兄を絶賛している。（3）ガリオは、アカヤの地方総督であった。①彼の任期は、紀元51 ～ 52 年と言われている（病気のために途中で退職した）。②この裁判が行われたのは、恐らく紀元51 年の終わり頃であろう。これは、パウロの活動の絶対年代を決めるための情報の一つである。③ガリオと小セネカは、紀元65 年にネロによって殺された。</p><p><br/></p><p>ユダヤ人たちの訴え</p><p>ユダヤ人たちは、新任の地方総督が来たので、勝訴する可能性があると考えたのであろう。（1）彼らはパウロを法廷に引いて行った。法廷と訳された言葉は、ベイマ（bema）である。「審判（さばき）の座」（文語訳）という訳もある。ここは、アゴラ（市場）の中央に造られた一段高い場所で、判決はここから出された。裁判の様子を傍聴ぼうちょうすることが、一般人にも許されていた。（2）ユダヤ人たちは、「この人は、律法にそむいて神を拝むことを、人々に説き勧めています」と訴えた。①ユダヤ教は、ローマの公認宗教であった。②ユダヤ人がユダヤ人を改宗させることは許されていたが、ローマ市民に伝道することは違法であった。③訴えの内容は、パウロがローマ市民に非公認の宗教を伝えているというものである。ピリピとテサロニケでも、同じ訴えがあった（使16：20 ～ 21、17：6 ～ 7 参照）。</p><p>裁判の結果は、次回学ぶことになるが、ここでの教訓は、神は試練を祝福に変えることができるという点である。試練は、神が働くチャンスでもある。どのような状況に置かれても、神を信頼し続けようではないか。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p><br/></p><p>天の父なる神さま。あなたは、試練を祝福に変えることのできるお方です。どのような状況でも、あなたを信頼します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=PYeD1Vvg5b4" />
         <pubDate>2025-01-22 20:52:17 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き18：12 ～ 18</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3302417586</link>
         <description><![CDATA[<p>12 ところが、ガリオがアカヤの地方総督であったとき、ユダヤ人たちはこぞってパウロに反抗し、彼を法廷に引いて行って、</p><p><br/></p><p>13 「 この人は、律法にそむいて神を拝むことを、人々に説き勧めています」と訴うったえた。</p><p><br/></p><p>14 パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人に向かってこう言った。「ユダヤ人の諸君。不正事件や悪質な犯罪のことであれば、私は当然、あなたがたの訴えを取り上げもしようが、</p><p><br/></p><p>15 あなたがたの、ことばや名称や律法に関する問題であるなら、自分たちで始末をつけるのがよかろう。私はそのようなことの裁判官にはなりたくない。」</p><p><br/></p><p>16 こうして、彼らを法廷から追い出した。</p><p><br/></p><p>17 そこで、みなの者は、会堂管理者ソステネを捕らえ、法廷の前で打ちたたいた。ガリオは、そのようなことは少しも気にしなかった。</p><p><br/></p><p>18 パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆しゅっぱんした。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願せいがんを立てていたので、ケンクレヤで髪をそった。</p><p><br/></p><p>コリント伝道（9）</p><p>ガリオの判決</p><p>「パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人に向かってこう言った。『ユダヤ人の諸君。不正事件や悪質な犯罪のことであれば、私は当然、あなたがたの訴えを取り上げもしようが、あなたがたの、ことばや名称や律法に関する問題であるなら、自分たちで始末をつけるのがよかろう。私はそのようなことの裁判官にはなりたくない』」。（1）被告パウロはベイマに立ち、そこに置かれた腰の高さほどの円柱に手を置いて宣誓する。次に、証言を開始する。しかし、パウロが話し出す前に、ガリオがさえぎった。（2）裁判官ガリオの言葉を見てみよう。①全体的な言葉の雰囲気は、訴えている者たちへの不快感と軽蔑けいべつである。「俺を誰だと思っているのか」というのがガリオの本心である。②ガリオは、「ユダヤ人諸君」と、ユダヤ人たちに呼びかける。③この問題が刑事事件なら自分は取り上げるが、この問題はユダヤ教内部の教理に関する争いである。ユダヤ教のラビの風貌ふうぼうをしてる被告（パウロ）を見れば、それがすぐに分かる。それゆえ、自分たちで始末をつけるがよい。④申立て自体が不適法なので、門前払いに処する（却下）。ガリオはいわば、政教分離を貫いたのである。</p><p>「こうして、彼らを法廷から追い出した。そこで、みなの者は、会堂管理者ソステネを捕らえ、法廷の前で打ちたたいた。ガリオは、そのようなことは少しも気にしなかった」。（1）ここには、ガリオの反ユダヤ的姿勢が見られる。なおも食い下がるユダヤ人たちを、ガリオは力ずくで追い出した。（2）ガリオの言葉が引き金となって、群衆の反ユダヤ感情が噴出した。コリントでも反ユダヤ感情は根深く存在していた。①彼らは、ユダヤ人の指導者に襲いかかった。ユダヤ人同士の争いにローマ人を巻き込むなという感情があった。②会堂管理者ソステネが、攻撃の標的となった。彼は、信者になったクリスポの後任として会堂管理者になった人物である。③群衆は、ベイマの前でソステネを打ちたたいた。（3）ガリオは、このようなことには無関心であった。①小さな暴力は、総督が関わる案件ではない。②宗教に無関心ということではなく、管轄外の案件には無関心という意味である。</p><p>裁判は予想外の結果に終わった（この裁判がもたらした祝福については、次回学ぶ）。ガリオが地方総督になっていたことが幸いした。神は、いかなる時にも摂理的に働いておられる。日々、神の御手を見る人は幸いである。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p><br/></p><p>聖なる神よ。今も、あなたは摂理の御手によって働いておられます。きょうも、信仰によって歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-01-23 20:13:04 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き18：12 ～ 18</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3303485896</link>
         <description><![CDATA[<p>12 ところが、ガリオがアカヤの地方総督であったとき、ユダヤ人たちはこぞってパウロに反抗し、彼を法廷に引いて行って、</p><p>13 「 この人は、律法にそむいて神を拝むことを、人々に説き勧めています」と訴うったえた。</p><p>14 パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人に向かってこう言った。「ユダヤ人の諸君。不正事件や悪質な犯罪のことであれば、私は当然、あなたがたの訴えを取り上げもしようが、</p><p>15 あなたがたの、ことばや名称や律法に関する問題であるなら、自分たちで始末をつけるのがよかろう。私はそのようなことの裁判官にはなりたくない。」</p><p>16 こうして、彼らを法廷から追い出した。</p><p>17 そこで、みなの者は、会堂管理者ソステネを捕らえ、法廷の前で打ちたたいた。ガリオは、そのようなことは少しも気にしなかった。</p><p>18 パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆しゅっぱんした。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願せいがんを立てていたので、ケンクレヤで髪をそった。</p><p><br/></p><p><strong>コリント伝道（10）</strong></p><p><strong>ガリオによる裁判の結果</strong></p><p>ガリオは、ユダヤ人たちの訴えを却下した。その結果、どういう影響がもたらされたのか。（1）この裁判により、パウロが伝える福音は、ユダヤ教の一部であると認定された。つまり、キリスト教は公認宗教の一部であるという判断が下されたのである。（2）総督による判決は、ローマ帝国内のすべての総督の判断に影響を与えた。①今で言う判例ができたということである。②地方総督が出した判決は、長官（ピリピ）や役人（テサロニケ）の判決とは比較にならないほど重い。③パウロは、7 年後にカイザルに上訴することになる。恐らくパウロは、パレスチナ在住のローマの行政官（地方総督）が、ユダヤ人の影響を受け過ぎていると感じたのであろう。使徒25：11 でパウロはこう語っている（ユダヤ総督フェストに対して）。「もし私が悪いことをして、死罪に当たることをしたのでしたら、私は死をのがれようとはしません。しかし、この人たちが私を訴えていることに一つも根拠がないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカイザルに上訴します」。（3）ガリオの判決が出て以降、約13 年間にわたり伝道の自由が与えられた。①紀元64 年、ネロはローマの大火をクリスチャンの仕業とした。②それ以降、キリスト教への迫害が始まる。</p><p><br/></p><p><strong>ソステネのその後</strong></p><p>（1）会堂管理者クリスポが、パウロの伝道によって救われた。信者となった彼は、会堂管理者の地位を追われた。（2）その後任になったのが、ソステネである。①彼は、ベイマの前で野次馬やじうまたちによって打ちたたかれた。彼は、大変な目に遭あったのである。②その後ソステネがどうなったのかは、1 コリント1：1 を見れば分かる。「神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから、･･･」。ソステネは、パウロの書記となって活躍している。③彼は、苦難を通してキリストに出会ったのである。<br>苦難の意味を聖書的に理解する人は幸いである。苦難がもたらす祝福について、黙想してみよう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。あなたは、いかなる苦難をも祝福に変えてくださるお方です。あなたを信じます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=nrJFp7M-E6A" />
         <pubDate>2025-01-24 16:04:05 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き18：12 ～ 18</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3304304190</link>
         <description><![CDATA[<p>12 ところが、ガリオがアカヤの地方総督であったとき、ユダヤ人たちはこぞってパウロに反抗し、彼を法廷に引いて行って、</p><p><br/></p><p>13 「 この人は、律法にそむいて神を拝むことを、人々に説き勧めています」と訴うったえた。</p><p><br/></p><p>14 パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人に向かってこう言った。「ユダヤ人の諸君。不正事件や悪質な犯罪のことであれば、私は当然、あなたがたの訴えを取り上げもしようが、</p><p><br/></p><p>15 あなたがたの、ことばや名称や律法に関する問題であるなら、自分たちで始末をつけるのがよかろう。私はそのようなことの裁判官にはなりたくない。」</p><p><br/></p><p>16 こうして、彼らを法廷から追い出した。</p><p><br/></p><p>17 そこで、みなの者は、会堂管理者ソステネを捕らえ、法廷の前で打ちたたいた。ガリオは、そのようなことは少しも気にしなかった。</p><p><br/></p><p>18 パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆しゅっぱんした。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願せいがんを立てていたので、ケンクレヤで髪をそった。</p><p><br/></p><p>コリント伝道（11）</p><p>コリントを去るパウロ</p><p>「パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった」。（1）第二次伝道旅行も終わりに近づいた。紀元52 年の秋、パウロはアンテオケ教会に帰ろうとした。①コリントの状況は、落ち着いてきた。②他の地区での伝道の時期が来た。コリントを去る理由は、以上の2 つである。（2）パウロは、ケンクレアの港（コリントの外港）から出発した。これは、シリアに向けた船旅である。（3）プリスキラとアクラも同行した。（4）シラスとテモテは、アカヤ（コリント）にとどまったと思われる。</p><p>「パウロは一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった」。（1）この行為の背景にあるのは、ナジル人の誓願である（民6：1 ～ 21 参照）。ナジル人の誓願を立てる人は、誓願の期間、ぶどう酒を控え、頭にかみそりを当てない。誓願の期間が終わると、神殿で頭を剃そり、その髪をいけにえとともに燃やす。（2）パウロが立てていた誓願は、献身の誓願か、感謝（安全が守られたことへの感謝）の誓願であろう。パウロが採用した誓願の方法は、ディアスポラのユダヤ人の習慣に基づくものだと思われる。ディアスポラのユダヤ人たちは、エルサレムに上るための時間的、金銭的余裕がないので、エルサレムの神殿に行かないで生活の場で髪を剃り、それを燃やした。（3）ここでパウロは、モーセの律法を実践しているわけであるが、それは聖書の教えと矛盾したものではない。新約聖書が教える律法からの自由とは、ユダヤ人にとっては、守る自由と守らない自由を含む概念である。</p><p><br/></p><p>神の時</p><p>これからパウロは、アジアに向かう。かつては、東からアジアに入ることは禁じられたが、今度は、西から入ることは許された。すべてのことには、神の時がある。今はできなくても、やがてできるようになることがある。また、今しかできないこともある。神の時を認識できる人は、幸いである。日々、デボーションを通して神との交わりを第一にする人は、神の時を感じることができるようになる。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p><br/></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。すべてのことには時があります。あなたの時を感じることができよう、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=mmGMuEfo90g" />
         <pubDate>2025-01-25 20:35:39 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き18：19 ～ 22</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3304850818</link>
         <description><![CDATA[<p>19 彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じた。</p><p>20 人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、</p><p>21 「 神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます」と言って別れを告げ、エペソから船出した。</p><p>22 それからカイザリヤに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンテオケに下って行った。</p><p><br/></p><p><strong>第二次伝道旅行の完結（1）</strong></p><p><strong>第二次伝道旅行の旅程</strong></p><p>第二次伝道旅行の旅程を振り返ってみる。①アンテオケからトロアスへの移動。②トロアスからマケドニア州（ピリピ、テサロニケ、ベレア）への移動。③マケドニア州からアカヤ州（アテネ、コリント）への移動。④これからパウロは、コリント→エペソ→カイザリヤ→エルサレム→アンテオケと移動しようとしている。アンテオケに着くと、第二次伝道旅行が完結する。</p><p><br/></p><p><strong>エペソの会堂訪問</strong></p><p>「彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じた」。（1）パウロの一行は、エペソに着いた。エペソはアジア州の首都で、巨大な港を有していた（エペソは、アジアとヨーロッパを結ぶ重要な港）。ケンクレアとエペソの間を往き来する船便が、エーゲ海では最も多かった。（2）エペソという町について学んでおこう。①前1044 年に建設された商業都市で、前4 世紀以降、ギリシア風都市となった（アレキサンダー大王と後継者たち）。②前2 世紀の終わりに、ローマが支配する都市となった。③大いに栄えた商業都市で、アジア州の首都となった。当時の人口は、20 ～ 25 万人であろう。④ユダヤ人にも寛容だったので、多くのユダヤ人が住んでいた。⑤魔術やオカルト的風習でも有名であった。世界の七不思議の一つアルテミス神殿があった。66m × 130m もある巨大な神殿で、アテネのパルテノン神殿の4 倍もあった。アルテミスは、多数の乳房を持った豊穣の女神である。⑥アジアにおける偶像礼拝と売春の中心地であった。地域経済も、アルテミス信仰によって潤うるおっていた。（3）第二次伝道旅行の初期において、パウロはエペソを目差していたと思われる。しかし、御霊はパウロをトロアスに導き、そこからマケドニアに導いた。第二次伝道旅行の終わりに、パウロはエペソを訪問することができた。しかしこの訪問は、旅行の途中で立ち寄ったという程度のものであった。（4）プリスキラとアクラが同行していたが、彼らは、エペソで船を下りて、この町に数年間とどまることになった。最終的には、紀元57 年までにはローマに戻ることになる（ロマ16：3）。（5）ふたりと別れたパウロは、単独で会堂に入って行った。船が出帆するまでの空き時間を、伝道のために用いたのである。彼は、単独で会堂に入り、ユダヤ人のためのメシアについて彼らと論じた。寸暇すんかを惜しんで、あらゆる機会を捉とらえて福音を伝えるパウロの姿勢から教訓を学ぼう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。時には限りがあります。あらゆる機会を福音のために用いることができるよう導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=LRokykaG6r8" />
         <pubDate>2025-01-26 20:45:31 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3304850818</guid>
      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き18：19 ～ 22</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3306166288</link>
         <description><![CDATA[<p>19 彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じた。</p><p><br/></p><p>20 人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、</p><p><br/></p><p>21 「 神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます」と言って別れを告げ、エペソから船出した。</p><p><br/></p><p>22 それからカイザリヤに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンテオケに下って行った。</p><p><br/></p><p>第二次伝道旅行の完結（2）</p><p>ユダヤ人たちの反応</p><p>パウロは、単独で会堂に入り、イエスがユダヤ人のメシアであることをヘブル語聖書から論じた。結果は良好であった。</p><p>「人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、」。（1）他の町のユダヤ人たちとは異なり、エペソのユダヤ人たちはパウロが語ることに興味を示した。①彼らは、もっと長くとどまるようにパウロに頼んだ。②パウロから、さらなる解き明かしを聞きたいと願ったのである。③これは、ユダヤ人から返って来る反応としては珍しいものである。（2）しかしパウロは、彼らの願いを聞き入れなかった。①祭りまでにエルサレムに着きたいと願っていたからである。この祭りが、過越の祭りか、五旬節の祭りか、仮庵の祭りか、断定できない。②パウロは、モーセの律法に慣れ親しんだユダヤ人である。彼には、律法を守る自由も、守らない自由もあった。③パウロがエルサレムに上ることに固執した理由は何か。彼は、エルサレム教会（母教会）と指導者たち（ヤコブ）への挨拶あいさつと交わりを重視した。さらに、エルサレムで再会する旧友たちへの伝道も視野に入れていたのであろう。</p><p><br/></p><p>神のみこころなら</p><p>「『神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます』と言って別れを告げ、エペソから船出した」。（1）パウロは、エペソでは伝道の扉が開かれていることを実感したはずである。それで、「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます」と言ったのである。これは外交辞令ではなく、真心から出た真実な言葉である。（2）パウロは、一年も経たない内にエペソに戻ることになる。エペソは、パウロの宣教活動において最大の成果をもたらす町となる。（3）「神のみこころなら（if God wills）」は、ユダヤ人たちが使用する常套句じょうとうくである。今でもユダヤ人たちはこの言葉を使う。異邦人の中にも使う人は多い。これは、神の主権を認める言葉である。この言葉には2 種類の使い方がある。①自分の計画や願いを中心に置いて、「神のみこころなら」と言う人がいる。②さらに、神の計画の成就を願い、「神のみこころなら」と言う人がいる。</p><p>「神のみこころなら」という言葉を正しく用いよう。自分の願いではなく、神の計画の成就を願い、「神のみこころなら」と言う人にならせていただこう。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p><br/></p><p>天の父なる神さま。あなたのご計画の成就を私自身の願いとすることができますよう、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=Bc2uU66GbZo" />
         <pubDate>2025-01-27 19:47:38 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>使徒の働き18：19 ～ 22</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3307563523</link>
         <description><![CDATA[<p>19 彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じた。</p><p>20 人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、</p><p>21 「 神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます」と言って別れを告げ、エペソから船出した。</p><p>22 それからカイザリヤに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンテオケに下って行った。</p><p><br/></p><p><strong>第二次伝道旅行の完結（3）</strong></p><p><strong>エルサレムに向かって</strong></p><p>「それからカイザリヤに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンテオケに下って行った」。（1）エペソからカイザリヤへ。①アンテオケに帰るなら、セルキヤに向かう船に乗る。②しかし、エルサレムに上る予定なので、カイザリヤに上陸した。③エペソからカイザリヤまで、約800 キロの船旅である。（2）カイザリヤからエルサレムへ。①「上り」「下り」は、エルサレムに近づくか、遠ざかるかを表現した言葉である。②パウロは、母教会に挨拶した。つまり、伝道の報告をしたということである。（3）エルサレムからアンテオケへ。①エルサレムから北に向かい、アンテオケに着いた。②これで、第二次伝道旅行が完結した。③さほど時間を置かずに、第三次伝道旅行が始まる。</p><p><br/></p><p><strong>第二次伝道旅行のまとめ</strong></p><p>（1）移動距離。①第一次伝道旅行では、2,240 キロを移動した。②第二次伝道旅行（使15：40 ～ 18：22）では、約2 年半で、その倍の4,480 キロを移動した。ちなみに、京都からシンガポールまで約5,000 キロある。<br>（2）代表的なメッセージ。①第一次伝道旅行では、ピシデヤのアンテオケでのメッセージがそれである（使13：16 以降）。これは、会堂でユダヤ人に向けて語られたものである。②第二次伝道旅行では、アテネでのメッセージがそれである（使17：22 以降）。これは、アテネのアレオパゴスで異邦人に向けて語られたものである。③先の話になるが、第三次伝道旅行では、ミレトでのメッセージがそれである（使20：18 以降）。これは、エペソの長老たち（信者）に向けて語られたものである。<br>（3）救われた人々。①パウロを通して、ヨーロッパは福音に触れた。その結果、多くのユダヤ人が救われた。パウロは、異邦人のための使徒として召されたが、ユダヤ人伝道を優先させた。②テモテ、ルカ、アクラとプリスキラ夫婦、などとの出会いがあった。③多くの異邦人とユダヤ人が救われた。神を敬う異邦人のビジネスパーソン、リディアとその一家の救い。ローマ人の看守とその一家の救い。アテネのアレオパゴスの議員（デオヌシオ）の救い。2 人の会堂管理者（クリスポとソステネ）の救い。<br>第二次伝道旅行においても、生けるキリストがパウロを通して働かれた。今も、生けるキリストは私たちを通して働いておられる。私たちは、現代の「使徒の働き」を書くように召されている。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い父なる神さま。今も、生けるキリストは私たちを通して働いておられます。その恵みを覚えつつ、みこころに従い歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=wpGl5XU7Phk" />
         <pubDate>2025-01-28 19:26:25 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き18：23</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3308979024</link>
         <description><![CDATA[<p>23 そこにしばらくいてから、彼はまた出発し、ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた。</p><p><br/></p><p><strong>第三次伝道旅行の始まり</strong></p><p><br/></p><p><strong>第三次伝道旅行の概略</strong></p><p>第三次伝道旅行は、使徒18：23 ～ 21：17 に記録されている（紀元53 年の春から56 年の春）。最初パウロは、一人で出かけて行く。（1）彼は、第一次伝道旅行で立てられた諸教会（ガラテヤ地方とフルギヤ）を訪問する。その目的は、弟子たちを力づけるためである。（2）第三次伝道旅行の中心地はエペソである。この町は、小アジア全域に福音を宣べ伝えるための基地となる。ちなみに、第二次伝道旅行の中心地はコリントであった。（3）パウロは、伝道者、教師、牧師として奉仕し、その働きにはしるしが伴う。（4）パウロに対する敵対は、ユダヤ人からではなく、異邦人からやって来る。（5）パウロは、最後にエルサレムに上る。使徒21：18 ～ 28：31 で、パウロは逮捕され、ローマに行く。</p><p><br/></p><p><strong>第三次伝道旅行の始まり</strong></p><p>「そこにしばらくいてから、彼はまた出発し、ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた」。（1）ルカは、アンテオケでのパウロの活動については報告していない。当然パウロは、宣教報告を行ったことであろう。アンテオケに戻って約6 か月で、彼は第三次伝道旅行に出かけることにした。紀元53 年の春、天候が穏やかになる季節である。（2）今回の伝道旅行の最終目的地は、エペソである。使徒18：20 ～ 21 にはこうあった。「（エペソ教会の）人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、『神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます』と言って別れを告げ、エペソから船出した」。エペソに行くのは、その約束を実行するためである。（3）第二次伝道旅行では、エペソに向かうことを超自然的に禁じられた。今回は、同行者なしに、単独でエペソに向かう。恐らくパウロは、旅の途中でシラスやテモテと再会することを期待していたのであろう。（4）「ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた」とあるが、これは、第一次伝道旅行と第二次伝道旅行での宣教地を再訪したということである。具体的には、デルベ、ルステラ、イコニオム、ピシデヤのアンテオケなどの町々である。彼は、弟子訓練を熱心に行った。これは、主に教師としての奉仕である。このようにして、徐々にエペソに近づいて行ったのである。<br>すべてのことに時がある。かつてはエペソに行くことを禁じられたが、今やエペソが宣教の中心地になる時が来た。神の時を見分ける人は幸いである。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。すべてのことに時があることを学びました。あなたの時を見分ける力を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=FBr8v1q8eNQ" />
         <pubDate>2025-01-29 20:20:16 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3308979024</guid>
      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き18：24 ～ 28</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3310338224</link>
         <description><![CDATA[<p>24 さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。</p><p><br/></p><p>25 この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。</p><p><br/></p><p>26 彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。</p><p><br/></p><p>27 そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。</p><p><br/></p><p>28 彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。</p><p><br/></p><p>雄弁な伝道者アポロ（1）</p><p>アポロの紹介</p><p>「さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた」。（1）ここで場面は、エペソに切り替わる。ルカは、パウロがエペソを去って以降にエペソで起ったことを記録している。（2）アポロは、ディアスポラ（離散）のユダヤ人で、エジプトのアレキサンドリア出身である。アレキサンドリアは、学芸の一大中心地で、大きなユダヤ人共同体もあった（アテネ、アレキサンドリア、タルソが3 大大学都市）。アレキサンドリアは、ディアスポラの地でのユダヤ教の中心地であった。（3）その町出身のアポロは雄弁な伝道者で、ヘブル語聖書に精通していた。彼は、アレキサンドリアで弁論術の訓練を受けたのであろう。</p><p>「この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった」。（1）彼はエペソの会堂で、聖書に基づいて、イエスこそメシアであることを正確に教えていた。「主の道」とは、キリスト教信仰のことである。彼のイエスに関する知識は正確であったが、十分ではなかった。（2）「ただヨハネのバプテスマしか知らなかった」とある。彼の理解度は、十字架以前の弟子たちと同じようなものであった。彼は、バプテスマのヨハネの弟子であったと思われる。</p><p>「彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した」。（1）プリスキラとアクラは、会堂でアポロのメッセージに耳を傾けていた。妻の名が先に出ているが、その理由は分からない。この夫婦には、アポロが語る内容が不十分であることは、すぐに分かった。（2）彼らはアポロを自分の家に招いて、より正確な福音理解を提供した。アポロは霊に燃えていたので、この夫婦が提供する新しい情報を喜んで受け取ったことであろう。</p><p>「そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。･･･」。プリスキラとアクラは、エペソの信者たちと一緒になってアポロをコリント教会に推薦した。この夫婦の奉仕の姿勢から教訓を学ぼう。（1）彼らは、アポロに与えられていた伝道の賜物を認識した。（2）また、公の場でアポロを批判するのではなく、個人的に正しい情報を分かち合った。（3）彼らは、飽くまでも謙遜けんそんであった。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p><br/></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。いかなる時も、謙遜に兄弟姉妹を励ますことができるよう、御霊によって助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-01-30 20:28:17 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き18：24 ～ 28</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3311614950</link>
         <description><![CDATA[<p>24 さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。</p><p>25 この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。</p><p>26 彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。</p><p>27 そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。</p><p>28 彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。</p><p><br/></p><p><strong>雄弁な伝道者アポロ（2）</strong></p><p><br/></p><p><strong>コリント教会へアポロを紹介する</strong></p><p>「そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。･･･」。（1）プリスキラとアクラは、エペソの信者たちと一緒になってアポロをコリント教会に推薦した。（2）アポロは、パウロがエペソに着く前にそこを去った（意図的かどうかは分からない）。やがて彼は、コリントで雄弁な教師として活躍するようになる。その影響力は、コリント教会に「アポロ派」ができてしまうほどであった（1 コリ1：12 参照）。（3）アポロは、コリント教会の信者たちを大いに助けた。彼らは、「すでに恵みによって信者になっていた人たち」である。ここでルカは、救いは恵みによるということを強調している。（4）アポロは、コリントのユダヤ人共同体に大きな影響を与えた。彼は、公然とユダヤ人たちを論破した。福音の全貌を知ったので、さらにパワーアップしたのであろう。</p><p><br/></p><p><strong>アポロの信仰</strong></p><p>25 節を再度見てみよう。「この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった」。（1）アポロは、イエスがメシアであると信じていたが、十字架の死、復活、昇天、聖霊降臨に関しては無知であった。ユダヤ教からキリスト教への移行期においては、このような人が多くいたと思われる。（2）彼には、過去20 年間の情報が欠落していた。彼は、バプテスマのヨハネの奉仕を知っていたし、イエスが公生涯に入ったことも知っていた。ところが、イエスの公生涯の結末を見る前に、イスラエルの地を去ったのであろう。彼のメッセージは、悔い改めてイエスをメシアとして受け入れよという段階で留まっていた。（3）彼は救われていなかったし、普遍的教会の一員になってはいなかった。（4）福音を理解したアポロは、パウロが築いた土台の上に自らの働きを積み上げた（1 コリ3：4 ～ 8 参照）。見落としてならないものとは、旧約聖書→バプテスマのヨハネ→キリスト教という流れである。アポロの信仰から学ぶ教訓はこれである。①イエスは救い主だと信じるだけでは、救われていない。②「福音の三要素」を理解し、信じることが必要である。「福音の三要素」を受け入れ、イエス・キリストに信頼を置いた人は全て救われている。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。救いは福音の三要素を信じる信仰によって与えられます。私も救われていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=wAnF5ixQXU0" />
         <pubDate>2025-01-31 20:50:21 UTC</pubDate>
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      </item>
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         <title>使徒の働き18：24 ～ 28</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3312195833</link>
         <description><![CDATA[<p>24 さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。</p><p><br/></p><p>25 この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。</p><p><br/></p><p>26 彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。</p><p><br/></p><p>27 そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。</p><p><br/></p><p>28 彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。</p><p><br/></p><p>雄弁な伝道者アポロ（3）</p><p>アクラとプリスキラ夫婦の信仰</p><p>アポロを伝道者として整えたのは、プリスキラとアクラである。この夫婦の信仰について、確認してみよう。</p><p>（1）この二人は、仲の良い夫婦である。使徒の働きでは、常に二人の名前が一緒に出て来る。彼らは、良き人生のパートナーであり、神の国のための同労者である。時には、妻のプリスキラ（正式にはプリスカ）の名前が夫のアクラよりも先に出て来ることがあるが、この夫婦の関係性が対等なものであったことがうかがえる。</p><p>（2）彼らは、献身的な夫婦である。彼らは、コリントにおけるパウロの伝道を助けた。パウロは、書簡の中で彼らの名前を上げている。①ローマ16：3 ～ 4。「キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています」。命懸けでパウロを守ったというのは、エペソでの暴動事件を指していると思われる。② 1 コリント16：19。「アジヤの諸教会がよろしくと言っています。アクラとプリスカ、また彼らの家の教会が主にあって心から、あなたがたによろしくと言っています」。この二人の家は、家の教会の集まりに使用されていたようである。</p><p>（3）彼らは、状況に対応する柔軟さを持った夫婦である。彼らは、必要に応じて住む場所を変えている。主のご用のためには、どこにでも行く覚悟ができていた。彼らは、①ローマからコリントへ、②コリントからエペソへ、③エペソからローマへと移動した。</p><p>（4）彼らは、謙遜な夫婦である。彼らは、アポロの足りない点を、公の場ではなく、個人的に指摘した。隣人を辱はずかしめないように配慮するのは、成長したクリスチャンのしるしである。</p><p>神学校を出たての若い牧師は、霊的に成長した信徒の助言を必要としている。謙遜と恵みに満ちた者でなければ、良き助言者にはなれない。アクラとプリスキラ夫婦の信仰を手本として、自らの信仰生活を吟味しようではないか。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p><br/></p><p>天の父なる神さま。アクラとプリキラのような良き助言者となれるよう、私の内にも謙遜と恵みを与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-02-01 21:45:15 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き19：1 ～ 7</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3312688121</link>
         <description><![CDATA[<p>1 アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、</p><p>2 「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えた。</p><p>3 「では、どんなバプテスマを受けたのですか」と言うと、「ヨハネのバプテスマです」と答えた。</p><p>4 そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と言った。</p><p>5 これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。</p><p>6 パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。</p><p>7 その人々は、みなで十二人ほどであった。</p><p><br/></p><p><strong>12人の弟子たちの救い（1）</strong></p><p><br/></p><p><strong>文脈の確認</strong></p><p>第三次伝道旅行が始まった（使18：23 ～ 21：17。紀元53 年の春から56 年の春）。この伝道旅行は、フォローアップが主な目的の旅である。ルカは、エペソでのパウロの奉仕を「サンドイッチ形式」で記述している。（1）12 人の弟子たちのエピソード（1 ～ 7 節）。（2）エペソでの奉仕そのもの（8 ～ 10 節）。（3）スケアの7 人の息子たちのエピソード（11 ～ 20 節）。</p><p><br/></p><p><strong>エペソ到着</strong></p><p>「アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た」。（1）アポロは、エペソからコリントに移動した。彼は、エペソ教会からの推薦状を持ってコリント教会を訪問し、そこで大いに用いられていた。丁度その時期に、パウロはエペソに着いた。（2）パウロの旅程は、次のようなものであった。①彼は、アンテオケから徒歩で300 キロメートル以上を旅しながら、エペソに着いた。②アンテオケからエペソまでは、2 つのルートがあった。北のルートは、奥地（高地）を通るルートで、道は険しいが近道である。南のルートは、ローマが建設した道路を通るルートである。③パウロは、北のルートを選択した。</p><p><br/></p><p><strong>エペソについての復習</strong></p><p>（1）エペソは、アジアとヨーロッパを結ぶ重要な港があった。（2）前1044年に建設された商業都市である。（3）前4 世紀以降、ギリシャ風都市となった（アレキサンダー大王とその後継者たちが町を建て拡張した）。（4）前2 世紀の終わりにローマが支配した。（5）大いに栄えた商業都市で、当然のことながらアジア州の首都となった。ただしパウロの時代になると、商業都市としては最盛期を過ぎていた。カイストロス川の土砂が、港に堆積し始めたからである。（6）この町はユダヤ人にも寛容だったので、多くのユダヤ人が住んでいた。（7）ここには、世界の七不思議の一つ、アルテミス神殿があった。66m × 130m もある巨大な神殿で、アテネのパルテノン神殿の4 倍もあった。（8）アルテミスは、多数の乳房を持った豊穣ほうじょうの女神である。この町は、アジアにおける偶像礼拝と売春の中心地であった。地域経済も、アルテミス信仰によって潤うるおっていた。<br>このような異教の町で、パウロは約3 年にわたって伝道を継続し、生涯で最大の成果を上げる。黙示録2 章に出て来る「七つの教会」は、この期間に設立された。悪魔の活動が活発になると、神の力もより顕著に表れるようになる。信仰によって霊的戦いを戦おうではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>父なる神よ。この世においては霊的戦いがありますが、その中であなたの力を体験させてください。きょうも信仰によって歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=V32Cwdn8Wn8" />
         <pubDate>2025-02-02 19:09:36 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き19：1 ～ 7</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3314213361</link>
         <description><![CDATA[<p>1 アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、</p><p>2 「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えた。</p><p>3 「では、どんなバプテスマを受けたのですか」と言うと、「ヨハネのバプテスマです」と答えた。</p><p>4 そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と言った。</p><p>5 これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。</p><p>6 パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。</p><p>7 その人々は、みなで十二人ほどであった。</p><p><br></p><p><strong>12人の弟子たちの救い（2）</strong></p><p><br></p><p><strong>幾人かの弟子たちの不十分な信仰</strong></p><p>「弟子」という言葉は、通常はイエスの弟子である信者を指すが、パウロがエペソで出会った幾人かの弟子たちはそうではなかった。彼らの信仰が不十分であることを感じたパウロは、こう質問した。「信じたとき、聖霊を受けましたか」。この聖句の英語訳には問題がある。①「Have ye received the Holy Ghost since ye believed?」。KJV の訳は、信じることと聖霊を受けることを、別のこととして区別している。②「Did ye receive the Holy Spirit when ye believed?」（ASV）。ASV の訳が正しい。私たちは信じた瞬間に聖霊を受ける。<br>弟子たちの回答の訳文を比較してみよう。「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」（新改訳3 版）。「いいえ、聖霊がおられるのかどうか、聞いたこともありません」（新改訳2017）。「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」（新共同訳）。「いいえ、聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません」（口語訳）。いずれの訳も正確である。①彼らは、福音の内容を知らなかった。②それどころか、聖霊の約束が与えられていることも知らなかった。③バプテスマのヨハネはメシアを、「聖霊と火とのバプテスマをお授けになる」方と紹介していた。ここに登場する弟子たちの福音の理解度は、アポロ以下であった。</p><p><br></p><p><strong>パウロの質問</strong></p><p>「『では、どんなバプテスマを受けたのですか』と言うと、『ヨハネのバプテスマです』と答えた」。（1）訳文を比較してみよう。「では、どんなバプテスマを受けたのですか」（新改訳3 版）。「では、だれの名によってバプテスマを受けたのか」（口語訳）。バプテスマの基本的意味が一体化であることを考えると、日本語訳は不十分である。この点では、英語訳が優れている。「Unto what then were ye baptized?」（KJV）。「Into what then were ye baptized?」（ASV）（2）回答は、「ヨハネのバプテスマです」であった。①彼らはバプテスマのヨハネの弟子で、20 年前にバプテスマのヨハネから洗礼を受けた。しかし、イエスの公生涯が始まる前にイスラエルの地を去ったので、福音に関しては無知であった。②彼らは、アクラとプリスキラ夫婦に出会う前のアポロに似ている。まだ救われていないし、聖霊の内住も経験していない。ユダヤ教からキリスト教への移行期においては、このような信者がいたのである。<br>イエス・キリストを信じた人の内には、聖霊が内住しておられる。このことを信じ、日々聖霊の語りかけを意識しながら歩もう。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私の内にも聖霊が内住してくださっていることを感謝します。きょうも聖霊の語りかけに従います。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-02-03 20:08:28 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き19：1 ～ 7</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3315895663</link>
         <description><![CDATA[<p>1 アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、</p><p>2 「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えた。</p><p>3 「では、どんなバプテスマを受けたのですか」と言うと、「ヨハネのバプテスマです」と答えた。</p><p>4 そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と言った。</p><p>5 これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。</p><p>6 パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。</p><p>7 その人々は、みなで十二人ほどであった。</p><p><br></p><p><strong>12人の弟子たちの救い（3）</strong></p><p><br></p><p><strong>先駆者バプテスマのヨハネの影響</strong></p><p>メシアの先駆者、バプテスマのヨハネの影響は長く続いた。使徒の働きの中から、バプテスマのヨハネに関連した聖句を上げてみよう。（1）使徒1：5（復活のイエスのことば）。「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです」。（2）使徒11：16（ペテロの言葉）。「私はそのとき、主が、『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは、聖霊によってバプテスマを授けられる』と言われたみことばを思い起こしました」。（3）使徒13：25（パウロの言葉）。「ヨハネは、その一生を終えようとするころ、こう言いました。『あなたがたは、私をだれと思うのですか。私はその方ではありません。･･･』」。（4）使徒18：25（アポロの信仰の状態）。「この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった」。（5）そして最後が、使徒19：3 ～4（エペソの弟子たちの状態）である。</p><p><br></p><p><strong>パウロの教え</strong></p><p>「そこで、パウロは、『ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです』と言った」。（1）パウロは、彼らに福音を説明した。アクラとプリスキラ夫婦がアポロに説明したのと同じことが、ここで起こっている。①バプテスマのヨハネの役割は、メシアを迎えるための準備である。②準備とは、人々に悔い改めのバプテスマを授けることであった。（2）パウロは、イエスの死、埋葬、復活、昇天、聖霊降臨について彼らに教えた。ルカはこのことを記録していないが、それは当然のことだからである。<br>「これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた」。（1）彼らはパウロが語る福音を信じた。つまり、イエスの弟子となったのである。そして、信仰の結果としての水のバプテスマを受けた。（2）訳文を比較してみよう。「主イエスの御名によってバプテスマを受けた」（新改訳3 版）。「they were baptized in the name of the Lord Jesus.」（KJV）。「they were baptized into the name of the Lord Jesus.」（ASV）。ASVの訳が一番良い。バプテスマは、イエス・キリストとの一体化である。イエスを信じた者は、聖霊によってイエスと一体化させられる。この霊的事実を外面的に表現するのが、水のバプテスマである。イエスを信じる信仰によって、キリストのみからだなる教会の一部とされていることを喜ぼうではないか。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い父なる神さま。福音を信じる信仰によって、御子イエスと一体化されたこと、教会の一部とされたことを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-02-04 20:15:59 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き19：1 ～ 7</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3317448706</link>
         <description><![CDATA[<p>1 アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、</p><p>2 「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えた。</p><p>3 「では、どんなバプテスマを受けたのですか」と言うと、「ヨハネのバプテスマです」と答えた。</p><p>4 そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と言った。</p><p>5 これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。</p><p>6 パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。</p><p>7 その人々は、みなで十二人ほどであった。</p><p><br/></p><p><strong>12人の弟子たちの救い（4）</strong></p><p><br/></p><p><strong>聖霊降臨</strong></p><p>「パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした」。パウロが按手あんしゅして祈ると、聖霊が彼らに下った。①異言と預言が聖霊降臨のしるしとなった。②これは、彼らが真の弟子となったことを示すためのしるしである。③彼らは、バプテスマのヨハネの弟子から、イエスの弟子になったのである。<br>「その人々は、みなで十二人ほどであった」。この12 という数字には象徴的意味はない。① 12 という数字を基に、教会が霊的イスラエルであると結論付けてはならない。②むしろ、12 人の弟子たちは、やがて救われるユダヤ人たちの先駆けである。③エゼキエル36：26 ～ 27 には、ユダヤ人の救いに関する預言がある。「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる」</p><p><br/></p><p><strong>異言という現象</strong></p><p>（1）異言という現象は、4 回起こっている。①使徒2 章：ペンテコステの日のユダヤ人の救い。②使徒8 章：サマリヤ人の救い。③使徒10 章：異邦人コルネリオの救い。④使徒19 章：バプテスマのヨハネの弟子たちの救い。（2）しかしこれらの現象は、普遍的真理として常に適用すべきものではない。ルカは、歴史上起こったことを記録しているだけである。聖霊の賜物としての異言は今も存在するが、その賜物はすべての人が受けるわけではない。（3）聖霊が下る方法に一定のパターンはない。①使徒2 章：12 使徒たちの場合は、ヨハネの洗礼による悔い改め→イエスへの信仰→聖霊降臨の順である。②使徒8 章：サマリア人信者の場合は、イエスへの信仰→水の洗礼→使徒たちによる按手→聖霊降臨。③使徒10 章：異邦人信者の場合は、イエスへの信仰→聖霊降臨→水の洗礼。④使徒19章：12 人の弟子たちの場合は、ヨハネの洗礼による悔い改め→イエスへの信仰→水の洗礼→使徒パウロによる按手→聖霊降臨。<br>使徒の働きから教理を導き出してはならない。パウロ書簡の中にこそ、適用すべき真理がある。パウロは、聖霊を受けていない信者はいないと教えている（ロマ8：9、1 コリ12：13 参照）。体験によって聖書の教えを吟味するのではなく、聖書の教えによって体験を吟味する必要がある。神の約束は、その時体験的に分からなくても、必ず分かるようになる。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い父なる神さま。聖書の教えを正しく理解し、正しく適用することができるよう、御霊によって助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://youtu.be/p-BZ2aVofa8" />
         <pubDate>2025-02-05 19:07:21 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き19：8 ～ 12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3319100041</link>
         <description><![CDATA[<p>8 それから、パウロは会堂に入って、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めた。</p><p>9 しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしったので、パウロは彼らから身を引き、弟子たちをも退かせて、毎日ツラノの講堂で論じた。</p><p>10 これが二年の間続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いた。</p><p>11 神はパウロの手によって驚くべき奇蹟きせきを行われた。</p><p>12 パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。</p><p><br/></p><p><strong>エペソでの奉仕（1）</strong></p><p><br/></p><p><strong>はじめに</strong></p><p>第三次伝道旅行の中心地はエペソである。パウロは、約3 年の間エペソに留まった。教会史におけるエペソ伝道の重要性を見落としてはならない。エペソでのパウロの奉仕は、サンドイッチ形式で記述されている。① 12 人の弟子たちのエピソード（1 ～ 7 節）、②エペソでの奉仕そのもの（8 ～ 12 節）、③スケアの7 人の息子たち（13 ～ 20 節）。ここから②エペソでの奉仕そのものが始まる。</p><p><br/></p><p><strong>会堂での奉仕</strong></p><p>「それから、パウロは会堂に入って、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めた」。（1）エペソのユダヤ人たち（会堂）は、パウロに好意的であった。国際都市であるエペソのユダヤ人たちは、他の町のユダヤ人たちよりも寛容であった。今でも、テル・アビブのユダヤ人とエルサレムのユダヤ人は違う。信仰に関して前者は寛容であり、後者は厳格である。（2）第二次伝道旅行の終わりに、パウロはエペソを訪問していた（使18：19 ～ 21）。その時パウロは、「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます」と約束していた（使18：21）。今回のエペソ訪問は、その約束の実行である。（3）パウロは3 ヶ月間、会堂で伝道した。①彼は先ずユダヤ人に、次に異邦人に、という伝道の原則を実践した。②エペソのユダヤ人たちは、アポロの時と同じように、パウロとも論じ合った。パウロのメッセージの中心は、「神の国」であった。③この討論は3 ヶ月も続いた。迫害や裁判なしにパウロが伝道を継続できたのは、これが最長記録である。<br>「しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしったので、」。（1）長引く討論に飽き飽きしたユダヤ人たちが出て来た。彼らは、知的に頑かたくなになり、信者たちを見下し、悪く言うようになった。（2）会堂で3 ヶ月の伝道が続いた時点で、ユダヤ人たちは福音を拒否した。そこでパウロは、異邦人伝道に向かった。（3）教会誕生から約25 年が経過しても、キリスト教は「この道」と呼ばれている（使9：1 ～ 2 参照）。<br>パウロの説教の中心テーマは、神の国である。「神の国」とは、メシア的王国（千年王国）のことである。ユダヤ人たちが信仰に踏み込めない理由は、イエスがメシアであるなら、なぜメシア的王国がまだ実現していないのかという疑問であろう。私たちは、メシア再臨に続いて神の国が地上に成就することを知っている。再臨待望は、私たちにとって試練に打ち勝つ力になる。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>聖なる神よ。メシアの再臨に続いて神の国が成就することを信じます。日々、再臨の希望を抱きつつ歩めますよう、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=tglcXSmSddQ" />
         <pubDate>2025-02-06 20:58:03 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き19：8 ～ 12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3320446826</link>
         <description><![CDATA[<p>8 それから、パウロは会堂に入って、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めた。</p><p>9 しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしったので、パウロは彼らから身を引き、弟子たちをも退かせて、毎日ツラノの講堂で論じた。</p><p>10 これが二年の間続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いた。</p><p>11 神はパウロの手によって驚くべき奇蹟きせきを行われた。</p><p>12 パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。</p><p><br/></p><p><strong>エペソでの奉仕（2）</strong></p><p><br/></p><p><strong>ツラノの講堂での奉仕</strong></p><p><br/></p><p>パウロは3 ヶ月の間、ユダヤ人の会堂で神の国について論じたが、ユダヤ人たちはパウロが語る福音を拒否した。「パウロは彼らから身を引き、弟子たちをも退かせて、毎日ツラノの講堂で論じた」。（1）パウロとユダヤ人信者たちは、会堂を去って新しい拠点に移動した。それがツラノの講堂である。コリントでは、テテオ・ユストの家が拠点となった（使18：7）。エペソでは、ツラノの講堂が拠点として用いられた（ユダヤ人伝道から異邦人伝道への転換）。（2）この講堂は、ギリシャ人のツラノという人物の所有物件である。ツラノは、巡回教師たちに講堂を貸していたと思われる。パウロはそこを借りて、毎日神の国について論じた。（3）パウロが教えた時間は午後である（いわゆるシエスタの時間帯である）。その時間帯では、講堂を使用する人がいなかったのであろう。ちなみに、Codex Beza（Western Text）という写本には、「午前11 時から午後4 時」と書かれている。恐らくこれは、正確な伝承だと思われる。パウロは、午前中と夕刻には、労働をしたのであろう。<br>「これが二年の間続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いた」。（1）ツラノの講堂での奉仕は、2 年続いた。使徒20：31（エペソの長老たちへのメッセージ）には、こうある。「ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください」。3 ヶ月＋ 2 年は、ヘブル的には「3 年の間」と言えるのである。（2）パウロの奉仕によって、アジア州に種々の教会が誕生した。①リカス渓谷には、コロサイ、ラオデキヤ、ヒエラポリスなどの教会が誕生した。これは、パウロから学んだ信者たちの働きの結果であろう。②黙示録2 ～ 3 章に登場するそれ以外の教会（スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア）も、この時期に誕生したと思われる。</p><p><br/></p><p><strong>私たちへの教訓</strong></p><p>（1）奉仕の集大成の土台には、忠実な奉仕の蓄積がある。（2）奉仕が実を結ぶためには、神に用いられやすいしもべとしての成長が必要である。救霊の働きを行うのは、復活のイエス・キリストである。イエス・キリストに用いられるのは、成熟したしもべである。（3）エペソでの伝道を見ていると、年齢とともに物理的な活動量は減るが、霊的な成果は増えるということが分かる。（4）弟子訓練を通して、伝道が拡大する。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。キリストのしもべとして、より良い奉仕ができるよう、霊的に成長させてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://youtu.be/ezeTCYHmUJA" />
         <pubDate>2025-02-07 20:39:20 UTC</pubDate>
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      </item>
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         <title>使徒の働き19：8 ～ 12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3321024060</link>
         <description><![CDATA[<p>8 それから、パウロは会堂に入って、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めた。</p><p><br/></p><p>9 しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしったので、パウロは彼らから身を引き、弟子たちをも退かせて、毎日ツラノの講堂で論じた。</p><p><br/></p><p>10 これが二年の間続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いた。</p><p><br/></p><p>11 神はパウロの手によって驚くべき奇蹟きせきを行われた。</p><p><br/></p><p>12 パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。</p><p><br/></p><p>エペソでの奉仕（3）</p><p>癒しと悪霊の追い出し</p><p>エペソのツラノの講堂における奉仕は2年続いた。その間、様々な奇跡が起こった。「神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行われた」。病人の癒いやしは、エペソ伝道に伴った神の御業みわざである。これらの奇跡は、パウロに癒しの能力が備わっていたことを示しているのではない。驚くべき力あるわざを行っているのは、神御自身である。パウロは、自分の思い通りに癒しを行えたわけではない。そのことは、パウロ書簡の中に書かれている内容からも明らかである。パウロは、こう書いている。「また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました」（2 コリ12：7 ～ 8）。あるいは、こうも書いている。「これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のためにも、少量のぶどう酒を用いなさい」（1テモ5：23）。「エラストはコリントにとどまり、トロピモは病気のためにミレトに残して来ました」（2 テモ4：20）</p><p>「パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った」。（1）パウロの身に着けていた手ぬぐいや前掛けを病人たちに当てただけで、彼らは癒された。使用したのは、天幕職人の手ぬぐいや前掛けである。この奇跡では、病気が間接的方法で癒された。また、悪霊も出て行った。（2）これらの奇跡は、パウロが語るメッセージを保証するための「しるし」である。ここには、ペテロの奉仕との類似性が見られる（使5：15 ～16 参照）。（3）ここで悪霊の追い出しが出て来るのは、説明を次の箇所（スケワの7人の息子たちのエピソード）につなげるためである。</p><p>この箇所から学ぶべき教訓は、以下の点である。①手ぬぐいや前掛けに神秘的な力があったわけではない。②これらの奇跡は、神の力が顕著に表れたということを証明する外的証拠である。迷信や魔術が横行していたエペソでは、これらの「しるし」が必要であった。③今日、手ぬぐいや前掛けを病人に当てても、なんの意味もない。④聖書を読みながら、自分に適用すべき箇所とそうでない箇所を判別することを学ぼう。日々のデボーションにおいて、聖霊の助けと導きがあるように祈ろう。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p><br/></p><p>天の父なる神さま。どうか、聖書のことばを正しく適用することができるよう、聖霊によって助け導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=2PrDgnM91U0" />
         <pubDate>2025-02-08 21:04:02 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き19：13 ～ 20</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3321599893</link>
         <description><![CDATA[<p>13 ところが、諸国を巡回しているユダヤ人の魔よけ祈祷師の中のある者たちも、ためしに、悪霊につかれている者に向かって主イエスの御名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる」と言ってみた。</p><p>14 そういうことをしたのは、ユダヤの祭司長スケワという人の七人の息子たちであった。</p><p>15 すると悪霊が答えて、「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ」と言った。</p><p>16 そして悪霊につかれている人は、彼らに飛びかかり、ふたりの者を押さえつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出した。</p><p>17 このことがエペソに住むユダヤ人とギリシヤ人の全部に知れ渡ったので、みな恐れを感じて、主イエスの御名をあがめるようになった。</p><p>18 そして、信仰に入った人たちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白した。</p><p>19 また魔術を行っていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった。</p><p>20 こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。</p><p><br/></p><p><strong>スケワの7人の息子たち（1）</strong></p><p><strong>パウロの奇跡の模倣</strong></p><p>エペソでのパウロの奉仕は、サンドイッチ形式で記録されている。① 12人の弟子たちのエピソード（1 ～ 7 節）。②エペソでの奉仕（8 ～ 12 節）。③スケアの7人の息子たち（13 ～ 20 節）。この箇所から、③が始まる。「ところが、諸国を巡回しているユダヤ人の魔よけ祈祷師の中のある者たちも、ためしに、悪霊につかれている者に向かって主イエスの御名をとなえ、『パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる』と言ってみた」。（1）この出来事は、神がパウロを通して行われた良き奇跡との対比になっている。また、ペテロに起こったのと同じようなことがパウロにも起こったということの例証になっている（使8：18 ～ 19 でサマリアの魔術師シモンは、聖霊を授ける権威を金で買おうとした）。（2）エペソでも、パウロの奇跡をコピーしようとする者が現れた。ユダヤ人の巡回魔除け祈祷師の中のある者たちがそれである。ユダヤ教の中にも、悪霊の追い出しを行う者たちがいた。彼らは、イエスの御名に魔術的な力が宿っていると誤解した。（3）まじないの中で魔術的な名前を唱えることは、当時よく見られた現象である。特にエペソでは、それが活発に行われていた。当時の人々は、一般的に、ユダヤ人を恐れていた。人々は、ユダヤ人が発音しない「神の御名」が、ユダヤ人の力の源であると考えていた。</p><p><br/></p><p><strong>ルカ9：49 ～ 50 のエピソードとの対比</strong></p><p>ルカ9：49 ～ 50 を見てみよう。「ヨハネが答えて言った。『先生。私たちは、先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、やめさせました。私たちの仲間ではないので、やめさせたのです』。しかしイエスは、彼に言われた。『やめさせることはありません。あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方です』」。（1）イエスの弟子の一人が、イエスの御名によって悪霊の追い出しをしていた。この弟子は、弟子集団の端にいた者か、バプテスマのヨハネの弟子の一人であろう。12使徒たちは、自分たち以外の者がイエスの御名を唱えることに反対した。しかしイエスは、「あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方です」と言われた。（2）エペソでのエピソードは、これとは根本的に異なる。エペソで主イエスの御名を唱えたのは、不信者たちである。不信者にとっては、主イエスの御名は単なる「おまじない」であるが、私たちクリスチャンにとっては、力強い御名である。主イエスの御名による祈りは、父なる神に届く。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私にとって、主イエスの御名は力強い御名です。私の祈りが、あなたに届いていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=qNiM-KqvB8E" />
         <pubDate>2025-02-09 20:23:27 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き19：13 ～ 20</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3323198023</link>
         <description><![CDATA[<p>13 ところが、諸国を巡回しているユダヤ人の魔よけ祈祷師の中のある者たちも、ためしに、悪霊につかれている者に向かって主イエスの御名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる」と言ってみた。</p><p>14 そういうことをしたのは、ユダヤの祭司長スケワという人の七人の息子たちであった。</p><p>15 すると悪霊が答えて、「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ」と言った。</p><p>16 そして悪霊につかれている人は、彼らに飛びかかり、ふたりの者を押さえつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出した。</p><p>17 このことがエペソに住むユダヤ人とギリシヤ人の全部に知れ渡ったので、みな恐れを感じて、主イエスの御名をあがめるようになった。</p><p>18 そして、信仰に入った人たちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白した。</p><p>19 また魔術を行っていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった。</p><p>20 こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。</p><p><br/></p><p><strong>スケワの7人の息子たち（2）</strong></p><p><br/></p><p><strong>スケワの7人の息子たち</strong></p><p>「そういうことをしたのは、ユダヤの祭司長スケワという人の七人の息子たちであった」。（1）スケワは「自称祭司長」であって、本物でない。魔術を行っていたので、エルサレムから追放され、アジア州を巡る旅でエペソに来たのであろう。（2）彼らは、悪霊につかれた人の家に行き、ためしに、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる」と言ってみた。</p><p><br/></p><p><strong>悪霊の逆襲</strong></p><p>「すると悪霊が答えて、『自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ』と言った。そして悪霊につかれている人は、彼らに飛びかかり、ふたりの者を押さえつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出した」。（1）「悪霊につかれている人」は、実際に悪霊につかれていたのである。（2）悪霊の言葉の中にあるイエスとパウロは、英語で書くと「the Jesus」と「the Paul」である。お前が口にしているイエスとパウロという意味がある。（3）ここでルカは、2 つの動詞を使い分けている。イエスを「知っている」は、ギノスコウという動詞で、体験的知識を指す。パウロを「知っている」は、エピスタマイで、聞き及んでいるという意味での知識である。口語訳は、こう訳している。「すると悪霊がこれに対して言った、『イエスなら自分は知っている。パウロもわかっている。･･･』」。（4）「けれどおまえたちは何者だ」。ここでは「おまえたち」という言葉に強調点がある。名前を聞いているのではなく、「何様だと思っているのだ」という意味である。（5）「ふたりの者を押さえつけて、みなを打ち負かしたので、」。新改訳2017 は、「皆を押さえつけ、打ち負かしたので、」と訳している。「アンフォテロン」という言葉は、「ふたり」とも「皆」とも訳せる。「生兵法は大怪我の基」ということわざ通りのことが起こった。悪霊につかれた人は、超自然的な力を発揮し、反撃した。7人の悪霊追い出し人は、裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出した。命が助かっただけでも、まだましである。<br>クリスチャンになっても、古いものを捨て切れないことがよくある。エペソでは、魔術やオカルトの世界から救われた人たちが多くいたが、彼らは、かつての悪習慣から抜け出せないでいた。次回見るが、スケワの7人の息子たちのエピソードをきっかけに、彼らは古い生活と決別する決心をする。私たちはどうか。光の中を歩んでいるだろうか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>聖なる神よ。あなたは光です。どうか、私も光の中を歩めるよう導いてください。罪から清めてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=qZa6ykUUhCg" />
         <pubDate>2025-02-10 20:59:24 UTC</pubDate>
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      </item>
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         <title>使徒の働き19：13 ～ 20</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3324784321</link>
         <description><![CDATA[<p>13 ところが、諸国を巡回しているユダヤ人の魔よけ祈祷師の中のある者たちも、ためしに、悪霊につかれている者に向かって主イエスの御名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる」と言ってみた。</p><p>14 そういうことをしたのは、ユダヤの祭司長スケワという人の七人の息子たちであった。</p><p>15 すると悪霊が答えて、「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ」と言った。</p><p>16 そして悪霊につかれている人は、彼らに飛びかかり、ふたりの者を押さえつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出した。</p><p>17 このことがエペソに住むユダヤ人とギリシヤ人の全部に知れ渡ったので、みな恐れを感じて、主イエスの御名をあがめるようになった。</p><p>18 そして、信仰に入った人たちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白した。</p><p>19 また魔術を行っていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった。</p><p>20 こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。</p><p><br/></p><p><strong>スケワの7人の息子たち（3）</strong></p><p><br/></p><p><strong>このエピソードの結末</strong></p><p>「このことがエペソに住むユダヤ人とギリシヤ人の全部に知れ渡ったので、みな恐れを感じて、主イエスの御名をあがめるようになった」。（1）この出来事は、エペソに住むユダヤ人とギリシャ人の全部に知れ渡った。①神への畏怖の念が湧いて来た。②主イエスの御名があがめられた。③当然、多くの者が信仰に入った。<br>「そして、信仰に入った人たちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白した。また魔術を行っていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった」。（1）エペソでは、悪習慣との決別ができていない信者が多くいた。しかし、スケワの7人の息子たちのエピソードをきっかけに、彼らは、黒魔術やオカルトに関わっていたことを告白した。これは、魔術と深い係わりのあったエペソならではの現象である。（2）「呪文は秘密にしておかなければ効果がなくなる」というのは、魔術の世界の常識である。彼らは、秘密の呪文や呪縛の言葉が書かれた書物を、多額の費用を払って買っていた。しかし、呪文を公にしたとたんに、それは効力を失う。効力がなくなった巻き物や書物を所有していても意味がないので、群衆が見守る中でそれを焼き捨てたのである。焼いた書物の価値は、銀貨5万枚にも及んだ。これは、ローマのデナリ銀貨ではなくギリシャのドラクマ銀貨であろう。銀貨5万枚は、5万日の労賃に相当する。1ドラクマを現在の1万円と考えると、5万ドラクマは5億円に相当する。<br>「こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った」。これは第6番目の教会成長レポートである（使2：47、6：7、9：31、12：24、16：5）。使徒16：5 は、マケドニア人の幻が与えられる直前の箇所である。そこから使徒19：20 のエペソでの奉仕までがひとくくりになって、教会成長報告が書かれているのである。<br>罪や悪習慣との決別は、私たちにとっても重要なテーマである。「夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興ゆうきょう、酩酊めいてい、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい･･･」（ロマ13：12 ～ 14）。主イエス・キリストを着るとは、主が歩まれたように歩むことである。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>聖なる神よ。信仰によって、主イエス・キリストを着ました。主が歩まれたように歩めるよう、助け導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-02-11 20:33:14 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き19：13 ～ 20</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3326318535</link>
         <description><![CDATA[<p>13 ところが、諸国を巡回しているユダヤ人の魔よけ祈祷師の中のある者たちも、ためしに、悪霊につかれている者に向かって主イエスの御名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる」と言ってみた。</p><p>14 そういうことをしたのは、ユダヤの祭司長スケワという人の七人の息子たちであった。</p><p>15 すると悪霊が答えて、「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ」と言った。</p><p>16 そして悪霊につかれている人は、彼らに飛びかかり、ふたりの者を押さえつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出した。</p><p>17 このことがエペソに住むユダヤ人とギリシヤ人の全部に知れ渡ったので、みな恐れを感じて、主イエスの御名をあがめるようになった。</p><p>18 そして、信仰に入った人たちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白した。</p><p>19 また魔術を行っていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった。</p><p>20 こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。</p><p><br/></p><p><strong>スケワの7人の息子たち（4）</strong></p><p><strong>パウロが経験した悪霊との対決</strong></p><p>次に進む前に、パウロが伝道旅行で直面した悪霊との対決について復習してみよう。ルカは、パウロの悪霊との対決を3 回記録している。<br>（1）使徒13：6 ～ 12　第一次伝道旅行において、パウロはキプロス島を訪問した。<br>パウロはキプロス島で、偽預言者でバル・イエスというユダヤ人の魔術師に出会った。彼は、魔術師エルマとも呼ばれた。魔術師エルマは、地方総督セルギオ・パウロを信仰の道から遠ざけようとした。福音伝達の妨害をしたのである。パウロが彼を叱責すると、彼の目が見えなくなった。それを見て驚嘆した総督は、イエスを信じる信仰に入った。<br>（2）使徒16：16 ～ 18　第二次伝道旅行において、パウロはピリピを訪問した。<br>ピリピでは、占いの霊につかれた若い女奴隷の妨害を受けた。それが幾日も続いたので、パウロは彼女から悪霊を追い出した。儲もうける可能性がなくなった女奴隷の主人たちは、パウロを訴えた。その結果、パウロは投獄とうごくされた。ところが、獄舎が開くという奇跡が起こり、そのことをきっかけに、看守一家が救いに導かれた。<br>（3）使徒19：13 ～ 20　第三次伝道旅行において、パウロはエペソを訪問した。<br>エペソでは、パウロの奇跡を模倣もほうしようとする者たちが現れた。大祭司スケワの7人の息子たちは悪霊を追い出そうとしたが、逆に、悪霊からの攻撃を受けた。この出来事は、エペソの信者たちに悔い改めと、霊的覚醒をもたらした。<br>（4）まとめ<br>① 3 回の伝道旅行それぞれにおいて、悪霊との対決があった。新しい宣教地に入ると、一つのパターンのように、その対決が起こった。<br>②パウロは、悪霊との戦いを前面に押し出して伝道しているわけではない。悪霊から先制攻撃があるので、それに対応しているだけである。<br>③最後は、イエス・キリストが勝利される。私たちも、イエス・キリストにあって霊的戦いに勝利することができる。私たちが常に思うべきは、悪霊ではなく、復活し今も生きておられる主イエスである。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。御子イエスは既に世に勝利されました。きょうの霊的戦いも、御子にあって勝利することができますよう、助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-02-12 19:42:01 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>使徒の働き19：21 ～ 22</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3327988057</link>
         <description><![CDATA[<p>21 これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない」と言った。</p><p>22 そこで、自分に仕えている者の中からテモテとエラストのふたりをマケドニヤに送り出したが、パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまっていた</p><p><br/></p><p><strong>エルサレムを目指すパウロ（1）</strong></p><p><strong>使徒の働きの7区分</strong></p><p>第三次伝道旅行（紀元53年の春から56年の春）の内容は、使徒18：23 ～21：17に記されている。第三次伝道旅行の中心地は、エペソである。パウロは、約3年の間エペソに留まり宣教活動を継続した（エペソでの奉仕は、自由人としてのパウロの伝道活動の集大成である）。私たちは、教会史におけるエペソ伝道の重要性を見落としてはならない。<br>今、エペソでの伝道が終わりに近づいている。そしてこの箇所から、使徒の働きの新しい区分が始まる。使徒の働きの内容は、7つの教会成長レポートで区切られている（使2：47、6：7、9：31、12：24、16：5、19：20、28：30 ～31）。最後の教会成長レポート（28：30 ～ 31）は、次のようになっている。「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた」。この区分法に基づけば、第7番目の区分（使19：21～ 28：31）の内容は、「ローマに至る教会の広がり」ということになる。使徒の働きの記録は、そこで終わる。</p><p><br/></p><p><strong>第7の区分の特徴</strong></p><p>第7の区分には、以下のような特徴がある。（1）使徒の働き全体のおよそ3分の1を占める。神学的重要性のゆえに、長くなっているのではない。ルカがこれだけのスペースを割いている理由を考える必要がある。（2）パウロの弁明に多くのスペースが割かれている。合計5回の弁明が記録されているが、これらの弁明は、パウロの無罪性を証明する資料となる。（3）「私たち章句」（’We’section）が多い（20：5 ～ 15、21：1 ～ 18、27：1 ～ 28：16）。これらは目撃者情報であり（ルカが体験している）、やはりパウロの無罪性を証明する資料となる。目撃者情報は、詳細な記録として残るものである（使16：11 ～ 40 のピリピ伝道参照）。（4）この段階で、パウロはエルサレム、そしてローマに目を向け始める。ローマの先には、スペインがあるが、ルカはスペインには触れていない。彼の執筆目的は、福音がローマに伝わるところまで扱うことである。<br>第7の区分から学ぶ教訓は、次の2つである。①復活のイエス・キリストが、御自身の教会を建てておられる。今もそうである。②使徒たちは、イエス・キリストに用いられる器である。主イエスに忠実に歩むなら、私たちも神に用いられるようになる。神の領域と人間の領域を見分け、きょうも神に忠実に歩もう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。今も御子イエスは教会を完成へと導いておられます。きょうも、御心に歩みます。私を器として用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-02-13 20:42:52 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き19：21 ～ 22</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3329283196</link>
         <description><![CDATA[<p>21 これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない」と言った。</p><p>22 そこで、自分に仕えている者の中からテモテとエラストのふたりをマケドニヤに送り出したが、パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまっていた。</p><p><br></p><p><strong>エルサレムを目指すパウロ（2）</strong></p><p><strong>エルサレムに上る計画</strong></p><p>「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、『私はそこに行ってから、ローマも見なければならない』と言った」。（1）「これらのことが一段落すると、」、「これらのことがあった後、」（新改訳2017）。つまり、スケワの7人の息子たちのエピソードとそれに続く出来事があった後、という意味である。（2）「パウロは御霊の示しにより、」。聖霊の導きにより、パウロの伝道は次のステージに進む。とは言え、次の段階に進む時が来ているというのは、パウロ自身の認識でもあった。アジア州では、働きの場がなくなって来た。さらに、マケドニアとアカヤの諸教会も、成長している。それゆえ、次の段階に進むべきである。（3）パウロは、第四次伝道旅行を心に思い描いた。彼の心には種々の短期計画があったが、長期計画に関して言えば、ローマを訪問することであった。その先のスペインも、彼の視野に入っていた。（4）「マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした」。パウロは、マケドニアとアカヤの諸教会で、フォローアップの奉仕をしようとした。また、経済的に余裕のある諸教会から献金を集めようとした。目的は、エルサレムの貧しい聖徒たちを援助するためであった。</p><p><br></p><p><strong>パウロの心境</strong></p><p>ローマ人への手紙は、第三次伝道旅行の終り頃、コリント滞在中（使20：2～ 3）に書かれたものである（諸教会の献金をエルサレムにいる聖徒たちに届ける直前）。当時のパウロの心境は、ローマ15：22 ～ 25 に詳しく記されている。少し長くなるが、引用してみる。「そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行く場合は、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していましたので──というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです、──ですが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています」。聖霊の導きとパウロの願いは合致していた。私たちの信仰生活も伝道の業も、聖霊によって導かれている。真剣に主の御心を求めるなら、必ず導きは与えられる。主イエスは、私たちが顔を御自身に向けるのを待っておられる。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。きょう御心を求めます。どうか、聖霊によって、あなたの道へと導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=_88FHAzK27Q" />
         <pubDate>2025-02-14 19:37:32 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>使徒の働き19：21 ～ 22</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3329904449</link>
         <description><![CDATA[<p>21 これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない」と言った。</p><p>22 そこで、自分に仕えている者の中からテモテとエラストのふたりをマケドニヤに送り出したが、パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまっていた。</p><p><br/></p><p><strong>エルサレムを目指すパウロ（3）</strong></p><p><strong>エルサレムに上る前に為すべき優先事項</strong></p><p>パウロは、優秀なバランス感覚を持ったキリストのしもべであった。エルサレムに上るというのが彼の長期計画だが、優先させるべき短期計画も持っていた。<br>「そこで、自分に仕えている者の中からテモテとエラストのふたりをマケドニヤに送り出したが、パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまっていた」。（1）彼には、ローマに向かう前に優先させるべき奉仕があった。マケドニアでの奉仕がそれである。具体的には、ピリピとベレアの諸教会での奉仕である。テサロニケには戻れない事情があった（暴動が起こったので、テサロニケを去っていた。使17：9 ～ 10参照）。さらに、アカヤでの奉仕もあった。特にコリントでの奉仕がそれである。エルサレム訪問は、それらの奉仕が終わってから実行に移すべきことであった。（2）パウロは、ふたりの同労者を先にマケドニアに派遣した。献金を集める準備をさせるためである。①ここでテモテが登場する。彼の名が最後に出ていたのは、コリントでの奉仕の時であったが（使18：5）、ここで再び登場する。②エラストの名は、ローマ16：23 に出て来る。「私と全教会との家主であるガイオも、あなたがたによろしくと言っています。市の収入役であるエラストと兄弟クワルトもよろしくと言っています」。エラストは、コリントの町の収入役で裕福な信者である。彼の名前が、コリントの遺跡から発掘されている（エラストは、石の広場の建設のために献金したと銘記されている）。（3）「パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまっていた」。①パウロは、もう少しアジアに留まり、働きを続けようとした。②パウロは、この時期にコリント人への手紙第一を書いた。彼はこう書いている。「しかし、五旬節まではエペソに滞在するつもりです。というのは、働きのための広い門が私のために開かれており、反対者も大ぜいいるからです」（1 コリ16：8 ～ 9）。パウロは、伝道のための門が開かれているエペソにもう少し留まろうとしたが、次回見るように、暴動が起こったために、町を出ることになる。まるで主が、先を急ぐように命じておられるかのようである。パウロには様々な計画があったが、最後は主の御心だけがなる。自分の思い通りにことが運ばない時でも、「あなたの御心がなりますように」と祈れる人は、信仰の勇者である。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>父なる神よ。人間の計画は不確かですが、あなたのご計画は確実です。どんな時も、あなたの御心だけがなることを願います。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=_WwbFLAirhY" />
         <pubDate>2025-02-15 22:02:29 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き19：21 ～ 22</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3330461585</link>
         <description><![CDATA[<p>21 これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない」と言った。</p><p>22 そこで、自分に仕えている者の中からテモテとエラストのふたりをマケドニヤに送り出したが、パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまっていた。</p><p><br/></p><p><strong>エルサレムを目指すパウロ（4）</strong></p><p><strong>ルカの福音書と使徒の働きの対比</strong></p><p>ルカの福音書と使徒の働きは、共にルカが書いたものである。先に進む前に、両書の間に見られる対比を確認してみよう。<br>（1）中心地に関する対比がある。①ルカの福音書では、エルサレムが中心地である。イエス・キリストは、エルサレムで死に、埋葬され、復活された。②使徒の働きでは、ローマが中心地である。福音は、エルサレムからローマに伝わった。イエス・キリストは、ローマ帝国の首都に御自身の教会を設立されたのである。<br>（2）エンディングに関する対比がある。①ルカの福音書では、イエスの「受難」が詳細に記録されている。特に、最後の1週間が詳細に記録されている。ルカの福音書は、イエスの死ではなく、復活で終わっている。②使徒の働きでは、パウロの「受難」が詳細に記録されている。使徒の働きは、パウロの死ではなく、ローマでの新しい生活で終わっている。③ペテロの「受難」に関しても、同じことが言える。ペテロが解放されたところで、彼の「受難」物語が終わっている。④人生は死で終わるのではない。死の先に、復活の命が待っている。</p><p><br/></p><p><strong>パウロの計画と神の計画の対比</strong></p><p>（1）ローマに向かうことに関して。①神の御心は、パウロがローマに行き、そこで宣教することである。②パウロの願いも、ローマで宣教することである。この点では、神の計画とパウロの願いは合致していた。<br>（2）ローマに着く方法に関して。①ローマに着く方法は、パウロの予想とは違っていた（彼は囚人としてローマに行く）。神の主権は、人間の願いを超越している。最後は神の御心が成る。暴動が起こり、予定よりも早くエペソを出ることになったのは、その例である。②彼は、エルサレムに帰還することは危険であることを認識していた。それでも彼は、エルサレムに上ることをいとわなかった。</p><p><br/></p><p><strong>私たちへの教訓</strong></p><p>ルカ8：22（ゲラサ人の地）を見てみよう。「そのころのある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、『さあ、湖の向こう岸へ渡ろう』と言われた。それで弟子たちは舟を出した」。イエスが「向こう岸へ渡ろう」と言われたなら、途中で嵐が襲って来ても、必ず向こう岸に着ける。神の約束を信じるとは、そういうことである。パウロの究極的長期計画は、主と共にいることである。私たちの長期計画も、それと同じである。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>父なる神よ。私の究極的長期計画も、あなたと共にいることです。あなたの約束を信じて、御心に歩んでまいります。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-02-16 20:30:29 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き19：23 ～ 27</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3331812930</link>
         <description><![CDATA[<p>23 そのころ、この道のことから、ただならぬ騒動が持ち上がった。</p><p>24 それというのは、デメテリオという銀細工人がいて、銀でアルテミス神殿の模型を作り、職人たちにかなりの収入を得させていたが、</p><p>25 彼が、その職人たちや、同業の者たちをも集めて、こう言ったからである。「皆さん。ご承知のように、私たちが繁盛しているのは、この仕事のおかげです。</p><p>26 ところが、皆さんが見てもいるし聞いてもいるように、あのパウロが、手で作った物など神ではないと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説き伏せ、迷わせているのです。</p><p>27 これでは、私たちのこの仕事も信用を失う危険があるばかりか、大女神アルテミスの神殿も顧みられなくなり、全アジヤ、全世界の拝むこの大女神のご威光も地に落ちてしまいそうです。」</p><p><br/></p><p><strong>エペソでの騒動（1）</strong></p><p><strong>はじめに</strong></p><p>使徒の働きは、7つの教会成長レポートによって内容が7つに区切られている。今私たちは、第7番目の区分（使19：21 ～ 28：31）、「ローマに至る教会の広がり」の箇所に来ている。<br>パウロは、エルサレムに上る前に、もう少しエペソで奉仕をしようと考えていたが、予定よりも早くエペソを出ることになる。その理由は、予期せぬ暴動事件が起こったからである。これまでパウロが受けてきた迫害は、ユダヤ人からのものが主であった。しかし、エペソでは異邦人からの迫害が起こる。ピリピでも異邦人からの迫害があった。パウロは、女奴隷の主人たちからの迫害にあった（使16：19）。異邦人からの迫害は、経済的理由によるものである。パウロの無罪性を証明するために、ルカは詳細にエペソでの騒動を記録している。またそれは、キリスト教がローマ帝国の公認宗教であることを確認させるためでもある。</p><p><br/></p><p><strong>エペソについての復習</strong></p><p>①エペソは、アジアとヨーロッパを結ぶ重要な港町であった。②前1044年に建設された古代からある商業都市である。③前4世紀以降、ギリシア風都市となった（アレキサンダー大王と後継者たちによる町作り）。④前2世紀の終わりに、ローマが支配する都市となった。⑤大いに栄えた商業都市で、当然のことながらアジア州の首都となった。パウロの時代、商業都市としては最盛期を過ぎていた。カイストロス川の土砂が、港に堆積し始めたからである。⑥この町は、ユダヤ人にも寛容だったので、多くのユダヤ人が住んでいた。⑦世界の七不思議の一つアルテミス神殿があった。サイズは66m × 130m（127本の柱）で、アテネのパルテノン神殿の4倍もあった。アレキサンダー大王が建設資金の援助をしたと言われている。⑧アルテミスは、多数の乳房を持った豊穣の女神である。⑨エペソは、アジアにおける偶像礼拝と売春の中心地であった。つまり、地域経済もアルテミス信仰によって潤っていたということである。⑩ここでパウロは、約3年にわたって伝道を継続し、生涯で最大の成果を上げた。⑪黙示録2章に出て来る「七つの教会」は、この期間に設立された。<br>パウロは数々の苦難を通過したが、そこには深い意味があった。苦難の意味を認めない信仰は、聖書的キリスト教ではない。苦難は、私たちの信仰を強め、私たちを次の段階へと導く神の使いである。エペソでの騒動を見ながら、私たちはそのことを学ぼうとしている。試練の中に神の導きを見る人は幸いである。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深き父なる神さま。苦難は私の信仰を強め、私を次の段階へと導く神の使いだと知りました。試練の中で、私を導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-02-17 21:12:13 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き19：23 ～ 27</title>
         <author>setsuriosaki</author>
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         <description><![CDATA[<p>23 そのころ、この道のことから、ただならぬ騒動が持ち上がった。</p><p>24 それというのは、デメテリオという銀細工人がいて、銀でアルテミス神殿の模型を作り、職人たちにかなりの収入を得させていたが、</p><p>25 彼が、その職人たちや、同業の者たちをも集めて、こう言ったからである。「皆さん。ご承知のように、私たちが繁盛しているのは、この仕事のおかげです。</p><p>26 ところが、皆さんが見てもいるし聞いてもいるように、あのパウロが、手で作った物など神ではないと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説き伏せ、迷わせているのです。</p><p>27 これでは、私たちのこの仕事も信用を失う危険があるばかりか、大女神アルテミスの神殿も顧みられなくなり、全アジヤ、全世界の拝むこの大女神のご威光も地に落ちてしまいそうです。」</p><p><br/></p><p><strong>エペソでの騒動（2）</strong></p><p><strong>銀細工人デメテリオ</strong></p><p>（1）パウロがエペソを出ようとする前に、暴動が起こった。「ただならぬ騒動」（新改訳）、「大変な騒ぎ」（新改訳2017）、「no small disturbance」。これは、パウロの伝道がいかに大きな影響を与えていたかを示す騒動である。（2）「この道のことから」（新改訳）、「この道のことで」（新改訳2017）。「この道」とは、キリスト教のことである。イエスの弟子たちは、「この道の者」と呼ばれた（使9：2 参照）。この暴動はパウロ個人に向けてではなく、福音の影響力に対して起こったものである。福音には社会を変革する力があるので、それを阻止しようとする力が働くのである。<br>「･･･デメテリオという銀細工人がいて、銀でアルテミス神殿の模型を作り、職人たちにかなりの収入を得させていたが、･･･」。（1）異邦人が礼拝していた女神には、二つのものがあった。①一つは、狩猟の女神である（弓を持った娘として描かれる）。②もう一つは、豊穣の女神である（多くの乳房を持った婦人として描かれる）。エペソで礼拝されていたのは、豊穣の女神である。2種類の女神の呼び名は同じで、ギリシア語でアルテミス、ラテン語でディアナであった。（2）当時、アルテミス礼拝は少なくともローマ帝国内の33箇所で行われていた。その中心が、エペソであった。（3）アルテミス神殿は、当時の世界七不思議の一つであった。収容人数は、約25,000人である。中央に祀まつられているご神体は、隕石であった。天から降って来た石が、聖なるものとされることはよくあった。この石の形が、複数の乳房を持った婦人の姿に似ていた。（4）銀細工人デメテリオは、銀で女神像や神殿模型を作り、土産物としていた。彼は、職人たちや同業者たちを集めて、パウロを非難した。（5）デメテリオの演説から、パウロのメッセージの内容とその影響力が分かる。①「手で作った物など神ではない」。②「エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説き伏せ、迷わせている」。デメテリオの怒りは、信仰心からではなく、経済的理由から来ている。彼の演説の中には、面子を重んじるアジア文化の特徴が見られる。彼は、自分たちは信用を失う恐れがあると言っている。また、大女神（the Great Mother）の威光が地に落ちる恐れがあるとも言っている。<br><mark>真の神を認めない者は、別の神を崇めるようになる。偶像、物欲、自己崇拝などはすべて、広義の偶像礼拝である。真の満足は、イエス・キリストを信じることの内にある。</mark></p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>聖なる神よ。偶像の内には何もありません。真の満足は、御子イエスを信じることの内にあります。御子にある満たしを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-02-18 20:46:24 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き19：28 ～ 31</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3334880522</link>
         <description><![CDATA[<p>28 そう聞いて、彼らは大いに怒り、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ」と叫び始めた。</p><p>29 そして、町中が大騒ぎになり、人々はパウロの同行者であるマケドニヤ人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって劇場へなだれ込んだ。</p><p>30 パウロは、その集団の中に入って行こうとしたが、弟子たちがそうさせなかった。</p><p>31 アジヤ州の高官で、パウロの友人である人たちも、彼に使いを送って、劇場に入らないように頼んだ。</p><p><br/></p><p><strong>エペソでの騒動（3）</strong></p><p><strong>パウロの応答</strong></p><p>デメテリオの演説を聴いて、職人たちや同業者たちは激怒した。その上に群衆まで騒動に加わった。<br>「そう聞いて、彼らは大いに怒り、『偉大なのはエペソ人のアルテミスだ』と叫び始めた。そして、町中が大騒ぎになり、人々はパウロの同行者であるマケドニヤ人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって劇場へなだれ込んだ」。（1）なぜ大騒ぎになったのか、その理由を考えてみよう。①エペソの経済自体が不景気になっていたので、人々は煽動せんどうされ易かった。エペソの港は、衰退しつつあった。②アルテミス神殿は、エペソ市民の誇りであった。その誇りが傷つけられた。③暴動を起こしている者たちは、何が問題なのかも知らないで騒いでいた。これは、群集心理の典型である。④パウロがいないので、彼の同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコが捕えられた。アリスタルコは、テサロニケ出身である（使20：4）。（2）煽動者たちは、アルカディア通りから劇場に暴徒たちを導いた。現在、アルカディア通りと劇場の遺跡が発掘されているが、この劇場はアジアで最大規模の劇場である（半円形、5万人収容）。<br>「パウロは、その集団の中に入って行こうとしたが、弟子たちがそうさせなかった。アジヤ州の高官で、パウロの友人である人たちも、彼に使いを送って、劇場に入らないように頼んだ」。（1）パウロは、どこか別の所にいたので、捕らえられなかった。パウロが暴徒たちの中に入って行こうとしたのは、同労者を救い、この機会を伝道に用いようとしたからである。（2）危険を察知した信者たちは、パウロが暴徒の中に入ることを許さなかった。（3）「アジヤ州の高官」は、ギリシア語で「アジアーケイス」である。英語では、「some of the officials of the province」となる。この職責は、町の政治と宗教を管理するために設けられていた。複数の高官たちは、パウロの友人でもあった（アジア州の高官たちが友人だという情報は、裁判で有利な資料になる）。その彼らも、パウロが劇場に入らないように懇願した。<br>神は、①パウロの友人たち、②アジア州の高官たち、③町の書記役（先に行ってから取り上げる）を通して、パウロの安全を確保された。この人たちは、試練の中でも神の守りがあることの証明である。神は、「試練からの自由」ではなく、「試練の中での平安」を私たちに約束しておられる。試練の中で神の守りの御手を見る人は、幸いである。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能なる神よ。あなたは、あらゆる方法を通して、試練の中にある子らを守ってくださいます。試練の中であなたの平安を求めます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-02-19 21:04:39 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き19：32 ～ 41</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3336558312</link>
         <description><![CDATA[<p>32 ところで、集会は混乱状態に陥り、大多数の者は、なぜ集まったのかさえ知らなかったので、ある者はこのことを叫び、ほかの者は別のことを叫んでいた。</p><p>33 ユダヤ人たちがアレキサンデルという者を前に押し出したので、群衆の中のある人たちが彼を促すと、彼は手を振って、会衆に弁明しようとした。</p><p>34 しかし、彼がユダヤ人だとわかると、みなの者がいっせいに声をあげ、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ」と二時間ばかりも叫び続けた。</p><p>35 町の書記役は、群衆を押し静めてこう言った。「エペソの皆さん。エペソの町が、大女神アルテミスと天から下ったそのご神体との守護者であることを知らない者が、いったいいるでしょうか。</p><p>36 これは否定できない事実ですから、皆さんは静かにして、軽はずみなことをしないようにしなければいけません。</p><p>37 皆さんがここに引き連れて来たこの人たちは、宮を汚した者でもなく、私たちの女神をそしった者でもないのです。</p><p>38 それで、もしデメテリオとその仲間の職人たちが、だれかに文句があるのなら、裁判の日があるし、地方総督たちもいることですから、互いに訴え出たらよいのです。</p><p>39 もしあなたがたに、これ以上何か要求することがあるなら、正式の議会で決めてもらわなければいけません。</p><p>40 きょうの事件については、正当な理由がないのですから、騒擾罪そうじょうざいに問われる恐れがあります。その点に関しては、私たちはこの騒動の弁護はできません。」</p><p>41 こう言って、その集まりを解散させた。</p><p><br></p><p><strong>エペソでの騒動（4）</strong></p><p><strong>ユダヤ人アレキサンデル</strong></p><p>「ところで、集会は混乱状態に陥り、大多数の者は、なぜ集まったのかさえ知らなかったので、ある者はこのことを叫び、ほかの者は別のことを叫んでいた」。ここでの「集会」は「エクレシア」というギリシア語だが、教会のことではない。これは、民衆から「呼び出された人たち」である。彼らは、騒ぐことが好きな人たちである。<br>「ユダヤ人たちがアレキサンデルという者を前に押し出したので、群衆の中のある人たちが彼を促すと、彼は手を振って、会衆に弁明しようとした。しかし、彼がユダヤ人だとわかると、みなの者がいっせいに声をあげ、･･･二時間ばかりも叫び続けた」。（1）アレキサンデルは、ユダヤ人の指導者である。①彼は、イエスを信じないユダヤ人共同体の代表として前に立った。②自分たちユダヤ人は、パウロと無関係であると言おうとしたのである。（2）しかし、彼がユダヤ人だと分かると、群衆は大声で叫び続けた。彼らには、キリスト教とユダヤ教の区別がついていない。また、彼らの間には反ユダヤ主義が蔓延まんえんしていた。</p><p><br></p><p><strong>町の書記役</strong></p><p>「町の書記役」は、選挙で選ばれた行政官、現代の市長である。彼は暴動を鎮めるために、4つのポイントで暴徒たちを説得しようとした。（1）何の心配もない。エペソの町が、大女神アルテミスと天から下ったそのご神体との守護者であることを知らない者はいない。（2）ガイオとアリスタルコは、破壊的なことは何もしていない。「皆さんがここに引き連れて来たこの人たちは、宮を汚した者でもなく、私たちの女神をそしった者でもないのです」。（3）デメテリオと職人仲間に不満があるなら、正式な裁判で争えばよい。地方総督による裁判は、月に3度行われていた。（4）正当な理由のない騒動は、騒擾罪に問われる危険性がある。「きょうの事件については、正当な理由がないのですから、騒擾罪に問われる恐れがあります。その点に関しては、私たちはこの騒動の弁護はできません」。この説得は功を奏した。町の書記役による説得も、有利な裁判資料になる。<br>苦難は、私たちの信仰を強め、私たちを次の段階へと導く神の使いである。神は、①パウロの友人たち、②アジア州の高官たち、③町の書記役を通してパウロを守られた。神の守りを確信することは、次の目標に向かって進むための力となる。パウロは、「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です」（ピリ1：21）と書いている。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。苦難の中で私の信仰を強めてください。あなたの守りは、次の段階に進むための力です。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-02-20 19:28:01 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き20：1 ～ 6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3338180223</link>
         <description><![CDATA[<p>1 騒ぎが治まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げて、マケドニヤへ向かって出発した。</p><p>2 そして、その地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、ギリシヤに来た。</p><p>3 パウロはここで三か月を過ごしたが、そこからシリヤに向けて船出しようというときに、彼に対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにした。</p><p>4 プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、テモテ、アジヤ人テキコとトロピモは、パウロに同行していたが、</p><p>5 彼らは先発して、トロアスで私たちを待っていた。</p><p>6 種なしパンの祝いが過ぎてから、私たちはピリピから船出し、五日かかってトロアスで彼らと落ち合い、そこに七日間滞在した。</p><p><br></p><p><strong>マケドニアとアカヤ再訪（1）</strong></p><p><strong>はじめに</strong></p><p>この段階でのパウロの自己認識は、次のようなものであろう。①まだ余力はあるが、決して若くはない。②これまでの奉仕を締めくくる必要がある。各教会に分かれを告げる必要がある。③残された仕事に着手する必要がある。<br>さてパウロは、暴動のために予定よりも早くエペソを出ることになった。①この箇所は、パウロの旅程の記録である。②教会教父たちは、この箇所の重要性を認めていない（注解が残っていない）。③しかし、ここには霊的教訓が多く含まれている。<br>パウロの旅程は、以下のようになっている。①エペソからトロアスへ（1 節）、②トロアスからピリピへ（1 節）、③ピリピからコリントへ（2 ～ 3 節a）、④コリントからピリピへ（3 節b）、⑤ピリピからトロアスへ（4 ～ 6 節）。</p><p><br></p><p><strong>エペソからトロアスへ</strong></p><p>「騒ぎが治まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げて、マケドニヤへ向かって出発した」。（1）ルカは、トロアス訪問の記事を省いて、すぐにマケドニアに向かったように書いているが、実際はトロアスに行っている。（2）パウロは、マケドニア、アカヤを経由してエルサレムに向かおうとしていた。使徒19：21にはこうあった。「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、『私はそこに行ってから、ローマも見なければならない』と言った」。（3）彼は、エペソを出てトロアス（マケドニア人の幻を見た港町）に着いた。その時の彼の心境は、2 コリント2：12 ～ 13 に記されている。「･･･兄弟テトスに会えなかったので、心に安らぎがなく、そこの人々に別れを告げて、マケドニヤへ向かいました」。①トロアスでは、伝道の機会が用意されていたが、パウロは、すぐにマケドニア（ピリピ）に向かった。コリント教会のことが気がかりだったからである。②パウロは、厳しい手紙と共にテトスを先にコリントに派遣していた。③そのテトスとトロアスで落ち合う予定であったが、会えなかった。④そこで、トロアスでの滞在を短時間で切り上げ、ピリピに向かった。<br>「パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、」とある。「励まし」（アスパゾマイ）という言葉には、叱責、警告、矯正、励まし、などの意味がある。パウロは、信者の霊的成長を常に願っていた。パウロの細やかな配慮は、主イエスの愛の反映である。きょうも、主イエスに愛されている者としてこの世に出て行こう。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私も、主イエスに愛されている者として、その愛を反映することができるよう助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=R5Q3_nEO4TM" />
         <pubDate>2025-02-21 22:26:51 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き20：1 ～ 6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3338731556</link>
         <description><![CDATA[<p>1 騒ぎが治まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げて、マケドニヤへ向かって出発した。</p><p>2 そして、その地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、ギリシヤに来た。</p><p>3 パウロはここで三か月を過ごしたが、そこからシリヤに向けて船出しようというときに、彼に対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにした。</p><p>4 プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、テモテ、アジヤ人テキコとトロピモは、パウロに同行していたが、</p><p>5 彼らは先発して、トロアスで私たちを待っていた。</p><p>6 種なしパンの祝いが過ぎてから、私たちはピリピから船出し、五日かかってトロアスで彼らと落ち合い、そこに七日間滞在した。</p><p><br/></p><p><strong>マケドニアとアカヤ再訪（2）</strong></p><p><strong>トロアスからピリピへ</strong></p><p>パウロの旅程は、以下のようになっている。①エペソからトロアスへ（1 節）、②トロアスからピリピへ（1 節）、③ピリピからコリントへ（2 ～ 3 節a）、④コリントからピリピへ（3 節b）、⑤ピリピからトロアスへ（4 ～ 6 節）。今私たちは、②と③の行程を見ようとしている。<br>（1）パウロは、トロアスでテトスに会えなかったので、すぐにマケドニア（ピリピ）に移動した。そこでテトスに会うことができた。（2）この時のパウロの心理状態が、2 コリント7：5 ～ 8 に書かれている。「マケドニヤに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく、さまざまの苦しみに会って、外には戦い、うちには恐れがありました。しかし、･･･テトスが来たことによって、（神は）私たちを慰めてくださいました。･･･」。①テトスは、コリント教会が悔い改めたという知らせをもたらした。②大いに慰められたパウロは、ピリピに滞在している間に、コリント人への手紙第二を書いた。これは、地域教会が直面する課題について書かれた書簡である。1 コリントではパウロは教師であるが、2 コリントではパウロは牧会者である。（3）2 コリントの執筆目的は以下のようなものである。①コリント訪問の計画を変更した理由、②教会内で懲戒を正しく実行したことへの褒ほめ言葉、③パウロの動機を疑う者たちへの応答、④エルサレムの聖徒たちへの献金、⑤パウロの使徒職を疑う者たちへの応答。</p><p><br/></p><p><strong>ピリピからコリントへ</strong></p><p>「そして、その地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、ギリシヤに来た」。（1）ギリシャに来たとは、コリントに来たという意味である。（2）この時期に、パウロはイルリコ伝道を行ったものと思われる。①イルリコは、マケドニアの北西の地域（旧ユーゴスラビア）である。②ローマ15：19 には、「･･･私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました」とある。<br>「パウロはここで三か月を過ごしたが、」。パウロは、コリントに3ヶ月間滞在した（ガイオの家に滞在した。ロマ16：23 参照）。冬は海が荒れるので、春になるのを待ったのである。この時期に彼は、ローマ人への手紙を執筆し、エルサレムを訪問した後、ローマ、スペインに行きたいという希望を表明した。パウロの人生には、学びと実践の調和が見られる。実践のない学びは虚しく、学びのない実践は危険である。このことを私たち自身の生活に適用してみよう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。パウロのように、学びと実践の調和を持つことができるよう、助け導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
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         <pubDate>2025-02-22 21:34:18 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き20：1 ～ 6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3339196464</link>
         <description><![CDATA[<p>1 騒ぎが治まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げて、マケドニヤへ向かって出発した。</p><p>2 そして、その地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、ギリシヤに来た。</p><p>3 パウロはここで三か月を過ごしたが、そこからシリヤに向けて船出しようというときに、彼に対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにした。</p><p>4 プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、テモテ、アジヤ人テキコとトロピモは、パウロに同行していたが、</p><p>5 彼らは先発して、トロアスで私たちを待っていた。</p><p>6 種なしパンの祝いが過ぎてから、私たちはピリピから船出し、五日かかってトロアスで彼らと落ち合い、そこに七日間滞在した。</p><p><br></p><p><strong>マケドニアとアカヤ再訪（3）</strong></p><p><strong>コリントからピリピへ</strong></p><p>パウロの旅程は、以下のようになっている。①エペソからトロアスへ（1 節）、②トロアスからピリピへ（1 節）、③ピリピからコリントへ（2 ～ 3 節a）、④コリントからピリピへ（3 節b）、⑤ピリピからトロアスへ（4 ～ 6 節）。今私たちは、④と⑤の行程を見ようとしている。<br>「そこからシリヤに向けて船出しようというときに、彼に対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにした」。（1）パウロは、コリントからシリアに向かう船に乗ろうとしていた。これは、ケンクレア港からツロ、カイザリヤに向かう船便で、多くの巡礼者たちが、その船便を利用していた。（2）しかし彼は、ユダヤ人の陰謀についての情報を得た。熱狂的なユダヤ人たちにとって、船上でパウロを殺すのは容易なことであった。（3）そこでパウロは、計画を変更し、マケドニア経由でエルサレムに向かうことにした。当然、過越の祭りには間に合わなくなるが、ペンテコステまでにはエルサレムに着けるであろう。（4）7名の同行者たちがいた。① 3名は、マケドニアから来ていた。プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド。②4名は、小アジアから来ていた。デルベ人ガイオ、テモテ（ルステラ出身）、アジヤ人テキコとトロピモ。彼らは、先発してトロアスでパウロの一行を待った。彼らは（陰謀がないので）、船便でケンクレアからトロアスに直行することができたのである。</p><p><br></p><p><strong>ピリピからトロアスへ</strong></p><p>「種なしパンの祝いが過ぎてから、私たちはピリピから船出し、五日かかってトロアスで彼らと落ち合い、そこに七日間滞在した」。（1）パウロの一行は、ピリピで種なしパンの祭りを祝った。ここから「私たち章句」が始まる。ルカがピリピで合流したということである。ルカは、ピリピ教会の代表として参加している。「私たち章句」は、使徒20：5 ～ 15、21：1 ～ 18と続く。（2）一行は、ネアポリス（ピリピの港町）から船に乗り、トロアスに向かった。①以前は、2日間しかかからなかった（使16：11）が、今回は5日かかった。（3）パウロは、トロアスで同行者たちと合流し、そこで7日間滞在した。パウロはトロアスの教会で奉仕をするのであるが、その内容は次回学ぶ。<br>パウロの旅は、計画通りに行かなかった。私たちの人生の旅も、計画通りには行かない。主がすべてを支配しておられることを思い、日々柔軟な姿勢で生きようではないか。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能なる神よ。あなたは、すべてを支配しておられます。あなたの御心に従って歩んでまいります。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-02-23 17:24:07 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き20：7 ～ 12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3340909870</link>
         <description><![CDATA[<p>7 週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。</p><p>8 私たちが集まっていた屋上の間には、ともしびがたくさんともしてあった。</p><p>9 ユテコというひとりの青年が窓のところに腰を掛けていたが、ひどく眠けがさし、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、三階から下に落ちた。抱き起こしてみると、もう死んでいた。</p><p>10 パウロは降りて来て、彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえて、「心配することはない。まだいのちがあります」と言った。</p><p>11 そして、また上がって行き、パンを裂いて食べてから、明け方まで長く話し合って、それから出発した。</p><p>12 人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた。</p><p><br/></p><p><strong>トロアス教会の集会（1）</strong></p><p><strong>文脈の確認</strong></p><p>今パウロは、マケドニアとアカヤを経由してエルサレムに行こうとしている。彼は、コリント（ケンクレア港）からエルサレムに向かう船に乗ろうとしたが、自分に対する陰謀があることを知り、計画を変更した。変更後の行程は、コリント→ピリピ→トロアスである。同行の7名は、先に船でトロアスに向かった。パウロとルカは、その7名とトロアスで合流した。<br>パウロのトロアス訪問は3度ある。①使徒16：8 ～ 10。この時パウロは、マケドニア人の幻を見た（第二次伝道旅行）。滞在は短期間であった。② 2 コリント2：12～ 13。パウロは、エペソからトロアスに着いたが、テトスと会えなかった。滞在は短期間で、すぐにピリピに向かった。③使徒20：6。今回は7日間滞在した。次の船便を待ったのであろう。その間パウロは、全体集会で説教する機会を得た。</p><p><br/></p><p><strong>集会の様子</strong></p><p>「週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた」。（1）「週の初めの日」の集会は、今で言うと、土曜日の日没後の集会である。信者の中には奴隷たちもいた。彼らは日没後でないと出席できない。（2）「パンを裂くために集まった」。①当時の信者たちは、食事を持ち寄って、共に食した。②これは最高の交わりの機会であり、「アガペー」（愛餐あいさん）と呼ばれた。当時貧しい奴隷たちは、一日一食の生活をしていた。③愛餐の最後に、聖餐式を行った。（3）「そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、」。①パウロは先を急いでいたので、集会が終わるとすぐに出発するつもりでいた。②パウロは、これが最後だとの自覚があったので、長時間教えた（午後6時～午前0時なら、6時間である）。③今パウロは、エルサレムに顔を向けている。トロアスでの愛餐には、最後の晩餐に似た要素がある。<br>「私たちが集まっていた屋上の間には、ともしびがたくさんともしてあった」。集会は、屋上の間で行われていた。3階の大広間に、大勢の人たちが詰めかけていた。ともしびは、明かりを採るためのオリーブ油のランプである。酸素を多く消費するので、部屋の中は酸欠状態になった。また、満席だったので、それが酸欠状態に拍車をかけた。<br>この先、予期せぬ悲劇が起こるのだが、それは次回学ぶ。神の計画に沿って前進しているなら、恐れるものは何もない。悲劇さえも益に変えられる。ハレルヤ！</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたの計画に沿って歩むとき、恐れも、悲劇も、すべては益に変えられます。きょうも信仰によって歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=6q16yztbV_k" />
         <pubDate>2025-02-24 21:02:06 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き20：7 ～ 12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3342529121</link>
         <description><![CDATA[<p>7 週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。</p><p>8 私たちが集まっていた屋上の間には、ともしびがたくさんともしてあった。</p><p>9 ユテコというひとりの青年が窓のところに腰を掛けていたが、ひどく眠けがさし、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、三階から下に落ちた。抱き起こしてみると、もう死んでいた。</p><p>10 パウロは降りて来て、彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえて、「心配することはない。まだいのちがあります」と言った。</p><p>11 そして、また上がって行き、パンを裂いて食べてから、明け方まで長く話し合って、それから出発した。</p><p>12 人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた。</p><p><br/></p><p><strong>トロアス教会の集会（2）</strong></p><p><strong>予期せぬ事故</strong></p><p>（1）「ユテコというひとりの青年が窓のところに腰を掛けていた」。部屋の換気をよくするために、窓を開け放していたのである。窓辺に座ると、新鮮な空気を吸うことができる。そこは特等席であるが、危険な場所でもある。「青年」は、ギリシア語で「ネアニアス」である。これは、8 ～ 14歳くらいの男子を指す言葉だが、同時に、「しもべ」と訳すことも可能である。「ユテコ」（英語でEutychus）は、典型的な奴隷の名である。恐らく彼は、奴隷だったのだろう（30代前後の男性か）。ユテコという名前の意味は、「幸運」である。もし彼が奴隷なら、一日の労働を終えて、この集会に来ていたことになる。（2）「ひどく眠けがさし、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、三階から下に落ちた」。ユテコが眠り込んだ理由は何か。①肉体的に疲れていた（当時は、日没とともに休み、夜明けとともに起きた）。②部屋の環境が、眠気を誘うものであった。③食後だったので、眠くなった。④食事の後で始まったパウロの話が長かった。（3）「抱き起こしてみると、もう死んでいた」。ユテコが下に落ちたので、集会は中断された。人々が急いで階下に降りて行くと、ユテコは死んでいた。医者のルカがそう証言しているので、それ以外の解釈は成り立たない。</p><p><br/></p><p><strong>ユテコの体験と私たち</strong></p><p>人間的には、ユテコが眠り込んだことには同情の余地があるが、神の評価基準は厳しいものであることを覚えよう。聖書の教えを見てみる。（1）ヨナ1：5 ～6（リーダーの無責任さ）。ヨナは、嵐が襲って来た時に、船底で眠っていた。（2）マタイ26：40 ～ 41（神の時への鈍感さ）。弟子たちは、ゲツセマネの園で眠りこけていた。（3）マルコ13：36 ～ 37（終末論への無関心）。主人が不意に帰って来た時、眠っているのを見られないようにすべきである。（4）エペソ5：14（イザヤ書のいくつかの聖句をまとめたもの）。「明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。『眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる』」。（5）1 テサロニケ5：6（終わりの時をいかに生きるべきか）。「ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう」。<br>「目をさましている」には、①肉体的意味と②霊的意味があり、両者を切り離すことはできない。眠りこけないように、自分自身を見張ろうではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。御子イエスにあって昼の子とされました。だからこそ、いつも目をさましていることができるよう助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=FZukfR5H9Hw" />
         <pubDate>2025-02-25 19:38:41 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き20：7 ～ 12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3344217394</link>
         <description><![CDATA[<p>7 週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。</p><p>8 私たちが集まっていた屋上の間には、ともしびがたくさんともしてあった。</p><p>9 ユテコというひとりの青年が窓のところに腰を掛けていたが、ひどく眠けがさし、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、三階から下に落ちた。抱き起こしてみると、もう死んでいた。</p><p>10 パウロは降りて来て、彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえて、「心配することはない。まだいのちがあります」と言った。</p><p>11 そして、また上がって行き、パンを裂いて食べてから、明け方まで長く話し合って、それから出発した。</p><p>12 人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた。</p><p><br/></p><p><strong>トロアス教会の集会（3）</strong></p><p><strong>予期せぬ祝福</strong></p><p>予期せぬ事故の後、予期せぬ祝福がやって来る。「パウロは降りて来て、彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえて、『心配することはない。まだいのちがあります』と言った」。（1）パウロは、ユテコの死に関して多少の責任を感じたことであろう。彼も人々といっしょに、すぐに階下に降りて来た。パウロは、ユテコの上に身をかがめ、彼を抱きかかえた。この姿は、旧約聖書の預言者たちを彷彿ほうふつとさせる。（2）旧約聖書の例を見てみよう。① 1 列王記17：21 ～ 22（エリヤとツァレファテのやもめの息子）。エリヤは、死んだ子の上に身を伏せて、「私の神、【主】よ。どうか、この子のいのちをこの子のうちに返してください」と祈った。② 2 列王記4：32 ～ 35（エリシャとシュネムの女の息子）。エリシャは、寝台の上に上がり、その子の上に身を伏せ、自分の口を子どもの口の上に、自分の目を子どもの目の上に、自分の両手を子どもの両手の上に重ねて、子どもの上に身をかがめた。（3）トロアスでは、復活の主イエスがパウロを通して奇跡を行われた。①パウロは、「心配することはない。まだいのちがあります」と言った。②「なんぢら騷ぐな、生命はなほ内にあり」（文語訳）。③この奇跡によって、パウロの教えの信憑性しんぴょうせいがなお増した（使徒職の証明）。④ペテロも似たような奇跡を行っている（使9：36 ～ 42で、タビタを甦らせている）。<br>「そして、また上がって行き、パンを裂いて食べてから、明け方まで長く話し合って、それから出発した」。集会が再開された。①「パンを裂いて」とは、聖餐式を実行したということ。②「食べてから」とは、食事をしたということ。恐らく夜食であろう。③さらにパウロは、明け方まで話をした。パウロには、これが最後という思いがあった。人々も、パウロの教えを聞く姿勢が正された。④集会後、パウロはすぐに出発した。<br>「人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた」。（1）ユテコは、無事に帰宅することができた。①「ひとかたならず慰められた」（新改訳）。②「大いに慰められた」（新共同訳）。③パウロの教えと行いによって、トロアスの信者たちは大いに慰められたのである。<br>この出来事は、神はすべてを益に変えられるということの実例である。神は、私たちの人生にも介入してくださる。神の御心の内を歩むなら、神の守りが約束されている。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>聖なる神よ。あなたは、すべてのことを益と変えてくださいます。それゆえ、恐れずにあなたの御心の内に歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=hWW5bj0LrrY" />
         <pubDate>2025-02-26 20:39:20 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き20：13 ～ 17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3345747494</link>
         <description><![CDATA[<p>13 さて、私たちは先に船に乗り込んで、アソスに向けて出帆した。そしてアソスでパウロを船に乗せることにしていた。パウロが、自分は陸路をとるつもりで、そう決めておいたからである。</p><p>14 こうして、パウロはアソスで私たちと落ち合い、私たちは彼を船に乗せてミテレネに着いた。</p><p>15 そこから出帆して、翌日キヨスの沖に達し、次の日サモスに立ち寄り、その翌日ミレトに着いた。</p><p>16 それはパウロが、アジヤで時間を取られないようにと、エペソには寄港しないで行くことに決めていたからである。彼は、できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたい、と旅路を急いでいたのである。</p><p>17 パウロは、ミレトからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼んだ。</p><p><br/></p><p><strong>トロアスからミレトへの旅（1）</strong></p><p><strong>文脈の確認</strong></p><p>今パウロは、マケドニアとアカヤを経由してエルサレムに行こうとしている。①彼は、コリントの港であるケンクレアからエルサレムに向う船に乗ろうとしたが、自分を殺そうとする陰謀があることを知り、計画を変更して陸路を行くことにした（コリント→ピリピ→トロアスという旅程である）。②同行する7名は、陰謀とは無関係なので、先に船でトロアスに向かった。③パウロとルカは、先行していた7名とトロアスで合流した。④トロアスに7日間滞在し、そこの教会で奉仕をした。ユテコの転落事故があったが、彼が生き返ったので、人々は大いに慰められた。⑤今回の聖書箇所は、トロアスからミレトへの航海日誌である（ルカは、パウロの旅を忠実に再現している）。重要なのは、ミレトでエペソの長老たちに語るメッセージである。<br>ちなみに、使徒の働きの中でルカが記録している3つの重要なメッセージとは、以下のものである。①第一次伝道旅行：ピシデヤのアンテオケでのメッセージ（使13：16 ～ 41）。②第二次伝道旅行：アテネでのメッセージ（使17：22 ～ 31）。③第三次伝道旅行：ミレトでのメッセージ（使20：18 ～ 35）。</p><p><br/></p><p><strong>トロアス→アソス</strong></p><p>「さて、私たちは先に船に乗り込んで、アソスに向けて出帆した。そしてアソスでパウロを船に乗せることにしていた。パウロが、自分は陸路をとるつもりで、そう決めておいたからである」。（1）同行者たち（ルカを含めて8名）は、先に船に乗り込んでトロアスを発った。彼らは、パウロよりも先にトロアスを出発したのだが、その理由は、アソスまでは海路の方が、時間がかかるからである。船でアソスに着くためには、レクタム岬の沖を回る必要があった。（2）一方、トロアスからアソスまで陸路を行くと、約30キロの距離である。パウロは、単独で陸路を移動することにした。徒歩で1日の距離である。（3）なぜパウロは、陸路を取ったのか。考えられる理由は、いくつかある。①経済的理由。旅費を節約する必要があった。②健康上の理由。歩くのは、適度な運動になる。③伝道的理由。途中で伝道したり、信者と交わったりすることができる。④神との交わり。これが最も重要な理由であろう。この時期パウロは、神の御心を求める必要があった。また、エルサレム教会への献金について、祈る必要があった。<br>一人になる時間を確保しよう。それは、神との交わりを楽しむ時間でもある。孤独を恐れる必要はない。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたとの交わりこそが、最も大事なことです。私が祈る時に、どうか御心を教えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=Y46GuFvT5tw" />
         <pubDate>2025-02-27 20:06:34 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3345747494</guid>
      </item>
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         <title>使徒の働き20：13 ～ 17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3347106400</link>
         <description><![CDATA[<p>13 さて、私たちは先に船に乗り込んで、アソスに向けて出帆した。そしてアソスでパウロを船に乗せることにしていた。パウロが、自分は陸路をとるつもりで、そう決めておいたからである。</p><p>14 こうして、パウロはアソスで私たちと落ち合い、私たちは彼を船に乗せてミテレネに着いた。</p><p>15 そこから出帆して、翌日キヨスの沖に達し、次の日サモスに立ち寄り、その翌日ミレトに着いた。</p><p>16 それはパウロが、アジヤで時間を取られないようにと、エペソには寄港しないで行くことに決めていたからである。彼は、できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたい、と旅路を急いでいたのである。</p><p>17 パウロは、ミレトからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼んだ。</p><p><br/></p><p><strong>トロアスからミレトへの旅（2）</strong></p><p><strong>アソス→ミテレネ</strong></p><p>今パウロは、トロアス→アソス→ミテレネ→キヨス→サモス→ミレトと旅を続けている。パウロはトロアスからアソスまでは、陸路を取った。「こうして、パウロはアソスで私たちと落ち合い、私たちは彼を船に乗せてミテレネに着いた」。（1）パウロは、アソスで同行者たち（8 人）に会い、船に乗り込んだ。①そこからミテレネに着いた。約50 キロの船旅である。②ミテレネは、レスボス島の主要な町である。③レスボス島は、小アジアの西部における最大の島である。</p><p><br/></p><p><strong>ミテレネ→キヨス→サモス→ミレト</strong></p><p>「そこから出帆して、翌日キヨスの沖に達し、次の日サモスに立ち寄り、」。（1）パウロの一行は、ミテレネを出帆して、翌日キヨス島の沖に達した。①キヨス島は、ホメロス（前8 世紀頃のギリシアの詩人）が誕生した地である。（2）次の日に、船はサモスに寄港した。①サモスは、エペソの真西にある島である。②サモス島は、ピタゴラスの定理で有名なピタゴラスが誕生した地である。<br>「その翌日ミレトに着いた。それはパウロが、アジヤで時間を取られないようにと、エペソには寄港しないで行くことに決めていたからである。彼は、できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたい、と旅路を急いでいたのである」。（1）ミレトは、エペソから南に約50 キロ離れた所にある港町である。①一行が乗っているような小型船は、風が凪ないでいる夜間は、港に停泊する。②エペソの港は、土砂の堆積で水位が浅くなったので、水夫たちには不評であった。（2）パウロは、エペソには寄港しなかった。エペソに行くと時間が取られるということもあったが、そもそもパウロがエペソに行くのは危険なことであった。パウロは、エルサレムへの旅を急いでいたのである。（3）五旬節は、過越の祭りから50 日後に来る祭で、巡礼祭の一つである。巡礼祭をエルサレムで祝いたいというのは、ユダヤ人として当然のことである。パウロにとっては、多くの友人たちと会い、伝道するチャンスである。さらに、祭りの期間に異邦人信者からの献金を届けることは、教会の一致を示す最善の方法である。<br>異邦人信者の献金をエルサレム教会に届けることは、パウロにとって最重要課題であった。異邦人信者はユダヤ人から霊的なもらい物をしたので、物質的なものをもってお返しする必要がある。これは、異邦人信者にとっては重要な神学的テーマである。このテーマを祈りの中で覚えよう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。異邦人は、ユダヤ人から霊的なものに与りました。物質的なもので彼らに奉仕することができるよう、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-02-28 21:17:47 UTC</pubDate>
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      </item>
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         <title>使徒の働き20：13 ～ 17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3347614493</link>
         <description><![CDATA[<p>13 さて、私たちは先に船に乗り込んで、アソスに向けて出帆した。そしてアソスでパウロを船に乗せることにしていた。パウロが、自分は陸路をとるつもりで、そう決めておいたからである。</p><p>14 こうして、パウロはアソスで私たちと落ち合い、私たちは彼を船に乗せてミテレネに着いた。</p><p>15 そこから出帆して、翌日キヨスの沖に達し、次の日サモスに立ち寄り、その翌日ミレトに着いた。</p><p>16 それはパウロが、アジヤで時間を取られないようにと、エペソには寄港しないで行くことに決めていたからである。彼は、できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたい、と旅路を急いでいたのである。</p><p>17 パウロは、ミレトからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼んだ。</p><p><br/></p><p><strong>トロアスからミレトへの旅（3）</strong></p><p><strong>長老たち</strong></p><p>「パウロは、ミレトからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼んだ」。（1）パウロは、エペソには寄港しなかった。エルサレムへの旅を急いでいたからである。しかしパウロは、エペソの長老たちに最後のメッセージを語る必要性を覚えた。（2）ミレトで船荷を積み降ろすのに、3 日前後かかったであろう。その時間を利用して、パウロはエペソに使いを送り長老たちを呼んだ。（3）彼らが着くのに、早くても2 日はかかる。エペソからミレトに来る長老たちは、大きな犠牲を払ったのである。<br>長老職について考えてみよう。（1）新約聖書には、リーダーの呼び名が3 種類出て来る。①長老（プレスビューテロス）（使20：17）。英語ではelder。②監督（エピスコポス）（使20：28）。英語ではoverseer、bishop。③牧する役割が与えられた者（ポイマイノウという動詞）（使20：28）。名詞形では牧師である。ヨハネ21：16 にこの言葉が出て来る。「イエスは再び彼に『ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか』と言われた。ペテロは答えた。『はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。』イエスは彼に言われた。『わたしの羊を牧しなさい』」。（2）聖書的には、長老、監督、牧師は同一の役職を指している。リーダーの役割は、信者を導き、監督し、牧することである。（3）新約聖書が想定する教会の指導体制は、複数のリーダーによる指導である。特にエペソ教会のような大教会では、複数のリーダーが必要である。</p><p><br/></p><p><strong>パウロと五旬節</strong></p><p>（1）ユダヤ人信者と律法の関係を、どう考えたら良いのか。①ルカは、パウロが五旬節までにエルサレムに着こうとしていることを非難していない。②ユダヤ人信者には、律法を守る自由も、守らない自由もある。このことを覚えておこう。③ユダヤ人としてエルサレムで巡礼祭を祝いたいと願うのは、当然のことである。（2）異邦人信者は、メシアニックジュー（イエスを信じるユダヤ人）の律法に関する選びを受け入れるべきである。①メシアニックジューには、律法を守る自由も守らない自由もある。②もちろん、律法を救いの条件とするメシアニックジューがいるなら、それは間違っている。③律法は、そもそも異邦人に与えられたものではないので、私たちとは無関係である。<br>私たちは、恵みと信仰によって救われた。そのことを思い出し、恵みと信仰によるクリスチャン生活を続けようではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私は恵みと信仰によって救われました。だからこそ、日々を恵みと信仰によって生きることができるよう、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=xEdEVUfmPmc" />
         <pubDate>2025-03-01 21:25:34 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き20：18 ～ 24</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3348168304</link>
         <description><![CDATA[<p>18 彼らが集まって来たとき、パウロはこう言った。「皆さんは、私がアジヤに足を踏ふみ入れた最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです。</p><p>19 私は謙遜けんそんの限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀いんぼうによりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。</p><p>20 益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、</p><p>21 ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。</p><p>22 いま私は、心を縛しばられて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。</p><p>23 ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。</p><p>24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜おしいとは思いません。</p><p><br/></p><p><strong>エペソの長老たちへのメッセージ（1）</strong></p><p><strong>文脈の確認</strong></p><p>今パウロは、エルサレムに上る途上にある。前回の最後の聖句は、使徒20：17 であった。「パウロは、ミレトからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼んだ」。ミレトで船荷を積み降ろすのに、3 日前後かかったであろう。その時間を利用して、パウロはエペソに使いを送って教会の長老たちを呼んだ。彼らが着くのに、早くても2 日はかかる。エペソからミレトに来る長老たちは、大きな犠牲ぎせいを払ったのである。</p><p><br/></p><p><strong>ミレトでのメッセージの特殊性と重要性</strong></p><p>このメッセージは、使徒の働きの中では、信者に向けて語られた唯一のメッセージである。その内容は、パウロ書簡のミニチュア版のようで、そこには、励まし、警告、勧めなどが含まれている。また、パウロ書簡に特徴的な語彙ごいが多く出て来る。ルカは、速記でパウロのメッセージの内容をそのまま書き留めたと思われる。ちなみに、当時の医学生たちは、講義内容を速記で書き留めていたと言われている。<br>まず、使徒20：18 ～ 35 までのメッセージの構造を確認しておこう。これは、メッセージの細部を正確に理解するための準備である。メッセージの構造は以下のようになっている。（1）エペソにおける過去の奉仕（18 ～ 21 節）。この部分は、「you know」で始まる（日本語では「よくご存じです」がそれに当たる）。（2）エルサレムを訪問しようとする現在の計画（22 ～ 24 節）。「and now behold」で始まる（新改訳2017 では「ご覧なさい」と訳されている）。（3）エペソ教会の長老たちの将来の責務（25 ～ 31節）。「and now behold I know」で始まる（日本語では「いま私は知っています」がそれに当たる）。（4）結びの言葉（32 ～ 35 節）。「and now」で始まる（日本語では「いま私は」となっている）。<br>パウロのメッセージの構造から、優すぐれたメッセージとはどういうものであるかを学ぶことができる。（1）聖書的であること。神が啓示された内容を理解し、それを正確に伝えることが重要である。（2）論理的であること。神は私たちに知性を与えてくださった。知性を無視したメッセージは、聞く人を動かす力にはならない。（3）実際的であること。適用のないメッセージは、メッセージではない。さらに、その適用は非現実的なものであってはならない。<br>パウロは、自分に与えられた賜物たまものを用いながら、神から与えられた使命を全うした。私たちが見習うべきリーダーシップの手本は、パウロの内にある。神からの使命を認識し、それを実行している人は幸いである。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私にも賜物と、使命とが与えられています。どうか、その使命を全うできるよう、御霊によって導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=e12BXonK7zE" />
         <pubDate>2025-03-02 20:47:37 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き20：18 ～ 24</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3349664595</link>
         <description><![CDATA[<p>18 彼らが集まって来たとき、パウロはこう言った。「皆さんは、私がアジヤに足を踏ふみ入れた最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです。</p><p>19 私は謙遜けんそんの限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀いんぼうによりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。</p><p>20 益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、</p><p>21 ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。</p><p>22 いま私は、心を縛しばられて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。</p><p>23 ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。</p><p>24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜おしいとは思いません。</p><p><br/></p><p><strong>エペソの長老たちへのメッセージ（2）</strong></p><p><strong>エペソにおける過去の奉仕（18 ～ 21 節）</strong></p><p>エペソの長老たちへのメッセージの構造は、以下のようになっている。①エペソにおける過去の奉仕（18 ～ 21 節）。②エルサレムを訪問しようとする現在の計画（22 ～ 24 節）。③エペソ教会の長老たちの将来の責務。④結びの言葉。今回は、①エペソにおける過去の奉仕（18 ～ 21節）を取り上げる。<br>「彼らが集まって来たとき、パウロはこう言った。『皆さんは、私がアジヤに足を踏み入れた最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです』」。パウロは、エペソでの約3 年弱の奉仕を振り返っている。①パウロは、自分を批判する人たちが出て来たのではないかと、心配している。そこで、長老たちに、自分がどのように生活したかを思い起こさせている。②パウロは、秘密で何かをしたことはない。パウロのメッセージと振る舞いは、みんなに知られていた。彼は、自ら手本を示すことによって、主に忠実に生きるように勧めてきた（1 テサ2：4 ～ 7 参照）。<br>「私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです」。（1）パウロの奉仕の1 番目の特徴は、謙遜である。彼は、謙遜の限りを尽くした（エペ4：1 ～ 3 参照）。（2）2 番目の特徴は、涙（悲しみ）である。彼は、多くの悲しみを経験した（2 コリ2：4参照）。（3）3 番目の特徴は、福音に敵対する者たちからの迫害である（使19：9 参照）。（4）4 番目の特徴は、忠実な福音の伝達である。①パウロは相手の益になることは、すべて教えた（ロマ1：16 参照）。②彼は、あらゆる機会を捉とらえ、あらゆる場所で教えた。「家々でも」とは、家の教会での学び会のことであろう。ミレトにやって来た長老たちは、家の教会のリーダーたちであろう。③ユダヤ人にも異邦人にも同じ福音を語った。④「神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰」について教えた。救いとは、イエス・キリストを通して父なる神に立ち帰ることである（ロマ10：9 ～ 10 参照）。<br>パウロのリーダーシップから教訓を学ぼう。謙遜、涙、迫害、忠実な福音の伝達などは、私たちが留意すべきキーワードである。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い父なる神さま。いかなる時も、謙遜に振る舞い、忠実に福音を宣べ伝えることができるよう、私を助け、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=glOJtuNXDTw" />
         <pubDate>2025-03-03 21:01:51 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き20：18 ～ 24</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3351320151</link>
         <description><![CDATA[<p>18 彼らが集まって来たとき、パウロはこう言った。「皆さんは、私がアジヤに足を踏ふみ入れた最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです。</p><p>19 私は謙遜けんそんの限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀いんぼうによりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。</p><p>20 益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、</p><p>21 ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。</p><p>22 いま私は、心を縛しばられて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。</p><p>23 ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。</p><p>24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜おしいとは思いません。</p><p><br/></p><p><strong>エペソの長老たちへのメッセージ（3）</strong></p><p><strong>エルサレムを訪問しようとする現在の計画（22 ～ 24節）</strong></p><p>エペソの長老たちへのメッセージの構造は、以下のようになっている。①エペソにおける過去の奉仕（18 ～ 21 節）。②エルサレムを訪問しようとする現在の計画（22 ～ 24 節）。③エペソ教会の長老たちの将来の責務。④結びの言葉。今回は、②エルサレムを訪問しようとする現在の計画（22 ～ 24 節）を取り上げる。<br>「いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです」。（1）パウロが置かれている現在の状況もまた、長老たちへの教訓となる。①今パウロは、エルサレムに上る途中にある。②彼は、異邦人教会からの献金を届けるために、五旬節ごじゅんせつまでにエルサレムに着きたいと願っている。③パウロには、これが御心だという確信があった。（2）訳文を比較してみよう。①「心を縛られて」（新改訳）、②「御霊みたまに縛られて」（新改訳2017）、③「“ 霊” に促されて」（新共同訳）、④「御霊に迫られて」（口語訳）、⑤「心搦（から）められて」（文語訳）。パウロは、聖霊の促うながしを受けていたのである。（3）彼は、「そこで私にどんなことが起こるのかわかりません」と語っている。①彼は、問題が起こるであろうことは予感していた。②ユダヤ人たちによって逮捕たいほされることは、すでに預言されていたと思われる。（4）さらに、「なわめと苦しみが私を待っている」と語っている。①これは、聖霊による（預言者を通した）語りかけである。②聖霊は、エルサレムに上ることを禁じてはいない。危険が待っていると告げているだけである（ロマ15：30 ～ 31 参照）。<br>「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません」。パウロは、自分の身の安全よりも、主イエスに忠実に生きることを願った。人生のゴールは、走るべき行程を走り尽くすことである。<br>ピリピ1：20 ～ 21 について黙想してみよう。「それは私の切なる祈りと願いにかなっています。すなわち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です」</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い父なる神さま。主イエスに忠実に、走るべき行程を走り尽くすことこそ、人生のゴールです。きょうも御心に歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=H5uOyr6tEgo" />
         <pubDate>2025-03-04 20:51:20 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き20：25 ～ 31</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3353077503</link>
         <description><![CDATA[<p>25 皆さん。御国を宣べ伝えてあなたがたの中を巡回した私の顔を、あなたがたはもう二度と見ることがないことを、いま私は知っています。</p><p>26 ですから、私はきょうここで、あなたがたに宣言します。私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。</p><p>27 私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。</p><p>28 あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。</p><p>29 私が出発したあと、狂暴な狼おおかみがあなたがたの中に入り込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。</p><p>30 あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。</p><p>31 ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。</p><p><br/></p><p><strong>エペソの長老たちへのメッセージ（4）</strong></p><p><strong>エペソ教会の長老たちの将来の責務</strong></p><p>「皆さん。御国を宣べ伝えてあなたがたの中を巡回した私の顔を、あなたがたはもう二度と見ることがないことを、いま私は知っています」。（1）パウロは24節で、「神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません」と語っていた。そして25 節では、「御国を宣べ伝えてあなたがたの中を巡回した」と述べている。「恵みの福音」と「御国」が、相関関係にあることが分かる。パウロが伝えた福音とは、異邦人もまた恵みと信仰によって救われ、千年王国に入る特権に与るということである。イエス・キリストを信じた私たちは、この特権に与っているのである。（2）さらにパウロは、「あなたがたはもう二度と見ることがないことを、いま私は知っています」と述べている。彼はエルサレムでの死を予感していたようだが、幸いなことに、この予想は外れた。後に彼は、エペソを訪問する機会に恵まれたようである（1 テモ3：14、4：13 参照）。<br>「ですから、私はきょうここで、あなたがたに宣言します。私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです」。（1）パウロは、自分には責任がないことを宣言する。①彼は、キリストの教会を迫害した罪を否定しているのではない。②これは、忠実な働きをエペソで行ったという宣言である。「これが二年の間続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いた」（使19：10）。（2）ここでパウロは、預言者エゼキエルに倣ならって、無罪宣言を行っているのである（エゼ33：1 ～ 9、特に8 ～ 9 節参照）。預言者の使命は、神のことばを忠実に伝えることである。結果に関しては、神が責任を負ってくださる。（3）「神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいた」。これは、聖句をすべて教えたということではなく、天地創造から終末論に至るまで、神のご計画の全貌ぜんぼうを教えたということである。それゆえ、神の招きにどういう態度を取るかは、聴く側の責任である。神のご計画の全貌を教えることは、牧師・伝道者にとって最優先課題である。<br>神のご計画の全体像を理解することは、健全なクリスチャン生活を送るための必須条件である。どのような試練の中にあっても、神の計画は確実に前進しつつある。ハレルヤ！</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。いかなる試練の中にあっても、あなたのご計画は前進しています。その全貌を理解できるよう、御霊によって助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=7q9v5WJKjEA" />
         <pubDate>2025-03-05 21:06:50 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3353077503</guid>
      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き20：25 ～ 31</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3354889663</link>
         <description><![CDATA[<p>25 皆さん。御国を宣べ伝えてあなたがたの中を巡回した私の顔を、あなたがたはもう二度と見ることがないことを、いま私は知っています。</p><p>26 ですから、私はきょうここで、あなたがたに宣言します。私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。</p><p>27 私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。</p><p>28 あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。</p><p>29 私が出発したあと、狂暴な狼おおかみがあなたがたの中に入り込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。</p><p>30 あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。</p><p>31 ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。</p><p><br/></p><p><strong>エペソの長老たちへのメッセージ（5）</strong></p><p><strong>神の教会を牧する</strong></p><p>「あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです」。（1）パウロは、「自分自身と群れの全体とに気を配りなさい」と助言した。群れの世話をするためには、先ず自分自身を整える必要がある。（2）「神がご自身の血をもって買い取られた神の教会」とある。①教会が神の所有物であることを覚えよう。②「神がご自身の血をもって買い取られた」という部分は、イエス・キリストの神性を教えている。（3）「群れの監督」という言葉は、長老たちが聖霊によって立てられた霊的指導者たちであることを示している。「監督」は、ギリシャ語で「エピスコポス」である。彼らの使命は、神の教会を牧することである。同じ人たちが3 つの用語で呼ばれている。①長老（プレスビューテロス）（使20：17）：尊厳ある地位。②監督（エピスコポス）（使20：28）：導くという職責。③牧師（ポイメイン）（使20：28）：霊的に養うという職責。</p><p><br/></p><p><strong>凶暴な狼</strong></p><p>「私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください」。（1）「自分自身と群れの全体とに気を配りなさい」とパウロが命じる理由がある。①凶暴な狼が教会に入り込んで来る。狼（複数形）とは、偽教師たちのことである。彼らは、群れを荒らし回る。②教会の中からも偽教師たちが現れる。彼らは、キリストの弟子たちを自分の方に引き込もうとする。（2）パウロは、問題への対処法を教える。①目を覚ましている。これは、霊的に注意深くしていることである。②パウロが教えて来たことを思い出す。それは、「私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たこと」である。パウロの奉仕には、感情的な要素（涙）が深く関わっていたことが分かる。<br>今も偽教師たちは存在する。誤った教えを見分ける方法は、使徒たちの教えに合致しているかどうかを調べることである。「霊的覚醒は、この私から」と祈ろうではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。どうか、使徒たちの教えに合致していくことができるよう、聖霊によって導いてください。霊的覚醒は、この私からです。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=gjjtDQ7kyQE" />
         <pubDate>2025-03-06 21:11:46 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き20：32 ～ 38</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3356426004</link>
         <description><![CDATA[<p>32 いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継つがせることができるのです。</p><p>33 私は、人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。</p><p>34 あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。</p><p>35 このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」</p><p>36 こう言い終わって、パウロはひざまずき、みなの者とともに祈った。</p><p>37 みなは声をあげて泣き、パウロの首を抱いて幾度も口づけし、</p><p>38 彼が、「もう二度と私の顔を見ることがないでしょう」と言ったことばによって、特に心を痛めた。それから、彼らはパウロを船まで見送った。</p><p><br/></p><p><strong>エペソの長老たちへのメッセージ（6）</strong></p><p><strong>結びの言葉</strong></p><p>「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、･･･御国を継がせることができるのです」。パウロは、エペソの長老たちを「神とその恵みのことば」に委ねた。①救いを完成させてくださるのは、神である。神は、聖徒たちに御国を継がせてくださる。②救いの完成のために用いられるのが、神のことばである。神への信仰は、みことばの実行によって証明される。<br>「私は、人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。･･･」。メッセージの締めくくりの部分で、パウロは再度自らの手本を示している。①パウロは、自給伝道を行った。②その結果、同労者や弱い者たちを助けることができた。<br>「･･･主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです」。（1）パウロが自らの手本によって教えようとしたのは、労苦して弱い者を助けるということである。（2）「受けるよりも与えるほうが幸いである」ということばは、福音書には出て来ないが、イエスの教えの要約になっている。パウロは、伝承を用いている可能性がある。</p><p><br/></p><p><strong>別離の祈り</strong></p><p>「こう言い終わって、パウロはひざまずき、みなの者とともに祈った」。通常は立ったままの祈りだが、ここでの祈りは特別である。①ルカ22：41（ゲツセマネの園でのイエス）、②使徒9：40（タビタを甦らせるためのペテロの祈り）、③使徒21：5（ツロの兄弟たちの別離の祈り）など参照。<br>「みなは声をあげて泣き、パウロの首を抱いて幾度も口づけし、彼が、『もう二度と私の顔を見ることがないでしょう』と言ったことばによって、特に心を痛めた。･･･」。（1）エペソの長老たちは、パウロの首を抱いて幾度いくども口づけした。また、「もう二度と私の顔を見ることがないでしょう」という言葉に心を痛めた。（2）次の章（21 章）は、エルサレムへの旅の記録である。ルカがその様子を詳細に記録している理由は、異邦人信者とエルサレムのユダヤ人の対比を示すためである。訪問地の信徒たちは、エペソの長老たちと同じくパウロに親愛の情を示すが、ユダヤ人たちはパウロを拒否する。ここに、ユダヤ人の悲劇がある。<br>もう一度、「受けるよりも与えるほうが幸いである」という主イエスのことばの意味について、黙想してみよう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。パウロに倣って、受けるよりも与えるほうが幸いであるということばを実践できるよう、助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-03-07 21:22:36 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き21：1 ～ 6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3356992759</link>
         <description><![CDATA[<p>1 私たちは彼らと別れて出帆し、コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。</p><p>2 そこにはフェニキヤ行きの船があったので、それに乗って出帆した。</p><p>3 やがてキプロスが見えて来たが、それを左にして、シリヤに向かって航海を続け、ツロに上陸した。ここで船荷を降ろすことになっていたからである。</p><p>4 私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。</p><p>5 しかし、滞在の日数が尽きると、私たちはそこを出て、旅を続けることにした。彼らはみな、妻や子どももいっしょに、町はずれまで私たちを送って来た。そして、ともに海岸にひざまずいて祈ってから、私たちは互いに別れを告げた。</p><p>6 それから私たちは船に乗り込み、彼らは家へ帰って行った。</p><p><br/></p><p><strong>ミレトからパタラへ</strong></p><p><strong>文脈の確認</strong></p><p>今パウロは、ミレトからエルサレムに向かって移動している。ルカは、その旅について詳細な記録を残している。使徒21：1 ～ 18 は3 度目の「私たち章句」（we section）であるが、その箇所には、深い神学的意味がある。ルカは、イエスの受難とパウロのエルサレム上りを対比させようとしている。</p><p><br/></p><p><strong>ミレトからコス、ロドス、パタラへ</strong></p><p>（1）ミレトからコスへの船旅。①パウロが乗った船は、沿岸地帯を航行する小型船である。パウロがこの船を雇った可能性がある。②小型船の場合は、海岸沿いを航行し、夜になると港に停泊した。日本の千石船せんごくぶねとよく似ている。③コスは、ミレトから約65 キロ南にある島で、「ヒポクラテスの誓い」で有名なヒポクラテス誕生の地である。この「誓い」は、医師の倫理・任務などについてのギリシャ神への宣誓文である（コス島には、医学校があった）。<br>（2）コス島からロドス島への船旅。①コス島からロドス島へは、約140 キロの航海である。ロドスとは、バラの花という意味である。②ロドスはコスモポリタンの町で、ここには世界の七不思議の一つである巨像があった。③ちなみに世界の七不思議とは、ギザのピラミッド、バビロンの空中庭園、エペソのアルテミス神殿、オリンピアのゼウス像、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟れいびょう、ロドス島の巨像、アレクサンドリアの大灯台である。④ロドス島の巨像は、紀元前3 世紀頃に建造された、太陽神ヘリオスの彫像である。これは、両足を広げて立つ灯台であった。全長34m、台座まで含めると約50m（米国の自由の女神像に匹敵する大きさ）あった。ヘリオスは、同じ太陽神のアポロン（ローマ名アポロ）と混同されたため、「アポロの巨像」とも呼ばれる。⑤パウロがロドス島を通過した時代には、この像は壊れていた。<br>（3）ロドス島からパタラへの船旅。①ロドス島から約95 キロ東に航海するとパタラの港に着く。ミレトからパタラまでは、3 日間で移動できたはずである。②ここまでは、内海を航海する小型船での移動であった。<br>この箇所から学ぶべき教訓は、ルカが記した記録の歴史性と信頼性である。聖書は信頼できる書である。また、この旅は受難に向かう旅だが、エルサレムに上るというパウロの堅い意志にも注目しよう。私たちも、主イエスに従うことを堅く決意しようではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。実に聖書は信頼できる書です。きょうも、聖書の正しい理解に立ち、主イエスに従います。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=b9Bjo8jhi4s" />
         <pubDate>2025-03-08 20:52:32 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き21：1 ～ 6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3357644646</link>
         <description><![CDATA[<p>1 私たちは彼らと別れて出帆し、コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。</p><p>2 そこにはフェニキヤ行きの船があったので、それに乗って出帆した。</p><p>3 やがてキプロスが見えて来たが、それを左にして、シリヤに向かって航海を続け、ツロに上陸した。ここで船荷を降ろすことになっていたからである。</p><p>4 私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。</p><p>5 しかし、滞在の日数が尽きると、私たちはそこを出て、旅を続けることにした。彼らはみな、妻や子どももいっしょに、町はずれまで私たちを送って来た。そして、ともに海岸にひざまずいて祈ってから、私たちは互いに別れを告げた。</p><p>6 それから私たちは船に乗り込み、彼らは家へ帰って行った。</p><p><br/></p><p><strong>パタラからツロへ</strong></p><p><strong>大型船に乗り換え</strong></p><p>（1）パタラからツロへの船旅。一行は、パタラで大型船に乗り換えることができた。「そこにはフェニキヤ行きの船があったので、それに乗って出帆した」とある。①これは、鉄道の旅で言えば、各駅停車から急行に乗り換えたようなものである。②この大型船は、パタラから640 キロ先のツロまで直行する船便である。恐らく、穀物か果物を運ぶ輸送船であろう。③パタラからツロまでは、地中海を横断する約5 日間の船旅である。④フェニキアは、シリアの海岸地帯のことである（現在のレバノンに当たる）。その中心都市が、商業都市のツロである。⑤当時の船旅は、目的地に向かう船を見つけ、それに乗るしかなかった。つまり、船の航行の予定に従うしか方法はないということである。<br>（2）ツロに上陸。一行は、約5 日後にツロに上陸した。「やがてキプロスが見えて来たが、それを左にして、シリヤに向かって航海を続け、ツロに上陸した。ここで船荷を降ろすことになっていたからである」。この船は、キプロス島の南側を航行した。①キプロス島はバルナバの故郷で、第一次伝道旅行の最初の訪問地であった。パウロはその島影を眺ながめながら、これまでの伝道の歩みと主の恵みを思い出していたことであろう。②キプロス島は思い出深い地ではあるが、今回はそこには立ち寄らなかった。先を急いでいたからである。<br>（3）ツロに滞在。①ツロで船が停泊した。船荷を降ろすためである。パウロは先を急いでいたが、自分で予定を組むことはできなかった。②パウロは、トロアスで7 日間留まったことがあるが、ツロで7 日間滞在した理由も、同じことである。③しかしパウロは、船が停泊する日数を有効に活用した。ツロの兄弟たちとの交わりは、予想外の祝福となる。<br>私たちの日々の歩みも、自分ではどうすることもできない要因によって停滞させられることがある。しかし、その状況と戦う必要はない。与えられている条件と時間の中で、神が用意された祝福を見出す人は幸いである。時間の管理（タイム・マネージメント）は重要だが、神のタイム・マネージメントは、人間の思いをはるかに超えた祝福をもたらすものである。神の時を意識しながら歩もう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能なる神よ。すべてのことには時があります。いかなる状況の中でも、あなたの時と、祝福を見出すことができるよう導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-03-09 20:55:33 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き21：1 ～ 6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3359513437</link>
         <description><![CDATA[<p>1 私たちは彼らと別れて出帆し、コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。</p><p>2 そこにはフェニキヤ行きの船があったので、それに乗って出帆した。</p><p>3 やがてキプロスが見えて来たが、それを左にして、シリヤに向かって航海を続け、ツロに上陸した。ここで船荷を降ろすことになっていたからである。</p><p>4 私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。</p><p>5 しかし、滞在の日数が尽きると、私たちはそこを出て、旅を続けることにした。彼らはみな、妻や子どももいっしょに、町はずれまで私たちを送って来た。そして、ともに海岸にひざまずいて祈ってから、私たちは互いに別れを告げた。</p><p>6 それから私たちは船に乗り込み、彼らは家へ帰って行った。</p><p><br/></p><p><strong>ツロの兄弟たちとの交わり</strong></p><p><strong>パウロへの忠告</strong></p><p>「私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した」。（1）「私たち」とは、パウロと8 人の同行者たちである。その中には、ルカも含まれていた。そえゆえ主語が「私たち」となっている。（2）彼らは、ツロの弟子たち（信者たち）を探した。ということは、ツロに教会ができていたのである。実は、その設立にはパウロも間接的に関わっていた。使徒11：19 にはこうある。「さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、･･･」。パウロによる教会の迫害が、結果的には伝道の拡大につながった。このことは、パウロにとって慰めとなったはずである。（3）一行は、ツロの信者たちと7 日間交わりを持った。旅の途上にある兄弟たちをもてなすのは、信者の務めである。信者の家は、安宿に泊まるよりも、はるかに安全で快適であった。<br>「彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した」。（1）これは、御霊がエルサレムに上ることを禁じているという意味ではない。①御霊は、エルサレムで危険が待っていることを、ツロの信者たちにも啓示したのである。②これは、それまでにパウロに示されていた内容と同じである。御霊の示しは、迫害への準備をするようにという、パウロに対する警告である。（2）パウロは、エルサレムに上ることは、主の御心であるとの確信を持っていた。そして彼は、エルサレムで危険が待っているので、あらゆる準備をする必要があると認識していた。<br>「しかし、滞在の日数が尽きると、私たちはそこを出て、旅を続けることにした。彼らはみな、妻や子どももいっしょに、町はずれまで私たちを送って来た。･･･それから私たちは船に乗り込み、彼らは家へ帰って行った」。（1）船がツロ港を出帆する時が来た。①この場面は、ミレトの海岸での祈りほど劇的でないが、それでも感動的である。②信者たちは妻子を伴い、町外れまで見送りに来た。③パウロの一行は、彼らと共に海岸にひざまずいて祈り、別れを告げた。（2）パウロの一行は船に乗り、そして信者たちは、家に帰って行った。<br>彼らの間には、たった1 週間で深い信頼関係が生まれていたのである。神の家族の交わりとは、このようなものである。神は、私たちが互いに愛し合うことを喜んでくださる。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。神の家族の交わりは、信者に与えられている祝福です。私も、互いに愛し合うことを喜びとします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=7XDZv4iV8b4" />
         <pubDate>2025-03-10 20:50:42 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き21：1 ～ 6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3361476900</link>
         <description><![CDATA[<p>1 私たちは彼らと別れて出帆し、コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。</p><p>2 そこにはフェニキヤ行きの船があったので、それに乗って出帆した。</p><p>3 やがてキプロスが見えて来たが、それを左にして、シリヤに向かって航海を続け、ツロに上陸した。ここで船荷を降ろすことになっていたからである。</p><p>4 私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。</p><p>5 しかし、滞在の日数が尽きると、私たちはそこを出て、旅を続けることにした。彼らはみな、妻や子どももいっしょに、町はずれまで私たちを送って来た。そして、ともに海岸にひざまずいて祈ってから、私たちは互いに別れを告げた。</p><p>6 それから私たちは船に乗り込み、彼らは家へ帰って行った。</p><p><br/></p><p><strong>イエスとパウロの対比</strong></p><p><strong>3 つの類似点</strong></p><p>先に進む前に、ルカが記録しているイエスとパウロの3 つの類似点を確認する。<br>（1）ユダヤ人による敵対と異邦人に引き渡すという陰謀<br>イエスとパウロはともに、ユダヤ人による敵対を受けた。①イエスに関しては、ルカ18：31 ～ 34 の記録がある。「さてイエスは、十二弟子をそばに呼んで、彼らに話された。『さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。･･･人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。』しかし弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。･･･」。②パウロに関しては、使徒20：22 ～ 23 の記録がある。「いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです」<br>（2）3 度繰り返されるエルサレムでの受難の預言<br>①イエスの場合は、ルカ9：21 ～ 22（弟子たちの信仰告白の後）、ルカ9：43 ～ 45（山麓での悪霊の追い出しの後）、ルカ18：31 ～ 34（エルサレムへの途上）がある。②パウロの場合は、使徒20：22～ 23（エペソの長老たちに向けて）と、使徒21：4（ツロの信者たちに向けて）、使徒21：10 ～ 11（カイザリヤにて）がある。<br>（3）父なる神への従順<br>イエスもパウロも、ともに父なる神に従い通すという堅い意志を持っていた。①イエスの場合は、ルカ22：42 ～ 44 がある。「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。･･･」。②パウロの場合は、使徒20：22 ～ 24 がある。「いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。･･･けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません」<br>これらの対比を通して、ルカは、パウロの信頼性について証言しているのである。主イエスのことばは信頼できる。それと同じように、使徒たちの教えも額面通りに信頼できる。聖書に対する全的信頼は、健全なクリスチャン生活の土台である。みことばは、私たちの人生を導くともしびである。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>聖なる神よ。聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。聖書を信頼します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=ERsx6sArIIs" />
         <pubDate>2025-03-11 20:29:54 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>使徒の働き21：7 ～ 14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3363335929</link>
         <description><![CDATA[<p>、7 私たちはツロからの航海を終えて、トレマイに着いた。そこの兄弟たちにあいさつをして、彼らのところに一日滞在した。</p><p>8 翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりである伝道者ピリポの家に入って、そこに滞在した。</p><p>9 この人には、預言する四人の未婚の娘がいた。</p><p>10 幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。</p><p>11 彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される』と聖霊がお告げになっています」と言った。</p><p>12 私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。</p><p>13 するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えた。</p><p>14 彼が聞き入れようとしないので、私たちは、「主のみこころのままに」と言って、黙ってしまった。</p><p><br/></p><p><strong>ツロからトレマイへ</strong></p><p><strong>トレマイ到着</strong></p><p>今パウロは、エルサレムに上る途上にある。「私たちはツロからの航海を終えて、トレマイに着いた」。ツロからトレマイまでは、南に約40 キロの船旅である。①トレマイ（プトレマイオス）は、ローマの植民都市であった。②この町は、旧約時代にはアコと呼ばれた。「アシェルはアコの住民や、シドンの住民や、またマハレブ、アクジブ、ヘルバ、アフェク、レホブの住民を追い払わなかった」（士1：31）とあるが、ここにあるアコが新約時代のトレマイである。③現在この町は、アッコ（ヘブル語）と呼ばれている。フェニキヤ最南端の港湾都市で、かつては、東地中海交易の拠点であった。イスラエル独立（1948 年）後も、パレスチナ人が多く定住している（人口の約3 分の1）。旧市街は、2001 年にユネスコの世界遺産に登録された。オスマン帝国時代の各種建築物と、地下に十字軍時代の遺構が残っている。④聖書には主イエスがアッコを訪問したという記録はない。そのため、クリスチャンには馴染なじみの薄うすい町となっている。</p><p><br/></p><p><strong>主にある交わり</strong></p><p>「そこの兄弟たちにあいさつをして、彼らのところに一日滞在した」。（1）トレマイでの滞在は、1 日で終わった。船荷の積み降おろしにさほどの時間がかからなかったのであろう。（2）パウロとその一行は、トレマイでも信者を探した。この町の教会も、ツロの教会と同じように迫害の結果誕生したと思われる。この迫害は、ステパノの殉教じゅんきょうに伴って起こったものである（使11：19）。（3）新しい場所を訪問した際に信者を探す目的は、2 つある。①主にある交わりと②安心できる宿舎の確保がそれである。<br>パウロの一行は、エルサレムに上る途中で立ち寄った各地の教会で大いに歓迎された。すでに、①トロアスでの1 週間（使20：7 ～ 12）と②ツロでの1 週間（使21：4 ～ 6）を見た。ここでは、③トレマイでの1 日（使21：7）について学んだ。さらに、④カイザリヤでの数日（使21：8 ～ 14）が続く。神の家族の交流は、なんと素晴らしいことであろうか。「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう」（詩133：1）</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い父なる神さま。神の家族もあなたが与えてくださった恵みです。その交流の素晴らしさ、楽しさのゆえに感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=esBAenFZRtU" />
         <pubDate>2025-03-12 19:20:38 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き21：7 ～ 14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3365302421</link>
         <description><![CDATA[<p>7 私たちはツロからの航海を終えて、トレマイに着いた。そこの兄弟たちにあいさつをして、彼らのところに一日滞在した。</p><p>8 翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりである伝道者ピリポの家に入って、そこに滞在した。</p><p>9 この人には、預言する四人の未婚の娘がいた。</p><p>10 幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。</p><p>11 彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される』と聖霊がお告げになっています」と言った。</p><p>12 私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。</p><p>13 するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えた。</p><p>14 彼が聞き入れようとしないので、私たちは、「主のみこころのままに」と言って、黙ってしまった。</p><p><br></p><p><strong>トレマイからカイザリヤへ（1）</strong></p><p><strong>伝道者ピリポ</strong></p><p>「翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりである伝道者ピリポの家に入って、そこに滞在した」。（1）トレマイからカイザリヤまでは、南に約50 キロの船旅である。陸路を行った可能性もあるが、恐らく船旅であろう。①カイザリヤの港は広大で、大きな船でも入港しやすい。②カイザリヤは、ヘロデ大王が建設した港町で、今もその遺跡いせきが残っている。③パウロの一行は、予定より1 週間以上も早くカイザリヤに着いたようである。つまり、祭りを祝うためにすぐにエルサレムに上る必要はなくなり、幾日かカイザリヤに滞在する余裕ができた。（2）ここで、伝道者ピリポが久しぶりに登場する。前回彼が登場したのは、使徒8：40 であった。「それからピリポはアゾトに現れ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った」。①彼は、使徒ピリポではなく、伝道者ピリポである。「あの七人のひとり」とは、7 人の執事の一人だという意味である（使6：1 ～ 5）。（3）ピリポの奉仕を振り返ってみよう。①エルサレム教会で、執事の一人として食卓に仕えた。②初めてサマリア人伝道を行った。③エチオピア人の宦官を救いに導いた。④カイザリヤに定住し（約20 年前）、そこで家庭を築いた。彼は、カイザリヤの教会を導いたのであろう。⑤パウロとピリポの出会いは、使徒の働きの中では、これが初めてである。</p><p><br></p><p><strong>4 人の娘たち</strong></p><p>（1）ピリポには4 人の未婚の娘がいたが、彼女たちには預言の賜物が与えられていた。（2）新約聖書が完成する前の時代には、預言の賜物は重要であった。神の声を聞き、それを信者に伝える能力が預言の賜物である。この箇所から、預言の賜物は男性限定ではなかったことが分かる。（3）ここでは何の預言も語られていないのに、なぜルカは4 人の娘たちを紹介しているのだろうか。恐らくルカは、カイザリヤ滞在中に、この4 人から教会の初期の歴史に関する情報を得たのであろう。当然、ピリポからも情報を得たはずである。（4）初期の伝承によれば、ピリポと4 人の娘はヒエラポリス（小アジア）に移住したようである。その町でこの4 人は、パピアスにエルサレム教会の初期の歴史を教えたとされている。<br>神の国のネットワークに注目しようではないか。神の栄光という共通のゴールを持つなら、神の国のネットワークは有効に機能し始める。私たちも、与えられた賜物たまものを用いて、そこに参加しよう。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>父なる神さま。私も神の国のネットワークの一部とならせてください。与えられた賜物を用いることができるよう、御霊によって導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=32NB8xpiQGA" />
         <pubDate>2025-03-13 21:12:31 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き21：7 ～ 14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3366888469</link>
         <description><![CDATA[<p>7 私たちはツロからの航海を終えて、トレマイに着いた。そこの兄弟たちにあいさつをして、彼らのところに一日滞在した。</p><p>8 翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりである伝道者ピリポの家に入って、そこに滞在した。</p><p>9 この人には、預言する四人の未婚の娘がいた。</p><p>10 幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。</p><p>11 彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される』と聖霊がお告げになっています」と言った。</p><p>12 私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。</p><p>13 するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えた。</p><p>14 彼が聞き入れようとしないので、私たちは、「主のみこころのままに」と言って、黙ってしまった。</p><p><br/></p><p><strong>トレマイからカイザリヤへ（2）</strong></p><p><strong>アガボの預言</strong></p><p>「幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た」。ここで預言者アガボが登場する。パウロとアガボは、パウロがアンテオケ教会で奉仕をしていた頃からの旧知の仲であった。アガボは、世界中に大ききんが起こると御霊によって預言し、それがクラウデオの治世に成就じょうじゅした預言者である（使11：27 ～ 28）。ここでは、アガボはパウロに預言を伝えるためにカイザリヤに下って来たのであろう。<br>「彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、『「この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される」と聖霊がお告げになっています』と言った」。（1）アガボは、旧約聖書の預言者たちの系譜けいふに立ち、具体的な仕草しぐさを通して預言を語った（1 列11：29～ 31、イザ20：2 ～ 4、エレ13：1 ～ 7、エゼ4 章など参照）。（2）「聖霊がお告げになっています」は、「【主】は言われる」（旧約）と同意である。アガボは、自分が語る預言の源は、聖霊であると宣言している。（3）彼は、パウロに対する預言を語った。①パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛った。②この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に逮捕され、異邦人の手に渡される。（4）しかし、パウロはすでにこのことを主から知らされており、動揺はない。彼には、エルサレムで逮捕されることは、主の計画であるとの確信があった。（5）パウロの同行者たちもカイザリヤの信者たちも、パウロのことを心配した。彼らは、パウロに、エルサレムには上らないように頼んだ。その中には、ルカも含まれていた。これは、愛に基づく忠告だが、人間的な愛に基づく忠告は、危険な場合がある。<br>「するとパウロは、『あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています』と答えた。･･･私たちは、『主のみこころのままに』と言って、黙ってしまった」。（1）彼らの忠告は、パウロにさらなる痛みと悲しみを与えるだけであった。パウロは、自分の命以上に、主イエスの命令に従うことを重視した。（2）彼らは、「主のみこころのままに」と言って、黙ってしまった。私たちも、自分の判断を優先させるのではなく、祈りの最後に「主のみこころのままに」と言おうではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。自分自身の判断を優先するのではなく、あなたのご判断を優先します。すべては、あなたのみこころのままに。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=XJLmB93fRyY" />
         <pubDate>2025-03-14 21:36:54 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き21：7 ～ 14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3367495516</link>
         <description><![CDATA[<p>7 私たちはツロからの航海を終えて、トレマイに着いた。そこの兄弟たちにあいさつをして、彼らのところに一日滞在した。</p><p>8 翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりである伝道者ピリポの家に入って、そこに滞在した。</p><p>9 この人には、預言する四人の未婚の娘がいた。</p><p>10 幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。</p><p>11 彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される』と聖霊がお告げになっています」と言った。</p><p>12 私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。</p><p>13 するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えた。</p><p>14 彼が聞き入れようとしないので、私たちは、「主のみこころのままに」と言って、黙ってしまった。</p><p><br/></p><p><strong>トレマイからカイザリヤへ（3）</strong></p><p><strong>パウロのゲツセマネ</strong></p><p>先に進む前に、パウロの祈りとパウロの評価について考えてみよう。<br>（1）イエスのゲツセマネの園での祈りは、こうであった。「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」（ルカ22：42）。①イエスは2 つの可能性について祈り、最後は御心を優先させた。②イエスが選んだのは、苦しいが神の栄光が現れる道であった。<br>（2）カイザリヤは、パウロのゲツセマネである。①カイザリヤで、パウロに二つの道が示された。一つは、周りの信者たちが提案した、エルサレムに上らないという道である。もう一つは、危険が待っているが、エルサレムに上るという道である。②最後は、「主のみこころのままに」という祈りが勝った。<br>（3）ルカは、カイザリヤでのパウロの葛藤かっとうをイエスのゲツセマネの祈りと対比させて描いている。</p><p><br/></p><p><strong>パウロの評価</strong></p><p>（1）第三次伝道旅行を要約すると次のようになる。①前2 回の伝道旅行よりも、行動の記録が少ない。しかし、伝道の成果は大いにあった。②第三次伝道旅行の記録では、パウロの内面や伝道の動機がより詳しく示されている。③第三次伝道旅行の記録では、悲しみや痛みを知る等身大のパウロが描かれている。④彼は、神の恵みによって、広大なローマ帝国に福音を伝えるための選びの器うつわであった。<br>（2）諸教会から受けた歓迎ともてなしを振り返ると、次のようになる。①初期の頃、パウロを疑う信者は多くいた。②しかし彼は、ツロ、トレマイ、カイザリヤで大いに歓迎された。③最初からの信者たちからも敬愛された。ピリピ、アガボ、マナソン（使21：16）との親交などがその例である。④つまりパウロは、長年の忠実な奉仕を通して信頼を勝ち取ったのである。<br>（3）パウロがキリスト教史の中で受けて来た評価は、次のようになる。①主イエス・キリストに続いて、世界中の信者から敬愛されている。②パウロの信頼性は、そのまま新約聖書の信頼性につながる。③彼が命懸いのちがけで教えようとしたのは、ユダヤ人信者と異邦人信者の一致である。<br>忠実な奉仕の積み重ね、ユダヤ人信者と異邦人信者の一致など、私たちが学ぶべき教訓は多くある。パウロは、イエス・キリストの使徒として今も語り続けている。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。主イエスに倣う歩みには苦しみが伴いますが、それは、あなたの栄光が現れる道です。どうか、御心を行ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=fD0m8H9TMqE" />
         <pubDate>2025-03-15 22:35:43 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き21：15 ～ 19</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3368106262</link>
         <description><![CDATA[<p>15 こうして数日たつと、私たちは旅仕度をして、エルサレムに上った。</p><p>16 カイザリヤの弟子たちも幾人か私たちと同行して、古くからの弟子であるキプロス人マナソンのところに案内してくれた。私たちはそこに泊まることになっていたのである。</p><p>17 エルサレムに着くと、兄弟たちは喜んで私たちを迎えてくれた。</p><p>18 次の日、パウロは私たちを連れて、ヤコブを訪問した。そこには長老たちがみな集まっていた。</p><p>19 彼らにあいさつしてから、パウロは彼の奉仕を通して神が異邦人の間でなさったことを、一つ一つ話しだした。</p><p><br/></p><p><strong>パウロのエルサレム訪問（1）</strong></p><p><strong>文脈の確認</strong></p><p>今パウロは、カイザリヤからエルサレムに行こうとしている。エルサレムに到着すると、第三次伝道旅行は終了する。この旅行は4,300 キロにも及んだ。そして、エルサレムで起こる出来事は、福音がローマ帝国内でさらに広がる原因となる。<br>聖書を読む際に意識すべきことは、視点（大局観）（perspective）である。①歴史は、複雑系の出来事として進展していく。②しかし、神の視点からは歴史は予定調和である。③パウロのエルサレム訪問は、キリスト教史の分岐点になる。つまり、福音がローマに伝わるための前奏曲になるということである。</p><p><br/></p><p><strong>カイザリヤからエルサレムへ（15 ～ 16 節）</strong></p><p>「こうして数日たつと、私たちは旅仕度をして、エルサレムに上った。カイザリヤの弟子たちも幾人か私たちと同行して、古くからの弟子であるキプロス人マナソンのところに案内してくれた。私たちはそこに泊まることになっていたのである」。（1）カイザリヤからエルサレムまでは、馬（徒歩）で2 日の旅である。カイザリヤから南東に約100 キロ行くとエルサレムに着く。パウロは、五旬節の祭りの前にエルサレムに着く必要があった。（2）「私たち」とは誰か。①パウロとその同行者たち（ルカも含まれる）である。②カイザリヤの教会の代表者たちも同行した。（3）カイザリヤの信者たちは、一行をマナソンの家に案内した。①マナソンの家は、カイザリヤとエルサレムの間にあり、一行はそこで一泊した。②「古くからの弟子であるキプロス人マナソン」とある。マナソンは、バルナバと同じくキプロス島出身である。③五旬節のペテロのメッセージで信者になった3 千人の一人だと思われる（使2：41）。④あるいは、ペテロの別のメッセージで信者になった5 千人の一人である可能性もある（使4：4）。⑤マナソンは、ヘレニストのユダヤ人である。つまり彼は、ユダヤ人信者と異邦人信者が混在するグループを、もてなすことができる人物である。<br>当時存在していた信者のネットワークに注目しよう。パウロの一行は、カイザリヤの信者たちの導きで、マナソンの家の客となった。私たちの周りには、私たちの助けを必要としている主にある兄弟姉妹たちが多くいる。また私たち自身も、他の信者たちの励ましや助けを必要としている。交わりを妨げる種々の壁が低くされるように祈ろう。一つでもよい、何か具体的な行動を起こそうではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。教会とは、互いに励まし助け合う共同体です。どうか、交わりを妨げる種々の壁が低くされますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=9YKIWawvflg" />
         <pubDate>2025-03-16 21:02:50 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き21：15 ～ 19</title>
         <author>vvxtqbg4vg</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3369952095</link>
         <description><![CDATA[<p>15 こうして数日たつと、私たちは旅仕度をして、エルサレムに上った。</p><p>16 カイザリヤの弟子たちも幾人か私たちと同行して、古くからの弟子であるキプロス人マナソンのところに案内してくれた。私たちはそこに泊まることになっていたのである。</p><p>17 エルサレムに着くと、兄弟たちは喜んで私たちを迎えてくれた。</p><p>18 次の日、パウロは私たちを連れて、ヤコブを訪問した。そこには長老たちがみな集まっていた。</p><p>19 彼らにあいさつしてから、パウロは彼の奉仕を通して神が異邦人の間でなさったことを、一つ一つ話しだした。</p><p><br></p><p><strong>パウロのエルサレム訪問（2）</strong></p><p><strong>長老たちへの報告（17 ～ 19 節）</strong></p><p>「エルサレムに着くと、兄弟たちは喜んで私たちを迎えてくれた」。一行は、五旬節の祭りの前にエルサレムに着いた。この聖句から、一行がエルサレムの信者たちから歓迎されたことが分かる。<br>「次の日、パウロは私たちを連れて、ヤコブを訪問した。そこには長老たちがみな集まっていた。彼らにあいさつしてから、パウロは彼の奉仕を通して神が異邦人の間でなさったことを、一つ一つ話しだした」。（1）「次の日」とは、恐らく、五旬節の祭りの2 日前であろう。パウロは、一行を連れてエルサレム教会のリーダーであるヤコブを訪問した。（2）この時期になると（紀元57 年）、12 使徒たちはエルサレムにはいなかった。彼らは、エルサレム以外の地で巡回伝道を展開していたからである。エルサレム教会は世代交代を経験し、ヤコブ（主イエスの弟）と長老たちによって導かれるようになっていた。（3）パウロの訪問は、予期されていたことである。エルサレム教会のリーダーたちがみな集まっていたことから、それが分かる。パウロがヤコブに会うのは、ほぼ5 年ぶりである。前回の会談は、使18：22（第二次伝道旅行の終わり）に出ていた。（4）パウロは、第三次伝道旅行で起こったことを証しした。その内容は、次の3 点に要約することができる。①異邦人がたくさん救われた。②それは神がなさったことである。③そのために自分が用いられた。</p><p><br></p><p><strong>献金</strong></p><p>パウロはこの段階で、異邦人教会からの献金をささげた。使徒24：17 でパウロはこう語っている。「さて私は、同胞に対して施しをし、また供え物をささげるために、幾年ぶりかで帰って来ました」。ルカは献金に触れていないが、これはパウロにとっては重要なことであった。パウロは複数の書簡で、異邦人信者が貧しい母教会に献金をささげることに言及している（ロマ15：25 ～ 28、1 コリ16：1 ～ 4、2 コリ8：13 ～ 14、9：12 ～ 13、ガラ2：10 など参照）。<br>ルカがこの献金に触れていないのは、彼には別の執筆目的があったからである。ルカが伝えようとした視点（大局観）（perspective）は、次の2 つである。①エルサレム（ユダヤ人）は、福音を拒否した。②異邦人は、福音を受け入れた。この2 つのことが、パウロのエルサレム滞在中に次第に明らかになって行く。今の時代は、ユダヤ人が福音を受け入れつつある時代である。自分の人生について、また神の計画の進展ついて、大局観が与えられるように祈ろう。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。今も、あなたのご計画は進展しています。私の人生について、あなたのご計画について、大局観を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://youtu.be/sUPaQZyDY9I" />
         <pubDate>2025-03-17 20:42:30 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き21：20 ～ 26</title>
         <author>vvxtqbg4vg</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3371884442</link>
         <description><![CDATA[<p>20 彼らはそれを聞いて神をほめたたえ、パウロにこう言った。「兄弟よ。ご承知のように、ユダヤ人の中で信仰に入っている者は幾万となくありますが、みな律法に熱心な人たちです。</p><p>21 ところで、彼らが聞かされていることは、あなたは異邦人の中にいるすべてのユダヤ人に、子どもに割礼を施すな、慣習に従って歩むな、と言って、モーセにそむくように教えているということなのです。</p><p>22 それで、どうしましょうか。あなたが来たことは、必ず彼らの耳に入るでしょう。</p><p>23 ですから、私たちの言うとおりにしてください。私たちの中に誓願を立てている者が四人います。</p><p>24 この人たちを連れて、あなたも彼らといっしょに身を清め、彼らが頭をそる費用を出してやりなさい。そうすれば、あなたについて聞かされていることは根も葉もないことで、あなたも律法を守って正しく歩んでいることが、みなにわかるでしょう。</p><p>25 信仰に入った異邦人に関しては、偶像の神に供えた肉と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けるべきであると決定しましたので、私たちはすでに手紙を書きました。」</p><p>26 そこで、パウロはその人たちを引き連れ、翌日、ともに身を清めて宮に入り、清めの期間が終わって、ひとりひとりのために供え物をささげる日時を告げた。</p><p><br></p><p><strong>パウロのエルサレム訪問（3）</strong></p><p><strong>パウロに対する誤解（20～ 22 節）</strong></p><p>「彼らはそれを聞いて神をほめたたえ、パウロにこう言った。『兄弟よ。ご承知のように、ユダヤ人の中で信仰に入っている者は幾万となくありますが、みな律法に熱心な人たちです』」。（1）エルサレム教会のリーダーたちは、神をほめたたえた。つまり、パウロによる異邦人伝道を喜び、認定したのである（異邦人教会からの献金を喜んで受け取ったことが示唆しさされている）。（2）次に彼らは、パウロに対するユダヤ人信者の誤解を解く必要があると提言した。①ユダヤ人信者は、幾万となくいた。「幾万」「何万」「数万」（more than twenty thousands）などと訳されている言葉は、少なくとも2 万人以上を指している。その大半が、エルサレムに住むユダヤ人信者であった。②彼らは「みな律法に熱心な人たち」である。紀元1 世紀のユダヤ人信者たちの意識は、以下のようなものである。律法を守ることは救いの条件ではない。しかし、ユダヤ人として律法に従って生きることを選ぶ。③トーラーは、ユダヤ人のアイデンティティと密接に結びついていた。トーラーの遵守じゅんしゅは、神学上の問題であるだけでなく、文化的な問題でもあった。トーラーの否定は、ユダヤ性の放棄と同じ意味になる。<br>「ところで、彼らが聞かされていることは、あなたは異邦人の中にいるすべてのユダヤ人に、子どもに割礼を施すな、慣習に従って歩むな、と言って、モーセにそむくように教えているということなのです。･･･」。（1）パウロに対する2つの誤解があった。①離散の地のユダヤ人に、子どもに割礼を施すなと教えているという誤解。②ユダヤ教の慣習に従って歩むなと教えているという誤解。（2）しかし、パウロが律法を大切にしていたことは明白である。①パウロは、テモテに割礼を受けさせた（使16：3）。②ユダヤ人に対してはユダヤ人のようになった（1 コリ9：20）。③彼は、律法を行うことが救いの条件になることを否定しただけである。（3）パウロに関する悪評をばらまいた者たちがいた。エペソから来たユダヤ人の一派がそれである（後に彼らは騒動そうどうを起こすことになる。使21：27 以降）。パウロがエルサレムにいることは、やがて彼らの耳に入るに違いない。そこで長老たちは、隠れるのではなく、公おおやけの場で律法に熱心であることを示すべきであると助言する。<br>私たちにも、隠れるよりも自らの信仰を公に告白すべき時がやって来る。神だけを恐れる信仰をいただこうではないか。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。公に信仰を告白すべき時には、恐れずに告白できるよう、その信仰を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://youtu.be/yODxAi4fhyM" />
         <pubDate>2025-03-18 20:51:08 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き21：20 ～ 26</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3373741852</link>
         <description><![CDATA[<p>20 彼らはそれを聞いて神をほめたたえ、パウロにこう言った。「兄弟よ。ご承知のように、ユダヤ人の中で信仰に入っている者は幾万となくありますが、みな律法に熱心な人たちです。</p><p>21 ところで、彼らが聞かされていることは、あなたは異邦人の中にいるすべてのユダヤ人に、子どもに割礼を施すな、慣習に従って歩むな、と言って、モーセにそむくように教えているということなのです。</p><p>22 それで、どうしましょうか。あなたが来たことは、必ず彼らの耳に入るでしょう。</p><p>23 ですから、私たちの言うとおりにしてください。私たちの中に誓願を立てている者が四人います。</p><p>24 この人たちを連れて、あなたも彼らといっしょに身を清め、彼らが頭をそる費用を出してやりなさい。そうすれば、あなたについて聞かされていることは根も葉もないことで、あなたも律法を守って正しく歩んでいることが、みなにわかるでしょう。</p><p>25 信仰に入った異邦人に関しては、偶像の神に供えた肉と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けるべきであると決定しましたので、私たちはすでに手紙を書きました。」</p><p>26 そこで、パウロはその人たちを引き連れ、翌日、ともに身を清めて宮に入り、清めの期間が終わって、ひとりひとりのために供え物をささげる日時を告げた。</p><p><br/></p><p><strong>パウロのエルサレム訪問（4）</strong></p><p><strong>長老たちの助言（23 ～ 25節）</strong></p><p>「･･･私たちの中に誓願を立てている者が四人います。この人たちを連れて、あなたも彼らといっしょに身を清め、彼らが頭をそる費用を出してやりなさい。･･･」。（1）ナジル人の誓願を立てている信者が4 人いた（民6：1 ～ 21）。誓願の期間は、髪を剃そらない、ぶどう酒を飲まない、儀式的汚れを避けるなどの規定があった。① 4 人が立てていた誓願の内容は分からない。②パウロも、誓願を立てたことがあった（使18：18）。彼は、ケンクレアで髪を剃った。（2）誓願が終わった時に、この4 人の信者たちを援助すれば、律法を守っているという証明になる。つまり、パウロが彼らといっしょに儀式的清めを実行し、頭を剃る費用を出してやるということである。<br>「信仰に入った異邦人に関しては、偶像の神に供えた肉と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けるべきであると決定しましたので、私たちはすでに手紙を書きました」。（1）これは、エルサレム会議の決定事項の確認である。彼らは、2 つのことを確認した。①ユダヤ人信者には、律法を守る自由がある。②異邦人信者には、律法を守らない自由がある。ただし異邦人信者は、ユダヤ人信者との交わりのために、最低限の配慮をすべきである。（2）紀元1 世紀のユダヤ人信者の意識を理解する必要がある。①彼らは、異邦人の信仰をユダヤ的なものにしようとしているのではない。②彼らは、ユダヤ人の信仰を異邦人的なものにならないようにしているのである。</p><p><br/></p><p><strong>助言の実行（26 節）</strong></p><p>翌日からパウロは、4 人と共に神殿に入り、7 日間の清めの過程を開始した。①パウロは5 年間エルサレム（イスラエルの地）から離れていたので、その汚れのためには、1 週間の清めのプロセスを通過する必要があった。②また誓願の終了日を祭司に伝え、いけにえを屠ほふる準備を始めた。③一人当たりの供え物は、以下の通りである。雄の子羊1 頭（全焼のいけにえ）、雌の子羊1 頭（罪のためのいけにえ）、雄羊1 頭（和解のいけにえ）、かご1 杯の種なしパン（穀物のささげ物）、壺1 杯のぶどう酒（注ぎのささげ物）。④大きな犠牲だが、これはパウロの善行（ミツヴァ）と見なされる。<br>人は最善を尽くそうと努力するが、神の導きは予想外の方向に進んで行く。歴史は、複雑系の出来事として進んで行く。部分が全体に、全体が部分に影響しあって複雑に展開して行く。しかし、神の視点からは、歴史は予定調和的に進展する。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>聖なる神よ。複雑に見える歴史も、あなたの視点からは予定調和的に進展しています。それゆえ、あなたを信頼します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-03-19 21:35:08 UTC</pubDate>
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      </item>
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         <title>使徒の働き21：27 ～ 30</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3375559565</link>
         <description><![CDATA[<p>27 ところが、その七日がほとんど終わろうとしていたころ、アジヤから来たユダヤ人たちは、パウロが宮にいるのを見ると、全群衆をあおりたて、彼に手をかけて、</p><p>28 こう叫んだ。「イスラエルの人々。手を貸してください。この男は、この民と、律法と、この場所に逆らうことを、至る所ですべての人に教えている者です。そのうえ、ギリシヤ人を宮の中に連れ込んで、この神聖な場所をけがしています。」</p><p>29 彼らは前にエペソ人トロピモが町でパウロといっしょにいるのを見かけたので、パウロが彼を宮に連れ込んだのだと思ったのである。</p><p>30 そこで町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕らえ、宮の外へ引きずり出した。そして、ただちに宮の門が閉じられた。</p><p><br></p><p><strong>神殿内での暴動</strong></p><p><strong>文脈の確認</strong></p><p>ここまでの文脈を確認しよう。（1）パウロはエルサレムに着き、長老たちと交流した。（2）パウロは、異邦人教会からの献金を届けた。（3）エルサレムの長老たちはパウロに、こう助言した。①パウロについて悪い噂うわさがあるので、律法を否定していないことを示す必要がある。②誤解を解くために、ナジル人の誓願をしている4 人の兄弟たちのために、髪を剃る費用を出すのが良い。（4）そこでパウロは、それを実行に移した。「そこで、パウロはその人たちを引き連れ、翌日、ともに身を清めて宮に入り、清めの期間が終わって、ひとりひとりのために供え物をささげる日時を告げた」（使21：26）</p><p><br></p><p><strong>アジアから来たユダヤ人たち</strong></p><p>（1）祭りの期間、100 万人以上のユダヤ人たちがエルサレムに滞在していた。五旬節は終わっていたが、多くの巡礼者たちがエルサレムに留まっていた。そういう中で、パウロは清めのための7 日を神殿で過ごした。清めの供え物をささげる時が目前に迫っていた。（2）ところが、アジアから来たユダヤ人たちが問題を起こした。彼らは、第二次伝道旅行でパウロを迫害したエペソのユダヤ人たちである。パウロが神殿にいるのを見た彼らは、群衆を扇動せんどうし、パウロに手をかけて叫んだ。（3）彼らが騒いだ理由は次の2 つである。①パウロは誤った教えを教えている。これは、ステパノに対する批判の内容と似ている（使6：13 ～ 14）。②パウロは、異邦人を神殿の中に連れ込んで、神殿を冒涜ぼうとくしている。彼らは前に、エペソ人トロピモが町でパウロと一緒にいるのを見かけたことがあった。偏見があるので、パウロを見ただけで、トロピモを神殿に連れ込んだと決めつけたのである。つまり、異邦人が「隔へだての壁」（隔ての中垣）を超えて聖所に入ったと判断したのである。もし本当に異邦人のトロピモが神殿に入っていたとするなら、それは死刑に値する。ローマは、この死刑の権利だけは認めざるを得なかった。（4）町中が大騒ぎになった。人々はパウロを捕え、神殿の外に引きずり出し、宮の門を閉じた。門を閉じてから、パウロを異邦人の庭で殺そうとした（神殿内で血を流すのは、冒涜罪に当たる）。<br>パウロは不当な理由でユダヤ人たちからの迫害に遭った。いかなる信仰者でも「なぜ」と問いたくなるような状況であるが、その背後には人知を越えた神の計画があった。パウロは、神の方法によってローマへ行くことになる。私たちの人生も、神の御手によって導かれていることを覚えよう。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能なる神よ。あなたは、人知を超えたご計画によって、歴史を導いておられます。私の人生をも導いてくださることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=4R0hzBv3GDE" />
         <pubDate>2025-03-20 21:13:20 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き21：31 ～ 36</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3377104702</link>
         <description><![CDATA[<p>31 彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、ローマ軍の千人隊長に届いた。</p><p>32 彼はただちに、兵士たちと百人隊長たちとを率いて、彼らのところに駆けつけた。人々は千人隊長と兵士たちを見て、パウロを打つのをやめた。</p><p>33 千人隊長は近づいてパウロを捕らえ、二つの鎖くさりにつなぐように命じたうえ、パウロが何者なのか、何をしたのか、と尋ねた。</p><p>34 しかし、群衆がめいめい勝手なことを叫び続けたので、その騒がしさのために確かなことがわからなかった。そこで千人隊長は、パウロを兵営に連れて行くように命令した。</p><p>35 パウロが階段にさしかかったときには、群衆の暴行を避けるために、兵士たちが彼をかつぎ上げなければならなかった。</p><p>36 大ぜいの群衆が「彼を除け」と叫びながら、ついて来たからである。</p><p><br></p><p><strong>千人隊長の介入</strong></p><p><strong>パウロの保護</strong></p><p>「彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、ローマ軍の千人隊長に届いた。彼はただちに、兵士たちと百人隊長たちとを率いて、彼らのところに駆けつけた。･･･」。（1）神殿の北西には、神殿域全体を見下ろせるアントニア要塞がそびえ立っていた。祭りの期間、厳重な監視体制が敷かれた。これは、ローマ軍が約50年に渡るユダヤ人支配の経験から学んだ知恵である。この祭りの期間も、兵士たちが神殿内の監視を行っていた。（2）神の民がローマ軍の監視下に置かれていることの悲劇について、考えてみよう。その原因は、ユダヤ人たちの不信仰にあった。私たちも、不信仰の結果、神以外のものに隷属させられることがある。（3）この騒ぎは、直ちに千人隊長に報告された。暴動を静めたのは、クラウデオ・ルシヤ（使23：26）という千人隊長である。彼は、兵士たちと百人隊長たちとを率いて、暴徒たちのところに駆けつけた。（4）それを見た暴徒たちは、パウロを打つのを止めた。暴動を起こす側も静める側も、命懸いのちがけである。暴動を起こした者たちは、死刑に処せられる。暴動を静めることができなかった兵士たちも、死刑に処せられる。<br>「千人隊長は近づいてパウロを捕らえ、二つの鎖につなぐように命じたうえ、パウロが何者なのか、何をしたのか、と尋ねた。しかし、群衆がめいめい勝手なことを叫び続けたので、その騒がしさのために確かなことがわからなかった。･･･」。（1）パウロは、2 つの鎖につながれた。2 人の兵士たちと鎖でつながれたのであろう。これは重大犯人を扱う際の方法である。（2）千人隊長は、なぜパウロが騒ぎの原因になっているのかを群衆に尋ねた。しかし、群衆があまりにも混乱していたため確かなことは分からなかった。そこで千人隊長は、尋問のためにパウロを要塞の中に連行することにした。<br>「パウロが階段にさしかかったときには、群衆の暴行を避けるために、兵士たちが彼をかつぎ上げなければならなかった。大ぜいの群衆が『彼を除け』と叫びながら、ついて来たからである」。パウロが連行される途中、群衆は兵士たちに守られるパウロを奪還しようとした。そのために兵士たちは、パウロをかつぎ上げなければならなかった。ここには、ルカ23：18 との類似性がある。「しかし彼らは、声をそろえて叫んだ。『この人を除け。バラバを釈放しろ』」。パウロは、主イエスが歩まれた十字架の道を歩んでいる。私たちもまた、その道を歩むように召されている。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。信者の歩みとは、主イエスが歩まれた十字架の道を歩むことです。どうか、私を助け、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-03-21 20:51:33 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き21：37 ～ 40</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3377701118</link>
         <description><![CDATA[<p>37 兵営の中に連れ込まれようとしたとき、パウロが千人隊長に、「一言お話ししてもよいでしょうか」と尋ねると、千人隊長は、「あなたはギリシヤ語を知っているのか。</p><p>38 するとあなたは、以前暴動を起こして、四千人の刺客を荒野に引き連れて逃げた、あのエジプト人ではないのか」と言った。</p><p>39 パウロは答えた。「私はキリキヤのタルソ出身のユダヤ人で、れっきとした町の市民です。お願いです。この人々に話をさせてください。」</p><p>40 千人隊長がそれを許したので、パウロは階段の上に立ち、民衆に向かって手を振った。そして、すっかり静かになったとき、彼はヘブル語で次のように話した。</p><p><br/></p><p><strong>パウロの危機管理</strong></p><p><strong>千人隊長への語りかけ</strong></p><p>「兵営の中に連れ込まれようとしたとき、パウロが千人隊長に、『一言お話ししてもよいでしょうか』と尋ねると、千人隊長は、『あなたはギリシヤ語を知っているのか。するとあなたは、以前暴動を起こして、四千人の刺客を荒野に引き連れて逃げた、あのエジプト人ではないのか』と言った」。（1）アントニア要塞に連行されようとした時、パウロは千人隊長に話しかけた。パウロがギリシャ語で話しかけたので、千人隊長は非常に驚いた。（2）千人隊長は、自分の誤解に気づき、こう確かめた。「あなたは暴動を起こしたあのエジプト人ではないのか」と。ユダヤ人の歴史家ヨセフスは、このエジプト人についての記録を残している。その内容は、「自ら預言者を名乗るエジプト人が、民衆をだまして、オリーブ山に結集するように扇動した。しかし、その暴徒の一群はローマ総督フェリクスによって弾圧され、400 人が殺され、200 人が捕虜となった」というものであった。首謀者であるエジプト人は逃れた。千人隊長は、そのエジプト人が戻って来たと思ったのである。</p><p><br/></p><p><strong>パウロの回答</strong></p><p>「パウロは答えた。『私はキリキヤのタルソ出身のユダヤ人で、れっきとした町の市民です。お願いです。この人々に話をさせてください。』千人隊長がそれを許したので、･･･」。（1）パウロは千人隊長に向かって自己紹介をした。自分は、キリキヤのタルソ出身のユダヤ人で、その町の市民である。自分はローマ市民なので、反ローマ運動とは何の関係もない。（2）次に、群衆に弁明する機会を千人隊長に求め、許可を得た。パウロはこれを伝道の機会と捉えたのである。彼は、神殿からアントニアの要塞に上る階段の上に立ち、民衆に向かって手を振った。それを見て民衆は静まり、物音一つしないほどの静寂がやって来た。パウロは、今度はヘブル語で話し始めた。<br>動揺してもおかしくない状況で冷静さを保つのは、容易なことではない。しかしパウロは、暴動の渦中に置かれても平安を失わなかった。パウロが示した危機管理のための2 つの武器に着目しよう。①彼は、礼儀正しい態度で千人隊長に接した。「一言お話ししてもよいでしょうか」は、丁寧な言葉である。礼儀正しい態度が、弁明の機会を得るきっかけとなった。②彼は、終始冷静さを保った。彼の冷静な態度は、大声で叫んでいる群衆の狂気とは好対照をなしている。パウロの危機管理法から、私たちも教訓を学ぼう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。困難に直面した時にこそ、冷静を保つことが重要だと学びました。きょうも、心に平安を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=WtNakYMrmnQ" />
         <pubDate>2025-03-22 21:25:19 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き22：1 ～ 5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3378299212</link>
         <description><![CDATA[<p>1 「兄弟たち、父たちよ。いま私が皆さんにしようとする弁明を聞いてください。」</p><p>2 パウロがヘブル語で語りかけるのを聞いて、人々はますます静粛になった。そこでパウロは話し続けた。</p><p>3 「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。</p><p>4 私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。</p><p>5 このことは、大祭司も、長老たちの全議会も証言してくれます。この人たちから、私は兄弟たちへあてた手紙までも受け取り、ダマスコへ向かって出発しました。そこにいる者たちを縛り上げ、エルサレムに連れて来て処罰するためでした。</p><p><br></p><p><strong>パウロの弁明（1）</strong></p><p><strong>ヘブル語で語る</strong></p><p>このスピーチの特徴を見ておこう。①使徒22：1 ～ 26：29 で、5 回パウロのスピーチが出て来るが、このスピーチは最初のものである。②これまでパウロは伝道的なスピーチをして来たが、今後は弁明的なものになる。（1）「兄弟たち、父たちよ」は、敬意を表す呼びかけであり、慣用句でもある（使7：2 参照）。このスピーチのゴールは、弁明である。①自分は、神に対して、律法に対して、神殿に対して敵対する者ではない。②異邦人伝道は、神から自分に与えられた使命である。（2）パウロは、ギリシャ語ではなくヘブル語（アラム語）で語り始めた。アラム語は、神殿内で使用する言葉で、ユダヤの住民、ガリラヤの住民、ディアスポラのユダヤ人などは、これを理解できた。しかし、ローマ兵たちには理解できなかったであろう。（3）この段階で、律法に熱心な者たちのパウロに対する認識が、相当変わったと思われる（ディアスポラのユダヤ人なのにアラム語ができるという驚き）。</p><p><br></p><p><strong>律法に熱心</strong></p><p>（1）パウロは、自分もまた律法に熱心な者であったと証言する。①自分は、キリキヤのタルソで生まれたユダヤ人である。文法的には、現在形の動詞が使われている。つまり、イエスを信じたからと言って、ユダヤ人でなくなるわけではないということである。②若い頃からエルサレムで育てられた。12 ～13 歳でエルサレムにやって来たと思われる。③パリサイ派の教育を受けた。当時最も尊敬されていたガマリエルから学んだ。（2）パウロは、律法に対する熱心さでは誰にも負けないと言いたいのである。その例として、教会に対して行った迫害を上げる。「私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。このことは、大祭司も、長老たちの全議会も証言してくれます。･･･」。（3）当時、「この道」という言葉は、ユダヤ人の間で広く認識されていた。パウロは、殉教者の死については自分にも責任があると認めている。この迫害は、サンヘドリンの許可を得て行ったものである。このことを疑う者は、大祭司とサンヘドリンに確かめればよい。<br>パウロは、聴衆との間に信頼関係を築こうとしている。パウロは、彼らがパウロを殺そうとしているのは純粋な動機からであることを、かつての自分の姿を引き合いに出しながら、認めている。パウロの話法から学ぶことは多い。聞き手の心に配慮しながら、真実を語れる人は、霊的に成熟した人である。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。パウロのように、聞き手の心に配慮しながら、真実をかたれるよう、霊的に成長させてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=rsk1s_ewybQ" />
         <pubDate>2025-03-23 20:34:11 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き22：6 ～ 11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3380123223</link>
         <description><![CDATA[<p>6 ところが、旅を続けて、真昼ごろダマスコに近づいたとき、突然、天からまばゆい光が私の回りを照らしたのです。</p><p>7 私は地に倒れ、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』という声を聞きました。</p><p>8 そこで私が答えて、『主よ。あなたはどなたですか』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ』と言われました。</p><p>9 私といっしょにいた者たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。</p><p>10 私が、『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか』と尋ねると、主は私に、『起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするように決められていることはみな、そこで告げられる』と言われました。</p><p>11 ところが、その光の輝きのために、私の目は何も見えなかったので、いっしょにいた者たちに手を引かれてダマスコに入りました。</p><p><br/></p><p><strong>パウロの弁明（2）</strong></p><p><strong>回心</strong></p><p>「･･･真昼ごろダマスコに近づいたとき、突然、天からまばゆい光が私の回りを照らしたのです」。（1）ダマスコ体験の記録は、使徒の働きの中に3 回出て来る。①使徒9：1 ～ 19（三人称で書かれている）、②使徒22：6 ～ 16（一人称で書かれている）、③使26：12 ～ 18（一人称で書かれている）。（2）パウロは、天からのまばゆい光に照らされた。つまり、シャカイナグローリー（神の栄光の光）である。<br>「私は地に倒れ、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』という声を聞きました。 そこで私が答えて、『主よ。あなたはどなたですか』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ』と言われました。･･･」。（1）パウロは地に倒れた。と言うよりも、地にひれ伏したのである。神の臨在の前でひれ伏すのは、ユダヤ人としては当然の反応である。（2）次に、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた。①回りの者たちは音を聞いただけで、声は認識できなかった。②「主よ。あなたはどなたですか」と問いかけると、「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ」という答えがあった。③「ナザレ」という言葉は、3 回の回心の記事の中でここだけに出て来る。イエス自ら、軽蔑された呼び名を使っておられる。④クリスチャンが迫害される時、主イエスご自身が迫害されているのである。<br>「私が、『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか』と尋ねると、主は私に、『起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするように決められていることはみな、そこで告げられる』と言われました。･･･」。（1）「主よ。私はどうしたらよいのでしょうか」は、神に忠実なユダヤ人としては、当然の問いかけである。この時点で、パウロは回心を体験していたのである。（2）主はパウロに、「ダマスコに行きなさい」と命じた。パウロがダマスコに行く目的は、当初の意図とは正反対のものとなった。（3）パウロは、シャカイナグローリーによって目が見えなくなっていた。①その状態で、彼は手を引かれてダマスコに入って行った。②やがて彼は盲目状態から解放されるのだが、それは、霊的な盲目からの解放を示唆しさしている。<br>パウロがダマスコで為すべきことは、あらかじめ神によって定められていた。これは、私たちの人生にも当てはまる原則である。神は、神に敵対していた私たちを顧み、ここまで導いてくださった。それゆえ、ますます神に忠実に歩むことを志そうではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。あなたは、私の人生をもご計画をもって導いてくださっています。きょうも、あなたに忠実に歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-03-24 20:24:51 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3380123223</guid>
      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き22：12 ～ 16</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3382049990</link>
         <description><![CDATA[<p>12 すると、律法を重んじる敬虔けいけんな人で、そこに住むユダヤ人全体の間で評判の良いアナニヤという人が、</p><p>13 私のところに来て、そばに立ち、『兄弟サウロ。見えるようになりなさい』と言いました。すると、そのとき、私はその人が見えるようになりました。</p><p>14 彼はこう言いました。『私たちの父祖たちの神は、あなたにみこころを知らせ、義なる方を見させ、その方の口から御声を聞かせようとお定めになったのです。</p><p>15 あなたはその方のために、すべての人に対して、あなたの見たこと、聞いたことの証人とされるのですから。</p><p>16 さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』</p><p><br/></p><p><strong>パウロの弁明（3）</strong></p><p><strong>アナニヤ</strong></p><p>主はパウロのために、アナニヤという弟子を用意しておられた。「すると、律法を重んじる敬虔な人で、そこに住むユダヤ人全体の間で評判の良いアナニヤという人が、私のところに来て、そばに立ち、『兄弟サウロ。見えるようになりなさい』と言いました。･･･」。（1）盲目のパウロを助けたのは、アナニヤという人物である。①彼は、律法に照らして「敬虔な人」と判断されるような生活を送っていた。②また、メシアニックジューにも、そうでないユダヤ人にも評判の良い人であった。③これは、パウロの聴衆たちには意味のある情報である。ちなみに、使徒9：1 ～ 43 の弁明には、アナニヤに関するこの情報は出て来ない。（2）アナニヤはパウロを、「兄弟サウロ」と呼んでいる。①パウロはこの時点ですでに救われており、アナニヤはそれを認識していた。②彼が「見えるようになりなさい」と言うと、パウロの目が見えるようになった。</p><p><br/></p><p><strong>洗礼</strong></p><p>「彼はこう言いました。『私たちの父祖たちの神は、あなたにみこころを知らせ、義なる方を見させ、その方の口から御声を聞かせようとお定めになったのです。あなたはその方のために、すべての人に対して、あなたの見たこと、聞いたことの証人とされるのですから』」。（1）アナニヤはパウロに、神から聞いたことを伝えた。ここでのアナニヤの言葉は、パウロの使徒職への召命になっている。（2）パウロは、主から3 つの祝福を受けた。①先祖の神の御心が啓示されるための器となるという祝福。パウロが受けた啓示の内容は、「奥義」と呼ばれている（エペ3：1 ～13）。②復活のイエスに出会うという祝福。「義なる方を見させ」とはそういう意味である。「義なる方」は、メシアの称号である。復活の主と出会ったことにより、パウロの使徒としての資格が満たされた（1 コリ9：1、15：8 参照）。③復活のイエスのことばを聞くという祝福。（3）以上の3 つの祝福が与えられた理由は、「キリストの証人」となるためである。①祝福には使命が伴う。②神の国においては、傍観者ぼうかんしゃは一人もいないはずである。<br>「さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい」。この聖句は、誤解されて用いられることが多い。救いは、恵みと信仰によって与えられるもので、それ以外の条件はない。洗礼は、すでに信仰によって罪を赦された者が受けるものである。次回、そのことを取り上げる。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。私にも多くの祝福を与えてくださることを感謝します。私もキリストの証人としての使命を果たせるよう、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=uh9J5sY9Thc" />
         <pubDate>2025-03-25 20:37:33 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き22：12 ～ 16</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3383845801</link>
         <description><![CDATA[<p>12 すると、律法を重んじる敬虔けいけんな人で、そこに住むユダヤ人全体の間で評判の良いアナニヤという人が、</p><p>13 私のところに来て、そばに立ち、『兄弟サウロ。見えるようになりなさい』と言いました。すると、そのとき、私はその人が見えるようになりました。</p><p>14 彼はこう言いました。『私たちの父祖たちの神は、あなたにみこころを知らせ、義なる方を見させ、その方の口から御声を聞かせようとお定めになったのです。</p><p>15 あなたはその方のために、すべての人に対して、あなたの見たこと、聞いたことの証人とされるのですから。</p><p>16 さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』</p><p><br/></p><p><strong>パウロの弁明（4）</strong></p><p><strong>洗礼は救いの条件か</strong></p><p>先に進む前に、2 つの質問に答えることにする。①洗礼は救いの条件か。②奥義とは何か。<br>使徒22：16 にはこうある。「さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい」。この聖句をどう理解したらよいのか。（1）洗礼は、罪を赦されるために受けるものではない。すでに信仰によって罪を赦された者が、主イエスの命令に従って受けるものである。（2）パウロの場合は、復活のイエスに出会い、この方を信じた時点で、救われていた。（3）「自分の罪を洗い流しなさい」とは、象徴的言葉である。①洗礼は、イエスとの一体化を表現するための象徴的儀式である。②洗礼は、罪が清められたことを表現するための象徴的儀式である。（4）人は、信仰により恵みによって救われる。洗礼は救いの条件ではないが、主イエスの弟子として忠実に歩むためには必要不可欠なものである。</p><p><br/></p><p><strong>奥義とは何か</strong></p><p>エペソ3：3 ～ 6 にはこうある。「先に簡単に書いたとおり、この奥義は、啓示によって私に知らされたのです。それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです」。（1）パウロが、異邦人のための使徒となったのは啓示による。①パウロが伝えるメッセージは奥義であって、これもまた神の啓示による。②奥義とは、今までは隠されていたが、啓示によって明らかにされた真理である。（2）奥義の内容は次のものである。①福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、共に一つのからだに連なり、共に約束に与る者となるということ。②パウロがどんな試練の中にあっても大胆に福音を語れたのは、それが神から与えられた啓示であるという確信があったからである。<br>私たちは、キリスト･イエスにあって共同の相続者となるように召された。クリスチャン生活のゴールは、その召しの中にある。このことを確信した者は、試練に打ち勝つことができる。私たちは、人知では想像できないような祝福に召されている。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。この私も、主イエスあって共同相続者となるよう召されていることを感謝します。きょうも、その確信をもって歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-03-26 21:12:49 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>使徒の働き22：17 ～ 21</title>
         <author>vvxtqbg4vg</author>
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         <description><![CDATA[<p>17 こうして私がエルサレムに帰り、宮で祈っていますと、夢ごこちになり、</p><p>18 主を見たのです。主は言われました。『急いで、早くエルサレムを離れなさい。人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです。』</p><p>19 そこで私は答えました。『主よ。私がどの会堂ででも、あなたの信者を牢に入れたり、むち打ったりしていたことを、彼らはよく知っています。</p><p>20 また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの着物の番をしていたのです。』</p><p>21 すると、主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす』と言われました。」</p><p><br></p><p><strong>パウロの弁明（5）</strong></p><p><strong>神殿での幻</strong></p><p>「こうして私がエルサレムに帰り、宮で祈っていますと、夢ごこちになり、主を見たのです。主は言われました。『急いで、早くエルサレムを離れなさい。･･･』」。（1）この幻の記録は、ここにしか出て来ない。①ダマスコ体験から、エルサレムに上るまでの間に、約3 年間の時間の経過があった（9：20 ～ 22 参照）。②その間パウロは、アラビヤに滞在したようである（使9：21 と22 の間にそれが入る。ガラ1：17 も参照）。（2）3 年間のパウロの地理的移動をまとめると、次のようになる。①回心直後のダマスコ会堂での伝道、②アラビヤ滞在（現在のヨルダン）、③ダマスコへの帰還と迫害からの逃避とうひ、④エルサレム訪問と迫害からの逃避、⑤タルソへの帰還。（3）パウロは、エルサレムの神殿で祈っていた。①この説明は、ユダヤ人たちに好印象を与えたと思われる。②主は再び、パウロに語りかけた。「急いで、早くエルサレムを離れなさい」。パウロを殺したいと思っている者がたくさんいた。③「人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです」。主は、ユダヤ人たちの心を見抜いておられた。<br>「そこで私は答えました。『主よ。私がどの会堂ででも、あなたの信者を牢に入れたり、むち打ったりしていたことを、彼らはよく知っています。また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私もその場にいて、･･･』」。（1）パウロは、主の判断に同意しなかった。①ユダヤ人たちは、パウロが信者を容赦なく迫害して来たことを知っていた。②ステパノの殉教の際にも、パウロは重要な役割を果たしていた。（2）主よりも自分の方がよく分かっていると思ってしまうのは、人間の弱さである。ペテロの例（マタ16：21 ～ 23）や12 使徒たちの例（マタ26：31 ～ 35）がある。<br>「すると、主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす』と言われました」。（1）主は、エルサレムがステパノ同様パウロを拒否することを知っておられた。「行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす」。ここでは、「王たち、イスラエルの子孫」が意図的に省略され、異邦人が強調されている（使9：15 ～ 16 参照）。<br>異邦人は、「以前は遠く離れていた」と言われている（エペ2：13）。パウロは、主によって異邦人伝道に派遣された使徒である。神は、私たち異邦人のために救いの道を用意してくださった。神から愛されていることを喜び、誇ほころうではないか。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い父なる神さま。私も、以前は遠く離れていた者でしたが、恵みによって近い者とされました。あなたの愛を喜び、誇ります。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://youtu.be/kUUGTVMcIAc" />
         <pubDate>2025-03-27 20:47:37 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き22：22 ～ 24</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3387165492</link>
         <description><![CDATA[<p>22 人々は、彼の話をここまで聞いていたが、このとき声を張り上げて、「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない」と言った。</p><p>23 そして、人々がわめき立て、着物を放り投げ、ちりを空中にまき散らすので、</p><p>24 千人隊長はパウロを兵営の中に引き入れるように命じ、人々がなぜこのようにパウロに向かって叫ぶのかを知ろうとして、彼をむち打って取り調べるようにと言った。</p><p><br/></p><p><strong>ユダヤ人たちの反応</strong></p><p><strong>声を張り上げるユダヤ人たち</strong></p><p>「人々は、彼の話をここまで聞いていたが、このとき声を張り上げて、『こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない』と言った」。（1）ここまで人々はパウロの話を静かに聞いて来た。パウロが見た2 つの幻（ダマスコ途上での幻と神殿での幻）の話が、効果を発揮し始めたかに見えた。（2）ところが、人々は突然怒りの感情を表した。①「異邦人」という言葉をパウロの口から聞いたからである。②彼らは、異邦人伝道そのものに反対しているのではない。旧約聖書では、ニネベで宣教した預言者ヨナの例がある。パリサイ人たちも、異邦人をユダヤ教に改宗させようとしていた。マタイ23：15 には、こうある。「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは改宗者をひとりつくるのに、海と陸とを飛び回り、改宗者ができると、彼を自分より倍も悪いゲヘナの子にするのです」。（3）彼らが問題視したのは、ユダヤ教を経由しないで、異邦人に直接メシアを伝えることである。これは、異邦人をユダヤ人と同じ位置に置くことに等しい。伝統的なユダヤ人の考え方では、これは究極的な背教である。<br>「そして、人々がわめき立て、着物を放り投げ、ちりを空中にまき散らすので、千人隊長はパウロを兵営の中に引き入れるように命じ、･･･」。人々は怒りを表現した。①ここでは、投げるものがないので、着物とちりを投げているのであろう。②彼らは、着物を放り投げた（着物を裂くのは、深い落胆の表現である）。③ちりを空中にまき散らすのは、嘆きの表現である。</p><p><br/></p><p><strong>聖霊によって語ったパウロ</strong></p><p>ユダヤ人たちはパウロのスピーチを拒否したが、パウロが聖霊によって語っていたことは明白である。（1）パウロは、このスピーチを事前に用意していたわけではない。このスピーチをパウロに与えたのは、聖霊である。（2）ここでは、主イエスの約束が成就している。マタイ10：19 ～ 20 には、こういう約束がある。「人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです」<br>私たちには、福音を証しする機会が多く与えられている。話すべき言葉は聖霊が与えてくださることを確信し、大胆に証言しようではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。福音を語る時、話すべき言葉は聖霊が与えてくださいます。恐れることなく、大胆に語れるよう助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-03-28 21:09:17 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き22：25 ～ 29</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3387709394</link>
         <description><![CDATA[<p>25 彼らがむちを当てるためにパウロを縛ったとき、パウロはそばに立っている百人隊長に言った。「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むち打ってよいのですか。」</p><p>26 これを聞いた百人隊長は、千人隊長のところに行って報告し、「どうなさいますか。あの人はローマ人です」と言った。</p><p>27 千人隊長はパウロのところに来て、「あなたはローマ市民なのか、私に言ってくれ」と言った。パウロは「そうです」と言った。</p><p>28 すると、千人隊長は、「私はたくさんの金を出して、この市民権を買ったのだ」と言った。そこでパウロは、「私は生まれながらの市民です」と言った。</p><p>29 このため、パウロを取り調べようとしていた者たちは、すぐにパウロから身を引いた。また千人隊長も、パウロがローマ市民だとわかると、彼を鎖につないでいたので、恐れた。</p><p><br/></p><p><strong>千人隊長との対話</strong></p><p><strong>取り調べ</strong></p><p>（1）アラム語が分からない千人隊長は当惑した。①暴動がこれ以上広がることは容認できない。②パウロを保護し、その後取り調べを行うしかない。（2）千人隊長は、群衆が怒っている理由を何としても知りたいと思った。そこで、パウロをむちで打って自白させようとした。①ローマのむち打ちは、非常に残酷なもので、死に至ることもあった。②パウロはユダヤ人から5 度、ローマ人から3 度、むちを受けた（2 コリ11：24 ～ 25）。（3）パウロは、立ったまま両手両足を2本の柱にくくり付けられた。①むち打ちが始まる直前に、パウロは百人隊長に言った。「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むち打ってよいのですか」。②ローマ市民を裁判にかけずに犯罪人扱いするのは、違法であった。さらに、ローマ市民は有罪であっても、むち打ちを免れた。③これらの規定に違反するなら、その者は死刑になる。百人隊長は、死刑に値する罪を犯す寸前に、パウロがローマ市民であるという情報を得たのである。</p><p><br/></p><p><strong>むち打ちの中止</strong></p><p>（1）百人隊長は、むち打ちを中止し、千人隊長にこのことを報告した。①百人隊長は、ことばだけでパウロがローマ市民であることを信じた。②当時は、市民権の証明書は安全な場所に保管されていた。③ 偽いつわりの自己申告をすると、死刑に処せられた。（2）千人隊長はすぐにパウロのところに来た。①パウロから直接、ローマ市民であるという証言を聞いた。②彼もまた、パウロの証言をそのまま信じた。（3）彼は、「私はたくさんの金を出して、この市民権を買ったのだ」と言った。これは、「あなたの場合は、もっと金がかかった（賄賂わいろ）でしょう」という意味である。クラウデオの治世（41 ～ 54 年）、市民権を買うことが可能であった（高額）。（4）パウロは「私は生まれながらの市民です」と答えた。①パウロの祖父か父が市民権を得た。②ローマの高官によく仕えた者には、報奨ほうしょうとして市民権が付与されていた。③生まれながらの市民は、市民権を買った者よりも尊敬されていた。（5）ローマ市民を裁判にかけないで鎖につなぐのは、違法である。百人隊長も千人隊長も、自分たちは違法行為を働いたのではないかと恐れた。<br>パウロは、ローマの市民権を用いて正当な取り調べを要求することができた。私たちも、神から与えられているこの世での立場や経験、自分を取り巻く状況などを、奉仕のために活用することができる。この点に関して、主からの知恵を求めようではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。この世での立場や経験、状況は、奉仕のために用いることができると知りました。どうか、知恵を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=YC0-b987E2A" />
         <pubDate>2025-03-29 21:35:12 UTC</pubDate>
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      </item>
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         <title>使徒の働き22：30</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3388246673</link>
         <description><![CDATA[<p>30 その翌日、千人隊長は、パウロがなぜユダヤ人に告訴されたのかを確かめたいと思って、パウロの鎖くさりを解いてやり、祭司長たちと全議会の召集を命じ、パウロを連れて行って、彼らの前に立たせた。</p><p><br/></p><p><strong>サンヘドリンの前に立つパウロ（1）</strong></p><p><strong>文脈の確認</strong></p><p>①パウロを神殿で見かけたユダヤ人たちは、騒動を起こした。②殺される寸前で、千人隊長の介入があった。③パウロは、千人隊長の許可を得て、群衆に語りかけた。④パウロが異邦人伝道について話し始めると、群衆は激怒した。⑤千人隊長はパウロを拘束し、むちを打って自白させようとした。⑥しかしパウロがローマ市民であることを知り、計画を変更した。それが、サンヘドリンの召集である。</p><p><br/></p><p><strong>サンヘドリンの召集</strong></p><p>「その翌日、千人隊長は、パウロがなぜユダヤ人に告訴されたのかを確かめたいと思って、パウロの鎖を解いてやり、祭司長たちと全議会の召集を命じ、パウロを連れて行って、彼らの前に立たせた」。（1）千人隊長は、パウロがなぜ問題の原因になっているのか理解できなかった。①神殿内の秩序を維持することは、彼の責務である。②そこで彼は、ユダヤ議会（サンヘドリン）をアントニア要塞に召集した。目的は、パウロに宗教的罪があるかどうか、サンヘドリンに裁かせるためである。（2）パウロに問題がないと分かれば、パウロを釈放することになる。サンヘドリンが、パウロに政治的罪があると言えば、ローマの総督に裁きを委ねることになる。（3）サンヘドリンがキリストとその弟子たちの主張を審議するのは、これで6 回目である。①ヨハネ11：47 ～ 53（ラザロ蘇生の報告を受けて）、②マタイ26：57 ～ 68（イエスの裁判）、③使徒4：5 ～ 22（ペテロとヨハネの尋問）、④使徒5：21～ 40（12 使徒たちの尋問）、⑤使徒6：12 ～7：60（ステパノの尋問）、⑥使徒23：1 ～ 10（パウロの尋問）。（4）大祭司アナニヤについて触れておこう。①紀元47 年～ 59 年に、大祭司であった（ローマの任命による）。政治的には、極めて親ローマの立場であった。②ヨセフスは、アナニヤを軽蔑すべき人間として描いている。一般の祭司に渡すべき什一じゅういち献金を私物化した。ローマの高官に賄賂を渡した。目的のためには、暗殺者を用いることも厭いとわなかった。③紀元66 年（この裁判から約9 年後）、アナニヤはユダヤ人たちによって暗殺された。<br>サンヘドリンの議員の中には、かつてのパウロの同僚たちもいたことであろう。主の恵みがなければ、パウロもその中に座していたはずである。しかし、パウロは今、主イエスを信じる信仰のゆえに、尋問される側にいる。このことはパウロにとっては特権であった。私たちにも同じ特権が与えられていることを覚えようではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>聖なる神よ。私も、主イエスを信じる信仰によって、この世から取り出された者です。その特権を喜びとし、大胆に歩めるよう導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=pX5T4KLpCAw" />
         <pubDate>2025-03-30 21:11:33 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3388246673</guid>
      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き23：1 ～ 5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3389832754</link>
         <description><![CDATA[<p>1 パウロは議会を見つめて、こう言った。「兄弟たちよ。私は今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活して来ました。」</p><p>2 すると大祭司アナニヤは、パウロのそばに立っている者たちに、彼の口を打てと命じた。</p><p>3 そのとき、パウロはアナニヤに向かってこう言った。「ああ、白く塗ぬった壁かべ。神があなたを打たれる。あなたは、律法に従って私をさばく座に着きながら、律法にそむいて、私を打てと命じるのですか。」</p><p>4 するとそばに立っている者たちが、「あなたは神の大祭司をののしるのか」と言ったので、</p><p>5 パウロが言った。「兄弟たち。私は彼が大祭司だとは知らなかった。確かに、『あなたの民の指導者を悪く言ってはいけない』と書いてあります。」</p><p><br/></p><p><strong>サンヘドリンの前に立つパウロ（2）</strong></p><p><strong>パウロの主張（1 ～ 2 節）</strong></p><p>千人隊長は、パウロがなぜ問題の原因になっているのかを探るために、ユダヤ議会（サンヘドリン）をアントニア要塞に召集した。<br>（1）「兄弟たちよ」は、ユダヤ人たちが使っていた正式な呼びかけである。パウロは、自分がユダヤ教に忠実であることを示そうとしたのである。（2）「私は今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活して来ました」。さらにパウロは、自分の行為は御心に反することでも、ユダヤ教の伝統に反することでもないと主張した。（3）大祭司アナニヤは、そばにいた兵者たちに、パウロの口を打つように命じた。パウロが「全くきよい良心」に言及したので、大祭司が怒ったのである。彼は、パウロは有罪だという予断に基づいて行動している。ちなみに、彼はサドカイ派だが、パウロはパリサイ派である。（4）主イエスも同じような経験をされた。「･･･そばに立っていた役人のひとりが、『大祭司にそのような答え方をするのか』と言って、平手でイエスを打った」（ヨハ18：20 ～ 22）</p><p><br/></p><p><strong>白く塗った墓（3 ～ 5 節）</strong></p><p>（1）ユダヤ教の律法では、有罪が証明されるまでは、無罪と見なされた。しかしアナニヤは、尋問じんもん前にパウロを打てと命じた。パウロは激怒した。律法の執行者が、律法に反する行いをしたからである。（2）パウロはアナニヤに向かって、「白く塗った壁」（しっくいで上塗りされた壁）と叫んだ。外側は美しいが、内側は汚れているという意味である（エゼ13：10～ 16、マタ23：27 参照）。（3）さらに、「神があなたを打たれる」と預言した。あなたが私を打ったように、神はあなたを打たれるという意味である。この預言は、紀元66 年に成就した。（4）議員たちは、大祭司の命令には驚かなかったが、パウロの言葉には驚いた。彼らは、「あなたは神の大祭司をののしるのか」と言った。（5）パウロは、彼を打つように命じた人物が、大祭司であることを知らなかった。あるいはこれは、パウロ独特の皮肉なのかもしれない。パウロは、「確かに、『あなたの民の指導者を悪く言ってはいけない』と書いてあります」と応じた。これは、出エジプト22：28 からの引用である。律法は、個人的な資質とは無関係に、大祭司の職を敬うように命じている。<br>指導的地位に置かれた者は、自らの偽善ぎぜんに注意する必要がある。自分だけは特別だという思いが、堕落だらくの原因になるからである。主を恐れることを学ぼうではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私は、あなたを恐れます。偽善にではなく、謙遜に歩むことができますよう、助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=3RLhR0aH2mU" />
         <pubDate>2025-03-31 20:31:05 UTC</pubDate>
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      </item>
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         <title>使徒の働き23：6 ～ 11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3391576463</link>
         <description><![CDATA[<p>6 しかし、パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見て取って、議会の中でこう叫んだ。「兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」</p><p>7 彼がこう言うと、パリサイ人とサドカイ人との間に意見の衝突が起こり、議会は二つに割れた。</p><p>8 サドカイ人は、復活はなく、御使いも霊もないと言い、パリサイ人は、どちらもあると言っていたからである。</p><p>9 騒ぎがいよいよ大きくなり、パリサイ派のある律法学者たちが立ち上がって激しく論じて、「私たちは、この人に何の悪い点も見いださない。もしかしたら、霊か御使いかが、彼に語りかけたのかもしれない」と言った。</p><p>10 論争がますます激しくなったので、千人隊長は、パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないかと心配し、兵隊に、下に降りて行って、パウロを彼らの中から力ずくで引き出し、兵営に連れて来るように命じた。</p><p>11 その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」と言われた。</p><p><br/></p><p><strong>サンヘドリンの前に立つパウロ（3）</strong></p><p><strong>作戦の変更（6 ～ 10 節）</strong></p><p>「しかし、パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見て取って、議会の中でこう叫んだ。『兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです』」。（1）正当な尋問を受けられないと判断したパウロは、作戦を変更した。①サンヘドリンは、サドカイ派の議員と、パリサイ人の議員から成っていた。②両者は、死者の復活に関して意見が異なっていた（これは百年以上続く論争となっていた）。（2）パウロは、自分がパリサイ人であることを宣言した。「死者の復活という望み」は、パウロの宣教の土台である。（3）その結果、サンヘドリンは、2 つに割れた。サドカイ人は、復活、天使、悪霊などを信じなかった。そのため、パリサイ人とサドカイ人の間に意見の衝突が起こったのである。（4）パリサイ派は、パウロの側に付いた。彼らは、パウロが無罪であることを認定し、パウロが見た2 つの幻（ダマスコ途上、神殿の中）を認め始めた。<br>「論争がますます激しくなったので、千人隊長は、パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないかと心配し、兵隊に、下に降りて行って、パウロを彼らの中から力ずくで引き出し、兵営に連れて来るように命じた」。千人隊長は、ユダヤ人たちが騒ぎを起こしている理由が全く分からない。ユダヤ人の議論は、騒々そうぞうしいものである。このままでは、パウロの命が危ない。そこで千人隊長は、パウロを保護し、兵営に連行するように命じた。そして、サンヘドリンの議論は、そのまま続けさせた。<br>パウロは、自分はパリサイ人であるという自己認識を持っていた。（1）パリサイ派の基本的な教理を保持していたからである。①死者の復活、②魂たましいの不滅、③永遠の報酬ほうしゅうと裁き、④天使と悪霊の存在、⑤神の主権（人間の責務とのバランス）、⑥ヘブル語聖書（旧約聖書）の権威などを信じていた。（2）パリサイ人は、キリストを信じてからも、パリサイ人に留まることができた（律法に関する理解は、変化せざるを得ない）。しかしサドカイ人は、その信仰を変えなければ、クリスチャンになることはできない。つまり、死者の復活を信じなければクリスチャンになることはできないということである。<br>私たちクリスチャンは、死者の復活と魂の不滅を信じている。主イエスは確かに復活された。この確信を抱いだきながら、日々歩もう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>聖なる神よ。死者の復活と魂の不滅を信じます。きょうも、イエスが復活された事実に確信を抱きつつ歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-04-01 20:21:06 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>使徒の働き23：6 ～ 11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3393306614</link>
         <description><![CDATA[<p>6 しかし、パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見て取って、議会の中でこう叫んだ。「兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」</p><p>7 彼がこう言うと、パリサイ人とサドカイ人との間に意見の衝突が起こり、議会は二つに割れた。</p><p>8 サドカイ人は、復活はなく、御使いも霊もないと言い、パリサイ人は、どちらもあると言っていたからである。</p><p>9 騒ぎがいよいよ大きくなり、パリサイ派のある律法学者たちが立ち上がって激しく論じて、「私たちは、この人に何の悪い点も見いださない。もしかしたら、霊か御使いかが、彼に語りかけたのかもしれない」と言った。</p><p>10 論争がますます激しくなったので、千人隊長は、パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないかと心配し、兵隊に、下に降りて行って、パウロを彼らの中から力ずくで引き出し、兵営に連れて来るように命じた。</p><p>11 その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」と言われた。</p><p><br></p><p><strong>サンヘドリンの前に立つパウロ（4）</strong></p><p><strong>主からの励まし（11 節）</strong></p><p>「その夜、主がパウロのそばに立って、『勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない』と言われた」。（1）パウロは、困難な状況からどうしたら抜け出せるか思案していた。ちょうどその夜、主がパウロのそばに立たれた。（2）主からの幻は、例外なしにパウロが危機的状況に置かれた時に与えられている（使9：5、18：9 ～ 10、22：17 ～ 21、23：11 参照）。（3）主からの励ましのことばを見てみよう。①「勇気を出しなさい」。パウロは落胆していたのである。②「あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように」。これは、パウロの忠実な奉仕に対するお褒ほめのことばである。③「ローマでもあかしをしなければならない」。これは、ローマでの伝道に関する使命意識を確信させるためのことばである。その確信が、パウロの忍耐心の源泉となる。<br>いかなる困難が襲って来ても、最後は主の計画が成就する。これは、私たちの確信でもある。</p><p><br></p><p><strong>パウロが伝える福音の神髄</strong></p><p>パウロの福音の神髄しんずいは、キリストの復活である。（1）パウロには、サンヘドリンの前での証言は、これが最後であるという認識があった。それゆえ彼は、最も重要なメッセージを伝えたのである。（2）イエスが復活したという歴史的事実こそが、キリスト教の土台である。復活という事実により、イエスこそヘブル語聖書が約束していたメシアであることが証明された。（3）使徒26 章に出て来るアグリッパ王への弁明でも、パウロは、イエスの復活をその中心に置くことになる。「･･･王よ。私は、この希望のためにユダヤ人から訴えられているのです。神が死者をよみがえらせるということを、あなたがたは、なぜ信じがたいこととされるのでしょうか」（使26：7 ～ 8）。「こうして、私はこの日に至るまで神の助けを受け、堅く立って、小さい者にも大きい者にもあかしをしているのです。そして、預言者たちやモーセが、後に起こるはずだと語ったこと以外は何も話しませんでした。すなわち、キリストは苦しみを受けること、また、死者の中からの復活によって、この民と異邦人とに最初に光を宣べ伝える、ということです」（使26：22 ～ 23）<br>私たちが伝えるべき福音とは、キリストの死と復活である。キリストの復活は、初穗はつほとしての復活（最初の復活）である。ここに、すべての人にとっての希望の光がある。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。主イエスの復活は初穂としての復活でした。ここに希望の光があります。福音のために用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-04-02 20:53:20 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き23：12 ～ 15</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3395047509</link>
         <description><![CDATA[<p>12 夜が明けると、ユダヤ人たちは徒党を組み、パウロを殺してしまうまでは飲み食いしないと誓い合った。</p><p>13 この陰謀いんぼうに加わった者は、四十人以上であった。</p><p>14 彼らは、祭司長たち、長老たちのところに行って、こう言った。「私たちは、パウロを殺すまでは何も食べない、と堅く誓い合いました。</p><p>15 そこで、今あなたがたは議会と組んで、パウロのことをもっと詳しく調べるふりをして、彼をあなたがたのところに連れて来るように千人隊長に願い出てください。私たちのほうでは、彼がそこに近づく前に殺す手はずにしています。」</p><p><br/></p><p><strong>パウロ殺害の陰謀</strong></p><p><strong>文脈の確認</strong></p><p>これまでの文脈を確認しよう。①千人隊長はユダヤ議会（サンヘドリン）を招集し、パウロの主張を吟味させた。②パウロは、死者の復活を取り上げ、サドカイ人とパリサイ人を対立させた。③議会が大混乱に陥ったので、千人隊長はパウロを議会から力ずくで引き出した。④その夜、主は幻を通してパウロに語りかけた。⑤夜が明けると、ユダヤ人たちはパウロ殺害の陰謀を企くわだてた。</p><p><br/></p><p><strong>パウロ殺害の陰謀（12 ～ 15 節）</strong></p><p>（1）翌朝、ユダヤ人たちは、パウロ殺害の陰謀を企てた。なんと40 人以上がこの陰謀に荷担した。当時、律法に違反した者を裁判なしに罰することは、珍しくはなかった。イエスご自身も、このことを弟子たちに警告された。「人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます」（ヨハ16：2）。（2）40 人以上のユダヤ人たちが、自らを厳粛げんしゅくな誓約の下に置いた。ギリシア語の「アナテマティゾウ」の訳文を比較してみる。①「誓い合った」（新改訳）、②「呪いをかけて誓った」（新改訳2017）、③「誓いを立てた」（新共同訳）、④「誓い合った」（口語訳）。彼らは、「誓約を破ったら呪われてもよい」という誓約をしたのである（マタ26：74 のペテロの誓い参照）。（3）この陰謀が失敗したら、どうなるのか。当時のユダヤ教は、このような誓いから解かれる方法を用意していた。① 贖あがないのいけにえを神殿でささげれば、誓約から解かれる。②状況が変化した場合は、誓約から解かれる。③間違った情報に基づいて誓約した場合は、誓約から解かれる。④一時的な感情に基づいて誓約した場合は、誓約から解かれる。（4）陰謀を企てた者たちは、指導者たち（祭司長たち、長老たち）のところに行った。そして、呪いをかけた誓いを立てたと告げた。（5）サンヘドリンを陰謀に巻き込むというのが、彼らの計画であった。①神殿内の部屋で議会を開き、パウロをもっと詳しく調べるふりをする。②千人隊長に、パウロをアントニア要塞から神殿に連れて来るように依頼する。③移動距離は短いが、途中で待ち伏せして、パウロを殺す。<br>彼らは、ローマ兵（護衛兵）たちとの衝突を予期していたはずである。つまり、命を賭としてでもパウロを殺害しようとしたのである。ここでのユダヤ人たちを駆かり立てる原動力は、憎しみと怒りである。私たちに関しては、そうであってはならない。イエス・キリストの弟子は、愛の動機で行動を起こすものである。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私もキリストの弟子として、愛の動機で行動することができるよう、助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=dKTIwbBgXzw" />
         <pubDate>2025-04-03 21:13:14 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き23：16 ～ 21</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3396526564</link>
         <description><![CDATA[<p>16 ところが、パウロの姉妹の子が、この待ち伏せのことを耳にし、兵営に入ってパウロにそれを知らせた。</p><p>17 そこでパウロは、百人隊長のひとりを呼んで、「この青年を千人隊長のところに連れて行ってください。お伝えすることがありますから」と言った。</p><p>18 百人隊長は、彼を連れて千人隊長のもとに行き、「囚人しゅうじんのパウロが私を呼んで、この青年があなたにお話しすることがあるので、あなたのところに連れて行くようにと頼みました」と言った。</p><p>19 千人隊長は彼の手を取り、だれもいない所に連れて行って、「私に伝えたいことというのは何か」と尋ねた。</p><p>20 すると彼はこう言った。「ユダヤ人たちは、パウロについてもっと詳しく調べようとしているかに見せかけて、あす、議会にパウロを連れて来てくださるように、あなたにお願いすることを申し合わせました。</p><p>21 どうか、彼らの願いを聞き入れないでください。四十人以上の者が、パウロを殺すまでは飲み食いしない、と誓い合って、彼を待ち伏せしているのです。今、彼らは手はずを整えて、あなたの承諾しょうだくを待っています。」</p><p><br/></p><p><strong>陰謀の発覚</strong></p><p><strong>パウロの姉妹の子（16 ～ 21 節）</strong></p><p>「ところが、パウロの姉妹の子が、この待ち伏せのことを耳にし、兵営に入ってパウロにそれを知らせた。そこでパウロは、百人隊長のひとりを呼んで、『この青年を千人隊長のところに連れて行ってください。お伝えすることがありますから』と言った」。パウロの家族（親戚）への言及は、新約聖書ではここだけである。（1）パウロの姉妹の子（パウロの甥おい）が、パウロに対する陰謀があることを聞いた。どのようにして知ったのかは分からないが、考えられる可能性はいくつかある。①もし彼が熱心党の一員だったなら、陰謀について知ることができたはずである。あるいは、②陰謀について話し合われているのを、偶然耳にした。③家族の政治的人脈を通して、陰謀に関する情報を得た、など。（2）彼は、ユダヤ人たちが待ち伏せすることを、パウロに知らせた。パウロはローマ市民なので、丁重な扱いを受けていた。そのため彼は、家族、親戚、友人などをアントニア要塞に迎えることができたのである。さらに、百人隊長に助けを依頼することもできた。<br>「百人隊長は、彼を連れて千人隊長のもとに行き、『囚人のパウロが私を呼んで、この青年があなたにお話しすることがあるので、あなたのところに連れて行くようにと頼みました』と言った。･･･」。（1）百人隊長は、パウロの甥を千人隊長のところに連れて行った。（2）千人隊長は、誰もいない所にパウロの甥を連れて行き、話を聞いた。できる限り、パウロに優しくしようとしているのである。（3）この甥は、何歳くらいなのか。①青年は、ギリシア語の「ネアニアス」である。②通常は、20代、30 代の男性を指すが、それより若い場合もある。③千人隊長は、彼の手を取っているので、パウロの甥はまだ子どもだと考えられる。<br>「すると彼はこう言った。『ユダヤ人たちは、パウロについてもっと詳しく調べようとしているかに見せかけて、あす、議会にパウロを連れて来てくださるように、あなたにお願いすることを申し合わせました。どうか、彼らの願いを聞き入れないでください。四十人以上の者が、パウロを殺すまでは飲み食いしない、と誓い合って、彼を待ち伏せしているのです。･･･』」。この子は、ユダヤ人たちの陰謀を千人隊長に詳しく告げた。また、彼らの願いを聞き入れないで欲しいと懇願こんがんした。<br>神は、ご自身の計画を成就するために、子どもをお用いになることもある。神の見えざる御手を見る霊的目は、私たちの信仰生活を導く羅針盤らしんばんのようである。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能なる神よ。あなたはその見えざる御手によって、私を導いてくださっています。その導きを見る霊的目を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=VtTHxQlZriA" />
         <pubDate>2025-04-04 21:42:02 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き23：22 ～ 24</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3397083716</link>
         <description><![CDATA[<p>22 そこで千人隊長は、「このことを私に知らせたことは、だれにも漏もらすな」と命じて、その青年を帰らせた。</p><p>23 そしてふたりの百人隊長を呼び、「今夜九時、カイザリヤに向けて出発できるように、歩兵二百人、騎兵きへい七十人、槍兵そうへい二百人を整えよ」と言いつけた。</p><p>24 また、パウロを乗せて無事に総督ペリクスのもとに送り届けるように、馬の用意もさせた。</p><p><br/></p><p><strong>千人隊長の対応</strong></p><p><strong>即決する千人隊長</strong></p><p>「そこで千人隊長は、『このことを私に知らせたことは、だれにも漏らすな』と命じて、その青年を帰らせた」。（1）千人隊長は、この面会について誰にも話さないように命じ、この子を帰らせた。（2）千人隊長は、すぐに行動を起こす必要があると感じた。彼の判断力は非常に優れている。①彼は、大祭司アナニヤが残虐ざんぎゃくな人物であることを知っていた。パウロの甥がもたらした情報は信頼できる。②彼は、エルサレムにいる限り、いつかパウロは殺されるだろうと感じていた。③彼にとっては、自分がユダヤに駐留している期間にローマ市民が殺されることは、決して好ましいことではなかった。<br>「そしてふたりの百人隊長を呼び、『今夜九時、カイザリヤに向けて出発できるように、歩兵二百人、騎兵七十人、槍兵二百人を整えよ』と言いつけた。また、パウロを乗せて無事に総督ペリクスのもとに送り届けるように、馬の用意もさせた」。（1）彼は、パウロを直ちにカイザリヤに移動させることにした。カイザリヤは、総督が滞在する町である。当時の総督は、ペリクスであった（ポンテオ・ピラトが就いていた役職と同じ）。（2）パウロをカイザリヤに移送するために、470 人から成る衛兵隊が結成された。①歩兵200 人、②騎兵70 人、③槍兵200 人。この人数は、アントニア要塞に駐留している兵士の数の約半分である。（3）夜9時に、パウロと衛兵たちはエルサレムを出発した。千人隊長は、パウロのために馬の用意までした。これ以降、パウロがエルサレムに戻ることは2 度となかった。</p><p><br/></p><p><strong>神の守りの御手</strong></p><p>この箇所から、神が働かれる方法は、人間が期待する方法とは異なるということを学ぼう。（1）ローマの市民権。パウロがローマ市民でなければ、エルサレムで殺害されていたであろう。彼は、ローマ市民であるがゆえに保護された。さらに、甥の訪問を受けたり、百人隊長に甥を千人隊長のもとに案内するように依頼したりすることができた。（2）子ども。パウロの甥は、すでに確認したように子どもであった。主イエスは、子どもを高く評価された（マタ18：2 ～ 7）。また、5 つのパンと2 匹の魚を差し出したのも子どもであった（ヨハ6：8 ～ 9）。（3）ローマ兵。パウロを敵から救い、カイザリヤに運んだのはローマ兵たちであった。<br>以上の例から分かるのは、神の方法は、人間の方法とは異なるということである。神の働きを、人間の狭せまい理解の中に閉じ込めてはならない。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。あなたは、人間の方法とは異なる方法で働かれます。きょうも、その御手によって導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-04-05 21:30:07 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き23：25 ～ 30</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3397686755</link>
         <description><![CDATA[<p>25 そして、次のような文面の手紙を書いた。</p><p>26 「 クラウデオ・ルシヤ、つつしんで総督そうとくペリクス閣下かっかにごあいさつ申し上げます。</p><p>27 この者が、ユダヤ人に捕らえられ、まさに殺されようとしていたとき、彼がローマ市民であることを知りましたので、私は兵隊を率いて行って、彼を助け出しました。</p><p>28 それから、どんな理由で彼が訴えられたかを知ろうと思い、彼をユダヤ人の議会に出頭させました。</p><p>29 その結果、彼が訴えられているのは、ユダヤ人の律法に関する問題のためで、死刑や投獄に当たる罪はないことがわかりました。</p><p>30 しかし、この者に対する陰謀があるという情報を得ましたので、私はただちに彼を閣下のもとにお送りし、訴える者たちには、閣下の前で彼のことを訴えるようにと言い渡しておきました。」</p><p><br/></p><p><strong>総督への手紙</strong></p><p><strong>クラウデオ・ルシヤからペリクスへの手紙</strong></p><p>千人隊長は、パウロをカイザリヤに移送するに際して、総督に手紙を書いた。（1）千人隊長の名前は、クラウデオ・ルシヤである。恐らく彼は、クラウデオ帝の治世に、ローマの市民権を金で買ったのであろう。（2）手紙の宛先は、総督ペリクスである。①「閣下」は、「クラティストス」で、正式なローマの称号である。ルカ1：3 で、ルカは同じ言葉を使っている（「尊敬するテオピロ殿」）。②ペリクスは、紀元52 年から59 年までユダヤの総督であった。兄パッラスは、クラウデオ帝の下で権勢を誇った解放奴隷で、ペリクス自身も、クラウデオ帝の母の解放奴隷だった。ペリクスがユダヤ総督になったのは、解放奴隷を地方官に任命するというクラウデオ帝の政策によるものである。③彼の武力による統治は、過激な反ローマ主義者（シカリ党）の徹底的な反抗に遭った。④先のことになるが、カイザリヤで異邦人とユダヤ人の争いが生じた時、彼は多数のユダヤ人を殺害した。そのため、ユダヤ人の代表たちは、彼を訴えるためにローマまで行った。この時は、兄パッラスの介入によって処罰を免れることができた。（3）ネロ帝の代になると、ペリクスに代えてフェストがユダヤの総督に任命された。歴史家タキトゥスの『年代記』には、「ペリクスの統治は、奴隷の心情で王権を行使したものであった」と書かれている。<br>「この者が、ユダヤ人に捕らえられ、まさに殺されようとしていたとき、彼がローマ市民であることを知りましたので、私は兵隊を率いて行って、彼を助け出しました。それから、どんな理由で彼が訴えられたかを知ろうと思い、彼をユダヤ人の議会に出頭させました。･･･」。（1）この部分は、虚実とりまぜた内容になっている。彼は、パウロがローマ市民であることを知ったので、兵隊を率いて行って彼を助けたと書いている。しかし実際は、パウロを逮捕した後で、彼がローマ市民であることを知った。さらに、パウロをムチで打とうとしたことは省はぶいている。（2）千人隊長は、混乱の原因はユダヤ人の律法に関する問題で、パウロには死刑や投獄に当たる罪はないと判断した。（3）陰謀があるという情報を得たので、パウロを閣下のもとにお送りするので、よろしくお願いしたい。<br>神は、パウロをカイザリヤに移動させるための方法として、ローマ軍をお用いになった。神は、私たちの予想や期待をはるかに超えて働かれる。きょうも、摂理の御手に期待しよう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能なる神よ。あなたの御心は、人の予想や期待をはるかに超えるものです。きょうも、あなたを信頼しつつ歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=ZCQ3WIXV6LU" />
         <pubDate>2025-04-06 21:03:57 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き23：31 ～ 33</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3399470187</link>
         <description><![CDATA[<p>31 そこで兵士たちは、命じられたとおりにパウロを引き取り、夜中にアンテパトリスまで連れて行き、</p><p>32 翌日、騎兵たちにパウロの護送を任せて、兵営に帰った。</p><p>33 騎兵たちは、カイザリヤに着き、総督に手紙を手渡して、パウロを引き合わせた。</p><p><strong>エルサレムからカイザリヤへ</strong></p><p><strong>文脈の確認</strong></p><p>①パウロ殺害の陰謀が発覚した。②このことを千人隊長に知らせたのは、パウロの甥であった。③千人隊長は、直ちにパウロをカイザリヤに移送することにした。④歩兵200 人、騎兵70 人、槍兵200 人を護衛ごえい部隊とした。⑤千人隊長は、総督宛の手紙を用意した。⑥エルサレム出発は、パウロにとってはローマに向かう旅の始まりであった。</p><p><br/></p><p><strong>エルサレムからカイザリヤへ</strong></p><p>「そこで兵士たちは、命じられたとおりにパウロを引き取り、夜中にアンテパトリスまで連れて行き、翌日、騎兵たちにパウロの護送を任せて、兵営に帰った」。（1）行程の第一段階は、エルサレムからアンテパトリスまでの移動である。①アンテパトリスは、エルサレムから約60 キロ北西にある町で、かつてはクファル・サバと呼ばれていた。ヘロデ大王が父に敬意を表して、アンテパトリスと命名した。現在この町は、元の名前のクファル・サバになっている。②兵士たちは、夜を徹して移動した。行程は、ユダの山地→シェフェラー（低地）→アンテパトリスである。途中森林地帯を通過するので、伏兵に襲われる危険性があった。そこで一行は、大急ぎで移動し、明るくなる頃にはアンテパトリスに着いた。（2）行程の第二段階は、アンテパトリスからカイザリヤまでの移動である。①カイザリヤまでは約45 キロの道のりである。ここまで来ると、平地が続き、伏兵に襲われる危険性もなくなる。さらに、ユダヤ人人口が少ない地域に入っているので、安全である。②アンテパトリスに着くと、400 人の兵士たちはエルサレムに帰って行った。残った70 人の騎兵が、パウロをカイザリヤまで送り届けるのである。（3）彼らは、3 つの任務を完了した。①カイザリヤに着いた。②総督に千人隊長からの手紙を渡した。③総督にパウロを引き渡した。（4）当時の総督は、アントニウス・ペリクスである。①彼は、紀元52 年から59 年までユダヤの総督であった。②彼は、解放奴隷がローマ属州の総督となった最初の人物で、目的のためには手段を選ばないという政治手法を採用した（3 回にわたる政略結婚）。③「ペリクスの統治は、奴隷の心情で王権を行使したものであった」（タキトゥス）<br>パウロはカイザリヤで、この邪悪な総督ペリクスと対峙することになる。その結果、2 年に渡って足止めを食うのである。これは、パウロが望んだことではないが、ここには霊的教訓がある。すべてのことに神の時がある。逃れの道が見えないような時でも、神の御業は前進している。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。いかなる時も、あなたは御業を前進しておられます。あなたの時を待つ忍耐を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-04-07 21:04:04 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き23：34 ～ 35</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3401325874</link>
         <description><![CDATA[<p>34 総督は手紙を読んでから、パウロに、どの州の者かと尋ね、キリキヤの出であることを知って、</p><p>35 「 あなたを訴える者が来てから、よく聞くことにしよう」と言った。そして、ヘロデの官邸に彼を守っておくように命じた。</p><p><br/></p><p><strong>総督による予備審問</strong></p><p><strong>総督による予備審問</strong></p><p>（1）総督は千人隊長からの手紙を読み、パウロの出身地を尋ねた。①その出身地に別の統治者がいる場合は、その者に裁判の優先権がある。②ルカ23：6 ～7 には、「それを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ねて、ヘロデの支配下にあるとわかると、イエスをヘロデのところに送った。ヘロデもそのころエルサレムにいたからである」とある。（2）ところで、パウロはキリキヤの出である。そこには別の統治者がいないので、ペリクスが裁判を担当することになった。しかし、訴える者がいないと裁判にならないので、エルサレムからユダヤ人たちが到着するのを待つことになった。（3）ユダヤ人たちが来るまでの間、パウロはヘロデの官邸に収監された。①「ヘロデの官邸」とは、ヘロデ大王が建設した建物である。②そこには、いくつかの監獄が設置されていた。③パウロの生活は、かなり快適なものであったと思われる。彼はローマ市民であった。さらに、罪を犯したかどで正式に訴えられているわけでもなかった。（4）ペリクスの頭の中にあるのは、邪悪な思いだけである。彼は、次の2 つのことを考えていた。①いかにしてユダヤ人の機嫌取りをするか。②いかにしてパウロから賄賂わいろを取り上げるか。</p><p><br/></p><p><strong>カイザリヤでの2 年間</strong></p><p>今後の展開の予習である。（1）パウロは、約2 年間カイザリヤに収監されることになる。①彼は、2 人の総督と1 人の王の前で弁明する。②これは、使徒9：15 の成就である。「あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です」。（2）ペリクスによる裁判は、3 つに区分することができる。①パウロに対するユダヤ人たちの訴え（24：1 ～ 9）。②訴えに対するパウロの弁明（24：10 ～ 21）。③ペリクスの応答（24：22 ～ 27）。ルカは、それぞれの部分にほぼ均等なスペースを割いている。その意図は、ペリクスが有罪宣言を出せなかったことを示すことにある。ユダヤ人たちは巧妙な訴えを起こした。またペリクスは、邪悪な総督であった。にもかかわらず、有罪宣言が出なかったのである。<br>ユダヤ教がキリスト教を迫害する理由は明白である。ユダヤ教の希望は、復活のイエスにおいて成就したとのキリスト教の主張が、ユダヤ人たちを激怒させたのである。私たちもまた、パウロが宣べ伝えた復活のイエスを伝える。主イエスは、今も生きておられる。これは、ユダヤ人にとっても異邦人にとっても、希望の光である。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。復活のイエスこそ、私たちの希望の光です。どうか、希望を述べ伝える者として、私を用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
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         <pubDate>2025-04-08 20:12:57 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き23：34 ～ 35</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3403189403</link>
         <description><![CDATA[<p>34 総督は手紙を読んでから、パウロに、どの州の者かと尋ね、キリキヤの出であることを知って、</p><p>35 「 あなたを訴える者が来てから、よく聞くことにしよう」と言った。そして、ヘロデの官邸に彼を守っておくように命じた。</p><p><br/></p><p><strong>神の時に関する考察</strong></p><p><strong>聖書の事例</strong></p><p>聖書には、神の時を待つことの重要性を教える事例が多く出て来る。代表的なものを取り上げてみよう。<br>（1）サラの場合：神の計画は、年老いた夫婦（アブラハムとサラ）から約束の息子が誕生するというものであった。しかし、サラには神の時を待つという忍耐心がなかった。彼女は、いわば「神の前を歩く女」になった。ついに彼女は、女奴隷ハガルによって子を得ようとした。これは、当時の習慣からすると不道徳なことではなかったが、神の計画に反していた。ハガルはイシュマエルを生んだ。その結果、イシュマエルの子孫とイサクの子孫の葛藤かっとうが今日まで続くことになる。<br>（2）ヨセフの場合：ヨセフは、逆境の中でも神を称えることができた人物である。彼は、兄たちの手で奴隷に売られた。エジプトに行ったヨセフは、パロの廷臣で侍従長のポティファルのもとに住むことになった。彼は忠実に働いたが、ポティファルの妻から濡ぬれ衣ぎぬを着せられ、投獄されることになる。監獄生活の中で、彼はエジプト王の献酌官長と調理官長の2 人に出会った。彼らはともに不吉な夢を見るのだが、それをヨセフが解き明かした。献酌官長には良い解き明かしが、調理官長には悪い解き明かしが与えられた。獄から解放された献酌官長は、その後ヨセフのことをすっかり忘れた。それから2 年後、ファラオは夢を見る。ここから、ヨセフがエジプトの宰相に上り詰めるというドラマが急展開する。<br>（3）モーセの場合：モーセの120 年の生涯は、3 つに区分することができる。①エジプトでの40 年間、②ミディアンでの40年間、③イスラエルの民を導く40 年間。彼は、神の器となるために80 年間の訓練を必要としたのである。<br>（4）パウロの場合：①パウロは、エルサレムで2 回証言をした。ユダヤ人の群衆に対して、またサンヘドリンに対して。②彼は、カイザリヤで3 回証言をした。ペリクスに対して、フェストに対して、そしてヘロデ・アグリッパⅡ世に対して。③カイザリヤでの2 年間は、ローマという伝道の大舞台を用意するための期間であった。<br>神は眠ってはおられない。ヘブル10：36～ 39 にはこうある。「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。『もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。･･･』 私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です」</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。今も、あなたのご計画は前進し続けています。どうか、あなたの時を待つ忍耐を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-04-09 20:20:36 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き24：1 ～ 9</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3405074299</link>
         <description><![CDATA[<p>1 五日の後、大祭司アナニヤは、数人の長老およびテルトロという弁護士といっしょに下って来て、パウロを総督に訴えた。</p><p>2 パウロが呼び出されると、テルトロが訴えを始めてこう言った。「ペリクス閣下。閣下のおかげで、私たちはすばらしい平和を与えられ、また、閣下のご配慮で、この国の改革が進行しておりますが、</p><p>3 その事実をあらゆる面において、また至る所で認めて、私たちは心から感謝しております。</p><p>4 さて、あまりご迷惑をおかけしないように、ごく手短に申し上げますから、ご寛容をもってお聞きくださるようお願いいたします。</p><p>5 この男は、まるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人という一派の首領でございます。</p><p>6 この男は宮さえもけがそうとしましたので、私たちは彼を捕らえました。</p><p>8 閣下ご自身で、これらすべてのことについて彼をお調べくださいますなら、私たちが彼を訴えております事がらを、おわかりになっていただけるはずです。」</p><p>9 ユダヤ人たちも、この訴えに同調し、全くそのとおりだと言った。</p><p><br></p><p><strong>ユダヤ人たちの訴え</strong></p><p><strong>弁護士テルトロ</strong></p><p>「五日の後、大祭司アナニヤは、数人の長老およびテルトロという弁護士といっしょに下って来て、パウロを総督に訴えた」。（1）彼らは、パウロがエルサレムを発ってから5 日後にやって来た。パウロに対する憎しみがいかに激しかったかが分かる。（2）大祭司アナニヤと議員たちが、弁護士のテルトロを伴って来た。テルトロはラテン名である（パウロのようにヘレニストのユダヤ人である可能性が大）。弁護士というギリシア語は「レトロス」で、雄弁家を意味する。一行の中には、最初にパウロを捕えたエペソからのユダヤ人たちも、陰謀を企てた40人のユダヤ人たちも、いなかった。（3）テルトロは、ペリクスに対してお世辞（へつらい）の言葉を使いながら、論述を始めた。①「閣下」（クラティストス）は、ペリクスよりも高位の人に使うタイトルである。②「すばらしい平和を与えられ」は半分事実であるが、その平和は恐怖政治の結果である。③「私たちは心から感謝しております」は、その平和をパウロが乱しているという訴えをするための準備である。④「ごく手短に申し上げますから、」とあるが、今も昔も、話し手は短く話すと言いながら、長くなることが多い。<br>「この男は、まるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人という一派の首領でございます。･･･」。（1）3 つの訴えがなされた（すべて政治的な意味を持っている）。①世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている。この男は、ペストのような存在である。②ナザレ人という一派（異端）の首領である。ユダヤ教はローマの公認宗教であった。テルトロが「ナザレ人という一派」という用語を使った理由は、パウロの信仰はユダヤ教とは別のもので、異端であるとの印象を与えるためである。③宮さえも汚そうとした。ローマ帝国は、神殿を汚した者の死刑を認めていた。それゆえ、パウロを死刑に処すべきであるという理屈が成り立つ。（2）「私たちは彼を捕らえました」は嘘うそである。暴動を起こしたのは、ユダヤ人たちである。イエスもまた同様の訴えを受けられた（ルカ23：2）。（3）同席していたユダヤ人は、訴えの内容に同意した。<br>私たちも、悪意や誤解に基づく非難を受けることがある。そのような場合、どうすればよいのか。主イエスやパウロが、そのような体験を通過していることを思い起こそう。神の前で恥じることない生活をしているなら、心は平安で満たされる。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い父なる神さま。私も、信仰のゆえに非難を受けることがあります。どうか、この心を平安で満たしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=EG4TLhbK04k" />
         <pubDate>2025-04-10 20:53:53 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き24：10 ～ 21</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3406653122</link>
         <description><![CDATA[<p>10 そのとき、総督がパウロに、話すようにと合図したので、パウロはこう答えた。「閣下が多年に渡り、この民の裁判をつかさどる方であることを存じておりますので、私は喜んで弁明いたします。</p><p>11 お調べになればわかることですが、私が礼拝のためにエルサレムに上って来てから、まだ十二日しかたっておりません。</p><p>12 そして、宮でも会堂でも、また市内でも、私がだれかと論争したり、群衆を騒がせたりするのを見た者はありません。</p><p>13 いま私を訴えていることについて、彼らは証拠をあげることができないはずです。</p><p>14 しかし、私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えていることを、閣下の前で承認いたします。私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることとを全部信じています。</p><p>15 また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。</p><p>16 そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。</p><p>17 さて私は、同胞に対して施ほどこしをし、また供え物をささげるために、幾年ぶりかで帰って来ました。</p><p>18 その供え物のことで私は清めを受けて宮の中にいたのを彼らに見られたのですが、別に群衆もおらず、騒ぎもありませんでした。ただアジヤから来た幾人かのユダヤ人がおりました。</p><p>19 もし彼らに、私について何か非難したいことがあるなら、自分で閣下の前に来て訴えるべきです。</p><p>20 でなければ、今ここにいる人々に、議会の前に立っていたときの私にどんな不正を見つけたかを言わせてください。</p><p>21 彼らの中に立っていたとき、私はただ一言、『死者の復活のことで、私はきょう、あなたがたの前でさばかれているのです』と叫んだにすぎません。」</p><p><br></p><p><strong>訴えに対するパウロの弁明</strong></p><p><strong>パウロの弁明</strong></p><p>パウロは、ペリクスは5 年以上もユダヤ総督を務めているので、ユダヤ人のことに関して的確な判断を下すことができるはずであると言う。<br>「お調べになればわかることですが、私が礼拝のためにエルサレムに上って来てから、まだ十二日しかたっておりません。･･･」。1 番目の訴えに対する反論（世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている）：①エルサレムに上って来てから、まだ12 日しか経っていない。②だれかと論争したり、群衆を騒がせたりしたことはない。③訴えている者たちは、証拠を上げることができないはずである。<br>「しかし、私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えていることを、閣下の前で承認いたします。･･･」。（1）2 番目の訴えに対する反論（ナザレ人という一派の首領である）：①自分が信じている内容は、異端ではなく、「この道」である。②その信仰は、旧約聖書から出たものである。③自分は、復活の希望を抱いている。④それゆえ、良心を保つように最善を尽くしている。（2）大祭司アナニヤはサドカイ人でなので、復活を信じていなかった。パウロが訴えられているのは、宗教的な理由からである。<br>「さて私は、同胞に対して施しをし、また供え物をささげるために、幾年ぶりかで帰って来ました。･･･」。（1）3 番目の訴えに対する反論（宮さえも汚そうとした）：①エルサレムに上ったのは、同胞に施しをし、供え物をささげるためである。②自分は異邦人を神殿に連れ込んでいない。③アジアから来た幾人かのユダヤ人が一緒にいただけである。（2）最初に神殿でパウロを捕えた者たちは、ここにはいない。①彼ら自身が総督の前で訴えるべきである。②彼らがいないということは、パウロを訴える理由がないということである。（3）今パウロを訴えている者たちが、パウロの不正を証明すべきである。①彼らは、サンヘドリンでの裁判の際に、そこにいた。②パウロは、「死者の復活のことで、私はきょう、あなたがたの前でさばかれているのです」と叫んだだけである。パウロは、弁明しながら伝道している。（4）ペリクスは、微妙な立場に置かれた。①ユダヤ人たちの神学論争に介入せねばならない。②しかし、ユダヤ人たちの機嫌を損ねたくない。<br>何が正しい道であるかを知りながら、それに従わない人は災いである。ペリクスは、まさにそのような人であった。私たちに関しては、神を恐れつつ正しい選びをしようではないか。</p><p><br></p><p>きょうの祈り</p><p>聖なる神よ。あなたは、あなたを恐れる人に選ぶべき道を教えてくださいます。正しい選びができるよう助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-04-11 20:36:53 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3406653122</guid>
      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き24：10 ～ 21</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3407335930</link>
         <description><![CDATA[<p>10 そのとき、総督がパウロに、話すようにと合図したので、パウロはこう答えた。「閣下が多年に渡り、この民の裁判をつかさどる方であることを存じておりますので、私は喜んで弁明いたします。</p><p>11 お調べになればわかることですが、私が礼拝のためにエルサレムに上って来てから、まだ十二日しかたっておりません。</p><p>12 そして、宮でも会堂でも、また市内でも、私がだれかと論争したり、群衆を騒がせたりするのを見た者はありません。</p><p>13 いま私を訴えていることについて、彼らは証拠をあげることができないはずです。</p><p>14 しかし、私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えていることを、閣下の前で承認いたします。私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることとを全部信じています。</p><p>15 また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。</p><p>16 そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。</p><p>17 さて私は、同胞に対して施ほどこしをし、また供え物をささげるために、幾年ぶりかで帰って来ました。</p><p>18 その供え物のことで私は清めを受けて宮の中にいたのを彼らに見られたのですが、別に群衆もおらず、騒ぎもありませんでした。ただアジヤから来た幾人かのユダヤ人がおりました。</p><p>19 もし彼らに、私について何か非難したいことがあるなら、自分で閣下の前に来て訴えるべきです。</p><p>20 でなければ、今ここにいる人々に、議会の前に立っていたときの私にどんな不正を見つけたかを言わせてください。</p><p>21 彼らの中に立っていたとき、私はただ一言、『死者の復活のことで、私はきょう、あなたがたの前でさばかれているのです』と叫んだにすぎません。」</p><p><br/></p><p><strong>復活信仰</strong></p><p><strong>パウロの弁明の中心</strong></p><p>先に進む前に、聖書は復活について何と教えているのかを確認してみよう。<br>「･･･私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることとを全部信じています。また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。･･･」。<br>（1）パウロの弁明は、伝道メッセージになっている。その中心は、復活である。①パウロは、復活は旧約聖書に預言されている真理であると主張する。②復活を信じているかどうかで、その人の生き方が決まる。パウロは、良心に恥じないように歩んでいる。③キリスト教は、復活信仰である。キリストは、私の罪のために死なれたのか。キリストは、復活されたのか。この2 つの問いにどう答えるかで、その人の運命が決まる。<br>（2）パウロは、義人の復活と悪人の復活を信じている。①パウロが義人と悪人の復活に言及するのは、新約聖書ではここだけである。②義人と悪人の復活を教える聖句としては、ダニエル12：2、ヨハネ5：28～ 29 などがある。<br>（3）聖書は、第一の復活と第二の復活を区別している。第一の復活（黙20：5 ～ 6）に与るのは、信者だけである。①第一の復活には順番がある。初穂としてのキリストの復活、携挙の時点での教会の聖徒たちの復活、千年王国開始時点での旧約の聖徒たちと大患難時代の殉教者たちの復活。②「この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる」。第二の死とは、永遠の滅びのことである。③キリストを信じる者は、肉体の死は経験するが、永遠の滅びに入ることはない。<br>（4）不信者の復活は、第二の復活と呼ばれる（黙20：13 ～ 15）。①第二の復活は千年王国の終わりに起こる。つまり、第一の復活と第二の復活の間には、千年間の隔たりがある。②第二の復活も、順を追って起こる。反キリストの復活、白い御座の裁きの前のあらゆる時代の未信者たちの復活。反キリストの復活と未信者たちの復活の間には、千年間の隔たりがある。③第一の復活は、神からの栄誉を受けるためのものだが、第二の復活は、神からの裁きを受けるためのものである。④未信者は、その肉体とたましいが合体し、白い御座の裁きを受ける。<br>キリストの復活を信じることは、キリストの贖いのわざを信じることでもある。キリストを救い主として受け入れた人は、神との平和を手に入れた人である。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>父なる神よ。キリストは確かに復活されました。キリストにあって、信者は復活に与ります。きょうも、この希望を抱きつつ歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-04-12 21:28:08 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き24：22 ～ 23</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3407930636</link>
         <description><![CDATA[<p>22 しかしペリクスは、この道について相当詳しい知識を持っていたので、「千人隊長ルシヤが下って来るとき、あなたがたの事件を解決することにしよう」と言って、裁判を延期した。</p><p>23 そして百人隊長に、パウロを監禁するように命じたが、ある程度の自由を与え、友人たちが世話をすることを許した。</p><p><br/></p><p><strong>ペリクスの応答</strong></p><p><strong>ペリクスの心境</strong></p><p>前回確認したように、ペリクスは微妙な立場に追い込まれた。彼には、パウロが訴えられている理由は宗教的なものであること、また、パウロが無罪であることは分かっていた。判決を下すことは、ユダヤ人たちの神学論争に介入することである。もしパウロを無罪にすると、ユダヤ人たちの機嫌を損ねることになる。それだけはどうしても避けたい。唯一の選択肢は、裁判の延期である。これがこの時のペリクスの心境である。</p><p><br/></p><p><strong>裁判の延期</strong></p><p>「しかしペリクスは、この道について相当詳しい知識を持っていたので、『千人隊長ルシヤが下って来るとき、あなたがたの事件を解決することにしよう』と言って、裁判を延期した。そして百人隊長に、パウロを監禁するように命じたが、ある程度の自由を与え、友人たちが世話をすることを許した」。（1）ペリクスは、「この道」について相当詳しい知識を持っていた。①彼の妻は、ユダヤ人のドルシラである。彼女は、ヘロデ・アグリッパⅠ世の娘である。ユダヤ人である彼女が、「この道」について夫のペリクスに情報を提供した可能性は大である。②また、ユダヤから来たローマ人やユダヤ人が情報源になった可能性もある。③さらに、ローマ帝国内の他の地域に住む人たちも情報源になったのかもしれない。（2）ペリクスは、パウロを無罪にするよりも、ユダヤ人たちとの平和を維持しようとした。①彼は、千人隊長が来るまで裁判を延期すると宣言した。②しかし、ペリクスには千人隊長をカイザリヤに呼ぶつもりはない。千人隊長の手紙で、パウロが無罪であることを知っていたからである。③かくして、裁判は無期限に延期された。④ここから、カイザリヤでの2 年間の拘留生活が始まる。（3）パウロは、ユダヤ人たちから隔離された。①ローマ市民であるパウロには、ある程度の自由が与えられた。②友人たちが、パウロの世話をした。アリスタルコ、ルカ、伝道者ピリポなどがパウロに仕えたのであろう。<br>ローマに行くというパウロの計画は挫折したかに見えるが、神の計画は確実に前進している。パウロは、神の時に、神の方法で、ローマに行くことになる。私たちの人生にも同じことが起こる。神が私たちに約束されたことは、神の時に、神の方法で実現する。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。あなたのご計画は確実に前進しています。あなたの時と方法を待つ忍耐を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-04-13 20:38:21 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き24：24 ～ 27</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3409552203</link>
         <description><![CDATA[<p>24 数日後、ペリクスはユダヤ人である妻ドルシラを連れて来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスを信じる信仰について話を聞いた。</p><p>25 しかし、パウロが正義と節制とやがて来る審判とを論じたので、ペリクスは恐れを感じ、「今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう」と言った。</p><p>26 それとともに、彼はパウロから金をもらいたい下心があったので、幾度もパウロを呼び出して話し合った。</p><p>27 二年たって後、ポルキオ・フェストがペリクスの後任になったが、ペリクスはユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロを牢につないだままにしておいた。</p><p><br/></p><p><strong>ペリクスへの伝道（1）</strong></p><p><strong>文脈の確認</strong></p><p>ユダヤ総督ペリクスの前でパウロの裁判が行われた。パウロが無罪であることは明白であったが、ペリクスは、「千人隊長ルシヤが下って来るとき、あなたがたの事件を解決することにしよう」と言って裁判を延期し、パウロを監禁状態に置いた（ある程度の自由を与え、友人たちが世話をすることを許した）。この裁判によって、ペリクスはパウロの話に興味を持ったようである。</p><p><br/></p><p><strong>パウロから話を聞くペリクスとドルシラ</strong></p><p>「数日後、ペリクスはユダヤ人である妻ドルシラを連れて来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスを信じる信仰について話を聞いた」。（1）ペリクスと妻ドルシラは、「この道」に興味を示した。①「この道」は、「キリスト教」よりも本質を突いた言葉である。②パウロは近くに幽閉ゆうへいされているので、呼び出して話を聞くのは容易であった。③彼らは、パウロを呼び出したが、これは正式な裁判ではない。恐らく妻ドルシラがパウロから話を聞くことを希望したのであろう。<br>（2）ドルシラは、ペリクスの3 番目の妻である。ペリクスは、自らの地位を上げるために結婚を利用したのである。①ドルシラは、かつてはシリアの小国エメサの王アジザスの妻であった。②ペリクスは、16歳の彼女を誘惑して離婚させ、自分の妻にした。③ペリクスと結婚したドルシラは、この当時20 歳前後になっていた。<br>（3）ドルシラの家系を確認しておこう。①「ユダヤ人である妻ドルシラ」とあるが、厳密にはイドマヤ人である。イドマヤ人は、イスラエル人とエドム人の混血である。②彼女は、ヘロデ・アグリッパⅠ世の3 人姉妹の末娘である（マリアンネ、ベルニケ、ドルシラ）。③彼女の兄は、ヘロデ・アグリッパⅡ世である。<br>（4）ヘロデ家の人々は、神に敵対した人々であった。①ドルシラの父ヘロデ・アグリッパⅠ世は、ヤコブを殺し、ペテロを投獄した人物である（12：1 ～ 3）。②ドルシラの兄のヘロデ・アグリッパⅡ世は、パウロを裁くことになる（26 章）。③大叔父ヘロデ・アンティパスは、バプテスマのヨハネを殺した人物である（マタ14：10 ～ 11）。④曾祖父ヘロデ大王は、ベツレヘムの2 歳以下の子どもを殺した人物である（マタ2：16）。<br>ヘロデ家の人々は悪魔の手先として生きた。彼らは、この世の権力は手に入れたが、永遠の秩序の視点からは、実に悲劇的な人々である。私たちの生き方は、「私と私の家とは、【主】に仕える」（ヨシ24：15）というものである。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたに敵対する道は、実に悲劇的です。私においては、あなたを恐れ、あなたにお従いします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-04-14 20:16:18 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き24：24 ～ 27</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3411306269</link>
         <description><![CDATA[<p>24 数日後、ペリクスはユダヤ人である妻ドルシラを連れて来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスを信じる信仰について話を聞いた。</p><p>25 しかし、パウロが正義と節制とやがて来る審判とを論じたので、ペリクスは恐れを感じ、「今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう」と言った。</p><p>26 それとともに、彼はパウロから金をもらいたい下心があったので、幾度もパウロを呼び出して話し合った。</p><p>27 二年たって後、ポルキオ・フェストがペリクスの後任になったが、ペリクスはユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロを牢につないだままにしておいた。</p><p><br></p><p><strong>ペリクスへの伝道（2）</strong></p><p><strong>福音を伝えるパウロ</strong></p><p>「しかし、パウロが正義と節制とやがて来る審判とを論じたので、ペリクスは恐れを感じ、『今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう』と言った」。<br>（1）パウロは、ペリクスに向かって3 つのことを論じた。「正義と節制とやがて来る審判」がそれである。①正義とは、神の義と聖さの水準のことである。信仰に入るための第一歩は、神に関する正しい認識である。②節制とは、人の罪の深さの指摘である。放縦ほうじゅうな生活に関しては、ペリクスとドルシラ夫婦がその第一人者である。ペリクスの政治と結婚は、不義に満ちたものであった。③やがて来る審判とは、死後の審判のことである。主イエスの血潮によって罪の赦しを得ていなければ、火の池で苦しむことになる。以上の3 点は、伝道する際に伝えなければならない基本的要素である。<br>（2）ペリクスは、パウロの話を聞いて恐れを感じた。①彼は、神学的議論を期待していたが、道徳的生活がテーマになった。②パウロの話は力強かったので、彼は大いに恐れた。彼には、罪の自覚が十分にあったのである。③しかし、妻のドルシラが恐れたとは書かれていない。恐らく平気だったのだろう。彼女の内には、ヘロデ家の血が流れている。<br>（3）ペリクスは恐れたが、信仰の決断は先延ばしにした。①彼は、「今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう」と言った。②ここで起こっている悲劇を見逃してはならない。邪悪なペリクスに救いの手が差し伸べられた。また、家系そのものが堕落していたドルシラにも救いの手が差し伸べられた。彼らには、史上最高の説教者が与えられた。彼らがいた部屋は、聖なる空間となった。しかし、彼らが信仰を告白したという証拠はない。③やがてドルシラは、ベスビオ山の噴火で、ペリクスとの間に生まれた子と一緒に死ぬことになる。まるで火の池での裁きを象徴しているかのような最期である。<br>人の心は、決断を先延ばしにすればするほど頑かたくなになる。いつでも決心することができると思ってはならない。2 コリント6：2 を心に刻もう。「神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」。今が恵みの時である。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。今は恵みの時、救いの日です。一人でも多くの人が救いに至ることを願います。どうか、私を用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-04-15 20:31:15 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>使徒の働き24：24 ～ 27</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3412899343</link>
         <description><![CDATA[<p>24 数日後、ペリクスはユダヤ人である妻ドルシラを連れて来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスを信じる信仰について話を聞いた。</p><p>25 しかし、パウロが正義と節制とやがて来る審判とを論じたので、ペリクスは恐れを感じ、「今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう」と言った。</p><p>26 それとともに、彼はパウロから金をもらいたい下心があったので、幾度もパウロを呼び出して話し合った。</p><p>27 二年たって後、ポルキオ・フェストがペリクスの後任になったが、ペリクスはユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロを牢につないだままにしておいた。</p><p><br/></p><p><strong>ペリクスへの伝道（3）</strong></p><p><strong>パウロの3 ポイントメッセージと主イエスの教え</strong></p><p>前回確認したように、パウロは、ペリクスに向かって3 つのことを論じた。「正義と節制とやがて来る審判」がそれである。「しかし、パウロが正義と節制とやがて来る審判とを論じたので、ペリクスは恐れを感じ、『今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう』と言った」<br>主イエスの教えもまた、同じ3 つのポイントがテーマになっている。イエスが去っていかなければ、助け主（聖霊）が弟子たちのところに来ない。もし去って行くなら、イエスは助け主（聖霊）を弟子たちのところに遣わす。悲しみは、神の視点から見ると、大きな祝福が来る前の準備である。<br>ヨハネ16：8 ～ 11 は、イエスが弟子たちのところに遣わす聖霊の働きについて、教えている。「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです」。（1）聖霊は私たちに罪を示す。ここで言う罪とは、究極的罪、不信仰の罪である。パウロが節制について論じたのは、ペリクスの罪を指摘するためである。（2）聖霊は私たちに義を示す。メシアであるイエスは、神の義を達成して父なる神のもとに昇られた。私たちは、このイエスを信じることによってのみ、義と認められる。パウロが正義について論じたのは、神の義の水準を示すためである。（3）聖霊は私たちに最後の裁きを示す。この世を支配する者（サタン）はすでに裁かれた。従って、サタンに従う者はすべて最終的に裁かれる。パウロもまた、やがて来る審判について論じた。以上のことから、パウロの話の内容は聖霊の働きに沿ったものであることが分かる。<br>伝道の主役は聖霊であることを確認しよう。私たちも、聖霊の導きに従って伝道に励もうではないか。①聖霊は人々に真理を示す。②聖霊はメシアであるイエスの栄光を表す。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。人々を真理に導き、救いに至らせるのは聖霊です。聖霊の導きに従いつつ、伝道に励みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=O2SDlTLp9uQ" />
         <pubDate>2025-04-16 20:16:10 UTC</pubDate>
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      </item>
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         <title>使徒の働き24：24 ～ 27</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3414327521</link>
         <description><![CDATA[<p>24 数日後、ペリクスはユダヤ人である妻ドルシラを連れて来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスを信じる信仰について話を聞いた。</p><p>25 しかし、パウロが正義と節制とやがて来る審判とを論じたので、ペリクスは恐れを感じ、「今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう」と言った。</p><p>26 それとともに、彼はパウロから金をもらいたい下心があったので、幾度もパウロを呼び出して話し合った。</p><p>27 二年たって後、ポルキオ・フェストがペリクスの後任になったが、ペリクスはユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロを牢につないだままにしておいた。</p><p><br/></p><p><strong>ペリクスへの伝道（4）</strong></p><p><strong>その後の展開</strong></p><p>「それとともに、彼はパウロから金をもらいたい下心があったので、幾度もパウロを呼び出して話し合った」。（1）ペリクスは、何度もパウロを呼び出し、話し合った。パウロの話を聞いて信じるためではなく、パウロから賄賂を受け取るためである。ローマ法によれば、総督が囚人から賄賂をもらうのは違法である。しかし、このようなことはよく行われていた。（2）ペリクスは、こう考えた。①パウロは、異邦人信者からの献金をエルサレムに持って来た。②つまり、彼には資金を集める力がある。③彼が声をかければ、友人たちが資金を集めるに違いない。それが賄賂の原資になる。<br>「二年たって後、ポルキオ・フェストがペリクスの後任になったが、ペリクスはユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロを牢につないだままにしておいた」。（1）「二年たって後」とある。つまり、パウロのカイザリヤでの幽閉は2 年に及んだ。（2）2 年経った時、ローマ本国はユダヤ総督ペリクスを罷免ひめんした。カイザリヤでユダヤ人と異邦人（主にギリシア人）の紛争が起こった時、ペリクスは、多くのユダヤ人たちを虐殺ぎゃくさつした。そこで、カイザリヤのユダヤ人指導者たちは、カイザルに直訴するためにローマに上った。直訴の結果、ポルキオ・フェストが後任に任命されることになった。（3）カイザリヤを去ることになっても、ペリクスはパウロを解放しなかった。ユダヤ人に恩を売るためである。彼は、自らの立場を守るために、ユダヤ人からの支持を必要としていた。</p><p><br/></p><p><strong>2 年の意味</strong></p><p>2 年の幽閉生活にどういう意味があるのか、考えてみよう。（1）クロノスとカイロスを区別しておこう。①クロノスとは、人間の主観的時である。②カイロスとは、神の時である。（2）パウロにとってのカイロスとは、何か。この2 年間は、パウロがローマでデビューするための準備期間であった。（3）ルカにとってのカイロスとは、何か。①ルカは、パウロのそばで彼の証言を聞き、初期の教会に関する情報を集めた。②さらに、パウロを訪ねて来る信者たちから種々の証言を聞いたことだろう。③ルカは、ルカの福音書と使徒の働きを書くための資料集めをしたのである。④ルカの福音書と使徒の働きの前半は、この期間に書かれた可能性が大である（ルカ1：1 ～ 3）。ルカにとっても、カイザリヤの2 年には大いに意味があった。私たちも、神の視点から「時」を理解することを学ぼうではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>聖なる神よ。すべてのことには、定められた時があります。どうか、あなたの視点から、時を見ることができるよう、助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=4XGUKSJRgJo" />
         <pubDate>2025-04-17 20:55:48 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き25：1 ～ 5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3415345155</link>
         <description><![CDATA[<p>1 フェストは州総督として着任すると、三日後にカイザリヤからエルサレムに上った。</p><p>2 すると、祭司長たちとユダヤ人のおもだった者たちが、パウロのことを訴え出て、</p><p>3 パウロを取り調べる件について自分たちに好意を持ってくれるように頼み、パウロをエルサレムに呼び寄せていただきたいと彼に懇願した。彼らはパウロを途中で殺害するために待ち伏せをさせていた。</p><p>4 ところが、フェストは、パウロはカイザリヤに拘置されているし、自分はまもなく出発の予定であると答え、</p><p>5 「 だから、その男に何か不都合なことがあるなら、あなたがたのうちの有力な人たちが、私といっしょに下って行って、彼を告訴しなさい」と言った。</p><p><br/></p><p><strong>新総督フェスト</strong></p><p><strong>文脈の確認</strong></p><p>カイザリヤでのパウロの幽閉ゆうへいが2 年も続いた。その頃、ローマ本国はユダヤ総督ペリクスを罷免ひめんし、後任にポルキオ・フェストが任命された。ペリクスは、ユダヤ人に恩を売るため、パウロを幽閉したままにしておいた。</p><p><br/></p><p><strong>ユダヤ人たちの懇願</strong></p><p>新総督フェストは、前任のペリクスと比較すると、かなり有能な人物として知られている。ペリクスは暴力で統治したが、フェストは知恵で統治しようとした。（1）彼は、着任の3 日後に、エルサレムに出向いた。エルサレムの重鎮たちと友好な関係を築くためである。（2）ユダヤ人の指導者たちは、新総督に会った。祭司長は24 人おり全員サドカイ派である。「ユダヤ人のおもだった者たち」とは「長老たち」（15 節参照）のことで、彼らはパリサイ派の議員たちである。（3）ユダヤ人たちがパウロを告発してから2 年が経過していたが、前総督のペリクスは、ユダヤ人たちの願い通りには動かなかった。そこでユダヤ人たちは、新総督が着任した機会を捉え、再びパウロを告訴したのである。彼らの怒りがどれほど激しかったかが分かる。（4）彼らは、審理をエルサレムで行うよう懇願した。エルサレムに移送される間に、パウロを暗殺するためである。もしこの願いを聞いてくれるなら、新総督とユダヤ人の関係は、極めて良好なものになるという言外の意味が、そこには込められていた。<br>ユダヤ人たちはパウロに対して、依然として怒りの感情を抱き続けていた。怒りを抱き続けることは、霊的な窒息死を意味する。時間は必ずしも怒りを癒す要因ではない。怒りの感情をどのように処理すべきか、黙想してみよう。</p><p><br/></p><p><strong>フェストの回答</strong></p><p>フェストは、かなりの情報を得ていたと思われる。パウロをエルサレムに移動させれば、途中で危険が待っていることは予想できた。そこで、知恵ある判断を下した。①パウロはすでにカイザリヤにいる。②自分も間もなくカイザリヤに向かって出発する予定である。③ユダヤ人たちが自分と一緒にカイザリヤに下って行くのが筋すじである。④そうすれば、カイザリヤでパウロの裁判を行おう。<br>この回答の背後には、パウロを守ろうとする神の御手が働いている。神は多様な方法で働くことができる。その中の一つが、支配者の心に働きかけ、ご自身の御心を成就するというものである。今も神は、この世の支配者たちをご自身の権威の下に置いておられる。このお方に全幅の信頼を置いて歩もうではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能なる神よ。いかなる支配者も、あなたの権威の下にあります。私は、あなたに全幅の信頼を置いて歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=MytHVCRryks" />
         <pubDate>2025-04-18 21:19:32 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き25：6 ～ 12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3416124980</link>
         <description><![CDATA[<p>6 フェストは、彼らのところに八日あるいは十日ばかり滞在しただけで、カイザリヤへ下って行き、翌日、裁判の席に着いて、パウロの出廷を命じた。</p><p>7 パウロが出て来ると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちは、彼を取り囲んで立ち、多くの重い罪状を申し立てたが、それを証拠立てることはできなかった。</p><p>8 しかしパウロは弁明して、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、またカイザルに対しても、何の罪も犯してはおりません」と言った。</p><p>9 ところが、ユダヤ人の歓心を買おうとしたフェストは、パウロに向かって、「あなたはエルサレムに上り、この事件について、私の前で裁判を受けることを願うか」と尋ねた。</p><p>10 すると、パウロはこう言った。「私はカイザルの法廷に立っているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。あなたもよくご存じのとおり、私はユダヤ人にどんな悪いこともしませんでした。</p><p>11 もし私が悪いことをして、死罪に当たることをしたのでしたら、私は死をのがれようとはしません。しかし、この人たちが私を訴えていることに一つも根拠がないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカイザルに上訴します。」</p><p>12 そのとき、フェストは陪席ばいせきの者たちと協議したうえで、こう答えた。「あなたはカイザルに上訴したのだから、カイザルのもとへ行きなさい。」</p><p><br/></p><p><strong>フェストによる裁判（1）</strong></p><p><strong>再びカイザリヤにて</strong></p><p>「フェストは、彼らのところに八日あるいは十日ばかり滞在しただけで、カイザリヤへ下って行き、翌日、裁判の席に着いて、パウロの出廷を命じた」。（1）フェストは、短期間（10 日ばかり）のエルサレム滞在を終えてカイザリヤに帰還した。親善のための訪問なので、10 日もあれば十分であった。（2）翌日、彼はローマ法に則のっとって裁判の席に着き、パウロの出廷を命じた。「裁判の席」とは、「裁きの座」（the judgment seat）のことで、通常は公の場に設置された裁判長の席である。パウロの出廷が命じられたが、これは、パウロにとっては、フェストに伝道するチャンスである。（3）エルサレムから下って来たユダヤ人たちが、「多くの重い罪状」を上げて、パウロを訴えた。重い罪状とは、弁護士テルトロが申し立てた内容の繰り返しであろう（使24：5 ～ 6）。①ユダヤ人の律法に対する罪、②宮に対する罪、③カイザルに対する罪。（4）今回は、ローマ人の雄弁家（弁護士）は同行していなかった。ユダヤ人たちは、数にものを言わせてフェストに圧力をかけようとしたのである。しかし、前回同様、彼らは何の証拠も示すことができなかった。（5）ユダヤ人たちの訴えが弱いので、パウロは全否定をするだけでよかった。「私は、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、またカイザルに対しても、何の罪も犯してはおりません」。これは、訴えられている3 つの罪を否認したということである。（6）パウロの弁明は、前任のペリクスに対するものと同じである。ここでフェストは、無罪判決を下すべきであったが、ユダヤ人の歓心を買おうとして、そうはしなかった。</p><p><br/></p><p><strong>ペリクスとフェストの特徴</strong></p><p>（1）彼らは共に、矛盾した性質を内に宿していた。①ペリクスは、パウロの語る福音に興味を示した。と同時に、パウロから賄賂わいろを受け取ろうとした。②フェストは、善良な総督というイメージの提示に腐心ふしんしたが、パウロの裁判においてはユダヤ人を優遇した。（2）両者共に、大祭司やユダヤ人の指導者たちを怒らせることを極度に恐れた。（3）そういう状況下にあっても、パウロは彼らに福音を伝えた。神は、いかなる場合でもご自身のしもべを用いることができる。<br>私たちも、狡猾こうかつな指導者に出会うことがあるが、恐れる必要はない。自分が神から派遣された福音の使者であることを確認し、神のことばを大胆に分かち合おうではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。あなたは、いかなる場合でもご自身のしもべを用いられます。きょうも、福音の使者として、大胆に神のことばを語ります。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-04-19 21:40:15 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き25：6 ～ 12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3416668774</link>
         <description><![CDATA[<p>6 フェストは、彼らのところに八日あるいは十日ばかり滞在しただけで、カイザリヤへ下って行き、翌日、裁判の席に着いて、パウロの出廷を命じた。</p><p>7 パウロが出て来ると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちは、彼を取り囲んで立ち、多くの重い罪状を申し立てたが、それを証拠立てることはできなかった。</p><p>8 しかしパウロは弁明して、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、またカイザルに対しても、何の罪も犯してはおりません」と言った。</p><p>9 ところが、ユダヤ人の歓心を買おうとしたフェストは、パウロに向かって、「あなたはエルサレムに上り、この事件について、私の前で裁判を受けることを願うか」と尋ねた。</p><p>10 すると、パウロはこう言った。「私はカイザルの法廷に立っているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。あなたもよくご存じのとおり、私はユダヤ人にどんな悪いこともしませんでした。</p><p>11 もし私が悪いことをして、死罪に当たることをしたのでしたら、私は死をのがれようとはしません。しかし、この人たちが私を訴えていることに一つも根拠がないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカイザルに上訴します。」</p><p>12 そのとき、フェストは陪席ばいせきの者たちと協議したうえで、こう答えた。「あなたはカイザルに上訴したのだから、カイザルのもとへ行きなさい。」</p><p><br/></p><p><strong>フェストによる裁判（2）</strong></p><p><strong>カイザルへの上訴</strong></p><p>「ところが、ユダヤ人の歓心を買おうとしたフェストは、パウロに向かって、『あなたはエルサレムに上り、この事件について、私の前で裁判を受けることを願うか』と尋ねた」。（1）フェストには、これ以降の裁判の進め方が分からなかった。そこで彼は、新任の総督としてユダヤ人たちの気持ちを忖度そんたくした。彼は、エルサレムでの裁判をパウロに打診した。これは総督としての任務の放棄である。（2）その時点でパウロは、新しい決断の時が来たことを悟った。①エルサレムに上れば、公正な裁きを期待できなくなる。その上、エルサレムに上る途上で暗殺される危険すらある。②かと言って、このままではいつまでもカイザリヤに幽閉されることになる。③最後に残された可能性は、カイザルの法廷に上訴する道である。前509 年以降、ローマ市民にはカイザルに上訴する権利が保障されるようになっていた。上訴とは、ローマの法廷での審理を要求することであり、判決はカイザルから出されることになる。（3）ローマ皇帝のことを「カイザル」と言うが、この称号は、ガイウス・ユリウス・カイザルから出ている（ラテン語ではカエサル）。彼は前44 年に暗殺されたが、後継者のオクタヴィアヌスは、カイザルという名を受け継いだ。その後の皇帝たちもその名を継承したため、「カイザル」が皇帝の称号として定着するようになった。（4）パウロは、ローマ市民としての特権を活かし、カイザルに上訴することにした。ちなみに、パウロが上訴したカイザル（皇帝）は、ネロである。紀元62 年以降、ネロはキリスト教徒を迫害する残忍な皇帝となるのであるが、統治の前半（54～ 62 年）においては、まだ穏健であった。</p><p><br/></p><p><strong>ローマに向かうパウロ</strong></p><p>パウロは、カイザルに上訴することを申し出た。これはフェストの承認を得るところとなり、ついにパウロは、首都ローマに行く機会を手に入れた。長い間祈り続けて来たことが、ようやく実現するのである（ロマ1：10 ～15、15：22～33 など参照）。しかし、その願いが実現する方法は、彼が考えもしなかったようなものであった。祈りの答えが来るまでに、長い時間が経過した。また、予期しなかったような試練に遭った。それでも、神は祈りに答えてくださった。私たちの場合はどうか。神は、私たちの祈りにどのように答えてくださっているのだろうか。いかなる状況にあっても、神が最善を行っておられることを信じよう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたは、必ず祈りに答えてくださいます。いかなる状況でも、最善を行なっておられることを信じます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=Q0yEG5-mUvI" />
         <pubDate>2025-04-20 21:01:08 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き25：13 ～ 22</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3418142411</link>
         <description><![CDATA[<p>13 数日たってから、アグリッパ王とベルニケが、フェストに敬意を表するためにカイザリヤに来た。</p><p><br></p><p>14 ふたりがそこに長く滞在していたので、フェストはパウロの一件を王に持ち出してこう言った。「ペリクスが囚人として残して行ったひとりの男がおります。</p><p><br></p><p>15 私がエルサレムに行ったとき、祭司たちとユダヤ人の長老たちとが、その男のことを私に訴え出て、罪に定めるように要求しました。</p><p><br></p><p>16 そのとき私は、『被告が、彼を訴えた者の面前で訴えに対して弁明する機会を与えられないで、そのまま引き渡されるということはローマの慣例ではない』と答えておきました。</p><p><br></p><p>17 そういうわけで、訴える者たちがここに集まったとき、私は時を移さず、その翌日、裁判の席に着いて、その男を出廷させました。</p><p><br></p><p>18 訴えた者たちは立ち上がりましたが、私が予期していたような犯罪についての訴えは何一つ申し立てませんでした。</p><p><br></p><p>19 ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関することであり、また、死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのでした。</p><p><br></p><p>20 このような問題をどう取り調べたらよいか、私には見当がつかないので、彼に『エルサレムに上り、そこで、この事件について裁判を受けたいのか』と尋ねたところが、</p><p><br></p><p>21 パウロは、皇帝の判決を受けるまで保護してほしいと願い出たので、彼をカイザルのもとに送る時まで守っておくように、命じておきました。」</p><p><br></p><p>22 すると、アグリッパがフェストに、「私も、その男の話を聞きたいものです」と言ったので、フェストは、「では、明日お聞きください」と言った。</p><p><br></p><p>アグリッパ王とベルニケの訪問（1）</p><p>表敬訪問</p><p>アグリッパ王と妹のベルニケが、フェストを表敬訪問するためにやって来た。ローマによって任命された王であるアグリッパが、新総督の着任を歓迎するのは、当然のことである。</p><p>アグリッパ王（ヘロデ・アグリッパⅡ世）の家系と経歴を見てみよう。（1）父は、ヘロデ・アグリッパⅠ世である。彼は、ヤコブを殺し、ペテロも殺そうとしたが失敗した（使12 章）。その後カイザリヤで虫にかまれて死んだ（使12：23参照）。（2）大叔父（父の叔父）は、ヘロデ・アンティパスである。彼は、バプテスマのヨハネの首をはねた（マタ14章）。また、イエスを裁いた（ルカ23章）。（3）曾祖父は、ヘロデ大王である。彼は、ベツレヘムの2 歳以下の男の子を殺した。（4）父が死んだ時、ヘロデ・アグリッパⅡ世は17 歳であった。妹のベルニケとドルシラは、それぞれ16 歳と6 歳であった。（5）彼は、ローマで教育を受け、皇帝クラウデオから好感を抱かれていた。当時30 歳前後で、ガリラヤ地方の王となっていた。彼は、ヘロデ王朝の中では、最も評判の良い人物である（ヘロデ王朝の最後の人物）。</p><p>ベルニケの経歴を見てみよう。（1）初婚は、叔父との結婚であったが、若くして夫と死別した。（2）その後、兄アグリッパと同棲した（近親結婚の様相を呈ていしていた）。（3）最後は、エルサレムを滅ぼした将軍ティトスの妻となった。</p><p><br></p><p>フェストが抱えていた問題</p><p>「ふたりがそこに長く滞在していたので、フェストはパウロの一件を王に持ち出してこう言った」。（1）パウロはカイザルに上訴したが、フェストは具体的な行動を起こしていなかった。パウロをローマの法廷に送るためには、罪状を書かねばならない。しかし、具体的な罪が分からないので、書きようがない。（2）パウロとユダヤ人の論争は、結局のところユダヤ教内部の問題である。つまり、イエスが復活したかどうかという論争である。しかしこれは、ローマ法になじまない。（3）困惑していたフェストは、パウロの一件を持ち出し、アグリッパの助言を求めた。①彼はローマ法に精通している。②ローマによって任命された王である。③ユダヤ人（イドマヤ人）なので、ユダヤ教にも詳しい。④また、神殿の管理者であり、大祭司の任命権者でもある。</p><p>囚人であるパウロの確信は揺ゆるがない。彼を取り巻くこの世の支配者たちは、揺れ動いている。キリストにあって、力関係が逆転しているのである。私たちの人生の土台は、岩なるキリストにある。</p><p><br></p><p>きょうの祈り</p><p><br></p><p>天の父なる神さま。私の人生の土台も、岩なるキリストにあります。揺るぎない確信をもって大胆に歩めるよう導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br></p><p>年間聖書通読</p><p><br></p><p>士師記15～16、ルカの福音書15</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=cvesNJEGNLc" />
         <pubDate>2025-04-21 20:56:38 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き25：13 ～ 22</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3420269700</link>
         <description><![CDATA[<p>13 数日たってから、アグリッパ王とベルニケが、フェストに敬意を表するためにカイザリヤに来た。</p><p>14 ふたりがそこに長く滞在していたので、フェストはパウロの一件を王に持ち出してこう言った。「ペリクスが囚人として残して行ったひとりの男がおります。</p><p>15 私がエルサレムに行ったとき、祭司たちとユダヤ人の長老たちとが、その男のことを私に訴え出て、罪に定めるように要求しました。</p><p>16 そのとき私は、『被告が、彼を訴えた者の面前で訴えに対して弁明する機会を与えられないで、そのまま引き渡されるということはローマの慣例ではない』と答えておきました。</p><p>17 そういうわけで、訴える者たちがここに集まったとき、私は時を移さず、その翌日、裁判の席に着いて、その男を出廷させました。</p><p>18 訴えた者たちは立ち上がりましたが、私が予期していたような犯罪についての訴えは何一つ申し立てませんでした。</p><p>19 ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関することであり、また、死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのでした。</p><p>20 このような問題をどう取り調べたらよいか、私には見当がつかないので、彼に『エルサレムに上り、そこで、この事件について裁判を受けたいのか』と尋ねたところが、</p><p>21 パウロは、皇帝の判決を受けるまで保護してほしいと願い出たので、彼をカイザルのもとに送る時まで守っておくように、命じておきました。」</p><p>22 すると、アグリッパがフェストに、「私も、その男の話を聞きたいものです」と言ったので、フェストは、「では、明日お聞きください」と言った。</p><p><br/></p><p><strong>アグリッパ王とベルニケの訪問（2）</strong></p><p><strong>フェストによるこれまでの出来事の要約</strong></p><p>フェストは、アグリッパ王の助言を求めるために、これまでの出来事を以下のように要約した。①ペリクスが囚人として残して行った一人の男がいる。②ユダヤ人たちは、正当な手続きを経ないで、彼を有罪にするように要求した。③しかし自分は、それを認めなかった。ここでフェストは、自分のことを「ローマ法の擁護者ようごしゃ」として印象づけている。④自分は、カイザリヤで正当な裁判を行った。<br>「そういうわけで、訴える者たちがここに集まったとき、私は時を移さず、その翌日、裁判の席に着いて、その男を出廷させました。訴えた者たちは立ち上がりましたが、私が予期していたような犯罪についての訴えは何一つ申し立てませんでした。･･･」。（1）裁判では、その男を有罪にする証拠が何も出て来なかった。反逆罪の証拠はなく、争点は、彼ら自身の宗教に関することだというのが分かった。（2）パウロが神殿を汚しているという最初の訴えは後退し、死者の復活のテーマが全面に出て来た（パウロは、イエスが死者の中から復活したと主張している。サドカイ派は、死者の復活を否定しており、パリサイ派は、終わりの時にすべての死者が復活すると教えていた）。（3）このような問題をどう取り調べたらよいか、自分には見当がつかない。そこで彼に、「エルサレムに上り、そこで、この事件について裁判を受けたいのか」と尋ねた。すると彼は、皇帝の判決を受けるまで保護して欲しいと願い出た。ここでフェストは、ユダヤ人の気持ちを配慮したという点は隠している。</p><p><br/></p><p><strong>アグリッパ王の応答</strong></p><p>フェストの話をアグリッパが途中でさえぎり、こう言った。「私も、その男の話を聞きたいものです」。直訳すると、「その男の話を以前から聞きたいと思っていた」ということになる。アグリッパは、「この道」のことや、ユダヤ人たちが憎悪していたパウロのことについて、相当な知識があったのであろう。彼は、キリスト教に関してパウロから直接情報を得たいと願った。大叔父のヘロデ・アンティパスも、イエスから直接話を聞きたいと願った。<br>単なる好奇心だけでは魂たましいの救いは得られない。神の御子イエスの死と復活は、法律によって裁けるものではない。私たちは、この驚くべき福音のメッセージを聞き、それを信じたことによって、永遠のいのちを受け取った。「福音という宝」を持っていることを誇りとして、きょうもこの世に出て行こうではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。福音という宝が与えられていることを感謝します。きょうも、救いの希望を抱きつつ、この世に出ていきます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=TyqQv1lYXic" />
         <pubDate>2025-04-22 20:54:16 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き25：23 ～ 27</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3422120380</link>
         <description><![CDATA[<p>23 こういうわけで、翌日、アグリッパとベルニケは、大いに威儀を整えて到着し、千人隊長たちや市の首脳者たちにつき添われて講堂に入った。そのとき、フェストの命令によってパウロが連れて来られた。</p><p>24 そこで、フェストはこう言った。「アグリッパ王、ならびに、ここに同席の方々。ご覧ください。ユダヤ人がこぞって、一刻も生かしてはおけないと呼ばわり、エルサレムでも、ここでも、私に訴えて来たのは、この人のことです。</p><p>25 私としては、彼は死に当たることは何一つしていないと思います。しかし、彼自身が皇帝に上訴しましたので、彼をそちらに送ることに決めました。</p><p>26 ところが、彼について、わが君に書き送るべき確かな事がらが一つもないのです。それで皆さんの前に、わけてもアグリッパ王よ、あなたの前に、彼を連れてまいりました。取り調べをしてみたら、何か書き送るべきことが得られましょう。</p><p>27 囚人を送るのに、その訴えの個条を示さないのは、理に合わないと思うのです。」</p><p><br/></p><p><strong>アグリッパ王による聴聞の開始</strong></p><p><strong>大集会</strong></p><p>翌日、講堂において大集会が開かれた。これは裁判ではなく、裁判に必要な情報を収集するための審問集会である。（1）フェストは、この聴聞ちょうもんをアグリッパとベルニケを祭り上げるための機会とした。①アグリッパとベルニケは、大いに威儀を整えて（盛装で）到着した。②カイザリヤに駐留していた5 人の千人隊長たちが付き添っていた。③市の首脳たちも付き添っていた（大半が異邦人）。④彼らは、総督の宮廷内にある講堂に入って来た。⑤最後に、パウロが鎖くさりにつながれて連れて来られた。（2）ルカは招待客ではなかったが、そこにいたと思われる。パウロの友人たちが、パウロの世話をすることは許可されていた。ルカは、カイザリヤでの裁判の記録を直接収集することができた。（3）フェストは開会演説を行ったが、その内容は、前日にアグリッパに告げたのとほぼ同じである。①ユダヤ人たちは、このパウロを一刻も生かしておけないと訴えて来ている。②しかし、自分としてはパウロに何の罪も見出せないでいる。③パウロは皇帝に上訴したので、そちらに送ることに決めた。ところが、書き送る罪状が何もないので困っている。④それで、新しい情報を得るために、再度彼を取り調べることにした。特に今回は、ユダヤの律法を熟知したアグリッパ王がいるので、ぜひ力添えをお願いしたい。</p><p><br/></p><p><strong>無意味な時間</strong></p><p>アグリッパとベルニケは、大いに威儀を整えてその場に着いた。金銀や真珠で飾り立てた衣装は、見る者の目にまぶしかったことだろう。しかし、これは表面的な美である。それに対するパウロは、粗末な衣服でその場に出たが、その内側からは本物の威厳が滲にじみ出ていた。私たちは、本物を見分ける目を養う必要がある。<br>パウロにとっては、無意味な審問の時間が訪れた。私たちの人生にも、不幸としか思えないような巡り合わせがやって来る時がある。そのような時でも、希望を失わずに生きる秘訣は、神の恵みに目を注ぐことである。パウロの場合を考えてみよう。①カイザリヤで投獄されていた約2 年間、パウロは主との親しい関係を持つことができた。牢獄ろうごくが、デボーション（静思せいしの時）の場となったのである。②その間、パウロの霊性はより深められた。獄中で書かれた書簡（エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモン）を読むと、それが明らかである。試練の中に働く恵みの力を、私たちも体験しようではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い父なる神さま。希望を失わない秘訣は、あなたの恵みに目を注ぐことだと学びました。どうか、私の霊性を深めてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-04-23 20:58:20 UTC</pubDate>
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      </item>
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         <title>使徒の働き26：1 ～ 8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3423902775</link>
         <description><![CDATA[<p>1 すると、アグリッパがパウロに、「あなたは、自分の言い分を申し述べてよろしい」と言った。そこでパウロは、手を差し伸べて弁明し始めた。</p><p>2 「 アグリッパ王。私がユダヤ人に訴えられているすべてのことについて、きょう、あなたの前で弁明できることを、幸いに存じます。</p><p>3 特に、あなたがユダヤ人の慣習や問題に精通しておられるからです。どうか、私の申し上げることを、忍耐をもってお聞きくださるよう、お願いいたします。</p><p>4 では申し述べますが、私が最初から私の国民の中で、またエルサレムにおいて過ごした若い時からの生活ぶりは、すべてのユダヤ人の知っているところです。</p><p>5 彼らは以前から私を知っていますので、証言するつもりならできることですが、私は、私たちの宗教の最も厳格な派に従って、パリサイ人として生活してまいりました。</p><p>6 そして今、神が私たちの父祖たちに約束されたものを待ち望んでいることで、私は裁判を受けているのです。</p><p>7 私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕えながら、その約束のものを得たいと望んでおります。王よ。私は、この希望のためにユダヤ人から訴えられているのです。</p><p>8 神が死者をよみがえらせるということを、あなたがたは、なぜ信じがたいこととされるのでしょうか。</p><p><br/></p><p><strong>パウロの弁明（1）</strong></p><p><strong>自己紹介</strong></p><p>アグリッパはフェストからの許可を得たので、パウロに「あなたは自分の言い分を申し述べてよろしい」と語りかけた。パウロは、「手を差し伸べて」弁明し始めた。これは、当時の弁舌家が取る姿勢である。腕が鎖につながれているので、よりドラマチックな印象を与えたことであろう。（1）パウロはアグリッパに敬意を表し、「あなたがユダヤ人の慣習や問題に精通しておられるからです」と語っているが、これは単なる社交辞令ではなく、事実である。ユダヤ人の歴史家ヨセフスは、アグリッパがユダヤ教に精通していたと記している。（2）パウロは、「私の申し上げることを、忍耐をもってお聞きくださるよう、お願いいたします」と言った。これは、これから語る証言は、手短なものではなく詳細なものだという予告である。（3）パウロは、自分がユダヤ教の最も厳格な派に従ってパリサイ人として生活していたことは、多くの人によく知られている事実であると論じる。</p><p><br/></p><p><strong>裁判を受ける理由</strong></p><p>次にパウロは、自分が裁判を受けている理由を解説する。その内容は、彼の神学的確信を表明するものでもある。（1）彼は、ユダヤ教とキリスト教の連続性を信じている。つまり、イエス・キリストの福音は、旧約聖書で預言されていたことの成就だというのである。（2）また、ユダヤ人たちが待ち望んでいた希望は、メシアであるイエスにあって成就したと信じている。「メシア的希望」はきわめてユダヤ的なものだが、その希望のゆえに彼はユダヤ人たちから訴えられているのである。ここに皮肉（アイロニー）がある。（3）「私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕えながら、その約束のものを得たいと望んでおります」。パウロは、北の10 部族が失われているとは思っていない（マタ19：28、ルカ22：30、ヤコ1：1、黙7：4 ～ 8、21：12 参照）。（4）「神が死者をよみがえらせるということを、あなたがたは、なぜ信じがたいこととされるのでしょうか」。「あなたがた」とは、その場にいた聴衆のことで、異邦人たちである。ここでパウロは、異邦人にイエス・キリストの復活を宣べ伝えようとしている。<br>使徒の働きの中には、パウロの弁明が5 回出て来るが、今回の弁明が最後で、最も詳細な内容となっている。パウロは、あらゆる機会を用いて主イエスを宣べ伝えた。その結果、多くの人々に良き知らせがもたらされた。パウロの宣教の姿勢から教訓を学ぼう。求道者と出会わせてくださいと祈ろう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。どうか、私も、あらゆる機会を用いて福音を宣べ伝えることができるよう導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-04-24 20:51:43 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き26：9 ～ 18</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3425443754</link>
         <description><![CDATA[<p>9 以前は、私自身も、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えていました。</p><p>10 そして、それをエルサレムで実行しました。祭司長たちから権限を授けられた私は、多くの聖徒たちを牢に入れ、彼らが殺されるときには、それに賛成の票を投じました。</p><p>11 また、すべての会堂で、しばしば彼らを罰しては、強いて御名をけがすことばを言わせようとし、彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを追跡して行きました。</p><p>12 このようにして、私は祭司長たちから権限と委任を受けて、ダマスコへ出かけて行きますと、</p><p>13 その途中、正午ごろ、王よ、私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と同行者たちとの回りを照らしたのです。</p><p>14 私たちはみな地に倒れましたが、そのとき声があって、ヘブル語で私にこう言うのが聞こえました。『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』</p><p>15 私が『主よ。あなたはどなたですか』と言いますと、主がこう言われました。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。</p><p>16 起き上がって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現れて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。</p><p>17 わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。</p><p>18 それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』</p><p><br/></p><p><strong>パウロの弁明（2）</strong></p><p><strong>回心体験</strong></p><p>（1）パウロの以前の信仰は、次のようなものであった。①ナザレのイエスがメシアであることを信じられなかった。②それどころか、強硬に敵対すべきだと考えていた。③彼は、祭司長たちから授けられた権限を用いて、多くの聖徒たちを投獄した。④また、死刑判決に賛成票を投じた（サンヘドリンの決定に同意した）。⑤すべての会堂で、彼らを罰し、御名を汚す言葉を言わせようとした。つまり、イエスは呪われよと言わせたということである。⑥さらに、怒りに燃えて、国外にまで追跡の手を広げた。<br>（2）次にパウロは、ダマスコ途上での回心体験について語る。ここには、これまでになかった2 種類の情報が出て来る。①「私たちはみな地に倒れましたが、」。天からの光に照らされて、パウロの同行者たち全員が地に倒れたのである。この光は単なる幻ではなく、現実の力であった。②その声は、ヘブル語で語りかけて来た。ユダヤ人なら、「サウロ」という名がヘブル語であることは分かる。異邦人はそうではないので、ヘブル語でという解説が付けられた。語られたお方がイスラエルの神であることが、暗示されている。<br>（3）「とげのついた棒をける」とは、権威に逆らうことを示す格言である。家畜を馴らすために、牧者はとげのついた棒を用いた。家畜は、痛い体験を通して主人への従順を学ぶ。パウロにとっては、クリスチャンを迫害するのは自分を傷つけることであった。<br>（4）「私が『主よ。あなたはどなたですか』と言いますと、主がこう言われました。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起き上がって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現れて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。･･･』」。パウロは、3 種類の主からの語りかけを、ひとまとめにして語っている。①ダマスコ途上で直接イエスから聞いたことば。②アナニヤを通して届けられた主イエスのことば。③エルサレムの宮で祈っていたときに見た幻の中でのことば。パウロは、自分が異邦人に遣わされた使徒であることを強調した。それは、異邦人の聴衆の好感を得るためである。<br>パウロの使徒としての権威は、復活のキリストから与えられたものである。それゆえ彼の使命は、キリストから啓示された福音を忠実に伝えることである。私たちが信じた福音は、救いに至る神の力である。私たちは、恵みと信仰によって救われている。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>父なる神よ。福音は、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。この福音を忠実に宣べ伝えることができるよう助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-04-25 20:32:55 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き26：9 ～ 18</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3426121450</link>
         <description><![CDATA[<p>9 以前は、私自身も、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えていました。</p><p>10 そして、それをエルサレムで実行しました。祭司長たちから権限を授けられた私は、多くの聖徒たちを牢に入れ、彼らが殺されるときには、それに賛成の票を投じました。</p><p>11 また、すべての会堂で、しばしば彼らを罰しては、強いて御名をけがすことばを言わせようとし、彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを追跡して行きました。</p><p>12 このようにして、私は祭司長たちから権限と委任を受けて、ダマスコへ出かけて行きますと、</p><p>13 その途中、正午ごろ、王よ、私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と同行者たちとの回りを照らしたのです。</p><p>14 私たちはみな地に倒れましたが、そのとき声があって、ヘブル語で私にこう言うのが聞こえました。『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』</p><p>15 私が『主よ。あなたはどなたですか』と言いますと、主がこう言われました。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。</p><p>16 起き上がって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現れて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。</p><p>17 わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。</p><p>18 それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』</p><p><br/></p><p><strong>パウロの弁明（3）</strong></p><p><strong>この弁明の位置づけ</strong></p><p>（1）この弁明は、使徒の働きの中の5 番目、最後のものである。5 つの弁明を列挙してみよう。①神殿で、ユダヤ人たちに向かって語った（使22：1 ～ 21）。②エルサレムで、サンヘドリンに向かって語った（使23：1 ～ 8）。③カイザリヤで、総督ペリクスに向かって語った（使24：10～ 21）。④カイザリヤで、総督フェストに向かって語った（使25：6 ～ 11）。⑤カイザリヤで、アグリッパ王に向かって語った（使26：1 ～ 32）。<br>（2）この弁明は、使徒の働きの中の弁明のクライマックスである。①パウロの伝道メッセージである。②パウロの神学的確信を述べたものである。③量的に最も長い弁明である。</p><p><br/></p><p><strong>この弁明の中心テーマ</strong></p><p>中心テーマは、使徒26：17 ～ 18 で主イエスがパウロに語ったことばの中にある。「わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである」<br>（1）主がパウロに語ったことばは、旧約聖書に出て来るメシア預言（メシアの使命を預言したもの）と似ている（イザ35：5、42：7、42：16、61：1 参照）。パウロが行う奉仕は、やがてメシアが地上で行うことの予表である。<br>（2）パウロの奉仕（福音の力の伝達）の目的は、4 つの要素に区分することができる。①霊的に盲目な人たちの目を開く。②サタンに支配されている人たちを解放する。③イエスを信じる信仰によって、罪の赦しを得させる。④聖徒たちと共に相続に与らせる。ローマ8：17 にはこうある。「もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります」<br>福音を信じた私たちは、上記の4 つの要素をすべて体験した。その内容を再確認してみよう。私たちは、霊的目が見えるようになり、サタンの支配から解放され、信仰によって罪が赦され、キリストとの共同相続人とされた。なんという恵みであろうか。この福音を一人でも多くの人たちに伝えようではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い父なる神さま。福音は、あなたの恵みです。この福音を一人でも多くの人たちに伝えられるよう、私を助け導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-04-26 21:17:01 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き26：19 ～ 23</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3426750840</link>
         <description><![CDATA[<p>19 こういうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、</p><p>20 ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えて来たのです。</p><p>21 そのために、ユダヤ人たちは私を宮の中で捕らえ、殺そうとしたのです。</p><p>22 こうして、私はこの日に至るまで神の助けを受け、堅く立って、小さい者にも大きい者にもあかしをしているのです。そして、預言者たちやモーセが、後に起こるはずだと語ったこと以外は何も話しませんでした。</p><p>23 すなわち、キリストは苦しみを受けること、また、死者の中からの復活によって、この民と異邦人とに最初に光を宣べ伝える、ということです。」</p><p><br></p><p><strong>パウロの弁明（4）</strong></p><p><strong>天からの啓示にそむかず</strong></p><p>「こういうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えて来たのです」<br>（1）敬虔なパリサイ人であるパウロには、神の啓示に従うしか選択肢はなかった。パウロの奉仕は、ダマスコにいる人々、エルサレムにいる人々、ユダヤの全地方、さらに異邦人にまで広がった。①これは、伝道の広がりを時間順に並べたものではない。②先ずユダヤ人に、次に異邦人にという伝道の原則に基づいた描写である。（2）「悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするように」。①ユダヤ人も異邦人も、共に悔い改めが必要である。②悔い改めとは、方向転換である。罪の生活から神への立ち返りである。③立ち返りの証拠（結果）が、正しい行いである。（3）「そのために、ユダヤ人たちは私を宮の中で捕らえ、殺そうとしたのです」。①「そのために」とは、異邦人伝道のことである。パウロは、異邦人はユダヤ教を通過しなくても信仰だけで救われると教えた。②この教えが、ユダヤ人たちの怒りを買った。③ここでパウロは、「アグリッパ王よ、ひどいと思われませんか」と言っているのである。</p><p><br></p><p><strong>異邦人に光を宣べ伝える</strong></p><p>「こうして、私はこの日に至るまで神の助けを受け、堅く立って、小さい者にも大きい者にもあかしをしているのです。そして、預言者たちやモーセが、後に起こるはずだと語ったこと以外は何も話しませんでした。･･･」。（1）「こうして」は、「しかし」という訳の方がよい。神の守りがあったので、今日まで宣教活動を継続して来た。これは、パウロの実感である。（2）「小さい者にも大きい者にも」は、若い者にも年配者にも、身分の低い者にも高い者にも、という意味である。（3）語って来た内容は、ユダヤ人の預言者たちが預言して来たことだけである。①キリストは苦しみを受ける。②死者の中から復活する。新改訳2017 は、「死者の中から最初に復活し」と訳しているが、これは正しい訳である。（4）パウロは、ユダヤ人にも異邦人にも光を宣べ伝えて来た。<br>「悔い改めにふさわしい行い」について黙想してみよう。信仰表現としての行いは、悔い改めに続くものである。救いは信仰によって与えられるが、救いの確信は、信仰表現としての行いによって与えられる。このことを覚えよう。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。信仰はその行いとともに働き、信仰は行いによって完成されます。きょうも信仰にふさわしく歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメ</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-04-27 19:03:31 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き26：24 ～ 26</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3428677744</link>
         <description><![CDATA[<p>24 パウロがこのように弁明していると、フェストが大声で、「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている」と言った。</p><p>25 するとパウロは次のように言った。「フェスト閣下。気は狂っておりません。私は、まじめな真理のことばを話しています。</p><p>26 王はこれらのことをよく知っておられるので、王に対して私は率直に申し上げているのです。これらのことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも王の目に留まらなかったものはないと信じます。</p><p><br/></p><p><strong>パウロの弁明（5）</strong></p><p><strong>フェストの応答（24 ～ 26節）</strong></p><p>「パウロがこのように弁明していると、フェストが大声で、『気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている』と言った」<br>（1）新共同訳は、「パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ」と訳している。パウロの弁明を聴いていたフェストは、我慢できなくなり、軽蔑けいべつの感情を表した。（2）フェストは、パウロが博学であることを認めた。①博学とは、ヘブル語聖書に関する知識のことである。②しかしフェストは、パウロが話している内容を理解することができなかった。③フェストの世界観の中には、死者の復活は存在しなかったので、このようなことに命を懸かけるのは、頭がおかしくなっている証拠だと考えた。（3）当時のローマ人の死生観は、次のようなものである。①肉体の復活は信じない。②霊魂の不滅だけを信じる。③使徒17：32（アテネでの伝道）には、こうあった。「死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、『このことについては、またいつか聞くことにしよう』と言った」。④使徒25：19（フェストの言葉）には、こうあった。「ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関することであり、また、死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのでした」</p><p><br/></p><p><strong>パウロの応答</strong></p><p>「フェスト閣下。気は狂っておりません。私は、まじめな真理のことばを話しています。王はこれらのことをよく知っておられるので、王に対して私は率直に申し上げているのです。･･･』」。（1）パウロは、礼儀正しい言葉で応答した。ここには、情熱と礼儀の共存が見られる。これこそ、クリスチャンの性質である。（2）パウロは、「これらのことは片隅で起こった出来事ではありません」と語った。①アグリッパ王は、福音の内容をよく知っていた。②また、イエスの公生涯、十字架、復活、教会の誕生、宣教の広がりなどについても、知っていた。③これらのことは、イスラエルの地ではよく知られていた。④教会が誕生してから、約30 年が経過していた。アグリッパ王が知らないはずがない。<br>今の日本人も、ローマ人と同じような死生観を持っている。霊魂の不滅を信じても、肉体の復活は信じないという人がほとんどである。伝道の場において、聖霊の働きが豊かに与えられるように祈ろう。復活はキリスト教を他の宗教から区別する最大の特徴である。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。キリストの復活こそ、キリスト教の真髄です。復活の希望を宣べ伝えられるよう、御霊によって助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-04-28 21:17:59 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き26：27 ～ 32</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3430482283</link>
         <description><![CDATA[<p>27 アグリッパ王。あなたは預言者を信じておられますか。もちろん信じておられると思います。」</p><p>28 するとアグリッパはパウロに、「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」と言った。</p><p>29 パウロはこう答えた。「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖くさりは別として、私のようになってくださることです。」</p><p>30 ここで王と総督とベルニケ、および同席の人々が立ち上がった。</p><p>31 彼らは退場してから、互いに話し合って言った。「あの人は、死や投獄とうごくに相当することは何もしていない。」</p><p>32 またアグリッパはフェストに、「この人は、もしカイザルに上訴しなかったら、釈放しゃくほうされたであろうに」と言った。</p><p><br/></p><p><strong>パウロの弁明（6）</strong></p><p><strong>アグリッパの応答</strong></p><p>「アグリッパ王。あなたは預言者を信じておられますか。もちろん信じておられると思います」。（1）この段階で、パウロとアグリッパの力関係が逆転した。①アグリッパは、預言者を信じているはずである。彼は、神殿の管理者であり、大祭司の任命権者なのだから。②もしそうなら、イエスはメシアだと認めるはずである。（2）アグリッパは、ジレンマに直面した。①パウロに賛同すると、フェストや他のローマ人の前で面目をつぶすことになる。②しかし、預言者を信じないと言うと、ユダヤ人の反発を買う。いずれの答えも、アグリッパにとっては不利になる。<br>（1）「するとアグリッパはパウロに、『あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている』と言った」。アグリッパは正面から答えようとはせず、皮肉を用いて回答を避さけた。（2）それに対して、パウロはこう答えた。「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです」。パウロは、この話を聞いている人がみな私のようになってくださることを願うと述べた。「この鎖は別として」は、パウロが返した皮肉である。（3）「ここで王と総督とベルニケ、および同席の人々が立ち上がった。･･･」。①王と総督とベルニケは、立ち上がった。聴聞が終わったというしるしである。②同席の人々は、アグリッパ王に敬意を表するという意味で立ち上がった。③彼らは退場してから、パウロが無罪であることを認めた。（4）「またアグリッパはフェストに、『この人は、もしカイザルに上訴しなかったら、釈放されたであろうに』と言った」。パウロは、4 回無罪であることが認められた。①パリサイ人たち（使徒23：9）。②千人隊長クラウデオ・ルシア（使徒23：29）。③ユダヤ総督フェスト（使徒25：25）。④アグリッパ王。（5）ルカは、パウロの裁判や弁明に多くのスペースを割いた。無罪を勝ち取るためであるが、最終的にはパウロは釈放される。牧会書簡（1 テモテ、2 テモテ、テトス）は、釈放後に執筆された書簡である。<br>アグリッパ王の悲劇は、「ほとんど説得されたが、信じるまでには至らなかった」という点にある。いくら福音に好感を抱いたとしても、それを信じないなら、福音に敵対する人と同じ運命を辿ることになる。求道中の人たちが、決断の時を迎えることができるように祈ろうではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。すべての人が福音を信じるか否かの決断をしなければなりません。信じる人たちが多く起こされますように。私を用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-04-29 20:37:34 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き27：1 ～ 8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3432206301</link>
         <description><![CDATA[<p>1 さて、私たちが船でイタリヤへ行くことが決まったとき、パウロと、ほかの数人の囚人しゅうじんは、ユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡された。</p><p>2 私たちは、アジヤの沿岸の各地に寄港して行くアドラミテオの船に乗り込んで出帆しゅっぱんした。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した。</p><p>3 翌日、シドンに入港した。ユリアスはパウロを親切に取り扱い、友人たちのところへ行って、もてなしを受けることを許した。</p><p>4 そこから出帆したが、向かい風なので、キプロスの島陰を航行した。</p><p>5 そしてキリキヤとパンフリヤの沖を航行して、ルキヤのミラに入港した。</p><p>6 そこに、イタリヤへ行くアレキサンドリヤの船があったので、百人隊長は私たちをそれに乗り込ませた。</p><p>7 幾日かの間、船の進みはおそく、ようやくのことでクニドの沖に着いたが、風のためにそれ以上進むことができず、サルモネ沖のクレテの島陰を航行し、</p><p>8 その岸に沿って進みながら、ようやく、良い港と呼ばれる所に着いた。その近くにラサヤの町があった。</p><p><br/></p><p><strong>カイザリヤからクレテへ（1）</strong></p><p><strong>文脈の確認</strong></p><p>パウロは、カイザリヤからローマに向かう（使27：1 ～ 28：15）。ルカはこの船旅を詳細に記録しているが、そこには2 つの目的があると思われる。①パウロを守る神の御手について書くこと（パウロがローマに行くことは、神の御心である）。②福音の異邦人世界への広がりについて書くこと（教会建設は主の主権によって行われる）。<br>パウロは、ローマに上るというゴールを常に意識していた。「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、『私はそこに行ってから、ローマも見なければならない』と言った」（使19：21）<br>パウロは、先に危険が待っていると何度も警告されたが、エルサレムに上り、次はローマに行くという意志を曲げなかった。実際に数々の危機が襲って来たが、パウロの決心が揺ゆらぐことはなかった。カイザリヤでの幽閉ゆうへいは2 年以上にも及んだ。そしていよいよ、パウロはローマに向かう（ただし、囚人として）。一連の物語の流れの中には、神の主権とそれに信頼する人間の責務の調和が見られる。この霊的原則は、そのまま私たちにも適用される。神は主権をもって計画を実行される。それゆえ、私たちは神に従うのである。<br>この航海では、囚人であるパウロがリーダーとして奉仕するようになる。パウロの力は、イエス・キリストから来ていることを読み取ろう。</p><p><br/></p><p><strong>ルカの記録の信頼性</strong></p><p>スコットランド出身の聖書学者・考古学者で、ウイリアム・ラムゼイ（Sir William Mitchell Ramsay（1851 ～ 1939）という人がいる。19 世紀末ごろ、スコットランドの未信者グループが、聖書の間違いを見つけるためのプロジェクトを開始した。ウイリアム・ラムゼイは、ルカの記録の誤りを見つけるための調査役に任命された。彼は、使徒の働きの記録が不正確であることを証明するために、パウロの訪問地を訪れ、現地調査を行った。この調査の後、彼はクリスチャンになった。それどころか、小アジア研究の第一人者となった。彼は、使徒の働きに関する書を何冊か記しているが、その中では、『St. Paul, the Traveler and the Roman Citizen』（聖パウロ、旅人そしてローマ市民）が最も有名である。<br>ルカの記録は信頼できる。聖書に向かう時、そこに書かれているすべてのことが、信頼できる神のことばであることを受け取ろうではないか。私たちには、揺るぎない人生の土台が与えられている。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。聖書は、誤りなき神のことばです。きょうも、みことばを信頼して歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-04-30 21:02:50 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き27：1 ～ 8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3433358486</link>
         <description><![CDATA[<p>1 さて、私たちが船でイタリヤへ行くことが決まったとき、パウロと、ほかの数人の囚人しゅうじんは、ユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡された。</p><p>2 私たちは、アジヤの沿岸の各地に寄港して行くアドラミテオの船に乗り込んで出帆しゅっぱんした。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した。</p><p>3 翌日、シドンに入港した。ユリアスはパウロを親切に取り扱い、友人たちのところへ行って、もてなしを受けることを許した。</p><p>4 そこから出帆したが、向かい風なので、キプロスの島陰を航行した。</p><p>5 そしてキリキヤとパンフリヤの沖を航行して、ルキヤのミラに入港した。</p><p>6 そこに、イタリヤへ行くアレキサンドリヤの船があったので、百人隊長は私たちをそれに乗り込ませた。</p><p>7 幾日かの間、船の進みはおそく、ようやくのことでクニドの沖に着いたが、風のためにそれ以上進むことができず、サルモネ沖のクレテの島陰を航行し、</p><p>8 その岸に沿って進みながら、ようやく、良い港と呼ばれる所に着いた。その近くにラサヤの町があった。</p><p><br/></p><p><strong>カイザリヤからクレテへ（2）</strong></p><p><strong>百人隊長ユリウス</strong></p><p>「さて、私たちが船でイタリヤへ行くことが決まったとき、パウロと、ほかの数人の囚人は、ユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡された」。（1）船は、カイザリヤの港から出帆する。「私たち」とあるのは、ルカが同行していることを示している。ルカは、パウロがピリピを去ってから（20：5）、パウロと行動を共にしている。カイザリヤでの2 年間も、パウロに仕えたと思われる。（2）この箇所は、4 回目の「私たち章句」に当たるが、これが最も長いものとなっている（27：1 ～ 28：16）。「私たち章句」は、ルカの記録に信憑性しんぴょうせいを与えている。彼自身が目撃者として書いているからである。（3）「パウロと、ほかの数人の囚人」とある。パウロはローマ市民なので、他の囚人よりも丁寧な扱いを受けたはずである。他の囚人たちの名前と人数は分からない。恐らく、裁判にかけられるか、剣闘士との戦いで見世物となる異邦人の囚人たちであろう。（4）「ユリアスという親衛隊の百人隊長」が登場する。新共同訳は、「皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスという者」と訳している。彼は、名誉ある部隊の百人隊長である。新約聖書に登場する百人隊長たちはみな魅力的な人物だが、ユリアスもまた高貴な人格を持つ百人隊長であった。彼は、パウロに慈悲じひの心を示すようになる。ユリアスという百人隊長がこの船の指揮を執ったのは、神の摂理である。</p><p><br/></p><p><strong>アドラミテオの船</strong></p><p>「私たちは、アジヤの沿岸の各地に寄港して行くアドラミテオの船に乗り込んで出帆した。･･･」。（1）「アドラミテオの船」とあるのは、アドラミテオ港を母港とする船という意味である。アドラミテオ港は、小アジアのトロアスの東南東に位置する港である。この船は、沿岸に沿って航行する小型船で、冬の嵐の季節が来る前に、母港に戻ろうとしていたのである。百人隊長は、この船に乗り、途中でローマ行きの船に乗り換えようとしている。（2）「テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した」とある。アリスタルコも、ルカと同じようにカイザリヤでの2 年間パウロに仕えた。同行者たちがいたことは、大きな意味を持っていた。彼らの存在は、パウロへの励ましであり、パウロという人物の信頼性の証明でもあった。<br>苦難を通過する時、神は私たちを特に顧かえりみてくださる。同じ信仰を持った兄弟姉妹たちの存在は、大きな励ましとなる。さらに、神の摂理の御手も、私たちを支える力となる。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。今も、あなたは摂理の御手によって、私たち信者を支えてくださいます。きょう、あなたを信頼しつつ歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-05-01 20:04:31 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>使徒の働き27：1 ～ 8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3434641506</link>
         <description><![CDATA[<p>1 さて、私たちが船でイタリヤへ行くことが決まったとき、パウロと、ほかの数人の囚人しゅうじんは、ユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡された。</p><p>2 私たちは、アジヤの沿岸の各地に寄港して行くアドラミテオの船に乗り込んで出帆しゅっぱんした。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した。</p><p>3 翌日、シドンに入港した。ユリアスはパウロを親切に取り扱い、友人たちのところへ行って、もてなしを受けることを許した。</p><p>4 そこから出帆したが、向かい風なので、キプロスの島陰を航行した。</p><p>5 そしてキリキヤとパンフリヤの沖を航行して、ルキヤのミラに入港した。</p><p>6 そこに、イタリヤへ行くアレキサンドリヤの船があったので、百人隊長は私たちをそれに乗り込ませた。</p><p>7 幾日かの間、船の進みはおそく、ようやくのことでクニドの沖に着いたが、風のためにそれ以上進むことができず、サルモネ沖のクレテの島陰を航行し、</p><p>8 その岸に沿って進みながら、ようやく、良い港と呼ばれる所に着いた。その近くにラサヤの町があった。</p><p><br/></p><p><strong>カイザリヤからクレテへ（3）</strong></p><p><strong>シドンからミラへ</strong></p><p>「翌日、シドンに入港した。ユリアスはパウロを親切に取り扱い、友人たちのところへ行って、もてなしを受けることを許した」。「翌日、シドンに入港した」とある。カイザリヤから約110 キロ北にシドンがある。ここまでは、1 日の船旅である。シドンは、フェニキアの港町である。<br>「ユリアスはパウロを親切に取り扱い、友人たちのところへ行って、もてなしを受けることを許した」。（1）前回確認したように、ユリアスは高貴な人格を持った百人隊長であった。彼は、パウロを親切に取り扱い、パウロが友人たちのところに行ってもてなしを受けることを許可した。恐らくパウロは、兵士たちと鎖でつながれて移動したのであろう。（2）ここでの「友人たち」とは、シドンにあった教会の信者たちである。そこでパウロは、信者たちとの交わりを楽しんだ。さらに彼は、その地の信者たちに、みことばを教えたことであろう。寸暇すんかを惜おしんで聖書を教えるというのが、パウロの生き方である。<br>「そこから出帆したが、向かい風なので、キプロスの島陰を航行した。そしてキリキヤとパンフリヤの沖を航行して、ルキヤのミラに入港した」。（1）「向かい風なので、キプロスの島陰を航行した」とある。地中海の風は、春と秋には、西から東に吹いた。あるいは、北西から吹くことも多かった。西に向かう航路は、逆風の中を進む航路である。（2）パウロが乗った船は、西ではなく北に進み、キプロス島の東側を航行した。さらに北に進んでキリキヤに至った。そこから西に進路を取り、パンフリヤの沖を航行した。そして、ルキヤのミラに入港した。ミラは、アジア州最南端の港である。ここまでで、約800 キロの船旅である。この距離を約14 日間で移動したと思われる。</p><p><br/></p><p><strong>ヨナとパウロの対比</strong></p><p>ここで、ヨナとパウロを対比させてみよう。（1）ヨナ書の内容はこうである。①ヨナは、奇跡的な方法で嵐の海から生還した。②その結果、彼は異邦人の大都市（ニネベ）で宣教することができた。③ヨナの宣教によって、多くの異邦人が救われた。（2）パウロの旅の内容はこうである。①パウロは、奇跡的な方法で難破を乗り越えた。②その結果、彼はローマに到着し、そこで宣教することができた。③多くの異邦人が福音を聞いた（使28：30 ～ 31）。<br>ヨナとパウロの違いは、前者は不従順であったが、後者は従順であったという点である。いずれの場合も神の御心が成った。褒ほめ称えるべきは、神の御名である。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。いかなる場合もあなたの御心だけが成ります。それゆえ、きょうもあなたの御名を褒め称えます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-05-02 21:19:14 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き27：1 ～ 8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3435140092</link>
         <description><![CDATA[<p>1 さて、私たちが船でイタリヤへ行くことが決まったとき、パウロと、ほかの数人の囚人しゅうじんは、ユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡された。</p><p>2 私たちは、アジヤの沿岸の各地に寄港して行くアドラミテオの船に乗り込んで出帆しゅっぱんした。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した。</p><p>3 翌日、シドンに入港した。ユリアスはパウロを親切に取り扱い、友人たちのところへ行って、もてなしを受けることを許した。</p><p>4 そこから出帆したが、向かい風なので、キプロスの島陰を航行した。</p><p>5 そしてキリキヤとパンフリヤの沖を航行して、ルキヤのミラに入港した。</p><p>6 そこに、イタリヤへ行くアレキサンドリヤの船があったので、百人隊長は私たちをそれに乗り込ませた。</p><p>7 幾日かの間、船の進みはおそく、ようやくのことでクニドの沖に着いたが、風のためにそれ以上進むことができず、サルモネ沖のクレテの島陰を航行し、</p><p>8 その岸に沿って進みながら、ようやく、良い港と呼ばれる所に着いた。その近くにラサヤの町があった。</p><p><br/></p><p><strong>カイザリヤからクレテへ（4）</strong></p><p><strong>クレテの島陰から良い港へ</strong></p><p>「そこに、イタリヤへ行くアレキサンドリヤの船があったので、百人隊長は私たちをそれに乗り込ませた」。（1）百人隊長は、ミラ港でイタリア行きの船を見つけた。これは、アレキサンドリアを母港とする大型船である。アレキサンドリアは、エジプトの首都である。（2）この船は、穀物（麦）を運ぶ大型船である（38 節）。当時の大型船の一般的なサイズは、長さ54 メートル、幅15 メートル、高さ13メートルである。エジプトは、ローマ世界に穀物を供給する最大の輸出国であった。当時は、エジプトの大型船が、イスラエル、シリア、小アジアの沿岸を頻繁に航行していた。（3）この船には、少なくとも276 人が乗船していた（37 節）。当時、客船というものはなく、旅人は運搬船に乗って旅をした。（4）百人隊長は、パウロと他の囚人たちをこの船に乗り込ませた。これで、イタリアに向かう目途が立った。<br>「幾日かの間、船の進みはおそく、ようやくのことでクニドの沖に着いたが、風のためにそれ以上進むことができず、サルモネ沖のクレテの島陰を航行し、その岸に沿って進みながら、ようやく、良い港と呼ばれる所に着いた。その近くにラサヤの町があった」。（1）この船は、北西の風に進路を阻はばまれた。数日の間、船の進みは遅かった。（2）「クニドの沖に着いた」とある。クニドは、アジア州の南西の端に位置する海域（地中海とエーゲ海の境に当たる）で、エペソから約170 キロ南にある。（3）「サルモネ沖のクレテの島陰を航行し、」とある。北西の風が吹いたので、船は南西にあるクレテ島の東側と南側を航行した。（4）「ようやく、良い港と呼ばれる所に着いた」。この港は、恐らく、現代のリメオナス・カルースであろう。その近くに、ラサヤの町があった。</p><p><br/></p><p><strong>イエスとパウロの対比</strong></p><p>イエスとパウロの対比について学んでみよう。（1）ルカの福音書の中での強調点は、こうである。①イエスのエルサレムに向けての旅。②エルサレムでの最後の1 週間。③この手法によって、イエスの死と復活のインパクトが強調される。（2）パウロの旅の中での強調点は、こうである。①パウロのローマに向けての旅。②幾多の苦難と嵐の海を乗り越えてローマに着く。③この手法によって、ローマでの異邦人伝道のインパクトが強調される。<br>以上の対比から、2 つの真理を学ぼうではないか。①神の約束は、必ず成就する。②そのためには、人間の側の努力と忍耐が必要である。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。あなたの約束は必ず成就します。どうか、その時を待つ忍耐力を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-05-03 21:13:38 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>使徒の働き27：9 ～ 12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3435674503</link>
         <description><![CDATA[<p>9 かなりの日数が経過しており、断食だんじきの季節もすでに過ぎていたため、もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して、</p><p>10 「 皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます」と言った。</p><p>11 しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した。</p><p>12 また、この港が冬を過ごすのに適していなかったので、大多数の者の意見は、ここを出帆して、できれば何とかして、南西と北西とに面しているクレテの港ピニクスまで行って、そこで冬を過ごしたいということになった。</p><p><br/></p><p><strong>パウロの助言（1）</strong></p><p><strong>文脈の確認</strong></p><p>今パウロは、カイザリヤからローマに向かっている（使27：1 ～ 28：15）。カイザリヤでの拘留は2 年にも及んだが、ローマに上るという彼の確信が揺らぐことはなかった。<br>ここまでで、カイザリヤからクレテ（クレタ）までの旅程を取り上げた。今船は、クレテの「良い港」から出帆しようとしている。</p><p><br/></p><p><strong>海が危険な季節</strong></p><p>「かなりの日数が経過しており、断食の季節もすでに過ぎていたため、もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して、『皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます』と言った」。（1）船は、出帆すべきかどうかの判断を迫られた。一行は、天候が回復するのを「かなりの日数」待った。この間、パウロがクレテ島で伝道したかどうかは、分からない。しかし、ローマでの投獄から解放されて後、パウロがクレテで伝道したことは確かである。テトス1：5 には、こう書かれている。「私があなたをクレテに残したのは、あなたが残っている仕事の整理をし、また、私が指図したように、町ごとに長老たちを任命するためでした」。（2）パウロは、出帆に反対した。①当時の地中海航行の常識は、次のようなものであった。9 月14 日～ 11月11 日までは航行が危険な時期である。11 月11 日から5 ヶ月間は冬の時期で、航行は完全にストップされた。②この時は、「断食の季節」を過ぎており、海が危険な状態になっていた。「断食の季節」とは「贖罪の日」のことで、9 月末から10 月初めにやって来る（レビ16：29 ～ 34 参照）。この日、大祭司は至聖所に入り、罪の贖いのためのいけにえの血をささげた。ユダヤ人たちは、それぞれの居住地において断食を行った。③贖罪の日は、メシアの贖いの死を予表する祭りである。<br>安全な航海のためには羅針盤らしんばんが必要である。11 世紀末には、中国の船に羅針盤が装備されていたと言われている。それがヨーロッパに伝わって改良され，大航海時代の幕を開く契機となった。しかし、ローマ時代はまだ羅針盤は発明されていなかった。昼は陸地の景色が、夜は月や星がその代わりとなった。そのため嵐の中ではすべての羅針盤が奪われた状態になるが、パウロには羅針盤があった。ローマに行くという神の約束が、彼の羅針盤であった。人生における羅針盤は、神のことばである。きょうも、この羅針盤に導かれて前進しようではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。私の人生における羅針盤は、あなたのみことばです。どうか、きょうも、みことばによって導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-05-04 20:56:28 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き27：9 ～ 12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3437037987</link>
         <description><![CDATA[<p>9 かなりの日数が経過しており、断食だんじきの季節もすでに過ぎていたため、もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して、</p><p>10 「 皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます」と言った。</p><p>11 しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した。</p><p>12 また、この港が冬を過ごすのに適していなかったので、大多数の者の意見は、ここを出帆して、できれば何とかして、南西と北西とに面しているクレテの港ピニクスまで行って、そこで冬を過ごしたいということになった。</p><p><br/></p><p><strong>パウロの助言（2）</strong></p><p><strong>経験に基づく進言</strong></p><p>過去の経験に基づいて、パウロはこう進言した。「皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます」。①これは神からの啓示ではなく、パウロの体験に基づく意見である。②彼は数度に及ぶ伝道旅行で、航海に関してはかなりの経験を積んでいた（彼は、11 ～ 12 回も船旅を経験し、少なくとも4,800 キロを船で移動した）。③ 2 コリント11：25 には、こう書かれている。「むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります」。4 回目の難船を避けたいと願うのは、当然である。</p><p><br/></p><p><strong>百人隊長の判断</strong></p><p>「しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した。また、この港が冬を過ごすのに適していなかったので、大多数の者の意見は、ここを出帆して、できれば何とかして、南西と北西とに面しているクレテの港ピニクスまで行って、そこで冬を過ごしたいということになった」。（1）百人隊長は、パウロの警告を無視した。人間的には当然の判断であろう。①海に関して、パウロは素人である。②そこで百人隊長は、専門家の航海士や船長の判断を採用したのである。③この種の穀物輸送船は、ローマ帝国の管理下に置かれていた。ローマ帝国のための仕事をしていると見なされたので、船の所有者と船長は、ローマの官憲の指示に従ったのである。（2）大多数の者の意見も、百人隊長と同じであった。①今停泊中の「良い港」は冬を越すのに適していない。②80km 西にあるクレテの港ピニクスまで行き、そこで冬を過ごしたい。これが常識的な判断である。（3）しかし、専門家の判断が間違いで、パウロの判断が正しかったことは、後で明らかになる。専門家の意見が100％正しいと思ってはならない。</p><p><br/></p><p><strong>羅針盤を持った人の特権</strong></p><p>神の約束という羅針盤を与えられたパウロは、その船の中で際立った存在になった。彼には揺れ動くということがなかった。やがて明らかになるが、彼一人だけが絶望しなかった。彼の立場は囚人からリーダーに移行して行く。最初は、彼の意見は無視されたが、最後は全員が耳を傾けるようになる。羅針盤を持った人の最大の特権は、人々に仕えるということである。私たちも、神から与えられたみことばを、自分のためではなく、人々に仕えるために用いよう。きょうも、キリストのしもべとしてこの世に出て行こう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。あなたのみことばを、人々に仕えるために用いることができるよう導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-05-05 21:13:31 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き27：13 ～ 17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3438536287</link>
         <description><![CDATA[<p>13 おりから、穏やかな南風が吹いて来ると、人々はこの時とばかり錨いかりを上げて、クレテの海岸に沿って航行した。</p><p>14 ところが、まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来て、</p><p>15 船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができないので、しかたなく吹き流されるままにした。</p><p>16 しかしクラウダという小さな島の陰に入ったので、ようやくのことで小舟を処置することができた。</p><p>17 小舟を船に引き上げ、備え綱で船体を巻いた。また、スルテスの浅瀬あさせに乗り上げるのを恐れて、船具をはずして流れるに任せた。</p><p><br/></p><p><strong>船の漂流</strong></p><p><strong>穏やかな南風</strong></p><p>「おりから、穏やかな南風が吹いて来ると、人々はこの時とばかり錨を上げて、クレテの海岸に沿って航行した」。大多数の意見の正しさを証明するかのように、穏やかな南風が吹いて来た。これまでは、船は北西の風に悩まされていたのだが、南風なら出帆できる。人々は、「天が味方してくれた」と感じたに違いない。この時とばかりに錨を上げて、港を出た。クレテ島の海岸に沿って航行すれば、1日でピニクス港に着くはずであった。</p><p><br/></p><p><strong>ユーラクロン</strong></p><p>「ところが、まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来て、船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができないので、しかたなく吹き流されるままにした」。ところが、突然「ユーラクロン」（北東から吹く嵐）が陸から吹きおろして来た。①船は、風に逆らって進むことができない。②吹き流されるままにしておくしか、方法はない。③船は、クレテ島の沿岸から、大海に放り出された。期待とは正反対のことが起こったのである。<br>「しかしクラウダという小さな島の陰に入ったので、ようやくのことで小舟を処置することができた。小舟を船に引き上げ、備え綱で船体を巻いた。また、スルテスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて、船具をはずして流れるに任せた」。（1）船は、クラウダという小さな島の陰に入った。そこに入ると、風が少し収まったので、対策を講じた。船の後ろに繋つないであった小舟を、ようやくのことで引き上げることができた。この小舟は救命ボートである。すでに海水が満ちていたことだろう。これをそのままにしておくと、本船に衝突する危険性があった。この小舟は、先に行ってから、上陸のために必要になるかもしれない。（2）また、本船がバラバラにならないように、船底に綱を回し、船全体をその綱で巻いた。これは、浸水を防ぐための応急処置である。（3）さらに、「船具」を外して、船が流れるままにした。「船具」とあるのは、「帆」のことであろう。浅瀬に乗り上げるのを恐れて、「帆」を外したのである。「スルテスの浅瀬」とは、北アフリカ（リビヤ）沿岸の浅瀬である。<br>ここでの教訓は、順風が吹いて来た（状況が開けた）からといって、それだけで御心だと判断してはならないということである。特に自分の願いを最初から持っている場合は、状況によって御心を判断するのは、危険なことである。日々デボーションを通して静思の時を持っている人は、神の声を聞き分けることができるようになる。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。いかなる状況でも、あなたの御心を正しく判断することができるよう助けてください。御声に従いつつ歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-05-06 18:53:02 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き27：18 ～ 26</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3440531299</link>
         <description><![CDATA[<p>18 私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、</p><p>19 三日目には、自分の手で船具までも投げ捨てた。</p><p>20 太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。</p><p>21 だれも長いこと食事をとらなかったが、そのときパウロが彼らの中に立って、こう言った。「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。</p><p>22 しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。</p><p>23 昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、</p><p>24 こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』</p><p>25 ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。</p><p>26 私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」</p><p><br/></p><p><strong>絶望する乗員たち（1）</strong></p><p><strong>状況の悪化</strong></p><p>「私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、三日目には、自分の手で船具までも投げ捨てた」。（1）状況はさらに悪化した。①人々は積荷を捨て始めた。これは船を軽くするための方法である。②ヨナ1：5 でも、水夫たちは船の積荷を海に投げ捨てている。（2）3 日目には、自分の手で、「船具」までも投げ捨てた。「船具」とは、帆、ロープ、錨などのことであろう。ただし、最低限必要なものは残しておいたはずである。<br>「太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた」。（1）ルカは、「太陽も星も見えない日が幾日も続き、…」と記している。漂流は丸2 週間続くことになる。当時は羅針盤がまだ発明されていなかった。羅針盤（コンパス）とは、磁石が南北を示すことを利用して方位を測る道具である。羅針盤が発明される前の時代、水夫たちは、陸地の風景や天体の運行によって、船の位置を確認していた。太陽も星も見えないとは、完全に方向感覚をなくしたということである。（2）「私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた」という状況が訪れた。276 人の乗員の中で、希望を抱いていたのはパウロだけであった。同行していたルカでさえも、絶望的になった。パウロには、ローマに行くという神の約束があった。<br>「だれも長いこと食事をとらなかったが、そのときパウロが彼らの中に立って、こう言った。『皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです』」。嵐の中で、だれも長いこと食事をとっていなかった。船酔いと失望による食欲減退があったからである。乗員たちは、これ以上嵐が続けば、一行が助かる見込みはないと考えていた。最悪の状況になった時、パウロは立ち上がって励ましの言葉を語った。<br>パウロには、神のことば（御心）という羅針盤があった。羅針盤を持った人の使命とは何か。それは、絶望した人々に希望を語ることである。パウロは2 度、「元気を出しなさい」と語っている（使27：22 と27：25）。私たちクリスチャンは、希望に向かって歩んでいる者たちである。私たちには、その希望を隣人に語る使命がある。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。みことばという羅針盤が与えられていることを感謝します。私も、希望を語ることができるよう導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-05-07 20:48:51 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>使徒の働き27：18 ～ 26</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3442391036</link>
         <description><![CDATA[<p>18 私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、</p><p>19 三日目には、自分の手で船具までも投げ捨てた。</p><p>20 太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。</p><p>21 だれも長いこと食事をとらなかったが、そのときパウロが彼らの中に立って、こう言った。「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。</p><p>22 しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。</p><p>23 昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、</p><p>24 こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』</p><p>25 ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。</p><p>26 私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」</p><p><br/></p><p><strong>絶望する乗員たち（2）</strong></p><p><strong>パウロの励まし</strong></p><p>「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです」。（1）パウロは、「クレテを出帆する時に、私の忠告に耳を傾けていれば、こうはならなかった」と語った。それゆえ、次に与えられる忠告には耳を傾けなければならないと言うのだ。パウロは、過去の失敗を責めているのではなく、将来の希望に目を向けさせている。（2）パウロは、①失われるのは船だけである、②いのちを失う者は一人もいない、と励ました。この言葉が、これ以降の物語の展開の鍵となる。（3）「良い港」を出る前に、パウロは、「積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます」と語っていた（10節）。これは、彼の主観的判断である。ここでは、神からの啓示が与えられたので、以前の発言を修正して、「いのちを失う者はひとりもいない」と断言した。<br>「昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。･･･』」。（1）前の夜、彼は、天使からの御告げを受けた。「私の仕えている神の御使い」という言葉は、異教の神とパウロが仕えている神を区別するためのものである。御使いはパウロに、必ずカイザルの前に立つようになると告げた。つまり、パウロはそれまでは死なないということである。（2）「神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです」とは、同船している人々も、パウロのゆえに助かるという意味である。パウロは、すべて啓示された通りになるから、元気を出しなさいと励ました。このことをされるのは、パウロが信じている神であることを印象づけた。（3）最後に彼は、船は必ず、どこかの島に打ち上げられると予告した。その島はマルタ島であるが、この時点では、そこまでは知らされていなかった。神の導きは、必要な時に必要なだけ与えられる。<br>パウロが語る希望は、神を信じるところから来る希望である。マルタ島に上陸する直前に、船にいた276 人全員が食事をして力を得た。パウロは一行に、魂の食物と肉体の食物を与えた。彼のバランス感覚に富んだ信仰から、教訓を学ぼう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>聖なる神よ。すべてのことは、あなたが啓示された通りになります。試練の中で、あなたにある希望を信じます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-05-08 21:02:14 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き27：27 ～ 32</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3444015846</link>
         <description><![CDATA[<p>27 十四日目の夜になって、私たちがアドリヤ海を漂っていると、真夜中ごろ、水夫たちは、どこかの陸地に近づいたように感じた。</p><p>28 水の深さを測ってみると、四十メートルほどであることがわかった。少し進んでまた測ると、三十メートルほどであった。</p><p>29 どこかで暗礁に乗り上げはしないかと心配して、ともから四つの錨を投げおろし、夜の明けるのを待った。</p><p>30 ところが、水夫たちは船から逃げ出そうとして、へさきから錨を降ろすように見せかけて、小舟を海に降ろしていたので、</p><p>31 パウロは百人隊長や兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたも助かりません」と言った。</p><p>32 そこで兵士たちは、小舟の綱を断ち切って、そのまま流れ去るのに任せた。</p><p><br/></p><p><strong>逃亡しようとする水夫たち（1）</strong></p><p><strong>陸地に近づく</strong></p><p>「十四日目の夜になって、私たちがアドリヤ海を漂っていると、真夜中ごろ、水夫たちは、どこかの陸地に近づいたように感じた。水の深さを測ってみると、四十メートルほどであることがわかった。･･･」。（1）船は嵐の中を14 日間漂流した。これは、「良い港」を出てからの日数である。船は、約750 キロ流されたことになる。水夫たちは、陸地に近づいていると感じた。水夫は、陸地の臭いをかぎ分けることができると言われている。この場合は、岸に打ち付ける波の音を聞いた可能性もある。（2）「アドリヤ海を漂っていると」とあるが、当時、アドリヤ海とは、地中海の中央部のことで、イタリア、クレテ島、北アフリカに囲まれた海域を指す。パウロの船は、地中海の南側から北西に流されたということである。（3）陸地に近づいていると感じた水夫たちは、水深を2 度測った。①糸（ロープ）に錘おもりを付け、どこまで沈むかで水深を測る。② 1 オルギヤ（竿）＝ 6 フィート（180㎝）である。最初の測定では、水深は20 オルギヤ＝ 180㎝× 20 ＝ 36 メートルであった。2 回目の測定では、水深は15 オルギヤ＝ 180㎝× 15 ＝ 27 メートルとなった。③水深が浅くなっていくので、陸地に近づいているのが分かった。</p><p><br/></p><p><strong>水夫たちの陰謀</strong></p><p>「どこかで暗礁に乗り上げはしないかと心配して、ともから四つの錨を投げおろし、夜の明けるのを待った。ところが、水夫たちは船から逃げ出そうとして、へさきから錨を降ろすように見せかけて、小舟を海に降ろしていたので、」。（1）一行は、船が暗礁に乗り上げるのを恐れ、4 つの錨を投げ下ろした。これは、船が流されないように固定するための処置である。ともから錨を降ろした理由は、船のへさきを陸地に向けるためである。（2）こうして、夜の明けるのを待った。「夜が明けるのを待ちわびた」（新改訳2017）という訳もある。ギリシア語で「ユーコマイ」は、「祈った」という訳も可能である。（3）ところが、水夫たちは船から逃げ出そうとした。彼らは、小舟に乗って自分たちだけが助かろうとしたのである。彼らは、へさきから錨を降ろすように見せかけて、小舟を海に降ろしていた。<br>もし水夫たちが逃げたなら、船は重大な危機に直面させられる。最悪の場合は、パウロがローマに行くという神の約束が成就しないことになる。しかし神は、パウロに知恵をお与えになった。パウロは、鋭い観察眼で、水夫たちの陰謀を見抜き、それを阻止する。神の計画は必ず成就する。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>聖なる神よ。あなたのご計画は必ず成就します。それゆえ、あなたを信頼します。きょうも、信仰によって歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=GffaupkUqNs" />
         <pubDate>2025-05-09 20:45:24 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き27：27 ～ 32</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3444653303</link>
         <description><![CDATA[<p>27 十四日目の夜になって、私たちがアドリヤ海を漂っていると、真夜中ごろ、水夫たちは、どこかの陸地に近づいたように感じた。</p><p>28 水の深さを測ってみると、四十メートルほどであることがわかった。少し進んでまた測ると、三十メートルほどであった。</p><p>29 どこかで暗礁に乗り上げはしないかと心配して、ともから四つの錨を投げおろし、夜の明けるのを待った。</p><p>30 ところが、水夫たちは船から逃げ出そうとして、へさきから錨を降ろすように見せかけて、小舟を海に降ろしていたので、</p><p>31 パウロは百人隊長や兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたも助かりません」と言った。</p><p>32 そこで兵士たちは、小舟の綱を断ち切って、そのまま流れ去るのに任せた。</p><p><br/></p><p><strong>逃亡しようとする水夫たち（2）</strong></p><p><strong>パウロの警告</strong></p><p>水夫たちは、小舟に乗って自分たちだけが助かろうと画策した。彼らは、へさきから錨を降ろすように見せかけて、小舟を海に降ろしていた。パウロは、鋭い観察眼でそれを見抜き、声を上げた。この背後には、激しい霊の戦い（光の国と闇の国の戦い）がある。<br>「パウロは百人隊長や兵士たちに、『あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたも助かりません』と言った。そこで兵士たちは、小舟の綱を断ち切って、そのまま流れ去るのに任せた」。（1）パウロは、百人隊長や兵士たちに警告を発した。①水夫たちは、船を操る専門家集団である。その彼らがいなくなると、船は手足をなくしたような状態になる。②神は、全員が助かると約束しておられたが、乗員たちの命を守るためには、水夫たちの力がぜひとも必要である。③水夫たちがいなくなると、船は非常に危険な状態に陥る。（2）今回は、百人隊長はパウロの助言を聞き入れた。前回、パウロの助言を無視したために、大変な目に遭ったからである。（3）兵士たちは、水夫たちが小舟に乗って逃げることがないように、小舟の綱を断ち切った。これは百人隊長の命令による行為である。綱を切られた小舟は、海に流されて行った。後に上陸する際に役立ったはずの小舟が、この時なくなってしまった。結果的に、乗員たちは岸まで泳いで行くことになる。</p><p><br/></p><p><strong>神の約束と悪魔の妨害</strong></p><p>「この背後には、激しい霊の戦いがある」と前述した。その内容を見てみよう。①水夫たちが小舟に乗って逃げようとしたのは、パウロや乗員を殺そうとする悪魔の策略である。②水夫たちの計画をパウロが見抜いたのは、神の助けがあったことの証拠である。③百人隊長は、パウロの勧告に従って小舟を切り離すように兵士たちに命じた。神の力は、悪魔の力よりも強い。神の約束が成就する方法は、人間の努力と超自然の要素が調和して進むことである。<br>困難な状況の中で、自分に何ができるか考えてみよう。人間の努力と超自然の要素が調和することを求めて祈ろう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。困難の中でこそ、あなたの約束を覚えます。正しい判断が出来るよう知恵を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-05-10 21:29:52 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>使徒の働き27：33 ～ 38</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3445260168</link>
         <description><![CDATA[<p>33 ついに夜の明けかけたころ、パウロは、一同に食事をとることを勧めて、こう言った。「あなたがたは待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして、十四日になります。</p><p>34 ですから、私はあなたがたに、食事をとることを勧めます。これであなたがたは助かることになるのです。あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません。」</p><p>35 こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた。</p><p>36 そこで一同も元気づけられ、みなが食事をとった。</p><p>37 船にいた私たちは全部で二百七十六人であった。</p><p>38 十分食べてから、彼らは麦を海に投げ捨てて、船を軽くした。</p><p><br/></p><p><strong>一同を励ますパウロ</strong></p><p><strong>食事をとることを勧める</strong></p><p>「あなたがたは待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして、十四日になります。ですから、私はあなたがたに、食事をとることを勧めます。これであなたがたは助かることになるのです。あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません」。（1）ここでパウロは、常識を働かせ、食事をとることを勧めた。乗員たちは、嵐の中を漂流したため、14 日間も食事をとっていなかった。パウロの信仰は、現実的であり地に足が付いていた。上陸するためには体力が必要である。このような判断ができることが、パウロの信仰の優れた点である。（2）次にパウロは、神の約束を伝えた。①「これであなたがたは助かることになるのです」。②「あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません」。これは、旧約聖書によく出て来る格言で、その意味は、ユダヤ人でなくても理解できた。主イエスも同様の格言を語っておられる。「それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています」（ルカ12：7a）<br>「こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで一同も元気づけられ、みなが食事をとった」。（1）これは聖餐式ではなく、ユダヤ的祈りから始める食事である。ユダヤ人が伝統的に唱える食前の祈りがある。日本語に訳すと、「あなたを称えます、私たちの神【主】、宇宙の王、地からパンを取り出す方」となる。この祈りによって、嵐の海からの救出は、パウロの神によるものであることが印象付けられた。（2）パウロは、パンの一片を裂き、それを食べた。そして一同は、パウロの例に倣い、食事をとった。この食事は、彼らに力を与えた。<br>「船にいた私たちは全部で二百七十六人であった。十分食べてから、彼らは麦を海に投げ捨てて、船を軽くした」。（1）乗員は、276 人いた。その中に囚人が何人いたのかは分からない。（2）十分に食べてから、彼らは船荷（麦）を海に投げ捨てた。これは、船を軽くし、吃水きっすい（船が沈む深さ）を浅くするための方法である。これは、船を可能な限り陸に近づけるための対策である。<br>神の約束が成就する方法は、人間の努力と超自然の要素の調和である。神の約束が成就するためには、①水夫の存在が必要である。②食事が必要である。③泳ぎの能力や浮遊物が必要である。神が働かれる方法を限定してはならない。神は、不信者を用いて働かれることもある。きょうも神に用いていただこうではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能なる神よ。あなたには不可能なことはなく、すべてのことが可能です。それゆえ、信頼します。どうか、私を用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=eFWQv4PWhJA" />
         <pubDate>2025-05-11 20:32:12 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き27：39 ～ 44</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3447114161</link>
         <description><![CDATA[<p>39 夜が明けると、どこの陸地かわからないが、砂浜のある入江が目に留まったので、できれば、そこに船を乗り入れようということになった。</p><p>40 錨を切って海に捨て、同時にかじ綱を解き、風に前の帆を上げて、砂浜に向かって進んで行った。</p><p>41 ところが、潮流の流れ合う浅瀬に乗り上げて、船を座礁させてしまった。へさきはめり込んで動かなくなり、ともは激しい波に打たれて破れ始めた。</p><p>42 兵士たちは、囚人たちがだれも泳いで逃げないように、殺してしまおうと相談した。</p><p>43 しかし百人隊長は、パウロをあくまでも助けようと思って、その計画を押さえ、泳げる者がまず海に飛び込んで陸に上がるように、</p><p>44 それから残りの者は、板切れや、その他の、船にある物につかまって行くように命じた。こうして、彼らはみな、無事に陸に上がった。</p><p><br/></p><p><strong>座礁する船</strong></p><p><strong>砂浜のある入江</strong></p><p>「夜が明けると、どこの陸地かわからないが、砂浜のある入江が目に留まったので、できれば、そこに船を乗り入れようということになった。錨を切って海に捨て、同時にかじ綱を解き、風に前の帆を上げて、砂浜に向かって進んで行った」。（1）「砂浜のある入江」というのは、伝統的に聖パウロ湾と呼ばれている場所である。そこは港ではないが、船を着けることが可能な場所である。そこの砂浜に船を乗り上げれば、なんとか上陸できる。（2）船は、その入江に向かってできるだけ速度を上げて進み始めた。①船の両側に付いている櫂かいを出し、それで漕ぎ始めた。これは、船の速度を上げるための努力である。②前の帆を上げたのは、風によって船に推進力を与えるためである。<br>「ところが、潮流の流れ合う浅瀬に乗り上げて、船を座礁させてしまった。へさきはめり込んで動かなくなり、ともは激しい波に打たれて破れ始めた。兵士たちは、囚人たちがだれも泳いで逃げないように、殺してしまおうと相談した」。（1）2 つの潮流が混じり合う所では砂や泥が堆積たいせきし、浅瀬を形成していた。そこに浅瀬があることは、船からは見えなかった。船はその浅瀬に乗り上げ、座礁した。へさきが砂の中に深くめり込んで動かなくなり、後部は、激しい波に打たれ壊れ始めた。（2）この時、兵士たちは、囚人たちを殺そうとした。囚人たちが逃げたなら、自分たちが死刑宣言を受けることになる。もし囚人たち（パウロもその中に入る）が殺されたら、神の約束は成就しなかったことになる。ここにも、霊的戦いが存在している。<br>「しかし百人隊長は、パウロをあくまでも助けようと思って、その計画を押さえ、泳げる者がまず海に飛び込んで陸に上がるように、それから残りの者は、板切れや、その他の、船にある物につかまって行くように命じた。こうして、彼らはみな、無事に陸に上がった」。（1）百人隊長は、パウロを助けようとした。彼は、パウロが信頼できる人物であることを認めたのである。（2）百人隊長は、3 つのことを命じた。①兵士たちの計画を阻止した。②泳げる者は、先に泳いで陸に上がるように命じた。③泳げない者は、浮かぶ物につかまって陸まで行くように命じた。（3）百人隊長の命令によって、パウロの預言が成就した。①船は壊れた。②しかし、全員が無事に上陸した。<br>神は今も、私たちを用いて働いておられる。神の約束に信頼を置く者は、幸いである。神に不可能はない。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。きょうも、あなたの約束に信頼しつつ歩みます。どうか、私を通して、御心を行ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-05-12 20:53:34 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き28：1 ～ 2</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3449180706</link>
         <description><![CDATA[<p>1 こうして救われてから、私たちは、ここがマルタと呼ばれる島であることを知った。</p><p>2 島の人々は私たちに非常に親切にしてくれた。おりから雨が降りだして寒かったので、彼らは火をたいて私たちみなをもてなしてくれた。</p><p><br/></p><p><strong>マルタ島上陸</strong></p><p><strong>文脈の確認</strong></p><p>今パウロはカイザリヤからローマに向かっている（囚人として）。パウロは、ローマに上るというゴールを常に意識していた。「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、『私はそこに行ってから、ローマも見なければならない』と言った」（使19：21）。<br>その過程で、パウロは幾多の困難に直面した。①大嵐に遭遇そうぐうし、船が漂流した。②船が座礁ざしょうした。③しかし、パウロの命は守られて来た。④そしてついに、パウロはマルタ島に漂着した。</p><p><br/></p><p><strong>島民のもてなし</strong></p><p>「こうして救われてから、私たちは、ここがマルタと呼ばれる島であることを知った」。パウロの一行は、マルタ島に上陸した。①この島は、地中海の中央、シチリア島から南に93 キロ離れた所にある縦29キロ、横13 キロ、最高標高点253 メートルの島である。②現在は、マルタ共和国内の島（同国内で最大の島）である。③1989 年12 月、米ソ首脳による会談（マルタ会談）が開催され、米ソ冷戦の終結が宣言されたことで有名である。④猫が非常に多く生息している島としても有名（70万匹以上で、人口の倍近くの数）。マルチーズ犬の原産地でもある。<br>「島の人々は私たちに非常に親切にしてくれた。おりから雨が降りだして寒かったので、彼らは火をたいて私たちみなをもてなしてくれた」。（1）「島の人々」は、ギリシア語では「バーバロス」である。英語では、「the barbarians」であるが、この言葉には、野蛮人や未開人というニュアンスはない。当時、ギリシア語やラテン語を話さない人は、「バーバロス」と呼ばれた。（2）この時代、マルタ島には、フェニキア出身の人たちが住んでいた。彼らは、ギリシア・ローマ文明とは異なるが、洗練された文化を持っていた。それゆえ、野蛮人ではない。（3）彼らは、漂着した一行を非常に親切にもてなした（雨が降って寒かったので、浜辺でたき火を焚いてくれた）。<br>パウロがローマを訪問するというのは、神の御心であった。神の御心なら、いかなる困難があろうとも、それは成就する。このことを覚え、さらに神に忠実に歩もうではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。いかなる困難があろうとも、あなたの御心は必ず成就します。きょうも、あなたに忠実に歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-05-13 21:03:25 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き28：3 ～ 6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3451164617</link>
         <description><![CDATA[<p>3 パウロがひとかかえの柴しばをたばねて火にくべると、熱気のために、一匹のまむしがはい出して来て、彼の手に取りついた。</p><p>4 島の人々は、この生き物がパウロの手から下がっているのを見て、「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ」と互いに話し合った。</p><p>5 しかし、パウロは、その生き物を火の中に振り落として、何の害も受けなかった。</p><p>6 島の人々は、彼が今にも、はれ上がって来るか、または、倒れて急死するだろうと待っていた。しかし、いくら待っても、彼に少しも変わった様子が見えないので、彼らは考えを変えて、「この人は神さまだ」と言いだした。</p><p><br/></p><p><strong>まむしの毒</strong></p><p><strong>まむしに噛まれるパウロ</strong></p><p>「パウロがひとかかえの柴をたばねて火にくべると、熱気のために、一匹のまむしがはい出して来て、彼の手に取りついた」。（1）パウロは疲れていたであろうに、自分でも柴をたばねて、火にくべた。当時パウロは、50 代の半ばになっていた。（2）すると、一匹のまむしがパウロの手に噛みついた。寒かったので、まむしは固くなっており、昏睡こんすい状態にあった（その状態のまむしは、木の枝と区別がつきにくい）。ところが、そのまむしは、熱気に驚いて目を覚まし、パウロの手に噛かみついた。通常まむしは、噛んだら直ぐに離れるのだが、昏睡状態が残っていたので、異常な行動を取ったのであろう。ちなみに、現在マルタ島にまむしは生息していない。（3）これでパウロは、3 度命の危険に遭遇したことになる。①大嵐、②船の座礁、③まむしの毒。<br>「島の人々は、この生き物がパウロの手から下がっているのを見て、『この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ』と互いに話し合った。･･･」。（1）これを見た島民たちは、パウロについてこう評価した。①パウロは極悪人だ（人殺し）。②海からは逃れたが、正義の女神は彼を生かしておかないのだ。正義の女神とは、偶像神ではなく、抽象的な概念を神格化したものである。（2）しかし、パウロは平然としていた。彼は、まむしを火の中に振り落とし、何の害も受けなかった。</p><p><br/></p><p><strong>神格化されるパウロ</strong></p><p>「島の人々は、彼が今にも、はれ上がって来るか、または、倒れて急死するだろうと待っていた。しかし、いくら待っても、彼に少しも変わった様子が見えないので、彼らは考えを変えて、『この人は神さまだ』と言いだした」。（1）彼らは、パウロが苦しんで地に倒れるのを注視して待った。しかし、いくら待ってもパウロに異変は起こらなかった。島民たちは、パウロに対する評価を変え、パウロを神だと言い始めた。（2）かつてパウロは、神だと言われたことがあった。使徒14：11 ～ 12 にその記録がある（ルステラでの足のきかない人の癒し）。（3）マルタの島民たちの場合は、パウロを礼拝するところまでは行かなかった。<br>ルカが「まむしのエピソード」を記したのは、パウロの上に神の守りがあることを示すためである。パウロは、必ずローマに行き、そこで主イエスを証しする。ここに私たちへの適用がある。神が私たちの上に持っておられる計画は、必ず成就する。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたは、私の上にもご計画を持ってくださっています。その成就を信じつつ、信仰によって歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-05-14 20:56:46 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き28：7 ～ 10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3453054607</link>
         <description><![CDATA[<p>7 さて、その場所の近くに、島の首長でポプリオという人の領地があった。彼はそこに私たちを招待して、三日間手厚くもてなしてくれた。</p><p>8 たまたまポプリオの父が、熱病と下痢とで床に着いていた。そこでパウロは、その人のもとに行き、祈ってから、彼の上に手を置いて直してやった。</p><p>9 このことがあってから、島のほかの病人たちも来て、直してもらった。</p><p>10 それで彼らは、私たちを非常に尊敬し、私たちが出帆するときには、私たちに必要な品々を用意してくれた。</p><p><br/></p><p><strong>病人を癒すパウロ</strong></p><p><strong>島の首長ポプリオ</strong></p><p>「さて、その場所の近くに、島の首長でポプリオという人の領地があった。彼はそこに私たちを招待して、三日間手厚くもてなしてくれた」。（1）島の首長でポプリオという人が登場する。「首長」は、ギリシア語で「プロトス」であり、ローマの官職のタイトルである。この人は、マルタ島の総督であった。（2）パウロの一行は、総督ポプリオの家に招かれた。①まむし事件で、ポプリオは感銘を受けたのであろう。②パウロ、ルカ、アリスタルコの3 人は、3 日間にわたって手厚いもてなしを受けた。<br>「たまたまポプリオの父が、熱病と下痢とで床に着いていた。そこでパウロは、その人のもとに行き、祈ってから、彼の上に手を置いて直してやった。…」。（1）パウロは、ポプリオの父を癒した。ポプリオの父は、熱病と下痢で床に着いていた。これはマルタ熱と呼ばれる感染症で、特に地中海沿岸に分布するものである。マルタ島のヤギの生乳の飲用により感染すると言われている。パウロは、祈り、手を置いてから癒した。（2）パウロによる癒しの噂が、島中に広がった。ほかの病人たちも来て、パウロによって直してもらった。（3）島民たちは、3 ヶ月後に出帆する時には、必要な品々を用意してくれた。</p><p><br/></p><p><strong>私たちへの適用</strong></p><p>イエスが行われたカペナウムでの癒し（ルカ4：38 ～ 40）を思い出しながら、ルカが描く主イエスとパウロの対比を見てみよう。（1）イエスは、一人の癒しから始め、多くの人を癒された。パウロも、一人の癒しから始め、島の他の病人たちを癒した。（2）最初の一人は、イエスをもてなしている人の家族（ 姑しゅうとめ）であった。パウロの場合の最初の一人は、パウロをもてなしてくれた総督の父であった。（3）ペテロの姑は、高熱（風土病）で苦しんでいた。総督の父も、高熱（マルタ熱）で苦しんでいた。（4）イエスは、一人ひとりに手を置いて、癒した。パウロも、祈り、手を置いて、癒した。<br>ルカの福音書と使徒の働きを一つの記録として見ると、イエスの公生涯の最初の出来事と、使徒の働きの最後の出来事が、対比されていることが分かる。ルカは、福音書でイエスの生涯を描き、使徒の働きで復活のイエスの活動を描いた。パウロは、イエスに用いられた神の器である。イエスは、今も教会建設の業を進めておられる。私たちは、その目的のために仕える神のしもべたちである。私たちを通して、神の栄光が現れるように祈ろうではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。御子イエスは、今も教会建設の業を進めておられます。どうか、私を用いて、私を通して栄光を現してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-05-15 20:41:01 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き28：11 ～ 16</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3454657305</link>
         <description><![CDATA[<p>11 三か月後に、私たちは、この島で冬を過ごしていた、船首にデオスクロイの飾りのある、アレキサンドリヤの船で出帆した。</p><p>12 シラクサに寄港して、三日間とどまり、</p><p>13 そこから回って、レギオンに着いた。一日たつと、南風が吹き始めたので、二日目にはポテオリに入港した。</p><p>14 ここで、私たちは兄弟たちに会い、勧められるままに彼らのところに七日間滞在した。こうして、私たちはローマに到着した。</p><p>15 私たちのことを聞いた兄弟たちは、ローマからアピオ・ポロとトレス・タベルネまで出迎えに来てくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。</p><p>16 私たちがローマに入ると、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許された。</p><p><br></p><p><strong>マルタからローマへ（1）</strong></p><p><strong>文脈の確認</strong></p><p>今パウロは、カイザリヤからローマに向かっている。その過程で、パウロは幾多の困難に遭遇して来た。①大嵐に遭遇し、船が漂流した。②船が座礁した。③マルタ島でまむしに噛まれた。しかし、パウロの命は守られて来た。そしてついに、彼はローマに到着する。</p><p><br></p><p><strong>マルタからポテオリへ</strong></p><p>「三か月後に、私たちは、この島で冬を過ごしていた、船首にデオスクロイの飾りのある、アレキサンドリヤの船で出帆した。シラクサに寄港して、三日間とどまり、そこから回って、レギオンに着いた。一日たつと、南風が吹き始めたので、二日目にはポテオリに入港した」。（1）パウロの一行は、マルタ島で3ヶ月間待った。春になると航海が可能になる。マルタ島からローマまでは、まだ335キロもある。（2）百人隊長は、マルタ島で冬を過ごしていた船を予約することができた。この船は、アレキサンドリヤを母港とする穀物船である。（3）この船は、船首に「デオスクロイの飾り」のあるアレキサンドリヤの船であった。「デオスクロイ」は、航海の守護神である。カストルとポルックスという双子のギリシア神話の神を指す。ローマ時代の地中海では、「デオスクロイ」を船首に飾った船がたくさん航海していた。（4）ルカが「デオスクロイの飾りのある船」と書いているのは、皮肉（アイロニー）である。ルカは、真の守護神は誰かを思い起こさせるためにこれを書いたのであろう。嵐の海にあって私たちを守ってくださるのは、天地を創造された神だけである。<br>マルタ島を出帆してからの旅程は、以下のようなものである。①シラクサ：シチリア島の東岸にある大いに栄えた港町。船は、ここに3 日間留まった。②レギオン：イタリア半島のつま先に位置する港町。③ポテオリ：さらに360 キロ北。イタリア半島のすねの部分に位置する港町。ほとんどの船が、この港町で船荷を降ろす。<br>ここで、使徒の働きの執筆プラン（使1：8）を思い起こそう。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」（使1：8）。（1）福音伝達は、エルサレムから始まった。（2）ペテロを中心とした使徒たちの伝道によって、福音はユダヤに広まった。（3）ピリポの伝道によって、福音はサマリヤに広まった。（4）パウロの伝道によって、福音は地の果てまで広まって行く。私たちは、パウロの働きの継承者である。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>創造主なる神よ。どうか、人生の嵐の海にあって、私をお守り導いてください。きょうも、あなたを信頼しつつ歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=yfQqbQ97euo" />
         <pubDate>2025-05-16 20:55:38 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3454657305</guid>
      </item>
      <item>
         <title></title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3455321539</link>
         <description><![CDATA[<p><strong>使徒の働き28：11 ～ 16</strong></p><p>11 三か月後に、私たちは、この島で冬を過ごしていた、船首にデオスクロイの飾りのある、アレキサンドリヤの船で出帆した。</p><p>12 シラクサに寄港して、三日間とどまり、</p><p>13 そこから回って、レギオンに着いた。一日たつと、南風が吹き始めたので、二日目にはポテオリに入港した。</p><p>14 ここで、私たちは兄弟たちに会い、勧められるままに彼らのところに七日間滞在した。こうして、私たちはローマに到着した。</p><p>15 私たちのことを聞いた兄弟たちは、ローマからアピオ・ポロとトレス・タベルネまで出迎えに来てくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。</p><p>16 私たちがローマに入ると、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許された。</p><p><br></p><p><strong>マルタからローマへ（2）</strong></p><p><strong>ポテオリにて</strong></p><p>ポテオリは、イタリア半島のすねの部分に位置する港町である。ほとんどの船が、ここで船荷を降ろす。<br>「ここで、私たちは兄弟たちに会い、勧められるままに彼らのところに七日間滞在した。こうして、私たちはローマに到着した」。ポテオリには教会があった。パウロは、兄弟たちのもてなしを受け、彼らのところに7 日間滞在した。ルカは、「こうして、私たちはローマに到着した」と書いている。ポテオリからローマまでは、まだ200 キロもあるのだが、ルカは、ついにローマに着いたという感慨かんがいを持ったのである。</p><p><br></p><p><strong>アピオ・ポロとトレス・タベルネ</strong></p><p>「私たちのことを聞いた兄弟たちは、ローマからアピオ・ポロとトレス・タベルネまで出迎えに来てくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた」。（1）パウロ到着の知らせは、直ちにローマまで伝わった。ローマの信者たちは、パウロを出迎えるために、トレス・タベルネまで来た。彼らは、アッピア街道を50 キロ以上も下って来たのである。余力のある者たちは、さらに15キロ下って、アピオ・ポロまで来た。（2）ここでパウロは、初めてローマのクリスチャンたちと会った。これより3 年前に、パウロはローマ人への手紙を書き送っていた。ローマの信者たちからの歓迎を受け、パウロは神に感謝した。また、大いに勇気づけられた。<br>「私たちがローマに入ると、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許された」。（1）マルタ島からローマまでは、約3 週間の旅であったと思われる。①パウロのローマ到着は、イエスの勝利の入城を想起させる。②かくして福音は、ユダヤ、サマリア、地の果て（ローマ）まで届けられた。③異邦人のための使徒パウロは、ローマ帝国の首都で福音を伝えるようになった。（2）ローマ市民であるパウロは丁寧な扱いを受けた。①自費で借りた家に一人で住むことが許された。②番兵が付けられた。<br>戦いの後には、安らぎと感謝の時が来る。そのことを覚え、信仰の道を歩み続けようではないか。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。戦いの後には、必ず安らぎと感謝の時が来ます。それゆえ、きょうも信仰によって歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-05-17 21:18:48 UTC</pubDate>
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         <title>使徒の働き28：17 ～ 22</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3455986813</link>
         <description><![CDATA[<p>17 三日の後、パウロはユダヤ人のおもだった人たちを呼び集め、彼らが集まったときに、こう言った。「兄弟たち。私は、私の国民に対しても、先祖の慣習に対しても、何一つそむくことはしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に渡されました。</p><p>18 ローマ人は私を取り調べましたが、私を死刑にする理由が何もなかったので、私を釈放しようと思ったのです。</p><p>19 ところが、ユダヤ人たちが反対したため、私はやむなくカイザルに上訴しました。それは、私の同胞を訴えようとしたのではありません。</p><p>20 このようなわけで、私は、あなたがたに会ってお話ししようと思い、お招きしました。私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです。」</p><p>21 すると、彼らはこう言った。「私たちは、あなたのことについて、ユダヤから何の知らせも受けておりません。また、当地に来た兄弟たちの中で、あなたについて悪いことを告げたり、話したりした者はおりません。</p><p>22 私たちは、あなたが考えておられることを、直接あなたから聞くのがよいと思っています。この宗派については、至る所で非難があることを私たちは知っているからです。」</p><p><br/></p><p><strong>ユダヤ人たちとの最初の会談</strong></p><p><strong>ユダヤ人伝道</strong></p><p>「三日の後、パウロはユダヤ人のおもだった人たちを呼び集め、彼らが集まったときに、こう言った。『兄弟たち。私は、私の国民に対しても、先祖の慣習に対しても、何一つそむくことはしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に渡されました。ローマ人は私を取り調べましたが、私を死刑にする理由が何もなかったので、私を釈放しようと思ったのです』」。（1）「三日の後」とある。①パウロは直ちにユダヤ人たちとの対話を開始した。②当時ローマには、相当数のユダヤ人がいた（1 ～ 5 万人）。③彼は、ユダヤ人の指導者たちを自分の家に呼び集めた。自分からユダヤ人の会堂に行くことができなかったのであろう。もちろん、招く前に、彼らがパウロに敵対的でないことを確かめたはずである。もし彼らが、エルサレムのユダヤ人のようなら、危険な状態になる。（2）ユダヤ人たちを招いた目的がある。①パウロは、先ずユダヤ人に福音を伝えようとした。これは、パウロが採用した伝道の原則である。②パウロは、自分がローマに来た理由を説明しようとした。誤解を生む前に、自ら主導権を取って動いたということである。<br>「ところが、ユダヤ人たちが反対したため、私はやむなくカイザルに上訴しました。それは、私の同胞を訴えようとしたのではありません。…」。（1）17 ～20 節は、使徒22 ～ 26 章で起こったことの要約である。長い物語であったが、ルカはその要点をまとめてくれている。（2）その要点は、こうである。①自分は、律法に背いていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に渡された。②ローマ人は自分を取り調べ、無罪なので釈放しようとした。③ところが、ユダヤ人たちが反対したので、自分はやむなくカイザルに上訴した。④自分は、同胞を訴えようとしたのではない。⑤自分は、イスラエルの望みのためにこの鎖につながれている。<br>「すると、彼らはこう言った。『私たちは、あなたのことについて、ユダヤから何の知らせも受けておりません。…』」。ローマのユダヤ人たちは、パウロのことについてはよく知らなかった。エルサレムとローマのユダヤ人たちは、頻繁ひんぱんに交流していたので、ローマのユダヤ人たちがパウロのことを知らないというのは、奇跡である。意図的に「この道」についての話題を避けていた可能性もある。パウロが採用した伝道の原則は、今も生きている。先ずユダヤ人に、次に異邦人に。ユダヤ人の救いのために祈り続けようではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私も、パウロが採用した伝道の原則に従って、福音を述べ伝えることが出来るよう御霊によって導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-05-18 21:07:01 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>使徒の働き28：23 ～ 28</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3457859511</link>
         <description><![CDATA[<p>23 そこで、彼らは日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。</p><p>24 ある人々は彼の語る事を信じたが、ある人々は信じようとしなかった。</p><p>25 こうして、彼らは、お互いの意見が一致せずに帰りかけたので、パウロは一言、次のように言った。「聖霊が預言者イザヤを通してあなたがたの父祖たちに語られたことは、まさにそのとおりでした。</p><p>26 『 この民のところに行って、告げよ。あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。</p><p>27 この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』</p><p>28 ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。」</p><p><br/></p><p><strong>ユダヤ人たちとの2 度目の会談</strong></p><p><strong>ユダヤ人たちとの2 度目の会談</strong></p><p>「そこで、彼らは日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。ある人々は彼の語る事を信じたが、ある人々は信じようとしなかった」。（1）後日、より多くのユダヤ人たちがパウロの家に来た。これは、パウロとユダヤ人たちの2 度目の会談である。パウロは、朝から晩まで語り続けた。（2）パウロのメッセージの内容は、神の国である。彼は、神の国のことを証しした。ここでの神の国とは、メシア的王国のことである。パウロは、ヘブル語聖書に基づいて、イエスがメシアであると、ユダヤ人たちを説得しようとした。（3）ユダヤ人たちの反応は、パウロが願ったようなものではなかった。①ある人々は信じた。②ある人々は信じようとしなかった。<br>お互いの意見が一致せずに帰りかけたユダヤ人たちに向かって、パウロはこう言った。「聖霊が預言者イザヤを通してあなたがたの父祖たちに語られたことは、まさにそのとおりでした。『この民のところに行って、告げよ。あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。･･･』」。別れ際に、パウロはイザヤ6：9 ～ 10 を引用した。①イザヤの時代、ユダヤ人たちは信じなかった。②パウロの時代でも、ユダヤ人たちは信じなかった。③ 21 世紀の今も、ユダヤ人たちの大半がイエスを信じようとしない。<br>「ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう」。この聖句が、使徒の働きのクライマックスである。①ユダヤ人は福音を拒否した。②その結果、福音は異邦人に届けられることになった。ここで、使徒の働きの執筆プラン（使1：8）を再度思い出そう。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」。エルサレムから始まった福音伝達は、パウロの伝道によって地の果てまで広がった。私たちは、その延長線上に置かれている。神は今もご自身の計画を成就するために働いておられる。聖書的歴史観を持つ人は、幸いである。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。今も、あなたのご計画は成就へと前進しています。御心の広さ、長さ、高さ、深さを理解する力を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-05-19 20:48:09 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>使徒の働き28：30 ～ 31</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3459884119</link>
         <description><![CDATA[<p>30 こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、</p><p>31 大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。</p><p><br/></p><p><strong>異邦人伝道</strong></p><p><strong>神の国を宣べ伝えた</strong></p><p>「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた」。（1）パウロが無罪であることは、ローマ当局によって公おおやけに認識されていたようである。彼は、丸2 年の間、自費で借りた家に住み、快適に暮らすことができた。（2）パウロはローマで2 年の間、異邦人伝道を行うことができた。①彼は大胆に語った。②ローマの官憲による妨げは、全くなかった。③彼は神の国を宣べ伝えた。④彼はイエスが約束のメシアであることを教えた。</p><p><br/></p><p><strong>使徒の働きの結末</strong></p><p>使徒28：30 ～ 31 が、使徒の働きの中に記された7 つの教会成長レポートの最後である。念のために、7 つの教会成長レポートの箇所を記してみる。①使徒2：47、②使徒6：7、③使徒9：31、④使徒12：24、⑤使徒16：5、⑥使徒19：20、⑦使徒28：30 ～ 31。<br>パウロが宣べ伝えた神の国とは、メシア的王国（千年王国）のことである。①パウロは、地上に文字通り千年王国が成就すると信じていた。②千年王国は、字義通りの御国であり、ヘブル的希望でもある。③パウロは、この希望のゆえに捕えられた。</p><p><br/></p><p><strong>今も続くキリストの御業</strong></p><p>使徒の働きのエンディングは、教会建設の業が継続していることを示している。普遍的教会の建設は、キリストの御業である。そのために、キリストは人間を用いる。①使徒たち、②一般の弟子たち、③ペテロ（使徒の働きの前半）、④パウロ（使徒の働きの後半）。パウロの生涯は、献身した一人の人間が、どれほどのことを為すことができるかを教えている。私たちも、キリストのしもべとして献身の道を歩もうではないか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたのご計画の素晴らしさのゆえに御名をほめたたえます。どうか、普遍的教会の建設のために私を用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-05-20 20:51:57 UTC</pubDate>
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         <title>サムエル記第二1：1 ～ 10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3461828171</link>
         <description><![CDATA[<p>1 サウルの死後、ダビデはアマレク人を打ち破って帰り、二日間、ツィケラグに滞在した。</p><p>2 三日目に、突然、ひとりの男がサウルの陣営からやって来た。その着物は裂け、頭には土をかぶっていた。彼は、ダビデのところに来ると、地にひれ伏して、礼をした。</p><p>3 ダビデは言った。「どこから来たのか。」彼はダビデに言った。「イスラエルの陣営からのがれて来ました。」</p><p>4 ダビデは彼に言った。「状況はどうか、話してくれ。」すると彼は言った。「民は戦場から逃げ、また民の多くは倒れて死に、サウルも、その子ヨナタンも死にました。」</p><p>5 ダビデは、その報告をもたらした若者に言った。「サウルとその子ヨナタンが死んだことを、どうして知ったのか。」</p><p>6 報告をもたらした若者は言った。「私は、たまたま、ギルボア山にいましたが、ちょうどその時、サウルは槍にもたれ、戦車と騎兵があの方に押し迫っていました。<br>7 サウルが振り返って、私を見て呼びました。私が『はい。』と答えると、</p><p>8 サウルは私に、『おまえはだれだ。』と言いましたので、『私はアマレク人です。』と答えますと、</p><p>9 サウルが、『さあ、近寄って、私を殺してくれ。まだ息があるのに、ひどいけいれんが起こった。』と言いました。</p><p>10 そこで私は近寄って、あの方を殺しました。もう倒れて生きのびることができないとわかったからです。私はその頭にあった王冠と、腕についていた腕輪を取って、ここに、あなたさまのところに持ってまいりました。」</p><p><br/></p><p><strong>サウルの戦死の報告</strong></p><p><strong>開かれた扉</strong></p><p>サムエル記第一とサムエル記第二とは、本来は一つの書ですから、そのように読む必要があります。ダビデのもとにひとりのアマレク人がやって来て、褒賞欲しさにサウルの戦死について虚偽の報告をします。<br>（1）当時ダビデは、非常に心が沈んだ状態にありました。しかし彼は、すべての状況を主にゆだねていました。（2）彼はサウルの死を望んではいませんでした。つまり、早く王座に着きたいとは思っていなかったということです。（3）そのダビデのために、突如扉が開かれました。王となる機会は、サウルの戦死とともにやって来ました。主にゆだねるなら、主は最善の時に、私たちのために扉を開いてくださいます。時が良くても悪くても、主に信頼することを学びましょう。主は私たちのために、最善の計画を実行していてくださいます。</p><p><br/></p><p><strong>アマレク人の若者</strong></p><p>（1）ダビデがアマレク討伐から帰還して三日目に、アマレク人の若者が、喪に服した姿で戦場からやって来て、戦況報告をします。この若者の素性については、三つの可能性が考えられます。奴隷か、傭兵ようへいか、死体から物を奪う盗人かのいずれかです。（2）彼はダビデに戦況報告をしています。イスラエルは敗北し、民の多くが戦死し、サウルとヨナタンも死んだ、と。（3）その戦死をどのようにして知ったのかと尋ねられた彼は、自分は偶然そこにいたのだが、サウルが死にそうになっているのを見て、とどめを刺したと答えます。（4）その証拠として、彼は奪って来たサウルの王冠と腕輪をダビデに見せます。（5）この話は、彼の作り話です。彼は、次の王となるはずのダビデはサウルの死を喜び、とどめを刺した自分に褒賞をくれるだろうと予想したのです。しかし、次回見るように、ダビデはサウルの死を喜ぶような人ではありませんでした。<br>サウル王は、アマレク人を打たなかったために王座から退けられました（Ⅰサムエル記28：18）。そして皮肉なことに、そのアマレク人によって今仕返しを受けています。ここから教訓を学びましょう。不従順の罪は、必ずいつか自分にはねかえってきます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。時が良くても悪くても、あなたに信頼して歩み続けます。私の信仰を守ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=6FO1tywQAm0" />
         <pubDate>2025-05-21 20:52:18 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二1：11 ～ 16</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3463714150</link>
         <description><![CDATA[<p>11 すると、ダビデは自分の衣をつかんで裂いた。そこにいた家来たちもみな、そのようにした。</p><p>12 彼らは、サウルのため、その子ヨナタンのため、また、主の民のため、イスラエルの家のためにいたみ悲しんで泣き、夕方まで断食した。彼らが剣に倒れたからである。</p><p>13 ダビデは自分に報告した若者に言った。「おまえはどこの者か。」若者は答えた。「私はアマレク人で、在留異国人の子です。」</p><p>14 ダビデは言った。「主に油そそがれた方に、手を下して殺すのを恐れなかったとは、どうしたことか。」</p><p>15 ダビデは若者のひとりを呼んで言った。「近寄って、これを打て。」そこで彼を打ち殺した。</p><p>16 そのとき、ダビデは彼に言った。「おまえの血は、おまえの頭にふりかかれ。おまえ自身の口で、『私は主に油そそがれた方を殺した。』と言って証言したからである。」</p><p><br/></p><p><strong>報告者の断罪</strong></p><p><strong>ダビデの悲しみ</strong></p><p>戦況報告を聞いたダビデは、自分の衣をつかんで裂きました。彼の家来たちも同じようにしました。これは、深い悲しみと哀悼の意を表わしたということです。アマレク人の予測とは反対に、ダビデは深く悲しみました。彼らは、（1）サウルのために、（2）その息子ヨナタンのために、（3）主の民のために、（4）そしてイスラエルの家（民間人）のために悼いたみ悲しみ、夕方まで断食をしました。<br>ダビデは演技したのではなく、心からサウルとヨナタンの死を悼み悲しんだのです。そこに、彼がイスラエルの指導者として認められていく理由があります。箴言24：17には、「あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。彼がつまずくとき、あなたは心から楽しんではならない」とあります。ここから、クリスチャンとしてのあるべき心構えについて学ぼうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>処刑</strong></p><p>報告者のアマレク人は、褒賞にあずかるどころか、その場で処刑されてしまいました。（1）彼は「在留異国人の子」です。ということは、彼はサウル王の臣下なのです。ところが彼は、自分の口で、主に油注がれたサウル王にとどめを刺したと証言しました。（2）これは嘘の報告でしたが、ダビデはその若者が持って来た王冠と腕輪を見て、その報告を信じたのです。若者は、自らが蒔いた種の刈り取りをしています。（3）ダビデの高潔な人格と信仰とは、神を知らない異邦人には理解できないものです。ダビデは主を恐れ、主によって油注がれた王を尊んでいました。また、ヨナタンとは友情契約を結んでいました。<br>神を知らない人の判断と、クリスチャンの判断とは、本質的に異なります。クリスチャンはこの世にいながら、この世のものではありません。より高い基準と動機によって動かされているのがクリスチャンです。日々の生活の中で、自らの信仰をどのように生かしてきたか、今自己吟味をしてみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天地創造の神よ。あなたの思いは人の思いとは異なります。どうか、あなたの基準に従って歩むことができますように。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=Ipx8h_e4y08" />
         <pubDate>2025-05-22 20:46:10 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二1：17 ～ 27</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3465274330</link>
         <description><![CDATA[<p>17 ダビデは、サウルのため、その子ヨナタンのために、この哀歌を作り、</p><p>18 この弓の歌をユダの子らに教えるように命じた。これはヤシャルの書にしるされている。</p><p>19 「イスラエルの誉れは、おまえの高き所で殺された。ああ、勇士たちは倒れた。</p><p>20 これをガテに告げるな。アシュケロンのちまたに告げ知らせるな。ペリシテ人の娘らを喜ばせないために。割礼のない者の娘らを勝ち誇らせないために。</p><p>21 ギルボアの山々よ。おまえたちの上に、露は降りるな。雨も降るな。いけにえがささげられた野の上にも。そこでは勇士たちの盾は汚され、サウルの盾に油も塗られなかった。</p><p>22 ただ、殺された者の血、勇士たちのあぶらのほかは。ヨナタンの弓は、退いたことがなく、サウルの剣は、むなしく帰ったことがなかった。</p><p>23 サウルもヨナタンも、愛される、りっぱな人だった。生きているときにも、死ぬときにも離れることなく、わしよりも速く、雄獅子よりも強かった。</p><p>24 イスラエルの娘らよ。サウルのために泣け。サウルは紅の薄絹をおまえたちにまとわせ、おまえたちの装いに金の飾りをつけてくれた。</p><p>25 ああ、勇士たちは戦いのさなかに倒れた。ヨナタンはおまえの高き所で殺された。</p><p>26 あなたのために私は悲しむ。私の兄弟ヨナタンよ。あなたは私を大いに喜ばせ、あなたの私への愛は、女の愛にもまさって、すばらしかった。</p><p>27 ああ、勇士たちは倒れた。戦いの器はうせた。」</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの哀歌</strong></p><p><strong>弓の歌</strong></p><p>次にダビデは、サウルのため、その子ヨナタンのために、哀歌を作り、ユダの子らに教えるように命じます。この哀歌は、イスラエルの詩歌集「ヤシャルの書」に載せられ、「弓」という名で歌い継がれるようになります。この哀歌は、3連から構成されています。「ああ、勇士たちは倒れた」ということばが、各連の始まりとなっています。</p><p><br/></p><p><strong>第1連（19～24節）</strong></p><p>ダビデは、大きな悲しみをそのまま歌っています。（1）この知らせをペリシテの地にもたらしてはならない、ペリシテ人の娘たちが喜び踊り、勝ち誇ることのないために、と歌っています。（2）ダビデは、ギルボアの山々を呪っています。露は夏に、雨は冬に山々に水を提供するものです。それが断たれるようにというのです。もちろんこれは、詩的表現であって、実際に山々が枯れたということではありません。（3）「サウルの盾に油も塗られなかった」とあります。これは、サウルがまるで油注ぎを受けていない一般人のように死んでいったことを表わしているのでしょう。（4）ダビデは、事実を曲げたり誇張したりして、サウルを称えているのではありません。称える部分だけを取り上げて歌っています。サウルとヨナタンとは、一生涯離れることなくともに戦った立派な戦士、愛されるべき勇士でした。これは、事実です。（5）サウルは、イスラエルの民に物質的祝福を与えるために、心を尽くして戦ってくれたことを称えています。</p><p><br/></p><p><strong>第2連（25～26節）と第3連（27節）</strong></p><p>（1）ダビデは、親友ヨナタンの死を悼んでいます。その生前の愛と友情を思い、「あなたの私への愛は、女の愛にもまさって、すばらしかった」と歌っています。これは、異性との間にある愛とは全く異なった種類の愛でした。（2）ダビデとヨナタンの間にあった友情契約は、主イエスと私たちの間にある契約、愛を想起させます。ダビデはヨナタンをこよなく愛していましたが、主イエスもまた、私たちをこの上もなく愛しておられます。その愛に対する唯一正当な応答は、「愛による応答」です。今、「あなたはわたしを愛するか」と問われる主イエスの声に耳を傾けましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。主の愛がいかに深くて広いものであるかを知り、私の心は感謝に満たされています。私は主を信じ、主を愛します。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-05-23 21:35:05 UTC</pubDate>
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         <title>サムエル記第二2：1 ～ 4a</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3465812891</link>
         <description><![CDATA[<p>1 この後、ダビデは主に伺って言った。「ユダの一つの町へ上って行くべきでしょうか。」すると主は彼に、「上って行け。」と仰せられた。ダビデが、「どこへ上るのでしょうか。」と聞くと、主は、「ヘブロンへ。」と仰せられた。</p><p>2 そこでダビデは、ふたりの妻、イズレエル人アヒノアムと、ナバルの妻であったカルメル人アビガイルといっしょに、そこへ上って行った。</p><p>3 ダビデは、自分とともにいた人々を、その家族といっしょに連れて上った。こうして彼らはヘブロンの町々に住んだ。</p><p>4 そこへユダの人々がやって来て、ダビデに油をそそいでユダの家の王とした。</p><p><br/></p><p><strong>ヘブロンでの即位</strong></p><p><strong>主の指示を仰ぐ</strong></p><p>ダビデは主によって、次期イスラエルの王として選ばれていました。しかし、だからと言って彼はそのことが成就するのを、座って待っていたわけではありません。主の計画があることを知っているがゆえに、全力を尽くして主に従おうとするのです。この原則は、クリスチャン生活にもあてはまります。私たちは選ばれ、愛され、永遠のいのちを約束されました。それゆえ、生涯を通して主に従うのです。（1）サウルが死んだ今、次の行動に移る必要があります。ダビデは主にお伺いを立てます。（2）ダビデが用いたのは、ウリムとトンミムです。この方法では、「イエス」か「ノー」かの答しか返ってきません。従って、何度も質問をくり返す必要があるのです。（3）主はダビデに、ユダ部族の中心の町、父祖アブラハムの墓のある町、ヘブロンを示されました。（4）ダビデは、ふたりの妻アヒノアムとアビガイル、それに部下とその家族を伴ってヘブロンに上り、周辺の町々に定住しました。</p><p><br/></p><p><strong>油注ぎ</strong></p><p>ヘブロンの人々はダビデとその一行を歓迎しました。（1）ヘブロンの長老たちは、ダビデに油を注ぎ、王としました。これは、預言者サムエルによる油注ぎに続く第二の油注ぎでした。（2）ただしこの時は、ダビデは「ユダの家」だけのための王でした。イスラエル全家のための王となるのは、まだ先のことです。（3）この時からヘブロンがダビデ王国の首都となりました。（4）かくしてダビデはユダの家の王となりましたが、ペリシテ人たちの観点から見ると、ダビデは未だにガテの王によって動かされる「かいらい王」に過ぎませんでした。そうでないなら、圧倒的な力を誇るペリシテ人はただちにヘブロンに侵攻していたことでしょう。<br>サムエルによって油注がれ、主の霊の注ぎを受けたのは、十数年も前のことでした。ヘブロンで油注ぎを受けた時、ダビデは30歳になっていました。主の器は、一朝一夕いっちょういっせきで完成するものではありません。忍耐こそ、私たちの人格と信仰とを成長させるものです。私たちも、忍耐を働かせることを学びましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。私の歩みをあなたはご存知です。どうか私が傲慢になったり、失望したりすることのありませんように、私を守ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=bKhlIqouDgw" />
         <pubDate>2025-05-24 21:19:17 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二2：4b ～ 7</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3466368625</link>
         <description><![CDATA[<p>4b ヤベシュ・ギルアデの人々がサウルを葬ほうむった、ということがダビデに知らされたとき、</p><p>5 ダビデはヤベシュ・ギルアデの人々に使いを送り、彼らに言った。「あなたがたの主君サウルに、このような真実を尽くして、彼を葬ったあなたがたに、主の祝福があるように。</p><p>6 今、主があなたがたに恵みとまことを施ほどこしてくださるように。この私も、あなたがたがこのようなことをしたので、善をもって報むくいよう。</p><p>7 さあ、強くあれ。勇気のある者となれ。あなたがたの主君サウルは死んだが、ユダの家は私に油をそそいで、彼らの王としたのだ。」</p><p><br/></p><p><strong>ヤベシュ・ギルアデの人々</strong></p><p><strong>ヤベシュ・ギルアデの人々の行為</strong></p><p>ヤベシュ・ギルアデは、サウルが王としての権威を確立するきっかけとなった町です（Ⅰサムエル記11章参照）。（1）この町は、ヨルダン川の東岸にありました。（2）アモン人の王ナハシュがこの町を包囲し、「右の目をえぐり取ること」を条件にするなら和平条約を結んでもいいと言い張りました。（3）町の長老たちは、イスラエル全土にこの悪い知らせを伝え、救いを求めました。（4）ギブアにいたサウルは、その知らせを聞いて、立ち上がりました。サウルの呼びかけに応えて、イスラエルの人々が30万人、ユダの人々が3万人集まりました。（5）サウルの軍は、奇襲によってアモン人を打ち破りました。ヤベシュ・ギルアデの人々は、サウルの恩を忘れてはいませんでした。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの行為</strong></p><p>ヤベシュ・ギルアデの人々がサウルを葬ったという知らせが、ダビデのもとにもたらされました。そのときダビデは、指導者として賢明な判断を下しました。人の上に立つ者は、ダビデの行為から多くの教訓を学ぶことができます。（1）ダビデは、ヤベシュ・ギルアデの人々が主君サウルの恩を忘れずに、勇敢にもその遺体を盗み出し、手厚く葬ったことをほめました。賞賛に値する行為をほめることは、指導者にとって非常に重要なことです。（2）ダビデは、彼らの上に神の祝福があるようにと祈っています。また、自らも彼らに善をもって報いようと約束しています。ヤベシュ・ギルアデは北の10部族に属する町で、本来はユダのヘブロンを本拠とするダビデとは敵対関係にありました。しかしダビデは、その町に好意を示しました。（3）ダビデは彼らを励まし、ペリシテ人の攻撃に対して勇敢に立ち向かうようにとのことばをかけています。（4）ダビデは彼らに、サウルは死んだが自分はユダ部族によって王としての油注ぎを受けたと、語りかけています。ここには、南北の部族を和解させ、自らが統一王国の王となるというダビデの意図が見えています。<br>ダビデは、人の心を勝ち取る方法を知っていました。あなたは、ダビデのこの行為からどのような教訓を学びますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。どうか私に、ダビデの知恵と勇気を与えてください。和解をもたらす器とならせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=52lHV02M7Cs" />
         <pubDate>2025-05-25 20:58:06 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二2：8 ～ 11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3467919667</link>
         <description><![CDATA[<p>8 一方、サウルの将軍であったネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェテをマハナイムに連れて行き、</p><p>9 彼をギルアデ、アシュル人、イズレエル、エフライム、ベニヤミン、全イスラエルの王とした。</p><p>10 サウルの子イシュ・ボシェテは、四十歳でイスラエルの王となり、二年間、王であった。ただ、ユダの家だけはダビデに従った。</p><p>11 ダビデがヘブロンでユダの家の王であった期間は、七年六か月であった。</p><p><br></p><p><strong>イシュ・ボシェテの即位</strong></p><p><strong>内戦の始まり</strong></p><p>ダビデはすぐにでも統一王国の王となることを願っていたようですが、ことはそう簡単には運びませんでした。サウルには、ただひとり残された息子がいました。将軍アブネルは、その息子を王として擁立ようりつする行動に出ました。<br>（1）その息子の名は、イシュ・ボシェテと言います。本名は、エシュバアル（バアルの火という意味）です。ところが、「バアル」というのはフェニキヤの偶像神です。そこで、イスラエル人たちは「バアル」という部分を「ボシェテ（恥）」に変えることをよく行なっていました。「イシュ・ボシェテ」とは、「恥の人」という意味です。（2）将軍アブネルは、ヤベシュ・ギルアデに近いマハナイムで、イシュ・ボシェテを王として、ユダを除くイスラエル王国の設立宣言を行ないます。マハナイムが選ばれた理由は、そこはヨルダン川東岸であり、そこまではペリシテ人の支配が及んでいなかったからです。（3）これ以降、ダビデの家とサウルの家との間に、長く内戦が続くことになります。</p><p><br></p><p><strong>ダビデの忍耐</strong></p><p>ダビデはヘブロンで7年半の間、ユダの家の王として君臨します。言い換えれば、彼が統一王国の王になるのに、さらに7年半かかったということです。ダビデは忍耐心を発揮することを要求されました。これは、ダビデを有能な王、またより成長した主の器に育てるための神の計画でもありました。（1）ダビデは、メシアであるイエスの型です。イエスは父なる神からメシアとしての油注ぎを受けていましたが、イスラエルの民はそれを認めようとはしませんでした。ダビデもそれと同じです。彼は統一王国の王としての油注ぎを受けていましたが、イスラエルの民はそれを認めませんでした。（2）ヘブル人への手紙には、このようにあります。「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔けいけんのゆえに聞き入れられました」（5：7）。ダビデもそれと同じです。患難が彼の内に忍耐を生み、忍耐が敬虔を生んだのです。<br>あなたは、ダビデの7年半の忍耐から何を学びますか。主に信頼することを学びましょう。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。どうか私に忍耐心を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=0A9YCwD-hnQ" />
         <pubDate>2025-05-26 20:29:14 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二2：12 ～ 17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3469721039</link>
         <description><![CDATA[<p>12 ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェテの家来たちといっしょにマハナイムを出て、ギブオンへ向かった。</p><p>13 一方、ツェルヤの子ヨアブも、ダビデの家来たちといっしょに出て行った。こうして彼らはギブオンの池のそばで出会った。一方は池のこちら側に、他方は池の向こう側にとどまった。</p><p>14 アブネルはヨアブに言った。「さあ、若い者たちを出して、われわれの前で闘技をさせよう。」ヨアブは言った。「出そう。」</p><p>15 そこで、ベニヤミンとサウルの子イシュ・ボシェテの側から十二人、ダビデの家来たちから十二人が順番に出て行った。</p><p>16 彼らは互いに相手の頭をつかみ、相手のわき腹に剣を刺し、一つになって倒れた。それでその所はヘルカテ・ハツリムと呼ばれた。それはギブオンにある。</p><p>17 その日、戦いは激しさをきわめ、アブネルとイスラエルの兵士たちは、ダビデの家来たちに打ち負かされた。</p><p><br/></p><p><strong>若者の闘技</strong></p><p><strong>池のそばで</strong></p><p>この時点で、全イスラエルにはふたりの王が立てられていました。サウルの息子のイシュ・ボシェテと、ヘブロンを本拠とするダビデです。（1）イシュ・ボシェテの将軍は、ネルの子アブネルです。アブネルはサウルの従兄弟にあたります。アブネルは、軍を率いてギブオンに向かいます。ユダの地方を攻め取るためです。（2）ダビデの将軍は、ツェルヤの子ヨアブです。ツェルヤはダビデの姉ですから、その子のヨアブは、ダビデにとっては甥おいにあたります。ヨアブもまた軍を率いて出て行きました。（3）両軍が、ギブオンの池のそばで出会います。この池は考古学者によって発掘されています。直径が11メートル強、深さが10メートル強の池です。（4）池のそばで、両軍のにらみ合いが続きました。ダビデの将軍ヨアブは、動こうとはしませんでした。恐らくダビデから、防御に徹するように、できるだけ血を流さないように、命令されていたのでしょう。（5）それを見て、アブネルのほうから先に動きました。</p><p><br/></p><p><strong>血まみれの提案</strong></p><p>アブネルは、残酷な結果をもたらす提案をしました。双方から若者たちを出して、闘技させようというのです。その提案に、ヨアブは愚かにも乗ってしまいます。（1）闘技というのは、剣闘士の戦いのように一対一で戦わせることです。（2）双方から12人の代表戦士が出されます。結果は、悲惨な相打ちに終わります。（3）アブネルはこの闘技によって両軍の優劣を決めようとしたのでしょうが、結果は、全面戦争に突入することになります。（4）その闘技が行なわれた場所は、「ヘルカテ・ハツリム（刃の野）」と呼ばれるようになりました。<br>アブネルは、人の血を流すことを軽く考えました。その結果、全面戦争をもたらしたのです。アブネルの言動は、将軍という名に値しないものです。「真実な者は自分のたましいに報いを得るが、残忍な者は自分の身に煩わずらいをもたらす」（箴言11：17）。私たちの内にもアブネルのような性質が宿っています。あなたは、どのようにして怒りの感情や、好戦的な思いを管理していますか。常に平和的解決を求めようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>聖なる神よ。私を、平和と調和を愛する器として造り上げてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=q6CrzniOIRQ" />
         <pubDate>2025-05-27 20:27:43 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3469721039</guid>
      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二2：18 ～ 23</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3471375142</link>
         <description><![CDATA[<p>18 そこに、ツェルヤの三人の息子、ヨアブ、アビシャイ、アサエルが居合わせた。アサエルは野にいるかもしかのように、足が早かった。</p><p>19 アサエルはアブネルのあとを追った。右にも左にもそれずに、アブネルを追った。</p><p>20 アブネルは振り向いて言った。「おまえはアサエルか。」彼は答えた。「そうだ。」</p><p>21 アブネルは彼に言った。「右か左にそれて、若者のひとりを捕え、その者からはぎ取れ。」しかしアサエルは、アブネルを追うのをやめず、ほかへ行こうともしなかった。</p><p>22 アブネルはもう一度アサエルに言った。「私を追うのをやめて、ほかへ行け。なんでおまえを地に打ち倒すことができよう。どうしておまえの兄弟ヨアブに顔向けができよう。」</p><p>23 それでもアサエルは、ほかへ行こうとはしなかった。それでアブネルは、槍やりの石突いしづきで彼の下腹したはらを突き刺した。槍はアサエルを突き抜けた。アサエルはその場に倒れて、そこで死んだ。アサエルが倒れて死んだ場所に来た者はみな、立ち止まった。</p><p><br/></p><p><strong>アサエルの死</strong></p><p><strong>逃げる将軍アブネル</strong></p><p>その日の全面戦争は、極めて熾烈しれつなものでした。戦いに勝ったのは、将軍ヨアブが率いるダビデ軍でした。イシュ・ボシェテの将軍アブネルは、戦場から逃げ出しました。その場に、ダビデの3人の甥たちがいました。将軍ヨアブと、その弟たちアビシャイとアサエルがそれです。その中で、アサエルはカモシカのように足が速いことで知られていました。彼は自分の能力を生かして、一心不乱にアブネルのあとを追いました。もしアブネルを殺すことができたなら、イシュ・ボシェテの軍は壊滅状態になると判断したからです。</p><p><br/></p><p><strong>アサエルの過信</strong></p><p>（1）アブネルは振り返り、アサエルが自分を追って来るのを確認します。確かにアサエルの足は速いのですが、戦いに関してはアブネルのほうが数段上手です。それをよく知っていたアブネルは、二度にわたり、自分は将軍ヨアブの肉親を殺すに忍びないから別の方向に行けと警告します。（2）しかし、アサエルはその警告に耳を傾けようとはしませんでした。（3）そこでアブネルは、アサエルを押しとどめようとして槍の石突き（刃とは反対のほう）で下腹を突きました。（4）アブネルには、アサエルを殺す意図はありませんでした。しかし、アサエルの走る速度があまりにも速かったため、槍は彼の背中を突き抜けてしまいました。（5）彼はその場で即死し、そこを通る者もみな驚いて立ち止まりました。<br>あまりにも突然の死が、思ってもみないような方法でアサエルを襲いました。彼は、足の速さを誇っていました。しかしその長所が、彼に死をもたらしたのです。自分の力を過信し、警告を無視し続けるなら、私たちにも同じような悲劇が起こります。あなたは何を誇りとしていますか。クリスチャンが誇るべきものとは、主の御名と十字架です。「ある者はいくさ車ぐるまを誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう」（詩篇20：7）。「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです」（ガラテヤ6：14）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。十字架こそ、私が誇りとするものです。きょうも、十字架を誇りとして歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=N5m_MYWaJ5o" />
         <pubDate>2025-05-28 19:56:32 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3471375142</guid>
      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二2：24 ～ 32</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3472937868</link>
         <description><![CDATA[<p>24 しかしヨアブとアビシャイは、アブネルのあとを追った。彼らがアマの丘に来たとき太陽が沈んだ。アマはギブオンの荒野の道沿いにあるギアハの手前にあった。</p><p>25 ベニヤミン人はアブネルに従って集まり、一団となって、そこの丘の頂上に立った。</p><p>26 アブネルはヨアブに呼びかけて言った。「いつまでも剣が人を滅ぼしてよいものか。その果ては、ひどいことになるのを知らないのか。いつになったら、兵士たちに、自分の兄弟たちを追うのをやめて帰れ、と命じるつもりか。」</p><p>27 ヨアブは言った。「神は生きておられる。もし、おまえが言いださなかったなら、確かに兵士たちは、あしたの朝まで、自分の兄弟たちを追うのをやめなかっただろう。」</p><p>28 ヨアブが角笛つのぶえを吹いたので、兵士たちはみな、立ち止まり、もうイスラエルのあとを追わず、戦いもしなかった。</p><p>29 アブネルとその部下たちは、一晩中アラバを通って行き、ヨルダン川を渡り、午前中、歩き続けて、マハナイムに着いた。</p><p>30 一方、ヨアブはアブネルを追うのをやめて帰った。兵士たちを全部集めてみると、ダビデの家来十九人とアサエルがいなかった。</p><p>31 ダビデの家来たちは、アブネルの部下であるベニヤミン人のうち三百六十人を打ち殺していた。</p><p>32 彼らはアサエルを運んで、ベツレヘムにある彼の父の墓に葬った。ヨアブとその部下たちは、一晩中歩いて、夜明けごろ、ヘブロンに着いた。</p><p><br/></p><p><strong>停戦</strong></p><p><strong>追跡</strong></p><p>弟のアサエルを殺されたヨアブとアビシャイは、執拗しつように敵の将軍アブネルを追跡します。太陽が沈むころ、彼らはアマの丘に着きます。ここはベニヤミンの相続地の中にあって、ヨルダン渓谷けいこくに下る発端に位置しています。<br>（1）戦いに破れた将軍アブネルは、この丘でベニヤミン人を集め、追撃して来るヨアブの軍と対峙たいじします。（2）ヨアブの軍がなおも攻撃しようと身構えているのを見て、アブネルは停戦を提案します。「いつまでも剣が人を滅ぼしてよいものか。その果ては、ひどいことになるのを知らないのか。いつになったら、兵士たちに、自分の兄弟たちを追うのをやめて帰れ、と命じるつもりか」。（3）その提案を聞いて、ヨアブは内戦の愚かさを今さらながらに認識し、それを受け入れます。（4）双方の死者は、ヨアブの軍がアサエルを含めて20名、アブネルの軍が360名。戦いを仕掛けたアブネルのほうに多くの戦死者が出ました。（5）ヨアブの兵士たちは、アサエルの遺体を運び、ベツレヘムにある彼の父の墓に葬りました。アサエルはダビデの甥であり、彼の家族の墓はベツレヘムにあったのです。</p><p><br/></p><p><strong>戦いの虚しさ</strong></p><p>朝には元気だった兵士たち380名が、日暮れには亡くなっていました。この戦いほど虚むなしくて愚かなものはありません。そのきっかけを作ったのが、アブネルです。彼は停戦を呼びかける際に、「その果ては、ひどいことになるのを知らないのか」と論じています。これは、ギブオンの池のそばで闘技を始める前に自分自身に語りかけるべきことばでした。人は、自分に都合が悪くなると急に「理性」を取り戻すもののようですが、倒れる前に「知恵」を働かせる必要があります。<br>好戦的な態度は、自分にも相手にも想像以上の被害をもたらします。あなたは、批判的な態度やことばによって、回りの人々を傷つけていませんか。「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです」というみことばの意味を黙想してみましょう。あらゆる人との平和を求めましょう。対立のあるところに和解をもたらす働きをしようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。どうか私を、平和をつくる器としてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=M17MybOCu3I" />
         <pubDate>2025-05-29 20:24:45 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二3：1 ～ 5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3474206217</link>
         <description><![CDATA[<p>1 サウルの家とダビデの家との間には、長く戦いが続いた。ダビデはますます強くなり、サウルの家はますます弱くなった。</p><p>2 ヘブロンでダビデに子どもが生まれた。長子はイズレエル人アヒノアムによるアムノン。</p><p>3 次男はカルメル人でナバルの妻であったアビガイルによるキルアブ。三男はゲシュルの王タルマイの娘マアカの子アブシャロム。</p><p>4 四男はハギテの子アドニヤ。五男はアビタルの子シェファテヤ。</p><p>5 六男はダビデの妻エグラによるイテレアム。これらはヘブロンでダビデに生まれた子どもである。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの家</strong></p><p><strong>内戦</strong></p><p>その後の内戦の様子は、1節に要約されています。この戦いは、およそ7年半続きました。そして、ダビデ側は戦うごとに優勢になり、イシュ・ボシェテ側は戦うごとに劣勢になりました。ダビデにとっては、忍耐を試される時間だったことでしょう。しかし彼は、その忍耐を通して従順を学び、より完成された神の器となっていきました。私たちの心にも、「霊的な内戦」があります。霊的ないのちと肉の思いとが戦っています。しかし、忍耐して従順を学ぶなら、敵（肉の思い）は必ず駆逐くちくされます。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの息子たち</strong></p><p>ヘブロンでダビデに6人の息子たちが生まれました。（1）イズレエル人アヒノアムが産んだアムノン。（2）カルメル人アビガイルが産んだギルアブ。（3）ゲショルの王タルマイの娘マアカ（これは異邦人の女である）が産んだアブシャロム。（4）ハギテが産んだアドニヤ。（5）アビタルが産んだシェファテヤ。（6）エグラが産んだイテレアム。<br>この中で特に問題なのは、アムノンとアブシャロムです。後になってこのふたりは、大事件を起こします。アムノンはアブシャロムの妹タマルを恋して悩み、従兄弟のヨナダブにそそのかされて、タマルを犯します。その後彼は、タマルに対する激しい憎しみにかられ、彼女を追い出します。その結果、タマルは兄アブシャロムの家でひとりわびしく暮すようになります。それが原因となって、アブシャロムはアムノンを憎むようになります。それから2年後に、彼は兄弟たち全員を招いた祝いの席でアムノンを殺害します。ここから、ダビデとアブシャロム親子の葛藤劇が始まります。その原因を作ったのは、重婚じゅうこんをしたダビデ自身です。ダビデもまた完璧な人間ではありませんでした。主の御心にかなわない行動をした場合は、その刈り取りもすることになります。ダビデの信仰と失敗の両方から、教訓を学びましょう。信仰に基づく人生を生きたということこそ、子孫に残す最高の遺産です。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。私の内側には、霊的な内戦が戦われています。どうか、聖霊の助けによって勝利することができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-05-30 20:39:13 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二3：6～11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3474704434</link>
         <description><![CDATA[<p>6 サウルの家とダビデの家とが戦っている間に、アブネルはサウルの家で勢力を増し加えていた。</p><p>7 サウルには、そばめがあって、その名はリツパといい、アヤの娘であった。あるときイシュ・ボシェテはアブネルに言った。「あなたはなぜ、私の父のそばめと通じたのか。」</p><p>8 アブネルはイシュ・ボシェテのことばを聞くと、激しく怒って言った。「この私が、ユダの犬のかしらだとでも言うのですか。今、私はあなたの父上サウルの家と、その兄弟と友人たちとに真実を尽くして、あなたをダビデの手に渡さないでいるのに、今、あなたは、あの女のことで私をとがめるのですか。</p><p>9 主がダビデに誓われたとおりのことを、もし私が彼に果たせなかったなら、神がこのアブネルを幾重にも罰せられますように。</p><p>10 サウルの家から王位を移し、ダビデの王座を、ダンからベエル・シェバに至るイスラエルとユダの上に堅く立てるということを。」</p><p>11 イシュ・ボシェテはアブネルに、もはや一言も返すことができなかった。アブネルを恐れたからである。</p><p><br/></p><p><strong>アブネルの怒り</strong></p><p><strong>アブネルの権威</strong></p><p>内戦状態が続く間に、将軍アブネルはサウルの家で勢力を増し加えていました。彼は前王サウルの従兄弟です。彼はイシュ・ボシェテを王に立ててイスラエル王国の確立を図り、自らは将軍となります。しかし本音では、自らが王になりたかったのでしょう。（1）アブネルは、前王サウルのそばめであったリツパという女と関係を持ちます。これは、自らを王とする行為に等しいものでした。当時の中近東では、新しく王になった者は、前王のハーレムをそのまま引き継ぐのが習慣となっていました。（2）イシュ・ボシェテは、「あなたはなぜ、私の父のそばめと通じたのか」とアブネルを責めます。（3）それに対して、アブネルは異常なほど感情的な反応を示しました。彼は激怒し、今まで自分は忠実の限りを尽くしてきたのに、なぜ自分を責めるのかと反論します。さらに、この苦言を受けたことを契機として、自分はこれからダビデ支持の方向に方針を切り変えると宣言します。（4）その剣幕があまりにも激しかったので、イシュ・ボシェテは恐れをなして、一言も返すことができませんでした。</p><p><br/></p><p><strong>私たちへの教訓</strong></p><p>アブネルの中に、罪人の典型的な姿が見られます。（1）彼はなぜそんなに激怒したのでしょうか。自分の非を責められたからなのか、秘密を発見されたからなのかよくわかりませんが、叱責しっせきのことばを拒否するのは、罪人の典型的な特質です。「正しい道を捨てる者にはきびしい懲こらしめがあり、叱責を憎む者は死に至る」（箴言15：10）。（2）彼は自分に都合のよいように、方針を変更しています。結局、イシュ・ボシェテを擁立したのも、自分の益になると判断したからです。（3）ダビデが全イスラエル（ダンからベエル・シェバまで）の王となるのは、神の御心でした。彼は、それを知っていたのです。ですから、イシュ・ボシェテを王にしたのは、神に対する意図的な反抗だったのです。罪人は、自分が神に背いていることをよく知っています。<br>あなたは、アブネルの失敗から何を学びますか。「私の思いではなく、あなたの御心が成りますように」と祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。どうかあなたの計画が、私の人生においてすべて成就しますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-05-31 21:15:12 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二3：12～21</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3475162898</link>
         <description><![CDATA[<p>12 アブネルはダビデのところに使いをやって言わせた。「この国はだれのものでしょう。私と契約を結んでください。そうすれば、私は全イスラエルをあなたに移すのに協力します。」</p><p>13 ダビデは言った。「よろしい。あなたと契約を結ぼう。しかし、それには一つの条件がある。というのは、あなたが私に会いに来るとき、まずサウルの娘ミカルを連れて来なければ、あなたは私に会えないだろう。」</p><p>14 それからダビデはサウルの子イシュ・ボシェテに使いをやって言わせた。「私がペリシテ人の陽ようの皮かわ百をもってめとった私の妻ミカルを返していただきたい。」</p><p>15 それでイシュ・ボシェテは人をやり、彼女をその夫、ライシュの子パルティエルから取り返した。</p><p>16 その夫は泣きながら彼女についてバフリムまで来たが、アブネルが、「もう帰りなさい。」と言ったので、彼は帰った。</p><p>17 アブネルはイスラエルの長老たちと話してこう言った。「あなたがたは、かねてから、ダビデを自分たちの王とすることを願っていたが、</p><p>18 今、それをしなさい。主がダビデについて、『わたしのしもべダビデの手によって、わたしはわたしの民イスラエルをペリシテ人の手、およびすべての敵の手から救う。』と仰せられているからだ。」</p><p>19 アブネルはまた、ベニヤミン人とじかに話し合ってから、ヘブロンにいるダビデのところへ行き、イスラエルとベニヤミンの家全体とが望んでいることをすべて彼の耳に入れた。</p><p>20 アブネルが二十人の部下を連れてヘブロンのダビデのもとに来たとき、ダビデはアブネルとその部下の者たちのために祝宴しゅくえんを張った。</p><p>21 アブネルはダビデに言った。「私は、全イスラエルをわが主、王のもとに集めに出かけます。そうして彼らがあなたと契約を結び、あなたが、望みどおりに治められるようにしましょう。」それでダビデはアブネルを送り出し、彼は安心して出て行った。</p><p><br/></p><p><strong>平和の人ダビデ</strong></p><p><strong>和平交渉</strong></p><p>アブネルはダビデに使者を送り、契約の締結ていけつを提唱します。（1）彼はダビデ王国の中で主要な地位に就くことを要求します。それが叶えられるなら、全イスラエルをダビデの支配下に移すと約束します。（2）ダビデは交渉の前提条件を示します。それは、サウルの娘のミカルを連れて来るということでした。サウルは無理やりダビデとミカルの仲を引き裂いていましたが、ミカルは法的には依然としてダビデの妻でした。もしミカルが子を産むなら、その子はサウルの家とダビデの家を和解させる人物となります。（3）ダビデのこの願いは、イシュ・ボシェテを通して実行に移され、ミカルは別れを惜しむ夫パルティエルからダビデのもとに返されました。「夫パルティエル」と書かれていますが、ダビデはミカルを離縁していませんので、法的にはダビデが正当な夫です。</p><p><br/></p><p><strong>祝宴</strong></p><p>（1）アブネルは、イスラエルの長老たちやサウルの出身部族ベニヤミン人たちと会い、根回しを行ないます。そして、ダビデを全イスラエルの王としてもよいという約束を取り付けます。（2）アブネルは、20人の部下を引き連れヘブロンにいたダビデを訪問し、直接交渉を開始します。（3）ダビデはアブネルを歓迎して祝宴を張ります。つまり、彼の提案を受け入れたということです。（4）身の安全を保証されたアブネルは、将来に対して明るい見通しを持って、安心して帰路に着きました。<br>ダビデは平和の人でした。イスラエル10部族とベニヤミン族の連合体であるイシュ・ボシェテの王国が弱体化しているなら、武力を行使することもできたはずです。あるいは、ヘブロンに来たアブネルを暗殺することもできたはずです。しかしダビデは、血を流すことを避け、平和の道を選びました。アブネルに最上級のもてなしを提供し、国賓こくひんとして丁寧に扱いました。ダビデがアブネルとともに食した食事は、「契約の食事」です。主イエスもまた、私たちと平和の契約を結ぶために、過越すぎこしの食事を食してくださいました。そのときに締結されたのが、「新しい契約」です。主イエスと契約関係に入った者は、将来に対して明るい見通しを持って生きることができます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。平和の君イエスとの契約関係に入れられましたことを感謝します。私は滅びから救われ、希望をもって生きることができるようになりました。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-06-01 20:45:43 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>サムエル記第二3：22～30</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3476603044</link>
         <description><![CDATA[<p>22 ちょうどそこへ、ダビデの家来たちとヨアブが略奪から帰り、たくさんの分捕り物を持って来た。しかしそのとき、アブネルはヘブロンのダビデのもとにはいなかった。ダビデがアブネルを送り出し、もう彼は安心して出て行ったからである。</p><p>23 ヨアブと彼についていた軍勢がみな帰って来たとき、ネルの子アブネルが王のところに来たが、王がアブネルを送り出したので、彼は安心して出て行った、ということがヨアブに知らされた。</p><p>24 それでヨアブは王のところに来て言った。「何ということをなさったのですか。ちょうどアブネルがあなたのところに来たのに、なぜ、彼を送り出して、出て行くままにしたのですか。</p><p>25 ネルの子アブネルが、あなたを惑わし、あなたの動静を探り、あなたのなさることを残らず知るために来たのに、お気づきにならなかったのですか。」</p><p>26 ヨアブはダビデのもとを出てから使者たちを遣わし、アブネルのあとを追わせ、彼をシラの井戸から連れ戻させた。しかしダビデはそのことを知らなかった。</p><p>27 アブネルがヘブロンに戻ったとき、ヨアブは彼とひそかに話すと見せかけて、彼を門のとびらの内側に連れ込み、そこで、下腹を突いて死なせ、自分の兄弟アサエルの血に報いた。</p><p>28 あとになって、ダビデはそのことを聞いて言った。「私にも私の王国にも、ネルの子アブネルの血については、主の前にとこしえまでも罪はない。</p><p>29 それは、ヨアブの頭と彼の父の全家にふりかかるように。またヨアブの家に、漏出を病む者、ツァラアトに冒された者、糸巻きをつかむ者、剣で倒れる者、食に飢える者が絶えないように。」</p><p>30 ヨアブとその兄弟アビシャイがアブネルを殺したのは、アブネルが彼らの兄弟アサエルをギブオンでの戦いで殺したからであった。</p><p><br/></p><p><strong>アブネルの暗殺</strong></p><p><strong>ヨアブの文句</strong></p><p>ダビデの家の将軍ヨアブは、たくさんの分捕り物を持ってヘブロンに帰って来ました。そのときにはすでに、敵の将軍アブネルはダビデの祝福を受けて帰路に着いていました。（1）ヨアブは、留守中にアブネルの訪問があったこと、また、彼が歓待を受け無事に帰って行ったことを聞かされ、激怒しました。（2）ヨアブは早速ダビデのもとに行き、アブネルが来たのはスパイ行為のためであった、なぜおめおめと彼を帰したのかと抗議します。彼がこう言ったのは、もしアブネルがダビデの気に入られたなら、将軍としての自分の地位が危なくなるからです。また、弟のアサエルがアブネルによって殺されていたので、個人的な恨みもありました。（3）ダビデがどのように応答したかはわかりませんが、恐らくまともに取り合おうとはせず、無視したのでしょう。ダビデは平和の人です。</p><p><br/></p><p><strong>暗殺</strong></p><p>（1）ヨアブは直ちに使者たちを派遣し、ダビデには秘密でアブネルをヘブロンに連れ戻します。そして、何も知らずに引き返して来たアブネルを、門の内側に引き込み、だまし討ちにします。弟のアビシャイもこの陰謀いんぼうに加担しました。（2）アサエルの死は戦場での戦死でしたが、アブネルの死は陰謀によるものです。両者の死の内容は、明らかに異なります。ヨアブのやり方は、当然責められるべきものです。（3）これを聞いたダビデは、これについて自分にはいっさい責任がないことを明らかにし、ヨアブとその家に神の正当な裁きが下るようにと祈ります。<br>アブネルは残虐な男でした。そういう意味では、彼の死は神からの裁きであったと言えます。と同時に、ヨアブのこの残虐な行為もまた裁かれるべきものです。しかしダビデは、すぐに行動を起こそうとはしませんでした。ダビデの死後、ヨアブは後継者争いで、アドニヤを支持しました。ダビデは死ぬ前にソロモンに、ヨアブに復讐するよう命じました。ソロモンはその命令に従って、エホヤダの子ベナヤを遣わし、主の天幕のかたわらでヨアブを打ち殺します。神をあなどってはなりません。罪の行為がそのまま見過ごされることはないのです。私たちに関しては、義と平和を求める人とならせていただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。どうか怒りの感情を管理することができますように、私の心に主イエスの平安をお与えください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=mU7Nz1r_fL8" />
         <pubDate>2025-06-02 20:37:35 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二3：31～39</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3477817181</link>
         <description><![CDATA[<p>31 ダビデはヨアブと彼とともにいたすべての民に言った。「あなたがたの着物を裂き、荒布あらぬのをまとい、アブネルの前でいたみ悲しみなさい。」そしてダビデ王は、ひつぎのあとに従った。</p><p>32 彼らはアブネルをヘブロンに葬った。王はアブネルの墓で声をあげて泣き、民もみな泣いた。</p><p>33 王はアブネルのために悲しみ歌って言った。「愚か者の死のように、アブネルは死ななければならなかったのか。</p><p>34 あなたの手は縛られず、あなたの足は足かせにつながれもせずに。不正な者の前に倒れる者のように、あなたは倒れた。」民はみな、また彼のために泣いた。</p><p>35 民はみな、まだ日のあるうちにダビデに食事をとらせようとしてやって来たが、ダビデは誓って言った。「もし私が、日の沈む前にパンでも、ほかの何物でも味わったなら、神がこの私を幾重にも罰せられますように。」</p><p>36 民はみな、それを認めて、それでよいと思った。王のしたことはすべて、民を満足させた。</p><p>37 それで民はみな、すなわち、全イスラエルは、その日、ネルの子アブネルを殺したのは、王から出たことではないことを知った。</p><p>38 王は家来たちに言った。「きょう、イスラエルでひとりの偉大な将軍が倒れたのを知らないのか。</p><p>39 この私は油そそがれた王であるが、今はまだ力が足りない。ツェルヤの子らであるこれらの人々は、私にとっては手ごわすぎる。主が、悪を行なう者には、その悪にしたがって報いてくださるように。」</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの悲しみ</strong></p><p><strong>三つの行ない</strong></p><p>ダビデはアブネルを高く評価していました。そして、この偉大な戦士（将軍）が卑劣な手段で殺されたことを悼いたみ悲しみました。彼は、三つの行ないによって、その悲しみを表現しました。（1）ダビデは、着物を裂き、荒布をまとい、アブネルの死を悼み悲しみました。（2）ダビデは、アブネルを悼む哀歌（3行詩）を作って、大声でそれを歌いました。また、自分が先頭に立ち、丁重にそのなきがらをヘブロンに葬りました。葬送の列には、ヨアブや部下たちも参加させました。これは、ヨアブに対する罰のようなものです。（3）ダビデは日没まで断食しました。<br>ダビデのこの行為は、アブネル暗殺が彼から出たものではないことを、全イスラエルに告げ知らせる役割を果たしました。全イスラエルは、それを見て満足しました。ここに、ダビデの知恵があります。指導者の立場に立つ人は、常に不義に対する怒りと、命に対する敬意とを持つ必要があります。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの限界</strong></p><p>（1）ダビデはヨアブに罰則的行ないをさせましたが、それ以上のことはしていません。本来は、ヨアブを将軍の地位から退けるべきでしたが、それはできませんでした。これが将来に禍根かこんを残すことになります。（2）ダビデは自分の力の足りなさを覚えていました。甥にあたる将軍ヨアブとその一族に対して、立ち向かうことができなかったのです。（3）ダビデは、この件に主ご自身が介入してくださるように祈っています。<br>皮肉なことに、ヘブロンは六つあった「のがれの町」の一つです。本来は、このような惨事が起こらないために、イスラエルの民には「のがれの町」が与えられていたのですが、そこで暗殺事件が起こってしまいました。のがれの町は、キリストを予表しています。地上ののがれの町は、完璧な安全を保障してくれるものではありません。しかし、私たちの救い主イエスは、確かな御手をもって私たちを守ってくださいます。今この方に信頼を置こうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。神の敵が私を破壊しようとして襲いかかるとき、どうか私を守ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=m5vzsoP-WlM" />
         <pubDate>2025-06-03 20:45:58 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二4：1～4</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3479268296</link>
         <description><![CDATA[<p>1 サウルの子イシュ・ボシェテは、アブネルがヘブロンで死んだことを聞いて、気力を失った。イスラエル人もみな、うろたえた。</p><p>2 サウルの子イシュ・ボシェテのもとに、ふたりの略奪隊の隊長がいた。ひとりの名はバアナ、もうひとりの名はレカブといって、ふたりともベニヤミン族のベエロテ人リモンの子であった。というのは、ベエロテもベニヤミンに属するとみなされていたからである。</p><p>3 ベエロテ人はギタイムに逃げて、寄留者となった。今日もそうである。</p><p>4 さて、サウルの子ヨナタンに、 足の不自由な子がひとりいた。その子は、サウルとヨナタンの悲報がイズレエルからもたらされたとき五歳であった。うばがこの子を抱いて逃げるとき、あまり急いで逃げたので、この子を落とし、そのために足のなえた者になった。この子の名はメフィボシェテといった。</p><p><br/></p><p><strong>王位に近づくダビデ</strong></p><p><strong>イシュ・ボシェテの死</strong></p><p>イシュ・ボシェテを王座に据すえ、サウルの家の軍隊を動かしてきたのは、将軍アブネルでした。ところが、そのアブネルがヘブロンで暗殺されたのです。（1）強力な支持者を失ったイシュ・ボシェテは、大いに落胆し、急速に統率力をなくしていきました。（2）うろたえたのはイシュ・ボシェテだけでなく、民全体がそうでした。こうして、イシュ・ボシェテの王国は崩壊寸前の状態になりました。（3）その隙すきを狙ってイシュ・ボシェテの暗殺を企んだのが、ふたりの略奪隊の隊長、バアナとレカブでした。彼らは、ベニヤミン族のベエロテ人リモンの息子たちでした。<br>ダビデは、一歩一歩、統一王国の王位に近づいていました。しかしダビデは、これまで同様、自ら手を下すことはしませんでした。</p><p><br/></p><p><strong>メフィボシェテ</strong></p><p>イシュ・ボシェテが退けられるとするなら、サウルの家を再興する可能性のある子孫としてだれが残されているのでしょうか。この問いに答えるために、4節ではメフィボシェテの名が挙げられています。メフィボシェテはヨナタンの息子です。つまり、サウルの孫にあたります。サウルとヨナタンの悲報が届けられた日に、当時5歳であったメフィボシェテは乳母の不注意によって落とされ、両足に障害を持つ身となりました。この事故によって、彼が王位に就く可能性はなくなりました。まだ先の話ですが、ダビデは、メフィボシェテがヨナタンの息子であるという理由で、彼を厚遇こうぐうするようになります。ダビデは、ヨナタンとの友情契約を忘れてはいなかったのです（Ⅱサムエル記9章、Ⅰサムエル記20：14～16参照）。<br>かくして、ダビデが統一王国の王になる日は、ますます近づいてきました。しかしダビデは、あくまでも神の方法で、神の定めた時に王になろうと決めていました。目的が正しければ、手段が正当化されるというわけではありません。ダビデの忍耐心、主への信頼、義を求める姿勢から、私たちも教訓を学ぼうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。あなたは全能の神であり、ご自身の約束を必ず成就されるお方です。どうか私に、忍耐心を増し加えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-06-04 19:56:14 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二4：5～12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3480766082</link>
         <description><![CDATA[<p>5 ベエロテ人リモンの子のレカブとバアナが、日盛ひざかりに、イシュ・ボシェテの家にやって来たが、ちょうどその時、イシュ・ボシェテは昼寝をしていた。</p><p>6 彼らは、小麦を取りに家の中まではいり込み、そこで、彼の下腹を突いて殺した。レカブとその兄弟バアナはのがれた。</p><p>7 彼らが家にはいったとき、イシュ・ボシェテは寝室の寝床で寝ていたので、彼らは彼を突き殺して首をはね、その首を持って、一晩中、アラバへの道を歩いた。</p><p>8 彼らはイシュ・ボシェテの首をヘブロンのダビデのもとに持って来て、王に言った。「ご覧ください。これは、あなたのいのちをねらっていたあなたの敵、サウルの子イシュ・ボシェテの首です。主は、きょう、わが主、王のために、サウルとその子孫に復讐されたのです。」</p><p>9 すると、ダビデは、ベエロテ人リモンの子レカブとその兄弟バアナに答えて言った。「私のいのちをあらゆる苦難から救い出してくださった主は生きておられる。</p><p>10 かつて私に、『ご覧ください。サウルは死にました。』と告げて、自分自身では、良い知らせをもたらしたつもりでいた者を、私は捕えて、ツィケラグで殺した。それが、その良い知らせの報いであった。</p><p>11 まして、この悪者どもが、ひとりの正しい人を、その家の中の、しかも寝床の上で殺したときはなおのこと、今、私は彼の血の責任をおまえたちに問い、この地からおまえたちを除き去らないでおられようか。」</p><p>12 ダビデが命じたので、若者たちは彼らを殺し、手、足を切り離した。そして、ヘブロンの池のほとりで木につるした。しかし、イシュ・ボシェテの首は、ヘブロンにあるアブネルの墓に持って行き、そこに葬った。</p><p><br/></p><p><strong>暗殺と報復</strong></p><p><strong>暗殺</strong></p><p>血なまぐさい事件が続きます。ふたりの略奪隊長レカブとバアナは、サウルの家に恨みを抱いていたようで、イシュ・ボシェテの暗殺を決行します。ヨアブがアブネルを殺したのは、ユダ族の者がベニヤミン族の者を暗殺したという出来事でした。ところが今回の場合は、ベニヤミン族内部の暗殺事件ですから、事態はより深刻です。<br>（1）レカブとバアナは、イシュ・ボシェテが昼寝をしているところに忍び込み、彼を突き殺した上、その首をはねました。（2）彼らはその首を持って一晩中ヨルダン渓谷を歩き、ヘブロンにいるダビデのもとにやって来ました。（3）彼らは、ダビデが喜ぶと堅く信じて、その首を進呈しました。当然、何らかの褒賞ほうしょうがもらえるものと期待して来たのです。彼らは、ダビデの前でへつらいのことばを語りました。「ご覧ください。これは、あなたのいのちをねらっていたあなたの敵、サウルの子イシュ・ボシェテの首です。主は、きょう、わが主、王のために、サウルとその子孫に復讐されたのです」。</p><p><br/></p><p><strong>報復</strong></p><p>ダビデはこのような蛮行ばんこうを歓迎するような人物ではありませんでした。（1）かつてダビデは、サウルの王冠と腕輪を持ってサウルの死を告げ知らせに来たアマレク人を処罰したことがありました（1章）。（2）今回は、寝床の上で行なわれた殺人です。ダビデが黙っているはずがありません。（3）ダビデは彼らの責任を問い、若者たちに命じて彼らを処刑します。（4）彼らの遺体は、手と足が切り離され、ヘブロンの池のほとりで木に吊るされました。（5）しかし、イシュ・ボシェテの首は、ヘブロンにあるアブネルの墓に丁寧に葬られました。<br>ダビデは、「私のいのちをあらゆる苦難から救い出してくださった主は生きておられる」と告白しています。預言者サムエルから王となるとの預言を受けてから、それが実現するまで、彼は実にさまざまな試練に会ってきました。また、これから先も幾多の患難が待ち構えています。しかし彼は、神が用意された方法でしか前に進みたくなかったのです。ダビデの信仰が、私たちの信仰となりますように。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたが私のために用意してくださったすべての計画が、あなたの方法によって成就しますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
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         <pubDate>2025-06-05 20:16:02 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>サムエル記第二5：1～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3481718880</link>
         <description><![CDATA[<p>1 イスラエルの全部族は、ヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「ご覧のとおり、私たちはあなたの骨肉こつにくです。</p><p>2 これまで、サウルが私たちの王であった時でさえ、イスラエルを動かしていたのは、あなたでした。しかも、主はあなたに言われました。『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがイスラエルの君主となる。』」</p><p>3 イスラエルの全長老がヘブロンの王のもとに来たとき、ダビデ王は、ヘブロンで主の前に、彼らと契約を結び、彼らはダビデに油をそそいでイスラエルの王とした。</p><p>4 ダビデは三十歳で王となり、四十年間、王であった。</p><p>5 ヘブロンで七年六か月、ユダを治め、エルサレムで三十三年、全イスラエルとユダを治めた。</p><p><br/></p><p><strong>全イスラエルとユダの王に</strong></p><p><strong>三度目の油注ぎ</strong></p><p>ついにダビデが、統一王国の王となる日がやって来ました。イシュ・ボシェテを失ったイスラエルの全部族は、長老たちをダビデのもとに派遣し、こう語りました。（1）自分たちとダビデとは同胞である。（2）サウル王の時代から、すでにイスラエルの実際の指導者はダビデであった。（3）ダビデが統一王国の王となることは、主ご自身の預言でもある。（4）そこでダビデは彼らを暖かく迎え、彼らと契約を結びました。彼らはダビデに油を注ぎ、自分たちの王として仰ぐようになりました。<br>ダビデが油注ぎを受けるのは、これで三度目です。一度目がサムエルによって（Ⅰサムエル記16：13）、二度目がユダの人々によって（Ⅱサムエル記2：4）、そして三度目がきょうの箇所です。ダビデの在位期間は40年です。まずヘブロンで7年6ヶ月、次にエルサレムで33年間。30歳で王となった彼は、70歳まで王として統治しました。</p><p><br/></p><p><strong>主の訓練</strong></p><p>主の仕事に召された者は、主からの訓練を必ず受けます。ダビデもまた例外ではありませんでした。統一王国の王となるためには、その信仰、判断力、人格など、あらゆる面で試され、成長させられる必要がありました。多くの特権や賜物たまものが与えられた者には、多くの責任が伴います。ダビデが王としてふさわしい姿になった時に、神は彼に統一王国の統治をお委ねになりました。<br>今、この聖句を思い出しましょう。「訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。‥‥すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」（ヘブル12章）。主の訓練を喜んで受ける信仰者とさせていただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。日々襲って来るさまざまな課題に、信仰をもって立ち向かうことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=O_t96DUCYRo" />
         <pubDate>2025-06-06 21:35:38 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二5：6～9</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3482138063</link>
         <description><![CDATA[<p>6 王とその部下がエルサレムに来て、その地の住民エブス人のところに行ったとき、彼らはダビデに言った。「あなたはここに来ることはできない。目の見えない者、足のなえた者でさえ、あなたを追い出せる。」彼らは、ダビデがここに来ることができない、と考えていたからであった。<br>7 しかし、ダビデはシオンの要害ようがいを攻め取った。これが、ダビデの町である。</p><p>8 その日ダビデは、「だれでもエブス人を打とうとする者は、水汲みの地下道を抜けて、ダビデが憎む、目の見えない者、足のなえた者を打て」と言った。このため、「目の見えない者、足のなえた者は宮に入ってはならない」と言われている。</p><p>9 こうしてダビデはこの要害を住まいとして、これをダビデの町と呼んだ。ダビデはミロから内側にかけて、回りに城壁を建てた。</p><p><br/></p><p><strong>新しい都エルサレム</strong></p><p><strong>シオンの要害の攻略</strong></p><p>ヘブロンは、統一王国を治めるためにはあまりにも南に位置していました。また、そこはユダ族の領地であったために、統一王国の都としてはふさわしくありませんでした。ダビデが新しい首都として選んだのは、シオンの要害（古都エルサレム）でした。<br>（1）エルサレムは天然の要害となっていました。三方を山に囲まれ、ここを攻めようとしたなら北から攻撃するしかありません。守りが堅いということは、何よりの利点です。（2）地理的には、この町はユダ族とベニヤミン族の境に位置していました。どの部族にも偏かたよらない場所を新都に選ぶことは、統一王国を治めるための不可欠の条件でした。（3）ここには、ギホンの泉があり、水は豊かに湧き出していました。（4）この難攻不落とも思える町には、エブス人たちが住んでいました。彼らは、「この町は難攻不落なので、盲人でも足の不自由な者でも、守り切ることができる」と豪語していました。（5）しかしダビデの軍は、将軍ヨアブの指揮のもとに、地下水道を抜けてこの町に侵入し、ついにこれを陥落かんらくさせました。（6）ダビデはこの要害を「ダビデの町」と名付け、そこに住み、さらに城壁を築いて堅固な都としました。かくして新都が確立し、ダビデの王権はますます堅固なものとなっていきました。</p><p><br/></p><p><strong>神の祝福</strong></p><p>この選びの背後には、神の御手が働いていました。神の御心に沿って歩むなら、私たちの行為は、私たちが行なっているとも、神が行なっておられるとも言えるのです。これ以降のイスラエルの歴史は、エルサレムを中心に回るようになります。<br>エブス人たちは傲慢で、油断していました。自信過剰な状態は、危険なことです。彼らは、ダビデの力と知恵をあなどっていましたが、最後はダビデによって滅ぼされました。いつの時代でも、神を恐れない者たちは、危険が迫っているにもかかわらず、傲慢で油断しています。宣教の戦いにおいても、勝敗の行方を決するような戦略的に重要な場所があります。そこを勝ち取るなら、その後の戦いは容易になります。あなたの歩みの中で、戦略的に重要な場所とはなんでしょうか。神の敵は油断しています。神から与えられる知恵と力を用いて、主の戦いに勝利しようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。どうか戦略的に重要な場所を、信仰によって勝ち取らせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-06-07 20:41:14 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二5：10～12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3482543944</link>
         <description><![CDATA[<p>10 ダビデはますます大いなる者となり、万軍の神、主が彼とともにおられた。</p><p>11 ツロの王ヒラムは、ダビデのもとに使者を送り、杉材、大工、石工を送った。彼らはダビデのために王宮を建てた。</p><p>12 ダビデは、主が彼をイスラエルの王として堅く立て、ご自分の民イスラエルのために、彼の王国を盛んにされたのを知った。</p><p><br/></p><p><strong>確立される王権</strong></p><p><strong>王権の確立</strong></p><p>ダビデはますます大いなる者となりました。（1）富と力において、（2）名声と栄誉において、（3）敵を征服する力において、（4）そして、領土を拡大するということにおいて、彼は大いなる者となったのです。ダビデの王権が確立した理由は、「万軍の神、主が彼とともにおられた」からです。主がともにおられることこそ、クリスチャンの力であり、祝福の源です。ダビデは万軍の神の御心を行なった結果、栄誉ある者とされたのです。<br>あなたは、主によって備えられた道を歩んでいますか。主がともにいてくださることを確認しながら、前に向かって進もうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>王宮の建設</strong></p><p>エルサレムが新しい都として確立されました。次に必要なのは、その新都にふさわしい王宮です。当時のイスラエル人は、おもに農業と牧畜に従事していましたので、木材や石材を加工して建物を建設することに慣れていませんでした。専門的な助けを必要としていたダビデのもとに、すばらしい知らせが届けられました。（1）ツロ（今のレバノン）の王ヒラムが、ダビデに協力を申し出たのです。ヒラムは、杉材、大工、石工を送ってきました。ここでは良質の杉材が取れました。また、ツロには熟練した大工や石工が多くいました。杉材は、当時としては最高級の建材でした。（2）ツロの王ヒラムがしていることは、ダビデと友情契約を結ぶということです。彼は、ダビデの偉大さを認め、敵に回るよりも友人となったほうが得策であると判断したのです。（3）ヒラムは異邦人でした。その彼が、ダビデのために王宮を建てたのです。この姿は、新約時代になって異邦人信者がダビデの子であるイエスと契約を結ぶということの予表となっています。私たちも、ヒラムがダビデにしたように、ダビデの子であるイエスに最大の献身を示そうではありませんか。<br>主がダビデを王として堅く立てた理由は、ご自分の民イスラエルを祝福するためでした。主からの祝福には、必ず使命が伴っています。あなたは祝福を受けていますか。それなら、その祝福には使命が伴っていることを思い起こしましょう。自らの使命が全うできるように、主からの力を願い求めましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。どうか使命を全うして生きることができますように、私に知恵と力を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=8qCz_jz0nuo" />
         <pubDate>2025-06-08 20:45:44 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二5：13～16</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3483852454</link>
         <description><![CDATA[<p>13 ダビデはヘブロンから来て後、エルサレムで、さらにそばめたちと妻たちをめとった。ダビデにはさらに、息子、娘たちが生まれた。</p><p>14 エルサレムで彼に生まれた子の名は次のとおり。シャムア、ショバブ、ナタン、ソロモン、</p><p>15 イブハル、エリシュア、ネフェグ、ヤフィア、</p><p>16 エリシャマ、エルヤダ、エリフェレテであった。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの家族</strong></p><p><strong>妻たちと子どもたち</strong></p><p>ヘブロンにいたころのダビデには、6人の妻たちがいました。これでも多過ぎるほどなのに、エルサレムに移ってから、彼はさらに多くの妻とそばめたちをめとりました。これは、申命記17：17の違反です。「多くの妻を持ってはならない。心をそらせてはならない。自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない」。ダビデのこの罪は、やがて深刻な呪いをダビデの家にもたらすことになります。その子ソロモンもまた、父ダビデよりもさらに拡大した形で同じ罪を犯すようになります。<br>成功を手に入れることよりも、成功したあとをどうするかのほうが難しいように感じます。成功は人を傲慢と油断に陥れます。主からの祝福を受けたとき、あなたはその祝福をどのように活用していますか。神を愛することと、神の栄光を表わすことを人生のゴールとする人は幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>バテ・シェバの息子たち</strong></p><p>エルサレムで誕生した息子たちの名が挙げられています。「シャムア、ショバブ、ナタン、ソロモン」の4人は、全員バテ・シェバがダビデに生んだ子どもたちです。この中で、特にナタンとソロモンのふたりに注目してみましょう。（1）ダビデの王位を継承し、エルサレムに神殿を建設するのがソロモンです。ソロモンはその名が示すとおり、「平和の子」です。（2）一般的には、ソロモンはメシアであるイエスの先祖となったと考えられています。確かにソロモンは、イエスの義父であるヨセフの家系にその名を連ねています。しかし、ヨセフとイエスとの間には血のつながりはありません。また、マタイの福音書1：11にはエコニヤという人物の名が挙がっています。このエコニヤに関しては、エレミヤが呪いの預言を語っています。「この人を『子を残さず、一生栄えない男』と記録せよ。彼の子孫のうちひとりも、ダビデの王座に着いて、栄え、再びユダを治める者はいないからだ」（エレミヤ書22：30）。（3）イエスの肉体的先祖となったのは、ソロモンではなくナタンです。ナタンの名は、マリヤの系図に登場しています（ルカ3：31）。<br>神の計画は人知を超越ちょうえつしたものですが、同時に、完璧なものでもあります。今、全知全能の神に全面的な信頼を告白しようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。あなたの御力を称えます。どうか私の信仰の枠を広げてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=jUE6_fGjsjM" />
         <pubDate>2025-06-09 20:44:50 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二5：17～21</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3485604447</link>
         <description><![CDATA[<p>17 ペリシテ人は、ダビデが油をそそがれてイスラエルの王となったことを聞いた。そこでペリシテ人はみな、ダビデをねらって上って来た。ダビデはそれと聞き、要害に下って行った。</p><p>18 ペリシテ人は来て、レファイムの谷間に展開した。</p><p>19 そこで、ダビデは主に伺って言った。「ペリシテ人を攻めに上るべきでしょうか。彼らを私の手に渡してくださるでしょうか。」すると主はダビデに仰せられた。「上れ。わたしは必ず、ペリシテ人をあなたの手に渡すから。」</p><p>20 それで、ダビデはバアル・ペラツィムに行き、そこで彼らを打った。そして言った。「主は、水が破れ出るように、私の前で私の敵を破られた。」それゆえ彼は、その場所の名をバアル・ペラツィムと呼んだ。</p><p>21 彼らが自分たちの偶像を置き去りにして行ったので、ダビデとその部下はそれらを運んで捨てた。</p><p><br/></p><p><strong>ペリシテ人との戦い（1）</strong></p><p><strong>レファイムの谷間での戦い</strong></p><p>ダビデがイスラエルの王として油を注がれたことを知ったペリシテ人たちは、攻撃をしかけてきます。（1）彼らはこれまで、ダビデのことを臣下と思っていました。そのダビデが、エルサレムを新都と定め、王宮まで建設したのです。ダビデの権力が強大なものとなる前に、早急に彼を討つ必要があります。（2）ペリシテ人たちは、サウル王のときと同じように、ダビデとの戦いに勝利することができると考えたのでしょう。しかし、主の守りと臨在から離れたサウルと、主に信頼して歩むダビデの間には、大きな差がありました。ペリシテ人たちは、その事実に気づいていませんでした。（3）ダビデは、エルサレムとベツレヘムの間にある要害に立てこもって、主の導きを求めました。（4）ペリシテ人たちは、レファイムの谷を通ってエルサレムに上って来ました。この谷は、エルサレムとベツレヘムの間にある谷です。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの戦略</strong></p><p>ダビデの戦略に注目しましょう。（1）彼は、「ペリシテ人を攻めに上るべきでしょうか」と主に伺いを立てています。（2）主からの答は、「上れ。わたしは必ず、ペリシテ人をあなたの手に渡すから」というものでした。（3）主の導きに従ってダビデは攻め上り、圧倒的な勝利を手に入れました。ダビデは、「主はまるで丘を流れ下る激流のように、ペリシテを破られた」と証言しています。（4）その戦場は、「バアル・ペラツィム（偶像が打ち破られた場所）」と呼ばれました。ペリシテ人たちが置き去りにした偶像は、運ばれ、捨てられ、焼却されました。今度は、イスラエル人が契約の箱を残して逃げたのではなく、ペリシテ人たちが偶像を捨てて逃げたのです。主は偶像に勝利なさいました。<br>ダビデが王位に就くとすぐに、敵が彼を滅ぼそうとして動き出しました。ダビデの子イエスもまた、ヨルダン川で洗礼を受けてからすぐに悪魔の攻撃を受けました。これは、クリスチャンである私たちにも起こることです。ダビデの体験から、教訓を学びましょう。祝福の後には敵からの攻撃がやって来ます。しかし、主イエスとともに歩むなら、圧倒的な勝利が手に入ります。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。この戦いは主の戦いです。どうかあなたの戦略によって勝利することができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=L1OLnPnvA7o" />
         <pubDate>2025-06-10 20:02:52 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3485604447</guid>
      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二5：22～25</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3487051368</link>
         <description><![CDATA[<p>22 ところがペリシテ人は、なおもまた上って来て、レファイムの谷間に展開した。</p><p>23 そこで、ダビデが主に伺ったところ、主は仰せられた。「上って行くな。彼らのうしろに回って行き、バルサム樹じゅの林の前から彼らに向かえ。</p><p>24 バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえたら、そのとき、あなたは攻め上れ。そのとき、主はすでに、ペリシテ人の陣営を打つために、あなたより先に出ているから。」</p><p>25 ダビデは、主が彼に命じたとおりにし、ゲバからゲゼルに至るまでのペリシテ人を打った。</p><p><br/></p><p><strong>ペリシテ人との戦い（2）</strong></p><p><strong>主の御心を求めて</strong></p><p>ペリシテ人たちは、再びレファイムの谷間から攻め上って来ました。攻撃目標は、前回同様エルサレムです。ダビデがどのような行動を取ったのか見てみましょう。<br>（1）彼は、前回勝利したときと同じ戦略を実行しようとはしていません。ここが、ダビデの偉大なところです。彼は、戦略ではなく、主の臨在こそが勝利をもたらす秘訣であることを知っていたのです。あなたは、このダビデの行為から、何を学びますか。主の介入がなければ、すべての計画はむなしいものです。（2）ダビデは再び、主に伺いを立てます。今度は、全く別の戦略が示されました。敵の背面に回り、バルサム樹の林の前から攻撃せよというのです。（3）攻撃のタイミングは、「バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえたら、そのとき、あなたは攻め上れ。そのとき、主はすでに、ペリシテ人の陣営を打つために、あなたより先に出ているから」というものでした。（4）主の命令に従ったダビデは、ペリシテ人を山地から追い払い、海寄りの平地に彼らを追い払いました。</p><p><br/></p><p><strong>行進の音</strong></p><p>ダビデが二度目の戦いに勝利できたのは、主の方法とタイミングに従ったからです。特に、「バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえたら、そのとき、あなたは攻め上れ」という命令に注目してみましょう。（1）その音は、風がバルサム樹の枝を揺らす際に出る音でしょう。（2）しかし、自然界に起こるその音は、霊的な意味を持っていました。それは、主の軍勢が行進する音のようにも聞こえたのです。そしてそれは、主の軍勢がダビデの先に立って行進していることを暗示していました。（3）ダビデはその命令に従って戦いを進め、ペリシテ人に対する決定的な勝利をものにしました。<br>あなたは、ダビデの第二回目の戦いからどのような教訓を学びますか。あなたの耳には、「主の軍勢の行進の音」が聞こえていますか。あるいは、今は主の時を待つべきなのでしょうか。各人が主の声を聞き分け、時を読み、行動せねばなりません。一つ言えることは、主の戦いに勝利するためには、主の方法と主のタイミングによらなければならないということです。主による大勝利を経験する者とさせていただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。私の耳に、主の軍勢の行進の音を聞かせてください。あなたに従います。私の人生に勝利を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=CpDntgndA8Q" />
         <pubDate>2025-06-11 20:09:38 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>サムエル記第二6：1～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3488541642</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ダビデは再びイスラエルの精鋭三万をことごとく集めた。</p><p>2 ダビデはユダのバアラから神の箱を運び上ろうとして、自分につくすべての民とともに出かけた。神の箱は、ケルビムの上に座しておられる万軍の主の名で呼ばれている。</p><p>3 彼らは、神の箱を、新しい車に載せて、丘の上にあるアビナダブの家から運び出した。アビナダブの子、ウザとアフヨが新しい車を御ぎょしていた。</p><p>4 丘の上にあるアビナダブの家からそれを神の箱とともに運び出したとき、アフヨは箱の前を歩いていた。</p><p>5 ダビデとイスラエルの全家ぜんかは歌を歌い、立琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らして、主の前で、力の限り喜び踊った。</p><p><br/></p><p><strong>エルサレムに運ばれる神の箱</strong></p><p><strong>主の臨在の象徴</strong></p><p>エルサレムで王権を確立したダビデは、次に神の箱（契約の箱）をエルサレムに運び上ることを考えます。この時まで、神の箱はキルヤテ・エアリムのアビナダブの家に安置されたままでした。<br>（1）旧約時代には、神の臨在りんざいは幕屋まくや（後に神殿）の至聖所しせいじょの中に宿っていました。主の臨在の象徴となったのが、神の箱です。（2）神の箱をエルサレムに運ぶに際して、ダビデは隊長たちと合議ごうぎし、その賛成を得ました（Ⅰ歴代誌13：1～4参照）。ダビデにとっては、神の箱をエルサレムに運び上ることは個人的な業ではなく、国家的な事業でした。（3）ダビデはイスラエルの精鋭3万人を集め、この事業に当たろうとしました。精鋭3万人というのは、ペリシテ人との戦いで動員した数と同じです。彼は大規模な隊列を組むことによって、この事業がどれほど重要なものであるかを民に示そうとしたのです。（4）前王のサウルは、神の命令と神の箱とを顧みようとはしませんでした。ダビデはそれとは対照的に、神の命令と神の箱に対する敬意を表明しました。そこに、サウルとダビデの相違があります。（5）ダビデは神の箱を新しい車に載せて運びました。恐らくペリシテ人が神の箱を運んだ方法を真似たのでしょうが、そこには重大な問題がありました。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの信仰</strong></p><p>ダビデは神の箱をエルサレムに運び上ることによって、主の臨在がいつもそばにあるようにとの願いを表明しました。この箱はイエス・キリストの象徴でもあります。私たちには、神の箱よりもさらにすばらしい祝福が与えられています。それは、復活し今も生きておられるキリストの臨在のことです。主イエスは弟子たちにこう約束されました。「わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」（マタイ28：20）。<br>ダビデは主の臨在がなければ、王としてイスラエルの民を統治することは不可能であることを知っていました。クリスチャン生活も、キリストの臨在がなければ不可能です。私たちも、ダビデと同じ熱心さで主の臨在を求めようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。今日も、キリストの臨在の中で生活することができますように、私の信仰を強くしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=hTj03ywOrSw" />
         <pubDate>2025-06-12 21:09:10 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二6：6～11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3489841508</link>
         <description><![CDATA[<p>6 こうして彼らがナコンの打ち場まで来たとき、ウザは神の箱に手を伸ばして、それを押えた。牛がそれをひっくり返しそうになったからである。</p><p>7 すると、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、神は、その不敬ふけいの罪のために、彼をその場で打たれたので、彼は神の箱のかたわらのその場で死んだ。</p><p>8 ダビデの心は激げきした。ウザによる割りこみに主が怒りを発せられたからである。それで、その場所はペレツ・ウザと呼ばれた。今日こんにちもそうである。</p><p>9 その日ダビデは主を恐れて言った。「主の箱を、私のところにお迎えすることはできない。」</p><p>10 ダビデは主の箱を彼のところ、ダビデの町に移したくなかったので、ガテ人オベデ・エドムの家にそれを回した。</p><p>11 こうして、主の箱はガテ人オベデ・エドムの家に三か月とどまった。主はオベデ・エドムと彼の全家を祝福された。</p><p><br/></p><p><strong>ウザの死</strong></p><p><strong>新しい車</strong></p><p>神の箱は新しい車に載せて運ばれました。それを御ぎょしたのが、アビナダブの子、ウザとアフヨです。ダビデとイスラエルの全軍は、賛美と踊りをもって箱を運び上りました。しかし、箱を牛車に載せて運ぶのは律法違反でした。（1）神の箱は、ペリシテ人の真似をして牛車に載せるべきものではなく（Ⅰサムエル記6：7）、レビ人が肩に担になって運ぶべきものでした。その任務をゆだねられたのは、レビ人の中のケハテ族に属する者たちです。（2）また、たといケハテ族の者であっても、この聖なる箱に触れるなら必ず死ぬとの警告が与えられていました（民数記4：14～15）。この警告が与えられたのは、この箱が聖なる神の臨在を象徴していることをイスラエルの民に教えるためでした。</p><p><br/></p><p><strong>ウザの死</strong></p><p>民の大歓声は、一瞬のうちに恐怖の沈黙に変わりました。（1）牛が箱を引っくり返しそうになったため、ウザが神の箱に手を伸ばしてそれを押えました。その時、神の怒りが燃え上がり、ウザはその場で即死しました。（2）ダビデは、神の箱を運び上ることによって多くの人が死ぬのではないかと恐れ、それをガテ人オベデ・エドムの家に回します。この人物は、ケハテ族のコラ人に属していました（Ⅰ歴代誌26：1～4参照）。<br>ウザとオベデ・エドムの違いに注目しましょう。（1）ウザは、長い間神の箱とともに生活しているうちに、神の臨在に対する畏怖いふの念を失っていたのでしょう。安易に神の箱に手を伸ばしたのは、彼に思い上がりの心があったからです。（2）オベデ・エドムは、神の箱を自分の家に安置することを断りませんでした。彼は謙遜けんそんな態度で神の箱を自分の家に迎え、その結果3ケ月にわたって主の祝福を受けることができました。（3）不敬虔ふけいけんな態度でキリストの臨在に近づくのは危険なことですが、敬虔な態度でキリストの臨在を求めるなら、それは大きな祝福をもたらすものとなります。もう一度、自分の内にウザのような不敬虔な思いがないかどうか吟味しましょう。オベデ・エドムのような敬虔さをもってキリストの臨在に近づくなら、その人は神の祝福を受けることができます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私の内に、あなたに対する敬虔な思いと、あなたに対する幼子のような信頼とを作り出してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=qpxhLmqcNTE" />
         <pubDate>2025-06-13 19:42:50 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二6：12～19</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3490347463</link>
         <description><![CDATA[<p>12 主が神の箱のことで、オベデ・エドムの家と彼に属するすべてのものを祝福された、ということがダビデ王に知らされた。そこでダビデは行って、喜びをもって神の箱をオベデ・エドムの家からダビデの町へ運び上った。</p><p>13 主の箱をかつぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは肥えた牛をいけにえとしてささげた。</p><p>14 ダビデは、主の前で、力の限り踊った。ダビデは亜麻布あまぬののエポデをまとっていた。</p><p>15 ダビデとイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛つのぶえを鳴らして、主の箱を運び上った。</p><p>16 主の箱はダビデの町にはいった。サウルの娘ミカルは窓から見おろし、ダビデ王が主の前ではねたり踊ったりしているのを見て、心の中で彼をさげすんだ。</p><p>17 こうして彼らは、主の箱を運び込み、ダビデがそのために張った天幕の真ん中の場所に安置した。それから、ダビデは主の前に、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげた。</p><p>18 ダビデは、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげ終えてから、万軍の主の御名によって民を祝福した。</p><p>19 そして民全部、イスラエルの群集全部に、男にも女にも、それぞれ、輪型のパン一個、なつめやしの菓子一個、干しぶどうの菓子一個を分け与えた。こうして民はみな、それぞれ自分の家に帰った。</p><p><br/></p><p><strong>エルサレムに運ばれる神の箱</strong></p><p><strong>律法に従って</strong></p><p>ウザの割りこみ事件の後、ダビデは自省と黙想のために3ヶ月間を費やしました。彼はモーセの律法を詳細に調べ、今後の導きを求めました（Ⅰ歴代誌15：12～15参照）。そんなとき、オベデ・エドムの家が祝福されているという知らせが届きました。その知らせによって励まされたダビデは、再度神の箱をダビデの町に迎えようと決心します。<br>（1）今度は、モーセの律法が命じるとおりにレビ人たちが主の箱を担かつぎました。前回の失敗から教訓を学んだのです。（2）最初の歩み出しが肝心です。担ぐ者たちは慎重に歩を進めたことでしょう。彼らが6歩進んだとき、主からの怒りが下って来ないことを確かめたダビデは、そこでいけにえをささげて主を礼拝しました。（3）このときダビデは、王服を脱いで亜麻布のエポデをまとっていました。これは祭司が着る服です。祭司の民イスラエルの王となった彼が、エポデを着てもおかしくありません。と言っても、ダビデが祭司の役を果たしたということではありません。「ダビデは肥えた牛をいけにえとしてささげた」とありますが、それは彼自身がいけにえをささげたという意味ではなく、祭司を通してそれを行なったということです。もしダビデが自分の手でいけにえをささげたのだとすると、それはサウルが犯したのと同じ罪を犯したことになります。（4）このときダビデは、主の前で力の限り踊りました。これは、神を礼拝するための踊りです。</p><p><br/></p><p><strong>さげすむミカル</strong></p><p>（1）ダビデが全身全霊をこめて主を礼拝するのを見て、ダビデの妻ミカルはダビデをさげすみました。ミカルはダビデの心を全く理解することができなかったのです。（2）一方ダビデは、神の箱を所定の天幕の真ん中に安置した後、いけにえをささげ、民を祝福して贈り物を与えました。輪型のパン1個、なつめやしの菓子1個、干しぶどうの菓子1個がその贈り物です。これによって、すべての民がその日は特別な喜びの日であることを確認することができました。<br>神の箱が家にあることが祝福であるなら、イエス・キリストを心に迎えていることはより大きな祝福です。私たちもダビデのように、救い主イエスを全身全霊をこめて喜び、礼拝しようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。私のたましいは、今あなたを喜び礼拝しております。他の人の目にいかに映ろうとも、私はあなたをあがめ、あなたにお仕えします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=Sa8hwk0wux4" />
         <pubDate>2025-06-14 21:02:51 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二6：20～23</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3490803256</link>
         <description><![CDATA[<p>20 ダビデが自分の家族を祝福するために戻ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えに出て来て言った。「イスラエルの王は、きょう、ほんとうに威厳がございましたね。ごろつきが恥ずかしげもなく裸になるように、きょう、あなたは自分の家来のはしための目の前で裸におなりになって。」</p><p>21 ダビデはミカルに言った。「あなたの父よりも、その全家よりも、むしろ私を選んで主の民イスラエルの君主に任じられた主の前なのだ。私はその主の前で喜び踊るのだ。</p><p>22 私はこれより、もっと卑いやしめられよう。私の目に卑しく見えても、あなたの言うそのはしためたちに、敬うやまわれたいのだ。」</p><p>23 サウルの娘ミカルには死ぬまで子どもがなかった。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデとミカルの決別</strong></p><p><strong>家族を祝福するダビデ</strong></p><p>民を祝福し終わったダビデは、次に家族を祝福するために王宮に戻って来ました。このときのダビデは上機嫌でしたが、その喜びに水を差したのが最初の妻のミカルです。（1）ミカルは、「イスラエルの王は、きょう、ほんとうに威厳がございましたね」と皮肉たっぷりにダビデに語りかけます。彼女は、王としての体面を保つためには軽々しく踊り回ってはならない、それに、あの服装（エポデ）は裸同然ではないかと考えていたのです。（2）ミカルはサウルの娘です。彼女にはダビデのような信仰はありませんでしたが、自分は王家の娘であるというプライドだけは人一倍持っていました。また、父の影響で、庶民を見下すような態度も身につけていたのでしょう。（3）そのときダビデは、「主はプライドの高いサウル家ではなく、自分のような卑しい者を選んでくださったのだ。その前で喜ぶのは当然である。また、自分はサウル家によってさげすまされている身分の低いはしためたちから敬われたいのだ」と答えました。</p><p><br/></p><p><strong>呪いを受けるミカル</strong></p><p>この日以来、ダビデとミカルの間には亀裂が走ります。ミカルは祝福の代わりに、呪いを受けるようになります。（1）これ以降、ダビデはミカルと夫婦関係を持つことはありませんでした。そのため、ミカルには生涯子どもが与えられませんでした。当時のイスラエルでは恥辱と見なされた不妊を、彼女は生涯耐え忍ばなければならなくなります。（2）本来は、ミカルの息子が王位を継承するはずでしたが、彼女に子がなかったため、バテ・シェバの子が王位継承権を手に入れるようになります。<br>家族が信仰のことを理解しないために、苦しんでいる人は多くいます。ダビデもまたそのひとりでした。神を恐れない者たちは、信仰者を攻撃してきます。ダビデはミカルから見下されたとき、彼女に反撃を加えようとはせず、その裁きをすべて主にゆだねました。これは私たちへの教訓となります。家族が信仰に反対しても、それに対して反撃を加える必要はありません。神はすべてをご存知です。そして、最善の時に最善の方法で動いてくださいます。私たちとしては、忠実に福音を語り続ければよいのです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。天地が造られる前からキリストにあって私を選んでくださったことを感謝します。私の信仰をさげすむ者をあなたの御手にゆだねます。どうか、最善の方法でお働きください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=k3Em0HGoN3Q" />
         <pubDate>2025-06-15 20:41:09 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二7：1～3</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3492167001</link>
         <description><![CDATA[<p>1 王が自分の家に住み、主が周囲のすべての敵から守って、彼に安息を与えられたとき、</p><p>2 王は預言者ナタンに言った。「ご覧ください。この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中にとどまっています。」</p><p>3 すると、ナタンは王に言った。「さあ、あなたの心にあることをみな行ないなさい。主があなたとともにおられるのですから。」</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの願い</strong></p><p><strong>杉材の王宮と粗末な天幕</strong></p><p>サムエル記第二7章は非常に重要な聖書箇所です。この章では、アブラハム契約やモーセ契約（シナイ契約）と同じくらい重要な「ダビデ契約」が登場します。きょうの箇所は、ダビデ契約が結ばれるようになった背景を説明しています。<br>（1）ダビデは、ツロの職人たちが建設した王宮に住むようになりました。この王宮は杉材で内装を施されたもので、比類なき豪華さを誇っていました。（2）また周囲の敵が平定され、ダビデは戦いのない安息の日々を味わうようになっていました（8章に入ると再び戦争の記事が出てきますが、これは、サムエル記の記録が必ずしも時間順に並んでいるのではないことを表わしています。時間順に並べると、7章は8章の後にくるものです）。（3）ところが、神の箱は粗末な天幕に安置されたままでした。ダビデの心は痛みました。自分が住んでいる杉材の王宮と比べると、神の箱が安置されている天幕が非常にみすぼらしいものであったからです。</p><p><br/></p><p><strong>預言者ナタン</strong></p><p>そこでダビデは、預言者ナタンに相談します。ナタンの出自しゅつじについては、詳しいことはわかりません。当時彼は、宮廷に出入りする預言者、王の個人的助言者であったと思われます。非常に敬虔で、主に忠実な預言者でした。また、ダビデのことをよく知っていました。（1）ダビデは、神の箱のために恒久的な建物（神殿）を建設したいと、その胸の内をナタンに打ち明けます。（2）ナタンは即座に、「さあ、あなたの心にあることをみな行ないなさい。主があなたとともにおられるのですから」と助言を与えています。（3）確かに、「主がともにおられる」というのは、ダビデの生涯を貫く真理でした。しかしナタンは、これほど重要なテーマに関して、主にお伺うかがいを立てることなしに、個人的な判断だけで答えています。<br>ナタンは預言者であり、善良な人物でした。しかし、そのような人物であっても自己判断によってことばを発するなら、間違いを犯すことになります。ここに私たちへの教訓があります。善良なだけでは、隣人に正しい助言を与えることはできません。重要な課題に関しては、祈りの中で主の導きを求めることを習慣としようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。独断でことばを発することの多い者です。お許しください。あなたの導きを求めることを私の習慣とさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=epgKBhyiNDE" />
         <pubDate>2025-06-16 20:32:35 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二7：4～17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3493594451</link>
         <description><![CDATA[<p>4 その夜のことである。次のような主のことばがナタンにあった。</p><p>5 「行って、わたしのしもべダビデに言え。主はこう仰せられる。あなたはわたしのために、わたしの住む家を建てようとしているのか。</p><p>6 わたしは、エジプトからイスラエル人を導き上った日以来、今日まで、家に住んだことはなく、天幕、すなわち幕屋にいて、歩んできた。</p><p>7 わたしがイスラエル人のすべてと歩んできたどんな所ででも、わたしが、民イスラエルを牧せよと命じたイスラエル部族の一つにでも、『なぜ、あなたがたはわたしのために杉材の家を建てなかったのか。』と、一度でも、言ったことがあろうか。</p><p>8 今、わたしのしもべダビデにこう言え。万軍の主はこう仰せられる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場からとり、わたしの民イスラエルの君主とした。</p><p>9 そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにおり、あなたの前であなたのすべての敵を断ち滅ぼした。わたしは地上の大いなる者の名に等しい大いなる名をあなたに与える。</p><p>10 わたしが、わたしの民イスラエルのために一つの場所を定め、民を住みつかせ、民がその所に住むなら、もはや民は恐れおののくことはない。不正な者たちも、初めのころのように重ねて民を苦しめることはない。</p><p>11 それは、わたしが、わたしの民イスラエルの上にさばきつかさを任命したころのことである。わたしはあなたをすべての敵から守って、安息を与える。さらに主はあなたに告げる。『主はあなたのために一つの家を造る。』</p><p>12 あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。</p><p>13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。</p><p>14 わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。</p><p>15 しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。</p><p>16 あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」</p><p>17 ナタンはこれらすべてのことばと、これらすべての幻とを、そのままダビデに告げた。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデ契約（1）</strong></p><p><strong>ナタンへの主からのことば</strong></p><p>この箇所は非常に重要ですので、2回に分けて学びます。その夜、主はナタンのことばの間違いを修正するために幻の中で彼にお語りになりました。（1）出エジプト以来、主は神殿ではなく天幕（幕屋）を住まいとして、民を導いて来られました。（2）また、これまでどんな士師たち（イスラエルの諸部族から出ていた）にも、自分のために杉材の神殿を建設せよと命じたことはありませんでした。</p><p><br/></p><p><strong>契約の内容</strong></p><p>主のことばはさらに続きました。それがダビデ契約と呼ばれるものです。主は羊の群れを飼っていたダビデを選び、イスラエルの王とし、至る所で勝利を与え、地上で偉大な人物としての名も与えました。イスラエルの民はダビデの統治下にあって、恐怖からも苦難からも解放され、安息するようになります。そして主はダビデに、次のような約束をお与えになりました。（1）ダビデは主のために家（神殿）を建てようと企てていましたが、逆に主がダビデのために一つの家（王朝）を造られる。つまり、ダビデ王朝が誕生するということです。（2）ダビデの身から出る世継ぎの子が、ダビデの死後、王国を確立するようになる。この世継ぎの子とは、ソロモンのことです。（3）そのソロモンが、主のために神殿を建てるようになる。（4）その王国の王座は永遠に続く。（5）しかし、もしソロモンが罪を犯すなら、主は彼を懲こらしめる。（6）この契約は永遠の契約であるがゆえに、サウルのときのようにソロモンから恵みが取り去られることはない。<br>サウルとソロモンの罪を比較すると、偶像礼拝に走ったソロモンの罪のほうがはるかに大きなものです。しかしソロモンは、サウルのときのように王座を奪われることはありません。これが、契約に基づく神の愛、無条件の愛です。新約の民である私たちもまた、イエス・キリストを通して無条件の愛を受けました。だからと言って、何をしてもよいというわけではありません。主は今も、罪人を懲らしめておられます。無条件の愛は、私たちをより清い生活へと導く原動力となります。あなたは、神の無条件の愛にどのように応答していますか。クリスチャンとは神の愛に応答して生きる人々のことです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたを心から愛します。あなたへの愛が、私が生きる原動力です。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=8a-NrQWFdFk" />
         <pubDate>2025-06-17 20:36:39 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3493594451</guid>
      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二7：4～17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3494986455</link>
         <description><![CDATA[<p>4 その夜のことである。次のような主のことばがナタンにあった。</p><p>5 「行って、わたしのしもべダビデに言え。主はこう仰せられる。あなたはわたしのために、わたしの住む家を建てようとしているのか。</p><p>6 わたしは、エジプトからイスラエル人を導き上った日以来、今日まで、家に住んだことはなく、天幕、すなわち幕屋にいて、歩んできた。</p><p>7 わたしがイスラエル人のすべてと歩んできたどんな所ででも、わたしが、民イスラエルを牧せよと命じたイスラエル部族の一つにでも、『なぜ、あなたがたはわたしのために杉材の家を建てなかったのか。』と、一度でも、言ったことがあろうか。</p><p>8 今、わたしのしもべダビデにこう言え。万軍の主はこう仰せられる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場からとり、わたしの民イスラエルの君主とした。</p><p>9 そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにおり、あなたの前であなたのすべての敵を断ち滅ぼした。わたしは地上の大いなる者の名に等しい大いなる名をあなたに与える。</p><p>10 わたしが、わたしの民イスラエルのために一つの場所を定め、民を住みつかせ、民がその所に住むなら、もはや民は恐れおののくことはない。不正な者たちも、初めのころのように重ねて民を苦しめることはない。</p><p>11 それは、わたしが、わたしの民イスラエルの上にさばきつかさを任命したころのことである。わたしはあなたをすべての敵から守って、安息を与える。さらに主はあなたに告げる。『主はあなたのために一つの家を造る。』</p><p>12 あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。</p><p>13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。</p><p>14 わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。</p><p>15 しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。</p><p>16 あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」</p><p>17 ナタンはこれらすべてのことばと、これらすべての幻とを、そのままダビデに告げた。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデ契約（2）</strong></p><p><strong>並行記事（Ⅰ歴代誌17：7～14）</strong></p><p>前回に引き続き、ダビデ契約について学んでみます。サムエル記第二7：4～17と並行記事になっているのが、歴代誌第一17：7～14です。<br>（1）サムエル記第二7章の記事は、ダビデの直接の子であるソロモンに焦点を絞った内容となっています。ソロモンはダビデの世継ぎとなり、主のために一つの家（神殿）を建てます。（2）それに対して、歴代誌第一17章の記事は、メシアであるイエスに焦点を絞った内容となっています。11節には、「わたしは、あなたの息子の中から、あなたの世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる」とあります。「あなたの息子の中から」世継ぎの子が出るというのは、ダビデの子孫たちの中からメシアが出るという預言です。事実、メシアは肉体的にはソロモンの家系からではなく、別の息子であるナタンの家系から出ています（ルカ3：31の系図を参照）。（3）サムエル記第二7章の記事では、「もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる」となっています。ソロモンには罪を犯す可能性があったので、こう預言されているのです。（4）それに対して、歴代誌第一17章の記事ではそのことばが抜けています。メシアであるイエスが罪を犯すことなどあり得ないからです。</p><p><br/></p><p><strong>契約の内容</strong></p><p>サムエル記第二7章では、三つのことが永遠に続く約束として記されています。（1）ダビデの家（王朝）、（2）ダビデの王国、（3）ダビデの王座がそれです。<br>それに対して、歴代誌第一7章では、四つのことが永遠に続く約束として記されています。最初の三つはサムエル記第二7章の約束と同じです。第4番目の約束は、メシアは永遠に立てられるというものです（14節）。<br>この世にあるすべてのものは変化し、いつか消えてなくなります。そのようなものに信頼を置くなら、必ず失望する時が来ます。しかし、神の約束は永遠に変わることがありません。私たちが信頼を置くイエス・キリストは、永遠にメシアとして、また王として立てられたお方です。今、主イエスを信じる者とされた祝福を思い起こし、さらに主に忠実に歩むことを決意しましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。私を永遠の祝福の中に招いてくださり、感謝します。私には帰るべき家が与えられています。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-06-18 20:34:27 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二7：18～21</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3496240165</link>
         <description><![CDATA[<p>18 ダビデ王は行って主の前に座し、そして言った。「神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。</p><p>19 神、主よ。この私はあなたの御目おんめには取るに足りない者でしたのに、あなたは、このしもべの家にも、はるか先のことまで告げてくださいました。神、主よ。これが人の定めでしょうか。</p><p>20 神、主よ。このダビデは、このうえ、あなたに何をつけ加えて申し上げることができましょう。あなたはこのしもべをよくご存じです。</p><p>21 あなたは、ご自分の約束のために、あなたのみこころのままに、この大いなることのすべてを行ない、このしもべにそれを知らせてくださいました。</p><p><br></p><p><strong>感謝の祈り</strong></p><p><strong>ダビデの感謝</strong></p><p>当初ダビデは、主のために神殿を建てたいと願っていました。そのダビデに対して、主はナタンを通して、ダビデが主のために家（神殿）を建てるのではなく、主ご自身がダビデのために家（王朝）を建てようとお答えになりました。<br>（1）その約束に感激したダビデは、主の前に座して祈り始めます。信仰者ダビデの謙遜な姿勢がよく現われています。（2）この祈りの中でダビデは、自分にはそのような恵みを受ける資格がないことを告白しています。すでに、ここまで導かれたことだけでも身にあまる祝福です。その上、はるか先の展望まで知らされたのです。「神、主よ。これが人の定めでしょうか」とは、「自分にはそのような祝福を受ける資格などない」という意味です。（3）次にダビデは、「神、主よ。このダビデは、このうえ、あなたに何をつけ加えて申し上げることができましょう。あなたはこのしもべをよくご存じです」と語っています。イスラエル随一ずいいちの詩人であったダビデが、この感謝と驚きを表現することばがないと語っているのです。</p><p><br></p><p><strong>私たちへの教訓</strong></p><p>ダビデが受けた祝福にまさる祝福が、新約時代のクリスチャンに与えられています。エペソ人への手紙3：6にはこのようにあります。「その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです」。<br>もう一度、自分がどのようなところから救われたのかを思い起こしましょう。私たちは真の神を知らず、滅びへの道を歩んでいた怒りの子らでした。しかし、神はそのあわれみのゆえに、キリストにあって私たちを選び、贖い、神の子としての特権を与えてくださいました。ダビデが受けた祝福は、キリストにあって今や私たちのものともなりました。もし私たちが神に願うなら、神は私たちの思いをはるかに越えて働き、与えてくださいます。神に愛されている子らしく、笑顔と勇気をもって立ち上がろうではありませんか。神は私たちとともにいてくださいます。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。私のような者を選び、救い、永遠の祝福に招いてくださったことを感謝します。私の心は、感謝で満たされています。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=NklPPRzXZ7I" />
         <pubDate>2025-06-19 20:13:08 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二7：22～29</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3497406104</link>
         <description><![CDATA[<p>22 それゆえ、神、主よ。あなたは大いなる方です。私たちの耳にはいるすべてについて、あなたのような方はほかになく、あなたのほかに神はありません。</p><p>23 また、地上のどの国民があなたの民のよう、イスラエルのようでしょう。神ご自身が来られて、この民を贖い、これをご自身の民とし、これにご自身の名を置かれました。あなたは、ご自身の国のために、あなたの民の前で、大いなる恐るべきことを行ない、この民をあなたのためにエジプトから、そして国々とその神々から贖ってくださいました。</p><p>24 こうして、あなたの民イスラエルをとこしえまでもあなたの民として立てられました。主よ。あなたは彼らの神となられました。</p><p>25 どうか、神、主よ。あなたが、このしもべとその家について約束されたことを、とこしえまでも守り、あなたの約束どおりに行なってください。</p><p>26 あなたの御名がとこしえまでもあがめられ、『万軍の主はイスラエルの神。』と言われますように。あなたのしもべダビデの家が御前に堅く立つことができますように。</p><p>27 イスラエルの神、万軍の主よ。あなたは、このしもべの耳にはっきり、『わたしが、あなたのために家を建てる。』と言われました。それゆえ、このしもべは、この祈りをあなたに祈る勇気を得たのです。</p><p>28 今、神、主よ。あなたこそ神であられます。あなたのおことばはまことです。あなたは、このしもべに、この良いことを約束してくださいました。</p><p>29 今、どうぞあなたのしもべの家を祝福して、とこしえに御前に続くようにしてください。神、主よ。あなたが、約束されました。あなたの祝福によって、あなたのしもべの家はとこしえに祝福されるのです。」</p><p><br/></p><p><strong>主への賛美</strong></p><p><strong>ダビデの賛美</strong></p><p>ダビデの祈りは、やがて賛美へと変わります。この賛美は圧倒的な力をもって私たちに迫ってきます。<br>（1）ここでダビデは、主がこれまでにイスラエルの民のためにしてくださったことを思い起こし、イスラエルの神こそ比類なきお方であることを告白し、その神をほめたたえています。「あなたのような方は、ほかにはなく、あなたのほかには神はありません」。これは、あなたの告白でもありますか。（2）次にダビデは、神が地上の民族の中から特にイスラエルを選び、その民をエジプトから救い出し、その上にご自身の名を置かれたことを覚え、その神を賛美しています。私たちもまた、地上の諸民族の中から選ばれ、キリストを信じて永遠のいのちを受ける者とされました。あなたの心には、ダビデと同じような神への賛美の歌がありますか。（3）神がイスラエルを選んだのは、永遠に彼らを立て、彼らの神となるためでした。私たちもまた、イエス・キリストを通してイスラエルの神を「天の父」と呼べるようになりました。このお方は、永遠に私たちの神です。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの願い</strong></p><p>次にダビデは、主の約束が成就するようにとの願いを語っています。（1）ダビデは、イスラエルの神、万軍の主が、「わたしが、あなたのために家を建てる」と約束されたことを思い起こし、主の前に勇気を得て祈っています。私たちの祈りもまた、主のみことばと約束に基づくものでなければなりません。主は、私たちが御心に沿って大いなることを願うのを待っておられます。あなたの祈りは、大胆なものになっていますか。（2）ダビデは、主のみことばは真実であり、必ず成就すると信じています。信じて祈る祈りは、聞かれます。（3）その信仰に基づいて、ダビデは自分の家（家族や子孫）がとこしえに祝福されるように願っています。これは、私たちの願いでもあります。神の愛と恵みを信じ、家族と子孫の上に神の祝福が注がれるように祈ろうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたの約束はとこしえに変わることがありません。どうか、私の家を祝福してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=ldvwmpt0798" />
         <pubDate>2025-06-20 20:53:16 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3497406104</guid>
      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二8：1～2</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3497841005</link>
         <description><![CDATA[<p>1 その後、ダビデはペリシテ人を打って、これを屈服させた。ダビデはメテグ・ハアマをペリシテ人の手から奪った。</p><p>2 彼はモアブを打ったとき、彼らを地面に伏させて、なわで彼らを測った。なわ二本を伸ばして測った者を殺し、なわ一本を伸ばして測った者を生かしておいた。こうしてモアブはダビデのしもべとなり、みつぎものを納める者となった。</p><p><br/></p><p><strong>ペリシテとモアブ</strong></p><p><strong>ペリシテ（1節）</strong></p><p>サムエル記第二8章は、ダビデ王国がいかにして確立されたかを説明しています。最初に出てくるのが、ペリシテ人の征服です。（1）ペリシテ人たちは、長年にわたってイスラエルにとっては脅威となっていました。しかしついに、ダビデは彼らを屈服させ、メテグ・ハアマ（ペリシテの主要都市ガテとそれに属する村落の意味、Ⅰ歴代誌18：1参照）を彼らの手から奪いました。（2）ペリシテ人を闇の世界の象徴、ダビデを主イエスの象徴と取れば、この勝利から教訓を読み取ることができます。「ダビデの子（メシア）」である主イエスは、やがてすべての敵を屈服させ、私たち聖徒を勝利の行列へと導いてくださいます。<br>パウロは、「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです」（ローマ8：37）と語っています。あなたは試練に押しつぶされそうになっていませんか。もしそうなら、「私たちを愛してくださった方（イエス・キリスト）」の愛の中にとどまり、新しい力を受け取ろうではありませんか。私たちが「圧倒的な勝利者」となる日が必ずやって来ます。</p><p><br/></p><p><strong>モアブ（2節）</strong></p><p>次に、モアブに対する勝利が記されています。（1）モアブを征服したとき、ダビデはモアブ人（恐らく男子の兵士たち）の3分の2を殺し、3分の1を生かしておきました。（2）モアブはもともとダビデと友好関係にありました。逃亡生活の間ダビデは、両親をモアブの王にゆだねるほどでした（Ⅰサムエル記22：3～4）。ですから、なぜこのような殺りくが行なわれたのか、背景は不明です。恐らく、何らかの謀反むほんがあったのでしょう。（3）測り縄2本分に相当する者たちが殺され、1本分に相当する者たちが生かしておかれました。前者に下ったのはきびしいさばきであり、後者に下ったのは恵みです。<br>パウロはこう警告しています。「倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです」（ローマ11：22）。神の恵みにとどまり続けようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。私の上にあなたの恵みを注いでくださり、ありがとうございます。きょうも、あなたの恵みに中にとどまらせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=XaHgHx2v3VM" />
         <pubDate>2025-06-21 20:35:18 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二8：3～8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3498290022</link>
         <description><![CDATA[<p>3 ダビデは、ツォバの王レホブの子ハダデエゼルが、ユーフラテス川流域にその勢力を回復しようと出て来たとき、彼を打った。</p><p>4 ダビデは、彼から騎兵千七百、歩兵二万を取った。ダビデは、その戦車全部の馬の足の筋を切った。ただし、戦車の馬百頭を残した。</p><p>5 ダマスコのアラムがツォバの王ハダデエゼルを助けに来たが、ダビデはアラムの二万二千人を打った。</p><p>6 ダビデはダマスコのアラムに守備隊を置いた。アラムはダビデのしもべとなり、みつぎものを納める者となった。こうして主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。</p><p>7 ダビデはハダデエゼルの家来たちの持っていた金の丸い小盾こだてを奪い取り、エルサレムに持ち帰った。</p><p>8 ダビデ王は、ハダデエゼルの町ベタフとベロタイから、非常に多くの青銅を奪い取った。</p><p><br/></p><p><strong>シリヤの征服</strong></p><p><strong>北方の小国ツォバ</strong></p><p>きょうの箇所には、シリヤの征服が記録されています。その征服は、2段階でやって来ました。最初は、北方の小国ツォバの征服です。（1）ツォバはアラム人の王国で、ユーフラテス川流域にまでその勢力圏を広げていました。（2）ツォバの王レホブの子ハダデエゼルは、一度失った領土を回復しようとして出陣しましたが、ダビデによって打たれました。（3）ダビデは多くの兵士を捕虜ほりょにしました（騎兵1,700、歩兵2万）。山岳地帯の戦いでは、戦車や馬は必要ありません。そこでダビデは、100頭だけを残してすべての馬の足の筋を切りました。</p><p><br/></p><p><strong>ダマスコのアラム</strong></p><p>ダマスコのアラムが、シリヤの中心勢力でした。（1）彼らはツォバの王ハダデエゼルが攻撃されていることを聞き、援軍を出します。（2）しかしダビデはこの戦いにも勝利し、アラムの2万2,000人を打ちました。（3）勝利したダビデは、北方の守りを固めるために、ダマスコのアラムに守備隊を置きました。（4）かくして、ペリシテと並ぶ仇敵きゅうてきであったアラムが、ダビデの王国の朝貢ちょうこう国となりました。（5）聖書は、ダビデの勝利の理由をこのように説明しています。「こうして主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた」（6節）。この聖句は、非常に重要です。主がダビデに勝利を与えたのです。ダビデはそのことを熟知していました。そして、詩篇の中で主への感謝をくり返し詠っています。「王は軍勢の多いことによっては救われない。勇者は力の強いことによっては救い出されない。軍馬も勝利の頼みにはならない。その大きな力も救いにならない。見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に」（詩篇33篇）。<br>もう一度、私たちを守り、私たちを勝利の生活へと導いてくださる方がだれであるか、黙想してみましょう。あなたはどのような力によって、今計画していることを成し遂げようとしていますか。自分の計画の中に、キリストの臨在りんざいを招き入れようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。私の助けは、天地を創造したあなたからやって来ます。あなたを信じます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=QOlaMGqg7mQ" />
         <pubDate>2025-06-22 21:21:42 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3498290022</guid>
      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二8：9～18</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3499536975</link>
         <description><![CDATA[<p>9 ハマテの王トイは、ダビデがハダデエゼルの全軍勢ぜんぐんぜいを打ち破ったことを聞いた。</p><p>10 そこでトイは、その子ヨラムをダビデ王のもとにやって、安否あんぴを尋ねさせ、ダビデがハダデエゼルと戦ってこれを打ち破ったことについて、祝福のことばを述べさせた。ハダデエゼルがトイに戦いをいどんでいたからである。ヨラムは銀の器うつわ、金の器、青銅の器を手にして来た。</p><p>11 ダビデ王は、それをもまた、彼の征服したすべての国々から取って聖別する銀や金とともに主に聖別してささげた。</p><p>12 それらは、アラム、モアブ、アモン人、ペリシテ人、アマレクから取った物、およびツォバの王レホブの子ハダデエゼルからの分捕ぶんどり物ものであった。</p><p>13 ダビデが塩の谷でエドム人一万八千を打ち殺して帰って来たとき、彼は名をあげた。</p><p>14 彼はエドムに守備隊を、すなわち、エドム全土に守備隊を置いた。こうして、エドムの全部がダビデのしもべとなった。このように主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。</p><p>15 ダビデはイスラエルの全部を治おさめ、その民のすべての者に正しいさばきを行なった。</p><p>16 ツェルヤの子ヨアブは軍団長、アヒルデの子ヨシャパテは参議さんぎ、</p><p>17 アヒトブの子ツァドクとエブヤタルの子アヒメレクは祭司さいし、セラヤは書記、</p><p>18 エホヤダの子ベナヤはケレテ人とペレテ人の上に立つ者、ダビデの子らは祭司であった。</p><p><br/></p><p><strong>行く先々での勝利</strong></p><p><strong>ハマテの王からの祝福のことば</strong></p><p>ハマテはダマスコの北方およそ150kmのところにある都市国家です。（1）彼らはアラム系の民族で、その王はトイと言いました。（2）ツォバの王ハダデエゼルと敵対関係にあったトイは、ダビデがツォバを撃退したことを喜び、王子のヨラムを派遣して祝福のことばを伝えました。（3）さらにトイは、銀、金、青銅の器などをダビデに贈りました。（4）ダビデは、これらの贈り物を他の諸国からの戦利品とともに、主に聖別してささげました。これはまた、自分の息子が将来神殿を建設するための資材ともなりました。<br>かつてダビデは、敵が残していった偶像を破壊したことがありました（5：21）。しかしここでは、戦利品や贈り物などを聖別して主にささげています。ここから、教訓を学ぶことができます。私たちもまた、自分を主にささげる場合、偶像礼拝的な要素のあるものは退け、主の栄光につながるものだけを聖別してささげるべきです。キリストのからだなる教会を建て上げるために、あなたはどのような賜物たまものをささげようとしていますか。</p><p><br/></p><p><strong>エドム征服</strong></p><p>さらにダビデは、エドム人1万8,000人を打ち殺し、エドム全土に守備隊を置きました。ダビデにこのような勝利を与えたのは主でした。「このように主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた」とあります。ダビデは連戦連勝の背後に、主の臨在があったことを認めそれを詩篇に詠いました。あなたは今安定した生活、祝福に満ちた生活を送っていますか。それなら、その背後に主の御手があることを認め、ことあるごとに主の御名をほめたたえるべきです。<br>ダビデ王国が繁栄し、正しい政治が行なわれるために、ダビデは有能な補佐官たちを任命しました。イスラエルの民を平等に扱い、常に正しいさばきを行なったダビデの姿はキリストの予表となっています。王国が繁栄するためにダビデに仕えた臣下たちの姿は、私たちクリスチャンの予表と見ることができます。喜んで、自ら進み出て、主なるキリストにお仕えしようではありませんか。地上において神の御心がなるために、そうしようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私は主イエスのしもべです。どうか、御国のためにお用いください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=ZnqxGyhaQcw" />
         <pubDate>2025-06-23 20:34:45 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3499536975</guid>
      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二 9：1〜8「メフィボシェテへの恵み」</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3500838294</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ダビデが言った。「サウルの家の者で、まだ生き残っている者はいないか。私はヨナタンのために、その者に恵みを施ほどこしたい。」</p><p>2 サウルの家にツィバという名のしもべがいた。彼がダビデのところに召し出されたとき、王は彼に尋ねた。「あなたがツィバか。」すると彼は答えた。「はい、このしもべです。」</p><p>3 王は言った。「サウルの家の者で、まだ、だれかいないのか。私はその者に神の恵みを施したい。」ツィバは王に言った。「まだ、ヨナタンの子で足の不自由な方がおられます。」</p><p>4 王は彼に言った。「彼は、どこにいるのか。」ツィバは王に言った。「今、ロ・デバルのアミエルの子マキルの家におられます。」</p><p>5 そこでダビデ王は人をやり、ロ・デバルのアミエルの子マキルの家から彼を連れて来させた。</p><p>6 サウルの子ヨナタンの子メフィボシェテは、ダビデのところに来て、ひれ伏して礼をした。ダビデは言った。「メフィボシェテか。」彼は答えた。「はい、このしもべです。」</p><p>7 ダビデは言った。「恐れることはない。私は、あなたの父ヨナタンのために、あなたに恵みを施したい。あなたの祖父サウルの地所じしょを全部あなたに返そう。あなたはいつも私の食卓で食事をしてよい。」</p><p>8 彼は礼をして言った。「このしもべが何者だというので、あなたは、この死んだ犬のような私を顧かえりみてくださるのですか。」</p><p><br/></p><p><strong>メフィボシェテへの恵み</strong></p><p><strong>ヨナタンとの契約のゆえに</strong></p><p>日本のことわざに、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というものがあります。苦しいときには人を頼み、苦しさが去ればその恩を忘れることをいいます。私たちクリスチャンも、往々にして人からお世話になったことを忘れて感謝の心をなくしたり、神に対する感謝や約束を忘れてしまったりすることがあります。しかし、ダビデはそうではありませんでした。真の信仰者は、あらゆる点で誠実に生きようとするものです。<br>当時の中近東の習慣では、王朝の安定を計るために前王朝の子孫を抹殺するのが一般的でした。しかし、神を恐れ敬うダビデは、それとは正反対のことをしています。（1）背景にあるのは、サウルの息子のヨナタンとの友情契約です（Ⅰサムエル記20：14～15）。（2）ダビデは、サウル家の生き残りを捜し出し、その者に神の恵みを施そうと決意します。</p><p><br/></p><p><strong>サウルの家の管理人ツィバ</strong></p><p>（1）ダビデはサウル家の有力な管理人ツィバを見いだし、彼から、ヨナタンの息子で足の不自由なメフィボシェテが残っていることを知らされます。メフィボシェテは、ロ・デバルのマキル家で世話になっていました。（2）メフィボシェテは、いのちが奪われるのではないかと恐れながらダビデのもとに来て、その前にひれ伏します。（3）しかし彼は、ダビデから夢のような提案を受けます。ベニヤミンの地にある祖父サウルの土地がすべて自分に返還されるというのです。また、ダビデの賓客ひんかくとして、王の食卓で食事をしてもよいという許可まで受けます。（4）生死の境を何度もくぐり抜けてきたメフィボシェテは、感激してダビデの申し出を受け入れます。<br>ダビデの決断からどのような教訓を学ぶことができますか。彼は自らサウル家の子孫を捜し出し、ヨナタンとの約束を果たそうとしました。私たちも、まだ果たしていない人との約束、神との約束がないかどうか、自己吟味をしてみましょう。神は約束したことを実行する人を祝福し、助けてくださいます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。あなたの子としてふさわしい歩みができますように、どうか私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=v0WNvrot38c" />
         <pubDate>2025-06-24 19:40:31 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3500838294</guid>
      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二9：9～13</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3502112517</link>
         <description><![CDATA[<p>9 そこで王はサウルのしもべツィバを呼び寄せて言った。「サウルと、その一家の所有になっていた物をみな、私はあなたの主人の子に与えた。</p><p>10 あなたも、あなたの息子たちも、あなたの召使いたちも、彼のために地を耕たがやして、作物を得たなら、それはあなたの主人の子のパン、また食物となる。あなたの主人の子メフィボシェテは、私の食卓で、いつも食事をすることになる。」ツィバには十五人の息子と二十人の召使いがあった。</p><p>11 ツィバは王に言った。「王さま。あなたが、このしもべに申しつけられたとおりに、このしもべはいたします。」こうして、メフィボシェテは王の息子たちのひとりのように、王の食卓で食事をすることになった。</p><p>12 メフィボシェテにはミカという名の小さな子どもがいた。ツィバの家に住む者はみな、メフィボシェテのしもべとなった。</p><p>13 メフィボシェテはエルサレムに住み、いつも王の食卓で食事をした。彼は両足が共になえていた。</p><p><br/></p><p><strong>王の息子たちのように</strong></p><p><strong>ツィバへの命令</strong></p><p>メフィボシェテへの約束を実行するために、ダビデはサウル王の召使いであったツィバを呼び寄せ、こう命じます。（1）サウル王の土地はすべてメフィボシェテに返還される。（2）大家族を擁ようするツィバは、返還されたサウル家の土地を耕して、サウル家の生計を立てねばならない。ツィバには15人の息子と20人のしもべがいましたので、かなりの広さの土地を耕すことができました。（3）メフィボシェテに関しては、ダビデの食卓に連なるためにエルサレムにとどまることになる。<br>ツィバはダビデの命令を受け入れ、それを実行に移しました。メフィボシェテにはミカという幼い子どもがいました。この子は成長して多くの子孫をもうけ、彼によってサウルの家系が何世紀にもわたって存続するようになります（Ⅰ歴代誌9：41～44）。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの食卓</strong></p><p>かくしてメフィボシェテは、まるで王子のひとりのように、ダビデの食卓に連なるようになりました。彼はダビデと食事を共にするために、先祖の地にではなく、エルサレムに住みました。ダビデは主イエスの姿を、メフィボシェテは私たちクリスチャンの姿を予表しています。（1）ダビデはメフィボシェテを恵みによって取り扱いました。（2）また、常に自らの食卓に彼が連なることを許しました。これは「慈善の行為」ではなく、「栄誉ある地位の付与」です。<br>私たちにもこれと同じ事が起こります。主イエスは霊的に死んでいた私たちを恵みによって生かしてくださいました。また、神の子としての地位と特権を与え、常に私たちと共にいると約束してくださいました。私たちはすでに、キリストの食卓に連なる者とされました。やがてその特権は、さらに明確な形で成就するようになります。メフィボシェテがダビデに感謝を表わしたとするなら、私たちはその何倍、何十倍もの感謝を、父なる神と御子イエスに表わすべきです。私たちには人知を超えた祝福がすでに与えられているのですから。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。私をあなたの食卓に連ならせてくださり感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=StqTvDtwltA" />
         <pubDate>2025-06-25 20:36:02 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二10：1～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3503347101</link>
         <description><![CDATA[<p>1 この後、アモン人の王が死に、その子ハヌンが代わって王となった。</p><p>2 ダビデは、「ナハシュの子ハヌンに真実を尽くそう。彼の父が私に真実を尽くしてくれたように。」と考えた。そこで、ダビデは家来を派遣して、彼の父の悔やみを言わせた。ダビデの家来たちがアモン人の地に来たとき、</p><p>3 アモン人のつかさたちは、彼らの主君ハヌンに言った。「ダビデがあなたのもとに悔やみの使者をよこしたからといって、彼が父君を敬うやまっているとでもお考えですか。この町を調べ、探り、くつがえすために、ダビデはあなたのところに家来をよこしたのではありませんか。」</p><p>4 そこでハヌンはダビデの家来たちを捕え、彼らのひげを半分そり落とし、その衣を半分に切って尻のあたりまでにし、彼らを送り返した。</p><p>5 ダビデにこのことが知らされたので、彼は彼らを迎えに人をやった。この人たちが非常に恥じていたからである。王は言った。「あなたがたのひげが伸びるまで、エリコにとどまり、それから帰りなさい。」</p><p><br/></p><p><strong>ダビデへの侮辱</strong></p><p><strong>サムエル記第二10章の意味</strong></p><p>サムエル記第二10章が書かれた理由は、二つあります。（1）この章は、サムエル記第二8：3～12で簡単に記されていた戦いの背景と内容とを、詳細に記録しています。（2）さらにこの章は、ダビデがバテ・シェバと犯すようになる罪の舞台設定を行なっています。そういう意味で、非常に大切な箇所です。</p><p><br/></p><p><strong>誤解された善意</strong></p><p>（1）アモン人の王ナハシュが死にました。かつてナハシュは、サウル王と戦ったことがありました(Ⅰサムエル記11章参照）。サウルの敵であったナハシュは、ダビデを親切に扱ったようです。それは恐らく、ダビデの逃亡時代に起こったことだと思われます。（2）ダビデはナハシュの親切を思い起こし、王位を継承したナハシュの子ハヌンに弔問ちょうもんの使節を送り、彼を慰なぐさめようとします。（3）しかしハヌンは、ダビデの善意を誤解し、逆にダビデを侮辱するような行為に出ます（使節が侮辱されたことは、ダビデが辱はずかしめを受けたのと同じことです）。（4）ハヌンに悪影響を与えたのは、猜疑心さいぎしんの強い家来たちでした。彼らは、ダビデの使節たちをスパイ扱いし、イスラエル人が非常に大切にしているヒゲを半分そり落とし、その衣も尻の辺りまで切り取りました。当時の習慣では、ヒゲをそり落とすこと自体が屈辱的くつじょくてきなことでしたが、半分だけそり落とすのは、さらに悪いことでした。（5）そのことを聞いたダビデは、人を遣わし、直接エルサレムに帰らず、ヒゲが伸びるまでエリコにとどまるように命じます。部下に対するダビデの思いやりが伺えます。<br>隣人に敵対心を持つ者は、隣人のことばや行為を疑い、誤解するようになります。それがいかに愛の行為であっても、悪人はそれを善意に解釈することができないのです。あなたには、善意でしたことが誤解され、批判を受けたという経験がありますか。そのような場合、誤解した側に責任があることが多いのです。一時的にあなたの評価が下がったとしても、主に信頼して歩み続けるなら、使者たちのヒゲが伸びたように、必ず名誉を回復する時が来ます。失望することなく、主に信頼して歩み続けましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。どうか私が人の悪を思うことがありませんように、私を守ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=3GWmvm4A62U" />
         <pubDate>2025-06-26 20:38:21 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3503347101</guid>
      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二10：6～14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3504424890</link>
         <description><![CDATA[<p>6 アモン人は、自分たちがダビデに憎まれるようになったのを見て取った。そこでアモン人は使いをやって、ベテ・レホブのアラムとツォバのアラムの歩兵二万、マアカの王の兵士一千、トブの兵士一万二千を雇った。</p><p>7 ダビデはこれを聞き、ヨアブと勇士たちの全軍を送った。</p><p>8 アモン人は出て、門の入口に戦いの備えをした。ツォバとレホブのアラムおよびトブとマアカの人たちは、別に野にいた。</p><p>9 ヨアブは、彼の前とうしろに戦いの前面があるのを見て、イスラエルの精鋭せいえい全員からさらに兵を選び、アラムに立ち向かう陣ぞなえをし、</p><p>10 民の残りの者は彼の兄弟アブシャイの手に託して、アモン人に立ち向かう陣ぞなえをした。</p><p>11 ヨアブは言った。「もし、アラムが私より強ければ、おまえが私を救ってくれ。もし、アモン人がおまえより強かったら、私がおまえを救いに行こう。</p><p>12 強くあれ。われわれの民のため、われわれの神の町々のために全力を尽くそう。主はみこころにかなうことをされる。」</p><p>13 ヨアブと彼の部下の兵士たちがアラムと戦おうとして近づいたとき、アラムは彼の前から逃げた。</p><p>14 アモン人はアラムが逃げるのを見て、アビシャイの前から逃げて、町にはいり込んだ。そこでヨアブはアモン人を打つのをやめて、エルサレムに帰った。</p><p><br/></p><p><strong>連合軍に対する勝利</strong></p><p><strong>アモン人とシリヤ人の連合</strong></p><p>アモン人はダビデの憎しみを買ったと思い、アラム（シリヤ）の諸王国から戦車や兵を雇い入れます。つまり、多額の費用を使って外人部隊を傭兵ようへいにしたということです（Ⅰ歴代誌19：6参照）。（1）このアモン・シリヤ連合軍に対して、ダビデはヨアブを将軍とした大軍を派遣します。敵が先に動いたので、ダビデが軍を派遣する時期はずいぶんと早まりました。（2）敵は二手に分かれてヨアブの軍を迎え討つ布陣ふじんを取りました。アモン人は門の入り口に陣を敷き、シリヤ人たちは別の野に陣を敷きました。つまり、ヨアブの軍を前後から挟み撃ちにする作戦に出たということです。（3）それに対してヨアブは、精鋭部隊を結成し、自らそれを率いてシリヤ人の軍勢に立ち向かう準備をします。残りの兵士たちは弟のアビシャイにゆだね、その軍にはアモン人に向かわせます。<br>結果は、大勝利でした。シリヤ人はヨアブの軍の前から逃亡し、それを見たアモン人は町に逃げ込みました（この町は、今のヨルダンの首都アンマンです）。そこでヨアブは、それ以上の戦いはせずに、エルサレムに帰還しました。恐らく、戦いに適さない季節になっていたのでしょう。これで、ダビデがバテ・シェバと罪を犯す舞台ができ上がりました。</p><p><br/></p><p><strong>私たちへの教訓</strong></p><p>ヨアブの戦略から、教訓を学びましょう。（1）彼は最も強力な敵に対して、自らが軍を指揮して挑んでいます。将軍としてふさわしい態度です。（2）さらに彼は、弟のアビシャイと相互援助の約束を交わしています。（3）ヨアブは、この戦いが「神の町々」を守るためのものであることを知っていました。つまり、信仰に基づく戦いであるとの確信を持っていたということです。（4）最後に彼は、主にその結果をゆだねています。「主はみこころにかなうことをされる」ということばは、信仰のことばです。<br>私たちクリスチャンもまた、主の戦いに召されました。今、自問自答してみましょう。他のクリスチャンと相互援助の約束が交わされているでしょうか。信仰によって全力を尽くし、結果は主にゆだねているでしょうか。「主はみこころにかなうことをされる」ということばは、私たちの信仰告白でもあります。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。どうか私を、神の国の兵士として豊かに用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=4CO2K4yYXmQ" />
         <pubDate>2025-06-27 20:54:05 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二10：15～19</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3504828881</link>
         <description><![CDATA[<p>15 アラムは、自分たちがイスラエルに打ち負かされたのを見て団結した。</p><p>16 ハダデエゼルは使いを送り、川向こうのアラムを連れ出したので、彼らはヘラムに来た。ハダデエゼルの将軍ショバクが彼らを率いていた。</p><p>17 このことがダビデに報告された。すると、彼は全イスラエルを集結し、ヨルダン川を渡って、ヘラムへ行った。アラムはダビデに立ち向かう陣ぞなえをして、彼と戦った。</p><p>18 アラムがイスラエルの前から逃げたので、ダビデはアラムの戦車兵七百と騎兵四万をほふり、将軍ショバクを打って、その場で殺した。</p><p>19 ハダデエゼルに仕えていた王たちはみな、自分たちがイスラエルに打ち負かされたのを見て、イスラエルと和を講じ、彼らのしもべとなった。アラムは恐れて、それからはもう、アモン人を救おうとはしなかった。</p><p><br></p><p><strong>シリヤ（アラム）への勝利</strong></p><p><strong>イスラエルへの挑戦</strong></p><p>シリヤ人（アラム人）たちは、一度は敗北しましたが、そのまま引き下がることはしませんでした。（1）彼らは、ユーフラテス川の川向うの同胞にまで呼びかけ、大集団を組んでイスラエルと戦うために、ヘラムまでやって来ました。その大軍を率いたのは、ハダデエゼルの将軍ショバクでした。（2）今度はダビデ自身が自ら全イスラエルを率いてヨルダン川を渡り、へラムに陣を敷いた敵を迎え撃つことになりました。（3）戦いは、イスラエルの大勝利に終わりました。ダビデの軍はアラムを敗走させ、多くの兵士たちを戦死させました（戦車兵700と騎兵4万とありますが、騎兵というのは歩兵の間違いでしょう。これは、写本を書いた書記のミスだと思われます）。（4）さらにダビデは、将軍ショバクをも殺しました。（5）シリヤ（アラム）の王たちはみな、敗戦という事実を受け止め、ダビデに降伏して和平条約を結びました。彼らは最早、アモン人の援軍として出兵することはなくなりました。</p><p><br></p><p><strong>私たちへの教訓</strong></p><p>この戦いによって、ダビデはその勢力圏をユーフラテス川のかなたにまで広げました。ダビデ自身は、領土拡大の欲望をもって他国に戦いを挑んだことはありませんでしたが、防衛の戦いをくり広げているうちに、その王国の領土が拡大していきました。<br>これは、創世記15：18の成就です。「その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。『わたしはあなたの子孫に、この地を与える。エジプトの川から、あの大川おおかわ、ユーフラテス川まで』」。さらにこれは、ヨシュア記1：4の成就でもあります。「あなたがたの領土は、この荒野あらのとあのレバノンから、大河たいがユーフラテス、ヘテ人の全土および日の入いるほうの大海おおうみに至るまでである」。<br>私たちは、だれを援助するのか、まただれの味方になるのかという点において、十分注意を払う必要があります。もし神に敵対する者の側に付くなら、その人が滅びるときには私たちも同時に滅びてしまいます。神の約束は永久に変わることがありません。ダビデの子である主イエスに付く者は、幸いです。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたの約束は必ず成ります。あなたのみことばを心に蓄え、それを実行することができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br></p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=WXS1xWGjhPY" />
         <pubDate>2025-06-28 21:25:24 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3504828881</guid>
      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二11：1～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3505208306</link>
         <description><![CDATA[<p>1 年が改まり、王たちが出陣するころ、ダビデは、ヨアブと自分の家来たちとイスラエルの全軍とを戦いに出した。彼らはアモン人を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。</p><p>2 ある夕暮れ時、ダビデは床から起き上がり、王宮の屋上を歩いていると、ひとりの女が、からだを洗っているのが屋上から見えた。その女は非常に美しかった。</p><p>3 ダビデは人をやって、その女について調べたところ、「あれはヘテ人ウリヤの妻で、エリアムの娘バテ・シェバではありませんか。」との報告を受けた。</p><p>4 ダビデは使いの者をやって、その女を召し入れた。女が彼のところに来たので、彼はその女と寝た。─その女は月のものの汚れをきよめていた。─それから女は自分の家へ帰った。</p><p>5 女はみごもったので、ダビデに人をやって、告げて言った。「私はみごもりました。」</p><p><br/></p><p><strong>姦淫の罪</strong></p><p><strong>誘惑の舞台設定</strong></p><p>（1）「年が改まり」とは、冬が過ぎ去って春が来た、つまり、雨季から乾季に入りつつあったということを表わしています。乾季に入ると地面は堅くなり、戦争ができる状態になります。（2）ここでアモン人との戦いが再開されています。これは、10：14で一時中断していた戦いです。（3）このときダビデは、将軍ヨアブを指揮官として遣わし、自分はエルサレムの王宮にとどまっていました。これ自体は普通にあることで、問題にすべきものではありません。と同時に、それがダビデが誘惑に会うための舞台を用意したことも確かです。</p><p><br/></p><p><strong>罪へのステップ</strong></p><p>ここには、罪への三つのステップが描かれています。（1）ダビデは見てはならないものから目をそらさず、凝視しました。ひとりの美しい女がからだを洗っているのが王宮の屋上から見えました。この女を責めるのは的外れの議論でしょう。彼女は律法に従って、月のものの汚れを清めていたのです。恐らく、清めのための水槽が中庭にあったのでしょう。（2）ダビデはその女のことについて情報を集めました。これが、第二のステップです。その結果、その女がヘテ人ウリヤの妻であることがわかりました。ウリヤはイスラエル人ではなく、異邦人（ヘテ人）です。妻のバテ・シェバもまたヘテ人であったと思われます。（3）さらにダビデは、欲望を達成するための行動に移りました。これが第三のステップです。ダビデは彼女を王宮に召し入れ、その女と肉体関係を結びました。使いの者たちは、ダビデが偽善者であることを知りました。（4）バテ・シェバは、自分が妊娠したことをダビデに告げます。そこから、さらに深刻な話が展開するようになります。<br>ヤコブの手紙1：14～15には、罪へのステップが書かれています。「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます」。ダビデが経験したことは、まさにそれでした。あなたは、ダビデの失敗からどのような教訓を学びますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>神よ。あなたは人を誘惑するようなお方ではありません。私たちは、自分の欲におびき寄せられて誘惑されます。どうか私の内から欲を取り除いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=dkcCQAQk2DM" />
         <pubDate>2025-06-29 20:51:44 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3505208306</guid>
      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二11：6 ～ 13</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3506359556</link>
         <description><![CDATA[<p>6 ダビデはヨアブのところに人をやって、「ヘテ人ウリヤを私のところに送れ。」と言わせた。それでヨアブはウリヤをダビデのところに送った。</p><p>7 ウリヤが彼のところにはいって来ると、ダビデは、ヨアブは無事でいるか、兵士たちも変わりないか、戦いもうまくいっているか、と尋ねた。</p><p>8 それからダビデはウリヤに言った。「家に帰って、あなたの足を洗いなさい。」ウリヤが王宮から出て行くと、王からの贈り物が彼のあとに続いた。</p><p>9 しかしウリヤは、王宮の門のあたりで、自分の主君の家来たちみなといっしょに眠り、自分の家には帰らなかった。</p><p>10 ダビデは、ウリヤが自分の家には帰らなかった、という知らせを聞いて、ウリヤに言った。「あなたは遠征して来たのではないか。なぜ、自分の家に帰らなかったのか。」</p><p>11 ウリヤはダビデに言った。「神の箱も、イスラエルも、ユダも仮庵かりいおに住み、私の主人ヨアブも、私の主人の家来たちも戦場で野営やえいしています。それなのに、私だけが家に帰り、飲み食いして、妻と寝ることができましょうか。あなたの前に、あなたのたましいの前に誓います。私は決してそのようなことをいたしません。」</p><p>12 ダビデはウリヤに言った。「では、きょうもここにとどまるがよい。あすになったらあなたを送り出そう。」それでウリヤはその日と翌日エルサレムにとどまることになった。</p><p>13 ダビデは彼を招いて、自分の前で食べたり飲んだりさせ、彼を酔わせた。夕方、ウリヤは出て行って、自分の主君の家来たちといっしょに自分の寝床で寝た。そして自分の家には行かなかった。</p><p><br/></p><p><strong>忠実なウリヤ</strong></p><p><strong>罪を覆い隠すための策略</strong></p><p>ダビデは聖霊の油注ぎを受けた王でした。しかし、罪を犯した瞬間から、聖霊は彼を離れてしまいました。それまでは知恵ある判断を下していたダビデですが、全く愚かで理不尽りふじんな行動に出るようになります。罪とは恐ろしいものです。ある罪を犯すと、それが次のより大きな罪につながっていきます。<br>（1）ダビデはウリヤを戦場から呼び戻します。バテ・シェバの妊娠が通常の夫婦生活によるものであるかのように見せかけるためです。（2）ダビデは戦場の様子をウリヤから聞き出すと、次に「家に帰って、あなたの足を洗いなさい」と勧めます。これは、当時普通に使われていたねぎらいのことばです。しかしその裏には、罪を覆い隠すための陰謀いんぼうが隠されていました。（3）宴会を開くための贈り物が、ウリヤに与えられます。これでウリヤは、数日間は家にとどまることになるはずでした。しかし、ことはダビデが願ったとおりには進みませんでした。</p><p><br/></p><p><strong>改宗者ウリヤ</strong></p><p>ウリヤは異邦人（ヘテ人）でしたが、改宗ユダヤ教徒となっていました。ウリヤという名の意味は、「主は私の光」です。（1）ウリヤは家には帰らず、王宮の門の辺りで寝ました。（2）それを知ったダビデは、なぜ家に帰らないのかとウリヤにただします。（3）するとウリヤは、こう答えました。「神の箱も、イスラエルも、ユダも仮庵に住み、私の主人ヨアブも、私の主人の家来たちも戦場で野営しています。それなのに、私だけが家に帰り、飲み食いして、妻と寝ることができましょうか。あなたの前に、あなたのたましいの前に誓います。私は決してそのようなことをいたしません」。（4）次にダビデは、ウリヤを酒に酔わせて、なんとかして彼を家に帰らせようとします。これもまた、罪です。これは、ウリヤに誓いを破らせようとして行なった策略です。<br>ダビデはウリヤという忠実な部下を持っていました。これ以上の祝福があるでしょうか。しかし、そのウリヤの忠実さがダビデにとっては重荷となり、迷惑となったのです。<mark>神から与えられている祝福を束縛と感じるような人は、直ちに自己吟味をすべきです。その人は光の中を歩んでいるとは言えません。</mark></p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。どうか光の子らしく、光の中を歩むことができますように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=MFRudbqDQ3M" />
         <pubDate>2025-06-30 20:35:40 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3506359556</guid>
      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二11：14 ～ 17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3507587290</link>
         <description><![CDATA[<p>14 朝になって、ダビデはヨアブに手紙を書き、ウリヤに持たせた。</p><p>15 その手紙にはこう書かれてあった。「ウリヤを激戦の真っ正面に出し、彼を残してあなたがたは退き、彼が打たれて死ぬようにせよ。」</p><p>16 ヨアブは町を見張っていたので、その町の力ある者たちがいると知っていた場所に、ウリヤを配置した。</p><p>17 その町の者が出て来てヨアブと戦ったとき、民のうちダビデの家来たちが倒れ、ヘテ人ウリヤも戦死した。</p><p><br/></p><p><strong>ウリヤの戦死</strong></p><p><strong>ヨアブへの手紙</strong></p><p>ダビデの行動は、いよいよ軌道を逸いっしたものとなります。もはや彼の中には、主への恐れも義に対する飢え渇きもなくなったようです。（1）ダビデはウリヤ本人にヨアブへの手紙を持たせ、戦場に送り返します。（2）その手紙には、敵の手によって戦死するような位置にウリヤを配属せよとの命令が書かれていました。（3）ヨアブはダビデの命令を実行し、ウリヤが戦死するように仕向けます。しかしヨアブは、その目的を達成するために、ダビデが命じた方法とは別の方法を採用しています（次回詳細に解説します）。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデとヨアブの関係</strong></p><p>この事件を境に、ダビデとヨアブの関係に微妙な変化が起こります。（1）ヨアブはダビデの甥おいにあたります。彼は、兄弟のアブシャイ、アサエルとともにイスラエルの勇士に数えられていましたが、残虐な性質もありました。（2）かつて彼は、ダビデを訪ねて来たイシュ・ボシェテの将軍アブネルを、ヘブロンで殺害したことがありました。このときダビデは、ヨアブを叱責しっせきしましたが罰することはしませんでした（3章）。（3）ダビデは自らが、ヨアブよりも道徳的に高い水準にいることを自認し、ヨアブを指揮してきました。しかしウリヤ暗殺事件によって、ヨアブに弱みを握られるようになります。ヨアブは、「ダビデも結局は、目的のためには手段を選ばない男なのだ」と思ったことでしょう。（4）これ以降、ヨアブは暴走を始めます。ダビデの息子のアブシャロムが反乱を起したとき、王の命令に背いてアブシャロムを殺すのはヨアブです。結局ダビデはこのヨアブを処分することができないままで死に、ヨアブの処刑はソロモンにゆだねられます。<br>人に弱みを握られるのは辛つらいことです。サタンは私たちの弱みを攻めてきます。サタンとは、「罪を責める者」という意味です。罪責感を抱いたままでは、神の子としての生活は不可能です。主イエスの血潮こそ、私たちを罪の負い目から解放する力です。今、深い悔い改めによって主イエスに近づこうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。どうか私を、「罪を責める者」から解放してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=JNNpTV82oRQ" />
         <pubDate>2025-07-01 20:35:43 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>サムエル記第二11：18 ～ 25</title>
         <author>setsuriosaki</author>
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         <description><![CDATA[<p>18 そこでヨアブは、使いを送って戦いの一部始終をダビデに報告するとき、</p><p>19 使者に命じて言った。「戦いの一部始終を王に報告し終わったとき、</p><p>20 もし王が怒りを発して、おまえに『なぜ、あなたがたはそんなに町に近づいて戦ったのか。城壁の上から彼らが射いかけてくるのを知らなかったのか。</p><p>21 エルベシェテの子アビメレクを打ち殺したのはだれであったか。ひとりの女が城壁の上からひき臼うすの上石うわいしを投げつけて、テベツで彼を殺したのではなかったか。なぜ、そんなに城壁に近づいたのか。』と言われたら、『あなたの家来、ヘテ人ウリヤも死にました。』と言いなさい。」</p><p>22 こうして使者は出かけ、ダビデのところに来て、ヨアブの伝言をすべて伝えた。</p><p>23 使者はダビデに言った。「敵は私たちより優勢で、私たちに向かって野に出て来ましたが、私たちは門の入口まで彼らを攻めて行きました。</p><p>24 すると城壁の上から射手いてたちが、あなたの家来たちに矢を射かけ、王の家来たちが死に、あなたの家来、ヘテ人ウリヤも死にました。」</p><p>25 ダビデは使者に言った。「あなたはヨアブにこう言わなければならない。『このことで心配するな。剣つるぎはこちらの者も、あちらの者も滅ぼすものだ。あなたは町をいっそう激しく攻撃して、それを全滅せよ。』あなたは、彼を力づけなさい。」</p><p><br/></p><p><strong>ダビデへの報告</strong></p><p><strong>ヨアブの陰謀</strong></p><p>ヘテ人ウリヤが死ぬと、将軍ヨアブはダビデのもとに使者を遣わし、戦況報告を行ないます。（1）ダビデが命じたウリヤ殺害の方法は、「ウリヤを激戦の真正面に出し、彼を残してあなたがたは退き、彼が打たれて死ぬようにせよ」というものでした。しかしこれでは、意図的にウリヤを殺害したことが明らかであり、ヨアブの責任が問われます。（2）そこで彼は、通常の戦術を実行する中でウリヤが戦死したように見せかける策を取りました。（3）ヨアブは敵の最強の兵がいる所にウリヤを配置し、城壁の上から射かけてくる矢によって彼が戦死するように仕向けました。この方法では、ウリヤ以外にも多くの兵士がいのちを落とすことになりますが、ヨアブにとってそれは些細ささいなことでした。疑いの目が自分に向けられることのないように、彼はそれらの兵士たちのいのちを犠牲にしたのです。（4）本来この戦術は、過去の戦争の教訓に照らし合わせても愚かなものでした。士師記9章には、勇将アビメレクが敵を追ってやぐらに近づき、それに火をつけようとしたとき、名もないひとりの女が上から石を落とし、アビメレクの頭蓋骨ずがいこつを砕くだいたという記録があります。「城壁に近づきすぎてはならない」というのは、戦いの定石じょうせきです。ヨアブはその定石を無視したのですが、彼には、ウリヤも死んだと言えばダビデは納得するだろうという確信がありました。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの反応</strong></p><p>使者の報告を受けたとき、ダビデは、「なぜそんなに町に近づいて戦ったのか」と激怒しました。しかし、ウリヤも死んだという知らせを聞いて、ダビデはすべてを理解しました。それどころかダビデは、「あなたは町をいっそう激しく攻撃して、それを全滅せよ」と語り、ヨアブを激励しました。<br>一つの罪が次の罪を生み、さらにその罪がより大きな罪を生んでいきます。どこかで、その罪のサイクルを断ち切らない限り、地獄に落ちてしまいます。私たちにとっての希望は、主イエスの愛と恵みです。自らの罪を告白し、真の悔い改めを言い表わす者には、主からの赦しが与えられます。心に罪責感を抱いているなら、ただちに主イエスを通して父なる神に立ち返ろうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。あなたは私のすべてをご存知です。どうか私の罪を赦し、あなたの子としてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-07-02 20:53:49 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二11：26 ～ 27</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3509903600</link>
         <description><![CDATA[<p>26 ウリヤの妻は、夫ウリヤが死んだことを聞いて、夫のためにいたみ悲しんだ。</p><p>27 喪が明けると、ダビデは人をやり、彼女を自分の家に迎え入れた。彼女は彼の妻となり、男の子を生んだ。しかし、ダビデの行なったことは主のみこころをそこなった。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデとバテ・シェバの結婚</strong></p><p><strong>喪に服すバテ・シェバ</strong></p><p>夫ウリヤの死を知らされたバテ・シェバは、喪に服しています。（1）服喪期間は7日間です。（2）バテ・シェバは悼み悲しんだとありますが、これは心底そうなのか、あるいは形式上のことなのかはわかりません。（3）喪の期間が明けると、ダビデはすぐに人を遣り、彼女を王妃のひとりとして王宮に迎え入れます。時間を置くと、姦淫によって彼女が身ごもっていたことが明るみに出ます。それを恐れて、ことを急いだのでしょう。（4）後代になるとユダヤ人たちは、90日以内の再婚を禁じるようになります。生まれて来る子どもの父親がだれかを明確にするためです。ダビデがすぐにバテ・シェバと結婚したことを、ダビデの罪の一つに数える学者もいます。（5）その後バテ・シェバは、男の子を産みます。つまり、およそ半年ほどの時間が経過したということです。ダビデには悔い改めに必要な時間がたっぷりと与えられていたのですが、彼は自分からは動こうとはしませんでした。</p><p><br/></p><p><strong>人の目と主の目</strong></p><p>人の目はごまかせても、主の目をごまかすことはできません。ダビデはヨアブに、「このことで心配するな」（25節）との声をかけましたが、神はダビデにそうは語りかけませんでした。（1）ことはダビデの思惑どおりに運び、すべてが収まったように見えました。（2）しかし、神はすべてをご存知でした。「ダビデの行なったことは主のみこころをそこなった」とあるとおりです。（3）レビ記20：10には、「人がもし、他人の妻と姦通するなら、すなわちその隣人の妻と姦通するなら、姦通した男も女も必ず殺されなければならない」とあります。ダビデとバテ・シェバは、死罪にあたる罪を犯したのです。（4）さらに悪いのは、その罪を覆い隠すために、ダビデはウリヤの殺害を実行しました。その過程で、多くの兵士を殺すという罪まで犯しました。<br>これほどの罪を犯しながら、ダビデは半年もの期間、さほどの痛みを感じないまま生きていました。罪に浸ひたれば浸るほど、罪に対する感覚が麻痺まひしてきます。今真剣に祈りましょう。罪に対して敏感になれるように、また、神のみこころを行なうことに最高の喜びを見いだすことができるようにと。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。どうかあなたのみこころを行なうことを最高の喜びとすることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-07-03 20:59:03 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>サムエル記第二12：1 ～ 6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3510885937</link>
         <description><![CDATA[<p>1 主がナタンをダビデのところに遣わされたので、彼はダビデのところに来て言った。「ある町にふたりの人がいました。ひとりは富んでいる人、ひとりは貧しい人でした。</p><p>2 富んでいる人には、非常に多くの羊と牛の群れがいますが、</p><p>3 貧しい人は、自分で買って来て育てた一頭の小さな雌めすの子羊のほかは、何も持っていませんでした。子羊は彼とその子どもたちといっしょに暮らし、彼と同じ食物を食べ、同じ杯さかずきから飲み、彼のふところでやすみ、まるで彼の娘のようでした。</p><p>4 あるとき、富んでいる人のところにひとりの旅人が来ました。彼は自分のところに来た旅人のために自分の羊や牛の群れから取って調理するのを惜おしみ、貧しい人の雌の子羊を取り上げて、自分のところに来た人のために調理しました。」</p><p>5 すると、ダビデは、その男に対して激しい怒りを燃やし、ナタンに言った。「主は生きておられる。そんなことをした男は死刑だ。</p><p>6 その男は、あわれみの心もなく、そんなことをしたのだから、その雌の子羊を四倍にして償つぐなわなければならない。」</p><p><br/></p><p><strong>ダビデが下した判決</strong></p><p><strong>預言者ナタンの直訴</strong></p><p>（1）ダビデのもとに、預言者ナタンが遣わされます。彼は王宮付きの預言者でした。預言者は、為政者である王に対して、神の代理人として助言したり警告したりすることができました。（2）主がナタンを遣わしていることに注目しましょう。主が主導権を取って行動を起こされたのです。主は罪をどこまでも憎み、その処理を要求されるお方です。（3）ナタンは、ある事件に関してダビデの判断を仰ぐために直訴しているかのような体裁を取りながら、たとえ話を語り始めます。<br>富んでいる人には多くの羊と牛の群れがいました。しかし、ひとりの旅人をもてなすために自分の家畜を殺すことを惜しんだ彼は、貧しい人の雌の子羊を取り上げ、それを調理しました。貧しい人にはその子羊しかいなく、しかもその人はその子羊を自分の娘のようにして育てていたのです。さて、この富んだ人をいかにさばくべきでしょうか。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの判決</strong></p><p>それを聞いたダビデは、激しく怒り、直ちにその男に対し死刑の宣告と、4倍の弁償とを申し渡すようナタンに命じました。（1）ダビデは、悪に対する義憤を抱いていました。しかし、その悪が自分自身であることには気づいていませんでした。これが、私たち人間の姿です。（2）4倍の弁償は、モーセの律法に記されていることで正しい判断です（出エジプト記22：1）。（3）しかし、窃盗罪の場合は物で弁済べんさいすればいいことで、モーセの律法では死刑は命じられていません。死刑というのは、ダビデの個人的感情から出ていることです。彼は、富んだ人が貧しい人に対して行なった罪は極きわめて重大なものであると判断して、死刑を宣告したのです。罪の中にいるとき、人は他人の罪に対しては非常にきびしい態度を取るもののようです。<br>ダビデは他人の罪に対してはきびしい態度を取ることができました。ただし、同じ基準を自分に適用することは怠おこたっていました。ここから、あなたはどのような教訓を学ぶことができますか。神の基準によってさばかれたとき、自分だけはそのさばきを免れることができると思っていますか。私たちは、罪の認識が深くなればなるほど、神の恵みの深さが理解できるようになります。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。どうか罪人の私をあわれみ、恵みによって取り扱ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <pubDate>2025-07-04 21:12:27 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>サムエル記第二12：7 ～ 12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3511254365</link>
         <description><![CDATA[<p>7 ナタンはダビデに言った。「あなたがその男です。イスラエルの神、主はこう仰せられる。『わたしはあなたに油をそそいで、イスラエルの王とし、サウルの手からあなたを救い出した。</p><p>8 さらに、あなたの主人の家を与え、あなたの主人の妻たちをあなたのふところに渡し、イスラエルとユダの家も与えた。それでも少ないというのなら、わたしはあなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。</p><p>9 それなのに、どうしてあなたは主のことばをさげすみ、わたしの目の前に悪を行なったのか。あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち、その妻を自分の妻にした。あなたが彼をアモン人の剣で切り殺したのだ。</p><p>10 今や剣は、いつまでもあなたの家から離れない。あなたがわたしをさげすみ、ヘテ人ウリヤの妻を取り、自分の妻にしたからである。』</p><p>11 主はこう仰せられる。『聞け。わたしはあなたの家の中から、あなたの上にわざわいを引き起こす。あなたの妻たちをあなたの目の前で取り上げ、あなたの友に与えよう。その人は、白昼公然と、あなたの妻たちと寝るようになる。</p><p>12 あなたは隠れて、それをしたが、わたしはイスラエル全部の前で、太陽の前で、このことを行なおう。』」</p><p><br/></p><p><strong>たとえ話の適用</strong></p><p><strong>ナタンの直言</strong></p><p>ダビデが怒って死刑を宣告するのを聞いたナタンは、そのたとえ話を適用して、「あなたがその男です」と宣言します。そして、イスラエルの神のことばを代弁してこう語ります（一人称で神のことばを語るのが、イスラエルの預言者の特徴です）。<br>そのたとえ話に出てきた「富んでいる人」とは、ダビデのことでした。ダビデはあらゆる点において豊かな者とされていました。（1）ダビデはイスラエルの王としての油注ぎを受け、サウルの手から救い出されました。（2）ダビデには主人の家と、その妻たちが与えられました。当時の中近東の習慣では、先王の財産とハレムとを継承することは、新王の権利でした。（3）さらにダビデには、イスラエルとユダの家も与えられました。（4）それでも少ないというなら、主はダビデにもっと多くのものを増し加えることもできました。（5）それにもかかわらず、ダビデは主のことばをさげすみました。つまり、主に対して罪を犯したということです。ダビデは十戒の中の少なくとも三戒に違反していました。第6戒（殺人の罪）、第7戒（姦淫の罪）、第10戒（むさぼりの罪）がそれです。</p><p><br/></p><p><strong>主からの判決</strong></p><p>ダビデの罪に対して、主からの判決が下ります。（1）剣を不当に用いたダビデの家に、次から次へと剣の害が及ぶようになる。（2）ダビデの妻たちは彼から取り上げられ、ごく身近な者に与えられるようになる。（3）ダビデは隠れて罪を犯したが、この者は白昼公然とダビデの妻たちを犯すようになる。このことは、16：22で成就しています。<br>悔い改めによって罪が赦されることは確かです。しかし、その場合でも犯した罪の償いがなくなるわけではありません。ダビデは一時的な欲望を満足させるために罪を犯しました。その結果、長年にわたって罪の刈り取りをせねばならなくなります。罪を軽く扱ったり、罪と戯たわむれたりしてはなりません。あまりにも重い償いをせねばならなくなるからです。ダビデの失敗から教訓を学びましょう。主にあって富んだ者とされていることを感謝しましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。イエス・キリストにあって、私は富んだ者とされました。日々そのことに感謝しつつ歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <pubDate>2025-07-05 20:47:30 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>サムエル記第二12：13 ～ 15a</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3511645505</link>
         <description><![CDATA[<p>13 ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。</p><p>14 しかし、あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる子は必ず死ぬ。」</p><p>15a こうしてナタンは自分の家へ戻った。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの悔い改め</strong></p><p><strong>詩篇51篇</strong></p><p>ナタンの叱責のことばを聞いたダビデは、即座に自らの罪を認め告白します。きょうの箇所では、「私は主に対して罪を犯した」としか書かれていませんが、その告白の内容は詩篇51篇に詳しく詠われています。ここで、詩篇51篇を確認してみましょう。ダビデは、三つのことを認めています。（1）自分が犯した罪は、何よりも主に対するものであったこと。（2）自分には、弁解の余地がないこと。（3）罪の結果、聖霊が取り去られ、自分が神の臨在から切り離されたこと。この三つは、真の悔い改めに含まれる三大要素です。ダビデのすばらしい点は、罪の中にあっても神の恵みを忘れなかったことです。彼は、神の恵みによって神に立ち返ることができると信じました。あなたはどうですか。人は、クリスチャンになってもすぐに完全になるわけではありません。神は、私たちが罪を犯したとき神に立ち返ることができるように、道を用意してくださいました。それは、ヒソプではなく、イエスの血潮によって用意された道です。今、罪を告白し、神のもとに立ち返りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>神の赦し</strong></p><p>ダビデの告白と悔い改めのことばを聞いて、主は彼をお赦しになりました。ナタンは即座に、罪の赦しの宣告を行なっています。（1）ダビデは死に値する罪を犯しましたが、「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない」という主からの宣告を受け取りました。（2）しかし、罪が赦されたということと、自分が蒔いた種の刈り取りをするということとは、別問題です（ガラテヤ6：7～8参照）。（3）ダビデの行為は、神の敵（偶像礼拝者たち）を喜ばせ、彼らに主とその民に対する侮りの心を起こさせるものでした。そこで、バテ・シェバから産まれてくる子の死が宣告されます。これは、主がダビデの行為を忌み嫌われたということを表現する「しるし」となりました。主は罪を憎まれます。と同時に、あわれみと愛の神でもあります。神の義と愛の狭間はざまに、十字架が立ったことを思い起こし、主のみこころにひれ伏そうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。今私は、悔いた心、砕けた心をもって御前に出ております。どうか御恵みによって私を取り扱ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-07-06 20:54:21 UTC</pubDate>
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         <title>サムエル記第二12：15b ～ 23</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3512750069</link>
         <description><![CDATA[<p>15b 主は、ウリヤの妻がダビデに産んだ子を打たれたので、その子は病気になった。</p><p>16 ダビデはその子のために神に願い求め、断食だんじきをして、引きこもり、一晩中、地に伏していた。</p><p>17 彼の家の長老たちは彼のそばに立って、彼を地から起こそうとしたが、ダビデは起きようともせず、彼らといっしょに食事を取ろうともしなかった。</p><p>18 七日目に子どもは死んだが、ダビデの家来たちは、その子が死んだことをダビデに告げるのを恐れた。「王はあの子が生きている時、われわれが話しても、言うことを聞かなかった。どうしてあの子が死んだことを王に言えようか。王は何か悪い事をされるかもしれない。」と彼らが思ったからである。</p><p>19 しかしダビデは、家来たちがひそひそ話し合っているのを見て、子どもが死んだことを悟った。それでダビデは家来たちに言った。「子どもは死んだのか。」彼らは言った。「なくなられました。」</p><p>20 するとダビデは地から起き上がり、からだを洗って身に油を塗り、着物を着替えて、主の宮にはいり、礼拝をしてから、自分の家へ帰った。そして食事の用意をさせて、食事をとった。</p><p>21 すると家来たちが彼に言った。「あなたのなさったこのことは、いったいどういうことですか。お子さまが生きておられる時は断食をして泣かれたのに、お子さまがなくなられると、起き上がり、食事をなさるとは。」</p><p>22 ダビデは言った。「子どもがまだ生きている時に私が断食をして泣いたのは、もしかすると、主が私をあわれみ、子どもが生きるかもしれない、と思ったからだ。</p><p>23 しかし今、子どもは死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるであろうか。私はあの子のところに行くだろうが、あの子は私のところに戻っては来ない。」</p><p><br/></p><p><strong>子どもの死</strong></p><p><strong>断食するダビデ</strong></p><p>（1）バテ・シェバがダビデに産んだ子は病気になりました。その子は、主に打たれて病気になったのです。（2）ダビデはこの病気が主によるものであることを知っていましたが、それでもその子の癒いやしを求めて、ひたすら神に祈りました。自分の罪のゆえにその子が死のうとしていることを知っていたダビデは、苦悩したことでしょう。彼は断食し、徹夜の祈りをささげ、地に伏して願い続けました。（3）その姿を見て心配した長老たち（宮廷の官吏たち）は、断食を止めさせようと努力しましたが、ダビデは起き上がろうともせず、彼らと共に食事を取ろうともしませんでした。（4）この子が死ぬまでの7日間は、ダビデにとっては悔い改めを深めるための時間ともなりました。</p><p><br/></p><p><strong>断食を終えるダビデ</strong></p><p>その子は、7日目にとうとう死にました。（1）家来たちは死の知らせをダビデに伝えることを躊躇ちゅうちょしました。子どもが生きている間でも、ダビデは自分を苦しめてきました。もし子どもが死んだとなると、自分の身を傷つけたり、自らのいのちを断ったりするようなことがあるかもしれません。（2）家来たちが報告する前に、ダビデのほうがその気配で死の事実を察知します。彼は起きて身を洗い、次に主を礼拝して、食事を取りました。（3）驚いた家来たちがその理由を尋ねると、ダビデは、主のあわれみを求めてひたすら祈ったが、子どもが死んだ以上、この厳おごそかな事実はそのまま受け入れなければならないと答えます。彼は信仰者として、主の取り扱いをそのまま黙して受けようとしたのです。<br>ダビデの罪のためにどうしてその子が死なねばならないのでしょうか。考えれば、疑問が湧いてきます。ダビデもまたそのような疑問を抱いたことでしょう。私にも答はありません。人生には回答不能の問題が多くあります。「なぜ」と問い続けたいような思いになりますが、そうすることは先に進むための妨げとなります。信仰者がすべきことは、神の取り扱いはすべて正しいと告白し、状況を黙して受け入れることです。ペテロはこのように教えています。「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」（Ⅰペテロ5：7）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。あなたがなさることは、すべて最善のことです。今はわからなくても、いつか必ずわかるようになります。黙して受け入れる信仰を私に与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <pubDate>2025-07-07 20:42:58 UTC</pubDate>
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         <title></title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3513982752</link>
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         <pubDate>2025-07-08 20:53:35 UTC</pubDate>
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         <title></title>
         <author>setsuriosaki</author>
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         <pubDate>2025-07-09 20:37:39 UTC</pubDate>
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         <title>サムエル記第二13：1 ～ 6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3516270061</link>
         <description><![CDATA[<p>1 その後のことである。ダビデの子アブシャロムに、タマルという名の美しい妹がいたが、ダビデの子アムノンは彼女を恋していた。</p><p>2 アムノンは、妹タマルのために、苦しんで、わずらうようになった。というのは、彼女が処女であって、アムノンには、彼女に何かするということはとてもできないと思われたからである。</p><p>3 アムノンには、ダビデの兄弟シムアの子でヨナダブという名の友人がいた。ヨナダブは非常に悪賢い男であった。</p><p>4 彼はアムノンに言った。「王子さま。あなたは、なぜ、朝ごとにやつれていくのか、そのわけを話してくれませんか。」アムノンは彼に言った。「私は、兄弟アブシャロムの妹タマルを愛している。」</p><p>5 ヨナダブは彼に言った。「あなたは床に伏せて、仮病を使いなさい。あなたの父君が見舞いに来られたら、こう言いなさい。『どうか、妹のタマルをよこして、私に食事をさせ、私に見えるように、この目の前で病人食を作らせてください。タマルの手から、それを食べたいのです。』」</p><p>6 そこでアムノンは床につき、仮病を使った。王が見舞いに来ると、アムノンは王に言った。「どうか、妹のタマルをよこし、目の前で二つの甘いパンを作らせてください。私は彼女の手から食べたいのです。」</p><p><strong>アムノンの恋心</strong></p><p><strong>罪の刈り取り</strong></p><p>ダビデの絶頂期は、サムエル記第二12章をもって終わりました。13章以降、ダビデの生涯は坂道を転がり落ちるような状態になっていきます。問題の根源には、ダビデが犯した「姦淫と殺人の罪」がありました。バテ・シェバが産んだ長子はすでに死んでいました。次にダビデを襲うのが、家庭内での近親相姦と兄弟殺しの悲劇です。ここには、ガラテヤ人への手紙6：7～8の原則の成就が見えます。「思い違いをしてはいけません。神は侮あなどられるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです」。　ダビデは連続して起きてくる悲劇に耐えながら、自らの罪の深さと、神から与えられる愛の懲こらしめの深さとを思い、涙したことでしょう。ダビデの失敗から教訓を学ぶ人は幸いです。</p><p><strong>アムノンとタマル</strong></p><p>（1）ダビデにはタマルという美しい娘がいました。タマルとアブシャロムとは、同じ母から生まれていました。（2）一方アムノンは、タマルにとっては異母兄に当たる人物でした。そのアムノンが、異母妹であるタマルを恋い慕うようになります。しかし乙女であるタマルは、ひっそりと閉じこもった生活をしていましたので、ふたりで会う機会を見いだすことさえできませんでした。それどころか、モーセの律法では、姉妹との結婚は禁止されていました（レビ記18：9、20：17、申命記27：22）。（3）タマルを恋い慕ったアムノンは、ついに半病人のようになってしまいます。彼の窮状を救ったのは、知恵にたけた従兄弟のヨナダブでした。彼は、仮病を使うようにアムノンに助言します。父ダビデが見舞いに来たなら、病人食を作るためにタマルを自分のもとに送ってくれるように懇願すればいいというのが、ヨナダブの策でした。</p><p>アムノンは父ダビデが子どもに甘いという点を利用しました。しかも自分の策略を隠すためにタマルのことを「妹のタマル」と呼んでいます。あなたは自分の知恵を神の栄光のために用いようとしていますか。ヨナダブとアムノンのように知恵を悪用する道から退き、義の道を歩こうではありませんか。</p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。すべての良きものは上から与えられます。どうか私が、知恵を用いてあなたの栄光を表わすことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><strong>年間聖書通読イザヤ書52～53、コリント人への手紙 第一5</strong></p>]]></description>
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         <pubDate>2025-07-10 20:45:15 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二13：7 ～ 19</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3517312798</link>
         <description><![CDATA[<p>7 そこでダビデは、タマルの家に人をやって言った。「兄さんのアムノンの家に行って、病人食を作ってあげなさい。」</p><p>8 それでタマルが兄アムノンの家に行ったところ、彼は床についていた。彼女は粉を取って、それをこね、彼の目の前で甘いパンを作って、それを焼いた。</p><p>9 彼女は平なべを取り、彼の前に甘いパンを出したが、彼は食べようとしなかった。アムノンが、「みな、ここから出て行け。」と言ったので、みなアムノンのところから出て行った。</p><p>10 アムノンはタマルに言った。「食事を寝室に持って来ておくれ。私はおまえの手からそれを食べたい。」タマルは自分が作った甘いパンを兄のアムノンの寝室に持って行った。</p><p>11 彼女が食べさせようとして、彼に近づくと、彼は彼女をつかまえて言った。「妹よ。さあ、私と寝ておくれ。」</p><p>12 彼女は言った。「いけません。兄上。乱暴してはいけません。イスラエルでは、こんなことはしません。こんな愚かなことをしないでください。</p><p>13 私は、このそしりをどこに持って行けましょう。あなたもイスラエルで、愚か者のようになるのです。今、王に話してください。きっと王が私をあなたに会わせてくださいます。」</p><p>14 しかし、アムノンは彼女の言うことを聞こうとはせず、力ずくで、彼女をはずかしめて、これと寝た。</p><p>15 ところがアムノンは、ひどい憎しみにかられて、彼女をきらった。その憎しみは、彼がいだいた恋よりもひどかった。アムノンは彼女に言った。「さあ、出て行け。」</p><p>16 彼女は言った。「それはなりません。私を追い出すなど、あなたが私にしたあのことより、なおいっそう、悪いことです。」しかし、彼は彼女の言うことを聞こうともせず、</p><p>17 召使いの若い者を呼んで言った。「この女をここから外に追い出して、戸をしめてくれ。」</p><p>18 彼女は、そでつきの長服を着ていた。昔、処女である王女たちはそのような着物を着ていたからである。召使は彼女を外に追い出して、戸をしめてしまった。</p><p>19 タマルは頭に灰をかぶり、着ていたそでつきの長服を裂き、手を頭に置いて、歩きながら声をあげて泣いていた。</p><p><strong>タマルに襲いかかる悲劇</strong></p><p><strong>アムノンの暴行</strong></p><p>何も知らないダビデは、アムノンの願いに応えてタマルを彼のもとに送るよう命じます。ダビデの息子たちは、それぞれに家を持っていました。（1）アムノンの計画どおりにことは運びました。タマルは彼のために甘いパンを作りました。（2）次にアムノンは人払いをし、妹の手から直接甘いパンを食べたいと言って、タマルを寝室に呼び寄せます。（3）アムノンはタマルをつかまえ、「妹よ。さあ、私と寝ておくれ」と迫ります。（4）しかしタマルは、「いけません。兄上。乱暴してはいけません。イスラエルでは、こんなことはしません。こんな愚かなことをしないでください」と抵抗します。彼女は、モーセの律法が異母兄弟姉妹間の結婚を禁じていることを知っていたのです（レビ記18：9、11、20：17）。（5）彼女の反応は、ヤコブの娘ディナがシェケムによって犯されたときに、その兄たちが示した反応と同じものでした（創世記34：7）。（6）さらにタマルは、一たん負わせられた恥辱はぬぐえないこと、またアムノンもいつまでも愚か者と呼ばれるようになることを伝え、彼を思いとどまらせようとします。<br>しかしアムノンは腕力にものを言わせ、力ずくで彼女を犯してしまいました。</p><p><strong>さらに悪質な行動</strong></p><p>アムノンがタマルに対して抱いていたのは愛ではなく、単なる情欲であったことが明らかになります。（1）欲望を満足させた彼は、それまでの恋心よりもさらに激しい憎悪の念を抱くようになり、そのまま彼女を外に追い出そうとします。（2）タマルは、そのような仕打ちは陵辱りょうじょくそのものよりもさらにむごい悪ではないかと叫びますが、アムノンはそれには耳を貸さずに、彼女を追い出します。（3）タマルは、処女である王女が着る長服を裂き、灰をかぶり、頭に手を置き、泣き叫びながら帰って行きました。<br>ここに展開されているのは、愛とは無縁の醜みにくい世界です。もう一度、愛とはどのようなものであるかを思い起こそうではありませんか。「愛は寛容かんようであり、愛は親切です。また人をねたみません。‥‥礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます」（Ⅰコリント13：4～6）。</p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。どうか私を愛の人に変えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><strong>年間聖書通読</strong></p><p><strong>イザヤ書54～55、詩篇55 ～ 56</strong></p>]]></description>
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         <pubDate>2025-07-11 21:07:15 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二13：20 ～ 22</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3517707495</link>
         <description><![CDATA[<p>20 彼女の兄アブシャロムは彼女に言った。「おまえの兄アムノンが、おまえといっしょにいたのか。だが妹よ。今は黙っていなさい。あれはおまえの兄なのだ。あのことで心配しなくてもよい。」それでタマルは、兄アブシャロムの家で、ひとりわびしく暮らしていた。</p><p>21 ダビデ王は、事の一部始終を聞いて激しく怒った。</p><p>22 アブシャロムは、アムノンにこのことが良いとも悪いとも何も言わなかった。アブシャロムは、アムノンが妹タマルをはずかしめたことで、彼を憎んでいたからである。</p><p><br/></p><p><strong>兄アブシャロムの憎しみ</strong></p><p><strong>タマルの帰宅</strong></p><p>恐らくタマルは兄アブシャロムの家に住んでいたのでしょう。彼女が帰宅すると、そのあわれな姿を見たアブシャロムは、こう問いかけます。「おまえの兄アムノンが、おまえといっしょにいたのか」。これは、アムノンによって犯されたのかとやんわりと訊いているのです。（1）アブシャロムは「だが妹よ。今は黙っていなさい」と助言しています。つまり、被害に会ったことを公にしてはならないというのです。これが公になれば、王家全体に恥が及びます。その上、長子アムノンが処罰される可能性はほとんどありません。（2）さらにアブシャロムは「あれはおまえの兄なのだ。あのことで心配しなくてもよい」と語りかけています。つまり、自分で復讐しようと思わなくてもよいという意味です。この時点で、アブシャロムはアムノンを殺害する意志を固めています。（3）「タマルは、ひとりわびしく暮らしていた」とありますが、その意味は、彼女は結婚をすることもなく、寡婦と同じように暮らしていたということです。タマルは実に気の毒な境遇に投げ込まれたのです。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの反応</strong></p><p>やがて事の一部始終が、ダビデの耳に入ります。つまり、アムノンがタマルを強姦したこと、さらに彼女をそのまま追い出したこと、そして、その後タマルは泣きながら暮らしていることなどがダビデ王の知るところとなったのです。（1）ダビデは激怒しています。当然のことです。（2）しかし彼は、問題を解決するためになんの行動も起こしていません。ここに、子どもに対するダビデの甘い姿勢が出ています。またダビデは、バテ・シェバ事件という弱みを抱えていましたので、性的な罪に対してはきびしい態度を取りにくかったと思われます。しかし、問題を放置しておくことは、事態の悪化を招くことになります。（3）アブシャロムとアムノンは異母兄弟でありながら、絶縁関係に突入します。この件についてアブシャロムは沈黙していました。それは、アムノンに対する憎悪と復讐心、そして王位への野心のゆえでした。<br>罪に罪が重なって、王家が崩壊していく様子に注目しましょう。問題を解決せずにそのまま放置したダビデの失敗から教訓を学びましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。問題の根は、なるべく小さいうちに引き抜くことができますように、私に勇気と行動力とを与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-07-12 21:18:32 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二13：23 ～ 29</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3518064124</link>
         <description><![CDATA[<p>23 それから満二年たって、アブシャロムがエフライムの近くのバアル・ハツォルで羊の毛の刈り取りの祝いをしたとき、アブシャロムは王の息子たち全部を招くことにした。</p><p>24 アブシャロムは王のもとに行って言った。「このたび、このしもべが羊の毛の刈り取りの祝いをすることになりました。どうか、王も、あなたの家来たちも、このしもべといっしょにおいでください。」</p><p>25 すると王はアブシャロムに言った。「いや、わが子よ。われわれ全部が行くのは良くない。あなたの重荷になってはいけないから。」アブシャロムは、しきりに勧めたが、ダビデは行きたがらず、ただ彼に祝福を与えた。</p><p>26 それでアブシャロムは言った。「それなら、どうか、私の兄弟アムノンを私どもといっしょに行かせてください。」王は彼に言った。「なぜ、彼があなたといっしょに行かなければならないのか。」</p><p>27 しかし、アブシャロムが、しきりに勧めたので、王はアムノンと王の息子たち全部を彼といっしょに行かせた。</p><p>28 アブシャロムは自分に仕える若い者たちに命じて言った。「よく注意して、アムノンが酔って上きげんになったとき、私が『アムノンを打て。』と言ったら、彼を殺せ。恐れてはならない。この私が命じるのではないか。強くあれ。力ある者となれ。」</p><p>29 アブシャロムの若い者たちが、アブシャロムの命じたとおりにアムノンにしたので、王の息子たちはみな立ち上がって、おのおの自分の騾馬らばに乗って逃げた。</p><p><br/></p><p><strong>アブシャロムの復讐</strong></p><p><strong>長期計画</strong></p><p>アブシャロムは長期計画によって事を運ぶタイプの人物でした。（1）満2年たって、彼はアムノン殺害の計画を実行に移します。彼の憎しみがいかに取り去り難く、根の深いものであったかがわかります。（2）殺害計画を悟られないために、彼はまず父であるダビデ王とその家来たちを羊の毛の刈り取りの祝いに招きます。もちろん、ダビデが断るであろうことは予測していました。（3）案の定、ダビデは断りました。ひとりの息子の招待に乗ることは、えこひいきになってしまうからです。（4）そこでアブシャロムは、長兄アムノンを代理として送ってほしいと頼みます。（5）最初ダビデはためらいましたが、アブシャロムが執拗しつように願ったため、ついにアムノンを初めとして、王子全部をその祝いに参加させることにしました。<br>ダビデほどの知恵ある人物が、アブシャロムの策略にかかるとは不思議な気がしますが、ここは神がダビデの判断力を鈍らせたと考えるべきでしょう。かくして、アムノンは自らの罪のためのさばきを受けることになります。</p><p><br/></p><p><strong>暗殺</strong></p><p>アブシャロムの罪の深さに注目してみましょう。（1）彼は殺人を犯すのに最もふさわしくない時と場とを選びました。本来は喜びと感謝を表わすべき場が、虐殺の現場となったのです。これは、神に対する反逆です。（2）さらに彼は、アムノンに酔いが回ったころ、命令一下めいれいいっか彼を殺害するようにと自分に仕える若い者たちに命じました。自分の罪に、部下の者たちを巻き込んだのです。（3）彼は、「この私が命じるのではないか。強くあれ。力ある者となれ」と語っています。その意味は、「長兄のアムノンが死んだなら、自分が王位継承者になる。そうなれば、お前たちを優遇することができるのだ」ということです。このことばの背後には、アブシャロムの野心が隠されています。<br>いつまでも憎しみを心に抱いていてはなりません。憎しみから解放される最善の方法は、さばきを主にゆだねることです。「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる』」（ローマ12：19）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。たましいの健康を保つために、なに人をも憎むことのないように、また隣人を愛することができるように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-07-13 21:31:08 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二13：30 ～ 39</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3519161370</link>
         <description><![CDATA[<p>30 彼らがまだ道の途中にいたとき、ダビデのところに次のような知らせが着いた。「アブシャロムは王の子たちを全部殺しました。残された方はひとりもありません。」</p><p>31 そこで王は立ち上がり、着物を裂き、地に伏した。かたわらに立っていた家来たちもみな、着物を裂いた。</p><p>32 しかしダビデの兄弟シムアの子ヨナダブは、証言をして言った。「王さま。彼らが王の子である若者たちを全部殺したとお思いなさいませんように。アムノンだけが死んだのです。それはアブシャロムの命令によるので、アムノンが妹のタマルをはずかしめた日から、胸に持っていたことです。</p><p>33 今、王さま。王子たち全部が殺された、という知らせを心に留めないでください。アムノンだけが死んだのです。」</p><p>34 一方、アブシャロムは逃げた。見張りの若者が目を上げて見ると、見よ、彼のうしろの山沿いの道から大ぜいの人々がやって来るところであった。</p><p>35 ヨナダブは王に言った。「ご覧ください。王子たちが来られます。このしもべが申し上げたとおりになりました。」</p><p>36 彼が語り終えたとき、そこに王子たちが来て、声をあげて泣いた。王もその家来たちもみな、非常に激しく泣いた。</p><p>37 アブシャロムは、ゲシュルの王アミフデの子タルマイのところに逃げた。ダビデは、いつまでもアムノンの死を嘆き悲しんでいた。</p><p>38 アブシャロムは、ゲシュルに逃げて行き、三年の間そこにいた。</p><p>39 ダビデ王はアブシャロムに会いに出ることはやめた。アムノンが死んだので、アムノンのために悔やんでいたからである。</p><p><br/></p><p><strong>アブシャロムの逃亡</strong></p><p><strong>ヨナダブの証言</strong></p><p>王子たちがまだ道の途中にいるのに、うわさだけが先にダビデの耳に届きます。うわさというものは、なんと素早く飛び交うことでしょうか。ダビデは、王子たち全員が殺されたと聞いて、悲嘆のどん底に落とされます。しかし、正確な情報を握っていた者がひとりいました。それが、ダビデの兄弟シムアの子ヨナダブです。ダビデにとっては甥に当たります。（1）彼はアムノンにとっては悪友でした。タマルを強姦する方法をアムノンに教授したのは、彼でした（5～6節参照）。（2）彼は、アブシャロムがアムノン殺害の思いを長く心に秘めていたのを知っていたようです。それで、死んだのはタマルを犯したアムノンだけであると、得意げにダビデに報告しています。（3）ヨナダブは、タマル強姦に関してはアムノンと同じ責任を負うべきです。また、アムノン殺害に関してはアブシャロムと同じ罪に問われるべきです。<br>箴言にはこのように書かれています。「知恵のある者とともに歩む者は知恵を得る。愚かな者の友となる者は害を受ける」（13：20）。あなたの交友関係は、主に喜ばれるものとなっていますか。ヨナダブのような友人がいるなら、主にあってその関係を切ることができるように祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの弱点</strong></p><p>アブシャロムは、母方の祖父（ゲシュルの王アミフデの子タルマイ）のもとに逃げ、そこに3年間身を寄せます。その後彼はイスラエルに帰還しますが、ダビデと再会するのはさらにその2年後です。（1）不思議なことですが、ダビデはアブシャロムに特別な愛情を感じていたようです。このことは、後になってアブシャロムがダビデに反乱を起こしたときにも変わっていません。（2）ダビデはアブシャロムに会いたいと思ったようですが、その前に法的な正義を確立しておく必要があることを感じていたのでしょう。結局は、アブシャロムに会いに行くことは止めています。（3）注目すべきは、息子に対して甘いダビデの態度です。タマルが強姦されたときもそうでしたが、今回も、アブシャロムに対して何の対応もしていません。これが、後になって問題を作るのです。<br>子どもにどのように接すべきかについて、主からの知恵を求めましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。交友関係を立て上げるための知恵を、どうか私に注いでください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-07-14 20:29:40 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二14：1 ～ 7</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3520367473</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ツェルヤの子ヨアブは、王がアブシャロムに敵意をいだいているのに気づいた。</p><p>2 ヨアブはテコアに人をやって、そこからひとりの知恵のある女を連れて来て、彼女に言った。「あなたは喪に服している者を装い、喪服を着て、身に油も塗らず、死んだ人のために長い間、喪に服している女のようになって、</p><p>3 王のもとに行き、王にこのように話してくれまいか。」こうしてヨアブは彼女の口にことばを授けた。</p><p>4 テコアの女は、王に話したとき、地にひれ伏し、礼をして言った。「お救いください。王さま。」</p><p>5 それで、王は彼女に言った。「いったい、どうしたのか。」彼女は答えた。「実は、この私は、やもめで、私の夫はなくなりました。</p><p>6 このはしためには、ふたりの息子がありましたが、ふたりが野原でけんかをして、だれもふたりを仲裁する者がいなかったので、ひとりが相手を打ち殺してしまいました。</p><p>7 そのうえ、親族全体がこのはしために詰め寄って、『兄弟を打った者を引き渡せ。あれが殺した兄弟のいのちのために、あれを殺し、この家の世継ぎをも根絶やしにしよう。』と申します。あの人たちは残された私の一つの火種を消して、私の夫の名だけではなく、残りの者までも、この地上に残さないようにするのです。」</p><p><br/></p><p><strong>ヨアブの計画</strong></p><p><strong>将軍ヨアブ</strong></p><p>将軍ヨアブはエッサイの娘ツェルヤの子で、ダビデの甥に当たる人物です。彼は兄弟のアブシャイ、アサエルとともにイスラエルの勇士と呼ばれました（2：18）。そのヨアブが、ダビデとアブシャロムの関係修復のために、一計を案じます。<br>（1）ダビデは、アブシャロムに対して特別な感情を抱いていました。新改訳聖書では、「ヨアブは、王がアブシャロムに敵意をいだいているのに気づいた」となっていますが、別の訳では、「ヨアブは王の心がアブサロムに向かっているのを知った」（口語訳）、「ツェルヤの子ヨアブは、王の心がアブサロムに向かっていることを悟り」（新共同訳）となっています。あとの二つの訳のほうがよいと思います。（2）ダビデはアブシャロムとの和解を願いつつも、法的な義に違反することを恐れていました。（3）ヨアブはダビデがジレンマに陥っていることを察知し、事態を打開するために一計を案じます。</p><p><br/></p><p><strong>テコアの女</strong></p><p>（1）ヨアブはテコア（ベツレヘムの南方十数キロ）に住む「知恵のある女」を呼び寄せ、彼女の口にことばを授けます。（2）この女は喪中のやもめを装い、王のところに行って判断を仰ぎます。当時王は、裁判官の役目も果たしていたのです。（3）訴えの内容は、次のようなものでした。「残されたふたりの息子が争い、一方が他方を殺してしまった。親族はその殺害者を引き渡せ、死刑にせねばならないと迫ってくる。彼らは、自分に残されたたったひとりの息子のいのちまでも奪おうとしている。そうなれば自分の家系は滅びてしまう。王よ、義を立てて罪人を死刑にすべきでしょうか、あるいは、家系を残すことを優先させるべきでしょうか」。<br>彼女の問いかけは、義を取るべきか恵みを取るべきか、というものでした。あなたならどのように判断しますか。これは、ダビデ自身が直面していた課題でもあります。父なる神もまた同じ課題で苦しまれました。そして最後に、義と恵みの両方を実現する方法として、御子イエスを十字架に付けてくださったのです。私たちは御子イエスが十字架上で流された血潮によって罪赦されました。そのことを思い出し、父なる神に感謝をささげようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。きょう再び、御子イエスの十字架の愛に感動を覚えました。どうか愛されている者にふさわしい歩みをさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-07-15 20:08:20 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>サムエル記第二14：8 ～ 17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3521501559</link>
         <description><![CDATA[<p>8 王は女に言った。「家に帰りなさい。あなたのことで命令を出そう。」</p><p>9 テコアの女は王に言った。「王さま。刑罰は私と私の父の家に下り、王さまと王位には罪がありませんように。」</p><p>10 王は言った。「あなたに文句を言う者がいるなら、その者を、私のところに連れて来なさい。そうすれば、もう二度とあなたを煩わずらわすことはなくなる。」</p><p>11 そこで彼女は言った。「どうか王さま。あなたの神、主に心を留め、血の復讐をする者が殺すことをくり返さず、私の息子を根絶やしにしないようにしてください。」王は言った。「主は生きておられる。あなたの息子の髪の毛一本も決して地に落ちることはない。」</p><p>12 するとその女は言った。「このはしために、一言、王さまに申し上げさせてください。」王は言った。「言いなさい。」</p><p>13 女は言った。「あなたはどうして、このような神の民に逆らうようなことを、計はかられたのですか。王は、先のようなことを語られて、ご自分を罪ある者とされています。王は追放された者を戻しておられません。</p><p>14 私たちは、必ず死ぬ者です。私たちは地面にこぼれて、もう集めることのできない水のようなものです。神は死んだ者をよみがえらせてはくださいません。どうか追放されている者を追放されたままにしておかないように、ご計画をお立てください。</p><p>15 今、私が、このことを王さまにお話しにまいりましたのも、人々が私をおどしたからです。それで、このはしためは、こう思いました。『王さまにお話ししてみよう。王さまは、このはしための願いをかなえてくださるかもしれない。</p><p>16 王さまは聞き入れて、私と私の子を神のゆずりの地から根絶やしにしようとする者の手から、このはしためをきっと助け出してくださるでしょうから。』</p><p>17 それで、このはしためは、『王さまのことばは私の慰なぐさめとなろう。』と思いました。王さまは、神の使いのように、善と悪とを聞き分けられるからです。あなたの神、主が、あなたとともにおられますように。」</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの判断</strong></p><p><strong>家系の存続を優先させたダビデ</strong></p><p>テコアの女の訴えを聞いたダビデは、当初、「家に帰りなさい。あなたのことで命令を出そう」と語り、時間を稼ごうとします。しかしこの女はなおも食い下がり、ついに自分の願いどおりの判決をダビデから引き出します。ダビデは、「主は生きておられる。あなたの息子の髪の毛一本も決して地に落ちることはない」と宣言します。<br>やもめとその残された息子をあわれんだダビデは、ついにその息子のいのちを保証する判決を出したのです。ダビデの心の中で、あわれみが義に勝利したのです。これは父なる神のみこころでもあります。主イエスは、「『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」（マタイ9：13）と語っておられます。私たちは、神のあわれみによってたましいの救いを経験した者たちです。</p><p><br/></p><p><strong>テコアの女の真意</strong></p><p>テコアの女は、ダビデが出した判決を基にして、いよいよ「本論」に入ります。彼女の論点はこうです。（1）もし殺人者の息子を赦すというなら、追放されたままになっているアブシャロムも赦すべきではないか。（2）アブシャロムを赦さないのは、イスラエル王国の後継者をもうひとり抹殺する行為となる。これは、神の民に対する背信行為ではないか。（3）アブシャロムを罰したところで、死んだアムノンが生き返るわけではない。（4）あなた自身が神の恵みによって赦されたのだから、手遅れになる前に、アブシャロムを赦すべきである。（5）王には、神の使いのように、善と悪とを聞き分ける能力が備わっている。事実、王は自分のためにあわれみの判決を下された。自分は王の判断力を信じたので、王から慰めのことばを得るためにこうしてやって来た。<br>女はダビデに、あわれみの判決を自分自身にも適用するように迫ったのです。ある真理を理解することと、それを適用することとは、別問題です。神の愛を理解したなら、それを実生活に適用せねばなりません。あなたは神の赦しと神の愛を受け取っていますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い神よ。私を愛してくださり感謝します。自分自身を赦し、愛することを実行することができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-07-16 20:20:28 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二14：18 ～ 24</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3522588012</link>
         <description><![CDATA[<p>18 すると、王はこの女に答えて言った。「私が尋ねることを、私に隠さず言ってくれ。」女は言った。「王さま。どうぞおっしゃってください。」</p><p>19 王は言った。「これは全部、ヨアブの指図によるのであろう。」女は答えて言った。「王さま。あなたのたましいは生きておられます。王さまが言われることから、だれも右にも左にもそれることはできません。確かにあなたの家来ヨアブが私に命じ、あの方がこのはしための口に、これらすべてのことばを授けたのです。</p><p>20 あなたの家来ヨアブは、事の成り行きを変えるために、このことをしたのです。あなたさまは、神の使いの知恵のような知恵があり、この地上のすべての事をご存じですから。」</p><p>21 それで、王はヨアブに言った。「よろしい。その願いを聞き入れた。行って、若者アブシャロムを連れ戻しなさい。」</p><p>22 ヨアブは地にひれ伏して、礼をし、王に祝福のことばを述べて言った。「きょう、このしもべは、私があなたのご好意にあずかっていることがわかりました。王さま。王さまはこのしもべの願いを聞き入れてくださったからです。」</p><p>23 そこでヨアブはすぐゲシュルに出かけて行き、アブシャロムをエルサレムに連れて来た。</p><p>24 王は言った。「あれは自分の家に引きこもっていなければならない。私の顔を見ることはならぬ。」それでアブシャロムは家に引きこもり、王の顔を見なかった。</p><p><br></p><p><strong>ダビデの赦し</strong></p><p><strong>ヨアブの指図</strong></p><p>この段階でダビデは、この女の背後にヨアブの入れ知恵があったことを見抜きます。（1）ダビデは女に、「これは全部、ヨアブの指図によるのであろう」と問いかけます。（2）女は、「確かにあなたの家来ヨアブが私に命じ、あの方がこのはしための口に、これらすべてのことばを授けたのです」と答えます。（3）そこでダビデはヨアブを呼び寄せ、アブシャロムの帰還を許可すると伝えます。（4）ヨアブは地にひれ伏し、王に礼をして、祝福のことばを述べています。ヨアブは、アブシャロムの帰還があたかも王にとっての利益ではなく、自分にとっての利益であるかのように振る舞いました。家来としてのヨアブの心構えには、大いに学ぶべきものがあります。</p><p><br></p><p><strong>アブシャロムの帰還</strong></p><p>（1）ヨアブは王の決定を大いに喜び、直ちにゲシュルに行ってアブシャロムを連れ戻します。（2）しかしダビデは、王子にエルサレムへの帰還を許しただけで、自分と面会することまでは許しませんでした。「あれは自分の家に引きこもっていなければならない。私の顔を見ることはならぬ」。そのため、アブシャロムは家に引きこもったままで、王の顔を見ることもなしに過ごしました。（3）ダビデのこの判断を、好意的に解釈する人もいるようですが、必ずしもそうではないと思います。ダビデは、きびしく対処せねばならない時に優柔不断な態度を見せました。また、もっと赦しの心を見せねばならない時に、きびしい態度で接しました。ダビデの態度はどこかちぐはぐで、一貫性がないのです。それがまた、大きな問題を起こす要因となります。<br>使徒パウロは、以下のように書いていますが、これはそのまま受け入れるに足る約束です。「‥‥神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」（Ⅱコリント5：20～21）。神は確かに私たちをご自身の子として扱っておられます。神の「是」は「是」であり、「否」は「否」です。安心して、このお方に従いましょう。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い天の父よ。今私はキリストにあって神の義となりました。あなたの子とされていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-07-17 21:16:27 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二14：25 ～ 27</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3523464270</link>
         <description><![CDATA[<p>25 さて、イスラエルのどこにも、アブシャロムほど、その美しさをほめはやされた者はいなかった。足の裏から頭の頂まで彼には非の打ちどころがなかった。</p><p>26 彼が頭を刈るとき、─毎年、年の終わりには、それが重いので刈っていた。─その髪の毛を量はかると、王のはかりで二百シェケルもあった。</p><p>27 アブシャロムに三人の息子と、ひとりの娘が生まれた。その娘の名はタマルといって非常に美しい娘であった。</p><p><br/></p><p><strong>アブシャロムの美貌</strong></p><p><strong>美男子アブシャロム</strong></p><p>今流行のことばを使えば、アブシャロムは「イケメン」だったのです。（1）イスラエルで彼ほどその美しさをほめはやされた者はいませんでした。当然、思い上がった人間になったことでしょう。（2）その美貌びぼうは、「足の裏から頭の頂まで非の打ちどころがない」ほどのものでした。（3）髪の毛も豊かにありました。その毛を誇りとしていた彼は、その重さに耐えられなくなるまで頭を刈ろうとはしませんでした（彼がナジル人であったという説もありますが、聖書的な裏づけがありません）。あまりにも重くなりすぎるので、年の終わりには髪の毛を刈っていました。その重さは200シェケル（およそ2.8キログラム）もありました。（4）彼には3人の息子がいましたが、全員若くして死に、世継ぎとはなれませんでした（18：18）。（5）ひとり娘にはタマルという名が付けられました。アムノンによって犯された美貌の妹と同じ名です。タマルの娘マアカは、レハブアム王の妻になっています（Ⅱ歴代誌11：20）。<br>以上の記述は、なぜアブシャロムがイスラエルの民の心を掴つかむことができたのかの説明となっています。</p><p><br/></p><p><strong>高慢の原因</strong></p><p>肉体的な美貌もまた神の賜物ですが、多くの場合、それは高慢の原因ともなります。アブシャロムは自らの美貌を誇っていました。特に、髪の毛は重さに耐え切れなくなるまで、切ろうとしませんでした。しかしその髪の毛も、後に彼の破滅の一因となります。彼は逃亡する際に、頭を樫かしの木に引っ掛け、宙づりになりました（18：9～15）。<br>悲しいことに、アブシャロムに関しては肉体的な美貌が語られるのみで、その信仰や知恵に関する言及は何もありません。彼の霊性はどうなっていたのでしょうか。健全な肉体に健全なたましいが宿ると言われますが、彼の場合は例外だったのでしょうか。自分の外見以外に誇るものが何もない人は、薄っぺらであわれな人です。ペテロの勧告を心に受け止めて、きょう一日をスタートしましょう。「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン」（Ⅱペテロ3：18）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天地創造の神よ。すべての良き物はあなたから与えられます。あなたの賜物によって傲慢になることのありませんように、またそれを霊的成長のために用いることができますように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-07-18 20:00:55 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二14：28 ～ 33</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3524032729</link>
         <description><![CDATA[<p>28 アブシャロムは二年間エルサレムに住んでいたが、王には一度も会わなかった。</p><p><br/></p><p>29 それで、アブシャロムは、ヨアブを王のところに遣わそうとして、ヨアブのもとに人をやったが、彼は来ようとしなかった。アブシャロムはもう一度、人をやったが、それでもヨアブは来ようとはしなかった。</p><p><br/></p><p>30 アブシャロムは家来たちに言った。「見よ。ヨアブの畑は私の畑のそばにあり、そこには大麦が植えてある。行ってそれに火をつけよ。」アブシャロムの家来たちは畑に火をつけた。</p><p><br/></p><p>31 するとヨアブはアブシャロムの家にやって来て、彼に言った。「なぜ、あなたの家来たちは、私の畑に火をつけたのですか。」</p><p><br/></p><p>32 アブシャロムはヨアブに答えた。「私はあなたのところに人をやり、ここに来てくれ、と言わせたではないか。私はあなたを王のもとに遣わし、『なぜ、私をゲシュルから帰って来させたのですか。あそこにとどまっていたほうが、まだ、ましでしたのに。』と言ってもらいたかったのだ。今、私は王の顔を拝したい。もし私に咎とががあるなら、王に殺されてもかまわない。」</p><p><br/></p><p>33 それで、ヨアブは王のところに行き、王に告げたので、王はアブシャロムを呼び寄せた。アブシャロムは王のところに来て、王の前で地にひれ伏して礼をした。王はアブシャロムに口づけした。</p><p><br/></p><p><strong>アブシャロムとダビデの和解</strong></p><p>アブシャロムの非常手段</p><p>アブシャロムがエルサレムに帰還してから2年がたとうとしていました。しかし彼は自宅に軟禁状態になっており、ダビデ王に会うことも、外に自由に出ることもできませんでした。（1）業を煮やしたアブシャロムは、王へのとりなしを頼もうとして、ヨアブに二度も使いを送ります。（2）しかしヨアブは、それに応じようとはしませんでした。（3）それに腹を立てたアブシャロムは、ついに非常手段に訴えます。彼はヨアブの大麦畑に火を放てと家来たちに命じます。（4）驚いて駆け付けたヨアブに、アブシャロムは、このままではゲシュルにとどまっていたほうがよかったと、不平をぶつけます。（5）アブシャロムは、「今、私は王の顔を拝したい。もし私に咎があるなら、王に殺されてもかまわない」と語ります。つまり、殺人の罪のゆえに処罰されるのか、それとも赦してもらえるのか、はっきりしてほしいということです。</p><p><br/></p><p>和解</p><p>ついにヨアブは重い腰を上げ、王にとりなしの労を取ります。（1）ダビデ王はアブシャロムを王宮に呼び寄せました。（2）アブシャロムは王宮に来て、王の前で地にひれ伏して礼をしました。つまり、罪の赦しを求めたのです。（3）ダビデ王はアブシャロムに口づけをしました。つまり、アブシャロムを赦し和解したのです。こうして、形式的には一応の和解が成立しました。（4）しかしこの和解は、真実なものではありませんでした。ダビデはアブシャロムを赦して和解しましたが、アブシャロムのほうはダビデに対して和解していませんでした。それは、これから後のアブシャロムの態度で明らかになります。彼はイスラエルの民の心を自分に向けさせる作業を開始します。</p><p>いつの時代にも、見かけだけは信者のように振る舞っている人がいます。パウロはこのように警告を発しています。「どうか犬に気をつけてください。悪い働き人に気をつけてください。肉体だけの割礼かつれいの者に気をつけてください。神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです」（ピリピ3：2～3）。本物を見分ける目を神からいただこうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>聖なる神よ。私の内に悔いた心、砕かれたたましいを作り出してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <pubDate>2025-07-19 21:06:43 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3524032729</guid>
      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二15：1 ～ 6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3524377033</link>
         <description><![CDATA[<p>1 その後、アブシャロムは自分のために戦車と馬、それに自分の前を走る者五十人を手に入れた。</p><p><br></p><p>2 アブシャロムはいつも、朝早く、門に通じる道のそばに立っていた。さばきのために王のところに来て訴えようとする者があると、アブシャロムは、そのひとりひとりを呼んで言っていた。「あなたはどこの町の者か。」その人が、「このしもべはイスラエルのこれこれの部族の者です。」と答えると、</p><p><br></p><p>3 アブシャロムは彼に、「ご覧。あなたの訴えはよいし、正しい。だが、王の側にはあなたのことを聞いてくれる者はいない。」と言い、</p><p><br></p><p>4 さらにアブシャロムは、「ああ、だれかが私をこの国のさばきつかさに立ててくれたら、訴えや申し立てのある人がみな、私のところに来て、私がその訴えを正しくさばくのだが。」と言っていた。</p><p><br></p><p>5 人が彼に近づいて、あいさつしようとすると、彼は手を差し伸べて、その人を抱き、口づけをした。</p><p><br></p><p>6 アブシャロムは、さばきのために王のところに来るすべてのイスラエル人にこのようにした。こうしてアブシャロムはイスラエル人の心を盗んだ。</p><p><br></p><p>アブシャロムの野望</p><p>アブシャロムの四つの戦略</p><p>ダビデから赦しを得たアブシャロムは、軟禁状態を解かれ自由に動き回ることができるようになりました。本当の意味で父ダビデと和解していなかった彼は、すぐさま王位を奪うための準備にかかります。中途半端な和解や、中途半端な悔い改めは、なんの益ももたらしません。アブシャロムが王位を奪うために採用した四つの戦略を見てみましょう。</p><p>（1）彼は、自分こそが王位継承者であることを印象付けようとしています。そのために、側近の部下50人と、戦車や馬を用意しています。これは、ほとんど王になったかのような振る舞いです。そして、その傲慢な姿勢がやがて墓穴を掘ることにつながるのです。（2）彼は、裁判を求めて王のところにやって来るすべての人を朝早く途中で迎えます。そして、ダビデが王位に就いている限りは正統な裁判は不可能であるとして、ダビデ王政を非難します。もちろんこの発言は、嘘です。（3）彼は自分が「さばきつかさ」になれば、正しい裁判をしてやることができるのにと語り、大風呂敷を広げたような非現実的な約束をしています。（4）彼は、あいさつしてくる者を抱きかかえて口づけし、おべっかを使って親近感を演出しています。</p><p><br></p><p>野心家アブシャロム</p><p>野心家のアブシャロムは、以上の四つの戦略を用いて、「人々の心を盗んだ」のです。つまり、人々がダビデに対して示していた忠誠心を、自分のものとしたということです。</p><p>アブシャロムのように行動する人はこの世にはいくらでもいます。しかし、クリスチャン生活は野心とは無縁のものです。イエスの弟子たちもまた、野心と格闘した人々です。主イエスは弟子たちに、このように語っておられます。「あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい」（マタイ20：26～27）。あなたはこの世で評価されることを求めていますか、あるいは、神の国で評価されることを求めていますか。主イエスの弟子としていかに生きるべきか、黙想してみましょう。</p><p><br></p><p>きょうの祈り</p><p>天の父なる神さま。どうか私を人々に仕える者としてください。あなたの弟子として歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-07-20 21:11:05 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二15：7 ～ 12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3525273480</link>
         <description><![CDATA[<p>7 それから四年たって、アブシャロムは王に言った。「私が主に立てた誓願せいがんを果たすために、どうか私をヘブロンへ行かせてください。</p><p><br/></p><p>8 このしもべは、アラムのゲシュルにいたときに、『もし主が、私をほんとうにエルサレムに連れ帰ってくださるなら、私は主に仕えます。』と言って誓願を立てたのです。」</p><p><br/></p><p>9 王が、「元気で行って来なさい。」と言ったので、彼は立って、ヘブロンへ行った。</p><p><br/></p><p>10 そのとき、アブシャロムはイスラエルの全部族に、ひそかに使いを送って言った。「角笛の鳴るのを聞いたら、『アブシャロムがヘブロンで王になった。』と言いなさい。」</p><p><br/></p><p>11 アブシャロムは二百人の人々を連れてエルサレムを出て行った。その人たちはただ単に、招かれて行った者たちで、何も知らなかった。</p><p><br/></p><p>12 アブシャロムは、いけにえをささげている間に、人をやって、ダビデの議官をしているギロ人アヒトフェルを、彼の町ギロから呼び寄せた。この謀反むほんは根強く、アブシャロムにくみする民が多くなった。</p><p><br/></p><p>アブシャロムの謀反</p><p>謀反の開始</p><p>アブシャロムは4年かけて謀反の準備をした後、主への誓願を果たすという理由で、父ダビデからヘブロン行きの許可を取り付けます。しかし、真の目的はその地で王として即位することにありました。彼がヘブロンを選んだことの背後には、三つの理由がありました。（1）そこは彼が誕生した地です。（2）父ダビデはヘブロンで王となり、そこから統一王国の王となるための歩みを開始しました。彼は父ダビデの足跡を辿たどろうとしたのでしょう。（3）ヘブロンはユダ部族の中心都市です。もし内戦になれば、ダビデの側について戦う兵士は主にヘブロンから集まって来るはずです。アブシャロムは自らヘブロンに乗り込むことによって、その地の住民を自らの支配下に置こうとしたのです。</p><p>このときアブシャロムは、イスラエルの全部族に密使を派遣して、自らの謀反に参加するようにと呼びかけています。周到な準備によって、国中に謀反に加担する反逆者たちが用意されていたことがわかります。</p><p><br/></p><p>稚拙な判断力</p><p>（1）ダビデがいかに簡単に騙だまされているかに注目しましょう。子どもを溺愛できあいする善良な親は、いとも簡単に子どものことばを信じてしまいます。特に、宗教が口実となる場合にその傾向があります。ダビデはアブシャロムに、「元気で行ってきなさい」と声をかけています。ダビデには何の疑いもありません。しかしこのことばが、ダビデがアブシャロムに語りかけた最後のことばになりました。（2）さらに、招かれてヘブロンまで同行したエルサレム在住の200人を見てみましょう。彼らはダビデの重臣じゅうしんたちでした。彼らは、アブシャロムの敬虔な行為を評価して、招きに応じたのです。アブシャロムにとっては、そのうちの何人かでも自分の側に付いてくれるなら、大儲けという思いがあったことでしょう。ダビデの議官（アドバイザー）ギロ人アヒトフェルは、すでにこの謀反に加担していました。</p><p>主イエスのことばを思い出しましょう。「ですから、蛇へびのようにさとく、鳩はとのようにすなおでありなさい」（マタイ10：16）。鳩のようにすなおなだけでは不十分です。悪に対しては蛇のようにさとく振る舞うことができるように、霊的洞察力を求めましょう。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p>イエス・キリストの父なる神さま。どうか蛇のようにさとく、鳩のようにすなおな人物となれますように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-07-21 20:28:45 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二15：13 ～ 17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3526270276</link>
         <description><![CDATA[<p>13 ダビデのところに告げる者が来て、「イスラエル人の心はアブシャロムになびいています。」と言った。</p><p><br/></p><p>14 そこでダビデはエルサレムにいる自分の家来全部に言った。「さあ、逃げよう。そうでないと、アブシャロムからのがれる者はなくなるだろう。すぐ出発しよう。彼がすばやく追いついて、私たちに害を加え、剣の刃でこの町を打つといけないから。」</p><p><br/></p><p>15 王の家来たちは王に言った。「私たち、あなたの家来どもは、王さまの選ばれるままにいたします。」</p><p><br/></p><p>16 こうして王は出て行き、家族のすべての者も王に従った。しかし王は、王宮の留守番に十人のそばめを残した。</p><p><br/></p><p>17 王と、王に従うすべての民は、出て行って町はずれの家にとどまった。</p><p><br/></p><p>ダビデの都落ち</p><p>謀反の知らせ</p><p>ダビデに忠実な者が、アブシャロムがヘブロンで謀反を起こしたことと、イスラエル人の心がアブシャロムになびいていることを告げます。（1）謀反の知らせは、ダビデと家来たちにとっては、寝耳に水の出来事でした。ダビデの議官（アドバイザー）をしていたアヒトフェルが、いかに巧妙こうみょうに立ち回っていたかがわかります。（2）ダビデはただちに、エルサレムからのがれることを家来全部に伝えます。（3）ダビデがその提案をしたのは、エルサレムを流血の惨事から守るためです。また、反乱軍と戦うための兵を集めるためには、時間がかかると判断したからです。ダビデは、今回の謀反の究極的原因は自分の罪にあることを自覚していたと思われます。（4）王と王に従うすべての民は、都のはずれにある家に到着すると、そこで一息ついて、オリーブ山を越える準備をしました。（5）しかしダビデは、王宮の留守番役として10人のそばめをそこに残しました。彼女たちは正妻ではなかったので、暗殺される心配はありませんでした。</p><p><br/></p><p>ダビデに従う家来たち</p><p>ダビデが都落ちを提案したとき、家来たちは「私たち、あなたの家来どもは、王さまの選ばれるままにいたします」と答えています。（1）彼らは、ダビデが臆病風に吹かれてこの提案をしているのではないことを知っていました。（2）彼らは、ダビデを愛していました。（3）彼らは、やがてダビデは兵を起こして、再びエルサレムに帰還するであろうことを信じていました。彼らはダビデの判断に全幅ぜんぷくの信頼を置いたのです。</p><p>主イエスの公生涯にも、人々が主から離れて行ったときがありました。主が弟子たちに「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう」と問いかけると、ペテロが「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」と答えています（ヨハネ6：68～69）。主イエスを評価しない人々が多くいる中でも、あなたはなおも「主よ。私たちがだれのところに行きましょう」と告白することができますか。いかなる時にも、主への信頼を告白できる人は幸いです。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p>天の父なる神さま。私には、主イエス以外に信頼できるものはありません。主イエスが導いてくださるところなら、どこにでも参ります。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-07-22 20:27:28 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二15：18 ～ 22</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3527218359</link>
         <description><![CDATA[<p><br/></p><p><br/></p><p>18 王のすべての家来は、王のかたわらを進み、すべてのケレテ人と、すべてのペレテ人、それにガテから王について来た六百人のガテ人がみな、王の前を進んだ。</p><p>19 王はガテ人イタイに言った。「どうして、あなたもわれわれといっしょに行くのか。戻って、あの王のところにとどまりなさい。あなたは外国人で、それに、あなたは、自分の国からの亡命者なのだから。</p><p>20 あなたは、きのう来たばかりなのに、きょう、あなたをわれわれといっしょにさまよわせるに忍びない。私はこれから、あてどもなく旅を続けるのだから。あなたはあなたの同胞を連れて戻りなさい。恵みとまことが、あなたとともにあるように。」</p><p>21 イタイは王に答えて言った。「主の前に誓います。王さまの前にも誓います。王さまがおられるところに、生きるためでも、死ぬためでも、しもべも必ず、そこにいます。」</p><p>22 ダビデはイタイに言った。「それでは来なさい。」こうしてガテ人イタイは、彼の部下全部と、いっしょにいた子どもたち全部とを連れて、進んだ。</p><p><strong>外国人の忠誠</strong></p><p><strong>都落ちの日</strong></p><p>ダビデの生涯で、都落ちの日ほど詳細に記録されている日はありません。その理由は、この日に起こった事が、短期的にも長期的にも、イスラエル王国に大きな影響をもたらすことになったからです。（1）王の家来たちは、王のかたわらを進みました。（2）また、王の親衛隊は王の前を進みました。親衛隊は、ケレテ人、ペレテ人、ガテ人で構成されていました。彼ら全員が、ペリシテの地から来た兵士たちでした。（3）その中でも特に注目すべきは、ガテから来た600人です。その長は、ガテ人イタイでした。ラビ伝承によれば、イタイはガテの王アキシュの息子だと言われています。</p><p><strong>イタイの忠誠</strong></p><p>ダビデはイタイに、自分について来なくてもよいと語っています。その理由は、イタイとその兵士たちは、ついこの間ダビデの傭兵ようへいとなったばかりだからです。（1）ダビデはイタイに、二つの選択肢を提示しています。エルサレムにとどまり、アブシャロムの傭兵となる。元いたペリシテの地に帰って行く。（2）それに対してイタイは、こう答えています。「主の前に誓います。王さまの前にも誓います。王さまがおられるところに、生きるためでも、死ぬためでも、しもべも必ず、そこにいます」。彼は、ペリシテ人の神ではなく、ダビデの神である「主（ヤハウェ）」の御名によって誓約をしています。（3）イタイのダビデに対する忠誠は、モアブの女ルツが姑のナオミに示した忠誠と愛に似ています。<br>これら一連の出来事の背後には、種々の「型」が隠されています。（1）ダビデはイエス・キリストの「型」です。（2）ダビデを裏切るアブシャロムやイスラエルの民は、イエスのメシア性を拒否するイスラエルの民の「型」です。（3）ダビデに忠実なイスラエルの民は、イエスをメシアと信じるメシアニック・ジューの「型」です。（4）さらに、イタイに代表されるダビデに忠実な異邦人の兵士たちは、イエスをメシアと信じて救われる異邦人クリスチャンの「型」です。私たちもイタイと同じように、「あなたがおられるところに、生きるためでも、死ぬためでも、しもべも必ず、そこにいます」と告白しようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたがおられるところに、生きるためでも、死ぬためでも、しもべも必ず、そこにいます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-07-23 20:47:09 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二15：23 ～ 29</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3528110957</link>
         <description><![CDATA[<p>23 この民がみな進んで行くとき、国中は大きな声をあげて泣いた。王はキデロン川を渡り、この民もみな、荒野あらののほうへ渡って行った。</p><p><br/></p><p>24 ツァドクも、すべてのレビ人といっしょに、神の契約の箱をかついでいたが、神の箱をそこに降ろした。エブヤタルも来て、民が全部、町から出て行ってしまうまでいた。</p><p><br/></p><p>25 王はツァドクに言った。「神の箱を町に戻しなさい。もし、私が主の恵みをいただくことができれば、主は、私を連れ戻し、神の箱とその住まいとを見せてくださろう。</p><p><br/></p><p>26 もし主が、『あなたはわたしの心にかなわない。』と言われるなら、どうか、この私に主が良いと思われることをしてくださるように。」</p><p><br/></p><p>27 王は祭司ツァドクにまた言った。「先見者せんけんしゃよ。あなたは安心して町に帰りなさい。あなたがたのふたりの子、あなたの子アヒマアツとエブヤタルの子ヨナタンも、あなたがたといっしょに。</p><p><br/></p><p>28 よく覚えていてもらいたい。私は、あなたがたから知らせのことばが来るまで、荒野の草原で、しばらく待とう。」</p><p><br/></p><p>29 そこで、ツァドクとエブヤタルは神の箱をエルサレムに持ち帰り、そこにとどまっていた。</p><p><br/></p><p>ダビデとツァドク</p><p>神への信頼</p><p>あなたは極限状態に置かれたとき、どのような判断を下し、どのように振る舞いますか。きょうの箇所では、国を挙げて泣き叫ぶ中を、ダビデとその一行がキデロン川（水なし川）を渡り、行方知らずの逃亡の旅へと旅立っています。まさにダビデにとっては極限状況です。その状況下で、ダビデがどのように行動したかを眺ながめ、そこから教訓を受け取りましょう。</p><p>（1）ツァドクとエブヤタルの両祭司、そしてすべてのレビ人たちが神の箱を携たずさえてエルサレムから出て来ました。神の箱は主の臨在りんざいと祝福のしるしです。彼らはダビデを祝福しようと願ったのです。（2）しかしダビデは、その箱を町に戻すように命じています。彼は「契約の箱」という目に見えるしるしではなく、主ご自身に信頼を置いていたからです（詩篇3：3参照）。また、信仰のないアブシャロムには「契約の箱」は何の役にも立たないことを知っていたからです。多くの日本人が「お守り信仰」に陥っていますが、それはむなしいことです。（3）ダビデは二つの方向から信仰告白をしています。「神の恵みがあるなら、自分はエルサレムに無事戻って、神の箱を見ることができる。しかし、主が自分を退けられるなら、みこころのままにしてほしい」。</p><p><br/></p><p>祭司ツァドクへの命令</p><p>次にダビデは、祭司ツァドクとエブヤタル、そしてその息子たちを神の箱とともにエルサレムに送り返します。（1）彼らはエルサレムに帰って、ダビデのためにスパイ役を務めることになります。息子のアヒマアツとヨナタンが、ダビデへの連絡係となります。（2）ダビデは荒野の草原で彼らからの連絡を待つことにしました。</p><p>ダビデは完全に主の御手に自分の運命をゆだねました。それが、極限状況の中で取れる唯一の信仰の姿勢であり、すべてのクリスチャンが見習うべきものです。あなたはきょうの箇所から何を学びますか。</p><p><br/></p><p>きょうの祈り</p><p>天の父なる神さま。私はあなたにだけ信頼を置きます。私の運命はあなたの御手の中にあります。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-07-24 20:52:20 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二15：30 ～ 37</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3528927879</link>
         <description><![CDATA[<p>30 ダビデはオリーブ山の坂を登った。彼は泣きながら登り、その頭をおおい、はだしで登った。彼といっしょにいた民もみな、頭をおおい、泣きながら登った。</p><p>31 ダビデは、「アヒトフェルがアブシャロムの謀反に荷担している。」という知らせを受けたが、そのとき、ダビデは言った。「主よ。どうかアヒトフェルの助言を愚おろかなものにしてください。」</p><p>32 ダビデが、神を礼拝する場所になっていた山の頂いただきに来た、ちょうどその時、アルキ人フシャイが上着を裂き、頭に土をかぶってダビデに会いに来た。</p><p>33 ダビデは彼に言った。「もしあなたが、私といっしょに行くなら、あなたは私の重荷になる。</p><p>34 しかしもし、あなたが町に戻って、アブシャロムに、『王よ。私はあなたのしもべになります。これまであなたの父上のしもべであったように、今、私はあなたのしもべになります。』と言うなら、あなたは、私のために、アヒトフェルの助言を打ちこわすことになる。</p><p>35 あそこには祭司のツァドクとエブヤタルも、あなたといっしょにいるではないか。あなたは王の家から聞くことは何でも、祭司のツァドクとエブヤタルに告げなければならない。</p><p>36 それにあそこには、彼らのふたりの息子、ツァドクの子アヒマアツとエブヤタルの子ヨナタンがいる。彼らをよこして、あなたがたが聞いたことを残らず私に伝えてくれ。」</p><p>37 それで、ダビデの友フシャイは町へ帰った。そのころ、アブシャロムもエルサレムに着いた。</p><p><br></p><p><strong>ダビデとフシャイ</strong></p><p><strong>ダビデの祈り</strong></p><p>あなたは神が私たちの祈りに答えてくださる方であることを体験していますか。祈りの答はすぐに来る場合もあれば、時間を置いてから来る場合もあります。きょうの箇所では、ダビデの祈りはすぐに聞かれています。それは、イザヤの預言の内容と一致します。「彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く」（イザヤ書65：24）。<br>（1）ダビデは泣きながら、その頭を覆い、はだしでオリーブ山の坂を登りました。これら一連の行為は、深い悲しみと悔い改めを表現するものです。（2）そのときダビデは、アヒトフェルがアブシャロムの参謀さんぼうとなっているとの報告を受けます。アヒトフェルはダビデに仕えた議官（12節）ですが、その知恵や助言は天与てんよのものと見なされ、ダビデにもアブシャロムにも尊重されていました。（3）それを聞いたダビデは、アヒトフェルの助言を愚かなものにしてくださいと祈ります。そしてその祈りはただちに聞かれます。あなたはダビデのように主を信頼して祈りをささげていますか。今、あなたの願いをそのまま主の前に出しましょう。</p><p><br></p><p><strong>ダビデの友フシャイ</strong></p><p>（1）オリーブ山頂の礼拝所にたどり着いたとき、ダビデの友フシャイが現われます。「王の友」というのは高官の職名であり、その働きの内容は王の相談役でした。フシャイは老齢であるにもかかわらず、ダビデに従っていこうとします。（2）しかしダビデは、老齢のフシャイは放浪生活には足手まといになる、それよりもエルサレムに戻ってアブシャロム側の情勢を探るスパイの働きをしてほしいと要請します。（3）老齢ではあってもダビデに忠実な相談役フシャイの働きによって、アヒトフェルの助言は「愚かなもの」となります。（4）フシャイはアブシャロムの王宮で入手した情報を祭司ツァドクとエブヤタルに伝え、それがアヒマアツとヨナタンによってダビデの元に届けられることになりました。<br>フシャイの忠実さから教訓を学びましょう。私たちが従うべきお方は、恵みとまことに満ちた主イエスご自身です。イエス・キリストに信頼を置く者は、決して失望することがありません。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。私の祈りに耳を傾けてくださることを感謝します。きょうも、主イエスに忠実な歩みをすることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-07-25 22:23:54 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3528927879</guid>
      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二16：1 ～ 4</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3529267278</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ダビデは山の頂から少し下った。見ると、メフィボシェテのしもべツィバが王を迎えに来ていた。彼は、鞍くらを置いた一くびきのろばに、パン二百個、干しぶどう百ふさ、夏のくだもの百個、ぶどう酒一袋を載せていた。</p><p>2 王はツィバに尋ねた。「これらは何のためか。」ツィバは答えた。「二頭のろばは王の家族がお乗りになるため、パンと夏のくだものは若い者たちが食べるため、ぶどう酒は荒野で疲れた者が飲むためです。」</p><p>3 王は言った。「あなたの主人の息子はどこにいるか。」ツィバは王に言った。「今、エルサレムにおられます。あの人は、『きょう、イスラエルの家は、私の父の王国を私に返してくれる。』と言っていました。」</p><p>4 すると王はツィバに言った。「メフィボシェテのものはみな、今、あなたのものだ。」ツィバが言った。「王さま。あなたのご好意にあずかることができますように、伏ふしてお願いいたします。」</p><p><br/></p><p><strong>ダビデとツィバ</strong></p><p><strong>ツィバという人物</strong></p><p>ダビデはオリーブ山の頂上に着き、ユダの荒野に向かって山を下り始めます。そのとき、ツィバというしもべがやって来ます。（1）ツィバはサウル王に仕えたしもべのひとりですが、自由人となって15人の息子と20人のしもべを持つようになっていました（9：10）。（2）ダビデがヨナタンとの約束を守るために、サウルの家の者で生き残っている者がいないかどうか尋ねたとき、ツィバはヨナタンの子で足の不自由なメフィボシェテがいることを告げました。（3）そこでダビデは、サウルに属する土地を全部メフィボシェテに与え、ツィバにその管理を命じました。</p><p><br/></p><p><strong>ツィバの親切と嘘</strong></p><p>このツィバが食糧を持ってダビデの前に現われました。（1）2頭のロバの背にパン200個、干しぶどう100房、夏のくだもの100個、ぶどう酒1袋が載せられていました。（2）ダビデが「これらは何のためか」と尋ねるとツィバは、それはすべてダビデへの贈り物であると告げます。ダビデの心は大いに癒いやされたことでしょう。（3）次にダビデは、「あなたの主人の息子はどこにいるのか」と問います。つまり、メフィボシェテはどうなっているのかと聞いたのです。それに対してツィバは、メフィボシェテがサウル王国の復活を狙っているかのような発言をします。「あの人は、『きょう、イスラエルの家は、私の父の王国を私に返してくれる』と言っていました」。（4）メフィボシェテはサウル王国の王位継承権を持つ人物ですが、アブシャロムがメフィボシェテに王位を返すなどあり得ないことです。つまりこれは、メフィボシェテの印象を悪くするための嘘うそです。（5）その嘘を額面どおりに受け取ったダビデはメフィボシェテに対して憤いきどおり、その財産をすべてツィバに与えると約束しました。<br>ダビデのように知恵ある人物でも、間違った判断をすることがあります。箴言18：17には、「最初に訴うったえる者は、その相手が来て彼を調べるまでは、正しく見える」と書かれています。ここではまさにこのことが起こっているのです。高い地位に就いている人は、特に慎重に問題の解決に当たる必要があります。今直面している問題について、神からの知恵が与えられるように祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。どうか私に知恵を与え、何事も熟慮して取り組むことができますように私をお導きください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=22B0nJEnolY" />
         <pubDate>2025-07-26 20:39:19 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3529267278</guid>
      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二16：5 ～ 14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3529604636</link>
         <description><![CDATA[<p>5 ダビデ王がバフリムまで来ると、ちょうど、サウルの家の一族のひとりが、そこから出て来た。その名はシムイといってゲラの子で、盛んにのろいのことばを吐きながら出て来た。</p><p>6 そしてダビデとダビデ王のすべての家来たちに向かって石を投げつけた。民と勇士たちはみな、王の右左にいた。</p><p>7 シムイはのろってこう言った。「出て行け、出て行け。血まみれの男、よこしまな者。</p><p>8 主がサウルの家のすべての血をおまえに報むくいたのだ。サウルに代わって王となったおまえに。主はおまえの息子アブシャロムの手に王位を渡した。今、おまえはわざわいに会うのだ。おまえは血まみれの男だから。」</p><p>9 すると、ツェルヤの子アビシャイが王に言った。「この死に犬めが、王さまをのろってよいものですか。行って、あの首をはねさせてください。」</p><p>10 王は言った。「ツェルヤの子らよ。これは私のことで、あなたがたには、かかわりのないことだ。彼がのろうのは、主が彼に、『ダビデをのろえ。』と言われたからだ。だれが彼に、『おまえはどうしてこういうことをするのだ。』と言えようか。」</p><p>11 ダビデはアビシャイと彼のすべての家来たちに言った。「見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。</p><p>12 たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。」</p><p>13 ダビデと彼の部下たちは道を進んで行った。シムイは、山の中腹をダビデと平行して歩きながら、のろったり、石を投げたり、ちりをかけたりしていた。</p><p>14 王も、王とともに行った民もみな、疲れたので、そこでひと息ついた。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデとシムイ</strong></p><p><strong>シムイののろい</strong></p><p>あなたは他人から覚えのないことで中傷された場合、どのように対処していますか。ダビデは前回の箇所では、ツィバの虚偽の報告を真に受けて誤った判断を下しましたが、きょうの箇所では正しい対応をしています。ダビデの対応から教訓を学んでみましょう。<br>オリーブ山を越えてエリコに向かう途中のバフリムで、ダビデの一行はシムイという人物に出会います。（1）シムイはサウルの一族の者であり、かねてからダビデに恨みを抱いていました。（2）彼はこの時とばかり、ダビデとその家来たちをのろい、石を投げ付けてきました。それは兵士たちの中でダビデを侮辱するためでした。（3）シムイは、今ダビデの受けている災わざわいは、サウル一族の血を流した罪に主が報いられたものだと断言します。しかしこれは、事実ではありません。実際は、ダビデはサウルの家の者の血を流さないように細心の注意を払ってきました。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの寛容</strong></p><p>（1）たまりかねて口火を切ったのは、ダビデの甥おい（ツェルヤの子）アビシャイでした。アビシャイは常にダビデを守ることに熱心な人物でした。彼は、「この死に犬」（シムイのこと）の首をはねさせてくださいとダビデに申し出ます。（2）しかしダビデはそれを許しませんでした。彼はシムイののろいの背後に主の御手を見ていたのです。（3）わが子アブシャロムが自分のいのちを狙っているくらいだから、サウルの身内（ベニヤミン人）のシムイが自分をのろうのは当然であろうというのが、ダビデの本心でした。（4）と同時にダビデは、主が自分の心を見て、こののろいに代えて善を報いてくださるであろうという期待も表明しています。（5）先のことになりますが、このシムイは悔い改めてダビデの前にひれ伏し、ダビデもまたエルサレムに無事帰還するようになります（19：18～23）。主がダビデの信仰に報いてくださったのです。<br>私たちもまた、平安な生涯を送ることを願うなら、人の評価を気にするよりも、神の評価にすべてをゆだねるべきです。ダビデは私たちにとって良き手本ですが、主イエスはさらにすぐれた手本です。今イエスを見上げ、イエスに似た者に変えてくださいと祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。主イエスは辱めを受けたとき、すべてのさばきを父なる神におゆだねになりました。どうか私に、主イエスの心をお与えください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-07-27 21:14:57 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二16：15 ～ 23</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3530313918</link>
         <description><![CDATA[<p>15 アブシャロムとすべての民、イスラエル人はエルサレムにはいった。アヒトフェルもいっしょであった。</p><p>16 ダビデの友アルキ人フシャイがアブシャロムのところに来たとき、フシャイはアブシャロムに言った。「王さま。ばんざい。王さま。ばんざい。」</p><p>17 アブシャロムはフシャイに言った。「これが、あなたの友への忠誠のあらわれなのか。なぜ、あなたは、あなたの友といっしょに行かなかったのか。」</p><p>18 フシャイはアブシャロムに答えた。「いいえ、主と、この民、イスラエルのすべての人々とが選んだ方に私はつき、その方といっしょにいたいのです。</p><p>19 また、私はだれに仕えるべきでしょう。私の友の子に仕えるべきではありませんか。私はあなたの父上に仕えたように、あなたにもお仕えいたします。」</p><p>20 それで、アブシャロムはアヒトフェルに言った。「あなたがたは相談して、われわれはどうしたらよいか、意見を述べなさい。」</p><p>21 アヒトフェルはアブシャロムに言った。「父上が王宮の留守番に残したそばめたちのところにおはいりください。全イスラエルが、あなたは父上に憎まれるようなことをされたと聞くなら、あなたに、くみする者はみな、勇気を出すでしょう。」</p><p>22 こうしてアブシャロムのために屋上に天幕が張られ、アブシャロムは全イスラエルの目の前で、父のそばめたちのところにはいった。</p><p>23 当時、アヒトフェルの進言する助言は、人が神のことばを伺って得ることばのようであった。アヒトフェルの助言はみな、ダビデにもアブシャロムにもそのように思われた。</p><p><br/></p><p><strong>アブシャロムの助言者たち</strong></p><p><strong>アブシャロムの過信</strong></p><p>当時イスラエルで最も知恵ある助言者（参謀）との評価を得ていたのは、フシャイとアヒトフェルのふたりです。アブシャロムは、このふたりを配下におさめることになります。彼は、これで自らの王位の安泰が保障されたと感じたことでしょう。しかし、人間に信頼を置く者は必ず失望させられることになります。<br>（1）エルサレムに入場したアブシャロムを歓迎した人々の中に、フシャイもいました。アブシャロムは彼を疑いの目で見、なぜダビデといっしょに都落ちしなかったのかと問いただします。（2）フシャイは、アブシャロムこそ正統な王位継承者であるから、自分はダビデに忠誠を尽くしたようにその息子にも忠誠を尽くすと答えます。（3）アブシャロムはそのことばを素直に受け入れました。また参謀のアヒトフェルも、フシャイの策略を見破ることができませんでした。</p><p><br/></p><p><strong>アヒトフェルの助言</strong></p><p>アブシャロムは、エルサレムに入場すると、次に何をしたらよいかアヒトフェルに助言を求めます。（1）アヒトフェルの助言は、ダビデのそばめたちと通じることでした。これによって、父と子の関係は修復不能となり、アブシャロムの家来たちもその態度を決するようになります。（2）アブシャロムは、王宮の屋上に天幕を張り、白昼公然と父のそばめたちと関係します。当時の中近東では、新王は前王のハーレム（後宮）をそのまま継承するのが習慣になっていました。（3）とは言え、これは選民イスラエルにとっては恥ずべき行為でした。レビ記18：8はこのような行為を禁じています。と同時に、これはダビデに与えられたさばきの預言の成就でもありました。預言者ナタンはこの日が来ることを預言していました（12：11～12）。<br>当時、アヒトフェルの助言はまるで神からの託宣たくせんであるかのように受け取られていました。しかし、アヒトフェルの助言は邪悪で悪魔的なものであり、フシャイの助言は意図的に愚かなものばかりでした。アブシャロムは神の箱の前にひざまずいて神からの知恵を求めるべきでしたが、彼は人間の愚かな助言に頼りました。そこに、彼の愚かさがありました。あなたはアブシャロムの愚かさから何を学びますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。どうか私に知恵を与えてください。人間の愚かな助言ではなく、あなたのことばに信頼を置くことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
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         <pubDate>2025-07-28 21:13:34 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二17：1 ～ 4</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3531368454</link>
         <description><![CDATA[<p>1 アヒトフェルはさらにアブシャロムに言った。「私に一万二千人を選ばせてください。私は今夜、ダビデのあとを追って出発し、</p><p>2 彼を襲います。ダビデは疲れて気力を失っているでしょう。私が、彼を恐れさせれば、彼といっしょにいるすべての民は逃げましょう。私は王だけを打ち殺します。</p><p>3 私はすべての民をあなたのもとに連れ戻します。すべての者が帰って来るとき、あなたが求めているのはただひとりだけですから、民はみな、穏やかになるでしょう。」</p><p>4 このことばはアブシャロムとイスラエルの全長老の気に入った。</p><p><br/></p><p><strong>アヒトフェルの助言</strong></p><p><strong>急襲の助言</strong></p><p>事態は急速に移り変わっています。（1）アブシャロムがエルサレムへの進軍を開始した日、ダビデは取るものも取らずに都落ちをしています。今ダビデの一行はオリーブ山を下り、ユダの荒野にいます。（2）エルサレムに入城したアブシャロムは、参謀アヒトフェルの助言に従って、ダビデのそばめたちと白昼公然と関係を結びます。（3）その同じ日に、アヒトフェルは第二の助言を提出します。それは実に的を射た助言でした。（4）アヒトフェルが出した第二の助言とは、ダビデをその夜のうちに急襲するということでした。アヒトフェルは、1万2,000の精兵を選んで、自らが急襲隊を指揮すると提案します。（5）もしそうなれば、ショックと逃亡の旅とで疲れ果てて戦意を喪失しているダビデにとっては大打撃となります。ダビデさえ死んでしまえば、ダビデに従う民はアブシャロムのもとに帰らざるを得なくなります。<br>アヒトフェルのこの作戦は、実に見事なものであり、アブシャロムと長老たちを感心させるに余りあるものでした。</p><p><br/></p><p><strong>人の序言と神の権威</strong></p><p>もしアヒトフェルの助言がそのまま採用されていたなら、ダビデは殺され、アブシャロムの王位が確立していたことでしょう。しかし、神はそれをお許しになりませんでした。アヒトフェルの最初の助言（後宮を継承するということ）は、実行に移されました。それは、ダビデを懲らしめ訓練するためでした。しかし、アヒトフェルの第二の助言は退けられることになります。それは、ソロモンがダビデの後継者になるというのが神の計画であったからです。<br>アブシャロムはアヒトフェルの第二の助言に対して何らかの不安を感じたようです。それで、フシャイの助言も求めることになります。今のことばで言えば、「セカンドオピニオン」を求めたのです。きょうの箇所から得られる教訓は、すべての人間の判断の背後に神の御手があるということです。神は思いのままに人の心を開いたり閉じたりすることのできるお方です。あなたは神の計画に逆らってことを成そうとしていませんか。神のみこころにそって祈り、神のみこころにそって行動する人は幸いです。そのような人は、神からの祝福を受けることができます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。あなたのみこころに反する助言を私の耳から遠ざけてください。私の人生においてあなたのみこころがなりますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-07-29 20:25:31 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二17：5 ～ 14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3532368240</link>
         <description><![CDATA[<p>5 しかしアブシャロムは言った。「アルキ人フシャイを呼び出し、彼の言うことも聞いてみよう。」</p><p>6 フシャイがアブシャロムのところに来ると、アブシャロムは彼に次のように言った。「アヒトフェルはこのように言ったが、われわれは彼のことばに従ってよいものだろうか。もしいけなければ、あなたの意見を述べてみなさい。」</p><p>7 するとフシャイはアブシャロムに言った。「このたびアヒトフェルの立てたはかりごとは良くありません。」</p><p>8 フシャイはさらに言った。「あなたは父上とその部下が戦士であることをご存じです。しかも彼らは、野で子を奪われた雌熊めぐまのように気が荒くなっています。また、あなたの父上は戦いに慣れた方ですから、民といっしょには夜を過ごさないでしょう。</p><p>9 きっと今、ほら穴か、どこか、そんな所に隠れておられましょう。もし、民のある者が最初に倒れたら、それを聞く者は、『アブシャロムに従う民のうちに打たれた者が出た。』と言うでしょう。</p><p>10 そうなると、たとい、獅子ししのような心を持つ力ある者でも、気がくじけます。全イスラエルは、あなたの父上が勇士であり、彼に従う者が力ある者であるのをよく知っています。</p><p>11 私のはかりごとはこうです。全イスラエルをダンからベエル・シェバに至るまで、海辺の砂のように数多くあなたのところに集めて、あなた自身が戦いに出られることです。</p><p>12 われわれは、彼を見つけしだい、その場で彼を攻め、露が地面に降りるように彼を襲い、彼や、共にいるすべての兵士たちを、ひとりも生かしておかないのです。</p><p>13 もし彼がさらにどこかの町にはいるなら、全イスラエルでその町に綱つなをかけ、その町を川まで引きずって行って、そこに一つの石ころも残らないようにしましょう。」</p><p>14 アブシャロムとイスラエルの民はみな言った。「アルキ人フシャイのはかりごとは、アヒトフェルのはかりごとよりも良い。」これは主がアブシャロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれたはかりごとを打ちこわそうと決めておられたからであった。</p><p><br/></p><p><strong>フシャイの助言</strong></p><p><strong>アブシャロムの不安</strong></p><p>前回の箇所で、名参謀アヒトフェルはダビデ急襲の作戦を提案しています。この作戦は実に見事なものなのですが、アブシャロムはいくばくかの不安を感じたようです。それで彼は、もうひとりの参謀フシャイの意見も聞いてみたくなります。フシャイはダビデが送り込んだスパイでした。アブシャロムの心の揺らぎは、神がそうなるように仕向けたものです。神は人の心をも支配しておられることを覚え、指導的な立場にある人々の心が変えられるように祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>フシャイの知恵</strong></p><p>アブシャロムから助言を求められたフシャイは、実に知恵ある答え方をしています。（1）彼は、「このたびアヒトフェルの立てたはかりごとは良くありません」と答えています。アヒトフェルの参謀としての有能さは認めつつ、今回の提案だけは問題があると言っているのです。（2）フシャイは、ダビデに時間稼ぎをさせるために、急襲作戦を断念させるような方向にもって行こうとします。「ダビデひとりを殺すといっても、彼は百戦錬磨ひゃくせんれんまのつわものだから、今頃は穴倉に隠れているに違いない。ダビデを見付ける前に、アブシャロム軍のだれかが打ち殺されるようなことにでもなれば、アブシャロム軍の士気は一気に下がってしまう。それよりも、国の最北端から最南端まで、数え切れないほどの兵士を集め、アブシャロム自身が指揮を執とって総攻撃をかけるべきである」。（3）フシャイの提案は、アブシャロムのプライドをくすぐったようです。この提案は、アブシャロムと民全体とに受け入れられました。<br>アヒトフェルの作戦が棄却ききゃくされ、フシャイのそれが採択されたのは、実に不思議なことです。しかし、信仰者である私たちは、その背後に主の御手があったことを見ることができます。神の計画は、アブシャロムではなくソロモンがダビデの後継者になるというものでした。その計画が成就するために、神はアブシャロムの判断力を鈍らせ、彼の身に破滅をもたらされたのです。再度くり返しますが、すべての人間の判断の背後には神の御手があります。神は思いのままに人の心を開いたり閉じたりされます。神のみこころにそって祈り、神のみこころにそって行動する人は幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。あなたは大いなるお方です。あなたがすべてを支配しておられることを前提に、ものごとの判断をすることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=et9y7fSQJPc" />
         <pubDate>2025-07-30 20:59:58 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二17：15 ～ 23</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3533292418</link>
         <description><![CDATA[<p>15 フシャイは祭司ツァドクとエブヤタルに言った。「アヒトフェルは、アブシャロムとイスラエルの長老たちにこれこれの助言をしたが、私は、これこれの助言をした。</p><p>16 今、急いで人をやり、ダビデに、『今夜は荒野の草原で夜を過ごしてはいけません。ほんとうに、ぜひ、あちらへ渡って行かなければなりません。でないと、王をはじめ、いっしょにいる民全部にわざわいが降りかかるでしょう。』と告げなさい。」</p><p>17 ヨナタンとアヒマアツはエン・ロゲルにとどまっていたが、ひとりの女奴隷が行って彼らに告げ、彼らがダビデ王に告げに行くようになっていた。これは彼らが町にはいるのを見られることのないためであった。</p><p>18 ところが、ひとりの若者が彼らを見て、アブシャロムに告げた。そこで彼らふたりは急いで去り、バフリムに住むある人の家に行った。その人の庭に井戸があったので、彼らはその中に降りた。</p><p>19 その人の妻は、おおいを持って来て、井戸の口の上に広げ、その上に麦をまき散らしたので、だれにも知られなかった。</p><p>20 アブシャロムの家来たちが、その女の家に来て言った。「アヒマアツとヨナタンはどこにいるのか。」女は彼らに答えた。「あの人たちは、ここを通り過ぎて川のほうへ行きました。」彼らは、捜したが見つけることができなかったので、エルサレムへ帰った。</p><p>21 彼らが去って後、ふたりは井戸から上がって来て、ダビデ王に知らせに行った。彼らはダビデに言った。「さあ、急いで川を渡ってください。アヒトフェルがあなたがたに対してこれこれのはかりごとを立てたからです。」</p><p>22 そこで、ダビデと、ダビデのもとにいたすべての者たちとは出発して、ヨルダン川を渡った。夜明けまでにヨルダン川を渡りきれなかった者はひとりもいなかった。</p><p>23 アヒトフェルは、自分のはかりごとが行なわれないのを見て、ろばに鞍を置き、自分の町の家に帰って行き、家を整理して、首をくくって死に、彼の父の墓に葬られた。</p><p><br/></p><p><strong>危険に遭遇する使者たち</strong></p><p><strong>情報のネットワーク</strong></p><p>ダビデに情報を伝えるネットワークができていました。宮廷内にいるフシャイから、次のように情報が伝達されます。フシャイ→ツァドクとエブヤタル（祭司たち）→女奴隷→ヨナタンとアヒマアツ（祭司の息子たちでエルサレムの外にとどまっていた）→ダビデ。（1）フシャイは、アブシャロムが心変わりしてダビデとその一行を急襲することを恐れました。そこで彼は、速やかにヨルダン川を渡るようにダビデに伝えます。（2）ところが、途中でヨナタンとアヒマアツがひとりの若者にその姿を見られてしまいます。彼らは急いでバフリムにある同士の家に逃げ込み、井戸の中に身を隠します。（3）そのとき、その同士の妻が井戸の上に覆いを広げ、その上に麦をまき散らします。この女は、エリコの遊女ラハブの話を知っていたのでしょう（ヨシュア記2：1～7）。（4）その後ふたりの使者は無事にダビデのもとに着きました。ダビデとその一行は、フシャイの助言に従い、その夜のうちに全員ヨルダン川を渡りました。<br>ラハブの嘘は罪かどうかということがよく問題になりますが、ここでも同じ疑問がわいてきます。私はこう考えています。（1）これは戦争の中で起こったこと、戦術の一部です。（2）ラハブもこの同士の妻も、いのちの危険を冒して斥候せっこう（使者）を助けています。このような行為を罪と呼ぶべきではありません。（3）聖書のどこにも、彼女たちの嘘を糾弾きゅうだんしているような箇所はありません。新約聖書は、ラハブの信仰を高く評価しています（ヘブル11：31、ヤコブ2：25）。「蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい」（マタイ10：16）というのが聖書の教えです。あなたはいかがですか。</p><p><br/></p><p><strong>アヒトフェルの自殺</strong></p><p>アヒトフェルの自殺の原因は何でしょうか。彼は見通しのきく知謀ちぼう家でした。自分の案が棄却された瞬間、彼はこの戦いは敗北で終わると見抜いたのでしょう。どうせ敗戦になるなら、裏切り者として処刑されるよりは、自分でいのちを断ったほうがいいと考えたのでしょう。彼は故郷の町ギロに帰り、家を整理してから首をくくって死にました。名参謀を失ったアブシャロムには、もはや勝利のチャンスは残されていませんでした。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。どうか蛇のようにさとく、鳩のようにすなおになることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=52CV8GcI2bU" />
         <pubDate>2025-07-31 21:11:03 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3533292418</guid>
      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二17：24 ～ 29</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3533926168</link>
         <description><![CDATA[<p>24 ダビデがマハナイムに着いたとき、アブシャロムは、彼とともにいるイスラエルのすべての人々とヨルダン川を渡った。</p><p>25 アブシャロムはアマサをヨアブの代わりに軍団長に任命していた。アマサは、ヨアブの母ツェルヤの妹ナハシュの娘アビガルと結婚したイシュマエル人イテラという人の息子であった。</p><p>26 こうして、イスラエルとアブシャロムはギルアデの地に陣を敷いた。</p><p>27 ダビデがマハナイムに来たとき、アモン人でラバの出のナハシュの子ショビと、ロ・デバルの出のアミエルの子マキルと、ログリムの出のギルアデ人バルジライとは、</p><p>28 寝台、鉢はち、土器、小麦、大麦、小麦粉、炒いり麦むぎ、そら豆、レンズ豆、</p><p>29 蜂蜜、凝乳ぎょうにゅう、羊、牛酪ぎゅうらくを、ダビデとその一行の食糧として持って来た。彼らは民が荒野で飢えて疲れ、渇いていると思ったからである。</p><p><br/></p><p><strong>ヨルダンの東でのダビデとアブシャロム</strong></p><p><strong>マハナイム到着</strong></p><p>神を信じていても、予期せぬ苦難や試練が襲って来ます。しかし、いかなる試練の中でも神が私たちから去ることはありません。それどころか、思いがけないところから助けの手が差し伸べられます。<br>エルサレムをのがれたダビデは、ヨルダン川を渡りマハナイムに到着します。（1）ここはかつてイシュ・ボシェテが都を築いた所です。ダビデはそこを拠点として戦闘体勢を整えます。（2）アブシャロムも大軍を招集した後、ヨルダン川を渡って来ました。フシャイの助言が有効に働いたため、ダビデには体勢を立て直すための時間が与えられたのです。（3）ダビデ側の将軍はヨアブでした。アブシャロムはそれにならって、アマサという人物を将軍に任じました。アマサはアブシャロムにとってもヨアブにとっても、従兄弟に当たる人物です。（4）アブシャロムはギルアデの地に陣を敷いて戦いに備えました。これで、両者が激突する準備が整いました。</p><p><br/></p><p><strong>予期せぬ助け</strong></p><p>家族から裏切られ、今や骨肉の戦いを開始せねばならなくなったダビデの心は、どれほど痛んだことでしょうか。そのダビデの元に、予期せぬところから助けの手が差し伸べられました。3人の人物が大量の物資をもってダビデを見舞ったのです。（1）かつてダビデがその兄弟と戦ったことのあるアモン人ショビ、（2）メフィボシェテの世話をしていたマキル、（3）老人バルジライの3人がそれです。<br>その日運び込まれた物資の長いリストが記録されています。「（彼らは）寝台、鉢、土器、小麦、大麦、小麦粉、炒り麦、そら豆、レンズ豆、蜂蜜、凝乳、羊、牛酪を、ダビデとその一行の食糧として持って来た」。食物の蓄えなしにエルサレムを出て来たダビデにとって、これは何よりの贈り物でした。この3人がしたことは、いつまでも聖書の記録にとどめられることになりました。今、主イエスのこのことばを思い起こしましょう。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」（マタイ25：40）。予期せぬ助け手となることを目指す人生は、冒険と幸いに満ちた人生です。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。どうか私を、予期せぬ助け手として用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-08-01 21:01:10 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>サムエル記第二18：1 ～ 8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3534244363</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ダビデは彼とともにいる民を調べて、彼らの上に千人隊の長、百人隊の長を任命した。</p><p>2 ダビデは民の三分の一をヨアブの指揮のもとに、三分の一をヨアブの兄弟ツェルヤの子アビシャイの指揮のもとに、三分の一をガテ人イタイの指揮のもとに配置した。王は民に言った。「私自身もあなたがたといっしょに出たい。」</p><p>3 すると民は言った。「あなたが出てはいけません。私たちがどんなに逃げても、彼らは私たちのことは何とも思わないでしょう。たとい私たちの半分が死んでも、彼らは私たちのことは心に留めないでしょう。しかし、あなたは私たちの一万人に当たります。今、あなたは町にいて私たちを助けてくださるほうが良いのです。」</p><p>4 王は彼らに言った。「あなたがたが良いと思うことを、私はしよう。」王は門のそばに立ち、すべての民は、百人、千人ごとに出て行った。</p><p>5 王はヨアブ、アビシャイ、イタイに命じて言った。「私に免じて、若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ。」民はみな、王が隊長たち全部にアブシャロムのことについて命じているのを聞いていた。</p><p>6 こうして、民はイスラエルを迎え撃つために戦場へ出て行った。戦いはエフライムの森で行なわれた。</p><p>7 イスラエルの民はそこでダビデの家来たちに打ち負かされ、その日、その場所で多くの打たれた者が出、二万人が倒れた。</p><p>8 戦いはこの地一帯に散り広がり、この日、剣で倒された者よりも、密林で行ゆき倒れになった者のほうが多かった。</p><p><br></p><p><strong>戦闘</strong></p><p><strong>ダビデ軍の組織化</strong></p><p>歴戦のつわものであるダビデは、戦闘のために万全の備えをしています。（1）ダビデは千人隊長、百人隊長を任命しました。（2）さらにダビデは、全部隊を三つの分隊に分け、ヨアブ、アビシャイ、イタイに分隊の指揮をゆだねました。イタイはガテ人（ペリシテ人）です。ダビデがいかにこのイタイを信頼していたかがわかります。（3）ダビデは、自分もまたこの迎撃に参加したいと申し出ています。兵士たちに精神的支援を提供するためです。しかし部下たちは、ダビデは民の1万人に匹敵する王だから、危険を冒さず町に残って指揮を取ってほしいと願いました。（4）ダビデはその願いを聞き入れ、町にとどまります。<br>このときダビデは、3人の指揮官に、アブシャロムをゆるやかに扱ってくれと助命の依頼をしています。この依頼は、すべての民の知るところとなりました。もしアブシャロムを殺すなら、それは王への背信行為となります。</p><p><br></p><p><strong>密林での戦い</strong></p><p>ダビデの部下たちは、ギルアデ側のエフライムの森を戦場に選びました。（1）彼らには、事前にその森の地形や状態を調査する時間の余裕があったのでしょう。（2）この森での戦いで、アブシャロム軍は大敗を喫し、その場で2万人が戦死しました。戦場の状態を知っていたダビデ軍が圧倒的に有利に戦いを進めた結果でした。（3）2万人の戦死者の半数以上が、密林で行き倒れになりました。つまり、沼に足を取られたり、洞窟に迷い込んだりして、死んだということです。かくしてイスラエルの民は、主に油注がれた者に反抗して立ち上がるならどのような災難を身に受けるかを知ったのです。<br>アブシャロムは、ダビデだけを殺せばよいと考えていました。一方ダビデは、自軍の兵士たちのいのちよりもアブシャロムのいのちのほうが大切だと考えていました。わが子を思う父の愛が滲にじみ出ています。父なる神と罪人との関係も、これと似ています。私たちが神を神とも思わないで生きていた時から、神は私たちのいのちを「ゆるやかに扱う」ことにしておられたのです。神は御子イエスを犠牲にしてまで、私たちを愛してくださいました。きょうもその愛に応答して生きようではありませんか。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私のいのちをかくも大切なものと見なしてくださり感謝します。あなたの愛に応答して生きることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-08-02 21:42:01 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二18：9 ～ 18</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3534548727</link>
         <description><![CDATA[<p>9 アブシャロムはダビデの家来たちに出会った。アブシャロムは騾馬らばに乗っていたが、騾馬が大きな樫かしの木きの茂った枝の下を通ったとき、アブシャロムの頭が樫の木に引っ掛かり、彼は宙づりになった。彼が乗っていた騾馬はそのまま行った。</p><p>10 ひとりの男がそれを見て、ヨアブに告げて言った。「今、アブシャロムが樫の木に引っ掛かっているのを見て来ました。」</p><p>11 ヨアブはこれを告げた者に言った。「いったい、おまえはそれを見ていて、なぜその場で地に打ち落とさなかったのか。私がおまえに銀十枚と帯一本を与えたのに。」</p><p>12 その男はヨアブに言った。「たとい、私の手に銀千枚をいただいても、王のお子さまに手は下せません。王は私たちの聞いているところで、あなたとアビシャイとイタイとに、『若者アブシャロムに手を出すな。』と言って、お命じになっているからです。</p><p>13 もし、私が自分のいのちをかけて、命令にそむいていたとしても、王には、何も隠すことはできません。そのとき、あなたは知らぬ顔をなさるでしょう。」</p><p>14 ヨアブは、「こうしておまえとぐずぐずしてはおられない。」と言って、手に三本の槍を取り、まだ樫の木の真ん中に引っ掛かったまま生きていたアブシャロムの心臓を突き通した。</p><p>15 ヨアブの道具持ちの十人の若者たちも、アブシャロムを取り巻いて彼を打ち殺した。</p><p>16 ヨアブが角笛つのぶえを吹き鳴らすと、民はイスラエルを追うのをやめて帰って来た。ヨアブが民を引き止めたからである。</p><p>17 人々はアブシャロムを取り降ろし、森の中の深い穴に投げ込み、その上に非常に大きな石くれの山を積み上げた。イスラエルはみな、おのおの自分の天幕に逃げ帰っていた。</p><p>18 アブシャロムは存命中、王の谷に自分のために一本の柱を立てていた。「私の名を覚えてくれる息子が私にはいないから。」と考えていたからである。彼はその柱に自分の名をつけていた。それは、アブシャロムの記念碑と呼ばれた。今日もそうである。</p><p><br/></p><p><strong>アブシャロムの死</strong></p><p><strong>樫の木に宙づりになるアブシャロム</strong></p><p>アブシャロムはフシャイの助言に従って自ら全軍を率いて戦闘に出てきました。（1）騾馬に乗って森を走り抜けていたとき、彼は繁茂はんもした樫の木の枝に頭を取られ、宙づりになってしまいます。（2）ある兵士が、そのことを将軍ヨアブに報告します。（3）ヨアブは、なぜそのまま放っておくのか、もしいのちを奪っていたなら、褒賞金ほうしょうきん（銀10枚と帯1本）を与え、昇進させてやったのにと叱責します。（4）しかしその兵士は、自分はダビデの命令に忠実に振る舞ったのであって、間違ってはいないと反論します。（5）ヨアブはその兵士を残したまま、ただちにアブシャロムの元に直行し、宙づりになっていたアブシャロムの心臓を槍で突き刺します。（6）ヨアブの道具持ちたち10人も協力して、その場でアブシャロムを打ち殺します。<br>ここでも、ヨアブの残虐な性質が現われています。ダビデの命令を守ったあの兵士は、正しかったのです。彼は、「もし、私が自分のいのちをかけて、命令にそむいていたとしても、王には、何も隠すことはできません」と語っていました。私たちも、この兵士が王に対して抱いた畏怖の念を、王の王であるイエス・キリストに対して抱くべきです。</p><p><br/></p><p><strong>アブシャロムの埋葬</strong></p><p>アブシャロムが死ねば戦いは終わりです。（1）ヨアブが角笛を吹いて戦いの終結を知らせると、兵士たちが引き返して来ました。（2）美貌を誇っていた王子アブシャロムは無残な姿となり、深い穴に投げ込まれます。その上に、石くれの山が積み上げられました。これは、死者を辱めるためのものです（ヨシュア記7：26参照）。（3）アブシャロムはエルサレム近郊の「王の谷」に、生前自分で自分の記念碑を立てていました。これは、3人の息子たちが若くして死んだため、自ら建立した柱でした。この記念碑が、彼にとっては墓の役割を果たすようになりました。<br>若者たちは、アブシャロムの死から教訓を学ぶべきです。主に反抗する者、主に油注がれた者を攻撃する者、両親を侮辱する者は、このように悲惨な結果を刈り取ることになります。私たちをそのような過ちから救ってくれるものは、「主を恐れるところから来る知恵」しかありません。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。どうか私に知恵を与えてください。アブシャロムの失敗から教訓を学ばせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-08-03 21:23:13 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二18：19 ～ 33</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3535296801</link>
         <description><![CDATA[<p>19 ツァドクの子アヒマアツは言った。「私は王のところへ走って行って、主が敵の手から王を救って王のために正しいさばきをされたと知らせたいのですが。」</p><p>20 ヨアブは彼に言った。「きょう、あなたは知らせるのではない。ほかの日に知らせなさい。きょうは、知らせないがよい。王子が死んだのだから。」</p><p>21 ヨアブはクシュ人に言った。「行って、あなたの見たことを王に告げなさい。」クシュ人はヨアブに礼をして、走り去った。</p><p>22 ツァドクの子アヒマアツは再びヨアブに言った。「どんなことがあっても、やはり私もクシュ人のあとを追って走って行きたいのです。」ヨアブは言った。「わが子よ。なぜ、あなたは走って行きたいのか。知らせに対して、何のほうびも得られないのに。」</p><p>23 「しかしどんなことがあっても、走って行きたいのです。」ヨアブは「走って行きなさい。」と言った。アヒマアツは低地への道を走って行き、クシュ人を追い越した。</p><p>24 ダビデは二つの門の間にすわっていた。見張りが城壁の門の屋根に上り、目を上げて見ていると、ただひとりで走って来る男がいた。</p><p>25 見張りが王に大声で告げると、王は言った。「ただひとりなら、吉報だろう。」その者がしだいに近づいて来たとき、</p><p>26 見張りは、もうひとりの男が走って来るのを見た。見張りは門衛に叫んで言った。「ひとりで走って来る男がいます。」すると王は言った。「それも吉報を持って来ているのだ。」</p><p>27 見張りは言った。「先に走っているのは、どうやらツァドクの子アヒマアツのように見えます。」王は言った。「あれは良い男だ。良い知らせを持って来るだろう。」</p><p>28 アヒマアツは大声で王に「ごきげんはいかがでしょうか。」と言って、地にひれ伏して、王に礼をした。彼は言った。「あなたの神、主がほめたたえられますように。主は、王さまに手向かった者どもを、引き渡してくださいました。」</p><p>29 王が、「若者アブシャロムは無事か。」と聞くと、アヒマアツは答えた。「ヨアブが王の家来のこのしもべを遣わすとき、私は、何か大騒ぎの起こるのを見ましたが、何があったのか知りません。」</p><p>30 王は言った。「わきへ退いて、そこに立っていなさい。」そこで彼はわきに退いて立っていた。</p><p>31 するとクシュ人が入って来て言った。「王さまにお知らせいたします。主は、きょう、あなたに立ち向かうすべての者の手から、あなたを救って、あなたのために正しいさばきをされました。」</p><p>32 王はクシュ人に言った。「若者アブシャロムは無事か。」クシュ人は答えた。「王さまの敵、あなたに立ち向かって害を加えようとする者はすべて、あの若者のようになりますように。」</p><p>33 すると王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの悲嘆</strong></p><p><strong>ふたりの伝令</strong></p><p>アヒマアツは、足の早い伝令で、性格も良い人物でした。（1）彼は、戦勝の吉報をダビデにもたらす役をぜひ自分にさせてほしいとヨアブに申し出ます。（2）しかしヨアブは、今回の報告にはアブシャロム死亡の悲報も含まれているため、アヒマアツではなくてクシュ人（エチオピヤ人）を派遣することにします。外国人なら、ダビデの怒りをかうことはないと判断したからです。（3）ところが、アヒマアツが自分を行かせてほしいと最後まで食い下がったために、ついにヨアブはそれを許します。（4）アヒマアツは、ヨルダンの低地を選んで走りました。距離的には遠くなりますが、クシュ人の伝令が走った山岳コースよりもはるかに走りやすい道です。そして、ついにクシュ人を追い抜きます。</p><p><br/></p><p><strong>吉報を待つダビデ</strong></p><p>ダビデは、二つの門の間にすわり、ひたすら吉報を待っていました。（1）最初の伝令がアヒマアツであると確認されたとき、ダビデは、彼は良い男だから良いニュースを持って来たに違いないと思います。（2）王の前にひれ伏したアヒマアツは、アブシャロムの死には触れずに、戦勝報告だけをします。王からアブシャロムの安否を聞かれると、彼はあいまいな返事をしています。どうやら彼は、クシュ人よりも先に着いて戦勝報告だけをしようと考えていたようです。（3）続いて到着したクシュ人に、ダビデは再びアブシャロムの安否を尋ねます。するとクシュ人は、アブシャロムが死んだことを王に報告します。<br>ダビデは打ちのめされました。彼は愛する息子の名を呼びながら、屋上の一室に閉じこもって泣き、自分が代わりに死ねばよかったと悔やみ続けました。ダビデの度を超えた悲しみ方を非難する人もいますが、ここでのダビデの姿の中に、父なる神のイメージを見て取る人もいます。アブシャロムは反逆児であり、滅ぼされて当然の息子でした。その彼のために、ダビデは悲嘆に暮れ、自分が身代わりになってやりたかったと嘆いたのです。天の父もまた、罪人の姿を見て涙しておられます。天の父は、御子イエスを十字架にかけることによって私たちに対する愛を明らかにされました。「神は愛なり」というのは本当です。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。あなたの愛は真実であり、永遠に変わることがありません。きょうも、あなたの愛に応答して生きることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-08-04 20:25:19 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二19：1 ～ 8a</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3536259805</link>
         <description><![CDATA[<p>1 そうこうするうちに、ヨアブに、「今、王は泣いて、アブシャロムのために、喪に服しておられる。」という報告がされた。</p><p>2 それで、この日の勝利は、すべての民の嘆きとなった。この日、民が、王がその子のために悲しんでいる、ということを聞いたからである。</p><p>3 民はその日、まるで戦場から逃げて恥じている民がこっそり帰るように、町にこっそり帰って来た。</p><p>4 王は顔をおおい、大声で、「わが子アブシャロム。アブシャロムよ。わが子よ。わが子よ。」と叫んでいた。</p><p>5 ヨアブは王の家に行き、王に言った。「あなたは、きょう、あなたのいのちと、あなたの息子、娘たちのいのち、それに、あなたの妻やそばめたちのいのちを救ったあなたの家来たち全部に、きょう、恥をかかせました。</p><p>6 あなたは、あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるからです。あなたは、きょう、隊長たちも家来たちも、あなたにとっては取るに足りないことを明らかにされました。今、私は知りました。もしアブシャロムが生き、われわれがみな、きょう死んだのなら、あなたの目にかなったのでしょう。</p><p>7 それで今、立って外に行き、あなたの家来たちに、ねんごろに語ってください。私は主によって誓います。あなたが外においでにならなければ、今夜、だれひとりあなたのそばに、とどまらないでしょう。そうなれば、そのわざわいは、あなたの幼いころから今に至るまでにあなたに降りかかった、どんなわざわいよりもひどいでしょう。」</p><p>8a それで、王は立って、門のところにすわった。人々がすべての民に、「見よ。王は門のところにすわっておられる。」と知らせたので、すべての民は、王の前にやって来た。</p><p><br/></p><p><strong>ヨアブの脅迫</strong></p><p><strong>激しいことば</strong></p><p>ダビデの悲嘆は続いていました。彼にはアブシャロムの死以外のものは見えていなかったのでしょう。そのため、勝利の凱旋がいせんをするはずであった兵士たちは、まるで敗軍の兵士がするように、こっそりと帰還して来ました。ダビデが悲嘆に暮れている様子を見て、ヨアブが抗議にやって来ます。彼は激しいことばを用いて王を叱責し、脅迫まがいのことをしています。ヨアブはこう語ったのです。「王のしていることは、王とその家族のいのちを救うためにいのちがけで戦い、勝利してきた家来たちを辱めることにほかならない。王は自分を憎む者を愛し、自分を愛する者を憎んでいると思われても仕方のないことをしている。息子のアブシャロムだけが生き残り、部下全部が死んでいたほうがよかったのか。さあ、すぐに出て行って、家来たちにねぎらいのことばをかけてやってほしい。さもなくば、ひとり残らず王のもとから去ってしまうことになる」。<br>ダビデはヨアブの忠告に耳を傾け、ようやく民の前に姿を現わし、その労をねぎらいます。</p><p><br/></p><p><strong>ヨアブとダビデ</strong></p><p>自分よりも上位の者が明らかに過ちを犯しているため、どうしても忠告せねばならない場合があるでしょう。しかし、そのような場合でも敬意を払いつつ慎重にことばを選ぶ必要があります。柔らかなことばであっても、真意はよく伝わるはずです。ここでのヨアブのことばは、実に失礼で聞き苦しいものです。王の命令に背いてアブシャロムを殺したのは彼です。本来残忍な性質を持っていたこの男には、王に対する畏敬の念がなかったようです。<br>一方ダビデは、ヨアブの激しいことばによって激怒することもなく、その中にある教訓を読み取ることができました。ダビデの心には、ヨアブに対する不信と怒りの感情があったことでしょうが、彼はそれを内にしまったまま民の前に姿を現わしました。「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。‥‥泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある」（伝道者3章）という原則をダビデは実行したのです。私たちは、ヨアブとダビデの両者から教訓を学ぶことができます。ヨアブの傲慢を避け、ダビデの謙遜を求めましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天地創造の神よ。どうか私を傲慢の罪、言い過ぎの罪から守ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=Y0P2SEgeLU4" />
         <pubDate>2025-08-05 21:20:41 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二19：8b ～ 15</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3537195488</link>
         <description><![CDATA[<p>8b 一方、イスラエル人は、おのおの自分たちの天幕に逃げ帰っていた。</p><p>9 民はみな、イスラエルの全部族の間で、こう言って争っていた。「王は敵の手から、われわれを救い出してくださった。王はわれわれをペリシテ人の手から助け出してくださった。ところが今、王はアブシャロムのために国外に逃げておられる。</p><p>10 われわれが油をそそいで王としたアブシャロムは、戦いで死んでしまった。それなのに、あなたがたは今、王を連れ戻すために、なぜ何もしないでいるのか。」</p><p>11 ダビデ王は祭司ツァドクとエブヤタルに人をやって言わせた。「ユダの長老たちにこう言って告げなさい。『全イスラエルの言っていることが、ここの家にいる王の耳に届いたのに、あなたがたは、なぜ王をその王宮に連れ戻すのをためらっているのか。</p><p>12 あなたがたは、私の兄弟、私の骨肉こつにくだ。それなのに、なぜ王を連れ戻すのをためらっているのか。』</p><p>13 またアマサにも言わなければならない。『あなたは、私の骨肉ではないか。もしあなたが、ヨアブに代わってこれからいつまでも、私の将軍にならないなら、神がこの私を幾重にも罰せられるように。』」</p><p>14 こうしてダビデは、すべてのユダの人々を、あたかもひとりの人の心のように自分になびかせた。ユダの人々は王のもとに人をやって、「あなたも、あなたの家来たちもみな、お帰りください。」と言った。</p><p>15 そこで王は帰途につき、ヨルダン川に着くと、ユダの人々は、王を迎えてヨルダン川を渡らせるためにギルガルに来た。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの復権</strong></p><p><strong>イスラエルの部族の声</strong></p><p>アブシャロムが死んだ後、ダビデの復権に向けて事態は急変します。まず変化が起こったのは、敵であったイスラエルの部族の間においてでした。（1）彼らは、アブシャロムの側についてみたものの、結局アブシャロムは死んでしまったことを重く受け止めました。（2）彼らは、アブシャロムの側に付いた指導者たちの責任を激しく追求しました。（3）彼らは、ダビデの功績の数々（ペリシテ人を始めとする敵に対する勝利）を思い出し、ダビデの統治を慕い懐かしむようになりました。ダビデを王位に迎えようという声は日増しに大きくなりました。</p><p><br/></p><p><strong>ユダ部族への働きかけ</strong></p><p>この時点でダビデはエルサレムに凱旋し、反逆者たちを処罰することもできました。しかし彼は、平和的方法を選びました。ユダ部族の者たちから歓迎されて初めて、都に帰還するという方法です。（1）ダビデはイスラエルの諸部族から歓迎されているという事実を効果的に用います。祭司ツァドクとエブヤタルとを派遣し、ユダの長老たち（叛乱はんらんに加担した張本人たち）にダビデを王宮に迎えるように説得させます。（2）またダビデは、アブシャロムに手を下したヨアブに代えてアマサを将軍に取り立てることを約束します。アマサもまた叛乱を指揮した人物ですので、この約束にはかなりの危険が伴いました。（3）これらすべてを通して、ダビデは自分には報復と刑罰を行なう意図がないことを表明したのです。（4）これを聞いて、ユダの人々は安堵しました。そして、全員一致で王を迎えに出ることになりました。彼らは、ダビデを迎えるためにヨルダン川まで出向いています。<br>ダビデの平和主義から教訓を学びましょう。ダビデは民から招かれない限り、エルサレムに帰還することはありませんでした。主イエスもまたそのような思いを持っておられます。主は私たちが歓迎しない限り、無理に私たちの心に押し入ろうとはなさいません。主は、「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」（黙示3：20）と語っておられます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。今心に、主イエスをお迎えします。どうぞお入りください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=egOBoEGqJw8" />
         <pubDate>2025-08-06 20:38:44 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二19：16 ～ 23</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3538058605</link>
         <description><![CDATA[<p>16 バフリムの出のベニヤミン人、ゲラの子シムイは、ダビデ王を迎えようと、急いでユダの人々といっしょに下って来た。</p><p>17 彼は千人のベニヤミン人を連れていた。サウルの家のしもべツィバも、十五人の息子、二十人の召使いを連れて、王が渡る前にヨルダン川に駆けつけた。</p><p>18 そして彼は、王の家族を渡らせるために渡しを渡って行き、王が喜ぶことをした。ゲラの子シムイも、ヨルダン川を渡って行って、王の前に倒れ伏して、</p><p>19 王に行った。「わが君。どうか私の咎とがを罰しないでください。王さまが、エルサレムから出て行かれた日に、このしもべが犯した咎を、思い出さないでください。王さま。心に留めないでください。</p><p>20 このしもべは、自分の犯した罪を認めましたから、ご覧のとおり、きょう、ヨセフのすべての家に先立って、王さまを迎えに下ってまいりました。」</p><p>21 ツェルヤの子アビシャイは口をはさんで言った。「シムイは、主に油そそがれた方をのろったので、そのために死に値するのではありませんか。」</p><p>22 しかしダビデは言った。「ツェルヤの子らよ。あれは私のことで、あなたがたには、かかわりのないことだ。あなたがたは、きょう、私に敵対しようとでもするのか。きょう、イスラエルのうちで、人が殺されてよいだろうか。私が、きょう、イスラエルの王であることを、私が知らないとでもいうのか。」</p><p>23 そして王はシムイに、「あなたを殺さない。」と言って彼に誓った。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの寛容</strong></p><p><strong>シムイの謝罪</strong></p><p>ダビデを迎えるためにまっ先にやって来たのが、シムイです。（1）彼はベニヤミン人で、サウルの一族のゲラの子です。彼は、ダビデがアブシャロムからのがれているときにバフリムで彼に会い、ダビデを口汚くののしり、石やちりを投げ付けたことがありました（16：5）。（2）シムイは自らの行為を深く反省し、同族の者1,000人を引き連れてやって来ました。（3）サウル家の家令ツィバも、大勢の息子やしもべたちを連れて駆け付けて来ました。（4）シムイはヨルダン川を渡って行って、王の前にひれ伏し、先の非礼と侮辱を謝罪し、ダビデに赦しを請いました。<br>シムイの姿勢の中に、罪人が取るべき態度がよく表わされています。自らの非を認めたなら、時を移さず、全面的に謝罪すべきなのです。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの応答</strong></p><p>都落ちの際、シムイの仕打ちに激昂げっこうしたアビシャイは、シムイを死刑に処すことを主張しました。ダビデに対する熱心が、彼をしてそうさせたのです。（1）しかしダビデは、「あれは自分のことであって、あなたには関係のないことである」とアビシャイをたしなめます。（2）また、和解の日を血で汚してはならないとアビシャイに教えます。（3）もしシムイの死刑を要求するなら、それは自分に敵対することであると、きびしく命じます。<br>ダビデはシムイに、「あなたを殺さない」と語りかけます。その上ダビデは、誓いまでしています。ユダヤ人にとっては、誓うことは重大な意味を持っています。ダビデは生涯、その誓いを守り通しました。ダビデの内に、主イエスの姿を見ることができます。死刑を要求するアビシャイのことばは、サタンの要求を象徴しています。しかし、罪人が自らの罪を悔いて主イエスの前にひれ伏すなら、主は必ず赦してくださいます。主は今も、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」（マタイ11：28）と語っておられます。主の赦しは完全で、永遠です。今主の愛の中で安らぐことを学びましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。主イエスの赦しは完全で、永遠です。その愛に守られていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-08-07 21:10:30 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二19：24 ～ 30</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3538830282</link>
         <description><![CDATA[<p>24 サウルの孫メフィボシェテは、王を迎えに下って来た。彼は、王が出て行った日から無事に帰って来た日まで、自分の足の手入れもせず、爪も切らず、ひげもそらず、着物も洗っていなかった。</p><p>25 彼が王を迎えにエルサレムから来たとき、王は彼に言った。「メフィボシェテよ。あなたはなぜ、私といっしょに来なかったのか。」</p><p>26 彼は答えた。「王さま。私の家来が、私を欺あざむいたのです。このしもべは『私のろばに鞍をつけ、それに乗って、王といっしょに行こう。』と思ったのです。しもべは足のなえた者ですから。</p><p>27 ところが彼は、このしもべのことを、王さまに中傷しました。しかし、王さまは、神の使いのような方です。あなたのお気に召すようにしてください。</p><p>28 私の父の家の者はみな、王さまから見れば、死刑に当たる者に過ぎなかったのですが、あなたは、このしもべをあなたの食卓で食事をする者のうちに入れてくださいました。ですから、この私に、どうして重ねて王さまに訴える権利がありましょう。」</p><p>29 王は彼に言った。「あなたはなぜ、自分の弁解をくり返しているのか。私は決めている。あなたとツィバとで、地所を分けなければならない。」</p><p>30 メフィボシェテは王に言った。「王さまが無事に王宮に帰られて後なら、彼が全部でも取ってよいのです。」</p><p><br/></p><p><strong>メフィボシェテとツィバ</strong></p><p><strong>メフィボシェテの出迎え</strong></p><p>きょうの箇所は、順番としては19章40節以降に出てくるはずのものです。ツィバが登場した（17節）ので、それに続いてメフィボシェテに関する記述になったのでしょう。<br>（1）メフィボシェテは、ダビデの都落ち以来、喪に服したような状態にありました。彼は、爪もひげも伸し放題、衣服も同じものを着たままの状態でした。（2）その姿は、前のツィバの報告が全くの虚偽であったことを示しています。（3）ダビデはメフィボシェテに、なぜいっしょに来なかったのかと責めるような口調で質問しています。（4）それに対してメフィボシェテは、ロバに鞍をつけて行くつもりでいたが、召使いツィバの欺きであとに残されてしまった、その上、彼に中傷までされてしまったと弁解します。（5）さらにメフィボシェテは、「しかし、王さまは、神の使いのような方です。あなたのお気に召すようにしてください」と答えています。「神の使いのような方」とは、真実と嘘とを見分けることのできる方という意味です。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの応答</strong></p><p>ダビデは、メフィボシェテの真実な姿とツィバの偽りとを見抜きました。そこでダビデは、地所を全部ツィバに与えるという先の裁決を撤回して、メフィボシェテとツィバでそれを二分するようにという新しい裁定を下します。（1）おそらくダビデは、ツィバが相当な実力を持っていることを感じ、彼の反感を買うような裁定を避けようとしたのでしょう。（2）またダビデには、逃亡先でツィバの恩義にもあずかったという思いがありました。<br>それに対してメフィボシェテは、「王さまが無事に王宮に帰られて後なら、彼が全部でも取ってよいのです」と答えています。これがメフィボシェテの真実の姿です。彼はダビデの復権を自分のこと以上に喜んだのです。バプテスマのヨハネの中にも、このような性質がありました。「花嫁を迎える者は花婿です。そこにいて、花婿のことばに耳を傾けているその友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。それで、私もその喜びで満たされているのです。あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」（ヨハネ3：29～30）。あなたは、イエス・キリスト第一の生活をしていますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。どうか、神第一の生活を送ることができますように、信仰のうすい私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-08-08 21:41:58 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title></title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3539163218</link>
         <description><![CDATA[]]></description>
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         <pubDate>2025-08-09 21:26:51 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二19：40 ～ 43</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3539460354</link>
         <description><![CDATA[<p>40 王はギルガルへ進み、キムハムもいっしょに進んだ。ユダのすべての民とイスラエルの民の半分とが、王といっしょに進んだ。</p><p>41 するとそこへ、イスラエルのすべての人が王のところにやって来て、王に言った。「われわれの兄弟、ユダの人々は、なぜ、あなたを奪い去り、王とその家族に、また王といっしょにダビデの部下たちに、ヨルダン川を渡らせたのですか。」</p><p>42 ユダのすべての人々はイスラエルの人々に言い返した。「王は、われわれの身内だからだ。なぜ、このことでそんなに怒るのか。いったい、われわれが王の食物を食べたとでもいうのか。王が何かわれわれに贈り物をしたとでもいうのか。」</p><p>43 イスラエルの人々はユダの人々に答えて言った。「われわれは、王に十の分け前を持っている。だからダビデにも、あなたがたよりも多くを持っているはずだ。それなのに、なぜ、われわれをないがしろにするのか。われわれの王を連れ戻そうと最初に言いだしたのは、われわれではないか。」しかし、ユダの人々のことばは、イスラエルの人々のことばより激しかった。</p><p><br/></p><p><strong>ユダとイスラエルの言い争い</strong></p><p><strong>出遅れたイスラエルの人々</strong></p><p>きょうの箇所で、思わぬ言い争いが起こります。ダビデはヨルダン川を渡り、西岸のギルガルへと進みます。バルジライの息子のキムハムもいっしょです。一行を護衛するために、ユダのすべての民とイスラエルの民の半分がともに進んでいます。イスラエルの民は、ユダの人々ほど迅速には行動しなかったようです。<br>（1）そのとき、イスラエルのすべての人がダビデのもとにやって来て、抗議します。（2）彼らは、ユダの民が自分たちに相談もしないでダビデをエルサレムに戻そうとしていることに抗議したのです。つまり、自分たちの存在が無視されていることへの抗議です。（3）それに対して、ユダの人々は反論します。ダビデは自分たちの身内だから、親しく付き合うのは当然だというのが彼らの言い分です。（4）同族関係を強調するユダの人々に対して、イスラエルの人々は部族の数の大きさ（10部族）と、王座復帰を最初に言い出した時間的優位とを主張します。（5）かくして、この言い争いは激しい論争へと発展していきました。声が大きかったのは、ユダの人々の方です。それを見て、ユダの人々が優勢であるという判断を下してはなりません。筋論から言えば、イスラエルの人々に分があったのです。それを認めたくないために、ユダの人々は相手よりも声を荒げざるを得なかったのです。言い争いにおいては、声の大きいほうが分が悪いと知るべきです。</p><p><br/></p><p><strong>私たちへの教訓</strong></p><p>ことばには力があります。特に、激しい口調で語ることばには、否定的な結果をもたらす力があります。ここでも、ユダの人々の激しいことばが、論争の火に油を注ぐ結果になりました。静かに、優しいことばで話し合うこともできたはずです。<br>自分の言い分に分があると思えるような場合でも、激しいことばを語ってはなりません。それは相手の怒りを引き起こすだけでなく、神を悲しませる結果になります。「柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす」（箴言15：1）とあります。きょう一日、柔らかな答えを口に出すことを心がけようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。どうか私が、心の中から良いものを、柔らかなことばによって取り出すことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-08-10 20:52:23 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二20：1 ～ 3</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3540705997</link>
         <description><![CDATA[<p>1 たまたまそこに、よこしまな者で、名をシェバという者がいた。彼はベニヤミン人ビクリの子であった。彼は角笛を吹き鳴らして言った。「ダビデには、われわれのための割り当て地がない。エッサイの子には、われわれのためのゆずりの地がない。イスラエルよ。おのおの自分の天幕に帰れ。」</p><p>2 そのため、すべてのイスラエル人は、ダビデから離れて、ビクリの子シェバに従って行った。しかし、ユダの人々はヨルダン川からエルサレムまで、自分たちの王につき従って行った。</p><p>3 ダビデはエルサレムの自分の王宮に入った。王は、王宮の留守番に残しておいた十人のそばめをとり、監視つきの家を与えて養ったが、王は彼女たちのところには通わなかった。それで彼女たちは、一生、やもめとなって、死ぬ日まで閉じ込められていた。</p><p><br/></p><p><strong>シェバの反乱</strong></p><p><strong>反乱の角笛</strong></p><p>ダビデを歓迎するムードは、イスラエルの部族とユダ部族の論争によってすぐに破壊されてしまいます。（1）ベニヤミン人ビクリの子シェバが、反旗を翻ひるがえしました。彼は角笛を吹いて反乱の合図を送ります。（2）さほど名の知れていないひとりの人間によってこのような反乱が起こる理由は、イスラエルの部族とユダ部族の間の論争が過熱した状態にあったからです。（3）シェバは、ヘブルの詩の形式で、自分たちにはダビデ王国に割り当て地がない、だから自分たちの天幕に帰り、自主独立の国を立てようと呼びかけます。詩の形式になっているのは、感情の激しさを伝えるためです。ちなみに、このときシェバが語った内容は、そのまま、南北朝分裂のときにも使われるようになります（Ⅰ列王記12：16）。常日頃、イスラエルの部族の者たちは、このような不満を心に宿していたのでしょう。<br>不満を抱いていたすべてのイスラエル人はただちに呼応し、シェバに従いました。結局、ヨルダン川からエルサレムまでダビデ王に付き従ったのは、ユダの人々だけでした。ここに、人生の教訓があります。人の賞賛は陽が上ると消え去る朝露のようなものです。新約聖書でも、イエスを歓迎した群衆が、数日後にはイエスを十字架につけよと叫んでいます。人の評価の上に自分の人生を立ててはなりません。神を恐れ、神とともに歩む人こそ人生の勝利者となります。</p><p><br/></p><p><strong>そばめの幽閉</strong></p><p>ダビデがエルサレムに帰ってから最初にしたことは、ハーレムの回復です。（1）アブシャロムは、王位に就いたことを公に示すために、ダビデが残していった10人のそばめたちを辱めました。これは、当時の中近東の習慣でもあります。（2）王位に復帰したダビデは、まずこのハーレムの回復に取りかかりました。しかし彼は、そばめたちと関係を持とうとはしませんでした。アブシャロムによって汚されていたからです。（3）また彼女たちを別の男性に嫁がせることもできませんでした。王のそばめだからです。彼女たちは、監視付きの家で、やもめとしてその余生を送らなければなりませんでした。まことにあわれな運命と言うべきですが、彼女たちはダビデの罪による犠牲者だったと言えるでしょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。人の評価を当てにするのではなく、あなたの評価だけを求めて歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-08-11 20:03:54 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二20：4 ～ 13</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3541741470</link>
         <description><![CDATA[<p>4 さて、王はアマサに言った。「私のために、ユダの人々を三日のうちに召集し、あなたも、ここに帰って来なさい。」</p><p>5 そこでアマサは、ユダの人々を召集するために出て行ったが、指定された期限に間に合わなかった。</p><p>6 ダビデはアビシャイに言った。「今や、ビクリの子シェバは、アブシャロムよりも、もっとひどいわざわいを、われわれにしかけるに違いない。あなたは、私の家来を引き連れて彼を追いなさい。でないと彼は城壁のある町に入って、のがれてしまうだろう。」</p><p>7 それで、ヨアブの部下と、ケレテ人と、ペレテ人と、すべての勇士たちとは、アビシャイのあとに続いて出て行った。彼らはエルサレムを出て、ビクリの子シェバのあとを追った。</p><p>8 彼らがギブオンにある大きな石のそばに来たとき、アマサが彼らの前にやって来た。ヨアブは自分のよろいを身に着け、さやに納めた剣を腰の上に帯で結びつけていた。彼が進み出ると、剣が落ちた。</p><p>9 ヨアブはアマサに、「兄弟。おまえは元気か。」と言って、アマサに口づけしようとして、右手でアマサのひげをつかんだ。</p><p>10 アマサはヨアブの手にある剣に気をつけていなかった。ヨアブが彼の下腹を刺したので、はらわたが地面に流れ出た。この一突きでアマサは死んだ。それからヨアブとその兄弟アビシャイは、ビクリの子シェバのあとを追った。</p><p>11 そのとき、ヨアブに仕える若い者のひとりがアマサのそばに立って言った。「ヨアブにつく者、ダビデに味方する者は、ヨアブに従え。」</p><p>12 アマサは大路の真ん中で、血まみれになってころがっていた。この若い者は、民がみな立ち止まるのを見て、アマサを大路から野原に運んだ。そのかたわらを通る者がみな、立ち止まるのを見ると、彼の上に着物を掛けた。</p><p>13 アマサが大路から移されると、みなヨアブのあとについて進み、ビクリの子シェバを追った。</p><p><br></p><p><strong>アマサの暗殺</strong></p><p><strong>アマサへの命令</strong></p><p>ダビデは新しく将軍となったアマサに対して最初の命令を発します。（1）三日のうちにユダの兵士を招集し、エルサレムに戻って来るようにというのがその命令ですが、アマサは指定された期限までに帰還することができませんでした。恐らく、ユダの人々の信頼を勝ち取れなかったのでしょう。（2）そこでダビデは、至急代役を立てて反逆者のシェバの討伐に取りかかります。このときも、ダビデはヨアブを外し、その弟のアビシャイを総指揮官に任命しています。ダビデは、アブシャロムを殺害したヨアブに不信感を抱いていたのです。（3）アビシャイは軍を率いてシェバを追撃します。</p><p><br></p><p><strong>ギブオンにて</strong></p><p>追撃隊は、エルサレムの北方約10kmにあるギブオンまでやって来ました。（1）そのときアマサがやって来て、追撃隊に合流しようとします。（2）ヨアブは、あたかも自然に剣が抜け落ちたかのように仕組み、その剣を拾い上げます。そして、アマサにあいさつすると見せかけて、その剣でアマサの下腹部を突き刺し、彼を殺します。（3）ヨアブの部下のひとりが、将軍はやはりヨアブだ、ヨアブにつき従えと、かけ声をかけ、ヨアブとアビシャイの立場を逆転させます。（4）血の吹き出たアマサの死体を見てぼう然としていた兵士たちも、死体に覆いがかけられると、そのままヨアブの指揮下に入り、シェバ追撃に参加します。<br>かくしてヨアブは、邪魔者となったアマサを殺し、自力で将軍の地位を奪還してしまいました。ヨアブはダビデの甥に当たる人物で、非常に有能な戦士でしたが、その性質は極めて残虐です。しかしダビデは、一度もヨアブを処罰することができませんでした。むしろ、ヨアブ自身がダビデに対してかなりの影響力を発揮していたのです。その理由は、ヨアブがダビデの弱みを握っていたからです。ダビデの命令に従って、バテ・シェバの夫であったウリヤの殺害を実行したのはヨアブでした。罪を犯すと、人に弱みを握られることになります。サタンもまた私たちの弱みを握り、それを神の前に訴えてきます。イエス・キリストだけがその罠から私たちを救い出すことができます。主イエスの血潮はなんとありがたいことでしょうか。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>神よ。私の弱みはすべて主イエスの血潮によって消されました。今私は自由です。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-08-12 21:25:00 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二20：14 ～ 26</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3542731653</link>
         <description><![CDATA[<p>14 シェバはイスラエルの全部族のうちを通って、アベル・ベテ・マアカへ行った。すべてのベリ人は集まって来て、彼に従った。</p><p>15 しかし、人々はアベル・ベテ・マアカに来て、彼を包囲し、この町に向かって塁を築いた。それは外壁に向かって立てられた。ヨアブにつく民はみな、城壁を破壊して倒そうとしていた。</p><p>16 そのとき、この町から、ひとりの知恵のある女が叫んだ。「聞いてください。聞いてください。ヨアブにこう言ってください。ここまで近づいてください。あなたにお話ししたいのです。」</p><p>17 ヨアブが彼女のほうに近づくと、この女は、「あなたがヨアブですか。」と尋ねた。彼は答えた。「そうだ。」すると女は言った。「このはしためのことばを聞いてください。」彼は答えた。「私が聞こう。」</p><p>18 すると女はこう言った。「昔、人々は『アベルで尋ねてみなければならない。』と言って、事を決めるのがならわしでした。</p><p>19 私は、イスラエルのうちで平和な、忠実な者のひとりです。あなたは、イスラエルの母である町を滅ぼそうとしておられます。あなたはなぜ、主のゆずりの地を、のみ尽くそうとされるのですか。」</p><p>20 ヨアブは答えて言った。「絶対にそんなことはない。のみ尽くしたり、滅ぼしたりするなど、とてもできないことだ。</p><p>21 そうではない。実はビクリの子で、その名をシェバというエフライムの山地の出の男が、ダビデ王にそむいたのだ。この男だけを引き渡してくれたら、私はこの町から引き揚げよう。」するとこの女はヨアブに言った。「では、その男の首を城壁の上からあなたのところに投げ落としてごらんにいれます。」</p><p>22 この女はその知恵を用いてすべての民のところに行った。それで彼らはビクリの子シェバの首をはね、それをヨアブのもとに投げた。ヨアブが角笛つのぶえを吹き鳴らしたので、人々は町から散って行って、めいめい自分の天幕へ帰った。ヨアブはエルサレムの王のところに戻った。</p><p>23 さて、ヨアブはイスラエルの全軍の長であった。エホヤダの子ベナヤはケレテ人とペレテ人の長。</p><p>24 アドラムは役務長官えきむちょうかん。アヒルデの子ヨシャパテは参議。</p><p>25 シェワは書記。ツァドクとエブヤタルは祭司。</p><p>26 ヤイル人イラもダビデの祭司であった。</p><p><br></p><p><strong>シェバの最期</strong></p><p><strong>追跡</strong></p><p>ヨアブ率いるダビデの軍が、反逆者シェバを追ってガリラヤ湖の北までやって来ました。シェバは、イスラエル最北端に近い町アベル・ベテ・マアカに立てこもりました。（1）この町を攻めるために、ヨアブたちは塁を築き、城壁を突き崩して町に突入することを計画します。（2）そのとき、ひとりの知恵ある女が町の中からヨアブに語りかけます。彼女は、なぜ「イスラエルの母である町（つまり、イスラエルで一番洞察力を持った由緒ある町という意味）」を滅ぼそうとするのか、と問いただします。彼女の問いかけの背後には、申命記20：10～15の規定があります。「町を攻略しようと、あなたがその町に近づいたときには、まず降伏を勧めなさい。‥‥」（3）ヨアブは、反逆の元凶であるシェバさえ渡してくれるなら、町は滅ぼさないと約束します。（4）するとこの女は、知恵を尽くして町中の人々を説得し、シェバの首をはねさせて、これをヨアブのもとに投げ落とします。（5）こうして反乱は収まり、戦いは終結しました。<br>この女の知恵に注目しましょう。知恵と知識とは別のものです。知恵とは、具体的な問題に直面したときに発揮される判断力のことです。知恵があるかどうかは、性別、地位、年齢、学齢などとは関係がありません。彼女は、問題点（反逆者シェバ）を取り除くことによって、町全体を救いました。私たちもこのような知恵を自らの人生で発揮する必要があります。あなたの内にある問題点とはなんでしょうか。それを取り除くことは、あなたの人生全体をより豊かなものにすることです。主からの知恵をいただきましょう。</p><p><br></p><p><strong>ヨアブの復帰</strong></p><p>戦いが終結したので、人々はそれぞれ自分の家に帰って行きました。ヨアブはエルサレムのダビデ王のもとに帰りますが、そこで再び、元の軍団長に復帰しています。ダビデはヨアブを退けたいと思っていましたが、生涯ヨアブに対してきびしい措置を断行することができませんでした。それを実行するのは、その子ソロモンです。ダビデがヨアブに対してきびしい態度を取ることができなかったのは、バテ・シェバ事件以降弱みを握られていたからです。罪の支払う代価は、あまりにも大きいのです。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。どうか私に知恵を与えてください。知恵によって日々の選びを行なうことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-08-13 21:12:48 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二21：1 ～ 6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3543739311</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ダビデの時代に、三年間引き続いてききんがあった。そこでダビデが主のみこころを伺うかがうと、主は仰せられた。「サウルとその一族に、血を流した罪がある。彼がギブオン人たちを殺したからだ。」</p><p>2 そこで王はギブオン人たちを呼び出して、彼らに言った。─ギブオンの人たちはイスラエル人ではなく、エモリ人の生き残りであって、イスラエル人は、彼らと盟約を結んでいたのであるが、サウルが、イスラエルとユダの人々への熱心のあまり、彼らを打ち殺してしまおうとしたのであった。─</p><p>3 ダビデはギブオン人たちに言った。「あなたがたのために、私は何をしなければならないのか。私が何を償つぐなったら、あなたがたは主のゆずりの地を祝福できるのか。」</p><p>4 ギブオン人たちは彼に言った。「私たちとサウル、およびその一族との間の問題は、銀や金のことではありません。また私たちがイスラエルのうちで、人を殺すことでもありません。」そこでダビデが言った。「それでは私があなたがたに何をしたらよいと言うのか。」</p><p>5 彼らは王に言った。「私たちを絶ち滅ぼそうとした者、私たちを滅ぼしてイスラエルの領土のどこにも、おらせないようにたくらんだ者、</p><p>6 その者の子ども七人を、私たちに引き渡してください。私たちは、主の選ばれたサウルのギブアで、主のために、彼らをさらし者にします。」王は言った。「引き渡そう。」</p><p><br/></p><p><strong>3年のききん</strong></p><p><strong>ききんの原因</strong></p><p>サムエル記第二21～24章は、サムエル記の補遺ほいの部分とされています。その内容は六つの部分に分かれていますが、記述は必ずしも時間の順にはなっていません。きょうの箇所は、「ききんの原因とその解決」がテーマです。<br>カナンの地では、雨は神の祝福を、ききんは神のさばきを表わしています。カナンの地に3年間もききんが続きました。何かの原因があるはずです。（1）その原因は、サウルとその一族が、ギブオン人たちを殺したことにありました。この殺戮さつりくに関しては、この箇所で触れられているだけです。（2）民数記35：33にこうあります。「あなたがたは、自分たちのいる土地を汚けがしてはならない。血は土地を汚すからである。土地に流された血についてその土地を贖あがなうには、その土地に血を流させた者の血による以外はない」。（3）ギブオン人たちはイスラエル人と契約を結び、平和に暮らす権利を得ていました（ヨシュア記9：3～27）。サウルは聖絶すべきアマレク人を助け、助けるべきギブオン人を殺戮し、地を汚していたのです。</p><p><br/></p><p><strong>問題解決の方法</strong></p><p>ダビデは、ギブオン人を呼び寄せ、問題解決の方法を探ります。（1）ギブオン人たちは、この問題は金銭で解決できるようなものではない、また、自分たちにイスラエル人を殺す権威があるわけでもないと答えます。（2）そこでダビデは、自分は何をすべきかと問いかけています。（3）ギブオン人の答は、サウルの子孫7人を差し出してほしいというものでした。注目すべきは、ギブオン人たちは、決して復讐ふくしゅう心からこの要求をしているのではないということです。問題は、神の前での契約が破られ、その結果約束の地が汚されたことにあります。（4）それを知っていたダビデは、やむなくそれに同意します。<br>この箇所を誤解してはなりません。ここには、神が何を不快と感じられるのか、またそれを解決するためにはどのような方法を取るべきなのかが書かれています。血に対して血をもって贖うという方法は、イエス・キリストの十字架を予表するものです。私たちの罪も、イエスの血の犠牲がなければ赦されないものでした。神の方法で、問題を解決することを学びましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。あなたの喜びを私の喜びとし、あなたの悲しみを私の悲しみとして、きょうも歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-08-14 20:56:13 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二21：7 ～ 14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3544779297</link>
         <description><![CDATA[<p>7 しかし王は、サウルの子ヨナタンの子メフィボシェテを惜しんだ。それは、ダビデとサウルの子ヨナタンとの間で主に誓った誓いのためであった。</p><p>8 王は、アヤの娘リツパがサウルに産んだふたりの子アルモニとメフィボシェテ、それに、サウルの娘メラブがメホラ人バルジライの子アデリエルに産んだ五人の子を取って、</p><p>9 彼らをギブオン人の手に渡した。それで彼らは、この者たちを山の上で主の前に、さらし者にした。これら七人はいっしょに殺された。彼らは、刈り入れ時の初め、大麦の刈り入れの始まったころ、死刑に処せられた。</p><p>10 アヤの娘リツパは、荒布あらぬのを脱いで、それを岩の上に敷いてすわり、刈り入れの始まりから雨が天から彼らの上に降るときまで、昼には空の鳥が、夜には野の獣が死体に近寄らないようにした。</p><p>11 サウルのそばめアヤの娘リツパのしたことはダビデに知らされた。</p><p>12 すると、ダビデは行って、サウルの骨とその子ヨナタンの骨を、ヤベシュ・ギルアデの者たちのところから取って来た。これは、ペリシテ人がサウルをギルボアで殺した日に、ペリシテ人が彼らをさらしたベテ・シャンの広場から、彼らが盗んで行ったものであった。</p><p>13 ダビデがサウルの骨とその子ヨナタンの骨をそこから携たずさえて上ると、人々は、さらし者にされた者たちの骨を集めた。</p><p>14 こうして、彼らはサウルとその子ヨナタンの骨を、ベニヤミンの地のツェラにあるサウルの父キシュの墓に葬ほうむり、すべて王が命じたとおりにした。その後のち、神はこの国の祈りに心を動かされた。</p><p><br/></p><p><strong>天からの雨</strong></p><p><strong>処刑された7人</strong></p><p>汚された地を癒いやすためには、その原因を作った者たちの血を流す必要がありました。サウルの家は本来「血塗られた家」とでも言うべきものでした。ここでの処刑はサウルの罪のためですが、子孫たちもまた自らの罪のためにさばかれているという側面もありました。<br>（1）処刑すべき7人を選択するのは、ダビデにとっては苦渋くじゅうに満ちた務めでした。彼は、ヨナタンの子メフィボシェテをその候補から外しました。ヨナタンとの誓いを重んじたからです（Ⅰサムエル記20：14～16）。（2）彼が選んだのは、サウルの死後将軍アブネルと通じた前歴を持つサウルのそばめリツパのふたりの子ども（3：7～8）と、ダビデの妻になる予定であったのにアデリエルの妻になってしまったサウルの娘メラブの5人の子ども（Ⅰサムエル記18：17～19）の計7人でした。（3）この7人は、大麦の刈り入れの始まったころ（今の4月頃）に山の上で死刑となり、さらし者にされました。彼らの処刑が公にされたことで、主の憤りが静められました。</p><p><br/></p><p><strong>リツパの行為</strong></p><p>7人の遺体は、そのまま野ざらしになっていました。それを猛禽もうきんと野獣の被害から守ったのが、リツパでした。（1）彼女は、「刈り入れの始まりから雨が天から降るときまで」岩の上で見張りを続けました。その期間は、なんと4月から10月までのおよそ半年です。（2）雨季（10月）になって、天からの雨が降りました。つまり、主の怒りが静まり、この地が癒されたということです。（3）雨を喜び、またリツパの行為に感動したダビデは、それまでそのままになっていたサウルとヨナタンの埋葬に着手します。ヤベシュ・ギルアデにあったサウルとヨナタンの骨が運ばれ、さらし者にされた7人の遺骨とともに、ベニヤミン族の地にあるサウルの父キシュの墓に葬られました。（4）これらのことはすべて、神を喜ばせました。神は「この国の祈りに心を動かされた」とあります。<br>あなたは神との平和を得ていますか。イエス・キリストの犠牲こそ、私たちに神との和解をもたらすものです。「信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています」（ローマ5：1）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。今私に、主イエス・キリストを通して神との平和が与えられていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-08-15 21:16:24 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二21：15 ～ 22</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3545142452</link>
         <description><![CDATA[<p>15 ペリシテ人はまた、イスラエルに戦いをしかけた。ダビデは自分の家来たちを連れて下り、ペリシテ人と戦ったが、ダビデは疲れていた。</p><p>16 それで、ラファの子孫のひとりであったイシュビ・ベノブは、ダビデを殺そうと考えた。彼の槍やりの重さは青銅で三百シェケル。そして彼は新しい剣つるぎを帯びていた。</p><p>17 しかし、ツェルヤの子アビシャイはダビデを助け、このペリシテ人を打ち殺した。そのとき、ダビデの部下たちは彼に誓って言った。「あなたは、もうこれから、われわれといっしょに、戦いに出ないでください。あなたがイスラエルのともしびを消さないために。」</p><p>18 その後、ゴブでまたペリシテ人との戦いがあり、そのとき、フシャ人シベカイは、ラファの子孫のサフを打ち殺した。</p><p>19 ゴブでまたペリシテ人との戦いがあったとき、ベツレヘム人ヤイルの子エルハナンは、ガテ人ゴリヤテの兄弟ラフミを打ち殺した。ラフミの槍の柄は、機織はたおりの巻き棒のようであった。</p><p>20 さらにガテで戦いがあったとき、そこに、手の指、足の指が六本ずつで、合計二十四本指の闘士がいた。彼もまた、ラファの子孫であった。</p><p>21 彼はイスラエルをそしったが、ダビデの兄弟シムアの子ヨナタンが彼を打ち殺した。</p><p>22 これら四人はガテのラファの子孫で、ダビデとその家来たちの手にかかって倒れた。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの最後の戦い</strong></p><p><strong>狙われるダビデ</strong></p><p>この箇所の戦いは、アブシャロムの反乱の前に起こったものです。相手はペリシテ人ですが、これはダビデが自ら戦場に出て指揮を執とる最後の戦いとなりました。（1）この戦いでは、ダビデはガテ出身の巨人ゴリヤテの親族イシュビ・ベノブによって、危うく殺されそうになりました。さすがのダビデも、年齢から来る疲れには勝てなかったのです。（2）このとき、ダビデを救ったのが甥のアビシャイです。アビシャイは、巨人のひとりであったイシュビ・ベノブを打ち殺すことができました。（3）ダビデの部下は、ダビデが殺されそうになったことにショックを覚え、今後は戦いの前線に出ることがないようにと懇願します。（4）彼らは、「あなたがイスラエルのともしびを消さないために」と語っています。まさに、ダビデの存在はイスラエルの「ともしび」そのものだったからです。<br>「何をなすべきか」は重要なことですが、それ以上に、「いかにあるべきか」のほうがもっと重要です。人々はダビデが戦果を挙げることよりも、そこにいてくれることをより望んだのです。あなたの存在が、周りにどのような影響を与えているか黙想してみましょう。存在していることに価値があると評価されるような人生を目指しましょう。</p><p><br/></p><p><strong>勇士たちの活躍</strong></p><p>ダビデが活躍できなくても、彼の部下たちが不足を補ってあまりある働きをしました。ゴリヤテの子孫である巨人たちを打ち殺した勇士が、4人いました。（1）ツェルヤの子アビシャイ（ダビデの甥）、（2）フシャ人シベカイ、（3）ベツレヘム人ヤイルの子エルハナン、（4）ダビデの兄弟シムアの子ヨナタン。<br>私たちにも、やがて働くことのできない日がやって来ます。そして、すべての人が最後の戦いである「死との戦い」に直面するようになります。そのとき、ダビデがそうであったように私たちにも強力な助け手が与えられます。それはイエス・キリストご自身です。使徒パウロはこう書いています。「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです」（ローマ8：37）。死との戦いに備える人生を歩んでいる人は幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。どうか私を圧倒的な勝利者としてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-08-16 21:05:10 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二22：1 ～ 7</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3545509221</link>
         <description><![CDATA[<p>1 主が、ダビデのすべての敵の手、特にサウルの手から彼を救い出された日に、ダビデはこの歌のことばを主に歌った。</p><p>2 彼はこう歌った。「主はわが巌いわお、わがとりで、わが救い主、</p><p>3 わが身を避けるわが岩なる神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。私を暴虐ぼうぎゃくから救う私の救い主、私の逃げ場。</p><p>4 ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。</p><p>5 死の波は私を取り巻き、滅びの川は、私を恐れさせた。</p><p>6 よみの綱つなは私を取り囲み、死のわなは私に立ち向かった。</p><p>7 私は苦しみの中に主を呼び求め、わが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、私の叫びは、御耳おんみみに届いた。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの歌（1）</strong></p><p><strong>この詩の特徴</strong></p><p>数回に分けてここに記されたダビデの詩を学んでみます。まず、この詩の特徴を確認します。（1）この詩は、詩篇18篇とほとんど同じです。ここに書かれたものが原型で、それが礼拝用に一部修正されて詩篇18篇になったのでしょう。（2）この詩の中では、2種類の仕方で神への賛美がささげられています。まず、神の性質を列挙し、そのゆえに神をたたえる賛美があります。次に、神のわざを思い出し、そのゆえに神をたたえる賛美もあります。（3）ちなみに、この詩は毎年過越すぎこしの祭りの7日目に会堂で朗読されています。それほど、ユダヤ人たちにとっては重要な詩なのです。</p><p><br/></p><p><strong>神の性質（2～4節）</strong></p><p>ダビデは神の性質（特徴）を九つ挙げて、そのゆえに神をたたえています。①巌、②とりで、③救い主、④岩なる神、⑤盾、⑥救いの角、⑦やぐら、⑧救い主、⑨逃げ場。この九つの語の前に、必ず「わが」か「私の」が付けられています。それほどに、ダビデは神を身近に感じていたのです。<br>今、神のこれらの性質を思い出し、私たちも神の許に身を避け、難をのがれようではありませんか。私たちを力強い御手みてで守ってくださる神の御名をたたえましょう。</p><p><br/></p><p><strong>答えられた祈り（5～7節）</strong></p><p>次にダビデは、答えられた祈りを思い起こし、神をたたえています。ダビデは何度も、もうこれで終わりだ、絶望だという経験をしてきました。死の恐怖におののくことが何度もありました。そのとき彼は、神に叫び求めました。すると神は、聖なる宮の中で、その叫びに耳を傾けてくださいました。これは、ダビデが何度も経験したことを歌った詩です。<br>私たちも、今までに主がなしてくださったことを思い起こし、主の御名をたたえましょう。それは単なる懐古趣味ではなく、将来を力強く生きるための秘訣です。これまであなたを支えてくださった神は、これからもあなたを支え続けてくださいます。「ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる」。アーメン。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。どうか今、私の感謝と賛美と礼拝とをお受け取りください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-08-17 20:05:39 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二22：8 ～ 16</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3546686608</link>
         <description><![CDATA[<p>8 すると、地はゆるぎ、動いた。また、天の基もといも震え、揺れた。主がお怒りになったのだ。</p><p>9 煙は鼻から立ち上り、その口から出る火はむさぼり食い、炭火は主から燃え上がった。</p><p>10 主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。</p><p>11 主は、ケルブに乗って飛び、風の翼の上に現われた。</p><p>12 主は、やみを回りに置かれた。仮庵かりいおは水の集まりと、濃い雲。</p><p>13 御前の輝きから、炭火が燃え上がった。</p><p>14 主は、天から雷鳴らいめいを響かせ、いと高き方は御声を発せられた。</p><p>15 主は、矢を放って彼らを散らし、いなずまで彼らをかき乱された。</p><p>16 こうして、海の底が現われ、地の基があらわにされた。主のとがめにより、その鼻の荒いいぶきによって。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの歌（2）</strong></p><p><strong>預言的未来の描写</strong></p><p>前回の箇所でダビデは、これまで神がしてくださったみわざを思い出し、神を賛美していました。ところが突然ダビデは、預言的未来の描写を始めます。（1）きょうの箇所（8～16節）は、未来のことがすでに起こったかのように書かれている箇所です。その内容は、キリストの再臨さいりんに関するものです。（2）神が今までにダビデのためにしてくださった解放のわざは、将来神がイスラエルのためにしてくださる解放のわざの「型」となっています。神はダビデが困難に会っていた時に、そこに介入し、彼を救出されました。それと同じように、神は歴史に介入し、ご自身の民イスラエルを解放されます。それが、再臨の時に起こるのです。</p><p><br/></p><p><strong>神のさばきとしての再臨</strong></p><p>（1）再臨の時には、地と天の基が揺れ動きますが、これは神の怒りのゆえです。（2）さらに、再臨のときにはシャカイナ・グローリー（神の栄光）が伴います。この箇所には、シャカイナ・グローリーに関連したことばが連続して出ています。①暗やみ、②ケルブ、③濃い雲、④輝き、⑤雷鳴などがそうです。（3）キリストはケルブに乗って来られます。ヨハネの黙示録19：11には、「また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、『忠実また真実』と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる」とありますので、キリストは白い馬に乗って来られると一般的には考えられています。しかし、これは文字どおりの「白い馬」ではなく、最高位の天使であるケルブのことだと考える人もいます(詩篇28:10参照)。エゼキエル書1章にはケルブの描写がありますが、それによるとケルブは動物のような形状をしていたことがわかります。（4）14～16節では、神のさばきのきびしさが語られます。これは神に敵対する者たちのさばきです。<br>将来起こるイスラエルの民の解放を描写したダビデは、次の17節以降、再び自分の時代に戻り、自らの上に為された神の業を思い起こしています。新約時代に生きる私たちには、過去から学び、将来を確信するという特権が与えられています。キリストに信頼する者たちの勝利は保障されています。きょうも、キリストの再臨を確信して義の道を歩もうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたの約束は、永遠に変わりません。私はあなたに信頼します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-08-18 20:18:19 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二22：17 ～ 25</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3548045845</link>
         <description><![CDATA[<p>17 主は、いと高き所から御手を伸べて私を捕え、私を大水から引き上げられた。</p><p>18 主は、私の強い敵と、私を憎む者とから私を救い出された。彼らは私より強かったから。</p><p>19 彼らは私のわざわいの日に私に立ち向かった。だが、主は私のささえであった。</p><p>20 主は、私を広い所に連れ出し、私を助け出された。主が私を喜びとされたから。</p><p>21 主は、私の義にしたがって私に報むくい、私の手のきよさに従って私に償いをされた。</p><p>22 私は主の道を守り、私の神に対して悪を行なわなかった。</p><p>23 主のすべてのさばきは私の前にあり、そのおきてから私は遠ざからなかった。</p><p>24 私は主の前に全く、私の罪から身を守る。</p><p>25 主は、私の義にしたがって、また、御目おんめの前の私のきよさにしたがって私に償いをされた。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの歌（3）</strong></p><p><strong>主の救い</strong></p><p>預言的未来を描写していたダビデは、再び自分の時代に戻り、これまでに主がどのようにして自分を救ってくださったかを記しています。主の救出には五つの段階がありました。（1）主は私たちのいる所に下ってくださり、御手を伸べてくださいます。（2）主は私たちを捕らえてくださいます。（3）主は私たちを大水から引き上げてくださいます。大水とは比喩ひゆ的表現で、数々の患難かんなんを指します。（4）主は私たちを、強い敵から救い出してくださいます。（5）そして主は私たちを、広い所に連れ出してくださいます。広い所というのは、安心できる場所、安全な場所のことです。<br>ダビデの詩に合わせて、主がこれまであなたのためにしてくださった数々の守りと救出のわざを思い起こしましょう。主の御名をたたえましょう。</p><p><br/></p><p><strong>救いの理由</strong></p><p>主がダビデを救出された理由は、ダビデが信仰者としていつも主に喜ばれる歩みを目指し、聖と義を追い求め、罪と悪とから身を守ろうとしていたからです。「主は、私の義にしたがって私に報い、私の手のきよさに従って私に償いをされた」（21節）というのは真実です。（1）しかし、ここで言う「義」とは、絶対的な意味での義ではありません。ダビデもまた不完全な者でしたが、信仰の姿勢としては「主の道を守り、神に対して悪を行なわない」ことを心がけていました。（2）ダビデもまた罪を犯すことがありました。バテ・シェバ事件とウリヤ殺害がその最たるものです。罪を犯した時、ダビデは熱心に悔い改めました。その結果が詩篇51篇となって残りました。<br>この箇所から教訓を学びましょう。主に喜ばれる生活を志す人には祝福が注がれます。その祝福は、単に物質的なものでなく、霊的なものでもあります。この原則は、今も変わりません。もし私たちが罪を犯すようなことがあるなら、ただちにその罪を告白して主からの赦しを受け取るべきです。使徒ヨハネは、こう教えています。「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」（Ⅰヨハネ1：9）。今、主の招きに応答して栄光の御座みざに近づきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。どうかあなたに喜ばれる歩みを続けることができますように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-08-19 20:32:23 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二22：26 ～ 35</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3549407464</link>
         <description><![CDATA[<p>26 あなたは、恵み深い者には、恵み深く、全き者には、全くあられ、</p><p>27 きよい者には、きよく、曲がった者には、ねじ曲げる方。</p><p>28 あなたは、悩む民を救われますが、高ぶる者に目を向けて、これを低くされます。</p><p>29 主よ。あなたは私のともしび。主は、私のやみを照らされます。</p><p>30 あなたによって私は軍勢に襲いかかり、私の神によって私は城壁を飛び越えます。</p><p>31 神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。</p><p>32 まことに、主のほかにだれが神であろうか。私たちの神のほかにだれが岩であろうか。</p><p>33 この神こそ、私の力強いとりで。私の道を完全に探り出される。</p><p>34 彼は私の足を雌鹿めじかのようにし、私を高い所に立たせてくださる。</p><p>35 戦いのために私の手を鍛きたえ、私の腕を青銅の弓でも引けるようにされる。</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの歌（4）</strong></p><p><strong>完全な主の道</strong></p><p>神が人間に対してどのような報いを与えるかは、人間が神に対してどのような態度を取るかによって決まってきます。それが、「あなたは、恵み深い者には、恵み深く、全き者には、全くあられ、きよい者には、きよく、曲がった者には、ねじ曲げる方」（26～27節）という聖句の意味です。<br>ダビデは神をさまざまなものにたとえてその御名をほめたたえています。（1）主は人生の暗やみを照らす「ともしび」です。主は私たちに方向性を示し、将来に希望を与えてくださるお方です。（2）主は私たちに城壁を飛び越える力を与えてくださいます。城壁とは、戦いをイメージしたことばですが、さまざまな困難と解釈してもいいでしょう。クリスチャンは超自然的な力によって困難に勝利し、幻を実現させるのです。（3）主は、すべて主に身を避ける者の「盾」です。主に身を避けるとは、聖書のことばを信頼して歩むことです。聖書のことばは完全で、純粋です。それは主ご自身が完全で、純粋であることを表わしています。（4）主は「力強いとりで」です。主のほかに神はいません。また、主のように力強いとりではありません。「私の足を雌鹿のようにし」とか、「私の手を鍛え」とかいう表現は、戦いに勝利するための資質を表わしています。かつてダビデは石投げ器を武器としていた少年でしたが、最後は青銅の弓を引くほどの戦士となりました。そのように、主は私たちを「神の戦い」に勝利するように訓練してくださいます。</p><p><br/></p><p><strong>私たちへの教訓</strong></p><p>私たちの人生には、自分の力だけではどうすることもできないような試練がやってきます。クリスチャンにとって重要なことは、信仰によって超自然的な力を受け、それを武器として戦うことです。（1）主に信頼するとは、主のことばである聖書を読み、その教えを実践することです。日々のデボーションが重要なのは、そのためです。（2）超自然的な力を受ける方法は、祈りと従順です。祈りによって主と交わり、聖書を通した主からの語りかけに従順に歩むなら、自分でも説明できないような力に満たされるようになります。今私たち自身のことばで、主の素晴らしさをほめたたえようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。あなたは私の盾であり、とりでです。きょうもあなたを盾として歩みます。私をあなたの力で満たしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-08-20 20:52:33 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>サムエル記第二22：36 ～ 51</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3550803533</link>
         <description><![CDATA[<p>36 こうしてあなたは、御救いの盾たてを私に下さいました。あなたの謙遜けんそんは、私を大きくされます。</p><p>37 あなたは私を大またで歩かせます。私のくるぶしはよろけませんでした。</p><p>38 私は、敵を追って、これを根絶やしにし、絶ち滅ぼすまでは、引き返しませんでした。</p><p>39 私が彼らを絶ち滅ぼし、打ち砕くだいたため、彼らは立てず、私の足もとに倒れました。</p><p>40 あなたは、戦いのために、私に力を帯びさせ、私に立ち向かう者を私のもとにひれ伏させました。</p><p>41 また、敵が私に背を見せるようにされたので、私は私を憎む者を滅ぼしました。</p><p>42 彼らが叫んでも、救う者はなかった。主に叫んでも、答えはなかった。</p><p>43 私は、彼らを地のちりのように打ち砕き、道のどろのように、粉々に砕いて踏みつけた。</p><p>44 あなたは、私の民の争いから、私を助け出し、私を国々のかしらとして保たれます。私の知らなかった民が私に仕えます。</p><p>45 外国人らは、私におもねり、耳で聞くとすぐ、私の言うことを聞き入れます。</p><p>46 外国人らはしなえて、彼らのとりでから震えて出て来ます。</p><p>47 主は生きておられる。ほむべきかな。わが岩。あがむべきかな。わが救いの岩なる神。</p><p>48 この神は私のために、復讐する方。諸国の民を私のもとに下らせる方。</p><p>49 私の敵から私を携え出される方。あなたは私に立ち向かう者から私を引き上げ、暴虐の者から私を救い出されます。</p><p>50 それゆえ、主よ。私は、国々の中であなたをほめたたえ、あなたの御名を、ほめ歌います。</p><p>51 主は、王に救いを増し加え、油そそがれた者、ダビデとそのすえに、とこしえに恵みを施ほどこされます。」</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの歌（5）</strong></p><p><strong>ダビデの勝利</strong></p><p>ダビデは、自分が連戦連勝の恵みにあずかったのは、主の恵みによるものであることを表明しています。（1）主の謙遜、つまり、主が地に下り、ダビデに御手を伸べてくださったことがダビデを王として確立したのです。かくしてダビデは、「大またで」歩けるようになりました。つまり、自由に行動できるようになったということです。私たちも、主の謙遜を思い起こし、主に感謝をささげましょう。主イエスの謙遜（受肉）がなければ、私たちに救いはありませんでした。しかもその謙遜は、十字架の死に至るほどの謙遜でした。その主の前で傲慢になるのはなんと愚かなことでしょうか。（2）ダビデは、神に敵対する者たちに勝利しました。敵がどんなに救いを叫んでも、それは無駄な努力でした。彼らは、ちまたの泥のように踏み付けられるだけでした。（3）ダビデは、国内の紛争を静めてイスラエルの王となりましたが、最後は異邦の国々をも治める権威を獲得しました。これらのことはすべて、主の恵みによってなされたことでした。</p><p><br/></p><p><strong>生きておられる主</strong></p><p>最後にダビデは、力一杯主をほめたたえています。（1）「主は生きておられる」。偶像にはいのちはありません。それは死んだ神々です。それに対して、イスラエルの神、ダビデと契約を結んだ神は生きておられます。（2）主は私たちを敵の手から救い出してくださるお方です。（3）ダビデは国々の中で、主の御名をたたえています。私たちも、この国にあって主の御名をたたえるべきです。（4）主は、預言者ナタンを通してダビデに与えた契約を守り、とこしえに恵みを施されるお方です。ダビデは、「主は、王に救いを増し加え、油そそがれた者、ダビデとそのすえに、とこしえに恵みを施されます」（51節）と歌っています。そのダビデのすえとして誕生するのが、主イエスです。<br>私たちの信じる神は、今も生きていて、契約を守ってくださるお方です。なんと素晴らしいことでしょうか。それゆえ、「弱った手と衰えたひざとを、まっすぐに」（ヘブル12：12）しようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。あなたは生きておられます。あなたの契約は永遠にすたれることはありません。私はあなたに信頼します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=wrklSpEJxo0" />
         <pubDate>2025-08-21 21:15:34 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二23：1 ～ 7</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3552020248</link>
         <description><![CDATA[<p>1 これはダビデの最後のことばである。エッサイの子ダビデの告げたことば。高くあげられた者、ヤコブの神に油そそがれた者の告げたことば。イスラエルの麗うるわしい歌。</p><p>2 「主の霊は、私を通して語り、そのことばは、私の舌の上にある。</p><p>3 イスラエルの神は仰せられた。イスラエルの岩は私に語られた。『義をもって人を治める者、神を恐れて治める者は、</p><p>4 太陽の上る朝の光、雲一つない朝の光のようだ。雨の後に、地の若草を照らすようだ。』</p><p>5 まことにわが家は、このように神とともにある。とこしえの契約が私に立てられているからだ。このすべては備えられ、また守られる。まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる。</p><p>6 よこしまな者はいばらのように、みな投げ捨てられる。手で取る値うちがないからだ。</p><p>7 これに触れる者はだれでも、鉄や槍の柄でこれを集め、その場で、これらはことごとく火で焼かれてしまう。」</p><p><br/></p><p><strong>ダビデの最後のことば</strong></p><p><strong>最後の詩</strong></p><p>「最後のことば」というのは、遺言という意味ではなく、ダビデの最後の詩、最後の預言という意味です。ダビデは自分のことを次のように紹介しています。（1）エッサイの子ダビデ。（2）高く上げられた者。彼は主によって大いなる名を与えられました。（3）ヤコブの神に油そそがれた者。彼はイスラエルの神によって王として油そそがれました。（4）イスラエルの麗しい詩を作った詩人。詩篇150篇のうちの73篇までがダビデの作とされています。実際は、もっと多かったかもしれません。（5）ダビデは、自分の詩（預言）は主の霊（聖霊）によって霊感を受けて語ったものであると書いています。「主の霊は、私を通して語り、そのことばは、私の舌の上にある」（2節）。この聖句は、聖書の霊感を説明するのに有効なものです。</p><p><br/></p><p><strong>詩の内容</strong></p><p>詩の内容は、名君とはどのような人であるかを歌ったものです。（1）名君とは、公義と敬虔をもって人々を治める王のことです。そのような王は、さん然と輝く朝日のようであり、雨に濡れた若草を照らす日の光のようです。（2）それはダビデの子である主イエスの生涯を預言したことばでもあります。（3）彼は自らの生涯を振り返り、自分が完璧でも義なる王でもなかったと感じています。しかし彼は、主によって与えられたとこしえの契約（ダビデ契約）のゆえに、不十分な自分でも主の守りの中にあることを信じ、主に感謝しています。（4）さらに、主は自分の救いを完成してくださるとの信仰を告白しています。（5）最後に彼は、「よこしまな支配者は人々に害と苦痛しか与えない存在であり、それに触れる者は傷を負わされるだけである。その者には苛酷なさばきと、滅亡とが待っている」と預言しています。<br>私たちもまた自分の足りなさを知っていますが、同時に、契約（キリストによって与えられた新しい契約）のゆえに救いの完成へと導かれることも知っています。「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです」（ピリピ1：6）とパウロが語っているとおりです。この聖句によって勇気をいただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。不完全な私を愛し、完成へと導いてくださることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-08-22 21:05:37 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二23：8 ～ 12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3552490933</link>
         <description><![CDATA[<p>8 ダビデの勇士たちの名は次のとおりであった。補佐官のかしら、ハクモニの子ヤショブアム。彼は槍をふるって一度に八百人を刺し殺した。</p><p>9 彼の次は、アホアハ人ドドの子エルアザル。ダビデにつく三勇士のひとりであった。彼がペリシテ人の間でそしったとき、ペリシテ人は戦うためにそこに集まった。そこで、イスラエル人は攻め上った。</p><p>10 彼は立ち上がり、自分の手が疲れて、手が剣について離れなくなるまでペリシテ人を打ち殺した。主はその日、大勝利をもたらされ、兵士たちが彼のところに引き返して来たのは、ただ、はぎ取るためであった。</p><p>11 彼の次はハラル人アゲの子シャマ。ペリシテ人が隊をなして集まったとき、そこにはレンズ豆の密生した一つの畑があり、民はペリシテ人の前から逃げたが、</p><p>12 彼はその畑の真中に踏みとどまって、これを救い、ペリシテ人を打ち殺した。こうして、主は大勝利をもたらされた。</p><p><br/></p><p><strong>3人の勇士</strong></p><p><strong>ダビデの勇士たち</strong></p><p>ダビデ王国が確立される背後には、ダビデを支えた勇士たちの存在がありました。その筆頭に来るのが、3人の勇士たちです。<br>（1）ハクモニの子ヤショブアム。彼は、槍を使って一度に800人を突き殺した戦士でした。（2）アホアハ人ドドの子エルアザル。彼はペリシテ人との戦いで大活躍した戦士です。彼の戦いぶりは、剣を握った手がそのまま剣についてしまい、離れなくなってしまうほどのものでした。彼はイスラエルに主の勝利をもたらすために大いに用いられた人物でした。（3）ハラル人アゲの子シャマ。彼は同胞たちが逃亡してしまった後に、ひとりレンズ豆の畑に踏みとどまってペリシテ人と戦い、彼らを打ち殺しました。彼もまた、主の勝利をもたらすために用いられた人物でした。</p><p><br/></p><p><strong>キリストのからだにつながる器官</strong></p><p>ダビデ王国は、これらの勇士たちの貢献によって確立され、維持されました。次回学びますが、この3人の勇士以外にもさまざまな勇士たちがいました。彼らは自らの賜たまもの物を王国建設のためにささげ、神がそれをお用いになりました。これは、新約時代にも当てはまる原則です。私たちにはそれぞれ異なった特徴、賜物、使命が与えられています。つまり、神の国拡大のためにすべての人が必要とされているということです。パウロはこう語っています。「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです」（ローマ12：4～5）。<br>あなたには特別な使命が与えられています。それがなんであるか、また自分の賜物がなんであるかを再吟味し、献身の生活を立て直そうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。どうか私を、神の国拡大のために用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=0NVLv91kk-M" />
         <pubDate>2025-08-23 21:33:14 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二23：13 ～ 39</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3552935190</link>
         <description><![CDATA[<p>13 三十人のうちのこの三人は、刈り入れのころ、アドラムのほら穴にいるダビデのところに下って来た。ペリシテ人の一隊は、レファイムの谷に陣を敷いていた。</p><p>14 そのとき、ダビデは要害ようがいにおり、ペリシテ人の先陣はそのとき、ベツレヘムにあった。</p><p>15 ダビデはしきりに望んで言った。「だれか、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらなあ。」</p><p>16 すると三人の勇士は、ペリシテ人の陣営を突き抜けて、ベツレヘムの門にある井戸から水を汲み、それを携えてダビデのところに持って来た。ダビデは、それを飲もうとはせず、それを注いで主にささげて、</p><p>17 言った。「主よ。私がこれを飲むなど、絶対にできません。いのちをかけて行った人たちの血ではありませんか。」彼は、それを飲もうとはしなかった。三勇士は、このようなことをしたのである。</p><p>18 ツェルヤの子ヨアブの兄弟アビシャイ、彼は三人のかしらであった。彼は槍をふるって三百人を刺し殺し、あの三人とともに名をあげた。</p><p>19 彼は三人の中でもっとも誉ほまれが高かった。そこで彼らの長になった。しかし、あの三人には及ばなかった。</p><p>20 エホヤダの子ベナヤは、カブツェエルの出で、多くのてがらを立てた力ある人であった。彼は、モアブのふたりの英雄を打ち殺した。また、ある雪の日に、ほら穴の中に降りて行って雄獅子おじしを打ち殺した。</p><p>21 彼はまた、あの堂々としたエジプト人を打ち殺した。このエジプト人は、手に槍を持っていた。彼は杖を持ってその男のところに下って行き、エジプト人の手から槍をもぎ取って、その槍で彼を殺した。</p><p>22 エホヤダの子ベナヤは、これらのことをして、三勇士とともに名をあげた。</p><p>23 彼はあの三十人の中で最も誉れが高かったが、あの三人には及ばなかった。ダビデは彼を自分の護衛長にした。</p><p>24 あの三十人の中には次の者がいた。ヨアブの兄弟アサエル。ベツレヘムの出のドドの子エルハナン。</p><p>25 ハロデ人シャマ。ハロデ人エリカ。</p><p>26 ペレテ人ヘレツ。テコア人イケシュの子イラ。</p><p>27 アナトテ人アビエゼル。フシャ人メブナイ。</p><p>28 アホアハ人ツァルモン。ネトファ人マフライ。</p><p>29 ネトファ人バアナの子ヘレブ。ギブアの出のベニヤミン族リバイの子イタイ。</p><p>30 ピルアトン人ベナヤ。ガアシュの谷の出のヒダイ。</p><p>31 アラバ人アビ・アルボン。バルフム人アズマベテ。</p><p>32 シャアルビム人エルヤフバ。ヤシェンの子ら。ヨナタン。</p><p>33 ハラル人シャマ。アラル人シャラルの子アヒアム。</p><p>34 マアカ人アハスバイの子エリフェレテ。ギロ人アヒトフェルの子エリアム。</p><p>35 カルメル人ヘツライ。アラブ人パアライ。</p><p>36 ツォバの出のナタンの子イグアル。ガド人バニ。</p><p>37 アモン人ツェレク。ツェルヤの子ヨアブの道具持ちベエロテ人ナフライ。</p><p>38 エテル人イラ。エテル人ガレブ。</p><p>39 ヘテ人ウリヤ。全部で三十七人である。</p><p><br/></p><p><strong>その他の勇士</strong></p><p><strong>井戸の水</strong></p><p>前回学んだダビデの3勇士のほかに、30人の勇士と呼ばれる人々がいました。その30人の中の筆頭の3人は、特に大きな貢献をしました。（1）ヨアブの兄弟アビシャイ、（2）エホヤダの子ベナヤ、（3）名の記されていないもうひとりの勇士。<br>この3人に関する興味深いエピソードが記されています。（1）まだダビデがサウル王からのがれていたころ、アドラムの洞穴ほらあなにいた彼は、「だれか、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらな」としきりに望んで言いました。これは、ダビデがホームシックにかかっていたことを表わすことばで、本気で言ったものではありません。ベツレヘムは彼の故郷です。（2）ところが、3人の勇士たちはそれを真に受けて、敵陣を突き抜け、いのちがけでベツレヘムの門にある井戸の水を汲んで来たのです。（3）部下の献身的な行為に感激したダビデは、その水を飲もうとせず、そのまま主の前に注ぎ出してしまいました。その水は部下の血そのものだと思ったからです。<br>この3勇士の行為は、イエス・キリストの贖いのわざを思い起こさせます。主イエスは私たちに永遠のいのちに至る水を提供するために、十字架の上にいのちを投げ出してくださいました。そのいのちの犠牲を無駄にしない唯一の方法は、主イエスを信じてこのお方から永遠のいのちに至る水を飲むことです。あなたはその水を飲んでいますか。</p><p><br/></p><p><strong>30人の勇士</strong></p><p>30人の勇士の筆頭が、上に述べたアビシャイ、ベナヤ、もうひとりの勇士です。（1）アビシャイは、一度は司令官にも任命された経歴の持主で、ダビデのいのちを救った勇士でもありました（21：17）。彼は300人を一度に倒した戦歴を持っていましたが、第一の「3勇士」には及びませんでした。（2）ベナヤもまた多くの功績を残しました。彼が撃ち殺した敵は、モアブのふたりの英雄、洞穴の雄獅子、巨人のエジプト人と多岐にわたっていました。このベナヤも第一の「3勇士」には及びませんでした。<br>最後に、30人の勇士たちの名がリストアップされます。39節には、「全部で37人」となっていますが、これは第一の「3勇士」、第二の「3勇士」、それに将軍ヨアブまで含んだ数だと思われます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。今私のたましいは渇いています。どうか私に生ける水を飲ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=YTW2jIGRuDc" />
         <pubDate>2025-08-24 21:10:33 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二24：1 ～ 9</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3554370439</link>
         <description><![CDATA[<p>1 さて、再び主の怒りが、イスラエルに向かって燃え上がった。主は「さあ、イスラエルとユダの人口を数えよ。」と言って、ダビデを動かして彼らに向かわせた。</p><p>2 王は側近の軍隊の長ヨアブに言った。「さあ、ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルの全部族の間を行き巡り、その民を登録し、私に、民の数を知らせなさい。」</p><p>3 すると、ヨアブは王に言った。「あなたの神、主が、この民を今より百倍も増してくださいますように。王さまが、親しくこれをご覧になりますように。ところで、王さまは、なぜ、このようなことを望まれるのですか。」</p><p>4 しかし王は、ヨアブと将校たちを説き伏せたので、ヨアブと将校たちは、王の前から去って、イスラエルの民を登録しに出かけた。</p><p>5 彼らはヨルダン川を渡って、ガドの谷の真ん中にある町、ヤゼルに向かって右側にあるアロエルに宿営し、</p><p>6 それから、ギルアデとタフティム・ホデシの地に行き、さらにダン・ヤアンに行き、シドンに回った。</p><p>7 そしてツロの要塞に行き、ヒビ人やカナン人のすべての町々に行き、それからユダのネゲブへ出て行って、ベエル・シェバに来た。</p><p>8 こうして彼らは全土を行き巡り、九か月と二十日の後にエルサレムに帰って来た。</p><p>9 そして、ヨアブは民の登録人数を王に報告した。イスラエルには剣を使う兵士が八十万、ユダの兵士は五十万人であった。</p><p><br/></p><p><strong>兵を数える罪</strong></p><p><strong>サタンの誘惑</strong></p><p>21章には、3年間のききんが記されていました。その原因は、ギブオン人たちの血を流したことにありました。きょうの箇所には、「再び主の怒りが、燃え上がった」とあります。その原因がなんであるかは記されていません。そのときダビデは、重大な過ちを犯します。歴代誌第一21章にある並行記事を読みながら、何が起こったのかを見てみましょう。<br>（1）直接ダビデを誘惑したのは、サタンです。（2）その誘惑に乗って、行動を起こしたのはダビデです。（3）主はダビデの決断を許容し、ダビデが人口調査を行なうことを放置されました。（4）そこで問題になったのが、ダビデの動機です。なぜダビデはこの時期に人口調査をしようとしたのでしょうか。人口調査そのものが問題なのではなく、その動機が罪と見なされたのです。考えられるのは、傲慢、常備軍の数を増やす、徴税、などの動機ですが、恐らく最初の「傲慢」がダビデの動機だったのでしょう。</p><p><br/></p><p><strong>神のみこころに反する罪</strong></p><p>（1）人口調査を命じられたヨアブや将校たちは、ダビデの動機に不安を覚え、実行をためらっています。（2）しかし、ダビデが強要したため、彼らはその調査に着手します。彼らはイスラエル全地を行き巡り、9ヶ月と20日をかけてその任務を完成させます。（3）その結果、イスラエルの兵士80万、ユダの兵士50万の登録人数が王に報告されます。この人数は、兵役に就くことのできる成年男子の数です。合計130万人いますので、当時のダビデ王国の総人口は600万人前後であっただろうと推測されます。<br>重大な罪のように感じないことでも、神の目には重大な罪であることが往々にしてあります。本人が気づかなくても、周りの人が気づく場合もあります。時には、信者でない人でさえも気づくことがあります。ヨアブや将校たちは、通常はダビデよりも霊性に欠ける人たちです。その彼らがダビデに、「王さま。彼らはみな、わが君のもの、そのしもべではないのでしょうか。なぜ、わが君はこんなことを要求なさるのですか。なぜ、イスラエルに対し罪過ある者となられるのですか」（Ⅰ歴代誌21：3）と語っています。自分の中に傲慢の罪がないかどうか、吟味してみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。どうか私を終生、傲慢の罪から救ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=5vWdXdgG7mo" />
         <pubDate>2025-08-25 20:39:38 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>サムエル記第二24：10 ～ 17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3555977656</link>
         <description><![CDATA[<p>10 ダビデは、民を数えて後、良心のとがめを感じた。そこで、ダビデは主に言った。「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。主よ。今、あなたのしもべの咎を見のがしてください。私はほんとうに愚かなことをしました。」</p><p>11 朝ダビデが起きると、次のような主のことばがダビデの先見者である預言者ガドにあった。</p><p>12 「行って、ダビデに告げよ。『主はこう仰せられる。わたしがあなたに負わせる三つのことがある。そのうち一つを選べ。わたしはあなたのためにそれをしよう。』」</p><p>13 ガドはダビデのもとに行き、彼に告げて言った。「七年間のききんが、あなたの国に来るのがよいか。三か月間、あなたは仇あだの前を逃げ、仇があなたを追うのがよいか。三日間、あなたの国に疫病があるのがよいか。今、よく考えて、私を遣わされた方に、何と答えたらよいかを決めてください。」</p><p>14 ダビデはガドに言った。「それは私には非常につらいことです。主の手に陥おちいることにしましょう。主のあわれみは深いからです。人の手には陥りたくありません。」</p><p>15 すると、主は、その朝から、定められた時まで、イスラエルに疫病を下されたので、ダンからベエル・シェバに至るまで、民のうち七万人が死んだ。</p><p>16 御使みつかいが、エルサレムに手を伸べて、これを滅ぼそうとしたとき、主はわざわいを下すことを思い直し、民を滅ぼしている御使いに仰せられた。「もう十分だ。あなたの手を引け。」主の使いは、エブス人アラウナの打ち場のかたわらにいた。</p><p>17 ダビデは、民を打っている御使いを見たとき、主に言った。「罪を犯したのは、この私です。私が悪いことをしたのです。この羊の群れがいったい何をしたというのでしょう。どうか、あなたの御手を、私と私の一家に下してください。」</p><p><br/></p><p><strong>神のさばき</strong></p><p><strong>懲罰の選択</strong></p><p>人口調査が終わると、ダビデ自身も良心のとがめを覚えるようになります。彼は神の前に自らの罪を告白しました。（1）翌朝、預言者ガドが主のことばを告げるためにダビデのところにやって来ます。（2）ガドは、主からの懲罰として三つの可能性があることを告げます。3年間のききん（7年間というのは書記のミスでしょう）、3ヶ月の敗走、3日間の疫病。時間が短いほどさばきの内容はきびしくなっていることに注目しましょう。（3）ダビデは「主の手に陥ることにしましょう。主のあわれみは深いからです。人の手には陥りたくありません」と答え、第三の「疫病」を選んでいます。ききんを選ぶと、食物を持っている者に頼ることになります。敗走を選ぶと、敵に追いかけられることになります。ダビデは人の手に陥ることを嫌ったのです。</p><p><br/></p><p><strong>さばきの軽減</strong></p><p>こうして神のさばきが始まりました。そのさばきによって、人口調査の行なわれた全地域で7万人が疫病で死にました。ダビデは、国を成り立たせているのは兵力ではなく、神の力であることを思い知らされたことでしょう。御使いがエルサレムにも疫病をもたらさそうとしたとき、主は「もう十分だ。あなたの手を引け」とお語りになりました。「主はわざわいを下すことを思い直し」とありますが、これは、人の神に対する姿勢が変わったので、神も人に対する姿勢を変えられたということです。（1）そのとき主の使いは、エブス人アラウナの打ち場のかたわらにいました。この場所は、アブラハムが息子イサクをささげたモリヤの山です。ソロモンの神殿はこの場所に建設されることになります。（2）ダビデは民を打っている御使いを見て、罪の告白ととりなしの祈りをささげています。民に罪はないのだから、自分と自分の家とを打ってほしいというのがその祈りの内容です。神のさばきはまだエルサレムにまで下っていなかったので、このような祈りとなりました。<br>この事件は、ダビデがアラウナの打ち場を購入するための背景となりました。その場所にソロモンの神殿が建つようになるのですから、不思議なことです。すべてのことを益とされる主の御名をたたえようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたは不思議を行なわれるお方です。どうか私の人生においても、すべてのことを益にしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=6ACk3PrTNpE" />
         <pubDate>2025-08-26 20:52:32 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>サムエル記第二24：18 ～ 25</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3557529370</link>
         <description><![CDATA[<p>18 その日、ガドはダビデのところに来て、彼に言った。「エブス人アラウナの打ち場に上って行って、主のために祭壇を築きなさい。」</p><p>19 そこでダビデは、ガドのことばのとおりに、主が命じられたとおりに、上って行った。</p><p>20 アラウナが見おろすと、王とその家来たちが自分のほうに進んで来るのが見えた。それで、アラウナは出て来て、地にひれ伏して、王に礼をした。</p><p>21 アラウナは言った。「なぜ、王さまは、このしもべのところにおいでになるのですか。」そこでダビデは言った。「あなたの打ち場を買って、主のために祭壇を建てるためです。神罰しんばつが民に及ばないようになるためです。」</p><p>22 アラウナはダビデに言った。「王さま。お気に召す物を取って、おささげください。ご覧ください。ここに全焼のいけにえのための牛がいます。たきぎにできる打穀機だこくきや牛の用具もあります。</p><p>23 王さま。このアラウナはすべてを王に差し上げます。」アラウナはさらに王に言った。「あなたの神、主が、あなたのささげ物を受け入れてくださいますように。」</p><p>24 しかし王はアラウナに言った。「いいえ、私はどうしても、代金を払って、あなたから買いたいのです。費用もかけずに、私の神、主に、全焼のいけにえをささげたくありません。」そしてダビデは、打ち場と牛とを銀五十シェケルで買った。</p><p>25 こうしてダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげた。主が、この国の祈りに心を動かされたので、神罰はイスラエルに及ばないようになった。</p><p><br/></p><p><strong>神殿用地の購入</strong></p><p><strong>主のための祭壇</strong></p><p>預言者ガドが再びやって来て、神罰が止むための条件として、祭壇を築いていけにえをささげるべきであると告げます。祭壇を築く場所は、アラウナの打ち場です。（1）ダビデは、ガドのことばのとおりに、主が命じられたとおりに、そこに上って行きます。ダビデの忠実な姿が浮かんできます。（2）王の来訪を受けたアラウナは驚き、地に伏して王を迎えます。彼は先住民であるエブス人の生き残りですので、恐怖心があったのでしょう。（3）ダビデは彼に、訪問の目的を告げ、神罰を終わらせるために打ち場を購入して、そこに祭壇を築きたいと伝えます。（4）それを聞いたアラウナは、何もかもすべて無料で差し上げますと申し出ます。（5）しかしダビデはその献身的な申し出を断ります。費用もかけずに、主にいけにえをささげることなどできないと考えたからです。（6）結局ダビデは、打ち場と犠牲の牛の代金として、銀50シェケルを支払いました。歴代誌第一21：25では、ダビデが「6百シェケル」支払ったとなっていますが、その額は神殿建設に必要な用地全体の代金なのでしょう。<br>ダビデの姿勢から、真の宗教とはなんであるかが見えてきます。それは形式や外見を整えることではありません。自ら痛みを感じるような犠牲をささげ、心の底から神に従うことこそ真の宗教です。</p><p><br/></p><p><strong>神殿用地</strong></p><p>ダビデはアラウナの打ち場に祭壇を築き、そこで全焼のいけにえと和解のいけにえをささげました。そのとき主は、その豊かなあわれみのゆえに、疫病をとどめ、イスラエルを救われました。その場所は、アブラハムが息子イサクをささげたモリヤの山です。ソロモンの神殿はこの場所に建設されることになります。ダビデがそこを購入したことは、イスラエルの歴史においては特記すべき重要な出来事となりました。<br>今でもイスラエル人たちは、ダビデがその地をアラウナから購入したことを理由に、神殿の丘の所有権を主張しています。私たちクリスチャンにとっては、そこは御子イエスの贖いの死を予感させる場所となりました。犠牲の動物の血が流されたがゆえに神のさばきが収まったように、御子イエスの血によって私たちも神のさばきを免れるようになったのです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。御子イエスの犠牲、そしてあなたの豊かなあわれみを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-08-27 20:01:48 UTC</pubDate>
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      </item>
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         <title>ルカの福音書1：1～4</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3559203981</link>
         <description><![CDATA[<p>1-2 私たちの間ですでに確信されている出来事については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みておりますので、</p><p>3 私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿。</p><p>4 それによって、すでに教えを受けられた事がらが正確な事実であることを、よくわかっていただきたいと存じます。</p><p><br/></p><p><strong>テオピロ殿へ</strong></p><p><strong>歴史家ルカ</strong></p><p>ルカは異邦人であるという説もありますが、個人的には、ディアスポラ（離散）のユダヤ人である可能性が高いと考えています。ルカは、以下の三つの事項に対して深い関心を払っています。（1）エルサレム、（2）婦人たちの信仰と奉仕、（3）異邦人伝道。異邦人（ギリシヤ人）に福音を伝えるために、ルカは、神の子イエスの人間性にスポットライトを当てました。それは、ギリシヤ人が追求していた理想的な人間の姿がここにあることを示そうとしたからです。彼は、医者でもあり（コロサイ人への手紙4：14）、偉大な歴史家でもありました。3節では、次の三点に注目しましょう。（1）彼は、「すべて」を調べたといいます。それは、イエスの生涯についてすでに書かれていた文書や口伝伝承のことです。（2）彼は、「初めから」調べたといいます。つまり、イエスの生涯の初めからということです。（3）彼は、「綿密に」調べたといいます。彼は、一つ一つの出来事を詳細に調べ、執筆目的にかなうように順序立てて記録しました。そこには、聖霊の不思議な導きと守りがありました。その結果生まれたのが、ルカの福音書です。この福音書を、「世界で最も麗しい書」と呼ぶ人が多くいるのもうなずけます。</p><p><br/></p><p><strong>謎の人物テオピロ</strong></p><p>この福音書は、テオピロ殿という人物への献呈の辞をもって始まります。テオピロとは、「神を愛する者」という意味です。当時のギリシヤ・ローマの著作には、この体裁を取るものが多くみられます。問題は、テオピロという人物がだれかということです。「殿」とは、当時使われていた高官への敬称で、使徒の働き23章26節では、「閣下」と訳されています。そうすると、テオピロとは実在したある高貴な人物と解釈するのが最も自然です。恐らく、ルカのパトロンとなって、ルカの福音書と、使徒の働きの完成を、経済的に支えた人物なのでしょう。あなたには、信仰が揺さぶられ、自分が信じてきたことが果たして真実なのだろうかと疑いを持ったことはありませんか。キリスト教は、歴史的事実を基礎とする信仰です。疑いを持ったとき、即座に聖書に帰り、そこから直接確信を得る必要があります。ルカの手を通して、この麗しい福音書が私たちに届けられたことを神に感謝しましょう。また、自分自身が、「神を愛する者」となって、この福音書の真理を深く味わうことができるように、祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。ルカというすばらしい歴史家が、初代教会の時代に存在していたことを感謝します。また彼が、異邦人のための福音書を残してくれたことを感謝します。私を、この福音書の読み手にふさわしく、「神を愛する者」と変えてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=0DFRz2vkmY8" />
         <pubDate>2025-08-28 20:53:39 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書1：5～25</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3561136876</link>
         <description><![CDATA[<p>5 ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。</p><p>6 ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行っていた。</p><p>7 エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。</p><p>8 さて、ザカリヤは、自分の組が当番で、神の御前に祭司の務めをしていたが、</p><p>9 祭司職の習慣によって、くじを引いたところ、主の神殿に入って香をたくことになった。</p><p>10 彼が香をたく間、大ぜいの民はみな、外で祈っていた。</p><p>11 ところが、主の使いが彼に現れて、香壇の右に立った。</p><p>12 これを見たザカリヤは不安を覚え、恐怖に襲われたが、</p><p>13 御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。</p><p>14 その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。</p><p>15 彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、</p><p>16 そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。</p><p>17 彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」</p><p>18 そこで、ザカリヤは御使いに言った。「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」</p><p>19 御使いは答えて言った。「私は神の御前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この喜びのおとずれを伝えるように遣わされているのです。</p><p>20 ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」</p><p>21 人々はザカリヤを待っていたが、神殿であまり暇取るので不思議に思った。</p><p>22 やがて彼は出て来たが、人々に話すことができなかった。それで、彼は神殿で幻を見たのだとわかった。ザカリヤは、彼らに合図を続けるだけで、口がきけないままであった。</p><p>23 やがて、務めの期間が終わったので、彼は自分の家に帰った。</p><p>24 その後、妻エリサベツはみごもり、五か月の間引きこもって、こう言った。</p><p>25 「主は、人中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださいました。」</p><p><br/></p><p><strong>ヨハネ誕生の告知</strong></p><p><strong>祈りは聞かれる</strong></p><p>ルカの福音書は、旧約聖書的な記述で始まります。ルカが、いかに旧約聖書やユダヤ教の伝統に精通していたかが分かります。そればかりか、イエス・キリストの福音が、旧約聖書の延長線上に生まれてきたものであることが確認できます。ザカリヤとその妻エリサベツは、子宝に恵まれないまま老年を迎えていました。もちろん彼らも罪人ですが、ルカは彼らのことを、旧約聖書的な意味で、「神の御前に正しい」と呼んでいます。その彼らの祈りが聞かれる日がやって来ました。当時、祭司たちは24の組に分かれていましたが、アビヤの組は第8番目でした。その組が当番のとき、くじが当たって、ザカリヤは神殿に入って香をたくことになりました。これは、祭司の一生で、一度あるかないかの特権です。神殿の中で、主の使いが彼に現われ、ヨハネの誕生を告知します。ザカリヤとエリサベツの祈りは、聞き届けられていました。そればかりか、神は彼らが願った以上のことをしてくださいました。その子は、多くのイスラエル人を神に立ち返らせる仕事をするようになるというのです。これは、マラキ書4章5、6節の預言の成就です。ヨハネという名は、「主は恵み深い」という意味です。ヨハネの誕生から、恵みの時代が始まりました。</p><p><br/></p><p><strong>不信仰は沈黙をもたらす</strong></p><p>御使いの告知を聞いて、ザカリヤは、信仰と理性の板ばさみとなります。理性は、「私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」（18節）と叫びました。その時点で、ザカリヤはものが言えなくなります。これは、不信仰に対する罰であると同時に、神がザカリヤに与えた恵みでもあります。ザカリヤはこれ以降、不信仰のことばを語れなくなります。夫の救いのために長い間祈ってきたある婦人がいました。夫が決心したという知らせを聞いたとき、彼女は、「信じられない。」と答えました。祈ってきたのに、信じられないのです。それが、私たちの姿なのかもしれません。ザカリヤは、信仰を回復するまでは、口が閉ざされたままでした。本来は神をほめたたえているべきなのに、不信仰のために口が閉ざされていることがよくあります。最近、あなたの口は、神に栄光を帰す言葉を語っていますか。もしそうでないなら、何が原因になっているか黙想してみましょう。祈りは聞かれるという確信を神からいただき、神をほめたたえましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い神よ。不信仰によって口が閉ざされたようになっていました。お赦しください。今、あなたは祈りに答えてくださる恵み深い神であることを告白します。私の口を解き放ってください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=ERzyORoqmW8" />
         <pubDate>2025-08-29 20:22:42 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書1：26～38</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3561673896</link>
         <description><![CDATA[<p>26 ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。</p><p>27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。</p><p>28 御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」</p><p>29 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。</p><p>30 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。</p><p>31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。</p><p>32 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。</p><p>33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」</p><p>34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」</p><p>35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。</p><p>36 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。</p><p>37 神にとって不可能なことは一つもありません。」</p><p>38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。</p><p><br/></p><p><strong>マリヤへの受胎告知</strong></p><p><strong>神の忠実さ</strong></p><p>あまりにも有名な箇所です。歴史上、多くの芸術家たちが、この場面を描こうと努力してきました。私たちは、まず神の忠実さに目を注ぎながら、今日の聖書箇所を味わいましょう。マリヤへの受胎告知は、前後の文脈なしに突如やって来たものではありません。これは、神がアブラハムと結んだ契約（創世記12章1～3節）の成就です。なぜそう言えるのでしょうか。（1）「イエス」とは、「主は救い」という意味です。マリヤから生まれる男の子は、神の民イスラエルを救い、異邦人をも救うようになります。これは、アブラハムの子孫によって地上の民族が祝福を受けるようになるという約束の成就です。（2）「ダビデの王位をお与えになる」とは、メシヤがダビデの家系から出て、ダビデ王国を確立するようになるという約束の成就です。イエスは、父ヨセフを通して法的な意味で、母マリヤを通して肉体的な意味で、「ダビデの子」となられました（サムエル記第二7：12～16、イザヤ書9：6～7参照）。（3）マリヤの処女懐胎は、イザヤ書7章14節の預言の成就です。イスラエルの民は、メシヤが誕生する日を心待ちに待っていました。神は、時が満ちたとき、約束のことばを実行に移されました。私たちの神は、約束されたことを決して忘れてはおられません。この神を、心からほめたたえましょう。</p><p><br/></p><p><strong>マリヤの応答</strong></p><p>マリヤの応答の中に、彼女の三つの資質が表現されています。（1）信仰。彼女は、神との契約関係の中でこの受胎告知がなされていることを理解しました。（2）謙遜。彼女は、自分の足りなさを十分に自覚していました。彼女の住んでいたナザレの町の名は、旧約聖書やタルムードには一度も出てきません。ユダヤ人女性たちは、何世紀にもわたって、自らがメシヤの母となることを願ってきました。しかしその特権は、マリヤに与えられました。彼女は、ただ主の恵みに感謝するしかないと強く感じたことでしょう。（3）従順。彼女は、自らを女奴隷として主の前にささげる決心をしました。それは、強制された女奴隷ではなく、自由意志による女奴隷です。神は、あなたのためにもすばらしいご計画を用意しておられます。すすんで主の奴隷になろうとする人々を用いて、神は大いなるわざを行なわれます。「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」と祈りましょう。（ローマ人への手紙6：16～23参照）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い神よ。私は、あなたの手の中にある土くれ（クレイ）です。どうか、あなたのご計画通りに、私を形造ってください。マリヤと同じように、「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」と祈ります。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=8DfSee6RKi4" />
         <pubDate>2025-08-30 21:08:59 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書1：39～56</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3562215682</link>
         <description><![CDATA[<p>39 そのころ、マリヤは立って、山地にあるユダの町に急いだ。</p><p>40 そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。</p><p>41 エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満たされた。</p><p>42 そして大声をあげて言った。「あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。</p><p>43 私の主の母が私のところに来られるとは、何ということでしょう。</p><p>44 ほんとうに、あなたのあいさつの声が私の耳に入ったとき、私の胎内で子どもが喜んでおどりました。</p><p>45 主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」</p><p>46 マリヤは言った。「わがたましいは主をあがめ、</p><p>47 わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。</p><p>48 主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。</p><p>49 力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く、</p><p>50 そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。</p><p>51 主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、</p><p>52 権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げ、</p><p>53 飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。</p><p>54 主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。</p><p>55 私たちの父祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」</p><p>56 マリヤは三か月ほどエリサベツと暮らして、家に帰った。</p><p><br/></p><p><strong>マリヤの賛歌</strong></p><p><strong>聖霊による預言</strong></p><p>マリヤの賛歌は、聖霊によって語られた預言です。その賛歌が生まれた背景について考えてみましょう。マリヤは、ナザレを発って、ユダの山地（エンカレムという町）に住むエリサベツを訪問しました。すでに妊娠していたエリサベツと交わることで、慰めと励ましを受けようとしたのでしょう。真の信仰者が交わるとき、そこには聖霊の喜びがあります。マリヤの声を聞いたとき、エリサベツの胎内で子がおどり、彼女は聖霊に満たされました。将来バプテスマのヨハネになる子が、すでにこの時点で、主イエスの先駆者としての役割を果たしています。エリサベツがマリヤを祝福する言葉を語るとすぐに、マリヤの口から賛歌があふれ出ました。この賛歌は聖霊による預言だと、冒頭で書きました。なぜそう言えるのでしょうか。この時代、イスラエル人たちの間では、男性だけでなく女性も聖書教育を受けていました。マリヤの賛歌は、サムエルの母ハンナの祈り（サムエル記第一2：1～10）を思わせますし、詩篇からの引用もふんだんに用いられています。つまり、マリヤは豊かな聖書の知識を持っており、聖霊はそこに働きかけて、彼女がすばらしい賛歌を歌うことができるようにされたのです。私たちも、日々のデボーションを通して、神のことばを心に蓄えましょう。状況に応じて、聖霊が蓄えられたことばを用いてくださいます。</p><p><br/></p><p><strong>賛歌の内容</strong></p><p>マリヤは、自分の身に起こったことを思い、神をたたえました。メシヤを宿す資格など全くない自分に、このような恵みが与えられたことを彼女は心から喜びました（46～49節）。次に彼女は、神の恵みを普遍化し、それは誰でも体験することができるものであると宣言します（50～53節）。高慢な者は、神の恵みに依り頼もうとしません。しかし、謙遜な者、心砕かれた者は、神の恵みを受けることができます。この真理は、今も変わりません。神の恵みの根拠は、神がアブラハムと交わされた契約です（54～55節）。神は、その約束に基づいて、イスラエルの民をお助けになります。私たちも、メシヤであるイエスを信じた結果、信仰によるアブラハムの子孫となりました。なんという幸いでしょうか。マリヤの賛歌は、単に感情的な高揚からではなく、深い神学的な理解から生まれてきたものです。信仰によるアブラハムの子孫として、私たちも神をたたえましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い神よ。私があなたのことばを心に蓄えることができますように、お助けください。聖霊が、それらのことばに働きかけ、私を神をたたえる器に変えてくださるようにお願いします。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=3yuEwtiawak" />
         <pubDate>2025-08-31 20:41:33 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書1：57～66</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3563679378</link>
         <description><![CDATA[<p>57 さて月が満ちて、エリサベツは男の子を産んだ。</p><p>58 近所の人々や親族は、主がエリサベツに大きなあわれみをおかけになったと聞いて、彼女とともに喜んだ。</p><p>59 さて八日目に、人々は幼子に割礼するためにやって来て、幼子を父の名にちなんでザカリヤと名づけようとしたが、</p><p>60 母は答えて、「いいえ、そうではなくて、ヨハネという名にしなければなりません」と言った。</p><p>61 彼らは彼女に、「あなたの親族にはそのような名の人はひとりもいません」と言った。</p><p>62 そして、身振りで父親に合図して、幼子に何という名をつけるつもりかと尋ねた。</p><p>63 すると、彼は書き板を持って来させて、「彼の名はヨハネ」と書いたので、人々はみな驚いた。</p><p>64 すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた。</p><p>65 そして、近所の人々はみな恐れた。さらにこれらのことの一部始終が、ユダヤの山地全体にも語り伝えられて行った。</p><p>66 聞いた人々はみな、それを心にとどめて、「いったいこの子は何になるのでしょう」と言った。主の御手が彼とともにあったからである。</p><p><br/></p><p><strong>ヨハネの誕生</strong></p><p><strong>神のあわれみ</strong></p><p>ルカの福音書1章を貫くテーマは、「神のあわれみ」です。マリヤもその賛歌の中で、二度「あわれみ」という言葉を使っています（50、54節）。ヨハネ誕生の記事も、「神のあわれみ」という文脈の中で書かれています。エリサベツは、天使の約束どおり男の子を産みました。その知らせは、共同体の中に大きな喜びをもたらしました。長子の誕生は喜ばしいものですが、今回は、通常の長子の誕生にはない祝福がありました。老年になったエリサベツが、男の子を産んだからです。人々は、主がエリサベツに大きなあわれみをおかけになったと聞いて、ともに喜びました。まるで私自身がその喜びの中に招かれているような気がしてきます。私たちも、今までなんと大きな「神のあわれみ」を受けてきたことでしょうか。そのことを思い出してみましょう。そして、イエス・キリストを通して、この喜びの中に加えられる人が一人でも多く起こされるように、祈り、励みましょう。</p><p><br/></p><p><strong>解かれた舌</strong></p><p>幼子は、八日目に割礼を受けました。これは、アブラハム契約の印です（創世記17：12、レビ記12：3）。人々は、当時の習慣によって、幼子をザカリヤと名づけようとしました。母エリサベツは、「いいえ、そうではなくて、ヨハネという名にしなければなりません。」と答えています。彼女の強い意志が感じられます。そこで、父ザカリヤの意見を聞くために、板の表面にロウが塗られた書き板が運ばれてきます。ザカリヤとエリサベツは、ここ数ヶ月の間、このような書き板を通して会話をしていたに違いありません。父は、「彼の名はヨハネ。」と書きました。原文のギリシャ語では、もっと鮮明にザカリヤの思いが表現されています。「ヨハネ」という名が最初に来ます。動詞の時制は、現在形です。あたかもザカリヤが、「今、ヨハネという名をつけるのではない。それは、主のご計画によってすでに決まっている名である。」と語っているようです。そのとき、ザカリヤの口が開け、舌が解けました。彼が最初にしたのは、神を賛美することでした。神のみこころを発見し、そこに自らをゆだねたとき、私たちの口からも主への賛美が生まれます。そして、喜びとともに、恐れが心を満たします。それは、カルト集団を支配しているような恐れではなく、真の神に対する畏怖の念です。あなたは、そのような喜び、畏怖の念を体験したことがありますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い神よ。あなたが私の人生にご用意してくださった計画が、すべて成就しますように、私をお導きください。みこころに従順なしもべとならせてください。喜びと畏怖の念で満たしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-09-01 20:47:23 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書1：67～80</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3565590427</link>
         <description><![CDATA[<p>67 さて父ザカリヤは、聖霊に満たされて、預言して言った。</p><p>68 「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、</p><p>69 救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。</p><p>70 古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、主が話してくださったとおりに。</p><p>71 この救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである。</p><p>72 主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、その聖なる契約を、</p><p>73 われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、</p><p>74–75 われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。</p><p>76 幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。主の御前に先立って行き、その道を備え、</p><p>77 神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。</p><p>78 これはわれらの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、</p><p>79 暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」</p><p>80 さて、幼子は成長し、その霊は強くなり、イスラエルの民の前に公に出現する日まで荒野にいた。</p><p><br/></p><p><strong>ザカリヤの賛歌</strong></p><p><strong>旧約聖書と新約聖書をつなぐ預言</strong></p><p>ザカリヤの賛歌は、聖霊によって与えられたもので、旧約聖書と新約聖書をつなぐ預言となっています。この賛歌は、四つの部分に分かれます。メシヤ到来への感謝（68～70節）、大いなる解放（71～75節）、ヨハネの使命（76～77節）、メシヤによる救い（78～79節）。ザカリヤが、息子ヨハネの誕生を喜ぶ前に、メシヤの到来を喜び、感謝していることに注目しましょう。「しもべダビデの家」（69節）、「われらの父アブラハムに誓われた誓い」（73節）などのことばが使われています。ザカリヤは、メシヤの出現が、アブラハム契約（創世記12章）とダビデ契約（サムエル記第二7章）の成就であることを理解しました。人間の目には、約束の成就までに余りにも時間がかかりすぎているかのように感じられることがあります。しかし神は、時が来たなら、必ず約束を果たされるお方です。出エジプトの時代も、イスラエルの民が解放されるまでに四百年の歳月が流れました。しかし、時が満ちて、神の直接介入が始まりました。あなたは、祈りの答えが来ないために失望していますか。神は、約束に忠実なお方、私たちの祈りを聞いてくださるお方です。失望しないで、祈り続けましょう。</p><p><br/></p><p><strong>旧約時代と新約時代をつなぐ預言者</strong></p><p>ザカリヤは、息子ヨハネの働きに関して預言します。「幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。主の御前に先立って行き、その道を備え、神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。」（76～77節）。当時イスラエルには、数百年間預言者は現われていませんでした。ヨハネは、旧約時代と新約時代とをつなぐ預言者として生まれました。ヨハネの出現は、イスラエルに新しい時代が到来したことを表わしています。新しい時代とは、「律法の原則」ではなく、「恵みの原則」が支配する時代です。ザカリヤは、「これはわれらの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、われらの足を平和の道に導く。」（78～79節）と歌いました。あなたには、物事を律法的に捉える傾向はありませんか。義務感だけで動いていると、信仰の命を失い、自分を窮屈にし、他人をさばくようになります。恵みによって生きるとは、聖霊に満たされ、愛に生きることです。その結果、気がつくと律法の要求も満たしていることになります。今もう一度、神の恵みに感謝しましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い神よ。主イエス・キリストによってもたらされた恵みの時代を感謝します。今、私を聖霊で満たしてください。今日一日、愛の原則で生きることができますように。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-09-02 20:27:01 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書2：1～7</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3567584260</link>
         <description><![CDATA[<p>1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。</p><p>2 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。</p><p>3 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。</p><p>4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、</p><p>5 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。</p><p>6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、</p><p>7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。</p><p><br/></p><p><strong>イエスの誕生</strong></p><p><strong>ローマ帝国を動かす神</strong></p><p>ルカは、イエスの誕生がミカ書5章2節の預言の成就であることを示すために、ヨセフとマリヤがベツレヘムに向かうことになった歴史的背景を詳しく記しています。「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。」（1節）とあります。ユダヤからは遠く離れたローマで、皇帝アウグストは、徴税のために人口調査をせよとの勅令を出しました。彼は、ミカ書の預言についても、自らの勅令がもたらす結果についても、全く無知でした。しかし、歴史を支配しておられる神は、ローマ皇帝を、ご自身の計画達成のためにお用いになられました。かつてローマ帝国を動かした神は、今も、世界の政治情勢を支配しておられます。共産主義の崩壊、冷戦構造の終焉、民族間の紛争などの一連の出来事の中に、神の導きの御手が見え隠れします。世界中の政治家たちが、神を恐れつつ正義に基づいた政治を行なうことができるように、とりなしの祈りをささげましょう。また、複雑で悲惨な国際紛争の中に、神の直接的介入があるように、祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>貧しくなられた神の子</strong></p><p>住民登録のためには、ヨセフだけがベツレヘムに行けば十分だったはずです。なぜ、身重のマリヤを連れて行く必要があったのでしょうか。マリヤをナザレに一人残すことは、彼女を中傷にさらすことでもありました。それは、ヨセフには耐えられないことでした。ローマ皇帝の勅令と、ナザレの人々の中傷とが、マリヤをベツレヘムに送ったとも言えます。彼女は、羊を囲っておく洞窟のような所でイエスを産み、布にくるんで、飼葉おけに寝かせました。「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」とルカは記しています。神の子イエスが、家畜小屋で誕生したことは、歴史上最大のパラドックス（逆説）です。その誕生物語には、孤独な雰囲気が漂っています。私たちの人生にも、孤独を感じる瞬間がやって来ます。あなたは今、すべての可能性から見放されたように感じていますか。でも、失望する必要はありません。人には理解されなくても、あなたの苦しみを理解してくださる方がおられます。それが、救い主イエスです。今、この方に近づき、心からの信頼を告白しましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。私たちの罪を赦すために、御子イエスが貧しくなってくださったことを感謝します。今、ベツレヘムで生まれた幼子の前にひざまずき、礼拝をささげます。私の心を、イエスを愛する愛で満たしてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=uLt3TzsUuGY" />
         <pubDate>2025-09-03 20:24:25 UTC</pubDate>
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      </item>
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         <title>ルカの福音書2：8～20</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3569413194</link>
         <description><![CDATA[<p>8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。</p><p>9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。</p><p>10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。</p><p>11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。</p><p>12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」</p><p>13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。</p><p>14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」</p><p>15 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」</p><p>16 そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。</p><p>17 それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。</p><p>18 それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。</p><p>19 しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。</p><p>20 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。</p><p><br/></p><p><strong>天使と羊飼い</strong></p><p><strong>喜びの知らせを伝えた天使</strong></p><p>天使が伝えた最初のことばは、「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。」（10節）でした。神の栄光を見たときの自然な反応は、恐れでしょう。しかし天使は、恐れる必要はないと語りかけ、イスラエル人のためにメシヤが来られたと宣言します。当時、神殿でささげられる羊は、エルサレムとベツレヘムの間で飼育されていました。そうすると、これらの羊飼いたちが、神殿で犠牲となる羊を飼っていた可能性は大です。彼らは職業がら、パリサイ人たちのように律法を厳格に守ることはできませんでした。そのために、宗教的な階層からは、軽蔑の対象となっていました。また、盗癖のある者たちとみなされ、法廷での証言能力が認められていませんでした。その彼らに、なぜメシヤ誕生の知らせが最初に届けられたのでしょうか。「人はうわべを見るが、主は心を見る。」（サムエル記第一16：7）という原則が、ここでもあてはまります。神は、羊飼いたちの心をご覧になったのはないでしょうか。あなたは、表面を繕うことに汲々とするタイプですか。それとも、心をご覧になる神を喜ばせようとするタイプですか。今、神に、心を探っていただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>応答した羊飼いたち</strong></p><p>天使は、羊飼いたちに、しるしを与えました。あの夜、ベツレヘムには何人もの赤子がいたことでしょう。しかし、「布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりご」は、たった一人でした。その知らせが羊飼いたちに伝えられるや否や、天使の大軍勢が現われ、神を賛美し始めました。その賛美の中心点は、「平和」でした。ローマ帝国の支配下にあったイスラエル人たちにとって、平和はどんな犠牲を払ってでも手に入れたいものでした。しかし彼らは、単に政治的な平和だけでなく、霊的な平和も必要としていました。現代に住む私たちも、政治的な意味でも、霊的な意味でも、平和を必要としています。平和を得るための前提となるのが、神の栄光です。神を神として認めるところには、平和が実現します。羊飼いたちは、応答しました。原文のギリシャ語では、彼らが興奮してただちに行動を起こしたことがよく伝わってきます。神の招きに対して、中立の態度を取り続けることはできません。羊飼いたちは、平和の君の前にひざまずくことを選びました。あなたはどちらを選びますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。私の心を探ってください。今私は、御子イエスを礼拝することを選んだ羊飼いたちと同じ選びをします。イエスは私の救い主です。どうか、主イエスにお仕えする人生を歩ませてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="http://www.youtube.com/watch?v=ow3oRSXqsX8" />
         <pubDate>2025-09-04 18:48:25 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title></title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3571242619</link>
         <description><![CDATA[<p>21 八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子はイエスという名で呼ばれることになった。胎内に宿る前に御使いがつけた名である。</p><p>22 さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムへ連れて行った。</p><p>23 ──それは、主の律法に「母の胎を開く男子の初子は、すべて、主に聖別された者、と呼ばれなければならない」と書いてあるとおりであった──</p><p>24 また、主の律法に「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」と定められたところに従って犠牲をささげるためであった。</p><p>25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。</p><p>26 また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。</p><p>27 彼が御霊に感じて宮に入ると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、入って来た。</p><p>28 すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。</p><p>29 「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。</p><p>30 私の目があなたの御救いを見たからです。</p><p>31 御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、</p><p>32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」</p><p>33 父と母は、幼子についていろいろ語られる事に驚いた。</p><p>34 また、シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。</p><p>35 剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現れるためです。」</p><p><br/></p><p><strong>幼子イエス</strong></p><p><strong>律法の下に生まれたメシヤ</strong></p><p>ルカは、他の三人の福音記者よりも詳しく、イエスの幼少時代を記録しています。幼子は、八日目に割礼を受け、天使が伝えた通りに「イエス（主は救い）」と命名されました。その名は、メシヤとして来られたイエスの使命を予表するものでした。イエスの両親は、律法の教えを忠実に守る人たちでした。彼らは、エルサレムの神殿に上り、犠牲をささげようとしました。このような場合の通常の犠牲は、小羊です。しかし、貧しい人々のために、「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」という規定も設けられていました。ヨセフとマリヤは、それをささげていますので、経済的には裕福でなかったことが分かります。このようにしてイエスは、律法の要求をすべて全うしました。ガラテヤ人への手紙4章4節、5節には、このような記述があります。「しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。」（4：4～5）。イエスは、律法の下にあるユダヤ人も、また異邦人である私たちも、ともに救うことのできる方です。</p><p><br/></p><p><strong>シメオンの預言</strong></p><p>シメオンという人がいました。彼は、「イスラエルの慰められること」（つまり、メシヤの来臨）を待ち望んでいる敬虔なユダヤ人でした。聖霊によってイエスこそ約束のメシヤであることを啓示されたシメオンは、ただちに神をほめたたえ始めます。シメオンの賛歌の内容は、アブラハム契約の成就を喜ぶものとなっています。神は、約束通りメシヤを遣わされました。メシヤがもたらす救いは、イスラエルの光栄となるばかりか、やがて異邦人を照らす啓示の光となります。その結果、万民が神の救いを体験するようになるのです。最後にシメオンは、イエスの生涯を預言します（33～35節）。イエスの存在とそのメッセージは、人々を信じる者と信じない者に二分します。イエスの最期は、苦難の死です。それは、マリヤの心を刺し貫く出来事となります。イエスに対して、人は中立であり続けることはできません。あなたはいかがですか。イエスを信じ、神の子とされる特権を今いただこうではありませんか。すでに神の子とされているなら、イエスのために苦しむことも喜んで受け入れようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの聖なる神よ。イスラエルの光栄であり、異邦人を照らす啓示の光である救いを、私に示してくださり感謝します。今マリヤの経験した痛みを思い、祈ります。どうか私を、イエスのために苦しむことも喜んで受け入れる者としてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-09-05 21:40:42 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書2：36～40</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3571868581</link>
         <description><![CDATA[<p>36 また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、</p><p>37 その後やもめになり、八十四歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。</p><p>38 ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。</p><p>39 さて、彼らは主の律法による定めをすべて果たしたので、ガリラヤの自分たちの町ナザレに帰った。</p><p>40 幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちていった。神の恵みがその上にあった。</p><p><br/></p><p><strong>ナザレに帰る聖家族</strong></p><p><strong>女預言者アンナの祈り</strong></p><p>アンナもシメオンとともに、イエスが約束のメシヤであることを受け入れました。アンナに関しては、いくつかの注目すべき点があります。彼女は、女預言者と呼ばれています。当時イスラエルには、数百年間預言者が出ていませんでしたので、「女預言者」というタイトルは、非常に重みのあるものです。アンナは、アセル族の出身でした。アセル族とは、北の十部族の一つです。アンナは何らかの形で系図を保存し、自らがアセル族の出身であることを証明できたようです。彼女は、メシヤを待ち望んでおり、シメオン同様、イエスのゆえに神に感謝をささげました。当時のイスラエル人の中に、イエス誕生の直後から、イエスこそメシヤであることを告白した人々がいたのです。現代のユダヤ人はどうでしょうか。多くのユダヤ人たちが、今も、メシヤの到来を待ち望んでいます。すでにメシヤは来られたのに、彼らはそれを認めず、なおも待ちつづけています。ここに、ユダヤ人の悲劇があります。彼らの霊の目が開かれるように、祈りましょう。また私たちも、神の約束がすでに成就しているのに、不信仰のために祝福を逃していることはないかどうか、吟味してみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>イエスの成長</strong></p><p>ルカは、イエスの両親が律法による定めをすべて果たしたことを強調しています。その後、彼らは、自分たちの町ナザレに帰っていきました。イエスの幼少時代に関しては、わずかの記述があるのみです。「幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちて行った。神の恵みがその上にあった。」（40節）。この短い箇所から、重要な真理を学ぶことができます。イエスは、スーパーマンのように育ったのではありません。ごく普通の子供として、肉体的、精神的、霊的に成長していったのです。「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」（ピリピ人への手紙2：6～7）とある通りです。聖書が教える理想的な人間像とは、肉体、精神、霊の三つの要素が調和している状態を言います。イエスは、神の恵みによって、全人的に成長していきました。あなたはいかがですか。肉体、精神、霊の三つの要素の内、どれかが強調されすぎたり、無視されていたりはしませんか。バランスを失った人生は、決して神の栄光を表わすものにはなりません。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。日常の生活の中で、バランスを欠くことの多い者です。どうか、肉体、精神、霊の三つの要素が調和している者となれますように、私をお助けください。物質主義や、誤った精神主義から私をお守りください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-09-06 20:54:57 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書2：41～52</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3572542515</link>
         <description><![CDATA[<p>41 さて、イエスの両親は、過越の祭りには毎年エルサレムに行った。</p><p>42 イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上り、</p><p>43 祭りの期間を過ごしてから、帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかなかった。</p><p>44 イエスが一行の中にいるものと思って、一日の道のりを行った。それから、親族や知人の中を捜し回ったが、</p><p>45 見つからなかったので、イエスを捜しながら、エルサレムまで引き返した。</p><p>46 そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真ん中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。</p><p>47 聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。</p><p>48 両親は彼を見て驚き、母は言った。「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」</p><p>49 するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」</p><p>50 しかし両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった。</p><p>51 それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。</p><p>52 イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。</p><p><br/></p><p><strong>いなくなったイエス</strong></p><p><strong>いなくなったイエス</strong></p><p>イスラエル人の男子は、年に三回（過越の祭り、ペンテコステ、仮庵の祭りの期間）、エルサレムに行くように命じられていました（出エジプト記23：14～17）。世界各地に離散したユダヤ人にとっては、年に三回の都上りはほとんど不可能でしたが、多くの者が、年に一度はそれを実行するよう努力していたようです。イエスの両親も、年に一度、過越の祭りにはエルサレムに行っていました。イエスが12歳になったとき、両親はイエスを都上りに参加させました。ユダヤの少年は、13歳で「バルミツバ（律法の子）」と呼ばれる成人式を迎えます。このときから、彼は、公の場でトーラ（モーセの五書）の朗読を行ない、自らの責任を果たし始めます。イエスの両親が、毎年イエスを連れてエルサレムに行っていたかどうかは分かりませんが、今日の箇所では、イエスが12歳になっていたという点が重要です。祭りの期間が終了して帰路につきましたが、イエスの姿が見当たりません。両親は、イエスも帰路についているものと思い込んでいたようです。彼らがイエスに再会するのは、3日後のことです。イエスは、宮で律法学者たちの真中にすわって、知恵のある質問をしていました。周りにいた人々は、イエスの知恵と答えに驚いていたとあります。</p><p><br/></p><p><strong>とまどう両親</strong></p><p>両親は、非常に心配していたのでしょう。マリヤの問いかけには、叱責の雰囲気が漂っています。イエスの答えは、「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」でした。当時のユダヤ人たちは、神を、「私たちの父」、「天におられる父」などと呼んでいましたが、「私の父」と呼ぶことはありませんでした。イエスは、神を「自分の父」と呼ぶことで、ご自分が父なる神と特別な関係に置かれていることを証言なさいました。少年イエスが、自分のメシヤ性に目覚め始めた感動的な箇所です。しかし、両親はイエスのことばの意味を理解することができませんでした。「母は、これらのことをみな、心に留めておいた。」（51節）とあります。マリヤは、時とともに、イエスがどのようなお方であるかを、学んでいったのです。私たちも、みことばを心に留め、時とともに、父なる神、子なる神、聖霊なる神について、より深く理解することができますように祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>父なる神よ。あなたを父と呼ぶことができる幸いを、心から感謝します。どうか、みことばを通して、より深く、より親しくあなたを知ることができますように、お導きください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-09-07 21:01:30 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書3：1～14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3574584400</link>
         <description><![CDATA[<p>1 皇帝テベリオの治世の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの国主、その兄弟ピリポがイツリヤとテラコニテ地方の国主、ルサニヤがアビレネの国主であり、</p><p>2 アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った。</p><p>3 そこでヨハネは、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説いた。</p><p>4 そのことは預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。</p><p>5 すべての谷はうずめられ、すべての山と丘とは低くされ、曲がった所はまっすぐになり、でこぼこ道は平らになる。</p><p>6 こうして、あらゆる人が、神の救いを見るようになる。』」</p><p>7 それで、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。</p><p>8 それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。</p><p>9 斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」</p><p>10 群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」</p><p>11 彼は答えて言った。「下着を二枚持っている者は、一つも持たない者に分けなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい。」</p><p>12 取税人たちも、バプテスマを受けに出て来て、言った。「先生。私たちはどうすればよいのでしょう。」</p><p>13 ヨハネは彼らに言った。「決められたもの以上には、何も取り立ててはいけません。」</p><p>14 兵士たちも、彼に尋ねて言った。「私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは言った。「だれからも、力ずくで金をゆすったり、無実の者を責めたりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。」</p><p><br/></p><p><strong>バプテスマのヨハネの出現</strong></p><p><strong>福音の始まり</strong></p><p>ルカは、福音の始まりを、イエスの公生涯ではなく、バプテスマのヨハネの活動が開始されたときに置いています。歴史家ルカは、「皇帝テベリオの治世の第15年」という記述から始めて、厳密に時代設定を行なっていきます。「神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った。」（2節）という表現は、旧約聖書的であり、しばらく途絶えていた預言者の系譜が、ヨハネとともに復活したことを思わせます。すべての福音書が、ヨハネの出現をイザヤ書40章3節の預言の成就と見ています。しかし、ルカの場合は3節でとどまらず、続く4節、5節まで引用しています。「こうして、あらゆる人が、神の救いを見るようになる。」（イザヤ書40：5、ルカの福音書3：6）。イエスの福音が、異邦人も含めたすべての人のためであることを、ルカは強調したかったのです。バプテスマのヨハネは、語っている内容よりも、その存在自体がメッセージとなっている人物です。彼の使命は、「荒野で叫ぶ声」となって、イエスの道備えをすることでした。この箇所から私は、「存在自体がメッセージとなるような生き方とはどういうものだろうか。」と心を探られました。あなたは、イエスの道備えとなるような生活を志していますか。</p><p><br/></p><p><strong>ヨハネのメッセージ</strong></p><p>ヨハネは、「罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマ」を説きました。そのバプテスマは、罪を悔い改めた後、悔い改めのしるしとして受けるものでした。当時、異邦人がユダヤ教に改宗するときには、清めのバプテスマが施されていました。しかし、アブラハムの子孫であるユダヤ人はバプテスマを受ける必要などない、というのが当時の一般的な考え方でした。ヨハネは、そのようなユダヤ人の誤った安心感を打ち砕きました。彼は、悔い改めの緊急性と、具体的な実をつけることの重要性を教えました。群集には、貧しい者と富を分かち合うべきことを教え、取税人たちには、「決められたもの以上には、何も取り立ててはいけません。」と語り、兵士たちには、「自分の給料で満足しなさい。」とさとしました。ヨハネは、職業を放棄するよう命じたのではなく、むしろ、置かれている境遇で、神の栄光を表わすようにと教えたのです。クリスチャンになると、何かにつけて消極的になる人がいないわけではありません。あなたはいかがですか。置かれている場で、神の思いに生きることができるように祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>父なる神よ。語ることばかり多くて、実をつけることの少ない私です。お赦しください。今日一日、私の行動そのものが、メッセージとなりますように、力づけてください。置かれている境遇から逃避するのではなく、そこで輝かせてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-09-08 21:15:14 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書3：15～22</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3576732129</link>
         <description><![CDATA[<p>15 民衆は救い主を待ち望んでおり、みな心の中で、ヨハネについて、もしかするとこの方がキリストではあるまいか、と考えていたので、</p><p>16 ヨハネはみなに答えて言った。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを解く値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。</p><p>17 また手に箕を持って脱穀場をことごとくきよめ、麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」</p><p>18 ヨハネは、そのほかにも多くのことを教えて、民衆に福音を知らせた。</p><p>19 さて国主ヘロデは、その兄弟の妻ヘロデヤのことについて、また、自分の行った悪事のすべてを、ヨハネに責められたので、</p><p>20 ヨハネを牢に閉じ込め、すべての悪事にもう一つこの悪事を加えた。</p><p>21 さて、民衆がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、</p><p>22 聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」</p><p><br/></p><p><strong>イエスのバプテスマ</strong></p><p><strong>バプテスマのヨハネの謙遜</strong></p><p>民衆は、ヨハネこそキリスト（メシヤ）ではあるまいかと考えるようになりました。それに対してヨハネは、やがて来られる方は、自分よりもはるかにすばらしい方であると証言します。当時、ユダヤ人の教師は、弟子たちから授業料を取りませんでした。そこで弟子たちは、自分の師に対して奴隷のように仕えました。しかし、「くつのひもを解くこと」だけは、しなくてもよいことになっていました。そのような背景を理解した上で、「私などは、その方のくつのひもを解く値うちもありません。」（16節）というヨハネのことばを味わってみましょう。これこそ、真の謙遜ではないでしょうか。ヨハネは、この方は聖霊と火でバプテスマをお授けになるとも語りました。「聖霊と火」とは、イエスをメシヤとして受け入れた者が経験する、聖霊の満たしと清めを象徴しています。「火」は不信者への裁きを象徴しているという解釈も可能です（マラ3：2～8）。イエスに焦点を合わせるヨハネの奉仕は、人々に感動を与えました。先日、ある集会で、一人の宣教師夫人が賛美をされました。聞いているうちに、彼女の姿が消え、イエス・キリストが見えてきました。後で、その旨を彼女に伝えると、「主イエスだけをたたえよと、父からいつも教えられてきました。」との答えが返ってきました。彼女から、バプテスマのヨハネの心を教えられました。</p><p><br/></p><p><strong>イエスの謙遜</strong></p><p>イエスご自身も、罪人と同じ立場に立つために、バプテスマをお受けになりました。ルカは、イエスの上に、聖霊が下られたことを強調しています。さらに、天からの声が聞こえてきました。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」（22節）。聖霊は、公生涯に必要な力をイエスに与えました。また、天からの声は、公生涯の方向性を決定づけました。「わたしはあなたを喜ぶ。」（22節）ということばは、詩篇2篇7節、イザヤ書42章1節を連想させます（これらの箇所をぜひお読みください）。それは、イエスが神の子であると同時に、苦難のしもべでもあることを宣言しています。父なる神は、人類救済の計画が、すべてイエスの肩にかかっていることを示されました。この声は、イエスが自らの生涯の方向性を決めるのに、決定的な役割を果たしました。あなたは、「わたしはあなたを喜ぶ。」という神の声を聞いていますか。神の計画通り生きようと決心するなら、だれでも、この声を聞くことができると信じます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。私に、バプテスマのヨハネの心をください。また、あなたから、「わたしはあなたを喜ぶ。」と言っていただけるようなクリスチャンとならせてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=lQhUg1AgsA4" />
         <pubDate>2025-09-09 20:27:02 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書3：23～38</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3578824440</link>
         <description><![CDATA[<p>23 教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で、人々からヨセフの子と思われていた。このヨセフは、ヘリの子、順次さかのぼって、</p><p>24 マタテの子、レビの子、メルキの子、ヤンナイの子、ヨセフの子、</p><p>25 マタテヤの子、アモスの子、ナホムの子、エスリの子、ナンガイの子、</p><p>26 マハテの子、マタテヤの子、シメイの子、ヨセクの子、ヨダの子、</p><p>27 ヨハナンの子、レサの子、ゾロバベルの子、サラテルの子、ネリの子、</p><p>28 メルキの子、アデイの子、コサムの子、エルマダムの子、エルの子、</p><p>29 ヨシュアの子、エリエゼルの子、ヨリムの子、マタテの子、レビの子、</p><p>30 シメオンの子、ユダの子、ヨセフの子、ヨナムの子、エリヤキムの子、</p><p>31 メレヤの子、メナの子、マタタの子、ナタンの子、ダビデの子、</p><p>32 エッサイの子、オベデの子、ボアズの子、サラの子、ナアソンの子、</p><p>33 アミナダブの子、アデミンの子、アルニの子、エスロンの子、パレスの子、ユダの子、</p><p>34 ヤコブの子、イサクの子、アブラハムの子、テラの子、ナホルの子、</p><p>35 セルグの子、レウの子、ペレグの子、エベルの子、サラの子、</p><p>36 カイナンの子、アルパクサデの子、セムの子、ノアの子、ラメクの子、</p><p>37 メトセラの子、エノクの子、ヤレデの子、マハラレルの子、カイナンの子、</p><p>38 エノスの子、セツの子、アダムの子、このアダムは神の子である。</p><p><br/></p><p><strong>イエスの系図</strong></p><p><strong>30才から始まる公生涯</strong></p><p>ルカだけが、イエスがおよそ30才で公生涯に入られたことを記録しています。30才ということにどういう意味があるのか考えてみましょう。民数記4章47節によると、レビ人が公に奉仕を開始する年齢は30才でした。（「30才以上50才までの者」という記述があります。）イスラエル民族には、神と人類との間に立ってとりなしをする祭司としての使命が与えられていました。特にレビ族は、祭司の部族としての任命を受けており、その中から、大祭司が立てられました。イエスが30才で公生涯に入られたことは、祭司の中の祭司、つまり、大祭司としての役割を公に始められたことを意味しています。公生涯のゴールは、自らの命を、罪の代価としてささげることでした。ヘブル人への手紙9章26節には、「しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。」とあります。今、イエス・キリストを通して、父なる神に礼拝をささげましょう。</p><p><br/></p><p><strong>最後のアダム</strong></p><p>マタイの福音書1章の系図は、イエスがアブラハム、ダビデの子孫として来られた方であることを、ヨセフの家系を通して示しています。一方、ルカの福音書3章の系図は、母マリヤの家系もアブラハム、ダビデにつながるものであることを教えています。（ヨセフは、婚姻関係によって、マリヤの父ヘリにとって義理の息子となりました。）しかし、ルカはこの系図を通して、それ以上のことを伝えようとしています。（1）この系図は、アダムにまでさかのぼっています。つまり、イエスは、イスラエル人のためだけではなく、全人類の救い主として来られたということです。（2）「アダムは神の子である。」（38節）という表現から、イエス自身が神の子であることが示されています。（3）この系図の始まりはアダム、終わりはイエスとなっています。つまり、イエスは最後のアダムとなられたということです。コリント人への手紙第一15章45節には、こうあります。「聖書に『最初の人アダムは生きた者となった。』と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。」アダムにあって罪人となった私たちは、最後のアダム（イエス）にあって義人とされました。今、イエスにある信仰を確認しましょう。今日一日、イエスの内にあって、御霊の命を体験しながら生活できますように祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。大祭司であり、最後のアダムであるイエス・キリストを、私の主として受け入れます。今日も、また、とこしえまでも、イエスのうちにあって歩むことができますように、お助けください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=ROBfEccvEs0" />
         <pubDate>2025-09-10 20:59:08 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書4：1～13</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3580777158</link>
         <description><![CDATA[<p>1 さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、</p><p>2 四十日間、悪魔の試みに会われた。その間何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。</p><p>3 そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになれと言いつけなさい。」</p><p>4 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」</p><p>5 また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、</p><p>6 こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。</p><p>7 ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」</p><p>8 イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい』と書いてある。」</p><p>9 また、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の頂に立たせて、こう言った。「あなたが神の子なら、ここから飛び降りなさい。</p><p>10 『神は、御使いたちに命じてあなたを守らせる』とも、</p><p>11 『あなたの足が石に打ち当たることのないように、彼らの手で、あなたをささえさせる』とも書いてあるからです。」</p><p>12 するとイエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』と言われている。」</p><p>13 誘惑の手を尽くしたあとで、悪魔はしばらくの間イエスから離れた。</p><p><br/></p><p><strong>荒野の誘惑</strong></p><p><strong>誘惑の目的</strong></p><p>イエスは、御霊によって荒野に導かれました。荒野とは、神の声を聞くために退く場所です。イエスはそこで、40日間の断食祈祷をされました。そのとき、神の声ではなく、サタンの声が聞こえてきました。サタンにはとてつもない力があるように思い込んでいる方がいるかもしれませんが、そんなことはありません。サタンはそそのかすだけで、罪を犯すのは私たち自身です。最初のアダムを誘惑したサタンは、最後のアダムであるイエスをも誘惑しようとしました。誘惑の内容は、自分の力を、自らの必要を満たすために用いたらどうかというものでした。一方神は、サタンの思惑とは別の意図を持っておられました。この誘惑は、イエスがどのようなメシヤになるのかを決める試金石のようなものでした。パンを与え、政治的繁栄を約束し、奇蹟を見せるメシヤなのか、あるいは、十字架への道を歩むメシヤなのか。イエスは、サタンの誘惑をことごとく退け、十字架への道を選び取られました。人が救われる方法は、十字架しかありません。あなたは、人々に福音を伝える際に、十字架を中心に置いていましたか。優先順位を間違えると、福音が福音ではなくなります。</p><p><br/></p><p><strong>誘惑に対する勝利</strong></p><p>ヨハネの手紙第一2章16節には、私たち人間を襲う三つの誘惑（「肉の欲」、「目の欲」、「暮し向きの自慢」）が記されています。イエスは、これら三つの誘惑に直面し、私たちに代わってそれに打ち勝ってくださいました。しかしこの勝利の意味は、それだけではありません。イエスは、聖書を引用して、サタンの誘惑に打ち勝たれました。注目すべきは、イエスが引用した聖句はすべて、申命記6章13節から8章3節までの範囲にあるという事実です。申命記6章、7章、8章は、イスラエルの民の荒野での経験に言及している箇所です。イスラエルの民は、荒野で試みに会いました。イエスも、荒野で試みに会われました。ともに、40という数字（前者は40年間、後者は40日間）が関係しています。これらのことから、イエスは、人類一般のためだけではなく、イスラエルの民の代表としても、誘惑に打ち勝たれたと結論づけることができます。私たちの罪が、イエスにあって贖われたのと同じように、イスラエルの民の失敗も、イエスにあって贖われたのです。イエスの内にあるなら、イエスの勝利は私の勝利、イエスが行なわれたことは私が行なったこととなります。ハレルヤ！</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの聖なる神よ。イエスが、荒野の誘惑に勝利し、イスラエルの民の失敗を贖ってくださったことを感謝します。また、私たちの罪をも贖っていただき、ありがとうございました。主が十字架の道を選ばれたように、私も、十字架を負って主にお従いできますように、力づけてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=iChyaTwRCgs" />
         <pubDate>2025-09-11 19:31:01 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書4：14～30</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3582581294</link>
         <description><![CDATA[<p>14 イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。</p><p>15 イエスは、彼らの会堂で教え、みなの人にあがめられた。</p><p>16 それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。</p><p>17 すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。</p><p>18 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、</p><p>19 主の恵みの年を告げ知らせるために。」</p><p>20 イエスは書を巻き、係りの者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。</p><p>21 イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」</p><p>22 みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか」と彼らは言った。</p><p>23 イエスは言われた。「きっとあなたがたは、『医者よ。自分を直せ』というたとえを引いて、カペナウムで行われたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ、と言うでしょう。」</p><p>24 また、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません。</p><p>25 わたしが言うのは真実のことです。エリヤの時代に、三年六か月の間天が閉じて、全国に大ききんが起こったとき、イスラエルにもやもめは多くいたが、</p><p>26 エリヤはだれのところにも遣わされず、シドンのサレプタにいたやもめ女にだけ遣わされたのです。</p><p>27 また、預言者エリシャのときに、イスラエルには、ツァラアトに冒された人がたくさんいたが、そのうちのだれもきよめられないで、シリヤ人ナアマンだけがきよめられました。」</p><p>28 これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、</p><p>29 立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。</p><p>30 しかしイエスは、彼らの真ん中を通り抜けて、行ってしまわれた。</p><p><br/></p><p><strong>郷里では歓迎されない預言者</strong></p><p><strong>イザヤ書の預言の成就</strong></p><p>ルカは、「ナザレの会堂での説教」を、公生涯の最初に置いていますが、それには理由があります。安息日に会堂に入ったイエスは、イザヤ書61章1節、2節を朗読されました。「主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。主の恵みの年を告げ知らせるために。」それから席に着き、こう話されました。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」ここまでを要約すると、こうなります。（1）預言者イザヤは、解放者であるメシヤの到来を預言した。（2）イエスは、その成就として、イスラエルの人々の前に現われた。（3）ナザレの住民にとっては、今、「恵みの時」が到来した。もし彼らが、その時点でイエスをメシヤとして受け入れていたのなら、大きな祝福を体験していたことでしょう。しかし彼らは、「きょう実現した」という真理を受け入れることができませんでした。あなたはいかがですか。すでに神の約束が成就しているのに、それを信じないがために、苦しんでいるようなことはありませんか。「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」（コリント人への手紙第二6：1）。</p><p><br/></p><p><strong>イエスに近すぎることの悲劇</strong></p><p>ナザレの住民の悲劇は、あまりにもイエスに近すぎたことにあります。彼らは、「この人は、ヨセフの子ではないか。」と言いました。それに対してイエスは、「預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません。」と答え、旧約聖書から、イスラエル人ではなく異邦人が祝福された例（シドンのサレプタのやもめ女やシリヤ人ナアマン）を挙げました。ナザレの住民たちは、激怒し、イエスをがけから投げ落とそうとしました。この一連の出来事は、ヨハネの福音書1章11～12節のことばによって要約することができます。「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」（ヨハネの福音書1：11～12）。不信仰は悲劇を招きます。しかし、どんな人でも、信仰があれば神に受け入れられます。イスラエルの不信仰の結果、福音が異邦人に述べ伝えられるという真理が、ルカの福音書の大きなテーマです。信仰がなければ神を喜ばせることはできないことを、今日も覚えましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。ナザレの会堂に立たれたイエスが、今、私の前に立っておられます。私は、なんという大きな恵みをあなたから受けていることでしょうか。確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。どうか、私を喜びと、平安で満たしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=vlE304FDT0o" />
         <pubDate>2025-09-12 20:27:01 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書4：31～41</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3583370860</link>
         <description><![CDATA[<p>31 それからイエスは、ガリラヤの町カペナウムに下られた。そして、安息日ごとに、人々を教えられた。</p><p>32 人々は、その教えに驚いた。そのことばに権威があったからである。</p><p>33 また、会堂に、汚れた悪霊につかれた人がいて、大声でわめいた。</p><p>34 「ああ、ナザレ人のイエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」</p><p>35 イエスは彼をしかって、「黙れ。その人から出て行け」と言われた。するとその悪霊は人々の真ん中で、その人を投げ倒して出て行ったが、その人は別に何の害も受けなかった。</p><p>36 人々はみな驚いて、互いに話し合った。「今のおことばはどうだ。権威と力とでお命じになったので、汚れた霊でも出て行ったのだ。」</p><p>37 こうしてイエスのうわさは、回りの地方の至る所に広まった。</p><p>38 イエスは立ち上がって会堂を出て、シモンの家に入られた。すると、シモンのしゅうとめが、ひどい熱で苦しんでいた。人々は彼女のためにイエスにお願いした。</p><p>39 イエスがその枕もとに来て、熱をしかりつけられると、熱がひき、彼女はすぐに立ち上がって彼らをもてなし始めた。</p><p>40 日が暮れると、いろいろな病気で弱っている者をかかえた人たちがみな、その病人をみもとに連れて来た。イエスは、ひとりひとりに手を置いて、いやされた。</p><p>41 また、悪霊どもも、「あなたこそ神の子です」と大声で叫びながら、多くの人から出て行った。イエスは、悪霊どもをしかって、ものを言うのをお許しにならなかった。彼らはイエスがキリストであることを知っていたからである。</p><p><br/></p><p><strong>ある安息日の出来事</strong></p><p><strong>権威ある教え</strong></p><p>ルカの福音書には、安息日のいやしが五つ出てきますが、今日の箇所は、その最初のものです。イエスは、安息日ごとに、カペナウムの会堂で人々をお教えになりました。イエスの教え方は、当時のユダヤ教のラビ（教師）たちとは根本的に異なっていました。当時のラビたちが最も重視したことは、歴代のラビたちの教えを忠実に暗記し、再現することでした。独創性を求めることは、極度に嫌われました。イエスの教えはそれとは異なり、権威に満ちたものでした。それは、イエスが、聖霊の油注ぎの下で語っておられたからです（32節）。あなたの召しは、メッセージを語ることですか、それとも、証しをすることですか。あなたのメッセージや証しには、権威がともなっていますか。聖霊の油注ぎの下で語ることを学ばないかぎり、主から来る権威がともなうことはあり得ません。</p><p><br/></p><p><strong>悪霊の追い出しと病のいやし</strong></p><p>イエスの権威は、具体的な形をとって表われます。悪霊の追い出しと、病のいやしがそれです。イエスのメッセージに最初に応答したのが、汚れた悪霊です。イエスは、ただちにその悪霊を追い出されました。次にイエスは、シモンの姑しゅうとめの熱病をいやされます。日が暮れると（つまり、安息日が終わると）、多くの病人たちがイエスのもとに集まりました。ルカは、「イエスは、ひとりひとりに手を置いて、いやされた。」（40節）と書いています。イエスの優しさがにじみ出ている表現です。悪霊どもも、「あなたこそ神の子です。」と大声で叫びながら、多くの人から出て行きました。イエスは、悪霊の追い出しや病のいやしによって、ご自分がメシヤであることを証明しようとはなさいませんでした。しかし、助けを必要とする人々を見ると、心を閉ざすことはできなかったのです。興味深いのは、悪霊の反応です。ヤコブは、「あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。」（ヤコブの手紙2：19）と語っています。弟子たちは、数年間かけてイエスがメシヤであることを学びましたが、悪霊どもは、最初からそれを認識し、身震いしていたのです。あなたは、クリスチャンになって何年になりますか。知識の量を増やすだけでなく、神を信頼することも学んでいますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。私の信仰を増し加えてください。聖霊の油注ぎの下で、言葉を発することを教えてください。今日も一日、あなたに信頼をおいて歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-09-13 21:22:28 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書4：42～44</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3584145974</link>
         <description><![CDATA[<p>42 朝になって、イエスは寂しい所に出て行かれた。群衆は、イエスを捜し回って、みもとに来ると、イエスが自分たちから離れて行かないよう引き止めておこうとした。</p><p>43 しかしイエスは、彼らにこう言われた。「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」</p><p>44 そしてユダヤの諸会堂で、福音を告げ知らせておられた。</p><p><br/></p><p><strong>ほかの町々にも、どうしても</strong></p><p><strong>父なる神との交わり</strong></p><p>ルカは、「朝になって、イエスは寂しい所に出て行かれた。」と記しています。マルコの福音書では、「そこで祈っておられた。」（1：35）との説明が入ります。イエスの生活の中心には祈りがあったようですが、どうしてでしょうか。（1）先ず認識しておきたいのは、神の子イエスが天の父と交わりを持つのは、当然だということです。イエスは、ひと時も、父なる神から離れたことはないのです。（2）祈りは、自分を取り戻す営みでもあります。前後の文脈を読むと、この時期、イエスは人々の注目を浴びる中で、実に多忙な時を過ごしておられたことが分かります。これは、イエスだけではなく、弟子たちにとっても危険な状態です。人は、物事がうまく行き始めると、往々にして自分が何者かを忘れることがあります。（3）また、祈りは、奉仕に必要な力を受ける営みでもあります。神からの力は、出エジプト記に出てくる荒野のマナのように、日々新しく受けねばなりません。あなたにとって、最近、物事は比較的順調に進んでいますか。そういう時こそ、イエスの例にならって、祈りの時をしっかりと確保すべきです。日々のデボーションを通して、自分を取り戻し、神の力を受けましょう。</p><p><br/></p><p><strong>使命の確認</strong></p><p>イエスが祈られたもう一つの理由は、使命の確認にありました。群集は、イエスをいつまでも自分たちの所に引き止めておこうとしました。しかしイエスは、「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」（43節）と、お答えになりました。そこには、（1）「派遣された」という明確な使命感があります。イエスのメシヤとしての使命感は、祈りの中で、徐々に深められていきました。（2）緊急性があります。時は限られています。しかし、残された仕事は多いのです。（3）伝えるべき明確なメッセージがあります。イエスのメッセージの中心は、「神の国の福音」です。「神の国」とは、王なるイエスが、私たちの心を支配される状態を言います。この神の国は、イエスを信じる者の内に、すでに実現しています。今、次の問いかけを、自分自身にしてみましょう。私には、「派遣されている」という使命感があるだろうか。「緊急性」をもって、その使命感に生きているだろうか。伝えるべきメッセージの内容を、十分に理解しているだろうか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。あなたは、荒野でイスラエルの民の上に、日々マナを降らせてくださいました。そして今、人生の荒野を歩む私たちの上にも、日々霊的なマナを降らせてくださいます。毎朝のデボーションが、私にとって慕わしい時、命の糧を得る時となりますように、お導きください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=hjIjSRclveQ" />
         <pubDate>2025-09-14 21:32:07 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書5：1～11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3586184282</link>
         <description><![CDATA[<p>1 群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられたが、</p><p>2 岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。</p><p>3 イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。</p><p>4 話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。</p><p>5 するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」</p><p>6 そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。</p><p>7 そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも沈みそうになった。</p><p>8 これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」と言った。</p><p>9 それは、大漁のため、彼もいっしょにいたみなの者も、ひどく驚いたからである。</p><p>10 シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンにこう言われた。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」</p><p>11 彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。</p><p><br></p><p><strong>ペテロが経験した人生の転機</strong></p><p><strong>大漁を経験するペテロ</strong></p><p>ガリラヤ湖の漁師であったペテロとその仲間たちは、今日の箇所で、人生の転機を経験しています。彼らはすでにイエスを知ってはいましたが、ある奇蹟を通して、それとは全く別の次元でイエスに出会うようになります。その奇蹟は、次のようにして起こりました。イエスは、シモンの船から群集を教えておられました。話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」（4節）と言われました。それは、シモンにとっては非常識な命令でした。プロの自分が夜通し働いても、一匹もとれなかったのです。ましてや、昼間網をおろしたところで、何一つとれるはずがありません。しかしシモンは、命令には従わねばならないと考え、「でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」（5節）と答えます。やってみると、網が破れそうになるほどの魚がとれました。神のことばへの従順は、祝福を生みます。これは、現代の私たちにも当てはまる真理です。</p><p><br></p><p><strong>網を捨てるペテロ</strong></p><p>ペテロは、仰天しました。奇蹟的な大漁を見たからではありません。その奇蹟が、イエスというお方の神性を明らかにしたからです。ルカはその状況を、こう説明しています。「これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、『主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。』と言った。」（8節）。聖書の中では、神の臨在に触れた聖徒たちは、例外なしに恐れを感じています。アブラハムも（創世記18：27）、出エジプト時代のイスラエルの民も（出エジプト記20：9）、預言者イザヤも（イザヤ書6：5）そうでした。ペテロも恐れました。それに対するイエスの答えは、こうでした。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」（10節）。シモンという名が、やがてシモン・ペテロに移行していくさまに注目してください。彼は、人生の転機を経験しました。今後は、彼の関心事は、魚ではなく、人間の魂となります。奇蹟が、人生の転機をもたらしたのではありません。奇蹟を通して、新しくイエスに出会ったことが、彼の人生を変えたのです。これ以降、彼は、パートタイムの弟子ではなく、フルタイムの弟子となりました。あなたは、生けるイエスに出会っていますか。もしそうでないなら、あなたも今、このデボーションの中で、新しくイエスに出会うことができます。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。イエス・キリストに関して私が知っているのは、ほんの一部です。どうか、人生の転機をもたらすような生ける主との出会いを、私にもお与えください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=2HSBGW5IhKM" />
         <pubDate>2025-09-15 20:51:55 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書5：12～16</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3588340869</link>
         <description><![CDATA[<p>12 さて、イエスがある町におられたとき、全身ツァラアトの人がいた。イエスを見ると、ひれ伏してお願いした。「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」</p><p>13 イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに、そのツァラアトが消えた。</p><p>14 イエスは、彼にこう命じられた。「だれにも話してはいけない。ただ祭司のところに行って、自分を見せなさい。そして人々へのあかしのため、モーセが命じたように、あなたのきよめの供え物をしなさい。」</p><p>15 しかし、イエスのうわさは、ますます広まり、多くの人の群れが、話を聞きに、また、病気を直してもらいに集まって来た。</p><p>16 しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。</p><p><br/></p><p><strong>わたしの心だ。きよくなれ</strong></p><p><strong>あわれみを示すイエス</strong></p><p>「らい病」（ギリシャ語で「レプラ」）という日本語の訳は、再検討すべきものです。聖書時代の「レプラ」は、皮膚病全般を指す言葉で、現在のハンセン氏病とは別のものであることが確認されています。「重い皮膚病」と訳すこともできますが、ここでは、とりあえず、「レプラ」としておきます。当時、レプラ患者は、一般社会からは隔離され、道を歩くときも、「汚れている。汚れている。」と叫ぶように命じられました（レビ記13章45～46節参照）。まさにレプラは、肉体的、社会的、精神的苦痛をもたらす病だったのです。ひとりのレプラ患者が、イエスの前にひれ伏して、こう言います。「主よ。お心一つで、私はきよくしていただけます。」（12節）。彼は、イエスの力は信じましたが、果たして自分のような者にあわれみをかけてくださるかどうか、確信がなかったのです。ルカは、イエスの応答を注意深くこう記しています。「イエスは手を伸ばして、彼にさわり、『わたしの心だ。きよくなれ。』と言われた。すると、すぐに、そのツァラアトが消えた。」（13節）。もう長い間、彼にさわったのは、レプラ患者仲間を除いては、イエスしかいなかったにちがいありません。その行為は、幾千のことばよりも雄弁に、イエスの心を伝えています。「わたしの心だ。きよくなれ。」とあります。その瞬間、肉体も魂もともにいやされました。私たちも今、「わたしの心だ。きよくなれ。」というイエスのことばを、感謝して受け取りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>荒野に退くイエス</strong></p><p>イエスは、このいやしに関しては、だれにも話さないようにと命じます。民衆が、イエスを政治的メシヤにまつりあげることを恐れたのでしょう。しかし、意図に反して、イエスのうわさは、ますます広まり、さまざまな必要を抱えた群集が群がってきました。ルカはここで、「しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。」（16節）という一文を挿入しています。助けを求めて押し寄せてくる群集への奉仕、政治的メシヤになれという無言の圧力、霊的に幼い弟子たちへの訓練など、イエスにはさまざまな心労がありました。イエスにとって最も大切なことは、父なる神のみこころを求め、優先順位を絶えず明確にすることでした。あなたは、多忙な中でも、荒野（祈りの空間）に退いて、父なる神の指示を仰ぐことを、習慣的に行なっていますか。多忙なときほど、祈りが必要です。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。私の救い主、信仰の導き手として、御子イエスを遣わしてくださり感謝します。今私を、あわれみの心と信仰で満たしてください。今日もまた、主イエスが私の心をご支配くださるように、お願い致します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=f74ByuB9fZs" />
         <pubDate>2025-09-16 20:03:24 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書5：17～26</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3590542720</link>
         <description><![CDATA[<p><strong><br></strong>17 ある日のこと、イエスが教えておられると、パリサイ人と律法の教師たちも、そこにすわっていた。彼らは、ガリラヤとユダヤとのすべての村々や、エルサレムから来ていた。イエスは、主の御力をもって、病気を直しておられた。</p><p>18 するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。</p><p>19 しかし、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真ん中のイエスの前に、つり降ろした。</p><p>20 彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。</p><p>21 ところが、律法学者、パリサイ人たちは、理屈を言い始めた。「神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。」</p><p>22 その理屈を見抜いておられたイエスは、彼らに言われた。「なぜ、心の中でそんな理屈を言っているのか。</p><p>23 『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。</p><p>24 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために」と言って、中風の人に、「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。</p><p>25 すると彼は、たちどころに人々の前で立ち上がり、寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰った。</p><p>26 人々はみな、ひどく驚き、神をあがめ、恐れに満たされて、「私たちは、きょう、驚くべきことを見た」と言った。</p><p><br/></p><p><strong>はがされた屋根</strong></p><p><strong>解放は罪の赦しから始まる</strong></p><p>中風の人が、はがされた屋根からイエスの前につり降ろされました。先ず、二つの点に注目してみましょう。（1）イエスは、彼らの信仰をご覧になりました。「彼ら」とは、中風の人と、その友人たちです。信仰を共有しながら働くことの祝福が、ここにあります。（2）イエスは、病をいやす前に、「友よ。あなたの罪は赦されました。」と宣言されました。いやしを期待していた彼らに、イエスは、さらに良きものを提供なさいました。私たちの人生にも、人間的な願いと神からの答えとが一致しない場合がありますが、後になって振りかえると、神の計画が最善であったことが分かります。イエスは、すべての解放のわざは、罪の赦しの宣言から始まることを示されました。「神との平和」を持ったとき、私たちの生き方は変わります（ローマ人への手紙5：1）。あなたは今、解放を必要としていますか。それなら先ず、「神との平和」を持っているかどうか、自己吟味をしてみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>罪を赦す権威は神にのみある</strong></p><p>律法学者やパリサイ人たちは、心の中で二つの判断を下しました。（1）神だけが、罪を赦す権威を持っておられる。（2）従って、罪の赦しを宣言したイエスは、神を冒涜したことになる。彼らの判断は、半分正しく、半分間違っていました。彼らの理屈を見ぬいたイエスは、こうお語りになります。「『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。」（23節）。もちろん、イエスにとっては、「起きて歩け」と言う方がやさしいのですが、人間的には、それは結果が確認できますので、より難しく見えます。イエスが、「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」とお語りになると、中風の人は、ただちに床をたたんで、神をあがめながら家に帰りました。イエスは、自らを「人の子」と呼ばれました。それは、ご自分がメシヤであることを宣言したことばです。中風の人のいやしによって、イエスには罪を赦す権威があることが明らかになりました。中風の人は、自分が寝かされて来た床を、今度は、自分の肩に担いで家に帰りました。今あなたは、霊的な意味で、どのような床に寝かされていますか。あなたも、「起きて歩け」ということばによって立ち上がり、その床を担げるようになります。そのとき、その床は、あなたが神を賛美し証しをする道具となるのです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い神よ。かつては罪の中を歩んでいた私を、イエス・キリストによって救ってくださり感謝します。私は解放されました。私にとっては重荷であったことが、すべて益とされました。神との平和から来る喜びを、ひとりでも多くの方々にお伝えできますように、私をお用いください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=7aFSujZ9LsA" />
         <pubDate>2025-09-17 20:29:24 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書5：27～32</title>
         <author>setsuriosaki</author>
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         <description><![CDATA[<p>27 この後、イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「わたしについて来なさい」と言われた。</p><p>28 するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。</p><p>29 そこでレビは、自分の家でイエスのために大ぶるまいをしたが、取税人たちや、ほかに大ぜいの人たちが食卓に着いていた。</p><p>30 すると、パリサイ人やその派の律法学者たちが、イエスの弟子たちに向かって、つぶやいて言った。「なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもといっしょに飲み食いするのですか。」</p><p>31 そこで、イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。</p><p>32 わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」</p><p><br/></p><p><strong>あなたはレビか、パリサイ人か</strong></p><p><strong>喜ぶレビ</strong></p><p>当時、取税人は、売国奴とみなされていました。レビ（マタイのこと）は、恐らく通行税を徴収する仕事に就いていたのでしょう。その彼に、イエスから声がかかりました。「わたしについて来なさい。」この呼びかけが、レビの人生を変えました。あなたも、「わたしについて来なさい。」と呼びかけておられる方がいることに気づくなら、その生き方が変わります。「するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。」彼は、イエスの弟子たちの中では、最も裕福だったと思われます。その彼が、イエスに従うために、財産も地位も捨てました。漁師なら、万が一失敗しても、元の漁師に戻ることができます。しかし、一度取税人の地位を捨てると、再びそこに戻ることは不可能です。彼は、大きな犠牲を払いました。それも、苦痛を感じながらではなく、喜びに満たされて。その喜びの結果が、宴会となって表われました。レビの喜びの源は、イエスを知ったことにあります。パウロも、「しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。」（ピリピ人への手紙3：7）と語っています。あなたは、最近、イエス以外のもので心を満たそうとしていませんでしたか。イエスのすばらしさを知ること以上の喜びはありません。</p><p><br/></p><p><strong>憤慨するパリサイ人</strong></p><p>パリサイ人と律法学者たちは、憤慨し、弟子たちに抗議しました。なぜ、罪人たちと食事をともにするのかと。当時のユダヤ人にとっては、罪人に触れることは、自らの身を汚すことを意味しました。また、食事自体が深い交わりを意味しましたので、宗教的なユダヤ人が、罪人とともに宴会に出ることなど考えられなかったのです。それに対してイエスは、「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」とお答えになりました。もちろんここには、イエス特有の皮肉があります。パリサイ人たちは、自己義認をしていましたので、自らが病人であることを認めることができませんでした。もし認めていたら、彼ら自身が、喜んでその宴会に参加していたことでしょう。あなたは、自分はイエスに招かれている病人であることを認めますか。イエスは今、あなたを招き、あなたを深い悔い改めへと導いておられます。真の医者であるイエスに、すべてをおゆだねしましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。無意識のうちに、イエスから目がそれ、不満を感じることの多い日々を送っていました。私は病人です。今、真の医者であるイエス・キリストに私の全存在をおゆだねします。いやし、満たし、解放してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-09-18 19:29:29 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書5：33～39</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3594513943</link>
         <description><![CDATA[<p>33 彼らはイエスに言った。「ヨハネの弟子たちは、よく断食をしており、祈りもしています。また、パリサイ人の弟子たちも同じなのに、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています。」</p><p>34 イエスは彼らに言われた。「花婿がいっしょにいるのに、花婿につき添う友だちに断食させることが、あなたがたにできますか。</p><p>35 しかし、やがてその時が来て、花婿が取り去られたら、その日には彼らは断食します。」</p><p>36 イエスはまた一つのたとえを彼らに話された。「だれも、新しい着物から布切れを引き裂いて、古い着物に継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、その新しい着物を裂くことになるし、また新しいのを引き裂いた継ぎ切れも、古い物には合わないのです。</p><p>37 また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒は流れ出て、皮袋もだめになってしまいます。</p><p>38 新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。</p><p>39 また、だれでも古いぶどう酒を飲んでから、新しい物を望みはしません。『古い物は良い』と言うのです。」</p><p><br/></p><p><strong>断食論争が教えるもの</strong></p><p><strong>イエスの弟子たちはなぜ断食をしないのか？</strong></p><p>パリサイ人たちは、イエスの弟子たちが断食もしないで飲み食いしているのはおかしいと、抗議を始めます。ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは、定期的に断食をし、決められた時間になると祈っていたからです。イエスの答えはこうです。「花婿がいっしょにいるのに、花婿につき添う友だちに断食させることが、あなたがたにできますか。しかし、やがてその時が来て、花婿が取り去られたら、その日には彼らは断食します。」（34～35節）。この答えには、預言的な要素が含まれています。今は、喜びの時だから、断食する必要はないのです。しかし、やがてイエスが十字架に死ぬ時が来ます。その時こそ、弟子たちは自発的に断食をするようになります。あなたは、喜んでいる人を見て、心の中でさばいたり、断食をしている人を見て、否定的な感情を抱いたりしたことはありませんか。次の聖句から学びましょう。「泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。」（伝道者の書3：4）。「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」（ローマ人への手紙12：15）。</p><p><br/></p><p><strong>新しいぶどう酒は、新しい皮袋に</strong></p><p>イエスは、別のたとえを用いて、さらに詳しく、神の国の実質について解説されました。だれも、新しい着物から布切れを引き裂いて、古い着物に継ぎをするような愚かなことはしません。「新しい着物」とは、神の国の実質です。古い着物とは、当時のユダヤ教です。両者は、全く異質のものですから、組み合わせることはできないのです。もう一つのたとえは、ぶどう酒と皮袋のたとえです。当時は、やぎの死体から骨と肉とを除いて、残った皮の部分を、皮袋として用いていました。新しいぶどう酒は、新しい皮袋にというのが、当時の常識です。「新しいぶどう酒」とは、神の国の実質、つまり、聖霊によって与えられる命のことです。「古い皮袋」とは、言い伝えや伝統を重視していた当時のユダヤ教です。パリサイ人たちは、「古い物は良い。」と言って、現状に満足していました。あなたは、他の人の評価が必要以上に気になるタイプですか。形式的な信仰生活で満足していますか。あるいは、内側から命が溢れ出て、周りの人々に良き影響を与えるような生き方をしていますか。今、主イエスから、新しいぶどう酒を受け取りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。今の日本では、あらゆる分野でリストラが進行しています。しかし、最もリストラが必要なのは、私自身であり、キリスト教会なのかもしれません。私をあわれんでください。新しいぶどう酒を入れるための新しい皮袋が何であるのか、私にお示しください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-09-19 22:20:35 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書6：1～11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3595348825</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ある安息日に、イエスが麦畑を通っておられたとき、弟子たちは麦の穂を摘んで、手でもみ出しては食べていた。</p><p>2 すると、あるパリサイ人たちが言った。「なぜ、あなたがたは、安息日にしてはならないことをするのですか。」</p><p>3 イエスは彼らに答えて言われた。「あなたがたは、ダビデが連れの者といっしょにいて、ひもじかったときにしたことを読まなかったのですか。</p><p>4 ダビデは神の家に入って、祭司以外の者はだれも食べてはならない供えのパンを取って、自分も食べたし、供の者にも与えたではありませんか。」</p><p>5 そして、彼らに言われた。「人の子は、安息日の主です。」</p><p>6 別の安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに、右手のなえた人がいた。</p><p>7 そこで律法学者、パリサイ人たちは、イエスが安息日に人を直すかどうか、じっと見ていた。彼を訴える口実を見つけるためであった。</p><p>8 イエスは彼らの考えをよく知っておられた。それで、手のなえた人に、「立って、真ん中に出なさい」と言われた。その人は、起き上がって、そこに立った。</p><p>9 イエスは人々に言われた。「あなたがたに聞きますが、安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか、どうですか。」</p><p>10 そして、みなの者を見回してから、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。そのとおりにすると、彼の手は元どおりになった。</p><p>11 すると彼らはすっかり分別を失ってしまって、イエスをどうしてやろうかと話し合った。</p><p><br/></p><p><strong>安息日の目的は何か？</strong></p><p><strong>曲解された安息日</strong></p><p>神は、人を祝福するために、安息日をお与えになりました。割礼がアブラハム契約の印であったように、安息日は、シナイ契約（神がシナイ山でイスラエルの民と結んだ契約）の印となりました（出エジプト記31：13）。しかしイスラエル人たちは、この安息日を重視するあまり、結果として、律法主義を招いてしまいました。あるパリサイ人たちが、イエスと弟子たちを、安息日違反の理由で糾弾します。旅人が、麦畑の麦を取って食べる行為自体は、許されていました（申命記23：25）。問題は、それが安息日に行なわれたことです。この小さな行為の中に、四つの罪が見い出されます。（1）麦を収穫した罪、（2）脱穀した罪、（3）実ともみ殻とをふるいわけた罪、そして、（4）食物を用意した罪。私たちも、このような重箱の隅をつつくパリサイ的精神と、決して無関係ではないはずです。最近、どちらでもよいようなことにこだわっていたことはありませんか。愛に根ざした判断でなければ、人を生かすことはできません。</p><p><br/></p><p><strong>安息日の意味の回復</strong></p><p>イエスは、旧約聖書から、ダビデの生涯に起こったある出来事を引用されました（サムエル記第一21：3～6）。ダビデは、神の宮にあった「供えのパン」を取って食べ、部下たちにもそれを与えました。「供えのパン」を食することは、祭司のみに許されたことでしたが、ダビデの行為を非難する人はいませんでした。律法の規定よりも、人間の必要が重視されたからです。この後、イエスは、驚くべき宣言をなさいました。「人の子は、安息日の主です。」これは、イエスのメシヤ宣言となっています。ダビデ自身が、律法の規定を乗り越えることができたのですから、「ダビデの子」であるイエスが、安息日の規定に縛られるはずがありません。イエスが安息日の主であること、また、安息日は、善を行なうために設けられていることが、次の「右手のなえた人のいやし」の記事で明らかになります。イエスが、いかに「いのちを救うこと」を重視しておられたかに注目しましょう。イエスは、そのためにご自身のいのちをさえ犠牲にされたのです。私たちはどうでしょうか。滅びに向かいつつある人々の「いのちを救うこと」が、最大の関心事となっていたでしょうか。もし、名誉や伝統を守ることにより深い関心を払っているなら、今、神の前に悔い改めましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。いのちの尊さが、すべての規定に優先することを学ばせていただき、感謝します。私を、あらゆるパリサイ的な精神から解放してください。イエスの愛で満たしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-09-20 21:34:25 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書6：12～16</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3596138710</link>
         <description><![CDATA[<p>12 このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。</p><p>13 夜明けになって、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられた。</p><p>14 すなわち、ペテロという名をいただいたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、</p><p>15 マタイとトマス、アルパヨの子ヤコブと熱心党員と呼ばれるシモン、</p><p>16 ヤコブの子ユダとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。</p><p><br/></p><p><strong>十二使徒の選び</strong></p><p><strong>徹夜で祈るイエス</strong></p><p>イエスは、父なる神との交わり（祈り）を、生活の中心に据えておられました。イエス自身が、このように証言しておられます。「子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。」（ヨハネの福音書5：19）。十二使徒の選びという重大な局面を迎えたとき、イエスは通常よりもさらに熱心に祈られました（12節）。使徒の人数を12人にするというのは、イスラエルの十二部族との関連で、すぐに示されたのではないでしょうか。問題は、だれを選ぶかという点です。イエスは、苦闘しながら、父なる神のみこころを求めたに違いありません。あなたは今、人生の重要な岐路に立たされ、悩んでいますか。あるいは、大問題に直面し、悶々としていますか。それなら、徹底的に祈ることです。イエスがされたように、父なる神のふところに飛び込んで、みこころを求めることです。</p><p><br/></p><p><strong>イエスの選びの不思議</strong></p><p>夜明けになって、イエスは弟子たちを呼び寄せ、その中から12人の使徒をお選びになりました。その12人を、4人ずつの3組に分けて考えると、覚えやすくなります。各組のリーダー的役割を果たしたのが、ペテロ、ピリポ、アルパヨの子ヤコブです。12人の使徒のうち、最初の11人までは比較的容易に名前が与えられたのではないでしょうか。しかし、最後のイスカリオテ・ユダに関しては、葛藤、不安、戦いがあったに違いありません。イスカリオテとは、「カリオテ出身の人」という意味です。彼だけが、ガリラヤ以外の出身で、洗練された都会人でした。ユダの選びは実に不思議ですが、少なくとも次のことは言えると思います。（1）ユダには、使徒として仕えるという最高の特権が与えられました。（2）彼は、最初は、忠実に主イエスに仕えたいと願っていました。（3）その彼の心に、サタンが入りました（ルカの福音書22：3）。（4）イエスは、最後まで、彼が悔い改めることを願い、本人にしか分からないことばで語りかけられました。このように見てくると、ユダは滅びに定められていたという考え方が、いかにイエスのお心とはかけ離れているかが分かります。神は、一人の罪人が滅びることも願ってはおられないのです。神の召しを全うする生き方こそ、最高の人生です。もしあなたの内に、神の光に背を向けている点があるなら、今こそ、悔い改めの時です。神は、あなたの帰りを待っておられます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。私のような者を選び、特権をお与えくださったことを感謝します。どうか、あなたの召しを全うする人生を歩ませてください。今、聖霊のサーチライトで私の心を照らし出し、一点でも闇がありますなら、それを取り除いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-09-21 20:04:14 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書6：17～26</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3598252947</link>
         <description><![CDATA[<p>17 それから、イエスは、彼らとともに山を下り、平らな所にお立ちになったが、多くの弟子たちの群れや、ユダヤ全土、エルサレム、さてはツロやシドンの海べから来た大ぜいの民衆がそこにいた。</p><p>18 イエスの教えを聞き、また病気を直していただくために来た人々である。また、汚れた霊に悩まされていた人たちもいやされた。</p><p>19 群衆のだれもが何とかしてイエスにさわろうとしていた。大きな力がイエスから出て、すべての人をいやしたからである。</p><p>20 イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものだから。</p><p>21 いま飢えている者は幸いです。やがてあなたがたは満ち足りるから。いま泣く者は幸いです。やがてあなたがたは笑うから。</p><p>22 人の子のため、人々があなたがたを憎むとき、あなたがたを除名し、辱め、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。</p><p>23 その日には喜びなさい、おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。彼らの父祖たちも、預言者たちに同じことをしたのです。</p><p>24 しかし、あなたがた富む者は哀れです。慰めをすでに受けているから。</p><p>25 いま食べ飽きているあなたがたは哀れです。やがて飢えるようになるから。いま笑うあなたがたは哀れです。やがて悲しみ泣くようになるから。</p><p>26 みなの人がほめるとき、あなたがたは哀れです。彼らの父祖たちも、にせ預言者たちに同じことをしたのです。</p><p><br/></p><p><strong>神の国の憲法</strong></p><p><strong>平原での説教</strong></p><p>マタイの福音書は、イエスの山上の垂訓を、3章にわたって記録しています。ルカの福音書では、場所は山上ではなく平原です。また、メッセージ自体がより短くまとめられています。イエスがもたらした神の国は、政治的王国ではなく、心の王国でした。イエスの臨在と支配が私たちの心の内にあるなら、そこには神の国が実現しています。イエスは、「神の国はあなたがたのものになるでしょう。」とは言わないで、「神の国はあなたがたのものですから。」とお教えになりました。神の国は、すでに私たちの内に実現しています。あなたを取り巻く環境は、絶望的に見えるかもしれません。しかし、その中に王なるイエスをお迎えし、神の国の視点から行動を起こしてください。今日一日、自分の心に神の国が実現していることを意識しながら、歩まれてはいかがでしょうか。</p><p><br/></p><p><strong>逆転した価値観</strong></p><p>イエスは、神の国の価値観が、この世のそれとは根本的に異なっていることを示されました。（1）富に関する評価が異なります。世の人は、富を追求しています。しかしイエスは、「貧しい者は幸いです。」とお語りになりました。聖書は決して、貧しさを奨励しているのではありません。富を蓄えた者は、往々にして自信過剰となり、神に信頼する必要を感じなくなります。「心の貧しい者」とは、自らの不足を知り、絶えず神に信頼を置いて歩んでいる人のことです。（2）喜び（満足）に関する評価が異なります。この世の人は、喜び（満足）を追求して生きています。しかしイエスは、「いま泣いている者は幸いです。」とお語りになりました。「いま泣いている者」とは、人々が神に背を向け、滅びの道を歩いている現実を悲しんでいる信仰者のことです。（3）好評を博すことに関する評価が異なります。この世は、有名になることを奨励します。しかしイエスは、「みなの人にほめられるときは、あなたがたは哀れな者です。」とお語りになりました。神に従って歩もうとするなら、すべての人から受け入れられることなどあり得ないのです。今日の箇所を黙想しながら、「あなたはどの程度神の国の価値観に沿って生きていますか。」との問いかけを神からいただきました。なぜ日本の教会には力がないのかと嘆く前に、王なるイエスを、私たちの交わりから締め出してはいなかったかどうか、自己吟味をすべきではないでしょうか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。イエスを王と告白しながら、この世の価値観に沿って生きてきたことが多々あったことをお赦しください。神の国の価値観が、私自身の価値観となり、行動基準となりますように、私を導き、変えてください。今もう一度、生活の全領域に、王なるイエスをお迎えします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=rTnTvErA_LQ" />
         <pubDate>2025-09-22 20:22:05 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書6：27～36</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3600397082</link>
         <description><![CDATA[<p>27 しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行いなさい。</p><p>28 あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。</p><p>29 あなたの片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。</p><p>30 すべて求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り戻してはいけません。</p><p>31 自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。</p><p>32 自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。</p><p>33 自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。</p><p>34 返してもらうつもりで人に貸してやったからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。貸した分を取り返すつもりなら、罪人たちでさえ、罪人たちに貸しています。</p><p>35 ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。</p><p>36 あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。</p><p><br/></p><p><strong>愛による勝利</strong></p><p><strong>敵を愛する愛</strong></p><p>イエスに従いたいと願う者は、イエスが歩まれたように歩まねばなりません。しかし、愛に生きることは、なんと難しいことでしょうか。「あなたの敵を愛しなさい。」というイエスの教えを聞いた群集は、反発を感じたことでしょう。当時のパレスチナがローマの支配下にあったことを考えると、この発言は、実に革命的なものです。事実、イエスがもたらしたのは、愛の革命でした。ギリシャ語には、愛を表わす言葉が、四つあります。イエスは、ストーゲー（自然に感じる好意）や、エロース（恋愛感情の愛）や、フィリア（友情のような愛）ではなく、アガペー（条件をつけない愛）を要求されました。「片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。」との教えが語られます。文字通りこれを実行すると、逆に愛の精神から離れてしまうこともあり得ます（ヨハネの福音書18：22参照）。これは、心のあり方を教えているものと解釈すべきです。私たちは、侮辱されるようなことがあっても、復讐心に燃えることなく、さらなる侮辱に備えるべきです。あなたには、機会があれば借りを返そうとしている人がいますか。それは、サタンに心を売り渡す行為であることを覚えましょう。</p><p><br/></p><p><strong>人生の黄金律</strong></p><p>ヒレルという有名なラビは、「自分にして欲しくないことを、他人にすべからず。」と否定形で愛を語りました。しかしイエスは、「自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。」（31節）とお教えになりました。最近、スポーツ新聞などで、「リベンジ」という言葉を頻繁に見かけるようになりました。英語の意味は、復讐するとか、仕返しをするとかいうことです。この言葉の流行は、赦しを忘れた今の時代を反映しているかのようで、心が暗くなります。力によって問題を解決しようとするなら、将来に禍根かこんを残すことになります。力を蓄えた敵との間に、際限のない仇討ちのサイクルが生まれるからです。あなたは、「人生の黄金律」を職場で、家庭で、教会で、実践していましたか。イエスの教えを読みながら、私自身が感謝したのは、自力で愛の人になる必要がないということです。愛のない私には、それは不可能です。イエスは、命令とともに、力をも与えてくださいます。イエスは今、あなたや私に語っておられます。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」（ヨハネの福音書15：9）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。私には愛がないことを認めます。今、イエスの愛にとどまります。私に赦しの心、敵をも愛する心をお与えください。今日一日、黄金律を最大の武器として歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-09-23 21:20:15 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書6：37～42</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3602548530</link>
         <description><![CDATA[<p>37 さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。</p><p>38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」</p><p>39 イエスはまた一つのたとえを話された。「いったい、盲人に盲人の手引きができるでしょうか。ふたりとも穴に落ち込まないでしょうか。</p><p>40 弟子は師以上には出られません。しかし十分訓練を受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです。</p><p>41 あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。</p><p>42 自分の目にある梁が見えずに、どうして兄弟に、『兄弟。あなたの目のちりを取らせてください』と言えますか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうしてこそ、兄弟の目のちりがはっきり見えて、取りのけることができるのです。</p><p><br/></p><p><strong>霊的なリーダーの資質</strong></p><p><strong>さばきの心の処理</strong></p><p>今日の箇所でイエスは、霊的なリーダーの資質を論じておられます。リーダーに必要なのは愛です。その愛は、具体的な形をとって表現される必要があります。イエスは、「さばいてはいけません。」とお語りになりましたが、それは、裁判という制度を禁止されたのではなく、私たちの心のあり方を問題にされたのです。リーダーは、性急に判断を下すことは差し控えるべきです。批判された人が怒り、反撃を食うことになるからです。箴言には、「怒りをおそくする者は英知を増し、気の短い者は愚かさを増す。」（箴言14：29）とあります。私たちは、他人を量る量りで、自分も量り返されるようになります。人を赦せば、自分も赦されます。と言っても、イエスは決して、わざ（善行）による救いを教えておられるのではありません。神の赦しの深さを知っている人だけが、本当の意味で、愛の人になることができることを教えておられるのです。あなたには、他人を批判的に見る癖がありますか。もしそうなら、自分が神からどれほどの赦しを受けているか、もう一度思い出してみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>偽善的態度の処理</strong></p><p>イエスは、「弟子は師以上には出られません。」とお語りになりました。当時は、図書館もなく、マスメディアも未発達の時代です。師の下で学ぶ弟子にとっては、師の知識がすべてであり、師と同じ水準に達することが、最終ゴールでした。そこで、弟子にとっては、誰を自分の師として選ぶかが、重大問題となります。私たちにとっても、どのような指導者の下で信仰生活を送るかは、重大問題です。と同時に、指導者には大きな責任が伴なうことも認識しておく必要があります。私は今日のデボーションで、教会の霊性は、指導者の霊性以上にはならないことを示され、神の御前に恐れおののきました。イエスは、「あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。」とお語りになりました。そこには、イエス独特のユーモアがあります。しかし、内容は深刻です。自分の目にある梁（誰の目にも明らかな欠点）には気づかないふりをして、他人の目にあるちり（些細な欠点）を問題にするなら、その人は、偽善者と呼ばれます。あなたは今、他の兄弟姉妹を指導する立場にありますか。今ご一緒に、主のあわれみによりすがり、他の兄弟姉妹から学ぶ心を持った信仰者とさせていただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。あなたは、何という愛で私を愛してくださったことでしょうか。今日再び、そのことを思い起こすことができました。批判的な人々で満ちているこの世の中に、あなたの恵みを配達する神の国の使者として、私を派遣してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=YE6K5nXcrPU" />
         <pubDate>2025-09-24 20:47:51 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書6：43～49</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3604586391</link>
         <description><![CDATA[<p>43 悪い実を結ぶ良い木はないし、良い実を結ぶ悪い木もありません。</p><p>44 木はどれでも、その実によってわかるものです。いばらからいちじくは取れず、野ばらからぶどうを集めることはできません。</p><p>45 良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。</p><p>46 なぜ、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。</p><p>47 わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行う人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。</p><p>48 その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。</p><p>49 聞いても実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家は一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどいものとなりました。」</p><p><br/></p><p><strong>人生の土台</strong></p><p><strong>あなたの結ぶ実は良い実ですか？</strong></p><p>弟子たちへのイエスの教えが続きます。イエスは、「木はどれでも、その実によってわかるものです。」とお語りになりました。「なぜ、渋柿の木には渋柿しかならないのだろうか。」と自問自答してみましょう。答えは、その木が渋柿の性質を宿しているからです。当たり前のことです。もし甘い実をならせようとするなら、甘柿の枝を接ぎ木する必要があります。人間の常識では、物を取った人を盗人と言い、嘘をついた人を嘘つきと言います。しかし聖書は、人は盗人の性質があるから物を取り、嘘つきの性質があるから嘘をつくのだと教えます。内側にあるものが、外に出てくるのです。あなたは最近、荒々しいことばを口にしていませんでしたか。イエスの教えによれば、それは、あなたの心がざわついているからだということになります。もしそうなら、外側を飾り立てるよりも、心の管理に目を向けるべきではないでしょうか。ぶどうの木であるイエスに接ぎ木された枝として、イエスのうちにとどまるべきではないでしょうか（ヨハネの福音書15：5）。</p><p><br/></p><p><strong>あなたの人生の土台はしっかりしていますか？</strong></p><p>平原でのメッセージの締めくくりとして、ルカは、家を建てた人のたとえを記して、教えを実行することの大切さを強調しています。マタイも同じ点を強調していますが、たとえの細部に若干の違いがあります。マタイの福音書では、二人の人は、違う場所に家を建てます。ルカの福音書では、同じ場所ですが、建て方が異なります。つまり、地面を深く掘って、土台を岩の上に据えたかどうかの違いです。この二つの家は、普段は同じように建っています。しかし、いったん嵐が来ると、正反対の結果が出ます。嵐という言葉は、比喩的に、人生で起こってくる試練を表わすと同時に、終末的な意味での神のさばきをも表わしています。（コリント人への手紙第一3：11～15には、各人の働きの真価が問われる瞬間が描かれています。）私の知り合いの中には、重病と闘っている人、自己破産を経験した人、愛する人を天に送った人など、さまざまな試練を通過してきた人たちがいます。それでも、彼らは輝いています。彼らに共通しているのは、イエスに基礎を置いた歩みをしてきたという点です。今のあなたの生き方は、終末的なさばきに耐え得るものとなっていますか。「主よ、主よ。」と祈るだけではなく、主に忠実に歩む信仰者とさせていただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い神よ。あなたの愛に満ちた教えを感謝します。ある意味では、日々の歩みそのものが、人生の試練と終末的なさばきへの備えです。今、私の内側を変え、良い実を実らせる人生を歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=Y7_Gvj5Q18I" />
         <pubDate>2025-09-25 20:15:41 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書7：1～10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3606394237</link>
         <description><![CDATA[<p>1 イエスは、耳を傾けている民衆にこれらのことばをみな話し終えられると、カペナウムに入られた。</p><p>2 ところが、ある百人隊長に重んじられているひとりのしもべが、病気で死にかけていた。</p><p>3 百人隊長は、イエスのことを聞き、みもとにユダヤ人の長老たちを送って、しもべを助けに来てくださるようお願いした。</p><p>4 イエスのもとに来たその人たちは、熱心にお願いして言った。「この人は、あなたにそうしていただく資格のある人です。</p><p>5 この人は、私たちの国民を愛し、私たちのために会堂を建ててくれた人です。」</p><p>6 イエスは、彼らといっしょに行かれた。そして、百人隊長の家からあまり遠くない所に来られたとき、百人隊長は友人たちを使いに出して、イエスに伝えた。「主よ。わざわざおいでくださいませんように。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。</p><p>7 ですから、私のほうから伺うことさえ失礼と存じました。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。</p><p>8 と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ』と言えば、そのとおりにいたします。」</p><p>9 これを聞いて、イエスは驚かれ、ついて来ていた群衆のほうに向いて言われた。「あなたがたに言いますが、このようなりっぱな信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません。」</p><p>10 使いに来た人たちが家に帰ってみると、しもべはよくなっていた。</p><p><br/></p><p><strong>イエスを驚かす信仰</strong></p><p><strong>祝福を受ける百人隊長</strong></p><p>新約聖書には、注目すべき二人の百人隊長が出てきます。ひとりは、今日の聖書箇所に出てくる百人隊長、もうひとりは、最初の異邦人クリスチャンとなったコルネリオです（使徒の働き10章）。前者に関しては、ユダヤ人の長老たちが、「この人は、私たちの国民を愛し、私たちのために会堂を建ててくれた人です。」と証言しています。後者に関しては、「彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていた。」（使徒の働き10：2）と記されています。つまり、二人とも、（1）ユダヤ人たちを愛し、（2）具体的な援助をしていたということです。そのために、神からの祝福が彼らに下りました。創世記12章1節から3節は、アブラハム契約と呼ばれています。その中には、「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。」（創世記12：3）という約束があります。つまり、神は、異邦人がアブラハムの子孫であるユダヤ人をどう扱ったかによって、祝福を与えたり、のろいを与えたりされるのです。この原則は、歴史の中で数限りなく成就してきました。（出エジプト記のパロ、エステル記のハマン、20世紀のナチス・ドイツなどはその好例です。）私たちの神は契約の神です。あなたは、神から見放されたような思いになっていましたか。私たちの救いの確かさは、神の契約の確かさに基礎を置いていることを再確認し、平安をいただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>百人隊長の信仰</strong></p><p>この百人隊長が高潔な人格の持ち主であったことが、ルカの記述からうかがい知れます。彼は謙遜さと信仰とを兼ね備えた人物でした。彼は、自分の経験から、イエスのことばには権威があることと、そのことばさえいただければ、しもべはいやされることとを信じたのです。それは、イエスこそ生と死を支配される主であるとの信仰告白です。イエスは、この百人隊長の信仰に驚かれました。新約聖書で、もう1箇所、イエスが驚かれた箇所があります。ナザレの人々の姿を見て、「イエスは彼らの不信仰に驚かれた。」（マルコの福音書6：6）とあります。イエスは、人々の不信仰のゆえに、ナザレでは力あるわざを行なうことができませんでした。しかし、百人隊長のしもべは、願った通りいやされました。私たちも今、不信仰によって、イエスの力を制限していなかったかどうか、聖霊によって吟味していただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの聖なる神よ。不信仰のゆえに、あなたの働きを制限してしまうことの多い私をお赦しください。ナザレの住民のように不信仰によってではなく、百人隊長のように信仰によって、あなたを驚かす歩みを今日もさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=kD_bjpN2Yz8" />
         <pubDate>2025-09-26 21:52:34 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3606394237</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書7：11～17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3607201919</link>
         <description><![CDATA[<p>11 それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちと大ぜいの人の群れがいっしょに行った。</p><p>12 イエスが町の門に近づかれると、やもめとなった母親のひとり息子が、死んでかつぎ出されたところであった。町の人たちが大ぜいその母親につき添っていた。</p><p>13 主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい」と言われた。</p><p>14 そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいた人たちが立ち止まったので、「青年よ。あなたに言う、起きなさい」と言われた。</p><p>15 すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めたので、イエスは彼を母親に返された。</p><p>16 人々は恐れを抱き、「大預言者が私たちのうちに現れた」とか、「神がその民を顧みてくださった」などと言って、神をあがめた。</p><p>17 イエスについてこの話がユダヤ全土と回りの地方一帯に広まった。</p><p><br/></p><p><strong>青年よ。起きなさい。</strong></p><p><strong>あわれみと力に満ちた方</strong></p><p>今日の箇所を通して、イエスとの新しい出会いが与えられることを期待しましょう。ナインという町を出た所で、二つの行列が出会いました。一方は、イエスが中心となっている喜びの行列、もう一方は、棺に寝かされた死人が中心となっている悲しみの行列です。命と死、光と闇が、そこでぶつかりました。イエスは、ひとり息子を失ったやもめの婦人に、深いあわれみをお示しになりました。当時のパレスチナでは、身寄りのない婦人が生きていくのは、並大抵のことではありませんでした。「主はその母親を見てかわいそうに思い、『泣かなくてもよい。』と言われた。」（13節）。息子が死んで悲しんでいる母に向かって、いったい誰が、「泣かなくてもよい。」などと言えるでしょうか。イエスがそう言われたのは、解決策を持っておられたからです。ここでルカが、「イエス」ではなく、「主」という称号を使っていることに注目しましょう。イエスは、命を与えることのできる主です。棺に手を触れることは汚れを意味しましたが、イエスは何の躊躇もなしにそれに手をかけ、「青年よ。あなたに言う、起きなさい。」と言われました。死人が起き上がり、ものを言い始めたので、イエスは彼を、母親に返されました。</p><p><br/></p><p><strong>悲劇を喜びに</strong></p><p>命に溢れていた青年が、もの言わぬ身となり、棺に寝かされました。その死は、母親を始め周りの人々に深い悲しみを与えました。そこに、イエスが現われました。人々の目には、イエスの姿は、旧約聖書の預言者エリヤとエリシャの再来のように見えたことでしょう。エリヤは、ツァレファテのやもめの息子をよみがえらせ（列王記第一17章）、エリシャは、シュネムの女の息子をよみがえらせています（列王記第二4章）。「大預言者が私たちのうちに現われた。」と人々が語ったのもうなずけます。しかし、私たちは、イエスが預言者以上のお方であることを知っています。イエスは、神の子です。あなたは最近、本来の輝きを失ってはいませんでしたか。束縛という棺の中で、霊的瀕死状態を迎えていませんでしたか。イエスは、あわれみと力に満ちた方です。悲劇を喜びに変えることのできる方です。今、イエスに触れていただきましょう。イエスにあって、すでによみがえっていることを認めるならば、立ち上がることができます（エペソ人への手紙2：4～6）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い神よ。私を束縛している棺が何であるか、あなたはご存じです。今その棺に触れてください。私を、本来あるべき姿に回復し、あなたをほめたたえる存在に変えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=bvvsDFR_Cws" />
         <pubDate>2025-09-27 21:31:28 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3607201919</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書7：18～35</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3607969136</link>
         <description><![CDATA[<p>18 さて、ヨハネの弟子たちは、これらのことをすべてヨハネに報告した。</p><p>19 すると、ヨハネは、弟子の中からふたりを呼び寄せて、主のもとに送り、「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちはほかの方を待つべきでしょうか」と言わせた。</p><p>20 ふたりはみもとに来て言った。「バプテスマのヨハネから遣わされてまいりました。『おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも私たちはなおほかの方を待つべきでしょうか』とヨハネが申しております。」</p><p>21 ちょうどそのころ、イエスは、多くの人々を病気と苦しみと悪霊からいやし、また多くの盲人を見えるようにされた。</p><p>22 そして、答えてこう言われた。「あなたがたは行って、自分たちの見たり聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、ツァラアトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている。</p><p>23 だれでもわたしにつまずかない者は幸いです。」</p><p>24 ヨハネの使いが帰ってから、イエスは群衆に、ヨハネについて話しだされた。「あなたがたは、何を見に荒野に出て行ったのですか。風に揺れる葦ですか。</p><p>25 でなかったら、何を見に行ったのですか。柔らかい着物を着た人ですか。きらびやかな着物を着て、ぜいたくに暮らしている人たちなら宮殿にいます。</p><p>26 でなかったら、何を見に行ったのですか。預言者ですか。そのとおり。だが、わたしが言いましょう。預言者よりもすぐれた者をです。</p><p>27 その人こそ、『見よ、わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を、あなたの前に備えさせよう。』と書かれているその人です。</p><p>28 あなたがたに言いますが、女から生まれた者の中で、ヨハネよりもすぐれた人は、ひとりもいません。しかし、神の国で一番小さい者でも、彼よりすぐれています。</p><p>29 ヨハネの教えを聞いたすべての民は、取税人たちさえ、ヨハネのバプテスマを受けて、神の正しいことを認めたのです。</p><p>30 これに反して、パリサイ人、律法の専門家たちは、彼からバプテスマを受けないで、神の自分たちに対するみこころを拒みました。</p><p>31 では、この時代の人々は、何にたとえたらよいでしょう。何に似ているでしょう。</p><p>32 市場にすわって、互いに呼びかけながら、こう言っている子どもたちに似ています。『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、泣かなかった。』</p><p>33 というわけは、バプテスマのヨハネが来て、パンも食べず、ぶどう酒も飲まずにいると、『あれは悪霊につかれている』とあなたがたは言うし、</p><p>34 人の子が来て、食べもし、飲みもすると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言うのです。</p><p>35 だが、知恵の正しいことは、そのすべての子どもたちが証明します。」</p><p><br/></p><p><strong>バプテスマのヨハネの動揺</strong></p><p><strong>揺れ動く確信</strong></p><p>当時バプテスマのヨハネは、獄中にいました。彼は、二人の弟子を遣わし、「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちはほかの方を待つべきでしょうか。」と問わせます。イエスこそ、「世の罪を取り除く神の小羊」（ヨハネの福音書1：29）であるとの確信を得ていたヨハネが、なぜこのような質問をしたのでしょうか。二つの理由が考えられます。（1）ヨハネが考えていたメシヤは、厳しい裁きを実行するはずのお方でした（ルカの福音書3：16～17参照）。（2）ヨハネは獄中で、イエスが自分を解放してくれるのを待っていました。しかし、何も起こりませんでした。ヨハネも、私たちと同じ人間です。絶望的な状況下で、確信が揺らいだとしても、不思議ではありません。あなたには、確信が揺らいだ経験がありますか。神の大きさが見えなくなると、信仰がぐらつき始めます。私たちの見えるところは一部分です。自らの理解力には限界があることを認め、今、恵み深い神に心の動揺を告白しましょう。</p><p><br/></p><p><strong>イエスの答え</strong></p><p>イエスは、ヨハネの疑問を優しく受け止めます。そして、ご自身が行なっておられる恵みのわざは、旧約聖書の預言の成就であることを教えようとされました。「あなたがたは行って、自分たちの見たり聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、ツァラアトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている。」（22節）。これは、イザヤ書35：5～6、61：1などからの引用です。続いてイエスは、バプテスマのヨハネこそ、マラキ書3：1に預言された「最もすぐれた預言者」であると語り、ヨハネをたたえます。しかし、そのヨハネでさえも、イエスを信じて神の子とされた者たちと比べると、取るに足りないというのです。ヨハネは旧約時代に属し、イエスを信じる者は、新約時代に属しているからです。クリスチャンは、イエスにあって天にあるすべての霊的祝福をいただく者となりました（エペソ人への手紙1：3）。何という恵みでしょうか。しかし、昔も今も、その恵みをすなおに受け取らない人が大勢います。あなたは知恵ある者ですか。それとも、市場で遊んでいる子どもたちのように、あまのじゃくの霊に支配された者ですか。もし、聖霊の声に反発している人がいるなら、その人は知恵ある者とは言えません。今、神から知恵をいただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い神よ。イエス・キリストの十字架によって、私たちは、天にあるすべての霊的祝福をいただく者とされました。あなたは私を、バプテスマのヨハネよりもすぐれた者とみなしていてくださることを感謝します。今、私を、神の知恵に満たされた者としてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=hyKQZVF59_M" />
         <pubDate>2025-09-28 20:17:39 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書7：36～50</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3609907549</link>
         <description><![CDATA[<p>36 さて、あるパリサイ人が、いっしょに食事をしたい、とイエスを招いたので、そのパリサイ人の家に入って食卓に着かれた。</p><p>37 すると、その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油の入った石膏のつぼを持って来て、</p><p>38 泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。</p><p>39 イエスを招いたパリサイ人は、これを見て、「この方がもし預言者なら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っておられるはずだ。この女は罪深い者なのだから」と心ひそかに思っていた。</p><p>40 するとイエスは、彼に向かって、「シモン。あなたに言いたいことがあります」と言われた。シモンは、「先生。お話しください」と言った。</p><p>41 「ある金貸しから、ふたりの者が金を借りていた。ひとりは五百デナリ、ほかのひとりは五十デナリ借りていた。</p><p>42 彼らは返すことができなかったので、金貸しはふたりとも赦してやった。では、ふたりのうちどちらがよけいに金貸しを愛するようになるでしょうか。」</p><p>43 シモンが、「よけいに赦してもらったほうだと思います」と答えると、イエスは、「あなたの判断は当たっています」と言われた。</p><p>44 そしてその女のほうを向いて、シモンに言われた。「この女を見ましたか。わたしがこの家に入って来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、この女は、涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれました。</p><p>45 あなたは、口づけしてくれなかったが、この女は、わたしが入って来たときから足に口づけしてやめませんでした。</p><p>46 あなたは、わたしの頭に油を塗ってくれなかったが、この女は、わたしの足に香油を塗ってくれました。</p><p>47 だから、わたしは『この女の多くの罪は赦されている』と言います。それは彼女がよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」</p><p>48 そして女に、「あなたの罪は赦されています」と言われた。</p><p>49 すると、いっしょに食卓にいた人たちは、心の中でこう言い始めた。「罪を赦したりするこの人は、いったいだれだろう。」</p><p>50 しかし、イエスは女に言われた。「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」</p><p><br/></p><p><strong>パリサイ人の食卓に着くイエス</strong></p><p><strong>招かれざる客：罪の女</strong></p><p>シモンというパリサイ人が、イエスを食事に招きました。この食事会は、公のもので、だれでもそこに入り、会話を傍聴することができました。そこに、一人の招かれざる客が侵入してきました。恐らく、その地域では名の知れた娼婦であったのでしょう。そこにいた人々が、顔をしかめる様子が目に浮かびます。彼女は、「泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。」（38節）とあります。当時の人々は、食卓に着く際には、サンダルを脱ぎ、左手で体を支えながら、頭を食卓の方向に向けて横たわっていました。イエスのうしろに立った彼女は、感動の涙をイエスの足の上に落としてしまいました。あわてた彼女は、その涙を髪の毛でぬぐい始めます。ユダヤの婦人たちは、公の場では髪の毛を束ねていましたが、この女はそんなことにはお構いなしに、イエスの足に口づけし、香油を塗りました。部屋は、香油の香りで一杯になりました。あなたは、これほど一直線に、イエスを愛したことがありますか。</p><p><br/></p><p><strong>招かれざる客：イエス</strong></p><p>面白くないのは、シモンです。彼は、心の中で、この女の行動を否定し、それを受け入れているイエスの存在をも否定します。シモンにとっては、イエスも招かれざる客だったのです。人の心を読み取ることのできるイエスは、シモンに、何が起こっているのかをお示しになりました。最初は、「借金を赦された二人の人」のたとえ話をし、多く赦された者が多く愛すると結論づけます。次に、シモンに、「この女を見ましたか。」と問いかけます。シモンは確かに彼女を見ていました。しかし、彼が見ていたのは、彼女の過去だけです。イエスは、新しくなった彼女を見ておられました。二人のもてなしの間には、雲泥の差がありました。シモンは、足を洗う水も出さず、イエスの頭に安価なオリーブ油を塗ることさえしていません。その差は、多くの罪が赦されたことを知っているかどうかの差です。イエスは彼女に、「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」と言われました。あなたは、自分を責めてはいませんでしたか。イエス・キリストのうちにあるなら、あなたは新しく造られた者となっています（コリント人への手紙第二5：17）。「安心して行きなさい。」とのおことばを、今、受け取りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い神よ。どうか、私の霊の目を開いてください。あなたが見ておられるとおりに、自分を見、周りの方々を見ることができますように。そして、もっとはっきりと、あなたの恵みを見ることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-09-29 19:06:52 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書8：1～3</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3612062509</link>
         <description><![CDATA[<p>1 その後、イエスは、神の国を説き、その福音を宣べ伝えながら、町や村を次から次に旅をしておられた。十二弟子もお供をした。</p><p>2 また、悪霊や病気を直していただいた女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリヤ、</p><p>3 自分の財産をもって彼らに仕えているヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか大ぜいの女たちもいっしょであった。</p><p><br/></p><p><strong>イエスを支援した女たち</strong></p><p><strong>イエスを取り巻く二つの群れ</strong></p><p>イエスの中心的な使命は、神の国の到来を告げることでした。その使命のために、イエスは、町や村を次から次へと旅しておられました。イエスに付き従った二つの群れがありました。一つは十二弟子、もう一つは、女たちの群れです。当時、裕福なユダヤ人女性たちの中には、ラビの経済的援助をする者がかなりいました。当然、そんな女たちを食い物にして、経済的な利得をむさぼる悪徳ラビも横行したようです。しかし、イエスの場合は、それとは全く違っていました。イエスは、当時社会的には認知されていなかった女たちの人格を尊重し、彼女たちをあらゆる束縛から解放するわざを行なってくださいました。ある者は悪霊や病気を直していただき、ある者は罪の赦しを受け、ある者は神の国の教えを説き明かしていただきました。その中には、「七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリヤ、ヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ」などがいました。彼女たちは、イエスの愛に応答するために、自分の財産をもってイエスに仕えたのです。イエスの宣教を支えた中心人物が、女性たちであったことは、あなたに何かを語りかけていませんか。</p><p><br/></p><p><strong>貧しくなられた神の子</strong></p><p>イエスが、どのような状態にご自分を置かれたかを黙想してみましょう。イエスは、地上生涯において貧しさの極みを体験されました。無限の富をお持ちの方ですから、天の父に願って、豪勢な宣教活動を行なうこともできたはずです。しかしイエスは、女たちの献金によって支えられ、貧しさの中で宣教活動を行なうことをよしとされました。イエスにとっては、人間の助けなしに、ご自分の力で宣教した方がどれだけ容易であったかしれません。しかしイエスは、そうはなさいませんでした。最も貧しい者でも、神のわざに参加することができるようにしてくださったのです。「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」（ピリピ人への手紙2：6～7）。あなたは、自分の捧げ物がいったい何の足しになろうかと思ったことはありませんか。他人と比較して、あなたに何ができるかが問題ではありません。自分にできる方法で、神のわざに参加していることこそ大切です。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。私たちのために貧しくなられた主イエスのゆえに感謝します。あなたは、神の国の宣教のために、あえて私たちを用いる道を選んでくださいました。自分の捧げ物を過小評価し、誤解していたことをお赦しください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=WWGL2BU9IQI" />
         <pubDate>2025-09-30 20:01:08 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書8：4～15</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3614010645</link>
         <description><![CDATA[<p>4 さて、大ぜいの人の群れが集まり、また方々の町からも人々がみもとにやって来たので、イエスはたとえを用いて話された。</p><p>5 「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると、人に踏みつけられ、空の鳥がそれを食べてしまった。</p><p>6 また、別の種は岩の上に落ち、生え出たが、水分がなかったので、枯れてしまった。</p><p>7 また、別の種はいばらの真ん中に落ちた。ところが、いばらもいっしょに生え出て、それを押しふさいでしまった。</p><p>8 また、別の種は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」イエスは、これらのことを話しながら「聞く耳のある者は聞きなさい」と叫ばれた。</p><p>9 さて、弟子たちは、このたとえがどんな意味かをイエスに尋ねた。</p><p>10 そこでイエスは言われた。「あなたがたに、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの者には、たとえで話します。彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らないためです。</p><p>11 このたとえの意味はこうです。種は神のことばです。</p><p>12 道ばたに落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞いたが、あとから悪魔が来て、彼らが信じて救われることのないように、その人たちの心から、みことばを持ち去ってしまうのです。</p><p>13 岩の上に落ちるとは、こういう人たちのことです。聞いたときには喜んでみことばを受け入れるが、根がないので、しばらくは信じていても、試練のときになると、身を引いてしまうのです。</p><p>14 いばらの中に落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞きはしたが、とかくしているうちに、この世の心づかいや、富や、快楽によってふさがれて、実が熟するまでにならないのです。</p><p>15 しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。</p><p><br/></p><p><strong>種蒔きのたとえ</strong></p><p><strong>たとえ話の目的</strong></p><p>あまりにも有名な箇所です。公生涯のこの時期になると、イエスの周りには大勢の群集が集まるようになりました。しかし、すべての者が純粋な動機で集ってきたわけではありません。その群集に、イエスはたとえを用いて話されました。たとえ話は、神の真理を啓示すると同時に、それを隠す性質も持っています。聞く耳を持つ者には、真理が明瞭に伝わり、そうでない者には、当惑だけが残ります。たとえ話のテーマは普通、日常生活で経験することがらでした。種蒔きのたとえに出てくる四種類の土地も、当時の農夫たちが日々その上で働いていた土壌です。聖地旅行に行って、道ばた、岩地、いばらの生える地、良い地が、同じ所に並んでいるのをご覧になった方も多いのではないでしょうか。イエスは、このたとえ話を通して、同じ種を蒔いても、土地によってその結果が異なることを教えようとされたのです。あなたは、聖書は難しいものと決めつけてはいませんか。確かに、聖書には難解な箇所が多くあります。しかし、聖書の中心的なメッセージは、聞く心さえあれば、驚くほど容易に理解できます。</p><p><br/></p><p><strong>たとえ話の説き明かし</strong></p><p>種は神のことば、土地は聞く人の心です。イエスが一番強調したかったのは、神のことばに対してどう応答するかで、私たちの人生が決まるということです。このたとえ話の意味を黙想しながら、私は一つのことに気づきました。神は聖書全巻を通して、「あなたは、どこにいるのか。」（創世記3：9）と問いかけておられるのです。つまり神は、今も私たちに、ご自身に応答するチャンスを与えていてくださるということです。聖書には、神の呼びかけに応答して地上生涯を全うした人が沢山登場します。ペテロを始めとする十二弟子たちもその中に含まれます。最初は、小さな応答、小さな第一歩から始まります。あなたの心は、神の語りかけに応答する準備ができていますか。応答する気のないままでデボーションをしても、無味乾燥なもので終わってしまいます。神のみことばに対する無関心（道ばたの心）を捨てましょう。表面的にしか神のみことばを受け取らない心（岩地の心）を悔い改めましょう。世の楽しみを第一とする心（いばらの生える土地の心）を神の前に告白しましょう。今日あなたは、どのような決心をもって神に応答しようとしていますか。良い地は、良い実を結びます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。今日も、私の応答を待っていてくださることを感謝します。今まで、あなたを横において、一人よがりの決断をすることが多々あったことをお赦しください。私の心を良い地に変えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=hnn0pkg5FPw" />
         <pubDate>2025-10-01 19:14:17 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書8：16～18</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3615829629</link>
         <description><![CDATA[<p>16 あかりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする者はありません。燭台の上に置きます。入って来る人々に、その光が見えるためです。</p><p>17 隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現れないものはありません。</p><p>18 だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。」</p><p><br/></p><p><strong>あかりのたとえ</strong></p><p><strong>光を輝かせる秘訣</strong></p><p>今日の箇所から、大切な二つの秘訣を学んでみましょう。種蒔きのたとえの続きとしてこの箇所を読むと、より理解が進むでしょう。「良い地の心」で神のことばを聞く人は、自然に、神の光を輝かせるようになります。あかりは、だれからも見えるところに置いてこそ、その役割を果たせます。では、私たちはどうでしょうか。神の光を、人々の前で輝かせているでしょうか。最近、クリスチャンビジネスマンたちが活発に伝道活動を展開しています（1999年当時）。その動きには、従来なかった二つの特徴があるように思います。（1）特定のリーダーがいるのではなく、ネットワーキングによる全員参加型の運動が展開されています。これは、インターネットの発展と深く係わっています。（2）文書伝道の重要性が再認識され、良質の証し文が大量に産み出されています。私も定期的にそのような証し文を読ませていただいていますが、大胆にキリストを証しする姿勢に感銘を覚えています。あなたは、光を輝かせていますか。もしそうなっていないなら、何があなたを縛っているか、黙想してみましょう。私たちの心には、「もし、だったらどうしよう。」という恐れがあります。それは、失敗への恐れです。しかし、私たちが輝かせるのは自分の光ではなく、神の光です。つまり、イエス・キリストがいかに素晴らしい救い主かを証しすればよいのです。その後は、神が責任をとってくださいます。今、大胆に証しができるように祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>祝福を受ける秘訣</strong></p><p>第二の秘訣は、どうすれば神の祝福を受けることができるかです。（1）神の前で隠しおおせるものはないことを知って、常に透明で、秘密を持たない生き方をすることです。（2）神から受けた祝福を、どんどん用いることです。「持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。」とは、金持ちではなく、神のしもべたちを励ますためのことばです。忠実なしもべには、より多くの仕事が任されます。それが、神の国の原則であり、祝福です。自分の力で何者かになろうとしなくても、忠実な人には、神からのご褒美として、より多くの責務がゆだねられるようになります。あなたは、奉仕が多すぎるとか、少なすぎるとか言って、不満を口にしたことがありますか。神の国の視点から、奉仕を正しく位置付けましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。私には、大胆に証しをすることへの恐れがありました。今、恐れから解放してください。今日、証しをするチャンスを私に与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=Y234RXJWa58" />
         <pubDate>2025-10-02 18:23:46 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書8：19～21</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3617356604</link>
         <description><![CDATA[<p>19 イエスのところに母と兄弟たちが来たが、群衆のためにそばへ近寄れなかった。</p><p>20 それでイエスに、「あなたのお母さんと兄弟たちが、あなたに会おうとして、外に立っています」という知らせがあった。</p><p>21 ところが、イエスは人々にこう答えられた。「わたしの母、わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行う人たちです。」</p><p><br/></p><p><strong>イエスの家族</strong></p><p><strong>家族の価値</strong></p><p>今日の箇所から、イエスは家族関係を軽視されたと結論付けるなら、それは大きな誤解です。聖書が、家族関係について何と教えているか、見てみましょう。「あなたの父と母を敬え。」（出エジプト記20：12）。「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。」（エペソ人への手紙6：1）。「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」（エペソ人への手紙6：4）。イエスご自身も、十字架の上から、母マリヤへの愛を存分に示されました。「イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に『女の方。そこに、あなたの息子がいます。』と言われた。それからその弟子に『そこに、あなたの母がいます。』と言われた。そのときから、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。」（ヨハネの福音書19：26～27）。家族の価値が軽視されるとき、その社会は崩壊の危機にあると言えます。信仰の名によって家庭が破壊される例は、カルト宗教に限ったことではないと思います。フルタイムの伝道者であれ、一般の信徒であれ、奉仕が偶像化するところでは、家族が傷を負い、家庭が崩壊していきます。もう一度、自らが家族と共有している時間とその質とを見直してみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>第一のものを第一に</strong></p><p>では、イエスの、「わたしの母、わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行なう人たちです。」という発言をどう理解すればいいのでしょうか。結論から言いますと、家族関係を大切にしながら、なおかつ、「第一のものを第一に」生きるということです。この箇所では、イエスはすでに公生涯に献身しておられました。群集に囲まれながら、神の国のメッセージを語っている最中に、母マリヤと兄弟たちが訪ねてきたのです。文脈から感じ取れるのは、イエスの家族が不信仰であったことと、かなり押し付けがましい態度が見られることです。しかし、どんなに親しい家族であっても、神の働きを妨害することは赦されません。そこでイエスは、「わたしの母、わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行なう人たちです。」と語られたのです。あなたの周りにある身近な人物やものごとが、神の働きを進める障害になっていることはありませんか。今、「第一のものを第一に」する勇気が与えられるように、祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。あなたを第一にすることこそ、家族を本当に愛する道につながることを信じます。私に知恵を与えてください。家族全員が、救われますように、お助けください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-10-03 20:33:17 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書8：22～25</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3618204490</link>
         <description><![CDATA[<p>22 そのころのある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう」と言われた。それで弟子たちは舟を出した。</p><p>23 舟で渡っている間にイエスはぐっすり眠ってしまわれた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、弟子たちは水をかぶって危険になった。</p><p>24 そこで、彼らは近寄って行ってイエスを起こし、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです」と言った。イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も収まり、なぎになった。</p><p>25 イエスは彼らに、「あなたがたの信仰はどこにあるのです」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」</p><p><br/></p><p><strong>嵐を静めるイエス</strong></p><p><strong>舟の中にいるイエス</strong></p><p>あなたは、聖書に記された奇蹟を信じますか。私は、信じます。奇蹟は非科学的だから信じられないという方は、奇蹟を合理的に説明しようとします。しかしそれは、主観的過ぎて、好き勝手な解釈に道を開くだけです。聖書中の最大の奇蹟は、「受肉」（神の子が人間となられたということ）です。「受肉」を信じることができるなら、奇蹟に関する疑問は、すべて解消されます。ヨハネは、「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」（ヨハネの福音書1：3）と述べています。つまり、イエスは、宇宙を創造されたお方なのです。その方に、嵐を静める力があるのは、当然ではないでしょうか。そのイエスが、舟の中でぐっすりと眠ってしまわれました。人々への奉仕と心づかいで、心身ともに疲労したイエスの姿がここにあります。主イエスは、私たちのために、なんと貧しくなってくださったことでしょうか。私の苦しみはだれも理解してくれないと思っているなら、今、イエスにその苦しみを告白しましょう。</p><p><br/></p><p><strong>恐れる弟子たち</strong></p><p>ガリラヤ湖は、海抜下約200メートルのところに位置します。切り立った山に囲まれていますので、天候の変化が激しく、突風が吹き荒れることもしばしばです。きょうの箇所では、舟に水が入り、非常に危険な状態になったようです。弟子たちの中には、かつて漁師をしていた者も数人いました。その彼らが本気で恐れたのですから、かなりの嵐だったのでしょう。イエスは、風と荒波とをしかりつけられました。ことばで宇宙を創造された方が、ことばで自然現象を静められたのです。湖がなぎになった後、著者のルカが一番伝えたかった状況が訪れます。それは、弟子たちがイエスを恐れたという点です。その恐れは、嵐に対して感じたものとは異質の恐れです。畏怖の念と言ってもいいでしょう。神の臨在の前に立たされているという認識から来る恐れです。彼らは、詩篇89篇9節のことばを思い出したことでしょう。「あなたは海の高まりを治めておられます。その波がさかまくとき、あなたはそれを静められます。」弟子たちは、「いったいこの方はどういう方なのだろう。」という問いかけを発しました。私たちは、その答えを知っています。今イエスが、あなたの人生という舟の中にともにおられます。「イエスは主なり。」と告白し、イエスの臨在を楽しみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。御子イエスを、私たちのために遣わしてくださり、感謝します。今、主イエスが、私とともにおられます。そのご臨在を心から喜び、受け入れます。騒いでいる私の心をお静めください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=RXWeBM8OONw" />
         <pubDate>2025-10-04 21:23:15 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書8：26～39</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3618899561</link>
         <description><![CDATA[<p>26 こうして彼らは、ガリラヤの向こう側のゲラサ人の地方に着いた。</p><p>27 イエスが陸に上がられると、この町の者で悪霊につかれている男がイエスに出会った。彼は、長い間着物も着けず、家には住まないで、墓場に住んでいた。</p><p>28 彼はイエスを見ると、叫び声をあげ、御前にひれ伏して大声で言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのです。お願いです。どうか私を苦しめないでください。」</p><p>29 それは、イエスが、汚れた霊に、この人から出て行け、と命じられたからである。汚れた霊が何回となくこの人を捕らえたので、彼は鎖や足かせでつながれて看視されていたが、それでもそれらを断ち切っては悪霊によって荒野に追いやられていたのである。</p><p>30 イエスが、「何という名か」とお尋ねになると、「レギオンです」と答えた。悪霊が大ぜい彼に入っていたからである。</p><p>31 悪霊どもはイエスに、底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんようにと願った。</p><p>32 ちょうど、山のそのあたりに、おびただしい豚の群れが飼ってあったので、悪霊どもは、その豚に入ることを許してくださいと願った。イエスはそれを許された。</p><p>33 悪霊どもは、その人から出て、豚に入った。すると、豚の群れはいきなりがけを駆け下って湖に入り、おぼれ死んだ。</p><p>34 飼っていた者たちは、この出来事を見て逃げ出し、町や村々でこの事を告げ知らせた。</p><p>35 人々が、この出来事を見に来て、イエスのそばに来たところ、イエスの足もとに、悪霊の去った男が着物を着て、正気に返って、すわっていた。人々は恐ろしくなった。</p><p>36 目撃者たちは、悪霊につかれていた人の救われた次第を、その人々に知らせた。</p><p>37 ゲラサ地方の民衆はみな、すっかりおびえてしまい、イエスに自分たちのところから離れていただきたいと願った。そこで、イエスは舟に乗って帰られた。</p><p>38 そのとき、悪霊を追い出された人が、お供をしたいとしきりに願ったが、イエスはこう言って彼を帰された。</p><p>39 「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい。」そこで彼は出て行って、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、町中に言い広めた。</p><p><br/></p><p><strong>多くの悪霊（レギオン）の追い出し</strong></p><p><strong>ひとりの人を探し求めるイエス</strong></p><p>イエスは、一匹の羊をどこまでも探し求めて行かれるお方です。この箇所でも、イエスが向こう岸に渡ったのは、一人の男を解放するためであったことが伺えます。私は、悪霊が現実に存在することを信じます。と同時に、多数の悪霊（レギオンとは、約6千人の兵士からなるローマの軍団）を宿したこの人の姿は、神に背を向けて生きようとする人間の惨めな姿を象徴しているとも思います。彼は、（1）人格が破壊されていました。（2）暴力的、かつ、自虐的でした。（3）絶望していました。墓場を住みかとしていたのです。イエスを見たとき、悪霊どもが反応しました。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのです。お願いです。どうか私を苦しめないでください。」イエスは、「何という名か。」とお尋ねになりました。ご存じなかったからではなく、その男の告白を引き出すため、また、周りにいた弟子たちに、この男の束縛の深刻さを示すためです。男は、「レギオンです。」と答えました。私は、彼のこの答えに感動しました。彼は人格が破壊されていましたが、自分が本来あるべき姿にはないことを知っていたのです。自分の現状（罪）を告白することは、解放への第一歩です。イエスはあなたに、「何という名か。」と尋ねておられます。あなたは、何と答えますか。</p><p><br/></p><p><strong>二つの反応</strong></p><p>イエスに対して、二つの反応が起こりました。その地方の民衆は、イエスに、自分たちから離れていただきたいと願いました。（1）大きな経済的ロスがあったからです。約2千匹の豚が溺れ死にました。イエスにとって、この男の命と豚の群れと、どちらが大切かは言うまでもありません。（2）霊的な恐怖が襲ってきたからです。ゲラサ地方は、異邦人の地です。溺れ死んだ豚が偶像への捧げ物であった可能性は極めて高いと思います。偶像礼拝に束縛されている人たちは、神の光を避けるようになります。一方、悪霊から解放された男は、正気になって（自分を取り戻して）、お供をしたいとしきりに願いました。しかしイエスは、家に帰って証しをするようにお命じになりました。ここは異邦人の地です。彼が言い広めなければ、だれも神の国の福音に触れることができなかったのでしょう。あなたが語らなければ、福音を聞くチャンスが無い人々が周りにいますか。神があなたに何を期待しておられるのか、祈り求めましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い神よ。あなたを知る前の私は、レギオンにつかれた男のようでした。今、私を生活の場に派遣してください。イエスの愛を言い広めることができますように、力と知恵を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-10-05 19:14:56 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書8：40～48</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3620655725</link>
         <description><![CDATA[<p>40 さて、イエスが帰られると、群衆は喜んで迎えた。みなイエスを待ちわびていたからである。</p><p>41 するとそこに、ヤイロという人が来た。この人は会堂管理者であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して自分の家に来ていただきたいと願った。</p><p>42 彼には十二歳ぐらいのひとり娘がいて、死にかけていたのである。イエスがお出かけになると、群衆がみもとに押し迫って来た。</p><p>43 ときに、十二年の間長血をわずらった女がいた。だれにも直してもらえなかったこの女は、</p><p>44 イエスのうしろに近寄って、イエスの着物のふさにさわった。すると、たちどころに出血が止まった。</p><p>45 イエスは、「わたしにさわったのは、だれですか」と言われた。みな自分ではないと言ったので、ペテロは、「先生。この大ぜいの人が、ひしめき合って押しているのです」と言った。</p><p>46 しかし、イエスは、「だれかが、わたしにさわったのです。わたしから力が出て行くのを感じたのだから」と言われた。</p><p>47 女は、隠しきれないと知って、震えながら進み出て、御前にひれ伏し、すべての民の前で、イエスにさわったわけと、たちどころにいやされた次第とを話した。</p><p>48 そこで、イエスは彼女に言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさい。」</p><p><br/></p><p><strong>長血の女のいやし</strong></p><p><strong>長血の女が求めたもの</strong></p><p>イエスがヤイロの家に向かう途中に、長血の女のいやしが起こります。今回は、この女の信仰について考えてみましょう。まず、彼女がいかに悲劇的な状態にあったかに注目しましょう。（1）12年間も、長血をわずらっていました。（2）だれも直せませんでした。（3）血の漏出は汚れたものとみなされたため（レビ記15：25以下参照）、社会的、精神的に、孤立した状態にありました。イエスが狭い道をもみくちゃになりながら歩いているのを見て、彼女は、イエスのうしろに近寄って、イエスの着物のふさにさわりました。すると、たちどころに出血が止まりました。「ふさ」とは、着物の四隅につけられた糸の束のことで、ヘブル語では、ツィツィオットと言われます。民数記15章38節以降には、「代々にわたり、着物のすその四隅にふさを作り、その隅のふさに青いひもをつけるように言え。あなたがたがそれを見て、主のすべての命令を思い起こし、それを行なうため…」とあります。つまり、ふさ（ツィツィオット）とは、神のことばを象徴的に表わすものだったのです。現代流に置きかえると、聖書をかたどったペンダントを首からぶら下げているようなものです。その女は、信仰をもってイエスの着物のふさ（神のことば）にさわりました。あなたは、信仰をもって神のことばである聖書に近づいていますか。信仰こそ、神のいやしの力を受け取る管です。</p><p><br/></p><p><strong>イエスが与えたもの</strong></p><p>イエスは、「わたしにさわったのは、だれですか。」と言われました。もちろんイエスは、だれが（信仰を持って）さわったかをご存じでした。女は、恐れました。しかし、イエスはなおも問い続けました。それは、100パーセント良きものを彼女に与えたかったからです。彼女が震えながら進み出ると、イエスは、「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさい。」とお語りになりました。（1）彼女は、迷信的な信仰から解放されました。（2）彼女は、隠れてイエスに触れたという罪悪感から解放されました。「娘よ。」という呼びかけに、イエスの愛が込められています。（3）いやしが公になることによって、彼女は社会復帰を果たしました。あなたは、人の前で信仰を表明することに恐れを感じることがありますか。イエスは100パーセント良きことしかなさらないことを信じて、自らの信仰の証しをしようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い神よ。日々聖書を読んでいますが、信仰によってみことばを読むことが少なかった私をお赦しください。今、受肉した神のことばであるイエス・キリストに信仰をもって近づきます。私をいやし、満たし、清めてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=6sMZL6PVCHk" />
         <pubDate>2025-10-06 20:05:08 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書8：49～56</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3622513093</link>
         <description><![CDATA[<p>49 イエスがまだ話しておられるときに、会堂管理者の家から人が来て言った。「あなたのお嬢さんはなくなりました。もう、先生を煩わすことはありません。」</p><p>50 これを聞いて、イエスは答えられた。「恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば、娘は直ります。」</p><p>51 イエスは家に入られたが、ペテロとヨハネとヤコブ、それに子どもの父と母のほかは、だれもいっしょに入ることをお許しにならなかった。</p><p>52 人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。しかし、イエスは言われた。「泣かなくてもよい。死んだのではない。眠っているのです。」</p><p>53 人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑っていた。</p><p>54 しかしイエスは、娘の手を取って、叫んで言われた。「子どもよ。起きなさい。」</p><p>55 すると、娘の霊が戻って、娘はただちに起き上がった。それでイエスは、娘に食事をさせるように言いつけられた。</p><p>56 両親がひどく驚いていると、イエスは、この出来事をだれにも話さないように命じられた。</p><p><br/></p><p><strong>ヤイロの娘のよみがえり</strong></p><p><strong>より悪化する状況</strong></p><p>イエスがヤイロの家に向かう途中、突発的な出来事が起こり、かなりの時間が経過します。それが、「長血の女のいやし」です。前回は、イエスは100パーセント良きことしかなさらないと書きました。物事が順調なときは簡単にそう言えるでしょう。しかし、状況が悪化し始めると、どうでしょうか。ヤイロを取り巻く状況は、悪化して行きました。（1）ひとり娘が死にそうになりました。（2）イエスは家に来ることに同意してくれましたが、途中でとんでもない邪魔が入りました。（3）その内、使いの者が来て、「あなたのお嬢さんはなくなりました。もう、先生を煩わすことはありません。」と告げます。こんな場合でも、イエスは100パーセント良きことしかなさらないと言えるのでしょうか。この間、ヤイロはずっと沈黙を守っています。私なら、あの長血の女を恨んだかもしれません。あるいは、イエスは時間を消費し過ぎたといって、不満を抱いたかもしれません。会堂管理者というのは、人格高潔な人物が多かったと言われています。ヤイロもそのような人だったのでしょう。イエスは彼に、「恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば、娘は直ります。」とお語りになりました。使いの者たちのことばは、謙遜さを表わしているかのように見えますが、実際は、彼らの信仰の限界を示しています。あなたは、絶望的な状況の中でも、イエスは100パーセント良きことをなさる方であると信じますか。</p><p><br/></p><p><strong>より大きな栄光</strong></p><p>イエスは、途中で手間取ることによって、より大きな栄光を表わされました。（1）イエスは、常に状況を支配しておられます。死という現実さえ、イエスの管理下にあります。死は、イエスにとっては消滅ではなく、眠りです。（2）イエスは、大騒ぎをして娘をよみがえらせたのではありません。ただ、「子どもよ。起きなさい。」と言われただけです。イエスのことばには力があります。（3）イエスは、ごく少数の、信仰のある人々だけを伴なわれました。ペテロとヨハネとヤコブの三名が、弟子たちの中から選ばれました。娘がよみがえったとき、両親は非常に驚きました。しかしイエスは、その娘が人々の好奇心の的とならないために、この奇蹟を公にしないようにお命じになります。状況が絶望的であればあるほど、大きな神の栄光が現われます。私たちも、あらゆる時に、主を賛美することを学びましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。目に見える状況によって一喜一憂してしまう私をお赦しください。あなたは、人生で最悪の死でさえも支配しておられます。今、あらゆる時に主をほめたたえる決心を致します。弱い私をお助けください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=0tz-RXF0sHU" />
         <pubDate>2025-10-07 20:04:52 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書9：1～6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3624240336</link>
         <description><![CDATA[<p>1 イエスは、十二人を呼び集めて、彼らに、すべての悪霊を追い出し、病気を直すための、力と権威とをお授けになった。</p><p>2 それから、神の国を宣べ伝え、病気を直すために、彼らを遣わされた。</p><p>3 イエスは、こう言われた。「旅のために何も持って行かないようにしなさい。杖も、袋も、パンも、金も。また下着も、二枚は、いりません。</p><p>4 どんな家に入っても、そこにとどまり、そこから次の旅に出かけなさい。</p><p>5 人々があなたがたを受け入れない場合は、その町を出て行くときに、彼らに対する証言として、足のちりを払い落としなさい。」</p><p>6 十二人は出かけて行って、村から村へと回りながら、至る所で福音を宣べ伝え、病気を直した。</p><p><br/></p><p><strong>十二弟子の派遣</strong></p><p><strong>力と権威は主から</strong></p><p>イエスのガリラヤでの活動期間も、終わりに近づいていました。そこでイエスは、十二弟子たちを派遣することによって、短時間の内にご自身の働きを拡大しようとされました。弟子たちには二つの使命が与えられました。（1）神の国を宣べ伝えること、（2）悪霊を追い出し、病気を直すこと。イエスは、常に人間を、肉体的束縛と霊的束縛から解放しようとしておられましたが、弟子たちの使命も、それと同じものでした。イエスは、使命と同時に、それを全うするための力と権威をお与えになります。弟子たちは、何の準備もなしに、伝道旅行に旅立つように命じられます。イエスは、「旅のために何も持って行かないようにしなさい。杖も、袋も、パンも、金も。また下着も、二枚は、いりません。」と言われました。つまり、「そのままで行け。」ということです。それは、弟子たちに緊急意識を持たせるためであり、また、彼らを訓練して、完全に神に拠り頼む者とさせるためでもあります。神が私たちに使命をお与えになるとき、使命とともに、それを全うするための力も与えてくださることを知っていましたか。私たちも、恐れて退く者ではなく、信じて前進する者とならせていただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>現代への適用</strong></p><p>この箇所にあるイエスの命令は、普遍的なものと考える必要はありません。むしろ、緊迫した状況の中で語られた命令と受け取るべきでしょう（ルカの福音書22：36参照）。イエスが緊急性をもって語っておられたことは明白です。（1）準備してからではなく、そのまま出て行くようにとの命令が下りました。弟子たちは、目の前に置かれた伝道のチャンスに全神経を注がねばなりませんでした。（2）歓迎してくれる家が見つかったら、町を出るまで同じ家に滞在するようにとの命令が下りました。同じ町に長く滞在するようなことが起こらないためです。（3）福音を受け入れない町を出るときは、足のちりを払うようにとの命令が下りました。当時、宗教熱心なユダヤ人たちの間では、異邦人の地からパレスチナに戻るときは、汚れを持ち込まないために、足のちりを払うという習慣がありました。イエスの弟子たちは、福音を受け入れないイスラエル人は、神の国にふさわしくないということを表明するために、この行為を実行しました。今がどのような時か、黙想してみましょう。時が来ているのに、実行を一日延ばしにしてきたことはないでしょうか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。あなたは私のすべてをご存じです。今なすべきことが何なのか、私にお示しください。恐れて退く者ではなく、信じて前進する者とならせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-10-08 20:11:39 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書9：7～9</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3625791938</link>
         <description><![CDATA[<p>7 さて、国主ヘロデは、このすべての出来事を聞いて、ひどく当惑していた。それは、ある人々が、「ヨハネが死人の中からよみがえったのだ」と言い、</p><p>8 ほかの人々は、「エリヤが現れたのだ」と言い、さらに別の人々は、「昔の預言者のひとりがよみがえったのだ」と言っていたからである。</p><p>9 ヘロデは言った。「ヨハネなら、私が首をはねたのだ。そうしたことがうわさされているこの人は、いったいだれなのだろう。」ヘロデはイエスに会ってみようとした。</p><p><br/></p><p><strong>国主ヘロデの当惑</strong></p><p><strong>すべてを手に入れて不幸になった人</strong></p><p>国主ヘロデ（ヘロデ・アンティパス）は、ヘロデ大王の四番目の妻の息子で、父亡き後、ガリラヤとペレヤの国主となりました。彼は、異母兄ヘロデ・ピリポの妻と通じ、後に彼女と結婚しますが、バプテスマのヨハネにその罪を糾弾されたため、ヨハネを投獄します。そして最後は、ヨハネの首をはねてしまいます（マタイの福音書14：1～12参照）。そのヘロデの耳に、自らの領地ガリラヤで不思議なわざを行なっているイエスの噂が聞こえてきます。彼はひどく当惑しました。言い知れぬ恐怖が、彼を襲いました。ヘロデは自問自答しました。「バプテスマのヨハネが、死人の中からよみがえったのだろうか。」ヘロデは、地位も、財産も、女性も、自分の欲しいものはほとんど手にしながら、幸せになれなかった人です。あなたの定義では、成功した人生とはどのようなものですか。聖書の定義は、こうです。「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」（ミカ書6：8）</p><p><br/></p><p><strong>思うだけで実行しない人</strong></p><p>イエスに関しては、さまざまな憶測が飛び交っていました。「エリヤが現われたのだ。」と言う人もいれば、「昔の預言者のひとりがよみがえったのだ。」と言う人もいました。これらの憶測はすべて、メシヤ到来への期待から出たものでした（マラキ書4：5参照）。ヘロデは、バプテスマのヨハネとは面識がありましたので、何としてもこのイエスという人物に会って、本当はだれなのかを確かめてみようと思いました。しかし、ヘロデは、「思うだけで実行しない人」でした。ヘロデがイエスに会ったのは、ルカの福音書23章8節以降です。当時ヘロデは、エルサレムに滞在していました。それを聞きつけたピラトが、イエスを彼のもとに送りました。ヘロデはイエスを見ると非常に喜びましたが、その理由は、イエスの行なう何かの奇蹟を見たいと思ったからに過ぎません。ヘロデとは、なんという俗人でしょうか。イエスは、どんな質問にもお答えになりませんでした。思うだけで実行しない人、傲慢な姿勢でイエスに近づこうとする人はたくさんいます。しかし、そのような人が、主からのおことばをいただくことはあり得ません。今、王の王であるイエスに、賛美と感謝を捧げましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。すべてを手に入れても、あなたに喜ばれない人生は、無です。ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたとともに歩む人生を歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=xDubIvdTIo0" />
         <pubDate>2025-10-09 19:15:13 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書9：10～17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3627168540</link>
         <description><![CDATA[<p>10 さて、使徒たちは帰って来て、自分たちのして来たことを報告した。それからイエスは彼らを連れてベツサイダという町へひそかに退かれた。</p><p>11 ところが、多くの群衆がこれを知って、ついて来た。それで、イエスは喜んで彼らを迎え、神の国のことを話し、また、いやしの必要な人たちをおいやしになった。</p><p>12 そのうち、日も暮れ始めたので、十二人はみもとに来て、「この群衆を解散させてください。そして回りの村や部落にやって、宿をとらせ、何か食べることができるようにさせてください。私たちは、こんな人里離れた所にいるのですから」と言った。</p><p>13 しかしイエスは、彼らに言われた。「あなたがたで、何か食べる物を上げなさい。」彼らは言った。「私たちには五つのパンと二匹の魚のほか何もありません。私たちが出かけて行って、この民全体のために食物を買うのでしょうか。」</p><p>14 それは、男だけでおよそ五千人もいたからである。しかしイエスは、弟子たちに言われた。「人々を、五十人ぐらいずつ組にしてすわらせなさい。」</p><p>15 弟子たちは、そのようにして、全部をすわらせた。</p><p>16 するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福して裂き、群衆に配るように弟子たちに与えられた。</p><p>17 人々はみな、食べて満腹した。そして、余ったパン切れを取り集めると、十二かごあった。</p><p><br/></p><p><strong>五千人の給食</strong></p><p><strong>できない理由を並べる弟子たち</strong></p><p>劇的な奉仕を展開した弟子たちが、喜びに満たされてイエスのもとに帰って来ました。イエスは、彼らに休息を与えるために、静かな場所にひそかに退かれました。休息を取ることは、祝福でもあり、神の命令でもあります。しかし、多くの群集が、そこにも押し寄せて来ました。「イエスは喜んで彼らを迎え、神の国のことを話し、また、いやしの必要な人たちをおいやしになった。」とあります。夕暮れを迎え、ついに弟子たちが口をはさみます。「群集を解散させ、宿をとらせ、何か食べることができるようにさせてください。」イエスは、「あなたがたで、何か食べる物を上げなさい。」と答えます。弟子たちは、当惑しました。（1）五つのパンと二匹の魚しかないのです。（2）近くには人里がないのです。そして、（3）パンを買おうにも資金がないのです。弟子たちは、イエスから訓練を受けていたことをすっかり忘れていたようです。あなたは、何事においても、できない理由を先に考えるタイプですか。イエスの内には、すべての豊かさが満ち満ちていることを、どの程度考慮に入れていますか。</p><p><br/></p><p><strong>不可能を可能にするイエス</strong></p><p>イエスの方法を確認してみましょう。（1）イエスは、秩序を重んじられました。（群衆を、50人ぐらいの組に分けて座らせました。）（2）イエスは、父なる神への感謝を第一にされました。「それらを祝福して裂き、」という訳では、イエスがパンと魚を祝福したように読めます。しかし、これは誤訳です。正しくは、「主の御名を祝福して（たたえて）」と訳すべきです。実際は、「地からパンを取り出したもう主の御名はほむべきかな。」と祈るのが当時の習慣でした。私も時々、食前に、この祈りを唱えることがあります。大きな神を見上げていることを実感し、恵まれます。（3）イエスは、弟子たちを用いて奇蹟を行なわれました。（4）イエスは、満ちあふれるほどにお与えになりましたが、何一つ無駄にはなりませんでした。この奇蹟は、四福音書すべてに記されていますから、初代教会の人々にはよほど強烈な印象を残したものと思われます。イエスがメシヤであることを証明した奇蹟です。と同時に、十字架上で肉を裂き、血を流されたイエスの愛を象徴的に描き出す奇蹟でもあります。ガリラヤの野でパンを裂かれたイエスが、今、あなたにも満たしを与えてくださいます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い神よ。あなたは、私たちの必要を日々満たされる方です。できない理由を考えるのではなく、イエス・キリストの豊かさによって大胆に生きる者と変えてください。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-10-10 20:30:30 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書9：18～27</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3627806689</link>
         <description><![CDATA[<p>18 さて、イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちがいっしょにいた。イエスは彼らに尋ねて言われた。「群衆はわたしのことをだれだと言っていますか。」</p><p>19 彼らは、答えて言った。「バプテスマのヨハネだと言っています。ある者はエリヤだと言い、またほかの人々は、昔の預言者のひとりが生き返ったのだとも言っています。」</p><p>20 イエスは、彼らに言われた。「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えて言った。「神のキリストです。」</p><p>21 するとイエスは、このことをだれにも話さないようにと、彼らを戒めて命じられた。</p><p>22 そして言われた。「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです。」</p><p>23 イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。</p><p>24 自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。</p><p>25 人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。</p><p>26 もしだれでも、わたしとわたしのことばとを恥と思うなら、人の子も、自分と父と聖なる御使いとの栄光を帯びて来るときには、そのような人のことを恥とします。</p><p>27 しかし、わたしは真実をあなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、神の国を見るまでは、決して死を味わわない者たちがいます。」</p><p><br/></p><p><strong>あなたはわたしをだれと言うか</strong></p><p><strong>ペテロの告白</strong></p><p>イエスの公生涯の最大の目標の一つは、弟子たちを訓練し、信仰告白へと導くことでした。時が来たことを感じたイエスは、弟子たちに、「群集はわたしのことをだれだと言っていますか。」と問いかけます。弟子たちの口からは、バプテスマのヨハネ、エリヤ、昔の預言者のひとり、といった答えが返ってきます。次にイエスは、「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」と聞きます。この問いは、すべての人が答えねばならない重要な問いです。個人的な関係、つまり、「あなたと私」という関係でイエスを知っていなければ、命ある信仰生活を送ることは不可能です。イエスは、あなたにとって個人的に関わってくださる方ですか。弟子たちを代表してペテロが、「神のキリストです。」と答えます。つまり、イエスこそ約束のメシヤであるとの告白です。これは、神の啓示なしにはできない告白です。聖霊によらなければ、だれも、「イエスは主なり。」と告白できないことを思い、神に感謝しましょう（コリント人への手紙第一12：3）。</p><p><br/></p><p><strong>イエスの十字架と弟子たちの十字架</strong></p><p>ペテロの告白に続いて、イエスはすぐにメシヤの使命についての説明を開始します。それは、ペテロのメシヤ観が、極めて不充分であったからです。（1）メシヤは、イスラエルの指導者たちから拒否され、（2）十字架につけられ、（3）三日目によみがえる。これは、偶然に起こることではなく、必然的にそうならざるを得ない出来事であり、そのことのためにこそ、イエスは地上に来られたのです。イエスの十字架預言に続いて、弟子たちが負うべき十字架にテーマが移っていきます。イエスをメシヤとして告白することは、同時に、イエスの受難と復活を受け入れることであり、弟子として自らも十字架を負うことを決意することです。この場合の十字架とは、自己犠牲の生き方のことです。クリスチャン生活の祝福は、逆説的真理の中に見出されます。つまり、自己犠牲の中にこそ、本当の命があるということです。自分に死ぬという決断は、一度だけでなく、毎日なすべきことです。イエスの次のことばは、物質主義に束縛されている現代の日本人の心に、衝撃をもたらすものです。「人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。」今日もまた、自分に死ぬことを通して、イエスの命に生きる決断をさせていただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。今私は、イエスは主なりと、告白します。どうか、主イエスの歩まれた十字架の道を歩めますように、私に上からの力をお与えください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-10-11 20:30:42 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書9：28～36</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3628588323</link>
         <description><![CDATA[<p>28 これらの教えがあってから八日ほどして、イエスは、ペテロとヨハネとヤコブとを連れて、祈るために、山に登られた。</p><p>29 祈っておられると、御顔の様子が変わり、御衣は白く光り輝いた。</p><p>30 しかも、ふたりの人がイエスと話し合っているではないか。それはモーセとエリヤであって、</p><p>31 栄光のうちに現れて、イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期についていっしょに話していたのである。</p><p>32 ペテロと仲間たちは、眠くてたまらなかったが、はっきり目がさめると、イエスの栄光と、イエスといっしょに立っているふたりの人を見た。</p><p>33 それから、ふたりがイエスと別れようとしたとき、ペテロがイエスに言った。「先生。ここにいることは、すばらしいことです。私たちが三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」ペテロは何を言うべきかを知らなかったのである。</p><p>34 彼がこう言っているうちに、雲がわき起こってその人々をおおった。彼らが雲に包まれると、弟子たちは恐ろしくなった。</p><p>35 すると雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしの選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい」と言う声がした。</p><p>36 この声がしたとき、そこに見えたのはイエスだけであった。彼らは沈黙を守り、その当時は、自分たちの見たこのことをいっさい、だれにも話さなかった。</p><p><br/></p><p><strong>イエスの変貌</strong></p><p><strong>イエス自身のために</strong></p><p>イエスは、祈るために山に登られました。イエスは、公生涯の節目節目で、父なる神に熱心に祈っておられます（3：21、6：12、9：18など参照）。祈りの中で、イエスの御姿が変貌し、栄光に輝き始めます。これはまさに、別世界の現実がこの地上に侵入した出来事です。この出来事が起こった理由は何でしょうか。最初に考えられる理由は、イエス自身のためのものです。イエスは、役者がドラマを演じるように、何の疑問もなく、神によって書かれたシナリオを演じられたのでしょうか。私は、そうは思いません。十字架を目指して歩む人生でしたが、そのステップ、ステップで、悩み、苦闘されたに違いありません。モーセとエリヤが現われ、イエスを慰めました。父なる神が、イエスが歩もうとしている道は間違っていないことを保証なさいました。この体験は、これからエルサレムに向かおうとするイエスにとって、どれほどの慰めになったことでしょうか。神は、ご自身に従おうとする者には、必ず、同じような慰めを与えてくださいます。</p><p><br/></p><p><strong>ペテロとヨハネとヤコブのために</strong></p><p>しかし、この出来事は、弟子たちのためでもありました。イエスが祈っている間、弟子たちは眠っていたようです。しかし、栄光の光が輝いたとき、はっきりと目がさめました。その体験が余りにも感動的であったため、ペテロは自分を見失い、意味不明の言葉を発します。後になって振り返ると、この体験は、彼らに三つの祝福を与えていたことが分かります。（1）モーセは律法を代表し、エリヤは預言者を代表しています。つまり、その二人が現われたことは、イエスが旧約聖書の預言の成就として来られたことを証明しています。（2）イエスがエルサレムで悲惨な最期を遂げるであろうことが、話し合われました。（3）受難のイエスは、同時に栄光に富んだ神の子でもあります。父なる神が、「これは、わたしの愛する子、わたしの選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい。」とお語りになりました。イエスの変貌の姿を目撃した三人の弟子たちは、そのことをだれにも話さなかったようです。しかしペテロは、後になってからその体験を厳粛に分かち合っています（ペテロの手紙第一1：15～18参照）。将来用意されている栄光を目撃することは、あなたの生き方や、人格を、どのように変化させますか。神は、「彼の言うことを聞きなさい。」とお語りになっています。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。私の見るところ、理解するところには、いつも限界があります。今、将来私に用意されている栄光を垣間見させてくださり、感謝します。今日も、イエスのことばに耳を傾けながら歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=9pIEkYABqqI" />
         <pubDate>2025-10-12 20:45:50 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書9：37～45</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3630343850</link>
         <description><![CDATA[<p>37 次の日、一行が山から降りて来ると、大ぜいの人の群れがイエスを迎えた。</p><p>38 すると、群衆の中から、ひとりの人が叫んで言った。「先生。お願いです。息子を見てやってください。ひとり息子です。</p><p>39 ご覧ください。霊がこの子に取りつきますと、突然叫び出すのです。そしてひきつけさせてあわを吹かせ、かき裂いて、なかなか離れようとしません。</p><p>40 お弟子たちに、この霊を追い出してくださるようお願いしたのですが、お弟子たちにはできませんでした。」</p><p>41 イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまで、あなたがたといっしょにいて、あなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。あなたの子をここに連れて来なさい。」</p><p>42 その子が近づいて来る間にも、悪霊は彼を打ち倒して、激しくひきつけさせてしまった。それで、イエスは汚れた霊をしかって、その子をいやし、父親に渡された。</p><p>43 人々はみな、神のご威光に驚嘆した。イエスのなさったすべてのことに、人々がみな驚いていると、イエスは弟子たちにこう言われた。</p><p>44 「このことばを、しっかりと耳に入れておきなさい。人の子は、いまに人々の手に渡されます。」</p><p>45 しかし、弟子たちは、このみことばが理解できなかった。このみことばの意味は、わからないように、彼らから隠されていたのである。また彼らは、このみことばについてイエスに尋ねるのを恐れた。</p><p><br/></p><p><strong>変貌山のふもとで</strong></p><p><strong>力のない弟子たち</strong></p><p>山頂で、ペテロ、ヨハネ、ヤコブの三人がイエスの栄光を拝していたとき、ふもとでは、他の弟子たちが苦闘していました。ペテロは、いつまでも山頂に留まることを願いましたが、祝福を受けた者は、それを分かち合うために山を下らねばなりません。下山したイエスの一行を待っていたのは、闇の力に対抗できない人々の群れでした。悪霊につかれたひとり息子を持つ父親が、助けを求めて、群集の中から叫びました。「お弟子たちに、この霊を追い出してくださるようにお願いしたのですが、お弟子たちにはできませんでした。」イエスは嘆いて、そこに集まった群衆と弟子たちにこう言われます。「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまで、あなたがたといっしょにいて、あなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。」9章1節で、弟子たちに、すべての悪霊を追い出し、病をいやすための、力と権威が与えられたはずです。その力と権威は、どこに行ったのでしょうか。弟子たちが悪霊を追い出せなかったのは、信仰と祈りが足りなかったからです。神の力は、一度受ければそれでよいというものではありません。あなたの信仰と力とは、日々更新されていますか。</p><p><br/></p><p><strong>学びののろい弟子たち</strong></p><p>イエスは、汚れた霊をしかって、直ちにその子をいやし、父親に渡されました。群集は、それを見て、神の栄光をほめたたえました。しかしイエスは、弟子たちがいつまでもこの奇蹟に関心を払い続けることを好まれませんでした。ガリラヤでの活動期間が終わりに近づいている今、イエスの最大の関心事は、十字架への道でした。そこで弟子たちに、「このことばを、しっかりと耳に入れておきなさい。人の子は、いまに人々の手に渡されます。」とお語りになりました。つまり、イエスがメシヤであることを告白する者は、イエスの最期が十字架で終わることを予期せねばならないということです。しかし、弟子たちはこのことばの意味を理解しませんでした。そのみことばの意味が、彼らから隠されていたからです。福音の中心は、十字架です。パウロは、「なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。」（コリント人への手紙第一2：2）と語っています。あなたの信仰の中心は、十字架にありましたか。今、知恵の御霊が与えられるように祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い神よ。十字架の恵みを忘れ、二義的な教えに心引かれることの多い私でした。お赦しください。私は今、恵みにより、信仰によって神の子とされています。その特権と祝福とを、心から感謝します。私に知恵の御霊を注いでください。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=uyLoYbsBjfg" />
         <pubDate>2025-10-13 20:39:12 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書9：46～50</title>
         <author>shizukaosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3632419590</link>
         <description><![CDATA[<p>46 さて、弟子たちの間に、自分たちの中で、だれが一番偉いかという議論が持ち上がった。</p><p>47 しかしイエスは、彼らの心の中の考えを知っておられて、ひとりの子どもの手を取り、自分のそばに立たせ、</p><p>48 彼らに言われた。「だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れる者です。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れる者です。あなたがたすべての中で一番小さい者が一番偉いのです。」</p><p>49 ヨハネが答えて言った。「先生。私たちは、先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、やめさせました。私たちの仲間ではないので、やめさせたのです。」</p><p>50 しかしイエスは、彼に言われた。「やめさせることはありません。あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方です。」</p><p><br></p><p><strong>弟子たちのプライド</strong></p><p><strong>だれが一番偉いか</strong></p><p>まず、44節のイエスのことばと、46節の弟子たちの議論とを比べてみましょう。「このことばを、しっかりと耳に入れておきなさい。人の子は、いまに人々の手に渡されます。」（9：44）。「さて、弟子たちの間に、自分たちの中で、だれが一番偉いかという議論が持ち上がった。」（46節）。イエスは、他者の祝福を考えておられましたが、弟子たちは自分のことに関心を示していました。イエスは、二つのことをお教えになりました。（1）子どもは、弱い者、価値のない者の代表です。そのような者を、イエスの名によって受け入れる者は、イエスを、また、天の父を受け入れたことになります。（2）地上で一番評価されない者こそ、偉大な者です。新改訳聖書では、「一番偉いのです。」と訳されていますが、これは不幸な訳です。原文では、「非常に偉大である」という意味がありますが、他者との比較を示唆する「一番偉い」という意味はありません。つまり、神の国では、他者との比較はないのです。それを知ることは、解放につながります。霊的な成長を測るバロメーターの一つは、他者との比較をどれだけしなくなっているか、です。いくら努力しても、上には上がいるものです。あるときは優越感に浸ったかと思うと、次の瞬間には、劣等感にさいなまれます。このような悪循環を断ち切るためには、「私は神によって正当に評価されている」という事実に、人生の基礎を置くことです。あなたは、いつも一番にならないと満足しない性格ですか。</p><p><br></p><p><strong>だれが仲間か</strong></p><p>イエスの名によって悪霊の追い出しをしていた人がいました。バプテスマのヨハネの弟子であったのかもしれません。イエスの弟子たちは、自分たちの仲間ではないという理由で、やめさせました。そこで、イエスは、クリスチャンが踏襲すべき重要な原則を打ち立てなさいました。「やめさせることはありません。あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方です。」もし、この原則がそのまま守られていたなら、教会史の中の多くの悲劇は、起こらなくても済んでいたでしょう。しかし残念ながら今も、「私たちの仲間ではない。」という理由で、神が用いておられる教会や人物を非難することがよくあるのではないでしょうか。もし、「自分たちの教会だけが正しい教会である。」というメッセージが語られているなら、その教会は、霊的に健全な状態にあるとは言えません。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。私の傲慢をお赦しください。私の考えと異なる多くの兄弟姉妹たちがいます。主にあって労しているこれらの兄弟姉妹たちは、敵ではなく、味方です。どうか、その方々の祝福を祈れる者と変えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://youtu.be/KYI60ema6hU?si=ES4Mz5uNe8FKebmb" />
         <pubDate>2025-10-14 21:18:21 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3632419590</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書9：51～56</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3634395303</link>
         <description><![CDATA[<p>51 さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、</p><p>52 ご自分の前に使いを出された。彼らは行って、サマリヤ人の町に入り、イエスのために準備した。</p><p>53 しかし、イエスは御顔をエルサレムに向けて進んでおられたので、サマリヤ人はイエスを受け入れなかった。</p><p>54 弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」</p><p>55 しかし、イエスは振り向いて、彼らを戒められた。</p><p>56 そして一行は別の村に行った。</p><p><br/></p><p><strong>エルサレムへの旅</strong></p><p><strong>イエスの決意</strong></p><p>ルカの福音書では、9：51から19：44までが、ガリラヤからエルサレムへの旅となっています。ですから、この箇所から新しい区分が始まります。ガリラヤでの奉仕を終えたイエスは、いよいよエルサレムに上る決断をします。ルカの福音書9：51は、非常に重要な聖句です。「さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、」ここには、（1）エルサレムで起こることが何であるかの認識があります。イエスは、ご自分が受ける苦難を知っておられたのです。（2）苦難に立ち向かうイエスの気迫と、決意があります。最近の世界の動きを見ていると、私たちに与えられている伝道のための時間も、残り少なくなっているように感じます。イエスが、「エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられた」ことを黙想してみましょう。また、ペテロの以下のことばを受け止め、自分の生活に適用してみましょう。「このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました。」（ペテロの手紙第一4：1）。</p><p><br/></p><p><strong>弟子たちの狂信</strong></p><p>イエスがサマリヤ人の町に入ろうとしたとき、サマリヤ人たちは、イエスを受け入れませんでした。ユダヤ人とサマリヤ人との激しい反目は、エズラ、ネヘミヤの時代から存在していたものです（エズラ記4：1～5参照）。特に、エルサレムに上ろうとしているユダヤ人たちには、サマリヤ人たちは激しい敵意を抱きました。ヤコブとヨハネは、「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」とイエスに聞きます。旧約聖書の預言者エリヤの奇蹟を念頭においての発言ですが、これは、明らかに行き過ぎです。彼らには、自分たちがどのような精神状態にあるのかが分かっていませんでした。その根底にあるものは、プライドと肉的な野心です。自己中心が砕かれていないと、その熱心さは狂信につながります。本人は信仰で動いているつもりでも、人を傷つける結果になります。イエスは、弟子たちを戒められました。あなたは、自分のプライドのために、奉仕や伝道活動をしたことがありますか。イエスがもたらしたのは、恵みの時代であることを覚え、恵みによって生かされることを求めましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。今は、決断の時です。主イエスが、苦難を甘受するためにエルサレムに上ることを決意されたように、私も、あなたに全面的に降伏する決意をすることができますように、力をお与えください。すべての肉的な野心から私を解放してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=fE2SqLHZXeE" />
         <pubDate>2025-10-15 19:56:25 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書9：57～62</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3636435947</link>
         <description><![CDATA[<p>57 さて、彼らが道を進んで行くと、ある人がイエスに言った。「私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます。」</p><p>58 すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」</p><p>59 イエスは別の人に、こう言われた。「わたしについて来なさい。」しかしその人は言った。「まず行って、私の父を葬ることを許してください。」</p><p>60 すると彼に言われた。「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」</p><p>61 別の人はこう言った。「主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。」</p><p>62 するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」</p><p><br/></p><p><strong>イエスの弟子になる資格</strong></p><p><strong>自己推薦した男</strong></p><p>この箇所では、三人の男がイエスの弟子候補として出てきます。最初は、「あなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます。」と自己推薦した男です。それ自体は悪いことではありませんが、彼には、イエスの弟子が支払うべき犠牲の大きさが理解できていませんでした。熱心さだけで、理性的な理解がなければ、途中で必ず挫折します。イエスは、「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」とお答えになりました。神の子イエスが、人となるために支払われた犠牲の大きさを、垣間見る思いがします。ところで、聖書にはもうひとり、「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」（ルカの福音書22：33）と語った人物が出て来ます。それは、ペテロです。ペテロは自分の弱さも、イエスの恵みの深さも、十分には理解していませんでした。しかし、大きな失敗を通してペテロは、イエスの弟子にふさわしい姿に変えられていきました。あなたは、過去の失敗で立ち上がれない状態になっていますか。イエスの赦しを受け取り、ペテロのように立ち上がりましょう。</p><p><br/></p><p><strong>イエスに招かれた男</strong></p><p>次の二人は、イエスから招かれています。すると彼らは、こう答えました。「まず行って、私の父を葬ることを許してください。」「主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。」両者とも、もっともな答えのように聞こえます。しかし、イエスは、お喜びになりませんでした。何が問題なのでしょうか。前者の場合、彼の父はまだ死んでいないということを理解する必要があります。この地方の慣用句で、「父を葬る」とは、死ぬまで面倒を見ることを意味します。つまりこの男は、数年経って父が死んだら考えてもいいと言っているのです。家の者にいとまごいを、というのはどうでしょうか。これも、それ自体は悪いことではないかもしれません。問題は、彼の献身に不純物が混ざっており、全きものとなっていないという点にあります。イエスは、彼に言われました。｢だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」あなたは、最近、うしろを振り返ってはいませんでしたか。今、次のみことばを黙想しましょう。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」（ヘブル人への手紙12：2）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。今日は、手を鋤にかけてから、後ろを振り返るなと教えていただき感謝します。前に向かって、イエス様に向かって、完成に向かって、今日も歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-10-16 20:36:57 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3636435947</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書10：1～16</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3638121504</link>
         <description><![CDATA[<p>1 その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。</p><p>2 そして、彼らに言われた。「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。</p><p>3 さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り出すようなものです。</p><p>4 財布も旅行袋も持たず、くつもはかずに行きなさい。だれにも、道であいさつしてはいけません。</p><p>5 どんな家に入っても、まず、『この家に平安があるように』と言いなさい。</p><p>6 もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。</p><p>7 その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。</p><p>8 どの町に入っても、あなたがたを受け入れてくれたら、出される物を食べなさい。</p><p>9 そして、その町の病人を直し、彼らに、『神の国が、あなたがたに近づいた』と言いなさい。</p><p>10 しかし、町に入っても、人々があなたがたを受け入れないならば、大通りに出て、こう言いなさい。</p><p>11 『私たちは足についたこの町のちりも、あなたがたにぬぐい捨てて行きます。しかし、神の国が近づいたことは承知していなさい。』</p><p>12 あなたがたに言うが、その日には、その町よりもソドムのほうがまだ罰が軽いのです。</p><p>13 ああコラジン。ああベツサイダ。おまえたちの間に起こった力あるわざが、もしもツロとシドンでなされたのだったら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰の中にすわって、悔い改めていただろう。</p><p>14 しかし、さばきの日には、そのツロとシドンのほうが、まだおまえたちより罰が軽いのだ。</p><p>15 カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスにまで落とされるのだ。</p><p>16 あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾ける者であり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒む者です。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒む者です。」</p><p><br/></p><p><strong>70人の派遣</strong></p><p><strong>宣教の広がり</strong></p><p>今日の箇所で、急激な宣教の広がりが見えます。イエスは、新たに、70人の弟子たちを派遣されました。この箇所から、私たちにも役に立つ神の国の宣教の原則について、学んで見ましょう。（1）神が霊的な土壌を準備してくださいます。イエスは、「実りは多い」と言われます。なんと心強いことばでしょうか。私たちも、悲観的にならないで、神の視点から日本の伝道を眺めましょう。（2）祈りによる応答。私たちは、「収穫のために働き手を送ってください。」という祈りを捧げる必要があります。（3）緊急性。財布、旅行袋、余分な靴などを持たないように、道での挨拶に時間を費やさないように、などの命令は、すべて緊急性を表わすものです。私たちには、どの程度、緊急性の認識があるでしょうか。（4）目標設定。最も大切なことは、「神の国が近づいた。」というメッセージです。それ以外のことは、すべてその目的に従属すべきことがらです。受け入れてくれる家があれば、家々を転々としてはいけません。食物に関しても、それが食物規定にかなっているかどうかという議論をする必要はありません。経済的な満たしは、神が、神の民を通して与えてくださいますから、不安に思う必要はありません。つまり、神の国のメッセージを語ることを第一にすれば、神の祝福が来るということです。あなたは、人の魂を救い、教会を成長させるのは、聖霊であると信じますか。その認識は、あなたのクリスチャン生活をどう変えますか。</p><p><br/></p><p><strong>福音を聞く者の責任</strong></p><p>私たちにできるのは、忠実に神の国の福音を伝えることです。あとは、神とその人との関係です。福音を聞いた者には、大きな責任が伴ないます。なぜでしょうか。それは、福音の使者の声に耳を傾けないことは、イエスを拒否したことであり、ひいては、父なる神を拒否したことになるからです。イエスは、昔、神に背いて滅びてしまった町々（ソドム、ツロ、シドン）の例を挙げ、コラジン、ベツサイダ、カペナウムなどのガリラヤ湖畔の町々を叱責なさいました。私の耳には、このリストの最後に、東京、大阪、名古屋、などの日本の都市の名が続くのが聞こえてきます。世界中のクリスチャンたちが、日本のリバイバルのためにとりなしをしてくださっています。福音のメッセージを聞く日本人の魂が、深い悔い改めに導かれるように、祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。あなたは、第一のものを第一として歩むしもべを、必ずお守りくださるお方です。どうか、人間の方法ではなく、聖霊によって神の教会が建て上げられますように、お導きください。滅び行く町々への痛みの心が少なかったことをお詫びします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-10-17 20:42:31 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書10：17～24</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3638925902</link>
         <description><![CDATA[<p>17 さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」</p><p>18 イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。</p><p>19 確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。</p><p>20 だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」</p><p>21 ちょうどこのとき、イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。</p><p>22 すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、子がだれであるかは、父のほかには知る者がありません。また父がだれであるかは、子と、子が父を知らせようと心に定めた人たちのほかは、だれも知る者がありません。」</p><p>23 それからイエスは、弟子たちのほうに向いて、ひそかに言われた。「あなたがたの見ていることを見る目は幸いです。</p><p>24 あなたがたに言いますが、多くの預言者や王たちがあなたがたの見ていることを見たいと願ったのに、見られなかったのです。また、あなたがたの聞いていることを聞きたいと願ったのに、聞けなかったのです。」</p><p><br/></p><p><strong>70人の帰還</strong></p><p><strong>弟子たちの喜び</strong></p><p>派遣されていた70人の弟子たちが、喜んで帰って来ました。宣教は、大成功でした。イエスから受けた命令は、（1）病人を直すことと、（2）神の国の到来を宣言することでした。しかし、宣教地で彼らが体験したのは、それ以上のものでした。彼らは、イエスの御名によって悪霊どもを追い出すことさえできたのです。彼らは、単純な信仰と、イエスの御名の力によって、劇的な勝利を収めました。その勝利がいかに劇的であったかは、イエスの次のことばによってもうかがい知れます。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。」（18節）。ここでイエスは、喜んでいる弟子たちの姿の中に、誤った勝利主義の危険性を感じ取られたようです。そして、二つの警告をお与えになります。（1）悪霊どもに対する権威は、すべてイエスから与えられたもので、弟子たちには何一つ誇るものはない。（2）本当に喜ぶべきは、彼らの名が天に書き記されているという事実であって、悪霊どもが彼らに従うことではない（ヨハネの黙示録3：5参照）。私たちは、バランスを崩しやすい者です。センセーショナルなことについつい関心を奪われてしまいます。しかし、イエスを信じる信仰によって神の子とされたことこそが、最大の奇蹟です。あなたは、この事実を最も喜んでいましたか。</p><p><br/></p><p><strong>イエスの喜び</strong></p><p>イエスは悲しみの人でした。しかし、この箇所では、大いに喜んでおられます。それは、地上の喜びではなく、聖霊による歓喜でした。イエスは、賢い者や知恵ある者が、神のみことばを拒否するのを何度も見てこられました。しかし、単純に信じたこれらの弟子たち（幼子たち）によって、神のわざが進められるのをご覧になり、大いに喜ばれたのです。自らを知者だと思う者は、神の啓示を受け取ることができません。「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。」（コリント人への手紙第一2：14）とパウロが語っている通りです。あなたは、自分のことを知者だと思うことがありますか。神様にとって、あなたは用いやすい器ですか。イエスが旧約聖書に預言されたメシヤであることを知っていることは、どの程度の喜びですか。これらの問いについて黙想してみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。今日は、本当に喜ぶべきことが何かを教えてくださり、感謝します。バランスを崩しやすい私です。お赦しください。私の名が天に記されていることを信じ、感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-10-18 21:07:51 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書10：25～37</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3639711038</link>
         <description><![CDATA[<p>25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」</p><p>26 イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」</p><p>27 すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。」</p><p>28 イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」</p><p>29 しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」</p><p>30 イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。</p><p>31 たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。</p><p>32 同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。</p><p>33 ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、</p><p>34 近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。</p><p>35 次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』</p><p>36 この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」</p><p>37 彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」</p><p><br/></p><p><strong>良きサマリヤ人のたとえ</strong></p><p><strong>律法学者の思い違い</strong></p><p>ある律法学者が、「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」と問います。彼は、イエスがどう答えるかを試すためにこの質問をしたのです。彼には、三つの大きな思い違いが見られます。（1）自分はイエス以上に、律法に精通しているという思い違い。（2）わざによって永遠のいのちを得ることができるという思い違い。（3）永遠のいのちを、あの世まで続くいのち、いつまでも継続するいのちと考える思い違い。永遠のいのちとは、神によって与えられる質的に変化したいのちを指します。イエスは、「あなたは律法をどう読んでいますか。」と問います。申命記6：5とレビ記19：18を合わせた模範回答が返ってきます。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」イエスは彼に、「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」と答えます。ここから、イエスがわざによる救いの道を奨励しておられると考える必要はありません。むしろその逆です。神の絶対的な愛を知った人のみが、その愛への応答として、全存在をもって神を愛し得るのです。あなたは、キリスト教信仰のゴールが愛であることを、日々確認していますか。</p><p><br/></p><p><strong>良きサマリヤ人のたとえ</strong></p><p>律法学者は、形勢が不利になったのを見て、「では、私の隣人とは、だれのことですか。」と、なおもイエスを追求します。イエスは、直接は答えず、あの有名な「良きサマリヤ人のたとえ」を語られました。このたとえ話のゴールは、「この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったか。」という質問です。律法学者は、「私の隣人とは、だれか。」と問い、イエスは、「だれが、助けを必要としている者の隣人となったか。」と問われたのです。祭司とレビ人とが関わりを避けたのは、儀式的に汚れることを恐れたからです。彼らは、律法の要求を満たすために、律法が最も大切なこととして教える愛の実践を、放棄したのです。愛を実行したのは、律法を知らないサマリヤ人でした。このサマリヤ人は、愛によって律法の要求を満たしたのです。私たちのうちに、愛の原則からはほど遠いキリスト教的律法主義がないかどうか、今、聖霊に吟味していただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。今日は、キリスト教信仰のゴールが愛であることを再確認することができました。「だれが私の隣人になってくれるだろうか。」ではなく、「私はだれの隣人になれるだろうか。」という問いをもって、今日一日歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=ZKSm5VzjSmM" />
         <pubDate>2025-10-19 20:11:16 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書10：38～42</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3641644607</link>
         <description><![CDATA[<p>38 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。</p><p>39 彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。</p><p>40 ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」</p><p>41 主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。</p><p>42 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」</p><p><br/></p><p><strong>マルタとマリヤ</strong></p><p><strong>マルタのいらだち</strong></p><p>ルカは、ある意図をもって、「良きサマリヤ人のたとえ」のすぐ後に、この話を配置したと思われます。（マルタとマリヤの家は、ベタニヤ村にありましたので、本来なら、もっとエルサレムに近くなってから出てくる話なのです。）「良きサマリヤ人のたとえ」を単に表面的にしか読まない人は、イエスがわざによる救いを容認したと誤解するかもしれません。この話は、そのような誤解を解くには、もってこいの内容です。マルタは、喜んでイエスを家にお迎えしました。彼女は、イエスのために、何か特別のもてなしをしようと考えたようです。ところが、忙しく動き回るうちに、いらだちの感情が出てきて、自分でもそれを制御できなくなってしまいました。特に気になったのが、何もしないで、イエスの足元にすわって、みことばに聞き入っている妹の存在です。マルタの非難は、やがてやんわりとイエスに向けられるようになりました。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」どことなく、とげとげしい言葉です。何を第一にするかを忘れると、心のバランスを崩すことがよくあります。できたらいいと思うことはたくさんありますが、それをすべきかどうかは別問題です。私は最近、何をするかよりも、何をすべきでないかを判断することの方が、より重要だと感じることがよくあります。あなたはどうですか。</p><p><br/></p><p><strong>マリヤの選び</strong></p><p>イエスは、「マルタ、マルタ。」と優しく呼びかけ、「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。」とお答えになりました。どうしても必要な一つのことが何を指しているかは、文脈からよくわかります。マリヤは、イエスのみことばを聞き、それに信頼することを最優先させました。その態度がイエスを喜ばせたのです。最近、こういう話を聞きました。「朝、きちっとデボーションができた日は、一日中、快適に過ごすことができる。しかし、デボーションをしないで始めた一日は、何をしてもうまく行かない。」これは、私も体験済みの真理です。聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」（ローマ人への手紙10：11）。イエスのことばを聞き、それに信頼することこそ、「どうしても必要な一つのこと」です。それを、私たちから奪える者はだれもいません。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。あなたにお仕えしたい一心で、忙しく動き回るうち、どうしても必要なものを忘れることの多い私です。今、もう一度、あなたのみことばに耳を傾け、あなたに信頼することを教えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=Sr8TgjC4w_U" />
         <pubDate>2025-10-20 20:00:03 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書11：1～4</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3643769954</link>
         <description><![CDATA[<p>1 さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」</p><p>2 そこでイエスは、彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。</p><p>3 私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。</p><p>4 私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。私たちを試みに会わせないでください。』」</p><p><br/></p><p><strong>革命的な祈り</strong></p><p><strong>主が弟子たちに教えられた祈り</strong></p><p>この箇所に記された祈りは、一般的には「主の祈り」と呼ばれています。マタイの福音書6：9～13にも主の祈りが記されており、両者の関係が、様々に論じられています。ルカの福音書には、「祈るときには、こう言いなさい。」（2節）とありますが、マタイの福音書には、「だから、こう祈りなさい。」（6：9）とあります。前者は、祈りのことばを教え、後者は、祈りのパターンを教えていると思われます。両方とも、大切です。私たちは、このことば通りに祈ることもできますが、同時に、このパターンをモデルにして、自分なりに祈ることもできます。また主の祈りは、個人的な祈りであると同時に、共同体の祈りでもあります。主語が、すべて複数形になっていることに注目しましょう。</p><p><br/></p><p><strong>革命的な内容</strong></p><p>主の祈りの内容は革命的です。（1）「父よ。」とあります。原語では、「アバ」です。当時ユダヤ人たちは、神に祈るとき、「アビヌ（私たちの父よ）」という呼びかけを用いていました。しかしそれでは、神との間に距離を感じます。イエスは、「アバ」と呼びかけるように教えてくださいました。天地創造の神に対して、心から、「父よ。」と呼びかけることができるなら、この祈りの大半は達成されたと言っても過言ではありません（ローマ人への手紙8：15、ガラテヤ人への手紙4：6参照）。あなたにとって、神は、親しい天のお父様ですか。（2）「御名があがめられますように。御国が来ますように。」とあります。クリスチャンの祈りは、自分の必要よりも、神を神としてあがめることが優先される祈りです。あなたは、いつも神から何かをいただこうとする段階に留まっていますか、それとも、神の御声を聞いて、それに従いたいと願う段階にまで成長していますか。（3）「日ごとの糧を毎日お与えください。」とあります。私たちは、困ったときだけ神により頼むのではなく、瞬間瞬間、神に信頼を置いて歩みます。（4）「私たちの罪をお赦しください。」とあります。私たちは、聖書の救いがわざによるものではなく、神の恵みによるものであることを告白します。（5）「私たちを試みに会わせないでください。」とあります。私たちは、自らが誘惑に弱い者であることを告白し、神の守りを心から願います。今、主の祈りを、ルカの福音書に記されたことばで祈りましょう。次に、そのパターンを用いて、自分のことばで祈ってみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。あなたを、「父よ。」と呼ぶことができる幸いを心から感謝します。どうか、あなたの子にふさわしい姿に、私を変え続けてください。主イエスの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=gyytbWCFbF8" />
         <pubDate>2025-10-21 19:18:57 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書11：5～8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3645996778</link>
         <description><![CDATA[<p>5 また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、『君。パンを三つ貸してくれ。</p><p>6 友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ』と言ったとします。</p><p>7 すると、彼は家の中からこう答えます。『めんどうをかけないでくれ。もう戸締まりもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない。』</p><p>8 あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。</p><p><br/></p><p><strong>真夜中の訪問者</strong></p><p><strong>興味深いたとえ話</strong></p><p>主の祈りを弟子たちに教えたイエスは、次に、たとえ話を用いて、祈り続けることの重要性を強調されました。そのたとえ話とは、以下のような内容のものでした。ある人が、友人のところに行って、パンを三つ貸してくれとしつこく頼みます。なぜそんなにしつこく迫ったのでしょうか。三つの理由が考えられます。（1）真夜中に友人が訪ねてきたのに、何も出すものがなかったからです。当時の貧しい人々は、毎朝その日食するだけのパンを焼いていました。おそらくこの訪問客は、昼間の熱気を避けて、夕刻から旅を始めたのでしょう。客をもてなすことは、聖なる務めですから、見捨てておくわけにはいきません。（2）友人のところにはパンがあることを知っていたからです。小さなパン三つもあれば、一人の人が食べる量としては、十分でしょう。そこで、友人の家の戸をたたきました。しかし友人は、なかなか起き上がってくれません。おそらくその友人は、今で言うワンルームの家に住んでいたのでしょう。底上げした木の台の上に家族全員が寝ており、土間には、家畜が休んでいたのかもしれません。一人が起き上がると、家の中全部が、眠りを妨げられます。友情に応えられないような結果になっても、そのまま寝ている方が楽です。（3）他に方法がなかったからです。彼は、友人に頼む以外に方法がないのを知っていましたので、なおも戸をたたき続けました。その結果、ついに友人は起き上がって、パンを与えてくれました。彼の熱心さが、勝ったのです。</p><p><br/></p><p><strong>このたとえ話の教訓</strong></p><p>このたとえ話は、神はなかなか祈りに答えてくださらないと言っているのではありません。その逆です。神はいつも、祈りに答えようとして待っておられます。私たちに必要なのは、それを信じて、祈り続けること、願い続けることです。祈りの答えがすぐに来ないからといって、祈りを止めるなら、それは、私たちの願いがいかに浅いものであるかを証明しているだけです。私たちは、大きな必要を抱えています。私たちは、神のみが答えを持っておられることを知っています。ですから、熱心に祈るのです。あなたには、祈ることをあきらめていた課題はありませんか。あるいは、祈る前からあきらめていた課題はありませんか。継続した祈りを、今日から始めましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い神よ。途切れ途切れの祈りしかしてこなかった私をお赦しください。主イエスが、今日、直接私に、継続した祈りの重要性をお教えくださったように感じています。私も、祈りの勇士となれますように、お助けください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=IAH0FTtbEDU" />
         <pubDate>2025-10-22 20:37:56 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書11：9～13</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3648006706</link>
         <description><![CDATA[<p>9 わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。</p><p>10 だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。</p><p>11 あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。</p><p>12 卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。</p><p>13 してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」</p><p><br/></p><p><strong>求めなさい。捜しなさい。たたきなさい。</strong></p><p><strong>継続した祈り</strong></p><p>ここでもイエスは、継続した祈りの重要性を教えておられます。三つのことばが並べられています。「求めなさい。捜しなさい。たたきなさい。」この三つのことばは、継続した動作を意味しています。継続した祈りに対する神からの答えが、10節に書かれています。「だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」しかし、これらの教えから、何でも祈った通りに聞かれると思ってはいけません。何でも自分が祈った通りに実現するとしたら、恐ろしくて、祈れなくなるはずです。時には神は、「否」と言われます。それが、祈りの答えとなることもあるのです。そのことを通して、神は、私たちの祈りの真意にはお答えくださっているのです。あなたの人生で、願った通りにはならなかったが、結果として、その方が祝福につながったということがありませんでしたか。神が真剣な祈りを見過ごしにされることは、決してありません。</p><p><br/></p><p><strong>なおのこと、天の父は</strong></p><p>次に、日常生活の例から、神の恵みに光が当てられます。二つの対比が出てきます。「魚と蛇」、「卵とさそり」です。ガリラヤ湖で取れる魚には、蛇に似たものがありました。また、砂漠地帯には、白い色をしたさそりがおり、体を丸めた姿は卵そっくりでした。判断力のない子どもは、誤ってにせ物に手を出すかもしれません。しかし、父親は、自分の子どもには、本物しか与えません。それが親の愛です。ここで、第三の対比が出てきます。それは、地上の父と天の父との対比です。イエスは、こう結論づけられました。「してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」（13節）。「とすれば、なおのこと、」という表現に注目しましょう。天の父は、最善しかお与えになりません。そして、その最善のもののひとつが、聖霊です。あなたの心には、様々な願いがあることでしょう。しかし、聖霊に心が満たされるなら、ほとんどの願いが解決されることをご存じでしたか。ローマ人への手紙8章には、聖霊に満たされたクリスチャン生活の祝福が書かれています。祈りつつ、その箇所を読んでみましょう。聖霊に満たしてくださいと祈りましょう。祈ったならば、満たされたと信じ、受け取りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神様。あなたは、私の祈りにお答えくださる方です。いつも、最善をお与えくださる方です。今、聖霊で満たしてください。満たされたことを信じます。主イエスの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=ME-9LvasyvE" />
         <pubDate>2025-10-23 20:10:11 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書11：14～23</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3649678921</link>
         <description><![CDATA[<p>14 イエスは悪霊、それも口をきけなくする悪霊を追い出しておられた。悪霊が出て行くと、口がきけなかった者がものを言い始めたので、群衆は驚いた。</p><p>15 しかし、彼らのうちには、「悪霊どものかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言う者もいた。</p><p>16 また、イエスをためそうとして、彼に天からのしるしを求める者もいた。</p><p>17 しかし、イエスは、彼らの心を見抜いて言われた。「どんな国でも、内輪もめしたら荒れすたれ、家にしても、内輪で争えばつぶれます。</p><p>18 サタンも、もし仲間割れしたのだったら、どうしてサタンの国が立ち行くことができましょう。それなのにあなたがたは、わたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出していると言います。</p><p>19 もしもわたしが、ベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、あなたがたの仲間は、だれによって追い出すのですか。だから、あなたがたの仲間が、あなたがたをさばく人となるのです。</p><p>20 しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです。</p><p>21 強い人が十分に武装して自分の家を守っているときには、その持ち物は安全です。</p><p>22 しかし、もっと強い者が襲って来て彼に打ち勝つと、彼の頼みにしていた武具を奪い、分捕り品を分けます。</p><p>23 わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めない者は散らす者です。</p><p><br/></p><p><strong>ベルゼブル論争</strong></p><p><strong>口がきけない人の霊の追い出し</strong></p><p>イエスは、この箇所以外でも、さまざまな形の悪霊の追い出しを行なっておられます。イエスが悪霊を追い出しているという事実は、パリサイ人や律法学者も認めざるを得ませんでした。問題は、何の権威によって、それを行なっていたかです。口がきけない人の悪霊が追い出されたときも、同じ論争がまき起こりました。ある者は、「（イエスは）悪霊どものかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ。」（15節）と結論づけました。ベルゼブルとは本来、「家長」とか「住居の主」（ヘブル語では、バアル・ゼブール）といった意味のことばでしたが、それが、悪霊のかしら（サタン）を指すようになりました。イエスの反論は、こうでした。「どんな国でも家でも、内輪もめしたら、崩壊するしかない。サタンと悪霊の世界も、内輪もめしたら立ちゆかない。従って、サタンが手下の悪霊を追い出すことなどあり得ない。」</p><p><br/></p><p><strong>神の国の到来</strong></p><p>ベルゼブル論争は、イエスの公生涯における重要な転機となりました。この論争以降、イエスの関心は、群集から少数の弟子たちへと移っていきます。なぜでしょうか。「口がきけない人の悪霊」を追い出したことに、重要な意味があります。ユダヤ教のラビによる悪霊の追い出しには、手順がありました。まず、悪霊の名を聞き出し、その名を呼んで悪霊を追い出すのです。しかし、「口がきけない人の悪霊につかれた人」は、話すことができないため、名を聞き出すことができません。ユダヤ人たちは、メシヤ（救い主）が来られたならば、その方は「口がきけない人の悪霊」を追い出すことができると信じていました。20節でイエスは、ご自身がメシヤであることを明確に主張なさいました。「しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです。」イエスは、「家を守る強い人（サタンのこと）」を、打ち破られました。すでに神の国は到来しています。しかし、残念ながらユダヤ人たちは、イエスがメシヤであることを拒否しました。神の国が到来した今、どんな人でも、もはや中立的な立場を取り続けることができなくなりました。神の側に立たない者は、サタンに協力する者なのです。あなたは、クリスチャン生活は霊的な戦いであることと、中立的な立場に自分を置くこと自体が、サタンに協力することになるということをご存じでしたか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神様。メシヤであるイエスが、「家を守る強い人（サタンのこと）」を打ち破ってくださったことを感謝します。今、私は、束縛の鎖から解き放たれました。イエスとともに、滅び行く魂を集める者と変えてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=-D14CQknhbU" />
         <pubDate>2025-10-24 21:07:01 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書11：24～28</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3650475401</link>
         <description><![CDATA[<p>24 汚れた霊が人から出て行って、水のない所をさまよいながら、休み場を捜します。一つも見つからないので、『出て来た自分の家に帰ろう』と言います。</p><p>25 帰って見ると、家は、掃除をしてきちんとかたづいていました。</p><p>26 そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。」</p><p>27 イエスが、これらのことを話しておられると、群衆の中から、ひとりの女が声を張り上げてイエスに言った。「あなたを産んだ腹、あなたが吸った乳房は幸いです。」</p><p>28 しかし、イエスは言われた。「いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」</p><p><br/></p><p><strong>汚れた霊の帰宅</strong></p><p><strong>ユダヤ人へのメッセージ</strong></p><p>前回の箇所で、ユダヤ人たちがイエスのメシヤ性を拒否したことが明らかになりました。そのことを前提にイエスは、一度出て行った汚れた霊が、再び帰還するという話をされました。この話は、一般論ではなく、はっきりとユダヤ人たちに向けられたメッセージです。その内容を吟味してみましょう。神の国運動は、バプテスマのヨハネの活動で始まりました（ルカの福音書3：3以降参照）。彼は、ヨルダン川のほとりで、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説きました。預言者イザヤは、次のように預言しています。「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。こうして、あらゆる人が、神の救いを見るようになる。』」ヨハネの働きは、メシヤであるイエスを迎えるために、家の中をきれいに掃除するようなものでした。しかし、ユダヤ人たちは、きれいに掃除された家に、メシヤを迎えようとはしませんでした。やがて、もといた悪霊は、自分よりもさらに悪質な七つの悪霊を伴なって帰宅し、そこに住みつくようになりました。つまり、ユダヤ人たちの霊的な状態は、前よりも悪くなったのです。その結果彼らは、ユダヤ人の歴史上最も悲惨なさばきを経験することになります。紀元70年のエルサレム崩壊が、それです。</p><p><br/></p><p><strong>私たちへのメッセージ</strong></p><p>「汚れた霊の帰宅」の話は、私たちへのメッセージでもあります。かつて熱心に聖書を読み、教会に通っていた人が、それを止めた結果、初めの状態よりも悪くなるということがよくあります。あなたは、そういう方を見たことがありますか。何が問題だったのでしょうか。掃除された家に、聖霊を迎えていなかったことが失敗の原因です。私たちの心は、いつまでも空家の状態でいることができないのです。聖霊を迎えるか、悪霊を招き入れるかのどちらかです。聴衆の中から、ひとりの女が声を張り上げてイエスに言いました。「あなたを産んだ腹、あなたが吸った乳房は幸いです。」これは、イエスへの信仰告白となっています。しかしイエスは、大切なのは血がつながっているかどうかではなく、霊的に神につながっているかどうかであると、お教えになりました。ユダヤ人たちの不信仰は、回帰不能地点を超えました。あなたはいかがですか。恵みの時が備えられているうちに、神に立ち返りましょう。聖霊で満たしていただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神様。今私は、かつては信仰熱心であったが、今は神から離れてしまった方々のために祈ります。最初の状態よりも悪くなってしまった彼らを、どうかあわれんでください。彼らを、滅びから救ってください。私を、そのような方々に遣わしてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=PmpE4uTxuKY" />
         <pubDate>2025-10-25 21:09:08 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書11：29～32</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3651217226</link>
         <description><![CDATA[<p>29 さて、群衆の数がふえてくると、イエスは話し始められた。「この時代は悪い時代です。しるしを求めているが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。</p><p>30 というのは、ヨナがニネベの人々のために、しるしとなったように、人の子がこの時代のために、しるしとなるからです。</p><p>31 南の女王が、さばきのときに、この時代の人々とともに立って、彼らを罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。</p><p>32 ニネベの人々が、さばきのときに、この時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。</p><p><br/></p><p><strong>ヨナのしるし</strong></p><p><strong>しるしを求める悪い時代</strong></p><p>イエスは引き続き、同時代のユダヤ人たちへの叱責のことばを語ります。彼らは、イエスがメシヤであることを証明する超自然的なしるしを求めました。しかしイエスは、彼らのことを、「しるしを求める悪い時代（世代）」と呼び、「ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。」（29節）とお答えになりました。ヨナのしるしとは、何でしょうか。ヨナ書1：17には、「主は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。」とあります。ヨナは、魚の腹の中で死んでいたのに、三日目に復活したのです。イエスのメシヤ性が拒否されて以降、イエスは、信仰を引き出すためのしるしは何もお与えになりませんでした。ただ、十字架の死に続く三日目の復活だけが、残された唯一のしるしでした。ユダヤ人たちは、自分の論理でしるしを求めました。神は、ご自身の計画に沿って、しるしをお与えになりました。この原則は今も変わりません。あなたは、自分の論理で証明を求めようとしていますか。神の論理を受け入れるなら、その瞬間から、聖書のメッセージが面白いように開かれていくことをご存じですか。</p><p><br/></p><p><strong>南の女王とニネベの人々</strong></p><p>イエスは、旧約聖書から、二つの例を引いて、ユダヤ人たちを責めます。（1）南の女王とは、シェバの女王のことです。シェバとは、アラビヤ半島の南西端、今日のイエメン辺りにあった国です。彼女は、ソロモンに会うために長旅もいといませんでした（列王記第一10：1、歴代誌第二9：1）。彼女は、ソロモンよりも優れた方イエスがそばにいるのに、その方を信じないユダヤ人の姿を見て、仰天するに違いありません。（2）ニネベの人々は、ヨナの説教で悔い改めました。彼らは、ヨナよりもまさった方イエスの説教を聞きながら、それでも悔い改めようとしないユダヤ人の姿を見て、あきれかえるに違いありません。実に、イエスの時代の人々は、「しるしを求める悪い時代（世代）」でした。では、今の私たち日本人はどうでしょうか。これほど自由に聖書が手に入り読める時代はありません。テレビ、ラジオ、雑誌、書籍、コンピューターなど、あらゆるメディアを通して、福音が伝えられています。それでも信じないとしたら、いったいどのように神の前で申し開きをしたらよいのでしょうか。感謝の足りない、満足しない世代であったことを悔い改めましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神様。私は、感謝の足りない者、満足しない者でした。お赦しください。あなたの論理に立てば、あなたのみこころがさやかに見え始めることを信じます。どうか、私の霊の目を開いてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=egpT3cjBg2Y" />
         <pubDate>2025-10-26 20:09:20 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書11：33～36</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3653103797</link>
         <description><![CDATA[<p>33 だれも、あかりをつけてから、それを穴倉や、枡の下に置く者はいません。燭台の上に置きます。入って来る人々に、その光が見えるためです。</p><p>34 からだのあかりは、あなたの目です。目が健全なら、あなたの全身も明るいが、しかし、目が悪いと、からだも暗くなります。</p><p>35 だから、あなたのうちの光が、暗やみにならないように、気をつけなさい。</p><p>36 もし、あなたの全身が明るくて何の暗い部分もないなら、その全身はちょうどあかりが輝いて、あなたを照らすときのように明るく輝きます。」</p><p><br/></p><p><strong>明るく輝く人生の秘訣</strong></p><p><strong>光であるキリスト</strong></p><p>イエスは、光に関する話題をたびたび取り上げておられます。今日の箇所では、光とはイエスご自身を指しています。ヨハネ1：9には、「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」とあります。イエスの公生涯は、バプテスマのヨハネの活動から始まって、十字架、復活、昇天に至るまで、決して隠れることはありませんでした。同時代のユダヤ人たちは、その一部始終を目撃し、イエスの弟子たちもそのことの証人となりました。イエスを拒否したユダヤ人たちには、弁解の余地がないはずです。イエスは、燭台の上に置かれたあかりとなられました。今も、その光は、私たちの前に輝いています。光が見えないと不満を漏らす人がいるなら、それは、神の責任ではなく、その人の側に問題があるのです。</p><p><br/></p><p><strong>光を見る健全な目</strong></p><p>からだは、目からはいってくる情報によって、自由に行動します。しかし、視力が衰えてくると、からだの動きはぎこちなくなり始めます。この真理を、イエスは、霊の目に適用されました。「からだのあかりは、あなたの目です。目が健全なら、あなたの全身も明るいが、しかし、目が悪いと、からだも暗くなります。」（34節）。つまり、霊の目が健全なら、私たちの人生は明るく輝くということです。「健全な目」と訳されていることばは、「一つのものを見ている目」、あるいは、「単純な目」を意味しています。聖書では、二心のない単純さは、賞賛されるべき資質として高く評価されています。それに対して、神以外のものに心を奪われることは、霊的姦淫であり、そのような性質は、「悪い目」と判断されます。「健全な目」を表現している聖書箇所を見てみましょう。「この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。」（使徒の働き1：14）。「心を一つにし、祈りに専念している姿」は、健全な目をもっていることと同じです。最近あなたは、見るべき一つのものを見ていないように感じていますか。あるいは、見ていても、焦点が定まらないように感じていますか。もしそうなら、霊の目がはっきりと見えるようになるために、神を知るための知恵と啓示の御霊を与えてくださいと、神に祈りましょう（エペソ人への手紙1：17～19参照）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。どうか私に、神を知るための知恵と啓示の御霊を注いでください。私の霊の目を開き、単純に光なるキリストだけを見上げる者としてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=jVxkGPhk34Y" />
         <pubDate>2025-10-27 19:04:25 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3653103797</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書11：37～54</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3655294049</link>
         <description><![CDATA[<p>37 イエスが話し終えられると、ひとりのパリサイ人が、食事をいっしょにしてください、とお願いした。そこでイエスは家に入って、食卓に着かれた。</p><p>38 そのパリサイ人は、イエスが食事の前に、まずきよめの洗いをなさらないのを見て、驚いた。</p><p>39 すると、主は言われた。「なるほど、あなたがたパリサイ人は、杯や大皿の外側はきよめるが、その内側は、強奪と邪悪とでいっぱいです。</p><p>40 愚かな人たち。外側を造られた方は、内側も造られたのではありませんか。</p><p>41 とにかく、うちのものを施しに用いなさい。そうすれば、いっさいが、あなたがたにとってきよいものとなります。</p><p>42 だが、わざわいだ。パリサイ人。おまえたちは、はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を納めているが、公義と神への愛はなおざりにしています。これこそしなければならないことです。ただし、十分の一もなおざりにしてはいけません。</p><p>43 わざわいだ。パリサイ人。おまえたちは会堂の上席や、市場であいさつされることが好きです。</p><p>44 わざわいだ。おまえたちは人目につかぬ墓のようで、その上を歩く人々も気がつかない。」</p><p>45 すると、ある律法の専門家が、答えて言った。「先生。そのようなことを言われることは、私たちをも侮辱することです。」</p><p>46 しかし、イエスは言われた。「おまえたちもわざわいだ。律法の専門家たち。人々には負いきれない荷物を負わせるが、自分は、その荷物に指一本さわろうとはしない。</p><p>47 わざわいだ。おまえたちは預言者たちの墓を建てている。しかし、おまえたちの父祖たちが彼らを殺しました。</p><p>48 したがって、おまえたちは父祖たちがしたことの証人となり、同意しているのです。彼らが預言者たちを殺し、おまえたちが墓を建てているのだから。</p><p>49 だから、神の知恵もこう言いました。『わたしは預言者たちや使徒たちを彼らに遣わすが、彼らは、そのうちのある者を殺し、ある者を迫害する。</p><p>50–51 それは、アベルの血から、祭壇と神の家との間で殺されたザカリヤの血に至るまでの、世の初めから流されたすべての預言者の血の責任を、この時代が問われるためである。そうだ。わたしは言う。この時代はその責任を問われる。』</p><p>52 わざわいだ。律法の専門家たち。おまえたちは知識のかぎを持ち去り、自分も入らず、入ろうとする人々をも妨げたのです。」</p><p>53 イエスがそこを出て行かれると、律法学者、パリサイ人たちのイエスに対する激しい敵対と、いろいろのことについてのしつこい質問攻めとが始まった。</p><p>54 彼らは、イエスの口から出ることに、言いがかりをつけようと、ひそかに計った。</p><p><br/></p><p><strong>人を束縛する律法主義</strong></p><p><strong>パリサイ人への叱責</strong></p><p>ひとりのパリサイ人が、イエスを食事に招きます。ところが彼は、イエスが食前のきよめの洗いを実行しないのを見て驚きました。この儀式は、衛生的理由からではなく、宗教的に汚れを清めるために行なわれていたものです。イエスは、彼の心の中を見抜いて、パリサイ的律法主義を叱責されます。（1）パリサイ人たちは、外側を清めることにこだわりすぎて、内側の汚れに無頓着になっていました。（2）十分の一献金には不必要なほどの注意を払いながら、最も大切な公義と神への愛とは、なおざりにしていました。十分の一献金は、本来は感謝と喜びの表現としてささげるべきものでした。しかし、自分の庭や畑の全収穫物を数え上げ、その十分の一を厳格にささげようとする姿勢からは、本来あるべき献金の精神が感じ取れません。（3）彼らは、謙遜さを追求するよりも、プライドをくすぐられるような状況を求めていました。「愚かな人たち」、「忌まわしいものだ」、「人目につかぬ墓」、などのことばを見ていると、いかにイエスが、パリサイ的偽善を憎まれたかがわかります。</p><p><br/></p><p><strong>律法学者への叱責</strong></p><p>イエスの叱責は、律法学者にも向けられました。律法の専門家（律法学者）とは、旧約聖書の律法の学びに専念する学者のことで、多くの律法学者が同時にパリサイ派に属していました。（1）彼らは、律法解釈を複雑にし、負いきれないような重荷を人に負わせましたが、助けの手を差し伸べようとはしませんでした。（2）彼らは、先祖たちが殺した預言者たちを敬うために、国家的記念碑としての墓を建てていました。しかし、その行為は、先祖の罪を追認していることと同じではないかと、イエスは彼らを糾弾されました。（3）彼らは、神の律法をわかりにくいものにし、自分も、また他の人々をも神の国から遠ざけていました。ベルゼブル論争（11：14～20）によってイエスのメシヤ性を拒否したユダヤ人たちでしたが、ここに至って、決定的にイエスに敵対する姿勢を取るようになりました（53～54節）。今日の箇所を読みながら、自分はパリサイ主義とは無縁だと考えるなら、それは間違っています。形式にとらわれて、神の愛と恵みを忘れていたことはありませんか。神をあがめることを忘れて、人間だけが動き回っていたことはありませんか。そのような心のあり方が、パリサイ主義の根です。第一のものを第一にさせてくださいと、祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたの前に隠しおおせるものはありません。私のうちにも、パリサイ的な精神が宿っていたことを告白します。どうか私を、キリストの霊によって満たし、第一のものを第一にする者と変えてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=d3jcmUbPNyo" />
         <pubDate>2025-10-28 20:43:56 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書12：1～12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3657250141</link>
         <description><![CDATA[<p>1 そうこうしている間に、おびただしい数の群衆が集まって来て、互いに足を踏み合うほどになった。イエスはまず弟子たちに対して、話しだされた。「パリサイ人のパン種に気をつけなさい。それは彼らの偽善のことです。</p><p>2 おおいかぶされているもので、現されないものはなく、隠されているもので、知られずに済むものはありません。</p><p>3 ですから、あなたがたが暗やみで言ったことが、明るみで聞かれ、家の中でささやいたことが、屋上で言い広められます。</p><p>4 そこで、わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。</p><p>5 恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。</p><p>6 五羽の雀は二アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前には忘れられてはいません。</p><p>7 それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。</p><p>8 そこで、あなたがたに言います。だれでも、わたしを人の前で認める者は、人の子もまた、その人を神の御使いたちの前で認めます。</p><p>9 しかし、わたしを人の前で知らないと言う者は、神の御使いたちの前で知らないと言われます。</p><p>10 たとい、人の子をそしることばを使う者があっても、赦されます。しかし、聖霊をけがす者は赦されません。</p><p>11 また、人々があなたがたを、会堂や役人や権力者などのところに連れて行ったとき、何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配するには及びません。</p><p>12 言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです。」</p><p><br/></p><p><strong>弟子たちへの教え</strong></p><p><strong>偽善を警戒せよ</strong></p><p>イエスは、まず弟子たちに話し出されました。「パリサイ人のパン種に気をつけなさい。」パン種とは、パリサイ人の偽善のことです。毎日自分の家でパンを焼いていた当時の人々は、小さなパン種が粉のかたまり全体を膨らませていくことをよく知っていました。ですから、イエスのこのたとえは、よく理解できたと思います。パリサイ人の偽善は、徐々に、他の人に悪影響を及ぼし、共同体全体を腐敗させます。偽善者は、愚か者です。語っていることと、行動とが矛盾していると、やがてその人の道徳感覚が破壊されてしまうからです。また、しばらくの間は人をごまかせても、真実が明るみに出ると、人から信用されなくなるからです。いつまでも隠しおおせるものはありません。時が来ると、すべてが明るみに出されます。</p><p><br/></p><p><strong>人を恐れるな</strong></p><p>イエスは、やがて弟子たちに迫害が襲ってくることを知っておられ、人を恐れないようにとお教えになりました。（1）人間にできるのは、からだを殺すところまでで、それ以上の権威はありません。しかし、神は、死後の世界まで支配しておられ、たましいをゲヘナ（地獄）に投げ込む権威をお持ちになっておられます。恐るべきは、人ではなく、神です。最近は、神を恐れよというメッセージは、あまり歓迎されません。しかし、神への畏怖の念を抱かずして、神の愛を体験することはむずかしいと思います。イエスのこの教えは、今も、迫害の中にあるクリスチャンたちには、慰めであり、力です。（2）神は、私たちのことを理解し、守ってくださっています。雀の値段は、マタイの福音書10：29では、二羽で一アサリオンですが、ここでは、五羽で二アサリオンです。倍買えば、一羽おまけについてくるのです。そんな雀の一羽でも、神は忘れてはおられません。頭の毛も、みな数えられています。つまり、私たちが気づいていないことでも、神はすべてをご存じだということです。（3）イエスの主権を認める者には、さばきの日に栄誉が与えられることが約束されています。（4）聖霊の助けがあります。もし聖霊を拒むなら、もはや救いの道は残されていません。しかし、より頼むなら、聖霊は知恵と語るべきことばとを必要に応じて与えてくださいます。あなたには、恐れている人がいますか。恐れは不信仰であり、罪であることを認めましょう。神が守っていてくださることを信じ、恐るべきお方のみを恐れ、愛し、お従いしましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私のうちには、恐れがあります。人に対する恐れ、将来に対する恐れ、死に対する恐れなどです。今、すべての恐れから、私を解放してください。永遠の目で、私の人生を見ることができますように。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-10-29 19:54:22 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書書12：13～21</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3659218172</link>
         <description><![CDATA[<p>13 群衆の中のひとりが、「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください」と言った。</p><p>14 すると彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停者に任命したのですか。」</p><p>15 そして人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」</p><p>16 それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。</p><p>17 そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』</p><p>18 そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。</p><p>19 そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』</p><p>20 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』</p><p>21 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」</p><p><br/></p><p><strong>貪欲への警告</strong></p><p><strong>群集の中からの声</strong></p><p>イエスが話していると、群衆の中から声がしました。「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください。」（13節）。この男は、遺産相続で、兄弟ともめていたようです。ユダヤの律法では、遺産相続に関する詳細な規定がありますが、ときには、ラビの裁定を仰がねばならないような紛争もあったようです。この男は、イエスにラビの役割を演じてほしかったのです。しかし、それにしても余りにも一方的です。彼は、自分の願う結論をイエスに押しつけています。イエスは、「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停者に任命したのですか。」（14節）とお答えになりました。この訳文では、原文にある「人よ」という呼びかけのことばが省略されています。イエスは、ある場合には、「子よ」と言い、ある場合には、「娘よ」と呼びかけておられますが、この男に対しては、「人よ」と言われたのです。「人よ」とは、知らない人に対して用いることばです。イエスは、この男を、ご自身とは無関係の人間として扱われたのです。何と悲しいことでしょうか。イエスは、私たちの価値観を正すように迫っておられます。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」（15節）。あなたにとって、成功とはどういうものですか。今自分の価値観を、聖霊に再点検していただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>愚かな金持ちのたとえ</strong></p><p>ここでイエスは、愚かな金持ちのたとえをお語りになりました。なぜ彼は、「愚か者。」（20節）と呼ばれているのでしょうか。（1）彼は、最初から最後まで、自分のことしか考えていません。いかに快楽をむさぼるかだけが彼の関心事です。（2）彼は、自分のいのちまで、自分で管理できると考えていました。（3）物質的な富を蓄えるよりも、神の前に富むことの方が、はるかに大切であることを理解していませんでした。しかし、今の時代も、このような愚かさを持った人は、後を絶ちません。私は、箴言30：8～9の祈りが大好きです。自戒の意味を込めながら、ご一緒に、その箇所を読んでみましょう。「貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。私が食べ飽きて、あなたを否み、『主とはだれだ。』と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。」</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私は今、「貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。」と祈ります。与えられる物質的な祝福を、正しく用いることができますように、また、神の前に富む者となれますように、お導きください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=v793Es-oKSg" />
         <pubDate>2025-10-30 21:20:49 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書12：22～34</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3660782224</link>
         <description><![CDATA[<p>22 それから弟子たちに言われた。「だから、わたしはあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。</p><p>23 いのちは食べ物よりたいせつであり、からだは着物よりたいせつだからです。</p><p>24 烏のことを考えてみなさい。蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋も倉もありません。けれども、神が彼らを養っていてくださいます。あなたがたは、鳥よりも、はるかにすぐれたものです。</p><p>25 あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。</p><p>26 こんな小さなことさえできないで、なぜほかのことまで心配するのですか。</p><p>27 ゆりの花のことを考えてみなさい。どうして育つのか。紡ぎもせず、織りもしないのです。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。</p><p>28 しかし、きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように装ってくださるのです。ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。ああ、信仰の薄い人たち。</p><p>29 何を食べたらよいか、何を飲んだらよいか、と捜し求めることをやめ、気をもむことをやめなさい。</p><p>30 これらはみな、この世の異邦人たちが切に求めているものです。しかし、あなたがたの父は、それがあなたがたにも必要であることを知っておられます。</p><p>31 何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。</p><p>32 小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。</p><p>33 持ち物を売って、施しをしなさい。自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。</p><p>34 あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。</p><p><br/></p><p><strong>思い煩いからの解放</strong></p><p><strong>思い煩うな</strong></p><p>あなたは、不安になったり、心配したりするたちですか。もしそうなら、今日のメッセージは、あなたのためのものです。「心配してはいけない。」というのは、アドバイスではなく、命令です。いくら心配しても、状況が変わるわけではありません。それどころか、心配は人を疲れさせ、生きている喜びさえ奪ってしまいます。イエスは、烏とゆりの花を例にとって、話されました。「烏のことを考えてみなさい。蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋も倉もありません。けれども、神が彼らを養っていてくださいます。あなたがたは、鳥よりも、はるかにすぐれたものです。」（24節）。美しいことばです。詩篇147：9には、「神は、獣に、また、鳴く烏の子に食物を与える方。」とあります。烏は、レビ記11：15では、汚れた動物とされています。そのように取るに足りない鳥でも、神の守りの中にあるのです。ましてや、神が私たちに良くしてくださらないはずがありません。ゆりの花とは、野の花全般を指すことばでしょう。「栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。」（27節）。これも、美しいことばです。野の花の美しさは、神の守りと愛を雄弁に語っています。思い煩いの原因は不信仰にあります。不信仰の罪を告白し、イエスの主権と守りを今認めましょう。</p><p><br/></p><p><strong>神の国を求めよ</strong></p><p>次にイエスは、積極的な命令をお与えになりました。「神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。」（31節）。神の国を求めるとは、（1）イエスの主権と支配を、心の中に、また、生活の中に迎え入れることです。（2）イエスの福音を言い広めることです。（3）また、神の子としてふさわしい姿になるように励むことです。そうすれば、必要なものは備えられます。これは、あらゆる時代の信者に与えられた約束です。イエスは、「持ち物を売って、施しをしなさい。」（33節）とお語りになりました。これは、物を所有してはいけないということではありません。物に関心がゆきすぎる心のあり方を矯正されたのです。財の用い方が正されれば、心のあり方も正されます。「あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。」（34節）というのは、真理です。あなたにとって、天に宝を積み上げる行ないとは、具体的に何を意味していますか。あなたはそれを実行していますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。思い煩いが不信仰から来ていたことを示されました。今、主イエスを、神の国の王として、私の心に、また生活にお迎えします。どうか、私の人生をご支配ください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=ePkscVJt3z8" />
         <pubDate>2025-10-31 21:42:54 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書12：35～40</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3661534458</link>
         <description><![CDATA[<p>35 腰に帯を締め、あかりをともしていなさい。</p><p>36 主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸をあけようと、その帰りを待ち受けている人たちのようでありなさい。</p><p>37 帰って来た主人に、目をさましているところを見られるしもべたちは幸いです。まことに、あなたがたに告げます。主人のほうが帯を締め、そのしもべたちを食卓に着かせ、そばにいて給仕をしてくれます。</p><p>38 主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、いつでもそのようであることを見られるなら、そのしもべたちは幸いです。</p><p>39 このことを知っておきなさい。もしも家の主人が、どろぼうの来る時間を知っていたなら、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。</p><p>40 あなたがたも用心していなさい。人の子は、思いがけない時に来るのですから。」</p><p><br/></p><p><strong>人の子の再臨</strong></p><p><strong>予期せぬ報酬</strong></p><p>いつか消え去って行く地上の財産に目をやるのではなく、確実に実現することに関心を払いなさい、という教えが続きます。確実に実現することとは、人の子（イエス）の再臨です。この箇所でイエスは、婚礼に出かけた主人を待つしもべのたとえを話されました。しもべは主人がいつ帰って来てもよいように、一晩中起きて待っています。主人が帰って来て、戸をたたいたら、すぐに戸を開けるためです。忠実なしもべの姿に感動した主人は、そのしもべたちを食卓に着かせ、自分が給仕を始めます。主人としもべの立場が逆転したのです。こういう逆転は、現実の生活ではあり得ません。しかし、神の国では、現実にあり得ないことが現実となります。神は、忠実なしもべたちに、予期せぬ報酬を与えてくださるお方です。パウロは、こう語っています。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮んだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」（コリント人への手紙第一2：9）。あなたは、これまでの歩みの中で、予期せぬ神の祝福を味わったことがありますか。過去の恵みを思い起こし、これからも神の祝福があることを信じて力をいただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>予期せぬ時に</strong></p><p>次にイエスは、人の子が予期せぬ時に帰って来ることを教えるために、どろぼうの被害に備える主人のたとえを話されました。この家は、土のレンガでできた家です。当時は、それが普通だったのです。どろぼうは、土の壁をくりぬいて、その家に押し入ろうとしています。もし主人が、その時間を知っているなら、どろぼうの被害は防げます。しかし、いつかはわからないのですから、常に注意深くしているしか方法がありません。このたとえからイエスは、備えの大切さを教えてくださいました。いつかはわからないが、確実に来るというものが、人生にはいくつかあります。（1）老いの現実。（2）死の現実。（3）イエスの再臨の現実。これらは、すべての人に必ずやって来ます。その時、あなたは何に信頼を置きますか。地上の富や地位は、あなたを救うことができますか。今ダビデとともに、この祈りを祈りましょう。「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。」（詩篇23：4）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。主イエスの再臨が、ますます近くなりつつあるこの時代、どうか、霊的に眠りこけることのないように、私をお守りください。今日、主が帰って来られてもよいように、信仰に立って歩ませてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=_TIPSDz2G3k" />
         <pubDate>2025-11-01 21:18:23 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書12：41～48</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3662281387</link>
         <description><![CDATA[<p>41 そこで、ペテロが言った。「主よ。このたとえは私たちのために話してくださるのですか。それともみなのためなのですか。」</p><p>42 主は言われた。「では、主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食べ物を与える忠実な賢い管理人とは、いったいだれでしょう。</p><p>43 主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。</p><p>44 わたしは真実をあなたがたに告げます。主人は彼に自分の全財産を任せるようになります。</p><p>45 ところが、もし、そのしもべが、『主人の帰りはまだだ』と心の中で思い、下男や下女を打ちたたき、食べたり飲んだり、酒に酔ったりし始めると、</p><p>46 しもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って来ます。そして、彼をきびしく罰して、不忠実な者どもと同じめに会わせるに違いありません。</p><p>47 主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。</p><p>48 しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。</p><p><br/></p><p><strong>多く任された者は多く要求される</strong></p><p><strong>忠実なしもべ</strong></p><p>ペテロが、「主よ。このたとえは私たちのために話してくださるのですか。それともみなのためなのですか。」と問いますが、イエスはそれには答えず、すべての信者にとって大切な教訓をお話になりました。「しもべ」とは、奴隷のことです。この奴隷は、主人から管理人としての役割を仰せつかっており、財産管理から、その家のしもべたちの食事の世話に至るまで、あらゆる責任と権限をゆだねられていました。主人は、しもべに家の管理をゆだねて長い旅に出かけます。このたとえ話を、私たちの生活に適用してみましょう。（1）私たちも、主人（神）から仕事、人生、賜物などをゆだねられています。考えてみてください。何一つ、私のものだと言えるものはありません。すべてが、主人（神）から一時的に預かっているものばかりです。（2）主人が帰って来ると、私たちが行なった仕事に対する評価が下ります。私たちの人生にも、必ず清算の時がやって来ます。（3）忠実なしもべは、さらに大きな仕事を任されるようになります。私たちの場合でも、忠実に使命を果たしていると、さらに大きな使命が与えられるようになります。あなたは、忙しく奉仕をしている人に、さらに多くの権限がゆだねられるのを見て不思議に思ったことがありませんか。神の国では、忠実なしもべに対する報酬は、より大きな使命と権限です。</p><p><br/></p><p><strong>不忠実なしもべ</strong></p><p>不忠実なしもべには、何が起こるのでしょうか。再び私たちの生活に適用してみましょう。（1）主人（神）は、思いがけない時にやって来て、しもべの悪行を厳しくさばきます。（2）主人（神）は、しもべの作為の罪と同時に、不作為の罪もさばきます。「なすべき正しいことを知っていながら行なわないなら、それはその人の罪です。」（ヤコブの手紙4：17）とある通りです。（3）知らずにいたとしても、さばかれます。この教えに抵抗感を感じる方は多いと思います。しかし、どんな人であっても、道徳的に完全に責任がない状態というのはあり得ません。自然界を通し、良心の声を通して、人は神の道徳法を学んでいるものなのです（ローマ人への手紙1：20、2：14～15など参照）。（4）しかし、知らずにいた人のさばきは軽く、多く任されていた者のさばきは厳しいものとなります。今、神が公平なお方であることを思い浮かべましょう。神は、常にあなたを正当に評価し、公平に扱っておられます。このお方に重荷をゆだねましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたは公平なお方です。あなたはこれまでも、私を正当に評価し、私を義の道に導いてくださいました。これからも、私は安心してあなたにお従い致します。どうか、私をお導きください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-11-02 20:51:56 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書12：49～53</title>
         <author>shizukaosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3664267158</link>
         <description><![CDATA[<p>49 わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。だから、その火が燃えていたらと、どんなに願っていることでしょう。</p><p>50 しかし、わたしには受けるバプテスマがあります。それが成し遂げられるまでは、どんなに苦しむことでしょう。</p><p>51 あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。</p><p>52 今から、一家五人は、三人がふたりに、ふたりが三人に対抗して分かれるようになります。</p><p>53 父は息子に、息子は父に対抗し、母は娘に、娘は母に対抗し、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに対抗して分かれるようになります。」</p><p><br/></p><p><strong>地に火を投げ込むために</strong></p><p><strong>イエスの十字架</strong></p><p>「イエスは平和をもたらすために地上に来られたと思いますか。」という質問には、ほとんどの人が、「はい。」と答えるはずです。確かにその通りです。と同時に、イエスの次の発言にも目を留めておく必要があります。「わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。」（49節）。「火を投げ込む」とは、さばきが下ることを意味します。神はイエスにあって、不信仰と罪とをさばかれました。そのさばきの究極的な形が、イエスの十字架です。「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」（コリント人への手紙第二5：21）とある通りです。イエスは、十字架の苦しみのことを、「私が受けるバプテスマ」と表現されました。イエスの生涯には、絶えず十字架の影がつきまとっていました。十字架は、イエスの生涯の最終ゴールであり、神の愛の具体的な表現でした。あなたは、人から誤解されて深い精神的な傷を負ったことがありますか。イエスは、罪人としての汚名をかぶせられ、多くの人の前で辱めを受ける体験をなさいました。イエスは、あなたの痛みをすでにご存じです。今、この方の御腕の中で安らぎましょう。</p><p><strong>私たちの十字架</strong></p><p>イエスに従う者には、負うべき十字架があります。十字架の道を歩み始めると、分裂が起こり始めます。なぜでしょうか。それは、献身した人生を歩み始めると、その人のことを快く思わない人たちが必ず現われるからです。また、悪霊の働きも活発になります。今まで一番近かった人たちが、激しく反対し始めることもよくあります。その情景をイエスは、「今から、一家五人は、三人がふたりに、ふたりが三人に対抗して分かれるようになります。」（52節）と表現されました。日本人は人と人との和を重んじます。そのような国民性を持ったお互いですから、分裂は極力避けたいと思うのは当然です。私も、献身の決心をしたとき、両親の理解を得られなかったことが一番つらいことでした。しかし、真実に生きれば、両親もいつか理解してくれるはずだと考え、神学校に進む道を選びました。表面的な平和を維持すること以上に大切なことがあります。それは、愛をもって真実を語るということです。一時的には分裂が来ても、その痛みはやがて、永遠の祝福につながります。あなたは、愛をもって真実を語ろうとしていますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。あなたは、表面的な平和ではなく、真の平和を来らせるために、御子イエスを十字架におかけになりました。その愛を感謝します。どうか私を、自分の十字架を喜んで負う者と変えてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://youtu.be/uxDAufXzVvg" />
         <pubDate>2025-11-03 21:12:07 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書12：54～59</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3666387062</link>
         <description><![CDATA[<p>54 群衆にもこう言われた。「あなたがたは、西に雲が起こるのを見るとすぐに、『にわか雨が来るぞ』と言い、事実そのとおりになります。</p><p>55 また南風が吹きだすと、『暑い日になるぞ』と言い、事実そのとおりになります。</p><p>56 偽善者たち。あなたがたは地や空の現象を見分けることを知りながら、どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。</p><p>57 また、なぜ自分から進んで、何が正しいかを判断しないのですか。</p><p>58 あなたを告訴する者といっしょに役人の前に行くときは、途中でも、熱心に彼と和解するよう努めなさい。そうでないと、その人はあなたを裁判官のもとにひっぱって行きます。裁判官は執行人に引き渡し、執行人は牢に投げ込んでしまいます。</p><p>59 あなたに言います。最後の一レプタを支払うまでは、そこから決して出られないのです。」</p><p><br/></p><p><strong>時代を見分ける</strong></p><p><strong>天気を予測する力</strong></p><p>この箇所でイエスは、群集、特に、パリサイ人や律法学者たちに語りかけておられます。イエスは、彼らのことを「偽善者たち。」（56節）と呼んでいます。「偽善者」とは、ギリシャ古典劇から来た用語で、仮面をつけた演技者のことです。それが転じて、内面と外面とが違う人のことを「偽善者」と呼ぶようになりました。彼らの特徴は、外面的なことには敏感であっても、霊的なことには無感覚であったことです。たとえば、彼らは、天気を予測する能力にはたけていました。地中海の方向（西の方）に雲が見えると、それはにわか雨が降る兆候でした。砂漠の方向（南の方）から風が吹くと、それは気温が上がる徴（しるし）でした。しかし彼らは、空に起こる変化を読むことができても、天の御国に起こった変化を読むことができませんでした。風の動きを察知することができても、聖霊の動きを理解することはできませんでした。「時代」と訳されていることばは、ギリシャ語の「カイロス」のことで、「神の時」を指します。偽善者たちは、神の視点から、時代を読むことができない人々でした。</p><p><br/></p><p><strong>時代を見分ける力</strong></p><p>イエスが語られた「今のこの時代」とは、イエスにおいて到来した「神の時」、「恵みの時」のことです。ヘブル人への手紙1：1～2にはこうあります。「神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。」また、コリント人への手紙第二6：2には、「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」とあります。イエスは、告訴する者と熱心に和解するように努めなさいと教えてくださいました。これは、単に地上での裁判を指しているのではなく、神と緊急に和解する必要があることを教えたものです。ユダヤ民族の将来には、暗雲が垂れこめていました。紀元66年～70年にかけて、ローマ帝国に対するユダヤ人の反乱が起き、エルサレムが滅びる結果となることを、イエスはご存じだったのです。あなたは今の時代をどう読んでいますか。（1）何よりも、今は、恵みの時、救いの日です。（2）イエスの再臨が今までより、もっと近づいている時です。（3）イエスの十字架を通して、緊急に神と和解する必要がある時です。このような時代認識を持ったとき、自分の生き方のどこがどのように変わるのか、黙想してみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。多くの人々が、将来を予測し、その変化に備えようとしています。しかし、神の視点から時代を読もうとする人は、そう多くはいません。今私に、「今の時代」を読む霊的な目を与えてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-11-04 19:15:06 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書13：1～9</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3668591537</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ちょうどそのとき、ある人たちがやって来て、イエスに報告した。ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜたというのである。</p><p>2 イエスは彼らに答えて言われた。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。</p><p>3 そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。</p><p>4 また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。</p><p>5 そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」</p><p>6 イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。</p><p>7 そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』</p><p>8 番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。</p><p>9 もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」</p><p><br/></p><p><strong>悔い改めの必要性</strong></p><p><strong>悔い改めの必要性</strong></p><p>ピラトがガリラヤ人たちの血を、いけにえに混ぜたとの報告がなされます。この事件は、新約聖書以外の資料からは確認できませんが、ピラトの性格からして、十分にあり得る出来事です。イエスは、同じような災難の例（シロアムの塔が倒れ落ちて死んだ18人の例）をあげて、さばきに関する誤解を解こうとします。（1）イエスは、すべての人が罪人であり、神のさばきは罪人の上に下ることを一般論としては、認めておられました。（2）しかし、災難の被害者たちが、他の人たちよりはもっと罪深いといった考え方は否定されました。他人の悲劇を見て、さばきを受けるのは当然だと思ってはいけないのです。ヨハネの福音書9：3には、イエスが一人の盲人の悲劇をどうご覧になったかが記されています。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。」（3）しかし、だれであっても、もし悔い改めないなら、同じような災難に遭遇する危険性がいつもつきまといます。3節の「悔い改め」は、文法的には継続した行為を指し、5節の「悔い改め」は、一度限りの行為を指します。つまり、クリスチャンの悔い改めとは、一度限りの決断であると同時に、日々行なわれるべきものでもあります。あなたがこの前、心からの悔い改めを言い表わしたのは、いつですか。</p><p><br/></p><p><strong>神の忍耐</strong></p><p>イエスは、神の忍耐を教えるために、いちじくの木のたとえを話されました。成長したいちじくの木が、ぶどう園の持ち主の期待に反して、三年間も実をならせません。これ以上待っても、何の可能性もないばかりか、土地が無駄になってしまいます。「この木を切り倒してしまいなさい。」（7節）。これが持ち主の命令です。しかし、ぶどう園の番人は、最後のチャンスを与えてくれるようにと、とりなしをします。「ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。」（8～9節）。もしだめなら、それまでです。しかし、その場合でも、ぶどう園の番人は、切り倒す作業を主人にゆだねようとしています。ここに、神の忍耐があります。神は、最後まで、罪人が悔い改めるのを待っておられます。今あなたは、だれのためにとりなしの祈りをささげるように、導かれていますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。あなたの忍耐を心から感謝します。あなたの忍耐がなければ、私はとっくの昔に、切り倒された木のようになっていました。どうか私を、豊かな実をつける者へと変えてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=HWQoCOETTEQ" />
         <pubDate>2025-11-05 20:01:07 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書13：10～17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3670586847</link>
         <description><![CDATA[<p>10 イエスは安息日に、ある会堂で教えておられた。</p><p>11 すると、そこに十八年も病の霊につかれ、腰が曲がって、全然伸ばすことのできない女がいた。</p><p>12 イエスは、その女を見て、呼び寄せ、「あなたの病気はいやされました」と言って、</p><p>13 手を置かれると、女はたちどころに腰が伸びて、神をあがめた。</p><p>14 すると、それを見た会堂管理者は、イエスが安息日にいやされたのを憤って、群衆に言った。「働いてよい日は六日です。その間に来て直してもらうがよい。安息日には、いけないのです。」</p><p>15 しかし、主は彼に答えて言われた。「偽善者たち。あなたがたは、安息日に、牛やろばを小屋からほどき、水を飲ませに連れて行くではありませんか。</p><p>16 この女はアブラハムの娘なのです。それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。安息日だからといってこの束縛を解いてやってはいけないのですか。」</p><p>17 こう話されると、反対していた者たちはみな、恥じ入り、群衆はみな、イエスのなさったすべての輝かしいみわざを喜んだ。</p><p><br/></p><p><strong>腰の曲がった女のいやし</strong></p><p><strong>安息日の意味</strong></p><p>安息日の曲解に関しては、すでにルカの福音書6：1～11で一度取り上げました。神は、人を祝福するために、安息日をお与えになりました。割礼がアブラハム契約の印であったように、安息日は、シナイ契約（神がシナイ山でイスラエルの民と結んだ契約）の印となりました（出エジプト記31：13）。ユダヤ人にとっては、安息日は非常に重要な意味を持っています。ユダヤ教のラビたちは今日でも、聖書の中で最も重要な祭りは、安息日であると教えています。しかしイスラエル人たちは、この安息日を重視するあまり、結果として、律法主義を招いてしまいました。今日の箇所でもイエスは、パリサイ人の誤りを厳しく糾弾しておられます。イエスは安息日に、腰の曲がった女をいやされました。彼女は、「18年以上も病の霊につかれていた。」（10節）とあります。会堂管理者は、憤って、群集に言いました。「働いてよい日は六日です。その間に来て直してもらうがよい。安息日には、いけないのです。」（14節）。イエスは、彼とその仲間たちのことを、「偽善者たち。」と呼ばれました。彼らは、十戒の第四戒を厳格に守り、律法に従った生活をしているかのように見せかけながら、その実、律法の精神を踏みにじっていました。パリサイ人たちは、安息日であっても、家畜への配慮は欠かさなかったくせに、18年以上も苦しんできたこの女の解放を喜ぶことができませんでした。イエスは、人のいのちが家畜以下にしか扱われていないことに、憤慨されたのです。</p><p><br/></p><p><strong>私たちへの教訓</strong></p><p>私はあるとき、ユダヤ人の友人（彼はメシアニック・ジューではありません）に、もし安息日に病気になったらどうするのかと聞いたことがあります。彼はしばらく考えてから、こういう興味深い話をしてくれました。「超正統派のユダヤ教徒たちは、安息日には自動車を運転しません。その彼らであっても、家族のだれかが重病にかかったなら、安息日であっても救急車を呼びます。」この答えを聞きながら、私は、すべてのユダヤ教徒が律法主義者だというわけではないことを教えられました。彼らは、安息日にいのちを救うことを知っているのです。では私たちはどうでしょうか。人のいのちをすべてにまさって重視しているでしょうか。イエス・キリストは、いのちを救うために死んでくださいました。そのいのちを救うこと（救霊）が私たちにとっての最大の関心事、目標となっているでしょうか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。あなたは、私たちのいのちを全世界よりも重いと評価してくださいました。感謝します。どうか、あなたの愛をもって隣人に接することができますように、私を力づけてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=kOT5Ox0l6qA" />
         <pubDate>2025-11-06 19:32:04 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書13：18～21</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3672353989</link>
         <description><![CDATA[<p>18 そこで、イエスはこう言われた。「神の国は、何に似ているでしょう。何に比べたらよいでしょう。</p><p>19 それは、からし種のようなものです。それを取って庭に蒔いたところ、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました。」</p><p>20 またこう言われた。「神の国を何に比べましょう。</p><p>21 パン種のようなものです。女がパン種を取って、三サトンの粉に混ぜたところ、全体がふくれました。」</p><p><br/></p><p><strong>神の国のたとえ話</strong></p><p><strong>からし種（18～19節）</strong></p><p>「<strong>そこで、イエスはこう言われた。『神の国は、何に似ているでしょう。何に比べたらよいでしょう。それは、からし種のようなものです。それを取って庭に蒔いたところ、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました』</strong>」。（1）「〇〇は、何に似ているでしょう。何に比べたらよいでしょう」という言葉は、たとえ話を用いて真理を説明する際の常套句です。ラビ的議論では、真理の説明のためにたとえ話を用いることが認められていました。（2）イエスは、「神の国」を説明するために、2つのたとえ話を用いています。ここでの「神の国」とは、「奥義としての王国」です。それは、教会が誕生してから携挙されるまでの間のキリスト教界（教会ではない）のことです。（3）ここに出てくる2つのたとえ話は、すでに語られていたものですが、このタイミングで再度取り上げる理由は、指導者たちの偽善がどのような結果をもたらすかを示すためです。イエスは、ユダヤ教内部で起こったのと同じことがキリスト教界にも起こることをご存じでした。そういう意味では、このたとえ話は、弟子たちへの警告でもあります。（4）からし種は、短時間で大きな木に成長します。そしてそこには、空の鳥が巣を作るようになります。空の鳥とは、猛禽（悪霊の象徴）のことです。これは、キリスト教の教えを利用した異端のことです。エホバの証人、モルモン教、統一協会などがそれに当たります。</p><p><br/></p><p><strong>パン種（20～21節）</strong></p><p>「<strong>またこう言われた。『神の国を何に比べましょう。パン種のようなものです。女がパン種を取って、三サトンの粉に混ぜたところ、全体がふくれました』</strong>」。（1）これは、「奥義としての王国」を説明する2つ目のたとえ話です。（2）パン種は、小さな塊でも、大きな影響をもたらします。パン種は、キリスト教界の中に広がる誤った教理です。（3）パン種のような小さな塊（教理）が、3サトンの粉全体に影響を与えます。（4）3サトンの粉は、キリスト教界の3つの流れを象徴しています。①カトリック、②ギリシア正教、③プロテスタント。そのすべてに、何らかの誤った教えが存在しています。<br>今は、「奥義としての王国」の時代です。誤った教えに振り回されることのないように、日々の聖書研究とデボーションを大切にしようではありませんか。真理は私たちを自由にします。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。今、私は渇いています。どうか、イエス・キリストのいのちを私の心に注いでください。真実にイエスのいのちを心に受け入れます。どうか私を、周りの人々に積極的な影響を与える者と変えてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=zvBPHRWXke0" />
         <pubDate>2025-11-07 20:03:02 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書13：22～30</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3673228323</link>
         <description><![CDATA[<p>22 イエスは、町々村々を次々に教えながら通り、エルサレムへの旅を続けられた。</p><p>23 すると、「主よ。救われる者は少ないのですか」と言う人があった。イエスは、人々に言われた。</p><p>24 「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。</p><p>25 家の主人が、立ち上がって、戸をしめてしまってからでは、外に立って、『ご主人さま。あけてください』と言って、戸をいくらたたいても、もう主人は、『あなたがたがどこの者か、私は知らない』と答えるでしょう。</p><p>26 すると、あなたがたは、こう言い始めるでしょう。『私たちは、ごいっしょに、食べたり飲んだりいたしましたし、私たちの大通りで教えていただきました。』</p><p>27 だが、主人はこう言うでしょう。『私はあなたがたがどこの者だか知りません。不正を行う者たち。みな出て行きなさい。』</p><p>28 神の国にアブラハムやイサクやヤコブや、すべての預言者たちが入っているのに、あなたがたは外に投げ出されることになったとき、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするのです。</p><p>29 人々は、東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。</p><p>30 いいですか、今しんがりの者があとで先頭になり、いま先頭の者がしんがりになるのです。」</p><p><br/></p><p><strong>救われる者は少ないか。</strong></p><p><strong>見当外れの質問</strong></p><p>ある人がイエスに、「救われる者は少ないのですか。」と質問します。当時の霊的な混乱状態を考えると、この質問が出るのも当然です。ちなみに、ユダヤ教のラビたちは、ユダヤ人であるなら、極悪人以外はすべて救われると教えていました。イエスは、この質問には直接お答えになりませんでした。それは、この問い自体が見当外れであったからです。何人救われるかという計算をするよりも、自分の救いを確認することの方がよほど重要です。イエスは、「努力して狭い門からはいりなさい。」とお語りになりました。「努力して」とは、業（わざ）による救いを教えているのではありません。これは、「心を込めて」という意味です。あなたはいかがですか。他の人たちの救いに熱心になるあまり、自分自身の霊的な状態への気配りが疎おろそかになっていたことはありませんか。今イエスは、「あなたはどうか。」とお聞きになっておられます。</p><p><br/></p><p><strong>神の道と人の道</strong></p><p>神の道は、私たちが考える道とは異なっています。（1）どんな人にも、救いの門は開かれています。神は、一人の罪人が滅びることも喜ばれません。神は、何という大きな愛で私たちを愛してくださっていることでしょうか。（2）その門は、「狭い門」と呼ばれています。それはこの門が、傲慢な人を追い返し、悔い改めた人を招き入れる門だからです。人間はいつも、わざによって救いを達成しようとしています。戸の外に立たされた人たちは、「私たちは、ごいっしょに、食べたり飲んだりいたしましたし、私たちの大通りで教えていただきました。」（26節）と叫んでいますが、それは物理的な近さをアピールしているだけで、イエスの心とひとつになっていたわけではありません。（3）人類は、最後には二つのグループに分かれます。戸の内にいる人たちと、戸の外にいる人たちです。（4）天国では、驚かされることが多いのです。ユダヤ人たちは、自分たちはアブラハムの子孫であるから、当然天国に入れると思っていました。しかし彼らは戸の外に残され、彼らが軽蔑していた異邦人たちが、世界の四隅から集められ、神の国の食卓に着くようになるのです。主人（神）が戸を閉めたら、だれもそれを開けることはできません。あなたは、この厳粛な事実について黙想したことがありますか。戸が開かれている今、神の愛を受け入れましょう。手遅れにならないうちに、父なる神に立ち返りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。自分の救いを確認するようにと、お教えくださり感謝します。今は恵みの時、今は救いの日です。あなたの愛を受け入れます。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=oe9GqbXObU0" />
         <pubDate>2025-11-08 21:12:54 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書13：31～35</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3673936138</link>
         <description><![CDATA[<p>31 ちょうどそのとき、何人かのパリサイ人が近寄って来て、イエスに言った。「ここから出てほかの所へ行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうと思っています。」</p><p>32 イエスは言われた。「行って、あの狐にこう言いなさい。『よく見なさい。わたしは、きょうと、あすとは、悪霊どもを追い出し、病人をいやし、三日目に全うされます。</p><p>33 だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。』</p><p>34 ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。</p><p>35 見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。わたしはあなたがたに言います。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたの言うときが来るまでは、あなたがたは決してわたしを見ることができません。」</p><p><strong>エルサレムを目指す預言者</strong></p><p><strong>死を恐れないイエス</strong></p><p>ヘロデがイエスを殺そうとしているという知らせが、届けられます。イエスはヘロデのことを、軽蔑の意味を込めて「あの狐」と呼びます。「狐」とは、了見が狭く、狡猾な人物を指します。イエスは、ヘロデの脅かしを恐れませんでした。それは、死ぬ時と場所を決めるのは神であることを、確信しておられたからです。神がよしと言われるまでは、メシヤとしての奉仕は続けられます。しかし、その奉仕にも必ず終わりが来ます。「三日目に全うされる。」とは、その終わりが極めて近いところに来ていることを示しています。イエスは、「預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。」とお語りになりました。エルサレムこそ、メシヤとしての働きが完成する場所だったのです。そのゴールを目指して、イエスは進んで行かれました。あなたにも、神はゴールを用意しておられます。あなたは、そのゴール目指して前進することに恐れを感じていませんか。今、神の許しなしには何一つ起こらないことを覚え、献身の思いを新たにさせていただきましょう。</p><p><br></p><p><strong>エルサレムの中心性</strong></p><p>エルサレムは、イスラエルの首都です。この町は、神の栄光を全世界に示すべき使命を帯びた町であったにもかかわらず、歴史的には、神が遣わした預言者たちを迫害してきました。預言者の中の預言者であったイエスも、その使命をエルサレム以外の場所で終えることなどあり得なかったのです。イエスは、エルサレムの霊的な退廃と、近い将来に下ろうとしている神のさばきとを思い、涙されました。エルサレムは、（1）十字架の死、（2）復活、（3）昇天という一連の出来事の舞台となりました。そして、（4）再臨の舞台ともなります。イエスは、「わたしはあなたがたに言います。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に。』とあなたがたの言うときが来るまでは、あなたがたは決してわたしを見ることができません。」（35節）とお語りになりました。これは、イエスが再臨される条件を預言した箇所です。ユダヤ人たちがエルサレムを再建し、イエスをメシヤとして受け入れるようになったとき、イエスは栄光の王としてエルサレムに再臨されます。あなたは、世界の歴史がイエスの再臨の舞台を整える方向に動いていることを知っていましたか。エルサレムの平和（ユダヤ人の霊的救い）のために祈ることの重要性を理解していましたか。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。今、あなたのお許しなしには何一つ起こらないことを覚え、献身の思いを新たにします。あなたの民イスラエルを救ってください。主イエスよ、来てください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=57Pv5AlSBWo" />
         <pubDate>2025-11-09 19:12:15 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書14：1～6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3675893823</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ある安息日に、食事をしようとして、パリサイ派のある指導者の家に入られたとき、みんながじっとイエスを見つめていた。</p><p>2 そこには、イエスの真っ正面に、水腫をわずらっている人がいた。</p><p>3 イエスは、律法の専門家、パリサイ人たちに、「安息日に病気を直すことは正しいことですか、それともよくないことですか」と言われた。</p><p>4 しかし、彼らは黙っていた。それで、イエスはその人を抱いていやし、帰された。</p><p>5 それから、彼らに言われた。「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者があなたがたのうちにいるでしょうか。」</p><p>6 彼らは答えることができなかった。</p><p><br/></p><p><strong>水腫をわずらっている人のいやし</strong></p><p><strong>かたくななパリサイ人</strong></p><p>再び安息日論争が続きます。パリサイ派のある指導者が、イエスを安息日の食事に招きました。この人は、おそらくサンヘドリン（議会）の議員だったのでしょう。このような食事会には、通常、さまざまな客が招待されていました。もちろん料理は、前日に用意されたものが出されます。イエスの正面に、水腫をわずらっている人がいました。水腫とは、リンパ液などの体液がからだの組織内に異常に多量にたまった状態を言います。旧約聖書では、水腫は、神ののろいの結果起こると見なされています（民数記5：21～22参照）。イエスに敵対するパリサイ人たちがずらりと並び、じっとイエスを見ています。当然、イエスが律法を破るかどうか、イエスを糾弾するきっかけを見つけられるかどうか、眺めているのです。どうやらこの場面は、仕組まれたもののようです。イエスは彼らの意図を見ぬいて、先制攻撃をかけます。「安息日に病気を直すことは正しいことですか、それともよくないことですか。」答えがないのを見てイエスは、その人をいやし、お帰しになりました。その後で、「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者があなたがたのうちにいるでしょうか。」（5節）とお語りになりました。だれも返答できる者がいませんでした。かたくなな心は、神の愛や恵みに応答することを拒否します。今、あなたの心は柔らかになっていますか。かたくなな心から解放されるように祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>私たちへのチャレンジ</strong></p><p>この水腫の人は、パリサイ人たちにとっては、イエスを陥れる道具にしか過ぎませんでした。しかしイエスは、この人をご自分の息子のように扱い、あわれみを示してくださいました。神は私たちを、ご自分の子として扱っておられます。あなたは、その神の愛を受け入れていますか。神の愛の中に安らいでいますか。今日神は、助けを必要としている人を、あなたの前に置かれるかもしれません。それは偶然に起こっているのではなく、神が導いておられるのです。自分の口を神のことばを語る口として、自分の手を神の愛を運ぶ手として、神にささげましょう。神が、私たちを通して働いてくださることを、期待しましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私をあなたの子として扱ってくださることを感謝します。私の助けを必要とする人をお送りください。私を、あなたの愛を運ぶ器としてお用いください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-11-10 19:05:52 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書14：7～14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3677948017</link>
         <description><![CDATA[<p>7 招かれた人々が上座を選んでいる様子に気づいておられたイエスは、彼らにたとえを話された。</p><p>8 「婚礼の披露宴に招かれたときには、上座にすわってはいけません。あなたより身分の高い人が、招かれているかもしれないし、</p><p>9 あなたやその人を招いた人が来て、『この人に席を譲ってください』とあなたに言うなら、そのときあなたは恥をかいて、末席に着かなければならないでしょう。</p><p>10 招かれるようなことがあって、行ったなら、末席に着きなさい。そうしたら、あなたを招いた人が来て、『どうぞもっと上席にお進みください』と言うでしょう。そのときは、満座の中で面目を施すことになります。</p><p>11 なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」</p><p>12 また、イエスは、自分を招いてくれた人にも、こう話された。「昼食や夕食のふるまいをするなら、友人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません。でないと、今度は彼らがあなたを招いて、お返しすることになるからです。</p><p>13 祝宴を催す場合には、むしろ、貧しい者、からだの不自由な者、足のなえた者、盲人たちを招きなさい。</p><p>14 その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。義人の復活のときお返しを受けるからです。」</p><p><br/></p><p><strong>謙遜の勧め</strong></p><p><strong>招かれた客への教訓</strong></p><p>当時の食事の習慣では、食卓は、コの字型に配列され、その上に料理が並べられました。招待客は、その食卓の周りに左ひじをついて横になり、右手で食事をしました。食卓の席順に関しては、上座から末席に至るまで、厳格な取り決めがありました。ローマ式習慣、ギリシャ式習慣などもあったようですが、パリサイ人たちは当然、ユダヤ式の習慣を採用していました。パリサイ人の家で食事の席に着いたイエスは、招待客が上座を選んでいる様子を見て、謙遜について教えられました。その内容は、箴言25：7の教え通りです。「高貴な人の前で下に下げられるよりは、『ここに上って来なさい。』と言われるほうがよいからだ。」ここでイエスは、単なる社交術ではなく、人生への取り組みの姿勢を教えておられます。「なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」（11節）というのが、イエスの結論です。今この原稿を、松原湖での大学生キャンプの奉仕中に書いています。執筆の途中で朝食の時間になり、食堂に行きました。同じテーブルに着いたひとりの未信者の学生が、私のメッセージのスタイルについて挑戦的な発言をしてきました。最初私は、彼を説得しようと試みました。しかし彼は譲ろうとしません。私の性格からすると、相手を言い負かすところまでやっていたかもしれないのですが、この朝は、神から謙遜になることを教えられていました。途中でそのことに気づいた私は、彼の話に耳を傾け、言いにくい意見を言ってくれたことに感謝の意を表わしました。彼の顔から険しい表情が消え、笑みがこぼれました。このとき私は、議論に勝たなくてよかったと思いました。</p><p><br/></p><p><strong>招いた主人への教訓</strong></p><p>次にイエスは、招いた主人にも教訓をお語りになりました。「祝宴を催す場合には、むしろ、貧しい人、からだの不自由な人、足のなえた人、盲人たちを招きなさい。その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。義人の復活のときお返しを受けるからです。」（13～14節）。イエスは、社会生活や一般的な交際を否定されたのではありません。「愛は計算しない。」、「愛はお返しを期待しない。」ということをお教えになったのです。神は公平な方です。愛の動機で行なったことに対して、必ず報いをくださいます。あなたを正当に扱ってくださる神に、今、信頼を置きましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。今日もう一度、謙遜になるようにとお語りくださり、感謝します。忘れやすい私です。どうか、私が傲慢に陥ることのないように、いつも私を守り、導いてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=vT-g8fqlve4" />
         <pubDate>2025-11-11 20:04:53 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書14：15～24</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3679825434</link>
         <description><![CDATA[<p>15 イエスといっしょに食卓に着いていた客のひとりはこれを聞いて、イエスに、「神の国で食事する人は、何と幸いなことでしょう」と言った。</p><p>16 するとイエスはこう言われた。「ある人が盛大な宴会を催し、大ぜいの人を招いた。</p><p>17 宴会の時刻になったのでしもべをやり、招いておいた人々に、『さあ、おいでください。もうすっかり、用意ができましたから』と言わせた。</p><p>18 ところが、みな同じように断り始めた。最初の人はこう言った。『畑を買ったので、どうしても見に出かけなければなりません。すみませんが、お断りさせていただきます。』</p><p>19 もうひとりはこう言った。『五くびきの牛を買ったので、それをためしに行くところです。すみませんが、お断りさせていただきます。』</p><p>20 また、別の人はこう言った。『結婚したので、行くことができません。』</p><p>21 しもべは帰って、このことを主人に報告した。すると、おこった主人は、そのしもべに言った。『急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい者や、からだの不自由な者や、盲人や、足のなえた者たちをここに連れて来なさい。』</p><p>22 しもべは言った。『ご主人さま。仰せのとおりにいたしました。でも、まだ席があります。』</p><p>23 主人は言った。『街道や垣根のところに出かけて行って、この家がいっぱいになるように、無理にでも人々を連れて来なさい。</p><p>24 言っておくが、あの招待されていた人たちの中で、私の食事を味わう者は、ひとりもいないのです。』」</p><p><br/></p><p><strong>宴会への招待を断る人々</strong></p><p><strong>招待されていた人々</strong></p><p>「義人の復活」（14節）ということばを聞いたひとりの人が、「神の国で食事をする人は、何と幸いなことでしょう。」と叫びます。彼は、自分がその席に着くことを確信していたのでしょう。しかしイエスは、よく注意しなければ、悲惨な結果になることを、たとえ話を用いてお教えになりました。当時は、宴会への招きは、予告的なものと準備ができてからのものと、二回ありました。主人はしもべを遣わして、招かれていた人々に、宴会の準備ができたことを伝えさせます。しかし彼らは、口実を設けて、来ようとはしません。（1）畑を買ったので、それを見に行くと言う人。事前に見もしないで畑を買う人がいるでしょうか。これは、口実です。（2）五くびきの牛を買ったので、それをためしに行くと言う人。同じ理由で、これも口実です。（3）結婚したので、行けないと言う人。これは、申命記24：5（一年間の兵役免除）の曲解です。主人は怒って、｢急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい人や、からだの不自由な人や、盲人や、足のなえた人をここに連れて来なさい。｣（21節）と命じます。ユダヤ人たちは、神から二度招かれました。最初は預言者たちを通して、次にイエスを通して。しかし、宗教的エリートたちはその招きを拒否しました。大通りや路地から連れてこられた人々とは、ユダヤ教の指導者たちが見下していた「罪人たち」のことです。神の招きに応答した罪人だけが、天国での宴会の席に着くようになります。</p><p><br/></p><p><strong>あなたも招待されている</strong></p><p>このたとえ話はまだ終わっていません。まだ席が空いていたのです。ついに主人は、「街道や垣根のところに出かけて行って、この家がいっぱいになるように、無理にでも人々を連れて来なさい。」（23節）と命じます。街道や垣根のところとは、町の外で、人影の少ない場所です。そこにまで出て行って、満席にせよというのです。ここに、主人の情熱が感じられます。町の外にいた人々とは、異邦人のことです。神は、宴会の席を一杯にするために、異邦人である私たちをも熱心に招いてくださいました。異邦人が招かれた結果、何が起こったかは記されていません。このたとえ話の結末は、私たち一人一人の決断によって書くべきことなのでしょう。あなたは、神の招待を受け入れましたか。神の愛を信じましたか。天国の宴会に、自分の席が用意されていることを喜びましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い神よ。私のような者も、天国の宴会にお招きくださり感謝します。今あなたの愛を受け入れます。どうか私を、あなたからの招待状を運ぶしもべとしてお用いください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-11-12 19:16:47 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書14：25～35</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3681753920</link>
         <description><![CDATA[<p>25 さて、大ぜいの群衆が、イエスといっしょに歩いていたが、イエスは彼らのほうに向いて言われた。</p><p>26 「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。</p><p>27 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。</p><p>28 塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に十分な金があるかどうか、その費用を計算しない者が、あなたがたのうちにひとりでもあるでしょうか。</p><p>29 基礎を築いただけで完成できなかったら、見ていた人はみな彼をあざ笑って、</p><p>30 『この人は、建て始めはしたものの、完成できなかった』と言うでしょう。</p><p>31 また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようとするときは、二万人を引き連れて向かって来る敵を、一万人で迎え撃つことができるかどうかを、まずすわって、考えずにいられましょうか。</p><p>32 もし見込みがなければ、敵がまだ遠くに離れている間に、使者を送って講和を求めるでしょう。</p><p>33 そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。</p><p>34 ですから、塩は良いものですが、もしその塩が塩けをなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか。</p><p>35 土地にも肥やしにも役立たず、外に投げ捨てられてしまいます。聞く耳のある人は聞きなさい。」</p><p><br/></p><p><strong>真の弟子となる喜び</strong></p><p><strong>自分の十字架を負う</strong></p><p>群集に対して厳しいことばが語られます。「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。」（26節）。「憎む」とは、文字通りだれかを憎むことではありません。敵をも愛するように教えられたイエスが、「憎む行為」をよしとされるはずがありません。このことばは、だれを最も愛し、大切にしているかという問いかけです。イエスの弟子であるとは、最も近しい肉親を愛するよりも、また、自分自身を愛するよりも、イエスを深く愛していることです。確かに、イエスの弟子になるということは厳しいことです。しかしイエスは、私たちを苦しめようとして、このような要求を出しておられるのではありません。真の弟子になることは、解放と喜びを経験する道です。自分の努力で自我に死ぬことはできません。私たちには、神の恵みが必要です。もしあなたのうちに、神にゆだねきれない部分があるなら、恵みを求めて祈りましょう。「十字架を負う」とは、「負う必要はないけれども、愛のゆえにあえて負うことを選ぶ」という意味です。あなたにとって自分の十字架とは何ですか。愛のゆえに、あえて負うことを選び取っているものがありますか。</p><p><br/></p><p><strong>費用を計算する</strong></p><p>イエスは、二つのたとえを話されました。最初が、塔を築こうとする人の話、次が、敵を迎え撃つ王の話です。両者の内容は似通っていますが、明確な差異もあります。最初の話は、「弟子になれるかどうか、よく考えなさい。」という問いかけです。塔を建てる人は、計画を中止することもできます。次の話は、「弟子にならずにおれるかどうか、よく考えなさい。」という問いかけです。敵が2万人の兵を引き連れて攻めて来ているのですから、この王には、敵と講和を求めるしか道は残されていません。それと同じことが、私たちにも言えます。神の前に自らの義をもって立とうとするのは、2万人の敵に1万人の兵をもって対抗しようとするようなものです。私たちに残された唯一の道は、神の提示される講和の条件を受け入れることだけです。その条件とは、イエス・キリストの十字架です。弟子となるためには、このたとえ話が教える二つの問いかけを自分にしてみる必要があります。真の弟子は、恵みによって弟子としていただいたことと、弟子になるためには犠牲が伴なうこととを知っているのです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私がイエスの真の弟子になれますように、恵みをもって私に臨んでください。私の十字架が何であるかをお示しください。喜んで自分の十字架を負う者と変えてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=MAl5wk3A1aM" />
         <pubDate>2025-11-13 19:49:13 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書15：1～10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3683417691</link>
         <description><![CDATA[<p>1 さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。</p><p>2 すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」</p><p>3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。</p><p>4 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。</p><p>5 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、</p><p>6 帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。</p><p>7 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。</p><p>8 また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。</p><p>9 見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。</p><p>10 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」</p><p><br/></p><p><strong>失われたものの回復</strong></p><p><strong>失われた羊</strong></p><p>ルカの福音書15章は、おそらく聖書の中で最も愛され、親しまれている章でしょう。ここには、失われたたましいを捜し求める父なる神の愛が、余すところなく表現されています。まず、文脈を確認しておきましょう。イエスは、「聞く耳のある人は聞きなさい。」（14：35）とお語りになりました。その勧めに従ったのは、取税人や、罪人たちでした。イエスが彼らを受け入れているのを見て怒ったのは、当時の宗教的エリートたち（パリサイ人、律法学者たち）でした。そこでイエスは彼らに、三つのたとえ話をお語りになりました。ユダヤ教では、罪人が悔い改めるなら神は赦してくださるという教えはありましたが、神の方から罪人を捜すという考え方はありませんでした。イエスは、新しい角度から、天の父が私たちをどれほど愛しておられるかを教えてくださいました。最初が、失われた羊のたとえです。ある人が羊を百匹持っていました。しかし、そのうちの一匹がいなくなりました。彼にとっては、いなくなった一匹の羊は百分の一ではなく、すべてでした。安全な所にいる九十九匹を残して、羊飼いはいなくなった一匹を捜し回ります。徹底的に、ありとあらゆるところを捜し回る羊飼いの姿が目に浮かびます。ついにその羊が見つかります。羊飼いは、その羊を肩に担いで帰って来ます。いなくなった羊が見つかった喜びは、今までのすべての労苦を帳消しにして余りあります。一人の罪人が神に立ち返ったときに、同じような喜びが天にあふれます。</p><p><br/></p><p><strong>なくした銀貨</strong></p><p>次が、なくした銀貨のたとえです。この銀貨は「ドラクマ」と呼ばれるもので、当時の労働者一日分の給料に相当します。貧しい婦人にとっては、高額の貨幣であったに違いありません。当時の家は窓が小さく、昼間でも部屋の中は薄暗かったのでしょう。彼女はあかりをつけ、必死になって家中を捜し回ります。そしてついにそれを見つけます。彼女は、友人知人を招いて、その喜びを分かち合います。ここでも、失われたものが回復されたときの喜びが強調されています。ユダヤ教のラビたちは、「失った銀貨を徹底的に捜すように、神の律法も徹底的に探求すべきである。」と教えました。しかしイエスは、「失った銀貨を徹底的に捜すように、神は失われた罪人を徹底的に捜しておられる。」と教えてくださいました。あなたは、神に見出されていますか。もし失われているなら、神はあなたを捜し求めておられます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い天の父なる神さま。私のような者でも、あなたに立ち返るなら、天において大きな喜びがあると教えてくださり、感謝します。どうか私を、あなたの愛を運ぶメッセンジャーとしてお用いください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=93CxCM_yaG4" />
         <pubDate>2025-11-14 19:00:21 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書15：11～24</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3684275285</link>
         <description><![CDATA[<p>11 またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。</p><p>12 弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。</p><p>13 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。</p><p>14 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。</p><p>15 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。</p><p>16 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。</p><p>17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。</p><p>18 立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。</p><p>19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』</p><p>20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。</p><p>21 息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』</p><p>22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。</p><p>23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。</p><p>24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。</p><p><br/></p><p><strong>放蕩息子のたとえ</strong></p><p><strong>いなくなった息子</strong></p><p>イエスは、父なる神の愛を教えるために、第三のたとえを話されました。多くの人が、このたとえ話を、すべてのたとえ話の中で最高のものとして評価しています。弟が、父に財産の分け前を願い出て、それを手に入れると、遠い国に旅立ちました。遠い国とは、ユダヤ人にとっては異邦人の地のことです。父親にとっては、息子はその時点で死んだのです。（このような場合、今でも、実際に葬式を行なう場合があります。）他国に行ったこの息子は、二重の意味で苦しみに合います。ひとつは、放蕩による当然の報いでしたが、もうひとつは、大ききんによって起こった苦しみでした。彼がいかに苦しんだかは、豚の世話をせざるを得なかったことからもうかがい知れます。ユダヤ人にとっては、豚に触れることは、最も忌むべきことでした。彼は生まれて初めて、自分が豚以下の存在としか見られていない状況に投げ出されました。苦難は、往々にして、人を正気に戻します。彼はそこで、われに返ります。彼の悔い改めが真実であることは、彼が父に言おうとしたことばを見るとよくわかります。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。」（18節）。真の悔い改めは、常にまず神に対する罪の告白でなければなりません。彼は、神（天）に対して罪を犯したことを認め、次に、父に対しても罪を犯したことを認めました。どんな罪も、まず、神に対する罪であることを認めましょう。</p><p><br/></p><p><strong>走り寄る父</strong></p><p>このたとえ話は、走り寄る父の話でもあります。息子がまだ遠かったのに、父親は彼を見つけ、走り寄って彼を抱き、口づけしました。東洋の威厳ある父親像からは、想像できないようなことが起こったのです。父親は息子に、「一番良い着物」、「指輪」、「くつ」、「肥えた子牛」を与えます。着物と指輪は、地位と権威の象徴です。息子は、子としての身分を回復しました。くつは、自由人の象徴です。奴隷ははだしで歩くのです。肥えた子牛は、特別な機会のために用意されていたものです。この息子の帰還以上に、この子牛をほふるのにふさわしい機会があるでしょうか。父親の喜びは、次のことばで最高潮に達します。「この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。」（24節）。父なる神の愛は、こんなにも大きなものです。あなたは、神の愛を受け取りましたか。受け取り続けていますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い天の父なる神さま。あなたに立ち返る罪人を、走り寄って迎えてくださるそのご愛を感謝します。今日も、あなたの愛を受け取ることを学ばせてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=Rn6GkmBtaZI" />
         <pubDate>2025-11-15 21:20:08 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書15：25～32</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3684959228</link>
         <description><![CDATA[<p>25 ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。</p><p>26 それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、</p><p>27 しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』</p><p>28 すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。</p><p>29 しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。</p><p>30 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』</p><p>31 父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。</p><p>32 だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」</p><p><br/></p><p><strong>放蕩息子のたとえ（後半）</strong></p><p><strong>失われていた二人の息子</strong></p><p>放蕩息子のメッセージは、弟の話だけで終わることが多いのですが、それでは不充分です。このたとえは、兄の話まで含めてひとつのものです。このたとえ話の最初に戻り、文脈を確認してみましょう。イエスの周りに二つのグループが集まっていました。ひとつは、話を聞こうとして集まってきた取税人、罪人たち、もうひとつは、イエスに対して批判的な宗教的エリートたち（パリサイ人、律法学者たち）です。後者のグループに対してイエスは、三つのたとえを話されたのです。放蕩息子のたとえでは、弟とは前者のグループを、兄とは後者のグループを指しています。この二人の息子は、ともに失われていました。弟はだれが見てもわかる形で失われていました。一方兄は、表面的には父に忠実そうに見えていましたが、その心は父から遠く離れていました。弟の帰還を知った兄は、もろに不快感を示します。彼は自分の弟のことを、「あなたの息子」（30節）と呼び、兄弟関係さえも認めようとはしません。私たちの内側に、父なる神の心から遠く離れている部分がないかどうか、吟味してみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>兄とはだれか</strong></p><p>兄とは、宗教的エリートたちのことだと言いました。しかし、私たちの心の中にも、この兄のような性質が宿っていることを認めざるを得ないのではないでしょうか。弟の姿と自分の姿とをオーバーラップさせ、神の愛に感動する人は多くいます。しかし、兄の姿が自分の姿でもあることを認められる人は、どれくらいいるのでしょうか。兄の問題は、嫉妬心です。罪赦されて単純に喜んでいる人たち、その信仰のゆえに神に用いられ祝されている人たち、そのような人たちを見て、心に穏やかでないものを感じたことはありませんか。ねたみ心は、クリスチャンの一致を妨げ、神の心からは遠いところに私たちを追いやります。このたとえ話の中で、父は、「おまえの弟」（32節）ということばを使い、兄を戒めています。兄が最後にどういう態度を取ったかは、記されていません。ここに、私は、神のあわれみを見ます。まるで神が、「私はあなたに、悔い改めのチャンスを残しておいたから、このたとえ話の最後は、自分で書きなさい。」と語っておられるようです。あなたが好感を持っていない人でも、神は、「おまえの弟」、「おまえの兄」と呼んで、その人を愛するように語っておられます。今、父の愛について黙想してみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い天の父なる神さま。表面だけを繕うような信仰から、私を解放してください。あなたの心を私の心としながら、あなたの愛に生きる者と変えてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=Tr4h5spkwbk" />
         <pubDate>2025-11-16 19:05:07 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書16：1～9</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3686885670</link>
         <description><![CDATA[<p>1 イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた。「ある金持ちにひとりの管理人がいた。この管理人が主人の財産を乱費している、という訴えが出された。</p><p>2 主人は、彼を呼んで言った。『おまえについてこんなことを聞いたが、何ということをしてくれたのだ。もう管理を任せておくことはできないから、会計の報告を出しなさい。』</p><p>3 管理人は心の中で言った。『主人にこの管理の仕事を取り上げられるが、さてどうしよう。土を掘るには力がないし、物ごいをするのは恥ずかしいし。</p><p>4 ああ、わかった。こうしよう。こうしておけば、いつ管理の仕事をやめさせられても、人がその家に私を迎えてくれるだろう。』</p><p>5 そこで彼は、主人の債務者たちをひとりひとり呼んで、まず最初の者に、『私の主人に、いくら借りがありますか』と言うと、</p><p>6 その人は、『油百バテ』と言った。すると彼は、『さあ、あなたの証文だ。すぐにすわって五十と書きなさい』と言った。</p><p>7 それから、別の人に、『さて、あなたは、いくら借りがありますか』と言うと、『小麦百コル』と言った。彼は、『さあ、あなたの証文だ。八十と書きなさい』と言った。</p><p>8 この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。</p><p>9 そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。</p><p><br/></p><p><strong>不正な管理人のたとえ</strong></p><p><strong>このたとえ話の背景</strong></p><p>最も難解なたとえ話です。なぜ主人は、不正な管理人のやり方をほめたのでしょうか。まず、当時の商習慣について考えてみましょう。律法は、利息を取って金を貸すことを禁じています（出エジプト記22：25）。そこで、ユダヤ人たちは、律法に違反しない形で利息を取る方法を考え出しました。「律法は、貧しい人たちから利息を取ることを禁じている。しかし、借りる者にとって益となるような場合は、利益の配分と考えて、利息を取ってもよい。」この考え方は、さらに次のような論理に発展します。「どんな人でも、最低限、油と小麦は持っている。従って、油と小麦を貸すことは、貧しい人に金を貸したことにはならない。これは投資であるから、利息を取ってもよい。」というわけで、貸した金は、多くの場合、油や小麦の量に換算されました。しかも、元金と利息の合計額が証文に書き記されましたから、律法違反の事実は表面化しません。不正な管理人は、このような商習慣を利用して、抜けめなくふるまったのです。</p><p><br/></p><p><strong>このたとえ話の本当の意味</strong></p><p>主人から仕事を取り上げられることを恐れた管理人は、債務者をひとりひとり呼んで、証文に新しい数字を書き込ませました。最初の債務者は、油百バテ（3700リットル）の借りがありました。管理人はそれを、五十と書き換えさせます。これは、利息分五十を除いた量です。次の債務者は、小麦百コル（3万7000リットル）の負債がありました。管理人は、それを八十と書き換えさせます。これは、利息分二十を除いた量です。管理人の不正に気づいた主人は、ジレンマに陥りました。黙っていれば、損をします。しかし、不正を暴けば、自らが利息をとって金を貸していたことが発覚し、自分の評判が台無しになります。結局主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめるしかなかったのです。このたとえ話を通してイエスは、「この世の子たちは、地上の富（不正の富）を抜けめなく用いることを知っているが、あなたがたはどうか。」と問いかけておられます。別の言い方をすれば、天国の希望を持って生きている私たちが、天に宝を積むような富の用い方をしているかどうかという問いかけです。「彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。」（9節）とありますが、「彼ら」とはヘブル的表現で、「神ご自身」を指しています。あなたの経済活動は、神に喜ばれるものになっていますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い天の父なる神さま。あなたからゆだねられた富を忠実に管理し、天に宝を積むような方法で運用できますように、私に知恵をお与えください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=YPSxLybWUxE" />
         <pubDate>2025-11-17 19:02:24 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3686885670</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書16：10～13</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3688793008</link>
         <description><![CDATA[<p>10 小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。</p><p>11 ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。</p><p>12 また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。</p><p>13 しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」</p><p><br/></p><p><strong>神かマモンか</strong></p><p><strong>小さい事に忠実な人</strong></p><p>今日の短い聖書の箇所から、少なくとも四つの霊的真理を学ぶことができます。これらはすべて、イエスの弟子になろうとする者が身に着けるべき真理です。（1）小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実です。その逆に、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。なぜかと言いますと、人生とは統合化されたものであって、一つの原則があらゆる局面を支配しているからです。私は大学を卒業して、ある会社に就職しました。当時私の上司であった人が、このように助言してくれました。「上の者は、君が小さな仕事を忠実にこなせるかどうか見ているのだ。小さな仕事も満足にできない者には、大きな仕事は回ってこないぞ。」新入社員であった私は、この助言を肝に命じました。あなたは、なぜ自分には重要な役割が与えられないのかと不思議に思ったことがありますか。もしそうなら、日常の仕事にどの程度忠実であったかどうか、自己吟味をしてみましょう。（2）私たちが持っている地上の富（不正の富）は、すべて神から預かった物ばかりです（歴代誌第一29：14参照。）その証拠に、人は死ぬとき、何一つ持って行くことができません。自分のからだも、能力も、財も、すべて神からの預かり物であることに気づくなら、私たちの生き方は革命的に変わります。（3）神は、私たちが地上の富を忠実に管理するかどうかを見ておられます。それは、天にある真の富を私たちに任せてよいかどうか、判断するためです。あなたは、地上生涯での忠実さが、天の御国の祝福につながることを知っていましたか（マタイの福音書25：34参照）。</p><p><br/></p><p><strong>ふたりの主人に仕えようとしている人</strong></p><p>今日の聖書箇所の結論は、次の第四のポイントにあります。（4）どんな人でも、ふたりの主人に仕えることはできません。ふたりの主人とは、神と富です。「富」と訳されていることばは、原語では「マモン」です。マモンとは、金、富、地上的所有物などを指します。それらを愛する者にとっては、マモンはまさに神の位置を占めています。あなたは最近、富の追及に心が支配されて、疲れを覚えてはいませんか。霊的なことがらへの関心が、極度に薄くなっていることはありませんか。今、主イエスのこのことばを思い出しましょう。「何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。」（12：31）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い天の父なる神さま。私たちの心には、物質的な貧しさに対する恐れがあります。そのため、神の国を求めること以上に、富の追及に心を奪われることがあります。どうか、お赦しください。今、あなただけが私の神であることを告白します。マモンの支配から私を解放してください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=r5kNEuNvkwM" />
         <pubDate>2025-11-18 20:33:13 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3688793008</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書16：14～18</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3690615696</link>
         <description><![CDATA[<p>14 さて、金の好きなパリサイ人たちが、一部始終を聞いて、イエスをあざ笑っていた。</p><p>15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者です。しかし神は、あなたがたの心をご存じです。人間の間であがめられるものは、神の前で憎まれ、きらわれます。</p><p>16 律法と預言者はヨハネまでです。それ以来、神の国の福音は宣べ伝えられ、だれもかれも、無理にでも、これに入ろうとしています。</p><p>17 しかし律法の一画が落ちるよりも、天地の滅びるほうがやさしいのです。</p><p>18 だれでも妻を離別してほかの女と結婚する者は、姦淫を犯す者であり、また、夫から離別された女と結婚する者も、姦淫を犯す者です。</p><p><br/></p><p><strong>金の好きなパリサイ人たち</strong></p><p><strong>富は祝福のしるしか？</strong></p><p>イエスは、「あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」（16：13）とお語りになりました。金の好きなパリサイ人たちは、イエスをあざ笑いました。彼らにとっては、この世の富は、神の祝福を受けていることの証拠でした。彼らは、自らの霊性の低さを、この世の富によってカバーしていたのです。しかし神は、うわべではなく、心の中をご覧になります（使徒の働き15：8～9参照）。パリサイ人たちが大切にしていたものは、神の国ではゴミ屑のようにしか取り扱われません。私たち日本人は、終戦とともに、それまで正しいとされてきた価値観が、一夜のうちに否定されるという経験をしました。そこから私たちは、永遠に価値あるものに人生の基礎を置かなければ、大変なことになるということを学びました。あなたは、心のうちをご覧になる神を恐れつつ歩んでいますか。</p><p><br/></p><p><strong>イエスは旧約聖書を廃棄するのか？</strong></p><p>イエスがもたらした神の国は、当時のパリサイ人たちの考え方とは真正面から対立する概念でした。（1）バプテスマのヨハネは、旧約時代に属する預言者ですが、イエスの到来とともに、新しい時代の幕開けがやって来ました。（2）イエスは、「律法と預言者（旧約聖書のこと）」によって預言されたお方であり、旧約聖書を成就するために来られました。（3）イエスがもたらした神の国のすばらしさに気づいた人たちは、「だれもかれも、無理にでも、これにはいろうとしています。」（16節）。「無理にでも」ということばは、熱心に、全身全霊を込めて追求している姿を描写しています。神は、熱心に求める者の祈りを必ず聞いてくださいます。リバイバルが起きている国のクリスチャンたちの熱心な祈りに触れたことがありますか。熱心な祈りなくして、教会成長も霊的な成長もあり得ません。（4）イエスは、律法の真意を誤解してはならないことを、離婚の教えを通してお語りになります。当時のユダヤ教では、夫は極めて些細な理由（奥さんの料理がまずいとか、奥さんよりも美人に出会ったとかいうような理由）で、妻を離縁することができました。しかしイエスは、それは律法の誤解であって、神が離婚を許されたのは、人の心がかたくななためであるとお語りになりました（マルコの福音書10：5参照）。律法の目的は、私たちが愛の人になることです。あなたは、愛の人になることを目標に、聖書を読んでいますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。愛の人になるという目標を見失うことの多い私です。どうか、お赦しください。今日一日、あなたの心を私の心として歩ませてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=9VPNJC6T0UU" />
         <pubDate>2025-11-19 19:10:49 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3690615696</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書16：19～31</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3692483375</link>
         <description><![CDATA[<p>19 ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。</p><p>20 ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、</p><p>21 金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。</p><p>22 さて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。</p><p>23 その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。</p><p>24 彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』</p><p>25 アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。</p><p>26 そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』</p><p>27 彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。</p><p>28 私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』</p><p>29 しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』</p><p>30 彼は言った。『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』</p><p>31 アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」</p><p><br/></p><p><strong>金持ちとラザロ</strong></p><p><strong>第一幕：地上にて</strong></p><p>ルカの福音書だけに出てくる話です。ある金持ちとラザロの対比に注目しましょう。金持ちは、紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていました。当時の紫布むらさきぬのは大変高価なものです。その一事だけで、彼が地上生涯で手に入れたいと思うものは、何でも手に入れていたことがわかります。イエスは、この金持ちが何か大きな罪を犯したとは言っておられません。しかし彼は、ハデス（地獄）に行く運命にありました。彼の罪とは、自分のためにだけ生き、与えられた富を他の人のために使わなかった点にあります。一方、ラザロの方は、どうでしょうか。彼は、門前がその住みかとなり、全身おできに覆われ、食物ももらえず、犬がそのおできをなめに来るような状態でした。しかしラザロは、アブラハムのふところ（天国）に連れて行かれる運命にありました。それは、彼が貧しかったからではありません。彼が神のしもべであったからで、そのことが、暗示されています。私たちが地上で下す判断には、限界があります。そのことが、後半で見えてきます。</p><p><br/></p><p><strong>第二幕：天上にて</strong></p><p>ふたりの立場は完全に逆転しました。しかし金持ちは、地上での上下関係が逆転したことにまだ気づいていないようです。彼は、アブラハムには丁寧なことばづかいをしながら、ラザロをまるで召使のように扱っています。天上の光景は、私たちに重要な真理を教えています。（1）死後の世界が存在します。（2）すべての人が天国に行くのではなく、ハデス（地獄）に行く人もいます。（3）天国と地獄の間を行き来することはできません。（4）もし、今与えられている聖書によって信仰の確信が持てないなら、死者が生き返ったとしても、その人は聞き入れないでしょう。最後のポイントを読むと、主イエスのよみがえりの出来事を思い出さずにはおれません。確かに、主のよみがえりがあっても、多くのユダヤ人たちはそれを信じようとはしませんでした。私はこのメッセージを書きながら、非常に厳粛な思いにさせられています。時代の歯車が大きな音を立てながら回ろうとしている今、私たちは地上生涯と天上の生活とを結ぶ、一貫した人生観、生活の原則を身に着ける必要があるのではないでしょうか。あなたは、聖書以外に何か証明になるものを求めてはいませんでしたか。神は、聖書を通して、救いの計画の全貌を啓示されました。これで十分です。神のことばに立ちましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天地創造の神よ。あなたは、歴史を支配しておられます。今私は、あなたの前にひざまずき、私のいのちはすべてあなたのものであることを告白します。地上生涯においても、天上の生活においても、あなたの栄光を表わすことができますように、私をお導きください。主イエスの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=xEwV8T3hXxg" />
         <pubDate>2025-11-20 19:35:54 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3692483375</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書17：1～4</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3694089237</link>
         <description><![CDATA[<p>1 イエスは弟子たちにこう言われた。「つまずきが起こるのは避けられない。だが、つまずきを起こさせる者はわざわいだ。</p><p>2 この小さい者たちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。</p><p>3 気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。</p><p>4 かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」</p><p><br/></p><p><strong>赦しについての教え</strong></p><p><strong>つまずきについて</strong></p><p>「つまずき」とは、イエス・キリストから私たちを切り離そうとする力、誘惑のことです。「つまずき」について、二つのことを考えてみましょう。（1）人は、不思議なほど小さなことにつまずきます。道を歩くときも、大きなものにつまずくことはありませんが、小さなものにはつまずきます。そう考えると、つまずいた本人にも問題があることがわかります。あなたは、つまずきを覚えたことがありますか。もしそうなら、信仰の本質から目がそれていなかったかどうか、自己吟味をしてみましょう。（2）とは言っても、つまずきの原因を作った人の責任がなくなるわけではありません。イエスは、そのような人を厳しく糾弾して、こうお語りになりました。「この小さい者たちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。」（2節）。「小さい者たち」とは、信仰的に幼いクリスチャンたちのことです。あなたは、信仰の弱い兄弟姉妹たちのつまずきとなるような振る舞いを、平気でするタイプですか。今、神の前に静まり、人の徳を立てないような軽はずみな行動を、日常的に行なっていなかったかどうか、吟味してみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>赦しについて</strong></p><p>次に、「赦し」について考えてみましょう。（1）私たちは決して、他の人が罪を犯さないかどうかを見張る霊的警察官に任命されたわけではありません。むしろ、他の人を愛するように神から派遣されているのです。（2）しかし、だからと言って、罪の事実を黙認してよいというわけではありません。イエスは、「気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。」（3節）とお語りになりました。あなたは、罪を犯している兄弟を愛をもって戒めたことがありますか。（3）もし罪を犯している人が悔い改めれば、その人を赦すべきです。一日にそれが七度続いても、赦すべきです。八度目からは赦さなくてもいいという意味ではありません。赦しの心を、絶えず持ち続けなさいという教えです。神さまが期待しておられるのは、他人の罪の記録をつけることではなく、赦しの心を持ち続けることです。あなたは、赦せない人がいるままで夜を越しましたか。今からでも遅くはありません。神の祝福を受けるために、イエス・キリストにあって、その人を赦しましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。私の心に、赦せない人がいないかどうか、点検してください。新しい日を、新しい心でスタートさせてください。いつも、あなたの赦しの愛を運ぶしもべとして私をお用いください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=ihezJtPtdYs" />
         <pubDate>2025-11-21 21:13:03 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3694089237</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書17：5～10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3694652266</link>
         <description><![CDATA[<p>5 使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増してください。」</p><p>6 しかし主は言われた。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、『根こそぎ海の中に植われ』と言えば、言いつけどおりになるのです。</p><p>7 ところで、あなたがたのだれかに、耕作か羊飼いをするしもべがいるとして、そのしもべが野らから帰って来たとき、『さあ、さあ、ここに来て、食事をしなさい』としもべに言うでしょうか。</p><p>8 かえって、『私の食事の用意をし、帯を締めて私の食事が済むまで給仕しなさい。あとで、自分の食事をしなさい』と言わないでしょうか。</p><p>9 しもべが言いつけられたことをしたからといって、そのしもべに感謝するでしょうか。</p><p>10 あなたがたもそのとおりです。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」</p><p><br/></p><p><strong>信仰に関する教え</strong></p><p><strong>からし種ほどの信仰</strong></p><p>イエスは、罪を悔い改めた兄弟を、一日に七度でも赦すようにとお教えになりました。弟子たちは、自分たちにはそのような赦しの心がないと考えたのでしょう。イエスに、「私たちの信仰を増してください。」（5節）と願い出ます。イエスの答えは、こうでした。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、『根こそぎ海の中に植われ。』と言えば、言いつけどおりになるのです。」ユダヤ教のラビたちは、桑の木は深く根を張る木で、その根は、地中に600年間も留まると教えていました。イエスがここで、桑の木を例に出されたのには理由があります。人に対する恨み、憎しみというのは、根の深いものです。そう簡単には、引き抜けません。しかし、どんなに根の深い問題でも、からし種ほどの信仰があれば、必ず解決するというのです。ここでイエスが問題にしておられるのは、信仰の大小ではなく、真実な信仰があるかどうかです。また、大いなる信仰ではなく、大いなる神に対する信仰があるかどうかです。あなたには、自分の信仰深さによってことをなそうとする傾向はありませんでしたか。今、大いなる神に、主権を明け渡しましょう。</p><p><br/></p><p><strong>信仰者の謙遜</strong></p><p>信仰が増すと、私たちは、傲慢の罪を犯します。イエスは、そのことを戒めるために、「役に立たないしもべ」の話をなさいました。主人は、しもべがなすべきことをしたからといって、そのしもべに感謝したりはしません。しもべは、当然のことをしたまでだからです。私たちも、神のしもべとしての働きをしたとき、「私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。」（10節）と答えるべきなのです。パウロも、次のように自らの心情を告白しています。「というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。」（コリント人への手紙第一9：16）。私は、ここまで書いて、嬉しくなりました。と言うのは、神の国の祝宴では、地上ではあり得ないことが起こるからです。主人（イエス・キリスト）が、私たちしもべに給仕してくださるという約束があります（12：37）。それがどういう意味かは十分にはわかりませんが、いずれにしても、忠実なしもべの労苦は、報われるという約束です。私たちの神は、恵み深いお方です。私たちを決して不当に扱われることはありません。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。あなたが大いなる神であることを忘れ、自分の信仰に焦点を合わせることの多かった私をお赦しください。あなたは、どんなに根の深い問題も解決されるお方です。今信仰によって、あなたの奇蹟を受け取ります。私の問題を解決してください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=yNn2oyfHLSg" />
         <pubDate>2025-11-22 21:15:49 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書17：11～19</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3695190065</link>
         <description><![CDATA[<p>11 そのころイエスはエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた。</p><p>12 ある村に入ると、十人のツァラアトに冒された人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、</p><p>13 声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください」と言った。</p><p>14 イエスはこれを見て言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中できよめられた。</p><p>15 そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、</p><p>16 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。</p><p>17 そこでイエスは言われた。「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。</p><p>18 神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」</p><p>19 それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」</p><p><br/></p><p><strong>いやされた十人の「レプラ」</strong></p><p><strong>いやされた十人</strong></p><p>ルカの福音書5：12～16の箇所で、「らい病」という訳語は、再検討すべきであると書きました。聖書時代の「レプラ」は、皮膚病全般を指すことばで、現在のハンセン氏病とは別のものであることが確認されています。当時、レプラ患者は、一般社会からは隔離され、道を歩くときも、「汚れている。汚れている。」と叫ぶように命じられました（レビ記13：45～46参照）。まさにレプラは、肉体的、社会的、精神的苦痛をもたらす病だったのです。十人のレプラ患者が、遠く離れた所からイエスに叫びました。「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください。」この十人のうちの一人は、外国人（サマリヤ人）でした。普通は、ユダヤ人はサマリヤ人とは交際しなかったはずなのですが、レプラという病は、人種的な壁さえも無意味にしてしまうほどに、悲惨なものだったのです。イエスが彼らの願いに答えた方法に注目しましょう。（1）イエスは、彼らの信仰を試されました。（2）いやされる前に、すでにいやされたと信じて行動することが求められました。（3）いやしは、結果として与えられました。これは、私たちにも適用されるべき重要な真理です。あなたは、結果を見たら信じようと思っていませんか。すでに祈りは聞かれたと信じて行動すべきときが来ていませんか。</p><p><br/></p><p><strong>戻って来た一人の外国人</strong></p><p>彼らは、祭司に自分を見せに行く途中でいやされました。そういう意味では、十人全員が信仰を持っていたのです。しかし、感謝の心を持っていたのは、そのうちの一人、サマリヤ人だけでした。彼は、祭司に自分を見せる前に、神に栄光を帰すためにイエスのもとに戻って来ました。イエスは、神の民であるユダヤ人が、だれ一人戻って来なかったことと、外国人であるサマリヤ人が戻って来たこととに驚かれました。イエスは彼に、「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」と言われました。「直した」ということばには、肉体のいやし以上の意味が込められています。真のいやしとは、肉体とともにたましいも健全になることです。このサマリヤ人は、他の九人が味わわなかった祝福を味わいました。彼の姿を黙想しながら、私自身が、なんと感謝を表わすことの少ない者かと、悔い改めさせられました。信仰と感謝とは、車の両輪のようなものです。そのどちらが欠けても、神を喜ばせることはできません。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。あなたの御前にお願い致します。どうか私を、信仰と感謝の人と変えてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=KH-Py560f24" />
         <pubDate>2025-11-23 19:44:30 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書17：20～37</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3696757161</link>
         <description><![CDATA[<p>20 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。</p><p>21 『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」</p><p>22 イエスは弟子たちに言われた。「人の子の日を一日でも見たいと願っても、見られない時が来ます。</p><p>23 人々が『こちらだ』とか、『あちらだ』とか言っても行ってはなりません。あとを追いかけてはなりません。</p><p>24 いなずまが、ひらめいて、天の端から天の端へと輝くように、人の子は、人の子の日には、ちょうどそのようであるからです。</p><p>25 しかし、人の子はまず、多くの苦しみを受け、この時代に捨てられなければなりません。</p><p>26 人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。</p><p>27 ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。</p><p>28 また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、</p><p>29 ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。</p><p>30 人の子の現れる日にも、全くそのとおりです。</p><p>31 その日には、屋上にいる者は家に家財があっても、取り出しに降りてはいけません。同じように、畑にいる者も家に帰ってはいけません。</p><p>32 ロトの妻を思い出しなさい。</p><p>33 自分のいのちを救おうと努める者はそれを失い、それを失う者はいのちを保ちます。</p><p>34 あなたがたに言うが、その夜、同じ寝台でふたりの人が寝ていると、ひとりは取られ、他のひとりは残されます。</p><p>35 女がふたりいっしょに臼をひいていると、ひとりは取られ、他のひとりは残されます。」</p><p>37 弟子たちは答えて言った。「主よ。どこでですか。」主は言われた。「死体のある所、そこに、はげたかも集まります。」</p><p><br/></p><p><strong>神の国はいつ来るのか</strong></p><p><strong>神の国は到来している</strong></p><p>イエスがお語りになったメッセージの中心は、「神の国」でした。それを知っていたパリサイ人たちは、「神の国はいつ来るのか。」と尋ねます。イエスは、パリサイ人たちの誤解を正されました。（1）神の国とは、地上的な王国ではなく、心の王国のことです。（2）神の国は、すでに到来しています。「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」（21節）とは、イエスのご人格とそのわざの中に、神の国の実体があるという意味です。ハーベスト・タイムでは、毎朝、スタッフがともに聖書を読み、祈りをささげてから仕事を始めています。これは、王なるイエスを、オフィスの中に、また、仕事の中に招き入れる行為です。これがなければ、全員がクリスチャンの職場であっても、自我のぶつかり合いが出てきます。あなたは、ご自分の職場に、家庭に、教会の交わりに、毎日、王なるイエスを招き入れていますか。</p><p><br/></p><p><strong>神の国はやがて完成する</strong></p><p>すでに到来している神の国は、やがて完成を見るようになります。その前に、人の子（メシヤであるイエス）は、多くの苦しみを受け、その時代の人々から見捨てられるという出来事が起こらねばなりません。これが、十字架の預言です。後半の、イエスの再臨の預言は、これから、起こる出来事です。ここでイエスは、再臨に備えることの重要性を教えてくださいました。ノアの時代とロトの時代を思い出してみましょう。（1）彼らは、霊的なことではなく、日常的な事柄にあまりにも関心を払い過ぎました。ロトの妻の失敗は、私たちへの教訓です。（2）再臨への準備ができている人と、そうでない人との運命には、天地ほどの差があります。ふたりの人が距離的にどんなに近くにいても、片方（準備のできている人）は、天に上げられ、もう片方（自分の生活にのみ関心がいっていた人）は、地上に残されます（テサロニケ人への手紙第一4：17参照）。（3）イエスの再臨は、必ず起こります。弟子たちは、それがどこで起こるかを聞こうとしました。イエスは、直接的にはお答えにならず、「死体のある所、そこに、はげたかも集まります。」（37節）と言われました。つまり、霊的に死んでいる人々の上には、必ず神のさばきが下るという意味です。あなたには、イエスの再臨が今日起こっても大丈夫という確信がありますか。もし準備ができていないと感じるなら、今、神のあわれみにすがりましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。今、このデボーションの中に、王なるイエスをお迎えし、ここに神の国が到来していることを宣言します。どうか、今日一日、王なるイエスとともに歩ませてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=saZyCciPvtI" />
         <pubDate>2025-11-24 20:06:25 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書18：1～8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3698385737</link>
         <description><![CDATA[<p>1 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。</p><p>2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。</p><p>3 その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください』と言っていた。</p><p>4 彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、</p><p>5 どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。」</p><p>6 主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。</p><p>7 まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。</p><p>8 あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」</p><p><br/></p><p><strong>不正な裁判官のたとえ</strong></p><p><strong>不正な裁判官でも</strong></p><p>このたとえ話は、神は不正な裁判官のようだと教えているのではありません。イエスは、継続した祈りの大切さを教えてくださったのです。当時、ラビたちは、神を疲れさせないために、祈りの回数は、日に三度を限度とすべきであると教えていました。イエスの教えは、それとは好対照をなしています。さて、この不正な裁判官ですが、彼は、自分の判断以外には何も信じないタイプの人でした。それに対してやもめは、貧困と無力さの象徴のような存在でした。その彼女が、不正な裁判官に、裁判を行なってくれるように願い出ました。彼女には、金も、地位も、権力も、コネも、何もありません。しかし彼女には、（1）正義に立っているという確信と、（2）忍耐深さがありました。彼女は、自分が持っている武器を使い、しつこいほどに、裁判官に願いました。その結果、裁判官は動きました。彼は、正義を行なおうとしたのではなく、このままでは、自分の方が疲れ果ててしまうと考えて、裁判を行なうことにしたのです。やもめの忍耐が、不正な裁判官を動かしました。</p><p><br/></p><p><strong>ましてや神は</strong></p><p>私たちを失望させる要素は、いくらでもあります。イエスは、「しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」（8節）とお尋ねになりました。現代の日本人の姿を見ると、祈っても、何も変わらないような気になることがあります。熱心に祈ってきた祈りが、どうしても聞かれないと感じたとき、人は深い失望に襲われます。しかし、不正な裁判官でも動くとするなら、ましてや、私たちの神が祈りを聞いてくださらないはずがありません。今、イエスのことばから励ましを受けましょう。（1）私たちには、祈りを聞いてくださる天の父がおられます。（2）私たちには、正義があります。それは、イエス・キリストの十字架による正義です。（3）神は、すみやかに正しいさばきをしてくださいます。「すみやかに」とは、私たちのタイムテーブルに沿ったすみやかさではなく、神の時が満ちたときのすみやかさです。この三つの単純な真理に立ち返るなら、もう一度忍耐深い祈りの生活に戻っていくことができるのではないでしょうか。今私は、このメッセージを書きながら、神が何人かの兄弟姉妹に、「私は、あなたの涙と祈りを知っている。失望しないで、祈りつづけなさい。」と語りかけておられるのを感じています。あなたに、その声が聞こえますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。今日のデボーションを通して、再び祈りの力を回復させてくださったことを感謝します。失望せずに祈り続けることができますように、私をお導きください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=6FdH8AhYSW0" />
         <pubDate>2025-11-25 19:15:27 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書18：9～14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3699953001</link>
         <description><![CDATA[<p>9 自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。</p><p>10 「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。</p><p>11 パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。</p><p>12 私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』</p><p>13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』</p><p>14 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」</p><p><br/></p><p><strong>二つの祈り</strong></p><p><strong>パリサイ人の祈り</strong></p><p>パリサイ人と取税人とが、祈るために神殿に上りました。今日でも、エルサレムの西壁では、多くのユダヤ人たちが祈っています。特に目立つのが、黒い衣服をまとっている正統派のユダヤ人たちです。イエス時代に置きかえれば、彼らは、パリサイ派に属する信仰熱心なユダヤ人たちと言えるでしょう。このパリサイ人の祈りに注目してみましょう。彼の祈りに、ウソはありません。（1）まず彼は、自分が取税人や罪人のような暮らしをしていないことを感謝しました。（2）次に彼は、自分が律法の要求以上の行為を行なっていることを感謝しました。律法は、年に一度の断食（贖罪の日に）を命じていますが、彼は、週に二度も断食をしていました。また、律法は、収穫物の十分の一をささげるように命じていますが（申命記14：22）、彼は、自分の庭で育つハーブの類に至るまで、すべて十分の一をささげていました。では、このパリサイ人の何がまちがっていたのでしょうか。彼は、乗る路線をまちがえていました。彼の乗っていたのは、自己義認という路線であって、神の恵みという路線ではありませんでした。しかし、このような祈りは、パリサイ人の専売ではなく、私たちのものである可能性もあります。私たちの中に、「私は、このパリサイ人のようではないことを、感謝します。」という思いがあるなら、私たちも、まちがった路線に乗っている可能性があります。</p><p><br/></p><p><strong>取税人の祈り</strong></p><p>取税人の祈りの中には、深い悔い改めが表現されています。（1）彼は、遠く離れて立ちました。（2）目を天に向けようともしませんでした。当時のユダヤ人たちは、目を天に向けて祈るのが普通でした。（3）彼は、自分の胸をたたき続けました。文法的に、それが継続した動作であることがわかります。（4）彼は、神のあわれみにすがるしか道は残されていないことを知っていました。このたとえ話の結論は、義と認められたのは、パリサイ人ではなく、取税人であったという点にあります。これは、使徒パウロの教理と、一致します。「すべての人は、罪を犯したので、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」（ローマ人への手紙3：23～24）。このたとえ話は、あなたの祈りをどのように変えますか。あなたの神の愛に関する理解を、どのように変えますか。そして、あなたのあかしをどのように変えますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。どうか私が、天国に至る正しい路線に乗っていることを、日々確認できますように、お導きください。人知をはるかに超えた神の愛を感謝します。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=L38bLwxXLn4" />
         <pubDate>2025-11-26 19:13:12 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3699953001</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書18：15～30</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3701415926</link>
         <description><![CDATA[<p>15 イエスにさわっていただこうとして、人々がその幼子たちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちがそれを見てしかった。</p><p>16 しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。</p><p>17 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」</p><p>18 またある役人が、イエスに質問して言った。「尊い先生。私は何をしたら、永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」</p><p>19 イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかにはだれもありません。</p><p>20 戒めはあなたもよく知っているはずです。『姦淫してはならない。殺してはならない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。父と母を敬え。』」</p><p>21 すると彼は言った。「そのようなことはみな、小さい時から守っております。」</p><p>22 イエスはこれを聞いて、その人に言われた。「あなたには、まだ一つだけ欠けたものがあります。あなたの持ち物を全部売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」</p><p>23 すると彼は、これを聞いて、非常に悲しんだ。たいへんな金持ちだったからである。</p><p>24 イエスは彼を見てこう言われた。「裕福な者が神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。</p><p>25 金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」</p><p>26 これを聞いた人々が言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」</p><p>27 イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」</p><p>28 すると、ペテロが言った。「ご覧ください。私たちは自分の家を捨てて従ってまいりました。」</p><p>29 イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者で、だれひとりとして、</p><p>30 この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。」</p><p><br/></p><p><strong>子どもの信仰と富める若者</strong></p><p><strong>子どもの信仰</strong></p><p>弟子たちがなぜ、子どもたちがイエスに近づくのを見てしかったのか、よくわかりません。恐らく、これ以上イエスを煩わせるべきではないと考えたのでしょう。あるいは、子どもには、イエスの話はわからないという思いがあったのかもしれません。しかしイエスは、子どもの持っている単純な信頼と、愛を受け取る能力を高く評価されました。子どもには、大人にない霊性が与えられていることを思い、幼いころから、信仰のことばによって語りかけましょう。すぐに結果が出なくても、失望せずに語り続けましょう。</p><p><br/></p><p><strong>富める若者</strong></p><p>子どもの信仰と対照的なのが、富める若者の信仰です。結論から言いますと、二つの点で、大きな誤解が見られます。（1）神がどういう方かという点での誤解。彼はイエスに、「尊い先生。」と呼びかけています。しかし、この「尊い」という言い方は、神にのみ用いるべきことばであって、軽々しく口にしてはならないものでした。この若者は、神に関しても、イエスに関しても深く考えることなく、ただ、へつらいのことばを使っただけなのです。（2）律法がどういうものかという点での誤解。イエスは彼の誤解を解くために、十戒の中の、人と人との関係に関する律法をまず持ち出されました。彼の答えは、「そのようなことはみな、小さい時から守っております。」というものでした。そこでイエスは、持ち物を全部売って、貧しい人に分け与えるようにと命じます。それを聞いた彼は、非常に悲しんだとあります。この箇所は、わざによる救いを教えているのではありません。この若者の心が、神にではなく、財産にあったことを教えているのです。彼は、律法を守っていると言いながら、神を第一とするという律法の精神は、理解していませんでした。イエスは、「金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」（25節）とお語りになりました。イエスは、ユーモアに富んだお方でもあったようです。確かに、金持ち、才能豊かな人、地位のある人などは、神の恵みに拠りすがることに抵抗を感じる人たちです。しかし、貧しくても、豊かであっても、すべての人が、信仰により、恵みによって救われるという真理は変わりません。あなたのうちに、神の恵みを受け取ることを阻む何らかの要因がありますか。それらのものを、神にお返ししましょう。神は、さらに良きものを与えてくださいます（ピリピ人への手紙4：19）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。あなたに信頼することを妨害する「プライド」が、私の心に宿っていないかどうか、探ってください。すべての必要を満たされるあなたにのみ信頼することができますように。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=HuwRD294hQM" />
         <pubDate>2025-11-27 18:58:01 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書18：31～34</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3702766103</link>
         <description><![CDATA[<p>31 さてイエスは、十二弟子をそばに呼んで、彼らに話された。「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子について預言者たちが書いているすべてのことが実現されるのです。</p><p>32 人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。</p><p>33 彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」</p><p>34 しかし弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。彼らには、このことばは隠されていて、話された事が理解できなかった。</p><p><br></p><p><strong>受難の預言</strong></p><p><strong>十字架は勝利のしるし</strong></p><p>エルサレムに顔を向けながら旅を続けていたイエスは、再び、弟子たちにご自身の受難の預言をお語りになります。ここでは、異邦人に引き渡され、辱しめを受けてから殺されることが預言されます。まことに悲惨な死が預言されるわけですが、これは決して敗北の死ではありませんでした。神の敵（サタン）は、イエスを十字架につけた時点で、自らの勝利を確信したのでしょうが、神はすべてを支配しておられました。イエスの死は、復活に至る勝利の門だったのです。ここで私は、詩篇2篇のことばを思い出しました。「天の御座に着いておられる方は笑う。主はその者どもをあざけられる。」（4節）。私たちの人生にも、すべての希望が奪い去られるような出来事が起こります。しかし、もし私たちが、常に神のご支配の中に自分を置いているなら、恐れることはありません。絶望の先に、必ず希望がやって来ます。最も恐れるべきは、神のみこころから外れることです。あなたは、悲劇的な状況を見て、打ちひしがれていますか。今、神とともに歩む決心をしましょう。そうすれば、敗北は、勝利へと変えられます。</p><p><br></p><p><strong>霊の目が閉ざされていた弟子たち</strong></p><p>この時点では、弟子たちはイエスの受難の預言を全く理解することができませんでした。それは、彼らの霊の目が閉ざされていたからです。その目が開かれるためには、十字架と空になった墓を目撃する必要があったのです。死んだはずのイエスがよみがえられたことを確信した弟子たちは、全く変えられました。20世紀の後半になってから、多くのユダヤ人たちが、イエスをメシヤとして信じるようになって来ました。彼らのことを、メシアニック・ジューと言います。その彼らの多くが、イザヤ書53章のメシヤの受難の預言によって、イエスこそイスラエルのメシヤであるとの確信に導かれています。ユダヤ人であっても、異邦人であっても、イエスの十字架を通してでなければ救われません。十字架の意味に霊の目が閉ざされているなら、いかに表面的にクリスチャンらしく振舞ったとしても、その人は、神の目からは救われていない人なのです。あなたは、十字架の意味がぼやけているように感じていますか。もしそうなら、今、霊の目が開かれるように祈りましょう。十字架の意味を理解している人は、さらに深く神の愛を体験できるように、知恵と啓示の御霊を求めて祈りましょう。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。今、私の霊の目を開き、十字架の意味を深く悟らせてください。また、人生に起こってくる悲劇が、神の手の中にあって勝利に変えられるという信仰を、私にお与えください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=HUsXY4Q0kpU" />
         <pubDate>2025-11-28 22:36:01 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書18：35～43</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3703263387</link>
         <description><![CDATA[<p>35 イエスがエリコに近づかれたころ、ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをしていた。</p><p>36 群衆が通って行くのを耳にして、これはいったい何事ですか、と尋ねた。</p><p>37 ナザレのイエスがお通りになるのだ、と知らせると、</p><p>38 彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と言った。</p><p>39 彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめたが、盲人は、ますます「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び立てた。</p><p>40 イエスは立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられた。</p><p>41 彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです」と言った。</p><p>42 イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです」と言われると、</p><p>43 彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民はみな神を賛美した。</p><p><br/></p><p><strong>エリコの盲人</strong></p><p><strong>通じないことば</strong></p><p>イエスの一行が、エリコに近づきました。多くの群集が付き従っていたため、その物音は、遠くからでも聞こえました。道ばたに座っていた盲人の物乞いが、この物音に反応し、これは何事ですかと問います。当時の盲人は、他人の慈善にすがって生きるしか生活のすべはありませんでした。ナザレのイエスがお通りになると聞くと、彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と叫びました。周りの人たちは、彼をたしなめ、黙らせようとしました。恐らくこの盲人が、イエスから施しをもらおうとしているのだと理解したのでしょう。しかし彼は、この機会を逃すことはできないと考え、なおも叫び立てました。彼が求めていたのは、金銭ではなく、目が見えるようになることでした。彼は、イエスのことを、「ダビデの子のイエスさま。」と呼んでいます。それによって彼は、イエスこそ旧約聖書に預言されたメシアであるとの信仰を、表明していたのです。あなたは、心を開いて話したことが理解されないで、悲しい思いをしたことはありませんか。あるいは、他の人のことばを正しく受け止めなかったために、その人を傷つけたという経験はありませんか。人間のことばの限界に気づくとき、神にすべてを申し上げるチャンスが訪れています。</p><p><strong>理解してくださるイエス</strong></p><p>イエスは、その盲人をそばに呼び、お聞きになりました。「わたしに何をしてほしいのか。」イエスは、彼の願いをご存じなかったのでしょうか。もちろんそんなことはあり得ません。ではなぜお聞きになったのでしょうか。（1）それは、周りの人々に、彼らがこの盲人の悲痛な叫びの意味を理解していなかったことを教えるためでした。（2）またそれは、この盲人から信仰を引き出すためでもありました。彼は、はっきりと、「主よ。目が見えるようになることです。」と答えています。イエスは彼に、こうお語りになりました。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです。」（42節）。もちろん、信仰が奇蹟を生んだのではなく、神の力が働いた結果、彼の目がいやされたのです。信仰は、そのいやしを受け取る管となりました。この盲人は、イエスからほめていただけました。恐らく彼の人生で、このようにほめられたことは、これが初めてであったかもしれません。あなたを理解してくださるイエスに、今すべてを打ち明けましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。人に理解してもらおうとする願いが、あまりにも強すぎることがあります。お赦しください。今、すべてを理解してくださるあなたに信頼します。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-11-29 20:00:38 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書19：1～10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3703923978</link>
         <description><![CDATA[<p>1 それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。</p><p>2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。</p><p>3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。</p><p>4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。</p><p>5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」</p><p>6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。</p><p>7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。</p><p>8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」</p><p>9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。</p><p>10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」</p><p><br/></p><p><strong>エリコの取税人ザアカイ</strong></p><p><strong>悩み多きザアカイ</strong></p><p>有名な箇所です。まず、ザアカイの特徴を調べてみましょう。（1）頭の良い人でした。でなければ、「取税人のかしら」（2節）には、なれなかったでしょう。（2）大金持ちでした。エリコという町は、エルサレムと東方の国々とを結ぶ交通の要所です。また、その付近で採れるバルサム油の集約地でもありました。通行税を徴収する取税人たちにとっては、良い場所です。（3）背が低い人でした。（4）一般の人々からは、のけ者にされていました。ローマの手先となって働く、取税人だったからです。以上が彼の特徴ですが、そこから見えてくるザアカイ像は、「物質的な富は手に入れたが、人生に満足できないで、模索している人」というものです。あなたは、富を蓄積すれば、人生の問題は解決すると思っていますか。あるいは、物質的に豊かな人ほど、満足した人生を歩んでいると思いますか。物質的な豊かさが、人生の豊かさを決めるのではないことを覚えましょう。</p><p><br/></p><p><strong>イエスに見出されたザアカイ</strong></p><p>人は、どういう体験を経て、イエスに出会うのでしょうか。ザアカイの例から、四つのステップを学んでみましょう。（1）「イエスは、私を見ておられる。」（2）「イエスは、私の名前を知っておられる。」（3）「イエスは、私を招いておられる（木から降りて来なさい）。」（4）「イエスは、私を必要としておられる（あなたの家に泊まることにしてあるから）。」この四つのステップを体験したザアカイは、イエスを招き入れ、大宴会を開きました。そして、こう宣言しました。「私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」（8節）。律法によれば、通常の盗みの場合は、最初の額に五分の一を加えたものを返済することになっていました（レビ記6：5）。しかしザアカイは、四倍返しという方法をとりました。それは、動物を盗んで、それを売ったり殺したりした場合の賠償額です（出エジプト記22：1～2）。つまりザアカイは、律法が要求している以上の償いをすることで、自らの悔い改めを表現したのです。イエスは、「きょう、救いがこの家に来ました。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」（9～10節）とお語りになりました。イエスは、あなたを見ておられ、あなたのすべてをご存じです。この認識は、あなたの生き方のどこをどう変えますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。あなたが、私を知っていてくださること、また、私を招いてくださることを感謝します。今、あなたを私の家（心）にお迎えします。私の人生をお導きください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=asV2qoIlWVs" />
         <pubDate>2025-11-30 20:55:07 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書19：11～27</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3705572485</link>
         <description><![CDATA[<p>11 人々がこれらのことに耳を傾けているとき、イエスは、続けて一つのたとえを話された。それは、イエスがエルサレムに近づいておられ、そのため人々は神の国がすぐにでも現れるように思っていたからである。</p><p>12 それで、イエスはこう言われた。「ある身分の高い人が、遠い国に行った。王位を受けて帰るためであった。</p><p>13 彼は自分の十人のしもべを呼んで、十ミナを与え、彼らに言った。『私が帰るまで、これで商売しなさい。』</p><p>14 しかし、その国民たちは、彼を憎んでいたので、あとから使いをやり、『この人に、私たちの王にはなってもらいたくありません』と言った。</p><p>15 さて、彼が王位を受けて帰って来たとき、金を与えておいたしもべたちがどんな商売をしたかを知ろうと思い、彼らを呼び出すように言いつけた。</p><p>16 さて、最初の者が現れて言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、十ミナをもうけました。』</p><p>17 主人は彼に言った。『よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』</p><p>18 二番目の者が来て言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、五ミナをもうけました。』</p><p>19 主人はこの者にも言った。『あなたも五つの町を治めなさい。』</p><p>20 もうひとりが来て言った。『ご主人さま。さあ、ここにあなたの一ミナがございます。私はふろしきに包んでしまっておきました。</p><p>21 あなたは計算の細かい、きびしい方ですから、恐ろしゅうございました。あなたはお預けにならなかったものをも取り立て、お蒔きにならなかったものをも刈り取る方ですから。』</p><p>22 主人はそのしもべに言った。『悪いしもべだ。私はあなたのことばによって、あなたをさばこう。あなたは、私が預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈り取るきびしい人間だと知っていた、というのか。</p><p>23 だったら、なぜ私の金を銀行に預けておかなかったのか。そうすれば私は帰って来たときに、それを利息といっしょに受け取れたはずだ。』</p><p>24 そして、そばに立っていた者たちに言った。『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナ持っている人にやりなさい。』</p><p>25 すると彼らは、『ご主人さま。その人は十ミナも持っています』と言った。</p><p>26 彼は言った。『あなたがたに言うが、だれでも持っている者は、さらに与えられ、持たない者からは、持っている物までも取り上げられるのです。</p><p>27 ただ、私が王になるのを望まなかったこの敵どもは、みなここに連れて来て、私の目の前で殺してしまえ。』」</p><p><br/></p><p><strong>ミナのたとえ話</strong></p><p><strong>王から賞賛される人々</strong></p><p>エリコからエルサレムまでは、一日の道のり（約30キロ）です。人々は、イエスがエリコまで来られたので、神の国がすぐにでも現われるように思っていました。その誤りを正すために、イエスは、このたとえ話をお語りになりました。ある身分の高い人が、遠い国に行って、王位を受けて帰って来るというのが、このたとえ話の大筋です。ある身分の高い人とは、イエスのことです。遠い国に行くのですから、すぐには帰れません。つまりイエスは、十字架、復活、昇天の後、やがていつの日か、王として再び地上に戻って来られるということが暗示されています。主人は、十人のしもべたちに十ミナを与え、それで商売をするように命じます。一ミナは、労働者の百日分の労賃に相当します。マタイの福音書25章にある「一タラント」は、労働者六千日分の労賃です。それと比べると、一ミナは、たいした額ではありません。十人のしもべたち全員に同じ額が与えられ、小事に忠実かどうかが試されます。十人のしもべたちは、二つのグループに分かれました。積極的に商売をし、元手を増やしたグループと、元手をそのまましまい込んでいたグループです。前者は、主人から賞賛されます。「よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。」こうして、良きしもべたちには、儲けに応じた数の町がゆだねられます。また、悪いしもべたちの持分までも与えられるようになります。あなたにとって、小事に忠実であるとは何を意味していますか。神は、あなたの生き方を賞賛しておられますか。</p><p><br/></p><p><strong>王にさばかれる人々</strong></p><p>悪いしもべたちは、持っているものをすべて取り上げられます。彼らは、主人から預かったものを、恐れのために死蔵させていたからです。さばかれたのは、彼らだけではありません。この主人が王になることを望まなかった人々もさばきに会います。主人の非常に厳しいことばに注目しましょう。「ただ、私が王になるのを望まなかったこの敵どもは、みなここに連れて来て、私の目の前で殺してしまえ。」（27節）。どの時代にも、神を神として認めようとしない人たちがいます。彼らは、その選びの刈り取りをすることになります。これは、厳粛な事実です。今という時にどういう選びをするかは、生死にかかわる事柄です。あなたは、さばきの厳粛さを覚え、地上生涯を信仰をもって歩もうとしていますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。主イエスの再臨の日まで、忠実なしもべとして歩ませてください。まず、目先の小事に忠実であることから始めさせてください。さばきの日に起こる厳粛な出来事を、決して忘れることのありませんように、私をお助けください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=ghag3JMQj8A" />
         <pubDate>2025-12-01 19:08:44 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3705572485</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書19：28～40</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3707412323</link>
         <description><![CDATA[<p>28 これらのことを話して後、イエスは、さらに進んで、エルサレムへと上って行かれた。</p><p>29 オリーブという山のふもとのベテパゲとベタニヤに近づかれたとき、イエスはふたりの弟子を使いに出して、</p><p>30 言われた。「向こうの村に行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない、ろばの子がつないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて連れて来なさい。</p><p>31 もし、『なぜ、ほどくのか』と尋ねる人があったら、こう言いなさい。『主がお入用なのです。』」</p><p>32 使いに出されたふたりが行って見ると、イエスが話されたとおりであった。</p><p>33 彼らがろばの子をほどいていると、その持ち主が、「なぜ、このろばの子をほどくのか」と彼らに言った。</p><p>34 弟子たちは、「主がお入用なのです」と言った。</p><p>35 そしてふたりは、それをイエスのもとに連れて来た。そして、そのろばの子の上に自分たちの上着を敷いて、イエスをお乗せした。</p><p>36 イエスが進んで行かれると、人々は道に自分たちの上着を敷いた。</p><p>37 イエスがすでにオリーブ山のふもとに近づかれたとき、弟子たちの群れはみな、自分たちの見たすべての力あるわざのことで、喜んで大声に神を賛美し始め、</p><p>38 こう言った。「祝福あれ。主の御名によって来られる王に。天には平和。栄光は、いと高き所に。」</p><p>39 するとパリサイ人のうちのある者たちが、群衆の中から、イエスに向かって、「先生。お弟子たちをしかってください」と言った。</p><p>40 イエスは答えて言われた。「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」</p><p><br/></p><p><strong>イエスのエルサレム入城</strong></p><p><strong>平和の君イエス</strong></p><p>イエスは、ろばの子に乗られました。これには、三つの重要な意味があります。（1）ゼカリヤ書9：9の預言が成就しました。「見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。」（2）イエスは、公にご自身をメシヤとして人々の前に現わされました。（3）イエスは、平和の君として来られました。普通、王は馬に乗って入城します。ろばに乗るのは、平和の人、商人、祭司などです。この箇所を読みながら、私自身が興味を覚えたのは、あのろばの子がいなかったら、ゼカリヤ書の預言の成就はなかったということです。ろばの子の持ち主は、複数いました。（原語では、「主人たち」となっています。）一頭のろばの子を共有している貧しい人々の姿が目に浮かびます。彼らは、「主がお入用なのです。」ということばによって、ろばの子を差し出します。恐らく事前に、イエスとの間で、合いことばが決まっていたのでしょう。預言が成就するために、神は喜んで、貧しい人々が差し出すろばの子をお用いくださいました。神は今も、喜んで自分をささげる人々を通して、働いておられます。そのことを知ることは、あなたの生き方をどのように変えますか。</p><p><br/></p><p><strong>石が叫ぶ</strong></p><p>イエスと弟子たちの勇気に注目してみましょう。当時、ユダヤ人の指導者たちは、イエスを見つけたら通報するようにとの命令を出していました（ヨハネの福音書11：57）。逮捕の危険性を犯しながら、イエスは大胆にろばの子に乗って進んで行かれました。公に、自らがメシヤであることを表明されたのです。弟子たちも、勇気ある応答をしました。彼らは、大声で神を賛美し、こう叫びました。「祝福あれ。主の御名によって来られる王に。天には平和。栄光は、いと高き所に。」怒ったパリサイ人の何人かが、弟子たちを黙らせるようイエスに要求します。しかし、イエスの答えは、「もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」（40節）でした。イエスは、弟子たちの信仰と勇気を賞賛されたのです。さらにこのことばには、アブラハムの子孫であるユダヤ人たちがメシヤを称えないなら、異邦人たち（ユダヤ人から見たら石のような存在）がそれを始めるだろうという預言的な意味も込められています。信仰そのものが評価されないこの時代にあって、私たち自身が、叫ぶ石とならせていただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。どうか私を、主イエスの栄光をほめたたえる「叫ぶ石」とならせてください。今日一日の歩みの中で、あなたをあかしするチャンスを備えてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=D1xSofaX5AY" />
         <pubDate>2025-12-02 20:04:48 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書19：41～44</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3709066496</link>
         <description><![CDATA[<p>41 エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、</p><p>42 言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。</p><p>43 やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、</p><p>44 そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」</p><p><br/></p><p><strong>エルサレムのために涙するイエス</strong></p><p><strong>イエスの涙</strong></p><p>エルサレムを見たイエスは、涙されました。「泣いて」と訳されていることばは、「大声を上げて泣いて」とも訳せます。イエスがこうまで嘆かれた理由は、何でしょうか。（1）第一の理由は、エルサレムの住民を始めとするユダヤ人たちが、神が提供してくださったすばらしい機会を逸したからです。そのことをイエスは、「それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」（44節）と表現されました。メシヤであるイエスにあって神は、イスラエルの民を訪れ、神の国をもたらしてくださいました。しかし彼らは、メシヤであるイエスを拒否しました。（2）第二の理由は、メシヤを拒否した結果、彼らはその罪の刈り取りをするようになるからです。43、44節で、紀元70年に起こるローマ軍によるエルサレム攻略の預言がなされます。「おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。」（44節）との表現によって、エルサレムが完全に滅ぼされてしまうことがわかります。イエスがエルサレムに入城されたとき、群集は喜び、パリサイ人や律法学者たちは不快感を表明しました。しかしイエスは、そのような人間の思いとは全く異なった次元で、将来を見通して号泣ごうきゅうされたのです。あなたは、世間の常識に流されるタイプですか。あるいは、神の視点でものごとを見ることができますか。</p><p><br/></p><p><strong>神の訪れの時</strong></p><p>イスラエルの民が、「神の訪れの時」を逃してから、約2000年が経過しました。そして今再び、神は彼らに、「神の訪れの時」を与えておられます。1948年のイスラエルの建国は、20世紀に起こった最大の出来事のひとつです。ユダヤ人たちは再び国を回復し、多くのユダヤ人たちが世界各地から、祖国への帰還を開始しました。1999年現在で、イスラエルは600万人の人口を有する国となりました。その中から、イエスをメシヤと信じるユダヤ人たち（メシアニック・ジュー）が誕生するようになり、今やイスラエルでは、メシアニックジュイッシュ運動は、無視できない勢力になっています。ユダヤ人たちが、この「神の訪れの時」を再び逸することがないように、とりなしの祈りをささげましょう。また、私たち異邦人クリスチャンにとっても、今は「神の訪れの時」であることを覚え、イエスにお従いしましょう。イエスは、あなたを見て喜んでおられますか、それとも、涙しておられますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。あなたの民であるイスラエルが、「神の訪れの時」を再び逃すことのないように、お導きください。また、私自身が、「神の訪れの時」を自覚し、あなたにお従いする者となれますように。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=k2OKRadRTGU" />
         <pubDate>2025-12-03 19:07:48 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書19：45～48</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3710760761</link>
         <description><![CDATA[<p>45 宮に入られたイエスは、商売人たちを追い出し始め、</p><p>46 こう言われた。「『わたしの家は、祈りの家でなければならない』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にした。」</p><p>47 イエスは毎日、宮で教えておられた。祭司長、律法学者、民のおもだった者たちは、イエスを殺そうとねらっていたが、</p><p>48 どうしてよいかわからなかった。民衆がみな、熱心にイエスの話に耳を傾けていたからである。</p><p><br/></p><p><strong>宮きよめ</strong></p><p><strong>激怒するイエス</strong></p><p>イエスは、神殿で行なわれている出来事を見て、激怒されました。その理由を理解するために、次の二つの聖句に目を留めておきましょう。最初は、イザヤ書56：7です。「わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。」この聖句から、本来あるべき神の宮の姿が見えてきます。それは、「すべての民の祈りの家」であるべきなのです。次は、エレミヤ書7：11です。「わたしの名がつけられているこの家は、あなたがたの目には強盗の巣と見えたのか。そうだ。わたしにも、そう見えていた。――主の御告げ。――」この聖句から、預言者エレミヤの時代には、神の宮が悪用されていたことがわかります。イエスは、エレミヤが見たのと同じような忌むべきことを神の宮の中で見て、激怒されました。（1）神殿内で通用する貨幣は、ユダヤのシェケルだけでした。世界各地から神を礼拝するためにエルサレムに上ってきたユダヤ人たちは、両替人に高い手数料を払わねばなりませんでした。（2）いけにえの動物は、高い値段で神殿内で売られていました。これらの商売を仕切り、甘い汁を吸っていた元凶は、祭司階級です。彼らは、礼拝と祈りを商売に変えていたのです。</p><p><br/></p><p><strong>的を外した民</strong></p><p>神は、イスラエルの民に、「祭司の王国」（出エジプト記19：6）になるという使命をお与えになりました。彼らの役割は、仲介者として神と人との間に立つこと、また、神に従う民がいかに祝されるかを諸国民に示すこと、などでした。旧約聖書には、異邦人たちが、主のみおしえを聞くために、シオン（エルサレム）に上ってくるという預言がたくさんあります（ミカ書4章など）。イスラエルの民には、大いなる特権が与えられました。しかし、特権には義務が伴ないます。彼らは、その義務がなんであるかを忘れ、自己中心的に生きる民、的を外した民となってしまいました。イエスは、宮きよめを行ない、そこで民衆に教えることによって、神の民を本来あるべき姿に戻そうとされました。あなたは、イエス・キリストを信じ、クリスチャンになったことを喜んでいますか。では、クリスチャンの使命は、神の栄光を表わすことであるということを知っていましたか。信仰が、自己中心的なものになっていませんでしたか。今、聖霊によって、心をきよめていただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私の心をきよめてください。私を、聖霊の宮にふさわしい姿に変えてください。私の存在が、そのまま天の神の栄光を表わすものとなりますように、心から願います。主イエスの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-12-04 19:01:54 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書20：1～8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3712212164</link>
         <description><![CDATA[<p>1 イエスは宮で民衆を教え、福音を宣べ伝えておられたが、ある日、祭司長、律法学者たちが、長老たちといっしょにイエスに立ち向かって、</p><p>2 イエスに言った。「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。あなたにその権威を授けたのはだれですか。それを言ってください。」</p><p>3 そこで答えて言われた。「わたしも一言尋ねますから、それに答えなさい。</p><p>4 ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、人から出たのですか。」</p><p>5 すると彼らは、こう言って、互いに論じ合った。「もし、天から、と言えば、それならなぜ、彼を信じなかったか、と言うだろう。</p><p>6 しかし、もし、人から、と言えば、民衆がみなで私たちを石で打ち殺すだろう。ヨハネを預言者と信じているのだから。」</p><p>7 そこで、「どこからか知りません」と答えた。</p><p>8 するとイエスは、「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい」と言われた。</p><p><br/></p><p><strong>イエスの権威</strong></p><p><strong>口を閉ざすイエス</strong></p><p>パリサイ人と律法学者がイエスの敵であったことは、すでに学んできました。今日の箇所では、新しい敵が現われます。「祭司長、律法学者、長老たち」がそれです。彼らは、「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。あなたにその権威を授けたのはだれですか。」（2節）と問います。当然、イエスの宮きよめが念頭にあります。その問いに答える代わりに、イエスは彼らに問いかけます。「ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、人から出たのですか。」（4節）。ここで、彼らとイエスの立場が完全に逆転します。この質問は、彼らをジレンマに陥れました。「もし、天からと答えれば、ではなぜ信じなかったのかと言われるだろうし、人からと答えれば、怒った民衆が石を投げてくるに違いない。」彼らはそう考えたのです。そこで、「どこからか知りません。」と答えることにしました。彼らの心のかたくなさを見たイエスは、「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい。」（8節）と言われ、口を閉ざしてしまわれました。あなたには、イエスの語りかけが聞こえますか。あるいは、イエスが口を閉ざしておられるように感じていますか。もしそうなら、どこに原因があるか、考えてみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>イエスの声を聞く</strong></p><p>「祭司長、律法学者、長老たち」の間違いから学んでみましょう。（1）彼らは、上から下に命じるように、イエスに質問をしています。この姿勢があるうちは、イエスは沈黙されます。私たちは、「お話しください。しもべは聞いております。」（サムエル記第一3：10）と祈るべきなのです。（2）彼らは、単純なことでも認めることができませんでした。私たちも、小さなこと、当然わかりきったことを実践に移していないなら、より重要な点、複雑な点に関して、イエスの声を聞くことはできません。（3）彼らは、イエスの権威を疑っていました。しかし、イエスの声を聞こうとするなら、イエスの権威に対する信頼がなければなりません。信仰がなければ、神を喜ばせることはできないのです。イエスが復活されたときのことを思い出してください。イエスは、弟子たちにだけご自身を表わされました。信仰のない者が、復活のイエスに出会うことはありませんでした。主権は神にあります。私たちの神は、全知全能のお方であることを思い、すべての重荷を今、この方にゆだねましょう。　</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。小さなこと、当然わかりきったことを実践に移さないままで、より重要な点、複雑な点に関して、あなたの御声を聞こうとしていました。愚かな私をお赦しください。どうか私に、柔らかな心をお与えください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-12-05 19:02:49 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書20：9～18</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3712873381</link>
         <description><![CDATA[<p><strong><br></strong>9 また、イエスは、民衆にこのようなたとえを話された。「ある人がぶどう園を造り、それを農夫たちに貸して、長い旅に出た。</p><p>10 そして季節になったので、ぶどう園の収穫の分けまえをもらうために、農夫たちのところへひとりのしもべを遣わした。ところが、農夫たちは、そのしもべを袋だたきにし、何も持たせないで送り帰した。</p><p>11 そこで、別のしもべを遣わしたが、彼らは、そのしもべも袋だたきにし、はずかしめたうえで、何も持たせないで送り帰した。</p><p>12 彼はさらに三人目のしもべをやったが、彼らは、このしもべにも傷を負わせて追い出した。</p><p>13 ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』</p><p>14 ところが、農夫たちはその息子を見て、議論しながら言った。『あれはあと取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』</p><p>15 そして、彼をぶどう園の外に追い出して、殺してしまった。こうなると、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。</p><p>16 彼は戻って来て、この農夫どもを打ち滅ぼし、ぶどう園をほかの人たちに与えてしまいます。」これを聞いた民衆は、「そんなことがあってはなりません」と言った。</p><p>17 イエスは、彼らを見つめて言われた。「では、『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石となった。』と書いてあるのは、何のことでしょう。</p><p>18 この石の上に落ちれば、だれでも粉々に砕け、またこの石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛び散らしてしまうのです。」</p><p><br/></p><p><strong>悪い農夫のたとえ</strong></p><p><strong>イスラエルは神のぶどう園</strong></p><p>イスラエルをぶどう園にたとえるのは、イザヤを始め、旧約聖書の預言者たちがよく用いた手法です（イザヤ書3：14～15、5：1～7など参照）。ぶどう園の主人とは、父なる神です。ぶどう園はイスラエルの民、農夫たちはイスラエルのリーダーたち、そして、しもべは預言者たちです。三人のしもべが遣わされていますが、農夫たちは、そのすべてを袋叩きにして、追い返しました。三人のしもべとは、（1）捕囚期前の預言者たち、（2）捕囚期後の預言者たち、そして、（3）バプテスマのヨハネとイエスの弟子たちを指します。最後に遣わされたのが、「愛する息子」、つまり、メシヤです。しかし、彼らは、そのお方さえも拒否します。「そして、彼をぶどう園の外に追い出して、殺してしまった。」（15節）。これは、イエスの十字架の預言です。ぶどう園の主人は、ついに重大な決断を下します。「彼は戻って来て、この農夫どもを打ち滅ぼし、ぶどう園をほかの人たちに与えてしまいます。」（16節）。このさばきのメッセージは、紀元70年にエルサレムが崩壊したときに、成就しました。</p><p><br/></p><p><strong>今日的適用</strong></p><p>一般的には、このたとえ話から、「神の国は、イスラエルから取り去られ、異邦人に与えられた。」というふうに結論づけます。この解釈は、「置換神学」に基づいたものです。「置換神学」とは、「イスラエルは神から見捨てられ、教会が新しいイスラエルになった。」という神学的主張で、教会史の初期の段階（恐らく紀元3、4世紀頃）から採用されてきたものです。しかし、このたとえ話は、本当にそういうことを教えているのでしょうか。イエスが意図されたことは、「神のぶどう園は、当時のイスラエルのリーダーたちから取り去られ、別の世代の、別のリーダーたちにゆだねられるようになる。」ということです。イスラエルは神から完全に見捨てられたのではなく、時が来ると、再び実をつけるようになります。その預言が、イザヤ書27：2～6にあります。もし、置換神学の立場に立つなら、旧約聖書にちりばめられたイスラエル回復の預言は、どう解釈すればよいのでしょうか。今、なすべきことが二つあります。（1）反ユダヤ主義の罪を悔い改めること。（2）神が、愛と忍耐をもって何度も私たちに語りかけてくださったことを感謝すること。あなたは、神の語りかけを無駄にしてはいませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。異邦人の教会が、長い間反ユダヤ主義の立場に立ってきたことをお赦しください。どうか、あなたの民イスラエルを祝福してください。また、私自身が、愛と忍耐をもって語りかけてくださるあなたのことばに従うことができますように、お導きください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=B9zH0IGXJEQ" />
         <pubDate>2025-12-06 20:15:30 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書20：19～26</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3713447041</link>
         <description><![CDATA[<p>19 律法学者、祭司長たちは、イエスが自分たちをさしてこのたとえを話されたと気づいたので、この際イエスに手をかけて捕らえようとしたが、やはり民衆を恐れた。</p><p>20 さて、機会をねらっていた彼らは、義人を装った間者を送り、イエスのことばを取り上げて、総督の支配と権威にイエスを引き渡そう、と計った。</p><p>21 その間者たちは、イエスに質問して言った。「先生。私たちは、あなたがお話しになり、お教えになることは正しく、またあなたは分け隔てなどせず、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。</p><p>22 ところで、私たちが、カイザルに税金を納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」</p><p>23 イエスはそのたくらみを見抜いて彼らに言われた。</p><p>24 「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。これはだれの肖像ですか。だれの銘ですか。」彼らは、「カイザルのです」と言った。</p><p>25 すると彼らに言われた。「では、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」</p><p>26 彼らは、民衆の前でイエスのことばじりをつかむことができず、お答えに驚嘆して黙ってしまった。</p><p><br/></p><p><strong>カイザルのものはカイザルに</strong></p><p><strong>イエスを陥れる質問</strong></p><p>律法学者、祭司長たちは、イエスを捕らえようとしました。しかし、民衆の暴動を恐れた彼らは、ローマ総督の力によってイエスを抹殺する計画を立てます。税金問題を取り上げるなら、必ずイエスを陥れることができるはずです。彼らは、スパイを送り、イエスにこのように質問させます。「ところで、私たちが、カイザルに税金を納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」（22節）。もし、「律法にかなっていない。」という答えが返ってくれば、ローマ総督に訴えることができます。「律法にかなっている。」という答えであれば、イエスは完全に民衆の支持を失います。どちらの答えでも、イエスにとっては不都合な結果をもたらします。しかしイエスは、すばらしい知恵を発揮し、敵の策略を破壊されました。あなたは今、困難な問題に直面していますか。もしそうなら、上からの知恵を求めましょう。「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」（ヤコブの手紙1：5）。</p><p><br/></p><p><strong>イエスの答え</strong></p><p>イエスは、デナリ銀貨にカイザル（皇帝テベリオ）の肖像が刻まれていることを確認させた後、「では、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」（25節）とお答えになりました。当時のパレスチナでは、数種類のコインが流通していました。ローマのコイン、ギリシヤのコイン、ツロのコイン、そして、ユダヤのコインなどです。ローマの税金は、ローマのコインで納めるという規定がありました。宗教的なユダヤ人たちは、ローマのコインを持つことを極力さけていました。それが必要になった場合は、自分でデナリ銀貨を鋳造し、ローマに税金を支払っていました。こういう背景の下でイエスは、「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に。」とお答えになったのです。私たちは、地上の市民権と天上の市民権を持っています。神に従順であることが、私たちの第一義的な使命ですが、地上の支配者への責務も無視してはなりません。（地上の支配者が、神の領域に侵入できないことは言うまでもありません。）神への従順と、地上の権威への従順とは、必ずしも矛盾しません。あなたは、クリスチャンであるがゆえに、地上のルールを守ろうと、人一倍努力をしてきましたか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私の国籍が天にあることを感謝します。あなたの栄光を現わすために、神を知らない人たち以上に、地上のルールを守ることができますように、私をお導きください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=TMiSoALAhCM" />
         <pubDate>2025-12-07 19:13:28 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書20：27～40</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3714995494</link>
         <description><![CDATA[<p>27 ところが、復活があることを否定するサドカイ人のある者たちが、イエスのところに来て、質問して、</p><p>28 こう言った。「先生。モーセは私たちのためにこう書いています。『もし、ある人の兄が妻をめとって死に、しかも子がなかった場合は、その弟はその女を妻にして、兄のための子をもうけなければならない。』</p><p>29 ところで、七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子どもがなくて死にました。</p><p>30 次男も、</p><p>31 三男もその女をめとり、七人とも同じようにして、子どもを残さずに死にました。</p><p>32 あとで、その女も死にました。</p><p>33 すると復活の際、その女はだれの妻になるでしょうか。七人ともその女を妻としたのですが。」</p><p>34 イエスは彼らに言われた。「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、</p><p>35 次の世に入るのにふさわしく、死人の中から復活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。</p><p>36 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、復活の子として神の子どもだからです。</p><p>37 それに、死人がよみがえることについては、モーセも柴の個所で、主を、『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んで、このことを示しました。</p><p>38 神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。というのは、神に対しては、みなが生きているからです。」</p><p>39 律法学者のうちのある者たちが答えて、「先生。りっぱなお答えです」と言った。</p><p>40 彼らはもうそれ以上何も質問する勇気がなかった。</p><p><br/></p><p><strong>サドカイ人の復活に関する質問</strong></p><p><strong>サドカイ人の誤解</strong></p><p>ルカの福音書で「サドカイ人」ということばが出てくるのは、ここだけです。彼らは、貴族階級、祭司階級からなる体制派のグループで、死者の復活を否定していました。さて、申命記25：5は、兄弟が子どもを残さないで死んだ場合は、夫の兄弟が死んだ者の妻をめとり、子どもを残すようにと命じています。サドカイ人たちは、この教えを盾にとって、イエスに迫ります。「七人の兄弟が子を残さずに次々と死んだ場合、彼らの妻となった一人の女は、復活の世ではだれの妻になるか。」彼らが言いたかったのは、律法の教え自体が、復活を否定しているのではないかということです。イエスは、彼らの誤解を指摘されます。（1）この世と、次の世とでは、そのあり方が根本的に異なる。（2）次の世では、結婚関係はない。人は死ぬことができないので、子孫を残す必要がなくなるからである。（3）しかし、愛の関係がなくなるわけではない。そこでは、より祝された人間関係が出現する。私たちは、次の世では、「御使い（天使）」のようになり、また、より根源的な意味で「神の子」となる。あなたは、自分の人生を、この世の視点だけでなく、次の世の視点からも眺めてきましたか。それは、今という時を、より良く生きるために必要なことです。</p><p><br/></p><p><strong>旧約聖書の証言</strong></p><p>イエスは、旧約聖書の有名な箇所（出エジプト記3：6）を引用し、復活の教理は、そこに明確に教えられていることを示されました。神はご自身を、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神。」として現わされました。イエスの時代には、アブラハムも、イサクも、ヤコブも、すでに死んでいて、この地上には存在しませんでした。しかし、神は、彼らと関係を持ち続けておられました。と言うことは、彼らの姿は見えませんが、彼らは次の世で生き続けているということです。ここで驚くべき真理が啓示されます。つまり、復活のいのちは、霊魂の不滅といった哲学的な議論によってではなく、神の愛は永遠であるという真理によって証明されるのです。永遠のいのちがあるという何よりの証明は、永遠に変わることのない神の愛にあります。主にあって死んだ者は幸いです。愛する者との、次の世での再会が約束されているからです。あなたは、自分が救われただけで満足していますか。愛する家族や友人が、一日も早く、このすばらしい救いを受け取る者となりますように、祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたの愛が永遠であるがゆえに、私に永遠のいのちが約束されていることを教えられ、感謝します。自分の救いだけで満足していた私を、お赦しください。どうか、愛する者たちに、熱心に福音を伝えることができますように私を励ましてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=GL1BUcWOESw" />
         <pubDate>2025-12-08 19:45:48 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書20：41～47</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3716639258</link>
         <description><![CDATA[<p>41 すると、イエスが彼らに言われた。「どうして人々は、キリストをダビデの子と言うのですか。</p><p>42 ダビデ自身が詩篇の中でこう言っています。『主は私の主に言われた。</p><p>43 「わたしが、あなたの敵をあなたの足台とする時まで、わたしの右の座に着いていなさい。」』</p><p>44 こういうわけで、ダビデがキリストを主と呼んでいるのに、どうしてキリストがダビデの子でしょう。」</p><p>45 また、民衆がみな耳を傾けているときに、イエスは弟子たちにこう言われた。</p><p>46 「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが好きで、また会堂の上席や宴会の上座が好きです。</p><p>47 また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」</p><p><br/></p><p><strong>キリストはダビデの子か？</strong></p><p><strong>イエスの質問</strong></p><p>糾弾する者たちの問いに答えていたイエスは、最後に、一つの質問を投げかけます。それは、「どうして人々は、キリストをダビデの子と言うのですか。」（41節）というものです。この質問によって、彼らのまちがったメシヤ観を正そうとされたのです。当時のユダヤ人たちは、昔生きていた人のほうが偉大で、今の人はそれには及ばないと考えていました。従って、「ダビデの子」として来られるメシヤも、ダビデ王以下の存在と考えられていたのです。その結果、彼らのメシヤ観に、二つの欠陥が生じていました。（1）メシヤは、ダビデの再来であり、ダビデが行なったのと同じわざを行なうであろうという理解。（2）メシヤは、イスラエルを政治的に解放してくれる王であるという理解。つまり、彼らのメシヤ観は、極めて国粋主義的なものだったのです。この偏狭なメシヤ観を正すために、イエスは、詩篇110：1を引用し、「こういうわけで、ダビデがキリストを主と呼んでいるのに、どうしてキリストがダビデの子でしょう。」（44節）と問いかけられたのです。イエスが主張したかったのは、次のことです。「ダビデのメシヤ観は、決して偏狭なものではなかった。それは彼が、キリスト（メシヤ）を主と呼んでいることからもわかる。キリストは、全人類の救い主となられるお方である。」今日の箇所は、私たち異邦人には難解な箇所かもしれません。しかし、ここには重要な教訓が込められています。だれでも、自分なりのメシヤ観を持っています。問題は、それが聖書的なものか、自分勝手なものかということです。もし私たちのキリスト理解が偏狭なものなら、私たちのクリスチャン生活は、神の意図するものにはなり得ません。今、イエスの栄光、力、愛、恵み、知恵の深さを思い、この方に礼拝をささげましょう。</p><p><br/></p><p><strong>イエスの警告</strong></p><p>律法学者たちの誤りから、学ばせていただきましょう。（1）彼らは、神の前でどう見えるかよりも、人の前でどう見えるかに関心を注いでいました。「長い衣」、「会堂の上席や宴会の上座」ということばが、それを示しています。（2）彼らは、貪欲の霊に支配されていました。「やもめの家を食いつぶす」とあります。（3）彼らは、見せかけの敬虔さを装っていました。「見えを飾るために長い祈りをする」とあります。これらの三つの誤りは、私たちへの警告ともなっています。今、聖霊に心の中を探っていただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。救い主イエス・キリストを、あまりにも小さく捉えていたことをお赦しください。自己流の信仰、自己流のキリスト理解から私を解放し、日々神の愛と力とを体験するクリスチャン生活を歩ませてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-12-09 19:29:21 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書21：1～4</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3718127725</link>
         <description><![CDATA[<p>1 さてイエスが、目を上げてご覧になると、金持ちたちが献金箱に献金を投げ入れていた。</p><p>2 また、ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨二つを投げ入れているのをご覧になった。</p><p>3 それでイエスは言われた。「わたしは真実をあなたがたに告げます。この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん投げ入れました。</p><p>4 みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。」</p><p><br/></p><p><strong>貧しいやもめの献金</strong></p><p><strong>人間の目</strong></p><p>イエスは、神殿の中で人々が献金をささげている様子をご覧になりました。婦人の庭と呼ばれた所に、トランペットの形をした13の献金箱が置かれており、各々の箱には、献金の使用目的が記されてありました。金持ちたちが献金を投げ入れていました。多額の献金をささげる者もいたことでしょう。そのそばに、一人のやもめが近づいてきました。当時のユダヤでは、やもめが生計を立てるのは非常に困難で、「やもめ」ということば自体が、極貧を意味するほどでした。金持ちと、このやもめの姿は、対照的です。その彼女が、レプタ銅貨二枚を投げ入れました。レプタというのは、ユダヤの貨幣の中では最小単位のものです。マルコの福音書に並行記事がありますが、そこでは、ローマ人（異邦人）の読者のことを考え、「それ（レプタ二枚）は、1コドラントに当たる。」との説明が挿入されています（マルコの福音書12：42）。当時のローマの銭湯の入浴料は、1コドラントであったと言われていますから、おおよそ見当がつきます。聖書注解者の中には、レプタ二枚は、献金として許される最小の額であったと主張する人もいます。彼女の献金額を横目で見ながら、「フン！」とつぶやいている金持ちの姿が目に浮かぶようです。</p><p><br/></p><p><strong>イエスの目</strong></p><p>イエスは、人間の評価とは別の評価を下されました。「この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。」（3～4節）。「どの人よりもたくさん」ということばを直訳すると、「全員の献金額を総計したものよりもたくさん」となります。イエスは、献金した額よりも、献金した後に残った額を問題にされたのです。その視点から言うと、やもめの献金は、最も犠牲的な献金であったことになります。すべてをささげた彼女は、その日の夕食をどうしたのでしょうか。聖書には、何も書かれていません。しかし、隣の人が、温かいパンとスープを運んでくれたと思いたいです。あわれみ深い天の父は、そのように貧しい者を省みてくださる方ですから。物事を評価する際、複視眼的な視点を持つことは、大切なことです。単に表面だけで判断するのではなく、イエスさまならこれをどう評価されるだろうかという視点を絶えず持つことです。今日一日、イエスの視点を意識しながら過ごしてみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。表面的にしか物事を判断してこなかったことが多くあります。お赦しください。イエスさまの視点で物事を見るということは、なんとすばらしいことでしょうか。どうか私を、新しい価値基準で生きる者と変えてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-12-10 19:09:16 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書21：5～11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3719677849</link>
         <description><![CDATA[<p>5 宮がすばらしい石や奉納物で飾ってあると話していた人々があった。するとイエスはこう言われた。</p><p>6 「あなたがたの見ているこれらの物について言えば、石がくずされずに積まれたまま残ることのない日がやって来ます。」</p><p>7 彼らは、イエスに質問して言った。「先生。それでは、これらのことは、いつ起こるのでしょう。これらのことが起こるときは、どんな前兆があるのでしょう。」</p><p>8 イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私がそれだ』とか『時は近づいた』とか言います。そんな人々のあとについて行ってはなりません。</p><p>9 戦争や暴動のことを聞いても、こわがってはいけません。それは、初めに必ず起こることです。だが、終わりは、すぐには来ません。」</p><p>10 それから、イエスは彼らに言われた。「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、</p><p>11 大地震があり、方々に疫病やききんが起こり、恐ろしいことや天からのすさまじい前兆が現れます。</p><p><br/></p><p><strong>終わりの日に関する教え（その1）</strong></p><p><strong>弟子たちを準備するイエス</strong></p><p>共観福音書（マタイ、マルコ、ルカ）のすべてに、「終わりの日に関する教え」が記録されています。この教えは大変難解です。その理由は、世の終わりに起こることと、神殿の崩壊（紀元70年に起こること）とが、同列に論じられているからです。イエスの教えを理解するために、以下の点をまず確認しておきましょう。（1）イエスは、世の終わりにおける神の勝利を保証しておられます。（2）エルサレムの崩壊と実際の世の終わりとの間には、かなり長い時間が経過することが前提となっています。（3）イエスは、どの時代の弟子たちであっても、世の終わりのための準備ができていることを願われました。世の終わりがいつ来るかは、だれにもわかりません。それは、恵みでもあります。わからないがゆえに、私たちは、いつ世の終わりが来ても大丈夫という生き方を心がけるのです。もし今日、主イエスの再臨があるとしたら、それはあなたにとって喜びとなりますか。もし恐れを感じるとしたら、その原因となっているものを神に告白し、処理していただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>終わりの日の前兆</strong></p><p>人々が神殿の豪華さに驚嘆していたとき、イエスはその神殿の完全な崩壊を預言されました。弟子たちは、イエスに質問しました。「先生。それでは、これらのことは、いつ起こるのでしょう。これらのことが起こるときは、どんな前兆があるのでしょう。」（7節）。イエスは、いくつかの前兆を挙げられました。（1）にせキリストの出現。自分こそメシヤであると主張する人が多く現われ、人々を混乱に陥れます。今はまさにそのような時代ではないでしょうか。（2）民族紛争の多発。冷戦構造が終わったとき、当時のアメリカ大統領であったブッシュ氏は、「世界の新秩序の到来」を宣言しました。しかし現実に起こっていることは、「秩序の迷走」です。自らの安全保障に関する不安感が原因となって、世界各地で民族紛争が起こり始めています。（3）大地震や疫病、ききん。トルコの大地震の直後、台湾でも大地震が起こり、私たちの心を悲しませました。地球上のだれひとり、私は安全だといえる人はいないはずです。このような前兆を眺めてくると、伝道のための時は、あまり残されていないように感じます。あなたは、緊急性をもって、福音を伝えていましたか。今日、神があなたの前に置かれる人に、神の愛を伝えましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。イエスさまがお教えくださった世の終わりの前兆が、今、明確に起こっています。福音を伝えるとき、緊急意識が乏しかったことをお詫びします。あなたが私の前に置かれる方々に、あなたの愛をお伝えすることができますように、私を強めてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=7aF7_sBcKgA" />
         <pubDate>2025-12-11 19:06:46 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書21：12～19</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3721026208</link>
         <description><![CDATA[<p>12 しかし、これらのすべてのことの前に、人々はあなたがたを捕らえて迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう。</p><p>13 それはあなたがたのあかしをする機会となります。</p><p>14 それで、どう弁明するかは、あらかじめ考えないことに、心を定めておきなさい。</p><p>15 どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます。</p><p>16 しかしあなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。中には殺される者もあり、</p><p>17 わたしの名のために、みなの者に憎まれます。</p><p>18 しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。</p><p>19 あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます。</p><p><br/></p><p><strong>終わりの日に関する教え（その2）</strong></p><p><strong>迫害の預言</strong></p><p>イエスは弟子たちに、再臨や世の終わりが来る前に、迫害と裏切り、そして殉教の長い歴史が続くであろうことを預言なさいました。（1）迫害の確実性。イエスの弟子たちは、会堂から追い出され、親兄弟、親戚、友人たちから裏切られるような経験をするようになります。会堂は、ユダヤ人共同体の中核をなしており、そこから追放されることは、ユダヤ人としての生活ができなくなることを意味しました。（2）神の守りの確実性。しかし、迫害の真っ只中でも、神は弟子たちを見捨てず、恵みによって必要なことばと知恵と力とを与えてくださいます。（3）神の勝利の確実性。「しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。」（18節）とあります。迫害にあっている者は、この約束によって、神がすべての状況を支配しておられることと、最終的な神の勝利が約束されていることを信じなければなりません。人生には、不可解なことが多々あります。個々人の役割が、神の計画の中でどのように位置づけられているのかを理解できないこともしばしばです。しかし、信仰者はこう告白します。「神のご計画は、最善である。」と。</p><p><br/></p><p><strong>迫害の歴史</strong></p><p>新約聖書に記録された最初の迫害は、ペテロとヨハネの逮捕です（使徒の働き3～5章）。次に、ステパノの殉教の死（使徒の働き8章）、エルサレム教会に対する激しい迫害と続きます。迫害者の一人であったパウロは、回心後、自らが迫害を受ける身となります（コリント人への手紙第二11：23～33参照）。クリスチャンに対する組織的な迫害は、ネロ帝の時代に起こりました。パウロとペテロが殉教したのもこのときです。それ以降、コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認するとき（313年）まで、約2世紀にわたって迫害が続きました。中世から近世にかけても、キリスト教内部では、多数派（正統派）が少数派（異端）を迫害するという出来事が起こっています。近代に入ってからは、共産圏のクリスチャンが、激しい迫害に会いました。日本においても、迫害の歴史があります。江戸時代のキリシタン迫害、また、満州事変（1931年）以降のクリスチャンに対する迫害がそれです。あなたは、自分は迫害とは無関係だと思っていましたか。今も世界各地には、迫害に苦しむ多くの兄弟姉妹たちがいます。彼らのためにとりなしの祈りをささげると同時に、自らも、迫害に対する備えをさせていただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。今、私たちに与えられている信教の自由のゆえに感謝します。と同時に、迫害に苦しむ多くの兄弟姉妹のために祈ります。どうか、その苦しみに勝利する力を与えてください。また私自身が、いつ降りかかるかもしれない迫害への備えをすることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=-7t3TBX_lRo" />
         <pubDate>2025-12-12 19:56:59 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書21：20～24</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3721538605</link>
         <description><![CDATA[<p>20 しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。</p><p>21 そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ちのきなさい。いなかにいる者たちは、都に入ってはいけません。</p><p>22 これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。</p><p>23 その日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。この地に大きな苦難が臨み、この民に御怒りが臨むからです。</p><p>24 人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。</p><p><br/></p><p><strong>終わりの日に関する教え（その3）</strong></p><p><strong>エルサレムの滅亡（紀元70年）</strong></p><p>イエスは、まもなく起ころうとしている出来事として、エルサレムの滅亡を預言されました。（1）それは、不信仰に対する神のさばきです。「報復の日」（22節）ということばがそれを示しています。（2）この預言は、紀元70年に、ローマ軍がエルサレムを陥落させたときに成就しました。ヨセフスは、110万人のユダヤ人が戦死したと書いています。これは誇張であるにしても、膨大な数の戦死者が出たことだけは確かです。（3）イエスは、弟子たちを守るために、この預言をお語りになりました。ローマ軍の包囲が始まると、弟子たちはこの預言を思い起こし、ペラという町（デカポリスの町のひとつ）に避難しました。神は、試練が来る前にご自分の民を準備されたのです。1999年の秋、家内が5週間入院したとき、私も神の守りを経験しました。この年は、ハーベストの番組制作を夏の間に大量に終えるように導かれており、9月と10月は、制作予定のない月になっていました。もし通常の制作予定で動いていたら、私もスタッフたちも、パニック状態になっていたことでしょう。神の先回りの愛に感謝しました。あなたの人生にも、神は同じような祝福を用意しておられます。試練の中でも、神のご計画がなることを信じ続けましょう。</p><p><br/></p><p><strong>エルサレムの回復（1967年）</strong></p><p>紀元70年は、ユダヤ人の歴史の分水嶺です。これ以降彼らは、約1900年間にわたって、地上を放浪する民となりました。散らされた先々で迫害が彼らを襲いましたが、彼らの心からエルサレムが消え去ったことは一度もありません。彼らは、「来年はエルサレムで！」を合いことばに、シオンの地に帰還する日を信じ続けてきたのです。そしてついに、1948年にイスラエル国家が誕生し、1967年の第三次中東戦争で、エルサレムはイスラエルの手に回復されました。エルサレム回復の時点（1967年）で、「異邦人の時」（24節）が終わったと考える学者もいます。この状態をもってして、イスラエルがエルサレムを完全に支配下に治めたとは言えませんので、必ずしも「異邦人の時」が終わったとは言えないと思います。いずれにしても、異邦人の救いの完成がユダヤ人の救いの時代を来たらせ、ユダヤ人の救いがイエス・キリストの再臨を来たらせることだけは明らかです。最近、聖書から目が離れていませんでしたか。聖書預言が次々と成就する時代に生かされていることを感謝し、神のことばに信頼して歩みましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの聖なる神よ。聖書預言が次々と成就する時代に生かされていることを感謝します。どうか、あなたの民イスラエルを守り、お救いください。主イエスの再臨の時まで、忠実なしもべとしての生活ができますように、私をお導きください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=uGohMGy1dH4" />
         <pubDate>2025-12-13 20:57:20 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書21：25～28</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3722073786</link>
         <description><![CDATA[<p>25 そして、日と月と星には、前兆が現れ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、</p><p>26 人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。</p><p>27 そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。</p><p>28 これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」</p><p><br/></p><p><strong>終わりの日に関する教え（その4）</strong></p><p><strong>人の子の到来</strong></p><p>話題は、エルサレム崩壊の預言から、世の終わりの兆候に移ります。25～26節のことばは難解です。黙示文学では、このような表現がよく用いられます。その意味するところは、突然、激しい変化が起こり、新しい世界の秩序が到来するということです。その時こそ、「人の子」（27節）が、栄光の姿をもって地上に再臨する時です。旧約聖書には、メシヤの来臨に関する二つの異なった預言があります。（1）最初は、イザヤ書53章にあるような、苦難のしもべとしてのメシヤ像。（2）次に、ダニエル書7：13にあるような、「天の雲に乗ってくる人の子のような方」というメシヤ像。ユダヤ人たちは、最初のメシヤ像は退け、第二のメシヤ像は受け入れていました。彼らが十字架のイエスにつまずいたのも当然と言えます。イエスが十字架にかけられる時は近づいていましたが、イエス自身は、十字架を通り越して、その先に来る世の終わりの前兆と、ご自身の再臨について弟子たちにお話しになりました。あなたは、十字架を信じたところで留まっていませんか。激動の時代を生き抜くためには、聖書的歴史観を身につける必要があります。世界の歴史は、イエスが預言されたとおりの方向に進んでいます。</p><p><br/></p><p><strong>贖いの完成</strong></p><p>イエスは、「これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」（28節）とお語りになりました。「贖い」ということばには、買い取る、身の代金を払って身受けするという意味があります。それが転じて、このことばは、束縛や捕われの状態からの解放を意味するようになりました。私たちは、イエスの十字架によって、（1）律法から贖われ、また、（2）罪からも贖われました。これは、現実に私たちに与えられている祝福です。しかし、その贖いの事実の完成は、イエスの再臨を待たねばなりません。そのとき、私たちが「神のすがた」に似せて造られているということがどういうことか、また、アダムにあって失い、キリストにあって回復された神の子としての特権が、どんなにすばらしいものであるかを知るようになります。あなたのクリスチャン生活は、マンネリ化していませんでしたか。イエス・キリストの十字架によってすでに贖われているという事実に感謝すると同時に、その贖いが、私たちの想像もつかないような形に完成させられることを信じ、待ち望みましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。私はすでに贖われました。そのことを感謝します。と同時に、その贖いが、主イエスの再臨のときに完成することを信じ、それを待ち望みます。どうか私の信仰がマンネリ化することのないように、日々新しい発見をお与えください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=LogVTf5_tSs" />
         <pubDate>2025-12-14 20:03:23 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書21：29～38</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3723435839</link>
         <description><![CDATA[<p>29 それからイエスは、人々にたとえを話された。「いちじくの木や、すべての木を見なさい。</p><p>30 木の芽が出ると、それを見て夏の近いことがわかります。</p><p>31 そのように、これらのことが起こるのを見たら、神の国は近いと知りなさい。</p><p>32 まことに、あなたがたに告げます。すべてのことが起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。</p><p>33 この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。</p><p>34 あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。</p><p>35 その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。</p><p>36 しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」</p><p>37 さてイエスは、昼は宮で教え、夜はいつも外に出てオリーブという山で過ごされた。</p><p>38 民衆はみな朝早く起きて、教えを聞こうとして、宮におられるイエスのもとに集まって来た。</p><p><br/></p><p><strong>終わりの日に関する教え（その5）</strong></p><p><strong>いちじくのたとえ</strong></p><p>今日の箇所でイエスは、今まで語ってきた「世の終わりの兆候」に関する話をまとめておられます。「いちじくの木や、すべての木を見なさい。木の芽が出ると、それを見て夏の近いことがわかります。そのように、これらのことが起こるのを見たら、神の国は近いと知りなさい。」（29～31節）。これらのこと（世の終わりの兆候）とは何であったか、復習してみましょう。（1）にせキリストの出現、（2）民族と民族、国と国との戦争、（3）大地震などの天変地異、（4）疫病やききん、（5）突然起こる自然界の激変、など。もうひとつつけ加えるとするなら、（6）イスラエルの霊的回復、が上げられます。1948年のイスラエル国家の誕生は、「イチジクの木」や、すべての木に芽が出始めたことを意味しています。今は、過去のどの時代よりも、イエスが語られた世の終わりの到来が現実味を帯びてきた時代です。今、主イエスのこのことばを噛み締めましょう。「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」（33節）。</p><p><br/></p><p><strong>清算に備える</strong></p><p>イエスが世の終わりに関して預言された理由は、弟子たちに警告を発するためです。その警告とは、次のものです。「しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」（36節）。イエスを信じる者は、神の前における清算の時を常に意識していなければなりません。クレジットカードを使う際に、清算の時が来ることを考えないなら、その人はカード破産者となってしまいます。それと同じように、私たちも、人生の清算の時を考えないなら、霊的な破産者となってしまいます。あなたは永遠に価値あることのために労していますか。あなたの時間の使い方、お金の使い方、趣味、交友関係などは、神に喜ばれるものとなっていますか。いつも油断せずに祈ろうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。価値のないことに心奪われることがしばしばあります。どうかお赦しください。今、私の生活のあらゆる分野を吟味してください。永遠に価値あることのために労する人生を歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-12-15 19:15:21 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書22：1～6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3725027661</link>
         <description><![CDATA[<p>1 さて、過越の祭りといわれる、種なしパンの祝いが近づいていた。</p><p>2 祭司長、律法学者たちは、イエスを殺すための良い方法を捜していた。というのは、彼らは民衆を恐れていたからである。</p><p>3 さて、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンが入った。</p><p>4 ユダは出かけて行って、祭司長たちや宮の守衛長たちと、どのようにしてイエスを彼らに引き渡そうかと相談した。</p><p>5 彼らは喜んで、ユダに金をやる約束をした。</p><p>6 ユダは承知した。そして群衆のいないときにイエスを彼らに引き渡そうと機会をねらっていた。</p><p><br/></p><p><strong>ユダの裏切り</strong></p><p><strong>過越の祭り</strong></p><p>過越の祭りと、種なしパンの祝いとは別のものです。しかし、両者とも同じ時期に祝われるために、同義語として用いられる場合があります。ここでは、ルカはそのように用いています。最後の晩餐が行なわれたのはいつでしょうか。共観福音書では、過越の祭りの日となっています。しかし、ヨハネの福音書によれば、その日はイエスが十字架にかかった日となっています。この矛盾をどう解決すればいいのでしょうか。当時用いられていた二つの暦（公的なものと私的なもの）に注目しましょう。公的な暦では、イエスは過越の祭りの日に十字架にかかったことになります。しかしイエスは、私的な暦に基づいて、その前夜に弟子たちと過越の食事を食したと考えられます。（この私的暦とは、死海写本で有名なクムラン教団のエッセネ派の暦であった可能性が大です。）最後の晩餐の記事には、犠牲の小羊が一度も出てきません。まだ小羊がほふられていなかったからです。小羊がないままで祝いが進められたのは、イエスご自身が過越の小羊となろうとしておられたからです。弟子たちは、その時点ではまだイエスの十字架の意味を理解していませんでした。しかしイエスは、無知で自己中心的な弟子たちをいのちがけで愛されました。今、静まって、あなたに対するイエスの愛が、どれほど大きなものであるか、黙想しましょう。</p><p><br/></p><p><strong>ユダを取り巻く神秘</strong></p><p>「ユダは、なぜイエスを裏切ったのか？」聖書はその理由を詳しくは述べていません。ただ、ユダが金銭欲に支配されていたことはわかります（ヨハネの福音書12：6参照）。ルカは、「さて、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンがはいった。」（3節）と書いています。「十二弟子」ということばと、「サタン」ということばは、いかにも不釣合いです。それだけに、ユダによるイエスの裏切り行為が、いかに重大な罪であるかがわかります。「イエスは、なぜユダを選んだのか？」これも神秘です。ただ言えることは、ユダはそうなるように運命づけられていたのではないということです。イエスは、ユダをも愛し、彼に悔い改めの機会を何度も与えておられます。ユダは、自分の意志でサタンに心を開き、イエスを売り渡しました。ユダの選びは確かに神秘的ですが、それと同じように神秘的なのは、「神は、どうして私のような者を選ばれたのか。」ということです。今、神の恵みに感謝し、キリストへの愛を告白しましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。確かに、私が選ばれたことは神秘です。それは、すべてあなたの恵みから出たことです。どうか私が、ユダのような結末を迎えることのないように、守り、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-12-16 19:39:41 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書22：7～13</title>
         <author>setsuriosaki</author>
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         <description><![CDATA[<p>7 さて、過越の小羊のほふられる、種なしパンの日が来た。</p><p>8 イエスは、こう言ってペテロとヨハネを遣わされた。「わたしたちの過越の食事ができるように、準備をしに行きなさい。」</p><p>9 彼らはイエスに言った。「どこに準備しましょうか。」</p><p>10 イエスは言われた。「町に入ると、水がめを運んでいる男に会うから、その人が入る家にまでついて行きなさい。</p><p>11 そして、その家の主人に、『弟子たちといっしょに過越の食事をする客間はどこか、と先生があなたに言っておられる』と言いなさい。</p><p>12 すると主人は、席が整っている二階の大広間を見せてくれます。そこで準備をしなさい。」</p><p>13 彼らが出かけて見ると、イエスの言われたとおりであった。それで、彼らは過越の食事の用意をした。</p><p><br/></p><p><strong>過越の食事の準備</strong></p><p><strong>遣わされるペテロとヨハネ</strong></p><p>最後の晩餐は、過越の食事でもありました。通常の食事と違って、過越の食事にはさまざまな準備が必要です。そこでイエスは、その準備のためにペテロとヨハネを遣わされました。弟子たちには、過越の食事の場所は知らされていませんでした。イエスはすでに、ユダの裏切りのことをご存じでした。もし、過越の食事の前に、ユダの密告によって逮捕されたなら、神の計画は途中で挫折することになります。そのために、食事の場所は弟子たちにも秘密にされたままでした。私たちは、「ユダがイエスを売り渡した。」という表現をよく使います。確かにそのとおりですが、それは事実の一部を述べているにしか過ぎません。以下の点を確認しておきましょう。（1）「イエスの時」が来なければ、ユダもイエスを売り渡すことはできなかったのです。（2）神は、イエスが十字架にかかるためのすべてのステップを完全に掌握しておられました。（3）イエスは、自ら進んで十字架にかかる道を選んでくださいました。あなたは、今、イエスの愛を疑っていますか。これほどまでにあなたを愛してくださったイエスに、礼拝をささげましょう。</p><p><br/></p><p><strong>水がめを運ぶ男</strong></p><p>ペテロとヨハネは、町にはいって、「水がめを運んでいる男」を見つけるようにとの指示を受けます。なぜこの男が、目印となったのでしょうか。それは、水がめを運ぶのは女の仕事であったため、男が水がめを担いでいると、非常に目立ったからです。（この男は、エッセネ派に属していたと思われます。エッセネ派の人々は、独身を守ることが多かったのです。）ふたりの弟子は、「水がめを運んでいる男」のはいる家までついて行って、その家の主人に、「弟子たちといっしょに過越の食事をする客間はどこか、と先生があなたに言っておられる。」と言いました。すると主人は、席が整っている二階の大広間を見せてくれました。すべてが、イエスの言われたとおりでした。ルカの福音書19：29～35では、ろばの子の持ち主たちが、その貧しさの中から大切な財産であるろばの子を差し出したことを見ました。今日の箇所では、「水がめを運んでいる男」と、「二階に大広間のある家の主人」とが、イエスに仕えたことが記されてありました。貧しい者も、無名の者も、富める者も、おのおのが各々の方法で主に仕えたのです。あなたは何をもって主に仕えようとしていますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。私は、この条件が整っていないから、まだ神に仕えることはできないと自分に言い聞かせていました。それがいかに欺瞞的なことであるか、よくわかりました。私も、あなたのために水を運ぶ者とならせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-12-17 19:08:15 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書22：14～20</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3727755854</link>
         <description><![CDATA[<p>14 さて時間になって、イエスは食卓に着かれ、使徒たちもイエスといっしょに席に着いた。</p><p>15 イエスは言われた。「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。</p><p>16 あなたがたに言いますが、過越が神の国において成就するまでは、わたしはもはや二度と過越の食事をすることはありません。」</p><p>17 そしてイエスは、杯を取り、感謝をささげて後、言われた。「これを取って、互いに分けて飲みなさい。</p><p>18 あなたがたに言いますが、今から、神の国が来る時までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」</p><p>19 それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい。」</p><p>20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。</p><p><strong>最後の晩餐</strong></p><p><strong>過越の食事の意味</strong></p><p>最後の晩餐に関して、少なくとも次の三つの点に注目しておきましょう。（1）イエスは、ご自分の死を、過越の祭りという文脈の中に位置づけようとなさいました。それによって、ご自分の死が、神の民に解放をもたらすものであることを教えようとされたのです。（2）その解放とは、物理的なものではなく、霊的なものです。イエスの死は、イザヤ書53：12のような聖句に照らし合わせて、初めて理解されるものです。「彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。」（3）そして、イエスがもたらした解放のわざ（過越）は、すでに成就していると同時に、やがていつの日か、神の国で完璧な成就を見るようになります。それゆえイエスは、「あなたがたに言いますが、過越が神の国において成就するまでは、わたしはもはや二度と過越の食事をすることはありません。」とお語りになったのです。最後の晩餐は、和解の食事でもあります。あなたには、神と和解したという確信がありますか。「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」（ローマ人への手紙5：1）。この聖句を受け入れましょう。</p><p><br/></p><p><strong>パンとぶどう酒による新しい契約</strong></p><p>パンとぶどう酒は、イエスのからだと血とを象徴していますが、それはまた、「新しい契約」のしるしでもあります。「新しい契約」とは、旧約聖書で預言されていた概念です。エレミヤは、次のように語っています。「その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。」（エレミヤ書31：31～33）。イエスを信じたのなら、あなたには、次のことが起こりました。（1）あなたは、神との新しい契約関係に入れられました。救いとは、神との契約です。ですから安心です。（2）あなたの心に、聖霊が与えられました。「彼らの心にこれを書きしるす。」とは、そのことを意味しています。「契約」と「心に書かれた律法」、この二つがクリスチャン生活のキーワードです。このキーワードを意識しながら、今日一日過ごしてみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。救いは契約であることを確認することができ、感謝します。私の心には、聖霊の語りかけが与えられています。聖霊の声を消すことのありませんように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-12-18 19:31:19 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書22：21～30</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3728814730</link>
         <description><![CDATA[<p><br/></p><p>21 しかし、見なさい。わたしを裏切る者の手が、わたしとともに食卓にあります。</p><p>22 人の子は、定められたとおりに去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。」</p><p>23 そこで弟子たちは、そんなことをしようとしている者は、いったいこの中のだれなのかと、互いに議論をし始めた。</p><p>24 また、彼らの間には、この中でだれが一番偉いだろうかという論議も起こった。</p><p>25 すると、イエスは彼らに言われた。「異邦人の王たちは人々を支配し、また人々の上に権威を持つ者は守護者と呼ばれています。</p><p>26 だが、あなたがたは、それではいけません。あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。</p><p>27 食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう。むろん、食卓に着く人でしょう。しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。</p><p>28 けれども、あなたがたこそ、わたしのさまざまの試練の時にも、わたしについて来てくれた人たちです。</p><p>29 わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしもあなたがたに王権を与えます。</p><p>30 それであなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食事をし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。</p><p><br/></p><p><strong>最後の晩餐（その2）</strong></p><p><strong>ユダの裏切りの予告</strong></p><p>21節以降でイエスは、ユダの裏切りを予告なさいます。ユダは巧妙に騙し続けていたのでしょう、裏切り者がユダであることに気づいていた弟子は、一人もいませんでした。ここでは、次の二点に着目しましょう。（1）イエスは、「人の子は、定められたとおりに去って行きます。」とお語りになりました。つまり、十字架の死は、神の計画どおりのものであることを認識しておられたのです。（2）それだからと言って、決してユダの罪が軽くなるわけではありません。イエスは、「わたしを裏切る者の手が、わたしとともに食卓にあります。」と言い、また、「しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。」とも言われました。あなたには、「これは、神のみこころです。」ということばを安易に使って、責任逃れをしたことはありませんか。神の主権や計画は、決して私たちを無責任にするものではありません。もし、信仰者として無責任になっている点があれば、それを悔い改めましょう。</p><p><br/></p><p><strong>神の国で偉大な者とは</strong></p><p>弟子たちは、「この中でだれが一番偉いか。」ということに、強い関心を示したようです。弟子たちの心が、十字架を目前にしたイエスの心とは、遠くかけ離れていたことがよくわかります。そこでイエスは弟子たちに、重要な教訓をお語りになりました。（1）弟子たちはやがて、イエスとともに神の国を治める地位に就くようになります。「イスラエルの十二の部族をさばく」とは、神の国の統治権を指すことばです。（2）イエスの弟子であるなら、権力を求める生き方を捨てて、神の国の統治者としてふさわしい姿になることを熱心に求めなければなりません。（3）「一番年の若い者のようになること」、「給仕する者のようになること」こそ、偉大な人物になる道です。ヨハネの福音書によれば、イエスは弟子たちの足を洗って、真の偉大さの手本をお示しになりました。そして、「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。」（ヨハネの福音書13：15）とお語りになりました。あなたにとって、兄弟姉妹の足を洗うとは、具体的にどのような行為を指しますか。自分の生活に適用してみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。神の国で評価される偉大さとは何かをお教えくださり、感謝します。今日学んだことを、実際の生活に適用することができますように、私に、知恵と力と勇気とをお与えください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-12-19 19:21:42 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書22：31～38</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3729323063</link>
         <description><![CDATA[<p>31 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。</p><p>32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」</p><p>33 シモンはイエスに言った。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」</p><p>34 しかし、イエスは言われた。「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」</p><p>35 それから、弟子たちに言われた。「わたしがあなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出したとき、何か足りない物がありましたか。」彼らは言った。「いいえ。何もありませんでした。」</p><p>36 そこで言われた。「しかし、今は、財布のある者は財布を持ち、同じく袋を持ち、剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。</p><p>37 あなたがたに言いますが、『彼は罪人たちの中に数えられた』と書いてあるこのことが、わたしに必ず実現するのです。わたしにかかわることは実現します。」</p><p>38 彼らは言った。「主よ。このとおり、ここに剣が二振りあります。」イエスは彼らに、「それで十分」と言われた。</p><p><br/></p><p><strong>最後の晩餐（その3）</strong></p><p><strong>ペテロのつまずきの預言</strong></p><p>この箇所から、サタンの力、ペテロの罪、イエスのご性質の三点について考えてみましょう。（1）サタンは、無限の力を持っているわけではありません。サタンは、神の許しの範囲でしか人を苦しめることはできません。（2）ペテロは、イエスのためならいのちを捨てる覚悟もできていると豪語しました。ペテロの罪は、自分の弱さを認識していなかったという点にあります。（3）イエスは、ペテロがご自分を拒否する回数も、時間も、見通しておられました。これは、人間の能力をはるかに超えたことです。またイエスは、「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。」とお語りになりました。「あなた」ということばは、単数形です。それに対して、「サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。」と語られたときの「あなたがた」ということばは、複数形です。サタンは、弟子たち全員を試みました。しかしイエスは、ペテロのために、個人的にとりなしの祈りをされたのです。イエスは、ことの結末をご存じでした。それでペテロに、「だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」とお語りになったのです。この聖句によって、多くのクリスチャンたちが、神に立ち返る決心をしてきました。私が伝道者になる決心をしたのも、この聖句によります。あなたも、イエスにあって勝利者となれます。</p><p><br/></p><p><strong>二振りの剣</strong></p><p>イエスは、イザヤ書53：12の預言を直接ご自分にあてはめ、「『彼は罪人たちの中に数えられた。』と書いてあるこのことが、わたしに必ず実現するのです。」とお語りになりました。弟子たちにも、厳しい季節が訪れようとしていました。イエスはその厳しさを比喩的に教えるために、「剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。」（36節）と言われました。しかし弟子たちは、それを文字どおりに受け取って、「ここに剣が二振りあります。」と答えています。「それで十分。」とは、どこまでも意味の通じない弟子たちに対して、この話はここまでというイエスの嘆きを表わしています。あなたは、イエスの語りかけを喜んで聞いていますか。あなたの不信仰が、イエスに、「それで十分。」と言わせていることはないでしょうか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。ペテロの将来を見通しておられたあなたは、私の人生のすべてを見通しておられます。大祭司イエスが、私のためにとりなしの祈りをしてくださっていることを感謝します。どうか、みこころのうちを歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-12-20 21:01:32 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書22：39～46</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3729790322</link>
         <description><![CDATA[<p>39 それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。</p><p>40 いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と言われた。</p><p>41 そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。</p><p>42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」</p><p>43 すると、御使いが天からイエスに現れて、イエスを力づけた。</p><p>44 イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。</p><p>45 イエスは祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに来て見ると、彼らは悲しみの果てに、眠り込んでしまっていた。</p><p>46 それで、彼らに言われた。「なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」</p><p><br/></p><p><strong>ゲッセマネの祈り</strong></p><p><strong>怒りの杯</strong></p><p>ルカは、この場所が「ゲッセマネの園」であったことや、イエスがペテロ、ヤコブ、ヨハネをそばに呼び寄せておられたことなどは書いていません。また、三度に及んだイエスの祈りも、一度に集約されています。しかし、ルカだけにしかない記述もあります。「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。」なぜイエスは、こうまで苦しまれたのでしょうか。その理由は、肉体的なものと言うよりは、むしろ霊的なものです。イエスは、父なる神から切り離され（マルコの福音書15：34参照）、罪人のひとりに数えられようとしていたのです（コリント人への手紙第二5：21参照）。ゲッセマネの園での祈りは、非常に重要です。ここでイエスは、「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」と祈られました。イエスはここで、「怒りの杯」を飲んだわけではありませんが、それを飲む決断をされました。ゲッセマネの園こそ、実際の戦いがくり広げられた戦場だったのです。イエスが、自分の身の安全よりも、父なる神のみこころがなることを優先されたときに、勝利は確定しました。私たち自身の戦いを振り返ってみましょう。父なる神のみこころよりも自分の意志を優先させたときに、必ず失敗してきたではありませんか。今、私たちのために血の汗を流して祈ってくださった主イエスを礼拝し、みこころがなりますようにと、祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>誘惑に陥らないように</strong></p><p>イエスは弟子たちに二度、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」とお語りになりました。ここに、ルカの強調点があります。弟子たちは、イエスが通過している苦悶に関して無感覚でした。イエスとともに、また、イエスのために祈ることを忘れ、眠りこけていました。彼らは、一回目の試みに失敗したのです。しかし、さらに大きな試練が彼らを襲おうとしていました。イエスは、「次は失敗しないように、しっかり祈りなさい。」と彼らに警告をお与えになったのです。あなたは、過去の失敗にとらわれて、気分が沈んでいませんか。イエスの十字架を見上げましょう。そして、「次は失敗しないように、しっかり祈りなさい。」と語っておられるイエスの声に耳を傾けましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。イエスが自ら進んで犠牲の供え物となってくださったことを感謝します。どうか、「しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」という祈りが、私の祈りとなりますように、お助けください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-12-21 19:13:13 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書22：47～53</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3730741555</link>
         <description><![CDATA[<p>47 イエスがまだ話をしておられるとき、群衆がやって来た。十二弟子のひとりで、ユダという者が、先頭に立っていた。ユダはイエスに口づけしようとして、みもとに近づいた。</p><p>48 だが、イエスは彼に、「ユダ。口づけで、人の子を裏切ろうとするのか」と言われた。</p><p>49 イエスの回りにいた者たちは、事の成り行きを見て、「主よ。剣で撃ちましょうか」と言った。</p><p>50 そしてそのうちのある者が、大祭司のしもべに撃ってかかり、その右の耳を切り落とした。</p><p>51 するとイエスは、「やめなさい。それまで」と言われた。そして、耳にさわって彼をいやされた。</p><p>52 そして押しかけて来た祭司長、宮の守衛長、長老たちに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってやって来たのですか。</p><p>53 あなたがたは、わたしが毎日宮でいっしょにいる間は、わたしに手出しもしなかった。しかし、今はあなたがたの時です。暗やみの力です。」</p><p><br/></p><p><strong>イエスの逮捕</strong></p><p><strong>ユダの口づけ</strong></p><p>ルカは、イエスの逮捕について、中心点だけを簡潔に記しています。この逮捕劇に関わった人々を観察してみましょう。（1）ユダは、イエスを口づけで売り渡そうとしました。口づけは、尊敬と友情のしるしです（テサロニケ人への手紙第一5：26参照）。ユダは、この口づけを用いて、イエスを売り渡しました。最も麗しいものを用いて、最も恐ろしい罪を犯したのです。イエスの心に、ユダの口づけによって深い傷がつけられました。（2）弟子たちは、「主よ。剣で撃ちましょうか。」と聞いています。イエスの答えが返ってくる前に、弟子のひとり（ペテロ）が、大祭司の奴隷に撃ってかかり、その右の耳を切り落としました。弟子たちの心には、イエスと交わした剣に関する会話が残っていたに違いありません。しかしそれは、なんという誤解でしょうか。イエスは、弟子たちの理解を得られないままに、十字架にかけられていったのです。（3）イエスは、あわれみの心を示し、この奴隷の耳をいやされました。このことを通して、ご自身の国が、この世のものでないことを示されたのです。後にイエスは、ピラトの前で、このように語られました。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。」（ヨハネの福音書18：36）。逮捕劇の中でも、イエスは状況を完全に支配下に治めておられました。</p><p><br/></p><p><strong>暗やみの時</strong></p><p>（4）イエスを捕らえるために来た祭司長、宮の守衛長、長老たちがいました。彼らは、イエスが宮で教えていた間は、イエスを捕らえることはしませんでした。しかし、彼らにとって好機が到来しました。それを指してイエスは、「しかし、今はあなたがたの時です。」とお語りになりました。ヨハネの福音書では、「時」とは、「十字架の時」を指す場合が多いのですが、この箇所でも、「時」ということばがそれと同じように使われています。つまり、「イエスの受難の時」が来たということです。それは、暗やみの力が支配する時です。しかし、そのような絶望的な時でさえ、神の最善の計画が前進していることを見逃してはなりません。あなたは、最近悪いことばかりが続いて、失望していませんでしたか。今、すべてを支配しておられる神に、感謝と礼拝をささげましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。あなたは全知全能の神であることを、もう一度思い出させてくださり感謝します。あらゆる苦難の中に、あなたのご介入があることを信じ、自分ではどうすることもできない重荷を、今、あなたにおゆだねします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-12-22 19:32:59 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書22：54～62</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3731615453</link>
         <description><![CDATA[<p>54 彼らはイエスを捕らえ、引いて行って、大祭司の家に連れて来た。ペテロは、遠く離れてついて行った。</p><p>55 彼らは中庭の真ん中に火をたいて、みなすわり込んだので、ペテロも中に混じって腰をおろした。</p><p>56 すると、女中が、火あかりの中にペテロのすわっているのを見つけ、まじまじと見て言った。「この人も、イエスといっしょにいました。」</p><p>57 ところが、ペテロはそれを打ち消して、「いいえ、私はあの人を知りません」と言った。</p><p>58 しばらくして、ほかの男が彼を見て、「あなたも、彼らの仲間だ」と言った。しかしペテロは、「いや、違います」と言った。</p><p>59 それから一時間ほどたつと、また別の男が、「確かにこの人も彼といっしょだった。この人もガリラヤ人だから」と言い張った。</p><p>60 しかしペテロは、「あなたの言うことは私にはわかりません」と言った。それといっしょに、彼がまだ言い終えないうちに、鶏が鳴いた。</p><p>61 主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う」と言われた主のおことばを思い出した。</p><p>62 彼は、外に出て、激しく泣いた。</p><p><br/></p><p><strong>ペテロの否認</strong></p><p><strong>火の前に腰をおろすペテロ</strong></p><p>詩篇1篇は、次のようなことばで始まっています。「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。」ここには、罪に陥っていくステップが記されています。（1）歩む、（2）立つ、（3）座に着く、これがそのステップです。ペテロも同じようなステップを踏んで、大きな失敗を犯したことがわかります。彼は、（1）遠く離れてついて行き、（2）大祭司の家の中庭に立ち、（3）火を囲んで暖を取る人々の群れに混じって腰を下ろしました。そういう状況の中で、ペテロは三度イエスを知らないと言います。三度目は、「もしうそを言っているなら、我が身はのろわれよ。」という誓いまで立てて、イエスを否認しています（マタイの福音書26：74参照）。ペテロは、最初はイエスのことを心から心配して、後をつけて行ったと思います。しかし彼は、自分の弱さを理解せず、誘惑に対して無防備でした。気がついたときには、自分でも驚くような失敗を犯していました。あなたは、自分は大丈夫と思っていますか。罪に至るステップをもう一度思い出し、気の緩みがないかどうか、自己吟味をしてみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>振り向いたイエス</strong></p><p>ペテロが三度目にイエスを知らないと言うと、すぐに鶏が鳴きました。と同時に、イエスが振り向いてペテロを見つめます。ここに至って、ペテロはイエスのことばを思い出します。「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う。」ペテロは我に返りました。そして、外に出て、激しく泣きました。あなたには、自分の弱さや罪深さを発見して、情けなくなったことがありますか。ペテロのすばらしいところは、この失敗を失敗のままで終わらせなかった点にあります。イエスがペテロを見つめた目は、さばきの目ではなく、赦しの目でした。ペテロは、後に、ガリラヤ湖畔で復活のイエスに出会い、再献身の決意を新たにしました（ヨハネの福音書21章参照）。今イエスは、どんな目であなたを見ておられますか。ペテロを赦し、先回りの祈りをしておられたイエスは、あなたのためにも祈っていてくださいます。イエスにあっては、赦されない罪はありません。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。初代教会のリーダーであったペテロの失敗を、こうも率直に記してくださったことを感謝します。今私は、無限大のイエスの愛に触れることができました。私も、ペテロのように、再献身の決意を致しました。どうか、私の人生をお導きください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-12-23 20:11:55 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書22：63～71</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3732242346</link>
         <description><![CDATA[<p>63 さて、イエスの監視人どもは、イエスをからかい、むちでたたいた。</p><p>64 そして目隠しをして、「言い当ててみろ。今たたいたのはだれか」と聞いたりした。</p><p>65 また、そのほかさまざまな悪口をイエスに浴びせた。</p><p>66 夜が明けると、民の長老会、それに祭司長、律法学者たちが、集まった。彼らはイエスを議会に連れ出し、</p><p>67 こう言った。「あなたがキリストなら、そうだと言いなさい。」しかしイエスは言われた。「わたしが言っても、あなたがたは決して信じないでしょうし、</p><p>68 わたしが尋ねても、あなたがたは決して答えないでしょう。</p><p>69 しかし今から後、人の子は、神の大能の右の座に着きます。」</p><p>70 彼らはみなで言った。「ではあなたは神の子ですか。」すると、イエスは彼らに「あなたがたの言うとおり、わたしはそれです」と言われた。</p><p>71 すると彼らは「これでもまだ証人が必要でしょうか。私たち自身が彼の口から直接それを聞いたのだから」と言った。</p><p><br/></p><p><strong>さばかれるイエス（1）</strong></p><p><strong>イエスをからかう兵士たち</strong></p><p>サンヘドリン（議会）で正式な裁判が始まるまで、イエスは一群の兵士たちの管理下に置かれました。兵士たちがイエスに暴力を加えたことは明らかですが、ルカは、最低限の記述しか残していません。兵士たちは、暴力を振るった上に、イエスをからかいました。彼らは、イエスが預言者であるという噂を聞いていたのでしょう。それでイエスに目隠しをして、こう言ったのです。「おまえが本物の預言者なら、目隠しをされても、だれが何をしたかわかるはずだ。さあ、言い当ててみろ。今たたいたのはだれか。」イエスは、沈黙を守っておられました。真の預言者以上のお方を、彼らは辱めたのです。もしその場に同席していたとしたら、あなたは、どういう態度を取っていたと思いますか。日常生活の場で、イエスが侮辱されているような場面に出会うことはありますか。それは、あなたの心をどの程度悲しませますか。</p><p><br/></p><p><strong>イエスをさばくサンヘドリン</strong></p><p>次にイエスは、サンヘドリンの真中に立たされました。パリサイ人も、サドカイ人も、イエスを殺そうとしていましたが、その理由は異なっていました。（1）パリサイ人は、イエスにその偽善を指摘され、ねたみと復讐心に燃えていました。（2）サドカイ人は、神殿での商売を妨害され、危機感を募らせていました。さらに、ローマから与えられていた特権が取り去られることを恐れました。まず彼らは、ユダヤの律法に従ってイエスを死罪に定めようとしました。「あなたがキリスト（メシヤ）なら、そうだと言いなさい。」という問いかけは、イエスから直接の証言を得るためのものでした。イエスは、それには直接お答えにはなりませんでした。それは、彼らのメシヤ観が、あまりにもご自分のものとかけ離れていたからです。最終的には、「ではあなたは神の子ですか。」という質問には、「あなたがたの言うとおり、わたしはそれです。」とお答えになりました。彼らは、それで満足しました。イエス自らが神性宣言を行ない、死罪にあたることを証明したからです。イエスは、「神の大能の右の座に着いておられるお方」です。そのお方をさばくことができると考えるのは、なんと愚かなことでしょうか。あなたの周りに、このような愚かさをくり返している人はいませんか。その人のためにも、祈りましょう。イエスは、その人をも愛しておられます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。私たち人間が、メシヤであるイエスをさばいてしまった傲慢をお赦しください。今も、私たちの周りには、神を冒涜する人々がたくさんいます。どうかあわれんでください。そのような場に遭遇したとき、語るべきことばと知恵とを私に与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=n5CoBDMv-Ys" />
         <pubDate>2025-12-24 19:32:48 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書23：1～12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3732579019</link>
         <description><![CDATA[<p>1 そこで、彼らは全員が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。</p><p>2 そしてイエスについて訴え始めた。彼らは言った。「この人はわが国民を惑わし、カイザルに税金を納めることを禁じ、自分は王キリストだと言っていることがわかりました。」</p><p>3 するとピラトはイエスに、「あなたは、ユダヤ人の王ですか」と尋ねた。イエスは答えて。「そのとおりです」と言われた。</p><p>4 ピラトは祭司長たちや群衆に、「この人には何の罪も見つからない」と言った。</p><p>5 しかし彼らはあくまで言い張って、「この人は、ガリラヤからここまで、ユダヤ全土で教えながら、この民を扇動しているのです」と言った。</p><p>6 それを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ねて、</p><p>7 ヘロデの支配下にあるとわかると、イエスをヘロデのところに送った。ヘロデもそのころエルサレムにいたからである。</p><p>8 ヘロデはイエスを見ると非常に喜んだ。ずっと前からイエスのことを聞いていたので、イエスに会いたいと思っていたし、イエスの行う何かの奇蹟を見たいと考えていたからである。</p><p>9 それで、いろいろと質問したが、イエスは彼に何もお答えにならなかった。</p><p>10 祭司長たちと律法学者たちは立って、イエスを激しく訴えていた。</p><p>11 ヘロデは、自分の兵士たちといっしょにイエスを侮辱したり嘲弄したりしたあげく、はでな衣を着せて、ピラトに送り返した。</p><p>12 この日、ヘロデとピラトは仲よくなった。それまでは互いに敵対していたのである。</p><p><br/></p><p><strong>さばかれるイエス（2）</strong></p><p><strong>ピラトとイエス</strong></p><p>ユダヤ人たちは、イエスを死刑にする権利を持ってはいませんでした。そこで彼らは、イエスをローマ総督ポンテオ・ピラトの前に連れ出し、ローマに対する反逆罪をでっち上げます。イエスの罪状は、次の三つです。（1）ユダヤ人たちを扇動し、ローマに対する反乱を起こさせようとしている。（2）カイザルに税金を納めることを禁じている。（3）自分は、王キリストだと言っている。しかしピラトは、イエスの高潔な人格、その柔和な姿を見て、「この人には何の罪も見つからない。」と答えます。しかしユダヤ人たちは、なおも食い下がりました。イエスがガリラヤ出身であることを知ったピラトは、責任を回避するために、ちょうどそのときエルサレムを訪問していたヘロデのもとにイエスを送ります。ローマの裁判制度では、事件が起こった地域で裁判が行なわれるのが普通でしたが、被告の出身地で裁判を行なってもよいことになっていました。この日、敵同士であったピラトとヘロデとは、仲良くなりました。あなたは、為すべきことを知りながら、身を引いたり、責任回避をしたりしたことはありますか。もしそうなら、あなたのうちにあるピラトの性質を悔い改めましょう。</p><p><br/></p><p><strong>ヘロデとイエス</strong></p><p>恐らくヘロデは、過越の祭りを祝うためにエルサレムに上って来ていたのでしょう。彼はイエスを見ると、非常に喜びました。しかし彼の喜びは、真理を知りたいという願いから出たものではなく、奇蹟を見たいという極めて低俗な興味から出たものでした。ヘロデはイエスにいろいろな質問を投げかけましたが、イエスはひとこともお答えになりませんでした。聖書の中で、イエスが完全に無視された人物は、このヘロデだけです。彼は、神の子を前にしながら、その恵みの大きさに気づかず、せっかくの機会を台無しにしてしまいました。それどころか、最後は、兵士たちといっしょになってイエスを愚弄し、派手な衣を着せて、ピラトのもとに送り返しました。神の恵みを無視することほど恐ろしいことはありません。聖書には、「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」（コリント人への手紙第二6：2）とあります。その意味は、今という時を逃さず、和解の福音を受け入れなさいということです。今イエス・キリストは、恵み深い救い主としてあなたの前に立っておられます。そのイエスを、心に迎えましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。確かに、今は恵みの時です。今私は、和解の福音を受け入れます。どうかあなたの恵みを無駄にすることのないように、私を励ましてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=YbPHTK5xjrA" />
         <pubDate>2025-12-25 19:35:40 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書23：13～24</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3733088291</link>
         <description><![CDATA[<p>13 ピラトは祭司長たちと指導者たちと民衆とを呼び集め、</p><p>14 こう言った。「あなたがたは、この人を、民衆を惑わす者として、私のところに連れて来たけれども、私があなたがたの前で取り調べたところ、あなたがたが訴えているような罪は別に何も見つかりません。</p><p>15 ヘロデとても同じです。彼は私たちにこの人を送り返しました。見なさい。この人は、死罪に当たることは、何一つしていません。</p><p>16 だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。」</p><p>18 しかし彼らは、声をそろえて叫んだ。「この人を除け。バラバを釈放しろ。」</p><p>19 バラバとは、都に起こった暴動と人殺しのかどで、牢に入っていた者である。</p><p>20 ピラトは、イエスを釈放しようと思って、彼らに、もう一度呼びかけた。</p><p>21 しかし、彼らは叫び続けて、「十字架だ。十字架につけろ」と言った。</p><p>22 しかしピラトは三度目に彼らにこう言った。「あの人がどんな悪いことをしたというのか。あの人には、死に当たる罪は、何も見つかりません。だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。」</p><p>23 ところが、彼らはあくまで主張し続け、十字架につけるよう大声で要求した。そしてついにその声が勝った。</p><p>24 ピラトは、彼らの要求どおりにすることを宣告した。</p><p><br/></p><p><strong>さばかれるイエス（3）</strong></p><p><strong>ピラトの判断</strong></p><p>ヘロデがイエスを送り返してきたので、ピラトは最終的な判断を下さざるを得なくなりました。彼は、4回にわたって、判決を回避しようとしています。（1）ユダヤ人の問題は、ユダヤ人内部で処理するようにとの提案をしています（ヨハネの福音書18：31）。（2）次に、イエスをヘロデのもとに送りました。（3）さらに、過越の祭りの期間に赦免される罪人として、イエスを解放することを提案しています（マルコの福音書15：6）。（4）最後に、イエスをむちで懲らしめてから、解放することを提案しました。ピラトは、「あの人には、死に当たる罪は、何も見つかりません。」と叫びました。彼は、イエスが無罪であることを知っていたのです。しかし、ユダヤ人たちの暴動と、自らの総督としての地位が失われることを恐れました。最後にピラトは、ユダヤ人たちの要求どおりにすることを宣言しました。あなたは、いかがですか。神以外のものを恐れて、妥協した人生を歩んでいることはありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>その声</strong></p><p>ルカは、「ところが、彼らはあくまで主張し続け、十字架につけるよう大声で要求した。そしてついにその声が勝った。」と記しています。新約聖書は（そしてルカの福音書も）、決して反ユダヤ的な文書ではありません。「ユダヤ人は、イエスを十字架につけたために、のろいの民となった。」という考え方が、キリスト教会の中で長い間教えられてきましたが、これは大変不幸な結果を生み出しました。この箇所から以下の点に注目しましょう。（1）イエスを十字架にかけるように要求したのは、ユダヤ人全体ではなく、巧妙に集められた一部のユダヤ人、つまり、一握りの指導者層でした。（2）イエスを十字架につけろという「その声」は、私の声でもあります。もし私がその場にいたら、私も同じことをしていたでしょう。ですから、イエスを十字架につけたという点では、私も同罪です。（3）イエスは、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」（34節）と祈ってくださいました。この祈りによって、ユダヤ人にも異邦人にも救いの道が開かれました。もし、ユダヤ人に対する偏見を持っているなら、それを悔い改めましょう。また、イエスを十字架につけるようなことをしているなら、その罪を即座に悔い改めましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。アダムのとき以来、私たちの心の中には、神の声を退けてしまう「私の声」があります。その声が、イエスを十字架に架けました。ことばにおいて、思いにおいて、行動において、イエスを十字架につけるようなことをしてきたことを認め、悔い改めます。どうかお赦しください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=bFvwKgosHEk" />
         <pubDate>2025-12-26 19:26:46 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書23：25～31</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3733388168</link>
         <description><![CDATA[<p>25 すなわち、暴動と人殺しのかどで牢に入っていた男を願いどおりに釈放し、イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた。</p><p>26 彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。</p><p>27 大ぜいの民衆やイエスのことを嘆き悲しむ女たちの群れが、イエスのあとについて行った。</p><p>28 しかしイエスは、女たちのほうに向いて、こう言われた。「エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのことのために泣きなさい。</p><p>29 なぜなら人々が、『不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は、幸いだ』と言う日が来るのですから。</p><p>30 そのとき、人々は山に向かって、『われわれの上に倒れかかってくれ』と言い、丘に向かって、『われわれをおおってくれ』と言い始めます。</p><p>31 彼らが生木にこのようなことをするのなら、枯れ木には、いったい、何が起こるでしょう。」</p><p><br/></p><p><strong>ヴィア・ドロロサにて</strong></p><p><strong>クレネ人シモン</strong></p><p>十字架刑の宣告を受けた者は、まずむち打ちの刑に処され、それから十字架の横木を背負って刑場まで歩かされることになっていました。カルバリの丘まで続く約700メートルの道を、ヴィア・ドロロサ（悲しみの道）と言います。イエスの体力は、極度に衰えていました。それを見たローマ兵は、そこに居合わせたひとりの男に、イエスの十字架を担がせました。その男の名は、クレネ人シモンと言いました。（1）シモンは、クレネ（北アフリカの海岸都市）出身のユダヤ人で、（2）アレキサンデルとルポスの父でした（マルコの福音書15：21）。（3）また、アンテオケ教会の指導者のひとり「ニゲルと呼ばれるシメオン」（使徒の働き13：1）である可能性もあります。いずれにしても、彼は、初代教会の中では、有名な人物となりました。すべては、十字架を担がされたところから始まりました。それは、ローマによる強制労働でしたが、同時に、神の摂理であり、この上ない特権でもありました。もし今、イエスの十字架を担ぐ人を募集したとしたら、世界中から数え切れないほどの応募があるに違いありません。あなたは、自分に与えられた十字架を苦しいと思ったことがありますか。もしそうなら、それがどんなに特権であるか、黙想してみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>エルサレムの娘たち</strong></p><p>多くの民衆が、悲しみながらイエスの後について行きました。ルカは特に、婦人たちの活動に関心を払っていますが、ここでも、「イエスのことを嘆き悲しむ女たちの群れ」に言及しています。イエスはその婦人たちに、「エルサレムの娘たち。」と優しく呼びかけておられます。刑場に引かれ行く途上にありながら、イエスはなおも、自分のことよりも彼らのことを心配されたのです。それは、近づきつつあるエルサレムの滅亡を予感しておられたからです。「不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は、幸いだ。」とあります。当時は、子のない女は不幸だと考えられていたのですが、滅亡の日には、その考え方が逆転するというのです。イエスが求められたのは、民の悔い改めです。あなたは、一時的な喜びで満足していませんか。あなたの生き方は、最後のさばきに耐え得るものとなっていますか。イエスの愛の呼びかけに応答しましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。最後の最後まで、民の運命をあわれんでくださったイエス・キリストの愛を感謝します。自分に与えられた十字架が、いかに特権であるかを教えられました。不平不満が多い私をお赦しください。喜んで、十字架を担ぐ者としてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
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         <pubDate>2025-12-27 21:02:15 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書23：32～38</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3733677867</link>
         <description><![CDATA[<p>32 ほかにもふたりの犯罪人が、イエスとともに死刑にされるために、引かれて行った。</p><p>33 「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。</p><p>34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。</p><p>35 民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」</p><p>36 兵士たちもイエスをあざけり、そばに寄って来て、酸いぶどう酒を差し出し、</p><p>37 「ユダヤ人の王なら、自分を救え」と言った。</p><p>38 「これはユダヤ人の王」と書いた札もイエスの頭上に掲げてあった。</p><p><br/></p><p><strong>十字架上の祈り</strong></p><p><strong>十字架の意味</strong></p><p>十字架の形には、十型、Ｔ型、Ｘ型、Ｙ型などがありました。ときには、立ったままの生木が使われる場合もありました。十字架刑は、犯罪人をできるだけ苦しめながら殺す見せしめの刑でした。しかし、ルカも含めて福音書の記者たち全員が、十字架刑の悲惨さを描写するよりも、十字架の意味を伝えることに重点を置いています。ですから私たちも、イエスの十字架の死を単に感情的に悲しむのではなく、その意味を理解するように努めなければなりません。その日、カルバリの丘には三本の十字架が立ちました。真中にイエスの十字架が、その両側に犯罪人の十字架が。これは、イエスが犯罪人のひとりとして死んでいかれたことを表わしています。この真理を、パウロはこう表現しています。「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」（コリント人への手紙第二5：21）。十字架の意味は、次の二点に要約されます。（1）神は、罪を知らない方（イエス）を、罪とされた。（2）イエスの死は、私たちの身代わりであり、私たちがイエスにあって神の義となるためである。いのちを捨ててまであなたを愛してくださった方がいます。そのことを知ることは、あなたの生き方をどのように変えますか。</p><p><br/></p><p><strong>十字架上の祈り</strong></p><p>さらに、十字架の意味は、次の祈りによってより鮮明になります。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」この祈りは、（1）イエスの死刑を要求したユダヤ人の指導者たちのためです。ですから、ユダヤ民族は、イエスを十字架につけたからのろわれていると考えるのは、大きな間違いです。（2）また、この祈りは、死刑を執行しているローマ兵のためでもありました。（3）さらに、イエスを十字架につけるような行為をくり返してきた私たちのためでもあります。イエスのこの祈りの意味を黙想しましょう。ほんのささいなことでも、人を赦すのは容易なことではありません。しかしイエスは、自分を殺そうとしている人のために、とりなしの祈りをしてくださったのです。私は、大学3年生のときに、この祈りによってイエスを信じる決心をしました。この祈りは、人間の祈りではなく、神の子の祈りであるに違いないと確信したからです。あなたはいかがですか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い神よ。御子イエスを、十字架につけるほどに私を愛してくださり、感謝します。イエス・キリストを、私の主、救い主と信じます。イエスにあって、神の義となったことを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-12-28 19:19:31 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書23：39～43</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3734278150</link>
         <description><![CDATA[<p>39 十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。</p><p>40 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。</p><p>41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」</p><p>42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」</p><p>43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」</p><p><br/></p><p><strong>三本の十字架</strong></p><p><strong>罪の深さ</strong></p><p>今日の箇所は、ルカの福音書にのみ出てきます。この場面を思い浮かべてください。三本の十字架を囲んで、ローマ兵がいます。イエスを十字架につけろと叫ぶユダヤ人たちがいます。泣き叫ぶ女たちがいます。傍観者として眺めている民衆がいます。そして、イエスの両側で、十字架につけられたふたりの犯罪人がいます。これらの人々の人間模様を眺めていると、人間の罪の深みが見えてくるようです。十字架につけられた犯罪人のひとりは、イエスを罵倒し、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と言いました。彼は、理由があって十字架につけられているのです。彼は、悲惨な最期を迎えながら、なおも罪に罪を重ねようとしています。彼の姿を見ていると、人はさばきに会ったからといって、必ずしも悔い改めるものではないということがわかります。聖書は、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」（ローマ人への手紙3：23～24）と教えています。あなたは、人間の罪の性質を過小評価していませんか。もしそうなら、イエスの十字架に対する感謝も、そこそこで止まっているはずです。価なしに義と認められることが、どんなにすばらしいことか、黙想してみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>神の愛の深さ</strong></p><p>もうひとりの犯罪人は、イエスにこう語りかけます。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」この犯罪人は、人生の最後の段階で、我に返ったのです。我に返ると、イエスの真実な姿が見え始めました。彼の心に、にわかにイエスに対する信仰が生まれ、祈りがその口からあふれ出しました。イエスは彼に、「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と約束してくださいました。ここに、神の愛の深さが現われています。どんな人であっても、真実に悔い改めの祈りをするなら、神の赦しを受けることができます。彼は、臨終の場でイエスを信じて天に帰るすべての聖徒たちの先駆けとなりました。あなたは、臨終の場でイエスを信じればよいと考えていますか。若い日にイエスを信じ、イエスとともに歩む人生を送った方がさらにすばらしいことは、言うまでもありません。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>恵み深い神よ。あなたの愛の深さに、心から感謝します。あなたに従うことを一日延ばしにするのでなく、今日という日に、よい決断ができますように、私を励ましてください。人生の最高の部分を、神の栄光のためにささげることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2025-12-29 19:19:31 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書23：44～49</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3734899523</link>
         <description><![CDATA[<p>44 そのときすでに十二時ごろになっていたが、全地が暗くなって、三時まで続いた。</p><p>45 太陽は光を失っていた。また、神殿の幕は真っ二つに裂けた。</p><p>46 イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。</p><p>47 この出来事を見た百人隊長は、神をほめたたえ、「ほんとうに、この人は正しい方であった」と言った。</p><p>48 また、この光景を見に集まっていた群衆もみな、こういういろいろの出来事を見たので、胸をたたいて悲しみながら帰った。</p><p>49 しかし、イエスの知人たちと、ガリラヤからイエスについて来ていた女たちとはみな、遠く離れて立ち、これらのことを見ていた。</p><p><br/></p><p><strong>イエスの死</strong></p><p><strong>イエスの死の意味</strong></p><p>イエスが十字架に架けられた日は、人類の歴史で最も暗い日でした。「全地が暗くなって」とありますが、それは単に気象学的な暗さだけではなく、霊的な暗さをも暗示しています。あたかも天の父が、御子イエスの苦しみを見るにしのびず、目に覆いをかけられたようにも思えます。その暗黒の中で、イエスはご自身のいのちを差し出されました。その死は、少なくとも次の二つの大きな変化をもたらしました。（1）「神殿の幕は真二つに裂けた。」とあります。つまり、イエスの死は、神と私たちとを隔てていた幕を取り除いたのです。その結果、私たちは、自由に神の臨在に近づくことができるようになりました。「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。」（ヘブル人への手紙10：19）。（2）これ以降、神の臨在は神殿だけに限定されるものではなくなりました。あなたは、イエスの血によって大胆に神の臨在に近づくことができることをご存じでしたか。その確信は、あなたの祈りの生活をどのように変えますか。</p><p><br/></p><p><strong>死を通したあかし</strong></p><p>十字架の死は苦しいものです。しかし、イエスの死は、平安な死であったとも言えます。イエスは最後に、大声で叫んで、「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」と言われました。これは、詩篇31：5の、神への信頼のことばです。イエスは、死の瞬間に父なる神とともにいて、父なる神のみこころを成就しておられたのです。ここに、イエスの死が平安な死であった理由があります。イエスは、死を通してもあかしをしておられました。（1）まず、百人隊長が、「ほんとうに、この人は正しい方であった。」と言いました。これは、彼がイエスを信じる者になったということを表わしています。（2）次に、そこに集まっていた群衆が、イエスの死の様子を見て、胸をたたいて悲しみました。神は民衆に悲しみを与えることによって、ペンテコステの日のペテロのメッセージを受け取ることができるように、彼らの心を準備されました。私たちが苦難に会うとき、それにどう対処するかは、神を知らない人々への大きなあかしになります。クリスチャンは、死を通してでさえも、神の恵みをあかしすることができます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの聖なる神よ。イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができることを感謝します。今私は、あなたの臨在に近づきます。あなたに礼拝をささげます。今私がいる場を、聖なる場と変えてください。死の瞬間も、あなたの恵みをあかしできる者と変えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=w_aXVxFYqdA" />
         <pubDate>2025-12-30 19:56:56 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書23：50～56</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3735352597</link>
         <description><![CDATA[<p>50 さてここに、ヨセフという、議員のひとりで、りっぱな、正しい人がいた。</p><p>51 この人は議員たちの計画や行動には同意しなかった。彼は、アリマタヤというユダヤ人の町の人で、神の国を待ち望んでいた。</p><p>52 この人が、ピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。</p><p>53 それから、イエスを取り降ろして、亜麻布で包み、そして、まだだれをも葬ったことのない、岩に掘られた墓にイエスを納めた。</p><p>54 この日は準備の日で、もう安息日が始まろうとしていた。</p><p>55 ガリラヤからイエスといっしょに出て来た女たちは、ヨセフについて行って、墓と、イエスのからだの納められる様子を見届けた。</p><p>56 そして、戻って来て、香料と香油を用意した。安息日には、戒めに従って、休んだが、</p><p><br/></p><p><strong>イエスの埋葬</strong></p><p><strong>アリマタヤのヨセフ</strong></p><p>イエスが十字架上で息を引き取ったのは、金曜日の午後でした。安息日は、金曜の日没から始まります。安息日にはいると、死体の埋葬も含めて、どのような労働も許されなくなります。イエスの死体を埋葬するなら、急がねばなりません。そのような状況の中に登場するのが、アリマタヤのヨセフです。彼は、（1）アリマタヤという町の出身で、当時エルサレムに住んでいました。（2）サンヘドリン議員で、経済的には恵まれていました。（3）イエスの隠れた弟子となっていました。（4）ピラトにイエスの死体の引き取りを申し出ました。アリマタヤのヨセフは、自分のために用意していた墓に、イエスを葬る決心をしたのですが、これがどんなに犠牲の伴なう行為であったかを考えてみましょう。この行為は、イエスへの信仰を公に告白するようなものでした。悪くすれば、議員としての地位や、経済的祝福を失うかもしれません。しかし彼は、もはや自らの信仰を隠しておくべきではないと考えたのでしょう。イエスへの愛と信頼を、具体的な行動に表わす決心をしたのです。あなたは、自らの信仰を表明することに恐れを感じていますか。今、アリマタヤのヨセフの信仰から学ばせていただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>ガリラヤの女たち</strong></p><p>次に出てくるのが、「ガリラヤからイエスといっしょに出て来た女たち」です。彼女たちは、ヨセフについて行って、墓と、イエスのからだの納められる様子を見届けました。「見届けた」という訳語は、すばらしいと思います。このことばは、彼女たちが、この墓の場所と死体の埋葬された様子とを注意深く確かめたことをよく表わしています。この行動は、イエスへの愛から出たものです。彼女たちは、イエスの埋葬はまだ完了していないと判断し、安息日が明けたなら、自分たちの手で残りの作業を完成させようと考えていたのです。彼女たちは早速、死体に塗るための香料と香油とを用意しました。私たちも、この女性たちの信仰から学ばせていただきましょう。イエスに対するあなたの愛は、完了していますか。途中で投げ出したままになっている物事はありませんか。「見届けた」、「やり遂げた」という信仰が与えられるように、祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。アリマタヤのヨセフの信仰とガリラヤの女たちの信仰から、チャレンジを受けました。私も、大胆にイエスを告白する信仰者になることを心から願います。イエスのわざを見届け、やり遂げるクリスチャンに変えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=WTiG9U2RDpA" />
         <pubDate>2025-12-31 19:24:37 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書24：1～12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3736130021</link>
         <description><![CDATA[<p>1 週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。</p><p>2 見ると、石が墓からわきにころがしてあった。</p><p>3 入って見ると、主イエスのからだはなかった。</p><p>4 そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。</p><p>5 恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。</p><p>6 ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。</p><p>7 人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」</p><p>8 女たちはイエスのみことばを思い出した。</p><p>9 そして、墓から戻って、十一弟子とそのほかの人たち全部に、一部始終を報告した。</p><p>10 この女たちは、マグダラのマリヤとヨハンナとヤコブの母マリヤとであった。彼女たちといっしょにいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した。</p><p>11 ところが使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった。</p><p>12 〔しかしペテロは、立ち上がると走って墓へ行き、かがんでのぞき込んだところ、亜麻布だけがあった。それで、この出来事に驚いて家に帰った。〕</p><p><br/></p><p><strong>空になった墓</strong></p><p><strong>天使のことば</strong></p><p>週の初めの日とは、日曜日のことです。女たちは、居ても立ってもいられぬ気持で、夜が明けるとすぐにイエスの墓に急ぎました。ルカは、墓に行った女たちとは、「マグダラのマリヤ、ヨハンナ、ヤコブの母マリヤ、そのほかの女たち」であったと伝えています。墓に着いてみると、心配していた墓石はわきにころがしてあり、墓の中は空になっていました。そこにふたりの天使が現われ、彼女たちにイエスが復活されたという知らせを伝えます。天使のことばから、私たちも慰めをいただきましょう。（1）天使は、空になった墓ではなく、生きておられるイエスに彼女たちの関心を向けさせました。あなたは、復活は真実かどうか思い巡らしていますか。大切なことは、今も生きておられる主イエスに目を向けることです。（2）天使は、イエスの復活が預言の成就であると教えました。（3）天使のことばは、女たちのうちに信仰を生み出しました。この時点から、彼女たちの生き方が変わりました。私たちも、復活のイエスを見上げるとき、途方にくれた生き方から解放され、目的に向かって生きることができるようになります。</p><p><br/></p><p><strong>女たちのことば</strong></p><p>イエスの復活を確信した女たちは、信仰のことばを語り始めます。（1）女たちは、空の墓の目撃者、天使の御告げの報告者として、11人の使徒たちに、ことの一部始終を報告しました。生き方が変えられた彼女たちは、すでに伝道者としての働きを始めているのです。（2）しかし、イエスの復活は、使徒たちですら信じられない出来事でした。かろうじてペテロだけが、墓の中を確かめるために走って行ったようです（ヨハネの福音書ではヨハネも一緒だったと記されている）。女たちの証言は、使徒たちには「たわごと」のように思えたのです。「たわごと」とは、医学用語で、当時精神錯乱症者のうわごとに対して用いられた語です。当時のユダヤ人社会では、女性の証言は大した重要性を持ちませんでした。しかし神は、そのように軽んじられていた女性を、イエスの復活の最初の証言者として選ばれたのです。弱き者をお用いになる主をほめたたえましょう。弟子たちが信じるためには、さらに多くの証明が必要でした。あなたはいかがですか。私たちに代わって、女たちが、そして後には弟子たちがイエスの復活を目撃しました。神のことばの確かさと、弟子たちの真実な証言。これで、十分ではありませんか。私たちの主イエスは、今も生きていて、私たちを救うことができます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。主イエスは今も生きておられることを信じます。人生の最大の敵である「死」は、もはや私を苦しめるものではなくなりました。どうか私を、大胆にイエスの復活をあかしする者に変えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=R4_1cmOW6I4" />
         <pubDate>2026-01-01 19:15:28 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書24：13～35</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3736639519</link>
         <description><![CDATA[<p>13 ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。</p><p>14 そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。</p><p>15 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。</p><p>16 しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。</p><p>17 イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。</p><p>18 クレオパというほうが答えて言った。「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけが知らなかったのですか。」</p><p>19 イエスが、「どんな事ですか」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエスのことです。この方は、神とすべての民の前で、行いにもことばにも力のある預言者でした。</p><p>20 それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけたのです。</p><p>21 しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、</p><p>22 また仲間の女たちが私たちを驚かせました。その女たちは朝早く墓に行ってみましたが、</p><p>23 イエスのからだが見当たらないので、戻って来ました。そして御使いたちの幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。</p><p>24 それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、イエスさまは見当たらなかった、というのです。」</p><p>25 するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。</p><p>26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか。」</p><p>27 それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。</p><p>28 彼らは目的の村に近づいたが、イエスはまだ先へ行きそうなご様子であった。</p><p>29 それで、彼らが、「いっしょにお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もおおかた傾きましたから」と言って無理に願ったので、イエスは彼らといっしょに泊まるために中に入られた。</p><p>30 彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。</p><p>31 それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。</p><p>32 そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」</p><p>33 すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まって、</p><p>34 「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現された」と言っていた。</p><p>35 彼らも、道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった次第を話した。</p><p><br/></p><p><strong>エマオ途上の弟子たち</strong></p><p><strong>目が閉ざされていた弟子たち</strong></p><p>ふたりの無名の弟子たちが、エマオという村に急いでいました。復活のイエスがともに歩んでおられたのに、彼らにはそれがイエスだということがわかりませんでした。その目がさえぎられていたからです。（1）彼らはイエスを、「行ないにもことばにも力のある預言者」と呼んでいます。しかしイエスは、預言者以上の方、神の御子ご自身なのです。（2）彼らは、「私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。」と語っていますが、十字架の意味を理解してはいませんでした。「贖い」とは、代価を払って買い取るという意味ですが、カルバリの十字架は、神が支払われた代価の大きさを表わしています。神はイスラエルを、そして私たちを、御子イエスのいのちを犠牲にして贖われました。あなたのいのちの代価は、イエスのいのちそのものなのです。（3）彼らは、「私たちは、望みをかけていました。」と語っています。悲しいことに、彼らの信仰は過去形のものになっていたのです。あなたの信仰は、過去形の信仰になっていませんか。</p><p><br/></p><p><strong>目が開かれた弟子たち</strong></p><p>弟子たちの目が開かれる瞬間が来ました。（1）それは、神の時でした。神が目を開いてくださらなければ、だれも生けるキリストに出会うことはできません。（2）イエスがパンを裂かれたとき、彼らの目が開かれました。彼らはその手に、釘の痕を見たのでしょう。（3）イエスによる聖書の解き明かしが、彼らに確信を与えました。ルカは、「イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。」と書いています。旧約聖書は、イエスをあかしする書です。イエスによる旧約聖書の解き明かしを聞いた弟子たちは、こう語り合っています。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」聖書の説き明かしこそ、心に信仰の火を点じる最善の方法です。あなたの心は、みことばによって燃やされていますか。日々のデボーションが、生けるキリストと出会う場になっていますか。あなたとともに歩いておられるイエスを、今認めましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。私の目から覆いを取り除いてください。主イエスが、今日も私とともに歩いていてくださることを、認め、信じます。どうか私の心に、燃えるような信仰の火を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=qIzS04Cf5OY" />
         <pubDate>2026-01-02 19:57:18 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ルカの福音書24：36～43</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3736983023</link>
         <description><![CDATA[<p>36 これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真ん中に立たれた。</p><p>37 彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。</p><p>38 すると、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。</p><p>39 わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」</p><p>41 それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか」と言われた。</p><p>42 それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、</p><p>43 イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。</p><p><br/></p><p><strong>弟子たちの前に現われたイエス</strong></p><p><strong>恐れる弟子たち</strong></p><p>弟子たちが復活について論じていたそのただ中に、イエスがお立ちになりました。頭の中で論じることと、実際に復活のイエスに出会うこととは、まったく別の次元の問題です。弟子たちがどのような反応を示したかを見てみましょう。（1）彼らは恐れました。霊を見ていると思ったのです。これが、超自然的現象に触れたときの人間の自然な反応です。（2）イエスの語りかけを聞いて、彼らは喜びました。（3）しかし彼らは、嬉しさのあまりまだ信じられずにいました。人間の世界では、「うまい話には気をつけろ。」と言います。しかし、キリスト教信仰の世界では、そうではありません。聖書は、「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮んだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」（コリント人への手紙第一2：9）と教えています。あなたは、自分の頭で理解できないと信じないタイプですか。もし、不信仰と恐れのために心を閉ざしているなら、そこによみがえりのイエスをお迎えしましょう。イエスは、あなたの心に「神の平安（シャローム）」を与えてくださいます。</p><p><br/></p><p><strong>福音とは</strong></p><p>では、「神を愛する者のために、神の備えてくださったもの」とは何なのか、考えてみましょう。（1）イエスは、死に勝利されました。復活がそれを示しています。（2）イエスは、新しい肉体をもってよみがえられました。イエスは、締め切った部屋にはいって来られました。新しい肉体は、もはや地上的な空間や時間によって制約を受けることがなくなりました。イエスは、「わたしの手やわたしの足を見なさい。わたしにさわって、よく見なさい。」と言われました。私たちも、やがて復活のからだをいただくようになります。（3）イエスは、弟子たちの前で焼いた魚を召し上がられました。それは、弟子たちとともに食した和解の食事（最後の晩餐）を思い出させるものでした。これを通してイエスは、ご自身の愛と赦しを弟子たちに確認されたのです。死後のよみがえりは確実に保証されたことであるとの確信を持ったとき、あなたの生き方はどのように変わると思いますか。あなたは、永遠に価値あるものだけを求めて生きていますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。死後のよみがえりは確実に保証されたことであると確信します。私は、もはや死を恐れません。今、私の心に、よみがえりの主をお迎えします。今日も、主とともに歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=UYbUkACAtK0" />
         <pubDate>2026-01-03 20:22:44 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ルカの福音書24：44～49</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3737544235</link>
         <description><![CDATA[<p>44 さて、そこでイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」</p><p>45 そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、</p><p>46 こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、</p><p>47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。</p><p>48 あなたがたは、これらのことの証人です。</p><p>49 さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」</p><p><br/></p><p><strong>成就した聖書預言</strong></p><p><strong>伝えるべきメッセージ</strong></p><p>復活のイエスは弟子たちに、イエスについて書かれた旧約聖書の預言がすべて成就したことをお示しになりました。「モーセの律法と預言者と詩篇」ということばは、旧約聖書全体を指します。（ヘブル語の聖書は、そのように三区分されています。）弟子たちはイエスの証人として、以下のメッセージを伝えるように召されました。（1）キリストの受難と復活とは、偶然起こった出来事ではなく、旧約聖書に預言されていたものである。（2）キリストの復活によって、新しい時代が到来した。それは、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってすべての国民に宣べ伝えられる時代である。（3）その罪の赦しは、「イエスの名によって」得られる赦しである。今もう一度、福音の中心を確認しましょう。私たちは、イエスがなしてくださったことのゆえに、イエスの名によって救われるのです。人間の努力やわざでは、神の赦しを勝ち取ることはできません。また、神の赦しは、信じるすべての人に与えられるものです。神にはえこひいきはありません。あなたは、そのような福音を信じ、宣べ伝えていましたか。</p><p><br/></p><p><strong>伝道を推進する力</strong></p><p>イエスは、「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」とお語りになりました。「父の約束してくださったもの」とは、聖霊のことです。ルカの福音書の続編である使徒の働きは、別名を「聖霊行伝」と言われるほどに、聖霊の働きに満ち満ちています。イエスは、聖霊の力によらなければイエスの証人になることはできないことをご存じで、「いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」と言われたのです。あなたは、奉仕に疲れていますか。もしそうなら、自分の力で出て行こうとしていなかったかどうか確認し、もう一度、聖霊に満たしていただきましょう。ペンテコステの日に弟子たちを変えた聖霊は、今もあなたを変えることができます。今、自らの無力を告白し、聖霊の火を願い求めましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。今私は、疲れを覚えています。私のうちには力はありません。どうか私を、聖霊で満たしてください。この祈りが聞かれたことを信じます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-01-04 19:19:55 UTC</pubDate>
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         <title>ルカの福音書24：50～53</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3739831621</link>
         <description><![CDATA[<p>50 それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。</p><p>51 そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた。</p><p>52 彼らは、非常な喜びを抱いてエルサレムに帰り、</p><p>53 いつも宮にいて神をほめたたえていた。</p><p><br/></p><p><strong>イエスの昇天</strong></p><p><strong>昇天の意味</strong></p><p>ここでは昇天に関して最低限の記述しかありません。しかし、昇天の意味を考えないでルカの福音書を終えることはできませんので、少なくとも次の三点は確認しておきましょう。（1）昇天とは、イエスが地上の次元から、神の国の次元へと移されたことを表わしています。イエスが昇天されたと言っても、イエスのからだが数千キロ上空を漂っているわけではありません。イエスは、神の右の座（栄光の座）に着座されたのです。以下の聖句をご覧ください。「主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。」（マルコの福音書16：19）。「ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。」（使徒の働き2：33）。「キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。」（ペテロの手紙第一3：22）。（2）昇天は、イエスの地上生涯の完成を告げると同時に、新しい時代の始まりともなりました。イエスは、大祭司として私たちのためにとりなしをしていてくださいます。（3）昇天によってイエスは、ご自身の人性を天の領域にまで持ち込まれました。イエスの受肉は、一時的な演技ではなかったのです。神の子イエスは、人間性を永遠にその身に引き受けなさったのです。なんという愛の奇蹟でしょうか。イエスの人性が天に持ち込まれたということは、私たちもイエスにあって、天に導き入れられたということです。エペソ人への手紙2章6節は、こう言っています。「神は、私たちを、キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」昇天の意味を知ると、私たちの生き方がどのように変わるか、黙想してみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>弟子たちの確信</strong></p><p>ルカの福音書は旧約聖書的な雰囲気の神殿での礼拝で始まりました。しかし、最後は喜びに満ちた弟子たちが、神殿で礼拝している記事で終わっています。弟子たちは、イエスが約束のメシヤであり、神であるとの確信を得たのです。あなたはいかがですか。イエスこそ、私たちの礼拝と賛美を受けるにふさわしいお方です。今、ルカの福音書の学びを終えるにあたり、イエスを心から礼拝しましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神よ。ルカの福音書が私たちに与えられていることを感謝します。今私は、イエスは神であり、救い主であることを告白します。そして私が、キリスト・イエスにおいて、ともに天の所にすわらせていただけたことを信じます。どうか、私の感謝と賛美とをお受けください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-01-05 20:10:37 UTC</pubDate>
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         <title>ホセア書1：1</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3741697447</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代に、ベエリの子ホセアにあった主のことば。</p><p><br/></p><p><strong>預言者ホセア</strong></p><p><strong>著者の紹介</strong></p><p>きょうからホセア書の学びに入ります。（1）「ホセア」とは、「主は救う」という意味です。この名前は、ヨシュアやイェシュア（イエス）と同じ語幹から派生したものです。彼は「ベエリの子」として紹介されていますが、ベエリがどういう人物であるかは不明です。（2）彼は北王国イスラエルから出た預言者で、その活動の地は主に北王国イスラエルでした。彼の預言には、南王国ユダに関するものも若干含まれていますが、それは例外的で、彼の預言の大半が北王国イスラエルに対して語られたものでした。（3）アモスとホセアとは同時代人です。アモスは南王国ユダ出身の預言者ですが、その活動の地は北王国の首都サマリヤでした。ホセアは、そのアモスから強い影響を受けたようです。北王国イスラエルの滅亡の預言を語ったという意味で、ホセアをアモスの後継者と見ることができます。</p><p><br/></p><p><strong>時代背景</strong></p><p>（1）ホセアの活動期間は、南王国ユダの王ウジヤ（前792～740年在位）、ヨタム（前750～732年在位）、アハズ（前743～716年在位）、ヒゼキヤ（前729～ 687年在位）の諸王の時代です。（2）北王国イスラエルの王については、ヤロブアム2世（前793～ 753年在位）の名だけしかあげられていませんが、アモスの活動期間がそれ以外の王の時代にも及んでいたことは明白です。（3）しかし、アモス書にはアッシリヤによる北王国イスラエルの滅亡（前722年）の記事がありませんので、ホセアの預言活動の期間がその前に終わったと考えるのが妥当だとうです。以上の情報を総合すると、ホセアは、ヤロブアム2世の治世の終わり頃（前750年頃）にその活動を開始し、前722年頃（北王国滅亡の直前）に活動を終えたと考えられます。（4）北王国イスラエルは、前8世紀の前半、ヤロブアム2世によって最高の繁栄を経験するようになります。それは、ダビデ時代の再来を思わせるような繁栄ぶりでした。しかし、ヤロブアム2 世の死後、王たちの暗殺が続き、政治的、経済的試練の時代を迎えます。特に、民の精神的支柱であった宗教が、偶像礼拝によって腐敗し、崩壊していきます。アモスが活動したのは、そういう時代でした。<br>本書を読むと、だれもが「預言者として召されるのは光栄なことであるが、ホセアのような召しだけは避けたい」と願うはずです。ホセアは、不幸で悩み多い結婚生活を通して、神の痛みを自ら体験するようになります。主の預言者は、言葉だけでなく、自らの体験を通しても神のメッセージを民に伝えるのです。ホセアは悲しみと痛みを通して、「不誠実なイスラエルの民に対する神の愛」を理解することができました。ホセア書の中心メッセージは、「神は不誠実な民をも愛しておられる」ということです。本書を通して、ホセアのすすり泣き、そして神ご自身のすすり泣きが聞こえてくるなら、私たちは最も大切なメッセージを理解したことになります。それは、「神は愛なり」というメッセージです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。私のような者さえも愛してくださるあなたの愛に感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
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         <pubDate>2026-01-06 19:58:13 UTC</pubDate>
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         <title>ホセア書1：2～3</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3743359312</link>
         <description><![CDATA[<p>2 主がホセアに語り始められたとき、主はホセアに仰せられた。「行って、姦淫の女をめとり、姦淫の子らを引き取れ。この国は主を見捨てて、はなはだしい淫行にふけっているからだ。」</p><p>3 そこで彼は行って、ディブライムの娘ゴメルをめとった。彼女はみごもって、彼に男の子を産んだ。</p><p><br/></p><p><strong>預言者としての召命</strong></p><p><strong>最初の命令</strong></p><p>預言者は神からの召命によって、その活動を開始します。ホセアもまた主からの召命のことばによって預言者として立つのですが、彼の場合は、その冒頭に、前例のない異常な命令を受けています。<br>（1）「行って、姦淫の女をめとり、姦淫の子らを引き取れ」。「姦淫の女」とは、娼婦のことだと考えられます。レビ記21：7、14を根拠に、「ホセアが娼婦と結婚することはない。それはモーセの律法に反することであるから」と主張する人もいます。しかし、レビ記のその規定は、祭司階級に対するものです。ホセアは祭司ではありません。（2）「姦淫の子ら」というのは、娼婦時代にその女が産んだ子どもたちのことです。父親がだれかもわからない子どもたちです。（3）以上のことから、ホセアの結婚は非常に不幸なものであったことがわかります。その不幸な体験を通して、ホセアは神からの預言のことばを語っていくのです。（4）さらに、「この国は主を見捨てて、はなはだしい淫行にふけっているからだ」という主のことばが続きます。このことばによって、ホセアの結婚生活はイスラエルの民に対する視聴覚教育であることがわかります。「姦淫の女」とはイスラエルの民のことであり、「姦淫の子ら」とは民の中のそれぞれの個人であることが、徐々に明らかになってきます。</p><p><br/></p><p><strong>妻ゴメル</strong></p><p>（1）ホセアは神の命令に従順に、「姦淫の女」をめとります。どういう思いで、結婚に踏み切ったのでしょうか。考えただけでも、胸が痛みます。（2）その女は「ディブライムの娘ゴメル」でした。「ディブライム」とは干しいちじくの菓子のことですが、それは「肉欲」を象徴する言葉でもあります。「ゴメル」は「完成」とか「完全」を意味する言葉です。つまり、「ディブライムの娘ゴメル」とは「肉欲の極み」を象徴した言葉なのです。（3）ゴメルはみごもって、ホセアに男の子を産みます。ホセアはその子に名前をつけますが、それが預言的な名となるのです（その内容は、次回学びます）。<br>信仰生活における献身と痛みについて黙想してみましょう。神の御心に従っているがゆえに体験する試練や痛みというものがあります。そのような試練や痛みは、私たちを破壊するものではなく、私たちをより神に近づけるものです。「もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊みたま、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです」（Ⅰペテロ4：14）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。信仰のゆえに苦難に会っている兄弟姉妹たちを守り、祝福してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=xw6bD75b1Ks" />
         <pubDate>2026-01-07 20:00:21 UTC</pubDate>
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         <title>ホセア書1：4～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3744761833</link>
         <description><![CDATA[<p>4 主は彼に仰せられた。「あなたはその子をイズレエルと名づけよ。しばらくして、わたしはイズレエルの血をエフーの家に報むくい、イスラエルの家の王国を取り除くからだ。</p><p>5 その日、わたしは、イズレエルの谷でイスラエルの弓ゆみを折る。」</p><p><br/></p><p><strong>ホセアの子イズレエル</strong></p><p><strong>息子の命名</strong></p><p>前回の箇所でホセアは、姦淫の女をめとり、男の子をもうけました。子どもに預言的な名をつけることは、イザヤがすでに実行していました。イザヤ書7章には、次のような記録が出てきます。南王国ユダの王アハズは、敵の包囲に備えて水源を確認するために、上の池の水道の端に出向いていました。イザヤはその場所に、「シェアル・ヤシュブ（「残りの者が帰って来る」という意味）」という名の息子を連れて行きました。その息子の名は、イスラエルの民を滅亡から救い、「残りの者（真の信仰者）」を支え続けてくださるのは、神であることを示していました。その場所でイザヤは、主こそ主権者であることをアハズ王に宣言するのです。<br>ホセアの場合は、息子にイズレエルという名をつけるように命じられています。イズレエルには、「神は散らす」という意味と、「神は種を蒔く」という意味があります。この子の名は、「神の裁き」と「神の回復」を預言する名となりました。</p><p><br/></p><p><strong>イズレエルという名が象徴すること</strong></p><p>イズレエルという名が何を象徴しているのか、見てみましょう。（1）イズレエルは、イズレエルの谷（平野）の東端、ギルボア山の麓にあった町です（イッサカル部族の領地）。そこは、虐殺の記憶をとどめた町でもありました。前841年に、エフーはアハブの王朝に属する全家族を、その場所で虐殺しました（Ⅱ列王記9 ～10 章にその記事が記録されています）。（2）アハブの一家を虐殺してエフーが建てた王朝は、北王国の第5王朝です。この王朝は、エフーの後、4 代続きます（エホアハズ、ヨアシュ、ヤロブアム2世、そしてゼカリヤ）。（3）ホセアは、エフーが犯した罪は必ず罰を受け、エフーの家（王朝）は滅びることを預言しました。「その日、わたしは、イズレエルの谷でイスラエルの弓を折る」（5 節）とは、そういう意味です。この預言どおり、エフー王朝はエフーの後、4代で滅びました（詳細は、Ⅱ列王記15：8～ 12 に記されています）。<br>ホセアの息子のイズレエルは、エフー王朝に裁きが下ることの預言的名となりました。エフーは神からの油注ぎによって王となった人物ですが、どこに問題があったのでしょうか。（1）彼が王になることは、神の御心でした。（2）しかし彼は、神の御心を誤った動機で行いました。つまり、彼は政治的権力を求めて、クーデターを起こしたのです。神がエフーの利己的な態度と残忍性とを裁かれるのは、当然です。クリスチャンの中でも、神の御心を行いながら、動機が間違っているという場合があります。私たちもまた、そのような弱点を持った人間です。神から喜ばれる歩みをしているかどうか、自らを吟味してみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたの前に隠しおおせるものは一つもありません。どうか私をあわれんでください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=OC6IgCFtsyU" />
         <pubDate>2026-01-08 19:24:56 UTC</pubDate>
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         <title>ホセア書1：6～7</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3746038642</link>
         <description><![CDATA[<p>6 ゴメルはまたみごもって、女の子を産んだ。主は彼に仰せられた。「その子をロ・ルハマと名づけよ。わたしはもう二度とイスラエルの家を愛することはなく、決して彼らを赦さないからだ。</p><p>7 しかし、わたしはユダの家を愛し、彼らの神、主によって彼らを救う。しかし、わたしは弓、剣つるぎ、戦い、および馬、騎兵きへいによって彼らを救うのではない。」</p><p><br/></p><p><strong>第二子の誕生</strong></p><p><strong>第二子ロ・ルハマ</strong></p><p>ホセアの妻ゴメルは、第二子を産みます。今度は女の子でした。神はその子に「ロ・ルハマ」という名をつけるように命じます。これもまた預言的な名前で、その意味は、「愛されない」ということです。神は、「わたしはもう二度とイスラエルの家を愛することはなく、決して彼らを赦さないからだ」と言われました。神はこれまでに北王国イスラエルの民を何度もあわれんでこられましたが、それが限界に達したということです。神はアッシリヤをご自身の裁きの器として用いて、北王国イスラエルを裁かれます。<br>それとは対照的に、南王国ユダの民には、神のあわれみと愛とが約束されます。「しかし、わたしはユダの家を愛し、彼らの神、主によって彼らを救う。しかし、わたしは弓、剣、戦い、および馬、騎兵によって彼らを救うのではない」。この聖句は、興味深い文の構造になっています。主語は神ですが、その神が、「彼らの神、主によって彼らを救う」と言われます。ここには、神が三位一体の神であることが暗示されています。この約束は、アッシリヤの王であるセナケリブがエルサレムを包囲した時に成就しました。「その夜、主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな、死体となっていた」（Ⅱ列王記19：35）。</p><p><br/></p><p><strong>預言者の心</strong></p><p>ここで、ホセアの思いを想像してみましょう。だれでも自分の娘には、希望に満ちた名前、かわいい名前をつけてやりたいと思うはずです。「愛子」という名前をつける親はいくらでもいますが、「愛されない子」という名はつけないはずです。しかし、ホセアは自分の娘を「ロ・ルハマ（愛されない）」と呼んだのです。それによって彼は、神の痛みと悲しみに自らの心を重ね合わせることができたのです。神が私たちを裁かれる時、神は喜んでそうなさるわけではありません。神は痛みをもって罪人を裁かれるのです。預言者は、その神の痛みを自分のものとして引き受けて、神のことばを民に語るのです。私たちもキリストの弟子として、父なる神の痛みや悲しみを自分のものとさせていただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたの痛みを私の痛みとさせてください。私を、あなたのあわれみを届ける器としてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=QCXhMvQvP30" />
         <pubDate>2026-01-09 21:32:45 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ホセア書1：8～9</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3746495614</link>
         <description><![CDATA[<p>8 ゴメルは、ロ・ルハマを乳離ちばなれさせてから、みごもって男の子を産んだ。</p><p>9 主は仰せられた。「その子をロ・アミと名づけよ。あなたがたはわたしの民ではなく、わたしはあなたがたの神ではないからだ。」</p><p><br/></p><p><strong>第三子の誕生</strong></p><p><strong>第三子ロ・アミ</strong></p><p>第三子は男の子でした。神は、その子にロ・アミという名をつけるように命じます。これもまた預言的な名前で、その意味は「わたしの民ではない」ということです。神はイスラエルの民に、「あなたがたはわたしの民ではなく、わたしはあなたがたの神ではないからだ」と言われました。（1）この聖句の意味は、イスラエルの民が神の民でなくなったということではありません。彼らは依然として、アブラハム契約のゆえに神の民なのです。（2）しかし、イスラエルの民は不信仰な状態にあったために、神の民が受けるはずの祝福を受けられなくなっていました。それが、「わたしの民ではない」という言葉の意味です。（3）神がイスラエルの民と結んだ契約は、永遠に続きます。「神の賜物と召命とは変わることがありません」（ローマ11：29）とあるとおりです。<br>私たちクリスチャンは、イエス・キリストを通して父なる神との契約関係に入りました。この契約（罪の赦しと永遠のいのちの保証）は、永遠に破棄されることはありません。不信仰に陥って、その契約がもたらす祝福を味わえなくなることがないように、霊の目を覚ましていようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>預言者の心</strong></p><p>再び、ホセアの思いを想像してみましょう。彼は自分の息子に、「民男」ではなく、「民でない男」という名をつけました。この時も、彼は深い痛みを感じたはずです。それは、神の痛みと悲しみを自分のものとする出来事となりました。神が罪人を裁かれる時、神は事務的にそれを行うわけではありません。神の心には、深い痛みがあるのです。預言者は、その神の痛みを体験的に共有し、自らの痛みの中から神のことばを民に語るのです。<br>ペテロはこう書いています。「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです」（Ⅱペテロ3：9）。神の思いに立って、滅びに向かっている人々に福音を伝えようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私を福音のための使者としてこの世に派遣してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=h-0SWz7LzTE" />
         <pubDate>2026-01-10 21:11:53 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ホセア書1：10～2：1</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3747076990</link>
         <description><![CDATA[<p>10 イスラエル人の数は、海の砂のようになり、量ることも数えることもできなくなる。彼らは、「あなたがたはわたしの民ではない」と言われた所で、「あなたがたは生ける神の子らだ」と言われるようになる。</p><p>11 ユダの人々とイスラエルの人々は、一つに集められ、彼らは、ひとりのかしらを立てて、国々から上って来る。イズレエルの日は大いなるものとなるからである。</p><p>＜ 2 章＞<br>1 あなたがたの兄弟には、「わたしの民」と言い、あなたがたの姉妹には、「愛される者」と言え。</p><p><br/></p><p><strong>回復の預言</strong></p><p><strong>五つの約束</strong></p><p>ホセアの3 人の子どもたちの名前は、北王国イスラエルに神の裁きが下ることの預言となりました。しかし、きょうの箇所では、裁きの先に見える回復が預言されています。回復の預言の中には、五つの約束が含まれています。<br>（1）イスラエルの民の数は、数えることができないほど多くなる。（2）「わたしの民ではない」と言われた彼らが、「あなたがたは生ける神の子らだ」と言われるようになる。この預言の成就は、ペテロの手紙第一2：9～10 に見られます。「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。…あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です」。（3）ユダの民とイスラエルの民とは、一つの民族として統合されるようになる。（4）彼らは、ひとりのかしらによって導かれるようになる。「ひとりのかしら」とは、メシアのことです。（5）彼らは民族的回復を経験するようになる。将来のある時点で、神の怒りは過ぎ去るのです。神は、もはやイスラエルをロ・アミとかロ・ルハマとは呼ばず、以前にもまして「アミ（わたしの民）」、「ルハマ（愛される者）」と呼んでくださるのです。</p><p><br/></p><p><strong>異邦人への希望</strong></p><p>旧約の預言者たちは、裁きの使信を語りつつ、最後には希望のメッセージを民に伝えました。ホセアが語る回復の預言は、イスラエルの民に大いなる希望を与えたことでしょう。パウロはホセアのこの預言を、異邦人の救いに適用しています。「神は、このあわれみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。それは、ホセアの書でも言っておられるとおりです。『わたしは、わが民でない者をわが民と呼び、愛さなかった者を愛する者と呼ぶ。[あなたがたは、わたしの民ではない]と、わたしが言ったその場所で、彼らは、生ける神の子どもと呼ばれる』」（ローマ9：24～ 26）。<br>パウロのこの引用法は、「実際の出来事＋適用」というもので、類似点が一つでもあれば、これが可能になります。不信仰のゆえに「わが民でない」と呼ばれたイスラエルの民が、やがて回復されます。それと同じように、「神もなく、望みもなかった」私たち異邦人が、イエス・キリストの十字架の贖あがないによって、「生ける神の子ども」と呼ばれるようになったのです。今、自分がどのようなところから救われたのかを思い起こし、神に感謝の祈りをささげようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。神もなく、希望もなかった私を、あわれみの器として召してくださり感謝します。日々、希望に向かって歩み続けることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-01-11 19:30:13 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ホセア書2：2～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3748422053</link>
         <description><![CDATA[<p>2 「あなたがたの母をとがめよ。とがめよ。彼女はわたしの妻ではなく、わたしは彼女の夫ではないからだ。彼女の顔から姦淫を取り除き、その乳房の間から姦通を取り除け。</p><p>3 そうでなければ、わたしは、彼女の着物をはいで裸にし、生まれた日のようにして彼女をさらし、彼女を荒野あらののようにし、砂漠のようにし、渇きで彼女を死なせよう。</p><p>4 わたしは彼女の子らを愛さない。彼らは姦淫の子らであるから。</p><p>5 彼らの母は姦淫をし、彼らをはらんで恥をさらし、そして言った。『私は恋人たちのあとを追う。彼らは私にパンと水、羊毛と麻、油と飲み物を与えてくれる』と。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルへの適用</strong></p><p><strong>ヤハウェ（主）の妻、イスラエル</strong></p><p>ホセアは自らの結婚の体験をもとに、神からの啓示をイスラエルの民に向けて語ります。それは、「恋人たちのあとを追う」（5 節）妻への告発のメッセージとなっています。ここで、ヤハウェ（主）とイスラエルの民の関係を時間順に考えてみましょう（イスラエルはヤハウェの妻です）。（1）神はイスラエルと結婚関係に入られました。つまり、イスラエルと契約関係に入ったということです（申命記がその契約の文書です）。（2）しかし、イスラエルは姦淫の罪を犯しました。これは、偶像礼拝の罪のことです。（3）そこで神は、イスラエルと別居状態になりました（イザヤ書50：1がこれをよく表現しています）。（4）そしてついに、神はイスラエルを離縁します（エレミヤ書は、神からイスラエルに向けた離婚状です）。（5）姦淫の罪（偶像礼拝の罪）のゆえに、イスラエルの民の上に裁きが下ります。この状態は、現在も続いています。（6）将来、イスラエルが罪から清められ、神がイスラエルと再婚する時が来ます。<br>以上の六つの段階を心にとめて聖書を読むと、聖書の中のイスラエルの位置づけがよくわかるようになります。ホセア書は、この六つの段階すべてに関係しているわけではありませんが、その中のいくつかの段階に触れています。</p><p><br/></p><p><strong>別居状態</strong></p><p>きょうの箇所の内容は、神とイスラエルが別居状態に入ったことを示しています。（1）神は、「彼女はわたしの妻ではなく、わたしは彼女の夫ではないからだ」と宣言されます。その理由は、妻の姦淫にあります。「姦淫を取り除き…姦通を取り除け」とは、「偶像礼拝を取り除け」という意味です。（2）もし偶像礼拝を続けるなら、イスラエルの民は「ロ・アミ（わたしの民ではない）」となります。妻の着物をはいで裸にし、外に追い出すのは、その妻が姦淫の女であることを示す習慣です。（3）さらに、イスラエルの民は「ロ・ルハマ（愛されない子）」となります。具体的には、イスラエルの地が荒廃こうはいし、砂漠化するということです。（4）ヤハウェの妻であるイスラエルは、大きな誤解をしていました。イスラエルはこう豪語していたのです。「私は恋人たちのあとを追う。彼らは私にパンと水、羊毛と麻、油と飲み物を与えてくれる」。「恋人たち」とは、偶像のことです。<br>イスラエルの民の失敗を見ながら、自分自身にも誤解がないかどうか吟味してみましょう。私たちが受けている祝福は、どこから来ているのでしょうか。父なる神の愛とあわれみを思い、神の子とされている幸いを感謝しようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。今私があるのは、あなたの恵みのゆえです。あなただけが私の神です。あなたにのみ信頼を置きます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-01-12 19:45:55 UTC</pubDate>
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         <title>ホセア書2：6 ～ 8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3749888546</link>
         <description><![CDATA[<p>6 それゆえ、わたしは、いばらで彼女の道に垣かきを立て、彼女が通かよい路じを見いださないように、石垣を立てよう。</p><p>7 彼女は恋人たちのあとを追って行こう。しかし、彼らに追いつくことはない。彼らを捜し求めよう。しかし、見つけ出すことはない。彼女は言う。『私は行って、初めの夫に戻ろう。あの時は、今よりも私はしあわせだったから。』</p><p>8 彼女に穀物と新しいぶどう酒と油とを与えた者、また、バアルのために使った銀と金とを多く与えた者が、わたしであるのを、彼女は知らなかった。</p><p><br/></p><p><strong>知識の欠如</strong></p><p><strong>石垣を立てる</strong></p><p>イスラエルの民は、ヤハウェ（主）ではなく偶像の神々が、自分に必要なものを与えてくれていると誤解していました。（1）「それゆえ」とは、イスラエルの民が偶像礼拝に走っていたことを指しています。それゆえ、主は、イスラエルの民の道にいばらの垣や石垣を立て、偶像礼拝に走ることができないようにされます。「彼女が通い路を見いださないように、石垣を立てよう」とあるとおりです。（2）イスラエルの民は偶像礼拝に走ろうとしますが、立てられた石垣のゆえに、それができなくなります。「彼女は恋人たちのあとを追って行こう。しかし、彼らに追いつくことはない。彼らを捜し求めよう。しかし、見つけ出すことはない」とあるとおりです。かくして、彼女（イスラエルの民）にとっては偶像が存在しないのと同じ状態になるのです。（3）そこに至って初めて、イスラエルの民は自分たちがいかに主から多くの祝福を受けていたかを悟るようになります。「私は行って、初めの夫に戻ろう。あの時は、今よりも私はしあわせだったから」とは、そういう意味です。これは、イスラエルの民の回復の預言です。</p><p><br/></p><p><strong>知識の欠如が滅びの原因</strong></p><p>8節の聖句は非常に重要です。「彼女に穀物と新しいぶどう酒と油とを与えた者、また、バアルのために使った銀と金とを多く与えた者が、わたしであるのを、彼女は知らなかった」。これはホセア書の中心テーマでもあります。（1）イスラエルの民に「穀物と新しいぶどう酒」や「銀と金」を与えたのは、主でした。（2）しかし、イスラエルの民は主から受けたものを、バアル礼拝（偶像礼拝）のために使い、主の御名を汚しました。（3）その罪のゆえに、イスラエルの民の上に裁きが下ります。<br>イスラエルの民の問題点は、「無知」ということにありました。信仰的な無知が彼らを滅びへと駆り立てたのです。「彼女に…多く与えた者が、わたしであるのを、彼女は知らなかった」とあります。なんと悲しいことばでしょうか。主イエスは、こう教えておられます。「だから、彼ら（異教徒）のまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです」。きょうも父なる神の愛とあわれみに信頼を置いて歩みましょう。父なる神は、私たちの必要を必ず満たしてくださいます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。信仰的な無知から私を解放してください。あなたの愛と恵みを常に味わいながら、歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=jpk9PcDNk_Y" />
         <pubDate>2026-01-13 19:51:04 UTC</pubDate>
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         <title>ホセア書2：9～13</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3751274279</link>
         <description><![CDATA[<p>9 それゆえ、わたしは、その時になって、わたしの穀物を、その季節になって、わたしの新しいぶどう酒を取り戻し、また、彼女の裸をおおうためのわたしの羊毛と麻とをはぎ取ろう。</p><p>10 今、わたしは彼女の恥を、恋人たちの目の前にあばく。だれも彼女をわたしの手から救い出せる者はない。</p><p>11 わたしは彼女のすべての喜び、祭り、新月の祭り、安息日、すべての例祭を、やめさせる。</p><p>12 それから、わたしは彼女が『これは私の恋人たちが払ってくれた報酬』と言っていた彼女のぶどうの木と、いちじくの木とを荒れすたらせ、これを林にして、野の獣けものにこれを食べさせる。</p><p>13 わたしは、彼女がバアルに香をたき、耳輪や飾りを身につけて、恋人たちを慕って行き、わたしを忘れてバアルに仕えた日々に報いる。─主の御告みつげ─</p><p><br/></p><p><strong>処罰される姦淫の妻</strong></p><p><strong>背景になっている当時の習慣</strong></p><p>この箇所の意味を理解するためには、姦淫の妻を処罰する当時の習慣を知らなければなりません。すでに3節にはこのようにありました。「わたしは、彼女の着物をはいで裸にし、生まれた日のようにして彼女をさらし、彼女を荒野のようにし、砂漠のようにし、渇きで彼女を死なせよう」。姦淫の妻を裸にしてさらしものにするのは、姦淫の罪を処罰する当時の方法です。これは罰のための罰と言えるでしょう。しかし、ヤハウェ（主）がイスラエルの民を罰するのは、彼らを悔い改めに導くためです。その違いをよく認識しておく必要があります。</p><p><br/></p><p><strong>裸にされた妻</strong></p><p>「裸にされる」とは、イスラエルの民の場合は収穫の喜びが奪われることです。（1）イスラエルの地は、穀物も新しいぶどう酒も産出しなくなります。地は荒廃し、まる裸になるのです。（2）羊毛と麻もはぎ取られます。それゆえ、裸をおおうことができなくなります。（3）イスラエルの民の恥は偶像の前に明らかになりますが、いかなる偶像も彼らを救うことができません。（4）主から与えられた種々の祭り（過越の祭り、五旬節ごじゅんせつの祭り、仮庵かりいおの祭りなど）、新月の祭り、安息日、各種例祭なども、中止に追い込まれます。その理由は、イスラエルの民が主の祭りを偶像礼拝のための機会として悪用したからです。（5）「ぶどうの木といちじくの木」は、安全と繁栄を象徴しています。イスラエルの民は、それらを恋人（偶像）から受けた祝福だと誤解していました。それゆえ、主はイスラエルの民からそれを取り去り、野の獣に与えてしまわれます。<br>イスラエルの民がこのような罰を受ける理由は、「彼女（イスラエルの民）が、わたし（主）を忘れ、バアルに仕えた」からです。主は、イスラエルの民が偶像礼拝に走っていた日々を、彼らに報いると言われます。しかし、冒頭に確認したように、主がイスラエルの民を罰する理由は、彼を悔い改めに導くためです。次回学ぶ箇所では、主の方法が功を奏し、イスラエルの民が悔い改めに導かれる様子が預言されます。<br>パウロは、ローマ人への手紙2：4でこう書いています。「それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか」。悔い改めこそ、主から祝福を受ける最善の方法です。私たちは、悔い改めによって、たましいの平安を経験するようになります。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。あなたは私たちを、聖霊によって悔い改めへと導いてくださいます。きょうも、たましいの平安をいただくことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=jPxVIscfTuk" />
         <pubDate>2026-01-14 19:12:37 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3751274279</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ホセア書2：14 ～ 15</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3752711429</link>
         <description><![CDATA[<p>14 それゆえ、見よ、わたしは彼女をくどいて荒野に連れて行き、優しく彼女に語ろう。</p><p>15 わたしはその所を彼女のためにぶどう畑にし、アコルの谷を望みの門としよう。彼女が若かった日のように、彼女がエジプトの国から上って来たときのように、彼女はその所で答えよう。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエル回復の預言</strong></p><p><strong>主（ヤハウェ）の妻イスラエルの回復</strong></p><p>きょうの箇所は、主とイスラエルの結婚関係の第6段階を預言したものです（結婚、妻の姦淫、別居、離婚、裁き、再婚という段階があります）。14節には、「それゆえ、見よ、わたしは彼女をくどいて荒野に連れて行き、優しく彼女に語ろう」とあります。「彼女をくどいて」とは、主がイスラエルの民に愛をもって優しく語りかけておられる状態を示しています。それでは、そのことはいつ起こるのでしょうか。また、「荒野に連れて行く」とは、どの荒野を指しているのでしょうか。<br>聖書の他の箇所に記された預言から、これが起こるのは患難時代の半ばであることがわかります。（1）マタイの福音書24：15 ～16 にはこうあります。「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、（読者はよく読み取るように）。そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい」。これは反キリストの登場と、ユダヤ人たちの避難を預言した聖句です。（2）ヨハネの黙示録12：6、13～17 にも、ユダヤ人たち（女と書かれているのがそれです）が荒野にのがれ、そこで3年半とどまるであろうことが預言されています。（3）ミカ書2：12 には、「ヤコブよ。わたしはあなたをことごとく必ず集める。わたしはイスラエルの残りの者を必ず集める。わたしは彼らを、おりの中の羊のように、牧場の中の群れのように一つに集める。こうして人々のざわめきが起ころう」とあります。「おりの中の羊」を直訳すると「ボツラの羊」となります。「ボツラ」というのはヨルダン南部にある地名で、ギリシヤ語では「ペトラ」として知られています。<br>以上のことから、イスラエルの民が荒野にのがれるのは患難時代の中間であること、また、彼らが主によって導かれる荒野とは、ヨルダン南部の地であることがわかります。</p><p><br/></p><p><strong>悩みの谷が望みの門になる</strong></p><p>その荒野において、イスラエルの民は主からの求愛に応答するようになります。（1）神は、荒野を「ぶどう畑」に変え、「アコル（悩み）の谷」を「望みの門」に変えてくださいます。「アコルの谷」は、ヨシュアがアカン（聖絶のものを盗み重大な罪を犯した人物）を罰した場所です（ヨシュア記7：24 ～26）。そこは、イスラエルの民にとってはまことに「悩みの谷」となりました。そこが、約束の地に入るための「望みの門」と変えられます。（2）その時、イスラエルの民は、ちょうど出エジプトの時のように、再び主に信頼するようになります。（3）これは、主とイスラエルの民の再婚が成立することを預言したものです。<br>主がイスラエルの民を永遠に愛される理由は、アブラハム契約にあります。神は永遠の愛をもってイスラエルを愛し、導かれます。イエス・キリストを救い主と信じた私たちも、神との永遠の契約関係に入りました。神は決して私たちを見捨てることはありません。神の求愛に応答する者とならせていただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。この世界には、あなたの愛から私を切り離せるものは何も存在しません。きょうもあなたの愛に応答して歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=GZ4QOYRfEGo" />
         <pubDate>2026-01-15 19:24:21 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3752711429</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ホセア書2：16～23</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3753956932</link>
         <description><![CDATA[<p>16 その日、─主の御告げ─あなたはわたしを『私の夫』と呼び、もう、わたしを『私のバアル』とは呼ぶまい。</p><p>17 わたしはバアルたちの名を彼女の口から取り除く。その名はもう覚えられることはない。</p><p>18 その日、わたしは彼らのために、野の獣、空の鳥、地をはうものと契約を結び、弓と剣と戦いを地から絶やし、彼らを安らかに休ませる。</p><p>19 わたしはあなたと永遠に契ちぎりを結ぶ。正義と公義と、恵みとあわれみをもって、契りを結ぶ。</p><p>20 わたしは真実をもってあなたと契りを結ぶ。このとき、あなたは主を知ろう。</p><p>21 その日、わたしは答える。─主の御告げ─わたしは天に答え、天は地に答える。</p><p>22 地は穀物と新しいぶどう酒と油とに答え、それらはイズレエルに答える。</p><p>23 わたしは彼をわたしのために地にまき散らし、『愛されない者』を愛し、『わたしの民でない者』を、『あなたはわたしの民』と言う。彼は『あなたは私の神』と言おう。」</p><p><br/></p><p><strong>新しい契約の希望</strong></p><p><strong>その日（16～17節）</strong></p><p>前回の箇所に続いて、イスラエル回復の預言が語られます。「その日」とは、神がイスラエルの民と新しい契約を結ばれる日です。（1）イスラエルの民は、主を「私の夫」と呼び、「私のバアル」とは呼ばなくなります。ヘブル語では、「私の夫」も「私のバアル」も、ともに「夫」を指す言葉で、それ自体は悪いものではありません。（2）しかし、「私のバアル」という呼び方は、偶像の「バアル」という言葉とよく似ているので、イスラエルの婦人たちはその言葉を使用しなくなります。つまり、千年王国においてはそれが死語となるのです。</p><p><br/></p><p><strong>その日（18～20節）</strong></p><p>イスラエルの民は、野生動物の害を被こうむることがなくなり、戦争の被害に会うこともなくなります。つまり、完全な平安の中で住まうようになるということです。（1）主はイスラエルの民と「永遠に契りを結」ばれます。つまり、歴史の終わる時までこの婚姻関係は続くのです。（2）主は、四つの約束をもってイスラエルの民と契りを結ばれます。それはまるで、花婿が花嫁の父に支払う「花嫁料」を数え上げているかのようです。四つの約束とは、「正義、公義、恵み（契約に基づく愛）、あわれみ」です。（3）主がイスラエルの民と結ぶ契りの内容は、「真実なもの」です。</p><p><br/></p><p><strong>その日（21～23節）</strong></p><p>その日には、1章に出てきたイスラエルの民の名前の逆転が起こります。（1）イズレエルという名前には、「散らす者」と「種を蒔く者」という二つの意味がありました。「散らす者」というのは、イスラエルの民が神の裁きを受けることを預言したものでした。ところが、その名前が神の祝福を預言するものとなる日が来ます。約束の地には種が蒔かれ、それが豊かな実りをつけるようになります。その地に、天と地からの祝福が注がれるからです。（2）「愛されない者（ロ・ルハマ）」が、「主から愛される者」となります。（3）「わたしの民でない者（ロ・アミ）」が、「わたしの民」と呼ばれるようになります。<br>ここに記された「名前の逆転」は、どんな人にも希望があることを教えています。私たちも、失敗者のままで人生を終える必要はありません。パウロはこう書いています。「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです」（Ⅰテモテ1：15）。神の愛はどのような人にも差し出されています。それを受け取る人は、幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。あなたの愛のことばは、真実です。私に、罪の赦しと永遠のいのちを約束してくださり感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=1Fh7f9UmC_c" />
         <pubDate>2026-01-16 21:23:57 UTC</pubDate>
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         <title>ホセア書3：1～3</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3754472746</link>
         <description><![CDATA[<p>1 主は私に仰せられた。「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。ちょうど、ほかの神々に向かい、干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの人々を主が愛しておられるように。」</p><p>2 そこで、私は銀十五シェケルと大麦一ホメル半で彼女を買い取った。</p><p>3 私は彼女に言った。「これから長く、私のところにとどまって、もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはならない。私も、あなたにそうしよう。」</p><p><br/></p><p><strong>ホセアに対する第二の命令</strong></p><p><strong>再び行って</strong></p><p>きょうの箇所は、ホセアに対する第二の命令です。（1）1章から3章の間のどこかで、ホセアの妻ゴメルは再び遊女の生活に戻り、最後は奴隷に売られてしまいます。（2）その姿は、ちょうど、偶像に向かって情欲を燃やすイスラエルの民のようです。「干しぶどうの菓子」という言葉は、旧約聖書の時代には、「情欲の象徴」として用いられていたものです。（3）主はそのようなイスラエルの民を愛しておられました。それゆえホセアも、姦淫の末に奴隷となったゴメルを愛するようにとの命令を受けたのです。</p><p><br/></p><p><strong>彼女を買い取った</strong></p><p>ホセアは主の命令に忠実に行動しています。（1）彼は、奴隷市場で売りに出されているゴメルを買い取りました。（2）その価格は、銀15 シェケルと大麦1ホメル半でした。大麦1 ホメル半は、銀15 シェケルと同じ価値があったと思われます。つまり、ホセアは合計銀30 シェケル分の代価を払って彼女を買い取ったのです。（3）この価格は、出エジプト記21：32と関係があります。「もしその牛が、男奴隷、あるいは女奴隷を突いたなら、牛の持ち主はその奴隷の主人に銀貨三十シェケルを支払い、その牛は石で打ち殺されなければならない」。銀貨30シェケルは、死んだ奴隷の値段だったのです。ゴメルはその程度の価格で売買されていました。つまり、彼女は女性としての魅力もなくなり、だれも彼女を欲しいとは思わない状態になっていたのです。（4）そのような落ちぶれ果てたゴメルを求めたのは、ホセアだけでした。<br>ゴメルを買い戻したホセアは、彼女にこう言います。「これから長く、私のところにとどまって、もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはならない。私も、あなたにそうしよう」。（1）彼女は、ほかの男と関係を結んだり、結婚関係に入ったりはしなくなります。（2）と同時に、ホセアもまたある時までは、彼女との夫婦関係を控えるようになります。これは、彼女にとっての謹慎期間なのです。（3）ホセアとゴメルに起こったことが、そのまま主とイスラエルの民との関係に適用されます。それが、次回学ぶ4 節、5節の意味です。<br>神を知る前の私たちは、奴隷状態に陥ったゴメルのような存在でした。この世にあっては、なんの希望も夢もなかった私たちを、父なる神は愛してくださいました。ホセアの悲痛な体験を通して、神の愛とあわれみの深さが見えてきます。神の愛に信頼を置く者は幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。この世にあってなんの希望も夢もなかった私を買い戻してくださり、心から感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=yKvt0Tpx-Hk" />
         <pubDate>2026-01-17 20:35:47 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ホセア書3：4～5</title>
         <author>shizukaosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3754992511</link>
         <description><![CDATA[<p>4 それは、イスラエル人は長い間、王もなく、首長もなく、いけにえも、石の柱も、エポデも、テラフィムもなく過ごすからだ。</p><p>5 その後、イスラエル人は帰って来て、彼らの神、主と、彼らの王ダビデを尋ね求め、終わりの日に、おののきながら主とその恵みに来よう。</p><p><br></p><p><strong>イスラエルの民への適用</strong></p><p><strong>イスラエルの民の現状</strong></p><p>前回は、3節から次のようなことを学びました。（1）ゴメルは、ほかの男と関係を結ばなくなる。（2）と同時に、ホセアもまたある時までは、彼女との夫婦関係を控えるようになる。これは、彼女にとっての謹慎期間です。<br>4節では、上記の内容がそのままイスラエルの民に適用されます。（1）イスラエルの民は、王も首長もない生活をするようになります。つまり、自分たちの政府がない生活に入るということです。バビロン捕囚の時代には、王はなく、首長だけが存在しました。しかし、ローマ時代以降は、王も首長もない生活に入ります。（2）イスラエルの民は、「いけにえ」も「エポデ」もない生活に入ります。つまり、神殿礼拝も祭司制度もない生活を送るようになるということです。（3）さらに、イスラエルの民は、「石の柱」や「テラフィム」とも無縁の生活をするようになります。これは、イスラエルの民が偶像礼拝から解放されるという預言です。（4）以上のことは、紀元70 年にエルサレムが崩壊して以降のイスラエルの民の状態を預言したものです。そしてそれは、そのまま今のイスラエルの民の状態でもあります。彼らは、偶像礼拝をしなくなっていますが、同時に、真の礼拝も、神への信仰も失くしたままです。</p><p><br></p><p><strong>イスラエルの民の回復</strong></p><p>5節は、イスラエルの民の回復を預言しています。（1）終わりの日に、彼らはイスラエルの神（ヤハウェ）を尋ね求めるようになります。（2）と同時に、彼らの王ダビデをも尋ね求めます（千年王国では、ダビデ王がメシアとともにイスラエルの民を統治するようになります）。（3）イスラエルの民は、ついに、おののきながらイスラエルの神に立ち返るようになります。これが、イスラエルの民の民族的救いです。<br>これと同じ内容の預言が、エレミヤ書やエゼキエル書に出てきます。「彼らは彼らの神、主と、わたしが彼らのために立てる彼らの王ダビデに仕えよう」（エレミヤ書30：9）。「わたしは、彼らを牧するひとりの牧者、わたしのしもべダビデを起こす。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。主であるわたしが彼らの神となり、わたしのしもべダビデはあなたがたの間で君主となる。主であるわたしがこう告げる」（エゼキエル書34：23 ～24。これ以外にエゼキエル書37：24 ～25 も参照）。<br>神はイスラエルの民のための計画をお持ちですが、私たち異邦人信者のためにもすばらしい計画を用意しておられます。神の愛は永遠に変わることがありません。神の約束を信じて歩む人は幸いです。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。私のためにもすばらしい計画を用意してくださり感謝します。あなたの計画は最善であることを信じます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br></p>]]></description>
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         <pubDate>2026-01-18 20:57:19 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ホセア書4：1～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3756174892</link>
         <description><![CDATA[<p>1 イスラエル人よ。主のことばを聞け。主はこの地に住む者と言い争われる。この地には真実がなく、誠実がなく、神を知ることもないからだ。</p><p>2 ただ、のろいと、欺きと、人殺しと、盗みと、姦通がはびこり、流血に流血が続いている。</p><p>3 それゆえ、この地は喪もに服し、ここに住む者はみな、野の獣けもの、空の鳥とともに打ちしおれ、海の魚さえも絶え果てる。</p><p>4 だれもとがめてはならない。だれも責めてはならない。しかし祭司よ。わたしはあなたをなじる。</p><p>5 あなたは昼つまずき、預言者もまた、あなたとともに夜つまずく。わたしはあなたの母を滅ぼす。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの民の罪</strong></p><p><strong>北王国イスラエルへの預言</strong></p><p>ホセア書は、前半（1～ 3章、ホセアの結婚生活）と後半（4 ～14 章、北王国イスラエルへの預言）に分かれます。きょうの箇所から、後半の部分に入ります。<br>「イスラエル人よ。主のことばを聞け」というのは、預言を語る際の定式句です。ここでは、主がイスラエルの民と「言い争われ」ます。（1）主がイスラエルの民を告訴する理由は、彼らに「真実」、「誠実」、「神を知る知識」が欠けているからです。特に、知識の欠如けつじょがきびしく糾弾きゅうだんされます。彼らが無知なのは、彼らに神を知る知識が与えられなかったからではありません。彼らは、与えられた知識を拒否した結果、それを失ったのです。（2）彼らは「真実」と「誠実」を捨て、律法に違反する生活を送っていました。2節には、「ただ、のろいと、欺きと、人殺しと、盗みと、姦通がはびこり、流血に流血が続いている」とあります。これらの罪は、すべて律法違反の罪、特に十戒に違反する罪です。（3）その結果、イスラエルの地が呪われるようになります。地には産物を生み出す力がなくなり、動物界も繁殖力を失います。その上、海の魚さえも絶え果てるのです。</p><p><br/></p><p><strong>祭司の罪</strong></p><p>次に、祭司たちの罪が糾弾されます。（1）祭司とレビ人とは、単に神殿での祭儀を行っていたのではありません。彼らには、イスラエルの民を教える義務がありました。（2）その使命を果たすために、レビ族には所有地が与えられず、彼らは12部族の領地の中に分散して住んだのです。モーセの律法を民に教えるために、彼らはイスラエルの地に散らばって生活しました。（3）当時は、一般庶民が聖書写本を所有することは不可能でした。それを所有できたのは、祭司とレビ人だけです。（4）しかし、彼らは主から与えられた使命をないがしろにし、自分勝手な生活をしていました。（5）さらに、預言者たちも堕落した生活を送っていました。（6）「わたしはあなたの母を滅ぼす」とありますが、その意味は、「国（母）が滅びる」ということです。<br>主のしもべたちがその使命を忘れる時、主の裁きが地に下ります。それは、道を外した神の民を矯正するための神の鞭むちです。パウロは、「私たちは自分自身を宣のべ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです」（Ⅱコリント4：5）と語っています。主から、「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」（マタイ25：21）とのおほめのことばをいただけるように、主の御心の道を歩もうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。どうか私を忠実なしもべと認めて、私をお用いください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=Hjt7f74uvAM" />
         <pubDate>2026-01-19 19:21:36 UTC</pubDate>
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         <title>ホセア書4：6～10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3757720518</link>
         <description><![CDATA[<p>6 わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。あなたは神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れよう。</p><p>7 彼らはふえるにしたがって、ますます、わたしに罪を犯した。わたしは彼らの栄光を恥に変える。</p><p>8 彼らはわたしの民の罪を食いものにし、彼らの咎とがに望みをかけている。</p><p>9 だから、民も祭司も同じようになる。わたしはその行いに報い、そのわざの仕返しをする。</p><p>10 彼らは食べても、満たされず、姦淫しても、ふえることはない。彼らは主を捨てて、姦淫を続けるからだ。</p><p><br/></p><p><strong>祭司に下る裁き</strong></p><p><strong>知識の欠如</strong></p><p>きょうの箇所は前回の続きで、祭司たちの罪が糾弾されています。再度確認しますが、祭司は儀式を司つかさどるだけではなく、一般庶民を教育する責務も与えられていました。その祭司たちが、自らの責任を忘れて自分勝手に行動していたのです。<br>（1）神は背信の祭司たちのことを、「わたしの民」と呼んでいます。イスラエルの民がいかに神に背そむこうとも、彼らが神の選びの民であるという事実は変わりません。神に背いた場合には、神の民に与えられる祝福にあずかることはできませんが、神の民としての立場が取り消されることはありません。（2）祭司たちは、神から与えられた知識を否定し、それを退けました。彼らは、民に神のことばを教え、彼らを神に導くという責任を放棄しました。祭司たちが知識を退けたので、神もまた彼らを退けると言われます。（3）神の知識を否定するなら、次にやって来るのは「みことばに関する無知」です。祭司たちが神の教えを忘れたので、神もまた彼らの子らを忘れようと言われます。</p><p><br/></p><p><strong>無知から破滅へ</strong></p><p>無知の次にやって来るのは、破滅です。祭司たちは、その数が増えるに従って、ますます罪を犯すようになりました。（1）彼らは、神の御心を民に知らせるという栄誉ある仕事を、放棄しました。それは、神の栄光を恥に変えることです。（2）彼らの関心事は、人々に霊的祝福を届けることではなく、私服を肥やすことでした。彼らは、自分たちの収入が増えるために、民がより多くの罪を犯すことを願っていたのです。なぜなら、彼らは民がささげる罪の贖いのいけにえで生活していたからです。（3）かくして、指導者の堕落は必然的に民の堕落をもたらし、全国民が霊的堕落の結果に苦しむようになります。彼らは、いくら食べても満足することがなくなります。また、異教の豊穣祭儀の中で姦淫しても、子孫を増やせなくなります。神が彼らを裁かれるからです。<br>破滅に至る三つのステップに注目しましょう。神のみことばを退ける→霊的な無知に陥る→自分の身に破滅を招く。この三つのステップを自分に当てはめてみましょう。もし私たちが意図的に、神のみことばを拒否したり、無視したりしているなら、私たちは破滅に近づいています。熱心に神のみことばを求めようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。私の中にみことばへの渇きを与えてください。日々、デボーションを継続することができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-01-20 19:16:06 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ホセア書4：11 ～ 14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3759258321</link>
         <description><![CDATA[<p>11 ぶどう酒と新しいぶどう酒は思慮を失わせる。</p><p>12 わたしの民は木に伺いを立て、その杖は彼らに事を告げる。これは、姦淫の霊が彼らを迷わせ、彼らが自分たちの神を見捨てて姦淫をしたからだ。</p><p>13 彼らは山々の頂でいけにえをささげ、丘の上、また、樫かしの木、ポプラ、テレビンの木の下で香をたく。その木陰こかげがここちよいからだ。それゆえ、あなたがたの娘は姦淫をし、あなたがたの嫁は姦通をする。</p><p>14 わたしは、あなたがたの娘が姦淫をしても罰しない。また、あなたがたの嫁が姦通をしても罰しない。それは男たちが遊女とともに離れ去り、神殿娼婦とともにいけにえをささげているからだ。悟りのない民は踏みつけられる。</p><p><br/></p><p><strong>知識を退けた結果</strong></p><p><strong>異邦人の霊的状態</strong></p><p>イスラエルの民は、まるで異邦人のような霊的状態に陥っています。異邦人の霊的状態とは以下のようなものです。（1）彼らには、自然を通した神の啓示が与えられています。（2）また、心に与えられた良心も神の啓示の一部です。（3）ですから、神のみことばを知らない異邦人でも、神からの啓示の光を与えられているのです。もし異邦人が、その光に応答して歩むなら、神はさらに鮮明な啓示を与え、その人を救いに導かれます。神は摂理的に私たちを導かれるお方です。キリストの福音を聞かされることなく死んだ人はどうなるのかという質問をよく受けます。そういう人は、生前に福音を聞かされたとしても拒否していた人たちです（以上が、ローマ人への手紙1章の論点です）。<br>異邦人は、神からの啓示の光を拒否して自らを堕落の淵に追い込むのですが、それと同じことを神の民であるイスラエルが行うようになっています。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの民の霊的状態</strong></p><p>すべては、神の知識（みことば）を退けるところから始まりました。その結果、六つの呪いが彼らに降りかかりました。（1）彼らは酒におぼれ、思慮を失うようになりました。（2）彼らは、もの言わぬ偶像に伺いを立てるようになりました。真の神を否定した人は、必ず別の所に目が行くようになります。「姦淫の霊が彼らを迷わせる」とはそういう意味です。キリストの福音を拒否した人は、必ず別の宗教に目をやるようになります。（3）次に彼らは、偽りのいけにえを偶像にささげるようになりました。（4）娘や嫁は、淫乱な神殿礼拝に関わるようになりました。（5）淫乱な神殿礼拝を作り出し、それを実行している男たちに裁きが下ります。（6）そして最後に、悟りを欠いた民全体が破滅を経験するようになります。<br>異邦人が神に反抗している姿は悲惨ですが、それ以上に、神の民であるイスラエルが、神の知識を退け、破滅への道を突き進んでいる姿はさらに悲惨です。さて、クリスチャンである私たちはどうでしょうか。イエス・キリストのすばらしさを体験した者が、神のみことばを退けるなら、これ以上に悲惨なことはありません。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。今私は、あなたのみことばを慕い求めます。どうか私の心を、あなたのみことばで満たしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=pW9oFtzR22Q" />
         <pubDate>2026-01-21 19:19:54 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3759258321</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ホセア書4：15～19</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3760864861</link>
         <description><![CDATA[<p>15 イスラエルよ。あなたは姦淫をしても、ユダに罪を犯させてはならない。ギルガルに行ってはならない。ベテ・アベンに上ってはならない。「主は生きておられる」と言って誓ってはならない。</p><p>16 まことに、イスラエルはかたくなな雌牛のようにかたくなだ。しかし今、主は、彼らを広い所にいる子羊のように養う。</p><p>17 エフライムは偶像に、くみしている。そのなすにまかせよ。</p><p>18 彼らは飲酒にふけり、淫行を重ね、彼らのみだらなふるまいで恥を愛した。</p><p>19 風はその翼で彼らを吹き飛ばす。彼らは自分たちの祭壇のために恥を見る。</p><p><br/></p><p><strong>ユダへの警告</strong></p><p><strong>南王国ユダへの警告</strong></p><p>ホセアは、北王国イスラエルに向かって神からのメッセージを語った預言ですが、例外的に南王国ユダに向かって語る場合もありました。きょうの箇所は、その例外的な箇所です。ここでホセアが語っていることを要約すると、「南王国ユダよ、北王国イスラエルと同じ罪を犯してはならない」ということです。特に、イスラエルの三つの罪が指摘され、それを見習わないようにとの警告が語られています。</p><p><br/></p><p><strong>北王国イスラエルの三つの罪</strong></p><p>（1）北王国イスラエルが行っている礼拝を真似てはならない。15節には、「ギルガルに行ってはならない。ベテ・アベンに上ってはならない」とあります。ギルガルには、かつて預言者の学校がありましたが（Ⅱ列王記4：38）、北王国イスラエルはそこを偶像礼拝の中心地に変えてしまいました。ベテ・アベンはかつてベテル（神の家）と呼ばれていた場所です。そこが、今ではベテ・アベン（悪の家）と呼ばれるようになりました。アブラハムはベテルに祭壇を築きました（創世記12：8）。さらに、ヤコブもそこに祭壇を築いています（創世記25：18～ 22、35：13～ 15）。さらに、ベテルには預言者の学校もできました（Ⅱ列王記2：2～ 3）。そのように、族長たちが真の神に祭壇を築いてきた場所が、後には金の子牛を安置する場所となりました（Ⅰ列王記12：29）。そして、ホセアの時代には偶像礼拝の中心地となっていたのです。<br>（2）北王国イスラエルの頑なで不従順な姿勢を真似てはならない。16節には、「まことに、イスラエルはかたくなな雌牛のようにかたくなだ。しかし今、主は、彼らを広い所にいる子羊のように養う」とあります。イスラエルは背信の民であり、いつまでも悔い改めようとはしません。それゆえ、神は彼らを「広い所にいる子羊のように」されるのです。つまり、彼らは子羊が野の獣の餌食になるように敵の餌食になるということです。<br>（3）北王国イスラエルは偶像礼拝にふけっているので、そのままにしておけ。17節には、「エフライムは偶像に、くみしている。そのなすにまかせよ」とあります。「エフライム」というのは北王国イスラエルのことです。北王国の10部族の中でエフライム部族が最有力なので、エフライムが北王国の代名詞になっているのです。堕落した祭司たちが民を指導した結果、民は偶像崇拝、飲酒、淫行におぼれるようになりました。北王国イスラエルは、自らが犯した罪のために滅びるようになります。南王国ユダは、そういう民といっさいの関係を断ち切るべきなのです。私たちもまた、回帰不能点を越えたような人と付き合う場合は、十分に注意する必要があります。誤った礼拝、頑なな心、そして無節操な付き合いから守ってくださいと、祈ろうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。どうか私に気づきを与え、罪人の道から私を遠ざけてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=dqLkAwbtTkY" />
         <pubDate>2026-01-22 19:10:55 UTC</pubDate>
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         <title>ホセア書5：1～7</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3762382898</link>
         <description><![CDATA[<p>1 祭司たちよ。これを聞け。イスラエルの家よ。心せよ。王の家よ。耳を傾けよ。あなたがたにさばきが下る。あなたがたはミツパでわなとなり、タボルの上に張られた網となったからだ。</p><p>2 曲がった者たちは落とし穴を深くした。わたしは彼らをことごとく懲こらしめる。</p><p>3 わたしはエフライムを知っていた。イスラエルはわたしに隠されていなかった。しかし、エフライムよ、今、あなたは姦淫をし、イスラエルは身を汚してしまった。</p><p>4 彼らは自分のわざを捨てて神に帰ろうとしない。姦淫の霊が彼らのうちにあって、彼らは主を知らないからだ。</p><p>5 イスラエルの高慢はその顔に現れている。イスラエルとエフライムは、おのれの不義につまずき、ユダもまた彼らとともにつまずく。</p><p>6 彼らは羊の群れ、牛の群れを連れて行き、主を尋ね求めるが、見つけることはない。主は彼らを離れ去ったのだ。</p><p>7 彼らは主を裏切り、他国の男の子を生んだ。今や、新月が彼らとその地所を食い尽くす。</p><p><br/></p><p><strong>国の指導者たちに対する告訴</strong></p><p><strong>指導者たちの責任</strong></p><p>4章では北王国イスラエルの罪が暴かれ、糾弾されました。きょうの箇所では、民全体に対して裁きの預言が語られます。民の中でも特に、宗教的指導者たち（祭司たち）、政治的指導者たち（王の家）の責任が追及されます。<br>偶像礼拝は国中に広がっていました。（1）ミツパは、ヨルダン川の東にある地です。（2）タボルはヨルダン川の西にある地です。（3）当時、イスラエルの領地はヨルダン川の東と西に広がっていました。その両方の地において、偶像礼拝が広く行われていたのです。そうなった責任は、国の指導者たちにあります。（4）偶像礼拝と背信の罪のために、神からの裁きが民の上に下ろうとしていました。</p><p><br/></p><p><strong>神の知識と民の無知</strong></p><p>（1）主はエフライム（北王国イスラエル）が何をしているか、すべてご存じでした。「わたしはエフライムを知っていた。イスラエルはわたしに隠されていなかった」とあるとおりです。（2）それとは逆に、民は主を知らなかったのです。その理由は、姦淫の霊（偶像礼拝の霊）に取りつかれていたからです。ここでは、神の知識と民の無知とが対照的に描かれています。（3）しかも、民は罪の中にありながら、その心は高慢になっています。（4）偶像礼拝の罪は、北王国イスラエルだけのものではなく、やがて南王国ユダも同じ罪を犯すようになります。（5）彼らは羊と牛を携えて行き、主を尋ね求めますが、それはむだなことです。なぜなら、すでに主は彼らを離れ去ったからです。「新月」とは、新月の時に偶像にささげるいけにえのことを指すのでしょう。その偶像礼拝が、民を滅ぼすのです。<br>ホセア書の中心テーマは、「背信の民に対する神の愛」ですが、それと並行して別のテーマも語られています。それが、「神の知識と民の無知」です。神は私たちのことをすべてご存じです。しかし、多くの人たちが、その神のことも、神の愛のことも知らないで生きています。あなたは、自分の上に神の愛が注がれていることを知っていましたか。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい」（ヨハネ15：9）。アーメン。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。私は、あなたの愛を知らないで、自分勝手にさまよっていました。今あなたの御手の中にこの身をゆだねます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=03TuzNJ5T8o" />
         <pubDate>2026-01-23 21:17:30 UTC</pubDate>
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         <title>ホセア書5：8～15</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3762938659</link>
         <description><![CDATA[<p>角笛つのぶえを吹き、ラマでラッパを鳴らし、ベテ・アベンでときの声をあげよ。ベニヤミンよ。警戒せよ。</p><p>9 エフライムは懲らしめの日に、恐怖となる。わたしはイスラエルの部族に、確かに起こることを知らせる。</p><p>10 ユダの首長たちは地境じざかいを移す者のようになった。わたしは彼らの上に激しい怒りを水のように注ぐ。</p><p>11 エフライムはしいたげられ、さばかれて打ち砕かれる。彼はあえてむなしいものを慕って行ったからだ。12 わたしは、エフライムには、しみのように、ユダの家には、腐れのようになる。</p><p>13 エフライムがおのれの病やまいを見、ユダがおのれのはれものを見たとき、エフライムはアッシリヤに行き、大王に人を遣わした。しかし、彼はあなたがたをいやすことができず、あなたがたのはれものを直せない。</p><p>14 わたしは、エフライムには、獅子ししのように、ユダの家には、若い獅子のようになるからだ。このわたしが引き裂いて去る。わたしがかすめ去るが、だれも助け出す者はいない。</p><p>15 彼らが自分の罪を認め、わたしの顔を慕い求めるまで、わたしはわたしの所に戻っていよう。彼らは苦しみながら、わたしを捜し求めよう。</p><p><br/></p><p><strong>来るべき患難</strong></p><p><strong>終末時代の描写</strong></p><p>きょうの箇所でホセアは、来るべき患難について預言しています。北王国イスラエルと南王国ユダがともに裁きに会っていますので、これは北王国に対するアッシリヤ捕囚を預言したものでないことがわかります。この箇所は、患難時代にイスラエルの民の上に下る裁きを預言したものと理解すべきです。<br>（1）神の民に警告を発せよとの命令が出されます。「ギブアで角笛を吹き、ラマでラッパを鳴らし、ベテ・アベンでときの声をあげよ」。エルサレムから中央高原を北上すると、ギブア、ラマ、ベテル（ベテ・アベン）と続きます。（2）「ユダの首長たちは地境を移す者のようになった」とあります。モーセの律法では、地境（数個の小石を積み上げたもの）を移すことは他人の土地を奪うことであり、重大な罪であるとされました。後の時代になると、「地境を移す」という言葉が比喩的に用いられるようになります（箴言22：28、23：10参照）。その意味は、「善悪の基準を勝手に変える」ということです。ユダの首長たちは、自分勝手に善悪の基準を決めるようになったということです。それゆえ、神の裁きが彼らの上に下るのです。（3）エフライム（北王国）とユダ（南王国）は、自らの状態が（外面的にも内面的にも）病気であることを知り、神ではない他者に助けを求めるようになります。「エフライムはアッシリヤに行き、大王（ヤレブ王）に人を遣わした」とあります。歴史的には、北王国がアッシリヤと契約を結んだり、助けを求めたりしたことはありません。また、ヤレブ王（言い争う王という意味）という人物も存在しません。従って、この箇所は将来起こることを預言していると考えるべきです。彼らが助けを求める王とは、反キリストです（ダニエル書9：27、イザヤ書28：14～22）。</p><p><br/></p><p><strong>獅子のように、若い獅子のように</strong></p><p>主は荒々しい獅子のように、神の民を引き裂き、そこを去ります。これは、患難時代に民が苦難に会うことを預言した言葉です。15節は非常に重要な聖句です。「彼らが自分の罪を認め、わたしの顔を慕い求めるまで、わたしはわたしの所に戻っていよう。彼らは苦しみながら、わたしを捜し求めよう」。（1）「わたしの所」とは天国のことです。そこに戻るというのですから、まず地に下っていなければそのことが成立しません。これは、神の子であるイエスが、人として地上に下り、その後復活して天に昇られることを預言したものです。（2）患難時代にあって、イスラエルの民は苦しみながら、メシアであるイエスを探し求めるようになります。それが、イスラエルの民族的救いにつながるのです。それが起こると、イエスは栄光の王として再臨されます。<br>苦難がイスラエルの民を信仰に導くことを覚え、彼らの救いのために祈りましょう。また、人生で苦難を経験する時、そこから教訓を学ぶことができるように神に対して心を開きましょう。神は今も私たちに語っておられます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。苦難には意味があることと、やがて主イエスが栄光の王として戻って来られることとを信じます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-01-24 19:57:51 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ホセア書6：1～3</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3763548538</link>
         <description><![CDATA[<p>1 「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。</p><p>2 主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。</p><p>3 私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁あかつきの光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後のちの雨のように、地を潤うるおされる。」</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの民の救い</strong></p><p><strong>終末時代のリバイバル</strong></p><p>5章の預言は、「主」が主語（「わたし」という単数形）となって語られていました。ところが、6 章に入ると、主語が「私たち」に変化しています。この変化を見落としてはなりません。「私たち」とは、イスラエルの民のことです。5：15では、「彼らが自分の罪を認め、わたしの顔を慕い求めるまで、わたしはわたしの所に戻っていよう。彼らは苦しみながら、わたしを捜し求めよう」と預言されていましたが、そのことがついに起こるのです。それが、きょうの箇所の内容です。<br>（1）主イエスの再臨の3 日前に、イスラエルの民はこう呼びかけるようになります。「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ」。彼らは、イエスのメシア性を拒否したことが、患難の原因であることに気づきます。そして、悔い改めの祈りをささげるようになります（その祈りの内容は、イザヤ書53：1～ 9に出ています）。（2）彼らは、主が人間の軍隊を用いて自分たちを打ったことを理解します。そして、自分たちを打ったお方が、同時に自分たちをいやしてくださるお方でもあることを理解します。（3）「主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ」とあります。悔い改めの呼びかけがあってからの2日間は、リバイバルの時です。そして、3 日目にイスラエルの民族的救いが成就します。「こうして、イスラエルはみな救われる、ということです」（ローマ11：26）。</p><p><br/></p><p><strong>主の再臨</strong></p><p>（1）「私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう」とあります。イスラエルの無知は取り去られ、彼らは主を知る民となります。（2）イスラエルの救いが、イエスの再臨の条件です。イスラエルの民がメシアであるイエスに呼びかけた時、イエスの地上再臨が起こります。「主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される」。夜が終わると必ず朝日が昇るように、メシアの再臨は確実に起こります。（3）その時、メシアはイスラエルの民が失っていたものをすべて回復されます。それが、「後の雨のように、地を潤される」という言葉の意味です。<br>主イエスは、「あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません」（マタイ23：39）とお語りになります。この聖句は、イスラエルの回心が再臨の前提条件であることを示しています。今がどういう時であるかを覚え、信仰の背筋をまっすぐに伸ばそうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天地創造の神よ。あなたは歴史を支配し、人類救済計画を完成されるお方です。あなたが約束されたことは必ず成就します。今、信仰の背筋を伸ばしました。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=1oYYT8jncso" />
         <pubDate>2026-01-25 19:43:43 UTC</pubDate>
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         <title>ホセア書6：4～11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3765058265</link>
         <description><![CDATA[<p>4 エフライムよ。わたしはあなたに何をしようか。ユダよ。わたしはあなたに何をしようか。あなたがたの誠実は朝もやのようだ。朝早く消え去る露つゆのようだ。</p><p>5 それゆえ、わたしは預言者たちによって、彼らを切り倒し、わたしの口のことばで彼らを殺す。わたしのさばきは光のように現れる。</p><p>6 わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。</p><p>7 ところが、彼らはアダムのように契約を破り、その時わたしを裏切った。</p><p>8 ギルアデは不法を行う者の町、血の足跡に満ちている。</p><p>9 盗賊が人を待ち伏せするように、祭司たちは仲間を組み、シェケムへの道で人を殺し、彼らは実にみだらなことをする。</p><p>10 イスラエルの家にわたしは恐るべきことを見た。エフライムは姦淫をし、イスラエルは身を汚している。</p><p>11 ユダよ。わたしが、わたしの民の繁栄を元どおりにするとき、あなたのためにも刈り入れが定まっている。</p><p><br/></p><p><strong>契約を破る神の民</strong></p><p><strong>朝もやのような誠実</strong></p><p>きょうの箇所では、イスラエルとユダの罪が暴あばかれます。（1）彼らの誠実は、朝もやか朝露のようです。この言葉は、すぐに消え去るもの、長続きしないものを表しています。そのように、イスラエルとユダが主に対して示す誠実は、すぐに消え去るようなものでした。（2）それゆえ主は、預言者たちを通して、真の悔い改めが必要であることと、きびしい裁きが下ろうとしていることとを伝えたのです。（3）彼らが抱えていた根本的な問題は、「主のことばに対する無知」でした。これは、ホセアがこれまでに何度も指摘してきた問題です。主の御心は、「わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ」というものです。しかし、イスラエルの民にはこの知識が欠如していました。そのために、彼らの誠実は移ろいやすいものとなったのです。</p><p><br/></p><p><strong>アダムのように</strong></p><p>（1）彼らは、アダムのように主との契約を破りました。アダムが破ったのはエデン契約と呼ばれるものですが、イスラエルの民が破ったのは、シナイ契約（モーセ契約）です。（2）その結果、カナンの地の各地で不法と暴虐が行われるようになりました。ギルアデはヨルダン川の東にある町です。そこでは人の血が流されていました。（3）シェケムはヨルダン川の西にある町です。この町は、本来はレビ人（祭司）の町でした（ヨシュア記21：21）。祭司は民に主の道を教える責務を負っていましたが、彼らはその町で、盗賊のように徒党を組んで、旅人たちを殺していました。また、淫乱な行為にふけっていました。（4）さらに、シェケムは六つあったのがれの町の一つでした（ヨシュア記20：7）。のがれの町というのは、過失によって人を殺した者が逃げ込むための町でしたが、そこでは意図的な殺人が行われていました。（5）エルサレム（北王国）は、姦淫（偶像礼拝）の罪を犯していました。（6）そればかりか、ユダ（南王国）もまた同じ罪を犯していました。それゆえ、ユダのためにも刈り入れの時（裁きの時）が定められています。<br>イスラエルの民の根本的な問題が、「無知」であったことを思い出しましょう。主は私たちに何を求めておられるのでしょうか。主イエスは、こう語っておられます。「『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」（マタイ9：13）。主の招きに、悔い改めをもって応答する人は幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。あなたが示してくださったあわれみを心から感謝します。私はあなたのあわれみに信頼します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=uZtOb5r03mo" />
         <pubDate>2026-01-26 19:16:47 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ホセア書7：1～7</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3766637127</link>
         <description><![CDATA[<p>1 わたしがイスラエルをいやすとき、エフライムの不義と、サマリヤの悪とは、あらわにされる。彼らは偽りを行い、盗人ぬすびとが押し入り、外では略奪隊が襲うからだ。</p><p>2 しかし、彼らは心に言い聞かせない、わたしが彼らのすべての悪を覚えていることを。今、彼らのわざは彼らを取り巻いて、わたしの前にある。</p><p>3 彼らは悪を行って王を喜ばせ、偽りごとを言って首長たちを喜ばせる。</p><p>4 彼らはみな姦通する者だ。彼らは燃えるかまどのようだ。彼らはパン焼きであって、練り粉をこねてから、それがふくれるまで、火をおこすのをやめている。</p><p>5 われわれの王の日に、首長たちは酒の熱に病み、王はあざける者たちと手を握る。</p><p>6 彼らは陰謀いんぼうをもって近づく。彼らの心はかまどのようで、その怒りは夜通しくすぶり、朝になると、燃える火のように燃える。</p><p>7 彼らはみな、かまどのように熱くなって、自分たちのさばきつかさを焼き尽くす。その王たちもみな倒れる。彼らのうちだれひとり、わたしを呼び求める者はいない。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの内政の混乱</strong></p><p><strong>病人のイスラエル</strong></p><p>きょうの箇所では、北王国イスラエルが病人として描写されています。神は民を祝福し、いやそうとしますが、そのたびに民の罪の状態があらわにされます。（1）北王国イスラエルの民は、内面も外面もともに深く病んでいました。その状態を描写したのが、「彼らは偽りを行い、盗人が押し入り、外では略奪隊が襲うからだ」ということばです。（2）イスラエルの民が、神が与えようとする回復を受け入れない最大の理由は、「無知」にあります。彼らは神を知らず（知ろうともせず）、さらに、彼らのすべての悪を神が覚えておられることを悟ろうともしなかったのです。これは、重大な不敬虔ふけいけんの罪です。</p><p><br/></p><p><strong>宮廷内の陰謀</strong></p><p>北王国の最盛期は、ヤロブアム2世の治世にやって来ました。それ以降に立った王たちは、宮廷内での陰謀に巻き込まれていきました（南王国では、ダビデの家系が王位を継承しましたが、北王国では、主が預言者を通して任命した人物が王となりました）。（1）取り巻き者たちは、王に悪事をそそのかして出世への道を駆け上ろうとしました。その様子が、「パン焼きのかまど」の比喩で表現されています。パン焼きは、粉を発酵はっこうさせるためにかまどを一定の温度に保ちます。それと同じように、陰謀者は計画を練り、それを実行する機会が来るまで沈黙を守ります。（2）「王の日」とは、王の誕生日か戴冠式たいかんしきの日のことでしょう。この日に首長たちは酒を飲み過ぎて病気になります。（3）6～7節は、北王国の王たちが陰謀によって倒れていく様を描いています。南王国では、ダビデの家系に属する者だけが王位を継承しました。北王国では、九つの王朝が誕生しては滅びていきました。特に、最後の6人の王たちの中で4人までが暗殺されています。ゼカリヤ、シャルム、メナヘムの子ペカフヤ、そして、ペカがそれです（Ⅱ列王記15章）。<br>7節にある「彼らのうちだれひとり、わたしを呼び求める者はいない」ということばは、悲しいものです。あなたは、苦難の日に主に叫んでいますか。このことばを心に蓄えようではありませんか。「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう」（詩篇50：15）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。苦難の日に、あなたに叫び求めます。どうか私を助け出し、平らな地に置いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=zL_YljBoFeA" />
         <pubDate>2026-01-27 20:01:19 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ホセア書7：8～16</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3768226887</link>
         <description><![CDATA[<p>8 エフライムは国々の民の中に入り混じり、エフライムは生焼なまやけのパン菓子がしとなる。</p><p>9 他国人たこくじんが彼の力を食い尽くすが、彼はそれに気づかない。しらがが生えても、彼はそれに気づかない。</p><p>10 イスラエルの高慢はその顔に現れ、彼らは、彼らの神、主に立ち返らず、こうなっても、主を尋ね求めない。</p><p>11 エフライムは、愚おろかで思慮のない鳩はとのようになった。彼らはエジプトを呼び立て、アッシリヤへ行く。</p><p>12 彼らが行くとき、わたしは彼らの上に網あみを張り、空の鳥のように彼らを引き落とし、その群れが騒々しくなるとき、わたしはこれを懲こらす。</p><p>13 ああ、彼らは。彼らはわたしから逃げ去ったからだ。彼らは踏みにじられよ。彼らはわたしにそむいたからだ。わたしは彼らを贖あがなおうとするが彼らはわたしにまやかしを言う。</p><p>14 彼らはわたしに向かって心から叫ばず、ただ、床の上で泣きわめく。彼らは、穀物と新しいぶどう酒のためには集まって来るが、わたしからは離れ去る。</p><p>15 わたしが訓戒くんかいし、わたしが彼らの腕を強くしたのに、彼らはわたしに対して悪事をたくらむ。</p><p>16 彼らはむなしいものに立ち返る。彼らはたるんだ弓ゆみのようだ。彼らの首長たちは、神をののしったために、剣つるぎに倒れる。これはエジプトの国であざけりとなる。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの外交の混乱</strong></p><p><strong>生焼けのパン菓子（8～10節）</strong></p><p>きょうの箇所では、イスラエルの外交が批判されます。そのために三つの比喩ひゆが使われています。その最初のものが、「生焼けのパン菓子」です。それは、片面は焼けたが裏返していないために表面が生のままのパン菓子、つまり、だれも食べたがらないパン菓子のことです。エフライム（北王国）は、外国の介入を許し、異邦人の習慣に染まっています。それは、モーセの律法に違反した状態です（出エジプト記34：12 ～16 参照）。エフライムは、異邦人からも、神からも評価されない状態にあります。それが「生焼けのパン菓子」という言葉で表現されています。しかし、不幸なことに、エフライムは外国の勢力によって国力が食い尽くされていることに気づかず、高慢になっています。滅びを目前にしながら、彼らは主に立ち返ろうとはしていません。</p><p><br/></p><p><strong>思慮のない鳩（11～14節）</strong></p><p>次に使われる比喩は、「思慮のない鳩」という言葉です。エフライムは、助けを求めてエジプトとアッシリヤの間を行き来しています。それが、ぎこちなく飛び回る鳩に例えられているのです（Ⅱ列王記17：3以下参照）。しかし、思慮のない鳩は網にかかり、地に引き落とされます（主からの裁きが下るのです）。エフライムは、飼い主の手から逃げ去った鳩の群れのようです。彼らが集まるのは、主を礼拝するためではなく、食物を食べ、ぶどう酒を飲むためです。</p><p><br/></p><p><strong>たるんだ弓（15～16節）</strong></p><p>第三の比喩は、「たるんだ弓」という言葉です。エフライムは、アッシリヤの脅威きょういに対抗するためにエジプトに援助を求めました。その状態が、「たるんだ弓」なのです。罪の本質は「的外まとはずれ」ということですが、「間違った的を射いる」ことも罪です。たるんだ弓から放たれた矢は、狙ねらった方向とは別の方向に飛びます。エフライムは主に向く代わりに、エジプトの方向を向いて助けを得ようとしました。その結果、彼らは戦いに敗れ、エジプトの国であざけりとなるのです。<br>以上の三つの言葉を使って、自分の生活を吟味ぎんみしてみましょう。あなたは、中途半端な生活をしていませんか。大きな課題を抱えながら、右往左往うおうさおうしていませんか。あるいは、的外れの生活をしていませんか。もしそうなら、主に顔を向け、主からの助けを求めましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。しっかりとあなたの約束に立つことができますように、私を励ましてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=-68OczycJkE" />
         <pubDate>2026-01-28 19:59:54 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ホセア書8：1～7</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3769720150</link>
         <description><![CDATA[<p>1 角笛つのぶえを口に当てよ。鷲わしのように敵は主の宮を襲う。彼らがわたしの契約を破り、わたしのおしえにそむいたからだ。</p><p>2 彼らは、わたしに向かって、「私の神よ。私たちイスラエルは、あなたを知っている」と叫ぶが、</p><p>3 イスラエルは善を拒こばんだ。敵は、彼らに追い迫っている。</p><p>4 彼らは王を立てた。だが、わたしによってではない。彼らは首長を立てた。だが、わたしは知らなかった。彼らは銀と金で自分たちのために偶像を造った。彼らが断たたれるために。</p><p>5 サマリヤよ。わたしはあなたの子牛をはねつける。わたしはこれに向かって怒りを燃やす。彼らはいつになれば、罪のない者となれるのか。</p><p>6 彼らはイスラエルの出。それは職人が造ったもの。それは神ではない。サマリヤの子牛は粉々こなごなに砕くだかれる。</p><p>7 彼らは風を蒔まいて、つむじ風を刈り取る。麦には穂が出ない。麦粉むぎこも作れない。たといできても、他国人がこれを食い尽くす。</p><p><br/></p><p><strong>裁きを告げる角笛（1）</strong></p><p><strong>契約違反（1～3節）</strong></p><p>8章は、「角笛を口に当てよ」という呼びかけで始まります。これは、裁きを告げる角笛です。つまり、審判が目前に迫っているということです。エフライム（北王国）に裁きが下る理由として、五つの罪が指摘されます。きょうはその中の三つの罪を見てみましょう。最初は「契約違反」という罪です。「わたしの契約を破り」とありますが、これは、イスラエルの民がモーセの律法を破っていることを示しています。そのために、裁きが「鷲のように」すばやく、彼らを襲うのです。危機に直面して、彼らは「私の神よ。私たちイスラエルは、あなたを知っている」と叫びますが、これは真っ赤な嘘うそです。彼らは主を知ることの知識を拒み続けてきました。主のことばに対する無知が、彼らを善から遠ざけたのです。</p><p><br/></p><p><strong>不法に立てられた王（4節a）</strong></p><p>南王国では、王はダビデの家系からのみ出ています。しかし、北王国では、神が選んだ人物が王となりました。ところが、彼らはその人選を嫌い、自分たちが好む人物を次から次へと王に立てました。そのために、北王国では暗殺による王朝の交代が頻繁ひんぱんに起こったのです。主はこの状況を憎み、「彼らは王を立てた。だが、わたしによってではない」と言われたのです。</p><p><br/></p><p><strong>金の子牛（4b～7節）</strong></p><p>第三の罪は、偶像礼拝、より具体的には、金の子牛を造り、それを礼拝した罪です。金の子牛は、ダンとベテルに置かれました。しかしそれは偶像であり、職人が造ったものに過ぎません。神でないものを礼拝した罪に対して、神の怒りが下ります。（1）金の子牛は粉々に砕かれ、北王国の偶像礼拝は終結を迎えます。（2）エフライムの土地は、産物を出すことのできない不毛な地となります。万が一産物があったとしても、それを他国人が食い尽くすようになります。このように、北王国は絶望的な状態に置かれていました。<br>自分の生活の中に、以上の三つの罪が侵入していないかどうか吟味してみましょう。あなたは、神の愛に応答していますか。主の御心みこころを退けていませんか。神以外のものに信頼を置いていませんか。それがそのまま偶像礼拝なのです。主を知ることの知識を求めましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。きょうもあなたとともに歩みます。どうか私をお導きください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
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         <pubDate>2026-01-29 19:34:43 UTC</pubDate>
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      </item>
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         <title>ホセア書8：8～14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3771045786</link>
         <description><![CDATA[<p>8 イスラエルはのみこまれた。今、彼らは諸国の民の間にあって、だれにも喜ばれない器うつわのようだ。</p><p>9 彼らは、ひとりぼっちの野ろばで、アッシリヤへ上って行った。エフライムは愛の贈り物をした。</p><p>10 彼らが諸国の民の間で物を贈っても、今、わたしは彼らを寄せ集める。しばらくすれば、彼らは王や首長たちの重荷を負わなくなるであろう。</p><p>11 エフライムは罪のために多くの祭壇さいだんを造ったが、これがかえって罪を犯おかすための祭壇となった。</p><p>12 わたしが彼のために、多くのおしえを書いても、彼らはこれを他国人のもののようにみなす。</p><p>13 彼らがわたしにいけにえをささげ、肉を食べても、主はこれを喜ばない。今、主は彼らの不義を覚え、その罪を罰せられる。彼らはエジプトに帰るであろう。</p><p>14 イスラエルは自分の造り主を忘れて、多くの神殿を建て、ユダは城壁のある町々を増し加えた。しかし、わたしはその町々に火を放ち、その宮殿を焼き尽くす。</p><p><br/></p><p><strong>裁きを告げる角笛（2）</strong></p><p><strong>諸国との同盟（8～10節）</strong></p><p>8章は、「角笛を口に当てよ」という呼びかけで始まります。前回でも確認したように、これは裁きを告げる角笛です。つまり、審判が目前に迫っているということです。エフライム（北王国）に裁きが下る理由として、五つの罪が指摘されます。すでに最初の三つの罪について学びましたので、きょうは第四と第五の罪を見てみましょう。<br>第四の罪は、神に助けを求める代わりに諸国（異邦人国家）と政治同盟を結んだというものです。（1）北王国イスラエルは、すでにアッシリヤによって国土の一部を奪うばわれ、独立を失っている状態（のみこまれた状態）にあります。それでもイスラエルは、群れから離れた野ろばのように、アッシリヤに保護と同盟を求めに行きます。（2）しかし、そのアッシリヤがイスラエルを滅ぼすことになります。なぜなら、アッシリヤはイスラエルを裁く「神の器」として選ばれた国だからです。（3）その結果、イスラエルの人口は十分の一にまで激減します（アモス書5：3参照）。</p><p><br/></p><p><strong>偽りの祭壇（11～14節）</strong></p><p>第五の罪は、多くの偽いつわりの祭壇を造り、そこで偶像礼拝を行ったことです。（1）イスラエルの民の最大の問題は、神のことばについて無知であったことです。これは、意図的に神のことばを排除した結果やってきた無知です。「わたしが彼のために、多くのおしえを書いても、彼らはこれを他国人のもののようにみなす」（12節）とあるとおりです。（2）祭壇は本来罪の赦しを与えるために造られたものですが（レビ記17：11 参照）、彼らは神の意図を無視して自分勝手に多くの祭壇を造り、そこで偶像礼拝の罪を犯しました。（3）その結果、イスラエルの民はアッシリヤ捕囚となりますが、中にはエジプトに捕囚になる者も出てきます。（4）南王国ユダもまた同じような罪を犯しました。イスラエルは諸国との政治同盟に頼ろうとしましたが、ユダの場合は、要塞ようさい都市を次々に建設し、軍事力に頼ろうとしました。ともに、神に信頼を置いていないという点では同罪です。そこで神は、ユダに対する裁きも宣言されました。「しかし、わたしはその町々に火を放ち、その宮殿を焼き尽くす」（14節）とあるように、アッシリヤはユダのすべての要塞都市を征服します（Ⅱ列王記18：13、19：20参照）。実際に破壊を免まぬかれるのは、エルサレムだけという状態になります。<br>あなたは、何によって安全を確保しようとしていますか。目に見えるものではなく、目に見えない神に信頼を置く人は幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天地創造の神よ。私は、目に見えるものに頼ろうとする弱い者です。お赦しください。今あなたに立ち返ります。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=tCKDXUqOqU8" />
         <pubDate>2026-01-30 19:48:16 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ホセア書9：1～9</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3771731584</link>
         <description><![CDATA[<p>1 イスラエルよ。国々の民のように喜び楽しむな。あなたは自分の神にそむいて姦淫かんいんをし、すべての麦打ち場ばで受ける姦淫の報酬ほうしゅうを愛したからだ。</p><p>2 麦打ち場も酒さかぶねも彼らを養やしなわない。新しいぶどう酒も欺あざむく。</p><p>3 彼らは主の地にとどまらず、エフライムはエジプトに帰り、アッシリヤで汚けがれた物を食べよう。</p><p>4 彼らは主にぶどう酒を注がず、彼らのいけにえで主を喜ばせない。彼らのパンは喪中もちゅうのパンのようで、すべてこれを食べる者は汚れた者になる。彼らのパンは彼ら自身のためだけであって、主の宮に持ち込むことはできない。</p><p>5 あなたがたは例祭れいさいの日、主の祭りの日には何をしようとするのか。</p><p>6 見よ。彼らが破壊をのがれても、エジプトは彼らを集め、モフが彼らを葬ほうむる。彼らの宝としている銀は、いらくさが勝ち取り、あざみが彼らの天幕てんまくに生える。</p><p>7 刑罰の日が来た。報復ほうふくの日が来た。イスラエルは知るがよい。預言者は愚か者、霊の人は狂った者だ。これはあなたのひどい不義のため、ひどい憎しみのためである。</p><p>8 エフライムの見張り人は、私の神とともにある。しかし、預言者は、すべての道にしかけるわなだ。彼の神の家には憎しみがある。</p><p>9 彼らはギブアの日のように、真底しんそこまで堕落だらくした。主は彼らの不義を覚え、その罪を罰する。</p><p><br/></p><p><strong>迫り来る捕囚</strong></p><p><strong>喜びが取り去られる（1～2節）</strong></p><p>イスラエルの民からすべての喜びが取り去られます。その理由は、彼らが霊的姦淫を犯したからです。ちょうどそれは、ホセアの妻ゴメルが姦淫を犯したのと同じことです。ヤハウェの妻イスラエルは霊的姦淫を犯したために、姦淫の妻ゴメルが裸にされたように（2：3参照）、裸にされます。つまり、土地が産物を生み出さなくなるということです。</p><p><br/></p><p><strong>捕囚に引かれて行く（3～9節）</strong></p><p>（1）イスラエルの民は、「主の地」から追い出されます。「主の地」は、夫（ヤハウェ）が妻（イスラエルの民）のために用意した家です。姦淫の妻は、その家から追放され、異国に捕囚となります。（2）捕囚に引かれて行く先は、二つあります。アッシリヤとエジプトです。その地にあって、イスラエルの民は汚れた物を食べるようになります。（3）その地では、喜びの例祭がなくなります。例祭は、主の恵みを覚えるためにイスラエルの民に与えられた喜びの祭りです。しかし、アッシリヤやエジプトでは、約束の地で行っている主の例祭を守ることが不可能となります。（4）捕囚の地でのパンは、「喪中のパン」（民数記19：14以下参照）と見なされます。それをもって神を礼拝することはできません。（5）イスラエルの宝である「銀」や「天幕」なども、「いらくさ」と「あざみ」におおわれ、荒廃こうはいします。<br>「刑罰の日が来た。報復の日が来た」（7節）とありますが、これは完了形になっています。つまり、将来確実にその日が来ることを示しているのです。刑罰が下る理由は、イスラエルには霊的な洞察力が欠けていたからです。（1）その日、イスラエルの民は、良い預言を語っていた預言者たちはにせ預言者で愚か者であることを知るようになります。（2）さらに彼らは、自分たちの不義がいかに深刻なものであるかを知るようになります。（3）彼らは主の預言者たちに罠わなをしかけ、その活動を妨害しました。彼らの堕落ぶりが、ギブア（士師記19～ 21章参照）での強姦と殺害の恥ずべき行為と比較されています。つまり、救いようのないほど堕落していたということです。<br>イスラエルの民は、回帰不能点を越えました。その結果、捕囚という悲劇を経験するようになったのです。神の忍耐を軽んじてはなりません。「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです」（Ⅱペテロ3：9）。この聖句の意味について、黙想してみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。あなたは忍耐深いお方です。多くの人たちが、今という時が与えられている間に、良い決断をすることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
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         <pubDate>2026-01-31 21:15:41 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ホセア書9：10～17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3772636628</link>
         <description><![CDATA[<p>10 わたしはイスラエルを、荒野あらののぶどうのように見、あなたがたの先祖を、いちじくの木の初なりの実のように見ていた。ところが彼らはバアル・ペオルへ行き、恥ずべきものに身をゆだね、彼らの愛している者と同じように、彼ら自身、忌いむべきものとなった。</p><p>11 エフライムの栄光は鳥のように飛び去り、もう産むことも、みごもることも、はらむこともない。</p><p>12 たとい彼らが子を育てても、わたしはひとり残らずその子を失わせる。わたしが彼らを離れるとき、まことに、彼らにわざわいが来る。</p><p>13 わたしが見たエフライムは、牧場まきばに植えられたツロのようであったが、今や、エフライムはその子らを、ほふり場に連れて行かなければならない。</p><p>14 主よ。彼らに与えてください。何をお与えになりますか。はらまない胎たいと、乳の出ない乳房ちぶさとを彼らに与えてください。</p><p>15 彼らのすべての悪はギルガルにある。わたしはその所で彼らを憎んだ。彼らの悪い行いのために、彼らをわたしの宮から追い出し、重ねて彼らを愛さない。その首長たちはみな頑迷がんめいな者だ。</p><p>16 エフライムは打たれ、その根は枯れて、実を結ばない。たとい彼らが子を産んでも、わたしはその胎の中のいとし子を殺す。</p><p>17 私の神は彼らを退ける。それは、彼らが神に聞き従わなかったからだ。彼らは諸国の民のうちに、さすらい人となる。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの背信</strong></p><p><strong>バアル・ペオルでの背信（10～14節）</strong></p><p>（1）シナイ山で、イスラエルは神との契約を結びました。その時のイスラエル（あなたがたの先祖）は従順で、豊かな実を結ぶ可能性に満ちていました。彼らは、「いちじくの木の初なりの実」のようでした。つまり、将来さらに豊かな実を結ぶ希望があるという意味です。（2）しかし、その希望は、彼らがバアル・ペオルへ行き、そこでバアル礼拝と姦淫の罪を犯した時に崩壊しました（民数記25：1～9参照）。偶像礼拝に走りやすいというイスラエルの民の性質は、カナン定住前の荒野の時代にすでに見られました。（3）エフライムとは「実り多い地」という意味ですが、皮肉なことに、彼らは子孫を残せない民となります。「もう産むことも、みごもることも、はらむこともない。たとい彼らが子を育てても、わたしはひとり残らずその子を失わせる」とあります。エフライムの女たちは不妊で苦しみ、子を産んだとしてもその子は幼くして死ぬようになります。</p><p><br/></p><p><strong>ギルガルでの背信（15～17節）</strong></p><p>先祖たちがバアル・ペオルで偶像礼拝の罪を犯したように、イスラエルの民もまた同じ罪を犯しています。（1）ギルガルは、ベテルとともに偶像礼拝の中心地となっていました。イスラエルの民は、そこで偶像礼拝にふけっていました。（2）その罪のゆえに、主は「彼らをわたしの宮から追い出し、重ねて彼らを愛さない」と言われます。（3）エフライムが住む地は、「実り多い地」から荒廃した地に変貌へんぼうします。また、彼らは流産に苦しみ、誕生した赤子あかごも幼くして死にます。（4）神を拒絶したイスラエルは、ついに諸国の民のうちに「さすらい人」となります。この預言は、列王記第二17：23で成就しました。<br>イスラエルの民が捕囚に引かれて行った原因は、神への背信にありました。神を知らない歴史家なら、当時の国際関係や国内事情から捕囚の原因を探ろうとすることでしょう。しかし、私たちクリスチャンは、すべての事件や事象の背後に霊的原因があることを知らねばなりません。天地を創造されたお方と調和した道を歩むことが、祝福を受ける秘訣です。主イエスのこのことばを思い出しましょう。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」（マタイ6：33）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。きょうもあなたの約束を信じて歩みます。どうか私を義の道にお導きください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=f3PhMZRfmsQ" />
         <pubDate>2026-02-01 19:51:53 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ホセア書10：1～8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3774226770</link>
         <description><![CDATA[<p>1 イスラエルは多くの実を結ぶよく茂ったぶどうの木であった。多く実を結ぶにしたがって、それだけ祭壇をふやし、その地が豊かになるにしたがって、それだけ多くの美しい石の柱を立てた。</p><p>2 彼らの心は二心ふたごころだ。今、彼らはその刑罰を受けなければならない。主は彼らの祭壇をこわし、彼らの石の柱を砕かれる。</p><p>3 今、彼らは言う。「私たちには王がない。私たちが主を恐れなかったからだ。だが、王は私たちに何ができよう」と。</p><p>4 彼らはむだ口をきき、むなしい誓いを立てて契約を結ぶ。だから、さばきは畑のうねの毒草どくそうのように生おいでる。</p><p>5 サマリヤの住民は、ベテ・アベンの子牛のためにおののく。その民はこのために喪もに服し、偶像に仕える祭司たちもこのために喪に服する。彼らは、その栄光のために悲しもう。栄光が子牛から去ったからだ。</p><p>6 その子牛はアッシリヤに持ち去られ、大王への贈り物となる。エフライムは恥を受け取り、イスラエルは自分のはかりごとで恥を見る。</p><p>7 サマリヤは滅びうせ、その王は水の面おもての木切きぎれのようだ。</p><p>8 イスラエルの罪であるアベンの高き所も滅ぼされ、いばらとあざみが、彼らの祭壇の上におい茂る。彼らは山々に向かって、「私たちをおおえ」と言い、丘に向かって、「私たちの上に落ちかかれ」と言おう。</p><p><br/></p><p><strong>王国の滅亡（1）</strong></p><p><strong>アッシリヤ捕囚（1～3節）</strong></p><p>きょうの箇所では、目前に迫った裁き（アッシリヤ捕囚）と、将来のより重い裁きとが、連続して預言されています。<br>（1）イスラエルは、多くの実を結ぶぶどうの木でした。つまり、繁栄が約束された国だったということです。（2）ところが、彼らは神から祝福されればされるほど、偶像礼拝（バアル礼拝）のための祭壇を増やしていきました。石の柱は、バアル神を表します。石の柱を立てることは、モーセの律法で禁じられていました（申命記16：21 ～22）。（3）イスラエルの民の心は、主なる神とバアルの間で二つに分裂していました。（4）その罪のゆえに、イスラエルの民の上に神の裁きが下ります。彼らの祭壇はこわされ、石の柱は砕かれます。これをなすのは、主ご自身です。この裁きは、アッシリヤ捕囚という形で成就します。（5）その時、彼らは、自分たちが立てた王は神が認定された人物ではなかったことと、そのような王からはなんの助けも受けられないことに気づきます。</p><p><br/></p><p><strong>大患難時代（4～8節）</strong></p><p>4～8節は、将来に起こる神の裁き、つまり大患難だいかんなん時代についての預言です。そこに記されている裁きの内容は、アッシリヤ捕囚以上のものです。（1）この裁きが下る直接的原因は、「彼らはむだ口をきき、むなしい誓いを立てて契約を結ぶ」という点にあります。これは、イスラエルの民が反キリストと契約を結ぶことを預言したものです（ダニエル書9：27、イザヤ書28：14 ～22）。（2）ベテ・アベン（サマリヤ）の子牛は、アッシリヤに持ち去られ、大王への贈り物となります。この文脈では、「アッシリヤ」とはメソポタミヤのことで、「大王」とは反キリストのことです。5：13 には、「…エフライムはアッシリヤに行き、大王（ヤレブ王）に人を遣わした」とありました。再度確認しますが、歴史的には、北王国がアッシリヤと契約を結んだり、助けを求めたりしたことはありません。また、ヤレブ王（言い争う王という意味）という人物も存在しません。従って、この文脈では、イスラエルが助けを求める大王（ヤレブ王）は反キリストのことであると理解すべきです。（3）大患難時代においてイスラエルの民を襲う苦難は、想像を絶するほどきびしいものです。彼らは避難所を求めて、山々に向かって「私たちをおおえ」と言い、丘に向かって「私たちの上に落ちかかれ」と叫ぶようになります（ルカ23：30、黙示録6：16 参照）<br>イスラエルの民は、神に助けを求める代わりに、諸国と同盟を結ぶことによってアッシリヤに対抗しようとしました。その罪のゆえに、アッシリヤ捕囚という裁きが彼らの上に下ったのです。さらに、イスラエルの民は、神よりも反キリストに助けを求めるようになります。その罪のゆえに、大患難時代が彼らを襲うようになるのです。いずれの場合も、イスラエルの罪は「神に信頼を置かない」という罪です。あなたはどうですか。神以外のものに信頼を置いているなら、直ちに悔い改め、神に対する信仰を回復しましょう。イスラエルの民の失敗から教訓を学びましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたに信頼を置かないことは、大きな罪です。イスラエルの民の失敗から教訓を学ぶことができますように。あなただけが私の神、私の救い主です。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=E04EJTK4Vbg" />
         <pubDate>2026-02-02 19:18:32 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ホセア書10：9～15</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3775883379</link>
         <description><![CDATA[<p>9 イスラエルよ。ギブアの日々よりこのかた、あなたは罪を犯してきた。彼らはそこで同じことを行っている。戦いはギブアで、この不法な民を襲わないだろうか。</p><p>10 わたしは彼らを懲こらしめようと思う。彼らが二つの不義のために捕らえられるとき、国々の民は集められて彼らを攻める。</p><p>11 エフライムは飼いならされた雌めすの子牛であって、麦打ち場で踏むことを好んでいた。わたしはその美しい首にくびきを掛けた。わたしはエフライムに乗り、ユダは耕たがやし、ヤコブはまぐわをひく。</p><p>12 あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地こうちを開拓せよ。今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。</p><p>13 あなたがたは悪を耕し、不正を刈り取り、偽りの実を食べていた。これはあなたが、自分の行いや、多くの勇士に拠より頼たのんだからだ。</p><p>14 あなたの民の中では騒動が起こり、あなたの要塞はみな打ち滅ぼされる。シャレマンがベテ・アレベルを踏みにじったように。その戦いの日には、母親が、その子どもたちの上で八つ裂きにされた。</p><p>15 イスラエルの家よ。あなたがたの悪があまりにもひどいので、わたしはこのようにあなたがたにも行う。イスラエルの王は夜明けに全く滅ぼされる。</p><p><br/></p><p><strong>王国の滅亡（2）</strong></p><p><strong>ギブアの罪（9～11節）</strong></p><p>イスラエルの罪を指摘するために、ギブアでの出来事が例に出されます。それは、レビ人の旅人への汚辱おじょく行為と、その行為を罰するための大量虐殺事件のことです（士師記19 ～21 章）。（1）この事件により、ベニヤミン族の戦士2万5,000人が戦死し、残されたのはわずか600人になりました。（2）その事件以来、イスラエルは神に対して罪を犯し続けてきました。それゆえ、イスラエルの民の上に、ギブアで起こったのと同様の事が起こります。（3）これもまた、大患難時代の預言です。大患難時代になると、異邦人諸国の軍勢によって、ユダヤ人の3 分の2が死に絶えます（ゼカリヤ書13：8～ 9）。（4）「二つの罪」とは、ギルガルとベテ・アベンでの罪です。この2箇所は、偶像礼拝の中心地でした。（5）神の裁きが下ると、イスラエルの民に与えられていた特権が取り去られます。彼らは「飼いならされた雌の子牛」のように、くびきを付けられることなく、自由に穀物を食べることができました（申命記25：4）。しかし、そのような自由は奪われ、民は束縛状態に陥ります。<br>14節で、悔い改めへの呼びかけがなされます。悔い改めるなら、「正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れる」ことになるのです。今、主を求めないなら、大変なことになるというのです。主の祝福を受けようと思うなら、まず悔い改める必要があるのです（悔い改めへの呼びかけは、すでに6：1～ 3でなされていたことです）。</p><p><br/></p><p><strong>悪の耕作</strong></p><p>しかしイスラエルは、この呼びかけを無視しました。彼らは「悪を耕し、不正を刈り取り、偽りの実を食べる」のです。（1）彼らが信頼するのは、自分の行い、隣国との同盟、軍事力などです。（2）その結果、民の中では暴動が起こり、国中の要塞がすべて破壊されます。シャレマン（アッシリヤの王シャルマヌエセル5 世）がベテ・アレベルを破壊した時と同じような悲劇が、イスラエルの民に起こります。（3）その時彼らは、自分たちを救うことのできるお方は、イスラエルの神だけであることを知るようになります。<br>6：1～3のことばを思い出しましょう。そこには、「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ」とありました。私たちの罪がどれほど大きなものであっても、悔い改めて主に立ち返るなら、主は私たちを受け入れ、いやし、包んでくださいます。あなたは主からの愛の呼びかけを、どのように聞いていますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。あなたの愛の呼びかけに心から応答します。私は罪人でした。私をお赦しください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=hk11VnIhJz8" />
         <pubDate>2026-02-03 19:34:34 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ホセア書11：1～11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3777614664</link>
         <description><![CDATA[<p>1 イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、わたしの子をエジプトから呼び出した。</p><p>2 それなのに、彼らを呼べば呼ぶほど、彼らはいよいよ遠ざかり、バアルたちにいけにえをささげ、刻んだ像に香こうをたいた。</p><p>3 それでも、わたしはエフライムに歩くことを教え、彼らを腕に抱だいた。しかし、彼らはわたしがいやしたのを知らなかった。</p><p>4 わたしは、人間の綱つな、愛のきずなで彼らを引いた。わたしは彼らにとっては、そのあごのくつこをはずす者のようになり、優しくこれに食べさせてきた。</p><p>5 彼はエジプトの地には帰らない。アッシリヤが彼の王となる。彼らがわたしに立ち返ることを拒んだからだ。</p><p>6 剣は、その町々で荒れ狂い、そのかんぬきを絶ち滅ぼし、彼らのはかりごとを食い尽くす。</p><p>7 わたしの民はわたしに対する背信からどうしても離れない。人々が上にいます方に彼を招いても、彼は、共にあがめようとはしない。</p><p>8 エフライムよ。わたしはどうしてあなたを引き渡すことができようか。イスラエルよ。どうしてあなたを見捨てることができようか。どうしてわたしはあなたをアデマのように引き渡すことができようか。どうしてあなたをツェボイムのようにすることができようか。わたしの心はわたしのうちで沸わき返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。</p><p>9 わたしは燃える怒りで罰しない。わたしは再びエフライムを滅ぼさない。わたしは神であって、人ではなく、あなたがたのうちにいる聖なる者であるからだ。わたしは怒りをもっては来ない。</p><p>10 彼らは主のあとについて来る。主は獅子ししのようにほえる。まことに、主がほえると、子らは西から震えながらやって来る。</p><p>11 彼らは鳥のようにエジプトから、鳩のようにアッシリヤの地から、震えながらやって来る。わたしは、彼らを自分たちの家に住ませよう。─主の御告みつげ─</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルに対する神の愛</strong></p><p><strong>過去における神の愛（1～7節）</strong></p><p>この箇所では、過去における神の愛が語られています。（1）イスラエルの民をエジプトから導き出したのは、神です。神はイスラエルの民を「わたしの子」と呼んでおられます。神とイスラエルの民は親子関係にあるのです。（2）しかし、イスラエルの民は神の愛を忘れ、バアルたち（偶像）にいけにえをささげるようになりました。（3）にもかかわらず、神は父の愛と配慮をもってイスラエルの民を優しく導かれました。それでも彼らは、その神の愛を忘れ、自分勝手な道を歩みました。<br>その背信の罪のゆえに、イスラエルの民の上に裁きが下ります。それがアッシリヤ捕囚です。彼らはエジプトに帰るのではなく、アッシリヤに捕囚の民として連行されます。彼らは神を拒否し、アッシリヤに信頼を置いたのですが、自分たちが信頼を置いた者によって支配されるようになります。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエル回復の預言（8～11節）</strong></p><p>この箇所では、イスラエルに対する将来の愛が確認されます。（1）神がイスラエルの民を完全に見放すことはありません。神は、「エフライムよ。わたしはどうしてあなたを引き渡すことができようか。イスラエルよ。どうしてあなたを見捨てることができようか」とお語りになります。（2）「アデマ」と「ツェボイム」は、ソドムとゴモラとともに滅ぼされた町です（創世記14：2、19：25）。神は、イスラエルの民がそれらの町のように滅びてしまうのはしのびないと言われます。（3）神は、人間の思いをはるかに超えた愛をもって行動されるお方です。その神が、「わたしは怒りをもっては来ない」と宣言されます。（4）イスラエルは必ず回復されます。彼らが悔い改めをもって神に立ち返る日が、必ずやって来ます。（5）彼らは、「西から震えながらやって来る」のです。西から来るのは、紀元70年のエルサレム崩壊以降に起こる帰還です。つまり、この帰還は終末時代に起こるものだということです。さらに彼らは、南（エジプト）からも、北（アッシリヤ）からも、震えながらやって来ます。<br>今、神の義と愛の葛藤かっとうについて黙想しましょう。神は私たちの罪を罰するお方ですが、同時に、私たちを愛し、赦してくださるお方です。そのために用意されたのが、御子イエスの十字架です。「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」（Ⅱコリント5：21）。アーメン。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。主イエスの十字架によって示されたあなたの愛に感謝します。どうか、あなたに愛されている者にふさわしい歩みをさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
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         <pubDate>2026-02-04 19:22:23 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ホセア書11：12～12：6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3779217520</link>
         <description><![CDATA[<p>12 わたしは、エフライムの偽いつわりと、イスラエルの家の欺あざむきで、取り囲まれている。しかし、ユダはなおさまよっているが、神とともにあり、聖徒たちとともに堅かたく立てられる。</p><p>＜ 12 章＞</p><p>1 エフライムは風を食べて生き、いつも東風ひがしかぜを追い、まやかしと暴虐ぼうぎゃくとを増し加えている。彼らはアッシリヤと契約を結び、エジプトへは油を送っている。</p><p>2 主は、ヤコブを罰するためにユダと言い争う。ヤコブの行いと、そのなすことに応じて、主は彼に報むくいる。</p><p>3 彼は母の胎たいにいたとき、兄弟を押しのけた。彼はその力で神と争った。</p><p>4 彼は御使みつかいと格闘して勝ったが、泣いて、これに願った。彼はベテルで神に出会い、その所で神は彼に語りかけた。</p><p>5 主は万軍の神。その呼び名は主。</p><p>6 あなたはあなたの神に立ち返り、誠実と公義とを守り、絶えずあなたの神を待ち望め。</p><p><br/></p><p><strong>ヤコブとその子孫との対比</strong></p><p><strong>エフライム（北王国）とユダ（南王国）の対比（11：12～12：2）</strong></p><p>きょうの箇所から、ホセア書の第4番目の区分（最後の区分）に入ります。この区分のテーマは、「イスラエルの罪と神の救い」です。<br>ホセア書11：12 は、ヘブル語聖書では12：1となっています（つまり、日本語訳聖書とヘブル語聖書では、ホセア書12 章が1節ずつずれているということです）。まず、エフライムとユダの対比が語られます。（1）エフライムは偽りと欺きで満ちていました。しかし、この時点でのユダは、信仰を維持しており、神とともに歩んでいました。（2）エフライムの状態が比ゆ的に描写されています。「風を食べて生き」とは、むなしい生き方を象徴しています。「東風を追い」とは熱風（神の裁きの象徴）を自らの身に招くような生き方を指します。エフライムは、まやかしと暴虐とを増し加えていましたが、混乱した外交政策においてそれが顕著けんちょに現れていました。（3）2 節に入ると、ユダに対してもきびしいことばが語られます。やがてユダも、背教の民となり、神の裁きを受けるようになります。</p><p><br/></p><p><strong>ヤコブとその子孫との対比（12：3～6）</strong></p><p>次に、ヤコブとその子孫との対比が語られます。アブラハム契約の祝福は、イサク、ヤコブと引き継がれました。ヤコブからイスラエルの12 部族が出ました（エフライムは北の10 部族の代表であり、ユダは南の2部族の代表です）。しかし、ヤコブの子孫たちは、先祖ヤコブのようには歩みませんでした。（1）ヤコブは、母の胎にいたとき、兄弟を押しのけました。その理由は、神の祝福を求めたからです。私たち異邦人は、ヤコブのことを狡猾こうかつな人間だと思ってしまいがちですが、聖書の評価はそれとは異なります。「彼はその力で神と争った」とありますが、これもまた、神の祝福を求めるためでした。（2）彼は御使いと格闘して勝ちましたが、泣いて、祝福を求めました。その結果、彼はベテルで神に出会うことができたのです。結局ヤコブは、ベテルで二度神に出会っています。アラム（シリア）に向かう途中と、アラム（シリア）から帰って来る途中です（創世記28：11～22、35：1 ～15）。（3）ヤコブの子孫たちは、先祖ヤコブの信仰にならうべきでしたが、彼らはカナン人のようになったのです（次回の箇所がそれを明らかにしています）。<br>神の祝福を熱心に求めたヤコブの生涯は、私たちにとっても手本であり、教訓です。あなたはだれの影響を受けて生活していますか。神を知らない人たちの価値観に流されることなく、神を愛し恐れる人たちとともに歩もうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。どうか、ヤコブの情熱と忍耐心とを私に与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-02-05 19:24:37 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ホセア書12：7～11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3780620099</link>
         <description><![CDATA[<p>7 商人は手に欺きのはかりを持ち、しいたげることを好む。</p><p>8 エフライムは言った。「しかし、私は富む者となった。私は自分のために財産を得た。私のすべての勤労の実は、罪となるような不義を私にもたらさない。」</p><p>9 しかし、わたしは、エジプトの国にいたときから、あなたの神、主である。わたしは例祭の日のように、再びあなたを天幕に住ませよう。</p><p>10 わたしは預言者たちに語り、多くの幻を示し、預言者たちによってたとえを示そう。</p><p>11 まことに、ギルアデは不法そのもの、ただ、むなしい者にすぎなかった。彼らはギルガルで牛にいけにえをささげた。彼らの祭壇も、畑のうねの石くれの山のようになる。</p><p><br/></p><p><strong>カナン人のようになったエフライム</strong></p><p><strong>富を誇りとする（7～8節）</strong></p><p>前回の箇所で、神はエフライムに、先祖ヤコブのような生活を追及するように命じておられましたが、神の期待に反して、エフライムはカナン人のような生活をするようになりました。7 節には、「商人は手に欺きのはかりを持ち、しいたげることを好む」とありますが、「商人」という語は「カナン人」とも訳せます（この文脈では、カナン人と訳すべきでしょう）。（1）先祖ヤコブは、カナンの地を出てアラムにいる親戚の家に向かいましたが、その理由は2つありました。1 つは兄のエサウからのがれるため、もう1つは、カナン人との結婚を避けるためです（エサウはすでに、カナン人の娘たちと結婚していました）。そのように、ヤコブは神の祝福を追及しました。（2）それに対して、ヤコブの子孫であるエフライムは、富を誇りとする生活をしていました。エフライム（北王国イスラエル）が最も繁栄したのは、ヤロブアム2世の時代です。エフライムは、自分たちが所有するようになった富を、神の祝福のしるしと理解しました。先祖ヤコブは神を誇りとしましたが、エフライムは富を誇りとしました。ヤコブは自らの罪を認めましたが、エフライムは自分の内になんの不義も見いだせないと豪語していました。なんという対比でしょうか。</p><p><br/></p><p><strong>神の裁き（9～11節）</strong></p><p>エフライムの不義に対して神の裁きが下ります。（1）神は、「しかし、わたしは、エジプトの国にいたときから、あなたの神、主である。わたしは例祭の日のように、再びあなたを天幕に住ませよう」と語られます。「例祭の日」とは、仮庵かりいおの祭りのことです。その祭りの期間、イスラエル人たちは「仮庵」に住みました。これは、荒野あらのでの放浪生活を記念するためです。神の裁きが下ると、エフライムは仮庵の祭りの時のような生活に追い込まれます。「天幕に住ませよう」とは、仮の宿に住ませようという意味です。仮庵の祭りと違うのは、短期間の仮住まいではなく、その悲惨な状況が長期に続くことです。（2）この裁きは、すでに主が預言者たちを通して語ってきたものです。しかし、エフライムは主のことばに関して無知な状態にあります。ホセア書を貫くテーマの一つが、「主のことばについての無知」ということです。（3）ギルアデはヨルダン川の東の町、ギルガルはヨルダン川の西の町です。つまり、ヨルダン川の東でも西でも、偶像礼拝が行われていたということです。<br>あなたは何を誇りとしていますか。目に見えるものを誇りとしたエフライムの失敗から教訓を学びましょう。ヤコブのように、神を誇りとすることを学びましょう。「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです」（ガラテヤ6：14）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものはありません。私はキリストとともに死に、キリストとともによみがえりました。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-02-06 19:45:36 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ホセア書12：12～14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3781363858</link>
         <description><![CDATA[<p>12 ヤコブはアラムの野に逃げて行き、イスラエルは妻をめとるために働いた。彼は妻をめとるために羊の番をした。</p><p>13 主はひとりの預言者によって、イスラエルをエジプトから連れ上り、ひとりの預言者によって、これを守られた。</p><p>14 エフライムは主の激しい怒りを引き起こした。主は、その血の報いを彼に下し、彼のそしりに仕返しをする。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの歴史</strong></p><p><strong>幼少時代（12節）</strong></p><p>きょうの箇所では、イスラエルの民の歴史が3つの段階で語られます。イスラエルの民の歴史は、ヤコブとともに始まります。つまり、ヤコブの時代は、イスラエルの民の幼少期に当たります。（1）ヤコブは、親戚が住むアラム（シリア）の地にのがれて行きました。兄のエサウからのがれるため、また、偶像礼拝に染まったカナン人との雑婚を避けるためでした。（2）アラムの地で、イスラエル（ヤコブ）は、妻をめとるために働きました。叔父のラバンの欺きがあり、結局彼は、14年間も働くことになりました。彼の仕事は、羊飼いでした。（3）ヤコブは、主の祝福を熱心に追及する人生を送りました。そして彼は、アラムで得た妻たち、子どもたち、そして家畜の群れを率いて、カナンの地に帰還しました。</p><p><br/></p><p><strong>成人となった時代（13節）</strong></p><p>イスラエルの民は、エジプトで成長し、成人となりました。奴隷状態にあった民をエジプトから導き出すために、神は「ひとりの預言者」をお立てになりました。それがモーセです。神はモーセによって民をエジプトから連れ上り、モーセによって彼らを守られました。イスラエルの民が成人となってカナンの地に帰還できたのは、ご自身の契約に忠実な神の愛があったからです。</p><p><br/></p><p><strong>背信の民となった時代（14節）</strong></p><p>イスラエルの民は、先祖ヤコブの歩みを忘れ、カナン人のような生活を始めました。つまり、エフライムの内に、不義、欺き、偶像礼拝が横行したということです。そのエフライムに対して、ホセアは神の裁きが来ることを語り、悔い改めを迫りました。「エフライムは主の激しい怒りを引き起こした。主は、その血の報いを彼に下し、彼のそしりに仕返しをする」とあるとおりです。<br>イスラエルの民の歴史を回顧する時、神が真実なお方であることに感動せざるを得ません。パウロはこう書いています。「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否いなむことができないからである」（Ⅱテモテ2：13）。あなたは、神の真実にどのように応こたえようとしていますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。あなたの真実に心から感謝します。どうか、あなたの愛に応答して生きる者としてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=6gVYVSNzhiQ" />
         <pubDate>2026-02-07 21:11:53 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ホセア書13：1～8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3782335113</link>
         <description><![CDATA[<p>1 エフライムが震えながら語ったとき、主はイスラエルの中であがめられた。しかし、エフライムは、バアルにより罪を犯して死んだ。</p><p>2 彼らは今も罪を重ね、銀で鋳物いものの像を造り、自分の考えで偶像を造った。これはみな、職人の造った物。彼らはこれについて言う。「いけにえをささげる者は子牛に口づけせよ」と。</p><p>3 それゆえ、彼らは朝もやのように、朝早く消え去る露つゆのように、打ち場から吹き散らされるもみがらのように、また、窓から出て行く煙のようになる。</p><p>4 しかし、わたしは、エジプトの国にいたときから、あなたの神、主である。あなたはわたしのほかに神を知らない。わたしのほかに救う者はいない。</p><p>5 このわたしは荒野で、かわいた地で、あなたを知っていた。</p><p>6 しかし、彼らは牧草を食べて、食べ飽きたとき、彼らの心は高ぶり、わたしを忘れた。</p><p>7 わたしは、彼らには獅子ししのようになり、道ばたで待ち伏せするひょうのようになる。</p><p>8 わたしは、子を奪われた雌熊めぐまのように彼らに出会い、その胸をかき裂き、その所で、雌獅子めじしのようにこれを食い尽くす。野の獣けものは彼らを引き裂く。</p><p><br/></p><p><strong>迫り来る裁き</strong></p><p><strong>裁きの原因（1～3節）</strong></p><p>この箇所では、イスラエルに降りかかろうとしている裁きが預言されています。裁きの原因は、イスラエルの偶像礼拝にあります。（1）主に従っていた時のイスラエルは強国で、イスラエルが語れば回りの国々は震え上がっていました。この様子を、新共同訳は「エフライムが語れば恐れられ／イスラエルの中で重んじられていた」と訳しています。（2）しかし、強国であったイスラエルは偶像礼拝に陥りました。彼は、バアル礼拝に走り、また、人の手で造られた偶像を拝みました。「いけにえをささげる者は子牛に口づけせよ」と叫びました。（3）その罪のゆえに、イスラエルは滅ぼされます。「朝もやのように、朝早く消え去る露のように」とか、「打ち場から吹き散らされるもみがらのように」とかいう表現は、ともに捕囚によって滅ぼされることを指しています。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルへの警告（4～8節）</strong></p><p>次に神は、イスラエルへの警告を発しておられます。（1）イスラエルの神は、イスラエルの民をエジプトから導き出したお方です。この神だけが、イスラエルの民が礼拝すべき唯一のお方です。出エジプト記20 章には、そのことが明確に記されています。（2）さらに、荒野でイスラエルの民を養やしなったのは、イスラエルの神です。イスラエルの民は、バアルが自分たちを養う神であると考えていましたが、それは全くの誤解です。（3）イスラエルの民は、その心が高ぶり、自分たちを支えていてくださるお方を完全に忘れてしまいました。それゆえ、神は彼らを裁かれます。ここでは、獅子、ひょう、熊という3種類の猛獣が出てきます。これらはすべて、ダニエル書7章、ヨハネの黙示録13、17章に登場する獣と関係しています。獅子はバビロンを、ひょうはギリシアを、熊はメド・ペルシヤを象徴しています。つまり、異邦人の諸国がイスラエルをむさぼり食うということです。時間的な順番では、ホセアはダニエルよりも前の預言者ですが、後にダニエルが詳細に預言する内容をホセア自身も預言しているのです。<br>「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」（出エジプト記20：2 ～3）。今、この聖句を思い起こして、私たちの救い主であるイエス・キリストの父なる神だけを礼拝しようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。私が祝福を受けた時、あなたを忘れたり、「主とはだれのことか」と言ったりすることのないように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=jUOoq3Ihkiw" />
         <pubDate>2026-02-08 20:47:08 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ホセア書13：9～16</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3783860373</link>
         <description><![CDATA[<p>9 イスラエルよ。わたしがあなたを滅ぼしたら、だれがあなたを助けよう。</p><p>10 あなたを救うあなたの王は、すべての町々のうち、今、どこにいるのか。あなたのさばきつかさたちは。あなたがかつて、「私に王と首長たちを与えよ」と言った者たちは。</p><p>11 わたしは怒いかってあなたに王を与えたが、憤いきどおってこれを奪い取る。</p><p>12 エフライムの不義はしまい込まれ、その罪はたくわえられている。</p><p>13 子を産む女のひどい痛みが彼を襲うが、彼は知恵のない子で、時が来ても、彼は母胎から出て来ない。</p><p>14 わたしはよみの力から、彼らを解き放ち、彼らを死から贖あがなおう。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。よみよ。おまえの針はどこにあるのか。あわれみはわたしの目から隠されている。</p><p>15 彼は兄弟たちの中で栄えよう。だが、東風が吹いて来、主の息が荒野から立ち上り、その水源はかれ、その泉は干上がる。それはすべての尊たっとい器うつわの宝物倉ほうもつぐらを略奪する。</p><p>16 サマリヤは自分の神に逆らったので、刑罰を受ける。彼らは剣つるぎに倒れ、幼子おさなごたちは八つ裂きにされ、妊婦たちは切り裂かれる。</p><p><br/></p><p><strong>愚かな者となったイスラエル</strong></p><p><strong>知恵のない子（9～13節）</strong></p><p>イスラエルは、イスラエルの神だけが彼らを救うお方であることを忘れてしまいました。（1）イスラエルの神が彼らを滅ぼしたなら、だれも彼らを救い出すことはできません。イスラエルの民は、かつて神の意図に反して王を求めそれを得ましたが、今や、その王さえも取り去られようとしています。（2）彼らの罪は、神によってすべて覚えられています。（3）彼らは、出産の時が来ても母胎から出て来ない子のようになりました。この子は、自分の命だけでなく母親の命までも危険にさらしています。つまり、イスラエルの民はそれほど愚かな状態に陥おちいったということです。</p><p><br/></p><p><strong>主にある希望（14節）</strong></p><p>しかし、イスラエルの民が完全に滅びてしまうわけではありません。14節には、将来起こる解放が預言されています。「わたしはよみの力から、彼らを解き放ち、彼らを死から贖おう。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。よみよ。おまえの針はどこにあるのか。あわれみはわたしの目から隠されている」。イスラエルの民は、勝利の宣言をするようになります。それが、「死よ。おまえのとげはどこにあるのか。よみよ。おまえの針はどこにあるのか」ということばの意味です。</p><p><br/></p><p><strong>部分的破壊（15～16節）</strong></p><p>それでも、イスラエルの民の上に裁きが下ろうとしています。（1）しかし、その裁きがもたらす破壊は、部分的なものです。「彼は兄弟たちの中で栄えよう」とあるとおりです。（2）砂漠から吹いてくる熱風（東風）が、「主の息」にたとえられています。その熱風（東風）によって、イスラエルの地は干上がります（不作が訪れるということです）。東風とは、アッシリヤのことでもあります。主はアッシリヤを用いてイスラエルの民を裁こうとしておられます。裁きの原因は、イスラエルの民の背信にあります。（3）次に、首都サマリヤの陥落が預言されます。「サマリヤは自分の神に逆らったので、刑罰を受ける。彼らは剣に倒れ、幼子たちは八つ裂きにされ、妊婦たちは切り裂かれる」<br>ホセア書4～ 13章では、イスラエルに下る裁きの預言が続きました（目前に迫ったアッシリヤ捕囚の預言と、将来起こる患難かんなん時代の預言）。しかし、最後の章である14 章では、イスラエルの最終的な救いが預言されます（次回それを学びます）。どのような困難に遭遇そうぐうしようとも、私たちには希望があります。主の祝福を受けて立ち上がるために必要なのは、悔い改めです。恵みの主は、ご自身の民が悔い改めることを待っておられます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。いかなる時にも希望が残されていることを感謝します。悔い改めによって、あなたの恵みを受け取ることができますように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=HBj1Fxt7FZ0" />
         <pubDate>2026-02-09 19:44:07 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ホセア書14：1～9</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3785482812</link>
         <description><![CDATA[<p>1 イスラエルよ。あなたの神、主に立ち返れ。あなたの不義がつまずきのもとであったからだ。</p><p>2 あなたがたはことばを用意して、主に立ち返り、そして言え。「すべての不義を赦して、良いものを受け入れてください。私たちはくちびるの果実をささげます。</p><p>3 アッシリヤは私たちを救えません。私たちはもう、馬にも乗らず、自分たちの手で造った物に『私たちの神』とは言いません。みなしごが愛されるのはあなたによってだけです。」</p><p>4 わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。</p><p>5 わたしはイスラエルには露つゆのようになる。彼はゆりのように花咲き、ポプラのように根を張る。</p><p>6 その若枝は伸び、その美しさはオリーブの木のように、そのかおりはレバノンのようになる。</p><p>7 彼らは帰って来て、その陰に住み、穀物のように生き返り、ぶどうの木のように芽をふき、その名声はレバノンのぶどう酒のようになる。</p><p>8 エフライムよ。もう、わたしは偶像と何のかかわりもない。わたしが答え、わたしが世話をする。わたしは緑のもみの木のようだ。あなたはわたしから実を得るのだ。</p><p>9 知恵ある者はだれか。その人はこれらのことを悟さとるがよい。悟りある者はだれか。その人はそれらを知るがよい。主の道は平らだ。正しい者はこれを歩み、そむく者はこれにつまずく。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの救い</strong></p><p><strong>悔い改めへの招き（1～3節）</strong></p><p>いよいよ最後の章にやってきました。この章のテーマは、イスラエルの救いです。（1）まず、主からの悔い改めの招きがイスラエルの民に語られます。「イスラエルよ。あなたの神、主に立ち返れ。あなたの不義がつまずきのもとであったからだ」。イスラエルと永遠の契約を結ばれた神は、姦淫かんいんの妻を迎えたホセアのように、背信の妻であるイスラエルを迎えてくださいます。（2）イスラエルの民は、犠牲の動物ではなく、悔い改めの心を主にささげるようになります。「私たちはくちびるの果実をささげます」とは、悔い改めの祈りのことです。（3）ついに彼らは、アッシリヤでもなく、偶像でもなく、主だけが自分たちを救うお方であることを認めるようになります。</p><p><br/></p><p><strong>神からの応答（4～8節）</strong></p><p>悔い改めによって、イスラエルは神の祝福を再び味わうようになります。（1）彼らの背信と罪は、完全にいやされます。（2）神は、姦淫の妻であるイスラエルを再び迎え、彼らに物質的祝福を与えるようになります。（3）神の怒りは、彼らを離れ去ります。（4）かつて神の怒り（東風）によって不毛の地となっていた所が、再び豊かな地となって復活します。それは、神が「露」のようになってくださるからです。<br>5～7 節では、復活したイスラエルの地の豊かさが、麗うるわしい言葉で描写されています。ゆり、ポプラ、オリーブの木、ぶどうの木などは、すべて「千年王国（メシア的王国）」の豊かさを示しています。患難時代を生き延びたイスラエルの民は、回復された地に住むようになります。　8節では、イスラエルの民が偶像礼拝から完全に解き放たれることが預言されています。それ以降、イスラエルの民は永遠に偶像礼拝とは無関係の民となります。</p><p><br/></p><p><strong>結論（9節）</strong></p><p>9節は、ホセア書全体の結論です。知恵ある者、悟りのある者とは、神のことばに従って生きている人のことです。イスラエルの民が抱えていた問題は、神のことばに関する無知です。神のことばを知らなかったり、それに反抗したりしている人は、愚かな者です。イスラエルの民は、将来、神を知る知識を得て、永遠に神とともに歩むようになります。神から「知恵ある者」との評価を受ける人は、幸いです。そのような人は、日々聖書と親しみ、神のことばを心にたくわえ、主の道を歩んでいる人です。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。神のことばに関する知識を、私に増し加えてください。知恵ある者として歩み続けることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-02-10 19:35:36 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ヨエル書1：1</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3786998026</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ペトエルの子ヨエルにあった主のことば。</p><p><br/></p><p><strong>預言者ヨエル</strong></p><p><strong>南王国ユダの預言者</strong></p><p>きょうから小預言書の第二番目に当たるヨエル書の学びを開始します。ヨエルという名は、「主（ヤハウェ）は神」という意味です。（1）時代的には、オバデヤに続く預言者です。ヨエル書は二度アモス書に引用されていますので、ヨエルがアモス以前の預言者であることがわかります（3：16はアモス書1：2 に、3：18 はアモス書9：13 に引用されています）。（2）ヨエルは南王国ユダの預言者です。ヨエル書では偶像礼拝の罪はほどんど問題にはなっていません。ということは、南王国ユダが比較的安定していた時期に活動していたということです。おそらく、ヨアシュ王の時代（前835年頃）に活動した預言者でしょう。ヨアシュは南王国ユダの善王のひとりでした。（3）ヨエルはエルサレムについては非常に詳しい預言者でした。それが、1：9、13、14、2：15 の記述からわかります。（4）ヨエルは、オバデヤが取り上げていた「主の日」というテーマをさらに発展させて預言を語っています（1：15、2：1、11、31、3：14 など参照）。「主の日」とは主の裁きの日、つまり大患難だいかんなん時代のことです。</p><p><br/></p><p><strong>新約聖書での引用</strong></p><p>（1）新約聖書は二度ヨエル書を引用しています。使徒の働き2：17 ～21はヨエル書2：28 ～32 の引用であり、さらに、ローマ人への手紙10：13はヨエル書2：32の引用です。（2）ヨエルの時代に、いなごの大災害が起こり、南王国ユダの地は疲弊ひへいしました。それは人々を絶望の淵に落とすほどの大災害でした。ヨエルはその大災害を取り上げ、そこから、将来起ころうとしている悪霊による侵略、また敵の軍による侵略について預言を語ります。<br>ヨエル書が教えている教訓は二つあります。（1）神は世界のあらゆる出来事を支配しておられる。（2）神は、人間の側が悔い改めた時に、それに応答して人間の取り扱いを変更してくださる。今私たちも、この二つの教訓から学ぼうではありませんか。私たちの回りにいかなることが起ころうとも、神の絶対的な支配と守りとは変わりません。私たちにとって最も大切なことは、悔い改めです。「神へのいけにえは、砕くだかれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」（詩篇51：17）。アーメン。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。目の前の現象によって一喜一憂することの多い私です。今私の不信仰を悔い改めます。お赦しください。きょうも、あなたの守りの御手を信じて進みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=4HAnG6IaPt0" />
         <pubDate>2026-02-11 19:33:18 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ヨエル書1：2～14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3788485207</link>
         <description><![CDATA[<p>2 長老たちよ。これを聞け。この地に住む者もみな、耳を貸せ。このようなことがあなたがたの時代に、また、あなたがたの先祖の時代にあったろうか。</p><p>3 これをあなたがたの子どもたちに伝え、子どもたちはその子どもたちに、その子どもたちは後の世代に伝えよ。</p><p>4 かみつくいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、ばったが食い、ばったが残した物は、食い荒らすいなごが食った。</p><p>5 酔っぱらいよ。目をさまして、泣け。すべてぶどう酒を飲む者よ。泣きわめけ。甘いぶどう酒があなたがたの口から断たれたからだ。</p><p>6 一つの国民がわたしの国に攻め上った。力強く、数えきれない国民だ。その歯は雄獅子おじしの歯、それには雄獅子のきばがある。</p><p>7 それはわたしのぶどうの木を荒れすたれさせ、わたしのいちじくの木を引き裂き、これをまる裸に引きむいて投げ倒し、その枝々を白くした。</p><p>8 若い時の夫のために、荒布あらぬのをまとったおとめのように、泣き悲しめ。</p><p>9 穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒は主の宮から断たれ、主に仕える祭司たちは喪もに服する。</p><p>10 畑は荒らされ、地も喪に服する。これは穀物が荒らされ、新しいぶどう酒も干上がり、油もかれてしまうからだ。</p><p>11 農夫たちよ。恥を見よ。ぶどう作りたちよ。泣きわめけ。小麦と大麦のために。畑の刈り入れがなくなったからだ。</p><p>12 ぶどうの木は枯れ、いちじくの木はしおれ、ざくろ、なつめやし、りんご、あらゆる野の木々は枯れた。人の子らから喜びが消えうせた。</p><p>13 祭司たちよ。荒布をまとっていたみ悲しめ。祭壇さいだんに仕える者たちよ。泣きわめけ。神に仕える者たちよ。宮に行き、荒布をまとって夜を過ごせ。穀物のささげ物も注ぎのぶどう酒もあなたがたの神の宮から退しりぞけられたからだ。</p><p>14 断食の布告をし、きよめの集会のふれを出せ。長老たちとこの国に住むすべての者を、あなたがたの神、主の宮に集め、主に向かって叫べ。</p><p><br/></p><p><strong>いなごによる大災害</strong></p><p><strong>前代未聞の大災害</strong></p><p>ユダの地をいなごの大群が襲いました。その害は、今まで聞いたこともないほど激しく絶望的なものでした。「かみつくいなご」、「いなご」、「ばった」、「食い荒らすいなご」という4種類の言葉が使われていますが、これは4 種類のいなごのことではなく、4回にわたるいなごの災害のことです。先のいなごの大群が食い残したものを次のいなごの大群が食い荒らし、4 回目のいなごの襲来の後には何も残されていないというのが、ヨエルの論点です。旧約聖書では、4という数字は破滅の激しさを象徴的に表す数字として用いられています（エレミヤ書15：3、エゼキエル書14：21 参照）。<br>この災害のために、4 種類の人たちが嘆いています。（1）酔っ払いは、ぶどう酒が断たれたので嘆いています。ぶどうの木は丸裸にされ、枝葉は皮まで食いちぎられて白くなっています。（2）一般民衆は、若い妻が夫を亡くした時のように泣き悲しんでいます。（3）祭司たちは喪に服しています。主の前にささげる穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒が断たれたからです。これらのささげ物の一部は、祭司の収入となりました。それがなくなることは、生活の破綻はたんを意味しました。（4）農夫たちも恥を感じ、泣きわめいています。ぶどう、小麦と大麦などの畑の刈り入れがなくなったからです。また、ざくろ、なつめやし、りんごなどのあらゆる野の木々も枯れてしまいました。</p><p><br/></p><p><strong>断食の布告</strong></p><p>ヨエルは祭司たちに向かって、断食の布告と、きよめの集会の開催を呼びかけます。荒布をまとうのは、悲しみと悔い改めの表現ですが、ヨエルは「荒布をまとって夜を過ごせ」と命じています。荒布をまとったまま寝るのは、事態がいかに深刻であるかを表しています。いなごの大災害は、ユダの民にとっては主の前に悔い改める機会となりました。ヨエルは、すでに起こったこの大災害を下敷きにして、将来ユダの民を襲おうとしているより悲惨な裁きについて預言を始めます。その内容が、1：15以降で記されます。<br>私たちの祖国日本にも、実に悲惨な大地震の災害や台風の被害が頻繁ひんぱんに発生しています。ヨエル書の論理から言うと、これらの災害は私たち日本人が主に叫ぶきっかけとなり、機会となるべきものです。まず私たちクリスチャンが、荒布をまとったような姿になって、主に叫ぶべきです。きょう一日、襟えりを正し、主によって派遣された天国の大使としてこの世に出て行こうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天地創造の神よ。空騒ぎをしたり、浮き足立ったりするのではなく、荒布をまとって日々あなたの前を歩むことができますように、私を励ましてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-02-12 19:42:38 UTC</pubDate>
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      </item>
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         <title>ヨエル書1：15～20</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3789681365</link>
         <description><![CDATA[<p>15 ああ、その日よ。主の日は近い。全能者からの破壊のように、その日が来る。</p><p>16 私たちの目の前で食物が断たれたではないか。私たちの神の宮から喜びも楽しみも消えうせたではないか。</p><p>17 穀物の種は土くれの下に干からび、倉は荒れすたれ、穴倉はこわされた。穀物がしなびたからだ。</p><p>18 ああ、なんと、家畜がうめいていることよ。牛の群れはさまよう。それに牧場がないからだ。羊の群れも滅びる。</p><p>19 主よ。私はあなたに呼び求めます。火が荒野の牧草地を焼き尽くし、炎が野のすべての木をなめ尽くしました。</p><p>20 野の獣けものも、あなたにあえぎ求めています。水の流れがかれ、火が荒野の牧草地を焼き尽くしたからです。</p><p><br/></p><p><strong>主の日は近い</strong></p><p><strong>第二の大災害</strong></p><p>きょうの箇所でヨエルが預言しているのは、将来起こる大災害（いなごの害ではない第二の大災害）です。その大災害の結果だけが預言されています。大災害の原因は、2：1～11 で語られます。<br>（1）前回の箇所で断食ときよめの集会を勧告したヨエルは、迫り来るさらなる危機を予感し、「ああ、その日よ。主の日は近い」と叫んでいます。「主の日」とは、旧約聖書で最も頻繁に出てくる「大患難時代」を指す用語です。ヨエルはこの書で5回「主の日」という言葉を使用していますが、15節がその最初のものです。（2）その日は、全能者からの破壊のようにやって来ます。その結果、食物は断たれ、神の宮から喜びも楽しみも消え、穀物は種まで干からびます。さらに、家畜までもが絶望するのです。</p><p><br/></p><p><strong>火による大災害</strong></p><p>すでに起こった第一の大災害は、「いなごの侵入」によるものでした。いなごが作物や木々を食い尽くしたために、地は疲弊したのです。それに対して、第二の大災害は、「火」と「炎」によるものとなります。その結果、牧草地も、野のすべての木々も燃え尽きてしまいます。また、野の獣も苦しみ、神の助けを求めるようになります。「野の獣も、あなたにあえぎ求めています」とは、擬人法です。それほどに、状況は深刻なものとなるのです。<br>私たちの国にも、また全世界にも、非常にきびしい状況が訪れようとしています。あなたは今、霊的な渇きを覚えていませんか。今こそ、神をあえぎ求めるべき時ではないでしょうか。「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます」（詩篇42：1）。この祈りを自らの祈りとして祈り、きょうも主からいのちの水をいただこうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。今私は渇いています。どうか私に、聖霊の水を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=DcS67DjOWUI" />
         <pubDate>2026-02-13 20:02:36 UTC</pubDate>
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      </item>
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         <title>ヨエル書2：1～11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3790250039</link>
         <description><![CDATA[<p>1 シオンで角笛つのぶえを吹き鳴らし、わたしの聖なる山でときの声をあげよ。この地に住むすべての者は、わななけ。主の日が来るからだ。その日は近い。</p><p>2 やみと、暗黒の日。雲と、暗やみの日。山々に広がる暁あかつきの光のように数多く強い民。このようなことは昔から起こったことがなく、これから後の代々の時代にも再び起こらない。</p><p>3 彼らの前では、火が焼き尽くし、彼らのうしろでは、炎がなめ尽くす。彼らの来る前には、この国はエデンの園のようであるが、彼らの去ったあとでは、荒れ果てた荒野となる。これからのがれるものは一つもない。</p><p>4 その有様は馬のようで、軍馬のように、駆け巡る。</p><p>5 さながら戦車のきしるよう、彼らは山々の頂いただきをとびはねる。それは刈り株を焼き尽くす火の炎の音のよう、戦いの備えをした強い民のようである。</p><p>6 その前で国々の民はもだえ苦しみ、みなの顔は青ざめる。</p><p>7 それは勇士のように走り、戦士のように城壁をよじのぼる。それぞれ自分の道を進み、進路を乱さない。</p><p>8 互いに押し合わず、めいめい自分の大路おおじを進んで行く。投げ槍やりがふりかかっても、止まらない。</p><p>9 それは町を襲い、城壁の上を走り、家々によじのぼり、盗人のように窓から入り込む。</p><p>10 その面前で地は震い、天は揺れる。太陽も月も暗くなり、星もその光を失う。</p><p>11 主は、ご自身の軍勢の先頭に立って声をあげられる。その隊の数は非常に多く、主の命令を行う者は力強い。主の日は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられよう。</p><p><br/></p><p><strong>第二の侵入の描写</strong></p><p><strong>主の日が来る</strong></p><p>きょうの箇所は、「シオンで角笛を吹き鳴らし、…」という命令で始まります。旧約時代にはさまざまな理由で角笛を吹き鳴らしましたが、ここでは敵軍の侵入を告げるために角笛を吹きます（民数記10：9参照）。第一の侵入はいなごによるものでしたが、将来に起ころうとしている第二の侵入は、それよりももっと恐ろしいものです。<br>（1）ヨエルは、この第二の侵入のことを「主の日が来るからだ。その日は近い」と表現しています。くり返しになりますが、「主の日」とは大患難時代のことです。メシア的王国（千年王国）が地上に出現する前に、最終的な神の怒りが地上に下ります。（2）主の日は、「やみと、暗黒の日」であり、「雲と、暗やみの日」でもあります。主の日が暗黒の日であることは、他の預言者たちも預言していることです（イザヤ書8：22、60：2、アモス書5：18 ～20、ゼパニヤ書1：14 ～16 など参照）。（3）2～9節には侵略の様子が描写されています。地上を破壊する方法は、火と炎です。かつてはエデンの園のように美しかった所が、荒れ果てた荒野に変貌へんぼうします。（4）侵入して来るのは、人間ではありません。軍馬のようではあっても軍馬ではなく、戦車のようであっても戦車ではないのです。これは、悪霊どもによる侵入です。（5）彼らは進路を乱すことなく進軍し、徹底的に破壊行為を遂行します。国々の民はその前でもだえ苦しみ、その顔は青ざめます。</p><p><br/></p><p><strong>黙示録との関係</strong></p><p>ここでヨハネの黙示録について触れます。（1）黙示録は22 章までありますが、1～ 20章に記されている内容は、そのほとんどが旧約聖書のどこかに出てきたものです。黙示録は、旧約聖書のあちこちに分散している終末預言を、時系列順に並べ整理しています。（2）ヨエル書2章の内容は黙示録9 章で扱われています。黙示録9章には、悪霊による侵入が2回預言されています。9：1 ～11 では、侵入軍は人間を5 ヶ月にわたって苦しめます。9：13～ 21では、侵入軍は地上の人口の3分の1を殺します。（3）ヨエル書2章は、その二度にわたる悪霊による侵入を一度にまとめて描写しています。<br>神の怒りが下るなら、それは本当に恐ろしいことです。「わたしがおまえを罰する日に、おまえの心は耐えられようか。おまえの手は強くありえようか。主であるわたしがこれを語り、これをする」（エゼキエル書22：14）。主イエスを通して神と和らぐことを学びましょう。また、ひとりでも多くの方にイエス・キリストの福音を宣べ伝えましょう。時は迫っています。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。私の愛する家族や友人たちに福音を伝えます。どうか彼らを救ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=S6wI_DIzSOY" />
         <pubDate>2026-02-14 20:50:57 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3790250039</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ヨエル書2：12～17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3790741495</link>
         <description><![CDATA[<p>12 「しかし、今、─主の御告げ─心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ。」</p><p>13 あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。</p><p>14 主が思い直して、あわれみ、そのあとに祝福を残し、また、あなたがたの神、主への穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒とを残してくださらないとだれが知ろう。</p><p>15 シオンで角笛を吹き鳴らせ。断食の布告をし、きよめの集会のふれを出せ。</p><p>16 民を集め、集会を召集せよ。老人たちを集め、幼子、乳飲み子も寄せ集めよ。花婿を寝室から、花嫁を自分の部屋から呼び出せ。</p><p>17 主に仕える祭司たちは、神殿の玄関の間と祭壇との間で、泣いて言え。「主よ。あなたの民をあわれんでください。あなたのゆずりの地を、諸国の民のそしりとしたり、物笑いの種としたりしないでください。国々の民の間に、『彼らの神はどこにいるのか』と言わせておいてよいのでしょうか。」</p><p><br/></p><p><strong>断食ときよめの集会</strong></p><p><strong>主はあわれみ深い</strong></p><p>迫り来る「主の日」を前に、主（ヤハウェ）からの呼びかけがなされます。（1）主はイスラエル人たちに、外面だけの悔い改めではなく、内面の悔い改め（心を引き裂く）をもって「主に立ち返れ」と呼びかけておられます。（2）その理由は、「主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるから」です。これは、出エジプト記34：6の原則の再述でもあります。<br>私たちの神は、なんと恵みとあわれみに富んだお方でしょうか。今もう一度、主の恵みとあわれみを思い起こし、その御腕みうでの中に自らの人生をゆだねようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>角笛を吹き鳴らせ</strong></p><p>再び、「シオンで角笛を吹き鳴らせ」という呼びかけがなされます。今回は、敵の侵入を告げるためではなく、断食ときよめの集会を召集するために吹くのです（民数記10：10 参照）。断食ときよめの集会を開く理由は、迫り来る神の怒りからのがれるためです。<br>（1）きよめの集会を開く根拠は、神の恵みとあわれみにあります。（2）この集会には老若男女の全員が招かれています。通常は出席を免除される新婚の男女も、ここでは例外ではありません。それほど重要で厳粛げんしゅくな集会なのです。（3）さらに、祭司たちは泣きながら祈りをささげなければなりません。祈りの内容は、「選びの民であるイスラエルを滅ぼさず、あわれんでください」ということと、「神を知らない者たちが、神の御名をあざけることがないようにしてください」というものです。これは、詩篇79：10 と同じ祈りです。「なぜ、国々は、『彼らの神はどこにいるのか』と言うのでしょう。あなたのしもべたちの、流された血の復讐が、私たちの目の前で、国々に思い知らされますように」<br>パウロはコリントのクリスチャンたちに、「私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください」と書き送っています。私たちもまた、神から受けた恵みをむだにすることのないような人生を志こころざそうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたは恵み深いお方、悔い改めた者には寛大なお方です。私もまた、神の恵みをむだに受けないような生き方を志します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-02-15 20:22:31 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ヨエル書2：18～20</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3791677574</link>
         <description><![CDATA[<p>18 主はご自分の地をねたむほど愛し、ご自分の民をあわれまれた。</p><p>19 主は民に答えて仰せられた。「今、わたしは穀物と新しいぶどう酒と油とをあなたがたに送る。あなたがたは、それで満足する。わたしは、二度とあなたがたを、諸国の民の間で、そしりとしない。</p><p>20 わたしは北から来るものを、あなたがたから遠ざけ、それを荒廃こうはいした砂漠の地へ追いやり、その前衛を東の海に、その後衛を西の海に追いやる。その悪臭が立ち上り、その腐ったにおいが立ち上る。主が大いなることをしたからだ。」</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの地の回復（1）</strong></p><p><strong>ねたむ神</strong></p><p>18節には、「主はご自分の地をねたむほど愛し、ご自分の民をあわれまれた」とあります。この聖句から、いくつかのことを学んでみましょう。（1）主はイスラエルの地、特にエルサレムを愛しておられます。このことは、ゼカリヤ書1：14、8：2 にも記されています。（2）その愛は、ねたむほどのものです。神が「ねたみの神」であることは、出エジプト記34：14に記されています。「あなたはほかの神を拝んではならないからである。その名がねたみである主は、ねたむ神であるから」（エゼキエル書39：25 も参照）。（3）イスラエルの地とイスラエルの民とは非常に近い関係にあります。18節がヘブル的並列法で書かれていることを考えると、その関係がいかに近いかがさらにわかります。イスラエルの地をねたむほどに愛される神は、イスラエルの民をもあわれまれます。つまり、イスラエルの民の多くが殺されても、彼らが全滅することは決してないということです。<br>主イエスがサマリヤの女に語った次の言葉を根拠に、エルサレムの重要性は過ぎ去ったと考える人もいます。「あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます」（ヨハネ4：21）。しかし、聖書預言によれば、終末時代には再びエルサレムが中心になって神のドラマが展開していくのです。</p><p><br/></p><p><strong>ハルマゲドンの戦い</strong></p><p>20節には、「北から来るもの」という表現があります。これは第三の侵入のことで、人間の軍隊による侵入です。（1）北からの軍勢がイスラエルの地に向かって攻めて来ると、最後の戦いであるハルマゲドンの戦いが始まります。（2）しかし、神の力によってイスラエルは滅亡を免れます。北から攻めて来た敵の軍勢は、その多くがネゲブ砂漠（イスラエル南部の地域）で死にます。また、残りの者たちは死海（東の海）や地中海（西の海）に追いやられます。（3）殺された者たちの悪臭が付近一帯に立ち上ります。これは、敵が大いなる悪を行ったことのしるしとなります。<br>神がイスラエルの民に向けた「ねたむほどの愛」は、イエス・キリストにあって私たちにも向けられています。ヤコブはこう語っています。「それとも、『神は、私たちのうちに住まわせた御霊みたまを、ねたむほどに慕っておられる』という聖書のことばが、無意味だと思うのですか」（ヤコブ4：5）。つまり、神の愛を受け入れた者は、神に従順に歩みなさいということです。そうすれば、悪魔も私たちから逃げ去らざるを得なくなります。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。ねたむほどの愛をもってこの私を愛してくださり、感謝します。きょうも従順な歩みをすることができますように、私を励ましてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-02-16 20:07:16 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ヨエル書2：21～27</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3792783029</link>
         <description><![CDATA[<p>21 地よ。恐れるな。楽しみ喜べ。主が大いなることをされたからだ。</p><p>22 野の獣たちよ。恐れるな。荒野の牧草はもえ出る。木はその実をみのらせ、いちじくの木と、ぶどうの木とは豊かにみのる。</p><p>23 シオンの子らよ。あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜たまわり、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。</p><p>24 打ち場は穀物で満ち、石がめは新しいぶどう酒と油とであふれる。</p><p>25 いなご、ばった、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償つぐなおう。</p><p>26 あなたがたは飽きるほど食べて満足し、あなたがたに不思議なことをしてくださったあなたがたの神、主の名をほめたたえよう。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。</p><p>27 あなたがたは、イスラエルの真ん中にわたしがいることを知り、わたしがあなたがたの神、主であり、ほかにはないことを知る。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの地の回復（2）</strong></p><p><strong>勝利の喜び</strong></p><p>前回の箇所では、イスラエルに対する第三の侵入が人間の軍隊によるものであることが預言されていました。しかし、イスラエルを滅ぼそうとする軍隊はすべて滅ぼされます（ハルマゲドンの戦い）。主がイスラエルのために戦い、勝利されるからです。その時、三つのものが喜びます。（1）全知が喜びます。主が大いなることをされるからです。（2）動物界も喜びます。不毛の地である荒野に牧草が生え、豊かな食物が約束されるからです。また、かつては枯れていたいちじくの木やぶどうの木も、豊かな実りを付けるようになります。（3）イスラエルの民（シオンの子ら）もまた、主にあって楽しみ喜ぶようになります。<br>以上の預言は、すべてメシア的王国（千年王国）に関係したものです。メシアの再臨さいりんによって、被造の世界は再びかつての栄光を回復するようになります。</p><p><br/></p><p><strong>喜びの理由</strong></p><p>イスラエルの民が喜ぶ理由がなんであるか、考えてみましょう。（1）彼らにはメシアが与えられます。23節には「初めの雨を賜わり」とありますが、これは「義の教師を賜わり」と訳すべき言葉です。つまり、イスラエルの民には「義の教師」であるメシアが与えられるということです。メシアが与えられるということ以上の喜びはありません。（2）イスラエルの地には、季節ごとに必要な雨が与えられます。秋に降るのが初めの雨、春に降るのが後の雨です。それらの雨によって豊かな収穫が保障され、打ち場は穀物で満ち、石がめは新しいぶどう酒と油とで溢れるようになります。（3）神の裁きを受けて苦しんだ年数と同じ期間、主からの祝福が注がれます。その結果、イスラエルの民は主の御名をたたえるようになります。<br>きょうの箇所のまとめが27 節です。「あなたがたは、イスラエルの真ん中にわたしがいることを知り、わたしがあなたがたの神、主であり、ほかにはないことを知る。わたしの民は永遠に恥を見ることはない」。なんとすばらしい約束のことばでしょうか。私たちの神は、確かに私たちの真ん中にいてくださいます。日々主とともに歩んでいるという確信こそ、クリスチャンの誇りであり力です。きょうも主に従ってこの世に出て行こうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。あなたは私たちの真ん中にいて、私たちが恥を見ることがないようにしてくださいます。きょうもあなたにお従いします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-02-17 20:22:53 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ヨエル書2：28～32</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3793941331</link>
         <description><![CDATA[<p>28 その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。</p><p>29 その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。</p><p>30 わたしは天と地に、不思議なしるしを現す。血と火と煙の柱である。</p><p>31 主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。</p><p>32 しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。</p><p><br/></p><p><strong>聖霊の傾注</strong></p><p><strong>その後に起こること</strong></p><p>ヨエル書2：28～ 32は、非常に重要な預言の箇所です。日本語や英語の聖書ではこの箇所は2 章に含まれていますが、ヘブル語聖書ではここだけで3章を形成しています。それほど重要な箇所だということです。ちなみに、日本語聖書の3章は、ヘブル語聖書では4章になっています。この箇所の中心テーマは、将来起こる聖霊の傾注とイスラエルの民族的救いです。（1）「その後」とありますが、これは、神の裁き（大患難時代）とイスラエルの民の悔い改めの後、という意味です。（2）神は、「わたしの霊をすべての人に注ぐ」と言われます。厳密に釈義すると、「すべての人」とは大患難時代に生きているすべてのイスラエル人のことです。「あなたがたの息子や娘」とありますから、これはイスラエル人のことです。（3）その時、性別（息子と娘）、年齢（年寄りと若い男）、社会的身分（しもべとはしため）に関係なしに、聖霊がすべてのイスラエルの民の上に注がれます。（4）聖霊を受けた人たちは、預言をしたり、夢や幻を見たりするようになります。</p><p><br/></p><p><strong>聖霊傾注の前提条件</strong></p><p>イスラエルの民の上に聖霊が注がれることは、他の預言者たちも預言しています（エゼキエル書39：29、ゼカリヤ書12：10など）。ホセア書5章と6章では、聖霊の傾注は再臨の前の3日間に起こることが預言されています。ローマ人への手紙11：26 にある「イスラエルはみな救われる」ということばもまた、同じ内容を預言したものです。<br>では、聖霊傾注の前提条件とはなんでしょうか。（1）「主の日」（大患難時代）が来る前に、天変地異が起こります（30節）。さらに、暗黒が地上を支配します（31節）。これらのことは、ヨハネの黙示録に詳細に預言されています。（2）大患難時代の中で、イスラエルの民は悔い改めに導かれます。「主の名を呼ぶ者はみな救われる」とはそういう意味です。（3）悔い改めによって霊的新生を体験するのは、「イスラエルの残れる者」です。これは、オバデヤ書1章17節、イザヤ書4：2、37：31 ～32にも預言されていることです。<br>歴史から学び、将来への展望を持つことはクリスチャンにとって非常に大切なことです。時代は、教会の携挙けいきょ、大患難時代の到来、イスラエルの民族的悔い改め、聖霊の傾注とメシアの再臨へと進んでいます。神の視点から将来を展望し、きょうという日を希望をもって生きようではありませんか。あなたには携挙や再臨の準備ができていますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたの視点に立って将来を展望し、希望をもって生きることができますように、私を励ましてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-02-18 19:02:09 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ヨエル書3：1～8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3795274326</link>
         <description><![CDATA[<p><br/></p><p>1 見よ。わたしがユダとエルサレムの繁栄を元どおりにする、その日、その時、</p><p>2 わたしはすべての国民を集め、彼らをヨシャパテの谷に連れ下り、その所で、彼らがわたしの民、わたしのゆずりの地イスラエルにしたことで彼らをさばく。彼らはわたしの民を諸国の民の間に散らし、わたしの地を自分たちの間で分け取ったからだ。</p><p>3 彼らはわたしの民をくじ引きにし、子どもを遊女のために与え、酒のために少女を売って飲んだ。</p><p>4 ツロとシドンよ。おまえたちは、わたしに何をしようとするのか。ペリシテの全地域よ。おまえたちはわたしに報復しようとするのか。もしおまえたちがわたしに報復するなら、わたしはただちに、おまえたちの報いを、おまえたちの頭上に返す。</p><p>5 おまえたちはわたしの銀と金とを奪い、わたしのすばらしい宝としている物をおまえたちの宮へ運んで行き、</p><p>6 しかも、ユダの人々とエルサレムの人々を、ギリシヤ人に売って、彼らの国から遠く離れさせたからだ。</p><p>7 見よ。わたしは、おまえたちが彼らを売ったその所から、彼らを呼び戻して、おまえたちの報いを、おまえたちの頭上に返し、</p><p>8 おまえたちの息子、娘たちを、ユダの人々に売り渡そう。彼らはこれを、遠くの民、シェバ人に売る、と主は仰せられる。</p><p><br/></p><p><strong>異邦人の裁き</strong></p><p><strong>千年王国設立の前に</strong></p><p>日本語聖書のヨエル書3 章は、ヘブル語聖書では4章になっています。きょうの箇所では、異邦人の裁きが預言されています。（1）その裁きが起こる時は、「わたしがユダとエルサレムの繁栄を元どおりにする、その日、その時」です。つまり、大患難時代の終了とメシア的王国（千年王国）の設立の間に、異邦人の裁きが起こるのです。ダニエル書12 章には、大患難時代とメシア的王国の間には75日間のインターバルがあると預言されています。異邦人の裁きは、その間に行われます。（2）すべての国民がヨシャパテの谷に集められ、そこで裁きを受けます。ヨシャパテの谷とは、エルサレム旧市街とオリーブ山の間にあるケデロンの谷の一部です。（3）異邦人が裁かれる基準は、大患難時代の間にイスラエルの民をどのように扱ったかということです。マタイの福音書25：31～46には、この時の裁きが預言されています。「すべての国々の民が、その御前に集められます。彼（人の子=メシア）は、羊飼いが羊と山羊やぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置きます」（マタイ25：32～ 33）。（4）親ユダヤの異邦人は羊としてメシアの右に置かれ、反ユダヤの異邦人は山羊として左に置かれます。羊である異邦人は用意されたメシア的王国に入り、山羊である異邦人は永遠の火に入れられます。</p><p><br/></p><p><strong>裁きの理由</strong></p><p>反ユダヤの異邦人が裁かれる理由が三つ出ています。（1）彼らはイスラエル人たちを諸国民の間に散らしたために裁かれます（マタイ24：15 ～16、黙示録12：6には、イスラエル人たちが逃亡することが預言されています）。（2）彼らは、主がイスラエルに与えた地を自分たちの間で分け取ったために裁かれます。（3）さらに彼らは、イスラエル人たちを奴隷として売り渡したために裁かれます。イスラエル人たちが安価で奴隷として売られる様が、3節に預言されています。<br>4～8節には、反ユダヤの異邦人たちに下る主の裁きが預言されています。主は異邦人を裁き、遠くに売られていたイスラエル人たちを再びイスラエルの地に呼び戻されます。神は今もイスラエルの民を通してご自身の計画を成就しようとしておられます。反ユダヤ主義は、究極的には神の計画の否定であり、神への反抗です。イスラエルの民がイエスをメシアとして受け入れる日が来るように、祈ろうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。きょうもまた、あなたの人類救済計画のすばらしさを教えてくださり、感謝します。あなたの計画に沿った祈りができますように、私をお導きください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=tGPRGAqCGnE" />
         <pubDate>2026-02-19 20:30:15 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ヨエル書3：9～12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3796462679</link>
         <description><![CDATA[<p>9 諸国の民の間で、こう叫べ。聖戦をふれよ。勇士たちを奮ふるい立たせよ。すべての戦士たちを集めて上らせよ。</p><p>10 あなたがたの鍬すきを剣つるぎに、あなたがたのかまを槍やりに、打ち直せ。弱い者に「私は勇士だ」と言わせよ。</p><p>11 回りのすべての国々よ。急いで来て、そこに集まれ。─主よ。あなたの勇士たちを下くだしてください─</p><p>12 諸国の民は起き上がり、ヨシャパテの谷に上って来い。わたしが、そこで、回りのすべての国々をさばくために、さばきの座に着くからだ。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルに対する戦い</strong></p><p><strong>聖戦をふれよ</strong></p><p>きょうの箇所の内容は、ヨハネの黙示録16：12 ～16 に詳細に預言されています。それは、ハルマゲドンの戦いについての預言です。（1）大患難時代にユダヤ人の3 分の2 は死に絶えますが、残った3分の1を滅ぼすために、諸国の民が最後の戦争を仕かけてきます。（2）諸国の民を召集するのは、反キリストです。彼は、「聖戦をふれよ。勇士たちを奮い立たせよ。すべての戦士たちを集めて上らせよ」と叫びます。神の民イスラエルを滅ぼす戦争を「聖戦」と呼んでいるのは、悪魔的欺瞞ぎまんです。（3）その召集に対して、諸国の民は情熱的に応答します。彼らは、平和的な器（鋤、鎌など）を用いて武器を作ります。また、急いで反キリストが召集する戦いに駆けつけます。<br>ハルマゲドンの戦いにおいては、平和的な器が武器に打ち直されますが、メシア的王国（千年王国）では、正反対のことが起こります。「主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない」（イザヤ書2：4）とあるとおりです（ミカ書4：3も参照）。</p><p><br/></p><p><strong>主の裁きの座</strong></p><p>表面的にはこの戦いは人間的な戦いのように見えますが、その実体は「諸国の民を裁くための主の戦い」です。（1）「主よ。あなたの勇士たちを下してください」との祈りがありますが、「あなたの勇士たち」とは、神によって派遣される天使たちのことです。（2）諸国の民の軍隊は、「ハルマゲドン」（黙示録16：16）という場所に結集し、そこから南下してエルサレムに攻め上ります。「ハルマゲドン」とは、イズレエルの谷のことです。（3）エルサレムに攻め上った軍隊は、ヨシャパテの谷（ケデロンの谷の一部）に集められ、そこで主の裁きに会います。以上が、ヨハネの黙示録16 章と照らし合わせながら解釈した、この箇所の預言の内容です。<br>「聖戦」を掲かかげながら、実はそれが神に敵対する戦いであるとするなら、なんと不幸なことでしょうか。今でも多くの人たちが、神に敵対して歩みながら、それに気づかないでいます。そういう私たちもまた、自己判断によって神に逆らった歩みをしていることがあります。聖書を学び、神のみこころを理解したなら、それを実行することが大切です。今、聖書を理解する知恵と、それを実行する力とを主に求めましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。私にあなたのみことばを理解する知恵を与えてください。同時に、みこころを実行する信仰と力をも備えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=BepAmQv5JfY" />
         <pubDate>2026-02-20 20:58:21 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ヨエル書3：13～17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3797030282</link>
         <description><![CDATA[<p>13 かまを入れよ。刈り入れの時は熟した。来て、踏め。酒さかぶねは満ち、石がめはあふれている。彼らの悪がひどいからだ。</p><p>14 さばきの谷には、群集また群集。主の日がさばきの谷に近づくからだ。</p><p>15 太陽も月も暗くなり、星もその光を失う。</p><p>16 主はシオンから叫び、エルサレムから声を出される。天も地も震える。だが、主は、その民の避け所、イスラエルの子らのとりでである。</p><p>17 あなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であり、わたしの聖なる山、シオンに住むことを知ろう。エルサレムは聖地となり、他国人はもう、そこを通らない。</p><p><br/></p><p><strong>主の日の裁き</strong></p><p><strong>2種類の裁き</strong></p><p>諸国の民は、ヨシャパテの谷で主の裁きに会います。そこには、2種類の裁きがあります。（1）「かまを入れよ。刈り入れの時は熟した」とありますが、聖書では「刈り入れ」という言葉は「救い」を意味しています。これは「羊の異邦人」に対する裁きを指しており、彼らは救い（祝福）を受け、メシア的王国（千年王国）に招き入れられます。「羊の異邦人」とは、大患難時代に信者になった異邦人のことで、彼らはその信仰を行為で表し、親イスラエルの立場を取ります（マタイ25：31 ～46 参照）。この様子は、ヨハネの黙示録14：14 ～16 に詳しく預言されています。（2）さらに、「来て、踏め。酒ぶねは満ち、石がめはあふれている」とあります。「酒ぶねを踏む」とは、聖書では「裁き」を意味しています。これは、「山羊の異邦人」を指しており、彼らは「主の日の裁き」を受けるようになります。「山羊の異邦人」とは、大患難時代に反ユダヤの立場に立ち、ユダヤ人たちを迫害する異邦人のことです。ヨハネの黙示録14：17 ～20がそのことを預言しています。「その酒ぶねは都の外で踏まれたが、血は、その酒ぶねから流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった」（黙示録14：20）とあります。「都の外」とはヨシャパテの谷のことです。その日に流される血の量は想像を絶するものです。</p><p><br/></p><p><strong>主は避け所</strong></p><p>（1）主の日には、太陽も月も暗くなり、天体が暗黒の状態に陥おちいります。これは、マタイの福音書24：29で主イエスが預言されている内容と同じです。（2）主がエルサレムから声を出されると、天も地も震えます。（3）不信仰な異邦人たちにとっては主は裁き主として現れますが、イスラエルの民にとっては主は「避け所」となってくださいます。（4）再臨の主はエルサレムから全世界を統治するようになり、ついにメシア的王国（千年王国）が地上に実現します（17節）。メシア的王国の詳細は、次回の18 ～21 節に預言されています。<br>地上に文字どおりメシア的王国が成就じょうじゅすることは確実です。私たちクリスチャンには、今からそのための備えをするという特権が与えられています。メシア的王国の中心はエルサレムであり、そこにはメシアご自身が臨在りんざいされます。私たちの人生の真ん中にメシアをお迎えし、メシアを中心とした交わりを実行しているなら、私たちはすでにメシア的王国の前触れを味わっていることになります。きょうも主イエスがともにいてくださることに感謝しましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。きょうも主イエスがともにいてくださいますから、感謝します。人生に希望と展望を与えてくださりありがとうございます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-02-21 20:52:02 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ヨエル書3：18～21</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3797664196</link>
         <description><![CDATA[<p>18 その日、山々には甘いぶどう酒がしたたり、丘々には乳が流れ、ユダのすべての谷川には水が流れ、主の宮から泉がわきいで、シティムの渓流けいりゅうを潤うるおす。</p><p>19 エジプトは荒れ果てた地となり、エドムは荒れ果てた荒野あらのとなる。彼らのユダの人々への暴虐のためだ。彼らが彼らの地で、罪のない血を流したためだ。</p><p>20 だが、ユダは永遠に人の住む所となり、エルサレムは代々よよにわたって人の住む所となる。</p><p>21 わたしは彼らの血の復讐ふくしゅうをし、罰しないではおかない。主はシオンに住む。</p><p><br/></p><p><strong>メシア的王国（千年王国）</strong></p><p><strong>二つの水の流れ</strong></p><p>きょうの箇所は、メシア的王国（千年王国）の描写となっています。メシアの再臨によってメシア的王国が成就しますが、その王国には二つの水の流れがあります。（1）ユダのすべての谷川には水の流れがあります。これは、雨季にだけ水が流れるワジではなく、常に水のある川です。その結果、山々にはぶどうが豊かに実り、丘々は豊かな乳産物を産出するようになります。（2）もう一つの水の流れは、神殿の敷居の下から流れ出る泉です。それは、エルサレムの神殿から東に流れ出し、シティムの渓流（ヨルダン渓谷）を潤します。また、死海の北西岸から塩水の中に流れ込み、そこを最高の漁場に変えます（エゼキエル書47：1～12参照）。（3）以上のことは、メシア的王国が成就する前に地震による大地殻変動があることが前提となって語られていることです（ゼカリヤ書14章参照）。大地殻変動によって、イスラエルの地の中央部に山（巨大な高原）が誕生します。その山の北に7部族が、南に5部族が住むようになります（エゼキエル書40～48 章参照）。</p><p><br/></p><p><strong>エジプトとエドム</strong></p><p>（1）メシア的王国になっても、エジプトとエドムとは荒廃こうはいした地として残されます。その理由は、彼らが反ユダヤ的な態度を取り続けてきたからです。エドムはエジプトよりもさらにきびしい裁きを受けます。（2）イスラエルの地（ユダ）は、その姿を一変させます。そこは「永遠に人の住む所」となります。エルサレム（シオン）には主（メシア）が住まわれ、そこもまた「代々にわたって人の住む所」となります。（3）イスラエルの民の「血の罪」は、彼らがメシアに信頼を置いたために完全に赦され、拭ぬぐい去られます。それが21節の意味です。<br>メシア的王国では、「羊の異邦人」はそれぞれの民に割り当てられた地に住むようになります。その時、私たちクリスチャン（教会時代の聖徒たち）は、メシアとともに異邦人諸国を統治する特権にあずかります。パウロはローマのクリスチャンたちにこう書き送っています。「もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります」（ローマ8：17）。あなたは、自分が神の相続人とされていることを知っていましたか。それが、クリスチャン生活の動機付けになっていましたか。私たちに用意されているものは実にすばらしいものばかりです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたが私たちに用意してくださったものがいかにすばらしいものであるかを、はっきりと見させてください。私の霊の目を開いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=46Ih2FuAxAE" />
         <pubDate>2026-02-22 21:24:32 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>アモス書1：1</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3799052865</link>
         <description><![CDATA[<p>1 テコアの牧者のひとりであったアモスのことば。これはユダの王ウジヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代、地震の二年前に、イスラエルについて彼が見たものである。</p><p><br/></p><p><strong>イントロダクション</strong></p><p><strong>テコアの牧者アモス</strong></p><p>アモスという預言者がどういう人物なのか、見てみましょう。（1）アモスとは、「重荷を負う者」という意味です。この名前の人物は、旧約聖書では彼だけしかいません。（2）家族的背景は不明ですが、出身はテコア（ベツレヘム南東にあるユダの町）です。（3）彼は職業的な預言者ではありません（エリヤやエリシャによって建てられた預言者の学校で訓練を受けたわけではない）。彼の職業は、羊飼いであり、いちじく桑ぐわを栽培する農夫でした（7：14参照）。彼が預言者として立ったのは、主からの啓示があったからです。彼は、主からの啓示を「幻」によって見せられたようです。（4）彼が預言者として活動したのは、南王国ユダの王ウジヤ（前792～740年在位）、北王国イスラエルの王ヤロブアム2 世（前793～753年在位）の時代です。この時代は物質的には大いに繁栄した時代ですが、偶像礼拝が蔓延まんえんした時代でもあります。（5）幻を見たのは、地震が起こる2年前と書かれています。この地震は、ゼカリヤ書14：5 にも出ています。彼の活動した期間は前810～ 750年頃でしょうが、より的を絞ると前770～750年頃になると思われます。（6）彼は、南王国出身の預言者ですが、北王国に対して預言を語るというユニークな使命を果たします。</p><p><br/></p><p><strong>アモス書と新約聖書</strong></p><p>先に進む前に、アモス書を引用している新約聖書の箇所を確認しておきましょう。二つありますが、ともに使徒の働きの箇所です。（1）使徒の働き7：42～ 43。ここでは、ステパノがユダヤ人たちの頑かたくなさを糾弾きゅうだんするために、アモス書5：25 ～27を引用しています。（2）使徒の働き15：16 ～18。場面はエルサレム会議です。エルサレム教会の指導者となった主の弟のヤコブが、異邦人の救いを擁護するために、アモス書9：11 ～12 を引用しています。<br>アモスは自分の計画によってではなく、主の啓示によって預言者として立ち上がりました。しかも、活動の場は自分の国の南王国ユダではなく、北王国イスラエルだったのです。主からの召しは、絶対的であり、妥協を許しません。今の時代、アモスのような主のしもべが多く起こされるように祈ろうではありませんか。あなたが現代のアモスである可能性はありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。私の人生をあなたの御手にゆだねます。あなたからの召しに忠実に歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=oDZwyS3qRoo" />
         <pubDate>2026-02-23 19:44:59 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>アモス書1：2</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3800739310</link>
         <description><![CDATA[<p>2 彼は言った。「主はシオンから叫び、エルサレムから声を出される。羊飼いの牧場まきばはかわき、カルメルの頂いただきは枯れる。」</p><p><br/></p><p><strong>アモス書のテーマ</strong></p><p><strong>アモスが活動した時代</strong></p><p>アモスが預言者として活動したのは、南王国ユダの王ウジヤ（前792～740年在位）、北王国イスラエルの王ヤロブアム2世（前793～753年在位）の時代です。すでに述べたように、この時代は物質的には大いに繁栄した時代です。（1）イスラエルは南北朝に分裂していましたが、ウジヤもヤロブアム2世も、ともに有能な王で、それぞれの国に繁栄をもたらしました。繁栄の理由は、三大交易路を支配し、そこから巨大な収入を得ていたことにあります。（2）当時の領土は、南北朝合わせると、ダビデ・ソロモン時代に匹敵するほどの広さがありました。（3）この時代は富と繁栄の時代でしたが、同時に、偶像礼拝が支配した時代でもありました。<br>アモスは、北王国イスラエルに行き、ベテルという町で主からの裁きのメッセージを語ります。ベテルは最北端の町ダンとともに、金の子牛が設置されていた「偶像礼拝の町」でした。アモスは北王国に対して、三つのメッセージを語っています。（1）イスラエルの民は、偶像礼拝の罪を犯している。（2）その罪に対して、神の正しい裁きが下る。（3）神は社会正義が回復されることを願っておられる。</p><p><br/></p><p><strong>シオンから叫ぶ主の声</strong></p><p>（1）「主はシオンから叫び、エルサレムから声を出される」とあります。これは、ヨエル書3：16 の引用です。ヨエルの箇所では、主は異邦人に対して叫んでおられました。ここでは、主は北王国の民に向かって叫んでおられます。（2）「羊飼いの牧場はかわき、カルメルの頂は枯れる」とあります。これは、主の正しい裁きがいかに恐ろしいものであるかを教えています。イスラエルの地の中で、常に泉が湧いている場所は、カルメルの頂です。預言者エリヤの時代に3年間の飢饉ききんがやって来ますが、その時も、カルメルの頂には水がありました。現代でも、カルメル山は水が豊富で、緑豊かな山です。そのカルメルの頂が枯れるのですから、それ以外の場所がどうなるかは言うまでもありません。これは、「大」を例示して「小」も同然そうなることを教えるユダヤ的論法です。<br>人々が表面的な繁栄に酔いしれていた時代にあって、アモスは霊的な破産状態を見抜くことができた人物でした。あなたは現代の日本をどう評価しますか。表面的な現象ではなく、底流にある本質を見抜くことができなければ、私たちもまた時代の流れに流されるだけで終わります。今の時代は、主とともにシオンから叫ぶ人物の出現が待たれる時代です。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。どうか私たちの国をあわれんでください。霊的な破産状態の中に、あなたの介入がありますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=OgllZGpYt4M" />
         <pubDate>2026-02-24 19:44:34 UTC</pubDate>
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      </item>
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         <title>アモス書1：3～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3802414247</link>
         <description><![CDATA[<p>3 主はこう仰せられる。「ダマスコの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。彼らが鉄の打穀機だこくきでギルアデを踏みにじったからだ。</p><p>4 わたしはハザエルの家に火を送ろう。火はベン・ハダデの宮殿を焼き尽くす。</p><p>5 わたしは、ダマスコのかんぬきを折り、アベンの谷から、王座についている者を、ベテ・エデンから、笏しゃくを持っている者を断ち滅ぼす。アラムの民はキルへ捕らえ移される」と主は仰せられる。</p><p><br/></p><p><strong>諸国に下る裁き</strong></p><p><strong>アウトライン</strong></p><p>1：3～2：16 は、諸国に下る裁きの預言です。そのアウトラインは以下のようになっています。アモス（南王国ユダ出身）は、北王国イスラエルに遣わされた預言者ですが、まず周辺諸国に対して裁きの預言を語っています。（1）最初が、ダマスコ（シリヤ）、ガザ（ペリシテ）、ツロ（フェニキア）の三国に対する預言です。この三国は、北王国イスラエルとは血のつながりのない民です。（2）次が、エドム、アモン、モアブの三国に対する裁きの預言です。この三国は、北王国イスラエルとは親戚関係に当たる民です。（3）さらに、南王国ユダに対する裁きの預言が語られます。ユダは、イスラエルとは兄弟の関係にあります。（4）最後に、北王国イスラエルに対する裁きの預言が語られます。<br>「○○が犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために」という表現がくり返し出てきます。これは罪の満ちるさまを描写したものです。「三つのそむきの罪」で「不義の杯」は満ち、「四つのそむきの罪」でその杯は溢れ出ます。満ち溢れる罪のゆえに、神は裁きを下されるのです。異邦人諸国は、イスラエルに対して行った罪のゆえに、裁かれます。またイスラエルは、モーセの律法に対する違反のゆえに裁かれます。</p><p><br/></p><p><strong>ダマスコ（シリヤ）に対して</strong></p><p>ダマスコは、イスラエルを攻撃し、苦しめた罪のゆえに裁かれます。（1）主はご自身の民を裁くために、時として異邦人の国を「裁きの器」としてお用いになります。（2）だからと言って、その異邦人の国が裁きを免まぬかれるわけではありません。その国もまた裁きに会います。（3）「ギルアデを踏みにじった」とありますが、ギルアデには多くのイスラエル人が住んでいました。（4）ダマスコがイスラエルを攻撃した記事は、列王記第二10：32 ～33、13：3 ～7 に出てきます。「ハザエルの家」、「ベン・ハダデの宮殿」という言葉が出てきますが、このふたりの王は、イスラエルに対して残酷な仕打ちをした王です。（5）イスラエルに対して犯した罪のゆえに、ダマスコは裁かれます。その預言は、列王記第二16：9で成就しています（アッシリヤの王がダマスコを滅ぼします）。<br>アモスが預言していることは、エレミヤ書12：14 で語られている原則そのままです。「わたしが、わたしの民イスラエルに継がせた相続地を侵す悪い隣国の民について。見よ、わたしは彼らをその土地から引き抜き、ユダの家も彼らの中から引き抜く」。神がイスラエルと結んだ契約は今も変わりません。神の民イスラエルが祝福されるように、特に彼らがイエスをメシアとして受け入れるように、祈ろうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。あなたの民イスラエルを祝福してください。彼らがイエスを信じて、救われますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=kk_P2ssIddg" />
         <pubDate>2026-02-25 20:13:21 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>アモス書1：6～10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3804067995</link>
         <description><![CDATA[<p>6 主はこう仰せられる。「ガザの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。彼らがすべての者を捕囚の民として捕らえ移し、エドムに引き渡したからだ。</p><p>7 わたしはガザの城壁に火を送ろう。火はその宮殿を焼き尽くす。</p><p>8 わたしはアシュドデから、王座についている者を、アシュケロンから、笏を持っている者を断ち滅ぼす。わたしはエクロンにわたしの手を向け、ペリシテ人の残った者を滅ぼす」と神である主は仰せられる。</p><p>9 主はこう仰せられる。「ツロの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。彼らがすべての者を捕囚の民として、エドムに引き渡し、兄弟の契ちぎりを覚えていなかったからだ。</p><p>10 わたしはツロの城壁に火を送ろう。火はその宮殿を焼き尽くす。」</p><p><br/></p><p><strong>ガザとツロに対して</strong></p><p><strong>ガザ（ペリシテ）</strong></p><p>ガザとはペリシテのことです。ペリシテに対しても裁きのメッセージが語られます。（1）ペリシテは、ユダヤ人を奴隷としてエドムに売り渡しました（エドムの罪は、アモスよりも前に活動した預言者オバデヤによって糾弾されていました）。その罪のゆえに、ペリシテは裁かれます。（2）ガザの城壁とその宮殿は、焼き尽くされます。つまり、ガザという都市国家は滅亡するということです。（3）ガザ以外に、アシュドデ、アシュケロン、エクロンの三都市の名があげられています。これらの都市国家がすべて滅亡します。（4）ペリシテには五大都市国家がありましたが、ガテだけはここに出ていません。その理由は、ガテはすでに滅びていたからです（Ⅱ歴代誌26：6）。</p><p><br/></p><p><strong>ツロ（フェニキア）</strong></p><p>ツロとはフェニキアのことです。フェニキアもまた裁きに会います。当時ツロは、地中海世界の重要な港の一つで、交易の中心地となっていました。（1）フェニキアもまた、ユダヤ人を奴隷としてエドムに引き渡しています。ツロは奴隷売買の中心地だったと思われます（エゼキエル書27：13参照）。（2）フェニキアの罪は、ペリシテのそれよりも大きいものです。その理由は、イスラエルとフェニキアの間には、「兄弟の契り」があったからです。これは「兄弟契約」のことです。ダビデはサムエル記第二5：11 で、ソロモンは列王記第一5：1 ～18 で、フェニキアと「兄弟契約」を結んでいます。（3）この契約に基づき、イスラエルは一度もフェニキアを攻撃したことはありませんでした。しかしフェニキアは、この契約を無視して、ユダヤ人を奴隷に売り渡しました。これは明らかな契約違反です。それゆえ、フェニキアの罪はエドムよりも重いのです。<br>ツロの城壁と宮殿とは、火で焼き尽くされます。アモスは、「わたしはその刑罰を取り消さない」との主のきびしいことばを伝えています。聖書の神は、「契約関係」をきわめて重視しておられます。クリスチャンになるということは、神と契約関係を結んだということです。神の契約は永遠に変わることがありません。あなたは、その契約に忠実に歩んでいますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。どうか私が、主イエスを通してあなたと結んだ契約に忠実に歩むことができますように、私を励まし、助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=PrwGPs4pt6w" />
         <pubDate>2026-02-26 20:13:54 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>アモス書1：11～2：3</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3805604323</link>
         <description><![CDATA[<p>11 主はこう仰せられる。「エドムの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。彼が剣で自分の兄弟を追い、肉親の情をそこない、怒り続けていつまでも激しい怒りを保っていたからだ。</p><p>12 わたしはテマンに火を送ろう。火はボツラの宮殿を焼き尽くす。」</p><p>13 主はこう仰せられる。「アモン人の犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。彼らが、自分たちの領土を広げるために、ギルアデの妊婦たちを切り裂いたからだ。</p><p>14 わたしはラバの城壁に火を放とう。火はその宮殿を焼き尽くす。これは戦いの日のときの声と、つむじ風の日の暴風のうちに起こる。</p><p>15 彼らの王は、その首長たちとともに、捕囚として連れて行かれる」と主は仰せられる。</p><p>＜ 2 章＞</p><p>1 主はこう仰せられる。「モアブの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。彼がエドムの王の骨を焼いて灰にしたからだ。</p><p>2 わたしはモアブに火を送ろう。火はケリヨテの宮殿を焼き尽くす。モアブは、どよめきのうちに、角笛つのぶえの音ねと、ときの声のうちに死ぬ。</p><p>3 わたしはさばきつかさをそのうちから断ち滅ぼし、そのすべての首長たちを、彼とともに切り殺す」と主は仰せられる。</p><p><br/></p><p><strong>エドム、アモン、モアブに対して</strong></p><p><strong>エドムに対して</strong></p><p>エドムはヤコブの兄エサウの子孫であり、イスラエルとは親戚関係にありました。エドムの罪とは次のようなものです。（1）彼らは同族であるイスラエルに対して、敵意を抱き、イスラエルを苦しめました。（2）彼らがイスラエルに対して抱いた敵意は、一時的なものではなく、執拗しつようで継続的なものでした。（3）その罪のゆえに、エドムは裁かれます。テマンとボツラはエドムを代表する町ですが、ともに火で焼き尽くされます。エドムは契約の民イスラエルに対して抱いた継続的な敵意のゆえに、千年王国においてもその地は破壊されたままで残ります</p><p><strong>アモン人に対して</strong></p><p>アモンはアブラハムの甥おいであるロトの子孫です。彼らもまた、イスラエルとは親戚関係にありました。アモンの罪とは次のようなものです。（1）彼らはギルアデに侵入し、妊婦たちを切り裂き、母親と胎児の双方を虐殺するという極悪非道を行いました。（2）その目的は、自らの領土を拡大することにありました。（3）その罪のゆえに、アモンの首都ラバ（現在のヨルダンの首都アンマン）は、激戦の最中、大火災によって壊滅状態に陥ります。と同時に、王とその首長たちは捕囚として連行されます（アッシリヤによって）。つまり、回復の望みがないということです。</p><p><br/></p><p><strong>モアブに対して</strong></p><p>モアブは、アモンと同じくロトの子孫です。モアブの罪とは次のようなものです。（1）彼らはエドムの王の骨を焼いて灰にしました。つまり、すでに死んでいる者をさらに痛めつけ、死者を冒涜ぼうとくしたということです。モアブの王は自分の息子をいけにえとしてささげるほど残忍な王でした（Ⅱ列王記3：26～ 27参照）。（2）その罪のゆえに、モアブも他国民と同じ罰を受けます。火はモアブとケリヨテを焼き滅ぼします。ケリヨテはモアブの首都で、そこには国家神ケモシュ（Ⅰ列王記11：7、33）の聖所せいじょが置かれていました。さらに、そのさばきつかさと首長たちも殺されますので、国家再建の希望は途絶えます。<br>エドム、アモン、モアブの三国は、主から特別な地位を与えられていたにもかかわらず、それを悪用し、主のみこころを痛めました。その失敗から教訓を学びましょう。「すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます」（ルカ12：48）。あなたは、主から与えられたものを神の栄光のために用いていますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。あなたから与えられている賜物たまものを用いて、あなたの栄光を表すことができますように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=Qv1xX_PjrAs" />
         <pubDate>2026-02-27 19:56:52 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>アモス書2：4～5</title>
         <author>shizukaosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3806263831</link>
         <description><![CDATA[<p><br/></p><p>4 主はこう仰せられる。「ユダの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。彼らが主のおしえを捨て、そのおきてを守らず、彼らの先祖たちが従ったまやかしものが彼らを惑わしたからだ。</p><p>5 わたしはユダに火を送ろう。火はエルサレムの宮殿を焼き尽くす。」</p><p><br></p><p><strong>ユダに対して</strong></p><p><strong>ここまでの復習</strong></p><p>先に進む前に、ここまでの復習をしておきましょう。語っているのは南王国ユダ出身の預言者アモスです。彼の預言を聞いているのは、北王国イスラエルの民です。（1）最初の裁きの預言は、ダマスコ（シリヤ）、ガザ（ペリシテ）、ツロ（フェニキア）の異邦人三国に対して語られました。これを聞いていたイスラエルの民は、大喜びしたことでしょう。（2）次の裁きの預言は、エドム、アモン、モアブに対して語られました。この三国はイスラエルの民にとっては親戚の民でした。従って、これらの民に裁きが下るという預言を聞いても、最初の時ほどは喜べなかったはずです。それどころか、多少の不安を感じたことでしょう。（3）さらに次の裁きの預言は、ユダに対して語られます。それがきょうの箇所です。ユダはイスラエルの民とは兄弟関係にあります。その兄弟の国が裁かれるというのですから、イスラエルの民は動揺したことでしょう。しかも、その裁きを語っている預言者はユダ出身なのです。アモスが自らの国に対してかくもきびしい預言を語るとするなら、北王国イスラエルに対しても容赦なく裁きを語るであろうことは想像できました。</p><p><br></p><p><strong>ユダの罪</strong></p><p>南王国ユダの罪とは、次のようなものです。（1）ユダの罪は、「主のおしえ」を捨てたことにあります。「おしえ」とは律法のこと、つまりモーセの律法のことです。（2）彼らは先祖たちが従った「まやかしもの」、つまり偶像の神々を礼拝し、それによって惑わされたのです。（3）その罪のゆえに、ユダは火で滅ぼされます。エルサレムの宮殿も火で焼かれました。これが成就したのは、前586年、バビロン捕囚の時でした。<br>神から特別な使命を与えられているというだけで、裁きを免れるわけではありません。多く任された者には、多くのことが要求されます。ペテロはこう教えています。「なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう」（Ⅰペテロ4：17）。自らの信仰をもう一度確認しましょう。また、まだ救われていない人の終わりがいかに悲惨なものであるかを覚え、福音を伝えることに全力を尽くしましょう。ユダの民と同じ罪を犯してはなりません。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。あなたの恵みをむだに受けることのないように、私を教えてください。救霊の情熱を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://youtu.be/PcnsSNFSids" />
         <pubDate>2026-02-28 22:07:10 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3806263831</guid>
      </item>
      <item>
         <title>アモス書2：6～8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3807146866</link>
         <description><![CDATA[<p>6 主はこう仰せられる。「イスラエルの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。彼らが金かねと引き換えに正しい者を売り、一足のくつのために貧しい者を売ったからだ。</p><p>7 彼らは弱い者の頭を地のちりに踏みつけ、貧しい者の道を曲げ、父と子が同じ女のところに通って、わたしの聖なる名を汚している。</p><p>8 彼らは、すべての祭壇さいだんのそばで、質に取った着物の上に横たわり、罰金で取り立てたぶどう酒を彼らの神の宮で飲んでいる。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの罪</strong></p><p><strong>律法違反</strong></p><p>いよいよイスラエルの罪の告発が始まります。きょうの箇所では、イスラエルが犯している三つの罪が糾弾されます。（1）まず、弱者（貧しい者）への虐待の罪です。「彼らが金のために正しい者を売り、1足のくつのために貧しい者を売ったからだ」とあります。これは、裁判官たちが富める者たちからわずかばかりの賄賂わいろを受け取るために、無実の者に有罪を宣言している姿です。当時、北王国イスラエルは物質的に繁栄していましたが、国内には富める者と貧しい者との大きな格差が存在していました。力ある者は弱い者を踏みつけ、社会正義は地に堕おちていました。これは、申命記16：19 の違反です。「あなたはさばきを曲げてはならない。人をかたよって見てはならない。わいろを取ってはならない。わいろは知恵のある人を盲目にし、正しい人の言い分をゆがめるからである」<br>（2）次に、祭儀的淫行の罪が糾弾されます。「父と子が同じ女のところに通って、わたしの聖なる名を汚している」とあります。これは、バアル祭儀に伴う神殿娼婦との性的行為を糾弾したものです。人々は神殿娼婦と交わり、主の聖なる名を「意図的に」汚していたのです。父と子が同じ女と交わることを、聖書はきびしく禁じています（レビ記18：7、15、20：11 など参照）。</p><p><br/></p><p><strong>乱痴気騒ぎの酒宴</strong></p><p>（3）第三に、乱痴気騒ぎの酒宴しゅえんが糾弾されます。これもまた、通常の酒宴ではなく、豊穣ほうじょう祭儀（バアル礼拝）における酒宴です。イスラエルの民は、主との契約を無視して偶像礼拝に走っています。律法によれば、「質に取った着物」は日没までに返さなければならないのですが、彼らはそれを広げて、その上に横たわりぶどう酒を飲んでいます。これもまた、律法違反です（出エジプト記22：26、申命記24：12～13）。さらに、彼らが飲んでいるぶどう酒は、「罰金」という不正の口実で得た金で買ったものです。このようにしたい放題の罪を犯しながら、イスラエルの民は裁きを受けないままでいました。その彼らに、アモスは主からの裁きを預言するのです。<br>私たちクリスチャンは、時代の風潮に飲み込まれてはなりません。この世の人たちが当然のことのように乱痴気騒ぎをしていても、私たちは目を覚まし、神のみこころを求めて歩む必要があります。「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい」（Ⅰペテロ4：7）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。きょうも目を覚まして、主イエスとともに歩むことができますように。時代の流れに流されることのないように、私をお守りください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-03-01 20:53:39 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>アモス書2：9～16</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3808748123</link>
         <description><![CDATA[<p>9 エモリ人を彼らの前から滅ぼしたのは、このわたしだ。彼らの背たけは杉の木のように高く、樫かしの木のように強かった。しかし、わたしはその上の実と下の根とを滅ぼした。</p><p>10 あなたがたをエジプトの地から連れ上り、荒野の中で四十年間あなたがたを導き、エモリ人の地を所有させたのは、このわたしだ。</p><p>11 わたしは、あなたがたの子たちから預言者を起こし、あなたがたの若者から、ナジル人を起こした。イスラエルの子らよ。そうではなかったのか。─主の御告みつげ─</p><p>12 それなのに、あなたがたはナジル人に酒を飲ませ、預言者には、命じて、預言するなと言った。</p><p>13 見よ。束を満載した車が押さえつけるように、わたしはあなたがたを押さえつける。</p><p>14 足の速い者も逃げ場を失い、強い者も力をふるうことができず、勇士もいのちを救うことができない。</p><p>15 弓を取る者も立っていることができず、足の速い者ものがれることができず、馬に乗る者もいのちを救うことができない。</p><p>16 勇士の中の強い者も、その日には裸で逃げる。─主の御告げ─」</p><p><br/></p><p><strong>神の祝福に対する反逆</strong></p><p><strong>主がなされたみわざ</strong></p><p>前回は、イスラエルの三つの罪について学びました。きょうの箇所はその続きで、第四の罪、しかも最大の罪が指摘されます。それは、神の祝福への反逆という罪です。（1）主はイスラエルのために、カナンの先住民であるエモリ人を滅ぼされました。彼らは、その並外れた体力のゆえに無敵と思われていた民です。「上の実と下の根とを滅ぼした」とは、完全な破壊を示す言葉です。（2）主はイスラエルの民をエジプトの奴隷状態から解放し、彼らを荒野で40 年間守り、最後は約束の地へと導かれました。「このわたしが」という言葉に強調点があります。（3）さらに主はこの民に、二つの特別な集団を与えられました。「預言者」と「ナジル人」がそれです。前者は主のことばを民に伝える役割を果たし、後者は主が民とともにいるという「しるし」となりました。<br>「そうではなかったのか」とは反語的表現で、「もちろんそうです」という答を期待したものです。「それなのに」とは、神の嘆きのことばです。それほどまでにイスラエルの民に恵みを与えたのに、彼らはナジル人には禁じられていた飲酒（民数記6：1～3）を強要し、預言者には神の名において預言することを禁じました。</p><p><br/></p><p><strong>当然の裁き</strong></p><p>イスラエルは自らの身に当然の裁きを招きました。（1）束を満載した車がその重みで地に押しつぶされるように、イスラエルもまた罪の重荷によって押しつぶされます。（2）敵が攻めて来る時、イスラエルの軍隊は無力となって崩壊します。イスラエルの勇士たちが敵に立ち向かうことができず、武具を捨て、裸で逃げ回っている様子が描写されています。これが裁きの預言です。<br>イスラエルの民は神から一方的な恵みを受けました。しかし彼らは、そのことに感謝しないばかりか、神の祝福に対して反逆しました。私たちもまた、主の恵みに対する感謝を忘れるなら、堕落の道を歩むことになります。「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」（詩篇103：2）。自分の人生に主が何をしてくださったか思い起こそうではありませんか。主から与えられた恵みを覚え、主に感謝し、その御名をたたえようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。イスラエルの民の忘恩の罪から教訓を学ばせてください。あなたは私を良きもので満たされました。心から感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-03-02 20:44:29 UTC</pubDate>
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         <title>アモス書3：1～10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3810306458</link>
         <description><![CDATA[<p>1 イスラエルの子らよ。主があなたがた、すなわちわたしがエジプトの地から連れ上ったすべての氏族について言った、このことばを聞け。</p><p>2 わたしは地上のすべての部族の中から、あなたがただけを選び出した。それゆえ、わたしはあなたがたのすべての咎とがをあなたがたに報むくいる。</p><p>3 ふたりの者は、仲がよくないのに、いっしょに歩くだろうか。</p><p>4 獅子ししは、獲物がないのに、森の中でほえるだろうか。若い獅子は、何も捕らえないのに、そのほら穴から叫ぶだろうか。</p><p>5 鳥は、わながかけられないのに、地の鳥網とりあみにかかるだろうか。鳥網は、何も捕らえないのに、地からはね上がるだろうか。</p><p>6 町で角笛が鳴ったら、民は驚かないだろうか。町にわざわいが起これば、それは主が下されるのではないだろうか。</p><p>7 まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。</p><p>8 獅子がほえる。だれが恐れないだろう。神である主が語られる。だれが預言しないでいられよう。</p><p>9 アシュドデの宮殿と、エジプトの地の宮殿に告げて言え。「サマリヤの山々の上に集まり、そのうちの大恐慌と、その中のしいたげを見よ。</p><p>10 彼らは正しいことを行うことを知らない。─主の御告げ─彼らは自分たちの宮殿で、暴虐と暴行を重ねている。」</p><p><br/></p><p><strong>「このことばを聞け」で始まる裁きの預言（1）</strong></p><p><strong>アモス書の第2区分</strong></p><p>すでに見た1 ～2 章は、アモス書の第一区分でした。そこでは、諸国に対する裁きが預言されていましたが、その最後は北王国イスラエルに対するものでした。これから扱おうとしている3～6章は第二区分（本書の主要部）で、特に北王国イスラエルに対して語られた預言です。アモスはイスラエルの民の罪悪を指摘し、真の悔い改めを呼びかけます。もし悔い改めないなら、滅亡と捕囚が待っていると預言します。<br>「このことばを聞け」という形で始まる裁きの預言が三つ続きます。（3：1、4：1、5：1）。さらに、「ああ」で始まる裁きの預言が二つ続きます（5：18、6：1）。つまり、合計五つの裁きの預言が語られるわけです。順次それらの預言を見ていきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの三つの罪</strong></p><p>イスラエルは三つの罪のゆえに裁かれます。（1）イスラエルは地上の民族の中で、特殊な地位を与えられました。彼らは主によってエジプトから連れ出された民、主によって選び出された民です。「選び出した」というのは原語では「知った」という言葉です。つまり、主はイスラエルの民と契約関係に入ったということです。特権を与えられた者には、多くの責任が伴います。これは、今も生きている霊的原則です。その特権にふさわしい歩みをしていなかったために、イスラエルの民は裁かれるのです。しかも、その裁きは一般の諸国に対するものよりもさらにきびしいものとなります。（2）すべての現象には、因果関係があります。3～ 6a節で、種々の因果関係が例示されています。6b～ 8節では、その因果関係の原則が預言者の活動に適用されます。つまり、預言者が語る（結果）のは神が語られた（原因）からである、また、神が裁きを下される（結果）のはイスラエルの民が罪を犯した（原因）からであるというのです。（3）イスラエルの民はサマリヤにある宮殿で「暴虐と暴行を重ねて」いました。サマリヤの町は周りを高い山々で囲まれていました。ペリシテ人（アシュドデの宮殿）とエジプト人（エジプトの地の宮殿）が証人として呼び出されています。その山々に登って、サマリヤの宮殿の罪を目撃するためです。<br>あなたは自分が救われたという事実だけで安心して、怠惰たいだになっていませんでしたか。イスラエルの民の罪から教訓を学びましょう。主の選びには「クリスチャンとしての責務」が伴っています。自分の人生が「神の栄光」を表すものとなるように、祈り、行動しましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。きょうも「神の栄光」を第一目標として歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=L1XplvhfNZI" />
         <pubDate>2026-03-03 19:10:07 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>アモス書3：11～15</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3812019882</link>
         <description><![CDATA[<p>11 それゆえ、神である主はこう仰せられる。「敵だ。この国を取り囲んでいる。彼はあなたの権威を地に落とし、あなたの宮殿はかすめ奪われる。」</p><p>12 主はこう仰せられる。「羊飼いが、雄獅子の口から、二本の足、あるいは耳たぶを取り返すように、サマリヤに住んでいるイスラエルの子らは、寝台の隅やダマスコの長いすから救い出される。」</p><p>13 「聞け。そして、これをヤコブの家に証言せよ。─神である主、万軍の神の御告げ─</p><p>14 まことに、イスラエルがわたしに犯したそむきの罪を、わたしが罰する日に、わたしはベテルの祭壇を罰する。その祭壇の角は折られて、地に落ちる。</p><p>15 わたしは冬の家と夏の家とを打つ。象牙の家々は滅び、多くの家々は消えうせる。─主の御告げ─」</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの民に下る裁き</strong></p><p><strong>「このことばを聞け」で始まる裁きの預言（1）</strong></p><p>きょうの箇所は、「このことばを聞け」で始まる裁きの預言（1）の後半です。前回（3：1～10）は、イスラエルの民の三つの罪が指摘されました。きょうの箇所では、その罪のゆえに下る裁きが具体的に預言されています。<br>（1）まず、北王国イスラエルの首都サマリヤが破壊されます。敵の手によってサマリヤの宮殿はかすめ奪われます。（2）次に、その破壊を免れるのは、イスラエルの民の中の少数のものであることが預言されます。雄獅子に襲われた羊を取り返そうとする羊飼いの姿が描かれています。その羊飼いは、2本の足か耳たぶしか取り返すことができません。「2本の足」と「耳たぶ」は、破滅を免れる少数の人（サマリヤに住んでいるイスラエルの子ら）を比ゆ的に表現した言葉です。（3）偶像礼拝の町であるベテルが裁かれます。そこは、ダンと並ぶ北王国イスラエルの偶像礼拝の町でした。そこの祭壇では、金の子牛だけでなくバアル神も礼拝されていました。（4）イスラエルの富は奪われます。アハブ王は、サマリヤの宮殿以外に、冬の別荘地と夏の別荘地を所有していました。また彼は、象牙の家々を建設したことで知られています。それらの建物に代表される北王国イスラエルの富は、すべて奪われます。これらのことの成就は、列王記第二17：5 ～6に記録されています。</p><p><br/></p><p><strong>私たちへの警告</strong></p><p>ものごとには「因果関係」があります。イスラエルの民が裁かれる理由は、彼らが主から離れ、偶像礼拝と不義の道を歩んでいたからです。前回の箇所でアモスは、「獅子がほえる。だれが恐れないだろう。神である主が語られる。だれが預言しないでいられよう」（8 節）と語っていました。ここには、預言者の使命感、情熱、憤り、悲しみ、緊迫感がすべて表現されています。あなたは、今の時代がどこに向かおうとしていると思いますか。それは、神の祝福を受ける方向でしょうか、あるいはその逆でしょうか。今、アモスが持っていた使命感や情熱をいただけるように、主に願い求めましょう。「神である主が語られる。だれが語らないでいられよう」という言葉が、自分のものとなるように祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。どうかこの国をあわれんでください。アモスが持っていた情熱で、私を満たしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=6KPJLSlM8W0" />
         <pubDate>2026-03-04 18:43:58 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>アモス書4：1～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3813788498</link>
         <description><![CDATA[<p>1 聞け。このことばを。サマリヤの山にいるバシャンの雌牛ども。彼女らは弱い者たちをしいたげ、貧しい者たちを迫害し、自分の主人たちに、「何か持って来て、飲ませよ」と言う。</p><p>2 神である主は、ご自分の聖せいにかけて誓われた。見よ。その日があなたがたの上にやって来る。その日、彼らはあなたがたを釣り針にかけ、あなたがたを最後のひとりまで、もりにかけて引いて行く。</p><p>3 あなたがたはみな、城壁の破れ口からまっすぐ出て行き、ハルモンは投げ出される。─主の御告げ─</p><p>4 ベテルへ行って、そむけ。ギルガルへ行って、ますますそむけ。朝ごとにいけにえをささげ、三日ごとに十分の一のささげ物をささげよ。</p><p>5 感謝のささげ物として、種を入れたパンを焼き、進んでささげるささげ物を布告し、ふれ知らせよ。イスラエルの子ら。あなたがたはそうすることを好んでいる。─神である主の御告げ─</p><p><br/></p><p><strong>「このことばを聞け」で始まる裁きの預言（2）</strong></p><p><strong>貧者を苦しめた罪（1～3節）</strong></p><p>きょうの箇所は、「このことばを聞け」で始まる裁きの預言（2）の前半です。1節に、「聞け。このことばを」とあります。<br>ここで語られる最初の罪は、貧者を苦しめ搾取している罪です。（1）首謀者は、富んだ夫人たちです。アモスは彼らのことを、「サマリヤの山にいるバシャンの雌牛ども」と呼んでいます。バシャンの雌牛とは、バシャン（現在のゴラン高原）で飼育されていた肥えた牛のことです。これは、ほめ言葉ではなく、見下した言葉です。富んだ夫人たちは、富の中でぬくぬくと安逸あんいつをむさぼっていたのです。（2）その夫人たちは自分たちの夫に、貧しい人たちから何か奪ってくるようにせがみます。貧者から奪った富によって、贅沢ぜいたくな生活を続けるためです。（3）聖なる神は、このような悪行を見過ごしにすることはできません。やがてアッシリヤがやって来て、彼女たちやその夫たちを、最後のひとりまで釣り針や、もりにかけて、捕囚に引いて行くようになります。</p><p><br/></p><p><strong>偶像礼拝の罪（4～5節）</strong></p><p>次に糾弾されるのが、偶像礼拝の罪です。（1）ベテルとギルガル（ベテルから少し北にある町）の名があげられていますが、ともに偶像礼拝の町でした。（2）「朝ごとにいけにえをささげ、三日ごとに十分の一のささげ物をささげよ。感謝のささげ物として、種を入れたパンを焼き、進んでささげるささげ物を布告し、ふれ知らせよ」とあります。以上のことはすべてモーセの律法にかなったささげ物です。イスラエルの民の罪は、それらのささげ物を、主に対してではなく、偶像に対してささげているところにあります。<br>イスラエルの民は、表面的には信仰深く振る舞いながら、その実、真の信仰からは程遠いところにいたのです。イエスの時代にもそのような人たちがいました。主イエスはこう語られました。「偽善者たち。イザヤはあなたがたについて預言しているが、まさにそのとおりです。『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから』」（マタイ15：7～9）。私たちの心と行動とが一致しているかどうか、吟味しましょう。神は私たちの心を見ておられます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。どうか私が真実な信仰に生きることができますように、私を励ましてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=JdklPaVdkhM" />
         <pubDate>2026-03-05 18:36:43 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>アモス書4：6～13</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3815358645</link>
         <description><![CDATA[<p>6 わたしもまた、あなたがたのあらゆる町で、あなたがたの歯をきれいにしておき、あなたがたのすべての場所で、パンに欠乏させた。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。─主の御告げ─</p><p>7 わたしはまた、刈り入れまでなお三か月あるのに、あなたがたには雨をとどめ、一つの町には雨を降らせ、他の町には雨を降らせなかった。一つの畑には雨が降り、雨の降らなかった他の畑はかわききった。</p><p>8 二、三の町は水を飲むために一つの町によろめいて行ったが、満ち足りることはなかった。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。─主の御告げ─</p><p>9 わたしは立ち枯がれと黒穂病くろほびょうで、あなたがたを打った。あなたがたの果樹園とぶどう畑、いちじくの木とオリーブの木がふえても、かみつくいなごが食い荒らした。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。─主の御告げ─</p><p>10 わたしは、エジプトにしたように、疫病をあなたがたに送り、剣であなたがたの若者たちを殺し、あなたがたの馬を奪い去り、あなたがたの陣営に悪臭を上らせ、あなたがたの鼻をつかせた。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。─主の御告げ─</p><p>11 わたしは、あなたがたをくつがえした。神がソドムとゴモラをくつがえしたように。あなたがたは炎の中から取り出された燃えさしのようであった。それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった。─主の御告げ─</p><p>12 それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。</p><p>13 見よ。山々を造り、風を造り出し、人にその思いが何であるかを告げ、暁あかつきと暗やみを造り、地の高い所を歩まれる方、その名は万軍の神、主。</p><p><br/></p><p><strong>主からの教訓を学ばない民</strong></p><p><strong>それでも、あなたがたは</strong></p><p>きょうの箇所は、「このことばを聞け」で始まる裁きの預言（2）の後半です。前回は、「貧者を苦しめた罪」と、「偶像礼拝の罪」が指摘されました。ここでは、「主からの教訓を学ばない罪」が糾弾されます。「それでも、あなたがたは、わたしのもとに帰って来なかった」という言葉が、5回も出てきます（6、8、9、10、11）。<br>（1）神はイスラエルの民を飢饉で打たれました（6節）。「あなたがたの歯をきれいにしておき」とは、食べる物がない状態を指します。それでも、民は教訓を学ぼうとはしませんでした。（2）次に神は、雨をとどめました（7、8節）。刈り入れ前に降る雨は、収穫のためには必要不可欠なものでしたが、それがとどめられました。また、雨が降ったとしても、それはいびつな降り方をしました。主が天候を支配しておられたからです。それでも、民は教訓を学ぼうとはしませんでした。（3）さらに神は、自然の災害を送られました（9節）。立ち枯れ、黒穂病、いなごの襲来などがそれです。それでも、民は教訓を学ぼうとはしませんでした。（4）神はエジプトにしたように、イスラエルの民を疫病と敵の剣で打たれましたが、それでも、民は教訓を学ぼうとはしませんでした。（5）最後に神は、イスラエルの民を打ち、ソドムとゴモラのようにされました。そのため、イスラエルは「炎の中から取り出された燃えさし」のようになりました。それでも、民は教訓を学ぼうとはしませんでした。</p><p><br/></p><p><strong>神の痛み</strong></p><p>「それでも、あなたがたはわたしのもとに帰って来なかった」ということばがくり返されています。そこには、神の痛みと悲しみが表現されています。神がご自身の民を裁く時、喜んでそれを行っておられるわけではないのです。神はすべての手を尽くし、イスラエルの民をご自身のもとに呼び戻そうとされましたが、そのすべてがむだに終わりました。それゆえ、裁きが下ります（12～ 13節）。それは、前722～ 721年に起こるアッシリヤ捕囚です。<br>神はあなたにどのように語りかけておられますか。神の恵みをむだにしてはなりません。もし私たちに裁きが下るとしたら、それはすべて私たちの責任です。なぜなら、神は御子イエスを犠牲にするほどに、私たちを愛し、できることはすべてしてくださったからです。もう一度、この有名な聖句を思い出しましょう。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」（ヨハネ3：16）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。これほどまでに私を愛してくださり、感謝します。今あなたのもとに立ち返ります。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-03-06 20:49:03 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>アモス書5：1～17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3815937495</link>
         <description><![CDATA[<p>1 イスラエルの家よ。聞け。私があなたがたについて哀歌あいかを唱となえるこのことばを。</p><p>2 「おとめイスラエルは倒れて、二度と起き上がれない。彼女はおのれの地に投げ倒されて、これを起こしてくれる者もいない。」</p><p>3 まことに、神である主はこう仰せられる。「イスラエルの家で、千人を出征させていた町には百人が残り、百人を出征しゅっせいさせていた町には十人が残ろう。」</p><p>4 まことに主は、イスラエルの家にこう仰せられる。「わたしを求めて生きよ。</p><p>5 ベテルを求めるな。ギルガルに行くな。ベエル・シェバにおもむくな。ギルガルは必ず捕とらえ移され、ベテルは無に帰きするからだ。」</p><p>6 主を求めて生きよ。さもないと、主は火のように、ヨセフの家に激しく下り、これを焼き尽くし、ベテルのためにこれを消す者がいなくなる。</p><p>7 彼らは公義を苦にがよもぎに変え、正義を地に投げ捨てている。</p><p>8 すばる座やオリオン座を造り、暗黒を朝に変え、昼を暗い夜にし、海の水を呼んで、それを地の面に注ぐ方、その名は主。</p><p>9 主は強い者を踏みにじり、要塞ようさいを破壊する。</p><p>10 彼らは門で戒いましめを与える者を憎み、正しく語る者を忌いみきらう。</p><p>11 あなたがたは貧しい者を踏みつけ、彼から小作料を取り立てている。それゆえあなたがたは、切り石の家々を建てても、その中に住めない。美しいぶどう畑を作っても、その酒を飲めない。</p><p>12 私は、あなたがたのそむきの罪がいかに多く、あなたがたの罪がいかに重いかを知っている。あなたがたは正しい者をきらい、まいないを取り、門で貧しい者を押しのける。</p><p>13 それゆえ、このようなときには、賢い者は沈黙を守る。それは時代が悪いからだ。</p><p>14 善を求めよ。悪を求めるな。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたが言うように、万軍の神、主が、あなたがたとともにおられよう。</p><p>15 悪を憎み、善を愛し、門で正しいさばきをせよ。万軍の神、主は、もしや、ヨセフの残りの者をあわれまれるかもしれない。</p><p>16 それゆえ、主なる万軍の神、主は、こう仰せられる。「すべての広場に嘆なげきが起こり、すべての通りで、人々は『ああ、ああ』と言い、農夫を呼んで来て泣かせ、泣き方を知っている者たちを呼んで来て、嘆かせる。</p><p>17 すべてのぶどう畑に嘆きが起こる。それは、わたしがあなたがたの中を通り過ぎるからだ」と主は仰せられる。</p><p><br/></p><p><strong>「このことばを聞け」で始まる裁きの預言（3）</strong></p><p><strong>哀歌</strong></p><p>きょうの箇所は、「このことばを聞け」で始まる裁きの預言の三度目のものです。（1）この裁きの預言は、「哀歌」をもって始まります（2～3節）。アモスは、イスラエルの民がアッシリヤ捕囚に引いて行かれる姿を予見し、哀歌を歌っています。「おとめイスラエル」は倒れて、起き上がれなくなります。イスラエルの民の10分の9が捕囚に連れ去られ、残されるのはわずか10分の1 だけです。（2）次に、主からの呼びかけが語られます（4～ 7節）。主はイスラエルの民に「わたしを求めて生きよ」と言われます。悔い改めるなら、赦しが与えられるからです。ベテルもギルガルも偶像礼拝の町です。ベエル・シェバはユダの町ですが、そこもまた偶像礼拝の町です。偶像を慕したってそれらの町に行くことは、重大な罪であり、むなしいことです。（3）私たちが礼拝すべき神とはどのようなお方であるかが語られます（8～ 9節）。私たちの神は、宇宙の運行を支えているお方、契約の神である「主」、また、強い者や堅固な要塞を破壊されるお方です。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの罪</strong></p><p>（1）イスラエルは正しい裁きを嫌い、それをはねのけています（10～13節）。「彼らは門で戒めを与える者を憎み、正しく語る者を忌みきらう」とあるとおりです。時代があまりにも悪いのを見て、賢者と言われる人たちも口を閉ざすようになります。語っても逆効果になるからです。（2）イスラエルはモーセの律法に違反していました（14～15節）。口では「万軍の神、主が、ともにおられる」と語りながら、実生活ではそれとはかけ離れたことを行っていました。その彼らに神は、「善を求めよ。悪を求めるな」と呼びかけておられます。（3）これらの罪のゆえに、イスラエルの上に裁きが下ります（16～17節）。多数の死者が出て、職業的な「泣き女」たちが呼ばれる時が来ます。農夫たちは、収穫がないことを嘆くようになります。<br>主なる神からの、切々たる呼びかけの声を聞いている人は幸いです。主はイスラエルの民に「わたしを求めて生きよ」と言われました。今も主は同じ言葉をもって、私たちを招いておられます。私たちの神は、罪人の心からの悔い改めを受け入れてくださるお方です。主から遠く離れていた方は、直ちに悔い改めを言い表し、主に立ち返りましょう。「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎とがをお認めにならない人、その霊に欺あざむきのない人は」（詩篇32：1～2）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。日々悔い改めの心をもって、あなたにお従いできますように。私に幸いな人生を歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-03-07 20:44:01 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>アモス書5：18～27</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3816487305</link>
         <description><![CDATA[<p>18 ああ。主の日を待ち望む者。主の日はあなたがたにとっていったい何になる。それはやみであって、光ではない。</p><p>19 人が獅子ししの前を逃げても、熊が彼に会い、家に入って手を壁につけると、蛇へびが彼にかみつくようなものである。</p><p>20 ああ、まことに、主の日はやみであって、光ではない。暗やみであって、輝きではない。</p><p>21 わたしはあなたがたの祭りを憎み、退しりぞける。あなたがたのきよめの集会のときのかおりも、わたしは、かぎたくない。</p><p>22 たとい、あなたがたが全焼のいけにえや、穀物のささげ物をわたしにささげても、わたしはこれらを喜ばない。あなたがたの肥えた家畜の和解のいけにえにも、目もくれない。</p><p>23 あなたがたの歌の騒ぎを、わたしから遠ざけよ。わたしはあなたがたの琴ことの音ねを聞きたくない。</p><p>24 公義を水のように、正義をいつも水の流れる川のように、流れさせよ。</p><p>25 「イスラエルの家よ。あなたがたは、荒野にいた四十年の間に、ほふられた獣けものとささげ物とをわたしにささげたことがあったか。</p><p>26 あなたがたはあなたがたの王サクテと、あなたがたのために造った星の神、キウンの像をかついでいた。</p><p>27 わたしはあなたがたを、ダマスコのかなたへ捕らえ移す」とその名を万軍の神、主という方が仰せられる。</p><p><br/></p><p><strong>「ああ」で始まる裁きの預言（1）</strong></p><p><strong>「ああ」で始まる裁きの預言</strong></p><p>先に進む前に、再度アモス書のアウトラインを確かめておきます。1 ～2章は、アモス書の第一区分でした。そこでは、諸国に対する裁きが預言されていましたが、その最後は北王国イスラエルに対するものでした。今扱っている3 ～6 章は第二区分（本書の主要部）で、特に北王国イスラエルに対して語られた預言です。アモスはイスラエルの民の罪悪を指摘し、真の悔い改めを呼びかけます。もし悔い改めないなら、滅亡と捕囚が待っていると預言します。7 ～9 章が第三区分で、アモスが見た幻です。<br>第二区分では、「このことばを聞け」という形で始まる裁きの預言が三つ（3：1、4：1、5：1）、さらに、「ああ」で始まる裁きの預言が二つ出てきます（5：18、6：1）。きょうの箇所は、「ああ」で始まる裁きの預言の最初のものです。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの罪</strong></p><p>（1）イスラエルの中には、「主の日」の意味を誤解し、その到来を待ち望んでいる者たちがいました。「主の日」という言葉は、アモスの前にオバデヤやヨエルによって語られていた概念ですから、イスラエルの民はすでにこれを知っていました。「主の日」は異邦人の諸国が苦しみに会う時です。また、最後にはイスラエルの民が高く上げられることになります。確かにこれらの点は喜ぶべきものですが、その前にイスラエルにとっての大患難かんなんがやって来ます。従って、主はイスラエルの民に対して「ああ、まことに、主の日はやみであって、光ではない。暗やみであって、輝きではない」との警告を発しないわけにはいかないのです。（2）イスラエルの民はモーセの律法に従ったささげ物をささげていましたが、それは形式上のことで、決して神に喜ばれるものではありませんでした。主は彼らに「公義を水のように、正義をいつも水の流れる川のように、流れさせよ」と命じておられます。イスラエルの不誠実は、今に始まったことではなく、出エジプトの時代からそうでした。その世代のイスラエルの民もまた、アッシリヤの二つの星神「サクテ」と「キウン」を奉ほうじて、偶像礼拝に陥おちいっていました。（3）27節は、イスラエルの民の上に下る裁きの預言です。彼らは、アッシリヤ（ダマスコのかなた）に捕囚として引かれて行きます。<br>私たちは再臨さいりん信仰を持っていますが、そこに誤解がないか吟味する必要があります。主の再臨は、日々キリストとともに歩んでいる人には大いなる祝福となりますが、罪人には恐ろしい日となります。ヤコブはこう書いています。「あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです」（ヤコブ5：8）。あなたに主をお迎えする準備ができていますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。主イエスの再臨を楽しみに、その備えをしながら歩みます。どうか私を導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=DmXZ2CUE76I" />
         <pubDate>2026-03-08 18:49:09 UTC</pubDate>
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      </item>
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         <title>アモス書6：1～14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3818098455</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ああ。シオンで安らかに住んでいる者、サマリヤの山に信頼している者、イスラエルの家が行って仕つかえる国々の最高の首長たち。</p><p>2 カルネに渡って行って見よ。そこから大ハマテに行き、またペリシテ人のガテに下って行け。あなたがたはこれらの王国よりすぐれているだろうか。あるいは、彼らの領土はあなたがたの領土より大きいだろうか。</p><p>3 あなたがたは、わざわいの日を押しのけている、と思っているが、暴虐の時代を近づけている。</p><p>4 象牙ぞうげの寝台しんだいに横たわり、長いすに身を伸ばしている者は、群れのうちから子羊を、牛舎の中から子牛を取って食べている。</p><p>5 彼らは十弦じゅうげんの琴の音に合わせて即興そっきょうの歌を作り、ダビデのように新しい楽器を考え出す。</p><p>6 彼らは鉢はちから酒を飲み、最上の香油を身に塗るが、ヨセフの破滅のことで悩まない。</p><p>7 それゆえ、今、彼らは、最初の捕らわれ人として引いて行かれる。身を伸ばしている者どもの宴会は取り除かれる。</p><p>8 神である主は、ご自分にかけて誓われる。─万軍の神、主の御告みつげ─わたしはヤコブの誇りを忌みきらい、その宮殿を憎む。わたしはこの町と、その中のすべての者を引き渡す。</p><p>9 一つの家に十人残っても、その者たちも死ぬ。</p><p>10 親戚の者でこれを焼く者が家から死体を持ち出すために、これを取り上げ、その家の奥にいる者に向かって言う。「あなたのところに、まだいるか。」彼は言う。「だれもいない。」また言う。「口をつぐめ。主の名を口にするな。」</p><p>11 まことに、見よ、主は命じる。大きな家を打ち砕くだき、小さな家を粉々にせよ。</p><p>12 馬は岩の上を走るだろうか。人は牛で海を耕たがやすだろうか。あなたがたは、公義を毒に変え、正義の実を苦よもぎに変えた。</p><p>13 あなたがたは、ロ・ダバルを喜び、「私たちは自分たちの力でカルナイムを取ったではないか」と言う。</p><p>14「 まことに、イスラエルの家よ、今、わたしは一つの民を起こしてあなたがたを攻める。─万軍の神、主の御告げ─彼らはレボ・ハマテからアラバの川筋まで、あなたがたをしいたげる。」</p><p><br/></p><p><strong>「ああ」で始まる裁きの預言（2）</strong></p><p><strong>イスラエルの罪</strong></p><p>この箇所では、イスラエルの罪が二つあげられています。（1）うぬぼれと誤った安心感（1 ～2 節）。シオンと同じようにサマリヤも丘の上に建てられていました。イスラエルの民は、丘の上にある町は滅びることがないとうぬぼれ、誤った安心感を抱いていました。しかし主は、カルネ、ハマテ、ガテの三つの町がすでに滅びていることを指摘し、サマリヤよりも大きなこれらの町々が滅びているのだから、サマリヤが滅びを免まぬかれることは決してないと宣言されます。（2）イスラエルの第二の罪は、ぜいたくな暮らしです。上流階級の者たちは、罪と搾取さくしゅによって集めた富を使って、安逸あんいつな生活にふけっていました。また、宗教儀式に用いる鉢から酒を飲み、神にささげるはずの最上の香油を自分の身に塗っていました。しかし、神によって預言された「ヨセフの破滅（イスラエルの破滅）」については、何も心配していませんでした。</p><p><br/></p><p><strong>アッシリヤ捕囚</strong></p><p>以上の罪のゆえに、イスラエルの民は滅びます。（1）ぜいたくに暮らしている者たちが最初に捕囚の身となります（7 節）。（2）サマリヤの町は滅ぼされます（8節）。「ヤコブの誇り」とは、富と軍事力への信頼のことです。主が憎まれるそのような力に信頼していたこの町は、当然のことながら滅ぼされます。（3）人口が激減します（10～11節）。「10分の1の人」しか残らないことがすでにアモス書5：3で預言されていました。10節には、残された人々の会話が絵画的かいがてきに描かれています。「口をつぐめ。主の名を口にするな」とは、生き残っている者が、自分の身に破滅が起こらないように「主の名」を唱えることを禁じている姿です。（4）罪に対して裁きが下るのは自然の道理です（12～ 13節）。馬が岩の上を走るのは不自然なことです。また、牛で海を耕すのも不自然なことです。自然の道理からしてそのようなことはありません。同様に、イスラエルの民の罪も裁かれないままで捨て置かれることはありません。イスラエルはロ・ダバル（つまらないもの）やカルナイム（力の象徴である2本の角つの）を得るために、むだな力を使ったのです。（5）かくして、北王国イスラエルの全土は略奪りゃくだつされます。<br>あなたは何に信頼を置いていますか。神以外のものを第一にしているなら、それは偶像礼拝です。イスラエルの民の失敗から教訓を学びましょう。「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊たっとい礎石そせきを置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない」（Ⅰペテロ2：6）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなただけが私の神です。あなたに信頼して歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=Ed8S9BXPhGM" />
         <pubDate>2026-03-09 18:40:56 UTC</pubDate>
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         <title>アモス書7：1～3</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3820002892</link>
         <description><![CDATA[<p>1 神である主は、私にこのように示された。見よ。王が刈り取ったあとの二番草にばんぐさが生え始めたころ、主はいなごを造っておられた。</p><p>2 そのいなごが地の青草を食い尽くそうとしたとき、私は言った。「神、主よ。どうぞお赦しください。ヤコブはどうして生き残れましょう。彼は小さいのです。」</p><p>3 主はこのことについて思い直し、「そのことは起こらない」と主は仰おおせられた。</p><p><br/></p><p><strong>いなごの幻</strong></p><p><strong>アモスが見た幻</strong></p><p>7～ 9 章は、アモス書の第三区分に当たる箇所で、そこにはアモスが見た五つの幻が記されています。これは、北王国イスラエル（10部族）の滅亡を預言するものです。これまでにもアモスは北王国の滅亡を預言してきましたが、7～ 9章に出てくる幻を通した預言は、民の心により強く訴えかけるために与えられたものです。<br>（1）「神である主は、私にこのように示された」とあります（同じ表現が、7：1、4、7、8：1に出てきます）。これは、アモスが語る内容が、自分自身からではなく、神から出たものであることを示しています。主のしもべは、主のみこころを語らなければなりません。そうでないなら、その者はにせ預言者、にせ教師です。（2）彼が見た幻は、いなごの害です。「いなご」は、アッシリヤ軍の侵略を象徴するものです。（3）「王が刈り取ったあとの二番草が生え始めたころ」とあります。これは、王に納めるべき年貢ねんぐを刈り取り、民の取り分が生え始めたころを指しています。ちょうどそのころに、いなごの大群が発生したのです。（4）そのいなごの大群が、地の青草を食べつくそうとしています。このまま放置するなら、10部族は滅びるしかありません。これは、アッシリヤの大群が攻めて来る様子を示したものです。</p><p><br/></p><p><strong>アモスのとりなし</strong></p><p>これから起ころうとしている絶望的な幻を見せられたアモスは、主の前に必死にとりなしを始めます。（1）彼は、この災害が10 部族の犯している罪のゆえであることを知っています。「神、主よ。どうぞお赦しください」との祈りは、民を代表しての罪の告白です。（2）「ヤコブはどうして生き残れましょう。彼は小さいのです」との祈りは、神の慈悲じひを求めるものです。私たちの祈りもまた、常に神の良き性質（愛と恵みに富むお方）に訴えかけるものでなければなりません。祈りは、私たちの熱心さによってではなく、神の愛と恵みのゆえに聞かれるのです。（3）「主はこのことについて思い直し、『そのことは起こらない』と主は仰せられた」とあります。「思い直し」とは、人間的な表現を用いて、神が私たちを取り扱われる際の原則を教えたものです。神はご自身の恵みによって、もし人が悔い改めるなら、裁きを中止する（あるいは、延期する）ことに決めておられるのです。ここでは、アモスによる罪の告白ととりなしがあったので、裁きは延期されたのです。<br>私たちも、とりなしの祈りの力を再認識し、祖国のため、家族のため、また隣人のために祈ろうではありませんか。義人の祈りには、力があります。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。どうかこの国の罪を赦してください。リバイバルを来たらせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=pOBfDy0lRmQ" />
         <pubDate>2026-03-10 20:45:42 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>アモス書7：4～6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3821717206</link>
         <description><![CDATA[<p>4 神である主は、私にこのように示された。見よ。神である主は燃える火を呼んでおられた。火は大淵おおふちを焼き尽くし、割り当て地を焼き尽くそうとしていた。</p><p>5 私は言った。「神、主よ。どうか、おやめください。ヤコブはどうして生き残れましょう。彼は小さいのです。」</p><p>6 主はこのことについて思い直し、「このことも起こらない」と神である主は仰せられた。</p><p><br/></p><p><strong>燃える火の幻</strong></p><p><strong>アモスが見た第二の幻</strong></p><p>この箇所も定型句で始まっています。「神である主は、私にこのように示された」。アモスが主から示された第二の幻は、燃える火でした。<br>（1）激しい火が燃え広がり、水源を枯渇こかつさせ、耕地の作物を枯れさせようとしています。これは、北王国にとっては存亡そんぼうの危機です。燃える火は、アッシリヤの侵略を象徴しています。（2）ここでも、前回のいなごの害の時と同じように、アモスは必死になってとりなし、裁きが中止されるように祈り求めます。「神、主よ。どうか、おやめください。ヤコブはどうして生き残れましょう。彼は小さいのです」。（3）神は再び、アモスの祈りを聞き入れ、迫り来る脅威きょういを撤回てっかいされます。「主はこのことについて思い直し、『このことも起こらない』と神である主は仰せられた」とあるとおりです。</p><p><br/></p><p><strong>とりなしの祈りの力</strong></p><p>神は人とは異なりますので、後悔したり、思い直したりすることはありません。聖書の中に、「神が悔いた」とか、「神が思い直した」とかいった表現が出てきた場合、それは、ある条件が満たされたなら、下そうとしていた裁きを撤回すると神が決めておられることを示しています。旧約聖書に出てくるとりなしの祈りの代表例は、モーセがイスラエルの民のためにとりなした祈りです（出エジプト32 章）。その中で、モーセはこう祈っています。「どうか、あなたの燃える怒りをおさめ、あなたの民へのわざわいを思い直してください」（出エジプト32：12）。神はこの祈りをお聞きになりました。<br>新約聖書に出てくるとりなしの祈りの最高峰は、十字架上での主イエスの祈りです。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」（ルカ23：34）。この祈りによって、私たちは赦されました。そして今も、主イエスは私たちのためにとりなしておられます。「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです」（ローマ8：34）。罪赦された者として、私たちもとりなしの祈りをささげる器うつわとならせていただきましょう。主は、とりなし手が現れることを待っておられます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。どうか私を、とりなしの器と変えてください。この国にリバイバルを来たらせるために、私を祈りの人に造り変えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=tagqAgy8kF0" />
         <pubDate>2026-03-11 20:30:00 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>アモス書7：7～9</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3823366495</link>
         <description><![CDATA[<p>7 主は私にこのように示された。見よ。主は手に重おもりなわを持ち、重りなわで築きずかれた城壁の上に立っておられた。</p><p>8 主は私に仰せられた。「アモス。何を見ているのか。」私が「重りなわです」と言うと、主は仰せられた。「見よ。わたしは重りなわを、わたしの民イスラエルの真ん中に垂たれ下げよう。わたしはもう二度と彼らを見過ごさない。</p><p>9 イサクの高き所は荒らされ、イスラエルの聖所せいじょは廃墟はいきょとなる。わたしは剣つるぎをもって、ヤロブアムの家に立ち向かう。」</p><p><br/></p><p><strong>重りなわの幻</strong></p><p><strong>第三の幻</strong></p><p>アモスが見た第三の幻は、重りなわの幻でした。前二回の幻の場合は、アモスのとりなしの祈りが聞き届けられました。第三の幻は、アモスに、もはやとりなしは無効であることを教えようとするものです。その理由は、北王国の罪が取り返しのつかない領域にまで進んだからです。<br>（1）アモスは、主が手に重りなわを持ち、サマリヤの城壁の上に立っておられるのを見ます。「重りなわ」とは、城壁が垂直に立っているかどうかを調べるための大工道具です。（2）ここでは、重りなわは建築のためではなく、イスラエルの民の霊的状態を検査するために用いられています。それが、「見よ。わたしは重りなわを、わたしの民イスラエルの真ん中に垂れ下げよう」という言葉の意味です。（3）重りなわで検査された結果、イスラエルの民の霊的状態が曲がっている（傾かたむいている）ことが明らかになります。民は、自分たちが主の契約の民であることを忘れ、罪の道を歩き続けていました。（4）そこで神は、「わたしはもう二度と彼らを見過ごさない」と宣言されます。</p><p><br/></p><p><strong>避けられない裁き</strong></p><p>この幻では、アモスのとりなしの祈りも、裁きを取り除くという約束もありません。それほど、イスラエルの民の罪は重かったのです。（1）ここに至って、神の忍耐は尽き果てました。イスラエルを襲う惨禍さんかは、避けがたいものとなりました。（2）「イサクの高き所」とは、ベエル・シェバの古聖所を含む、丘の上に立てられた数々の祭壇さいだんのことです。イサクは、主を礼拝するために、ベエル・シェバに祭壇を築きました（創世記26：25）。イスラエルの民は、それを真似て丘の上に数々の祭壇を築きましたが、それらのものは偶像礼拝の場となりました。それらの祭壇はすべて、荒廃こうはいします。（3）「イスラエルの聖所」とは、金の子牛を拝むためにダンとベテルに建てられた神殿のことです。それらの神殿は、廃墟となります。（4）「ヤロブアムの家」とは、イスラエルの王朝のことです。北王国は、戦争によって崩壊します。<br>主の恵みを当然のことと考えるのは、危険なことです。いつか、神の忍耐が尽きる時がやってきます。それゆえ、使徒パウロは私たちにこう教えているのです。「私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願こんがんします。神の恵みをむだに受けないようにしてください。神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた』。確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」（Ⅱコリント6：1～2）。あなたは、今という時を生かしていますか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。今という時を生かして、あなたの恵みに応答することができますように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=HLuttPViI98" />
         <pubDate>2026-03-12 18:43:33 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>アモス書7：10～13</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3824836696</link>
         <description><![CDATA[<p>10 ベテルの祭司アマツヤは、イスラエルの王ヤロブアムに人を遣つかわしてこう言った。「イスラエルの家のただ中で、アモスはあなたに謀反むほんを企くわだてています。この国は彼のすべてのことばを受け入れることはできません。</p><p>11 アモスはこう言っています。『ヤロブアムは剣で死に、イスラエルはその国から必ず捕らえられて行く。』」</p><p>12 アマツヤはアモスに言った。「先見者せんけんしゃよ。ユダの地へ逃げて行け。その地でパンを食べ、その地で預言せよ。</p><p>13 ベテルでは二度と預言するな。ここは王の聖所、王宮のある所だから。」</p><p><br/></p><p><strong>アマツヤの暴言</strong></p><p><strong>ベテルの祭司アマツヤの報告</strong></p><p>前回の箇所では、北王国に下る裁きが不可避ふかひなものであることが、重りなわの幻によって示されました。きょうの箇所では、なぜ神の裁きが不可避なのかが、ある歴史的事件によって示されます。登場人物は、ベテルの祭司アマツヤです。<br>（1）アモスは主のことばを伝える場所として、ベテルを選んでいました。ここには、北王国で最も有名な聖所があり、王自身も祭りの期間にはそこを訪れていました。（2）ベテルの祭司（おそらく金の子牛に仕える祭司）であったアマツヤは、北王国の王ヤロブアム2世に使者を遣わし、一連の出来事の報告を行います。その報告は、事実と嘘うそとが混在したものでした。（3）アモスが謀反を企てているというのは、嘘です。しかし、北王国が彼の言葉を受け入れることができないというのは、本当です。また、ヤロブアムが剣で死ぬというのは嘘です。アモスは、ヤロブアムの家（王朝）の崩壊を預言していただけです。イスラエルはその国から必ず捕らえられて行くというのは、本当です。</p><p><br/></p><p><strong>アモスを糾弾する言葉</strong></p><p>アマツヤは、以下の言葉を用いて、アモスを糾弾きゅうだんしました。（1）「先見者よ。ユダの地へ逃げて行け。その地でパンを食べ、その地で預言せよ」。アモスは、先見者以上の者、主の預言者でしたが、アマツヤはそれを認めず、アモスのことを「先見者」と呼んでいます。（2）またアマツヤは、アモスが金のためにだけ預言していると判断していました。アモスの出身地は南王国ユダでしたので、「ユダの地に戻り、そこで預言して金を稼げ」と罵倒ばとうしたのです。（3）「ベテルでは二度と預言するな。ここは王の聖所、王宮のある所だから」。確かに、ベテルには金の子牛を祭った宮が建っていました。また、祭りの期間には王がそこに来て、滞在していました。そのための王宮がそこに建っていたのも事実です。<br>本来は、民を指導するはずの祭司が堕落だらくし、霊の目が見えなくなっていました。指導者が霊的に盲目もうもくになるなら、民もまた霊的暗黒の中に閉じ込められます。これが当時の北王国の霊的状況でした。今の日本の状況はどうでしょうか。この国の指導者たちのために、また、霊的指導者たちのために、とりなしの祈りをささげようではありませんか。「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい」（Ⅰテモテ2：1）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。どうかこの国をあわれんでください。指導者たちの霊の目が開かれ、彼らがあなたを恐れる人物となりますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-03-13 19:08:12 UTC</pubDate>
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      </item>
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         <title>アモス書7：14～17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3825441403</link>
         <description><![CDATA[<p>14 アモスはアマツヤに答えて言った。「私は預言者ではなかった。預言者の仲間でもなかった。私は牧者であり、いちじく桑ぐわの木を栽培していた。</p><p>15 ところが、主は群れを追っていた私をとり、主は私に仰せられた。『行って、わたしの民イスラエルに預言せよ』と。</p><p>16 今、主のことばを聞け。あなたは『イスラエルに向かって預言するな。イサクの家に向かって預言するな』と言っている。</p><p>17 それゆえ、主はこう仰せられる。『あなたの妻は町で遊女となり、あなたの息子、娘たちは剣に倒れ、あなたの土地は測はかりなわで分割される。あなたは汚れた地で死に、イスラエルはその国から必ず捕らえられて行く。』」</p><p><br/></p><p><strong>アモスの回答</strong></p><p><strong>主からの召命</strong></p><p>アモスは、自分がどのようにして預言者としての活動を開始したかを証言し、アマツヤの暴言に反論します。<br>（1）「私は預言者ではなかった。預言者の仲間でもなかった」とあります。つまり、預言者の息子として生まれたのでも、預言者の学校（エリヤやエリシャによって設立された訓練施設）で訓練を受けたわけでもないという意味です。（2）「私は牧者であり、いちじく桑の木を栽培していた」とあります。これは、アモスが金に困ってはいなかったこと、そして、金のために預言者になる必要はなかったことを示しています。（3）アモスがその職業に従事していた時に、主は彼を召し、預言者として立てたのです。彼が預言者として活動する理由は、「行って、わたしの民イスラエルに預言せよ」という主の召しがあるからです。</p><p><br/></p><p><strong>祭司アマツヤへの使信</strong></p><p>2：12には、こうありました。「それなのに、あなたがたはナジル人に酒を飲ませ、預言者には、命じて、預言するなと言った」。アモスが預言することを禁じた祭司アマツヤは、まさにこの罪を犯しているのです。そこでアモスは、祭司アマツヤへの個人的な使信を宣言します（16～17節）。（1）彼の妻は、町で遊女となります（敵兵にもてあそばれる）。（2）彼の子どもたちは、戦争で殺されます。（3）彼の土地は異邦人の侵入者の手で分割されます。（4）彼自身もまた捕虜ほりょとなり、異国で殺されます。（5）北王国イスラエルは、捕囚ほしゅうの民となって、異国に引かれて行きます。<br>以上の預言は、すぐにでも成就じょうじゅしようとしています。それが成就する時、アマツヤはアモスが真の預言者であったことを知るようになるのです。主のことばを語っている指導者たちのメッセージに耳を傾けないことは、恐ろしいことです。自分の身に悲劇が起こってから、やっと自らの罪の重大さに気づくのは愚おろかなことです。知恵ある人は、神を恐れることを知っています。「語っておられる方を拒こばまないように注意しなさい。なぜなら、地上においても、警告を与えた方を拒んだ彼らが処罰を免まぬかれることができなかったとすれば、まして天から語っておられる方に背を向ける私たちが、処罰を免れることができないのは当然ではありませんか」（ヘブル12：25）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。失敗してから学ぶ者ではなく、今語っておられるあなたに聞き従い、祝福を受ける者とならせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-03-14 21:25:16 UTC</pubDate>
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         <title>アモス書8：1～8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3825969785</link>
         <description><![CDATA[<p>1 神である主は、私にこのように示された。そこに一かごの夏のくだものがあった。</p><p>2 主は仰せられた。「アモス。何を見ているのか。」私が、「一かごの夏のくだものです」と言うと、主は私に仰せられた。「わたしの民イスラエルに、終わりが来た。わたしはもう二度と彼らを見過ごさない。</p><p>3 その日には、神殿の歌声は泣きわめきとなる。─神である主の御告みつげ─多くのしかばねが、至る所に投げ捨てられる。口をつぐめ。」</p><p>4 聞け。貧しい者たちを踏みつけ、地の悩む者たちを絶やす者よ。</p><p>5 あなたがたは言っている。「新月の祭りはいつ終わるのか。私たちは穀物を売りたいのだが。安息日あんそくにちはいつ終わるのか。麦を売りに出したいのだが。エパを小さくし、シェケルを重くし、欺あざむきのはかりで欺こう。</p><p>6 弱い者を金で買い、貧しい者を一足のくつで買い取り、くず麦を売るために。」</p><p>7 主はヤコブの誇りにかけて誓ちかわれる。「わたしは、彼らのしていることをみな、いつまでも、決して忘れない。</p><p>8 このために地は震えないだろうか。地に住むすべての者は泣き悲しまないだろうか。地のすべてのものはナイル川のようにわき上がり、エジプト川のように、みなぎっては、また沈まないだろうか。</p><p><br/></p><p><strong>夏のくだものの幻（1）</strong></p><p><strong>第四の幻</strong></p><p>第四の幻は、夏のくだものの幻です。そこでは、北王国イスラエルの上に裁きの時が近づいていることが強調されています。<br>（1）アモスは、「一かごの夏のくだもの」を見ます。（2）次に主からの問いかけがあります。「アモス。何を見ているのか」。（3）アモスは、「一かごの夏のくだものです」と答えます。（4）すると主から「わたしの民イスラエルに、終わりが来た」とのことばがあります。<br>このやり取りには、ヘブル語の語呂合わせがあります。「夏のくだもの」は、ヘブル語で「カイツ」です。「終わり」は、ヘブル語で「ケイツ」です。アモスは「カイツを見ています」と答え、主は「イスラエルの民の上にケイツが来る」と預言されたのです。つまり、この幻は、大きなわざわいによってイスラエルに終わりが来ることを告知するためのものだったのです。</p><p><br/></p><p><strong>商道徳の堕落</strong></p><p>4～ 8節では、商道徳の堕落が指摘されます。（1）商人たちは、自己の利益追求のために、貧しい同胞を搾取さくしゅし、圧迫しています。（2）彼らにとっては、主から与えられた祭りは、喜びではなく、がまんしなければならないものとなっています。彼らは、「新月の祭り」と「安息日」が過ぎ去ることを切望しています。祭りが終わりさえすれば、穀物市を開いて、儲もうけることができるからです。（3）さらに彼らは、その穀物を売るために不正のはかりを用いています。欺きのはかりで穀物の量を少なくはかり、できるだけ多くの金を得ようとしているのです。（4）人間も商取引の対象となっています。彼らは、貧しい者を1足のくつ（安い値段）で買い取り、奴隷にします。また彼らは、普通の麦としては売れない「くず麦」まで、貪欲どんよくに売ろうとするのです。（5）そこで主は、ヤコブの誇りにかけて誓われます。「ヤコブの誇り」とは、ヤコブとその子孫を生み出した神ご自身の御名のことです。つまり、神はご自身の御名にかけて誓っておられるのです。「わたしは、彼らのしていることをみな、いつまでも、決して忘れない」と。ここでは、ナイル川の異常な洪水の様子を用いて、裁きの激しさが描かれています。イスラエルの民の罪はきわみにまで達し、彼らの足もとの地は洪水の時の川岸のように激しく揺れるのです。<br>主は人の罪を決して忘れておられないとするなら、主のさばきの前に立ちおおせる人はいません。しかし私たちは、救い主イエスの贖罪しょくざいの死によって、罪が赦されました。その幸いを思い起こし、主への感謝と献身を言い表そうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。あなたの前に到底立てないような者を愛してくださり、心から感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-03-15 19:03:08 UTC</pubDate>
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         <title>アモス書8：9～14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3827591242</link>
         <description><![CDATA[<p>9 その日には、─神である主の御告げ─わたしは真昼に太陽を沈ませ、日盛ひざかりに地を暗くし、</p><p>10 あなたがたの祭りを喪もに変え、あなたがたのすべての歌を哀歌あいかに変え、すべての腰に荒布あらぬのをまとわせ、すべての人の頭をそらせ、その日を、ひとり子を失ったときの喪のようにし、その終わりを苦い日のようにする。</p><p>11 見よ。その日が来る。─神である主の御告げ─その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。</p><p>12 彼らは海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主のことばを捜し求めて、行き巡る。しかしこれを見いだせない。</p><p>13 その日には、美しい若い女も、若い男も、渇きのために衰おとろえ果てる。</p><p>14 サマリヤの罪過ざいかにかけて誓い、『ダンよ。あなたの神は生きている』と言い、『ベエル・シェバの道は生きている』と言う者は、倒れて、二度と起き上がれない。」</p><p><br/></p><p><strong>夏のくだものの幻（2）</strong></p><p><strong>北王国イスラエルに下る神の裁き</strong></p><p>「夏のくだものの幻」の続きです。この幻は、迫り来る神の裁きを象徴していました。きょうの箇所では、三つの裁きが語られています。<br>（1）暗黒の日が来ようとしています（9～10 節）。「その日（主の日）」とは、主の裁きの日のことです。その日になると、昼間に太陽は沈み、イスラエルの地は暗黒に覆われます。また、祭りは喪に、喜びの歌は哀歌に、祭りの衣装は荒布の喪服に変えられます。<br>（2）さらに深刻なのは、神のことばのききんが来ることです。それは、どこに行っても神の啓示がない状態、すなわち「主のことばを聞くことのききん」です。申命記8：3 には、「人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる」とあります。神のことばがないということは、人間存在の根源である「生命の泉」が枯渇しているということです。人々は、主のことばを告げてくれる預言者を求めて、あちこち探し回りますが、その努力は徒労に終わります。<br>（3）偶像礼拝に対しても、神の裁きが下ります。その日には、国の活力の中心である青年男女が、偽りの宗教の罠わなにかかって滅びます。青年たちが滅びる国には、将来の希望はありません。この裁きは、偶像礼拝に対して下るものです。14節は、偶像礼拝の空虚さを教えています。サマリヤの偶像（アシマ）も、ダンの偶像も、ベエル・シェバの偶像も、民の渇きを満たすことはできません。無力な偶像は、沈黙するしかないのです。</p><p><br/></p><p><strong>神のことばのない悲劇</strong></p><p>私たち異邦人は、救われる前は「神のことばを知らない民」でした。そのころの私たちの霊的状態は、絶望的なものでした。「そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人たこくじんであり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした」（エペソ2：12）とあるとおりです。キリストの福音を知らされたことは、なんという幸いでしょうか。今、自分が幸いな人にされていることを思い、主に感謝をささげましょう。また、神のことばを熱心に求めましょう。「主のことばを聞くことのききん」が、この国を襲うことのないように、主のあわれみを求めましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。あなたのことばは、私を生かすいのちの源泉です。どうか、「主のことばを聞くことのききん」が、この国を襲うことがありませんように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-03-16 20:13:38 UTC</pubDate>
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         <title>アモス書9：1～4</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3829258667</link>
         <description><![CDATA[<p>1 私は、祭壇のかたわらに立っておられる主を見た。主は仰せられた。「柱頭ちゅうとうを打って、敷居が震えるようにせよ。そのすべてを頭上で打ち砕け。わたしは彼らの残った者を、剣で殺す。彼らのうち、ひとりも逃げる者はなく、のがれる者もない。</p><p>2 彼らが、よみに入り込んでも、わたしの手はそこから彼らを引き出し、彼らが天に上っても、わたしはそこから彼らを引き降ろす。</p><p>3 彼らがカルメルの頂いただきに身を隠しても、わたしは捜して、そこから彼らを捕らえ出し、彼らがわたしの目を避けて海の底に身を隠しても、わたしは蛇に命じて、そこで彼らをかませる。</p><p>4 もし、彼らが敵のとりことなって行っても、わたしは剣に命じて、その所で彼らを殺させる。わたしはこの目で彼らを見る。それは、わざわいのためで、幸いのためではない。」</p><p><br/></p><p><strong>祭壇の幻</strong></p><p><strong>第五の幻</strong></p><p>第五の幻は、「祭壇のかたわらに立つ主」の幻です。この幻は、裁きがすべての民に徹底的に下ることを預言したものです。<br>（1）「祭壇」とは、ベテルに建っていた主の宮の中の祭壇です。その祭壇には、アモスに挑戦した祭司アマツヤが仕えていました。（2）その祭壇のかたわらに主が立たれ、こう言われました。「柱頭を打って、敷居が震えるようにせよ。そのすべてを頭上で打ち砕け」。これは、偶像礼拝に対するきびしい裁きです。（3）柱頭を打ち砕くと、宮の敷居が震え、建物全体が崩壊します。その建物がすべての者の上に崩れ落ちるようにせよというのが、主の命令です（サムソンがペリシテ人の神殿を破壊した記事を参照。士師記16：23～30）。（4）これが最初の災難ですが、それをのがれた者も、すべて最後は滅ぼされます。（5）よみにも、天にも、彼らののがれの場はありません。（6）また、山の上にも、海の底にも、彼らの隠れ場はありません。（7）さらに、彼らが捕囚の民となって引かれて行っても、彼らは剣で滅ぼされます。<br>主は全能の神、偏在へんざいの神、全知の神です。それゆえ、裁きをのがれようとする彼らの努力は、無に帰するのです。</p><p><br/></p><p><strong>神の義なる怒り</strong></p><p>この箇所で、主は恵みの座を離れて、裁きの座に着かれました。主がご自身の義に基もとづいて罪人を裁かれる時、私たちには逃げ場がありません。ダビデは、詩篇139篇でこう告白しています。「 たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設もうけても、そこにあなたはおられます。私が暁あかつきの翼つばさをかって、海の果てに住んでも、そこでも、あなたの御手みてが私を導き、あなたの右の手が私を捕らえます。たとい私が『おお、やみよ。私をおおえ。私の回りの光よ。夜となれ』と言っても、あなたにとっては、やみも暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗やみも光も同じことです」<br>人は、神からのがれることはできないのです。それゆえ、最後は神に信頼するしか方法はないのです。ダビデも最後にこう告白しています。「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください」。この告白が、私たちの告白となりますように。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。どうか私をあなたの義の道へと導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-03-17 20:42:35 UTC</pubDate>
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         <title>アモス書9：5～10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3830885455</link>
         <description><![CDATA[<p>5 万軍の神、主が、地に触れると、それは溶け、そこに住むすべての者は泣き悲しみ、地のすべてのものはナイル川のようにわき上がり、エジプト川のように沈む。</p><p>6 天に高殿たかどのを建て、地の上に丸天井を据すえ、海の水を呼んで、地の面に注がれる方、その名は主。</p><p>7 「イスラエルの子ら。あなたがたは、わたしにとって、クシュ人のようではないのか。─主の御告げ─わたしはイスラエルをエジプトの国から、ペリシテ人をカフトルから、アラムをキルから連れ上ったではないか。</p><p>8 見よ。神である主の目が、罪を犯した王国に向けられている。わたしはこれを地の面から根絶やしにする。しかし、わたしはヤコブの家を、全く根絶やしにはしない。─主の御告げ─</p><p>9 見よ。わたしは命じて、ふるいにかけるように、すべての国々の間でイスラエルの家をふるい、一つの石ころも地に落とさない。</p><p>10 わたしの民の中の罪人はみな、剣で死ぬ。彼らは『わざわいは私たちに近づかない。私たちまでは及ばない』と言っている。</p><p><br/></p><p><strong>全知全能の神</strong></p><p><strong>主への頌栄（5～6節）</strong></p><p>この短い頌栄しょうえいは、神が全能であることを歌っています（4：13、5：8～9に次いで三度目の頌栄）。神は天地創造の神であり、万物を支配し、水平にも、垂直にも、御力みちからを表すことのできるお方です。それゆえ、神がアモスを通して預言されたことは、すべて成就するのです。神に不可能はありません。あなたは、それを信じますか。神の約束は、すべて成就します。</p><p><br/></p><p><strong>諸国民を支配される神の主権（7～10節）</strong></p><p>（1）神は諸国民の動向を支配しておられます。民族移動が起こる時、その背後には神の御手が働いています。神はイスラエルをエジプトから連れ上られました。また、ペリシテ人をカフトル（地中海の地）から、アラム人（シリヤ人）をキル（メソポタミア）から連れ出されました。（2）また神は、罪を犯した北王国イスラエルを見ておられます。今、北王国の上に神の裁きが下ろうとしています。しかし、契約の民の裁きには、常に、恵みの要素が残されています。つまり、完全に滅びることはないということです。その理由は、神がアブラハムと交わした契約が、無条件契約であるからです。イスラエルの罪によって、神の計画が挫折することはないのです。（3）9 節にある「見よ。わたしは命じて、ふるいにかけるように、すべての国々の間でイスラエルの家をふるい、一つの石ころも地に落とさない」ということばは、アッシリヤ捕囚よりも広範囲の離散を預言しています。これは、紀元70年以降に起こる、世界大の離散の預言です。（4）10節にある「わたしの民の中の罪人はみな、剣で死ぬ」ということばは、大患難時代に成就するものです。第一義的には、大患難時代はイスラエルの罪を裁き、清めるためにやって来るものです。<br>大患難時代の裁きは、未来への希望（イスラエルの回復）の預言と表裏一体となっています。次回は、その希望がどのようなものであるかについて学びます。パウロは、ローマ人への手紙11 章で、預言者エリヤの時代に「バアルにひざをかがめていない男子7千人」が残されたことに言及し、「それと同じように、今も、恵みの選びによって残された者がいます」と語っています。この人々を、「イスラエルの残れる者（レムナント）」と呼びます。イスラエルが完全に滅びることがないのは、彼らが存在しているためです。メシアニック・ジューたちは、現代の「イスラエルの残れる者」です。日本に生きている私たちクリスチャンは、「この国のレムナント」です。自らの使命を自覚し、きょうもこの世に出て行きましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。私に与えられた使命を、きょうも全うすることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=hz9Y-vVMDQI" />
         <pubDate>2026-03-18 20:45:32 UTC</pubDate>
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         <title>アモス書9：11～12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3832502013</link>
         <description><![CDATA[<p>11 その日、わたしはダビデの倒れている仮庵かりいおを起こし、その破れを繕つくろい、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す。</p><p>12 これは彼らが、エドムの残りの者と、わたしの名がつけられたすべての国々を手に入れるためだ。─これをなされる主の御告げ─</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの復興（1）</strong></p><p><strong>11節</strong></p><p>アモス書は、全部で9 章からなる書です。アモスはこれまでの8章半で、イスラエルの罪を糾弾してきましたが、最後の5節だけは、イスラエルの希望について預言しています。つまり、アモス書は希望のメッセージで終わるということです。願わくは、私たちの人生もそのようでありますように。<br>アモスは11節で、ダビデの家（王朝）の復興を預言しています（南北の両方を含んだ統一王国の復興）。（1）「ダビデの倒れている仮庵」とは、ダビデの家が崩壊し、みすぼらしい掘っ立て小屋のようになっている状態を指す言葉です。その仮庵が、立派な建物に建て直されるのです。（2）これは、イザヤ書11：1の預言と同じ内容です。「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ」。ダビデの家は、切り倒された大木です。しかし、その切り株から新芽が生え、若枝が出てくるというのです。（3）使徒の働き15：16 では、主イエスの弟のヤコブが、この聖句を引用しています。その背景になっているのは、異邦人はユダヤ人のようにならなくても（割礼かつれいを受けなくても）、信仰のみによって救われるのかという論争です。ヤコブの論点は、「ダビデの家が復興する前提として、異邦人の救いがあるのだから、異邦人信者を排除すべきではない」ということです。</p><p><br/></p><p><strong>12節</strong></p><p>アモスは12 節で、諸国民に対するイスラエルの優位性について預言しています。（1）イスラエルの敵であったエドムの中からも信じる者が出てきます。（2）また、諸国民（異邦人）の中からも、大量に信じる者が出てきます。これは、大患難時代を通り過ぎた異邦人信者のことです。マタイの福音書25：31 ～45に登場する、「羊と呼ばれている信者」がそれです。（3）メシア的王国（千年王国）においては、イスラエルが異邦人信者よりも優位に立ちます。（4）使徒の働き15：17では、ヤコブがこの聖句を引用しています。彼の論点は、「メシア的王国においては、復興したイスラエルとともに諸国民（異邦人）もそこにいるのだから、異邦人伝道を推進するのは、当然の責務である」ということです。<br>アモスが預言した、イスラエルの復興の時が近づいています。携挙けいきょがいつ起こるのか、大患難時代がいつやって来るのか、だれにもわかりません。しかし、時が近づいていることだけは確かです。目を覚まして、主のわざに忠実に励もうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。きょうも私を、あなたの忠実なしもべとして用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=V5GPn0Ayf-Y" />
         <pubDate>2026-03-19 20:25:59 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>アモス書9：13～15</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3833783520</link>
         <description><![CDATA[<p>13 見よ。その日が来る。─主の御告げ─その日には、耕す者が刈る者に近寄り、ぶどうを踏む者が種蒔く者に近寄る。山々は甘いぶどう酒をしたたらせ、すべての丘もこれを流す。</p><p>14 わたしは、わたしの民イスラエルの繁栄を元どおりにする。彼らは荒れた町々を建て直して住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、果樹園を作って、その実を食べる。</p><p>15 わたしは彼らを彼らの地に植える。彼らは、わたしが彼らに与えたその土地から、もう、引き抜かれることはない」とあなたの神、主は、仰せられる。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの復興（2）</strong></p><p><strong>13節</strong></p><p>イスラエルの復興の預言が続きます。（1）この節は、自然界の回復を預言しています。アモスは、ヨエル書3：18 を引用しながら、不毛の地が豊かな耕地に回復されることを預言しています。（2）その結果、「その日には、耕す者が刈る者に近寄り、ぶどうを踏む者が種蒔く者に近寄る。山々は甘いぶどう酒をしたたらせ、すべての丘もこれを流す」という預言が成就します。これは、刈り入れが済むと直ちに土地が耕され、種蒔きには直ちに刈り入れが続くことを表しています。「ぶどうを楽しむこと」は、平和と繁栄の象徴です。</p><p><br/></p><p><strong>14節</strong></p><p>（1）この節は、イスラエルが住む土地の回復を預言しています。（2）イスラエルの民は、約束の地に帰還し、荒れた町々を再建してそこに住むようになります。（3）また、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、果樹園を作って、その実を食べるようになります。これもまた、繁栄と平和を描写した言葉です。</p><p><br/></p><p><strong>15節</strong></p><p>（1）この節は、イスラエルは永遠にその地に住むことを預言しています。「彼らは、わたしが彼らに与えたその土地から、もう、引き抜かれることはない」とあるとおりです。（2）イスラエルの民を約束の地に再び植えるのは、神ご自身です。（3）イスラエルは、1948年に国を再建しました。しかし、この復興はまだ永遠のものにはなっていません。預言的なシナリオによれば、これから携挙、大患難時代と続きます。大患難時代は7 年続きますが、その中間の時点で、イスラエルは再び約束の地から追い出される（引き抜かれる）ようになります（マタイ24：15 ～16、黙示録12：6～17 参照）。（4）イスラエルが永遠に約束の地に植えられるのは、大患難時代の最後に起こるメシアの再臨さいりん以降のことです。ここに至って、神がアブラハムに約束したことがすべて成就します。<br>神の計画の全貌ぜんぼうを語りつくしたパウロは、最後にこう叫んでいます。「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう」（ローマ11：33）。神の知恵と知識の富は、無尽蔵むじんぞうです。日々、その富の中から霊の糧かてをくみ出している人は幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。あなたの知恵と知識の富は、私たち人間には測り難いものです。心から御名をほめたたえます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=VexaLyrVlTE" />
         <pubDate>2026-03-20 19:57:49 UTC</pubDate>
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         <title>オバデヤ書1</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3834349704</link>
         <description><![CDATA[<p><strong>オバデヤ書1</strong></p><p>1 オバデヤの幻。神である主は、エドムについてこう仰せられる。私たちは主から知らせを聞いた。使者が国々の間に送られた。「立ち上がれ。エドムに立ち向かい戦おう。」</p><p><br></p><p><strong>オバデヤの幻</strong></p><p><strong>最も短い書</strong></p><p>内容に入る前に、オバデヤ書の概略について触れておきます。オバデヤ書は旧約聖書で最も短い書です。しかし、この書が扱っているテーマは多岐にわたっていますので、軽視することはできません。<br>（1）著者オバデヤに関しては、その名前以外には何も知られていません。オバデヤとは「主（ヤハウェ）のしもべ」という意味です。彼は主のしもべとして「幻」を見せられ、それをそのまま語っています。すべての預言者が幻を通して主からの語りかけを受けるわけではありませんが、彼の場合は、幻によって未来の出来事を現実に起こっていることのように見ることができたのです。彼が活動した地は、エルサレムを中心としたユダの地です。<br>（2）執筆年代に関しても、種々の意見があります。オバデヤ書1～4節は、エレミヤ書49：14 ～16 に引用されています。また、オバデヤ書5～ 6節は、エレミヤ書49：9 ～10 に引用されています。従ってオバデヤはエレミヤよりも前の預言者であることがわかります。さらに、オバデヤ書17 節は、ヨエル書2：32 に引用されていますので、オバデヤはヨエルよりも前の預言者であることがわかります。<br>10～ 14節には、エルサレムに起こったある悲劇的な出来事に関する言及があります。これには二つの可能性があります。一つの可能性は、ヨラム王治下（前845年）に起こったペリシテ人とアラビヤ人によるエルサレム侵略です（Ⅱ歴代誌21：16 ～17）。もう一つの可能性は、前605～586年に起こったネブカデネザル王による侵略です（Ⅱ列王記24：1以下）。オバデヤがヨエルやエレミヤよりも前の預言者であることを考えると、前者の可能性が高いと思われます。本書は前845年あたりに執筆されたと考えてまちがいはないでしょう。オバデヤは、小預言書を書いた12 人の預言者の中で最初に登場する預言者です。</p><p><br></p><p><strong>そのテーマは</strong></p><p>本書のテーマは、（1）神はイスラエルのために復讐ふくしゅうされるということと、（2）神はイスラエルを再び立て直されるということです。本書を読む者は、傲慢ごうまんな姿勢を正され、神に信頼する者は決して失望させられることがないということを学ぶことでしょう。私たちもまたダビデとともに、こう祈ろうではありませんか。「あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免まぬかれて、きよくなるでしょう」（詩篇19：13）。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。どうか私を傲慢の罪から守り、義の道へと導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=nbMQD7wQOeA" />
         <pubDate>2026-03-21 20:56:40 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>オバデヤ書1～9</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3834859444</link>
         <description><![CDATA[<p>1 オバデヤの幻。神である主は、エドムについてこう仰せられる。私たちは主から知らせを聞いた。使者が国々の間に送られた。「立ち上がれ。エドムに立ち向かい戦おう。」</p><p>2 見よ。わたしはあなたを国々の中の小さい者、ひどくさげすまれる者とする。</p><p>3 あなたの心の高慢は自分自身を欺あざむいた。あなたは岩の裂け目に住み、高い所を住まいとし、「だれが私を地に引きずり降ろせようか」と心のうちに言っている。</p><p>4 あなたが鷲わしのように高く上っても、星の間に巣を作っても、わたしはそこから引き降ろす。─主の御告げ─</p><p>5 盗人ぬすびとがあなたのところに来れば、夜、荒らす者が来れば、あなたは荒らされ、彼らは気のすむまで盗まないだろうか。ぶどうを収穫する者があなたのところに来るなら、彼らは取り残しの実を残さないだろうか。</p><p>6 ああ、エサウは捜し出され、その宝は見つけ出される。</p><p>7 あなたの同盟者がみな、あなたを欺き、あなたを国境まで送り返し、あなたの親しい友があなたを征服し、あなたのパンを食べていた者が、あなたの足の下にわなをしかける。それでも彼はそれを悟らない。</p><p>8 その日には、─主の御告げ─わたしは、エドムから知恵ある者たちを、エサウの山から英知を消し去らないであろうか。</p><p>9 テマンよ。あなたの勇士たちはおびえる。虐殺によって、エサウの山から、ひとり残らず絶やされよう。</p><p><br/></p><p><strong>エドムに下る裁き</strong></p><p><strong>エドムの傲慢</strong></p><p>エドムはヤコブの兄エサウの子孫です。この書では、エドムとエサウとは同義語として使われています。モアブやアモンはイスラエルと従兄弟いとこの関係にありましたが、エドムは兄弟の関係にありました。前者もまたイスラエルに敵対しましたが、後者のほうがその敵対ぶりは徹底していました。それゆえ、エドムには徹底的な神の裁きが下ります。<br>（1）「使者」が国々の間に送られていますが、天使とも、人間の使者とも取れます。使者が語る主からのメッセージは、エドムに立ち向かい戦えということでした。（2）この時のエドムの心は、高慢に満ちていました。彼らは、岩の裂け目に住み、高い所を住まいとしていました。そこはセイル山、つまり現在のヨルダン南部の地域です。そこには、ボツラ（現在のペトラ）という町があります。岩間にできた難攻不落なんこうふらくの町です。それゆえエドムは、「だれが私を地に引きずり降ろせようか」と豪語していたのです。（3）彼らが誇りとしていたものは、彼らにとっては罠となりました。神以外のものに信頼するなら、必ず失望させられます。神はエドムに対してこう宣言されます。「あなたが鷲のように高く上っても、星の間に巣を作っても、わたしはそこから引き降ろす」</p><p><br/></p><p><strong>徹底的な裁き</strong></p><p>エドムに下る裁きは徹底的なものとなることが預言されます。（1）どんな盗人でも強盗でも、完全に奪い去るということはなく、取り残しの実を残していくものです。しかし、エサウ（エドム）の場合は、何一つ残されるものはなく、完全に略奪されます。（2）同盟国の者たちは友好的な態度を見せます（訪問して来た使節を国境まで送り返すのは、友好のしるしです）が、それは欺きに過ぎません。最後になると、親しい友や、エドムによって養われていた者たちが、エドムを裏切り、罠を仕掛けるようになります。（3）エドムに下る裁きはきわめてきびしいものです。彼らは、民族としての存在がなくなるのです。「テマンよ。あなたの勇士たちはおびえる。虐殺によって、エサウの山から、ひとり残らず絶やされよう」とあるとおりです。<br>前回に続いて、傲慢の愚かさを学びましょう。どのように堅固な砦とりでに守られていても、神に信頼を置かない者の人生は、哀れです。今日ペトラの遺跡を訪問する者たちは、その遺跡の壮大さに仰天すると同時に、地上の栄華がいかにはかないものであるかを悟るのです。「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊たっとい礎石そせきを置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない」（Ⅰペテロ2：6）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天地創造の神よ。あなたこそ私の砦、救いの岩です。私はあなただけを信頼します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=kg_MK_sJrEM" />
         <pubDate>2026-03-22 20:32:38 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>オバデヤ書10～14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3836440895</link>
         <description><![CDATA[<p>10 あなたの兄弟、ヤコブへの暴虐のために、恥があなたをおおい、あなたは永遠に絶やされる。</p><p>11 他国人がエルサレムの財宝を奪い去り、外国人がその門に押し入り、エルサレムをくじ引きにして取った日、あなたもまた彼らのうちのひとりのように、知らぬ顔で立っていた。</p><p>12 あなたの兄弟の日、その災難の日を、あなたはただ、ながめているな。ユダの子らの滅びの日に、彼らのことで喜ぶな。その苦難の日に大口を開くな。</p><p>13 彼らのわざわいの日に、あなたは、私の民の門に、入るな。そのわざわいの日に、あなたは、その困難をながめているな。そのわざわいの日に、彼らの財宝に手を伸ばすな。</p><p>14 そののがれる者を断つために、別れ道に立ちふさがるな。その苦難の日に、彼らの生き残った者を引き渡すな。</p><p><br/></p><p><strong>エドムに下る裁きの理由</strong></p><p><strong>兄弟が兄弟に対して犯す罪</strong></p><p>1～ 9 節では、エドムにきびしい裁きが下ることが預言されていました。きょうの箇所では、裁きの理由が列挙されています。（1）神の目からは、エドムがイスラエルを苦しめるのは、兄弟が兄弟に対して犯す罪です。「あなたの兄弟、ヤコブへの暴虐」とあるとおりです。しかもこの場合は、双子の兄弟です。（2）エドムのイスラエルに対する敵対心は、すでに民数記14章に記録されています。エジプトを出たイスラエルの民は、エドムの地を通過して約束の地に向かう計画を立てますが、エドムはそれを承認せず、イスラエルの民を追い返します。（3）エゼキエル書35：1～5にも、エドムに対する裁きが預言されています。「おまえはいつまでも敵意を抱き、イスラエル人が災難に会うとき、彼らの最後の刑罰の時、彼らを剣に渡した」（5節）。</p><p><br/></p><p><strong>六つの罪</strong></p><p>エドムの罪が具体的に六つ列挙されます。（1）彼らは、自分の兄弟であるヤコブ（イスラエル）への暴虐のために、永遠に絶やされます（10節）。（2）彼は、外国人（ペリシテ人とアラビヤ人）がエルサレムを略奪した日に、ヤコブを助けようとはせず、外国人の仲間のような顔をして知らぬ顔で立っていました（11節）。（3）それどころか、彼らはユダの子らの滅び（ヤコブの滅び）を喜んでいました（12節）。（4）さらに彼らは、外国人が去った後にエルサレムに入り、残ったものを略奪しました（13節）。（5）彼らは、逃亡しようとしているイスラエル人の前に立ちはだかり、妨害しました（14節）。（6）彼らは、逃亡しようとしているイスラエル人を逮捕し、彼らを捕虜としてペリシテ人やアラビヤ人に引き渡しました。<br>エドムの罪は2倍重い罪でした。彼らは契約の民イスラエルに敵対しました。またこれは、兄弟に対する罪でもありました。神はアブラハムに、「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」（創世記12：3）と約束されました。この約束は、今も有効です。これを理解し、イスラエルのために祝福を祈る人は幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。創世記12：3 の約束を信じます。あなたの民イスラエルが祝福を受けますように。また、我が国にも祝福を注いでください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=i0wSBGCQO8k" />
         <pubDate>2026-03-23 19:30:12 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3836440895</guid>
      </item>
      <item>
         <title>オバデヤ書15～16</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3838125582</link>
         <description><![CDATA[<p>15 主の日はすべての国々の上に近づいている。あなたがしたように、あなたにもされる。あなたの報むくいは、あなたの頭上に返る。</p><p>16 あなたがたがわたしの聖なる山で飲んだように、すべての国々も飲み続け、飲んだり、すすったりして、彼らは今までになかった者のようになるだろう。</p><p><br/></p><p><strong>裁きが起こる時期</strong></p><p><strong>主の日</strong></p><p>オバデヤ書1 ～9 節にはエドムに下る裁きの預言が記され、10～14節には裁きが下る理由が書かれていました。きょうの箇所（15～16節）は、その裁きがいつ起こるかについての預言となっています。<br>その裁きが最終的に成就するのは、「主（ヤハウェ）の日」です。（1）「主の日」とは神の裁きがイスラエルと諸国民の上に下る日のことです。それは、メシア的王国（千年王国）の前兆としてやって来ます。順序としては、罪の裁き、そしてメシア的王国の確立です。（2）「主の日」は、黙示録では7年間の「患難時代」という言葉で知られています。しかし、旧約聖書では「主の日」という用語が最も一般的で、預言者たちもその言葉を用いています。</p><p><br/></p><p><strong>エルサレムを略奪した罪</strong></p><p>（1）主の日は、エドムだけでなくすべての国々の上に近づいています。（2）エドムは、自らがイスラエルにしたように、神から取り扱われます。まさに自業自得です。（3）エドムも諸国の民も、聖なる山エルサレムの上で戦勝を祝いました。「飲んだ」とはそういう意味です。（4）それゆえ、彼らは「飲み続ける」ようになります。今度は祝いのぶどう酒ではなく、神の復讐の杯さかずき、怒りの杯を飲むようになるのです。その結果彼らは、悲惨な姿になってしまいます。「彼らは今までになかった者のようになるだろう」とあるとおりです。（5） ゼカリヤ書12：2 ～3 には次のようにありますが、これもまた、オバデヤ書と同じメッセージを伝えています。「見よ。わたしはエルサレムを、その回りのすべての国々の民をよろめかす杯とする。ユダについてもそうなる。エルサレムの包囲されるときに。その日、わたしはエルサレムを、すべての国々の民にとって重い石とする。すべてそれをかつぐ者は、ひどく傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来よう」<br>「思い違いをしてはいけません。神は侮あなどられるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります」（ガラテヤ6：7）という聖句を胆に銘じましょう。エルサレムの平和を祈る人は、幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。「主の日」は目前に迫っていると信じます。どうか良い種を蒔き続けることができますように、私を守ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=2V1vIzHIC_E" />
         <pubDate>2026-03-24 18:38:19 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>オバデヤ書17～21</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3839926921</link>
         <description><![CDATA[<p>17 しかし、シオンの山には、のがれた者がいるようになり、そこは聖地となる。ヤコブの家はその領地を所有する。</p><p>18 ヤコブの家は火となり、ヨセフの家は炎となり、エサウの家は刈り株となる。火と炎はわらに燃えつき、これを焼き尽くし、エサウの家には生き残る者がいなくなる、と主は告げられた。</p><p>19 ネゲブの人々はエサウの山を、低地の人々はペリシテ人の国を占領する。また彼らはエフライムの平野と、サマリヤの平野とを占領し、ベニヤミンはギルアデを占領する。</p><p>20 イスラエルの子らで、この塁るいの捕囚の民はカナン人の国をツァレファテまで、セファラデにいるエルサレムの捕囚の民は南の町々を占領する。</p><p>21 救う者たちは、エサウの山をさばくために、シオンの山に上り、王権は主のものとなる。</p><p><br/></p><p><strong>メシア的王国（千年王国）</strong></p><p><strong>イスラエルの残れる者</strong></p><p>オバデヤは、12人いる小預言者の最初の人物です。彼はいくつかの重要なテーマを提起していますが、それが後代の預言者たちによっても取り上げられ、発展させられていきます。そのテーマとは、「イスラエルの残れる者」や「メシア的王国（千年王国）」などです。<br>（1）イスラエルの中には、主の日（大患難時代）の裁きをのがれる者がいます。それが、「イスラエルの残れる者」です。大患難時代を生き延びた者たちは、メシア的王国で生活するようになります（17節）。これと同じことが、ヨエル書2：32、イザヤ書4：2、37：31～ 32などに預言されています。（2）大患難時代には、イスラエルの3分の2 が死に、生き延びるのは3分の1だけです（ゼカリヤ書13：8～ 9）。（3）一方、エサウの家（エドム）には、生き残る者がいなくなります。つまり、メシア的王国にはエサウの子孫がいないということです。（4）エドムが完全に滅びることは、他の預言者たちも預言しています。エゼキエル書25：12～14、イザヤ書34：5～15、エレミヤ書49：19 ～20 などがそうです。（5）エドムが最終的に滅びる理由は、神が天から硫黄いおうと火を降らせるからです。そのために、エドムの地はメシア的王国の期間（千年間）ずっと、火と煙でくすぶり続けます（イザヤ書34：9～10 参照）。メシア的王国の期間には自然界が回復されるのですが、エドムとバビロンだけは火と煙でくすぶり続けています。それは、神の裁きを示す象徴的な景色となります。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルが所有する地</strong></p><p>メシア的王国においてイスラエルは、ダビデやソロモンの時代でさえも所有しなかったほどの領土を所有するようになります。（1）シメオン族（ネゲブの人々）は、エサウの山（セイル山）を所有するようになります。（2）ユダ族（低地の人々）は、ペリシテ人の地（地中海沿いの地域）を所有するようになります。さらに、エフライムの平野とサマリヤの平野をも所有するようになります。（3）南部に狭い領土しか持っていなかったベニヤミン族は、ヨルダン川の東の地ギルアデを得るようになります。（4）捕囚から帰って来た民は、ツァレファテ（レバノンの町）まで所有地を延し、セファラデ（スペイン）から帰って来た捕囚の民は、南の町々を占領するようになります。（5）最後に、シオンの山（エルサレム）においてメシアの王権が確立されます。<br>あなたは聖書的歴史観、終末観を持ち、それに基づいて人生設計を考えていますか。神の計画に敵対するなら、それは滅びを意味します。神のマスタープランに従って人生設計を考えようではありませんか。メシア的王国（千年王国）は、必ず地上に成就します。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたの目を通して過去、現在、未来を見ることができますように、私をあなたの知恵で満たしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=EziyJ6eGyk4" />
         <pubDate>2026-03-25 19:30:33 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ヨナ書 1：1</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3841659035</link>
         <description><![CDATA[<p>1 アミタイの子ヨナに次のような主のことばがあった。</p><p><br/></p><p><strong>預言者ヨナ</strong></p><p><strong>ヨナという人物</strong></p><p>列王記第二14：25には、ヨナについての情報が記されています。「彼（ヤロブアム2 世）は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、主が、そのしもべ、ガテ・ヘフェルの出の預言者アミタイの子ヨナを通して仰せられたことばのとおりであった」。この聖句から、ヨナに関する情報を収集することができます。<br>（1）ヨナは、ガリラヤ中央部に位置するゼブルン地方のガテ・ヘフェル出身です。（2）ヨナという名の意味は、「鳩」です。（3）彼の父は、アミタイと言いますが、それは「真理」という意味です。（4）彼がヤロブアム2世の治世に活動したとするなら、それは、前793～753年のことです。（5）彼が預言者として活動していた時期に、南王国ユダから預言者アモスがやって来て、北王国イスラエルに対して預言を語っていました。アモスの預言の内容は、北王国はアッシリヤによって滅ぼされる、つまり、アッシリヤは北王国を裁く主の器となるということでした。ヨナは、アモスの預言の内容をすでに知っていたので、アッシリヤに行って悔い改めのメッセージを語ることに抵抗を示したのです。</p><p><br/></p><p><strong>ヨナ書の教訓</strong></p><p>内容に入る前に、ヨナ書から神についてどのようなことがわかるのか、見てみましょう。（1）神の普遍ふへん性。神はすべてを支配しておられます。天候も、魚も、植物も、合理的なことも、不合理なことも、すべて支配しておられます。（2）神は、異邦人をも救おうとしておられます。ヨナ書は、旧約聖書の中ではユニークな書です。この書の中には、新約聖書になってから盛んになる異邦人伝道の先駆けがあります。それが、ヨナの宣教です。（3）神は、信じる者を直ちに見捨てることはなさいません。不従順になったヨナを訓練されましたが、見捨てることはありませんでした。<br>もう一度、私たちの信じている神のご性質を思い起こしましょう。神は、信じる者を訓練されます。「わが子よ。主の懲こらしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである」（ヘブル12：5～ 6）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。あなたから受ける懲らしめを、喜んで受けることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=FpkBSgJft4w" />
         <pubDate>2026-03-26 18:07:29 UTC</pubDate>
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         <title>ヨナ書1：2～3</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3843267492</link>
         <description><![CDATA[<p>2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」</p><p>3 しかしヨナは、主の御顔みかおを避けてタルシシュへのがれようとし、立って、ヨッパに下った。彼は、タルシシュ行きの船を見つけ、船賃を払ってそれに乗り、主の御顔を避けて、みなといっしょにタルシシュへ行こうとした。</p><p><br/></p><p><strong>神の命令に背を向けるヨナ</strong></p><p><strong>神の命令</strong></p><p>預言者ヨナに対する神の命令は、「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ」というものでした。（1）ニネベは、ティグリス川東岸にニムロデによって築かれたアッシリヤ王国の首都です。当時のニネベがどれほど巨大であったかは、3：3 に記されているとおりです。「ニネベは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな町であった」。（2）その命令が下った理由は、「彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ」というものです。アッシリヤの罪とは、偶像礼拝だけではありません。彼らは、征服した民族に残虐な行為を行い、周辺の諸国に恐れを与えていました。（3）ヨナの使命は、主の預言者として、その彼らに罪の悔い改めを迫ることでした。（4）しかし、ヨナはその命令に背きます。その理由は、ニネベが悔い改めるであろうことを予測し、それを嫌がったからです。この時代のユダヤ人たちは、救われるのはユダヤ人だけだという誤った選民意識を持っていました。ヨナも例外ではなかったのです。<br>自分の内に、誤った選民意識や誤った優越感がないかどうか、吟味してみましょう。自分の内側に偏見という壁があるなら、神の愛を届けることは不可能です。</p><p><br/></p><p><strong>ヨナの反抗</strong></p><p>神の命令を知りながら、ヨナはそれに背を向けます。（1）彼がいた場所からニネベに行くためには、東に向かわなければなりません。しかし彼は、それとは正反対に西に向かおうとしました。（2）タルシシュというのは、スペインの港町です。当時知られていた世界の、最西端の町です。ヨナはそこに逃げ込もうとしたのです。（3）「主の御顔を避けて」とあります。主の預言者であるヨナは、イスラエルの神が遍在の神であることをよく知っていました。どこに行っても、主の臨在からのがれることはできません。「主の御顔を避けて」とあるのは、ある場所に特化したシャカイナ・グローリーを避けてという意味です。つまり、彼は神殿のあるイスラエルからの脱出を図ったのです。（4）ちょうど、タルシシュ行きの船がヨッパから出帆しゅっぱんしようとしていました。彼はこれ幸いと、船賃を払ってその船に乗りました。このように好都合な事が起こると、私たちは「神の摂理せつり」だと言います。しかし、状況が開かれたからといっても、必ずしもそれが神のみこころとは限りません。この場合は、むしろ「サタンの摂理」と呼ぶべきです。<br>自分勝手に、神のみこころを決めつける傾向が自分にないかどうか、吟味してみましょう。状況によってではなく、神のことばによってみこころを判断する習慣を身につけましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。どうか私を、偏見や、自分勝手な判断から守ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=Xps9JG5ai_Q" />
         <pubDate>2026-03-27 21:33:33 UTC</pubDate>
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         <title>ヨナ書1：4～6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3843785574</link>
         <description><![CDATA[<p>4 さて、主は大風を海に吹きつけられた。それで海に激しい暴風が起こり、船は難破しそうになった。</p><p>5 水夫たちは恐れ、彼らはそれぞれ、自分の神に向かって叫び、船を軽くしようと船の積荷を海に投げ捨てた。しかし、ヨナは船底に降りて行って横になり、ぐっすり寝込んでいた。</p><p>6 船長が近づいて来て彼に言った。「いったいどうしたことか。寝込んだりして。起きて、あなたの神にお願いしなさい。あるいは、神が私たちに心を留めてくださって、私たちは滅びないですむかもしれない。」</p><p><br/></p><p><strong>激しい暴風雨</strong></p><p><strong>海に吹きつけた大風</strong></p><p>主は人の策略によってごまかされる方ではありません。反抗したヨナを懲らしめるために、主は大風を海に吹きつけました。その嵐はすさまじいもので、船は難破寸前の状態になりました。経験豊かな水夫たちも、この嵐が普通のものではない（超自然的なものである）ことを悟り、大いに恐れました。神の裁きが襲ってくると、人間はさまざまな反応を示します。ここでは、3種類の反応が見られます。</p><p><br/></p><p><strong>3種類の反応</strong></p><p>（1）水夫たちは、この大風が超自然的な原因で起こったことを直感し、大いに恐れました。彼らは、さまざまな国から集められた水夫の集団でしたが、それぞれが、自分の国の守護神に向かって助けを呼び求めました。また、難破を免れようとして、船の積荷を投げ捨て、最大限の努力をしました。<br>（2）ヨナは、このような大騒ぎをよそに、自分だけは船底に降りて行き、横になって眠っていました。これは、身の危険を避けるためというよりも、むしろ現実逃避です。人は良心の呵責かしゃくを感じると、現実逃避によって問題を解決しようとします。しかしそれは、決して問題解決にはつながりません。むしろ、より神から離れる結果となります。また、他の人に迷惑をかけることになります。ここでは、ヨナの罪のために、船に乗っていた人たち全員が苦しい目に会っています。<br>（3）船長は、船底まで下り、ヨナを起こして彼を叱責しっせきします。そして、それぞれが自分の神に祈り叫んでいるのだから、あなたもまたそのようにせよと迫ります。祈り叫ぶなら、あるいはその神から助けがくるかもしれないと、その船長は語っています。<br>あなたは、上の3 人のうちのどのタイプでしょうか。ヨナのように、良心の呵責から逃げるために、船底に下り、そこで眠りこけていませんか。目を覚ましましょう。自らの罪を告白し、主からの赦しを受け取りましょう。自分や、周りの人たちの船（人生）を、難破させてはなりません。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。確かに私には、現実逃避の傾向があります。お赦しください。どうか私を、無責任な態度から解放してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=7ebzelYH5xw" />
         <pubDate>2026-03-28 21:30:11 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ヨナ書1：7～16</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3844369327</link>
         <description><![CDATA[<p>7 みなは互いに言った。「さあ、くじを引いて、だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったかを知ろう。」彼らがくじを引くと、そのくじはヨナに当たった。</p><p>8 そこで彼らはヨナに言った。「だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか、告げてくれ。あなたの仕事は何か。あなたはどこから来たのか。あなたの国はどこか。いったいどこの民か。」</p><p>9 ヨナは彼らに言った。「私はヘブル人です。私は海と陸を造られた天の神、主を恐れています。」</p><p>10 それで人々は非常に恐れて、彼に言った。「何でそんなことをしたのか。」人々は、彼が主の御顔を避けてのがれようとしていることを知っていた。ヨナが先に、これを彼らに告げていたからである。</p><p>11 彼らはヨナに言った。「海が静まるために、私たちはあなたをどうしたらいいのか。」海がますます荒れてきたからである。</p><p>12 ヨナは彼らに言った。「私を捕らえて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。わかっています。この激しい暴風は、私のためにあなたがたを襲ったのです。」</p><p>13 その人たちは船を陸に戻そうとこいだがだめだった。海がますます、彼らに向かって荒れたからである。</p><p>14 そこで彼らは主に願って言った。「ああ、主よ。どうか、この男のいのちのために、私たちを滅ぼさないでください。罪のない者の血を私たちに報いないでください。主よ。あなたはみこころにかなったことをなさるからです。」</p><p>15 こうして、彼らはヨナをかかえて海に投げ込んだ。すると、海は激しい怒りをやめて静かになった。</p><p>16 人々は非常に主を恐れ、主にいけにえをささげ、誓願せいがんを立てた。</p><p><br/></p><p><strong>海に投げ込まれるヨナ</strong></p><p><strong>くじを引く</strong></p><p>水夫たちは、この嵐が超自然的なものであることを感じていたので、くじを引いて、だれのせいでそうなったのかを知ろうとします。（1）くじを引いて主のみこころを知ろうとするのは、旧約聖書では普通の方法です。箴言16：33には、こうあります。「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る」。（2）くじはヨナに当たったので、彼らはヨナを問いつめます。「だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか、告げてくれ。あなたの仕事は何か。あなたはどこから来たのか。あなたの国はどこか。いったいどこの民か」。（3）ヨナは自分のことを、ヘブル人として紹介しています。また、「私は海と陸を造られた天の神、主を礼拝しています」と証言しています。「ヘブル人」という言葉は、イスラエル人（ユダヤ人）が異邦人に対して自己紹介をするときに使うものです。（4）人々は、ヨナがヘブル人であり、主の御顔を避けて逃亡している人物であるとわかると、非常に恐れました。それは彼らが、イスラエルの神である主は、他国の神々よりも強力な神であることを知っていたからです。</p><p><br/></p><p><strong>ヨナの投入</strong></p><p>海はますます荒れ、船は難破寸前になりました。（1）切羽詰った船員たちは、危機からの脱出法をヨナに問います。「海が静まるために、私たちはあなたをどうしたらいいのか」。（2）ヨナは、この嵐の原因は自分にあるのだから、自分を海に投げ込めばよいと語ります。ここに至って、ヨナはついに自分の罪を認め、その責任を取ろうとしたのです。（3）しかし船員たちは、なんとかヨナを犠牲にしなくても済むようにと、必死になって船を陸に戻そうとしますが、それはむだな努力でした。（4）ついに、異教の水夫たちは、イスラエルの神である主（ヤハウェ）に向かって祈ります。ヨナが嵐の原因ならば、それを静めるためには、他の神々ではなく、ヤハウェに祈るしか方法がないからです。彼らは、ヤハウェのあわれみを乞うて、「ああ、主よ。どうか、この男のいのちのために、私たちを滅ぼさないでください。…主よ。あなたはみこころにかなったことをなさるからです」と祈っています。（5）ヨナを海に投げ込むと、すぐに嵐は静まりました。その奇蹟を体験した水夫たちは、非常にヤハウェを恐れました。<br>彼らは、ヤハウェにいけにえをささげ、請願を立てています。請願の内容は明らかではありませんが、この行為は、彼らが霊的回心を体験したことを示しています。イスラエルの神であるヤハウェは、いかなる神々よりも大いなるお方です。この方を恐れることを学びましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天地創造の神よ。あなたの権威を認め、御前にひれ伏します。どうか、あなたを恐れることを学ばせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=0g43fMFz358" />
         <pubDate>2026-03-29 20:39:29 UTC</pubDate>
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         <title>ヨナ書1：17～2：10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3846131766</link>
         <description><![CDATA[<p>17 主は大きな魚うおを備えて、ヨナをのみこませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。</p><p>＜ 2 章＞</p><p>1 ヨナは魚の腹の中から、彼の神、主に祈って、</p><p>2 言った。「私が苦しみの中から主にお願いすると、主は答えてくださいました。私がよみの腹の中から叫ぶと、あなたは私の声を聞いてくださいました。</p><p>3 あなたは私を海の真ん中の深みに投げ込まれました。潮の流れが私を囲み、あなたの波と大波がみな、私の上を越えて行きました。</p><p>4 私は言った。『私はあなたの目の前から追われました。しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです』と。</p><p>5 水は、私ののどを絞めつけ、深淵は私を取り囲み、海草は私の頭にからみつきました。</p><p>6 私は山々の根元まで下り、地のかんぬきが、いつまでも私の上にありました。しかし、私の神、主よ。あなたは私のいのちを穴から引き上げてくださいました。</p><p>7 私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、私は主を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。</p><p>8 むなしい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨てます。</p><p>9 しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです。」</p><p>10 主は、魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させた。</p><p><br/></p><p><strong>ヨナの復活</strong></p><p><strong>大きな魚</strong></p><p>主は大きな魚を用意し、その魚にヨナを飲み込ませました。ヨナ（人間）は神に反抗しているのに、魚（動物）は神に従順に従っています。考えさせられる箇所です。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいました。「三日三晩」とは、72時間のことではなく、延べ三日のことです。この魚が鯨くじらなのか、大きな魚なのか、私たちにはわかりません。魚の腹の中で、ヨナは祈りました。この祈りが、死からの復活のあとでささげられたものなのか、あるいは瀕死ひんしの苦しみの中でささげられたのか、意見が分かれます。聖書本文を文字どおりに解釈すれば、ヨナは一度死に、その後復活してからこの祈りをささげたと考えたほうがいいでしょう。筆者はそのように考えています。</p><p><br/></p><p><strong>ヨナの経験</strong></p><p>ヨナの祈りをたどりながら、彼が体験したことを確認してみましょう。（1）ヨナは海に投げ込まれました。彼は、水夫によってではなく、神によって投げ込まれたと理解しています。「あなたは私を海の真ん中の深みに投げ込まれました」とあります。（2）次に彼は、大海の中で嵐と大波にもてあそばれ、苦しみました。「潮の流れが私を囲み、あなたの波と大波がみな、私の上を越えて行きました」とあるとおりです。（3）さらに彼は、海の底に沈み、海草が頭にからみつく所まで達しました。この時点で、彼は肉体的に死んだのです。「地のかんぬき」とは、シオール（死者のたましいが行く所）のことです。これと似た表現が、ヨブ記38：17、イザヤ書38：10、詩篇9：13、107：18などに使われています。死とは、「肉体とたましいの分離」を意味します。これ以降は、ヨナのたましいはシオールに、その肉体は魚の腹の中にありました。（4）その時彼は、「よみの腹の中」（シオール）から主に叫びました。その内容は、「私はあなたの目の前から追われました。しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです」というものでした。つまり、今度は忠実に使命を果たすので、再度チャンスを与えてほしいということです。（5）その祈りは聞かれました。「しかし、私の神よ、主よ。あなたは私のいのちを穴から引き上げてくださいました」とあるとおりに、彼は復活したのです（詩篇16：10 参照）。彼のたましいは、魚の中にあった肉体と再び結びつきました。（6）復活した彼は、魚の腹の中で主をたたえて、自分の身に起こったことを再度確認しています。それが、2～9節の祈りです。（7）彼が祈り終わると、主の命令により、魚はヨナを陸地に吐き出しました。<br>主の力と恵みを知ったヨナは、主を礼拝し、主への誓いを忠実に果たす人物となりました。あなたは、主の恵みを体験し、そのゆえに主に感謝し、主を礼拝していますか。私たちの神は、いかなる失敗からも私たちを立ち上がらせることのできる方です。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天地創造の神よ。きょうもまた、あなたの権威と恵みを認め、感謝とともに御前にひれ伏します。私を現代のヨナとしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=O8-qe8F5tPE" />
         <pubDate>2026-03-30 20:46:50 UTC</pubDate>
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         <title>ヨナ書3：1～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3847865077</link>
         <description><![CDATA[<p>1 再びヨナに次のような主のことばがあった。</p><p>2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、わたしがあなたに告げることばを伝えよ。」</p><p>3 ヨナは、主のことばのとおりに、立ってニネベに行った。ニネベは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな町であった。</p><p>4 ヨナはその町に入って、まず一日目の道のりを歩き回って叫び、「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる」と言った。</p><p>5 そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。</p><p><br/></p><p><strong>ヨナの従順</strong></p><p><strong>再派遣</strong></p><p>神は再びヨナをニネベに派遣します。ヨナは何をすべきかわかっていましたが、神は再び彼に派遣のことばを与えます。「立って、あの大きな町ニネベに行き、わたしがあなたに告げることばを伝えよ」。ここに、神のあわれみと優しさとを見ることができます。この段階では、ヨナは悔い改めて心を入れ替えた者となっていました。彼は従順に神に従う用意ができていました。<br>ヨナは立って、主のことばのとおりにニネベに行きました。当時のニネベは、周辺の三つの都市を吸収した大都市になっていました（創世記10：11～12 参照）。そこは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな町でした。ヨナはその町の大きさに、驚いたことでしょう。</p><p><br/></p><p><strong>ヨナの宣教</strong></p><p>知り合いもなく、土地勘もないヨナは、単純な宣教法を実行するしかありませんでした。彼は、一日中町を歩き回りながら、主から命じられた短いことばをくり返し宣言しました。「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる」。人が救われるのは、人間の知恵や計画によるのではありません。私たちが神のことばを単純に語るなら、聖霊が働いてくださり、そこに霊的結果が生まれます。私たちも、ヨナがしたように、単純に神のことばを伝える者となりたいものです。パウロはこう語っています。「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです」（ガラテヤ6：14）。<br>ヨナの宣教は大いに効果を発揮しました。ニネベの人々が悔い改め始めたのです。しかもそれは、ニネベの町のあらゆる階層の人々に広がりました。彼らは、ヨナが語る神のことばを受け入れ、真摯しんしな態度で罪を悔い改め、神を受け入れました。断食をし、灰をかぶって荒布をまとうというのは、すべて悔い改めの表現です。いつか日本にも、このニネベに起こったような霊的覚醒かくせいの時がやって来ます。私たちも主に大いに期待し、さらに忠実に福音のことばを伝え続けましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。どうか私を、宣教の器として用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=zmuv32esQmw" />
         <pubDate>2026-03-31 18:38:43 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3847865077</guid>
      </item>
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         <title>ヨナ書3：6～10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3849603712</link>
         <description><![CDATA[<p>6 このことがニネベの王の耳に入ると、彼は王座から立って、王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中にすわった。</p><p>7 王と大臣たちの命令によって、次のような布告がニネベに出された。「人も、獣けものも、牛も、羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。</p><p>8 人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行いから立ち返れ。</p><p>9 もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないですむかもしれない。」</p><p>10 神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。</p><p><br/></p><p><strong>ニネベの回心</strong></p><p><strong>王の布告</strong></p><p>回心したのはニネベの市民だけでなく、王もそうでした。王は、ヨナが伝える神のことばを真摯に受け入れ、率先して悔い改めを表しました。「彼は王座から立って、王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中にすわった」とあるとおりです。次に王は、国民に悔い改めの布告を出し、獣や家畜に至るまで人と同じように悔い改めることを命じました。王の悔い改めは、ここまで徹底していたのです。<br>なぜ王は、かくまで悔い改めることができたのでしょうか。その理由は、彼がヨナの預言の言葉の中に隠された「ある条件」を読み取っていたからです。ヨナは短い言葉しか語っていませんでしたが、神が意図されたことは、次のようなものでした。「（もし、悔い改めがないなら）もう四十日もすると、ニネベは滅ぼされる」。カッコ内の言葉が隠されていましたが、それが条件なのです。王はそのことを理解したので、徹底的な悔い改めをニネベの人々に迫りました。いつの時代でも、神を恐れることは、知識の初めです（箴言1：7）。</p><p><br/></p><p><strong>神のあわれみ</strong></p><p>神は、ニネベの人々が悪の道から立ち返るために、真摯な努力をしていることをご覧になり、町に下そうとしておられたわざわいを思い直されました。（1）「思い直し」という言葉は、このときの神の行為を人間の言葉で表現したものです。神には、悔い改めたり、思い直したりするようなことはありません。（2）神は、人間が悔い改めるなら、裁きを取り除くと決めておられるのです。ニネベはその神の条件に合ったので、裁きを免れました。外面的には、それは神が思い直されたように見えたのです。（3）これと同じ原則が、エレミヤ書18：7～10に見られます。「わたしが、一つの国、一つの王国について、引き抜き、引き倒し、滅ぼすと語ったその時、もし、わたしがわざわいを予告したその民が、悔い改めるなら、わたしは、下そうと思っていたわざわいを思い直す。わたしが、一つの国、一つの王国について、建て直し、植えると語ったその時、もし、それがわたしの声に聞き従わず、わたしの目の前に悪を行うなら、わたしは、それに与えると言ったしあわせを思い直す」<br>神は罪人が悔い改めて、ご自身のもとに立ち返るのを待っておられます。それは、放蕩息子を待つ父と同じです。神の愛と恵みにすがろうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。きょう再び、あなたの愛と恵みに依り頼みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-04-01 19:40:56 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ヨナ書4：1～4
</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3851142760</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ところが、このことはヨナを非常に不愉快にさせた。ヨナは怒って、</p><p>2 主に祈って言った。「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへのがれようとしたのです。私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。</p><p>3 主よ。今、どうぞ、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましですから。」</p><p>4 主は仰せられた。「あなたは当然のことのように怒るのか。」</p><p><br/></p><p><strong>不満を述べるヨナ</strong></p><p><strong>ヨナのつぶやき</strong></p><p>ヨナの宣教は大成功を収めました。普通なら、大喜びし、主に感謝をささげるところです。しかし、ヨナはその結果を見て不愉快になりました。それどころか、怒りさえ感じたのです。（1）彼は、自分がなぜ初めタルシシュにのがれようとしたかを説明しています。それは、神が情け深くあわれみ深いので、きっとわざわいを思い直すにちがいないと感じていたからです。（2）次に彼は、死を願って祈っています。不従順のゆえに一度死んだ彼が、ここでは成功のゆえに再度死にたいと願っているのです。不可解なことです。<br>ヨナが腹を立てた理由はなんでしょうか。多くの学者が、ヨナは異邦人を嫌っていたからだと解説します。しかし、それだけでは説明が不十分であると思います。ヨナの時代、すでに預言者アモスが活動していました。彼は、イスラエルの民はアッシリヤによって滅ぼされると預言していました。もし、ヨナの宣教によってニネベが悔い改め、裁きを免れるなら、それはそのままイスラエルの滅びにつながります。ヨナは、「私がまだ国にいたときに」という言葉を使っています。その言い回しから、彼が愛国者であり、国粋主義者であったことがわかります。彼は、イスラエルを愛するあまり、そのイスラエルを滅ぼそうとしているニネベを救いたくはなかったのです。</p><p><br/></p><p><strong>神の答</strong></p><p>神は怒っているヨナに対して、「あなたは当然のことのように怒るのか」と問いかけられました。ヨナ自身は、すでに神の恵みと赦しを味わっていました。それにもかかわらず、彼は、神がニネベの人たちを赦したことに我慢がならないのです。この怒りは不条理なものです。ヨナはその場でただちに裁かれても、何一つ文句は言えなかったはずです。しかし、神はそのヨナをなおも恵みによって扱い、彼自身の頭で考えるようにと、優しく「あなたは当然のことのように怒るのか」と問われたのです。<br>イエスもまた、パリサイ人たちから非難を浴びた時、こう語っておられます。「わたしは、父から出た多くの良いわざを、あなたがたに示しました。そのうちのどのわざのために、わたしを石打ちにしようとするのですか」（ヨハネ10：32）。神がしておられる良いわざを喜ぶことができるクリスチャンにならせていただきましょう。自分の心が、神の愛で満たされるように祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。どうか私の心を、裁きの思いではなく、愛の思いで満たしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=m1aEHOPvoKg" />
         <pubDate>2026-04-02 20:45:30 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ヨナ書4：5～11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3852110629</link>
         <description><![CDATA[<p>5 ヨナは町から出て、町の東のほうにすわり、そこに自分で仮小屋を作り、町の中で何が起こるかを見きわめようと、その陰の下にすわっていた。</p><p>6 神である主は一本のとうごまを備え、それをヨナの上をおおうように生えさせ、彼の頭の上の陰として、ヨナの不きげんを直そうとされた。ヨナはこのとうごまを非常に喜んだ。</p><p>7 しかし、神は、翌日の夜明けに、一匹の虫を備えられた。虫がそのとうごまをかんだので、とうごまは枯れた。</p><p>8 太陽が上ったとき、神は焼けつくような東風ひがしかぜを備えられた。太陽がヨナの頭に照りつけたので、彼は衰え果て、自分の死を願って言った。「私は生きているより死んだほうがましだ。」</p><p>9 すると、神はヨナに仰せられた。「このとうごまのために、あなたは当然のことのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」</p><p>10 主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。</p><p>11 まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」</p><p><br/></p><p><strong>ヨナへの教訓</strong></p><p><strong>1本のとうごま</strong></p><p>ヨナはニネベの町を一望できる山上にすわり、そこに仮小屋を建て、40日の間にニネベに何が起こるかを見きわめようとしました。（1）彼には、ニネベが再び罪に陥おちいり、神の裁きが下ることを期待する思いがあったのかもしれません。（2）仮小屋だったので、灼熱しゃくねつの太陽が容赦なくヨナの頭上に照りつけました。その状況の中に、神の介入がありました。神は、短時間で成長し大きな葉を茂らせる「とうごま」を備え、ヨナを喜ばせました。そして翌日には、1匹の虫を送り、その「とうごま」を枯れさせます。（3）せっかく生えた「とうごま」が枯れたので、ヨナはがっかりしました。太陽が照りつけた上、熱風を伴う東風まで吹いてきました。ヨナは衰え果て、再び自らの死を願うようになりました。「私は生きているより死んだほうがましだ」。なんと投げやりな言葉でしょうか。</p><p><br/></p><p><strong>神の教え</strong></p><p>視聴覚教育が終わったので、今度はことばによる教育が始まります。（1）神は、「このとうごまのために、あなたは当然のことのように怒るのか」と問いかけます。すべては神の恵みによって与えられたものです。ヨナはその恵みに何度も浴してきました。怒る理由など、何もないのです。他の人が神から祝福を受けているのを見て、嫉妬してはなりません。そのような時は、自分も神の恵みを受けていることを思い出すべきです。（2）次に神は、一夜で生え一夜で滅びた「とうごま」と、ニネベの町の人々とを比較されます。前者にはたましいはありませんが、後者にはたましいがあります。神は、人々のたましいの行く末を心配しておられるのです。神が40日間の猶予を与えた理由は、ニネベの人々（12万人以上）が悔い改めることを知っておられたからです。<br>ヨナ書の終わり方は唐突ですが、ヨナは神の意図を理解したと解釈すべきでしょう。私たちの場合も、伝道の結果が予想どおりに行かない場合があります。しかし、結果はすべて神の御手の中にあります。私たちに要求されているのは、主の命令に忠実であることです。なおも、主に忠実にお従いしようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。どうか私を、あなたに忠実なしもべとしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=LyA0VajWbe0" />
         <pubDate>2026-04-03 20:45:19 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ミカ書1：1</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3852597756</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に、モレシェテ人ミカにあった【主】のことば。これは彼がサマリヤとエルサレムについて見た幻まぼろしである。</p><p><br/></p><p><strong>はじめに</strong></p><p><strong>預言者ミカ</strong></p><p>きょうからミカ書の学びを始めます。1：1には、「ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に、モレシェテ人ミカにあった【主】のことば。これは彼がサマリヤとエルサレムについて見た幻である」とあります。（1）ミカという名前の意味は、「誰が【主】のようであろうか」という意味です。7：18には「あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは、咎を赦し、ご自分のものである残りの者のために、そむきの罪を見過ごされ、怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれるからです」とありますが、これは「ミカ」という名前の「言葉遊び」にもなっています。（2）彼はイザヤと同時代の預言者です。イザヤが都会（エルサレム）の預言者であるのに対して、ミカは田舎出身の預言者です。彼の出身地は、モレシェテ・ガテと呼ばれる町（エレ26：18）で、ペリシテの地にあったガテの町の東11キロ、エルサレム南西30キロの所に位置していました。（3）ミカが活動したのは、ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代でした（前750年頃～686年）。ヨタムは短命の王でした。アハズは悪王で、ユダ（南王国）に偶像礼拝をもたらした王でした。そのためユダは、アッシリヤの支配下に置かれるようになります。ヒゼキヤは善王でした。彼はアッシリヤに反抗しますが、その結果、アッシリヤ軍がユダに侵攻しんこうすることになります。預言者ミカは、アッシリヤの攻撃という文脈の中で、【主】のことばを民に伝えます。それは決してたやすい働きではありませんでした。（4）ミカの預言のことばは、サマリヤ（北王国）とエルサレム（南王国）の両方に向けられたものでした。</p><p><br/></p><p><strong>ミカ書のテーマ</strong></p><p>ミカは次の4つの点を中心的テーマとして語りました。（1）神は、不真実な北王国と南王国を必ず罰する。（2）国を滅びへと導いた指導者たちの責任は大きい。神は指導者たちをも罰する。（3）しかし、不真実な国民の中に真実なレムナント（イスラエルの残れる者）が残される。（4）イスラエルの救いと贖いとは、メシアによって与えられる。<br>イスラエルの希望は、裁きを免まぬかれることによってではなく、裁きを通して与えられるというのが、ミカの預言の中心です。これはイスラエルの民にとっては承認しがたい預言です。しかし神は、ご自身のために特別な民、聖なる民を作ろうとしておられました。それは裁きによってしか達成できないものでした。ミカは、「どうか、あなたの杖で、あなたの民、あなたご自身のものである羊を飼ってください。彼らは林の中、果樹園の中に、ひとり離れて住んでいます。彼らが昔の日のように、バシャンとギルアデで草をはむようにしてください」（7：14）と祈っています。<br>新約聖書ではペテロがこう書いています。「しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます」（Ⅱペテ3：13）。私たちも、試練がもたらす「聖きよめ」の祝福を思い起こし、地上生涯を勇敢ゆうかんに生き抜こうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。これからミカ書を学ぼうとしています。試練がもたらす祝福を十分に味わい知ることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=yiuUtu0IhE8" />
         <pubDate>2026-04-04 21:28:47 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ミカ書1：2～7</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3853260433</link>
         <description><![CDATA[<p>2 すべての国々の民よ。聞け。地と、それに満ちるものよ。耳を傾けよ。神である主は、あなたがたのうちで証人となり、主はその聖なる宮から来て証人となる。</p><p>3 見よ。【主】は御住みすまいを出、降りて来て、地の高い所を踏まれる。</p><p>4 山々は主の足もとに溶け去り、谷々たにだには裂さける。ちょうど、火の前の、ろうのように。坂に注がれた水のように。</p><p>5 これはみな、ヤコブのそむきの罪のため、イスラエルの家の罪のためだ。ヤコブのそむきの罪は何か。サマリヤではないか。ユダの高き所は何か。エルサレムではないか。</p><p>6 わたしはサマリヤを野原の廃墟はいきょとし、ぶどうを植える畑とする。わたしはその石を谷に投げ入れ、その基をあばく。</p><p>7 そのすべての刻きざんだ像は打ち砕くだかれ、その儲もうけはみな、火で焼かれる。わたしはそのすべての偶像を荒廃させる。それらは遊女の儲けで集められたのだから、遊女の儲けに返る。</p><p><br/></p><p><strong>裁きの宣言</strong></p><p><strong>神の法廷</strong></p><p>きょうの箇所は、神の法廷がそのイメージとなっています。（1）2節で法廷が招集されます。「すべての国々の民よ。聞け。地と、それに満ちるものよ。耳を傾けよ。神である主は、あなたがたのうちで証人となり、主はその聖なる宮から来て証人となる」。「聞け」という言葉（ヘブル語のシャマ。申6：4参照）で始まっている節は、1：1、3：1、6：1ですが、それぞれがミカ書の3区分の始まりとなっています。（2）判事である神は、世界を証人に招まねいて、被告人であるイスラエルの民を裁こうとしておられます。（3）3節は、判事である神が地上に降りて来られるさまを描いています。神は歴史の出来事の中にご自身を啓示されます。つまり、神はサマリヤの滅びの中にご自身を現されるということです。（4）4節は、神の裁きの結果としてのアッシリヤ捕囚を描いています。「山々は主の足もとに溶け去り、谷々は裂ける。ちょうど、火の前の、ろうのように。坂に注がれた水のように」。サマリヤ（北王国）は、前722年に滅亡し、その民はアッシリヤ捕囚の憂うき目めに会います。</p><p><br/></p><p><strong>裁きの理由</strong></p><p>ではなぜ神の民が裁かれたのでしょうか。（1）その理由は、罪にあります。「これはみな、ヤコブのそむきの罪のため、イスラエルの家の罪のためだ」。（2）罪の内容は何でしょうか。サマリヤ（北王国）は、イスラエルの神でない神々（偶像）を礼拝していました。つまり、偶像礼拝に陥っていたのです。（3）ユダ（南王国）においては、善王でさえも偶像礼拝の影響を完全に取り除くことはしませんでした。サマリヤとの違いは、ユダにおいては真の神を礼拝しながら、その方法が間違っていたという点にあります。モーセの律法は、成年男子は年に3度エルサレムに上り、そこにある神殿で動物のいけにえをささげるようにと命じています。しかしユダの民は、あちこちに自分勝手に祭壇さいだんを築きずき、そこでいけにえの動物をささげていました。それが「ユダの高き所」と呼ばれる祭壇です。</p><p><br/></p><p><strong>裁きの結果</strong></p><p>山の上に建てられた北王国の首都サマリヤは破壊され、その石は谷に投げ込まれます。古代戦争では、勝利した軍が城壁の石をその基礎部分まではがすことがよく行われました。偶像礼拝は、偶像が約束する内容を信じることであり、神の目から見ると霊的姦淫かんいんに当たります。それで、「遊女」という言葉が用いられているのです。ミカよりも前の預言者であったアモスとホセアも、偶像礼拝を「霊的姦淫」と捉えました。裁かれるのはサマリヤだけではなく、ユダもまたそうです（8節以降がユダに下る裁きです）。サマリヤに下った裁きから霊的教訓を学びましょう。神は私たちを聖なる民に造り変えるために、私たちを訓練されます。神以外のものに期待するのが偶像礼拝です。自分の内に偶像を宿していないかどうか吟味してみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。どうか私を偶像礼拝から解放してください。真の神を正しい方法で礼拝することができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=psbIf99cJpg" />
         <pubDate>2026-04-05 21:18:48 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3853260433</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ミカ書1：8～9</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3854774527</link>
         <description><![CDATA[<p>8 このために、わたしは嘆なげき、泣きわめき、はだしで、裸で歩こう。わたしはジャッカルのように嘆き、だちょうのように悲しみ泣こう。</p><p>9 まことに、その打ち傷はいやしがたく、それはユダにまで及び、わたしの民の門、エルサレムにまで達する。</p><p><br></p><p><strong>預言者の嘆き</strong></p><p><strong>喪に服す預言者</strong></p><p>アッシリヤはサマリヤ（北王国）を征服しますが、そこで終わるわけではありません。その軍はついにユダ（南王国）にまで迫って来ます。ユダはミカ自身の国です。その地が略奪りゃくだつされることを思い、ミカは涙を流します。「このために、わたしは嘆き、泣きわめき、はだしで、裸で歩こう。わたしはジャッカルのように嘆き、だちょうのように悲しみ泣こう」。（1）「はだしで、裸で歩こう」とは、喪もに服ふくしている姿を表しています。同じことがⅡサムエル15：30にあります。「ダビデはオリーブ山の坂を登った。彼は泣きながら登り、その頭をおおい、はだしで登った。彼といっしょにいた民もみな、頭をおおい、泣きながら登った」。（2）ジャッカルとだちょうは、荒廃した地、荒野あらのに住む動物です。ミカは、ユダの地が荒れ果てることを思い、嘆き悲しんでいます（イザ34：13、エレ50：39）。（3）ユダの地の荒廃は、最終的にはバビロンの侵略によって成就するものです。</p><p><br></p><p><strong>預言者を遣わす神の愛</strong></p><p>（1）神はご自身の民を愛しておられ、民を滅びから救おうとされました。そのために預言者たちを遣つかわされたのです。ミカもまたその1人でした。（2）預言者たちは、神から与えられた「悔い改めのメッセージ」を語りましたが、民はそれに耳を傾けないばかりか、預言者たちを迫害しました。（3）その状態を見て、ミカは「まことに、その打ち傷はいやしがたく」と語りました。神から派遣された預言者たちに聞き従わないなら、神の民には希望がありません。それはまことに「いやしがたい打ち傷」です。つまり、裁きを与えるしか解決法がないほど、罪という傷が深いということです。（4）「それはユダにまで及び、わたしの民の門、エルサレムにまで達する」とあります。アッシリヤ軍はサマリヤを滅ぼしますが、次にそれはユダにまで及びます。しかしアッシリヤ軍がエルサレムを滅ぼすことはありません。この点については、ミカは注意深く書いています。「エルサレムにまで達する」とだけあって、「エルサレムを滅ぼす」とはなっていません。<br>イスラエルの民の不従順について、ミカよりあとに出たエレミヤも大いに嘆いています（エレ8：18 ～ 22参照）。また、Ⅱ歴代36：14 ～ 16 は、バビロン捕囚ほしゅうの原因が民の不従順にあったことを教えています。「そのうえ、祭司長全員と民も、異邦の民の、忌いみきらうべきすべてのならわしをまねて、不信に不信を重ね、主がエルサレムで聖別された【主】の宮を汚した。彼らの父祖の神、【主】は、彼らのもとに、使者たちを遣わし、早くからしきりに使いを遣わされた。…ところが、彼らは神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを侮あなどり、その預言者たちをばかにしたので、ついに、【主】の激しい憤いきどおりが、その民に対して積み重ねられ、もはや、いやされることがないまでになった」。回帰不能点を越えて罪を犯してはなりません。悔い改めの可能性が残されているうちに、語っておられる神に立ち返ろうではありませんか。同胞の救いのために祈ろうではありませんか。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。ミカの悲しみを私の悲しみとして受け止めます。どうか同胞が、手遅れとならないうちにあなたを信じることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=W7zh9S69d_0" />
         <pubDate>2026-04-06 20:22:03 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ミカ書1：10～16</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3856626244</link>
         <description><![CDATA[<p>10 ガテで告げるな。激しく泣きわめくな。ベテ・レアフラでちりの中にころび回れ。</p><p>11 シャフィルに住む者よ。裸で恥じながら過ぎて行け。ツァアナンに住む者は出て来ない。ベテ・エツェルの嘆きは、あなたがたから、立つ所を奪い取る。</p><p>12 マロテに住む者が、どうして、しあわせを待ち望めよう。エルサレムの門に、【主】からわざわいが下ったのに。</p><p>13 ラキシュに住む者よ。戦車に早馬はやうまをつなげ。それはシオンの娘にとって罪の初めであった。イスラエルの犯おかしたそむきの罪が、あなたのうちに見つけられたからだ。</p><p>14 それゆえ、あなたは贈り物をモレシェテ・ガテに与える。アクジブの家々は、イスラエルの王たちにとって、欺く者となる。</p><p>15 マレシャに住む者よ。わたしはまた、侵略者をあなたのところに送る。イスラエルの栄光はアドラムまで行こう。</p><p>16 あなたの喜びとする子らのために、あなたの頭をそれ。そのそった所を、はげ鷲わしのように大きくせよ。彼らが捕らえられて、あなたから去って行ったから。</p><p><br/></p><p><strong>ユダの町々の破壊（1）</strong></p><p><strong>言葉遊び</strong></p><p>カナンの地の地形を確認しておきます。西側には海岸地帯が南北に延びています。東側には海抜800メートル前後の山地がやはり南北に走っています。海岸地帯と山地の中間に、さほど広くない土地、「低地（シェフェラー）」と呼ばれる地域が横たわっています。海抜400メートル前後の地域です。きょうの箇所で上げられている町々は、その低地の町々です。その地域は、ミカの出身地でもあります。幼い頃からミカはそれらの町々を訪れたり、その近辺で遊んだりしていたことでしょう。その故郷の町々がアッシリヤの侵攻によって破壊されようとしています（エルサレムはかろうじて破壊を免れます）。彼の心が痛まないはずがありません。<br>ここでミカは、町の名前の意味を取り上げ、それを使って「言葉遊び（paronomasia）パロノメイジア」をしています。その目的は、自らの心の痛みをより深く、詩的に表現するためです。このことを、例を上げて説明してみましょう。阪神淡路大震災の時の被災地の光景が今も目に浮かびます。その時の悲しみと驚愕きょうがくを、このように表現したとします。「神戸の街よ。なぜあなたは神の祝福を迎える戸ではなく、悲劇を招く戸になったのか」。この文の中には「神戸」の2文字が入っています。ミカはヘブル語でそれと同じようなことをしています。</p><p><br/></p><p><strong>低地の町々</strong></p><p>きょうは、ガテからシャフィルまでを取り上げましょう。残りは次回に回します。<br>（1）「ガテで告げるな。激しく泣きわめくな」。この文はⅡサムエル1：20にも出てきます。ガテとはペリシテ人の町で、「告げる」という意味です。ユダの町々の崩壊は、ペリシテ人には喜びの知らせとなります。それゆえ、ユダが直面している状況がいかに深刻なものであるかを敵に告げて、彼らを喜ばせてはならないということです。（2）「ベテ・レアフラでちりの中にころび回れ」。「ベテ・レアフラ」とは「ちりの家」という意味です。意訳すると、「ちりの家で、ちりの中にころび回って喪に服せ」という意味になります。自虐じぎゃく的な表現ですが、それだけに預言者ミカの悲しみが伝わって来ます。（3）「シャフィルに住む者よ。裸で恥じながら過ぎて行け」。「シャフィル」とは「美しい」という意味です。意訳すると「美しく飾られた町に住む者よ。お前たちは裸になり、恥じながらそこを去れ」ということになります。実に絵画かいが的な表現です。その町は大理石やモザイクの床で美しく装飾が施されていました。美しい町に住んでいるがゆえに、その美が破壊され、富が略奪され、裸にされて連行されることはより深い悲劇となるのです。<br>私たちの内に、預言者ミカが感じたような悲しみがあるでしょうか。キリストを知らないで生きている罪人の運命は、悲惨ひさんなものです。この国にリバイバルが訪れるように、神の子とされる人々が大量に起こされるように、涙をもって祈ろうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。どうかこの国をあわれんでください。あなたの悲しみを私の悲しみとさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=7aiV6mAizdo" />
         <pubDate>2026-04-07 19:59:01 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ミカ書1：10～16</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3858590403</link>
         <description><![CDATA[<p>10 ガテで告げるな。激しく泣きわめくな。ベテ・レアフラでちりの中にころび回れ。</p><p>11 シャフィルに住む者よ。裸で恥じながら過ぎて行け。ツァアナンに住む者は出て来ない。ベテ・エツェルの嘆きは、あなたがたから、立つ所を奪い取る。</p><p>12 マロテに住む者が、どうして、しあわせを待ち望めよう。エルサレムの門に、【主】からわざわいが下ったのに。</p><p>13 ラキシュに住む者よ。戦車に早馬をつなげ。それはシオンの娘にとって罪の初めであった。イスラエルの犯したそむきの罪が、あなたのうちに見つけられたからだ。</p><p>14 それゆえ、あなたは贈り物をモレシェテ・ガテに与える。アクジブの家々は、イスラエルの王たちにとって、欺く者となる。</p><p>15 マレシャに住む者よ。わたしはまた、侵略者をあなたのところに送る。イスラエルの栄光はアドラムまで行こう。</p><p>16 あなたの喜びとする子らのために、あなたの頭をそれ。そのそった所を、はげ鷲のように大きくせよ。彼らが捕らえられて、あなたから去って行ったから。</p><p><br/></p><p><strong>ユダの町々の破壊（2）</strong></p><p><strong>ミカの故郷の町々</strong></p><p>前回の続きです。ミカの故郷の町々が、アッシリヤ軍の侵攻によって滅ぼされようとしています。ミカは、町の名前の意味を取り上げ、それを使って「言葉遊び（paronomasia）」をしています。その目的は、自らの心の痛みをより深く、詩的に表現するためです。<br>（4）「ツァアナンに住む者は出て来ない」。「ツァアナン」とは「出て来る」という意味で、意訳すると、「出て来るという名の町の住民たちは、自己防衛の戦いにさえも出て来ない臆病者たちである」となります。（5）「ベテ・エツェルの嘆きは、あなたがたから、立つ所を奪い取る」。「ベテ・エツェル」とは「隣の町」という意味で、意訳すると、「頼りにしていた隣の町にも嘆きの声が起こり、そこからの援助は期待できなくなった」となります。（6）「マロテに住む者が、どうして、しあわせを待ち望めよう。エルサレムの門に、【主】からわざわいが下ったのに」。「マロテ」とは「苦い」という意味で、意訳すると、「この町の住民は幸いが来ることを待っていたが、エルサレムにまで敵が攻め上るのを見て、苦々しい思いを味わうようになった」となります。ミカが、エルサレムが滅びるとは言っていないことに注目しましょう。（7）「ラキシュに住む者よ。戦車に早馬をつなげ。それはシオンの娘にとって罪の初めであった。イスラエルの犯したそむきの罪が、あなたのうちに見つけられたからだ」。「ラキシュ」の意味は明らかではありませんが、おそらく「ひとこぶラクダ、速く走るラクダ」のことでしょう。意訳すると、「ラキシュの住民よ。町に留まることは危険なので、町の名のような速いラクダを駆って逃げよ」となります。「それはシオンの娘にとって罪の初めであった。イスラエルの犯したそむきの罪が、あなたのうちに見つけられたからだ」とは、ラキシュがユダの町々で最初に偶像礼拝を採用した町であったことを示しています。（8）「それゆえ、あなたは贈り物をモレシェテ・ガテに与える」。「モレシェテ・ガテ」とは「贈り物、遺産」という意味です。ここは預言者ミカの出身地です。意訳すると、「ラキシュは困難に直面し、ついにペリシテ人が支配しているモレシェテ・ガテに贈り物とともに使者を送り、アッシリヤ軍から守ってほしいと懇願こんがんするようになる」となります。（9）「アクジブの家々は、イスラエルの王たちにとって、欺く者となる」。「アクジブ」とは「欺き」という意味で、意訳すると、「アクジブは期待に反して、助けとはならなかった」となります。（10）「マレシャに住む者よ。わたしはまた、侵略者をあなたのところに送る」。「マレシャ」は「モレシェテ」と同じく「贈り物、遺産」という意味です。この町は敵への贈り物となります。（11）「イスラエルの栄光はアドラムまで行こう」。アドラムはダビデが逃れた町として有名です（Ⅰサム22：1）。マレシャを征服した敵は、次にアドラムまで征服するようになります。<br>もし私たちが、自分の町の滅びを事前に知らされたとするなら、どのような行動を取るでしょうか。涙とともに祖国の救いのためにとりなしの祈りをささげる人は幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。どうか私にとりなしの霊を注いでください。祖国を救ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=0MxyuaM3dHc" />
         <pubDate>2026-04-08 20:02:11 UTC</pubDate>
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         <title>ミカ書2：1～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3860458158</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ああ。悪巧わるだくみを計はかり、寝床の上で悪を行う者。朝の光とともに、彼らはこれを実行する。自分たちの手に力があるからだ。</p><p>2 彼らは畑を欲しがって、これをかすめ、家々をも取り上げる。彼らは人とその持ち家を、人とその相続地をゆすり取る。</p><p>3 それゆえ、【主】はこう仰おおせられる。「見よ。わたしは、こういうやからに、わざわいを下そうと考えている。あなたがたは首をもたげることも、いばって歩くこともできなくなる。それはわざわいの時だからだ。」</p><p>4 その日、あなたがたについて、あざけりの声があがり、嘆きの歌が起こって言う。「私たちはすっかり荒らされてしまい、私の民の割り当て地は取り替えられてしまった。どうしてそれは私から移され、私たちの畑は裏切る者に分け与えられるのか。」</p><p>5 それゆえ、【主】の集会で、あなたのために、くじを引いて測はかり綱づなを張る者がいなくなる。</p><p><br/></p><p><strong>貪欲に対する裁き</strong></p><p><strong>貪欲の罪（1～2節）</strong></p><p>ミカは民の罪の本質が貪欲にあることを指摘します。（1）罪を犯しているのは、裕福な上流階級の人たち（指導者たち）です。裕福な者には弱者を助ける責任がありますが、彼らはその責任を果たすどころか、逆に弱者を搾取さくしゅします。力を持った人は、腐敗しやすいものです。「彼らはこれを実行する。自分たちの手に力があるからだ」とあるとおりです。（2）彼らはうっかり罪を犯すのではありません。寝床の上で詳細に計画を練り、朝になるとそれを実行するのです。彼らには力があるので、合法的な行為に見せかけながら、略奪行為を行うことができるのです。（3）彼らの罪の本質は、貪欲です。「彼らは畑を欲しがって、これをかすめ、家々をも取り上げる。彼らは人とその持ち家を、人とその相続地をゆすり取る」とあるとおりです。家族の遺産となるべきものが、合法的な体裁を取って略奪されます。これはモーセの律法に違反した行為です（レビ25：8 ～ 55参照）。隣人のものを欲しがるのは、罪です（出20：17）。（4）イザヤは、「ああ。家に家を連ね、畑に畑を寄せている者たち。あなたがたは余地も残さず、自分たちだけが国の中に住もうとしている」（5：8）と語っています。イザヤは都会での状況を語り、ミカは田舎での状況を語っています。つまり、この時代、都会から田舎に至るまで、貪欲の罪が国中に蔓延まんえんしていたことが分かります。</p><p><br/></p><p><strong>罪に対する裁き（3～5節）</strong></p><p>（1）裁き主である【主】が判決を下されます。「見よ。わたしは、こういうやからに、わざわいを下そうと考えている」。「わざわい」と訳されている言葉は、ヘブル語では「ラアー」です。この言葉の意味は広範囲に及び、「悪い」という意味もあります。つまり神は、イスラエルの民の「道徳的罪（悪）」に対して「わざわい」をもって応えると言われるのです（ここには言葉遊びがあります）。（2）神の裁き（わざわい）が下ると、彼らは今までのように威張って歩くことができなくなります。そのわざわいとは、敵がやって来て、彼らの土地を略奪するということです。その土地は、元は貧しい者たちから奪ったものなのですが、今度はそれが敵に奪われることになります。敵に土地を奪われた者たちは、「私たちはすっかり荒らされてしまい、私の民の割り当て地は取り替えられてしまった。どうしてそれは私から移され、私たちの畑は裏切る者に分け与えられるのか」と言って嘆くようになります。この嘆きの言葉は、敵があざけりのために、そのまま復唱ふくしょうする言葉になります。（3）その結果、モーセの律法が保証していた家族への遺産相続が実行できなくなります。「測り綱」は土地を分割したり、相続したりする際に用いられるものです（ヨシ18：8～10 参照）。<br>罪には裁きが下ることを覚え、神を恐れることを学びましょう。クリスチャン生活の指針とすべき聖句は、これです。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」（マタ16：33）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。どうか私を貪欲の罪から救ってください。隣人の権利を大切にすることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=cSwJoWORYwI" />
         <pubDate>2026-04-09 20:52:17 UTC</pubDate>
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      </item>
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         <title>ミカ書2：6～11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3861969301</link>
         <description><![CDATA[<p>6 「たわごとを言うな」と言って、彼らはたわごとを言っている。そんなたわごとを言ってはならない。恥を避けることはできない。</p><p>7 ヤコブの家がそんなことを言われてよいものか。【主】がこれをがまんされるだろうか。これは主のみわざだろうか。私のことばは、正しく歩む者に益とならないだろうか。</p><p>8 以前から、わたしの民は敵として立ち上がっている。しかし、あなたがたは、戦いをやめて安らかに過ごしている者たちのみごとな上着をはぎ取る。</p><p>9 あなたがたは、わたしの民の女たちを、その楽しみの家から追い出し、その幼子たちから、わたしの誉ほまれを永遠に取り去る。</p><p>10 さあ、立ち去れ。ここはいこいの場所ではない。ここは汚れているために滅びる。それはひどい滅びだ。</p><p>11 もし人が風のまにまに歩き回り、偽いつわりを言って、「私はあなたがたに、ぶどう酒と強い酒について一言いちごんしよう」と言うなら、その者こそ、この民のたわごとを言う者だ。</p><p><br/></p><p><strong>にせ預言者に対する裁き</strong></p><p><strong>非難される【主】の預言者</strong></p><p>6節には、「『たわごとを言うな』と言って、彼らはたわごとを言っている。そんなたわごとを言ってはならない。恥を避けることはできない」とあります。新共同訳では、「『たわごとを言うな』と言いながら彼らは自らたわごとを言い『こんなことについてたわごとを言うな。そんな非難は当たらない』」と訳されています。（1）ミカの預言活動を批判しているのは、イスラエルの民とも、にせ預言者たちとも取れます。両方であったのかも知れません。イスラエルでは、否定的な預言を語る預言者は、怪あやしまれ、迫害されることが多かったのです。（2）イスラエルの民は、神の真実さと愛は信じていましたが、神の別の性質である「義」や「聖」については関心を払おうとはしませんでした。（3）他の預言者たちも同様の非難を受けています。「それなのに、あなたがたはナジル人に酒を飲ませ、預言者には、命じて、預言するなと言った」（アモ2：12）。「今、【主】のことばを聞け。あなたは『イスラエルに向かって預言するな。イサクの家に向かって預言するな』と言っている」（同7：16）。ミカと同時代のイザヤも、同じ体験をしています（イザ30：10）。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの民の罪</strong></p><p>しかし、イスラエルの民は貧しい同胞たちを搾取しています。それは【主】ご自身に敵対するのと同じことです。ですから、問題はミカが語る霊感を受けた預言にあるのではなく、民の不信仰と貪欲にあるのです。民は2つの大罪を犯していました。（1）1つは、貧しい人たちを搾取していることです。「しかし、あなたがたは、戦いをやめて安らかに過ごしている者たちのみごとな上着をはぎ取る」。これは出22：25 ～ 27の違反です。（2）もう1つは、やもめと孤児を苦しめていることです。「あなたがたは、わたしの民の女たちを、その楽しみの家から追い出し、その幼子おさなごたちから、わたしの誉れを永遠に取り去る」。イザヤもまた同じ罪を糾弾きゅうだんしています。「彼らは、寄るべのない者の正しい訴えを退け、わたしの民のうちの悩む者の権利をかすめ、やもめを自分のとりこにし、みなしごたちをかすめ奪っている」（イザ10：2）。<br>民の罪に対する裁きは、捕囚です。「さあ、立ち去れ。ここはいこいの場所ではない。ここは汚れているために滅びる。それはひどい滅びだ」。カナンの地は安住の地としてイスラエルの民に与えられましたが、もし彼らが罪を犯すなら、その地は彼らを吐き出すことになります。これが土地の契約（申29、30章）の内容です。ミカは、民が喜ぶ預言だけを語る者はにせ預言者であることを看破かんぱし、そう宣言しています。にせ預言者とは、「この民にたわごとを言う者」です。今の時代でも、真実を語る【主】の器と、耳ざわりのよいことしか言わない人とがいます。どちらが真実を語っているか、聞き分ける耳を【主】からいただこうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。どうか私に聞き分ける耳を与えてください。時代に対して警告を発する【主】の器を多く起こしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=a02PMEaa2z4" />
         <pubDate>2026-04-10 21:27:50 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ミカ書2：12～13</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3862606421</link>
         <description><![CDATA[<p>12 ヤコブよ。わたしはあなたをことごとく必ず集める。わたしはイスラエルの残りの者を必ず集める。わたしは彼らを、おりの中の羊のように、牧場の中の群れのように一つに集める。こうして人々のざわめきが起ころう。</p><p>13 打ち破る者は、彼らの先頭に立って上って行き、彼らは門を打ち破って進んで行き、そこを出て行く。彼らの王は彼らの前を進み、【主】が彼らの真っ先に進まれる。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの残れる者（1）</strong></p><p><strong>逃れの町（12節）</strong></p><p>ユダはその罪のゆえに裁きに会います。しかし神は、ご自身の民を見捨ててはおられません。きょうの箇所は、イスラエルの民に希望を与える預言です。きわめて難解な箇所ですが、ほかの聖書箇所も参考にしながら2回に分けてその預言的意味を探ってみましょう。この学びは、大患難時代とメシアの再臨に関する学びとなります。<br>（1）終末時代に救われるイスラエル人の数はどれくらいいるのでしょうか。12節には、「わたしはあなたをことごとく必ず集める」、そして、「わたしはイスラエルの残りの者を必ず集める」とあります。これはヘブル的対句法ついくほうです。ですから、1 行目の「ことごとく」と、2行目の「イスラエルの残れる者」とは、同じことを指しています。（2）イザヤ10：21では、「残りの者、ヤコブの残りの者は、力ある神に立ち返る」とあり、救われるのはイスラエルの残れる者であることが分かります。（3）さらにゼカリヤ13：8 ～ 9で、大患難時代にユダヤ人の3分の2が死に絶え、3分の1が残ることが預言されています。つまり、救いを受けるイスラエルの残れる者とは、大患難時代を生き延びた3分の1のユダヤ人（イスラエルの残れる者）だけであることが分かります。（4）その3分の1のユダヤ人が生き延びる理由は、彼らが「逃れの地」に避難するからです。では、逃れの地とはどこでしょうか。終わりの時代に、ユダヤ人たちは山に逃げます（マタ24：16）。黙示12：6では、そこは「荒野」となっています。「女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった」とあります。ダニエル11：41では、ヨルダンの東側の地域は破壊を免れると預言されています。さらに、イザヤ33：16ではそこは「岩の上の要害ようがい」であるとされています。（5）以上の預言を調べても、「逃れの地」の名称は出てきません。それが出てくるのは、ミカ2：12です。「わたしは彼らを、おりの中の羊（ボツラの羊）のように、牧場の中の群れのように一つに集める。こうして人々のざわめきが起ころう」。その地名は「ボツラ」ですが、残念ながら、日本語訳や多くの英語訳では、「ボツラ」という地名を表記するのではなく、地名の意味を訳して「おりの中の」としています（英語訳では、アメリカ標準訳聖書（ASV）がボツラという表記を残しています）。この聖句から、イスラエルの民が逃れる場は「ボツラ」であることが分かります。ここは今のヨルダンのペトラという町です。イスラエル人の3分の1が助かるのは、彼らがボツラに逃れるからです。彼らこそイスラエルの残れる者です。<br>イスラエルの残れる者の救いと、メシアの再臨がどのようにして起こるのかは、次回学びます。イスラエルの民は旧約時代にはバビロン捕囚に会い、新約時代には世界への離散を経験しました。人間的には絶望的な状況です。しかし、神はイスラエルの民を見捨ててはおられません。必ず彼らをお救いになります。その前に、私たち異邦人が救いに招かれました。何という恵みでしょうか。その神の御名をほめたたえましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。あなたはイスラエルの民を必ず救われるお方です。あなたの約束は真実であり、必ず成就します。私の救いも必ず完成することを信じます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=cJmwJu7_gkM" />
         <pubDate>2026-04-11 20:41:20 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ミカ書2：12～13</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3863293287</link>
         <description><![CDATA[<p>12 ヤコブよ。わたしはあなたをことごとく必ず集める。わたしはイスラエルの残りの者を必ず集める。わたしは彼らを、おりの中の羊のように、牧場の中の群れのように一つに集める。こうして人々のざわめきが起ころう。</p><p>13 打ち破る者は、彼らの先頭に立って上って行き、彼らは門を打ち破って進んで行き、そこを出て行く。彼らの王は彼らの前を進み、【主】が彼らの真っ先に進まれる。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの残れる者（2）</strong></p><p><strong>前回の確認</strong></p><p>前回確認した内容は、以下のようなものでした。（1）終末時代に救われるイスラエル人の数は全人口の3分の1である。（2）その人たちは「イスラエルの残れる者」と呼ばれる人たちである。（3）彼らが大患難時代を生き延びる理由は「逃れの地」に避難するからである。（4）その「逃れの地」とは、「ボツラ」である。12節には、「わたしは彼らを、おりの中の羊（ボツラの羊）のように、牧場の中の群れのように一つに集める。こうして人々のざわめきが起ころう」とあります。<br>今回は、イスラエルの残れる者の救いとメシアの再臨が、どういう順番で起こるのかについて学んでみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>【主】の再臨（13節）</strong></p><p>「ボツラ」に避難したイスラエル人を滅ぼそうとする大軍が、攻め上って来ます。（1）その時、イスラエル人たちの中に深い悔い改めが起こります。ゼカリヤ13：8 ～ 9にはこうあります。「全地はこうなる。─【主】の御告げ─その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。わたしは、その三分の一を火の中に入れ、銀を練るように彼らを練り、金をためすように彼らをためす。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民』と言い、彼らは『【主】は私の神』と言う」。（2）イスラエル人の悔い改めが起こった時に、メシアが再臨されます。13節には、こうあります。「打ち破る者は、彼らの先頭に立って上って行き、彼らは門を打ち破って進んで行き、そこを出て行く。彼らの王は彼らの前を進み、【主】が彼らの真っ先に進まれる」。「打ち破る者」とは、イスラエル人を救出するメシアのことです。メシアはイスラエル人の先頭を進み、敵の包囲を撃破げきはし、彼らを自由にされます。（3）「彼らの王」という言葉は、メシアが人性を持っていることを示しています。「【主】」という言葉は、メシアの神性を示しています。つまり、メシアは人性と神性とを併あわせ持ったお方だということです（イザ34：1～7、63：1～ 6参照）。<br>パウロはローマ11：26で、「こうして、イスラエルはみな救われる、ということです」と書いています。このことは文字どおり成就します。「みな」とは大患難時代を生き延びた3分の1 のイスラエル人であり、「イスラエルの残れる者」と呼ばれる人たちです。そしてパウロは、「神の賜物たまものと召命しょうめいとは変わることがありません」（29節）と結論づけています。イスラエルの民族的救いが成就する前に、私たち異邦人に救いがもたらされました。そのことのゆえに【主】に感謝しましょう。また、異邦人伝道とユダヤ人伝道とは車の両輪であることを覚え、神の国拡大のために熱心に祈り、奉仕をしましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたの約束は永遠に変わることがありません。どうか日本にリバイバルを来たらせてください。イスラエルの民を救ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=FEpqTyLK_1k" />
         <pubDate>2026-04-12 20:23:37 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ミカ書3：1～4</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3865203328</link>
         <description><![CDATA[<p>1 わたしは言った。聞け。ヤコブのかしらたち、イスラエルの家の首領たち。あなたがたは公義を知っているはずではないか。</p><p>2 あなたがたは善を憎み、悪を愛し、人々の皮をはぎ、その骨から肉をそぎ取り、</p><p>3 わたしの民の肉を食らい、皮をはぎ取り、その骨を粉々に砕くだき、鉢はちの中にあるように、また大がまの中の肉切れのように、切れ切れに裂く。</p><p>4 それで、彼らが【主】に叫んでも、主は彼らに答えない。その時、主は彼らから顔を隠される。彼らの行いが悪いからだ。</p><p><br/></p><p><strong>指導者の罪</strong></p><p><strong>イスラエルの家の指導者たち</strong></p><p>ミカ書の第2番目のメッセージが、ここから始まります（3 ～ 5章）。ミカはイスラエルの指導者たちを容赦なく糾弾しています。<br>（1）指導者たちは、民を守り、彼らに祝福をもたらす責務せきむを負っていました。（2）「あなたがたは公義を知っているはずではないか」とあります。つまり、指導者たちは神の律法、正義、裁きを知っていたということです。ミカ6：8には、「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。【主】は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか」とあります。また、申命記10：12 ～ 13ではこう命じられています。「イスラエルよ。今、あなたの神、【主】が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただ、あなたの神、【主】を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、【主】に仕え、あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる【主】の命令と主のおきてとを守ることである」。（3）しかし彼らは、神の御心を知りながら、それとは正反対のことをしていました。その内容が、2 ～ 3節に書かれています。指導者たちは、まるで野獣が獲物を食いちぎるように民衆を搾取し、苦しめていました。民衆の様子は、敵に包囲された町の住民のようです（Ⅱ列6：29 参照）。申命記28：53 には以下のような預言がありました。「あなたは、包囲と、敵がもたらす窮乏きゅうぼうとのために、あなたの身から生まれた者、あなたの神、【主】が与えてくださった息子や娘の肉を食べるようになる」。（4）指導者たちはそのように民を苦しめながら、厚かましくも【主】の助けを求めて祈りました。【主】はその祈りにお答えになったでしょうか。「それで、彼らが【主】に叫んでも、主は彼らに答えない。その時、主は彼らから顔を隠される。彼らの行いが悪いからだ」。指導者たちは民の助けを求める声を無視してきました。それゆえ、神は彼らの声を無視されるのです。罪には同じ種類の罰が下ります。</p><p><br/></p><p><strong>私たちへの適用</strong></p><p>指導的立場にいる者、特に霊的指導者たちは、自らを省かえりみて、【主】の前に姿勢を正すべきです。多くゆだねられた人には、多くのことが求められます。ペテロは指導者たちにこう勧告しています。「あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑いやしい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい」（Ⅰペテ5：2 ～ 3）。大牧者イエスが現れる時、おほめの言葉をいただき、栄光の冠を受ける人は幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。指導者たちが謙遜を身につけ、群れの模範となるような生き方ができますように、守り導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
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         <pubDate>2026-04-13 19:02:53 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ミカ書3：5～8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3867315866</link>
         <description><![CDATA[<p>5 預言者たちについて、【主】はこう仰せられる。彼らはわたしの民を惑わせ、歯でかむ物があれば、「平和があるように」と叫ぶが、彼らの口に何も与えない者には、聖戦を宣言する。</p><p>6 それゆえ、夜になっても、あなたがたには幻がなく、暗やみになっても、あなたがたには占いがない。太陽も預言者たちの上に沈み、昼も彼らの上で暗くなる。</p><p>7 先見者たちは恥を見、占い師たちははずかしめを受ける。彼らはみな、口ひげをおおう。神の答えがないからだ。</p><p>8 しかし、私は、力と、【主】の霊と、公義と、勇気とに満ち、ヤコブにはそのそむきの罪を、イスラエルにはその罪を告げよう。</p><p><br/></p><p><strong>預言者の罪</strong></p><p><strong>にせ預言者たち</strong></p><p>次にミカは、にせ預言者たちの罪を糾弾します。にせ預言者たちもまた、イスラエルの家の指導者たちの中に含まれていました。特に彼らは、霊的指導者たちでした。（1）彼らの使命は、イスラエルの民を【主】の道に導くことでした（申13、18章参照）。【主】からのことばと幻は、そのためのものでした。（2）しかしにせ預言者たちは、民を導く代わりに彼らを惑わせ、偽りの道へと導いていました。（3）にせ預言者たちは、自らの賜物を、私腹を肥やすために用いていました。「彼らは食べ物のある時には、『平安』を叫ぶけれども、その口に何も与えない者にむかっては、宣戦を布告する」（口語訳）とあります。つまり、自分に何かを与えてくれる者は祝福するが、そうでない者は祝福しない、という意味です。<br>そのような罪のゆえに、彼らの上に神の裁きが下ります。（1）民を光の中にではなく闇の中に導いたので、神もまた彼らを、闇の中へと導かれます。「それゆえ、夜になっても、あなたがたには幻がなく、暗やみになっても、あなたがたには占いがない。太陽も預言者たちの上に沈み、昼も彼らの上で暗くなる」。ここでも、罪と同類の裁きが下るという原則が見られます。（2）にせ預言者たちは、神からの答えがないので、すべて恥を見ます。「口ひげをおおう」とは、恥を受けていることのしるしです。にせ預言者の姿は、異教の王国の宮廷にいて偶像に仕えている預言者たちのようです。彼らは、神からの啓示がないのに、それを受けたかのように語り、人々を欺いています（Ⅰサム28：6、アモ8：11～12 参照）。</p><p><br/></p><p><strong>真の預言者</strong></p><p>ミカは8節で、真の預言者はいかに行動すべきかについて書いています。「しかし、私は、力と、【主】の霊と、公義と、勇気とに満ち、ヤコブにはそのそむきの罪を、イスラエルにはその罪を告げよう」。ここには、にせ預言者と真の預言者の違いが表現されています。（1）真の預言者は、【主】の霊によって活動しています。（2）真の預言者が力と、公義と、勇気とに満ちているのは、聖霊に導かれているからです。（3）真の預言者には道徳的力があります。彼らは、人を恐れたり、人におもねたりはせず、勇気をもって神の義と裁きを宣言します。ミカもまた聖霊の力によって真理を語った真の預言者の1人です。<br>真の預言者に求められる資質は、今も変わることがありません。主イエスは弟子たちにこのように教えておられます。「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい」（マタ10：28）。自らの賜物を用いて人々に仕えることを志しましょう。神だけを恐れつつ、日々の生活を送ることを心がけましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。どうか私を、真の弟子の中に加えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=jThom2ocPsI" />
         <pubDate>2026-04-14 20:09:14 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ミカ書3：9～12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3869241391</link>
         <description><![CDATA[<p>9 これを聞け。ヤコブの家のかしらたち、イスラエルの家の首領たち。あなたがたは公義を忌みきらい、あらゆる正しいことを曲げている。</p><p>10 血を流してシオンを建て、不正を行ってエルサレムを建てている。</p><p>11 そのかしらたちはわいろを取ってさばき、その祭司たちは代金を取って教え、その預言者たちは金を取って占いをする。しかもなお、彼らは【主】に寄りかかって、「【主】は私たちの中におられるではないか。わざわいは私たちの上にかかって来ない」と言う。</p><p>12 それゆえ、シオンは、あなたがたのために、畑のように耕たがやされ、エルサレムは廃墟はいきょとなり、この宮の山は森の丘となる。</p><p><strong>指導者階級の裁き</strong></p><p><strong>指導者たちの罪</strong></p><p>これまでに上げられた者たちを含めて、イスラエルの指導者階級の罪が指摘されます。指導者階級とは、首領たち、祭司たち、預言者たちのことです。（1）彼らはエルサレム（シオン）を、不正と殺人という土台の上に建てています。つまり、目的が正しければ手段が正当化されるという理屈です。（2）彼らの最大の関心事は、経済的利得です。「そのかしらたちはわいろを取ってさばき、その祭司たちは代金を取って教え、その預言者たちは金を取って占いをする」とあるとおりです。本来の使命を忘れて、物質的繁栄だけを求める指導者たちの姿は、あわれなものです。（3）しかし彼らは、自らの罪を省みようとはしません。それどころか、「【主】は私たちの中におられるではないか。わざわいは私たちの上にかかって来ない」と豪語ごうごしています。「【主】は私たちの中におられる」とは、エルサレムの中に神殿があり、神殿の至聖所しせいじょにはシャカイナ・グローリーが輝いているという意味です。神殿が建っている限り、自分たちの上にわざわいが下ることはないというのが彼らの信仰です。これは「お守り」的信仰です。イスラエルの指導者階級のこのような誤った確信は、アッシリヤのセナケリブがエルサレム攻撃に失敗して以降、ますます強固なものになったと思われます。</p><p><br/></p><p><strong>罪の結果</strong></p><p>しかし、指導者層の罪のゆえに、エルサレムは滅ぼされます。「それゆえ、シオンは、あなたがたのために、畑のように耕され、エルサレムは廃墟となり、この宮の山は森の丘となる」。（1）作物を育てるためには、畑を耕し、平らな地にする必要があります。それと同じように、エルサレムが再出発を切るためには、裁きによって平らな地とされる必要があります。（2）かつて【主】が住まわれたエルサレムが、やがて人の住まない廃墟となります。エレミヤはこの聖句を引用しています（エレ26：18）。（3）裁きが下る理由は、指導者層がイスラエルの民を惑わし、誤った方向に導いたからです。<br>福音書の中でも指導者の罪は大きく取り上げられています。パリサイ人たちは、「この人（イエス）は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ」と言い、イエスのメシア性を拒否しました（マタ12：24）。イエスは、マタイ23：37 ～ 39でこう宣言されました。「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません」。イエスのこの宣言は、ミカ3：12 と軌きを一いつにするものです。そして今も、イスラエル人はイエスを受け入れていません。これもまた指導者層の責任と言えます。指導者層の悔い改めのために祈りましょう。また、「お守り」信仰を脱却できるように願い求めましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。指導者の責任は実に重大です。どうかイスラエルの、そして日本の指導者たちをあわれんでください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=5AJwZ4MGRXg" />
         <pubDate>2026-04-15 19:21:08 UTC</pubDate>
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         <title>ミカ書4：1～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3871241724</link>
         <description><![CDATA[<p>1 終わりの日に、【主】の家の山は、山々の頂いただきに堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、国々の民はそこに流れて来る。</p><p>2 多くの異邦の民が来て言う。「さあ、【主】の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから【主】のことばが出るからだ。</p><p>3 主は多くの国々の民の間をさばき、遠く離れた強い国々に、判決を下す。彼らはその剣を鋤すきに、その槍やりをかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。</p><p>4 彼らはみな、おのおの自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下にすわり、彼らを脅おびやかす者はいない。まことに、万軍の【主】の御口みくちが告げられる。</p><p>5 まことに、すべての国々の民は、おのおの自分の神の名によって歩む。しかし、私たちは、世々限りなく、私たちの神、【主】の御名によって歩もう。</p><p><br/></p><p><strong>メシア的王国</strong></p><p><strong>エルサレムの高揚</strong></p><p>3：12では、エルサレムの荒廃が預言されていました。これは近い将来に起こる出来事です。4：1 ～ 5では、エルサレムの高揚が預言されます。これは遠い将来に起こる出来事です。この預言は、メシア的王国（千年王国）の到来を告げたものです（イザ2：1 ～４に同じ預言があります）。<br>（1）「終わりの日に」とあります。聖書の神は歴史を導かれるお方です。神には「歴史を通した計画」があります。いわゆる終末時代に、メシア的王国に関する預言が成就します。（2）続いて、「【主】の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち」とあります。「【主】の家の山」とはエルサレムのことです。メシア的王国が出現する前に、地上の地形は激変し、高い山々が低くされ、エルサレムが世界最高峰さいこうほうの山となります。（3）さらに、「国々の民はそこに流れて来る」とあります。エルサレムは異邦人諸国の注目の的となります。異邦人たちは、エルサレムに上って来るようになります。（4）その目的は、メシアから直接教えを聞き、その道を歩むためです。「多くの異邦の民が来て言う。『さあ、【主】の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう』。それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから【主】のことばが出るからだ」。エルサレムは異邦人たちが集い、神のことばを学ぶ世界の中心地となります。それが、メシア的王国におけるエルサレムの状態です。</p><p><br/></p><p><strong>世界的平和</strong></p><p>（1）さらに、メシア的王国では世界的平和が訪れます。メシアが国際紛争を裁き、公平な判決を下すからです。異邦人諸国は、紛争になりそうな問題が起これば、それをエルサレムにおられるメシアのもとに持ってくればよいのです。（2）「彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し」とは、戦争のための武器が生産用具に作り変えられることを象徴的に預言した言葉です。メシアによってすべての争い事が解決されるので、戦争の仕方を学ぶ必要がなくなるのです。（3）国際関係が平和な状態になるだけでなく、個人生活もまた安全、繁栄、安心に満ちたものとなります。「彼らはみな、おのおの自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下にすわり、彼らを脅かす者はいない」とあるとおりです。（4）メシア的王国において、たとえ異邦人の国々が別の神の名を信じようとも、イスラエルがその悪影響を受けることはありません。「しかし、私たちは、世々限りなく、私たちの神、【主】の御名によって歩もう」とあるとおりです。<br>神は、メシアによって成就する計画をお持ちです。メシア的王国の預言は、裁きを前にして絶望しているイスラエルの民を励ますためのものでした。神が約束された祝福のあるものは、遠い将来に成就するものです。私たちに必要なのは、忍耐をもって神に従い続けることです。「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」（ヘブ10：36）</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。すぐに実現する祝福と、遠い将来に成就する祝福とがあることを学びました。どうか私に忍耐心を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=dVHKeD4Sf5s" />
         <pubDate>2026-04-16 20:10:33 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ミカ書4：6～8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3872853683</link>
         <description><![CDATA[<p>6 その日、─【主】の御告げ─わたしは足のなえた者を集め、追いやられた者、また、わたしが苦しめた者を寄せ集める。</p><p>7 わたしは足のなえた者を、残りの者とし、遠くへ移された者を、強い国民とする。【主】はシオンの山で、今よりとこしえまで、彼らの王となる。</p><p>8 羊の群れのやぐら、シオンの娘の丘よ。あなたに、以前の主権、エルサレムの娘の王国が帰って来る。</p><p><br/></p><p><strong>メシアに従う民</strong></p><p><strong>イスラエルの回復</strong></p><p>1 ～ 5節は、メシア的王国の預言でした。きょうの箇所は、そのメシア的王国でメシアに従って住む民に関する預言です。それは、イスラエルの回復の預言でもあります。<br>（1）古代中近東では、廃墟となった町の住民たちは離散し、やがて他民族と同化するという運命をたどります。しかし、イスラエルの民はそうではありません。彼らは約束の地に回復されます。「その日、─【主】の御告げ─わたしは足のなえた者を集め、追いやられた者、また、わたしが苦しめた者を寄せ集める」。【主】が世界中からご自身の民を集める時が来ます。（2）彼らは「残りの者」ですが、同化するのではなく、強い国民となります。（3）メシアはエルサレムで王として、彼らを統治されます。「【主】はシオンの山で、今よりとこしえまで、彼らの王となる」とあるとおりです。</p><p><br/></p><p><strong>ベツレヘムとエルサレム</strong></p><p>8節には、「羊の群れのやぐら、シオンの娘の丘よ。あなたに、以前の主権、エルサレムの娘の王国が帰って来る」とあります。「羊の群れのやぐら」と訳されている言葉は、原文では「ミグダル・エデル」という地名です。この言葉は訳さずに地名として残しておいた方がいいでしょう。創世記35：19 ～ 21には、ミグダル・エデルがどこであるかという説明が出ています。「こうしてラケルは死んだ。彼女はエフラテ、今日のベツレヘムへの道に葬られた。ヤコブは彼女の墓の上に石の柱を立てた。それはラケルの墓の石の柱として今日に至っている。イスラエルは旅を続け、ミグダル・エデルのかなたに天幕を張った」。この記述から、ミグダル・エデルはベツレヘム（あるいはその近郊）であることが判明します。そう考えると、8節の言葉は、ベツレヘム（メシア生誕の地）とエルサレム（メシアが統治する地）がともに、メシア的王国において栄光を受けるようになるという預言であることが分かります。<br>神は、遠い将来に実現するメシア的王国に関して、また、イスラエルの回復（そこに住むようになる民の回復）について、明確な計画を持っておられます。次回は、イスラエルの回復の前に起こる患難かんなんについて学んでみます（4：9～ 5：1）。イスラエルのための計画を持っておられる神は、私たち個人のためにも最高の計画を用意しておられます。クリスチャン生活は、神が用意された計画を確かめ、実行し、味わうものです。これこそ冒険と喜びに満ちた人生です。神を信じる者とされていることを感謝しましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。私を生かし、また信じる者へと変えてくださったことを感謝します。あなたの計画の全貌を知り尽くすような人生を歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=VGgQPURKNNs" />
         <pubDate>2026-04-17 21:03:59 UTC</pubDate>
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         <title>ミカ書4：9～5：1</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3873531237</link>
         <description><![CDATA[<p><br/></p><p>9 なぜ、あなたは今、大声で泣き叫ぶのか。あなたのうちに王がいないのか。あなたの議官は滅びうせたのか。子を産む女のような苦痛があなたを捕らえたのか。</p><p>10 シオンの娘よ。子を産む女のように、身もだえし、もがき回れ。今、あなたは町を出て、野に宿り、バビロンまで行く。そこであなたは救われる。そこで【主】はあなたを敵の手から贖われる。</p><p>11 今、多くの異邦の民があなたを攻めに集まり、そして言う。「シオンが犯されるのをこの目で見よう」と。</p><p>12 しかし彼らは【主】の御計らいを知らず、そのはかりごとを悟さとらない。主が彼らを打ち場の麦束のように集められたことを。</p><p>13 シオンの娘よ。立って麦を打て。わたしはあなたの角つのを鉄とし、あなたのひづめを青銅とする。あなたは多くの国々の民を粉々に砕き、彼らの利得を【主】にささげ、彼らの財宝を全地の主にささげる。</p><p>＜ 5 章＞</p><p>1 今、軍隊の娘よ。勢ぞろいせよ。とりでが私たちに対して設けられ、彼らは、イスラエルのさばきつかさの頬ほおを杖つえで打つ。</p><p><br/></p><p><strong>大患難時代</strong></p><p><strong>産みの苦しみ</strong></p><p>ミカはメシア的王国の実現と、イスラエルの救いについて預言してきました。きょうの箇所では、メシア的王国が成就する前に襲って来る大患難時代についての預言がなされます。（1）旧約聖書でも新約聖書でも、大患難時代は往々にして「産みの苦しみ」として表現されます。この時代、イスラエルには指導者（王、議官）がいなくなります。そして、「産みの苦しみ」が彼らを襲います。「なぜ、あなたは今、大声で泣き叫ぶのか。あなたのうちに王がいないのか。あなたの議官は滅びうせたのか。子を産む女のような苦痛があなたを捕らえたのか。シオンの娘よ。子を産む女のように、身もだえし、もがき回れ」とある通りです。エレミヤ30：４～ 7では、大患難時代が「ヤコブの苦難の時」と呼ばれています。（2）終末時代においてはバビロンが世界の中心地となります。イスラエルの民はバビロンに連行されます。しかし、【主】はそこでイスラエルの民を敵の手から救出されます。このことに関しては、ゼカリヤ14：1 ～ 2により詳しい預言が出ています。（3）「今、多くの異邦の民があなたを攻めに集まり、そして言う。『シオンが犯されるのをこの目で見よう』と」（11節）。この聖句は、ハルマゲドンの戦いの預言です。ゼカリヤ12：1 ～ 9に、より詳細な預言が出ています。異邦人の軍隊がメギドの平原（イズレエルの谷）に集合し、そこからエルサレムに攻め上ります。彼らはエルサレムを恥辱ちじょくするための戦いを挑いどみます。（4）預言者ミカは【主】の計画を理解していますが、イスラエルの民はそれを知りません。【主】はエルサレムに留まっているイスラエルの民を力づけ、敵に対して勇敢に戦うように仕向けます。その結果、敵は甚大じんだいな被害を受けます。（5）5：1はヘブル語聖書では4：14 になっています。そこには、「今、軍隊の娘よ。勢ぞろいせよ。とりでが私たちに対して設けられ、彼らは、イスラエルのさばきつかさの頬を杖で打つ」とあります。これは、エルサレムは抵抗するが、最終的には滅ぼされることを示しています。「イスラエルのさばきつかさの頬を杖で打つ」とは、古代中近東の習慣で、戦いに勝利したことを象徴的に表す行為です（Ⅰ列22：24 参照）。</p><p><br/></p><p><strong>メシアの再臨</strong></p><p>今までの学びを整理すると、次のようになります。（1）異邦人の軍隊がメギドの平原に集結する。（2）彼らはエルサレムに攻め上る。（3）イスラエルの民は大いに健闘するが、少数であるため最後は敗北する。（4）エルサレムで勝利した異邦人の軍隊は、ボツラに避難しているイスラエルの民を滅ぼすためにさらに進軍する。（5）ボツラに隠れているイスラエルの民は、メシアを受け入れる。（6）そしてメシアが地上に再臨される。<br>預言者ミカは、神からの啓示によって、終末時代に何が起こるかを知っていました。私たちは、その啓示を学ぶことができます。将来に確信を持って、今を生きることができるのは何という幸いでしょうか。そのことのゆえに、【主】の御名をたたえましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。過去、現在、未来と、あなたは私のために祝福を用意されました。あなたのご計画のゆえに、御名をたたえます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-04-18 20:30:49 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ミカ書5：2～4</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3874211379</link>
         <description><![CDATA[<p>2 ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。</p><p>3 それゆえ、産婦が子を産む時まで、彼らはそのままにしておかれる。彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰るようになる。</p><p>4 彼は立って、【主】の力と、彼の神、【主】の御名の威光いこうによって群れを飼い、彼らは安らかに住まう。今や、彼の威力が地の果てまで及ぶからだ。</p><p><br/></p><p><strong>メシアの出現</strong></p><p><strong>ベツレヘム</strong></p><p>イスラエルの民を患難から救い出し、地に平和をもたらすのはメシアです。きょうの箇所は、そのメシアに関する預言です。<br>ミカ5：2は、よく知られたメシア預言の1つです。「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである」。（1）メシア誕生の地は、ユダ部族の領地にあるベツレヘムです。これはメシアが人間として誕生することを教えています。（2）「昔から、永遠の昔からの定めである」とありますが、「昔」はヘブル語で「ケデム」です。この言葉は、箴言8：22 ～ 23やイザヤ37：26では、神に関して用いられています。この言葉がメシアに関して用いられているということは、メシアが神性を持っていることを示しています。（3）メシアが人性と神性の両方を持っていることは、イザヤ9：6～7、エレミヤ23：5～6などでも預言されています。「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる」（イザ9：6 ～ 7）。（4）3節の前半には、「それゆえ、産婦が子を産む時まで、彼らはそのままにしておかれる」とあります。彼らというのはイスラエルの民のことです。イスラエルの民は、大患難時代が終わるまで（産婦が子を産む時まで）、苦難を通過します。その後、彼らの救いの時がやって来ます。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの回復</strong></p><p>3節の後半には、「彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰るようになる」とあります。新共同訳では、「そのとき、彼の兄弟の残りの者はイスラエルの子らのもとに帰って来る」と訳されています。イスラエルが回復される時、2つのことが起こります。（1）「イスラエルの残れる者」は、1つに集められます。つまり、イスラエルとユダが1つの民として回復されるということです。（2）メシアによる統治が実現します。「彼は立って、【主】の力と、彼の神、【主】の御名の威光によって群れを飼い、彼らは安らかに住まう。今や、彼の威力が地の果てまで及ぶからだ」。「彼」というのは「イスラエルの支配者」（2 節）、つまりメシアのことです。<br>イエスがベツレヘムで誕生されることが、その700年も前に預言されていたとは、何という驚きでしょうか。私たちの神は、時間を超越して、永遠から永遠まで存在しておられるお方です。この方を礼拝しようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。あなたのような神は、どこにも存在しません。偶像の神々はむなしいものです。あなただけを礼拝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-04-19 19:57:34 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ミカ書5：5～15</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3876147085</link>
         <description><![CDATA[<p>5 平和は次のようにして来る。アッシリヤが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき、私たちはこれに対して七人の牧者と八人の指導者を立てる。</p><p>6 彼らはアッシリヤの地を剣で、ニムロデの地を抜き身の剣で飼いならす。アッシリヤが私たちの国に来、私たちの領土に踏み込んで来たとき、彼は、私たちをアッシリヤから救う。</p><p>7 そのとき、ヤコブの残りの者は、多くの国々の民のただ中で、【主】から降りる露つゆ、青草に降り注ぐ夕立のようだ。彼らは人に望みをおかず、人の子らに期待をかけない。</p><p>8 ヤコブの残りの者は異邦の民の中、多くの国々の民のただ中で、森の獣けものの中の獅子しし、羊の群れの中の若い獅子のようだ。通り過ぎては踏みにじり、引き裂いては、一つも、のがさない。</p><p>9 あなたの手を仇あだに向けて上げると、あなたの敵はみな、断たち滅ぼされる。</p><p>10 その日、─【主】の御告げ─わたしは、あなたのただ中から、あなたの馬を断ち滅ぼし、あなたの戦車を打ちこわし、</p><p>11 あなたの国の町々を断ち滅ぼし、要塞をみなくつがえす。</p><p>12 わたしはあなたの手から呪術師じゅじゅつしを断ち、占い師をあなたのところからなくする。</p><p>13 わたしは、あなたのただ中から、刻んだ像と石の柱を断ち滅ぼす。あなたはもう、自分の手の造った物を拝まない。</p><p>14 わたしは、あなたのアシェラ像をあなたのただ中から根こぎにし、あなたの町々を滅ぼし尽くす。</p><p>15 わたしは怒りと憤いきどおりをもって、わたしに聞き従わなかった国々に復讐ふくしゅうする。</p><p><br/></p><p><strong>平和の確立</strong></p><p><strong>メシアによる平和</strong></p><p>きょうの箇所では、メシアによる平和がどのようにして確立されるのかが預言されています。（1）「アッシリヤが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき、私たちはこれに対して七人の牧者と八人の指導者を立てる」とあります。ここでのアッシリヤとは、反キリストに率ひきいられた軍勢ぐんぜいのことです。その軍勢がエルサレムの神殿を破壊する時、イスラエルの民はメシアの力を受けて対抗します。「7人」は完全数であり、「8人」はそれにプラス1の数です。つまり、イスラエルの中から必要とされる以上の指導者たちが立てられるということです。（2）「アッシリヤの地」と「ニムロデの地」とは同じ意味です。そこは反キリストの本拠地です。イスラエルの民はその本拠地を打ちます。（3）「アッシリヤが私たちの国に来、私たちの領土に踏み込んで来たとき、彼は、私たちをアッシリヤから救う」とあります。「彼」というのがメシアです。メシアはイスラエルの民を反キリストの軍勢から救われます。</p><p><br/></p><p><strong>ヤコブの残りの者</strong></p><p>「ヤコブの残りの者」とは「イスラエルの残れる者」と同じ意味です。大患難時代を通過したイスラエルの残れる者は、メシアから力を受けて敵に勝利します。その時彼らは、2つの役割を果たします。（1）イスラエルの神を信じる異邦人諸国にとっては、イスラエルは「露」となり「夕立」となります。つまり、祝福となるということです。「そのとき、ヤコブの残りの者は、多くの国々の民のただ中で、【主】から降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ。彼らは人に望みをおかず、人の子らに期待をかけない」。（2）しかし、イスラエルの神に反抗する異邦人諸国にとっては、イスラエルは「獅子」となります。つまり、脅威となるということです。「ヤコブの残りの者は異邦の民の中、多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。通り過ぎては踏みにじり、引き裂いては、一つも、のがさない」<br>メシアによる平和が成就すると、5つのものが取り除かれます。（1）武器が不要になり、取り除かれます（10節）。（2）要塞ようさいは必要ではなくなります。戦争がないのですから当然です（11節）。（3）呪術師、占い師が絶えていなくなります（12節）。（4）刻んだ像と石の柱が破壊されます。つまり偶像が取り除かれるということです（13 ～ 14節）。（5）神に反抗した国々に裁きが下ります。<br>メシア的王国においては、神は贖われた聖なる民を統治されます。今神は、ご自身の名で呼ばれる民を異邦人の中から呼び集めておられます（使15：17）。信仰によって神の民とされたことを感謝しようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。異邦人の中から、あなたの御名で呼ばれる民を呼び集めてくださり、感謝します。きょうも神の子にふさわしい歩みをさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-04-20 20:35:48 UTC</pubDate>
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         <title>ミカ書6：1～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3877993707</link>
         <description><![CDATA[<p>1 さあ、【主】の言われることを聞け。立ち上がって、山々に訴うったえ、丘々にあなたの声を聞かせよ。</p><p>2 山々よ。聞け。【主】の訴えを。地の変わることのない基よ。【主】はその民を訴え、イスラエルと討論される。</p><p>3 わたしの民よ。わたしはあなたに何をしたか。どのようにしてあなたを煩わずらわせたか。わたしに答えよ。</p><p>4 わたしはあなたをエジプトの地から上らせ、奴隷の家からあなたを買い戻し、あなたの前にモーセと、アロンと、ミリヤムを送った。</p><p>5 わたしの民よ。思い起こせ。モアブの王バラクが何をたくらんだか。ベオルの子バラムが彼に何と答えたか。シティムからギルガルまでに何があったか。それは【主】の正しいみわざを知るためであった。</p><p><br/></p><p><strong>【主】の法廷（1）</strong></p><p><strong>第3のメッセージ</strong></p><p>ミカ書の第3 のメッセージ（6～ 7章）が、きょうの箇所から始まります。5章までと異なり、6 ～ 7章は対話形式で書かれています。従って、話し手が誰であるかを理解することが重要な鍵になります。<br>1 ～ 2節は、預言者ミカが語っている言葉です。（1）ミカは【主】の法廷に被告人であるイスラエルの民（【主】の民）を呼び出しています。（2）その法廷で証人となり、判事となるのは、山々です。山々は不動であり、ものごとの一部始終を目撃しているという理解が背景にあります。同じようなことが、契約の書である申命記に書かれています（申4：26）。「私は、きょう、あなたがたに対して、天と地とを証人に立てる。あなたがたは、ヨルダンを渡って、所有しようとしているその土地から、たちまちにして滅びうせる。そこで長く生きるどころか、すっかり根絶やしにされるだろう」（さらに、申30：19、31：28、イザ1：2など参照）。（3）イスラエルを訴えるのは【主】です。「【主】はその民を訴え、イスラエルと討論される」とあります。</p><p><br/></p><p><strong>主のことば</strong></p><p>3 ～ 5節は、【主】がイスラエルを訴えることばです。（1）【主】は反逆の民に対して、「私の民よ」と呼びかけておられます。イスラエルの民がいかに罪を犯そうとも、彼らは主に愛されている民です。【主】が彼らを糾弾し、彼らを裁くのは、彼らを愛しているからです。（2）【主】は、自分の側にどのような落ち度があったかと、イスラエルの民に迫ります。それに対して、イスラエルの民は何も答えることができません。<br>4 ～ 5節で、【主】はこれまでにイスラエルの民のためになしたことを列挙されます。合計4つのことが語られています。（1）【主】はイスラエルの民をエジプトから買い戻されました。これは出エジプトの出来事です。（2）次に【主】は、イスラエルの民に指導者を与えました。モーセは預言者、アロンは大祭司、ミリアムは女教師で民に踊りと賛美で【主】をたたえることを教えました。（3）モアブの王バラクと、ベオルの子バラムは、何度もイスラエルの民を呪いましたが、【主】はそれを祝福に変えました。（4）「シティムからギルガルまでに何があったか。それは【主】の正しいみわざを知るためであった」とあります。シティムとは、イスラエルの民がヨルダン川の東で宿営した最後の場所です。ギルガルとは、ヨルダン川の西の最初の宿営地です。シティムからギルガルへの旅は、国境を越えて約束の地に入る旅でした。その旅は、【主】がいかに契約に忠実なお方であるかを示しています。<br>以上のことから、【主】の側に何の落ち度もないことが分かります。イスラエルの民に残されている道は、自らの罪を告白し、悔い改めることだけです。私たちもまた、苦難の原因を神に求めたがる者ですが、それは愚かなことです。自らの罪を言い表す者だけが、神との和解と、魂の解放を経験することができます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたの側には何の落ち度もありません。恥と罪とは、私の側にあります。私の罪をお赦しください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=u_UZ3xY6eqE" />
         <pubDate>2026-04-21 18:00:54 UTC</pubDate>
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         <title>ミカ書6：6～8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3880159883</link>
         <description><![CDATA[<p>6 私は何をもって【主】の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のいけにえ、一歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。</p><p>7 【主】は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の犯したそむきの罪のために、私の長子ちょうしをささげるべきだろうか。私のたましいの罪のために、私に生まれた子をささげるべきだろうか。</p><p>8 主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。【主】は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。</p><p><br/></p><p><strong>【主】の法廷（2）</strong></p><p><strong>民の言葉</strong></p><p>前回に続いて、「【主】の法廷」の学びです。5章までと異なり、6 ～ 7章は対話形式で書かれていますので、話し手が誰であるかを理解することが大切です。<br>6 ～ 7節は、イスラエルの民が語っている言葉です。（1）【主】の糾弾のことば（3～5節）を聞いて、ついにイスラエルの民は自らの罪を認識し、それを告白します。しかし、彼らの罪の認識はきわめて表面的なもので、不十分です。それが彼らの言葉によって明らかになります。（2）彼らは、「私は何をもって【主】の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか」と自問自答しています。これは罪を認識した言葉ですが、彼らの頭の中にあるのは外側の行為だけです。（3）彼らは、【主】にささげるいけにえの可能性を数え上げています。「全焼のいけにえ」、「一歳の子牛」、「幾千の雄羊」、「幾万の油」などがそれです。（4）ついに彼らは、「私の犯したそむきの罪のために、私の長子をささげるべきだろうか。私のたましいの罪のために、私に生まれた子をささげるべきだろうか」とさえ語っています。彼らの頭の中には、イサクをささげたアブラハムのことがあったのでしょう。<br>イスラエルの民は、神の義を完全に誤解していました。いけにえは、モーセの律法が要求するもので、それ自体は悪いものではありません。しかし、内面的な悔い改めと義がない状態で、いくらいけにえをささげても、それは神に喜ばれるものとはなりません。内面的な義＋外面的な行為が、神に受け入れられるものです。</p><p><br/></p><p><strong>預言者ミカの言葉</strong></p><p>8節で預言者ミカは、【主】の思いを代弁しています。ミカ書の中でも極めて重要な聖句ですので、声に出して読んでみましょう。「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。【主】は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか」。（1）「公義を行い」とは、モーセの律法を実行することです。それも正しい動機で実行することです。信仰と悔い改めの伴わない外面的な行為は、神に受け入れられるものではありません。詩篇50篇、イザヤ1：10～ 17などは、そのことを教えています。（2）「誠実を愛し」とは、隣人愛の実践です。律法に従って歩んでいるなら、その人は自然に隣人愛を実践するようになります。（3）「へりくだってあなたの神とともに歩む」とは、日々神との交わりを楽しむということです。<br>ミカ6：8の教えは、マタイ22：37 ～ 40を想起させます。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』。これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです」。聖書全体の教えは、この2つの愛に集約されます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。今、ミカ書を通して聖書全体の教えの要約を見せていただきました。学んだことを実行することができますように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=Jc3WRYF5qJY" />
         <pubDate>2026-04-22 19:37:53 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ミカ書6：9～16</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3882048576</link>
         <description><![CDATA[<p>9 聞け。【主】が町に向かって叫ばれる。─御名を恐れることがすぐれた知性だ─聞け。部族、町を治める者。</p><p>10 まだ、悪者の家には、不正の財宝と、のろわれた枡ます目不足の枡があるではないか。</p><p>11 不正なはかりと、欺きの重り石の袋を使っている者を罪なしとすることがわたしにできようか。</p><p>12 富む者たちは暴虐に満ち、住民は偽りを言う。彼らの口の中の舌は欺く。</p><p>13 わたしもそこで、あなたを打って痛め、あなたの罪のために荒れ果てさせる。</p><p>14 あなたは食べても満ち足りず、あなたの腹は飢える。あなたは、移しても、のがすことはできない。あなたがのがした者は、わたしが剣に渡す。</p><p>15 あなたは種を蒔いても、刈ることがなく、オリーブをしぼっても、油を身に塗ることがない。新しいぶどう酒を造っても、ぶどう酒を飲むことができない。</p><p>16 あなたがたはオムリのおきてと、アハブの家のすべてのならわしを守り、彼らのはかりごとに従って歩んだ。それは、わたしがあなたを荒れ果てさせ、住民をあざけりとするためだ。あなたがたは、国々の民のそしりを負わなければならない。</p><p><br/></p><p><strong>【主】の法廷（3）</strong></p><p><strong>【主】のことば</strong></p><p>きょうの箇所は、再び【主】のことばに戻っています。イスラエルの民はミカ6：8の命令を実行することに失敗しました。失敗の内容が1つ1つ指摘されます。（1）彼らは【主】の正義を行うことに失敗しました（8 節の「公義を行い」の失敗です）。そのことを象徴しているのが、「枡目不足の枡」、「不正なはかり」、「欺きの重りの石の袋」です。これはモーセの律法で禁じられていることです。「あなたがたはさばきにおいても、ものさしにおいても、はかりにおいても、分量においても、不正をしてはならない。正しいてんびん、正しい重り石、正しいエパ、正しいヒンを使わなければならない。わたしは、あなたがたをエジプトの地から連れ出した、あなたがたの神、【主】である」（レビ19：35 ～36。申25：13 ～16 も参照）。彼らはモーセの律法に違反した行いをしていました。（2）彼ら、特に富む者たちは、社会的不正義を行いました。「富む者たちは暴虐に満ち、住民は偽りを言う。彼らの口の中の舌は欺く」とあるとおりです。彼らは隣人愛を実践することに失敗しました（8節の「誠実を愛し」の失敗です）。<br>第3の失敗に入る前に、罪のゆえに下る裁きの内容が挿入句のようにして宣言されています（13～15 節）。【主】の裁きが下ると3つの悲劇が起こります。（1）土地は荒廃します（13節）。（2）ききんが襲います（14節）。（3）収穫物の不作が続きます（14～15 節）。</p><p><br/></p><p><strong>第3の失敗</strong></p><p>第3の失敗は偶像礼拝の罪です（8節の「神とともに歩む」の失敗です）。「あなたがたはオムリのおきてと、アハブの家のすべてのならわしを守り、彼らのはかりごとに従って歩んだ。それは、わたしがあなたを荒れ果てさせ、住民をあざけりとするためだ。あなたがたは、国々の民のそしりを負わなければならない」（16節）とあります。（1）オムリは北王国イスラエルで新しい王朝を始めた人物です。彼は、彼以前のどの王よりも、金の子牛の礼拝を強調しました。オムリは悪王です（Ⅰ列16：25 ～ 26）。（2）アハブはフェニキアからイゼベルを妻に迎え、イスラエルにバアル礼拝を広めた王です。彼もまた父オムリと同様、悪王です（Ⅰ列16：30 ～33）。<br>この箇所から教訓を学びましょう。もし内面的な義（信仰）が伴っていないなら、外面的な儀式には何の意味もありません。内面的な実質があって初めて、儀式に意味が出てきます。そのことを覚えて、【主】の前を真実に歩むことを志こころざしましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたとともに歩むことを志します。どうか私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-04-23 19:47:57 UTC</pubDate>
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         <title>ミカ書7：1～6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3883647394</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ああ、悲しいことだ。私は夏のくだものを集める者のよう、ぶどうの取り残しの実を取り入れる者のようになった。もう食べられるふさは一つもなく、私の好きな初なりのいちじくの実もない。</p><p>2 敬虔けいけんな者はこの地から消えうせ、人の間に、正しい者はひとりもいない。みな血を流そうと待ち伏せし、互いに網あみをかけ合って捕らえようとする。</p><p>3 彼らの手は悪事を働くのに巧たくみで、役人は物を求め、さばきつかさは報酬ほうしゅうに応じてさばき、有力者は自分の欲するままを語り、こうして事を曲げている。</p><p>4 彼らのうちの善人もいばらのようだ。正しい者もいばらの生いけ垣がきのようだ。あなたの刑罰の日が、あなたを見張る者の日が来る。今、彼らに混乱が起きる。</p><p>5 友を信用するな。親しい友をも信頼するな。あなたのふところに寝る者にも、あなたの口の戸を守れ。</p><p>6 息子は父親を侮あなどり、娘は母親に、嫁はしゅうとめに逆らい、それぞれ自分の家の者を敵としている。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの民に下る最終的な裁き</strong></p><p><strong>預言的未来</strong></p><p>きょうの個所は、預言者ミカが語っている言葉です。彼は、「預言的未来」について語っています。その内容は、イスラエルの民に下る最終的な裁きです。それがいつ成就するのかは、1～ 2節の言葉によって知ることができます。（1）彼は非常に悲しんでいます。その理由は、自分が、刈り取りが終わった畑に出て行って実を集める者のようになったからです。つまり、実は残っていないのです。（2）「初なりのいちじく」とは、非常に美味なもので、すぐに摘つみ取られます（イザ28：4、ホセ9：10参照）。この文脈では、「初なりのいちじく」とは「義人（敬虔な者）」、つまり、「イスラエルの残れる者」のことです。（3）「敬虔な者はこの地から消えうせ、人の間に、正しい者はひとりもいない」とあります（2節）。どの時代においても、「イスラエルの残れる者」は存在するわけですから、敬虔な者が1人もいない状態というのは考えにくいことです。ただし、預言的未来を考えると、そうなる時が1つだけあります。それは、教会が携挙けいきょされた直後の時代です。信者はすべて天に挙げられますので、地上には不信者しか残らなくなります。その時に、大患難かんなん時代が訪れます。</p><p><br/></p><p><strong>裁きの内容</strong></p><p>預言者ミカは、大患難時代にイスラエルの民が経験するようになることを覚え、「ああ、悲しいことだ」と大いに嘆いています。（1）彼らは、社会全般にわたる堕落だらくを経験するようになります。2節には「みな血を流そうと待ち伏せし、互いに網をかけ合って捕らえようとする」とあります（詩12：1、14：2～3、53：2～3、イザ57：1～ 2参照）。（2）また彼らは、法律の世界での堕落を経験するようになります。3節に「彼らの手は悪事を働くのに巧みで、役人は物を求め、さばきつかさは報酬に応じてさばき、有力者は自分の欲するままを語り、こうして事を曲げている」とあります。（3）善人と見なされている人でも、実体は堕落しています。4節に「彼らのうちの善人もいばらのようだ。正しい者もいばらの生け垣のようだ」とあります。（4）それゆえ、彼の上に大患難時代が襲おそってきます。「あなたの刑罰の日が、あなたを見張る者の日が来る。今、彼らに混乱が起きる」。「あなたを見張る者の日」とは裁きの日、大患難時代のことです。<br>大患難時代になると、すべての人間関係が破壊されます。隣人も、親友も、妻でさえも信用できなくなります。また、家族関係も破壊されます。ユダヤ人たちは、強固な家族関係を持っている民として有名です。その彼らの家族関係が破壊されるのです。「息子は父親を侮り、娘は母親に、嫁はしゅうとめに逆らい、それぞれ自分の家の者を敵としている」とあるとおりです。主イエスもまた同じ預言をされました（マタ10：34 ～ 36で、主イエスはミカのこの預言を引用されました）。イエスをメシアと認めるかどうかで、人間関係や家族関係は、破壊されたり、修復されたりします。人類が抱えるすべての問題の解決は、イエス・キリストにあります。良き人間関係の回復を願うなら、まず自分が主イエスとの親密な関係を築くことが大切です。主イエスの内にすべての問題に対する解決策があります。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。過去、現在、未来にわたり、「主イエスの内にすべての問題に対する解決策がある」という真理は変わりません。まず私から、主との関係の構築を始めます。どうか私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-04-24 21:15:59 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ミカ書7：7～10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3884854465</link>
         <description><![CDATA[<p>7 しかし、私は【主】を仰あおぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の願いを聞いてくださる。</p><p>8 私の敵。私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がり、やみの中にすわっていても、【主】が私の光であるからだ。</p><p>9 私は【主】の激しい怒りを身に受けている。私が主に罪を犯したからだ。しかし、それは、主が私の訴えを取り上げ、私を正しくさばいてくださるまでだ。主は私を光に連れ出し、私はその義を見ることができる。</p><p>10 それで、私に向かい、「あなたの神、【主】は、どこにいるのか。」と言った私の敵は、これを見て恥はじに包まれる。私もこの目で敵をながめる。今、敵は道の泥どろのように踏みにじられる。</p><p><br/></p><p><strong>裁きの中にある希望</strong></p><p><strong>救いの希望</strong></p><p>前回の個所で、預言者ミカは大いに嘆なげいていました。それは、大患難時代にイスラエルの民に下る苦難を見たからです。きょうの個所では、彼は「裁きの中にある希望」を見て慰めを受けています。（1）彼は、救いの希望を見ています。「しかし、私は【主】を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の願いを聞いてくださる」（7節）。この希望は、イスラエルの民の霊的、また肉体的救いに関するものです。つまり、イスラエルの民の民族的救いに関する希望です。（2）さらに彼は、やみの中（大患難時代）にあっても、そこに【主】の光があるという希望を見ています。（3）彼は、「私の敵。私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がり、やみの中にすわっていても、【主】が私の光であるからだ」と預言しています。「敵」という言葉は、ヘブル語では女性名詞の単数形です。これは、イスラエルのもろもろの敵をひとまとめにした集合名詞です。つまり、すべてのイスラエルの敵に向かって、「私のことで喜ぶな」と語っているのです。その理由は、イスラエルの民はやがて起き上がるからです。（4）さらにミカは、「私は【主】の激しい怒りを身に受けている。私が主に罪を犯したからだ。しかし、それは、主が私の訴えを取り上げ、私を正しくさばいてくださるまでだ」（9節）と語っています。イスラエルの民は、自らの罪のゆえに裁きが下っていることを認めるようになります。「激しい怒り」とは、大患難のことです。その裁きが終わる時が来ます。それは、イスラエルの救いの時です。「主は私を光に連れ出し、私はその義を見ることができる」とは、その救いの預言です。より具体的には、メシア再臨さいりんの預言です。<br>イスラエルの敵は、ついに恥に包まれます。彼らは、「あなたの神、【主】は、どこにいるのか」（10節）と豪語ごうごして来た者たちです。その時、「私もこの目で敵をながめる。今、敵は道の泥のように踏みにじられる」（10節）という預言が成就じょうじゅします。</p><p><br/></p><p><strong>詩篇79篇</strong></p><p>詩篇79篇は、大患難時代の時のイスラエルの祈りを、詩的に表現したものです。イスラエルの敵は、「彼らの神はどこにいるのか」（10節）と言い、神の御名をあざけっています。イスラエルの民は、メシアの再臨を求めて祈ります。その祈りに答えてメシアが再臨され、イスラエルの敵を滅ぼされます。そこには、ミカ書7章と同じ内容が描かれています。<br>きょうの個所から、教訓を学びましょう。暗闇の中にも光があります。神はいつまでも怒ってはおられません。神の恵みによりすがることを学びましょう。イスラエルの民を呪う者はやがて恥を見るようになります。イスラエルの民を祝福する者は、神から祝福を受けるようになります。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。暗闇の中を歩く時も、あなたの光が消え去ることはありません。きょうもあなたの恵みによりすがって歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=Kp1hCkzq2O8" />
         <pubDate>2026-04-25 21:05:00 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ミカ書7：11～14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3885679560</link>
         <description><![CDATA[<p>11 あなたの石垣を建て直す日、その日、国境が広げられる。</p><p>12 その日、アッシリヤからエジプトまで、エジプトから大川まで、海から海まで、山から山まで、人々はあなたのところに来る。</p><p>13 しかし、その地は荒れ果てる。そこに住んでいた者たちのゆえに。これが彼らの行いの結んだ実である。</p><p>14 どうか、あなたの杖つえで、あなたの民、あなたご自身のものである羊を飼ってください。彼らは林の中、果樹園の中に、ひとり離れて住んでいます。彼らが昔の日のように、バシャンとギルアデで草をはむようにしてください。</p><p><br/></p><p><strong>回復の約束</strong></p><p><strong>神のことば（11～13節）</strong></p><p>11〜13節までは、神のことばです。神は、イスラエルの民の回復を預言されます。「あなたの石垣を建て直す日、その日、国境が広げられる」とあります。これはエルサレムの回復と拡張を預言したものです。ミカと同時代の預言者であるイザヤは、より詳細にこのテーマについて預言しています。それが、イザヤ28：14 ～22です。そこでは、（1）イスラエルの民が反キリストと契約を結ぶことが預言されています。「私たちは死と契約を結び、よみと同盟を結んでいる」（イザ28：15）。（2）続いて、その契約の結果、大患難時代が到来することも預言されています。大患難時代は、神の裁きの時です。（3）それが終わると、エルサレムの回復と拡張の時が訪れます。（4）回復の時になると、2つの主要な国からイスラエルの民が帰還してきます。アッシリヤとエジプトがそれです。同じ預言が、イザヤ11：15 ～ 16にあります。「【主】はエジプトの海の入江を干上がらせ、また、その焼けつく風の中に御手を川に向かって振り動かし、それを打って、七つの水無し川とし、くつばきのままで歩けるようにする。残される御民の残りの者のためにアッシリヤからの大路おおじが備そなえられる。イスラエルがエジプトの国から上って来た日に、イスラエルのために備えられたように」（イザ27：13、ホセ11：11、ゼカ10：10 ～11 なども参照）。<br>13節には「しかし、その地は荒れ果てる。そこに住んでいた者たちのゆえに。これが彼らの行いの結んだ実である」とあります。これは、回復の前に起こる地の荒廃こうはいの預言です（大患難時代に起こる荒廃です）。この荒廃は、イスラエルの民の罪のゆえです。</p><p><br/></p><p><strong>民の祈り（14節）</strong></p><p>回復の約束に応答して、民がその成就を求めて祈りをささげます。それが14節の内容です。民は、【主】が自分たちの羊飼いとなってくださるようにと祈っています。「果樹園」と訳された言葉は「カルメル」です。カルメルはカナンの地の西端にあります。バシャンとギルアデは、ヨルダン川の東側にあります。つまり民は、【主】の支配が西から東まで全地に及ぶようにと祈っているのです。<br>神の裁きが下っても、神から見放されたということではありません。神はイスラエルの民を回復するために、彼らの罪を裁かれるのです。それゆえ、神の約束を見いだしたならば、それに基もとづいて祈るのはよいことです。この原則は私たちにも当てはまります。私たちの祈りは、神の約束に基づいたものになっているでしょうか。「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」（Ⅱコリ7：10）。この聖句の意味を黙想してみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。私の祈りの生活が祝されますように。みこころに沿った祈りができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=9DH0gllNuQo" />
         <pubDate>2026-04-26 19:49:28 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ミカ書7：15～17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3887505973</link>
         <description><![CDATA[<p>15 「あなたがエジプトの国から出た日のように、わたしは奇くすしいわざを彼に見せよう。」</p><p>16 異邦の民も見て、自分たちのすべての力を恥じ、手を口に当て、彼らの耳は聞こえなくなりましょう。</p><p>17 彼らは、蛇へびのように、地をはうもののように、ちりをなめ、震えながら彼らのとりでから、私たちの神、【主】のみもとに出て来て、わなないて、あなたを恐れましょう。</p><p><br/></p><p><strong>辱めを受けるイスラエルの敵</strong></p><p><strong>神のことば</strong></p><p>きょうの個所は、14節の民の祈りに対する答えとして、神が語っておられるものです。その内容は、「イスラエルの敵は辱はずかしめを見る」ということです。<br>神は言われます。「あなたがエジプトの国から出た日のように、わたしは奇しいわざを彼に見せよう」。ここでの神のことばの底流にあるのは、出エジプトの出来事です。（1）出エジプトの出来事では、イスラエルの民を迫害したエジプト人たちは辱めを受けました。それと同じように、反ユダヤ主義に立つ異邦人諸国もまた辱めを受けるようになります。（2）「手を口に当て、彼らの耳は聞こえなくなりましょう」とは、辱めの大きさ、深さのゆえに、沈黙してしまう様子を表しています。（3）「彼らは、蛇のように、地をはうもののように、ちりをなめ、震えながら彼らのとりでから、私たちの神、【主】のみもとに出て来て、わなないて、あなたを恐れましょう」（17節）とあります。これは、【主】の裁きを恐れて震えている様子を描いています。反ユダヤ主義政策を実行して来た異邦人諸国は、メシアの再臨の後に裁きを受けます。</p><p><br/></p><p><strong>異邦人諸国の裁き</strong></p><p>メシアの再臨に続く異邦人諸国の裁きについては、旧約聖書にも新約聖書にも預言があります。（1）ヨエル3：1 ～ 3は、そのことを預言しています。少し長くなりますが、引用してみます。「見よ。わたしがユダとエルサレムの繁栄はんえいを元どおりにする、その日、その時、わたしはすべての国民を集め、彼らをヨシャパテの谷に連れ下り、その所で、彼らがわたしの民、わたしのゆずりの地イスラエルにしたことで彼らをさばく。彼らはわたしの民を諸国の民の間に散らし、わたしの地を自分たちの間で分け取ったからだ。彼らはわたしの民をくじ引きにし、子どもを遊女ゆうじょのために与え、酒のために少女を売って飲んだ」。（2）主イエスもまた同じことを預言しておられます。それがマタイ25：31～46です。「そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊やぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置きます」（32～ 33節）。羊は祝福を受け、山羊は裁きを受けます。羊と山羊の違いは、大患難時代にユダヤ人に対してどういう行動を取ったかの違いです。つまり、親ユダヤの人々が羊であり、反ユダヤの人々が山羊です。<br>次回の個所に出てきますが、神が背信のイスラエルを回復される理由は、アブラハム契約です（20節）。アブラハム契約の条項の中に、「イスラエルを祝福する者は祝福され、イスラエルを呪う者は呪われる」というものがあります。メシア再臨後の異邦人諸国の裁きは、まさにその条項に基づいて実行されるものです。神はご自身の契約をお守りになるお方です。私たちの救いの完成もまた、神の約束の確かさにかかっています。その神の御名をたたえようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。あなたはご自身の契約に忠実なお方です。私の救いは必ず完成します。あなたがそれをなしてくださるからです。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=OazylMv_P54" />
         <pubDate>2026-04-27 20:04:13 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ミカ書7：18～20</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3889439834</link>
         <description><![CDATA[<p>18 あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは、咎とがを赦し、ご自分のものである残りの者のために、そむきの罪を見過ごされ、怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれるからです。</p><p>19 もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ入れてください。</p><p>20 昔、私たちの先祖に誓ちかわれたように、真実をヤコブに、いつくしみをアブラハムに与えてください。</p><p><br/></p><p><strong>神への賛美</strong></p><p><strong>比類なき神</strong></p><p>きょうの個所は、預言者ミカ自身の言葉です。ミカは、「あなたのような神が、ほかにあるでしょうか」と叫び、神を賛美しています。（1）この言葉は、ミカという名前の意味と同じです。つまり彼は、自分の名前を使って言葉遊びをしているのです。（2）彼の脳裏にあるのは、出エジプトの出来事です。イスラエルの民がエジプトを脱出した後、モーセはこう叫んでいます。「【主】よ。神々のうち、だれかあなたのような方があるでしょうか。だれがあなたのように、聖であって力強く、たたえられつつ恐れられ、奇しいわざを行うことができましょうか」（出15：11）。奴隷状態にあったイスラエルの民を救出することのできるお方は、まことに偉大な神、比類ひるいなき神です。（3）ミカはモーセの言葉を下敷きにしながら、終末時代におけるイスラエルの民の救いについて語っています。「あなたは、咎を赦し、ご自分のものである残りの者のために、そむきの罪を見過ごされ、怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれるからです」（18節）。これは、「イスラエルの残れる者」の救いの預言です。（4）「もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ入れてください」（19節）。これは、出エジプトの出来事と同じような奇しいわざを行ってくださいという願いです。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの民が救われる理由</strong></p><p>20節にはイスラエルの民が救われる理由が書かれています。「昔、私たちの先祖に誓われたように、真実をヤコブに、いつくしみをアブラハムに与えてください」。出エジプトの出来事は、アブラハム契約に基づいて行われた神の奇蹟のわざです。それと同じように、終末時代におけるイスラエルの民の救いも、アブラハム契約に基づいて行われる神のみわざです。神がアブラハム契約においてイスラエルの民に約束されたことは、終末時代にすべて成就します。<br>メシアであるイエスの誕生もまた、アブラハム契約に基づいたものです。私たちは、メシアである主イエスを通して、アブラハム契約の「霊的祝福」にあずかっています。新約聖書は、私たちクリスチャンが受けている祝福を「奥義」という用語を用いて解説しています。「その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです」（エペ3：6）。私たち異邦人クリスチャンは、ユダヤ人と共同の相続人となりました。それゆえ、ユダヤ人に対して誇ってはなりません。むしろ、彼らに感謝し、その救いのために祈り、奉仕をすべきです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。私を共同相続人としてくださったことを感謝します。どうかあなたの民イスラエルに祝福がありますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=Lj2t4IpDAzI" />
         <pubDate>2026-04-28 20:59:44 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ナホム書1：1</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3891254271</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ニネベに対する宣告。エルコシュ人ナホムの幻の書。</p><p><br/></p><p><strong>はじめに</strong></p><p><strong>名前</strong></p><p>きょうからナホム書の学びを始めます。（1）ナホムという名前は、「慰めに満ちた」という意味です。ナホムは、ノアという名前と同じルート（語源）を持っています（ノアは「休息」という意味の言葉です）。（2）ナホム書は「慰めに満ちた」という意味とは裏腹に、アッシリヤとその首都ニネベに対するきびしい裁きを預言した書です。「宣告」と訳された言葉には、「重荷」という意味もあります。ナホムの預言は、ニネベに対して「重荷」となる「【主】からの宣告」です。（3）ナホムはエルコシュ人と言われています。しかし、彼の出身地に関しては、明確なことが分かっていません。彼が南王国ユダで活動した預言者であることは間違いないでしょう。ニネベが滅びたのは、前612年ですから、彼はそれ以前に活動した預言者です（おそらくマナセ王の時代でしょう）。（4）この書は、「ナホムの幻の書」です。つまり、ナホムは神からの啓示によってこの書に書かれている預言を語ったということです。</p><p><br/></p><p><strong>慰め</strong></p><p>ナホムはアッシリヤに対するきびしい預言を語りましたが、それは、大国アッシリヤに苦しめられていたイスラエルにとっては、大きな慰めとなりました。次回読む個所ですが、7節には、「【主】はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる」とあります。私たちの神は、苦難の日に「とりでとなってくださる神」です。ただし、その祝福は【主】に身を避ける者にだけ与えられるものです。<br>詩篇46 篇（コラの子たちによる）もまた、同じ真理を歌っています。「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け」（詩46：1）。「万軍の【主】はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである」（詩46：11）。<br>いかなる時でも、【主】にのみ信頼することを学ぼうではありませんか。日々【主】とともに歩んでいる人は、苦難の日に直面しても、【主】の御手の中に逃げ込むことを知っている人です。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。時が良くても悪くても、あなたは私にとっては「とりでなる神」です。きょうもあなたに信頼して、この世に出て行きます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=q_dm6gZ7A1A" />
         <pubDate>2026-04-29 20:18:55 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ナホム書1：2～8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3892808447</link>
         <description><![CDATA[<p>2 【主】はねたみ、復讐ふくしゅうする神。【主】は復讐し、憤いきどおる方。【主】はその仇あだに復讐する方。敵に怒りを保つ方。</p><p>3 【主】は怒るのにおそく、力強い。【主】は決して罰せずにおくことはしない方。主の道はつむじ風とあらしの中にある。雲はその足でかき立てられる砂ほこり。</p><p>4 主は海をしかって、これをからし、すべての川を干上ひあがらせる。バシャンとカルメルはしおれ、レバノンの花はしおれる。</p><p>5 山々は主の前に揺れ動き、丘々は溶け去る。大地は御前でくつがえり、世界とこれに住むすべての者もくつがえる。</p><p>6 だれがその憤りの前に立ちえよう。だれがその燃える怒りに耐えられよう。その憤りは火のように注がれ、岩も主によって打ち砕かれる。</p><p>7 【主】はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる。</p><p>8 しかし、主は、あふれみなぎる洪水で、その場所を滅ぼし尽くし、その敵をやみに追いやられる。</p><p><br/></p><p><strong>ニネベを滅ぼすお方とは</strong></p><p><strong>神の性質</strong></p><p>2節には、「【主】はねたみ、復讐する神。【主】は復讐し、憤る方。【主】はその仇に復讐する方。敵に怒りを保つ方」とあります。この節が、ナホム書1章の中心聖句であり、主要なテーマです。ナホムは、隆盛のただ中にあったニネベに対して「滅び」の預言を語ろうとしています。ニネベを滅ぼすお方がどういう性質を持った方なのか、これから見てみましょう。（1）【主】はねたみの神、復讐する神です。神は、罪をそのまま放置されるお方ではありません。神に敵対する者がいつまでも栄えることは決してありません。そのことを覚え、【主】を恐れることを学びましょう。（2）【主】は怒るのにおそい方、忍耐深いお方です（出34：6 ～7 参照）。そのことは、預言者ヨナの時代に実証済みです。神は預言者ヨナをニネベに遣わされました。ヨナのメッセージによってニネベの町は悔い改め、裁きを免れました。神の忍耐によって、ニネベの人々は死から免れました。しかし、次の世代の人々は再び元の罪深い姿に戻り、神の怒りを招くことになりました。（3）【主】は力ある神です。それゆえ、ニネベの罪を裁くことができるのです。神の力は、4つの領域で明らかに啓示されています。①神は、天候を支配しておられるお方です。「主の道はつむじ風とあらしの中にある。雲はその足でかき立てられる砂ほこり」（3節）とあるとおりです。②神は、水を支配しておられるお方です。「主は海をしかって、これをからし、すべての川を干上がらせる。バシャンとカルメルはしおれ、レバノンの花はしおれる」（4節）。バシャンは現代のゴラン高原です。そこは、ヨルダン川の水源の地です。カルメル山は水が豊富な山です。預言者エリヤがバアルの預言者たちと戦ったのは、この山の上です。レバノンもまた水が豊富な地として知られています。そのような水が豊富な地でも、【主】のことばによって水源が枯れてしまうのです。③神は、乾いた地を支配しておられるお方です。「山々は主の前に揺れ動き、丘々は溶け去る。大地は御前でくつがえり」（5節）とあります。④最後に、【主】は全人類を支配しておられるお方です。「世界とこれに住むすべての者もくつがえる」（5 節）とある通りです。</p><p><br/></p><p><strong>私たちの応答</strong></p><p>ナホムは、「だれがその憤りの前に立ちえよう。だれがその燃える怒りに耐えられよう」と問いかけています。力ある【主】の前に立ちうる人など、どこにもいません。しかしナホムは、【主】はとりでの神でもあることを私たちに告げています。これこそ、良き知らせです。「【主】はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる」（7節）。「神が愛なら、罪人を裁くことなどあり得ない」と主張する人たちがいます。その人たちは、神の性質の一つだけを強調しているのであって、全体を見ているとは言えません。神の性質のすべてを受け入れましょう。【主】にのみ信頼して歩む人は、幸いです。苦難の日に、【主】の御手の中に逃げ込む人は、幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。あなたは愛であり、義であり、忍耐深く、同時に、怒る神です。どうかあなたの全貌を受け入れ、あなたに信頼する者とならせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
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         <pubDate>2026-04-30 20:16:23 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ナホム書1：9～13</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3893633335</link>
         <description><![CDATA[<p>9 あなたがたは【主】に対して何をたくらむのか。主はすべてを滅ぼし尽つくす。仇は二度と立ち上がれない。</p><p>10 彼らは、からみついたいばら。大酒を飲んだ酔っぱらいのようであっても、かわいた刈かり株のように、全まったく焼き尽くされる。</p><p>11 あなたのうちから、【主】に対して悪巧わるだくみをし、よこしまなことを計はかる者が出たからだ。</p><p>12 【主】はこう仰せられる。「彼らは安らかで、数が多くても、刈り取られて消えうせる。わたしはあなたを苦しめたが、再び、あなたを苦しめない。</p><p>13 今、わたしは彼のくびきをあなたからはずして打ち砕き、あなたをなわめから解き放す。」</p><p><br/></p><p><strong>ニネベの滅び</strong></p><p><strong>ニネベに対して（9～11節）</strong></p><p>ニネベ（アッシリヤ）の滅びが予告されます。「あなたがたは【主】に対して何をたくらむのか。主はすべてを滅ぼし尽くす。仇は二度と立ち上がれない」。（1）ニネベの罪はすべて、【主】に対するものです。それゆえ、【主】からの裁きがニネベに下ります。その裁きによってニネベは二度と立ち上がれなくなります（再建されなくなる）。（2）「からみついたいばら」は、乾いていて燃えやすいものですが、ニネベもまたそのようにすぐに燃え尽きてしまいます。（3）「大酒を飲んだ酔っぱらい」は、現実と夢の区別がつかず、誤った希望を抱くものです。まさにそれが、ニネベの状態です。いかに彼らが誤った希望を持っていたとしても、「かわいた刈り株のように、全く焼き尽くされる」のです。（4）その理由は、「あなたのうちから、【主】に対して悪巧みをし、よこしまなことを計る者が出たからだ」。具体的には、「【主】に対して悪巧みをし、よこしまなことを計る者」とは、セナケリブのことです。彼のことは、「よこしまなことを計る者」（新改訳）、「よこしまな事を勧める者」（口語訳）、「よこしまな事を謀はかる者」（新共同訳）などと訳されています。「よこしまなこと」はヘブル語では「べリアル」です。これは、旧約聖書においてはサタンの呼称こしょうです。つまり、セナケリブというアッシリヤの王は、サタンの使者だということです。セナケリブがどのようにしてユダを攻撃し、苦しめたかは、イザヤ書36章と37章に詳しく記録されています。</p><p><br/></p><p><strong>ユダに対して（12～13節）</strong></p><p>次に、ユダに対する慰めの言葉が語られます。「彼らは安らかで、数が多くても、刈り取られて消えうせる。わたしはあなたを苦しめたが、再び、あなたを苦しめない。今、わたしは彼のくびきをあなたからはずして打ち砕き、あなたをなわめから解き放す」。（1）「彼ら」というのは、アッシリヤ軍のことです。エルサレムを包囲した時、彼らは自軍の兵士の数の多さのゆえに勝利を確信し、心安らかに休んでいました。（2）しかし、いかに数の上で勝っていても、【主】の前では敗北するしかありません。「刈り取られて消えうせる」とは、羊飼いが羊の毛を切る様子、あるいは、地主が伸びた草を刈る様子を連想させます。古代の戦争では、勝者が敗者を辱はずかしめるために、ひげや髪の毛をそり落とすのは珍しいことではありません。（3）アッシリヤの滅びと同時に、【主】はユダの解放を預言されます。その預言は、ユダにとっては喜びの知らせとなりました。<br>いかに権勢を誇っても、【主】に敵対する者は必ず滅びます。【主】を恐れ、【主】に従うことを学びましょう。【主】にあって希望を抱き続けるなら、必ず解放の時が訪れます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたに敵対する者たちが必ず滅びて行くことは、歴史が証明しています。どうか私を、あなたに忠実な者としてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-05-01 21:27:18 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ナホム書1：14～15</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3894459457</link>
         <description><![CDATA[<p>14 【主】はあなたについて命じられた。「あなたの子孫はもう散らされない。あなたの神々の宮から、わたしは彫像ちょうぞうや鋳像ちゅうぞうを断ち滅ぼす。あなたはつまらない者であったが、わたしはあなたの墓を設もうけよう。」</p><p>15 見よ。良い知らせを伝える者、平和を告げ知らせる者の足が山々の上にある。ユダよ。あなたの祭りを祝い、あなたの誓願せいがんを果たせ。よこしまな者は、もう二度と、あなたの間を通り過ぎない。彼らはみな、断ち滅ぼされた。</p><p><br/></p><p><strong>ユダへの良い知らせ</strong></p><p><strong>アッシリヤに対して（14節）</strong></p><p>14節は再びアッシリヤに向けて語られたことばです。「【主】はあなたについて命じられた。『あなたの子孫はもう散らされない。あなたの神々の宮から、わたしは彫像や鋳像を断ち滅ぼす。あなたはつまらない者であったが、わたしはあなたの墓を設けよう』」。これは新改訳による訳です。新共同訳では次のようになっています。「主はお前について定められた。『お前の名を継ぐ子孫は、もはや与えられない。わたしは、お前の神の宮から彫像と鋳像を断ち辱められたお前のために墓を掘る』」。（1）アッシリヤ人たちは、名前の存続にこだわりを持っていました。彼らは名を残すために、多くの記念碑を建てていました。しかし、名を残したいという彼らの願望は、完全に打ち砕かれてしまいます。子孫がいなくなるからです。（2）アッシリヤの偶像は【主】によって破壊されます。（3）そして、アッシリヤ人たちは墓に葬られます。それは、彼らが邪悪じゃあくで、罪深い者だからです。</p><p><br/></p><p><strong>ユダに対して（15節）</strong></p><p>アッシリヤの滅びの預言は、ユダにとっては良き知らせです。「見よ。良い知らせを伝える者、平和を告げ知らせる者の足が山々の上にある」（15節前半）。（1）この聖句は、イザヤ52：7の引用です。その聖句は、メシアによる終末的な慰めを預言したものですが、ナホムはそれを引用して、異なった適用を行っています。つまり、「アッシリヤからの解放という慰めのメッセージが、ユダに伝えられる」という適用を行っているのです。（2）さらにイザヤ52：7は、ローマ10：15でも引用されています。「遣わされなくては、どうして宣のべ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。『良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう』」。パウロもまた、イザヤ52：7を引用して、異なった適用を行ったのです。ロマ書の文脈では、「良いことの知らせ」とはイエス・キリストの福音のことです。<br>15節後半は、「ユダよ。あなたの祭りを祝い、あなたの誓願を果たせ。よこしまな者は、もう二度と、あなたの間を通り過ぎない。彼らはみな、断ち滅ぼされた」となっています。（1）「あなたの祭り」とは、3つの巡礼祭のことです。ユダの人々に、エルサレムに上って祝う巡礼祭を祝えという勧めがなされています。（2）その理由は、エルサレムに上る途中で妨害する者がいなくなるからです。アッシリヤ人たちは断ち滅ぼされたのです。<br>アッシリヤ滅亡の預言は、ユダの人々には「良い知らせ」となりました。現代の「良い知らせ」とは、イエス・キリストの福音のことです。私たちが福音のメッセージを隣人に伝える時、私たちは実に麗うるわしいことを実行しているのです。たとえ隣人から疎うとまれたとしても、神には喜ばれています。機会を見つけて、喜びの知らせを伝えることを実行しようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。福音のメッセージを私たちにおゆだねくださり、感謝します。どうか私を、喜びの知らせを伝える者としてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=VfLd99E9cOc" />
         <pubDate>2026-05-02 21:18:06 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ナホム書2：1～7</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3895946905</link>
         <description><![CDATA[<p>1 散らす者が、あなたを攻めに上って来る。塁るいを守り、道を見張り、腰をからげ、大いに力を奮ふるい立たせよ。</p><p>2 【主】は、ヤコブの栄えを、イスラエルの栄えのように回復される。─かすめる者が彼らをかすめ、彼らのぶどうのつるをそこなったからだ。</p><p>3 その勇士の盾たては赤く、兵士は緋色ひいろの服をまとい、戦車は整えられて鉄の火のようだ。槍やりは揺れ、</p><p>4 戦車は通りを狂い走り、広場を駆け巡る。その有様はたいまつのようで、いなずまのように走り回る。</p><p>5 貴人きじんたちは呼び出され、途上でつまずき倒れる。彼らはその城壁へ急ぎ、防柵ぼうさくを設ける。</p><p>6 町々の門は開かれ、宮殿は消え去る。</p><p>7 王妃は捕らえられて連れ去られ、そのはしためは鳩のような声で嘆き、胸を打って悲しむ。</p><p><br/></p><p><strong>ニネベへの侵略</strong></p><p><strong>バビロン軍（1節）</strong></p><p>きょうの個所では、ニネベ陥落かんらくの様子が詳細に預言されています。「散らす者が、あなたを攻めに上って来る。塁を守り、道を見張り、腰をからげ、大いに力を奮い立たせよ」（1節）。（1）これはニネベに対して語られたことばです。「散らす者」とは、バビロン軍とメディア軍の合同軍のことです。この侵略を指揮したのは、ネブカデネザルの父ナボポラッサです。（2）「塁を守り、道を見張り、腰をからげ、大いに力を奮い立たせよ」とは、ニネベに対する警告のことばです。もちろんこれは、皮肉的表現です。敵の大群の前には、防衛の努力などむなしいものです。</p><p><br/></p><p><strong>戦いの目的（2節）</strong></p><p>戦いの目的が2節に記されています。「【主】は、ヤコブの栄えを、イスラエルの栄えのように回復される。─かすめる者が彼らをかすめ、彼らのぶどうのつるをそこなったからだ」。（1）この戦いは、ユダとイスラエルを攻撃したアッシリヤへの【主】の報復の戦いです。アッシリヤ軍は、北王国イスラエルを滅亡させ、南王国ユダの町々を破壊し、首都エルサレムを包囲しました。「ぶどうのつるをそこなった」とは、イスラエルの民の子孫たちを殺したということです。（2）この戦いによってアッシリヤ（ニネベ）は滅び、イスラエルの栄えが回復されます。</p><p><br/></p><p><strong>戦いの様子（3～7節）</strong></p><p>侵略戦争の様子が実に生き生きと預言されています。全体から読み取れるのは、バビロンとメディアの合同軍が実に素早く攻撃を仕掛けてくるということです。（1）侵略軍は、実に見事に武装しています。盾は赤く、服は緋色、戦車は鉄の火のようです。当時は、戦車に松明たいまつをともして走ることがよく行われました。野戦に備えてのことです。（2）侵略軍は、ニネベの町に入り、その通りや広場を駆け巡ります。「いなずまのように走り回る」とは、動きが素早いことを表現した言葉です。（3）「貴人たちは呼び出され、途上でつまずき倒れる。彼らはその城壁へ急ぎ、防柵を設ける」とあります。敵の侵攻があまりにも急なので、町の中は大混乱に陥ります。城壁を守ろうとして慌てふためいている様子が、よく表現されています。（4）「町々の門は開かれ、宮殿は消え去る」とあります。新共同訳では「流れに面した門は開かれ、宮殿は揺れ動く」と訳されています。ニネベは2つの川の間に建てられた町でした。ニネベの崩壊は、川の氾濫はんらんによってもたらされました。（5）「王妃は捕らえられ」とありますが、原語では「フツァブ」です。これは王妃の固有名詞かもしれません。王妃が捕らえられることは、その国が征服されたということです。<br>【主】がご自身の民を守ってくださることに注目しましょう。神に敵対する者は、必ず滅びて行きます。最終的に神の御心がなることを知っている私たちは、何と幸いなことでしょうか。それゆえ、いかに困難な状況に置かれたとしても、忍耐して神の時を待つことを学ぼうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたはご自身の民を守り、導かれるお方です。私たちクリスチャンは、必ず勝利することが決まっている神の軍に所属しています。そのことのゆえに、感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=krwhnBK7Yi8" />
         <pubDate>2026-05-03 20:48:04 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ナホム書2：8～13</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3897490901</link>
         <description><![CDATA[<p>8 ニネベは水の流れ出る池のようだ。みな逃げ出して、「止まれ、立ち止まれ」と言っても、だれも振り返りもしない。</p><p>9 銀を奪え。金も奪え。その財宝は限りない。あらゆる尊い品々が豊富だ。</p><p>10 破壊、滅亡、荒廃こうはい。心はしなえ、ひざは震え、すべての腰はわななき、だれの顔も青ざめる。</p><p>11 雄獅子おじしの住みかはどこにあるのか。それは若い獅子のためのほら穴。雄獅子が出歩くとき、雌獅子と子獅子はそこにいるが、だれも脅おびやかす者はない。</p><p>12 雄獅子は子獅子のために、十分な獲物えものを引き裂き、雌獅子のためにかみ殺し、そのほら穴を、獲物で、その巣を、引き裂いた物で満たした。</p><p>13 見よ。わたしはあなたに立ち向かう。─万軍の【主】の御告げ─わたしはあなたの戦車を燃やして煙とする。剣つるぎはあなたの若い獅子を食い尽くす。わたしはあなたの獲物を地から絶やす。あなたの使者たちの声はもう聞かれない。</p><p><br/></p><p><strong>ニネベ陥落</strong></p><p><strong>逃亡する兵士たち（8～9節）</strong></p><p>きょうの箇所では、ニネベが陥落する様子が描かれています。「ニネベは、建てられたときから水を集める池のようであった。しかし、水は流れ出して「止まれ、止まれ」と言ってもだれも振り返らない」（新共同訳）とあります。（1）「水を集める池」とは、静かなプールのような状態を言います。それは、ニネベが安定した都であり、人口と富が豊かにあったことを示しています。そのニネベに一大事が起こります。（2）「水は流れ出して」とは、勇敢なアッシリヤの兵士たちが恐れをなして逃亡している様子を描写しています。指揮官が「止まれ、止まれ」と命じても、その声に聞き従う者はだれもいません。<br>【主】からバビロンとメディアの合同侵略軍に声がかかります。「銀を奪え。金も奪え。その財宝は限りない。あらゆる尊い品々が豊富だ」。兵士が逃亡したので、ニネベの富は略奪しやすい状態になりました。今までニネベが蓄たくわえてきた富が、一瞬の内に奪われてしまいます。</p><p><br/></p><p><strong>【主】による破壊（10～13節）</strong></p><p>ニネベが陥落したのは、【主】のみわざによるものです。10節には「破壊、滅亡、荒廃。心はしなえ、ひざは震え、すべての腰はわななき、だれの顔も青ざめる」とあります。（1）「破壊、滅亡、荒廃」という3つの言葉は、ヘブル語では発音が似かよっています。「ブカー、ムブカー、ムブラカー」というのがそれです。言葉遊びをすることによって、この破壊が壊滅的なものであったことが印象付けられます。（2）傲慢ごうまんとプライドに満ちていたアッシリヤ人の顔は、恐怖のために青ざめます。（3）「雄獅子の住みかはどこにあるのか」との問いが発せられます。雄獅子はアッシリヤの王のシンボルです。若い獅子（子獅子）は王子たちを象徴しています。雄獅子（王）は、獲物（外国の国々）を引き裂き、自らのほら穴を略奪した富で満たしていました。しかし、それらの富はすべて持ち去られます。<br>「見よ。わたしはあなたに立ち向かう」とあります。ニネベを滅ぼすのはバビロンとメディアの合同軍ですが、実際にそれを行うのは【主】ご自身です。【主】は、「あなたの使者たちの声はもう聞かれない」と言われます。アッシリヤは、近隣諸国に使者を派遣し、過酷な貢みつぎ物ものを要求してきましたが、今後はそれが不可能になります。<br>神とその民に敵対してきたニネベの最期を見ていると、主イエスのあのことばが思い浮かびます。「しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか』」（ルカ12：20）。神の前に謙遜になることを学びましょう。地上に富を蓄えるよりも、永遠に価値あることのために働くことを志こころざしましょう。神は、神とともに歩む者を大いに祝福されます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。ニネベの最期は悲惨なものでした。そこから教訓を学ばせてください。あなたの御前を謙遜に歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=cNCQhUVVbWg" />
         <pubDate>2026-05-04 19:55:39 UTC</pubDate>
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         <title>ナホム書3：1～7</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3899033369</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ああ。流血の町。虚偽きょぎに満ち、略奪りゃくだつを事とし、強奪ごうだつをやめない。</p><p>2 むちの音。車輪の響き。駆ける馬。飛び走る戦車。</p><p>3 突進する騎兵。剣のきらめき。槍のひらめき。おびただしい戦死者。山なすしかばね。数えきれない死体。死体に人はつまずく。</p><p>4 これは、すぐれて麗しい遊女、呪術を行う女の多くの淫行いんこうによるものだ。彼女はその淫行によって国々を、その魅力によって諸部族を売った。</p><p>5 見よ。わたしはあなたに立ち向かう。─万軍の【主】の御告げ─わたしはあなたのすそを顔の上までまくり上げ、あなたの裸を諸国の民に見せ、あなたの恥を諸王国に見せる。</p><p>6 わたしはあなたに汚物をかけ、あなたをはずかしめ、あなたを見せものとする。</p><p>7 あなたを見る者はみな、あなたから逃げて言う。「ニネベは滅びた」と。だれが彼女を慰めよう。あなたのために悔やむ者を、どこにわたしは捜そうか。</p><p><br/></p><p><strong>ニネベ陥落の理由（1）</strong></p><p><strong>流血の町（1～3節）</strong></p><p>きょうの個所では、ニネベ陥落の理由が列挙されています。最初の理由は、その悪行です。（1）ニネベは「流血の町」と呼ばれています。直訳すると「血の町」ですが、「血」という言葉は複数形になっています。つまり、ニネベはありとあらゆる血を流してきた町だということです。国内では罪のない人たちの血が流され、国外では諸国の民の血が流されてきました。ニネベの残忍さは、歴史が証明しています。（2）虚偽、略奪、強奪もまた、ニネベの悪行です。ニネベの宮廷では虚偽が横行し、不正に基づく略奪は日常茶飯事にちじょうさはんじでした。国外においては、諸国の強奪をくり返していました。<br>【主】はそのような悪行を憎まれます。それゆえ、バビロンとメディアの合同軍によって【主】の裁きがもたらされます。「むちの音。車輪の響き。駆ける馬。飛び走る戦車。突進する騎兵。剣のきらめき。槍のひらめき。おびただしい戦死者。山なすしかばね。数えきれない死体。死体に人はつまずく」。以上の表現は、ニネベが敵の攻撃を受ける様子を描いたものです。おびただしい数の人が殺されますので、逃げようとする人たちは、死体につまずくようになります。</p><p><br/></p><p><strong>オカルトの町（4～7節）</strong></p><p>ニネベ陥落の第2 の理由は、悪魔的宗教（オカルト的宗教）です。（1）ニネベは麗しい町ですが、それが遊女になり下がってしまいました。遊女になったとは、悪魔的宗教を取り入れたということです。「これ（ニネベ）は、すぐれて麗しい遊女、呪術を行う女の多くの淫行によるものだ。彼女はその淫行によって国々を、その魅力によって諸部族を売った」。ニネベは霊的淫行の町となりました。（2）またニネベは、周辺諸国に悪魔的宗教を広める役割を果たしました。ユダもまた、その悪影響を受けました。<br>【主】は霊的淫行を憎まれます。「見よ。わたしはあなたに立ち向かう。─万軍の【主】の御告げ─わたしはあなたのすそを顔の上までまくり上げ、あなたの裸を諸国の民に見せ、あなたの恥を諸王国に見せる」。（1）【主】を敵に回すことほど恐ろしいことはありません。そのような人には、何の希望も残されていません。（2）遊女は裸をさらすことになります。つまり、悪魔的宗教の本質が白日の下にさらされるということです。（3）ニネベは完全に滅び、その住民を慰める人は1人もいなくなります。<br>主イエスは、「だから、彼らを恐れてはいけません。おおわれているもので、現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません」（マタ10：26）と言われました。主に逆らうのではなく、主を恐れ、主とともに歩む人生を志そうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。あなたの御前では、隠れたものは何1 つありません。どうか光の中を歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=bI8P9kYNrA0" />
         <pubDate>2026-05-05 20:14:57 UTC</pubDate>
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         <title>ナホム書3：8～12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3900913531</link>
         <description><![CDATA[<p>8 あなたは、ナイル川のほとりにあるノ・アモンよりもすぐれているか。水がこれを取り囲む。その塁は海、その城壁は水。</p><p>9 クシュとエジプトはその力。それは限りがない。プテ人、ルブ人もその助け手。</p><p>10 しかし、これもまた、捕囚となり、とりことなって行き、その幼子たちもあらゆる町かどで八つ裂きにされ、その高貴な人たちもくじ引きにされ、そのおもだった者たちもみな、鎖につながれた。</p><p>11 あなたも酔いしれて身を隠し、敵から逃げてとりでを捜し求めよう。</p><p>12 あなたのすべての要塞ようさいは、初なりのいちじくを持ついちじくの木。それをゆさぶると、食べる者の口に落ちる。</p><p><br/></p><p><strong>ニネベ陥落の理由（2）</strong></p><p><strong>ノ・アモンへの残虐な行為（8～10節）</strong></p><p>前回は、ニネベ陥落の2つの理由を学びました。（1）悪行（流血の町、1～3節）と（2）悪魔的宗教（オカルトの町、4～7 節）がそれでした。きょうの個所では、第3の理由を学びます。それは、アッシリヤがノ・アモンに対して行った残虐な行為です。<br>（1）ノ・アモンは、上エジプトの首都で大いに栄えた町です。テーベという名でよく知られています。この都は、ナイル川の4つの支流によって守られた、ニネベよりもはるかに堅固けんごな要塞でした。「あなたは、ナイル川のほとりにあるノ・アモンよりもすぐれているか。水がこれを取り囲む。その塁は海、その城壁は水」とあるとおりです。（2）ノ・アモンは、4つの同盟国を持っていました。クシュ（エチオピア）、エジプト（下エジプトのこと）、プテ（ソマリア）、ルブ（リビヤ）がそれでした。（3）堅固な守りと4つの同盟国を有していたにもかかわらず、ノ・アモンはアッシリヤによって滅ぼされました（前663年、アッシュールバニパル王によって）。（4）アッシリヤの残忍な行為が列挙されています。「しかし、これもまた、捕囚となり、とりことなって行き、その幼子たちもあらゆる町かどで八つ裂きにされ、その高貴な人たちもくじ引きにされ、そのおもだった者たちもみな、鎖につながれた」。征服した敵の幼子を八つ裂きにして殺すのは、アッシリヤの常套手段でした。兵士たちは高貴な者たちを奴隷として売り飛ばすために、くじを引きました。それとは対照的に、征服された国の要人たちは、鎖につながれました。</p><p><br/></p><p><strong>【主】からの裁き（11～12節）</strong></p><p>このような残忍な行為のゆえに、ニネベは陥落します。ニネベよりも堅固なノ・アモンが陥落したのですから、ニネベの陥落はそれよりも容易にやって来ます。（1）「あなたも酔いしれて身を隠し、敵から逃げてとりでを捜し求めよう」とあります。「酔いしれて」というのは、神の怒りの杯さかずきによって酔いしれる（恐れる、裁きを受ける）ということです（イザ49：26、エレ25：17、27 など参照）。（2）さらに、ニネベの滅びは速やかにやって来ます。「あなたのすべての要塞は、初なりのいちじくを持ついちじくの木。それをゆさぶると、食べる者の口に落ちる」とあるとおりです。初なりのいちじくは、収穫期の最初に実るもので、すぐに食べられてしまいます（黙6：13参照）。<br>私たちが信じる神は、愛であり、義であり、聖であるお方です。そのお方の前では、残忍な行為が見過ごしにされることはあり得ません。詩篇73篇のアサフの賛歌は、まさにそのテーマを取り上げています。アサフは、悪人が大いに栄えているのを見て人生の矛盾むじゅんを感じ、こう歌っています。「私は、これ（なぜ悪人が栄えるのか）を知ろうと思い巡らしたが、それは、私の目には、苦役であった。私は、神の聖所に入り、ついに、彼らの最後を悟った。まことに、あなたは彼らをすべりやすい所に置き、彼らを滅びに突き落とされます。まことに、彼らは、またたくまに滅ぼされ、突然の恐怖で滅ぼし尽くされましょう」。悪人が栄えているのを見て、うらやましく思う必要はありません。むしろ、神を恐れつつ歩むべきです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。他の人がどうであれ、私に関しては、あなたを愛し、あなたにお従いします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-05-06 20:00:43 UTC</pubDate>
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         <title>ナホム書3：13～19</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3902823569</link>
         <description><![CDATA[<p>13 見よ。あなたの兵士は、あなたの中にいる女だ。あなたの国のもろもろの門は、敵のために広くあけ放たれ、火はあなたのかんぬきを焼き尽くす。</p><p>14 包囲の日のための水を汲み、要塞を強固にせよ。泥の中に入り、粘土を踏みつけ、れんがの型を取っておけ。</p><p>15 その時、火はあなたを焼き尽くし、剣はあなたを切り倒し、火はばったのようにあなたを焼き尽くす。あなたは、ばったのように数を増し、いなごのようにふえよ。</p><p>16 あなたの商人を天の星より多くしても、ばったがこれを襲って飛び去る。</p><p>17 あなたの衛兵は、いなごのように、あなたの役人たちは、群がるいなごのように、寒い日には城壁の上でたむろし、日が出ると飛び去り、だれも、どこへ行くか行く先を知らない。</p><p>18 アッシリヤの王よ。あなたの牧者たちは眠り、あなたの貴人たちは寝込んでいる。あなたの民は山々の上に散らされ、だれも集める者はいない。</p><p>19 あなたの傷は、いやされない。あなたの打ち傷は、いやしがたい。あなたのうわさを聞く者はみな、あなたに向かって手をたたく。だれもかれも、あなたに絶えずいじめられていたからだ。</p><p><br/></p><p><strong>ニネベの陥落</strong></p><p><strong>完全な崩壊（14～17節）</strong></p><p>ナホム書の最後の部分にやって来ました。この個所では、ニネベの完全な崩壊が預言されています。（1）アッシリヤの兵士たちは女のように弱くなり、敵に対抗することができなくなります。その結果、もろもろの門があけ放たれ、敵が自由に侵入して町を焼き尽くします。（2）アッシリヤに対する皮肉のことばが語られます。「包囲の日のための水を汲み、要塞を強固にせよ。泥の中に入り、粘土を踏みつけ、れんがの型を取っておけ」。いくら準備しても負け戦いくさなのですが、それでも準備せよというのです。（3）ニネベの陥落は、全面的なものとなります。「火はあなたを焼き尽くし、剣はあなたを切り倒し」とあるとおりです。（4）ニネベの人口は、ばったやいなごのように多いのですが、町を救うための役には立ちません。それどころか、彼らは商人たちが集めて来た富に襲いかかり、それを略奪するようになります。（5）いなごのような集団は、指導者から一般の民に至るまで、逃げ去るようになります。</p><p><br/></p><p><strong>希望のない民（18～19節）</strong></p><p>（1）ニネベの崩壊により、住民たちは希望のない民となります。「アッシリヤの王よ。あなたの牧者たちは眠り、あなたの貴人たちは寝込んでいる。あなたの民は山々の上に散らされ、だれも集める者はいない」とあります。「あなたの牧者たちは眠り、あなたの貴人たちは寝込んでいる」とは、指導者たちが死んだという意味です。ニネベの住民たちには、将来民を集める指導者が与えられていません。それゆえ、これは絶望的な状況なのです。（2）また彼らには、慰めは与えられません。「あなたの傷は、いやされない。あなたの打ち傷は、いやしがたい。あなたのうわさを聞く者はみな、あなたに向かって手をたたく。だれもかれも、あなたに絶えずいじめられていたからだ」とあるとおりです。慰められないどころか、彼らのうわさを聞いた諸国民たちは、大いに喜びます。それは、程度の差はあっても、すべての国がアッシリヤによって苦しめられていたからです。<br>ダビデは詩篇39篇で、人生のむなしさをこう歌っています。「まことに、人は幻のように歩き回り、まことに、彼らはむなしく立ち騒ぎます。人は、積みたくわえるが、だれがそれを集めるのかを知りません。主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです。私のすべてのそむきの罪から私を助け出してください。私を愚か者のそしりとしないでください」（6～8節）。この詩篇の内容は、私たちの心をそのまま表しているのではないでしょうか。神を待ち望まないなら、人生はむなしいものです。神こそ私たちの望みであり、慰めです。その神に、「私のすべてのそむきの罪から私を助け出してください」と祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。あなたにのみ望みを置きます。私を赦し、満たし、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=u3TzYwSGJh8" />
         <pubDate>2026-05-07 20:14:30 UTC</pubDate>
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         <title>ハバクク書1：1</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3904397377</link>
         <description><![CDATA[<p>1 預言者ハバククが預言した宣告。</p><p><br/></p><p><strong>神との対話</strong></p><p><strong>預言者ハバクク</strong></p><p>きょうからハバクク書の学びを始めます。（1）ハバククについて。ハバククとは、「抱擁ほうようする」、「抱きしめる」、「容認する」などの意味です。彼に関しては、南王国ユダの預言者であるということ以外は、詳しいことは分かりません。（2）時代的背景。ハバククが活躍した時代に関しても、詳しいことは分かりません。この書の中にある記述から類推するしかありません。「わたしはカルデヤ人を起こす」（1：6）という表現があり、バビロニヤ（カルデヤ人）の台頭が多くの人たちにとって驚きとなることが預言されています。バビロニヤとメディヤの合同軍がアッシリヤ帝国の首都ニネベを陥落させたのは、前612年ですから、ハバククの活動はそれ以前から始まっていたと考えられます。</p><p><br/></p><p><strong>ハバクク書の特徴</strong></p><p>（1）この書は、小預言書の中ではきわめてユニークなものです。通常預言者たちは、神のことばを神の民に対して、また敵に対して語りました。しかしハバクク書の場合は、そうではありません。この書は、ハバククと神との対話を記録した書です。（2）この書のテーマは、「救い」、「信仰」、「信仰義認」などですが、さらに重要なテーマを見落としてはなりません。ハバククは、「いつまで、救ってくださらないのですか」（1：2）と神に訴えていますが、それは地上における「悪と罪の問題」を解決してほしいという叫びでもあります。最終的にハバククがたどり着く結論は、「あなたは、ご自分の民を救うために出て来られ、あなたに油そそがれた者を救うために出て来られます。あなたは、悪者の家の頭を粉々に砕くだき、足もとから首まで裸にされます」（3：13a）というものです。つまり、メシアの来臨らいりんこそ、すべての問題の解決になると彼は確信したのです。</p><p><br/></p><p><strong>新約聖書における引用</strong></p><p>（1）2：4は、ロ－マ1：17に引用されています。「なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです」。さらに、ガラテヤ3：11でも引用されています。「ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。『義人は信仰によって生きる』のだからです」。（2）2：3～4は、ヘブル10：37～38に引用されています。「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退しりぞくなら、わたしのこころは彼を喜ばない」<br>ハバクク書のメッセージは、きわめて現代的な意味と適用を持っています。私たちもまた、メシアの再臨を待ち望んでいます。それが成就するまでに私たちに必要なのは、信仰と忍耐と忠実な歩みです。「見よ。彼の心はうぬぼれていて、まっすぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる」（2：14）。アーメン。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。主イエスの再臨を信じます。どうか私に、信仰と忍耐と忠実な歩みを与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=AwK7iGhhXA8" />
         <pubDate>2026-05-08 21:03:17 UTC</pubDate>
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         <title>ハバクク書1：2～11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3905017032</link>
         <description><![CDATA[<p>2 【主】よ。私が助けを求めて叫んでいますのに、あなたはいつまで、聞いてくださらないのですか。私が「暴虐」とあなたに叫んでいますのに、あなたは救ってくださらないのですか。</p><p>3 なぜ、あなたは私に、わざわいを見させ、労苦をながめておられるのですか。暴行と暴虐は私の前にあり、闘争とうそうがあり、争いが起こっています。</p><p>4 それゆえ、律法は眠り、さばきはいつまでも行われません。悪者が正しい人を取り囲み、さばきが曲げて行われています。</p><p>5 異邦の民を見、目を留めよ。驚き、驚け。わたしは一つの事をあなたがたの時代にする。それが告げられても、あなたがたは信じまい。</p><p>6 見よ。わたしはカルデヤ人を起こす。強暴で激しい国民だ。これは、自分のものでない住まいを占領しようと、地を広く行き巡る。</p><p>7 これは、ひどく恐ろしい。自分自身でさばきを行い、威厳いげんを現す。</p><p>8 その馬は、ひょうよりも速く、日暮れの狼よりも敏びんしょうだ。その軍馬は、はね回る。その騎兵は遠くからやって来て、鷲わしのように獲物を食おうと飛びかかる。</p><p>9 彼らは来て、みな暴虐をふるう。彼らの顔を東風ひがしかぜのように向け、彼らは砂のようにとりこを集める。</p><p>10 彼らは王たちをあざけり、君主たちをあざ笑う。彼らはすべての要塞をあざ笑い、土を積み上げて、それを攻め取る。</p><p>11 それから、風のように移って来て、過ぎて行く。自分の力を自分の神とする者は罰せられる。</p><p><br/></p><p><strong>ハバククの最初の疑問</strong></p><p><strong>いつまで（2～4節）</strong></p><p>ハバククが感じていた疑問は、神の民ユダの中で暴虐が行われていたことです。暴虐という言葉（ヘブル語で「ハマス」）は、この書に6回出てきます（1：2、3、9、2：8、17に2回）。彼は、それに関して何度も祈ってきたようです。しかし、神からの回答はなく、神は無関心を装っておられるようです。そこでハバククは、こう問いかけます。「【主】よ。私が助けを求めて叫んでいますのに、あなたはいつまで、聞いてくださらないのですか。私が『暴虐』とあなたに叫んでいますのに、あなたは救ってくださらないのですか」<br>（1）ハバククの疑問は、神はどうして民の罪をそのまま放置しておられるのか、というものでした。（2）その結果、南王国ユダでは律法は実行されず、放置されたままになっています。（3）それどころか、悪者が正しい人を圧迫し、裁判においては裁きが曲げて行われるようになっています。罪に対して敏感なハバククにとっては、それは見過ごしにできない状況でした。</p><p><br/></p><p><strong>神の回答（5～11節）</strong></p><p>彼の疑問に対して、ついに神からの回答が与えられます。それは、神がユダを裁くための器を起こされるというものです。ユダの暴虐を裁く器は、これまた暴虐を特徴とするカルデヤ人、つまりバビロニヤです。（1）「異邦の民を見、目を留めよ。驚き、驚け。わたしは一つの事をあなたがたの時代にする。それが告げられても、あなたがたは信じまい。見よ。わたしはカルデヤ人を起こす。強暴で激しい国民だ。これは、自分のものでない住まいを占領しようと、地を広く行き巡る」とあります。この回答が与えられた時点では、バビロニヤは注目されることのない小国でした。それゆえ、この国が強国として歴史の舞台に登場することは、驚愕きょうがくすべき出来事なのです。ちなみに、5節は、使徒13：41 に引用されています（その文脈では、福音のメッセージが驚愕すべき内容となっています）。（2）バビロニヤは強暴で、自立した国です。「自分自身でさばきを行う」というのは、自立し、自らが神のように振る舞っている様子を描いています。（3）この国民は、非常に速く移動し、短期間のうちに世界を征服するようになります。（4）「暴虐」が彼らの特徴です。つまり、野蛮やばんで暴力を振るう民だということです。（5）彼らは戦略に長たけており、いかなる要塞を持った国でも、容易に征服してしまいます。（6）彼らは、「自分の力を神とする者たち」です。バビロニヤ人たちは偶像礼拝者でしたが、その上に、自分の力を神とするという罪の上塗りをしました。しかし、自分の力を過信することが、彼らの最大の弱点となりました。バビロニヤは、最終的にはその傲慢な態度のゆえに、神に裁かれることになります。<br>「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ」（箴16：18）とあります。このことを心に留めましょう。これと正反対の箴言は、「【主】を恐れることは知恵の訓戒くんかいである。謙遜は栄誉に先立つ」（15：33）です。これもまた心に留めようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。どうか私が、【主】を恐れることを学ぶことができますように、私をお守りください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-05-09 21:27:29 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ハバクク書1：12～17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3905658160</link>
         <description><![CDATA[<p>12 【主】よ。あなたは昔から、私の神、私の聖なる方ではありませんか。私たちは死ぬことはありません。【主】よ。あなたはさばきのために、彼を立て、岩よ、あなたは叱責しっせきのために、彼を据えられました。</p><p>13 あなたの目はあまりきよくて、悪を見ず、労苦に目を留めることができないのでしょう。なぜ、裏切り者をながめておられるのですか。悪者が自分より正しい者をのみこむとき、なぜ黙っておられるのですか。</p><p>14 あなたは人を海の魚のように、治める者のないはう虫のようにされます。</p><p>15 彼は、このすべての者を釣り針で釣り上げ、これを網で引きずり上げ、引き網で集める。こうして、彼は喜び楽しむ。</p><p>16 それゆえ、彼はその網にいけにえをささげ、その引き網に香をたく。これらによって、彼の分け前が豊かになり、その食物も豊富になるからだ。</p><p>17 それゆえ、彼はいつもその網を使い続け、容赦ようしゃなく、諸国の民を殺すのだろうか。</p><p><br/></p><p><strong>ハバククの第2の疑問</strong></p><p><strong>信頼の告白（12節）</strong></p><p>ハバククの最初の疑問は、神はどうして民の罪をそのまま放置しておられるのか、というものでした。それに対して、神からの回答が与えられました。それは、ユダを裁くための器を起こすというものでした。ユダの暴虐を裁く器は、これまた暴虐を特徴とするカルデヤ人、つまりバビロニヤです。その回答を聞いて、ハバククの心により重大な第2の疑問が湧いてきました。彼は、その疑問を口にする前に、まず神への信頼を告白しています。<br>（1）「【主】よ。あなたは昔から、私の神、私の聖なる方ではありませんか。私たちは死ぬことはありません」。ハバククは、イスラエルの民が完全に滅びることはないと確信しています。その理由は、神と彼らの間に契約関係があるからです。そして、聖なる神は決して約束を破ったり、契約を破棄したりする方ではありません。（2）「【主】よ。あなたはさばきのために、彼（バビロニヤ）を立て、岩よ、あなたは叱責のために、彼を据えられました」。ハバククは、神が2つの目的をもってバビロニヤを立てられることを理解しました。①それはユダを裁くためです。②さらにそれは、ユダを叱責し、矯正きょうせいするためです。裁きのための裁きではなかったのです。事実、ユダの民はバビロン捕囚に引かれて行きましたが、70年後に帰還した時には、偶像礼拝からは完全に抜け出していました。矯正が功こうを奏そうしたのです。ハバククは、そこまでは理解しましたが、どうしても分からないことがありました。そこで彼は、第2の疑問を発します。</p><p><br/></p><p><strong>第2の疑問（13～17節）</strong></p><p>彼の疑問は、ユダが罪深いことは分かるが、なぜそのユダよりも邪悪なバビロニヤを用いてユダを裁くのかということでした。「あなたの目はあまりきよくて、悪を見ず、労苦に目を留めることができないのでしょう。なぜ、裏切り者をながめておられるのですか。悪者が自分より正しい者をのみこむとき、なぜ黙っておられるのですか」。（1）この疑問は、20世紀のホロコーストに関する疑問と同じです。ユダヤ人が罪人であることは分かるが、なぜそれよりもはるかに罪深いナチを用いてユダヤ人を裁くのかという疑問です。（2）バビロニヤが漁師で、ユダの民は魚にたとえられています。「彼は、このすべての者を釣り針で釣り上げ、これを網で引きずり上げ、引き網で集める。こうして、彼は喜び楽しむ」。ユダの民は、いとも簡単に捕らえられ、バビロンに連行されます。（3）バビロニヤは、ユダの民を引きずり上げた網を礼拝します。つまり、自らの軍事力を誇り、それを神とするということです。（4）ハバククは、バビロニヤはいつまでこのような暴虐を働くのかと大いに恐れます。<br>神の回答がどのようなものであるかは、次回、確認します。ここでは、「人の目にいくら遅く見えても、神はご自身のタイミングで、必ず悪を罰する」ということを確認しておきましょう。「この幻は、定めの時について証言しており、終わりについて告げ、まやかしを言ってはいない。もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない」（2：3）。この聖句を自分のものとし、心に蓄えようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたの時を待つことを教えてください。時には待ちきれないこともありますが、どうか私に忍耐心を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=iUHPARBIToQ" />
         <pubDate>2026-05-10 20:17:31 UTC</pubDate>
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         <title>ハバクク書2：1～3</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3907465707</link>
         <description><![CDATA[<p>1 私は、見張所みはりじょに立ち、とりでにしかと立って見張り、主が私に何を語り、私の訴えに何と答えるかを見よう。</p><p>2 【主】は私に答えて言われた。幻を板の上に書いて確認せよ。これを読む者が急使きゅうしとして走るために。</p><p>3 この幻は、定めの時について証言しており、終わりについて告げ、まやかしを言ってはいない。もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない。</p><p><br/></p><p><strong>幻を書き記せ</strong></p><p><strong>見張り所に立ち（1節）</strong></p><p>ハバククは神と親密な関係を維持していました。彼は、疑問に思うことをそのまま神に伝えています。ハバククの疑問は、ユダを裁くために、なぜそれ以上に罪深いカルデヤ人（バビロニヤ）を用いるのかというものでした。神はハバククを叱責せず、その疑問に答えておられます。<br>ハバククは、真剣に神からの答えを待ちました。「私は、見張り所に立ち、とりでにしかと立って見張り、主が私に何を語り、私の訴えに何と答えるかを見よう」とあるとおりです。（1）「見張り所」とは、城壁の上にある見張り所ではなく、畑の真ん中に立つ見張りの塔です。中東では、作物の収穫期になると、農夫たちはその塔に立ち、盗人ぬすびとが来ないかどうか監視を続けます。今でもその習慣が残っています。（2）ハバククは、神からの回答が来ることを期待しつつ待っています。この姿勢は、すべての信仰者が学ぶべきものです。私たちの側に、神の声を聞きたいという願いと期待はあるでしょうか。</p><p><br/></p><p><strong>【主】からの答え（2～3節）</strong></p><p>【主】からの答えが返って来ました。「幻を板の上に書いて確認せよ。これを読む者が急使として走るために。この幻は、定めの時について証言しており、終わりについて告げ、まやかしを言ってはいない。もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない」。（1）【主】からの答えは、幻の形でやって来ました。その幻の内容は、4～20節に記されています。（2）ハバククは、その内容を板の上に書くように命じられました。神の啓示を明確に文字で記すことによって、その内容が同世代の人たちだけでなく、後代の人たちにも伝えられます。（3）書かれた内容を読んだ人たちは、短時間のうちに、次々に隣人たちにその内容を伝えるようになります。その様子は、あたかも急使が走っているかのようです。（4）人間の目には遅れているかのように見えても、神の計画は、神の時が来ると必ず成就します。神は、「定めの時」に歴史に介入し、地上での悪を裁き、ご自身の御心を確立されます。神のことばは必ず実現します。（5）それゆえ、神の約束を信じる者たちは、忍耐を働かせて神の時を待つ必要があるのです。ハバクク書2：3は、ヘブル10：37～ 38に引用されています。<br>「神はなぜすぐにご自身のお約束を成就されないのか」という疑問は、あらゆる時代の信仰者たちが抱くものです。私たちもまた、試練に会った時にそのような疑問を抱く者です。大切なことは、神がどのようなお方であるかを知ること、私たちの神のようなお方がほかにはいないことを再確認することです。「それは必ず来る。遅れることはない」との神のことばを、今受け取りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。あなたの計画には、「定めの時」があります。そのことを信じます。私に待つことを教えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-05-11 19:32:39 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ハバクク書2：4～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3909440187</link>
         <description><![CDATA[<p>4 見よ。彼の心はうぬぼれていて、まっすぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。</p><p>5 実にぶどう酒は欺くものだ。高ぶる者は定まりがない。彼はよみのようにのどを広げ、死のように、足たることを知らない。彼はすべての国々を自分のもとに集め、すべての国々の民を自分のもとにかき集める。</p><p><br/></p><p><strong>幻の内容</strong></p><p><strong>正しい人は（4節）</strong></p><p>神からハバククに与えられた幻の内容を見てみましょう。神は、「見よ。彼の心はうぬぼれていて、まっすぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる」とお語りになりました。新共同訳では、「見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる」と訳されています。<br>（1）高慢な者とは、神のことばを信じない人のことです。不信仰の原因は、うぬぼれとプライドにあります。自分の思いを第一にして生きる人は、その心が神から離れ、やがて滅びを刈り取ることになります。（2）しかし、神のことばを信じ、それに従って生きる人は信仰者であり、義人です。ハバククは、神がなぜカルデヤ人を用いてユダを裁くのか、理解できませんでした。それに対して神は、すべてが神の計画どおりに進んでいることと、最終的にはすべての問題が解決することとを信じるように、ハバククにお命じになりました。信仰者は、「今の自分には理解できないことがあるが、それでも私は神の約束を信じる」と告白するのです。4節は、ロ－マ1：17とガラテヤ3：11に引用されています。「なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです」（ロマ1：17）。</p><p><br/></p><p><strong>カルデヤ人の滅び（5節）</strong></p><p>次に神は、罪深く傲慢なカルデヤ人は必ず滅ぼされると預言されます。滅びの原因がいくつか列挙されています。（1）ぶどう酒による酩酊めいていという罪。「実にぶどう酒は欺くものだ。高ぶる者は定まりがない」。カルデヤ人が酒飲みであることは、歴史上よく知られています。酩酊と高ぶりとは、双子のようなものです（ダニ5 章参照）。（2）貪欲という罪。「彼はよみのようにのどを広げ、死のように、足ることを知らない。彼はすべての国々を自分のもとに集め、すべての国々の民を自分のもとにかき集める」。カルデヤ人たちは、諸国を略奪し、富を自分のもとに集めました。しかし、いくら集めても、その貪欲な心が満たされることはありませんでした。神の視点からは、彼らの貪欲は「よみ（シオール）」のようであり、「死」のようです。「よみ」とは死者が行く場所です。カルデヤ人の貪欲は「よみ」のように大きく口を開け、飽くことなく諸国の人々と富とを飲み込んで行きます。この貪欲こそ、破滅の種となります。2：6～20では、カルデヤ人（バビロン）の滅亡が預言されます（次回学びます）。<br>酩酊、傲慢、貪欲は、現代人の罪でもあります。パウロのこの勧告を思い起こそうではありませんか。「夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか」（ロマ13：12～13）。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。どうか私を、酩酊、傲慢、貪欲の罪からお守りください。昼間らしい生き方を志します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-05-12 20:40:38 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ハバクク書2：6～11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3911225449</link>
         <description><![CDATA[<p>6 これらはみな、彼についてあざけりの声をあげ、彼を皮肉り、風刺ふうししてこう言わないだろうか。「ああ。自分のものでないものを増し加える者。─いつまでだろうか─その上に担保たんぽを重くする者。」</p><p>7 あなたをかむ者が突然起き上がり、あなたを揺り動かす者が目ざめないだろうか。あなたは彼らに奪い取られる。</p><p>8 あなたが多くの国々を略奪りゃくだつしたので、ほかのすべての国々の民が、あなたを略奪する。あなたが人の血を流し、国や町や、そのすべての住民に暴力をふるったためだ。</p><p>9 わざわいだ。自分の家のために不正な利得りとくをむさぼり、わざわいの手からのがれるために、自分の巣を高い所に据すえる者。</p><p>10 あなたは自分の家のために恥はずべきことを計はかり、多くの国々の民を滅ぼした。あなたのたましいは罪を犯した。</p><p>11 まことに、石は石垣から叫び、梁はりは家からこれに答える。</p><p><br/></p><p><strong>5つのあざけりの歌（1）</strong></p><p><strong>第1のあざけりの歌（6～8節）</strong></p><p>前回の個所で、神は、罪深く傲慢なカルデヤ人（バビロニヤ）を必ず裁くと預言されました。きょうの個所では、それを受けて、将来起こるカルデヤ人の滅びが「5つのあざけりの歌」で描写されています。これらの「あざけりの歌」は、皮肉であり、風刺です。その中には、悲しみ、裁き、滅びの理由などが歌われています。これと同じ滅びが、カルデヤ人だけでなく、傲慢で神に敵対して生きるすべての人を襲います。5つのあざけりの歌の内容を、2回に分けて学んでみましょう。<br>6節に、「これらはみな、彼についてあざけりの声をあげ、彼を皮肉り、風刺してこう言わないだろうか。『ああ。自分のものでないものを増し加える者。──いつまでだろうか──その上に担保を重くする者』」とあります。（1）カルデヤ人の罪の1つが、貪欲です。ここに描かれているのは、債権者が貸した以上のものを取り立てるので、債務者が怒って反抗して来るという図式です。（2）カルデヤ人は、多くの国々を略奪しました。今度は、略奪された側が、カルデヤ人を略奪する番です。実際にバビロニヤを滅ぼすのは、ペルシヤとメディヤです。</p><p><br/></p><p><strong>第2のあざけりの歌（9～11節）</strong></p><p>9節に、「わざわいだ。自分の家のために不正な利得をむさぼり、わざわいの手からのがれるために、自分の巣を高い所に据える者」とあります。（1）カルデヤ人の第2の罪は、不正の利得です。（2）その不正の利得を用いて、彼らは大きな家を建て、自分だけでなく家族をも富ませようとしました。（3）「自分の巣を高い所に据える者」とは、鷲わしの巣のイメージをもとにした表現で、王家の宮殿を指します。カルデヤ人は、バベルの塔のような高い塔をいくつも建てた民です。（4）建材として用いられた石や梁は、彼らが不正の利得で自らの家を建設したことの証拠として残ります。「まことに、石は石垣から叫び、梁は家からこれに答える」とは、そういう意味です。不正な利得は、やがてカルデヤ人自身を滅ぼすようになります。<br>第1と第2の歌は、ともに貪欲どんよくへの警告となっています。個人であれ国家であれ、貪欲に支配されるなら、霊的いのちは窒息していきます。主イエスは言われました。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒けいかいしなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです」（ルカ12：15）。このことばの意味を黙想してみましょう。自分の中に、変えるべき点がないかどうか、祈ってみましょう。貪欲の根本原因は、神に信頼しない心であり、偶像礼拝に傾かたむく心です。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたは私の必要をすべてご存じです。どうか私を貪欲から解放してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=CvvECmqF3ek" />
         <pubDate>2026-05-13 19:46:28 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ハバクク書2：12～20</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3913015309</link>
         <description><![CDATA[<p>12 わざわいだ。血で町を建て、不正で都を築き上げる者。</p><p>13 これは、万軍ばんぐんの【主】によるのではないか。国々の民は、ただ火で焼かれるために労ろうし、諸国の民は、むなしく疲れ果てる。</p><p>14 まことに、水が海をおおうように、地は、【主】の栄光を知ることで満たされる。</p><p>15 わざわいだ。自分の友に飲ませ、毒を混ぜて酔わせ、その裸を見ようとする者。</p><p>16 あなたは栄光よりも恥で満ち足りている。あなたも飲んで、陽の皮を見せよ。【主】の右の手の杯さかずきは、あなたの上に巡めぐって来て、恥があなたの栄光をおおう。</p><p>17 レバノンへの暴虐ぼうぎゃくがあなたをおおい、獣けものへの残虐があなたを脅おびやかす。あなたが人の血を流し、国や町や、そのすべての住民に暴力をふるったためだ。</p><p>18 彫刻師の刻んだ彫像や鋳像ちゅうぞう、偽いつわりを教える者が、何の役に立とう。物言わぬ偽りの神々を造って、これを造った者が、それにたよったところで、何の役に立とう。</p><p>19 わざわいだ。木に向かって目をさませと言い、黙っている石に向かって起きろと言う者よ。それは像だ。それは金や銀をかぶせたもの。その中には何の息もない。</p><p>20 しかし【主】は、その聖なる宮におられる。全地よ。その御前に静まれ。</p><p><br/></p><p><strong>5つのあざけりの歌（2）</strong></p><p><strong>第3のあざけりの歌（12～14節）</strong></p><p>将来起こるカルデヤ人の滅びが「5 つのあざけりの歌」で描写されています。これらの「あざけりの歌」は、皮肉であり、風刺です。その中には、悲しみ、裁き、滅びの理由などが歌われています。前回は、第1と第2の「あざけりの歌」を見ましたので、今回は残りの3つを見てみましょう。<br>12節に、「わざわいだ。血で町を建て、不正で都を築き上げる者」とあります。（1）カルデヤ人の第3 の罪は、「流血」と「不正」です。つまり、人間の命を踏みにじることで都を建設したということです。（2）諸国民を奴隷として使役しえきして築き上げたカルデヤ人の王国は、火で焼かれ、跡形もなくなります。（3）14節に驚くべきことばが出てきます。「まことに、水が海をおおうように、地は、【主】の栄光を知ることで満たされる」。この聖句は、イザヤ11：9の引用で、メシア的王国（千年王国）の預言となっています。ここでハバククが語っているのは、カルデヤ人に代表される神の敵が全滅し、【主】の栄光が地をおおうようになるのは、メシア的王国においてであるということです。</p><p><br/></p><p><strong>第4のあざけりの歌（15～17節）</strong></p><p>15節に、「わざわいだ。自分の友に飲ませ、毒を混ぜて酔わせ、その裸を見ようとする者」とあります。（1）カルデヤ人の第4の罪は、ぶどう酒を使った「恥ずべき行為」です。彼らは見せかけの親切によって友を酔わせ、次に略奪行為を行います。（2）カルデヤ人の略奪行為は、人間に対してだけでなく、自然界や動物界に対しても行われました。（3）隣人にぶどう酒を飲ませたカルデヤ人たちは、次に神の怒りの杯を飲まされるようになります（エレ25：15～ 17参照）。</p><p><br/></p><p><strong>第5のあざけりの歌（18～20節）</strong></p><p>18節に、「彫刻師の刻んだ彫像や鋳像、偽りを教える者が、何の役に立とう。物言わぬ偽りの神々を造って、これを造った者が、それにたよったところで、何の役に立とう」とあります。（1）カルデヤ人の第5の罪は、偶像礼拝です。伝統的に、バビロンは偶像礼拝にまみれた地です。創世記の記述によれば、バビロンは偶像礼拝が誕生した地です（創11 章）。（2）しかし、それが彫像であれ、金や銀をかぶせたものであれ、偶像には何の力もありません。カルデヤ人の偶像は無力で、人を救うことができないのです。<br>20節に、「しかし【主】は、その聖なる宮におられる。全地よ。その御前に静まれ」とあります。この聖句が、ハバクク書2章の結論です。ハバククの時代、シャカイナグローリー（【主】の栄光）は、エルサレムの神殿の至聖所しせいじょの中に輝いていました。そのお方を忘れて物言わぬ偶像に助けを求めることは、愚かなことです。今、御前に静まり、私たちが信頼できるお方は唯一であることを認め、告白しようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>創造主なる神よ。真の神であるあなたを忘れることは、愚かなことです。日々御前に静まり、ご臨在の中を歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=dtFGmoWSy8k" />
         <pubDate>2026-05-14 20:27:33 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ハバクク書3：1～2</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3914502906</link>
         <description><![CDATA[<p>1 預言者ハバククの祈り。シグヨノテに合わせて。</p><p>2 【主】よ。私はあなたのうわさを聞き、【主】よ、あなたのみわざを恐れました。この年のうちに、それをくり返してください。この年のうちに、それを示してください。激しい怒りのうちにも、あわれみを忘れないでください。</p><p><br/></p><p><strong>ハバククの祈り（1）</strong></p><p><strong>1章と2章のまとめ</strong></p><p>ハバクク書1 章と2章のまとめをしてみましょう。（1）ハバククは、なぜ神がユダの罪（特に暴虐の罪）をそのまま見過ごしておられるのか、疑問に感じました。（2）それに対する神からの答えは、神はカルデヤ人（バビロニヤ）を用いてユダを裁くというものでした。（3）それを聞いて、ハバククに第2の疑問が浮かんできました。なぜ神は、ユダよりもさらに罪深い民であるカルデヤ人をお用いになるのか、というのがその疑問でした。（4）それに対する神の答えは、神はそのカルデヤ人をも裁くというものでした。ここには、「イスラエルを呪う者は呪われる」というアブラハム契約の原則があります。<br>神からの答えを聞いて、ハバククは祈りをささげます。その祈りの内容が、きょうの個所に書かれています。ハバククは、神の約束がすみやかに成就じょうじゅするようにと祈っています。と同時に、彼は、今は理解できないことがあっても、【主】の再臨さいりんの時にはすべて解決するという信仰を告白しています。この祈りは、再臨を前提とした祈りです（3～ 15節に再臨のテーマが出てきます）。</p><p><br/></p><p><strong>恐れるハバクク</strong></p><p>1節に「預言者ハバククの祈り。シグヨノテに合わせて」とあります。この祈りは、ハバクク自身のものです。またそれは、神殿での礼拝に用いられる祈りともなりました。「シグヨノテ」というのは、あるメロディのことです。<br>2節に「【主】よ。私はあなたのうわさを聞き、【主】よ、あなたのみわざを恐れました。この年のうちに、それをくり返してください。この年のうちに、それを示してください。激しい怒りのうちにも、あわれみを忘れないでください」とあります。非常に難解な個所です。（1）彼は恐れています。その理由は、【主】の裁きについての預言を与えられたからです。イスラエルにとって最大の苦難の時は、私たちが大患難時代と呼んでいる時です。ハバククが、黙示録で啓示されることになる内容をどの程度具体的に理解していたかは分かりませんが、少なくとも大患難時代の到来だけは理解したのです。（2）「この年のうちに、それをくり返してください。この年のうちに、それを示してください」とあります。新共同訳では、「数年のうちにも、それを生き返らせ数年のうちにも、それを示してください」とあります。「年」という言葉は、原文では複数形です。つまりこれは、短期間の間に、【主】の計画が成就するようにという祈りです（黙示録の預言から言えば、これは7年間です）。（3）さらにハバククは、大患難時代において「【主】のあわれみ」があるようにと祈っています。ミカ書7章で、ミカが同じ祈りをささげています。ミカは、大患難時代の間に「イスラエルの残れる者（真の信仰者たち）」が守られるようにと祈っています。<br>詩篇78：38に「しかし、あわれみ深い神は、彼らの咎とがを赦して、滅ぼさず、幾度も怒りを押さえ、憤りのすべてをかき立てられはしなかった」とあります。神の恵みとあわれみがなければ、私たちは神の前に出ることができません。私たちも、神のあわれみを求める祈りをささげようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたはあわれみ深いお方です。どうか怒りによってではなく、あわれみと恵みによって私を取り扱ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=ggZLkRlSARo" />
         <pubDate>2026-05-15 21:10:15 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ハバクク書3：3～15</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3915841686</link>
         <description><![CDATA[<p>3 神はテマンから来られ、聖なる方はパランの山から来られる。　　　セラ<br>その尊厳そんげんは天をおおい、その賛美は地に満ちている。</p><p>4 輝きは光のよう。ひらめきはその手から放たれ、そこに力が隠されている。</p><p>5 その御前を疫病えきびょうが行き、熱病はそのうしろに従う。</p><p>6 神は立って、地を測はかり、見渡して、諸国の民を震え上がらせる。とこしえの山は打ち砕かれ、永遠の丘は低くされる。しかし、その軌道きどうは昔のまま。</p><p>7 私が見ると、クシャンの天幕は乱れ騒ぎ、ミデヤンの地の幕屋はわなないている。</p><p>8 【主】よ。川に怒りを燃やされるのですか。あなたの怒りを川に向けられるのですか。それとも、あなたの憤りを海に向けられるのですか。あなたは、馬に乗り、あなたの救いの戦車に乗って来られます。</p><p>9 あなたの弓はおおいを取り払われ、ことばの杖つえの誓いが果たされます。　　　セラ<br>あなたは地を裂いて川々とされます。</p><p>10 山々はあなたを見て震え、豪雨は流れ去り、深い淵ふちはその声を出し、その手を高く上げます。</p><p>11 太陽と月はその住みかにとどまります。あなたの矢の光によって、あなたのきらめく槍やりの輝きによって、それらは動きます。</p><p>12 あなたは、憤って、地を行き巡り、怒って、国々を踏みつけられます。</p><p>13 あなたは、ご自分の民を救うために出て来られ、あなたに油そそがれた者を救うために出て来られます。あなたは、悪者の家の頭を粉々に砕き、足もとから首まで裸にされます。　　　セラ</p><p>14 あなたは、戦士たちの頭に矢を刺さし通されます。彼らは隠れている貧しい者を食い尽つくす者のように、私をほしいままに追い散らそうと荒れ狂います。</p><p>15 あなたは、あなたの馬で海を踏みつけ、大水に、あわを立たせられます。</p><p><br/></p><p><strong>ハバククの祈り（2）</strong></p><p><strong>メシアの再臨（3～7節）</strong></p><p>ハバククは祈りの中で、神の約束がすみやかに成就するようにと願っています。と同時に、彼は、今は理解できないことがあっても、【主】の再臨の時にはすべて解決するという信仰を告白しています。<br>3節に「神はテマンから来られ、聖なる方はパランの山から来られる。その尊厳は天をおおい、その賛美は地に満ちている」とあります。（1）メシアが地上に再臨される場所は、ミカ2：12によれば、エドムの首都ボツラ（現在のペトラ）です。「わたしは彼らを、おりの中の羊（ボツラの羊）のように、牧場まきばの中の群れのように一つに集める。こうして人々のざわめきが起ころう」とあります。（2）3節では、「神はテマンから来られ、聖なる方はパランの山から来られる」と預言されています。ボツラ（ペトラ）からエルサレムに向かうと、最初に出てくる町がテマンです。道程は、ボツラ、テマン、パランの荒野、そしてエルサレム近郊のヨシャパテの谷（ケデロンの谷）、エルサレムの順です。（3）メシアの再臨が、シャカイナグローリーの現れとして描写されています（ゼカ14章でも同じことが預言されています）。（4）メシアの再臨は、罪人には恐ろしい出来事です。6 節には、「神は立って、地を測り、見渡して、諸国の民を震え上がらせる。とこしえの山は打ち砕かれ、永遠の丘は低くされる。しかし、その軌道は昔のまま」とあります。震え上がる諸国の民とは、イスラエルを滅ぼすために侵攻した国々です。ミデヤンの地に住む人々（クシャンの天幕）がわなないているのは、メシアの再臨が起こったからです。</p><p><br/></p><p><strong>天変地異（8～15節）</strong></p><p>メシアの再臨にともなって、さまざまな異変が起こります。（1）8～10節には、地上に起こる異変が描かれています。（2）11節には、宇宙で起こる異変が描かれています。（3）12～15節には、私たちがハルマゲドンの戦いと呼んでいる最終戦争が描写されています。「あなた」というのは、メシアのことです。メシア再臨の目的は、イスラエルを救うためです（より詳細な預言がイザ63：1～7にあります）。「悪者の家の頭」とは、反キリストのことです。Ⅱテサロニケ2：8には、「その時になると、不法の人が現れますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨らいりんの輝きをもって滅ぼしてしまわれます」とあります。メシアの再臨の時、反キリストが最初に滅ぼされます。（4）イスラエルの敵は、イスラエルの民を追い散らそうとして、荒れ狂います（ハバククが「私」と言っているのは、イスラエルの民のこと）。しかし、メシアは超自然的な力をもってイスラエルの敵を撃破されます。<br>ハバククは、人生におけるさまざまな疑問や矛盾に対する答えを、メシアの再臨の中に見いだしました。メシアが地上に再臨される時、すべての悪は滅ぼされ、矛盾が解決します。そのことを信じましょう。今は理解できなくても、【主】の御心がすべて成就する時が来ます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。私たちにメシア再臨の希望をお与えくださり、感謝します。私の信仰が揺るがされることのないように、私をお守りください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=1ltgqRZo5f4" />
         <pubDate>2026-05-16 21:16:22 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ハバクク書3：16～19</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3916511601</link>
         <description><![CDATA[<p>16 私は聞き、私のはらわたはわななき、私のくちびるはその音のために震える。腐れは私の骨のうちに入り、私の足もとはぐらつく。私たちを攻める民に襲いかかる悩みの日を、私は静かに待とう。</p><p>17 そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。</p><p>18 しかし、私は【主】にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。</p><p>19 私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。指揮者のために。弦楽器に合わせて。</p><p><br/></p><p><strong>ハバククの祈り（3）</strong></p><p><strong>イスラエルの残れる者の信仰</strong></p><p>ハバクク書の最後の個所では、イスラエルの残れる者（真の信仰者）の信仰が描写されています。（1）16節には「私は聞き、私のはらわたはわななき、私のくちびるはその音のために震える。腐れは私の骨のうちに入り、私の足もとはぐらつく」とあります。これまでの預言の内容は、大患難時代、ハルマゲドンの戦い、そしてメシアの再臨でした。それを聞いて、ハバククは恐れ、震えました。（2）彼が恐れた理由は、イスラエルの救いが成就する前に、大患難時代があり、ハルマゲドンの戦いがあるからです。それらのことを通過して後に、メシアの再臨があります。人間の力ではどうすることもできないような苦難が、イスラエルの民を襲うのです。（3）16節後半には、「私たちを攻める民に襲いかかる悩みの日を、私は静かに待とう」とあります。ハバクク（信仰者）にできるのは、信仰を持って神の御心が成就するのを静かに待つことだけです。</p><p><br/></p><p><strong>勝利の祈り</strong></p><p>ハバクク3章の祈りが、実は「勝利の祈り」であることが最後に明らかになります。（1）大患難時代になると、食物が欠乏します。いちじくも、ぶどうも、オリーブも、野菜も、実らなくなります。そればかりか、羊や牛もいなくなります。普通なら、神に対して疑いを抱いてもおかしくないような状況が訪れます。（2）絶望的な状況の中で、ハバククは祈ります。「しかし、私は【主】にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう」（18節）。逆境が、ハバククを神に近づけたのです。ここに、本物の信仰があります。（3）19節に「私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる」とあります。「私の主、神は、私の力」とは、神への絶対的な信頼の表明です。「高い所」とは、祝福の場所、安全な所、です。<br>ハバクク書の中心的な教えは、2つあります。（1）「正しい人はその信仰によって生きる」（2：4）。信仰者は、理解できないような状況に遭遇そうぐうしても、神の計画が最善であることを信じて前進します。（2）不可解なことや矛盾に思えるようなことは、メシアの再臨の時にすべて解決します。それを信じて歩むのが真の信仰者です。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。ハバクク書を通して、信仰の真髄を学ぶことができました。あなたのご計画は必ず成就することを信じます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-05-17 20:27:22 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ゼパニヤ書1：1</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3918557747</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代に、クシの子ゼパニヤにあった【主】のことば。クシはゲダルヤの子、ゲダルヤはアマルヤの子、アマルヤはヒゼキヤの子である。</p><p><br/></p><p><strong>預言者の紹介</strong></p><p><strong>ヒゼキヤの家系</strong></p><p>きょうからゼパニヤ書の学びに入ります。ゼパニヤという名前の意味は、「【主】が隠される者」です。1：1は預言者ゼパニヤの紹介です。「ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代に、クシの子ゼパニヤにあった【主】のことば。クシはゲダルヤの子、ゲダルヤはアマルヤの子、アマルヤはヒゼキヤの子である」。この聖句からゼパニヤの背景について考えてみましょう。<br>（1）ゼパニヤはヨシヤ王の時代に活躍した預言者です（前640～609年）。その前の王はマナセという悪王でした。その跡あとを継ついだヨシヤ王は、善王でした。彼の治世に、南王国ユダでリバイバルが起こりました。（2）彼の家系は4代前まで遡さかのぼって記しるされています。クシ─ゲダルヤ─アマルヤ─ヒゼキヤの4代です。これは珍しいことです。父の名が記されている預言者としては、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ホセア、ヨエル、ヨナがいます。2代前まで記されているのは、ゼカリヤです。それ以外の預言者たちは、父の名が明かされていません。ですから、ゼパニヤのように4代前までその名が記されているのは、きわめて例外的なことです。その理由は、4代前のヒゼキヤにあります。これはヒゼキヤ王のことです（2列18：1～20：20）。つまり、ゼパニヤが王家の家系から出ていることを示すために、4代にわたって先祖の名が記されているということです。（3）ゼパニヤは南王国ユダ、特にエルサレムで活躍しました。彼が王家の出であることは、大いに益があったと思われます。（4）同時代の預言者としては、ナホム、ハバクク、エレミヤがいます。</p><p><br/></p><p><strong>ゼパニヤのメッセージ</strong></p><p>南王国ユダは、ヨシヤ王の時代に霊的覚醒かくせいを経験しましたが、それでも、宮廷の中は腐敗で満ちていました。特に、混合宗教がはびこっていました。その時代に対するゼパニヤのメッセージのテーマは、「【主】の日」ということです。これは私たちが「大患難時代」と呼んでいるものです。ヨエルもまた同じテーマで預言をしました。<br>ゼパニヤは、神のうながしを受けて、民に警告を発しました。（1）彼は、世界を襲う神の裁きが来ると警告を発しました。（2）と同時に、神は優しい方なので、悔い改める者を赦し守ってくださると希望のメッセージを語りました。ゼパニヤ書を通して、神のきびしさと優しさを学びましょう。「【主】の大いなる日」が私たちを襲う前に、心の方向を変えて神に立ち返りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたは義であり、愛なるお方です。どうか、あなたのあわれみと忍耐を軽んじることのないように、私をお守りください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-05-18 20:09:34 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼパニヤ書1：2～3</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3920647069</link>
         <description><![CDATA[<p>2 わたしは必ず地の面おもてから、すべてのものを取り除く。─【主】の御告みつげ─</p><p>3 わたしは人と獣けものを取り除き、空の鳥と海の魚を取り除く。わたしは、悪者どもをつまずかせ、人を地の面から断たち滅ぼす。─【主】の御告げ─</p><p><br/></p><p><strong>普遍的な裁き</strong></p><p><strong>滅びは全面的に起こる</strong></p><p>ゼパニヤ書のテーマが、「【主】の日」であることは前回確認しました。【主】の日とは、大患難時代のことです。「わたしは必ず地の面から、すべてのものを取り除く。─【主】の御告げ─」（2節）とあります。（1）「─【主】の御告げ─」という表現が、2節と3節に連続して出てきます。これはゼパニヤの預言が厳粛げんしゅくな託宣たくせんであることを示しています。（2）神は、「わたしは必ず地の面から、すべてのものを取り除く」と言われます。新共同訳では「わたしは地の面からすべてのものを一掃いっそうする、と主は言われる」と訳されています。「一掃する」という訳語は的確です。箒ほうきによって地の面が掃はき清められているイメージが浮かびます。ノアの時代には、地は洪水によって滅ぼされました。【主】の日が来ると、今度は箒で掃き清められるように、悪が取り除かれます。<br>「わたしは人と獣を取り除き、空の鳥と海の魚を取り除く。わたしは、悪者どもをつまずかせ、人を地の面から断ち滅ぼす。─【主】の御告げ─」（3節）とあります。（1）一掃される順番は、人、獣、空の鳥、海の魚の順です。これは、天地創造の時の順番が逆になったものです（創1：20～26）。（2）「わたしは、悪者どもをつまずかせ、」という部分は、新共同訳では「神に逆らう者をつまずかせ」と訳されています。「神に逆らう者」とは偶像のことでしょう。【主】の日には、すべての偶像は一掃されます。（3）「人を地の面から断ち滅ぼす」とあります。ここにはヘブル語の言葉遊びがあります。人（アダム）を地（アダマー）から一掃するというのです。</p><p><br/></p><p><strong>私たちへの教訓</strong></p><p>【主】の日（大患難時代）の目的は、地上から悪を除き去ることです。これは悪人にとっては恐るべきことです。神は罪に対してはきびしいお方です。しかし、罪人に対しては優しいお方です。それゆえ、さまざまな方法を通して、私たちに警告を発してくださるのです。ペテロの言葉に耳を傾けましょう。「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです」（2 ペテ3：9）<br>神を恐れ、神とともに歩むことを今から始めようでありませんか。神は罪人の帰還を待っておられます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたを恐れ、あなたとともに歩むことを教えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-05-19 20:41:41 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ゼパニヤ書1：4～6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3922704039</link>
         <description><![CDATA[<p>4 わたしの手を、ユダの上に、エルサレムのすべての住民の上に伸ばす。わたしはこの場所から、バアルの残りの者と、偶像に仕つかえる祭司たちの名とを、その祭司たちとともに断ち滅ぼす。</p><p>5 また、屋上おくじょうで天の万象ばんしょうを拝おがむ者ども、また、【主】に誓ちかいを立てて礼拝しながら、ミルコムに誓いを立てる者ども、</p><p>6 また、【主】に従うことをやめ、【主】を尋ね求めず、主を求めない者どもを断ち滅ぼす。</p><p><br/></p><p><strong>宗教的罪に下る裁き</strong></p><p><strong>裁かれるユダ</strong></p><p>普遍ふへん的な裁きが下ることを冒頭（2～3節）で述べたゼパニヤは、次に神の民であるユダに下る裁きについて預言します。「わたしの手を、ユダの上に、エルサレムのすべての住民の上に伸ばす」（4節a）とあります。（1）神の手が伸ばされるとは、信者の場合は守りを、不信者の場合は裁きを意味しています。ここでは後者の意味です。（2）普遍的な審判が下るのですが、その中でも特にユダの上にきびしい裁きが下ります。さらに言えば、そのユダの中でもエルサレムに下る裁きが最悪のものです。エルサレムは神の都であり、国の指導者たちの背信は見逃すことができないからです。</p><p><br/></p><p><strong>裁かれる5種類の人々</strong></p><p>次にゼパニヤは、5種類の人々を糾弾きゅうだんしています。（1）「バアルの残りの者」が裁かれます。ヨシヤ王の時代に宗教改革が行われ、バアル礼拝に走る者の数は少なくなっていました。それでも少数の者たちが残っていました。「バアルの残りの者」とはそういう意味です。その中には「アシュタロテ（バアルに対応する女神）」を礼拝する者たちも含まれていました。（2）「偶像に仕える祭司」も滅ぼされます。「祭司たちの名」とあるのは、その名声が消えてなくなることを意味しています。（3）「天の万象を拝む者ども」も滅ぼされます。「屋上で」とあるのは、この地方の家屋かおくの構造上、屋根の部分が屋上になっており、人々はそこに上って天の万象を見上げていたからです。申命記4：19 は天体の礼拝を禁じています。「また、天に目を上げて、日、月、星の天の万象を見るとき、魅みせられてそれらを拝み、それらに仕えないようにしなさい。それらのものは、あなたの神、【主】が全天下の国々の民に分け与えられたものである」。（4）「【主】に誓いを立てて礼拝をしながら、ミルコムに誓いを立てる者ども」も滅ぼされます。彼らは、二心ふたごころの者たちです。天体礼拝やミルコム礼拝は、マナセ、アモンの治世において広く行われていたことです。その悪習慣は、ヨシヤの治世になっても残っていたのです。（5）「【主】に従うことをやめた者たち」も裁かれます。<br>ゼパニヤはまず、神の民の宗教的な罪を指摘しました。神以外のものを神とすることほど恐ろしい罪はありません。それは、すべての堕落だらくの根底にある罪です。神以外のものを排除し、神を神として崇あがめることを学びましょう。神は私たちを赦すために待っていてくださいます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。宗教的罪、霊的罪ほど恐ろしいものはありません。あなただけを神として礼拝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=dm0T9juQUlQ" />
         <pubDate>2026-05-20 21:01:00 UTC</pubDate>
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      </item>
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         <title>ゼパニヤ書1：7～13</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3924803148</link>
         <description><![CDATA[<p>7 神である主の前に静まれ。【主】の日は近い。【主】が一頭のほふる獣を備え、主に招かれた者を聖別されたからだ。</p><p>8 【主】が獣をほふる日に、わたしは首長たちや王子たち、外国の服をまとったすべての者を罰する。</p><p>9 その日、わたしは、神殿の敷居によじのぼるすべての者、自分の主人の家を暴虐ぼうぎゃくと欺あざむきで満たす者どもを罰する。</p><p>10 その日には、─【主】の御告げ─魚の門から叫び声が、第二区から嘆なげき声が、丘からは大いなる破滅の響きが起こる。</p><p>11 泣きわめけ。マクテシュ区に住む者どもよ。商人はみな滅びうせ、銀を量はかる者もみな断ち滅ぼされるからだ。</p><p>12 その時、わたしは、ともしびをかざして、エルサレムを捜し、そのぶどう酒のかすの上によどんでいて、「【主】は良いことも、悪いこともしない」と心の中で言っている者どもを罰する。</p><p>13 彼らの財産は略奪りゃくだつされ、彼らの家は荒れ果てる。彼らは家を建てても、それに住めず、ぶどう畑を作っても、そのぶどう酒を飲めない。</p><p><br></p><p><strong>罪と社会的不正義に下る罪</strong></p><p><strong>王家の者たちの裁き</strong></p><p>「【主】の日は近い」（7節）というのがこの預言書のテーマです。「【主】の日」とは、私たちが大患難時代と呼ぶ裁きの時のことです。【主】の日には、罪と社会的不正義に対して神の裁きが下ります。<br>（1）「主はいけにえを用意し呼び集められた者を屠ほふるために聖別された」（新共同訳、7節b）とあります。罪人が裁きのために分けられます（聖別されます）。彼らは滅ぼされ、その死体は空の鳥や野の獣の餌食えじきとなります。それが、「いけにえを用意し」の意味です（エゼ39 章、黙19 章参照）。（2）同じ日に、王家の者たち（首長たちや王子たち）にも裁きが下ります。彼らは、外国の服をまとい、外国の習慣を取り入れています。モーセの律法には衣服規定があります（民15：38～39、申22：11～12）が、彼らはそれを無視しています。（3）さらに、「敷居によじのぼるすべての者」が裁かれます。これは偶像礼拝者たちのことでしょう。（4）「自分の主人の家を暴虐と欺きで満たす者ども」も裁きを受けます。</p><p><br></p><p><strong>商人たちの裁き</strong></p><p>商人たちも「その日」に裁かれます。これは庶民の裁きです。（1）「魚の門」は、マナセ王が新しく築いた部分の城壁にありました（2 歴33：14）。「第2区」はエルサレムの下町、「丘」はエルサレム市内の小高い部分のことです。すべて庶民の居住区です。（2）「マクテシュ区」はいわゆるテロピオンの谷（ダビデの町の西側にあって、上町と下町を分けている谷）の部分です。それらの地区がすべて滅ぼされます。商売上の不正と不義が蔓延まんえんしていたからです。（3）【主】は義人をではなく、罪人をともしびをかざして捜し出されます（12節）。なぜなら、ユダの民やエルサレムの住民たちは、「ぶどう酒のかすの上によどんでいる」状態にあったからです（役立たずで自己満足）。「主は良いことも悪いこともしない」と言う彼らの神学は、間違っています。（4）「財産は略奪され…家は荒れ果てる」（13節）とあります。【主】の日には、徹底的に裁きが下るのです。<br>神がこのような警告を発する理由は、ご自身の民を愛しておられるからです。健全な恐れは、人を悔い改めへと導きます。ペテロの教えに耳を傾けましょう。「また、人をそれぞれのわざに従って公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、あなたがたが地上にしばらくとどまっている間の時を、恐れかしこんで過ごしなさい」（1 ペテ1：17）</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。どうか私に、健全な恐れを与えてください。日々へりくだってあなたにお従いすることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=VykEgADplPU" />
         <pubDate>2026-05-21 20:10:49 UTC</pubDate>
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      </item>
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         <title>ゼパニヤ書1：14～18</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3926508219</link>
         <description><![CDATA[<p>14 【主】の大いなる日は近い。それは近く、非常に早く来る。聞け。【主】の日を。勇士も激しく叫ぶ。</p><p>15 その日は激しい怒りの日、苦難と苦悩くのうの日、荒廃こうはいと滅亡の日、やみと暗黒の日、雲と暗やみの日、</p><p>16 角笛つのぶえとときの声の日、城壁のある町々と高い四隅の塔が襲われる日だ。</p><p>17 わたしは人を苦しめ、人々は盲人のように歩く。彼らは【主】に罪を犯したからだ。彼らの血はちりのように振りまかれ、彼らのはらわたは糞ふんのようにまき散らされる。</p><p>18 彼らの銀も、彼らの金も、【主】の激しい怒りの日に彼らを救い出せない。そのねたみの火で、全土は焼き払われる。主は実に、地に住むすべての者をたちまち滅ぼし尽くす。</p><p><br/></p><p><strong>【主】の日の描写</strong></p><p><strong>【主】の日は近い</strong></p><p>きょうの箇所では、【主】の日が絵画的かいがてきに描写されています。すでに7節で、「神である主の前に静まれ。【主】の日は近い」との宣告がなされていました。14節では、さらに詳細に【主】の日が近いことが強調されます。「近い」、「近く」、「非常に早く来る」と同じ意味の言葉が3度くり返されていることに注目しましょう。その日は悲痛な叫びが上がる日、兵士（勇士）も恐れおののき悲鳴を上げる日です。<br>【主】の日がいかに恐怖に満ちた日であるかが描写されます。1番目以外は、対句ついく法の表現になっています。（1）「その日は激しい怒りの日」です。（2）その日は「苦難と苦悩の日」です。敵が侵略してくるからです。（3）その日は、「荒廃と滅亡の日」です。敵の侵略によって国が滅びるからです。（4）その日は、「やみと暗黒の日」です。（5）さらに、「雲と暗やみの日」です。神の裁きが下るからです。（6）その日は、「角笛とときの声の日」です。敵の襲撃があるからです。（7）その日は、「城壁のある町々と高い四隅の塔が襲われる日」です。</p><p><br/></p><p><strong>神の裁きの日</strong></p><p>【主】の日（大患難時代）の目的は、地上から罪と罪人を一掃することです。（1）「人々は盲人のように歩く」（17節）。これは神の裁きの結果です（申28：28～29参照）。（2）罪人は無残な姿になります（血はちりのように振りまかれ、内臓は糞のようにまき散らされる）。（3）「彼らの銀も、彼らの金も、【主】の激しい怒りの日に彼らを救い出せない」（18節a）。それが偶像であれ、富であれ、その日に彼らを救い出すことはできません。（4）「主は実に、地に住むすべての者をたちまち滅ぼし尽くす」（18節b）とあります。これが【主】の日（大患難時代）の目的です。<br>黙示録6：15～17には、大患難時代に起こる叫びが記されています。「地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる奴隷と自由人が、ほら穴と山の岩間に隠れ、山や岩に向かってこう言った。『私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう』」。これはゼパニヤ書の【主】の日の預言と合致します。大患難時代が来ることを認めることは、伝道の動機になります。キリストにある者は神の怒り（大患難時代）から解放されています。そのことに感謝し、キリストの福音を宣のべ伝えましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。キリストにある者は、大患難時代から救い出されます。あなたの恵みに感謝します。どうかひとりでも多くの人に、福音を伝えることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=DuFWht6epB8" />
         <pubDate>2026-05-22 20:43:06 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3926508219</guid>
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      <item>
         <title>ゼパニヤ書2：1～3</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3927217942</link>
         <description><![CDATA[<p>1 恥知らずの国民よ。こぞって集まれ、集まれ。</p><p>2 昼間、吹き散らされるもみがらのように、あなたがたがならないうちに。【主】の燃える怒りが、まだあなたがたを襲わないうちに。【主】の怒りの日が、まだあなたがたを襲わないうちに。</p><p>3 主の定めを行うこの国のすべてのへりくだる者よ。【主】を尋ね求めよ。義を求めよ。柔和にゅうわを求めよ。そうすれば、【主】の怒りの日にかくまわれるかもしれない。</p><p><br/></p><p><strong>【主】の日の前のイスラエルの民の回復</strong></p><p><strong>こぞって集まれ</strong></p><p>1章では【主】の日の描写と、裁きのきびしさが預言されていました。きょうの箇所では、【主】の日が来る前にイスラエルの民の回復があるという預言がなされます。イスラエルの民の回復は2段階でやって来ます。最初は不信仰な状態での回復、次は信仰を抱いた状態での回復です。きょうの箇所は、前者の回復を預言しています。<br>（1）「恥知らずの国民よ。こぞって集まれ、集まれ」（1 節）とあります。「国民」と訳された言葉は「ゴイ」であり、通常は異邦人を指します。それがイスラエルに対して使われているのは、彼らが神を忘れ、異邦人のようになったからです。彼らは「恥知らずの国民」なのです。（2）「集まれ」「集まれ」と2度呼びかけられています。これは回復への呼びかけです。（3）この回復は、【主】の日の前に成就します。「…ないうちに」という表現が、3回出て来ます。①「昼間、吹き散らされるもみがらのように、あなたがたがならないうちに」。②「【主】の燃える怒りが、まだあなたがたを襲わないうちに」。③「【主】の怒りの日が、まだあなたがたを襲わないうちに」。3度にわたるこの表現は、イスラエルの民の回復が大患難時代の前に起こることを示しています。<br>1948年のイスラエル建国は、この預言の成就です。彼らはカナンの地に帰還し、国を建設しました。しかし、彼らはいまだに不信仰な状態にとどまっています。</p><p><br/></p><p><strong>残りの者への呼びかけ</strong></p><p>3節を見てみましょう。「主の定めを行うこの国のすべてのへりくだる者よ。【主】を尋ね求めよ。義を求めよ。柔和を求めよ。そうすれば、【主】の怒りの日にかくまわれるかもしれない」。（1）これは残りの者（イスラエルの真の信仰者）への呼びかけです。「求めよ」が3回くり返されます。①【主】を尋ね求めよ。②義を求めよ。③柔和を求めよ。これは、【主】に立ち返れという呼びかけです。（2）もし【主】に立ち返るなら、「【主】の怒りの日にかくまわれるかもしれない」というのです。ゼパニヤという名前の意味は、「【主】が隠される者」でした。この箇所では、預言者の名前と彼が伝えるメッセージが合致するのを見ることができます。（3）大患難時代に神がイスラエルの民を隠す場所は、ボツラ（今のペトラ）です（イザ34：6、63：1 参照）。<br>神が歴史を支配しておられることを認め、勇気をいただきましょう。神の約束に信頼して歩むことを学びましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。あなたの約束は、100 パーセント成就します。それを信じ、告白します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-05-23 20:56:32 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ゼパニヤ書2：4～7</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3927773174</link>
         <description><![CDATA[<p>4 だが、ガザは捨てられ、アシュケロンは荒れ果てる。アシュドデは真昼に追い払われ、エクロンは根こぎにされる。</p><p>5 ああ。海辺に住む者たち。ケレテ人の国。【主】のことばはおまえたちに向けられている。ペリシテ人の国カナン。わたしはおまえを消し去って、住む者がいないようにする。</p><p>6 海辺よ。おまえは牧場となり、牧者たちの牧草地となり、羊の囲い場となる。</p><p>7 海辺はユダの家の残りの者の所有となる。彼らは海辺で羊を飼い、日が暮れると、アシュケロンの家々で横になる。彼らの神、【主】が、彼らを訪れ、彼らの繁栄はんえいを元どおりにするからだ。</p><p><br/></p><p><strong>周辺諸国への裁き（1）</strong></p><p><strong>4つの国</strong></p><p>前回の箇所で、背信のイスラエルに対して【主】の怒りの日が預言されました。それに続いて、周辺諸国への裁きが預言されます（2：4～15）。その意味は、もしこれらの周辺諸国が神の裁きに会うとするなら、神の民であるイスラエルはよりきびしい裁きに会う、ということです。周辺諸国が4つ列挙されます。（1）ペリシテの地（イスラエルの西）。（2）モアブとアモン（イスラエルの東）。（3）エチオピヤ（イスラエルの南）。（4）アッシリヤ（イスラエルの北）。</p><p><br/></p><p><strong>ペリシテの地</strong></p><p>ペリシテの地は、5大都市連合で、それぞれの都市に王がいました。5都市のうちの4つの名前が上がっています（ガテだけは出ていません）。（1）ガザはペリシテ人の最南端の都市です。「ガザは捨てられ」というのは、ヘブル語では語呂合ごろあわせになっています。「アッザー・アズーバー」というのがそれです。（2）アシュケロンは、ガザの北にある海岸都市です。「アシュケロンは荒れ果てる」とあります。アシュケロンの意味は、「実り多い地」です。それが荒れ果てるというのですから、ここには皮肉があります。（3）アシュケロンからさらに北上すると、アシュドデがあります。「アシュドデは真昼に追い払われ、」とあります。「真昼」は最も暑い時間で、通常は兵士たちの休憩時間です。その時間に、アシュドデはいとも簡単に追われます。（4）アシュドデから内陸部に入ると、エクロンがあります。「エクロンは根こぎにされる」とあります。ここにも言葉遊びがあります。「エクローン・テーアーケール」。<br>「海辺に住む者たち」も、「ケレテ人」も、ともにペリシテ人のことです。（1）神は、「わたしはおまえを消し去って、住む者がいないようにする」と言われます。確かに、ペリシテ人たちは歴史からその姿を消しました。（2）また神は、「海辺はユダの家の残りの者の所有となる。彼らは海辺で羊を飼い、日が暮れると、アシュケロンの家々で横になる。彼らの神、【主】が、彼らを訪れ、彼らの繁栄を元どおりにするからだ」（8節）と約束されます。1948年以降、アシュケロンは初めてイスラエルの領土となりました。しかし、それは上記8節の預言の成就ではありません。この預言は、将来起こるイスラエルの回復の時に成就します。神は歴史を支配しておられます。何人なにびとも、その歴史を修正することはできません。その神に信頼を告白しようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたは歴史を支配しておられます。あなたの力強い御手に信頼します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-05-24 19:42:14 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3927773174</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ゼパニヤ書2：8～11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3928701765</link>
         <description><![CDATA[<p>8 わたしはモアブのそしりと、アモン人のののしりを聞いた。彼らはわたしの民をそしり、その領土に向かって高ぶった。</p><p>9 それゆえ、わたしは誓って言う。─イスラエルの神、万軍の【主】の御告げ─モアブは必ずソドムのようになり、アモン人はゴモラのようになり、いらくさの茂る所、塩の穴、とこしえの荒れ果てた地となる。わたしの民の残りの者が、そこをかすめ奪うばう。わたしの国民の生き残りの者が、そこを受け継ぐ。</p><p>10 これは、彼らの高慢のためだ。彼らが万軍の【主】の民をそしり、これに向かって高ぶったからだ。</p><p>11【 主】は彼らを脅おびやかし、地のすべての神々を消し去る。そのとき、人々はみな、自分のいる所で主を礼拝し、国々のすべての島々も主を礼拝する。</p><p><br/></p><p><strong>周辺諸国への裁き（2）</strong></p><p><strong>モアブとアモンの罪</strong></p><p>1～4節で、背信のイスラエルに対して【主】の怒りの日が預言されました。それに続いて、4 つの周辺諸国への裁きが預言されます（4～15 節）。今回は、（2）モアブとアモンを取り上げます。この2つの国は、イスラエルの東に位置する国です。<br>「わたしはモアブのそしりと、アモン人のののしりを聞いた。彼らはわたしの民をそしり、その領土に向かって高ぶった」（8節）とあります。（1）モアブもアモンも、ともにロトと彼の2人の娘たちの間に生まれた息子たちの子孫です。その出自は、罪にまみれたものでした。（2）彼らの罪は、反ユダヤ主義の罪です。彼らは、イスラエルの民をそしりました（民22～24、1サム11、2サム10、ネヘ4、エレ40：14など参照）。さらに彼らは、イスラエルの領土を略奪しようとしました。モアブとアモンに対する裁きを預言した預言者は、ゼパニヤだけではありません（イザ15～16、エレ48、アモ1：13 など参照）。</p><p><br/></p><p><strong>神の裁き</strong></p><p>「それゆえ、わたしは誓って言う。─イスラエルの神、万軍の【主】の御告げ─モアブは必ずソドムのようになり、アモン人はゴモラのようになり、…わたしの民の残りの者が、そこをかすめ奪う。わたしの国民の生き残りの者が、そこを受け継ぐ」（9節）。（1）「わたしは誓って言う」とは、「わたしは生きている」（新共同訳）という意味です。【主】の民を迫害する者には、必ず裁きが下ります。【主】をあなどる者は、愚か者です。（2）モアブとアモンは、ソドムとゴモラのようになります。ソドムとゴモラは性的罪のために神の裁きを受け、滅ぼされました。モアブとアモンもまた、性的罪を犯した民です。彼らの始まりはソドムとゴモラのようでしたが、その終わりもまた同じソドムとゴモラのようになります。（3）「いらくさの茂る所、塩の穴、とこしえの荒れ果てた地」とは、彼らの領土が完全に荒れ果てた地となるという預言です。（4）その地は、「イスラエルの残れる者」たちが受け継ぐようになります。<br>10～11節には、モアブとアモンに対する希望の預言が書かれています。彼らの偶像礼拝は【主】によって裁かれますが、最後には（メシア的王国）、彼らの中から【主】を礼拝する者たちが出ます。<br>反ユダヤ主義がいかに大きな罪であるかを認識しましょう。また、神のきびしい裁きの中にも恵みの要素が残されていることを思い、その恵みによりすがりましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。どんなに厳しい裁きの中にも希望を残してくださる、あなたのご愛に感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=RlQKURBJWgM" />
         <pubDate>2026-05-25 19:28:51 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼパニヤ書2：12～15</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3930371670</link>
         <description><![CDATA[<p>12 あなたがた、クシュ人も、わたしの剣つるぎで刺し殺される。</p><p>13 主は手を北に差し伸べ、アッシリヤを滅ぼし、ニネベを荒れ果てた地とし、荒野あらののようにし、砂漠とする。</p><p>14 その中に、獣の群れ、あらゆる地の獣が伏ふし、ペリカンと針ねずみはその柱頭ちゅうとうをねぐらとし、ふくろうはその窓で鳴き、烏からすは敷居しきいで鳴く。主が、杉でつくったこの町をあばかれたからだ。</p><p>15 これが、安らかに過ごし、心の中で、「私だけは特別だ」と言ったあのおごった町なのか。ああ、その町は荒れ果てて、獣の伏す所となる。そこを通り過ぎる者はみな、あざけって、手を振ろう。</p><p><br/></p><p><strong>周辺諸国への裁き（3）</strong></p><p><strong>クシュ人（エチオピヤ人）</strong></p><p>1～4節で、背信のイスラエルに対して【主】の怒りの日が預言されました。それに続いて、4つの周辺諸国への裁きが預言されます（4～15 節）。今回は、（3）クシュ人と（4）アッシリヤを取り上げます。<br>クシュ（エチオピヤ）は、イスラエルの南に位置する国です。この国に関しては、「あなたがた、クシュ人も、わたしの剣で刺し殺される」（12節）とだけあります。この預言は、前664年に成就しました。当時エチオピヤはエジプトを支配していました。それが、南の国がエジプトではなく、エチオピヤになっている理由です。この年、アッシリヤのアッシュール・バーン・アプリはテーベに侵入し、これを滅ぼしました（ナホ3：8参照）。神の敵が滅びる時は、実にあっけないものです。</p><p><br/></p><p><strong>アッシリヤ</strong></p><p>イスラエルから見た東西南北の隣接諸国への裁きの最後は、北方の国アッシリヤです。「主は手を北に差し伸べ、アッシリヤを滅ぼし、ニネベを荒れ果てた地とし、荒野のようにし、砂漠とする」（13節）とあります。（1）この預言は、前612年に成就しました。（2）ニネベ（首都）は完全に滅びます。それが完全に滅亡することは、そこに住み着くものによって証明されます。「その中に、獣の群れ、あらゆる地の獣が伏し、ペリカンと針ねずみはその柱頭をねぐらとし、ふくろうはその窓で鳴き、烏は敷居で鳴く。…」（14節）。（3）「杉でつくったこの町」とは、ニネベの傲慢を表現している言葉です。（4）滅びの直前、ニネベは「私だけは特別だ」（私しかいない）と豪語ごうごしていました（イザ47：8）。彼らは【主】をあなどっていました。それゆえ、【主】の報復的裁きが下ります。「あざけって、手を振ろう」とは、人々がアッシリヤを軽蔑するようになることを示しています。<br>【主】の民が軽蔑される時、それは【主】ご自身が軽蔑されているのと同じです。【主】はご自身の民を守ってくださいます。主イエスの十字架の場面で、次のような描写が出てきます。「道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った」（マタ27：39）。神をののしる人は、やがて神と人にののしられるようになります。人々の前で主イエスを告白する人は幸いです。なぜなら、主が天の父の前でその人を認めてくださるからです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。私は、いかなる場にあっても、「イエスは主なり」と認め告白します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=bvqUPlxnLwA" />
         <pubDate>2026-05-26 20:40:40 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼパニヤ書3：1～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3931866357</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ああ。反逆と汚れに満ちた暴力の町。</p><p>2 呼びかけを聞こうともせず、懲こらしめを受け入れようともせず、【主】に信頼せず、神に近づこうともしない。</p><p>3 その首長たちは、町の中にあってほえたける雄獅子おじし。そのさばきつかさたちは、日暮れの狼だ。朝まで骨をかじってはいない。</p><p>4 その預言者たちは、ずうずうしく、裏切る者。その祭司たちは、聖なる物を汚し、律法を犯す。</p><p>5 【主】は、その町の中にあって正しく、不正を行わない。朝ごとに、ご自分の公義を残らず明るみに示す。しかし、不正をする者は恥はじを知らない。</p><p><br/></p><p><strong>エルサレムの裁き</strong></p><p><strong>堕落の町</strong></p><p>周辺諸国の裁きがリストアップされた後、最後にエルサレムの裁きが宣告されます。1～5節は預言者の言葉、6～8節は【主】ご自身のことばとなっています。（1）冒頭の言葉「ああ」（新改訳）は、「わざわいなるかな」（口語訳）、「災いだ」（新共同訳）などと訳されています。これは、呪いの運命を嘆くと同時に、後悔を表明した言葉です。エルサレムに裁きが下る理由は、そこが「反逆と汚れに満ちた暴力の町」だからです。（2）エルサレムの4つの罪が指摘されます。①エルサレムは、預言者の呼びかけを聞こうともしない町です。神の民が神のことばを伝える預言者に耳を傾けないなら、それは、神の民としての特権と義務を放棄ほうきしたことになります（申4：32～36参照）。②また、預言者が語る懲らしめを受け入れようともしない町です。③【主】に信頼しない町です。つまり、【主】への信仰がない町です。④神に近づこうともしない町です。彼らは、【主】ではなく偶像に近づいていました。</p><p><br/></p><p><strong>堕落した指導者たち</strong></p><p>4種類の指導たちの罪が指摘されます。（1）「その首長たちは…ほえたける雄獅子」とあります。彼らには民を養やしなう義務がありましたが、彼らは雄獅子のように民を襲い、貪欲どんよくに振る舞っていました。（2）「そのさばきつかさたちは、日暮れの狼」とあります。これは、裁判官たちもまた、夜行性の狼のように利己的な欲望のままに行動していたということです。（3）「その預言者たちは、ずうずうしく、裏切る者」とあります。この時代の預言者たちの堕落には、目に余るものがありました（エレ8：10参照）。（4）「その祭司たちは、聖なる物を汚し、律法を犯す」とあります。【主】の御心を教えるべき祭司が、聖と俗との区別を教えることに失敗していました。<br>エルサレムの堕落とは対照的に、【主】の正しさが強調されます。「【主】は，その町の中にあって正しく、不正を行わない」とあります。神の民がいかに不正を行ったとしても、【主】は正しいお方です。主イエスは、エルサレムのために嘆いてこう言われました。「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣つかわされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった」（マタ23：37）。主イエスの呼びかけに応答する人は幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。私はあなたの民です。あなたのことばに耳を傾け、あなたの御心に従って歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=5UQzIpWiFcQ" />
         <pubDate>2026-05-27 20:22:19 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3931866357</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ゼパニヤ書3：6～8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3933413959</link>
         <description><![CDATA[<p>6 わたしは諸国の民を断ち滅ぼした。その四隅の塔は荒れ果てた。わたしが彼らの通りを廃墟はいきょとしたので、通り過ぎる者はだれもいない。彼らの町々は荒れすたれてひとりの人もおらず、住む者もない。</p><p>7 わたしは言った。「あなたはただ、わたしを恐れ、懲らしめを受けよ。そうすれば、わたしがこの町を罰したにもかかわらず、その住まいは断ち滅ぼされまい。確かに、彼らは、くり返してあらゆる悪事を行ったが。」</p><p>8 それゆえ、わたしを待て。─【主】の御告げ─わたしが証人として立つ日を待て。わたしは諸国の民を集め、もろもろの王国をかき集めてさばき、わたしの憤いきどおりと燃える怒りをことごとく彼らに注ぐ。まことに、全地はわたしのねたみの火によって、焼き尽くされる。</p><p><br/></p><p><strong>諸国の滅び</strong></p><p><strong>イスラエルへの警告（6～7節）</strong></p><p>この箇所では、【主】が1人称で語られます。（1）2章で語られた諸国民への裁きが、再度要約した形で出てきます。その理由は、イスラエルに警告を発し、彼らを悔い改めに導くためです。「わたしは諸国の民を断ち滅ぼした。その四隅の塔は荒れ果てた。わたしが彼らの通りを廃墟としたので、通り過ぎる者はだれもいない。…」。ここで使用されている動詞は、預言的完了形です。つまり、諸国の荒廃の預言は、【主】の目にはすでに起こった事だということです。（2）【主】はイスラエルにこう語られました。「あなたはただ、わたしを恐れ、懲らしめを受けよ。そうすれば、わたしがこの町を罰したにもかかわらず、その住まいは断ち滅ぼされまい。確かに、彼らは、くり返してあらゆる悪事を行ったが」。イスラエルは神を恐れ、神の矯正的懲罰を受ける必要がありました。それがイスラエルに対する神の期待でした。しかし、イスラエルは【主】からの警告に耳を傾けませんでした。それどころか、彼らは神に背を向け、より堕落して行きました。</p><p><br/></p><p><strong>再臨（8節）</strong></p><p>8節はハルマゲドンの戦いの要約になっています。さらにこの節は、イスラエルの回復の預言ともなっています。（1）大患難時代の最後に、ハルマゲドンの戦いが戦われます。この戦いは、諸国の軍隊が結集してイスラエルを滅ぼそうとするものです。（2）その時、メシアが地上に再臨されます。新共同訳は、8節をこう訳しています。「それゆえ、お前たちはわたしが獲物に向かって立ち上がる日を待つがよい、と主は言われる。なぜなら、わたしは諸国の民を集めもろもろの王国を呼び寄せ彼らの上に、憤りと激しい怒りを注ぐことを定めたからだ。必ず、地上はくまなくわたしの熱情の火に焼き尽くされる」。神の民イスラエルを滅ぼそうとする勢力は、再臨のメシアによってすべて滅ぼされます。<br>背信の民イスラエルにも、希望は残されています。「主を待て」という命令は、いつの時代の聖徒たちにも適用される真理です。「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです」（2ペテ3：9）。私たちもまた、主を待ち望もうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。私は主を待ち望みます。それが私の生きる希望であり力です。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=mMLI-DjVVyU" />
         <pubDate>2026-05-28 20:06:34 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3933413959</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ゼパニヤ書3：9～10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3934912505</link>
         <description><![CDATA[<p>9 そのとき、わたしは、国々の民のくちびるを変えてきよくする。彼らはみな【主】の御名によって祈り、一つになって主に仕える。</p><p>10 クシュの川の向こうから、わたしに願い事をする者、わたしに散らされた者たちが贈り物を持って来る。</p><p><br></p><p><strong>諸国の回心</strong></p><p><strong>異邦人の救い（9節）</strong></p><p>きょうの箇所から、ゼパニヤ書の後半が始まります。9節にはこうあります。「そのとき、わたしは、国々の民のくちびるを変えてきよくする。彼らはみな【主】の御名によって祈り、一つになって主に仕える」。（1）これは、大患難時代に救われる異邦人がいるという預言になっています。大患難時代においても、【主】の御名を呼ぶ者は救われます。（2）彼らは、「羊の異邦人」です。つまり、彼らは大患難時代においてユダヤ人を助ける異邦人たちです。マタイ25：31～46に彼らのことが出てきます。「人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴ともなって来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置きます。…」。（3）彼ら（国々の民）は、そのくちびるが清くされる民です。また彼らは、「【主】の御名によって祈り、一つになって主に仕える」ようになります。千年王国（メシア的王国）においては、人々は一つの言語を語り、それによって神に祈り、礼拝をささげるようになります。</p><p><br></p><p><strong>ユダヤ人の回復（10節）</strong></p><p>大患難時代に救われた異邦人（羊の異邦人）は、ユダヤ人の回復のために貢献するようになります。「クシュの川の向こうから、わたしに願い事をする者、わたしに散らされた者たちが贈り物を持って来る」（8節）とあります。（1）「わたしに散らされた者」とは、離散の地にいるユダヤ人たちのことです。その彼らが、イスラエルの地に帰還して来ます。（2）「クシュの川の向こうから」とは、エチオピヤの向こうからという意味で、当時の認識では「地の果てから」というニュアンスがあります。（3）羊の異邦人に助けられながら、離散の民は、はるかかなたの地から主への贈り物を携たずさえて帰還して来ます。<br>裁きの中にも、また大患難時代の中にも、神の恵みが残されています。それは、異邦人にもユダヤ人にも提供される恵みです。試練の時に主に信頼する人は幸いです。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。いかなる時にも、恵みの要素が残されていることを感謝します。その恵みを見上げて生きることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=W5BDR2sHL1w" />
         <pubDate>2026-05-29 21:02:29 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼパニヤ書3：11～13</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3935407597</link>
         <description><![CDATA[<p>11 その日には、あなたは、わたしに逆らったすべてのしわざのために、恥を見ることはない。そのとき、わたしは、あなたの中からおごり高ぶる者どもを取り去り、あなたはわたしの聖なる山で、二度と高ぶることはない。</p><p>12 わたしは、あなたのうちに、へりくだった、寄るべのない民を残す。彼らはただ【主】の御名に身を避ける。</p><p>13 イスラエルの残りの者は不正を行わず、偽いつわりを言わない。彼らの口の中には欺きの舌はない。まことに彼らは草を食べて伏す。彼らを脅かす者はない。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの新生</strong></p><p><strong>イスラエルの残れる者</strong></p><p>きょうの箇所は、終末時代に起こる「イスラエルの新生」の預言です。（1）「その日には、あなたは、わたしに逆らったすべてのしわざのために、恥を見ることはない。そのとき、わたしは、あなたの中からおごり高ぶる者どもを取り去り、あなたはわたしの聖なる山で、二度と高ぶることはない」（11節）とあります。神は、異邦人の諸国から罪と罪人を除き去ったように、イスラエルの中からも罪と罪人を取り去られます。その結果、イスラエルは、過去の自分の行為のゆえに恥を見ることがなくなります。なんという恵みでしょうか。（2）「わたしは、あなたのうちに、へりくだった、寄るべのない民を残す。彼らはただ【主】の御名に身を避ける」（12節）。「へりくだった、寄るべのない民」（新改訳）、「苦しめられ、卑いやしめられた民」（新共同訳）とあるのは、イスラエルの残れる者たちのことです。彼らは真の信仰者であり、「【主】の御名に身を避ける」人たちです。神はイスラエルの中に真の信仰者を起こし、彼らを祝福されます。</p><p><strong>新生の結果</strong></p><p>次の13節は、新生の結果です。「イスラエルの残りの者は不正を行わず、偽りを言わない。彼らの口の中には欺きの舌はない。まことに彼らは草を食べて伏す。彼らを脅かす者はない」とあります。（1）「イスラエルの残りの者は不正を行わず」は、3：5に書かれていた【主】の行為と同じです。「【主】は、…不正を行わない」。新生体験をしたイスラエルの民は、【主】に似た者と変えられて行きます。（2）彼らは、偽りや欺きを語る舌から解放されます。これは、新生の結果です。（3）「まことに彼らは草を食べて伏す。彼らを脅かす者はない」とは、牧歌的な描写によって、イスラエルの民が安全に住まうことを示したものです。良き羊飼いイエスに養われる羊たちは、安心して生活することができます（詩23 篇、ヨハ10 章参照）。<br>神はイスラエルの民の罪を裁かれますが、彼らを完全に見放すことはありません。最終的には、神の民は「罪」から離れ、神に立ち返るようになります。神の約束は完全であり、必ず成就します。イエス・キリストを信頼する私たちも、この神の約束に守られています。「【主】の御名に身を避ける」者は幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたの約束を信じ、あなたの御名に身を避けます。どうか私を安全な道へとお導きください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=eUTw-Z9uqvs" />
         <pubDate>2026-05-30 21:18:23 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3935407597</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ゼパニヤ書3：14～17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3935874137</link>
         <description><![CDATA[<p>14 シオンの娘よ。喜び歌え。イスラエルよ。喜び叫べ。エルサレムの娘よ。心の底から、喜び勝ち誇れ。</p><p>15 【主】はあなたへの宣告を取り除き、あなたの敵を追い払われた。イスラエルの王、【主】は、あなたのただ中におられる。あなたはもう、わざわいを恐れない。</p><p>16 その日、エルサレムはこう言われる。シオンよ。恐れるな。気力を失うな。</p><p>17 あなたの神、【主】は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの民の帰還（1）</strong></p><p><strong>喜べという命令</strong></p><p>イスラエルの民の新生と回復は、最終的には「約束の地への帰還」につながります。きょうの箇所は、その帰還に伴う喜びを歌っています。「シオンの娘よ。喜び歌え。イスラエルよ。喜び叫べ。エルサレムの娘よ。心の底から、喜び勝ち誇れ」（14節）。エルサレムは心の底から喜ぶようになります。「喜び歌え」、「喜び叫べ」、「喜び」、「勝ち誇れ」と同じ意味の言葉が4回使われています。この喜びがいかに大いなるものであるかが分かります。</p><p><br/></p><p><strong>喜びの理由</strong></p><p>次の15 ～ 17節で、喜びの理由が5つ上げられます。（1）「【主】はあなたへの宣告を取り除き」（15節）とあります。イスラエルの罪が取り除かれ、神の裁きが取り去られました。それゆえ、イスラエルの民は喜ぶのです。（2）「あなたの敵を追い払われた」（15節）とあります。イスラエルの敵は【主】によって滅ぼされました。（3）「イスラエルの王、【主】は、あなたのただ中におられる」（15 節）とあります。【主】が王として目に見える形でエルサレムに住み、そこから全世界を統治されます。これと同じことを、エレミヤもまた預言しています。「その日、あなたがたが国中にふえて多くなるとき、─【主】の御告げ─彼らはもう、【主】の契約の箱について何も言わず、心にも留めず、思い出しもせず、調べもせず、再び作ろうともしない。そのとき、エルサレムは『【主】の御座』と呼ばれ、万国の民はこの御座、【主】の名のあるエルサレムに集められ、二度と彼らは悪いかたくなな心のままに歩むことはない」（エレ3：16 ～ 17）。（4）「あなたはもう、わざわいを恐れない。その日、エルサレムはこう言われる。シオンよ。恐れるな。気力を失うな」（15～16節）とあります。イスラエルは敵を恐れる必要がなくなりました。不安や恐れから完全に解放されたのです。（5）「あなたの神、【主】は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」（17節）とあります。神ご自身がイスラエルの民との交わりを喜んでくださいます。<br>以上が、イスラエルの民が喜ぶべき5つの理由です。主イエスを信じる私たちも、喜ぶように命じられています。今喜んでいる私たちは、これからも喜び続けます。そして、その喜びが完成する日が来ます。「いつも喜んでいなさい」（1テサ5：16）</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。私に喜びを与えてくださり、感謝します。人生の嘆きは、やがて喜びへと変えられます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-05-31 20:20:11 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼパニヤ書3：18～20</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3937332718</link>
         <description><![CDATA[<p>18 例祭れいさいから離れて悲しむ者たちをわたしは集める。彼らはあなたからのもの。そしりはシオンへの警告である。</p><p>19 見よ。その時、わたしはあなたを苦しめたすべての者を罰し、足のなえた者を救い、散らされた者を集める。わたしは彼らの恥を栄誉えいよに変え、全地でその名をあげさせよう。</p><p>20 その時、わたしはあなたがたを連れ帰り、その時、わたしはあなたがたを集める。わたしがあなたがたの目の前で、あなたがたの繁栄を元どおりにするとき、地のすべての民の間であなたがたに、名誉と栄誉を与えよう、と【主】は仰おおせられる。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの民の帰還（2）</strong></p><p><strong>恥を栄誉に</strong></p><p>きょうの箇所では、イスラエルの民の帰還が約束されます（18節）。（1）神は、「悲しむ者たち」をシオンにお集めになります。彼らは、「例祭」から離れていた人々です。例祭とは、レビ記23章に記されているイスラエルの祭りのことで、その中のあるものは、メシア的王国においても祝われます。18節は、イスラエルの民が再び例祭を祝うようになると預言しています。（2）「彼らはあなたからのもの」とは、彼らがシオンから出た者であるという意味です。（3）「そしりはシオンへの警告である」という文は、過去形に訳して、「そしりはシオンへの警告（重い恥）であった」とすべきでしょう。つまり、イスラエルの民は恥から解放され、栄誉ある民とされるという意味です。<br>さらに19節には次のようにあります。「見よ。その時、わたしはあなたを苦しめたすべての者を罰し、足のなえた者を救い、散らされた者を集める。わたしは彼らの恥を栄誉に変え、全地でその名をあげさせよう」。（1）終わりの日には、イスラエルの民の敵はすべて罰せられます。（2）その日、羊が羊飼いによって集められるように、「足のなえた者」と「散らされた者」がシオンに集められます。（3）イスラエルの民の恥は栄誉に変えられ、彼らの名は全地でたたえられるようになります。</p><p><br/></p><p><strong>神の約束</strong></p><p>2：1～ 3は、イスラエルの民が不信仰の内に帰還するという預言でした（裁きを受けるための帰還）。それとは正反対に、20節では祝福を受けるための帰還が預言されます。「その時、わたしはあなたがたを連れ帰り、その時、わたしはあなたがたを集める。わたしがあなたがたの目の前で、あなたがたの繁栄を元どおりにするとき、地のすべての民の間であなたがたに、名誉と栄誉を与えよう、と【主】は仰せられる」。（1）イスラエルの民は信仰の内に約束の地に帰還します。（2）その時、イスラエルの民は地上のすべての民の間で、【主】からの名誉と栄誉を与えられます。<br>ゼパニヤは、祝福の約束をもってこの預言書を閉じます。この書から学ぶべき教訓は、神の約束は永遠に変わらないということです。罪のゆえに裁きを受けるイスラエルにも、希望が残されています。終わりの時代に、彼らは約束の地に回復されます。私たちに与えられた神の約束は、すべて成就します。そのことを全面的に信じる人は幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。絶望の中に、あなたの恵みを見いだす者は幸いです。私をそのような者に変えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-06-01 20:40:44 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ハガイ書1：1</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3938897011</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ダリヨス王の第二年の第六の月の一日に、預言者ハガイを通して、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアとに、次のような【主】のことばがあった。</p><p><strong>はじめに</strong></p><p><strong>預言者ハガイ</strong></p><p>きょうからハガイ書の学びを開始します。「ダリヨス王の第二年の第六の月の一日に、預言者ハガイを通して、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアとに、次のような【主】のことばがあった」（1 節）とあります。<br>（1）ハガイはユダとエルサレムにおいて活動した預言者です。彼の系図は記されてありませんので、父親の名は不明です。「ハガイ」という名は、ヘブル語の「祭り（ハグ）」から来たものです。彼は、ゼカリヤと同時代の預言者（捕囚期後の預言者）です（エズ5：1、6：14、ゼカ8：9など参照）。（2）彼に主のことばが下ったのは、「ダリヨス王の第二年の第六の月の一日」です。これは、前520年に当たります。ハガイが活動した期間は、この時からわずか3 ～４カ月に過ぎませんが、それでも彼は、自らの使命を忠実に果たしました。（3）ハガイ書の強調点の一つは、「【主】が語られた」という点です。神のことばは、預言者ハガイを通して、① ユダの総督ゼルバベルと、② 大祭司ヨシュアに与えられました。（4）ハガイ書の主要テーマは、「先延ばしにすることの危険性」ということです。</p><p><br/></p><p><strong>時代背景</strong></p><p>（1）ペルシヤ王クロスは、前538年に勅令を出し、すべての民が故国に帰還することを許可しました。この勅令ちょくれいによって、ユダヤ人にもバビロンからエルサレムへの帰還と、その地での神殿再建が許可されました（エズ1：2～4、6：3～5）。（2）総督ゼルバベルに率ひきいられてエルサレムに帰還した約5万人のユダヤ人は、すぐに神殿の再建を開始しました。（3）神殿の基礎は2年後に完成しましたが、サマリヤ人と周辺民族による妨害があり、この事業は一時中断されました。その状態がダリヨス大王の代まで続きました（エズ4：1～5、24）。ハガイとゼカリヤが預言者としての活動を開始したのは、ダリヨスの第2年目（前520年）のことでした。<br>神殿再建の事業が進まないのは、外部に敵がいるからではなく、イスラエル人の内部に問題があるからです。彼らは無気力であり、不信仰であり、決断を先延ばしにしていました。そこに最大の問題があったのです。それは、現代の私たちが直面する問題ともよく似ています。自らの内に、決断を避けようとする思いがないかどうか、聖霊によって吟味していただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私の無気力、不信仰、決断を先延ばしにする性質を、お赦しください。御心と分かっていることを実行する力を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=mKk3NW7ImrE" />
         <pubDate>2026-06-02 19:58:25 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ハガイ書1：2</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3940019246</link>
         <description><![CDATA[<p>2 「万軍の【主】はこう仰おおせられる。この民は、【主】の宮を建てる時はまだ来ない、と言っている。」</p><p><br/></p><p><strong>民の現状</strong></p><p><strong>神の時はまだ来ない</strong></p><p>「万軍の【主】はこう仰せられる。この民は、【主】の宮を建てる時はまだ来ない、と言っている」（2節）とあります。（1）「万軍の【主】」という御名は、ハガイ、ゼカリヤ、マラキの3人の預言者が好んで使ったものです（合計90回以上）。この御名は、「イスラエルの全軍のかしら」（1サム17：45）、「天の軍勢ぐんぜいのかしら」（1列22：19）を意味するもので、神の全能の力を示しています。ハガイは、神から権威を受けて、神のことばを伝えようとしています。（2）【主】はイスラエルを「わたしの民」とは呼ばず、「この民」と呼んでいます。その理由は、イスラエルが罪を犯しているからです（ホセ1：9参照）。（3）民の罪とは、「【主】の宮を建てる時はまだ来ない」と言っていることです。<br>どうしてイスラエルの民は、神殿建設を先延ばしにしたのでしょうか。いろいろな理由が考えられます。（1）サマリヤ人や近隣の諸民族からの反対や妨害がありました。民は、「もし今神殿建設に着手することが御心なら、状況は開かれるはずである。それゆえ、状況が変化するまで待ったほうがいい」と考えたのでしょう。（2）あるいは、「捕囚から帰還して間がない自分たちは、生活の安定を最優先させなければならない。生活の糧かてを得ることで精一杯の私たちに、神殿建設のための労働を提供する余裕はない」と考えたのかもしれません。（3）さらに、「建設費用はどこから出るのか。自分たちにはその余裕はない。無理に建てたとしても、ソロモンの神殿と比較するなら、貧弱なものしかできないだろう。だから、実力がつくまで待ったほうがいい」と言い張ったのかもしれません。</p><p><br/></p><p><strong>弁解は延々と続く</strong></p><p>罪人の性質は、できることの理由よりも、できないことの理由を考えることです。この時期のイスラエルの民と同じように、私たちもまた失敗の言い訳をしたり、先延ばしの口実を設けたりする者です。しかし、そのような優柔不断ゆうじゅうふだんと先延ばしの姿勢からは、良い結果は生まれて来ません。イエスは弟子たちにこう言われました。「あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています」（ヨハ4：35）。今、信仰の目を上げ、色づいている畑を見、収穫のために出て行こうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたの時はすでに来ています。私に決断力をお与えください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=K2NiTfvUGqA" />
         <pubDate>2026-06-03 19:42:30 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3940019246</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ハガイ書1：3～6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3941545433</link>
         <description><![CDATA[<p>3 ついで預言者ハガイを通して、次のような【主】のことばがあった。</p><p>4 「この宮が廃墟はいきょとなっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか。</p><p>5 今、万軍の【主】はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。</p><p>6 あなたがたは、多くの種を蒔いたが少ししか取り入れず、食べたが飽き足らず、飲んだが酔えず、着物を着たが暖まらない。かせぐ者がかせいでも、穴のあいた袋に入れるだけだ。</p><p><br/></p><p><strong>民の罪とその結果</strong></p><p><strong>民の罪</strong></p><p>【主】は言われます。「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか」（4 節）。これは修辞疑問文（答えを必要としない当然の事項）です。（1）前回見たように、民は、今は神殿を建てる時ではないと言っています（2節）。それに対して神は、「それでは、今はあなたがたが自分の板張りの家を建てる時なのか」と問われます。（2）「板張り」というのは、神殿の内装です（1列6：9、15、7：3 ～7 参照）。おそらく民は、15年前に神殿を建てようとした際に用意した杉材を、自分の家の建材に用いていたのでしょう。（3）民の問題は、優先順位が逆転していたことにあります。神に関することを退け、自己中心的に行動することは、今の私たちの問題でもあります。</p><p><br/></p><p><strong>罪の結果</strong></p><p>「今、万軍の【主】はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。あなたがたは、多くの種を蒔いたが少ししか取り入れず、食べたが飽き足らず、飲んだが酔えず、着物を着たが暖まらない。かせぐ者がかせいでも、穴のあいた袋に入れるだけだ」（5 ～ 6節）とあります。（1）民は、自らの現状を神の約束に照らして吟味することを求められました。立ち止まり、自分の生活をみことばに即して吟味することは、私たちにとっても必要なことです。（2）自己中心の罪のゆえに、民はいくつかの呪いを受けるようになっていました。① 収穫が少ないこと、② 食糧が不十分であること、③ ぶどう酒が不足していること、④ 衣服が不足していること、⑤ 労働が空しくなっていること、などがそれです。（3）この呪いの背後には、神とイスラエルの契約関係が存在しています。申命記28：38 ～ 40には、こうあります。「畑に多くの種を持って出ても、あなたは少ししか収穫できない。いなごが食い尽くすからである。ぶどう畑を作り、耕たがやしても、あなたはそのぶどう酒を飲むことも、集めることもできない。虫がそれを食べるからである。あなたの領土の至る所にオリーブの木があっても、あなたは身に油を塗ることができない。オリーブの実が落ちてしまうからである」<br>神第一の生活こそ、祝福を受ける道です。「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。…神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です」（2 コリ9：6～8）</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたを第一とする生活は、祝福への道です。どうか自分の生活を再吟味させてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=7Hqc7sjU5bo" />
         <pubDate>2026-06-04 20:32:47 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3941545433</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ハガイ書1：7～11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3943054813</link>
         <description><![CDATA[<p>7 万軍の【主】はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。</p><p>8 山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現そう。【主】は仰せられる。</p><p>9 あなたがたは多くを期待したが、見よ、わずかであった。あなたがたが家に持ち帰ったとき、わたしはそれを吹き飛ばした。それはなぜか。─万軍の【主】の御告げ─それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。あなたがたがみな、自分の家のために走り回っていたからだ。</p><p>10 それゆえ、天はあなたがたのために露つゆを降らすことをやめ、地は産物を差し止めた。</p><p>11 わたしはまた、地にも、山々にも、穀物にも、新しいぶどう酒にも、油にも、地が生はやす物にも、人にも、家畜にも、手によるすべての勤労の実にも、ひでりを呼び寄せた。」</p><p><br/></p><p><strong>民の罪の治療法</strong></p><p><strong>現状をよく考えよ</strong></p><p>ここまででハガイは、① イスラエルの民の罪と、② その罪の結果を、指摘して来ました。きょうの箇所では、罪の治療法が示されます。<br>「万軍の【主】はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現そう」（7 ～ 8節）とあります。（1）「あなたがたの現状をよく考えよ」とは、過去15年の不作為（神殿建設を先延ばしにしてきたこと）が、どのような裁きをもたらしたかを熟慮せよということです。（2）罪の治療法が、3 つの動詞（命令形）で示されます。「山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ」。信仰は、行いによって表現する必要があります。（3）神殿建設のために調達していた杉材は、すでに家々の建設のために使用されていたのでしょう。そのため、民はユダの山に上り、そこから材木を調達する必要がありました。（4）【主】の命令に忠実に従うなら、祝福が約束されます。「わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現そう」というのがそれです。</p><p><br/></p><p><strong>過去の裁き</strong></p><p>【主】は民に向かって、過去にあった裁きを指摘されます。（1）「あなたがたは多くを期待したが、見よ、わずかであった。あなたがたが家に持ち帰ったとき、わたしはそれを吹き飛ばした」（9節a）。収穫が少ないのは、民が神殿の再建をあと回しにして、自分の家を建てようと走り回っていたからです。（2）「それゆえ、天はあなたがたのために露を降らすことをやめ、地は産物を差し止めた」（10節）。夏の作物が育つためには、露が降ることが必須条件です（乾季には雨は降らないので）。露が降らないと、夏の収穫物（特にぶどう）は、枯れてしまいます（申28：23参照）。（3）「わたしはまた、地にも、山々にも、穀物にも、新しいぶどう酒にも、油にも、地が生やす物にも、人にも、家畜にも、手によるすべての勤労の実にも、ひでりを呼び寄せた」（11節）。イスラエルの民の不作為のゆえに、その地を飢饉ききんが襲います。その結果、さまざまなものが影響を受けます。① 土地、② 山々、③ 穀物、④ 新しいぶどう酒、⑤ 油、⑥地が生やす物、⑦ 人、⑧ 家畜、⑨ 手によるすべての勤労の実（申28：51参照）。<br>御心を知っていながら、それを実行しないなら、それは罪です。決心や行動を先延ばしにしている点がないかどうか、自己吟味をしてみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。私の現状を熟慮し、先延ばしにしていることがないかどうか、自己吟味をすることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=O5XxV9WkpSE" />
         <pubDate>2026-06-05 21:33:43 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ハガイ書1：12～15</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3943514883</link>
         <description><![CDATA[<p>12 そこで、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアと、民のすべての残りの者とは、彼らの神、【主】の御声と、また、彼らの神、【主】が遣わされた預言者ハガイのことばとに聞き従った。民は【主】の前で恐れた。</p><p>13 そのとき、【主】の使いハガイは、【主】から使命を受けて、民にこう言った。「わたしは、あなたがたとともにいる。─【主】の御告げ─」</p><p>14 【主】は、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルの心と、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアの心と、民のすべての残りの者の心とを奮い立たせたので、彼らは彼らの神、万軍の【主】の宮に行って、仕事に取りかかった。</p><p>15 それは第六の月の二十四日のことであった。</p><p><br/></p><p><strong>積極的応答</strong></p><p><strong>民の応答</strong></p><p>「そこで、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアと、民のすべての残りの者とは、彼らの神、【主】の御声と、また、彼らの神、【主】が遣わされた預言者ハガイのことばとに聞き従った。民は【主】の前で恐れた」（12節）とあります。（1）まず指導者たちが、ハガイの語る内容に積極的に応答しました。ゼルバベルは政治的指導者、ヨシュアは宗教的指導者です。神を恐れる指導者を持っている民は幸いです。（2）次に、「民のすべての残りの者」が同じように積極的に応答しました。「残りの者」という言葉は、少数の真の信仰者を指す場合がありますが、ハガイ書では単に「残された少数者」の意味です。（3）積極的応答が生まれた理由は、ハガイの言葉が【主】の御声であると理解されたからです。彼らは、ハガイを通して語っておられる【主】の権威を認め、【主】を恐れたのです。</p><p><strong>【主】の応答</strong></p><p>【主】は、民の積極的応答を喜ばれました。「そのとき、【主】の使いハガイは、【主】から使命を受けて、民にこう言った。『わたしは、あなたがたとともにいる。─【主】の御告げ─』」（13節）。（1）ハガイは「【主】の使い」と呼ばれています。彼は、【主】からのことばを受けて、それをそのまま民に伝えました。それこそ預言者の使命です。（2）【主】のことばとは、「わたしは、あなたがたとともにいる」というものでした。患難と恐れの中にあった民にとって、この約束ほど励ましになるものはありませんでした。ここには、「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます」（ヤコ4：8a）という原則があります。</p><p><br/></p><p><strong>民の行動</strong></p><p>ついに民は行動を起こしました。（1）彼らは神殿再建の仕事に取りかかりました。「それは第六の月の二十四日のことであった」（15節）。つまり、ハガイの最初のメッセージから23日後に、民が行動を起こしたということです。（2）ハガイのように短時間で民を動かした預言者は、稀まれです。その背後には、【主】（聖霊）の働きがありました。聖霊によって「心が振い立たせられた者」は、幸いです。私たちにも、そのような聖霊の励ましが必要です。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。あなたの御心を行うために必要な幻と力とを、私に注いでください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=aG-bJGU7AdI" />
         <pubDate>2026-06-06 21:14:55 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ハガイ書2：1～3</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3944042008</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ダリヨス王の第二年の第七の月の二十一日に、預言者ハガイを通して、次のような【主】のことばがあった。</p><p>2 「シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアと、民の残りの者とに次のように言え。</p><p>3 あなたがたのうち、以前の栄光に輝くこの宮を見たことのある、生き残った者はだれか。あなたがたは、今、これをどう見ているのか。あなたがたの目には、まるで無いに等しいのではないか。</p><p><br/></p><p><strong>第2のメッセージ（1）</strong></p><p><strong>民の失望</strong></p><p>きょうの箇所から、ハガイの第2のメッセージが始まります。「ダリヨス王の第二年の第七の月の二十一日に、預言者ハガイを通して、次のような【主】のことばがあった」（1節）とあります。（1）「第7の月の21日」は、1週間の仮庵かりいおの祭りの最終日です（レビ23：34 ～43 参照）。通常は、収穫を祝う祭りの時ですが、収穫が乏しいので、この時の民の心は沈んでいたでしょう。（2）ハガイの第2 のメッセージは、このような失望の時、民が神殿再建に着手してから3週間半後にやって来ました。① ユダの総督ゼルバベル（政治的指導者）、② 大祭司ヨシュア（宗教的指導者）、③ 民の残りの者（一般大衆）の3者に、【主】から励ましのことばが届けられます。</p><p><br/></p><p><strong>3つの質問</strong></p><p>【主】からの3つの質問が、神殿の再建に従事している人々の心理状態を描写しています。「あなたがたのうち、以前の栄光に輝くこの宮を見たことのある、生き残った者はだれか。あなたがたは、今、これをどう見ているのか。あなたがたの目には、まるで無いに等しいのではないか」（3節）。（1）最初の質問は、ソロモンの神殿を見た者はだれかと問うています。ソロモンの神殿が破壊されたのは前586年です。その再建が、それから66年後（前520年）に始まりました。つまり、70歳以上の老人ならソロモンの神殿を見たことがあるのです。（2）第2の質問は、その生き残りの者たちは、再建途上の神殿をどう見ているのかと問うています。「これ」とあるのは、神の視点からすると別の神殿ではなく、「一つの神殿（神の家）」という前提があるからです。（3）第3の質問は、「あなたがたの目には、まるで無いに等しいのではないか」というものです。つまり、ソロモンの神殿と比較すると、はるかに劣悪なものしか建てられないということです（エズ3：8 ～13 参照）。<br>心が萎なえている民に対して、神からの激励のことばが届けられます（その内容は次回学びます）。私たちにも、神からの励ましのことばが必要です。少数のクリスチャン、いくら労しても上がらない伝道の成果、貧弱な教会、未信者たちの頑固な心、どれを取っても私たちの心をくじくのに十分です。しかし、神はそういう私たちを励ましてくださいます。「強くあれ。仕事に取りかかれ」と。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。きょう私は、心に強い衝撃を感じました。どうか私に、励ましのことばを与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
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         <pubDate>2026-06-07 20:44:06 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ハガイ書2：4～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3945510470</link>
         <description><![CDATA[<p>4 しかし、ゼルバベルよ、今、強くあれ。─【主】の御告げ─エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ。強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。─【主】の御告げ─仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。─万軍の【主】の御告げ─</p><p>5 あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな。　</p><p><br></p><p><strong>第2のメッセージ（2）</strong></p><p><strong>強くあれ</strong></p><p>失望している民に、【主】からの励ましのことばが語られます。「しかし、ゼルバベルよ、今、強くあれ。─【主】の御告げ─エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ。強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。─【主】の御告げ─仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。─万軍の【主】の御告げ─」（4節）。（1）「強くあれ」ということばが、政治的指導者ゼルバベルと宗教的指導者ヨシュアに対して語られます。「強くあれ」という励ましは、約束の地を前にしてヨシュアが受けたものであり（申31：7、ヨシ1：6 ～ 7、9、18）、神殿建設の際にソロモンがダビデから受けたものでもあります（1歴28：20）。（2）「仕事に取りかかれ」というのが、【主】の命令です。つまり、神殿建設の作業を延期するなということです。先延ばしにする危険性を覚えようではありませんか。（3）この命令には約束が伴っています。それが、「わたしがあなたがたとともにいるからだ」というものです。【主】の臨在こそ、試練を乗り越え、御心を実行するために必要な力です。</p><p><br></p><p><strong>シナイ契約（モーセ契約）</strong></p><p>次に【主】は、民の目を過去の祝福に転じさせます。それは、シナイ契約の祝福です。「あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな」（5節）。（1）神は、イスラエルの民を罰するためにバビロン捕囚が起こることを許されました。しかしそれは、神がイスラエルを見捨てたということではありません。イスラエルが「宝の民」、「祭司の王国」、「聖なる国民」（出19：5 ～ 6）であるという事実は変わりません。（2）イスラエルの民が荒野にいた時、聖霊はモーセと70人の長老の上にありました（民11：16 ～ 17、25）。そして今も、聖霊は民の間で働いています。（3）それゆえ、恐れる必要はないのです。「恐れるな」という命令は、落胆している民に勇気と励ましを与えたことでしょう。<br>主イエスは湖上にいた弟子たちに、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」（マコ6：50）とお語りになりました。恐れることは人間性の特徴の一つであり、それが必要な場合があります。しかし、不必要な恐れは私たちを束縛します。今、主イエスがともにいてくださることを覚え、恐れに打ち勝とうではありませんか。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。「恐れるな」との呼びかけを感謝します。あなたがともにいてくださることを信じます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-06-08 19:54:44 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ハガイ書2：6～9</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3947100369</link>
         <description><![CDATA[<p>6 まことに、万軍ばんぐんの【主】はこう仰おおせられる。しばらくして、もう一度、わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす。</p><p>7 わたしは、すべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物ほうもつがもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。万軍の【主】は仰せられる。</p><p>8 銀はわたしのもの。金もわたしのもの。─万軍の【主】の御告みつげ─</p><p>9 この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。万軍の【主】は仰せられる。わたしはまた、この所に平和を与える。─万軍の【主】の御告げ─」</p><p><br/></p><p><strong>第2のメッセージ（3）</strong></p><p><strong>しばらくして</strong></p><p>ハガイの第2のメッセージの続きです。失望している民に、【主】からの励ましのことばが届けられます。前回の箇所では過去の祝福（シナイ契約の祝福）に関心が向けられましたが、きょうの箇所では将来の祝福（メシア的王国）が強調されます。「まことに、万軍の【主】はこう仰せられる。しばらくして、もう一度、わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす」（6節）。（1）「しばらくして、もう一度」とは、終末時代の出来事を指しています。（2）メシア的王国（千年王国）が地上に設立される前に、天と地と、海と陸が揺り動かされる時がやって来ます。これは大患難時代の預言です（イザ13：13 参照）。<br>「わたしは、すべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。万軍の【主】は仰せられる。銀はわたしのもの。金もわたしのもの。─万軍の【主】の御告げ─」（7 ～8節）。（1）「この宮」とは千年王国の神殿のことです。その神殿は栄光で満たされます（エゼ40 ～48 章参照）。（2）イスラエルの民は、今自分たちが再建しようとしている神殿が貧弱なものであることを嘆なげいていますが、千年王国の神殿は、豪華ごうかに飾られたものとなります。なぜなら、諸国の民が宝物をもたらすからです。銀も金も、【主】のものです。</p><p><br/></p><p><strong>後の栄光</strong></p><p>さらに素晴らしい約束が続きます。「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。万軍の【主】は仰せられる。わたしはまた、この所に平和を与える。─万軍の【主】の御告げ─」（9節）。（1）今イスラエルの民が再建しようとしている神殿は、先のもの（ソロモンの神殿）と比較するとはるかに劣おとるものです。しかし、この宮の後の栄光（将来の栄光）は、ソロモンの神殿をはるかに凌しのぐものとなります。（2）この預言は、メシアであるイエスが神殿の中に来られた時に成就じょうじゅしました。（3）イエスは「平和の君」です（イザ9：6）。イエスは初臨しょりんにおいて霊的平和をもたらし、再臨において肉体的平和をもたらされます。<br>ヘブル12：26はハガイ2：6を引用しています。「わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす」。ヘブル書の主張は、キリストの内にあるなら、終末時代に起こる地震にも揺り動かされることのない御国を受けている、ということです（ヘブ12：28 ～ 29参照）。キリストにある者は、決して揺るがされることはありません。感謝。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。キリストにある者の幸いを教えられました。失望することなく、御国拡大のわざに励むことができますように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-06-09 20:20:23 UTC</pubDate>
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      </item>
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         <title>ハガイ書2：10～14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3948652115</link>
         <description><![CDATA[<p>10 ダリヨスの第二年の第九の月の二十四日、預言者ハガイに次のような【主】のことばがあった。</p><p>11 「万軍の【主】はこう仰せられる。次の律法について、祭司たちに尋ねて言え。</p><p>12 もし人が聖なる肉を自分の着物のすそで運ぶとき、そのすそがパンや煮物、ぶどう酒や油、またどんな食物にでも触れたなら、それは聖なるものとなるか。」祭司たちは答えて「否いな」と言った。</p><p>13 そこでハガイは言った。「もし死体によって汚れた人が、これらのどれにでも触れたなら、それは汚れるか。」祭司たちは答えて「汚れる」と言った。</p><p>14 ハガイはそれに応じて言った。「わたしにとっては、この民はそのようなものだ。この国もそのようである。─【主】の御告げ─彼らの手で作ったすべての物もそのようだ。彼らがそこにささげる物、それは汚れている。</p><p><br/></p><p><strong>第3のメッセージ（1）</strong></p><p><strong>背景</strong></p><p>きょうの箇所から、第3のメッセージが始まります。「ダリヨスの第二年の第九の月の二十四日、預言者ハガイに次のような【主】のことばがあった」（10節）。（1）このメッセージは、第2のメッセージから約2カ月後、神殿再建に着手してから3カ月後に語られたものです（1：15参照）。（2）この年の収穫が終わりましたが、結果は不作でした。民の疑問は、神殿再建に着手したのに、なぜ不作に終わったのかということです。（3）そこで【主】は、ハガイを通して、なぜ収穫が少ないのかを説明されます。</p><p><br/></p><p><strong>2つの質問</strong></p><p>（1）「『万軍の【主】はこう仰せられる。次の律法について、祭司たちに尋ねて言え。もし人が聖なる肉を自分の着物のすそで運ぶとき、そのすそがパンや煮物、ぶどう酒や油、またどんな食物にでも触れたなら、それは聖なるものとなるか。』祭司たちは答えて『否』と言った」（11～ 12節）。これはモーセの律法に関する質問です。祭司たちは民にモーセの律法を教える責務がありました。質問の内容は、聖なる肉を運んでいる着物のすそが他の食物に触れたとしたら、その聖は転移するかというものです。祭司たちは、「否」と応えています。これで正解です。なぜなら、聖は転移しないからです。（2）「そこでハガイは言った。『もし死体によって汚れた人が、これらのどれにでも触れたなら、それは汚れるか。』祭司たちは答えて『汚れる』と言った」（13節）。今度は、汚れは転移するかという質問がなされました。答えは「汚れる」です。これもまた正解です。<br>2つの質問から適用が導き出されます。「わたしにとっては、この民はそのようなものだ。この国もそのようである。──【主】の御告げ──彼らの手で作ったすべての物もそのようだ。彼らがそこにささげる物、それは汚れている」（14節）。「民」はヘブル語で「アム」です。「国」はヘブル語で「ゴイ」であり、普通は異邦人の国を指します。つまり、イスラエルは神の民でありながら、異邦人のように振る舞っているということです。出エジプト19：6には「あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる」とありましたが、イスラエルの民は汚れた民となりました。それゆえ、その汚れは神にささげる物に転移しているのです。<br>神が私たちに求めておられるのは、形式ではなく、心からの信頼です。神に受け入れられるささげ物（礼拝・祈り）は、聖なる心の状態でささげるものだけです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。どうか私の心を清くし、御前に受け入れられるささげ物をささげることができるようにしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=reC2rDZifig" />
         <pubDate>2026-06-10 20:54:59 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ハガイ書2：15～19</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3950150715</link>
         <description><![CDATA[<p>15 さあ、今、あなたがたは、きょうから後のことをよく考えよ。【主】の神殿で石が積み重ねられる前は、</p><p>16 あなたがたはどうであったか。二十の麦束の積んである所に行っても、ただ十束しかなく、五十おけを汲くもうと酒ぶねに行っても、二十おけ分しかなかった。</p><p>17 わたしは、あなたがたを立ち枯がれと黒穂病くろほびょうとで打ち、あなたがたの手がけた物をことごとく雹ひょうで打った。しかし、あなたがたのうちだれひとり、わたしに帰って来なかった。─【主】の御告げ─</p><p>18 さあ、あなたがたは、きょうから後のことをよく考えよ。すなわち、第九の月の二十四日、【主】の神殿の礎いしずえが据すえられた日から後のことをよく考えよ。</p><p>19 種はまだ穀物倉こくもつぐらにあるだろうか。ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリーブの木は、まだ実を結ばないだろうか。きょうから後、わたしは祝福しよう。」</p><p><br/></p><p><strong>第3のメッセージ（2）</strong></p><p><strong>これまでのことを振り返れ</strong></p><p>前回の箇所では、「聖」は転移しないが、「汚れ」は転移するという例話が語られました。きょうの箇所では、神殿再建が中止されて以降、状況が悪化したことが指摘されます。<br>「さあ、今、あなたがたは、きょうから後のことをよく考えよ。【主】の神殿で石が積み重ねられる前は、あなたがたはどうであったか。…」（15～16節）。（1）「きょうから後のこと」と訳されている言葉（マーエラー）は、「きょう以前」とも「以後」とも訳せるものです。文脈から言うと、「きょう以前」がいいと思います。つまり、神殿再建に着手しながらそれを放置した15年間のことを思い起こせ、と言うのです。（2）その15年間に畑の収穫は激減しました。20の麦束を積む場所に来ても、そこには半分の10束しかなく、50おけのぶどう酒を汲もうとして酒ぶねに行っても、20おけ分しか汲めなかったのです。（3）不作の原因は、民の不信仰です。それゆえ神は、育った作物を ① 立ち枯れ、② 黒穂病、③ 雹で打たれました。</p><p><br/></p><p><strong>祝福の約束</strong></p><p>「さあ、あなたがたは、きょうから後のことをよく考えよ。すなわち、第九の月の二十四日、【主】の神殿の礎が据えられた日から後のことをよく考えよ」（18節）。（1）ここでは、再建工事を開始してからきょうまでのこと（第6の月の24日～第9の月の24日までの3カ月間のこと。1：15参照）を考えよという命令が下っています。その3カ月間は、民が【主】のことばに従い再建工事を行った期間です。その間にも、豊かな収穫はありませんでした。（2）「種はまだ穀物倉にあるだろうか。ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリーブの木は、まだ実を結ばないだろうか」（19a節）。この質問は、「否」という答えを想定したものです。種は穀物倉になく、ぶどう、いちじく、ざくろ、オリーブの収穫もまだありません。その理由は、民の汚れが収穫物に転移したからです。（3）「きょうから後、わたしは祝福しよう」（19b節）。しかし、翌年の収穫は大いに祝されます。その理由は、この3カ月間で民が【主】への信頼を表明したからです。「きょうから後、わたしは祝福しよう」というのは、人間による収穫予想ではなく、【主】からの収穫の約束です。<br>民の霊的状態と、畑の収穫物の状態とが相関関係にあることに注目しましょう。霊的祝福と肉体的祝福は、ともに神からの賜物たまものであることを覚えましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。私が受けている祝福は、すべてあなたから与えられたものです。きょうもあなたをあがめる歩みをさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=XvgvUeifmUU" />
         <pubDate>2026-06-11 19:57:35 UTC</pubDate>
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         <title>ハガイ書2：20～23</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3951476649</link>
         <description><![CDATA[<p>20 その月の二十四日、ハガイに再び次のような【主】のことばがあった。</p><p>21 「ユダの総督ゼルバベルに次のように言え。わたしは天と地とを揺り動かし、</p><p>22 もろもろの王国の王座をくつがえし、異邦の民の王国の力を滅ぼし、戦車と、それに乗る者をくつがえす。馬と騎兵は彼ら仲間同士の剣によって倒れる。</p><p>23 その日、─万軍の【主】の御告げ─シェアルティエルの子、わたしのしもべゼルバベルよ、わたしはあなたを選び取る。─【主】の御告げ─わたしはあなたを印形いんぎょうのようにする。わたしがあなたを選んだからだ。─万軍の【主】の御告げ─」</p><p><br/></p><p><strong>第4のメッセージ</strong></p><p><strong>同じ日に与えられた預言</strong></p><p>第3と第4 のメッセージは、同じ日に与えられました（第9の月の24 日、2：10参照）。第3のメッセージまでは、ゼルバベルと大祭司ヨシュアに与えられたものでしたが、第4 のメッセージは、ゼルバベルのみに語られています。「ユダの総督ゼルバベルに次のように言え。わたしは天と地とを揺り動かし、もろもろの王国の王座をくつがえし、異邦の民の王国の力を滅ぼし、戦車と、それに乗る者をくつがえす。馬と騎兵は彼ら仲間同士の剣によって倒れる」（21～22節）とあります。（1）「天と地を揺り動かし」という言葉が出ていますが、これは2：6にすでに出ていました。この言葉は、メシア的王国が成就する前の大患難時代を預言したものです。（2）この時、反キリストは破れ（もろもろの王座をくつがえし）、反キリストの軍勢ぐんぜいは倒されます。ハルマゲドンの戦いにおいて、このことが成就します。</p><p><br/></p><p><strong>印形</strong></p><p>「その日、─万軍の【主】の御告げ─シェアルティエルの子、わたしのしもべゼルバベルよ、わたしはあなたを選び取る。─【主】の御告げ─わたしはあなたを印形のようにする。わたしがあなたを選んだからだ。─万軍の【主】の御告げ─」（23節）とあります。（1）ユダの総督ゼルバベルに、大いなる励ましの言葉が語られました。彼は、「わたしのしもべゼルバベル」と呼ばれ、「わたしはあなたを選び取る」との約束を受けています。（2）「印形」というのは、王が公文書にサインする際に用いた「王の印」、「権威の印」（エス8：8参照）のことです。王の印形は、王自身がその指にはめており、王から離れることはありません。（3）その印形のように、神はゼルバベルを特別に扱い、彼から離れることはないのです。<br>メシア的王国においては、王としてのキリストの統治とうち下に、ユダヤ人の政府と、異邦人の政府ができます。ユダヤ人の政府の中には、複数の首長（君主）が置かれます（イザ32：1、エゼ45：8参照）。復活したゼルバベルは、その首長のひとりとなります。試練の中にいたゼルバベルに遠い将来の約束が与えられ、その祝福の言葉によって彼は大いに祝されました。クリスチャン生活においても試練が襲ってくることがあります。しかし、神は試練の中に置かれている聖徒たちに励ましの言葉を与えてくださいます。明日という日に希望の光を見る人は幸いです。死後のいのちの希望を持つ人は幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父よ。私は、苦難の日にあなたに向かって叫びます。どうか私を支え、私に希望を与え続けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-06-12 21:18:28 UTC</pubDate>
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         <title>ゼカリヤ書1：1</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3951920949</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ダリヨスの第二年の第八の月に、イドの子ベレクヤの子、預言者ゼカリヤに、次のような【主】のことばがあった。</p><p><br/></p><p><strong>イントロダクション（1）</strong></p><p><strong>捕囚期後の預言者</strong></p><p>きょうからゼカリヤ書の学びが始まります。イスラエルの民がバビロン捕囚になっていた期間（70年）、イスラエルの地では預言者の活動はありませんでした（捕囚の地では、ダニエルとエゼキエルが活躍していました）。捕囚からの帰還後に、3人の預言者が登場します。ハガイ、ゼカリヤ、マラキがそれです。彼らを捕囚期後預言者と言います。<br>「ダリヨスの第二年の第八の月に、イドの子ベレクヤの子、預言者ゼカリヤに、次のような【主】のことばがあった」（1節）。（1）ゼカリヤが預言者として活動を開始したのは、ダリヨスの第二年の第八の月、西暦では前520年のことです。（2）ハガイもまた同じ年に召命を受けました（エズ5：1、6：14参照）が、ハガイの場合は活動期間が3カ月でした。ゼカリヤの活動期間は、前470年まで続きます。つまり、50年にわたって預言者としての活動を継続したということです。（3）この時代のイスラエルの民の霊的状態を考えてみましょう。彼らは偶像礼拝からは離れていました。また、ユダヤ教の歴史の中では、会堂（シナゴーグ）の建設がこの時期から始まっています。それでも、民の霊的状態は非常に貧しいものでした。（4）そういう霊的背景の中で、ゼカリヤは民を励ますメッセージを語りました。ダニエル書のテーマは、「異邦人の時」ですが、ゼカリヤ書のテーマは、「異邦人の時の間のイスラエル」です。</p><p><br/></p><p><strong>私たちへの適用</strong></p><p>（1）ゼカリヤ書のキーワードは、「万軍の【主】」です。これが52回も出てきます。これは神の全能の力を示す御名です。（2）ゼカリヤは、「イドの子ベレクヤの子」でした。イドは「彼の時」という意味、ベレクヤは「【主】は祝福する」という意味、そして、ゼカリヤは「【主】は覚えている」という意味です。以上の3つの名前の意味を総合すると、「【主】は覚えておられ、ご自身の時が来たなら、その民を祝福してくださる」というメッセージになります。まさに、ゼカリヤが【主】から受けた預言は、そのメッセージでした。<br>試練に会う時、ゼカリヤのメッセージを思い起こしましょう。私たちの神は、個人と国家の歴史（運命）を、主権をもって導いておられます。時が来たなら、必ず【主】の祝福が神の民の上に注がれます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。あなたは人類の歴史を支配し、あなたの民を祝福へと導かれるお方です。私は、あなたの時を待ち望みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメ</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-06-13 20:37:14 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書1：2～4</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3952393058</link>
         <description><![CDATA[<p>2 【主】はあなたがたの先祖たちを激しく怒られた。</p><p>3 あなたは、彼らに言え。万軍の【主】はこう仰せられる。わたしに帰れ。─万軍の【主】の御告げ─そうすれば、わたしもあなたがたに帰る、と万軍の【主】は仰せられる。</p><p>4 あなたがたの先祖たちのようであってはならない。先の預言者たちが彼らに叫んで、「万軍の【主】はこう仰せられる。あなたがたの悪の道から立ち返り、あなたがたの悪いわざを悔い改めよ」と言ったのに、彼らはわたしに聞き従わず、わたしに耳を傾けもしなかった。─【主】の御告げ─</p><p><br/></p><p><strong>イントロダクション（2）</strong></p><p><strong>過去の歴史の回顧</strong></p><p>「【主】はあなたがたの先祖たちを激しく怒られた」（2節）とあります。これは【主】によるイスラエルの歴史の評価であり、宣言です。イスラエルの民は、神からの使命を受けた民でしたが、その使命を全うすることができず、偶像礼拝に走りました。バビロン捕囚は、神がイスラエルの民に与えた矯正的裁きです（エレ21：5 参照）。<br>しかし、神がイスラエルと交わした契約（アブラハム契約）は無条件契約です。それゆえ、神がイスラエルの民を見放すことはあり得ません。ゼカリヤが語る「悔い改めへの招きのメッセージ」は、そういう歴史的文脈の中で理解する必要があります。過去に失敗はあっても、希望がなくなったわけではない。未来に希望を持つために、今という時に【主】に近づけ、これがゼカリヤのメッセージです。</p><p><br/></p><p><strong>悔い改めへの招き</strong></p><p>「あなたは、彼らに言え。万軍の【主】はこう仰せられる。わたしに帰れ。─万軍の【主】の御告げ─そうすれば、わたしもあなたがたに帰る、と万軍の【主】は仰せられる」（3節）。【主】からの矯正的裁きの時代は終わりました。捕囚からの帰還は、新時代の到来を告げています。それゆえ、神の民は【主】との新しい関係に入る用意をする必要があります。<br>「あなたがたの先祖たちのようであってはならない。先の預言者たちが彼らに叫んで、『万軍の【主】はこう仰せられる。あなたがたの悪の道から立ち返り、あなたがたの悪いわざを悔い改めよ』と言ったのに、彼らはわたしに聞き従わず、わたしに耳を傾けもしなかった。─【主】の御告げ─」（4節）。（1）先祖たちは、預言者たちが語る悔い改めのメッセージに応答しませんでした。新時代に生きる民は、そうであってはなりません。（2）「先の預言者たち」とは、捕囚期前の預言者たちで、具体的にはイザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ホセアなどを指します。彼らの語った預言は、そのまま成就しました。「【主】に帰るなら、【主】もまた民のもとに帰ってくださる」という原則は、長期にわたる「異邦人の時」の期間、イスラエルを支える原則となります。この原則は、新約聖書でも教えられています。「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心ふたごころの人たち。心を清くしなさい」（ヤコ4：8）</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたは愛の神、恵みにあふれた神です。今私は、あなたに近づきます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-06-14 20:37:39 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書1：5～6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3954016735</link>
         <description><![CDATA[<p>5 あなたがたの先祖たちは今、どこにいるのか。預言者たちは永遠に生きているだろうか。</p><p>6 しかし、わたしのしもべ、預言者たちにわたしが命じた、わたしのことばとおきてとは、あなたがたの先祖たちに追い迫ったではないか。そこで彼らは立ち返って言った。「万軍の【主】は、私たちの行いとわざに応じて、私たちにしようと考えられたとおりを、私たちにされた」と。</p><p><br/></p><p><strong>イントロダクション（3）</strong></p><p><strong>神とイスラエルの対話</strong></p><p>「あなたがたの先祖たちは今、どこにいるのか」（5a節）とあります。これは神からイスラエルの民への問いかけです。当然答えは、「彼らは預言者たちが預言したとおりに、裁きを受けて死にました」というものです。次に、「預言者たちは永遠に生きているだろうか」（5b節）という言葉がきます。これは民から神への問いかけです。つまり、「預言者たちもまた死んだ。先祖たちも預言者たちもともに死んだとするなら、両者に何の違いがあるのか」というのが民の反論（疑問）です。<br>それに対する神の回答が6節です。「しかし、わたしのしもべ、預言者たちにわたしが命じた、わたしのことばとおきてとは、あなたがたの先祖たちに追い迫ったではないか。そこで彼らは立ち返って言った。『万軍の【主】は、私たちの行いとわざに応じて、私たちにしようと考えられたとおりを、私たちにされた』と」。（1）神が預言者たちを通して語ったことばは、イスラエルの民に悔い改めを迫りました。（2）これは申命記28章の規定のとおりです。イスラエルの民が罪に陥った時に、祝福の代わりにのろいが彼らに「追いつき」、彼らを「根絶やし」にしたのです。（3）その結果、捕囚の地で先祖たちは悔い改めたのです。悔い改めは、罪の赦しをもたらします。</p><p><br/></p><p><strong>イザヤ書40：6～8</strong></p><p>預言者たちは死にましたが、彼らが語った預言（神のことば）は成就しました。これはイザヤ40：6 ～ 8に記されている原則そのものです。「『呼ばわれ』と言う者の声がする。私は、『何と呼ばわりましょう』と答えた。『すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。【主】のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ』」。ペテロはイザヤ書のこのことばを引用し、「あなたがたに宣のべ伝えられた福音のことばがこれです」（1 ペテ1：23～ 25参照）と書いています。<br>ゼカリヤ書のイントロダクションの部分（1：1～6）で、ゼカリヤはイスラエルの民に、悔い改めて【主】に帰るように勧めました。もし【主】に帰れば、【主】もまた彼らに帰ってくださるというのです。この真理は今も変わりません。それゆえ、罪から離れ、【主】に立ち帰る人は幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。福音のことばは永遠に立つ神の約束です。その福音を信じる者とされたことを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-06-15 20:26:36 UTC</pubDate>
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         <title>ゼカリヤ書1：7～11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3955423957</link>
         <description><![CDATA[<p>7 ダリヨスの第二年のシェバテの月である第十一の月の二十四日に、イドの子ベレクヤの子、預言者ゼカリヤに、次のような【主】のことばがあった。</p><p>8 夜、私が見ると、なんと、ひとりの人が赤い馬に乗っていた。その人は谷底にあるミルトスの木の間に立っていた。彼のうしろに、赤や、栗毛や、白い馬がいた。</p><p>9 私が、「主よ。これらは何ですか」と尋ねると、私と話していた御使いが、「これらが何か、あなたに示そう」と私に言った。</p><p>10 ミルトスの木の間に立っていた人が答えて言った。「これらは、地を行き巡るために【主】が遣わされたものだ。」</p><p>11 すると、これらは、ミルトスの木の間に立っている主の使いに答えて言った。「私たちは地を行き巡りましたが、まさに、全地は安らかで、穏やかでした。」</p><p><br/></p><p><strong>第1の幻（1）</strong></p><p><strong>8つの連続した幻</strong></p><p>ゼカリヤは8つの連続した幻を神から見せられます。それが起こったのは、「ダリヨスの第二年のシェバテの月である第十一の月の二十四日」（前520年）、つまり、ゼカリヤが預言者としての召命を受けてから3カ月後のことでした（1：1参照）。彼は、一夜に連続した8つの幻を見せられます。それらの幻は、イスラエル、特にエルサレムの将来に対する神の計画を啓示するものでした。きょうはその最初の幻を見てみます。</p><p><br/></p><p><strong>赤い馬に乗った人</strong></p><p>この幻を理解するために、まず結論を書いておきます。（1）この幻に登場する「赤い馬に乗った人」、「ゼカリヤと話している御使い」、「【主】の使い」はすべて同一人物です。旧約聖書で「【主】の使い」というと、受肉前の第2位格の神を指します。（2）この幻が伝えている教えは、異邦人諸国は契約の民イスラエルを苦しめているが、神はエルサレムをねたむほど愛しておられるがゆえに、必ずご自身の民を回復されるというものです。それでは、きょうの箇所を見てみましょう。<br>（1）「夜、私が見ると」（8節）とあります。預言者に幻が与えられるのは、通常夜の時間帯です。これは夢ではありません。（2）「谷底」（8節）という言葉は、口語訳では「谷間」と訳されています。本来の意味は、「低い地、窪くぼ地」と言った意味で、象徴的に異邦人世界を表しています。（3）「赤や、栗毛や、白い馬」は、異邦人世界の統治を司つかさどる天的存在（天使たち）を象徴しています。「これらは、地を行き巡るために【主】が遣わされたものだ」（10節）とあります。「地を行き巡る」とは、天使の活動を表現する言葉です（ヨブ1：7、2：2参照）。（4）天使たちは、こう答えています。「私たちは地を行き巡りましたが、まさに、全地は安らかで、穏やかでした」（11節）。彼らは異邦人世界を観察して回るという使命を終えましたが、地上の人々はすべて安らかそうに住んでいました。これは朗報のように聞こえますが、イスラエルにとっては悲劇的な情報です。なぜなら、神がイスラエルに対して持っておられる計画が何も進展していないということだからです。イスラエルは、異邦人諸国に踏みにじられ、抑圧されたままです。神はそれをいつまで放置しておかれるのでしょうか。失望する必要はありません。時が来たなら、神は必ずご自身の民を解放し、祝福されるからです。次回、その祝福の約束について学びます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたはご自身の民を見捨てることのない方です。どうか私の人生にもご介入くださり、私を義の道へとお導きください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=fYUBFyoR2Hs" />
         <pubDate>2026-06-16 20:34:49 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書1：12～17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3956692633</link>
         <description><![CDATA[<p>12 【主】の使いは答えて言った。「万軍の【主】よ。いつまで、あなたはエルサレムとユダの町々に、あわれみを施されないのですか。あなたがのろって、七十年になります。」</p><p>13 すると【主】は、私と話していた御使いに、良いことば、慰めのことばで答えられた。</p><p>14 私と話していた御使いは私に言った。「叫んで言え。万軍の【主】はこう仰せられる。『わたしは、エルサレムとシオンを、ねたむほど激しく愛した。</p><p>15 しかし、安逸あんいつをむさぼっている諸国の民に対しては大いに怒る。わたしが少ししか怒らないでいると、彼らはほしいままに悪事を行った。』</p><p>16 それゆえ、【主】はこう仰せられる。『わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る。そこにわたしの宮が建て直される。─万軍の【主】の御告げ─測りなわはエルサレムの上に張られる。』</p><p>17 もう一度叫んで言え。万軍の【主】はこう仰せられる。『わたしの町々には、再び良いものが散り乱れる。【主】は、再びシオンを慰め、エルサレムを再び選ぶ。』」</p><p><br/></p><p><strong>第1の幻（2）</strong></p><p><strong>第一の幻の説明</strong></p><p>「赤い馬に乗った人」の幻の意味が説明されます。（1）12節で、【主】の使いは「万軍の【主】」に「とりなしの祈り」をささげています。これは、子なる神から父なる神にささげられたとりなしの祈りです。「万軍の【主】よ。いつまで、あなたはエルサレムとユダの町々に、あわれみを施されないのですか。あなたがのろって、七十年になります」。この70年というのは、バビロン捕囚の期間です。この年数は、エレミヤによって預言されていました（エレ25：11～12、29：10）。（2）万軍の【主】からの答えが与えられます。それは、「良いことば」（グッドニュース）であり、イスラエルの民に慰めを与えることばでした。（3）ゼカリヤは、7つの祝福を大声で叫ぶように命じられます。</p><p><br/></p><p><strong>7つの祝福</strong></p><p>（1）神はエルサレムとシオンを、ねたむほど激しく愛しておられる。その愛の根底にあるのは、イスラエルの民との契約です。（出20：5、34：14、申5：9）。彼らは【主】の民、【主】の所有物です。（2）神は反ユダヤ主義に陥っている異邦人諸国に対して大いに怒っておられる。このテーマは、第2の幻（1：18～21）の主題となります。15節の「大いに怒る」と14 節の「ねたむほど激しく愛した」は、いわゆる交差対句ついくとなっています。神はアッシリヤとバビロンを用いてイスラエルの民を裁き、訓練されました（イザ47：6、52：4～5）。しかし、この2つの国は、「ほしいままに悪事を行った」のです。つまり、神が許容した範囲を乗り越えたということです。（3）神は、「わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る」（16節）と言われる（エゼ43：5参照）。（4）さらに、「そこにわたしの宮が建て直される」と約束される。これは、究極的には千年王国の神殿において成就する約束です。（5）「測りなわはエルサレムの上に張られる」とある。これは、エルサレムの再建が始まるという約束です。（6）「わたしの町々には、再び良いものが散り乱れる」（17節）とある。エルサレムから神の恵みが泉のようにあふれ出て、周辺の町々に及ぶという約束です。（7）「【主】は、再びシオンを慰め、エルサレムを再び選ぶ」（17節）とある。これは、エルサレムの再建が神の明確な御心であることを示しています。<br>神は今も、ご自身の民イスラエルを愛しておられます。イスラエルの救いのために、エルサレムの平和のために祈る異邦人信者は幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたは契約の民を今も愛しておられます。あなたの思いを私の思いとさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=Cn51FcSOxT4" />
         <pubDate>2026-06-17 19:54:05 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書1：18～21</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3957996285</link>
         <description><![CDATA[<p>18 私が目を上げて見ると、なんと、四つの角つのがあった。</p><p>19 私が、私と話していた御使いに、「これらは何ですか」と尋ねると、彼は私に言った。「これらは、ユダとイスラエルとエルサレムとを散らした角だ。」</p><p>20 そのとき、【主】は四人の職人を私に見せてくださった。</p><p>21 私が、「この者たちは、何をしに来たのですか」と尋ねると、主はこう仰せられた。「これらはユダを散らして、だれにも頭をもたげさせなかった角だ。この者たちは、これらの角を恐れさせ、また、ユダの地を散らそうと角をもたげる国々の角を打ち滅ぼすためにやって来たのだ。」</p><p><br/></p><p><strong>第2の幻</strong></p><p><strong>4つの角</strong></p><p>ゼカリヤが見た第2の幻は、「4つの角と4人の職人」です。4つの角に関する説明が与えられます。「これらは、ユダとイスラエルとエルサレムとを散らした角だ」（19節）。「角」は権力を象徴する言葉です。ユダは南王国、イスラエルは北王国、エルサレムは都です。これらを攻撃し、蹴散けちらした角とは、以下の4つの異邦人王国のことです（ダニ2 章、7章参照）。（1）バビロン、（2）メド・ペルシヤ、（3）ギリシア、（4）ローマから始まる帝国主義の王国。第4の王国の最後は反キリストによって支配されることになります。</p><p><br/></p><p><strong>4人の職人（鍛冶かじ 、鉄工）</strong></p><p>次に、4人の職人に関する説明が与えられます。「これらはユダを散らして、だれにも頭をもたげさせなかった角だ。この者たちは、これらの角を恐れさせ、また、ユダの地を散らそうと角をもたげる国々の角を打ち滅ぼすためにやって来たのだ」（20節）。この4人の職人は、限度を超えてイスラエルの民を苦しめた4つの角（4つの異邦人王国）を裁くために、神によって立てられた4人の人物です。（1）クロス王はバビロンを滅ぼしました。（2）アレクサンドロス大王は、メド・ペルシヤを滅ぼしました。（3）ポンペイはギリシアを滅ぼし、ローマ敵国の基礎を作りました。（4）イエス・キリストは、反キリストに統治される第4の王国を滅ぼされます。<br>この箇所から教訓を学びましょう。（1）神は歴史を、また異邦人王国を支配しておられます。「しかし、安逸をむさぼっている諸国の民に対しては大いに怒る。わたしが少ししか怒らないでいると、彼らはほしいままに悪事を行った」（15節）とありました。神の怒りは、イスラエルの民に敵対する者の上に下ります。（2）神はご自分の民の霊的状況、肉体的状況をすべて知っておられます。その上で、異邦人王国を裁かれます。（3）アブラハム契約の条項を見逃してはなりません。「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」（創12：3）。イスラエルを祝福する者は祝福を受け、イスラエルを呪う者は呪いを受けます。4つの角と4人の職人の幻は、アブラハム契約の条項が成就するという預言にもなっています。<br>神の敵がいかに勝ち誇ったとしても、時が来れば彼らは衰退し、神の計画がなります。そのことに安堵あんどし、なおも神の御心を求めようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。アブラハム契約の重要性を学びました。長期的な視野で歴史を見、自らの人生を考えることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-06-18 20:16:39 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ゼカリヤ書2：1～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3959037167</link>
         <description><![CDATA[<p>1 私が目を上げて見ると、なんと、ひとりの人がいて、その手に一本の測り綱づながあった。</p><p>2 私がその人に、「あなたはどこへ行かれるのですか」と尋ねると、彼は答えた。「エルサレムを測りに行く。その幅と長さがどれほどあるかを見るために。」</p><p>3 私と話していた御使いが出て行くと、すぐ、もうひとりの御使いが、彼に会うために出て行った。</p><p>4 そして彼に言った。「走って行って、あの若者にこう告げなさい。『エルサレムは、その中の多くの人と家畜のため、城壁のない町とされよう。</p><p>5 しかし、わたしが、それを取り巻く火の城壁となる。─【主】の御告げ─わたしがその中の栄光となる。』</p><p><br/></p><p><strong>第3の幻</strong></p><p><strong>測り綱を持つ人</strong></p><p>第3の幻の内容を要約すると、「エルサレムはメシア的王国（千年王国）の都となる」ということです。今からそのことを確認してみましょう。（1）登場人物は、①ゼカリヤ、② 測り綱を持つ人（受肉前のメシア），③ 一般の御使い、です。（2）測り綱を持つ人は、エルサレムを測りに行こうとしています。測り綱は、建設の作業が始まろうとしていることを示しています。つまりそれは、エルサレム再建の象徴なのです。（3）もうひとりの御使い（一般の御使い）が登場しますが、彼は測り綱を持つ人（メシア）から命令を受け、ゼカリヤ（あの若者）に次のメッセージを伝えます。「エルサレムは、その中の多くの人と家畜のため、城壁のない町とされよう。しかし、わたしが、それを取り巻く火の城壁となる。─【主】の御告げ─わたしがその中の栄光となる」（4 ～5節）</p><p><br/></p><p><strong>火の城壁</strong></p><p>上記4 ～ 5節のことばは、バビロン捕囚から帰還し、霊的にも物質的にも苦悩していたイスラエルの民に大きな励ましを与えました。（1）エルサレムは「城壁のない町」となります。その理由は、城壁で囲めないほど町が繁栄し、多くの人と家畜が住むようになるからです。さらに、「城壁のない町」とは安全な町という意味にもなります。その用語例が、エゼキエル書38：11 にあります。「私は城壁のない町々の国に攻め上り、安心して住んでいる平和な国に侵入しよう。彼らはみな、城壁もかんぬきも門もない所に住んでいる」。繁栄したエルサレムの姿は、メシア的王国でのエルサレムの姿です。（2）石の城壁ではなく、【主】ご自身が「火の城壁」となってエルサレムの町を取り巻いてくださいます。エルサレムに攻め上ろうとする者は、すべてその火によって焼き尽くされます。これほど安全なことはありません。（3）きわめつけは、「わたしがその中の栄光となる」という約束です。つまり、エルサレムの町の中にメシアが臨在してくださり、シャカイナグローリーを輝かせてくださるということです。<br>エゼキエルは、シャカイナグローリー（【主】の栄光）が神殿に帰るのを予見しました（エゼ43：2～ 5）。そしてゼカリヤは、シャカイナグローリーがエルサレムに、また全地に満ちるのを見るのです（14：16 ～21 参照）。将来に希望を見る人は幸いです。神はご自身の約束を必ず成就してくださる。これが私たちの確信であり、希望です。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。滅びることのないあなたのおことばを、私たちに与えてくださり感謝します。あなたの約束こそ、私の希望であり、道しるべです。イエス・キリストの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-06-19 21:30:31 UTC</pubDate>
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         <title>ゼカリヤ書2：6～13</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3959503614</link>
         <description><![CDATA[<p>6 さあ、さあ。北の国から逃げよ。─【主】の御告げ─天の四方の風のように、わたしがあなたがたを散らしたからだ。─【主】の御告げ─</p><p>7 さあ、シオンにのがれよ。バビロンの娘とともに住む者よ。</p><p>8 主の栄光が、あなたがたを略奪りゃくだつした国々に私を遣わして後、万軍の【主】はこう仰せられる。『あなたがたに触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ。</p><p>9 見よ。わたしは、こぶしを彼らに振り上げる。彼らは自分に仕えた者たちのとりことなる』と。このとき、あなたがたは、万軍の【主】が私を遣わされたことを知ろう。</p><p>10 シオンの娘よ。喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。─【主】の御告げ─</p><p>11 その日、多くの国々が【主】につき、彼らはわたしの民となり、わたしはあなたのただ中に住む。あなたは、万軍の【主】が私をあなたに遣わされたことを知ろう。</p><p>12【 主】は、聖なる地で、ユダに割り当て地を分け与え、エルサレムを再び選ばれる。」</p><p>13 すべての肉なる者よ。【主】の前で静まれ。主が立ち上がって、その聖なる住まいから来られるからだ。</p><p><br/></p><p><strong>第3の幻の解説</strong></p><p><strong>神のひとみ</strong></p><p>きょうの箇所は、2：1 ～ 5（第3の幻）の説明になっています。つまり、メシア的王国（千年王国）において、エルサレムが都となるという説明です。「さあ、さあ。北の国から逃げよ。…」（6節）とあります。「北の国」とはイスラエルから見た視点で、バビロンを指します。イスラエルの民は、エルサレムに帰還するように命じられます。大患難時代の状況を見ると、確かにユダヤ人がバビロンに住んでいます（黙18 章）。<br>「主の栄光が、あなたがたを略奪した国々に私を遣わして後、万軍の【主】はこう仰せられる。『あなたがたに触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ。見よ。わたしは、こぶしを彼らに振り上げる。彼らは自分に仕えた者たちのとりことなる』と。このとき、あなたがたは、万軍の【主】が私を遣わされたことを知ろう」（8 ～9 節）。（1）ここには、遣わした方（万軍の【主】）と、遣わされた方（メシア）が出てきます。これは、神の位格が複数あることを教えています。（2）イスラエルの民は、【主】のひとみです。つまり、敵がそれに触れようとした瞬間に、神の御手（こぶし）がその手を払いのけるのです。（3）イスラエルの敵は、戦いに敗れ、捕虜となります。そのタイミングは、「万軍の【主】が私を遣わされた」時、つまり、メシア再臨の時です。（4）この背後には、創世記12：3のアブラハム契約の条項があります。「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう」</p><p><br/></p><p><strong>メシア的王国の祝福（10～12節）</strong></p><p>（1）イスラエルの民は、喜び歌い、楽しむように命じられます。その理由は、神が彼らの中（エルサレム）に住んでくださるからです。（2）さらに、多くの国々（異邦人）が神の民となるからです。（3）それが成就するのは、再臨の時（万軍の【主】が私をあなたに遣わされた）です。（4）その時、ユダは【主】が相続する地（取り分）となり、エルサレムは選びの町として再建されます。この箇所では、約束の地を指す言葉として「聖なる地（聖地）」が使われていますが、この言葉はここにしか出てきません。<br>すべて「肉なる者」（有限な人間）は、恐れをもって【主】の御前に沈黙せねばなりません。なぜなら、やがてメシアが地上に再臨されるからです。その時、国々の繁栄は逆転し、エルサレムは高く上げられます。神を恐れることを学びましょう。神を恐れることは、知識の始まりです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたのドラマの最終章をお見せくださり感謝します。メシアの再臨を覚え、日々光の中を歩み続けることができますように。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-06-20 21:15:56 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書3：1～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3959935493</link>
         <description><![CDATA[<p>1 主は私に、【主】の使いの前に立っている大祭司ヨシュアと、彼を訴えようとしてその右手に立っているサタンとを見せられた。</p><p>2 【主】はサタンに仰せられた。「サタンよ。【主】がおまえをとがめている。エルサレムを選んだ【主】が、おまえをとがめている。これは、火から取り出した燃えさしではないか。」</p><p>3 ヨシュアは、よごれた服を着て、御使いの前に立っていた。</p><p>4 御使いは、自分の前に立っている者たちに答えてこう言った。「彼のよごれた服を脱がせよ。」そして彼はヨシュアに言った。「見よ。わたしは、あなたの不義を除いた。あなたに礼服を着せよう。」</p><p>5 私は言った。「彼の頭に、きよいターバンをかぶらせなければなりません。」すると彼らは、彼の頭にきよいターバンをかぶらせ、彼に服を着せた。そのとき、【主】の使いはそばに立っていた。</p><p><br/></p><p><strong>第4の幻</strong></p><p><strong>天の法廷にて</strong></p><p>先に進む前に、文脈を確認してみましょう。第1の幻から第3の幻までで、イスラエルに与えられる終末的祝福が約束されました。これらの約束が成就する前に、イスラエルは新生する必要があります。第4の幻では、2つのことが約束されます。① 神はイスラエルを清めてくださる。② イスラエルは祭司の民としての確信を回復する。<br>この幻の場面は、天の法廷です。（1）サタンは訴える者、大祭司ヨシュア（エズ2：2、ネヘ7：7）は被告人、【主】の使い（メシア）が弁護士です。ヨシュアは、イスラエルの民の代表であり、祭司職の象徴です。（2）サタンが大祭司ヨシュアを訴えています。サタンは、イスラエルの民は選びの民として失格であると責めたのでしょう。（3）それに対して、【主】はサタンをとがめます。「とがめる」という言葉は、「責める」ということであり、非常に強い意味が込められています。「これは、火から取り出した燃えさしではないか」（2節）とは、「バビロン捕囚から解放され、これからも役に立つ民ではないか」という意味です。つまり【主】は、イスラエルの民を回復し、ご自分の計画のために再度お用いになるということです。</p><p><br/></p><p><strong>礼服</strong></p><p>「御使いは、自分の前に立っている者たちに答えてこう言った。『彼のよごれた服を脱がせよ』。そして彼はヨシュアに言った。『見よ。わたしは、あなたの不義を除いた。あなたに礼服を着せよう』」（4節）。（1）ヨシュアがよごれた服を着ていたというのは、イスラエルの民が罪の中にあったことを示しています。このままの状態では、神の祝福を受けることができません（イザ4：3～4、64：6参照）。（2）しかし、【主】の使い（メシア）は、その不義を除き、礼服（義の衣）を着せようと約束されます（イザ61：10参照）。これはメシアのわざです。罪に汚れた祭司の国イスラエルは、再び義の衣をまとい、聖なる務めに就くようになります。（3）ヨシュアが頭にかぶったきよいターバンは、祭司職の回復を示しています。これは、大祭司が頭にかぶるターバンです。【主】の使いがそばに立っているのは、メシアがこのことを承認されたということです。<br>私たちもまた、信仰によって義の衣をいただいた者たちです。私たちは「火から取り出された燃えさし」ですが、私たちの内には、【主】のお役に立つものが残っています。残りの人生をキリストの忠実なしもべとして歩もうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私は「火から取り出された燃えさし」ですが、あなたのご栄光のためにお用いください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=FhT7QPESr1E" />
         <pubDate>2026-06-21 20:25:12 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書3：6～10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3961136143</link>
         <description><![CDATA[<p>6 【主】の使いはヨシュアをさとして言った。</p><p>7 「万軍の【主】はこう仰せられる。もし、あなたがわたしの道に歩み、わたしの戒いましめを守るなら、あなたはまた、わたしの宮を治め、わたしの庭を守るようになる。わたしは、あなたをこれらの立っている者たちの間で、宮に出入りする者とする。</p><p>8 聞け。大祭司ヨシュアよ。あなたとあなたの前にすわっているあなたの同僚たちは、しるしとなる人々だ。見よ。わたしは、わたしのしもべ、一つの若枝を来させる。</p><p>9 見よ。わたしがヨシュアの前に置いた石。その一つの石の上に七つの目があり、見よ、わたしはそれに彫り物を刻む。─万軍の【主】の御告げ─わたしはまた、その国の不義を一日のうちに取り除く。</p><p>10 その日には、─万軍の【主】の御告げ─あなたがたは互いに自分の友を、ぶどうの木の下といちじくの木の下に招き合うであろう。」</p><p><br/></p><p><strong>ヨシュアへのメッセージ（1）</strong></p><p><strong>3つの祝福</strong></p><p>きょうの箇所は、メシアに関する多くの言及がありますので、2回に分けて学びます。（1）ヨシュアを再聖別するに当たって、【主】の使いは2つの条件を出します（7節）。「【主】の使いは、…さとして言った（戒めて言った）」（6節）とありますから、これは非常に強い言い方で念を押したということです。①「わたしの道に歩み」とあるのは、個人的生活と【主】に対する態度を指しています。②「わたしの戒めを守るなら」とあるのは、祭司としての義務のことです。（2）以上の2つの条件が整うなら、彼に3つの特権が与えられます。①「わたしの宮を治め」とは、神殿礼拝に関するすべての事がらを決定する権威のことです。②「わたしの庭を守る」とは、誰が神殿に入るかを決める権威のことです。神殿は、「すべての民の祈りの家」（イザ56：7）とならねばなりません。③「これらの立っている者たちの間で、宮に出入りする者とする」とは、天使たちと同じように神の御座に近づくことができるという意味です。これは、メシア的王国においてイスラエルの上に成就する約束です。</p><p><br/></p><p><strong>若枝</strong></p><p>「聞け。大祭司ヨシュアよ。あなたとあなたの前にすわっているあなたの同僚たちは、しるしとなる人々だ。見よ。わたしは、わたしのしもべ、一つの若枝を来させる」（8 節）。（1）ヨシュアと彼の同僚たち（一般の祭司）は、やがて来るべきメシアの「型（しるし）」となる人々です。つまり、メシア来臨を象徴するものとなるということです。（2）メシアに関しては、「わたしのしもべ」、「若枝」と呼ばれています。この2つの言葉は、旧約聖書ではメシアの称号としてよく用いられます。（3）「しもべ」というメシアのタイトルに関しては、イザヤ書40 ～55 章（特に52：13 ～53：12）がよく説明しています。「若枝」に関しては、ゼカリヤ書6：12 ～ 13がそれを取り上げています。旧約聖書には「若枝の神学」というものがあります。<br>以上のことは、メシア的王国でイスラエルの民に与えられる祝福ですが、クリスチャンである私たちは、すでにその先駆さきがけとなる霊的祝福を受けています。私たちは、キリストの贖いのゆえに、キリストとともに天の所に座らせていただいています（エペ2：6）。今、大祭司イエスを通して、栄光の御座に近づこうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私には大祭司であるイエス・キリストが与えられています。この方を通して、御前に感謝と賛美をおささげします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=Oh-PeiychlA" />
         <pubDate>2026-06-22 20:00:26 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書3：6～10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3962430610</link>
         <description><![CDATA[<p><br/></p><p>6 【主】の使いはヨシュアをさとして言った。</p><p>7 「万軍の【主】はこう仰せられる。もし、あなたがわたしの道に歩み、わたしの戒めを守るなら、あなたはまた、わたしの宮を治め、わたしの庭を守るようになる。わたしは、あなたをこれらの立っている者たちの間で、宮に出入りする者とする。</p><p>8 聞け。大祭司ヨシュアよ。あなたとあなたの前にすわっているあなたの同僚たちは、しるしとなる人々だ。見よ。わたしは、わたしのしもべ、一つの若枝を来させる。</p><p>9 見よ。わたしがヨシュアの前に置いた石。その一つの石の上に七つの目があり、見よ、わたしはそれに彫り物を刻む。─万軍の【主】の御告げ─わたしはまた、その国の不義を一日のうちに取り除く。</p><p>10 その日には、─万軍の【主】の御告げ─あなたがたは互いに自分の友を、ぶどうの木の下といちじくの木の下に招き合うであろう。」</p><p><br/></p><p><strong>ヨシュアへのメッセージ（2）</strong></p><p><strong>石</strong></p><p>この箇所の2回目の学びです。前回は、メシアの称号に関して、「若枝」＝「しもべ」であることを学びました。今回は、「石」について学びます。<br>「石」という言葉が象徴的に用いられた時は、それはメシアを指します。「見よ。わたしがヨシュアの前に置いた石。その一つの石の上に七つの目があり、見よ、わたしはそれに彫り物を刻む。─万軍の【主】の御告げ─わたしはまた、その国の不義を一日のうちに取り除く」（9節）とあります。（1）この石は、メシアです。「7つの目」があります。7は完全数です。これはメシアがすべてをご存じであること、つまり、メシアの全知と偏在へんざいを指しています。メシアは、私たちのための完全な大祭司となられます。（2）「見よ、わたしはそれに彫り物を刻む」とは、その石にメシアの名を刻むという意味です。（3）「わたしはまた、その国の不義を一日のうちに取り除く」とは、メシアを通してイスラエルの回心が成就する、しかも一日でそれが起こるという預言です。「その国」とは2：12の「聖なる地」と同じです。この聖句は、終末時代におけるイスラエルの民族的救いの預言となっています。</p><p><br/></p><p><strong>千年王国の祝福</strong></p><p>「その日には、─万軍の【主】の御告げ─あなたがたは互いに自分の友を、ぶどうの木の下といちじくの木の下に招き合うであろう」（10節）とあります。（1）この聖句は、メシア的王国（千年王国）の成就を預言しています。「その日」とは、終末におけるメシアの再臨の日のことです。（2）イスラエルの救いの後に、地上にメシア的王国が成就します。それは、人々が安全に、繁栄の中で住まう日となります。（3）「ぶどうの木の下といちじくの木の下に招き合うであろう」という表現は、平安と繁栄を示す言葉で、旧約聖書ではよく出てきます（1列4：25、イザ36：16、ミカ4：4など参照）。<br>今の世は、崩壊の過程をたどっています。神が私たちに用意された祝福は、メシア的王国（千年王国）と、さらにその先にある新天新地（永遠の秩序）です。今自分が歴史のどこに立っているかを認識し、神の計画に沿ってクリスチャン生活を送ることを志そうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。未来に対する確実な見通しが与えられていることを感謝します。その知識によって、今という時を堅実に生きることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=tRi__aCgTeM" />
         <pubDate>2026-06-23 20:33:51 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3962430610</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書4：1～3</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3963612259</link>
         <description><![CDATA[<p>1 私と話していた御使いが戻って来て、私を呼びさましたので、私は眠りからさまされた人のようであった。</p><p>2 彼は私に言った。「あなたは何を見ているのか。」そこで私は答えた。「私が見ますと、全体が金でできている一つの燭台しょくだいがあります。その上部には、鉢はちがあり、その鉢の上には七つのともしび皿があり、この上部にあるともしび皿には、それぞれ七つの管がついています。</p><p>3 また、そのそばには二本のオリーブの木があり、一本はこの鉢の右に、他の一本はその左にあります。」</p><p><br/></p><p><strong>第5の幻（1）</strong></p><p><strong>金の燭台</strong></p><p>4：1～ 11 は、第5 の幻を扱っています。この箇所を3回に分けて学びます。結論から見てみましょう。（1）この幻は、神殿再建のリーダーであるゼルバベルへの励ましとなっています。彼は神殿建設を開始しましたが、途中でその工事が停滞したままになっています。（2）この幻は、ユダヤ国家の回復を預言しています。<br>ゼカリヤは、眠りから覚めて第5の幻を見せられました（1 節）。ゼカリヤに出てくる8つの幻は、すべて一晩のうちに見せられたものです。「私が見ますと、全体が金でできている一つの燭台があります。その上部には、鉢があり、その鉢の上には七つのともしび皿があり、この上部にあるともしび皿には、それぞれ七つの管がついています。また、そのそばには二本のオリーブの木があり、一本はこの鉢の右に、他の一本はその左にあります」（2 ～3節）。（1）全体が金でできた一つの燭台があります。これは、オリーブ油で明かりを灯す器具です（ローソクではありません）。（2）燭台は、イスラエルを象徴しています。イスラエルには、「諸国民の光」となるという使命が与えられています（イザ62：1～ 2参照）。（3）さらに、燭台がメシアを象徴する場合もあります（イザ42：6、49：6参照）。メシアもまた「異邦人の光」となります。</p><p><br/></p><p><strong>2本のオリーブの木</strong></p><p>燭台の上部に「鉢」（油注を入れる容器）があり、その鉢の上（おそらく容器の縁）には「7つのともしび皿」があり、それぞれ「7つの管」がついていました。つまり、7×7で49本の管が、油を入れる鉢と7つの皿をつないでいたということです。これは、油の供給が十分にあることを示しています。さらに、「2本のオリーブの木」が、燭台（鉢）の左右に置かれていました。2本のオリーブの木と油を入れる容器とは、2本の金の管でつながっています（12節）。神殿で燭台に火を灯すためには、民がささげるオリーブ油が必要ですが、それが欠乏することがあります。それに対して、2本のオリーブの木が提供する油は、切れることがありません。この油は聖霊を象徴しています。つまり、イスラエルの民は聖霊の力によって、「諸国民の光」となるという使命を全うするようになるということです。<br>クリスチャンはすでに「聖霊の油注ぎ」を受けています（1ヨハ2：27）。私たちの問題は、無知と不信仰と怠惰たいだです。私たちの内におられる聖霊を認め、この方の導きに信頼しましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私たちにはすでに聖霊の内住が与えられています。私たちの無知と不信仰とをお赦しください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=YS97CN5RhZ4" />
         <pubDate>2026-06-24 19:11:07 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3963612259</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書4：4～10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3964801571</link>
         <description><![CDATA[<p>4 さらに私は、私と話していた御使いにこう言った。「主よ。これらは何ですか。」</p><p>5 私と話していた御使いが答えて言った。「あなたは、これらが何か知らないのか。」私は言った。「主よ。知りません。」</p><p>6 すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの【主】のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の【主】は仰せられる。</p><p>7 大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、『恵みあれ。これに恵みあれ』と叫びながら、かしら石を運び出そう。」</p><p>8 ついで私に次のような【主】のことばがあった。</p><p>9 「ゼルバベルの手が、この宮の礎を据えた。彼の手が、それを完成する。このとき、あなたは、万軍の【主】が私をあなたがたに遣わされたことを知ろう。</p><p>10 だれが、その日を小さな事としてさげすんだのか。これらは、ゼルバベルの手にある下さげ振ふりを見て喜ぼう。これらの七つは、全地を行き巡る【主】の目である。」</p><p><br/></p><p><strong>第5の幻（2）</strong></p><p><strong>幻の目的</strong></p><p>ゼカリヤは「主よ。これらは何ですか」（4節）と質問しています。彼は、燭台がイスラエルを象徴していることは知っていました。彼が質問しているのは、この幻が与えられた目的です。（1）ゼルバベルは神殿再建に着手しましたが、さまざまな妨害と民の無気力に直面していました（ハガ2：1〜9）。その彼に励ましのことばが語られます。それが、「権勢によらず、能力によらず」というものです。これは、人間的な力によって神殿建設が行われるのではないということを示しています。（2）「わたしの霊によって」とは、聖霊の力によって神殿が再建されるということです。神のわざは、聖霊に感動した神の民によって推進されます。この真理は、今も変わりません。<br>「大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、『恵みあれ。これに恵みあれ』と叫びながら、かしら石を運び出そう」（7節）。（1）「山」が象徴的意味で使われる場合は、王国や王を指します。ここでの山とは、ペルシヤ王国のことでしょう。その山が崩されて、平地となります。（2）その結果、ゼルバベルは神殿を完成するようになります。神殿の工事を開始した彼が（エズ3：8）、それを完成させます（エズ6：14 ～15）。「かしら石」とは、最後に据える石です。</p><p><br/></p><p><strong>預言の成就</strong></p><p>神殿が完成した時、人々は「万軍の【主】がメシア（私）を遣わしたこと」を知るようになります。つまり、ゼカリヤが【主】の預言者であることが証明されるということです。「だれが、その日を小さな事としてさげすんだのか。これらは、ゼルバベルの手にある下げ振りを見て喜ぼう。これらの七つは、全地を行き巡る【主】の目である」（10節）。（1）神殿工事着工の日に、その始まりは小さいとあざけった人たちがいました（エズ3：12、ハガ2：3）。彼らは、神のみわざの大きさを理解しなかったのです。この第2神殿は、ヘロデ大王によってさらに拡張されます。（2）「下げ振り」とは工事に使う錘おもりでしょう。これら（7つのともしび皿）は、それを見て喜ぶのです。つまり、神はゼルバベルによる神殿再建を喜んでおられるということです。（3）7つの皿は、「全地を行き巡る【主】の目」です。これは、聖霊の全知・偏在へんざいの性質を描写しています。<br>主のわざは最初は小さなものに見えますが、それを侮あなどってはなりません。聖霊の力によって、主の事業を推進する人は幸いです</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。どうか私が、小さなことに忠実な者となれますように、私をお助けください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=VBZ3_P7xoDo" />
         <pubDate>2026-06-25 19:30:07 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書4：11～14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3965832622</link>
         <description><![CDATA[<p>11 私はまた、彼に尋ねて言った。「燭台の右左みぎひだりにある、この二本のオリーブの木は何ですか。」</p><p>12 私は再び尋ねて言った。「二本の金の管くだによって油をそそぎ出すこのオリーブの二本の枝は何ですか。」</p><p>13 すると彼は、私にこう言った。「あなたは、これらが何か知らないのか。」私は言った。「主よ。知りません。」</p><p>14 彼は言った。「これらは、全地の主のそばに立つ、ふたりの油そそがれた者だ。」</p><p><br/></p><p><strong>第5の幻（3）</strong></p><p><strong>2本のオリーブの木</strong></p><p>ゼカリヤは【主】の使いに、「燭台の右左にある、この二本のオリーブの木は何ですか」と尋ねました。燭台、7 つのともしび皿、49 本の管などについては、彼は理解しました。しかし、2 本のオリーブの木は預言的には「新しい要素」だったので、それが何かと尋ねたのです。彼は、12節でさらに詳しく尋ねています。「二本の金の管によって油をそそぎ出すこのオリーブの二本の枝は何ですか」。「油」と訳されている言葉は、原語では「金」です。従って「金色の油」という意味になります。<br>その問いに関する回答は、「これらは、全地の主のそばに立つ、ふたりの油そそがれた者だ」（14節）というものでした。（1）「油そそがれた者」の直訳は「油の子たち」です。これは、神への奉仕のために聖霊の油そそぎを受けた者たちです。（2）ゼカリヤの時代の祭司的指導者はヨシュアであり、政治的指導者はゼルバベルです。この2本のオリーブの木は、この2人の指導者を指し示していると考えられます。（3）と同時に、祭司であり、王であるメシアを指し示しているとも言えます（このテーマは、ゼカ6章で取り上げます）。</p><p><br/></p><p><strong>究極的成就</strong></p><p>しかし、2本のオリーブの木の究極的成就は、大患難時代にやって来ます。黙示録11：3 ～ 13に登場するふたりの証人がそれです。特に4節にはこうあります。「彼らは全地の主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台である」。（1）ふたりの証人は、大患難時代の前半の3年半に伝道しますが、ユダヤ人たちは彼らを拒否します。（2）彼らは、大患難時代の中間期に、反キリストによって殺されます。（3）彼らの死体は、エルサレムの街路に3日半の間、さらされます。（4）しかし、聖霊の力によって彼らは復活します。その後彼らは、雲に乗って天に上ります。（5）その時、次のような事が起こります。「そのとき、大地震が起こって、都の十分の一が倒れた。この地震のため七千人が死に、生き残った人々は、恐怖に満たされ、天の神をあがめた」（黙11：13）。これがユダヤ人の民族的回心につながります。<br>ふたりの証人は、イスラエルの民が「異邦人の光」となれるように、彼らに聖霊の油を届ける源となりました。ここでも、「小さな始まりを侮ってはならない」という原則が生きています。いかに小さな始まりであっても、それを軽んじてはなりません。小さな第一歩を踏み出す重要性を学ぼうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。大患難時代に、ふたりの証人が「油注がれた者」として立てられることを感謝します。小さな始まりが、大きな祝福につながります。このことを今心に銘記しました。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=Pjz77aVoDHg" />
         <pubDate>2026-06-26 21:32:34 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書5：1～4</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3966255350</link>
         <description><![CDATA[<p>1 私が再び目を上げて見ると、なんと、巻き物が飛んでいた。</p><p>2 彼は私に言った。「何を見ているのか。」私は答えた。「飛んでいる巻き物を見ています。その長さは二十キュビト、その幅は十キュビトです。」</p><p>3 すると彼は、私に言った。「これは、全地の面おもてに出て行くのろいだ。盗む者はだれでも、これに照らし合わせて取り除かれ、また、偽って誓う者はだれでも、これに照らし合わせて取り除かれる。」</p><p>4 「わたしが、それを出て行かせる。─万軍の【主】の御告げ─それは、盗人の家に入り、また、わたしの名を使って偽りの誓いを立てる者の家に入り、その家の真ん中にとどまり、その家を梁と石とともに絶ち滅ぼす。」</p><p><br/></p><p><strong>第6の幻</strong></p><p><strong>空飛ぶ巻物</strong></p><p>第6の幻は、空飛ぶ巻物です。この幻が教えているのは、「律法を破る者は律法によって裁かれる」ということです。<br>預言的には、「巻物」は神からのメッセージや託宣たくせんを指します。空飛ぶ巻物は、誰でも読めるように開かれた状態になっていました。その長さは20キュビト（8.9m）、その幅は10 キュビト（4.45m）ですから、非常に大きなものです。<br>「すると彼は、私に言った。『これは、全地の面に出て行くのろいだ。盗む者はだれでも、これに照らし合わせて取り除かれ、また、偽って誓う者はだれでも、これに照らし合わせて取り除かれる』」（3 節）。（1）「盗む者」とは、十戒の第8戒の違反者です。「偽って誓う者」とは、十戒の第3戒の違反者です。（2）彼らは、自分たちが違反した律法によって裁かれます。（3）空飛ぶ巻物は、違反者を裁く「のろい」のことです。それは全地の面に出て行き、違反者を取り除きます。<br>「わたしが、それを出て行かせる。─万軍の【主】の御告げ─それは、盗人の家に入り、また、わたしの名を使って偽りの誓いを立てる者の家に入り、その家の真ん中にとどまり、その家を梁と石とともに絶ち滅ぼす」（4節）。（1）その「のろい」を遣わすのは、万軍の【主】です。（2）その「のろい」は、盗人の家と、「わたしの名を使って偽りの誓いを立てる者」（第3戒違反者）の家に、入ります。</p><p><br/></p><p><strong>ガラテヤ人への手紙3：10～13</strong></p><p>パウロはガラテヤ3：10 ～ 13で、律法と信仰の関係を論じています。「というのは、律法の行いによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。『律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる』。ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。『義人は信仰によって生きる』のだからです」（10～ 11節）<br>律法がもたらす「のろい（裁き）」は、ユダヤ人たちを霊的回復へと導く神の方法です。律法によっては「のろい」を受けるしかない私たちが、信仰によって「義」とされました。この原則は、ユダヤ人でも異邦人でも同じです。私たちは、信仰により恵みによって救われたのですから、再び律法の重荷を背負い込むことのないように、自分の内側をしっかりと見張ろうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私は信仰により、恵みによって救われました。どうか律法主義に陥ることのないように、私を守ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=g3Iqorr-Ezc" />
         <pubDate>2026-06-27 20:31:16 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書5：5～11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3966662444</link>
         <description><![CDATA[<p>5 私と話していた御使いが出て来て、私に言った。「目を上げて、この出て行く物が何かを見よ。」</p><p>6 私が、「それは何ですか」と尋ねると、彼は言った。「これは、出て行くエパ枡ますだ。」そして言った。「これは、全地にある彼らの罪だ。」</p><p>7 見よ。鉛のふたが持ち上げられ、エパ枡の中にひとりの女がすわっていた。</p><p>8 彼は、「これは罪悪だ」と言って、その女をエパ枡の中に閉じ込め、その口の上に鉛なまりの重しをかぶせた。</p><p>9 それから、私が目を上げて見ると、なんと、ふたりの女が出て来た。その翼は風をはらんでいた。彼女たちには、こうのとりの翼のような翼があり、彼女たちは、あのエパ枡を地と天との間に持ち上げた。</p><p>10 そこで私は、私と話していた御使いに尋ねた。「あの者たちは、エパ枡をどこへ持って行くのですか。」</p><p>11 彼は私に言った。「シヌアルの地で、あの女のために神殿を建てる。それが整うと、そこの台の上に安置するためだ。」</p><p><br/></p><p><strong>第7の幻</strong></p><p><strong>エパ升の中の女</strong></p><p>第7の幻で預言される内容は、イスラエルの中から「邪悪」が取り除かれ、それがシヌアルの地（バビロン）へ移されるということです。<br>（1）ゼカリヤは、第7の幻でエパ枡を見せられます。それは乾かわいた物を量る枡で、容量は約22リットルありました。この枡は、当時使用されていた枡としては最大のものです。（2）【主】の使いは、「これは、（イスラエルから）出て行くエパ枡」だと言い、「これは、全地にある彼らの罪だ」と言います。つまり、エパ枡の中に罪がいっぱい詰まっているということです。（3）「見よ。鉛のふたが持ち上げられ、エパ枡の中にひとりの女がすわっていた」（7節）とあります。「鉛のふた」は通常のふたではありません。枡の中の罪を押し込めておくためには、重いふたが必要なのです。（4）その鉛のふたを持ち上げると、中にひとりの女が座っていました。この女は偶像礼拝、また、罪の象徴です。「彼は、『これは罪悪だ』と言って、その女をエパ枡の中に閉じ込め、その口の上に鉛の重しをかぶせた」（8 節）とあります。</p><p><br/></p><p><strong>シヌアルの地へ</strong></p><p>（1）このエパ枡は、新しく登場した2人の女によって持ち上げられます。彼女たちは天使ではなく、悪霊です。天使が女性の姿を取ることはないし、また、翼を持つこともありません。悪霊が神の命令によってこれをなしているのです。（2）この女たちは、エパ枡をシヌアルの地に運ぼうとしています。その目的は、「シヌアルの地で、あの女のために神殿を建てる。それが整うと、そこの台の上に安置するためだ」（11節）。（3）シヌアルの地は、悪の源となった地で、バビロンのことです（創10：10、11：2、14：1）。悪は元いた場所に送り返され、そこで葬られます。<br>黙示録18章では、バビロンは世界の政治の中心となります。と同時に、世界経済の中心ともなります。バビロンの商人たちは、「不正の枡」（虚偽の商法）を使って裕福になるのでしょう。このようにして、イスラエルの民の中にあった「邪悪」は終末時代には完全に取り除かれます。私たちも、今からその準備にかかりましょう。社会生活において、また経済活動において、「正しい枡」を使用することを心がけようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。どうか私の経済活動を清め、祝福してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=SrsUsKQ61Vg" />
         <pubDate>2026-06-28 19:08:35 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書6：1～8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3967777787</link>
         <description><![CDATA[<p>1 私が再び目を上げて見ると、なんと、四台の戦車が二つの山の間から出て来ていた。山は青銅の山であった。</p><p>2 第一の戦車は赤い馬が、第二の戦車は黒い馬が、</p><p>3 第三の戦車は白い馬が、第四の戦車はまだら毛の強い馬が引いていた。</p><p>4 私は、私と話していた御使いに尋ねて言った。「主よ。これらは何ですか。」</p><p>5 御使いは答えて言った。「これらは、全地の主の前に立って後、天の四方に出て行くものだ。</p><p>6 そのうち、黒い馬は北の地へ出て行き、白い馬はそのあとに出て行き、まだら毛の馬は南の地へ出て行く。</p><p>7 この強い馬が出て行き、地を駆け巡ろうとしているのだ。」そこで彼が、「行って、地を駆け巡れ」と言うと、それらは地を駆け巡った。</p><p>8 そのとき、彼は私にこう告げた。「見よ。北の地へ出て行ったものを。それらは北の地で、わたしの怒りを静める。」</p><p><br/></p><p><strong>第8の幻</strong></p><p><strong>4台の戦車</strong></p><p>第8の幻で預言される内容は、神は千年王国（メシア的王国）を設立する前に、イスラエルに敵対した異邦人諸国を裁かれるということです。「私が再び目を上げて見ると、なんと、四台の戦車が二つの山の間から出て来ていた。山は青銅の山であった」（1節）とあります。（1）2つの山とは、モリヤの山とオリーブ山です。その間にキデロンの谷があります（ヨシャパテの谷とも呼ばれる。ヨエ3：2、12）。（2）そこは異邦人諸国の裁きが行われる場所です。「青銅の山」とありますが、「青銅」は裁きの象徴です。「第一の戦車は赤い馬が、第二の戦車は黒い馬が、第三の戦車は白い馬が、第四の戦車はまだら毛の強い馬が引いていた」（2 ～3 節）。第1の幻（1章）では、赤や、栗毛や、白い馬が、地を行き巡って、その報告を【主】の使いにもたらしました。第8の幻では、4台の戦車（赤、黒、白、まだら毛の馬たちに引かれた戦車）が、全地に派遣されます。</p><p><br/></p><p><strong>4つの異邦人王国</strong></p><p>この幻は、ダニエル書7：1～ 3に出てくる4頭の獣（異邦人王国）と関連しています。「これらは、全地の主の前に立って後、天の四方に出て行くものだ。そのうち、黒い馬は北の地へ出て行き、白い馬はそのあとに出て行き、まだら毛の馬は南の地へ出て行く。この強い馬が出て行き、地を駆け巡ろうとしているのだ」（5 ～7 節）。（1）北へ出て行く黒い馬は、バビロンを裁く神の使いです。（2）その後に出て行く白い馬は、メド・ペルシヤを裁く神の使いです。（3）南の地に出て行くまだら毛の馬は、ギリシアを裁く神の使いです。（4）「強い馬」とは第1の戦車を引く赤い馬です（2節）。この馬は地を駆け巡ろうとしていますので、世界に広がった帝国を裁く神の使いです。「そのとき、彼は私にこう告げた。『見よ。北の地へ出て行ったものを。それらは北の地で、わたしの怒りを静める』」（8節）。（5）ゼカリヤは、北の地に出て行った黒い馬を見るように命じられます。この馬はバビロンを裁く馬ですが、ゼカリヤの時代にはすでにバビロン帝国は裁かれていました。そして次の帝国であるメド・ペルシヤも、崩壊しつつありました。つまり、神の計画は着々と進行しているということです。<br>神が歴史の支配者であることを覚えましょう。また、イスラエルを祝福する者は祝福を受け、イスラエルを呪う者は呪われることを覚え、イスラエルの祝福のために祈りましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたはイスラエルの民を通して全人類を救うという計画をお立てになりました。世界の歴史は、そのシナリオどおりに動いています。私もあなたのご計画の中に加えられていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=iM2JaWbBAtI" />
         <pubDate>2026-06-29 19:07:04 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書6：9～15</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3968972916</link>
         <description><![CDATA[<p>9 ついで私に次のような【主】のことばがあった。</p><p>10 「捕囚の民であったヘルダイ、トビヤ、エダヤからささげ物を受け取り、その日、あなたはバビロンから帰って来たゼパニヤの子ヨシヤの家へ行け。</p><p>11 あなたは金と銀を取って、冠を作り、それをエホツァダクの子、大祭司ヨシュアの頭にかぶらせ、</p><p>12 彼にこう言え。『万軍の【主】はこう仰せられる。見よ。ひとりの人がいる。その名は若枝。彼のいる所から芽を出し、【主】の神殿を建て直す。</p><p>13 彼は【主】の神殿を建て、彼は尊厳を帯び、その王座に着いて支配する。その王座のかたわらに、ひとりの祭司がいて、このふたりの間には平和の一致がある。』</p><p>14 その冠は、ヘルダイ、トビヤ、エダヤ、ゼパニヤの子ヨシヤの記念として、【主】の神殿のうちに残ろう。</p><p>15 また、遠く離れていた者たちも来て、【主】の神殿を建て直そう。このとき、あなたがたは、万軍の【主】が私をあなたがたに遣わされたことを知ろう。もし、あなたがたが、あなたがたの神、【主】の御声に、ほんとうに聞き従うなら、そのようになる。」</p><p><br/></p><p><strong>8つの幻の結論</strong></p><p><strong>象徴的行為</strong></p><p>8つの連続した幻は、終わりました。これから結論に入ります。（1）バビロンから帰還した3人の捕囚民（ヘルダイ、トビヤ、エダヤ）が、神殿にささげ物を持って来ました（彼らは、バビロンにいるユダヤ人共同体からの献金を運んで来た人々かもしれません）。（2）ゼカリヤは彼らからそれ（金と銀）を受け取り、ゼパニヤの子のヨシヤの家に行きます。このヨシヤは、おそらく金物職人だったのでしょう。ゼカリヤは、そのヨシヤに王冠を作らせます。（3）そして、その王冠を大祭司ヨシュアにかぶらせます。これは、大祭司の頭にかぶせるターバンとは異なります。大祭司に対して王の戴冠たいかん式を行うというのが、ここでの象徴的行為です。この象徴的行為には、2つの意味があります。① 遠い将来に向けての教訓（12～13 節）と、② 近い将来に向けての教訓（14～15 節）です。ゼカリヤはそれを大祭司ヨシュアに伝えます。それが後半の内容です。</p><p><br/></p><p><strong>意味の解説</strong></p><p>「万軍の【主】はこう仰せられる。見よ。ひとりの人がいる。その名は若枝。彼のいる所から芽を出し、【主】の神殿を建て直す。彼は【主】の神殿を建て、彼は尊厳を帯び、その王座に着いて支配する。その王座のかたわらに、ひとりの祭司がいて、このふたりの間には平和の一致がある」（12 ～ 13節）。これは、メシア預言です。「若枝」というのは、メシアのことです。このお方は、大祭司の役割と王の役割の2つを同時に行われます。モーセの律法では、大祭司はレビ族から、王はユダ族から出ます。従って、ひとりの人物が両方の職責を兼ねることはできません。しかし、イエスはユダ族出身であり、かつ、アロン系の祭司ではなく、メルキゼデク系の祭司です（ヘブ5：6）。それゆえ、大祭司であり王でもあるのです。<br>「その冠は、ヘルダイ、トビヤ、エダヤ、ゼパニヤの子ヨシヤの記念として、【主】の神殿のうちに残ろう。…もし、あなたがたが、あなたがたの神、【主】の御声に、ほんとうに聞き従うなら、そのようになる」（14 ～ 15節）。これは、近い将来への教訓です。神殿の再建が終わると、その冠が神殿に安置されるようになります。その時、ゼカリヤが【主】によって遣わされた預言者であることが証明されます。捕囚民たちが神殿の再建に貢献したように、私たち異邦人が主のご計画の成就に貢献する時が来ています。大祭司であり王であるイエスを礼拝し、この方にお従いしましょう。</p><p><br/></p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私たちの救い主である主イエスは、王の王であり、私たちのためにとりなしをしてくださる大祭司です。主イエスにお従いします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=noUOoRIS5kw" />
         <pubDate>2026-06-30 19:36:29 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書7：1～3</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3970089031</link>
         <description><![CDATA[<p>1 ダリヨス王の第四年の第九の月、すなわち、キスレウの月の四日に、ゼカリヤに【主】のことばがあった。</p><p>2 そのとき、ベテルは、サル・エツェルとレゲム・メレクおよびその従者たちを、主に願うために遣わし、</p><p>3 万軍の【主】の宮に仕える祭司たちと、預言者たちに尋ねさせた。「私が長年やってきたように、第五の月にも、断食をして泣かなければならないでしょうか。」</p><p><br/></p><p><strong>断食に関する質問（1）</strong></p><p><strong>時代背景</strong></p><p>この箇所から、ゼカリヤ書の第2 区分に入ります（7：1～8：23）。（1）まず、時代背景を見てみましょう。時はダリヨス王の第4年、第9の月（キスレウ）の4日です（前518年12 月7 日）。これは、ゼカリヤが8つの幻（1 ～6章）を見た時から約2年後、神殿の再建を再開してからも約2年後のことでした（ハガ1：12 ～ 15参照）。神殿が完成するのはこの時から2年後ですから（エズ6：14 ～16）、この出来事は神殿の工事が行われていた4年間のちょうど中間時点で起こったものです。（2）ベテルの住民たちが、具体的な質問を持ってエルサレムに上って来ました。ベテルという町は、南北朝時代に、金の子牛が安置されていた場所です（北王国の初代王ヤロブアムは、ダンとベテルに金の子牛を置きました）。その目的は、北王国の住民をエルサレムまで上らせないためでした。（3）ここでは、そのベテルの住民たちが、【主】からの答えを求めて、エルサレムに上って来ています。このことから、バビロン捕囚から帰還して以降、彼らが金の子牛を設置せず、エルサレムの優位性を認めるようになったことが分かります。</p><p><br/></p><p><strong>ベテルからの問い</strong></p><p>「そのとき、ベテルは、サル・エツェルとレゲム・メレクおよびその従者たちを、主に願うために遣わし、万軍の【主】の宮に仕える祭司たちと、預言者たちに尋ねさせた。『私が長年やってきたように、第五の月にも、断食をして泣かなければならないでしょうか』」（2 ～ 3節）。（1）派遣されて来たのは、サル・エツェルとレゲム・メレクおよびその従者たちですが、この2人の名はバビロンの名前です。彼らは、バビロンで誕生し、祖国に帰還して来た新しい世代です。（2）「預言者たち」とありますが、この中にはゼカリヤやハガイ（ゼカリヤと同時代の預言者）も含まれていました。（3）彼らの質問は、「母国に帰って新しい神殿もほぼ完成した今、なおも第5の月の断食を継続すべきかどうか」というものでした。（4）第5の月の断食とは、バビロン軍による神殿崩壊を記念する断食のことです。<br>ゼカリヤはその質問にはすぐに答えず（その答えは8：18～19に出てきます）、まず彼らの動機を問います。それが次回学ぶ箇所の内容です。宗教的行為そのものは、神に対する真実な姿勢と動機がなければ、なんの意味もありません。私たちの内に、神への愛と献身があるかどうか、自己吟味ぎんみをしてみましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたは常に、私たちが真実な心で礼拝と祈りをささげることを要求しておられます。どうか、形式的信仰から私をお救いください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=oTKLDmuZs-I" />
         <pubDate>2026-07-01 20:50:36 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3970089031</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書7：4～7</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3971234343</link>
         <description><![CDATA[<p>4 すると、私に次のような万軍の【主】のことばがあった。</p><p>5 「この国のすべての民と祭司たちに向かってこう言え。この七十年の間、あなたがたが、第五の月と第七の月に断食して嘆いたとき、このわたしのために断食したのか。</p><p>6 あなたがたが食べたり飲んだりするとき、食べるのも飲むのも、自分たちのためではなかったか。</p><p>7 エルサレムとその回りの町々に人が住み、平和であったとき、また、ネゲブや低地に人が住んでいたとき、【主】が先の預言者たちを通して告げられたのは、次のことではなかったか。」</p><p><br/></p><p><strong>断食に関する質問（2）</strong></p><p><strong>叱責の言葉</strong></p><p>ベテルの人々は「私が長年やってきたように、第五の月にも、断食をして泣かなければならないでしょうか」と問いました。これは祭司たちと預言者たちに向けられたもので、【主】の御心を問うものでした。ゼカリヤは、まず【主】からの叱責しっせきの言葉を伝えます。「この国のすべての民と祭司たちに向かってこう言え。この七十年の間、あなたがたが、第五の月と第七の月に断食して嘆いたとき、このわたしのために断食したのか」（5節）。（1）【主】からの答えは、全国民に向けられたもので、民と祭司の利己的で不真実な断食をなじるものでした。（2）第7の月の断食とは、ユダの総督ゲダルヤの暗殺を記念してする断食です（2列25：22 ～ 25）。（3）「70年の間」とあるのは概数がいすうで、捕囚期間の70年が終わりに近づいていたことを示しています。（4）「このわたしのために断食したのか」は、いわゆる修辞疑問文です。つまり、「ノー」という答えを想定したものです。<br>「あなたがたが食べたり飲んだりするとき、食べるのも飲むのも、自分たちのためではなかったか」（6 節）。（1）これもまた修辞疑問文で、この場合は、「イエス」という答えを想定しています。（2）民が実行して来た断食は、決して神のためではなく、自分たちのためでした。</p><p><br/></p><p><strong>先の預言者たちのメッセージ</strong></p><p>「エルサレムとその回りの町々に人が住み、平和であったとき、また、ネゲブや低地に人が住んでいたとき、【主】が先の預言者たちを通して告げられたのは、次のことではなかったか」（7節）。（1）「先の預言者たち」とは、バビロン捕囚の前の預言者たちです。（2）「エルサレムとその回りの町々に人が住み、平和であったとき、また、ネゲブや低地に人が住んでいたとき」とは、バビロン捕囚の前の時代です。（3）もしイスラエルの民が、預言者たちの言葉に聞き従っていたなら、バビロン捕囚という悲劇を通過することはなかったのです。そして、断食すべきかどうかという質問も、する必要がなかったのです。（4）しかし、彼らは偶像礼拝と偽善的行為のゆえに、バビロンに捕囚民として引かれて行きました。<br>今イスラエルの民は、捕囚前と同じ罪を犯しています。それは、偽善という罪です。私たちもまた、神学論争や実際的疑問に心が奪われるあまり、【主】の前における真実な信仰をないがしろにするようなことがあってはなりません。今、自らを吟味しようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私は、形式信仰に陥りやすい者です。あなたは常に動機の清さを問われます。どうか真実な礼拝をささげることができますように、私をお守りください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=Lz-Bkyuptlg" />
         <pubDate>2026-07-02 20:28:11 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書7：8～14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3972392779</link>
         <description><![CDATA[<p>8 ついで、ゼカリヤに次のような【主】のことばがあった。</p><p>9 万軍の【主】はこう仰せられる。「正しいさばきを行い、互いに誠実を尽くし、あわれみ合え。</p><p>10 やもめ、みなしご、在留異国人、貧しい者をしいたげるな。互いに心の中で悪をたくらむな。」</p><p>11 それなのに、彼らはこれを聞こうともせず、肩を怒らし、耳をふさいで聞き入れなかった。</p><p>12 彼らは心を金剛石のようにして、万軍の【主】がその御霊により、先の預言者たちを通して送られたおしえとみことばを、聞き入れなかった。そこで、万軍の【主】から大きな怒りが下った。</p><p>13 「呼ばれたときも、彼らは聞かなかった。そのように、彼らが呼んでも、わたしは聞かない」と万軍の【主】は仰せられる。</p><p>14 「わたしは、彼らを知らないすべての国々に彼らを追い散らす。この国は、彼らが去ったあと、荒れすたれて、行き来する者もいなくなる。こうして彼らはこの慕したわしい国を荒れすたらせた。」</p><p><br/></p><p><strong>預言者に不従順な民</strong></p><p><strong>預言者たちが語ったメッセージ（8～10節）</strong></p><p>8～9 節は、7節に出てきた「先の預言者たち（捕囚期前の預言者たち）が語ったメッセージ」の説明になっています。万軍の【主】は、ゼカリヤを通してこう語られました。「正しいさばきを行い、互いに誠実を尽くし、あわれみ合え。やもめ、みなしご、在留異国人、貧しい者をしいたげるな。互いに心の中で悪をたくらむな」。（1）正しいさばきを行うこと。つまり、社会に正義の秩序を確立することです（イザ42：1、4、ミカ6：8参照）。（2）互いに誠実を尽くし、あわれみ合うこと。（3）やもめ、みなしご、在留異国人、貧しい者をしいたげないこと。これらの人たちは、一般市民が受ける法的保護を受けられないことが多い者たちです（申10：18、イザ1：17参照）。新約聖書では、ヤコブがこう教えています。「父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです」（ヤコ1：27）。（4）心の中で悪をたくらまないこと。<br>ゼカリヤが言いたいのは、どうして人間が考え出した断食にこだわりながら、明確に啓示された【主】の命令に関してはそれを無視するのか、ということです。</p><p><br/></p><p><strong>反抗する民（11～14節）</strong></p><p>預言者たちに対する民の反抗は、徐々に激しくなって行きました。（1）彼らはこれを聞こうともしませんでした。（2）彼らは、肩を怒らし、動物のように突っ張りました。（3）彼らは耳をふさいで聞き入れませんでした。つまり、意図的に心を閉ざし、霊的に鈍感になったということです。（4）最後に彼らは、その心を金剛石のようにかたくなにしました。彼らは、神の御霊によって啓示された預言者たちの教えに反抗しました。<br>これがバビロン捕囚の原因です（2歴36：14 ～16、エレ8：18 ～22）。14節にはこうあります。「わたしは、彼らを知らないすべての国々に彼らを追い散らす。この国は、彼らが去ったあと、荒れすたれて、行き来する者もいなくなる。こうして彼らはこの慕わしい国を荒れすたらせた」。国が荒廃するという部分は、バビロン捕囚によって成就しました。しかし、イスラエルの民が「知らないすべての国々に追い散らされる」という部分は、紀元70年のエルサレムと神殿の崩壊によって成就します。偽善的行為から離れ、神の啓示として与えられている命令を実行しながら、地上生涯を歩もうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。イスラエルの民は、預言者たちに反抗的になったために、バビロン捕囚という悲劇を招きました。どうか私を偽善から救い、真実な信仰へと導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=dOlqMpgG_Iw" />
         <pubDate>2026-07-03 20:18:07 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ゼカリヤ書8：1～8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3972831897</link>
         <description><![CDATA[<p>1 次のような万軍の【主】のことばがあった。</p><p>2 万軍の【主】はこう仰せられる。「わたしは、シオンをねたむほど激はげしく愛し、ひどい憤りでこれをねたむ。」</p><p>3 【主】はこう仰せられる。「わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住もう。エルサレムは真実の町と呼ばれ、万軍の【主】の山は聖なる山と呼ばれよう。」</p><p>4 万軍の【主】はこう仰せられる。「再び、エルサレムの広場には、老いた男、老いた女がすわり、年寄りになって、みな手に杖を持とう。</p><p>5 町の広場は、広場で遊ぶ男の子や女の子でいっぱいになろう。」</p><p>6 万軍の【主】はこう仰せられる。「もし、これが、その日、この民の残りの者の目に不思議に見えても、わたしの目に、これが不思議に見えるだろうか。─万軍の【主】の御告げ─」</p><p>7 万軍の【主】はこう仰せられる。「見よ。わたしは、わたしの民を日の出る地と日の入る地から救い、</p><p>8 彼らを連れ帰り、エルサレムの中に住ませる。このとき、彼らはわたしの民となり、わたしは真実と正義をもって彼らの神となる。」</p><p><br/></p><p><strong>将来起こる回復とエルサレムの繁栄（1）</strong></p><p><strong>シオンへの愛</strong></p><p>きょうの箇所は、ゼカリヤの時代よりも先の時代になって成就することの預言です。万軍の【主】は、ゼカリヤを通してこう言われました。「わたしは、シオンをねたむほど激しく愛し、ひどい憤りでこれをねたむ」（2節）。これはゼカリヤ1：14のくり返しです。紀元70年以降、イスラエルの民は全世界に離散し、エルサレムは異邦人が支配する町となりました。その状態がおよそ1900年も続きましたが、1948年になって、イスラエルの民はようやく祖国の独立を見るようになりました。これは、【主】がシオンを見捨てておられないことの証拠です。</p><p><br/></p><p><strong>将来の約束</strong></p><p>「【主】はこう仰せられる。『わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住もう。エルサレムは真実の町と呼ばれ、万軍の【主】の山は聖なる山と呼ばれよう』」（3節）。「シオンに帰り」とは、再臨の預言です。（1）ホセア5：15 ～6：3に同じ預言がありました。「彼らが自分の罪を認め、わたしの顔を慕い求めるまで、わたしはわたしの所に戻っていよう。彼らは苦しみながら、わたしを捜し求めよう。『さあ、【主】に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。…主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される』」。この聖句は、民の悔い改めと、メシアの再臨を預言しています。（2）マタイ23：37～ 39にも再臨の預言があります。「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。…見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません」。この聖句でも、民の悔い改めがメシア再臨の条件であることが預言されています（次回に続く）。<br>7章で紹介されたテーマは断食でしたが、8章の冒頭では、断食（悲しみの表現）が喜びに変えられることが預言されています。これは悲しむ民への励ましのメッセージです。私たちが地上生活で経験するいかなる悲しみも、やがて喜びに変えられます。この希望は、今を生きる力となります。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。イスラエルの民は、メシア再臨の希望のメッセージを聞きました。私もまた、メシアの再臨を待ち望む者とされました。きょうもこの希望をもって歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=qc_G-TT6GD8" />
         <pubDate>2026-07-04 20:27:14 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書8：1～8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3973246521</link>
         <description><![CDATA[<p><br/></p><p>1 次のような万軍の【主】のことばがあった。</p><p>2 万軍の【主】はこう仰せられる。「わたしは、シオンをねたむほど激しく愛し、ひどい憤りでこれをねたむ。」</p><p>3 【主】はこう仰せられる。「わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住もう。エルサレムは真実の町と呼ばれ、万軍の【主】の山は聖なる山と呼ばれよう。」</p><p>4 万軍の【主】はこう仰せられる。「再び、エルサレムの広場には、老いた男、老いた女がすわり、年寄りになって、みな手に杖を持とう。</p><p>5 町の広場は、広場で遊ぶ男の子や女の子でいっぱいになろう。」</p><p>6 万軍の【主】はこう仰せられる。「もし、これが、その日、この民の残りの者の目に不思議に見えても、わたしの目に、これが不思議に見えるだろうか。─万軍の【主】の御告げ─」</p><p>7 万軍の【主】はこう仰せられる。「見よ。わたしは、わたしの民を日の出る地と日の入る地から救い、</p><p>8 彼らを連れ帰り、エルサレムの中に住ませる。このとき、彼らはわたしの民となり、わたしは真実と正義をもって彼らの神となる。」</p><p><br/></p><p><strong>将来起こる回復とエルサレムの繁栄（2）</strong></p><p><strong>将来の約束</strong></p><p>この箇所の2回目の学びです。【主】はシオンをねたむほど激しく愛しておられます。それゆえ、将来起こるエルサレムの繁栄が預言されます。「【主】はこう仰せられる。『わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住もう。エルサレムは真実の町と呼ばれ、万軍の【主】の山は聖なる山と呼ばれよう』」（3節）。（1）「シオンに帰り」とは、再臨の預言です。（2）【主】がエルサレムの中に臨在されるので、そこは「真実の町」と呼ばれるようになります。「こうして、おまえのさばきつかさたちを初めのように、おまえの議官たちを昔のようにしよう。そうして後、おまえは正義の町、忠信な都と呼ばれよう」（イザ1：26）とあるとおりです（イザ60：14 も参照）。（3）さらに、シオンの山は「聖なる山」と呼ばれるようになります。これは千年王国が成就するという預言です（エゼ40 ～ 48章に千年王国の預言があります）。</p><p><br/></p><p><strong>千年王国の状況</strong></p><p>「万軍の【主】はこう仰せられる。『再び、エルサレムの広場には、老いた男、老いた女がすわり、年寄りになって、みな手に杖を持とう。町の広場は、広場で遊ぶ男の子や女の子でいっぱいになろう』」（4 ～ 5節）。（1）千年王国では、長寿の者たちと子どもたちがともにいて、そこに住むようになります。（2）このことは人間の目には不思議なことです。しかし、神にとっては不思議ではありません。<br>「万軍の【主】はこう仰せられる。「見よ。わたしは、わたしの民を日の出る地と日の入る地から救い、彼らを連れ帰り、エルサレムの中に住ませる。このとき、彼らはわたしの民となり、わたしは真実と正義をもって彼らの神となる」（7 ～ 8節）。（1）【主】はご自分の民を東の国からも西の国からも救い出し、シオンに帰還させ、エルサレムに住まわせます。（2）「彼らはわたしの民となり、わたしは真実と正義をもって彼らの神となる」とは、イスラエルの民の民族的救いを預言したものです。<br>「不思議」という言葉には、神のみにできること、という意味があります。私たちの神は、約束を守り、それを実現に至らせるお方です。イスラエルの民が希望のメッセージによって励ましを得たように、私たちも、キリストにあって自分の救いが完成することを喜ぼうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。あなたにとっては「不思議」はありません。あなたは歴史の支配者です。きょうも私を勝利の道へとお導きください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=O9ZlGXH7O8A" />
         <pubDate>2026-07-05 21:09:08 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書8：9～17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3974350562</link>
         <description><![CDATA[<p>9 万軍の【主】はこう仰せられる。「勇気を出せ。あなたがたは、万軍の【主】の家である神殿を建てるための礎いしずえが据すえられた日以来、預言者たちの口から、これらのことばを日ごろ聞いているではないか。</p><p>10 その日以前は、人がかせいでも報酬ほうしゅうがなく、家畜がかせいでも報酬がなかった。出て行く者にも、帰って来る者にも、敵がいるために平安はなかった。わたしがすべての人を互いに争わせたからだ。</p><p>11 しかし、今は、わたしはこの民の残りの者に対して、先の日のようではない。─万軍の【主】の御告げ─</p><p>12 それは、平安の種が蒔まかれ、ぶどうの木は実を結び、地は産物を出し、天は露つゆを降らすからだ。わたしはこの民の残りの者に、これらすべてを継がせよう。</p><p>13 ユダの家よ。イスラエルの家よ。あなたがたは諸国の民の間でのろいとなったが、そのように、わたしはあなたがたを救って、祝福とならせる。恐れるな。勇気を出せ。」</p><p>14 万軍の【主】はこう仰せられる。「あなたがたの先祖がわたしを怒らせたとき、わたしはあなたがたにわざわいを下そうと考えた。─万軍の【主】は仰せられる─そしてわたしは思い直さなかった。</p><p>15 しかし、このごろ、わたしはエルサレムとユダの家とに幸いを下そうと考えている。恐れるな。</p><p>16 これがあなたがたのしなければならないことだ。互いに真実を語り、あなたがたの町囲まちがこみのうちで、真実と平和のさばきを行え。</p><p>17 互いに心の中で悪を計るな。偽りの誓いを愛するな。これらはみな、わたしが憎むからだ。─【主】の御告げ─」</p><p><br/></p><p><strong>ゼカリヤと同世代の者たちへのメッセージ</strong></p><p><strong>勇気を出せ</strong></p><p>きょうの箇所は、ゼカリヤと同世代の者たちに対して語られたメッセージです。「万軍の【主】はこう仰せられる。『勇気を出せ。あなたがたは、万軍の【主】の家である神殿を建てるための礎が据えられた日以来、預言者たちの口から、これらのことばを日ごろ聞いているではないか』」（9 節）。（1）これは、「勇気を出して神殿の建設に励め」というメッセージです。（2）過去の世代は預言者たちの声を無視しましたが、この世代の者たちはそうであってはならないというのです。彼らには、ゼカリヤとハガイという預言者たちが与えられていました。<br>「その日以前は、人がかせいでも報酬がなく、家畜がかせいでも報酬がなかった。出て行く者にも、帰って来る者にも、敵がいるために平安はなかった。わたしがすべての人を互いに争わせたからだ」（10節）。（1）「その日以前」とは、神殿の基が築かれる前の時代を指します。（2）神殿建設を怠おこたっていた時には、3つの呪いが民を苦しめていました。① 職がなく、働いても収入にならなかった。② 外敵が存在したので平安がなかった。③ 内部においては互いの間に争いがあった。ハガイ1：2～ 6でも同じことが語られています。</p><p><br/></p><p><strong>呪いから祝福へ</strong></p><p>しかし【主】は、この世代の者たちを祝福しようとしておられます。「しかし、今は、わたしはこの民の残りの者に対して、先の日のようではない。─万軍の【主】の御告げ─」（11節）。（1）彼らには農業の祝福が与えられます（12節）。（2）さらに、呪いを受けていた民に祝福が与えられます（13節）。「ユダの家よ。イスラエルの家よ」とあるのは、イスラエルの12部族全部がシオンの地に帰還していたことを示しています。「恐れるな。勇気を出せ」とは、神殿建設を推進せよという励ましです。（3）【主】は先祖たちを裁かれたが、この世代の者たちは祝福すると言われます（14～15 節）。<br>締めくくりとして、【主】の預言者たちが語ってきたメッセージの要約が語られます（16～ 17節）。（1）真実を語ること。（2）町の中で真実と平和の裁きが実行されること。（3）互いに悪を計らないこと。（4）偽りの誓いをしないこと。以上が、神の民が実行すべきことがらです。神は、これを実行する人たちを祝福してくださいます。私たちもまた、【主】から勇気をいただいて、自分に与えられた御国建設のわざに励もうではありませんか。「恐れるな。勇気を出せ」</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。「恐れるな。勇気を出せ」という励ましの言葉を感謝します。私に与えられた使命を全うすることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
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         <pubDate>2026-07-06 19:15:43 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書8：18～23</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3975620286</link>
         <description><![CDATA[<p>18 さらに、私に次のような万軍の【主】のことばがあった。</p><p>19 万軍の【主】はこう仰せられる。「第四の月の断食、第五の月の断食、第七の月の断食、第十の月の断食は、ユダの家にとっては、楽しみとなり、喜びとなり、うれしい例祭となる。だから、真実と平和を愛せよ。」</p><p>20 万軍の【主】はこう仰せられる。「再び、国々の民と多くの町々の住民がやって来る。</p><p>21 一つの町の住民は他の町の住民のところへ行き、『さあ、行って、主の恵みを請い、万軍の【主】を尋ね求めよう。私も行こう』と言う。</p><p>22 多くの国々の民、強い国々がエルサレムで万軍の【主】を尋ね求め、主の恵みを請うために来よう。」</p><p>23 万軍の【主】はこう仰せられる。「その日には、外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、ひとりのユダヤ人のすそを堅くつかみ、『私たちもあなたがたといっしょに行きたい。神があなたがたとともにおられる、と聞いたからだ』と言う。」</p><p><br/></p><p><strong>断食に関する質問への回答（1）</strong></p><p><strong>4つの断食</strong></p><p>ようやく断食に関する質問への回答が与えられます。【主】はこう言われます。「第四の月の断食、第五の月の断食、第七の月の断食、第十の月の断食は、ユダの家にとっては、楽しみとなり、喜びとなり、うれしい例祭となる。だから、真実と平和を愛せよ」（19節）。ここには4つの断食が出てきます。（1）第4の月の断食。これは、ネブカデネザルによるエルサレムの城壁突破を嘆く断食です（2列25：3 ～4、エレ39：2、52：6～ 7）。（2）第5の月の断食は、神殿崩壊を嘆く断食です。ユダヤ教の伝承では、エルサレムの神殿が崩壊したのは、第5の月の9日とされています。この日は、「ティシャ・ベ・アヴ（アヴの月9日）」と称される神殿崩壊日です（太陽暦の7月末から8月にやって来る）。ユダヤ教は、この日を2 番目に重要な断食日としました。最も重要な断食日は、贖罪の日（ヨム・キプール）です。（3）第7 の月の断食は、ユダの総督ゲダルヤの暗殺を記念してする断食です（2列25：22～ 25）。（4）第10 の月の断食は、ネブカデネザルによるエルサレム包囲開始を嘆く断食です（2 列25：1、エレ39：1、52：4）。<br>これらの断食は、【主】が命じたものではなく、ユダヤ人たちが自発的に始めたものです。つまり、ユダヤ教によって作られた断食です。神の視点からは、断食はしてもしなくてもいいのです。重要なことは、悲しみの象徴であるこれらの断食が、喜びの祭りに変えられる日が来るということです。</p><p><br/></p><p><strong>真実と平和を愛せよ</strong></p><p>「だから、真実と平和を愛せよ」とあります。（1）断食にこだわる必要はありません。（2）なぜなら、やがて悲しみの記憶が喜びに変えられる時が来るからです。その内容が20～ 23節に記されています。これについては次回学びます。（3）今民がすべきことは、【主】の命令に聞き従い、それを実行することです。「真実と平和を愛せよ」というのがそれです。<br>破壊された町が再び繁栄を取り戻すという約束は、イスラエルの民を大いに励ましました。私たちも、どちらでもよいことにこだわり過ぎて、本来聞き従うべき明瞭めいりょうな神の命令を忘れていることがあります。心したいものです。神の約束はことごとく成就します。エルサレムの最終的な回復は、千年王国の時に成就します。その時、私たちは栄光のからだをいただいて栄光の【主】とともに住むことになります。この喜びは、今を生きるための原動力となります。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。「真実と平和を愛せよ」というご命令を重く受け止めました。私を救い、召し、用いてくださることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-07-07 19:58:23 UTC</pubDate>
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         <title>ゼカリヤ書8：18～23</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3976855543</link>
         <description><![CDATA[<p>18 さらに、私に次のような万軍の【主】のことばがあった。</p><p>19 万軍の【主】はこう仰せられる。「第四の月の断食、第五の月の断食、第七の月の断食、第十の月の断食は、ユダの家にとっては、楽しみとなり、喜びとなり、うれしい例祭となる。だから、真実と平和を愛せよ。」</p><p>20 万軍の【主】はこう仰せられる。「再び、国々の民と多くの町々の住民がやって来る。</p><p>21 一つの町の住民は他の町の住民のところへ行き、『さあ、行って、主の恵みを請い、万軍の【主】を尋ね求めよう。私も行こう』と言う。</p><p>22 多くの国々の民、強い国々がエルサレムで万軍の【主】を尋ね求め、主の恵みを請うために来よう。」</p><p>23 万軍の【主】はこう仰せられる。「その日には、外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、ひとりのユダヤ人のすそを堅くつかみ、『私たちもあなたがたといっしょに行きたい。神があなたがたとともにおられる、と聞いたからだ』と言う。」</p><p><br/></p><p><strong>断食に関する質問への回答（2）</strong></p><p><strong>預言的未来</strong></p><p>18 ～ 19節に出てくる4つの断食は、【主】が命じたものではなく、ユダヤ人たちが自発的に始めたものでした。【主】は、これらの断食はしてもしなくてもよいものだと言われます。ここで重要なことは、悲しみの象徴であるこれらの断食が、喜びの祭りに変えられる日が来るという預言です。それゆえ、イスラエルの民は「真実と平和を愛せよ」との勧告を受けます。<br>20～23節は、将来彼らに与えられる喜びを描いています。希望を失いそうになっていた民は、この約束によって慰めを受けます。この祝福の約束は、千年王国で成就します（この箇所は、預言的未来です）。（1）エルサレムは再び世界の中心となります。「再び、国々の民と多くの町々の住民がやって来る。一つの町の住民は他の町の住民のところへ行き、『さあ、行って、主の恵みを請い、万軍の【主】を尋ね求めよう。私も行こう』と言う」（20～21節）。エルサレムに多くの異邦人たちが上ってきます。① 彼らは他の町の住民たちに呼びかけ、【主】の恵みを願うためにエルサレムに上ろうと誘います。② さらに、【主】ご自身を求めようと呼びかけます。③ 他人に呼びかけるだけでなく、自分自身もまたエルサレムに上ってきます。これは、イザヤ2：2～3の預言と合致がっちします。<br>（2）エルサレムだけでなくユダヤ人もまた、異邦人の関心の的となります。「その日には、外国語を話すあらゆる民のうちの十人が、ひとりのユダヤ人のすそを堅くつかみ、『私たちもあなたがたといっしょに行きたい。神があなたがたとともにおられる、と聞いたからだ』と言う」（23節）。① この時点では、ユダヤ人たちはすでに民族的救いを経験しています。その彼らが、異邦人の注目の的となるのです。②「外国語を話すあらゆる民のうちの十人」とは、具体的な10人のことではなく、「多くの異邦人」という意味です。③少数のユダヤ人に多くの異邦人がすがりつきます。その理由は、神がイスラエルの民とともにおられることをすべての異邦人が認めるようになるからです。④ 千年王国においては、ユダヤ人は全世界に神の愛を届ける管となります。神の約束を信じ、預言的未来形で生きている人は、試練を乗り越えることができます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。信者である私たちには、究極的な希望が与えられていることを感謝します。きょうも、預言的未来形で生きることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=LI9IcTuUC7E" />
         <pubDate>2026-07-08 20:37:48 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書9：1～8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3978116817</link>
         <description><![CDATA[<p><br/></p><p>1 宣告。【主】のことばはハデラクの地にあり、ダマスコは、そのとどまる所。主の目は人に向けられ、イスラエルの全部族に向けられている。</p><p>2 これに境を接するハマテにも、また、非常に知恵のあるツロやシドンにも向けられている。</p><p>3 ツロは自分のために、とりでを築き、銀をちりのように積み、黄金おうごんを道ばたの泥のように積み上げた。</p><p>4 見よ。主はツロを占領し、その塁るいを打ち倒して海に入れる。ツロは火で焼き尽くされる。</p><p>5 アシュケロンは見て恐れ、ガザもひどくおののく。エクロンもそうだ。その頼みにしていたものがはずかしめられたのだから。ガザからは王が消えうせ、アシュケロンには人が住まなくなる。</p><p>6 アシュドデには混血の民が住むようになる。わたしはペリシテ人の誇りを絶やし、</p><p>7 その口から流血の罪を除き、その歯の間から忌いまわしいものを取り除く。彼も、私たちの神のために残され、ユダの中の一首長のようになる。エクロンもエブス人のようになる。</p><p>8 わたしは、わたしの家のために、行き来する者を見張る衛所えいしょに立つ。それでもう、しいたげる者はそこを通らない。今わたしがこの目で見ているからだ。</p><p><br/></p><p><strong>アレキサンダー大王による征服（1）</strong></p><p><strong>2つの預言的宣告</strong></p><p>9 ～ 14章は、2つの「宣告」から成り立っています。これまで見てきた1 ～8章には終末に関する預言はわずかしかありませんでしたが、これから見ていく9 ～ 14章には終末に関する預言が満ちています。つまり、メシアの到来に伴う裁きと祝福がテーマになっているということです。<br>きょうの箇所から第1の「宣告」が始まります。その内容は、アレキサンダー大王がイスラエルの敵を征服するという預言です。アレキサンダー大王は、【主】の裁きの執行者（代理人）となります。彼は、ペルシヤ軍を破り（前333年）、翌年、地中海沿岸諸都市とシリアの諸都市を陥落かんらくさせながら、エジプトに向かいます。彼によって征服される町々が列挙されます。</p><p><br/></p><p><strong>征服される町々</strong></p><p>（1）ハデラクはシリアの都市であり、ダマスコはシリアの首都です。そこに【主】の宣告がとどまります。つまり、アレキサンダー大王がそこを攻撃するということです。（2）「人々はイスラエルの全部族と共に主に目を向ける」（1節b）（新共同訳）とありますが、これは挿入句そうにゅうくです。当時のイスラエルは、【主】が歴史を支配しておられることを知っていました。つまり、【主】による解放を待ち望んでいたということです。それを実行するのが、アレキサンダー大王です。（3）「ハマテ」はイスラエルの北端にある要塞ようさい都市ですが、そこも滅ぼされます。（4）「また、非常に知恵のあるツロやシドンにも向けられている」（2節b）とあるように、【主】の裁きはツロやシドンにも及びます。この両都市はフェニキヤ（現在のレバノン）の海岸都市です。「非常に知恵のある」というのは、神の視点ではなく、人間の視点です。彼らは、自分たちのことを知恵ある者と誇っていました。特にツロは、海に面した島に難攻不落なんこうふらくの砦とりでを建設し、傲慢ごうまんになっていました（イザ23：4）。この2つの都市は、前332年に滅ぼされました。この裁きは、イザヤ23章、エゼキエル28章、アモス1：9 ～ 10などにも預言されていました。<br>「見よ。主はツロを占領し、その塁を打ち倒して海に入れる。ツロは火で焼き尽くされる」（4節）とありますが、そのとおりの事が起こりました。彼らが積み上げてきた財宝はすべて奪われ、住民は殺され、残った者は奴隷どれいに売られ、最後に町は焼かれました。自分の知恵を誇りとする者の最後は空しいものです。神に敵対する人生ではなく、神に信頼する人生を歩もうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなただけを恐れ、あなただけに信頼して歩む人生を送らせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-07-09 20:39:40 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書9：1～8</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3979185665</link>
         <description><![CDATA[<p>1 宣告。【主】のことばはハデラクの地にあり、ダマスコは、そのとどまる所。主の目は人に向けられ、イスラエルの全部族に向けられている。</p><p>2 これに境を接するハマテにも、また、非常に知恵のあるツロやシドンにも向けられている。</p><p>3 ツロは自分のために、とりでを築き、銀をちりのように積み、黄金を道ばたの泥のように積み上げた。</p><p>4 見よ。主はツロを占領し、その塁を打ち倒して海に入れる。ツロは火で焼き尽くされる。</p><p>5 アシュケロンは見て恐れ、ガザもひどくおののく。エクロンもそうだ。その頼みにしていたものがはずかしめられたのだから。ガザからは王が消えうせ、アシュケロンには人が住まなくなる。</p><p>6 アシュドデには混血の民が住むようになる。わたしはペリシテ人の誇りを絶やし、</p><p>7 その口から流血の罪を除き、その歯の間から忌まわしいものを取り除く。彼も、私たちの神のために残され、ユダの中の一首長のようになる。エクロンもエブス人のようになる。</p><p>8 わたしは、わたしの家のために、行き来する者を見張る衛所に立つ。それでもう、しいたげる者はそこを通らない。今わたしがこの目で見ているからだ。</p><p><br/></p><p><strong>アレキサンダー大王による征服（2）</strong></p><p><strong>ペリシテの地</strong></p><p>前回の続きを学びます。ゼカリヤは、アレキサンダー大王が【主】の裁きの執行者としてイスラエルの敵の町々を滅ぼすことを預言しました。きょうの箇所では、ペリシテの4 つの都市が列挙されます（ガテはこの当時すでにイスラエルの領土になっていたので、その名が出ていません）。アシュケロン、ガザ、エクロン、アシュドデがそれです（ペリシテの4都市）。<br>（1）エクロンは、最北の都市であるために最初に滅ぼされます。彼らは、ツロがアレキサンダー大王の進軍を阻止してくれるだろうと期待していましたが、それは空しい希望に終わります。（2）「わたしはペリシテ人の誇りを絶やし、その口から流血の罪を除き、その歯の間から忌まわしいものを取り除く」（6b ～7節a）とあります。ペリシテ人の高慢が砕くだかれます。「流血の罪」というのは、偶像ぐうぞうにささげられた動物のいけにえのことです。「忌まわしいもの」とは、汚れた動物の肉や神殿娼婦などのことでしょう。すべて、偶像崇拝を叱責しっせきする言葉です。（3）「彼も、私たちの神のために残され、ユダの中の一首長のようになる。エクロンもエブス人のようになる」（7節b）。しかし、ペリシテ人の残された民は神に属するようになります。かつてエルサレムの住民であったエブス人は、ダビデの時代にユダに吸収されました（エブス人アラウナという人物がいる。2サム24：16、1歴21：18）。そのように、ペリシテ人の残りの者もまた、神の民となります。</p><p><br/></p><p><strong>エルサレム</strong></p><p>神に敵対する諸都市が滅ぼされても、エルサレムは例外です。「わたしは、わたしの家のために、行き来する者を見張る衛所に立つ。それでもう、しいたげる者はそこを通らない。今わたしがこの目で見ているからだ」（8節）。（1）8節の前半は、アレキサンダー大王がエルサレムを攻めないで通過するという預言です。「行き来する者」とは、アレキサンダー大王のことです。（2）8節の後半は、メシア的王国の預言です。「しいたげる者はそこを通らない」とありますが、アレキサンダー大王の後の時代に、多くの征服者たちがイスラエルを制圧しました。従って、この預言はメシア的王国が到来しなければ成就しない預言です。<br>神はご自身の都を守られます。また神は、攻撃する者から私たちを守るために、敵を見張る衛所に立ってくださいます。永遠の神の御手によって守られていることを、感謝しようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたはエルサレムを永遠にお守りになります。また、その守りの御手は私の上にも伸ばされています。きょうも信仰をもってこの世に出て行きます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-07-10 20:27:54 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書9：9～10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3979672334</link>
         <description><![CDATA[<p>9 シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜たまわり、柔和にゅうわで、ろばに乗られる。それも、雌めろばの子の子ろばに。</p><p>10 わたしは戦車をエフライムから、軍馬ぐんばをエルサレムから絶やす。戦いの弓も断たれる。この方は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大川から地の果てに至る。</p><p><br/></p><p><strong>ユダヤ人の王の到来（1）</strong></p><p><strong>ギリシア人の王からユダヤ人の王へ</strong></p><p>これまでに、ゼカリヤはギリシア人の王（アレキサンダー）の到来を預言してきましたが、きょうの箇所から突如その内容が変わり、ユダヤ人の王の到来を預言し始めます。彼は、9節でメシアの初臨を、10節でメシアの再臨を預言します。このように、初臨と再臨が隣接して出てくるのは、メシア預言の中では珍しいことではありません。きょうは、9節のメシアの初臨について学んでみます。</p><p><br/></p><p><strong>大いに喜べ</strong></p><p>「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに」（9節）とあります。（1）大いに喜べとは、恐れる必要はないということです。その理由は、ギリシア人の王ではなく、ユダヤ人の王（あなたの王）が来られるからです。（2）その王の性質が3つ挙げられます。①「正しい方」。これは常にメシアに帰される性質です（イザ45：21、53：11、エレ23：5～6参照）。②「救いを賜る方」。ギリシア人の王は征服するために来ますが、ユダヤ人の王は救うために来られます。その救いは、単なる赦ゆるしの宣言ではなく、ご自分を犠牲にして私たちに与えてくださる赦しです。犠牲がなければ、義なる王とは言えません。③「柔和な方」。この言葉は、「抑圧された方」という意味です。メシアは受難じゅなんのしもべとして来られます。「彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない」（イザ53：2）。以上の3つの性質は、ギリシア人の王とは正反対のものです。<br>メシアは、まだ誰も乗ったことのない「子ろば」に乗って来られます。当時は、高貴な身分の者や祭司たちが、ろばに乗りました。馬に乗るのは戦士です。イエスが子ろばに乗られたということは、平和の君として来られたことを意味しています。この預言は、マタイ21：1 ～ 11で成就しました。その時人々は、「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に」（マタ21：9）と叫びました。ところが、その1週間後にイエスは十字架に渡されます。たとえどれほど多くの人たちがイエスを拒否しようとも、私たちに関しては、この方を受け入れ、ほめたたえようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。メシアが柔和なお方、私たちを救うお方として来てくださったことを感謝します。イエスは主なりと告白します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=QhqfXffxWvU" />
         <pubDate>2026-07-11 21:12:31 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書9：9～10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3980082948</link>
         <description><![CDATA[<p>9 シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。</p><p>10 わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶やす。戦いの弓も断たれる。この方は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大川から地の果てに至る。</p><p><br/></p><p><strong>ユダヤ人の王の到来（2）</strong></p><p><strong>再臨の預言</strong></p><p>ゼカリヤはギリシア人の王（アレキサンダー）の到来を預言し、続いてユダヤ人の王（メシア）の到来をも預言します。9節は初臨の預言、10節は再臨の預言です。きょうは、10節のメシアの再臨について学んでみます。「わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶やす。戦いの弓も断たれる」（10節a）とあります。（1）イスラエルの地から戦争がなくなります。「エフライム」は約束の地の北部を、「エルサレム」は約束の地の南部を指します。かつて南北に分裂していたイスラエルの民は、ひとつの民とされます。そして、イスラエル全土から、戦車、軍馬、戦いの弓などの武器が取り去られます。敵がイスラエルを責めることはなくなり、イスラエルも自国を防衛する必要がなくなります。（2）このことを宣言するのは、【主】ご自身です。<br>それに続いて、「この方は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大川から地の果てに至る」（10節b）とあります。（1）これを語っているのは、ゼカリヤです。主語が【主】からゼカリヤに変わりました。（2）メシアは世界の民に平和を宣言され、メシア的王国の統治とうちが始まります。（3）「海から海へ」というのは、死海（東の国境）から地中海（西の国境）までという意味です。（4）「大川から」というのは、ユーフラテス川（北の国境）です。通常は、ユーフラテス川からエジプトの川までという表現になるのですが、ここでは「地の果てに至る」となっています。メシアの統治による平和が、イスラエルの地だけでなく、全世界に及ぶことが預言されています。</p><p><br/></p><p><strong>詩篇72：8</strong></p><p>以上の預言は、詩篇72：8に書かれている内容と合致します。「彼は海から海に至るまで、また、川から地の果て果てに至るまで統すべ治おさめますように」。苦難の中にあったイスラエルの民にとって、ユダヤ人の王の到来の約束は、大きな慰めとなりました。今を生きるためには、将来への希望が必要です。このことは、今も変わりません。教会時代を生きる私たちにとっても、キリストの再臨は患難を乗り越えるための希望であり、力です。「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。…このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。こういうわけですから、このことばをもって互いに慰なぐさめ合いなさい」（1テサ4：16～ 18）。アーメン。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。どんなに絶望的な事態が襲ってきても、私は希望を失いません。なぜなら、キリストが私のために戻ってきてくださるからです。主イエス・キリストの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=9dmhN1FVS_k" />
         <pubDate>2026-07-12 20:30:58 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書9：11～17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3981466824</link>
         <description><![CDATA[<p>11 あなたについても、あなたとの契約の血によって、わたしはあなたの捕らわれ人を、水のない穴あなから解き放つ。</p><p>12 望みを持つ捕らわれ人よ。とりでに帰れ。わたしは、きょうもまた告げ知らせる。わたしは二倍のものをあなたに返すと。</p><p>13 わたしはユダを曲げてわたしの弓とし、これにエフライムをつがえたのだ。シオンよ。わたしはあなたの子らを奮ふるい立たせる。ヤワンはあなたの子らを攻めるが、わたしはあなたを勇士の剣つるぎのようにする。</p><p>14 【主】は彼らの上に現れ、その矢はいなずまのように放たれる。神である主は角笛つのぶえを吹き鳴らし、南の暴風の中を進まれる。</p><p>15 万軍の【主】が彼らをかばうので、彼らは石投げを使う者を滅ぼして踏みつけ、彼らの血をぶどう酒のように飲み、鉢のように、祭壇さいだんの四隅よすみの角のように、満たされる。</p><p>16 その日、彼らの神、【主】は、彼らを主の民の群れとして救われる。彼らはその地で、きらめく王冠の宝石となる。</p><p>17 それは、なんとしあわせなことよ。それは、なんと麗うるわしいことよ。穀物は若い男たちを栄えさせ、新しいぶどう酒は若い女たちを栄えさせる。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの贖い</strong></p><p><strong>終末時代におけるイスラエルの贖い</strong></p><p>9：10では、メシアによる平和と世界統治が預言されていました。きょうの箇所は、その預言がどのようにして成就するのかを解説しています。「あなたについても、あなたとの契約の血によって、わたしはあなたの捕らわれ人を、水のない穴から解き放つ」（11節）とあります。（1）「あなた」というのは、エルサレム（シオン）、つまり、ユダヤ人のことです。（2）解放が実現する土台は、アブラハム契約です（創15章）。この契約は、血によって結ばれました。出エジプトはアブラハム契約のゆえに可能になりましたが、これと同じことが終末時代にも起こります。（3）「水のない穴」というのは、乾いた穴、つまり牢獄ろうごくのことです。イスラエルの民は、牢獄から解放されるように、離散の地から解き放たれます。<br>「望みを持つ捕らわれ人よ。とりでに帰れ。わたしは、きょうもまた告げ知らせる。わたしは二倍のものをあなたに返すと」（12節）。（1）イスラエルは諸国民の中の長子です（出4：22～ 23）。長子には、罰も祝福も2倍のものが与えられます。（2）2倍の罰の預言は、エレミヤ16：18にあります。「わたしはまず、彼らの咎と罪に対し二倍の報復をする。それは彼らがわたしの国を忌むべきもののしかばねで汚し、忌みきらうべきものを、わたしの与えた相続地に、満たしたからである」。（3）2倍の祝福の預言は、イザヤ40：2にあります。「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償つぐなわれた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを【主】の手から受けたと」</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの勝利</strong></p><p>（1）13節では、ユダが弓となり、エフライムが矢となることが預言されます。イスラエルの敵（異邦人諸国）に対して矢を射るのは、神ご自身です。（2）14～ 16節では、【主】の助けによってイスラエルの民が勝利することが、絵画的に描写されています。（3）17節では、「贖いの結果と【主】への賛美」が描かれています。「それは、なんとしあわせなことよ。それは、なんと麗しいことよ。穀物は若い男たちを栄えさせ、新しいぶどう酒は若い女たちを栄えさせる」<br>イスラエルは神から見放された民ではなく、終末時代に贖われる民であることを覚えましょう。贖いの土台はアブラハム契約です。私たちの救いもまた、変わることのない神の契約に乗っています。このことを覚え、神に感謝しましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。イスラエルの民の贖いが確実であるように、私たちの救いもまた確実です。そのことのゆえに、御名を賛美します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-07-13 20:17:28 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ゼカリヤ書10：1～7</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3982821949</link>
         <description><![CDATA[<p>1 後のちの雨の時に、【主】に雨を求めよ。【主】はいなびかりを造り、大雨を人々に与え、野の草をすべての人に下さる。</p><p>2 テラフィムはつまらないことをしゃべり、占い師は偽いつわりを見、夢見る者はむなしいことを語り、むなしい慰めを与えた。それゆえ、人々は羊のようにさまよい、羊飼いがいないので悩む。</p><p>3 わたしの怒りは羊飼いたちに向かって燃える。わたしは雄やぎを罰しよう。万軍の【主】はご自分の群れであるユダの家を訪れ、彼らを戦場のすばらしい馬のようにされる。</p><p>4 この群れからかしら石が、この群れから鉄のくいが、この群れからいくさ弓が、この群れからすべての指揮者が、ともどもに出て来る。</p><p>5 道ばたの泥を踏みつける勇士のようになって、彼らは戦場で戦う。【主】が彼らとともにおられるからだ。馬に乗る者どもは恥を見る。</p><p>6 わたしはユダの家を強め、ヨセフの家を救う。わたしは彼らを連れ戻す。わたしが彼らをあわれむからだ。彼らは、わたしに捨てられなかった者のようになる。わたしが、彼らの神、【主】であり、彼らに答えるからだ。</p><p>7 エフライムは勇士のようになり、その心はぶどう酒に酔ったように喜ぶ。彼らの子らは見て喜び、その心は【主】にあって大いに楽しむ。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの救い（1）</strong></p><p><strong>雨の祝福の回復</strong></p><p>イスラエルの回復が成就した時、雨の祝福も回復します（メシア的王国での状況です）。それを教えているのが、1節です。「後の雨の時に、【主】に雨を求めよ。【主】はいなびかりを造り、大雨を人々に与え、野の草をすべての人に下さる」<br>旧約聖書は、4種類の雨を区別して語ります。① 先の雨。これは秋の雨とも言われ、耕作を開始する時期に降る雨です（10月～ 11月頃に降る雨）。ヘブル語では「ヨレー」と言います。② それ以降に降る普通の雨（12月～ 2月頃に降る雨）。ヘブル語では「マター」と言います。③ マターよりも激しく降る大雨（これもまた、12月～ 2月頃に降る）。ヘブル語では「ゲシェム」と言います。④ そして、後の雨。これは春の雨とも言われ、収穫期に降る雨です（3 月～４月頃に降る雨）。ヘブル語では「マルコシュ」と言います。春の雨が終わると、約半年間の乾季になります。<br>以上の知識を前提に、再度1 節を読んでみましょう。（1）後の雨（春の雨）は、普通、少量の雨です。その時期に、「雨（普通の雨）」（マター）を求めよというのです。（2）すると、【主】はその祈りに答えて、「大雨」（ゲシェム）を降らせてくださいます。つまり、少し願っただけなのに、多くの祝福が注がれるということです。（3）その雨は水量が十分あるので、人々も、野の植物も、すべて満たされるのです。</p><p><br/></p><p><strong>モーセの律法</strong></p><p>（1）モーセの律法では、雨の祝福は従順の結果として与えられると教えられています。「もし、あなたがたがわたしのおきてに従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行うなら、わたしはその季節にしたがってあなたがたに雨を与え、地は産物を出し、畑の木々はその実を結び、」（レビ26：3 ～ 4。申11：13 ～ 15も参照）。（2）しかし、メシア的王国（千年王国）では、雨の祝福は願えば与えられます。しかも、少し願っただけで、それ以上の祝福が与えられるのです。<br>ペンテコステでの聖霊降臨を「先の雨」とするならば、今は「後の雨」の時代だと考えることができます。千年王国で成就する祝福を先取りする祈りをささげようではありませんか。民族的にも、個人的にも、私たちには雨の祝福（聖霊の傾注けいちゅう）が必要です。神がこの国を憐あわれんでくださるように、祈ろうではありませんか。信仰による祈りは、多くの祝福をもたらします。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。どうかこの国を憐れんでください。私たちの同胞に、霊的覚醒（目覚め）を与えてください。そして、私をもリバイブしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=JOL2BuioKu0" />
         <pubDate>2026-07-14 21:20:00 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書10：1～7</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3983945525</link>
         <description><![CDATA[<p>1 後の雨の時に、【主】に雨を求めよ。【主】はいなびかりを造り、大雨を人々に与え、野の草をすべての人に下さる。</p><p>2 テラフィムはつまらないことをしゃべり、占い師は偽りを見、夢見る者はむなしいことを語り、むなしい慰めを与えた。それゆえ、人々は羊のようにさまよい、羊飼いがいないので悩む。</p><p>3 わたしの怒りは羊飼いたちに向かって燃える。わたしは雄やぎを罰しよう。万軍の【主】はご自分の群れであるユダの家を訪れ、彼らを戦場のすばらしい馬のようにされる。</p><p>4 この群れからかしら石が、この群れから鉄のくいが、この群れからいくさ弓が、この群れからすべての指揮者が、ともどもに出て来る。</p><p>5 道ばたの泥を踏みつける勇士のようになって、彼らは戦場で戦う。【主】が彼らとともにおられるからだ。馬に乗る者どもは恥を見る。</p><p>6 わたしはユダの家を強め、ヨセフの家を救う。わたしは彼らを連れ戻す。わたしが彼らをあわれむからだ。彼らは、わたしに捨てられなかった者のようになる。わたしが、彼らの神、【主】であり、彼らに答えるからだ。</p><p>7 エフライムは勇士のようになり、その心はぶどう酒に酔ったように喜ぶ。彼らの子らは見て喜び、その心は【主】にあって大いに楽しむ。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの救い（2）</strong></p><p><strong>指導者への怒り（2～3節a）</strong></p><p>この箇所の2回目の学びです。「テラフィムはつまらないことをしゃべり、占い師は偽りを見、夢見る者はむなしいことを語り、むなしい慰めを与えた。それゆえ、人々は羊のようにさまよい、羊飼いがいないので悩む」（2節）とあります。（1）テラフィムとは、家の守り神である偶像のことです。ここでは、偶像礼拝が糾弾きゅうだんされています。（2）占い師や夢見る者（偽預言者）もまた、叱責を受けています。（3）霊的指導者がいないので、人々は羊飼いのいない羊のようにさ迷っています。<br>「わたしの怒りは羊飼いたちに向かって燃える。わたしは雄やぎを罰しよう」（3節a）とあります。（1）イスラエルの民が契約条項に違反する時、神の怒りは燃え上がります（出22：22 ～24、申6：14 ～15 など参照）。（2）この箇所では、神の怒りは指導者たち（羊飼いたち）に向かって燃えています。「雄やぎ」は、指導者を指す比喩ひゆ的言葉です。</p><p><br/></p><p><strong>神による力づけ（3b ～7節）</strong></p><p>さ迷うイスラエルの民を力づけ、勝利へと導くのは、万軍の【主】です。「万軍の【主】はご自分の群れであるユダの家を訪れ、彼らを戦場のすばらしい馬のようにされる」（3節b）とあります。ユダ族から4つの素晴らしいものが出てきます（4 節）。（1）「かしら石」。これは建物を建設する際に最初に置かれる石で、メシアを象徴しています（詩118：22、イザ28：16、エペ2：20）。（2）「鉄のくい」。テントを張る際に用いられるものです。これによってテントは安定した状態に保たれます。そのように、国を安定させる指導者が、ユダ族から出現します。（3）「いくさ弓」。ユダ族は【主】の戦いのための武器となります。（4）「指揮者」。これは指導者たちのことです。<br>5～７節では、神によって勝利するイスラエルの民の様子が描写されています。彼らは、「【主】が彼らとともにおられる」（5節）ので勝利します。【主】は彼らを約束の地に連れ戻されますが、その理由は、「わたしが彼らをあわれむからだ」というものです。7節には、喜ぶ民の様子が描かれています。「エフライムは勇士のようになり、その心はぶどう酒に酔ったように喜ぶ。彼らの子らは見て喜び、その心は【主】にあって大いに楽しむ」。私たちもまた、救いが完成する日、同じような喜びに満たされます。それゆえ、試練の中にあっても、なおも希望を持って前進し続けることができるのです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたはご自身の民を完全に救うことのできるお方です。あなたに信頼して、きょうもこの世に出て行きます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-07-15 19:10:27 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ゼカリヤ書10：8～12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3985248696</link>
         <description><![CDATA[<p>8 わたしは彼らに合図して、彼らを集める。わたしが彼らを贖ったからだ。彼らは以前のように数がふえる。</p><p>9 わたしは彼らを国々の民の間にまき散らすが、彼らは遠くの国々でわたしを思い出し、その子らとともに生きながらえて帰って来る。</p><p>10 わたしは彼らをエジプトの地から連れ帰り、アッシリヤから彼らを寄せ集める。わたしはギルアデの地とレバノンへ彼らを連れて行くが、そこも彼らには足りなくなる。</p><p>11 彼らは苦難の海を渡り、海では波を打つ。彼らはナイル川のすべての淵ふちをからす。アッシリヤの誇りは低くされ、エジプトの杖つえは離れる。</p><p>12 彼らの力は【主】にあり、彼らは主の名によって歩き回る。─【主】の御告げ─</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの回復</strong></p><p><strong>真の羊飼い（8～9節）</strong></p><p>イスラエルの民は、指導者不在のためにさ迷っていましたが、終末の時には、真の羊飼いによって導かれます。「わたしは彼らに合図して、彼らを集める。わたしが彼らを贖ったからだ。彼らは以前のように数がふえる」（8節）とあります。（1）「合図して」というのは、「口笛を吹いて」という意味です。聖書時代の羊飼いたちは、口笛や葦の笛を吹いて羊を集めました（士5：16 参照）。（2）メシアは贖われた民を約束の地に呼び集めます。その数は膨大なものになります。<br>「わたしは彼らを国々の民の間にまき散らすが、彼らは遠くの国々でわたしを思い出し、その子らとともに生きながらえて帰って来る」（9節）。（1）イスラエルの民は神の裁きによって離散の民となりました。しかし、彼らは約束の地に回復されます。（2）彼らは、離散の地で霊的救いを経験し、その子らとともに帰還します。</p><p><br/></p><p><strong>エジプトとアッシリヤから（10～12節）</strong></p><p>「わたしは彼らをエジプトの地から連れ帰り、アッシリヤから彼らを寄せ集める。わたしはギルアデの地とレバノンへ彼らを連れて行くが、そこも彼らには足りなくなる」（10節）。（1）エジプトとアッシリヤは、奴隷と捕囚という苦難を象徴する国々です。その苦難の地からイスラエルの民は寄せ集められます。（2）ギルアデはヨルダン川の東北に位置する放牧に適した地です。聖書時代は、マナセ族とガド族が定住しました。レバノンは約束の地の北限です。聖書時代にイスラエルがこの地を完全に征服したことはありませんでした。しかし、メシア的王国ではイスラエルの民はここにも住みます。（3）10節が伝えているメッセージは、メシア的王国においては、約束の地の周辺部でさえも人が住み着き、空いている場所がなくなるということです。（4）イスラエルの民の帰還を妨害する海（紅海こうかい）と川（ユーフラテス川）は、【主】によって打たれ、枯らされ、無力になります。<br>12節がこの箇所の締めくくりとなっています。「彼らの力は【主】にあり、彼らは主の名によって歩き回る。─【主】の御告げ─」。イスラエルの民は、救われた民としてメシア的王国の時代を生きます。メシア的王国成就の条件は主の再臨であり、主の再臨の条件はイスラエルの民の救いであることを覚えましょう。世界の歴史は動いており、私たちはメシア的王国（千年王国）の成就に近づいています。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたは歴史の支配者です。異邦人の救い、イスラエルの民の救い、そして再臨というあなたのご計画を覚え、今を生きるための力とさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=ZbdQ709z0D4" />
         <pubDate>2026-07-16 20:32:04 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書11：1～3</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3985938524</link>
         <description><![CDATA[<p>1 レバノンよ。おまえの門をあけよ。火が、おまえの杉の木を焼き尽くそう。</p><p>2 もみの木よ。泣きわめけ。杉の木は倒れ、みごとな木々が荒らされたからだ。バシャンの樫かしの木よ。泣きわめけ。深い森が倒れたからだ。</p><p>3 聞け。牧者たちの嘆きを。彼らのみごとな木々が荒らされたからだ。聞け。若い獅子ししのほえる声を。ヨルダンの茂みが荒らされたからだ。</p><p><br/></p><p><strong>真の羊飼いの拒否（1）</strong></p><p><strong>土地の荒廃</strong></p><p>きょうの箇所は、11章全体への序論となっています。イスラエルの民がメシアを拒否した結果、「土地の荒廃こうはい」が訪れます。「レバノンよ。おまえの門をあけよ。火が、おまえの杉の木を焼き尽くそう。もみの木よ。泣きわめけ。杉の木は倒れ、みごとな木々が荒らされたからだ」（1～2節a）とあります。（1）レバノンは杉の木で有名です。ソロモンは神殿建設に際して、レバノンの杉を大量に必要としました（1 列5：6 参照）。つまり、エルサレムの神殿の内装は、杉材でできていたということです。（2）ここでの「レバノンよ」は、神殿のことです。従って、「おまえの門をあけよ」となっているのです。杉の木が倒れ、木々が荒らされるとは、エルサレムと神殿の崩壊ほうかいの預言です。<br>「バシャンの樫の木よ。泣きわめけ。深い森が倒れたからだ」（2節b）とあります。（1）バシャンとは、今日のゴラン高原の南部のことです。ここでは、「バシャン」もまたエルサレムのことです。（2）「深い森が倒れたからだ」とは、エルサレムの街中に密集した家々のことです（似たような表現は、ミカ3：12 にもあります）。<br>「聞け。牧者たちの嘆きを。彼らのみごとな木々が荒らされたからだ。聞け。若い獅子のほえる声を。ヨルダンの茂みが荒らされたからだ」（3節）。（1）「牧者たち」というのは、イスラエルの指導者たちのことです。彼らは、エルサレムと神殿の崩壊を見て、嘆きます。（2）「若い獅子」とは王子たちのこと、「ヨルダン」というのは、ヨルダン渓谷のことです。ここもまた荒廃します（エレ12：5、49：19、50：44参照）。</p><p><br/></p><p><strong>預言の成就</strong></p><p>この預言は、紀元70年に成就しました。この年、エルサレムはローマ軍によって陥落し、神殿は崩壊しました。崩壊の理由は、イスラエルの民がメシアを拒否したからです（11章の残りがその預言です）。ゼカリヤ10 章では、イスラエルの民の完全な解放と、約束の地への回復が予告されていました。それと対照的なのが11章です。メシアを拒否したことによって起こる土地の荒廃とユダヤ人の世界離散（70年に起こった）は、終末におけるイスラエルの民の回復の前提となります。<br>イスラエルの民は、一度はメシアを拒否しましたが、神は彼らを見捨ててはおられません。彼らのつまずきは、異邦人である私たちの救いにつながりました。そのことを覚え、変わることのない神の愛に感謝しようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。イスラエルの民のつまずきのゆえに、私たち異邦人に救いの機会が提供されました。そのことを感謝します。また、イスラエルに対するあなたの愛が不変であることのゆえに、御名をたたえます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=K3rtrb-II1I" />
         <pubDate>2026-07-17 19:03:50 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書11：4～6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3986402538</link>
         <description><![CDATA[<p>4 私の神、【主】は、こう仰せられる。「ほふるための羊の群れを養え。</p><p>5 これを買った者が、これをほふっても、罪にならない。これを売る者は、『【主】はほむべきかな。私も富みますように』と言っている。その牧者たちは、これを惜しまない。</p><p>6 わたしが、もう、この地の住民を惜しまないからだ。─【主】の御告げ─見よ。わたしは、人をそれぞれ隣人の手に渡し、王の手に渡す。彼らはこの地を打ち砕くが、わたしは彼らの手からこれを救い出さない。」</p><p><br/></p><p><strong>真の羊飼いの拒否（2）</strong></p><p><strong>ゼカリヤに与えられた使命</strong></p><p>1 ～ 3節では、土地の荒廃が預言されました。荒廃する理由は、メシア拒否の罪です。さて、きょうの箇所で、ゼカリヤは一つの使命を受けます。「私の神、【主】は、こう仰せられる。『ほふるための羊の群れを養え』」（4節）。（1）「ほふるための羊」とは、イスラエルの民のことです。彼らは不信仰のゆえに、滅びに予定されていました。（2）「養え」とは、神のみことばを教え、彼らを霊的に導けということです。神の御心が何であるかを知った彼らには、弁解の余地がなくなります。<br>「これを買った者が、これをほふっても、罪にならない。これを売る者は、『【主】はほむべきかな。私も富みますように』と言っている。その牧者たちは、これを惜しまない」（5節）。（1）「これを買った者」とは、ローマ人のことです。彼らは、紀元70年にエルサレムを滅ぼします。（2）「これをほふっても、罪にならない」とは、ローマ軍はなんの罪責感を持つこともなく、エルサレムを滅ぼすということです。（3）「これを売る者」とは、ユダヤ人の指導者たちのことです。彼らは、ローマに対して売国ばいこく的行為を行い、自らの私腹しふくを肥やしましたが、同胞たちの苦境については無関心でした。</p><p><br/></p><p><strong>神の宣言</strong></p><p>「わたしが、もう、この地の住民を惜しまないからだ。…わたしは、人をそれぞれ隣人の手に渡し、王の手に渡す。彼らはこの地を打ち砕くが、わたしは彼らの手からこれを救い出さない」（6節）。（1）神ご自身も、イスラエルの民を惜しまないと宣言されます。（2）神は、イスラエルの民を隣人の手に渡し、王の手に渡されます。ヨハネ19：15でユダヤ人の指導者たちは、「カイザルのほかには、私たちに王はありません」と叫びました。それゆえ神は、彼らをカイザルに引き渡されるのです。（3）紀元70 年には、110 万人が殺され、9万7千人が奴隷になりました。<br>ゼカリヤに与えられた「ほふるための羊の群れを養え」という使命は、究極的にはメシアが実行されるものです。そういう意味では、ゼカリヤはメシアの型です。メシアはイスラエルの民にやさしく語りかけ、彼らを守ろうとされました。しかし、民はメシアを拒否しました。彼らに弁解の余地はありません。同じ神の愛が私たちの上にも注がれています。もしその愛を拒否するなら、私たちにも弁解の余地はありません。今すぐに、神の愛と恵みに依り頼もうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。あなたはさまざまな方法を通して、ご自身を私にあらわしてくださいました。私には弁解の余地はありません。今、あなたに全面的に信頼します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-07-18 21:13:15 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ゼカリヤ書11：7～11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3986785520</link>
         <description><![CDATA[<p>7 私は羊の商人たちのために、ほふられる羊の群れを飼った。私は二本の杖を取り、一本を「慈愛じあい」と名づけ、他の一本を、「結合けつごう」と名づけた。こうして、私は群れを飼った。</p><p>8 私は一月のうちに三人の牧者を消し去った。私の心は、彼らにがまんできなくなり、彼らの心も、私をいやがった。</p><p>9 私は言った。「私はもう、あなたがたを飼わない。死にたい者は死ね。隠されたい者は隠されよ。残りの者は、互いに相手の肉を食べるがよい。」</p><p>10 私は、私の杖、慈愛の杖を取り上げ、それを折った。私がすべての民と結んだ私の契約を破るためである。</p><p>11 その日、それは破られた。そのとき、私を見守っていた羊の商人たちは、それが【主】のことばであったことを知った。</p><p><br/></p><p><strong>真の羊飼いの拒否（3）</strong></p><p><strong>使命を全うするゼカリヤ</strong></p><p>前回の箇所で、ゼカリヤに「ほふるための羊の群れを養え」という使命が与えられました。きょうの箇所で、ゼカリヤはその使命を実行に移します。「私は羊の商人たちのために、ほふられる羊の群れを飼った。私は二本の杖を取り、一本を『慈愛』と名づけ、他の一本を、『結合』と名づけた。こうして、私は群れを飼った」（7 節）。（1）「羊の商人たちのために」は、「貧しい（弱い）羊たちのために」と訳すべきです。その意味は、ゼカリヤはイスラエルの民全体に奉仕をするが、その中でも特に、「貧しい羊たち」を養うということです。「貧しい羊」とは、イスラエルの残れる者（真の信仰者）のことです。（2）彼は2 本の杖を取り、それぞれ「慈愛」「結合」と名づけました。「慈愛」は神の守りを、「結合」は民の一致を表しています。<br>「私は一月のうちに三人の牧者を消し去った。私の心は、彼らにがまんできなくなり、彼らの心も、私をいやがった。…」（8 ～9節）。（1）ある時点で、ゼカリヤは羊たちを養うことを止めます。それは、使命を全まっとうした後の行為です。（2）その理由は、3人の牧者がゼカリヤに反抗したからです。（3）10節でゼカリヤは、慈愛の杖を折っています。それは、異邦人諸国の攻撃からイスラエルの民を守るという約束を破棄はきするためです（ルカ19：41～ 44参照）。（4）しかし、イスラエルの残れる者たちは、ゼカリヤが【主】のことばを語っていることを理解し、それを信じました（11節）。</p><p><br/></p><p><strong>キリストの奉仕</strong></p><p>ゼカリヤはキリストの型になっています。（1）ゼカリヤに反抗した3人の牧者とは、パリサイ人、サドカイ人、律法学者を表しています。（2）イスラエルの指導者たちが公にメシアを拒否した出来事が、マタイ12：22 ～ 45に記されています（ベルゼブル論争）。（3）イエスの教えを信じたイスラエルの残れる者たち（メシアニック・ジュー）は、ローマ軍による包囲が始まった時、エルサレムからペラ（ヨルダン川の東側）に逃れました（ルカ21：20～21 参照）。（4）エルサレムが崩壊した時、110万人のユダヤ人が死にましたが、メシアニック・ジューの中からはひとりの死者も奴隷も出ませんでした。<br>メシアはご自身の民を安全な道に導こうとされましたが、彼らはそれを拒否しました。その結果、世界に離散する民となったのです。この事から教訓を学びましょう。神の恵みを軽んじてはなりません。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。あなたの守りと励ましのゆえに、感謝します。これからも私を守り、導いてください。また、あなたの民イスラエルを祝福してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-07-19 21:17:40 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書11：12～14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3987768677</link>
         <description><![CDATA[<p>12 私は彼らに言った。「あなたがたがよいと思うなら、私に賃金を払いなさい。もし、そうでないなら、やめなさい。」すると彼らは、私の賃金として、銀三十シェケルを量った。</p><p>13 【主】は私に仰せられた。「彼らによってわたしが値積ねづもりされた尊たっとい価あたいを、陶器師に投げ与えよ。」そこで、私は銀三十を取り、それを【主】の宮の陶器師に投げ与えた。</p><p>14 そして私は、結合という私のもう一本の杖を折った。これはユダとイスラエルとの間の兄弟関係を破るためであった。</p><p><br/></p><p><strong>真の羊飼いの拒否（4）</strong></p><p><strong>真の羊飼いの値段</strong></p><p>ゼカリヤは指導者たちに、自分の働きに対する賃金を要求します。事前に賃金が決められていたわけではないので、指導者たちの値踏ねぶみにゆだねられます。（1）「あなたがたがよいと思うなら、私に賃金を払いなさい。もし、そうでないなら、やめなさい」（12節）とは、そういう意味です。もし価値がないと判断するなら、払わなくてもよいというのです。（2）それに応答して、指導者たちは、銀30シェケル（銀貨30 枚）を払いました。ユダヤ的文脈では、これは何も払わないよりも、さらに悪いことです。背景には、出エジプト21：32の規定があります。「もしその牛が、男奴隷、あるいは女奴隷を突いたなら、牛の持ち主はその奴隷の主人に銀貨三十シェケルを支払い、その牛は石で打ち殺されなければならない」。銀貨30枚は、殺された奴隷の値段です。指導者たちは、ゼカリヤの働きを軽蔑したのです。（3）そこで【主】はゼカリヤにこう命じます。「彼らによってわたしが値積もりされた尊い価を、陶器師に投げ与えよ」（13節）。指導者たちが払った銀貨30枚は、【主】を値積りした価格でもありました。それは、【主】を軽蔑する象徴的な数字でした。（4）ゼカリヤは【主】の命令どおり、それを【主】の宮の陶器師に投げ与えました。これは、【主】の宮の付近にあった陶器師の地区に投げ込んだという意味です。</p><p><br/></p><p><strong>よき羊飼いキリスト</strong></p><p>以上のことは、キリストの生涯において成就しました。（1）キリストは銀30枚で売られました（マタ26：14 ～16 参照）。（2）銀30 枚は、陶器師の畑を買うために用いられました（マタ27：3 ～10 参照）。イエスを買うための銀30枚は、神殿の金庫から拠出きょしゅつされました。この金は本来、いけにえの動物を買うためのものです。指導者たちは、無意識的に、究極のいけにえであるイエスを買っていたのです。（3）14節でゼカリヤは、「結合」という杖を折っています。その意味は、イスラエルの間の兄弟関係を破壊するということです。これは、紀元66 ～ 70年の間に成就しました。ローマに対抗する熱心党の運動は、内部分裂をくり返し、その結果戦闘能力を落としました。それが、エルサレムが容易に陥落した理由でもあります。<br>侮辱的ぶじょくてき価格である銀30枚で売られたイエスの悲しみを思い起こしましょう。主イエスは、私たちを救うために、いけにえの犠牲となってくださいました。この方こそ、私たちのよき羊飼いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。主イエスの愛を思い、心から感謝します。きょうも、主の愛に応答しながら生きることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=tni9lnJakSw" />
         <pubDate>2026-07-20 19:06:13 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書11：15～17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3988761386</link>
         <description><![CDATA[<p>15 【主】は私に仰せられた。「あなたは、もう一度、愚かな牧者の道具を取れ。</p><p>16 見よ。わたしはひとりの牧者をこの地に起こすから。彼は迷い出たものを尋ねず、散らされたものを捜さがさず、傷ついたものをいやさず、飢えているものに食べ物を与えない。かえって肥えた獣の肉を食らい、そのひづめを裂く。</p><p>17 ああ。羊の群れを見捨てる、能なしの牧者。剣がその腕とその右の目を打ち、その腕はなえ、その右の目は視力が衰える。」</p><p><br/></p><p><strong>愚かな牧者</strong></p><p><strong>ゼカリヤの第2の使命</strong></p><p>ゼカリヤに与えられた最初の使命は、よき羊飼いとして「ほふられる羊の群れを飼う」ことでした。きょうの箇所で第2の使命が与えられます。「あなたは、もう一度、愚かな牧者の道具を取れ」（15節）。ゼカリヤは愚かな牧者の役割を演じます。「愚かな牧者の道具」とありますが、それはよき羊飼いの道具と同じです。道具は同じでも、その使い方が正反対だということです。<br>愚かな牧者の役割を演じる理由は、神がひとりの偽牧者を起こされるからです。「見よ。わたしはひとりの牧者をこの地に起こすから」（16節a）とあります。愚かな牧者と真の牧者の間には、大きな違いがあります。「彼は迷い出たものを尋ねず、散らされたものを捜さず、傷ついたものをいやさず、飢えているものに食べ物を与えない。かえって肥えた獣の肉を食らい、そのひづめを裂く」（16節b）。（1）真の牧者は迷い出た羊や散らされた羊を捜し出しますが、愚かな牧者はそうではありません。（2）真の牧者は傷ついた羊をいやし、食べ物を与えますが、愚かな牧者はそうではありません。（3）愚かな牧者は、肥えた羊をほふって食べ、そのひづめを裂きます。つまり、自分の要求を満たし、自らが富むために羊を犠牲にするということです。（4）17節では、愚かな牧者に対する呪のろいの宣言がなされています。「ああ。羊の群れを見捨てる、能なしの牧者。剣がその腕とその右の目を打ち、その腕はなえ、その右の目は視力が衰える」</p><p><br/></p><p><strong>愚かな牧者の出現</strong></p><p>イスラエルの歴史の中で、自らをメシアと宣言したのは、イエスが最初です。それからおよそ100年後に、自らをメシアと称する第2の人物が現れます。それが、バル・コクバという人物です。彼が指導者となって、ローマに対する反乱が起こります（バル・コクバの乱、132 ～ 135年）。ラビ・アキバがバル・コクバをメシアであると宣言したために、メシアニック・ジューたちは、この乱から手を引きました。この乱でローマ軍はユダヤ人を壊滅かいめつ状態に陥れ、2度と反抗することができないようにしました。17節の呪いのことばは、バル・コクバの上に成就しました。<br>今でもユダヤ人たちは、イエスが真の牧者であることを認めていません。ユダヤ人の救いは、メシアの再臨と深く関係しています。彼らの霊の目が開かれるように祈りましょう。私たちに関しては、よき牧者であるイエス・キリストに信頼を置いて歩もうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたの民イスラエルの霊の目が開かれますように。彼らが、イエスをイスラエルのメシアとして信じることができますように、祈ります。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=e--LjnNuxEY" />
         <pubDate>2026-07-21 19:21:34 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ゼカリヤ書12：1～9</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3989762888</link>
         <description><![CDATA[<p>1 宣告。イスラエルについての【主】のことば。─天を張り、地の基もといを定め、人の霊をその中に造られた方、【主】の御告げ─</p><p>2 見よ。わたしはエルサレムを、その回りのすべての国々の民をよろめかす杯さかずきとする。ユダについてもそうなる。エルサレムの包囲ほういされるときに。</p><p>3 その日、わたしはエルサレムを、すべての国々の民にとって重い石とする。すべてそれをかつぐ者は、ひどく傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来よう。</p><p>4 その日、─【主】の御告げ─わたしは、すべての馬を打って驚かせ、その乗り手を打って狂わせる。しかし、わたしはユダの家の上に目を開き、国々の民のすべての馬を打って盲目にする。</p><p>5 ユダの首長たちは心の中で言おう。エルサレムの住民の力は彼らの神、万軍ばんぐんの【主】にある、と。</p><p>6 その日、わたしは、ユダの首長たちを、たきぎの中にある火鉢のようにし、麦束むぎたばの中にある燃えているたいまつのようにする。彼らは右も左も、回りのすべての国々の民を焼き尽くす。しかし、エルサレムは、エルサレムのもとの所にそのまま残る。</p><p>7 【主】は初めに、ユダの天幕を救われる。それは、ダビデの家の栄えと、エルサレムの住民の栄えとが、ユダ以上に大きくならないためである。</p><p>8 その日、【主】は、エルサレムの住民をかばわれる。その日、彼らのうちのよろめき倒れた者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになり、彼らの先頭に立つ【主】の使いのようになる。</p><p>9 その日、わたしは、エルサレムに攻めて来るすべての国々を捜して滅ぼそう。</p><p><br/></p><p><strong>ハルマゲドンの戦い（1）</strong></p><p><strong>文脈の確認</strong></p><p>この箇所の内容を見る前に、文脈を確認しておきます。9 ～ 11章は第1の宣告でした。そこでは、王なるメシアの到来と、イスラエルの解放と回復が預言されていました。きょうの箇所から、第2の宣告（12～ 14章）が始まります。第2の宣告では、第1の宣告（9 ～ 11章）によって預言されていたことが、いかにして起こるのかが詳述されます。大患難時代は、イスラエルの民を精錬し、彼らの中から不信仰を取り除くためのものです。その結果、彼らはメシアを受容し、やがて地上に千年王国が実現します。これが、第2の宣告の概略がいりゃくです。</p><p><br/></p><p><strong>ハルマゲドンの戦い</strong></p><p>「宣告。イスラエルについての【主】のことば。─天を張り、地の基を定め、人の霊をその中に造られた方、【主】の御告げ─」（1 節）。（1）まず神の主権が強調されます。神は、天と地を支配し、人間の心さえも支配しておられるお方です。（2）大患難時代は、イスラエルの民だけでなく、全人類にとって想像を絶するような苦難の時となります。そのような時にあっても、神がすべてを支配しておられるという事実は変わりません。この真理を自分に適用してみましょう。<br>「見よ。わたしはエルサレムを、その回りのすべての国々の民をよろめかす杯とする。ユダについてもそうなる。エルサレムの包囲されるときに。その日、わたしはエルサレムを、すべての国々の民にとって重い石とする。すべてそれをかつぐ者は、ひどく傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来よう」（2～3節）。（1）これはハルマゲドンの戦いの預言です。すべての異邦人国家は、ユダの地とエルサレムに向かって攻め上ります。ハルマゲドンの戦いは、ヨエル3：9 ～ 13、ゼカリヤ14：1 ～ 2などの箇所でも預言されています。（2）エルサレム（そしてユダもまた）は、彼らにとって「よろめかす杯」となります。「杯」という言葉が比ゆ的に用いられる時、多くの場合、神の怒りを意味します。反イスラエルの諸国は、ぶどう酒を飲んでふらふらになった者のように、役立たずの国々になります。（3）さらに、エルサレムはそこを攻める者にとって「重い石」となります。重い石を持ち上げようとして手を滑らし、手足に傷を負う者の姿が比ゆ的に描かれています。<br>神の民がいかなる試練の中を通過しようとも、神は彼らをお守りになります。神の赦しがなければ何ひとつ起こらないことを思い起こし、励ましをいただきましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。神の民を迫害する者は、逆にあなたの怒りをその身に受けるようになります。いつも私をお守りくださり、感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=PVaPihYMpls" />
         <pubDate>2026-07-22 19:53:32 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書12：1～9</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3990627032</link>
         <description><![CDATA[<p>1 宣告。イスラエルについての【主】のことば。─天を張り、地の基もといを定め、人の霊をその中に造られた方、【主】の御告げ─</p><p>2 見よ。わたしはエルサレムを、その回りのすべての国々の民をよろめかす杯さかずきとする。ユダについてもそうなる。エルサレムの包囲ほういされるときに。</p><p>3 その日、わたしはエルサレムを、すべての国々の民にとって重い石とする。すべてそれをかつぐ者は、ひどく傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来よう。</p><p>4 その日、─【主】の御告げ─わたしは、すべての馬を打って驚かせ、その乗り手を打って狂わせる。しかし、わたしはユダの家の上に目を開き、国々の民のすべての馬を打って盲目にする。</p><p>5 ユダの首長たちは心の中で言おう。エルサレムの住民の力は彼らの神、万軍ばんぐんの【主】にある、と。</p><p>6 その日、わたしは、ユダの首長たちを、たきぎの中にある火鉢のようにし、麦束むぎたばの中にある燃えているたいまつのようにする。彼らは右も左も、回りのすべての国々の民を焼き尽くす。しかし、エルサレムは、エルサレムのもとの所にそのまま残る。</p><p>7 【主】は初めに、ユダの天幕を救われる。それは、ダビデの家の栄えと、エルサレムの住民の栄えとが、ユダ以上に大きくならないためである。</p><p>8 その日、【主】は、エルサレムの住民をかばわれる。その日、彼らのうちのよろめき倒れた者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになり、彼らの先頭に立つ【主】の使いのようになる。</p><p>9 その日、わたしは、エルサレムに攻めて来るすべての国々を捜して滅ぼそう。</p><p><br/></p><p><strong>ハルマゲドンの戦い（2）</strong></p><p><strong>ハルマゲドンの戦い</strong></p><p>ハルマゲドンの戦いの2回目です。「その日、─【主】の御告げ─わたしは、すべての馬を打って驚かせ、その乗り手を打って狂わせる。しかし、わたしはユダの家の上に目を開き、国々の民のすべての馬を打って盲目にする」（4 節）。（1）「その日」とは、ハルマゲドンの戦いの日です。（2）神は敵に対して、3つのことを行われます。「馬を打って驚かせ」、「乗り手を打って狂わせ」、「すべての馬を打って盲目にする」。不信仰なイスラエルに対する裁き（申28：28）と同じ裁きが、イスラエルの敵に下ります。（3）【主】は、「わたしはユダの家の上に目を開き」と言われます。これは、ユダの家の上に神の守りがあるということです。<br>「ユダの首長たちは心の中で言おう。エルサレムの住民の力は彼らの神、万軍の【主】にある、と」（5節）。（1）ここではエルサレムの住民と、ユダの住民とが区別されています。ユダの住民たちは、エルサレムの住民たちの勇敢な戦いから励ましを得ます。（2）エルサレムの住民たちが勝利している理由は、万軍の【主】から力を得ているからです。そこから励ましを受けたユダの住民たちは、奮い立ちます。彼らは、「たきぎの中にある火鉢」、「麦束の中にある燃えているたいまつ」のようになり、周りの敵を焼き尽くします。（3）敵は破壊されますが、エルサレムは安泰あんたいです。「しかし、エルサレムは、エルサレムのもとの所にそのまま残る」（6 節）</p><p><br/></p><p><strong>初めにユダの天幕</strong></p><p>「【主】は初めに、ユダの天幕を救われる、ダビデの家の栄えと、エルサレムの住民の栄えとが、ユダ以上に大きくならないためである」（7節）。この節は難解です。（1）「ダビデの家」とは、支配者階級を指しているのでしょう。つまり、ユダの住民とエルサレムの住民（支配者階級を含む）が対比され、【主】が初めに救うのはユダの住民だというのです。（2）「ユダの天幕」という言葉は、ユダの住民たちが避難所にあって天幕生活をしていることを示しています。その避難の地は、「ボツラ」（今のぺトラ）です（イザ34：6、63：1参照）。（3）ハルマゲドンの戦いの順番は次のようになります。再臨のメシアは先ずボツラで勝利され、次にエルサレムの住民を守られます。その結果、エルサレムの住民たちは立ち上がり、勝利します。神は敵の策略をもご自身の栄光のために用いることのできるお方です。その神を信頼しましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天地創造の神よ。あなたのご計画は完全であり、信頼に足るものです。きょうもあなただけを信じて歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=Z5HEkqrG-qc" />
         <pubDate>2026-07-23 18:51:09 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3990627032</guid>
      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書12：10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3991379169</link>
         <description><![CDATA[<p>10 わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願あいがんの霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰あおぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子ういごを失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの民の救い</strong></p><p><strong>恵みと哀願の霊</strong></p><p>10節は非常に重要な聖句です。「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く」とあります。（1）ハルマゲドンの戦いの終わりに、神は聖霊をイスラエルの民の上に注がれます。聖霊は、「恵みと哀願の霊」と呼ばれています。新共同訳は「憐れみと祈りの霊」と訳しています。同じ意味です。（2）聖霊は、イスラエルの民に救いをもたらす役割を果たしますので、「恵みの霊（憐みの霊）」と呼ばれます。（3）さらに、聖霊はイスラエルの民に哀願の思い（祈りの思い）を与えるので、「哀願の霊（祈りの霊）」とされます。<br>聖霊の傾注けいちゅうによって、イスラエルの民は霊的変化を経験します。彼らは、「自分たちが突き刺した者」を仰ぎ見ます。「わたしを仰ぎ見、」とありますので、話し手がキリストだということが分かります。キリストは槍やりで突き刺されました。ヨハネがそれを記録しています。「しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た」（ヨハ19：34）。「この事が起こったのは、『彼の骨は一つも砕かれない』という聖書のことばが成就するためであった。また聖書の別のところには、『彼らは自分たちが突き刺した方を見る』と言われているからである」（ヨハ19：36 ～37）<br>キリストこそイスラエルの救い主であることを理解したイスラエルの民は、キリストに、自分たちのところに戻ってくださるようにと哀願します（切せつに祈ります）。これがイスラエルの民の民族的回心の様子です。</p><p><br/></p><p><strong>激しい嘆き</strong></p><p>メシアを拒否し続けたことがいかに重大な罪であったかを理解したイスラエルの民は、激しく泣きます。その嘆きの様子は、「ひとり子を失って嘆くように、…その者のために激しく泣く」というものです。しかし、この嘆きは無駄に終わるものではありません。なぜなら、イスラエルの民の回心は、メシアの再臨、千年王国の成就へとつながっていくからです。イスラエルの民の回心を預言した聖句としては、以下のようなものがあります。イザ32：13 ～ 20、44：3～ 5、ヨエ2：28 ～32、使徒2：16 ～21。イスラエルの救いは再臨の条件です。異邦人伝道とユダヤ人伝道の両方のために祈り、労する人は幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。私のような者にも信じる心を与えてくださり感謝します。ひとりでも多くの人たちが信仰に導かれますように。特に、イスラエルの民を顧みてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=DVHxJJyDT8A" />
         <pubDate>2026-07-24 18:57:57 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書12：11～13：1
</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3991760932</link>
         <description><![CDATA[<p>11 その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダデ・リモンのための嘆きのように大きいであろう。</p><p>12 この地はあの氏族もこの氏族もひとり嘆く。ダビデの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。ナタンの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。</p><p>13 レビの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。シムイの氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。</p><p>14 残りのすべての氏族はあの氏族もこの氏族もひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。</p><p>＜ 13&nbsp;章＞</p><p>1 その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの救い</strong></p><p><strong>嘆き</strong></p><p>「その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダデ・リモンのための嘆きのように大きいであろう」（11節）。（1）「その日」（ハルマゲドンの戦いの日）、エルサレムでの嘆きは頂点に達します（10節参照）。（2）「メギドの平地のハダデ・リモンのための嘆き」とあるのは、メギド近郊で戦死した善王ヨシヤの死を悼いたむ嘆きのことです（2歴35：22～25）。<br>「この地はあの氏族もこの氏族もひとり嘆く。ダビデの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。ナタンの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。…」（12～14 節）。（1）各氏族の名が列挙されています。ダビデの家の氏族は、その氏族だけで嘆き、その妻たちは、妻たちだけで嘆きます。ナタンの家も同じです。ナタンの家は王家で最小の家です。それが特筆されている理由は、悔い改めが王家の上から下まで及ぶことを示すためです（2 サム5：14、ルカ3：31 参照）。（2）次に、レビの家の氏族は、その氏族だけで嘆き、その妻たちは妻たちだけで嘆きます。シムイの氏族も同じです。シムイは、レビの子ゲルションの子（民3：17～ 18、21）で、祭司の家系では最小の氏族です。ここでも、悔い改めが祭司の上から下まで及ぶことが示されています。（3）王家と祭司以外の残りの氏族とその妻たちも、同じようにして嘆きます。聖霊の傾注によって、このような国家的な悔い改めが起こるのです。</p><p><br/></p><p><strong>一つの泉</strong></p><p>「その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる」（1節）。（1）旧約聖書では、泉の水は儀式的な清めのために用いられました。「一つの泉が開かれる」という言葉は、聖霊の傾注を表しています。（2）聖霊はイスラエルの民に2つの祝福をもたらします。「罪」のきよめとは、「義認」のことです。「汚れ」のきよめとは、「聖化」のことです。義認も聖化も、聖霊の働きです。<br>イスラエルの民の救いは、新しい契約（エレ31：34）の故ゆえでもあります。「彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。─【主】の御告げ─わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」（エレ31：33）。私たち異邦人もまた、その契約に招かれました。すでに義認と聖化の恵みを受けていることを神に感謝しようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたがイスラエルの民と結ばれた契約に、私も招かれたことを感謝します。聖霊によって、私を聖化への道に導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。<br>アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-07-25 20:49:40 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書13：2～6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3992094210</link>
         <description><![CDATA[<p>2 その日、─万軍の【主】の御告げ─わたしは、偶像の名をこの国から断ち滅ぼす。その名はもう覚えられない。わたしはまた、その預言者たちと汚れの霊をこの国から除く。</p><p>3 なお預言する者があれば、彼を生んだ父と母とが彼に向かって言うであろう。「あなたは生きていてはならない。【主】の名を使ってうそを告げたから」と。彼を生んだ父と母が、彼の預言しているときに、彼を刺し殺そう。</p><p>4 その日、その預言者たちはみな、預言するときに見るその幻で恥はじを見よう。彼らはもう人を欺あざむくための毛衣けごろもを着なくなる。</p><p>5 また、彼は、「私は預言者ではない。私は土地を耕たがやす者だ。若い時から土地を持っている」と言う。</p><p>6 だれかが彼に、「あなたの両腕の間にあるこの打ち傷は何か」と聞くなら、彼は、「私の愛人の家で打たれた傷です」と言おう。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの地の清め</strong></p><p><strong>汚れの追放</strong></p><p>「その日、─万軍の【主】の御告げ─わたしは、偶像の名をこの国から断ち滅ぼす。その名はもう覚えられない。わたしはまた、その預言者たちと汚れの霊をこの国から除く」（2節）。「その日」（ハルマゲドンの戦いの時）、イスラエルの民の清め（1節）に続いて、イスラエルの地が清められます。（1）偶像が徹底的に取り除かれます。その結果、偶像の存在だけでなく、その影響力や名声も、完全に忘れ去られます。（2）次に偽預言者たちの追放が起こります。（3）さらに、悪霊どもが追放されます。「汚れの霊」とあるのは、悪霊のことです。</p><p><br/></p><p><strong>偽預言者たちの追放</strong></p><p>続いて、偽預言者たちに焦点が合わされます（3 ～6節）。「なお預言する者があれば、彼を生んだ父と母とが彼に向かって言うであろう。『あなたは生きていてはならない。【主】の名を使ってうそを告げたから』と。彼を生んだ父と母が、彼の預言しているときに、彼を刺し殺そう」（3節）。偽預言者は両親によって殺され、取り除かれます。これは、モーセの律法が命じていた内容でもあります（申13：6 ～10）。「その日、その預言者たちはみな、預言するときに見るその幻で恥を見よう。彼らはもう人を欺くための毛衣を着なくなる。また、彼は、『私は預言者ではない。私は土地を耕す者だ。若い時から土地を持っている』と言う」（4～ 5節）。預言した内容がひとつでも成就しないなら、その者は偽預言者です（申18：20 ～ 22）。そういう厳しい基準で追及されることを恐れた偽預言者たちは、自らの素性を隠すために、それまで着ていた預言者の毛衣を着なくなります。毛衣は、いわば預言者に独特な外套がいとうです（エリヤが来ていたような外套。1列19：13、2列1：8、2：8参照）。また彼らは、死刑を避けるために、自分が預言者であることを否定し、若い時からの農夫であると言い逃れをします。「だれかが彼に、『あなたの両腕の間にあるこの打ち傷は何か』と聞くなら、彼は、『私の愛人の家で打たれた傷です』と言おう」（6節）。この質問をしている者は、偽預言者の腕についた傷は、偶像礼拝の際に自ら傷つけたものだと推察しています。しかし、偽預言者は、友人（愛人）の家で負った傷だと偽証します。<br>心の清めの後に、地の清めが続いていることに注目しましょう。悔い改めは具体的な実を結ぶ必要があります。学んだ真理を実行に移す努力をしようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。どうか、悔い改めにふさわしい実を結ぶことができますように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=i0WF9uL2Zsg" />
         <pubDate>2026-07-26 19:48:56 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書13：7～9</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3992857609</link>
         <description><![CDATA[<p>7 剣よ。目をさましてわたしの牧者を攻め、わたしの仲間の者を攻めよ。─万軍の【主】の御告げ─牧者を打ち殺せ。そうすれば、羊は散って行き、わたしは、この手を子どもたちに向ける。</p><p>8 全地はこうなる。─【主】の御告げ─その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。</p><p>9 わたしは、その三分の一を火の中に入れ、銀を練るように彼らを練り、金をためすように彼らをためす。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは「これはわたしの民」と言い、彼らは「【主】は私の神」と言う。</p><p><br/></p><p><strong>メシアとイスラエルの関係</strong></p><p><strong>11章の良き牧者のモチーフ</strong></p><p>きょうの箇所は、メシアとイスラエルの関係を要約した詩になっています。11：4 ～ 14で書かれていた「良き牧者」のモチーフの再述です。「剣よ。目をさましてわたしの牧者を攻め、わたしの仲間の者を攻めよ。──万軍の【主】の御告げ──牧者を打ち殺せ。そうすれば、羊は散って行き、わたしは、この手を子どもたちに向ける」（7節）。（1）「剣よ。目をさましてわたしの牧者を攻め、」。「剣よ」は、暴力的死の手段の擬人化です。死ぬということは、メシアが人性を持っていることを示しています。（2）「わたしの仲間の者を攻めよ」。「仲間の者」とは、「私の同僚」「私と同じ地位にある者」を意味します。つまり、父なる神とメシアが同等の地位にあるという意味です。この言葉は、メシアの神性を示しています。メシアは、神性と人性をともに持ったお方です。（3）「牧者を打ち殺せ。そうすれば、羊は散って行き、わたしは、この手を子どもたちに向ける」。牧者（メシア）の死は紀元30年に起こりました。羊が散らされる出来事は、紀元70年に起こりました。エルサレムは崩壊し、イスラエルの民は世界に離散する民となりました。この悲劇は、罪のない人たち（子どもたち）をも襲いました。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの民の救い</strong></p><p>「全地はこうなる。──【主】の御告げ──その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る」（8節）。この聖句は、大患難時代を預言しています。その日には、イスラエル人の3分の2が殺されます。残った3分の1が、救いに与る人々です（マタ24：15 ～ 18、黙12：6 ～ 17参照）。「わたしは、その三分の一を火の中に入れ、銀を練るように彼らを練り、金をためすように彼らをためす。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民』と言い、彼らは『【主】は私の神」と言う』」（9 節）。（1）大患難時代において、イスラエルは、① 火の中に入れられ、② 銀を練るように練られ、③ 金をためすようにためされます。（2）その結果、彼らはメシアに対する信仰を告白するようになります。① 彼らはメシアの名を呼び、② メシアは「これはわたしの民」と言い、③ 民は「【主】は私の神」と言うようになります。<br>神の計画は完璧であり、神の約束は必ず成就します。歴史を支配しておられる神に信頼を置きながら、きょうもこの世に出て行こうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたは歴史を支配するほど大きなお方です。と同時に、私の人生の細部に至るまで目を注いでくださるお方です。きょうもあなただけに信頼を置きます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-07-27 19:26:08 UTC</pubDate>
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         <title>ゼカリヤ書14：1～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3993580999</link>
         <description><![CDATA[<p>1 見よ。【主】の日が来る。その日、あなたから分捕ぶんどった物が、あなたの中で分けられる。</p><p>2 わたしは、すべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。町は取られ、家々は略奪され、婦女は犯される。町の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は町から断ち滅ぼされない。</p><p>3 【主】が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。</p><p>4 その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。</p><p>5 山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたは、わたしの山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、【主】が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る。</p><p><br/></p><p><strong>ハルマゲドンの戦い（1）</strong></p><p><strong>エルサレムの包囲</strong></p><p>ハルマゲドンの戦いは、12章で取り上げられていました。ここでは再度、ハルマゲドンの戦いに関する預言が語られます。すでに述べたことのくり返しもあれば、新しい情報もあります。「見よ。【主】の日が来る。その日、あなたから分捕った物が、あなたの中で分けられる」（1節）。大患難時代の終わりに起こる戦いが、ハルマゲドンの戦いです。「あなた」というのは、エルサレムのことです。その日、エルサレムは包囲され、略奪され、その場で略奪物が分配されます。<br>「わたしは、すべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。町は取られ、家々は略奪され、婦女は犯される。町の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は町から断ち滅ぼされない」（2節）。この節の内容は、12：2 ～ 3の預言の再記述です。ハルマゲドンの戦いでは、すべての異邦人国家がユダの地とエルサレムに向かって攻め上ります。その結果、① 町は征服され、② 家々は略奪され、③ 婦女は犯され、④ 町の人口の半分は捕囚となって出て行きます。⑤ しかし、残りの半分はそこに留まります。</p><p><br/></p><p><strong>メシアの再臨</strong></p><p>「【主】が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる」（3節）。この聖句は、メシアの再臨を預言しています。再臨のメシアは、エルサレムを救う前にユダの天幕を救われます。すでに見たように、12：7にはこうありました。「【主】は初めに、ユダの天幕を救われる、ダビデの家の栄えと、エルサレムの住民の栄えとが、ユダ以上に大きくならないためである」。（1）【主】が初めに救うのはユダの住民です。「ユダの天幕」という言葉は、ユダの住民たちが避難所にあって天幕生活をしていることを示しています。その避難の地は、「ボツラ」（今のペトラ）です（イザ34：6、63：1参照）。（2）再臨のメシアは、まずボツラで異邦人の国々を滅ぼし、次にエルサレムの住民のために戦われます。これがハルマゲドンの戦いの終盤戦の順序です。（3）メシアがオリーブ山の頂上に立たれた時、大地震が起こり、地形が激変します。その様子を預言したのが、次回取り上げる4 ～5 節です。<br>メシアの再臨とメシア的王国の設立は、ユダヤ人にとっても異邦人にとっても、大いなる希望です。その希望を抱き続けることが、日々の歩みの力となります。再臨信仰が与えられていることを、神に感謝しようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。地上の不公平や不条理は、メシアの再臨の時にすべて正されます。人生の清算の時が来ることを、きょうも覚えさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=i8nQI1Yme04" />
         <pubDate>2026-07-28 19:08:56 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書14：1～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3994368020</link>
         <description><![CDATA[<p>1 見よ。【主】の日が来る。その日、あなたから分捕った物が、あなたの中で分けられる。</p><p>2 わたしは、すべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。町は取られ、家々は略奪され、婦女は犯される。町の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は町から断ち滅ぼされない。</p><p>3 【主】が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。</p><p>4 その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。</p><p>5 山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたは、わたしの山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、【主】が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る。</p><p><br/></p><p><strong>ハルマゲドンの戦い（2）</strong></p><p><strong>オリーブ山の上に</strong></p><p>この箇所の2回目の学びです。「その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る」（4 節）。この節は、メシア再臨の時に地形が激変することを預言しています。（1）前回確認したように、再臨のメシアはまずボツラ（今のペトラ）に、次にエルサレムに来られます。（2）この時、使徒1：11の預言が成就します。「…あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります」。（3）オリーブ山は、エルサレムの東側にあって南北に延びる小山脈です。その小山脈が、大地震によって南北に割け、中央に、東西に延びる非常に大きな谷ができます。地殻変動が起こるのはエルサレム近辺だけでなく、全地に渡ります。</p><p><br/></p><p><strong>すべての聖徒たちもともに</strong></p><p>「山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたは、わたしの山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、【主】が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る」（5 節）。（1）「山々の谷」とは、大地震によって新しくできた谷です。オリーブ山が2つに割けたので、「山々」という言葉になっています。（2）生き残った人々は、大地震を避けるために、その大きな谷に逃げ込みます。「アツァル」という場所がどこなのかは不明ですが、おそらくヨルダン川の岸辺付近でしょう。（3）神の民の逃避の様子が、ユダの王ウジヤの時に、人々が地震を避けて逃げたという出来事にたとえられています（アモ1：1参照）。（4）【主】の再臨の時、すべての聖徒たちがともに地上に戻って来ます。「聖徒」と訳された言葉は「聖なる者」ですから、天使とも、聖徒とも解釈できます。おそらくその両方を含んでいるのでしょう。天使の帰還に関しては、マタイ16：27、25：31に預言されています。教会時代の聖徒の帰還に関しては、ユダ14 が預言しています。「見よ。主は千万の聖徒を引き連れて来られる」<br>メシアの再臨の後、私たちは今の生活からは想像すらできないような素晴らしい王国に住むようになります。私たちは、いかなる時にも希望を失うことがありません。このことを神に感謝しようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。私は今、揺らぐことのない希望の上に立たされています。メシアの再臨は確実に成就します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=oj_4PXji0fo" />
         <pubDate>2026-07-29 21:32:14 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書14：6～11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3995174991</link>
         <description><![CDATA[<p>6 その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。</p><p>7 これはただ一つの日であって、これは【主】に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある。</p><p>8 その日には、エルサレムから湧き水が流れ出て、その半分は東の海に、他の半分は西の海に流れ、夏にも冬にも、それは流れる。</p><p>9 【主】は地のすべての王となられる。その日には、【主】はただひとり、御名もただ一つとなる。</p><p>10 全土はゲバからエルサレムの南リモンまで、アラバのように変わる。エルサレムは高められ、もとの所にあって、ベニヤミンの門から第一の門まで、隅の門まで、またハナヌエルのやぐらから王の酒ぶねのところまで、そのまま残る。</p><p>11 そこには人々が住み、もはや絶滅されることはなく、エルサレムは安らかに住む。</p><p><br/></p><p><strong>再臨の結果（1）</strong></p><p><strong>変化 ①：光源の変化</strong></p><p>メシアの再臨によって、5つの変化が起こります。これらの変化は、千年王国（メシア的王国）の状態を理解するためのヒントとなります。きょうは、最初の2つの変化について見てみましょう。最初の変化は、光源の変化です。<br>「その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。これはただ一つの日であって、これは【主】に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある」（6 ～ 7節）。（1）「その日」とは、メシア再臨の日です。（2）千年王国においては、光源に変化が起こります。人々は、太陽や月の光の下で生きるのではなく、新しい光に照らされて生きるようになります。この光源の変化は、宇宙的大変動の結果起こることです。（3）「これはただ一つの日」、「昼も夜もない」、「光がある」、などの言葉から、千年王国は「千年間続く継続した一日」であることが分かります。今の私たちには想像もできないことですが、この日は「【主】に知られている」のです。</p><p><br/></p><p><strong>変化 ②：千年王国の川</strong></p><p>次の変化は、千年王国の川が流れることです。「その日には、エルサレムから湧き水が流れ出て、その半分は東の海に、他の半分は西の海に流れ、夏にも冬にも、それは流れる」（8節）。（1）「エルサレムから湧き水が流れ出て、」とありますが、より具体的には、神殿の敷居しきいの下から水が流れ出ます。（2）この水はやがて大河となり、半分は東の海（死海）に、他の半分は西の海（地中海）に流れ込みます。死海の水は癒いやされ、そこが最良の漁場となります。（3）これと同じことが、ヨエル3：18に預言されています。「その日、山々には甘いぶどう酒がしたたり、丘々には乳が流れ、ユダのすべての谷川には水が流れ、【主】の宮から泉がわきいで、シティムの渓流を潤す」。エゼキエル47：1～12にも同じ預言があります。「…水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、宮の右側の下から流れていた。…漁師たちはそのほとりに住みつき、エン・ゲディからエン・エグライムまで網を引く場所となる。そこの魚は大海の魚のように種類も数も非常に多くなる。…」<br>これらの預言の言葉は、文字どおり（字義どおり）に受け取らなければなりません。今の私たちには理解できないことかもしれませんが、メシアの再臨の後に実現する千年王国は、このようなものです。なんという幸い、なんという恵みでしょうか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。あなたにとって不可能なことはありません。私は、あなたが約束されたことをすべて信じます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=ayu6215e9FM" />
         <pubDate>2026-07-30 19:01:10 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書14：6～11</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3995847680</link>
         <description><![CDATA[<p>6 その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。</p><p>7 これはただ一つの日であって、これは【主】に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある。</p><p>8 その日には、エルサレムから湧き水が流れ出て、その半分は東の海に、他の半分は西の海に流れ、夏にも冬にも、それは流れる。</p><p>9 【主】は地のすべての王となられる。その日には、【主】はただひとり、御名もただ一つとなる。</p><p>10 全土はゲバからエルサレムの南リモンまで、アラバのように変わる。エルサレムは高められ、もとの所にあって、ベニヤミンの門から第一の門まで、隅の門まで、またハナヌエルのやぐらから王の酒ぶねのところまで、そのまま残る。</p><p>11 そこには人々が住み、もはや絶滅されることはなく、エルサレムは安らかに住む。</p><p><br/></p><p><strong>再臨の結果（2）</strong></p><p><strong>変化③：【主】はただひとり</strong></p><p>メシアの再臨によって、5つの変化が起こります。これらの変化は、千年王国（メシア的王国）の状態を理解するためのヒントとなります。きょうは、③～⑤の変化について見てみましょう。第3の変化は、【主】だけが神として礼拝されるということです。「【主】は地のすべての王となられる。その日には、【主】はただひとり、御名もただ一つとなる」（9節）。千年王国においては、一切の偶像が取り除かれ、偶像礼拝が消滅します。そして、「【主】は地のすべての王となられる」という預言が成就します。まことに、私たちが礼拝する神はただひとりとなります。</p><p><strong>変化④：地形の激変</strong></p><p>第4の変化は、地形の激変です。「全土はゲバからエルサレムの南リモンまで、アラバのように変わる。エルサレムは高められ、もとの所にあって、ベニヤミンの門から第一の門まで、隅の門まで、またハナヌエルのやぐらから王の酒ぶねのところまで、そのまま残る」（10節）。（1）エルサレム周辺の地形は山地ですが、それが激変します。ゲバはエルサレムの北約10キロ、リモンはエルサレムの南西約56キロに位置します。ゲバからリモンへは、山地が下って行く地形です。（2）それが、「アラバのように変わる」のです。アラバとは、死海からアカバ湾の北までの地域で「平地」です。つまり、山地が平地に変わるということです。（3）「エルサレムは高められ」。エルサレム周辺の土地は平らにされ、エルサレム自体は引き上げられるのです（イザ2：2、ミカ4：1～2、エゼ40：1～2参照）。こうして、エルサレムが地理的にも霊的にも、世界で高められます。「ベニヤミンの門」、「第一の門」、「隅の門」、「ハナヌエルのやぐら」、「王の酒ぶね」などが具体的にどの部分を指しているかは分かりませんが、これらはエルサレムの町の広がりを示した言葉です。</p><p><strong>変化⑤：エルサレムの平安</strong></p><p>第5の変化は、エルサレムの平安です。「そこには人々が住み、もはや絶滅されることはなく、エルサレムは安らかに住む」（11節）。神の怒りは取り去られ、人々が平安に住まうようになります。幾多の紛争を経験してきたエルサレムにとっては、画期的なことが起こるのです。私たちが向かおうとしている地は、この千年王国です。さらにその先に、新天新地が待っています（その預言は黙示録で語られる）。それゆえ、きょうも希望を持ってこの世に出て行こうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。千年王国は、私の想像をはるかに超えた素晴らしい世界です。そこに私をお招きくださり感謝します。きょうも光の子として歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-07-31 20:46:17 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書14：12～15</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3996291508</link>
         <description><![CDATA[<p>12 【主】は、エルサレムを攻めに来るすべての国々の民にこの災害を加えられる。彼らの肉をまだ足で立っているうちに腐くさらせる。彼らの目はまぶたの中で腐り、彼らの舌は口の中で腐る。</p><p>13 その日、【主】は、彼らの間に大恐慌だいきょうこうを起こさせる。彼らは互いに手でつかみ合い、互いになぐりかかる。</p><p>14 ユダもエルサレムに戦いをしかけ、回りのすべての国々の財宝は、金きん、銀、衣服など非常に多く集められる。</p><p>15 馬、騾馬らば、らくだ、ろば、彼らの宿営にいるすべての家畜のこうむる災害は、先さきの災害と同じである。</p><p><br/></p><p><strong>敵の破滅</strong></p><p><strong>イスラエルの敵に対する罰</strong></p><p>この箇所でも、ハルマゲドンの戦いの描写びょうしゃが続きます。1～3節では、エルサレムに攻め上る諸国の軍勢ぐんぜいの様子が描写されていました。これは反キリストの軍勢です。彼らはエルサレムを略奪りゃくだつします。しかし、この戦いの最後の段階になって、メシアが再臨さいりんされます。「【主】が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる」（3節）とあったとおりです。きょうの箇所では、イスラエルに敵対する諸国の軍勢が、どのようにして滅ぼされるかが預言されています。その内容は実に詳細です。神は、イスラエルに敵対する者の運命がどうなるか、私たちにはっきりと理解させようとしておられます。</p><p><br/></p><p><strong>4つの方法</strong></p><p>第1の方法は、疫病えきびょうによる「腐れ」です。「【主】は、エルサレムを攻めに来るすべての国々の民にこの災害を加えられる。彼らの肉をまだ足で立っているうちに腐らせる。彼らの目はまぶたの中で腐り、彼らの舌は口の中で腐る」（12節）第2の方法は、「仲間打ち」です。「その日、【主】は、彼らの間に大恐慌を起こさせる。彼らは互いに手でつかみ合い、互いになぐりかかる」（13節）。敵が大恐慌によって自滅していくのは、先例のあることです（士7：22 参照）。<br>第3の方法は、「ユダの人々の参戦」です。「ユダもエルサレムに戦いをしかけ、回りのすべての国々の財宝は、金、銀、衣服など非常に多く集められる」（14節）。ユダの人々は、ボツラに避難していました（12：7参照）。メシアはまずそのボツラに来臨らいりんして勝利を収おさめ、次にオリーブ山に来られます（4節）。その時、ユダの人々はボツラからエルサレムに上り、エルサレム防衛の戦いに参戦します。その結果、敵からの分捕ぶんどりものが非常に多く集められます。これは、1節の内容（敵が分捕りものを集める）の逆転です。<br>第4の方法は、「疫病」です。「馬、騾馬、らくだ、ろば、彼らの宿営にいるすべての家畜のこうむる災害は、先の災害と同じである」（15節）。荷役にやく用の家畜にも「疫病」という災害（12節と同じ）が下ります。これによって、敵は移動手段を失います。<br>「あなた（アブラハムのこと）を祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」（創12：3）。この約束は今も有効です。イスラエルの守りと救いのために祈る人は、幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたは、ご自身の民を守り、救いに導かれる神です。私もその祝福の中に加えられていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=D2rS57jMfc8" />
         <pubDate>2026-08-01 21:15:23 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>ゼカリヤ書14：16～19</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3996752964</link>
         <description><![CDATA[<p>16 エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年まいねん、万軍ばんぐんの【主】である王を礼拝し、仮庵かりいおの祭りを祝うために上って来る。</p><p>17 地上の諸氏族のうち、万軍の【主】である王を礼拝しにエルサレムへ上って来ない氏族の上には、雨が降らない。</p><p>18 もし、エジプトの氏族が上って来ないなら、雨は彼らの上に降らず、仮庵の祭りを祝いに上って来ない諸国の民を【主】が打つその災害が彼らに下る。</p><p>19 これが、エジプトへの刑罰となり、仮庵の祭りを祝いに上って来ないすべての国々への刑罰となる。</p><p><br/></p><p><strong>仮庵の祭り</strong></p><p><strong>エルサレム上り</strong></p><p>きょうの箇所では、メシア的王国（千年王国）の状態が預言されます。「エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の【主】である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る」（16節）。（1）「生き残った者」とは、大患難だいかんなん時代を生き延びた異邦人信者のことで、彼らは、マタイ25：31～41に出てくる「羊の異邦人」でもあります。（2）その彼らが、毎年エルサレムに上ってきます。目的は2つあります。1つは、「万軍の【主】である王を礼拝」するためです（イザ2：2～4、エゼ40～48章参照）。（3）もう1つの目的は、「仮庵の祭りを祝うため」です。仮庵の祭りは、秋の収穫祭（レビ23：34～43）ですが、同時に、メシア的王国を預言した祭りでもあります。従って、メシア的王国において、神の民が仮庵の祭りを祝うのは当然のことです。</p><p><br/></p><p><strong>違反した者への罰</strong></p><p>「地上の諸氏族のうち、万軍の【主】である王を礼拝しにエルサレムへ上って来ない氏族の上には、雨が降らない」（17節）。（1）年に一度、エルサレムに上ることは、すべての民の義務となります。全員がエルサレムに上ることは不可能ですので、これは「代表団」を派遣するということです。（2）もしこの命令に背そむくなら、その民の上には一年間雨が降らなくなります。つまり、収穫がないということです。<br>「もし、エジプトの氏族が上って来ないなら、雨は彼らの上に降らず、仮庵の祭りを祝いに上って来ない諸国の民を【主】が打つその災害が彼らに下る。これが、エジプトへの刑罰となり、仮庵の祭りを祝いに上って来ないすべての国々への刑罰となる」（18～19節）。（1）特にエジプトが例として取り上げられています。それは、ある時期になると、エジプトが代表団を派遣しなくなる可能性が考えられるからです。仮庵の祭りは、出エジプトの出来事の結果、与えられた祭りです。これは、エジプトにとっては必ずしも歓迎すべきことではないのです。（2）もしエジプトが代表団の派遣を拒こばむなら、その地を干ばつが襲おそいます。（3）エジプト以外の諸国も、もし代表団を派遣しないなら、エジプトに下ったのと同じ刑罰がその地に下ります。<br>異邦人である私たちも、メシア的王国における仮庵の祭りに招かれています。その日には、王なるイエスを顔と顔を合わせて仰あおぎ見るようになります。この喜びの日を楽しみに、今を生きようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。メシア的王国においては、私たちもまた仮庵の祭りに招かれます。その日を楽しみに、きょうという日を真っ直ぐに生きることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=qwg717hYYNo" />
         <pubDate>2026-08-02 19:08:32 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>ゼカリヤ書14：20～21</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3997848787</link>
         <description><![CDATA[<p>20 その日、馬の鈴すずの上には、「主への聖なるもの」と刻きざまれ、【主】の宮の中のなべは、祭壇さいだんの前の鉢はちのようになる。</p><p>21 エルサレムとユダのすべてのなべは、万軍の【主】への聖なるものとなる。いけにえをささげる者はみな来て、その中から取り、それで煮にるようになる。その日、万軍の【主】の宮にはもう商人がいなくなる。</p><p><br/></p><p><strong>「主への聖なるもの」</strong></p><p><strong>メシア的王国の特徴</strong></p><p>きょうの箇所で、ゼカリヤの預言は終わります。締めくくりにふさわしく、メシア的王国の特徴が「聖きよさ」であることが示されます。「その日、馬の鈴の上には、『主への聖なるもの』と刻まれ、【主】の宮の中のなべは、祭壇の前の鉢のようになる」（20節）。（1）「その日」とは、メシア的王国の時代のことです。（2）「主への聖なるもの」という言葉は、大祭司のターバンに付けられた金の銘板めいばんに刻まれたものです（出28：36～37参照）。（3）その聖別のしるしの言葉が、「馬の鈴の上に」付けられます。つまり、このような日常的なものまでが、聖別されるということです。（4）モーセの律法の規定では、「【主】の宮の中のなべ」は、いけにえを煮るための器であり、「祭壇の前の鉢」は、いけにえの血を入れるための容器です。両者は、その聖さが同一ではありません。しかし、メシア的王国では、両者は同質の聖さを有するものと考えられるようになります。それほどに、聖さが普遍ふへん的な特徴になるのです。<br>「エルサレムとユダのすべてのなべは、万軍の【主】への聖なるものとなる。いけにえをささげる者はみな来て、その中から取り、それで煮るようになる。その日、万軍の【主】の宮にはもう商人がいなくなる」（21節）。（1）神殿の中のなべや鉢だけではなく、エルサレムとユダの家々にあるすべてのなべが、「万軍の【主】への聖なるもの」となります。従って、日常品として使用するなべを【主】への礼拝のために用いても、なんの問題も起こりません。（2）「その日、万軍の【主】の宮にはもう商人がいなくなる」とあります。「商人」と訳された言葉は、「カナン人」とも訳せます。つまり、道徳的、霊的に汚けがれている人が神殿にいなくなるので、神殿が再び汚されることはないという意味です。</p><p><br/></p><p><strong>私たちへの適用</strong></p><p>聖書は、字義どおりに解釈せねばなりません。比ゆ的（象徴的）解釈は、本来の意味を曲げてしまう危険性を孕はらんでいます。メシア的王国は、ゼカリヤが預言したとおりに、地上に成就します。これが字義どおりの解釈から導き出される結論です。終末的出来事を時系列に沿って並べてみると、携挙→大患難時代→ハルマゲドンの戦い→イスラエルの回心→メシアの再臨→千年王国の成就、となります。私たちは、この大いなるシナリオの実現に向かって進んでいます。各人が、そのシナリオの中のひとつの役を任まかされています。そのことを神に感謝しようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたの大いなるご計画の中で、私にも果たすべき役割を与えてくださり、感謝します。きょうもその役割を果たすことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=UIUAh0OvTHs" />
         <pubDate>2026-08-03 19:10:42 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>マラキ書1：1</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3998816265</link>
         <description><![CDATA[<p>1 宣告。マラキを通してイスラエルにあった【主】のことば。</p><p><br/></p><p><strong>イントロダクション</strong></p><p><strong>宣告</strong></p><p>きょうからマラキ書の学びに入ります。この預言書は、イスラエルに与えられた最後の呼びかけです。これ以降、バプテスマのヨハネが登場するまで、イスラエルに預言者は登場しませんでした。それを覚えながら、この書の学びに取り組みましょう。<br>「宣告。マラキを通してイスラエルにあった【主】のことば」（1節）。これがこの預言書のイントロダクションです。「宣告」はヘブル語で「マッサー」で、「重荷」とも訳せる言葉です。預言書でこの言葉が出てきたときは、極めて重い内容、より具体的には神からの警告と裁きが預言されていると考えてよいのです。そこで、1節を直訳すると、こうなります。「マラキの手によってイスラエルに届けられた重い内容の【主】のことば」。最初の節が、この預言書の内容を要約しています。</p><p><br/></p><p><strong>マラキという預言者</strong></p><p>「マラキ」とは、「私の天使」、「私の使者」という意味です。この預言書には、4種類の「【主】の使者」が登場します。① 預言者マラキ自身がそれです（1：1）。② 祭司（祭司職）もまた、「【主】の使い」です（2：7）。③ メシアの先駆者も「わたしの使者」です（3：1a）。これはバプテスマのヨハネのことです。④ 最後に、メシアご自身が「【主】の使者」として来られます（3：1b）。<br>（1）マラキは、捕囚期以降に、ユダヤ（特にエルサレム）で活動した預言者です。「総督そうとく（ペハー）」（1：8）という言葉がヘブル語ではなくペルシヤ語であることから、彼が活動した時代がペルシヤ時代であったこと、また、神殿がすでに建っていますので、第2神殿完成以降の時代であったことが分かります（前515年以降）。（2）彼が取り上げた問題は、ネヘミヤ記で問題とされている内容と合致します。① 祭司の腐敗（1：6～2：9、ネヘ13：4～9、29～30）、② 信仰のない異邦人との雑婚（2：10～11、エズ9：1～2、ネヘ13：1～3、23～27）、③ 社会的弱者への抑圧よくあつ（3：5、ネヘ5：1～5）、④ ささげ物の軽視（3：6～12、ネヘ10：32～39、13：10～14、31）。これらのことから、マラキは政治的指導者であったネヘミヤを励ました預言者であったと考えられます。<br>マラキは、形骸化けいがいかした信仰を糾弾きゅうだんしました。彼のメッセージは、今の時代を生きる私たちにも多くの教訓を与えています。死んだ信仰ではなく、生きた信仰を求めようではありませんか。神はきょうも、様々な方法を通して私たちに語っておられます。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。形骸化した信仰から私を解放し、あなたとの命ある関係に置いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=nTQwkZ1dkis" />
         <pubDate>2026-08-04 19:01:22 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3998816265</guid>
      </item>
      <item>
         <title>マラキ書1：2～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3999809059</link>
         <description><![CDATA[<p>2 「わたしはあなたがたを愛している」と【主】は仰せられる。あなたがたは言う。「どのように、あなたが私たちを愛されたのですか」と。「エサウはヤコブの兄ではなかったか。─【主】の御告げ─わたしはヤコブを愛した。</p><p>3 わたしはエサウを憎み、彼の山を荒れ果てた地とし、彼の継いだ地を荒野のジャッカルのものとした。」</p><p>4 たといエドムが、「私たちは打ち砕くだかれた。だが、廃墟はいきょを建て直そう」と言っても、万軍の【主】はこう仰せられる。「彼らは建てるが、わたしは打ちこわす。彼らは、悪の国と言われ、【主】のとこしえにのろう民と呼ばれる。」</p><p>5 あなたがたの目はこれを見て言おう。「【主】はイスラエルの地境じざかいを越えて偉大な方だ」と。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルに対する神の愛（1）</strong></p><p><strong>対話形式</strong></p><p>マラキは、対話形式でこの預言書を書いています。①【主】が語られる。② それに対して民が疑問を呈する。③ その疑問に、【主】がお答えになる。きょうの箇所もそのような形式で書かれています。<br>（1）【主】が語られる。「わたしはあなたがたを愛している」（2節a）。「愛している」はヘブル語で「アハブ」です。旧約聖書では、この動詞は神の愛に関して32回使用されていますが、そのうち23回までが、イスラエルに対する神の愛を示すものです。つまり、神がいかにイスラエルを愛されたかが示されているのです。この愛は、「契約に基づく愛」です。さらに言えば、この愛は選びの愛です（申4：37、7：7～8、10：15 参照）。<br>（2）それに対して民が疑問を呈ていする。「どのように、あなたが私たちを愛されたのですか」（2節b）。なぜ民はこの疑問を発したのでしょうか。この時点では、神殿再建工事が完成してから数10年が経過していました。しかし、預言者ハガイやゼカリヤが預言していた理想的な「御国みくに」（メシア的王国）は、いまだに成就していませんでした。イスラエルは相変わらず大国ペルシヤの支配のもとにあり、神に対する民の感謝の思いは徐々に冷めていきました。その結果、形式的な礼拝と律法軽視の雰囲気が民の間に蔓延まんえんしていました。<br>（3）民の疑問に、【主】がお答えになる。【主】からの回答は、2節cから5節に書かれています。その内容は、次回取り上げます。</p><p><br/></p><p><strong>マラキ書全体を通して語られる【主】からの回答</strong></p><p>これから先の展開をあらかじめ見ておきます。民の疑問に対して、最終的には3つの回答が与えられます。（1）イスラエルの苦難は、【主】の責任ではなく、彼ら自身の責任である。（2）イスラエルとエドムの違い（差）を見れば、【主】がイスラエルを愛しておられるのが分かる。神の選びはイスラエルの上にある。（3）やがて「【主】の日」（大患難時代）が来ようとしている。その日には、地上の不義や不公平は、すべて清算される。<br>以上の3点は私たちの信仰生活にもそのまま当てはまるものです。現状に不満を感じる時、イエス・キリストにあって示された神の愛を思い出しましょう。すべての不条理は、終わりの日には清算されます。神を恐れながら、日々歩むことを学びましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。「わたしはあなたがたを愛している」という言葉を感謝します。きょうもあなたを恐れながら歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=Otja4ySnDLQ" />
         <pubDate>2026-08-05 20:18:06 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/3999809059</guid>
      </item>
      <item>
         <title>マラキ書1：2～5</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4000711604</link>
         <description><![CDATA[<p>2 「わたしはあなたがたを愛している」と【主】は仰せられる。あなたがたは言う。「どのように、あなたが私たちを愛されたのですか」と。「エサウはヤコブの兄ではなかったか。─【主】の御告げ─わたしはヤコブを愛した。</p><p>3 わたしはエサウを憎み、彼の山を荒れ果てた地とし、彼の継いだ地を荒野のジャッカルのものとした。」</p><p>4 たといエドムが、「私たちは打ち砕かれた。だが、廃墟を建て直そう」と言っても、万軍の【主】はこう仰せられる。「彼らは建てるが、わたしは打ちこわす。彼らは、悪の国と言われ、【主】のとこしえにのろう民と呼ばれる。」</p><p>5 あなたがたの目はこれを見て言おう。「【主】はイスラエルの地境を越えて偉大な方だ」と。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルに対する神の愛（2）</strong></p><p><strong>【主】からの回答</strong></p><p>この預言書は、対話形式で書かれています。（1）【主】が語られる。「わたしはあなたがたを愛している」（2節a）。（2）それに対して民が疑問を呈する。「どのように、あなたが私たちを愛されたのですか」（2節b）。（3）民の疑問に、【主】がお答えになる（2c～5節）。<br>「エサウはヤコブの兄ではなかったか。─【主】の御告げ─わたしはヤコブを愛した。わたしはエサウを憎み、彼の山を荒れ果てた地とし、彼の継いだ地を荒野のジャッカルのものとした」（2c～3節）。（1）神は、ヤコブとエサウを比較しておられます。ヤコブとエサウは双子ふたごの兄弟でしたが、長子ちょうしの権利を継承けいしょうしたのは、ヤコブでした。（2）パウロは、ローマ9：13でこの聖句を引用しています。それは、神の主権による選びを示すためです。ヤコブは、神の主権によって選ばれました。（3）「愛した」と「憎む」という2つの動詞は、ヘブル的に解釈する必要があります。それは、選びを示す言葉であって、感情的に愛したり、憎んだりすることではありません。創世記29：30～31では、ヤコブがラケルを愛し、レアをきらったと言われています。これもまた、ヤコブがレアよりもラケルを優先させたということです。（4）「彼の山」とは、エドムの地のことです。そこは、「荒れ果てた地」、「荒野のジャッカル」が住む地となっています。</p><p><strong>【主】は偉大な方</strong></p><p>「たといエドムが、『私たちは打ち砕かれた。だが、廃墟を建て直そう』と言っても、万軍の【主】はこう仰せられる。『彼らは建てるが、わたしは打ちこわす。彼らは、悪の国と言われ、【主】のとこしえにのろう民と呼ばれる』」（4節）。イスラエルと同じように、エドムもまたバビロンによって滅ぼされました。彼らは、自分たちの国を再建する意欲に燃えましたが、廃墟から立ち直ることはありませんでした。祖国を再建したイスラエルとは、対照的です。その事実の中に、イスラエルに対する神の愛が示されています。<br>「あなたがたの目はこれを見て言おう。『【主】はイスラエルの地境を越えて偉大な方だ』と」（5節）。イスラエルとエドムの歴史を対比させる目があるなら、イスラエルの民は、神の愛と栄光をたたえるはずです。イスラエルの神は、国境を越えて働かれるお方、全世界であがめられるお方です。私たちも、この国にあって【主】の御名を大いにたたえようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたは、国境を越えて働かれるお方、全世界であがめられるお方です。この国にあって、あなたの御名を大いにたたえます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
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         <pubDate>2026-08-06 20:38:13 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>マラキ書1：6～7</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4001558194</link>
         <description><![CDATA[<p>6 「子は父を敬うやまい、しもべはその主人を敬う。もし、わたしが父であるなら、どこに、わたしへの尊敬があるのか。もし、わたしが主人であるなら、どこに、わたしへの恐れがあるのか。─万軍の【主】は、あなたがたに仰せられる─わたしの名をさげすむ祭司たち。あなたがたは言う。『どのようにして、私たちがあなたの名をさげすみましたか』と。</p><p>7 あなたがたは、わたしの祭壇の上に汚れたパンをささげて、『どのようにして、私たちがあなたを汚しましたか』と言う。『主の食卓はさげすまれてもよい』とあなたがたは思っている。</p><p><br></p><p><strong>祭司たちの不信実</strong></p><p><strong>父への尊敬</strong></p><p>きょうの箇所も対話形式で書かれています。まず、【主】の言葉が語られます。「子は父を敬い、しもべはその主人を敬う。もし、わたしが父であるなら、どこに、わたしへの尊敬があるのか。もし、わたしが主人であるなら、どこに、わたしへの恐れがあるのか。─万軍の【主】は、あなたがたに仰せられる─わたしの名をさげすむ祭司たち」（6節a）<br>（1）霊的指導者である祭司たちにこそ問題がありました。（2）イスラエルは「神の子」とされていました（出4：22、イザ1：2、63：16、エレ31：9、ホセ11：1など参照）。またイスラエルは、「【主】のしもべ」でもありました（イザ41：8参照）。もしそうであるなら、イスラエルが父であるお方を敬い、主人であるお方を恐れるのは当然のことです。しかし彼らは、逆に神の名をさげすんでいました。（3）祭司たちは、「どのようにして、私たちがあなたの名をさげすみましたか」（6節b）と言い張りました。自みずからの隠れた罪について鈍感どんかんになっていたのです。罪人の特徴は、罪の感覚が麻痺まひしていることです。</p><p><br></p><p><strong>神の糾弾</strong></p><p>「どのようにして、私たちがあなたの名をさげすみましたか」（6節b）という祭司たちの応答に対して、神の糾弾の言葉が語られます。「あなたがたは、わたしの祭壇の上に汚れたパンをささげて、『どのようにして、私たちがあなたを汚しましたか』と言う。『主の食卓はさげすまれてもよい』とあなたがたは思っている」（7節）<br>（1）祭司たちは、祭壇の上に汚れたパンをささげながら、「どのようにして、私たちがあなたを汚しましたか」と質問をしています。（2）「パン」と訳された言葉は、「食物」、「肉」などとも訳せます。これは、祭壇の上にささげる動物のいけにえのことです。（3）「汚れた」とは、儀式的な汚れを指しますが、そういういけにえをささげていたのは、祭司たちの心に問題があったからです。（4）それでも祭司たちは、「どのようにして、私たちがあなたを汚しましたか」と質問しています。なんという厚顔無恥こうがんむちな態度でしょうか。（5）【主】は祭司たちのそういう態度を断罪し、「『主の食卓はさげすまれてもよい』とあなたがたは思っている」（7節b）と言われます。<br>心の中にあるものが行動となって現れます。今私たちも、自らの心の状態を聖霊によって吟味ぎんみしていただきましょう。父であり主人であるお方に喜ばれる生き方を志こころざそうではありませんか。</p><p><br></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。あなたは父であり、主でもあります。心からあなたを敬い、あなたを恐れる者となることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=0WE8wRp51PA" />
         <pubDate>2026-08-07 19:47:08 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>マラキ書1：8～10</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4001977547</link>
         <description><![CDATA[<p>8 あなたがたは、盲目もうもくの獣けものをいけにえにささげるが、それは悪いことではないか。足のなえたものや病気のものをささげるのは、悪いことではないか。さあ、あなたの総督のところにそれを差し出してみよ。彼はあなたをよみし、あなたを受け入れるだろうか。─万軍の【主】は仰せられる─</p><p>9 さあ、今、恵みを受けるために神に願ってみよ。これはあなたがたの手によることだ。神はあなたがたのうちだれかを、受け入れてくださるだろうか。─万軍の【主】は仰せられる─</p><p>10 あなたがたのうちにさえ、あなたがたがわたしの祭壇に、いたずらに火を点てんずることがないように、戸を閉じる人は、だれかいないのか。わたしは、あなたがたを喜ばない。─万軍の【主】は仰せられる─わたしは、あなたがたの手からのささげ物を受け入れない。</p><p><br/></p><p><strong>汚れたささげ物</strong></p><p><strong>問題のあるいけにえ</strong></p><p>6～7節で明らかにされた祭司たちの罪が、より詳細に描写びょうしゃされます。「あなたがたは、盲目の獣をいけにえにささげるが、それは悪いことではないか。足のなえたものや病気のものをささげるのは、悪いことではないか。さあ、あなたの総督のところにそれを差し出してみよ。彼はあなたをよみし、あなたを受け入れるだろうか。─万軍の【主】は仰せられる─」（8節）<br>（1）祭司たちは、モーセの律法が禁じている「問題のあるいけにえ」をささげていました（レビ22：18～25、申15：21 参照）。具体的には、「盲目の獣」、「足のなえたもの」、「病気のもの」などです。（2）【主】は、それは「悪いことではないか」と問われます。もちろん、悪いことです。（3）そのようなものを「総督」に贈ったなら、どういうことになるか。「総督」という言葉は、ペルシヤ語です。つまり、異邦人の支配者です。人間の支配者でも、傷のある贈り物を受け取ることはありません。怒って突き返すことでしょう。（4）では、人間でも受け取らないようなものを、神にささげてよいのでしょうか。この行為の根底にあるのは、神を侮あなどる心です。</p><p><br/></p><p><strong>神の嘆き</strong></p><p>「さあ、今、恵みを受けるために神に願ってみよ。これはあなたがたの手によることだ。神はあなたがたのうちだれかを、受け入れてくださるだろうか。─万軍の【主】は仰せられる─あなたがたのうちにさえ、あなたがたがわたしの祭壇に、いたずらに火を点ずることがないように、戸を閉じる人は、だれかいないのか。わたしは、あなたがたを喜ばない。─万軍の【主】は仰せられる─わたしは、あなたがたの手からのささげ物を受け入れない」（9～10節）<br>（1）「さあ、今、恵みを受けるために神に願ってみよ」とあります。これは悔い改めへの招きです。もし彼らが悔い改めるなら、神の恵みを受けることができます。しかし、問題の原因を作っているのは、彼ら自身です（「あなたがたの手によることだ」）。（2）問題のあるいけにえをささげるよりも、神殿の戸を閉めて、無意味な礼拝を止めるほうがよほどましなのですが、そうする者は誰もいません。（3）【主】は彼らのささげ物を受け取ることを拒否されます（イザ1：11～15 参照）。<br>神を人間のレベル以下で捉えていることはないでしょうか。私たちに関しては、最高かつ最大級の礼拝と感謝を、神にささげようではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。あなたにふさわしい礼拝と感謝を、いつもささげることができますように、私を助けてください。神第一の生活ができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-08-08 20:59:18 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>マラキ書1：11～14</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4002285841</link>
         <description><![CDATA[<p>11 日の出る所から、その沈む所まで、わたしの名は諸国の民の間であがめられ、すべての場所で、わたしの名のために、きよいささげ物がささげられ、香こうがたかれる。わたしの名が諸国の民の間であがめられているからだ。─万軍の【主】は仰せられる─</p><p>12 しかし、あなたがたは、『主の食卓は汚れている。その果実も食物もさげすまれている』と言って、祭壇を冒涜している。</p><p>13 あなたがたはまた、『見よ。なんとうるさいことか』と言って、それを軽蔑けいべつする。─万軍の【主】は仰せられる─あなたがたは、かすめたもの、足のなえたもの、病気のものを連れて来て、ささげ物としてささげている。わたしが、それをあなたがたの手から、喜んで、受け入れるだろうか。─【主】は仰せられる─</p><p>14 群れのうちに雄の獣がいて、これをささげると誓ちかいながら、損傷そんしょうのあるのを主にささげるずるい者は、のろわれる。わたしが大いなる王であり、わたしの名が諸国の民の間で、恐れられているからだ。─万軍の【主】は仰せられる─</p><p><br/></p><p><strong>神の御名の冒涜</strong></p><p><strong>異邦人による礼拝</strong></p><p>前回の箇所では、汚れたささげ物をささげていることのゆえに、イスラエルの民も祭司たちも、糾弾されました。きょうの箇所では、神の御名の冒涜のゆえに、祭司たちが糾弾されます。<br>「日の出る所から、その沈む所まで、わたしの名は諸国の民の間であがめられ、すべての場所で、わたしの名のために、きよいささげ物がささげられ、香がたかれる。わたしの名が諸国の民の間であがめられているからだ」（11節）。（1）これは、将来起こることの預言です。「日の出る所から、その沈む所まで」とは、神の支配の普遍性を示しています（詩50：1、113：3参照）。（2）将来、異邦人たちが【主】を王として礼拝し、その御名をあがめる時が来ます。すでに5節でこのことの預言が出ていました。「あなたがたの目はこれを見て言おう。『【主】はイスラエルの地境を越えて偉大な方だ』と」。（3）このことが起こるのは、メシアの死と復活のメッセージが、全世界に伝えられる時です。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの堕落</strong></p><p>異邦人が将来、【主】をあがめるようになるというのに、イスラエル人たちは、今、主の御名を冒涜しています。（1）「しかし、あなたがたは、『主の食卓は汚れている。その果実も食物もさげすまれている』と言って、祭壇を冒涜している」（12節）。彼らは、自分で汚れた動物をささげながら、祭壇は汚れていると不満を述べています。実に倒錯とうさくした態度です。（2）「あなたがたはまた、『見よ。なんとうるさいことか』と言って、それを軽蔑する」（13節a）。また彼らは、祭儀制度そのものを煩わずらわしく思い、それを軽蔑しています。【主】が恵みの手段として与えてくださった制度を軽蔑するのは、神の御名を軽蔑することと同じです。（3）そのようなささげ物を神が受け取られることはありません。それどころか、汚れたささげ物をささげる者は、のろわれます。その理由は、神が大いなる王だからです。「わたしが大いなる王であり、わたしの名が諸国の民の間で、恐れられているからだ」（14節b）。<br>詩篇10：16に「【主】は世々限りなく王である。国々は、主の地から滅びうせた」とあり、イザヤ33：22に「まことに、【主】は私たちをさばく方、【主】は私たちの立法者、【主】は私たちの王、この方が私たちを救われる」とあります。私たちもまた、形式的礼拝や惰性だせい的信仰から脱却し、真の礼拝をささげる聖徒たちの群れに加わろうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全地の王なる神よ。形式的礼拝や惰性だせい的信仰から、私を救い出してください。あなたが王の王であることを認め、御前にひれ伏します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=_Pd7HK1JBNI" />
         <pubDate>2026-08-09 19:11:53 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>マラキ書2：1～9</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4003347100</link>
         <description><![CDATA[<p>1 祭司たちよ。今、この命令があなたがたに下される。</p><p>2 もし、あなたがたが聞き入れず、もし、わたしの名に栄光を帰することを心に留めないなら、─万軍の【主】は仰せられる─わたしは、あなたがたの中にのろいを送り、あなたがたへの祝福をのろいに変える。もう、それをのろいに変えている。あなたがたが、これを心に留めないからだ。</p><p>3 見よ。わたしは、あなたがたの子孫を責め、あなたがたの顔に糞ふんをまき散らす。あなたがたの祭りの糞を。あなたがたはそれとともに投げ捨てられる。</p><p>4 このとき、あなたがたは、わたしが、レビとのわたしの契約を保つために、あなたがたにこの命令を送ったことを知ろう。─万軍の【主】は仰せられる─</p><p>5 わたしの彼との契約は、いのちと平和であって、わたしは、それらを彼に与えた。それは恐れであったので、彼は、わたしを恐れ、わたしの名の前におののいた。</p><p>6 彼の口には真理の教えがあり、彼のくちびるには不正がなかった。平和と公正のうちに、彼はわたしとともに歩み、多くの者を罪から立ち返らせた。</p><p>7 祭司のくちびるは知識を守り、人々は彼の口から教えを求める。彼は万軍の【主】の使いであるからだ。</p><p>8 しかし、あなたがたは道からはずれ、多くの者を教えによってつまずかせ、レビとの契約をそこなった。─万軍の【主】は仰せられる─</p><p>9 わたしもまた、あなたがたを、すべての民にさげすまれ、軽んじられる者とする。あなたがたがわたしの道を守らず、えこひいきをして教えたからだ。」</p><p><br/></p><p><strong>律法と契約に不真実な祭司たち（1）</strong></p><p><strong>警告のことば</strong></p><p>祭司たちの罪を糾弾する内容が続いています。きょうの箇所では、律法と契約に不真実な祭司たちの姿が描写されています。「祭司たちよ。今、この命令があなたがたに下される」（1節）。「命令」（ヘブル語でミツワー）とは、祭司たちにのろいを送るという神からの「宣告」、「警告」のことです。<br>「もし、あなたがたが聞き入れず、もし、わたしの名に栄光を帰することを心に留めないなら、──万軍の【主】は仰せられる──わたしは、あなたがたの中にのろいを送り、あなたがたへの祝福をのろいに変える。もう、それをのろいに変えている。あなたがたが、これを心に留めないからだ」（2節）。（1）祭司たちは神の御名に栄光を帰すことに無関心でした。つまり、律法と契約を無視していたということです。（2）それゆえ、すでに【主】は彼らにのろいを送っていました。もし彼らが、同じ罪を犯し続けるなら、さらに深刻なのろいが送られます。「のろい」という言葉には定冠詞が付いています。つまり、モーセの律法が警告している正当な「のろい」だということです。この箇所は、ほぼ申命記28：15の引用です。「もし、あなたが、あなたの神、【主】の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに臨のぞみ、あなたはのろわれる」。（3）マラキの時代、自然災害のゆえに収穫が激減したり、民がささげる什一じゅういち献金がないがしろにされたりしていました。当然、祭司が受ける物質的な益は減少していました。これもまた、のろいの具体的な現れです。</p><p><br/></p><p><strong>糞とともに</strong></p><p>「見よ。わたしは、あなたがたの子孫を責め、あなたがたの顔に糞をまき散らす。あなたがたの祭りの糞を。あなたがたはそれとともに投げ捨てられる」（3節）。（1）モーセの律法の規定では、汚物（いけにえの動物の糞）は宿営の外で焼かれ、捨てられるものでした（出29：14 参照）。（2）その糞が、祭司たちの顔にまき散らされ、彼らは糞とともに投げ捨てられます。これが、彼らが受ける「のろい」です。<br>祭司たちは、糞とともに宿営の外に投げ捨てられます。私たちもまた、同じのろいを受けるべき者たちでした。その私たちに代わって、イエスが宿営の外で苦しんでくださいました。その身代わりの死のゆえに、私たちは父なる神との平和を得るようになりました。きょうも主イエスに感謝してこの世に出て行こうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私の罪のために、主イエスが宿営の外で苦しんでくださいました。きょうも、主とともに宿営の外に出て行くことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=ywNdqr0CQaU" />
         <pubDate>2026-08-10 21:07:17 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4003347100</guid>
      </item>
      <item>
         <title>マラキ書2：1～9</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4004474141</link>
         <description><![CDATA[<p>1 祭司たちよ。今、この命令があなたがたに下される。</p><p>2 もし、あなたがたが聞き入れず、もし、わたしの名に栄光を帰することを心に留めないなら、─万軍の【主】は仰せられる─わたしは、あなたがたの中にのろいを送り、あなたがたへの祝福をのろいに変える。もう、それをのろいに変えている。あなたがたが、これを心に留めないからだ。</p><p>3 見よ。わたしは、あなたがたの子孫を責め、あなたがたの顔に糞ふんをまき散らす。あなたがたの祭りの糞を。あなたがたはそれとともに投げ捨てられる。</p><p>4 このとき、あなたがたは、わたしが、レビとのわたしの契約を保つために、あなたがたにこの命令を送ったことを知ろう。─万軍の【主】は仰せられる─</p><p>5 わたしの彼との契約は、いのちと平和であって、わたしは、それらを彼に与えた。それは恐れであったので、彼は、わたしを恐れ、わたしの名の前におののいた。</p><p>6 彼の口には真理の教えがあり、彼のくちびるには不正がなかった。平和と公正のうちに、彼はわたしとともに歩み、多くの者を罪から立ち返らせた。</p><p>7 祭司のくちびるは知識を守り、人々は彼の口から教えを求める。彼は万軍の【主】の使いであるからだ。</p><p>8 しかし、あなたがたは道からはずれ、多くの者を教えによってつまずかせ、レビとの契約をそこなった。─万軍の【主】は仰せられる─</p><p>9 わたしもまた、あなたがたを、すべての民にさげすまれ、軽んじられる者とする。あなたがたがわたしの道を守らず、えこひいきをして教えたからだ。」</p><p><br/></p><p><strong>律法と契約に不真実な祭司たち（2）</strong></p><p><strong>レビとのわたしの契約</strong></p><p>祭司たちの罪を糾弾する内容が続いています。この箇所の2回目の学びです。「このとき、あなたがたは、わたしが、レビとのわたしの契約を保つために、あなたがたにこの命令を送ったことを知ろう」（4節）。（1）ここから、レビと今の祭司たちを対比させる記述が始まります。レビは、祭司職を代表する人です。（2）「レビとのわたしの契約」とは、出エジプト記32：25～29、民数記8：5～19、18：16～20、申命記33：8～11などに記された契約です。それは、「いのちと平和」を約束する契約でした。（3）【主】はレビと結んだ契約に則って、堕落した祭司たちを裁かれます。<br>5～7節では、レビの歩みが語られます。（1）レビは神の御名を恐れ、自らの使命を果たしました。（2）「彼の口には真理の教えがあり、彼のくちびるには不正がなかった。平和と公正のうちに、彼はわたしとともに歩み、多くの者を罪から立ち返らせた」（6節）。レビは、神から受けた真理を人々に教え、いつわりの言葉を用いませんでした。その結果、多くの者が【主】に立ち返りました。彼は【主】とともに歩んだ義人でした。（3）「祭司のくちびるは知識を守り、人々は彼の口から教えを求める。彼は万軍の【主】の使いであるからだ」（7節）。祭司の使命は、神のことばを民に伝えることです。そういう意味で、祭司は「万軍の【主】の使い」なのです。</p><p><br/></p><p><strong>今の祭司たちの堕落</strong></p><p>（1）「しかし、あなたがたは道からはずれ、多くの者を教えによってつまずかせ、レビとの契約をそこなった」（8節）。「道」は定冠詞付きの言葉ですので、神が啓示けいじした本質的な信仰生活の道を指します。祭司たちは、その道を放棄ほうきし、多くの者をつまずかせました。（2）「わたしもまた、あなたがたを、すべての民にさげすまれ、軽んじられる者とする。あなたがたがわたしの道を守らず、えこひいきをして教えたからだ」（9節）。祭司たちが【主】の道を軽んじたので、【主】もまた彼らを民の中で軽んじられる者とされます。祭司たちには、裁判官としての役割も与えられていました（申17：9～11、19：17 参照）。「えこひいきをして教えた」とは、不公正な裁判をしたということです。<br>祭司たちは、祭司職の源みなもとであるレビの信仰に立ち返る必要がありました。私たちもまた、時代の流れに流されるのではなく、使徒たちの教えに立ち返る必要があります。きょうも、歩むべき道を歩もうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。今は邪悪な時代です。どうか私が、常に使徒たちの教えを意識し、そこに立ち続けることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=E3oKk4eNW_I" />
         <pubDate>2026-08-11 20:52:21 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>マラキ書2：10～16</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4005530454</link>
         <description><![CDATA[<p>10 私たちはみな、ただひとりの父を持っているではないか。ただひとりの神が、私たちを創造したではないか。なぜ私たちは、互いに裏切り合い、私たちの先祖の契約を汚すのか。</p><p>11 ユダは裏切り、イスラエルとエルサレムの中では忌まわしいことが行われている。まことにユダは、主の愛された【主】の聖所せいじょを汚し、外国の神の娘をめとった。</p><p>12 どうか【主】が、このようなことをする者を、たといその者が万軍の【主】にささげ物をささげても、ひとり残らずヤコブの天幕から断ってくださるように。</p><p>13 あなたがたはもう一つのことをしている。あなたがたは、涙と、悲鳴ひめいと、嘆きで【主】の祭壇をおおっている。主がもうささげ物を顧かえりみず、あなたがたの手から、それを喜んで受け取らないからだ。</p><p>14 「なぜなのか」とあなたがたは言う。それは【主】が、あなたとあなたの若い時の妻との証人であり、あなたがその妻を裏切ったからだ。彼女はあなたの伴侶はんりょであり、あなたの契約の妻であるのに。</p><p>15 神は人を一体に造られたのではないか。彼には、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。あなたの若い時の妻を裏切ってはならない。</p><p>16 「わたしは、離婚を憎む」とイスラエルの神、【主】は仰せられる。「わたしは、暴力でその着物をおおう」と万軍の【主】は仰せられる。あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。裏切ってはならない。</p><p><br/></p><p><strong>不真実な民（1）</strong></p><p><strong>互いに対する裏切り</strong></p><p>これまでの箇所では、祭司たちの罪が糾弾されていました。きょうの箇所では、民の不真実な態度が糾弾されます。「私たちはみな、ただひとりの父を持っているではないか。ただひとりの神が、私たちを創造したではないか。なぜ私たちは、互いに裏切り合い、私たちの先祖の契約を汚すのか」（10節）。（1）イスラエルは「ただひとりの父」（ひとりの神のこと）を持ち、「ただひとりの創造主」を持っています。つまり、イスラエル人全員が同じ神によって創造されているので、彼らは兄弟愛に基づく誠実さを互いに示すべきなのです。（2）にもかかわらず、彼らは裏切り、先祖の契約を汚しました。「先祖の契約」とはアブラハム契約のことです。</p><p><br/></p><p><strong>不信者との結婚</strong></p><p>「ユダは裏切り、イスラエルとエルサレムの中では忌まわしいことが行われている。まことにユダは、主の愛された【主】の聖所を汚し、外国の神の娘をめとった。どうか【主】が、このようなことをする者を、たといその者が万軍の【主】にささげ物をささげても、ひとり残らずヤコブの天幕から断ってくださるように」（11～12節）。（1）「裏切り」とは、社会生活上の約束や契約（商道徳、結婚など）の破棄はきを意味しています。（2）民の最大の問題は、不信者との結婚です。マラキの時代、これが大問題になっていたことはエズラ記やネヘミヤ記からも知ることができます（エズ9：1～6、ネヘ13：21～27 参照）。（3）問題にされているのは、異民族との結婚ではなく、不信者との結婚です。異邦人であっても、イスラエルの神を信じる女性は、ユダヤ人との結婚を許されました。ラハブやルツがその例です。しかし、マラキの時代のユダヤ人たちは、「外国の神の娘」と結婚していました。彼女たちは偶像礼拝を行っていた異邦人の女性です。不信者との雑婚は、律法によって禁止されていました（出34：15～16、申7：3参照）。（4）このような結婚をしている者に、神のさばきが下ります。「ヤコブの天幕から断ってくださるように」とは、イスラエル共同体から除外されますようにという意味です。不信者との雑婚は、イスラエル共同体からの追放につながります。<br>偶像礼拝を自分の家庭に持ち込むのは危険なことです。偶像礼拝は、結婚以外にもさまざまな方法で侵入してきます。今、自らの霊性の棚卸たなおろしをしようではありませんか。「子どもたちよ。偶像を警戒けいかいしなさい」（1ヨハ5：21）</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。私の心に偶像礼拝の思いがないかどうか、聖霊によって吟味してください。きょうも真実に歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
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         <pubDate>2026-08-12 18:58:17 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>マラキ書2：10～16</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4006675830</link>
         <description><![CDATA[<p>10 私たちはみな、ただひとりの父を持っているではないか。ただひとりの神が、私たちを創造したではないか。なぜ私たちは、互いに裏切り合い、私たちの先祖の契約を汚すのか。</p><p>11 ユダは裏切り、イスラエルとエルサレムの中では忌まわしいことが行われている。まことにユダは、主の愛された【主】の聖所せいじょを汚し、外国の神の娘をめとった。</p><p>12 どうか【主】が、このようなことをする者を、たといその者が万軍の【主】にささげ物をささげても、ひとり残らずヤコブの天幕から断ってくださるように。</p><p>13 あなたがたはもう一つのことをしている。あなたがたは、涙と、悲鳴ひめいと、嘆きで【主】の祭壇をおおっている。主がもうささげ物を顧かえりみず、あなたがたの手から、それを喜んで受け取らないからだ。</p><p>14 「なぜなのか」とあなたがたは言う。それは【主】が、あなたとあなたの若い時の妻との証人であり、あなたがその妻を裏切ったからだ。彼女はあなたの伴侶はんりょであり、あなたの契約の妻であるのに。</p><p>15 神は人を一体に造られたのではないか。彼には、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。あなたの若い時の妻を裏切ってはならない。</p><p>16 「わたしは、離婚を憎む」とイスラエルの神、【主】は仰せられる。「わたしは、暴力でその着物をおおう」と万軍の【主】は仰せられる。あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。裏切ってはならない。</p><p><br/></p><p><strong>不真実な民（2）</strong></p><p><strong>離婚の問題</strong></p><p>前回は不信者との雑婚の罪が指摘されていましたが、今回は離婚の問題が糾弾されます。「…あなたがたは、涙と、悲鳴と、嘆きで【主】の祭壇をおおっている。主がもうささげ物を顧みず、あなたがたの手から、それを喜んで受け取らないからだ。『なぜなのか』とあなたがたは言う。それは【主】が、あなたとあなたの若い時の妻との証人であり、あなたがその妻を裏切ったからだ。彼女はあなたの伴侶であり、あなたの契約の妻であるのに」（13～14節）。（1）民は、祈りの答えを得ようとして涙と、悲鳴と、嘆きで【主】に懇願こんがんしています。しかし、【主】は彼らのささげ物を受け取られません。（2）そこで民は、「なぜ受け取ってくださらないのか」と問います。（3）神が彼らのささげ物を喜ばない理由は、離婚にありました。<br>離婚が問題になるのは、次のような理由からです。（1）彼女は「若い時の妻」であり、【主】が証人となって妻とされた女性です（箴5：15～21）。その妻を離縁するのは、裏切り行為です。（2）彼女は「伴侶」です。この言葉には、ふたりが「ひとつのからだ」であるという意味が込められています（創2：21～24）。（3）彼女は「契約の妻」です。結婚は契約であり、すでに見たように、【主】がその証人です（創31：50、箴2：17）。</p><p><br/></p><p><strong>離婚に対する神の目</strong></p><p>「神は人を一体に造られたのではないか。彼には、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。あなたの若い時の妻を裏切ってはならない」（15節）。（1）結婚とは、男女が一体となることです。結婚は、神によって造られた制度です。（2）もし信者同志が結婚するなら、「神の子孫」（信仰的な子どもたち）が誕生します。健全な結婚は、「敬虔けいけんな子孫」を起こすためのものでもあります。（3）イスラエルの民は、不信者との雑婚ばかりか、イスラエル人の妻との離婚まで実行していました。離婚は、「暴力でその着物をおおう」のと同じことです。「着物をおおう」とは結婚関係の比ゆ的表現です。<br>「わたしは、離婚を憎む」（16節）と【主】は言われます。どうしても離婚せざるを得ない場合もあるでしょうが、それは消極的な神の許可であって、積極的な神の御心ではないことを覚えましょう。私たちに関しては、積極的な神の御心を求めて、地上生涯を歩もうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私の願いではなく、あなたの御心が私の内になりますように、心からお願いします。あなたの御心を喜びとさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-08-13 20:26:09 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title></title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4007793867</link>
         <description><![CDATA[<p><strong>マラキ書2：17～3：6</strong></p><p>17 あなたがたは、あなたがたのことばで【主】を煩わした。しかし、あなたがたは言う。「どのようにして、私たちは煩わしたのか。」「悪を行う者もみな【主】の心にかなっている。主は彼らを喜ばれる。さばきの神はどこにいるのか」とあなたがたは言っているのだ。</p><p>＜3章＞</p><p>1 「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、来ている」と万軍の【主】は仰せられる。</p><p>2 だれが、この方の来られる日に耐えられよう。だれが、この方の現れるとき立っていられよう。まことに、この方は、精錬せいれんする者の火、布をさらす者の灰汁あくのようだ。</p><p>3 この方は、銀を精錬し、これをきよめる者として座に着き、レビの子らをきよめ、彼らを金のように、銀のように純粋にする。彼らは、【主】に、義のささげ物をささげる者となり、</p><p>4 ユダとエルサレムのささげ物は、昔の日のように、ずっと前の年のように、【主】を喜ばせる。</p><p>5 「わたしは、さばきのため、あなたがたのところに近づく。わたしは、ためらうことなく証人となり、呪術者じゅじゅつしゃ、姦淫かんいんを行う者、偽いつわって誓ちかう者、不正な賃金で雇やとい人をしいたげ、やもめやみなしごを苦しめる者、在留異国人を押しのけて、わたしを恐れない者たちに、向かう。─万軍の【主】は仰せられる─</p><p>6 【主】であるわたしは変わることがない。ヤコブの子らよ。あなたがたは、滅ぼし尽くされない。</p><p><br/></p><p><strong>契約の使者の到来（1）</strong></p><p><strong>対話形式</strong></p><p>この箇所は、契約の使者（メシア）の到来を預言しています。結論から言うと、3：1はメシアの初臨を、3：2～6はメシアの再臨を預言しています。（1）神は、「あなたがたは、あなたがたのことばで【主】を煩わした」（17節）と言われます。（2）民は、「どのようにして、私たちは煩わしたのか」と応じています。（3）さらに、皮肉を込めて、「悪を行う者もみな【主】の心にかなっている。主は彼らを喜ばれる」、「さばきの神はどこにいるのか」と言っています。「さばきの神はどこにいるのか」という挑戦的な発言に対する神からの回答が、3：1～6です。不真実な民に神の裁きが下ろうとしていますが、その前に、恵みの時代が用意されます。</p><p><br/></p><p><strong>メシアの初臨</strong></p><p>「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、来ている」と万軍の【主】は仰せられる」（1節）。（1）話者は父なる神です。「わたしの使者」というのは、メシアの先駆者せんくしゃのことで、バプテスマのヨハネがその人物です（マタ11：10、マコ1：2、ルカ1：76）。さらに、「あなたがたが尋ね求めている主」とはメシアです。この方は、「契約の使者」と同一人物です。（2）「あなたがたが尋ね求めている主」という中にある「主」は、ヘブル語で「アドン」です。この言葉は、人間の主人にも神にも用いられるものですが、ここでは定冠詞付きで「ハ・アドン」となっており、神を指しています。つまり、メシアの神性を示しているということです。（3）「その神殿」は、「彼の神殿」と訳したほうがいいでしょう。メシアが来られる神殿とは、ヘロデ大王によって拡張された第2神殿のことです。その神殿は、メシアが所有する神殿です。商人たちにイエスはこう言われました。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗ごうとうの巣にしている」（マタ21：13）。（4）その方は「契約の使者」です。つまり、新約を確立するために来られるメシアです（イザ42：6）。<br>裁きの前に「恵みの時代」が与えられることに注目しましょう。「神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた』。確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」（2コリ6：2）。私たちも、神の恵みにより頼みましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。悔い改めの機会を用意してくださり、感謝します。あなたの恵みを無駄にすることのないように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-08-14 20:52:27 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>マラキ書2：17～3：6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4008283573</link>
         <description><![CDATA[<p>17 あなたがたは、あなたがたのことばで【主】を煩わした。しかし、あなたがたは言う。「どのようにして、私たちは煩わしたのか。」「悪を行う者もみな【主】の心にかなっている。主は彼らを喜ばれる。さばきの神はどこにいるのか」とあなたがたは言っているのだ。</p><p>＜3章＞</p><p>1 「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、来ている」と万軍の【主】は仰せられる。</p><p>2 だれが、この方の来られる日に耐えられよう。だれが、この方の現れるとき立っていられよう。まことに、この方は、精錬せいれんする者の火、布をさらす者の灰汁あくのようだ。</p><p>3 この方は、銀を精錬し、これをきよめる者として座に着き、レビの子らをきよめ、彼らを金のように、銀のように純粋にする。彼らは、【主】に、義のささげ物をささげる者となり、</p><p>4 ユダとエルサレムのささげ物は、昔の日のように、ずっと前の年のように、【主】を喜ばせる。</p><p>5 「わたしは、さばきのため、あなたがたのところに近づく。わたしは、ためらうことなく証人となり、呪術者じゅじゅつしゃ、姦淫かんいんを行う者、偽いつわって誓ちかう者、不正な賃金で雇やとい人をしいたげ、やもめやみなしごを苦しめる者、在留異国人を押しのけて、わたしを恐れない者たちに、向かう。─万軍の【主】は仰せられる─</p><p>6 【主】であるわたしは変わることがない。ヤコブの子らよ。あなたがたは、滅ぼし尽くされない。</p><p><br/></p><p><strong>契約の使者の到来（2）</strong></p><p><strong>メシアの再臨</strong></p><p>イスラエルの民の「さばきの神はどこにいるのか」という挑戦ちょうせん的な発言に対する神からの回答が、3：1～6に記されています。メシアの初臨の預言が、3：1です。これについては、前回学びました。メシアの再臨の預言が、3：2～6です。今回は、再臨について学びます。<br>（1）「だれが、この方の来られる日に耐えられよう。だれが、この方の現れるとき立っていられよう。まことに、この方は、精錬する者の火、布をさらす者の灰汁のようだ」（2節）。「この方の来られる日」とは、メシア再臨の時です。再臨のメシアは、罪を裁き、神の計画を成就するお方として来られます。「精練する者の火」、「布をさらす者の灰汁」などの言葉は、メシアが裁き主であることを示しています。（2）「この方は、銀を精錬し、これをきよめる者として座に着き、レビの子らをきよめ、彼らを金のように、銀のように純粋にする。…」（3節）これは千年王国での礼拝の様子を預言したものです。レビの子孫である祭司たちはきよめられ、再び神殿でいけにえをささげるようになります。このいけにえは、罪をおおうためのものではなく（罪の赦しはメシアの贖罪死によって完成しています）、メシアの死を記念するためのものです。（3）「わたしは、さばきのため、あなたがたのところに近づく。わたしは、ためらうことなく証人となり、呪術者、姦淫を行う者、偽って誓う者、不正な賃金で雇い人をしいたげ、やもめやみなしごを苦しめる者、在留異国人を押しのけて、わたしを恐れない者たちに、向かう。…」（5節）。その日、レビ族だけでなく、民全体が裁かれます。この節には、民のあらゆる罪が列挙されています。霊的罪、肉体的罪、経済的罪、偽りの罪などが、裁かれます。マラキは、社会的正義が行われることに強い関心を示しています。</p><p><br/></p><p><strong>イスラエルの守り</strong></p><p>再臨のメシアによる裁きの預言の最後に、神の守りの約束が書かれています。「【主】であるわたしは変わることがない。ヤコブの子らよ。あなたがたは、滅ぼし尽くされない」（6節）。不真実なイスラエルが滅ぼし尽くされない理由は、神の契約の愛にあります。神はアブラハム及びその子孫と契約を結ばれました。その契約は今も有効です。異邦人信者でもある私たちもまた、イエス・キリストにあって神の契約の愛の中に置かれています。きょうも、神の守りを信じて、この世に出て行きましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。あなたは私たちと契約を結ばれるお方です。契約の愛のゆえに感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=z_r4RIu8TgI" />
         <pubDate>2026-08-15 20:41:38 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>マラキ書3：7～12</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4008612734</link>
         <description><![CDATA[<p>7 あなたがたの先祖の時代から、あなたがたは、わたしのおきてを離れ、それを守らなかった。わたしのところに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたのところに帰ろう。─万軍の【主】は仰せられる─しかし、あなたがたは、『どのようにして、私たちは帰ろうか』と言う。</p><p>8 人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物ほうのうぶつによってである。</p><p>9 あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。</p><p>10 十分の一をことごとく、宝物倉ほうもつぐらに携たずさえて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。─万軍の【主】は仰せられる─わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。</p><p>11 わたしはあなたがたのために、いなごをしかって、あなたがたの土地の産物を滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。─万軍の【主】は仰せられる─</p><p>12 すべての国民は、あなたがたをしあわせ者と言うようになる。あなたがたが喜びの地となるからだ」と万軍の【主】は仰せられる。</p><p><br/></p><p><strong>従順への呼びかけ（1）</strong></p><p><strong>真実なささげ物</strong></p><p>この箇所でも、対話形式で話が進んで行きます。「あなたがたの先祖の時代から、あなたがたは、わたしのおきてを離れ、それを守らなかった。わたしのところに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたのところに帰ろう」（7節a）。（1）神が民の祈りに耳を傾けない理由は、民の不従順にありました。不従順は、先祖の時代から続いているものです。神は彼らに呼びかけ、「わたしのところに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたのところに帰ろう」と言われます。神は常に、イスラエルの民が悔い改めてご自身のもとに帰って来るのを待っておられます。（2）しかし民は、皮肉な答えを返します。「どのようにして、私たちは帰ろうか」（7節b）。彼らには、罪の認識がないのです。神はこの問いに対して回答せずに、次の質問に移ります。<br>「人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる」。（1）「盗んでいる」という動詞は分詞形で、継続した動作を表しています。「盗む」とは、暴力により盗む、欺あざむきにより盗む、などの意味があります（箴22：23 参照）。（2）それに対する民の答えは、「どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか」というものです。ここでも、厚顔無恥な民の霊的状態がよく表れています。（3）そこで神は、「それは、十分の一と奉納物によってである」と言い、彼らの罪を指摘されます。つまり、民の2つの質問への答えは、同じです。真実なささげ物をささげることが、① 神に立ち返ることであり、② 神のものを神にお返しする、ということです。</p><p><br/></p><p><strong>十分の一と奉納物</strong></p><p>「十分の一」とは、すべての収穫の十分の一のことです。このささげ物は、レビ人たちの生活を支えるものとなりました（レビ27：30、民18：26～28、申14：22～29など参照）。「奉納物」とは、いけにえの動物の中の祭司の取り分のことです（出29：27～28参照）。この2種類のささげ物がささげられないと、祭司は生活することができなくなります。「十分の一」については、次回さらに詳細に学びます。<br>ここで学んでいることは、モーセの律法が機能している時代の人たちに適用される原則です。私たちに適用される新約時代の献金の原則は、「いつも週の初めの日に、収入に応じて、手もとにそれをたくわえておく」ことです（1コリ16：1～4参照）。真実な態度で、神にささげものをささげることを学びましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。ささげ物は、いつの時代にあっても私たちの信仰の表現です。どうか誠実なささげ物をささげることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=VP7Mfqng1Lk" />
         <pubDate>2026-08-16 20:54:32 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title></title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4009558721</link>
         <description><![CDATA[<p>7 あなたがたの先祖の時代から、あなたがたは、わたしのおきてを離れ、それを守らなかった。わたしのところに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたのところに帰ろう。─万軍の【主】は仰せられる─しかし、あなたがたは、『どのようにして、私たちは帰ろうか』と言う。</p><p>8 人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物ほうのうぶつによってである。</p><p>9 あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。</p><p>10 十分の一をことごとく、宝物倉ほうもつぐらに携たずさえて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。─万軍の【主】は仰せられる─わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。</p><p>11 わたしはあなたがたのために、いなごをしかって、あなたがたの土地の産物を滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。─万軍の【主】は仰せられる─</p><p>12 すべての国民は、あなたがたをしあわせ者と言うようになる。あなたがたが喜びの地となるからだ」と万軍の【主】は仰せられる。</p><p><br/></p><p><strong>従順への呼びかけ（2）</strong></p><p><strong>従順への祝福</strong></p><p>前回の続きです。（1）「あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる」（9節）。十分の一と奉納物をささげないのは、神のものを盗んでいることです。この継続的な罪を民全体が行っていました。（2）神から民への招きのことばが語られます。「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。─万軍の【主】は仰せられる─わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ」（10節）。「宝物倉」とは、神殿の中にあった貯蔵庫ちょぞうこです。「わたしの家の食物とせよ」とは、祭司の食物とせよという意味です。神は、「あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ」とさえ言われます。<br>誠実なささげ物に対して、祝福が約束されます。（1）10節には、「あふれるばかりの祝福」という言葉が出ています。（2）11節には、いなごの害からの守りが約束されています。古代中東では、いなごの大群が農産物を破壊する出来事がよく起こりました（ヨエ1：4 参照）。（3）12節には、周辺の国々がイスラエルの祝福を認めるようになるという約束が書かれています。これは、主の御名がたたえられることにつながります。</p><p><br/></p><p><strong>私たちへの適用</strong></p><p>新約時代の私たちに適用される献金の原則は、2コリント9：6～15に記しるされています。（1）蒔まいたものを刈り取るようになる。「私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります」（6節）。（2）心で決めたとおりにする。「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強しいられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい」（7a節）。自発的献金が奨励しょうれいされています。（3）喜んでささげる人は祝福される。「神は喜んで与える人を愛してくださいます」（7b節）。私たちに与えられている命令は、献金を好機こうきととらえ、歓喜してささげることです。（4）献金は礼拝でもある。「なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです」（12節）。礼拝は、賛美と祈りだけではありません。献金もまた礼拝であり、多くのものをささげれば、さらに豊かな礼拝につながります。<br>聖書的献金ができるように、祈ろうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私がささげる献金が、真の礼拝となりますように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-08-17 20:57:31 UTC</pubDate>
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         <title>マラキ書3：13～18</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4010903565</link>
         <description><![CDATA[<p>13 「あなたがたはわたしにかたくななことを言う」と【主】は仰せられる。あなたがたは言う。「私たちはあなたに対して、何を言いましたか。」</p><p>14 あなたがたは言う。「神に仕えるのはむなしいことだ。神の戒めを守っても、万軍の【主】の前で悲しんで歩いても、何の益になろう。</p><p>15 今、私たちは、高ぶる者をしあわせ者と言おう。悪を行っても栄え、神を試みても罰を免まぬかれる」と。</p><p>16 そのとき、【主】を恐れる者たちが、互いに語り合った。【主】は耳を傾けて、これを聞かれた。【主】を恐れ、主の御名を尊たっとぶ者たちのために、主の前で、記憶の書がしるされた。</p><p>17 「彼らは、わたしのものとなる。─万軍の【主】は仰せられる─わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。</p><p>18 あなたがたは再び、正しい人と悪者、神に仕える者と仕えない者との違いを見るようになる。</p><p><br/></p><p><strong>2つの応答（1）</strong></p><p><strong>不信者の応答</strong></p><p>神はイスラエルの民を誠実な奉仕へと招いておられます。その招きに対して、2つの応答が生まれます。不信者の応答（13～15節）と、信者の応答です（16～18節）。きょうは、不信者の応答を見てみましょう。<br>ここでも対話形式で話が進んで行きます。「『あなたがたはわたしにかたくななことを言う』と【主】は仰せられる。あなたがたは言う。『私たちはあなたに対して、何を言いましたか』」（13節）。（1）【主】は民に、「あなたがたはわたしにかたくななことを言う」と言われます。つまり、民は【主】に対して言いたい放題であったということです。（2）それに対する民の応答は、「私たちはあなたに対して、何を言いましたか」というものでした。ここに、罪に対して鈍感な民の姿勢が表れています。<br>「あなたがたは言う。『神に仕えるのはむなしいことだ。神の戒めを守っても、万軍の【主】の前で悲しんで歩いても、何の益になろう。今、私たちは、高ぶる者をしあわせ者と言おう。悪を行っても栄え、神を試みても罰を免れる』と」（14～15節）。民の言葉を要約すると、以下のようになります。（1）神に仕えても、なんの益もない。それはむなしいことだ。（2）十分の一や奉納物をささげても、また、断食だんじきや悔い改めをしても、なんの益もない。それもまた、むなしいことである。（3）神を神とも思わずに生きている者たちは、すでに神を試したではないか。しかし彼らは、大いに栄えている。つまり、神を試みても罰は来ないということが実証されたのだ。</p><p><br/></p><p><strong>私たちへの適用</strong></p><p>不信者たちは、神は無力であると豪語ごうごしています。彼らは、神を恐れない生き方を選んでいます。そして、十分の一や奉納物をささげる必要はないとの結論を出しています。愚おろか者の生き方が、箴言1：29～32に書かれています。「なぜなら、彼らは知識を憎み、【主】を恐れることを選ばず、わたしの忠告を好まず、わたしの叱責しっせきを、ことごとく侮あなどったからである。それで、彼らは自分の行いの実を食らい、自分のたくらみに飽きるであろう。わきまえのない者の背信はいしんは自分を殺し、愚かな者の安心は自分を滅ぼす」<br>私たちに関しては、【主】を恐れることを人生の基本としようではありませんか。なぜなら、【主】に信頼する者こそ最後に祝福を受ける者となるからです。「しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住まい、わざわいを恐れることもなく、安らかである」（箴1：33）</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。きょうもあなたを恐れながら、歩むことができますように。私を知恵ある者として祝福してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-08-18 20:33:57 UTC</pubDate>
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      <item>
         <title>マラキ書3：13～18</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4012280117</link>
         <description><![CDATA[<p>13 「あなたがたはわたしにかたくななことを言う」と【主】は仰せられる。あなたがたは言う。「私たちはあなたに対して、何を言いましたか。」</p><p>14 あなたがたは言う。「神に仕えるのはむなしいことだ。神の戒めを守っても、万軍の【主】の前で悲しんで歩いても、何の益になろう。</p><p>15 今、私たちは、高ぶる者をしあわせ者と言おう。悪を行っても栄え、神を試みても罰を免まぬかれる」と。</p><p>16 そのとき、【主】を恐れる者たちが、互いに語り合った。【主】は耳を傾けて、これを聞かれた。【主】を恐れ、主の御名を尊たっとぶ者たちのために、主の前で、記憶の書がしるされた。</p><p>17 「彼らは、わたしのものとなる。─万軍の【主】は仰せられる─わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。</p><p>18 あなたがたは再び、正しい人と悪者、神に仕える者と仕えない者との違いを見るようになる。</p><p><br/></p><p><strong>2つの応答（2）</strong></p><p><strong>信者の応答</strong></p><p>神はイスラエルの民を誠実な奉仕へと招いておられます。その招きに対して、2つの応答が生まれます。不信者の応答（13～15節）と、信者の応答です（16～18節）。きょうは、信者の応答を見てみましょう。<br>「そのとき、【主】を恐れる者たちが、互いに語り合った。【主】は耳を傾けて、これを聞かれた。【主】を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために、主の前で、記憶の書がしるされた」（16節）。（1）この節に出てくるのは、「【主】を恐れる者たち」です。彼らは真のイスラエル、「イスラエルの残れる者（レムナント）」と呼ばれる人たちです。彼らは、互いに【主】を恐れることを戒め合っています。（2）彼らの真実な姿勢に対する祝福が記されています。それは、【主】が彼らの祈りに耳を傾けてくださることです。（3）さらに、「主の前で、記憶の書が」しるされました。「記憶の書」とは、信仰者の行動が記された書で、後になって【主】からの報いを受ける時にそれが開かれます。<br>「彼らは、わたしのものとなる。─万軍の【主】は仰せられる─わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ」（17節）。（1）さらに、イスラエルの残れる者たちは、【主】の宝となり、【主】のものとなります。「わたしの宝」は、シナイ契約締結の時の言葉ですが（出19：5）、イスラエルの残れる者たちは、特にその恵みを体験するようになります。（2）「わたしが事を行う日」とは、大いなる裁きの日、つまり、大患難時代のことです。イスラエルの残れる者たちは、大患難時代において【主】の守りを体験します。</p><p><br/></p><p><strong>【主】は区別される</strong></p><p>「あなたがたは再び、正しい人と悪者、神に仕える者と仕えない者との違いを見るようになる」（18節）。神は、「正しい人（神に仕える者）」と「悪者（仕えない者）」とを区別されます。これが、神からの究極的な答えであり、私たちが義なる生活をするための動機です。神は今も、「わたしのところに帰れ」と私たちを招いておられます。その招きにどう応答するかによって、私たちの将来が決定されます。<br>「あなたがたを召めしてくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい」（1ペテ1：15）</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イエス・キリストの父なる神さま。闇から光へと、私を招いてくださったことを感謝します。きょうも光の子どもとして歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-08-19 21:01:36 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>マラキ書4：1～6</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4013624135</link>
         <description><![CDATA[<p>1 見よ。その日が来る。かまどのように燃えながら。その日、すべて高ぶる者、すべて悪を行う者は、わらとなる。来こようとしているその日は、彼らを焼き尽くし、根も枝も残さない。─万軍の【主】は仰せられる─</p><p>2 しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼つばさには、いやしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。</p><p>3 あなたがたはまた、悪者どもを踏ふみつける。彼らは、わたしが事を行う日に、あなたがたの足の下で灰となるからだ。─万軍の【主】は仰せられる─</p><p>4 あなたがたは、わたしのしもべモーセの律法を記憶せよ。それは、ホレブで、イスラエル全体のために、わたしが彼に命じたおきてと定めである。</p><p>5 見よ。わたしは、【主】の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。</p><p>6 彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」</p><p><br/></p><p><strong>【主】の日の告知</strong></p><p><strong>【主】の日の預言（1～3節）</strong></p><p>ヘブル語聖書では、マラ4：1は3：19です。「見よ。その日が来る。かまどのように燃えながら。その日、すべて高ぶる者、すべて悪を行う者は、わらとなる。来ようとしているその日は、彼らを焼き尽くし、根も枝も残さない。…」（1節）。（1）「その日」とは、大患難時代のことです。それは、ノアの洪水のように、全地球的規模でやって来ます。（2）高ぶる者や悪を行う者が全滅する理由は、大患難時代の目的が地上から悪を取り除くことにあるからです。<br>「しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、いやしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る」（2節）。（1）義人には祝福された未来が約束されます。（2）神の栄光（義の太陽）が輝き出て、イスラエルの残れる者たちに「癒いやし」をもたらします。これは、霊的癒しと肉体的癒しの両方を指します。（3）さらに彼らは、牛舎から解き放たれた子牛のように喜び踊ります。（4）その日、義人は「悪者ども」（3節）を踏みつけ、彼らに勝利します。</p><p><br/></p><p><strong>まとめ（4～6節）</strong></p><p>4～6節は、マラキ書全体のまとめです。（1）モーセの律法を忠実に守るようにとの勧告がなされます（4節）。期間は、マラキの時代から、2人の使者（バプテスマのヨハネとメシア）の到来までです（3：1）。（2）この期間を「中間時代」と呼びます。その間、モーセの律法は、パリサイ人やサドカイ人たちが付加した口伝律法によって破壊された状態になります。<br>「見よ。わたしは、【主】の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ」（5～6節）。（1）バプテスマのヨハネは、エリヤの型ですが、エリヤではありません。この箇所を字義通りに解釈すると、大患難時代の前にエリヤが【主】から遣わされて来るという意味になります。（2）彼の使命は、家族の一致をもたらすことにあります。ユダヤ人の家庭では、イエスをメシアと信じると分裂が起こりますが、それが修復されます。（3）マラキ書の最後は、もし神の招きに応答しないなら、「のろいでこの地を打ち滅ぼす」という警告で終わります。メシアの再臨までの期間は、神の忍耐と憐みの時です。この期間に、【主】に立ち返る人は幸いです。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>イスラエルの神よ。今は恵みの時、今は救いの日です。あなたの恵みを軽んじることのないように、私の心と信仰とを守ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=55qEoRVXvNk" />
         <pubDate>2026-08-20 20:49:22 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>コリント人への手紙第一1：1～3</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4014903220</link>
         <description><![CDATA[<p>1 神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから、</p><p>2 コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。</p><p>3 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。</p><p><br/></p><p><strong>あいさつ</strong></p><p><strong>著者パウロ</strong></p><p>この手紙の著者はパウロです。彼は二度、自己紹介をしています（1：1、16：21）。またパウロは、四回自分のことを「使徒」と呼んでいます（1：1、4：9、9：1、15：9）。コリント教会の土台を築いたのは、パウロです。しかし、この教会には多くの問題がありました。そこでパウロは、紀元55年頃に、エペソにあってこの手紙を書きました。この手紙は、四つの目的をもって書かれました。それは、（1）コリント教会が抱えていた問題を矯正するためでした。（2）姦淫の罪を犯した人の処置を指示するためでした。（3）多岐たきにわたる具体的な質問に答えるためでした。（4）パウロ自身のマケドニヤへの将来の訪問を伝えるためでした。<br>私たちは、使徒の時代を理想的な時代と考える傾向がありますが、そうではありません。地域教会には様々な問題があったのです。コリント人への手紙第一は、神によって啓示された霊的真理をどのように生活に適用し、具体的な問題を解決すべきかを教えたものです。</p><p><br/></p><p><strong>神の教会</strong></p><p>パウロは、兄弟ソステネがそばにいることを伝えています。ソステネがどういう人物なのか、よく分かりませんが、コリント教会の信者たちにはよく知られていた人物だったのでしょう。あるいは、その教会の会員だったのかもしれません。（1）パウロはコリントのクリスチャンたちを「神の教会」と呼んでいます。彼らは、普遍的教会の一部です。また、異教のいかなる団体とも異なり、この世から呼び出された人々の群れです。（2）彼らは、数々の問題を抱えながら、それでも「聖徒」と呼ばれています。（3）イエス・キリストとつながった人は、「聖徒として召され、聖なるものとされた人々」です。<br>あなたは自分が抱える問題で悩んでいましたか。それでも、あなたは「聖徒」と呼ばれています。パウロは、「私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」と書いています。私たちが「聖徒」と呼ばれるようになったのは、すべて神の恵みによります（エペソ2：8～9、IIコリント8：9参照）。恵み深い神を心からたたえましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。私を「聖徒」と呼んでくださることを感謝します。きょうも、主イエスとともに歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p><p><br/></p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=ISIUJRBiHa0" />
         <pubDate>2026-08-21 21:24:34 UTC</pubDate>
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      </item>
      <item>
         <title>コリント人への手紙第一1：4～9</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4015426826</link>
         <description><![CDATA[<p>4 私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。</p><p>5 というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。</p><p>6 それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、</p><p>7 その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現れを待っています。</p><p>8 主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。</p><p>9 神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。</p><p><br/></p><p><strong>感謝の祈り</strong></p><p><strong>祈りの習慣</strong></p><p>パウロ書簡の特徴の一つは、受け取り手のために祈る感謝の祈りです。ここでもパウロは、コリントのクリスチャンたちのことを思い、神に感謝を献げています。（1）感謝を献げる理由は、神が彼らに恵みを与えてくださったからです。パウロの宣教が実を結び、彼らはキリストを信じてどんな賜物にも欠けることのない状態になりました。（2）彼らは、「ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされ」ました。「ことば」も「知識」も、ともにギリシヤ人たちが熱心に求め、大きな価値を置いていたものです。パウロはあえてそれらの言葉を使い、キリストを信じた者たちこそ、「ことば」においても、「知識」においても、欠けのない者たちであると主張しました。（3）パウロのこの祈りは、いつもそのように祈っている、継続した祈りでした。パウロは、自分が基礎を築いた教会のために祈ることを習慣としていました。<br>あなたは、クリスチャンとして何を誇りとしていますか。キリストにあるなら、「ことば」と「知識」とに欠けることはありません。</p><p><br/></p><p><strong>神の真実</strong></p><p>前回の箇所でパウロは、数々の問題を抱えたコリントのクリスチャンたちを「聖徒たち」と呼びました。ここでは、その聖徒たちが見捨てられることは決してなく、彼らの救いが必ず完成すると宣言されます。その理由は、神が真実なお方だからです。神の真実によって、私たちは召され、キリストとの交わりに入れられ、最後まで堅く保たれます。<br>私たちに必要なのは、信仰です。神の真実を認め、それに信頼する信仰です。その信仰によって、私たちの姿はある時は劇的に、ある時はゆっくりと変えられていきます。今、神の真実と恵みとを思い、この方に感謝の祈りを献げましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>全知全能の神よ。あなたの恵みはとこしえに変わることがありません。どうか私を、キリストの似姿に変えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=4e3Nlumj4qs" />
         <pubDate>2026-08-22 21:46:44 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4015426826</guid>
      </item>
      <item>
         <title>コリント人への手紙第一1：10～17</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4015819917</link>
         <description><![CDATA[<p>10 さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。</p><p>11 実はあなたがたのことをクロエの家の者から知らされました。兄弟たち。あなたがたの間には争いがあるそうで、</p><p>12 あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」「私はキリストにつく」と言っているということです。</p><p>13 キリストが分割されたのですか。あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか。あなたがたがバプテスマを受けたのはパウロの名によるのでしょうか。</p><p>14 私は、クリスポとガイオのほか、あなたがたのだれにもバプテスマを授けたことがないことを感謝しています。</p><p>15 それは、あなたがたが私の名によってバプテスマを受けたと言われないようにするためでした。</p><p>16 私はステパナの家族にもバプテスマを授けましたが、そのほかはだれにも授けた覚えはありません。</p><p>17 キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。それも、キリストの十字架がむなしくならないために、ことばの知恵によってはならないのです。</p><p><br/></p><p><strong>教会の中にある分裂の問題</strong></p><p><strong>4派に分かれる教会</strong></p><p>コリント教会にあった最初の問題は、分派、分裂です。この問題を矯正するために、パウロは次のように書いています。（1）彼は、「主イエス・キリストの御名」によって語っています。つまり、キリストの権威によって以下のことを命じているということです。（2）彼は、分裂があるという情報を、「クロエの家の者」から知らされたと言っています。情報源を明らかにすることによって、単なる噂に基づいて判断しているのではないということを伝えています。（3）教会の中は、4派に分裂していました。4派が何であったかについては、後半で解説します。（4）パウロは、コリントのクリスチャンたちが、「一致して、同じ心、同じ判断」を保つように勧めます。これは、キリストの心を共有するということです。</p><p><br/></p><p><strong>4人の指導者たち</strong></p><p>コリント教会にあった分派は、次の4人の指導者のだれにつくかという分派でした。（1）「私はパウロにつく」と言う人々がいました。パウロは異邦人伝道に召された使徒です。パウロ派の人々は、異邦人伝道に重荷を感じ、パウロの働きに共感していた人々だったのでしょう。（2）「私はアポロに」と言う人々がいました。アポロは雄弁で知られた人です。アポロ派の人々は、「アポロのメッセージを聞くと、他の教師の話などつまらなくて聞くことができない」などと言っていたことでしょう。（3）「私はケパに」と主張する人々もいました。「ケパ」とはペテロのことです。ペテロはユダヤ人伝道に召されていました。ユダヤ人に伝道することに重荷を感じていた人々は、ペテロの働きが最高だと思っていたことでしょう。（4）「私はキリストにつく」と豪語する人々もいました。彼らは、他の3派の人々よりも自分たちのほうがキリストと親しくつながっていると思っていたことでしょう。<br>パウロは、自分の使命はキリストの福音を宣べ伝えることにあるのであって、人々を自分につけることではないと語っています。コリント教会にあったような分派は、現代の教会でも決して珍しいものではありません。各々の強調点の違いは認めながら、キリストにあって一致するということを学ぼうではありませんか。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。未熟さのゆえに、キリストの教会の中に分派を作り出してしまう愚かさをお赦しください。キリストにある一致を求める者とならせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
         <enclosure url="https://www.youtube.com/watch?v=ilK5IuMNJaU" />
         <pubDate>2026-08-23 20:41:13 UTC</pubDate>
         <guid>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4015819917</guid>
      </item>
      <item>
         <title>コリント人への手紙第一1：18～25</title>
         <author>setsuriosaki</author>
         <link>https://padlet.com/kumamotokitabiblechristchurch/htirpe2evlktt4qr/wish/4017154367</link>
         <description><![CDATA[<p>18 十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。</p><p>19 それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」</p><p>20 知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。</p><p>21 事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。</p><p>22 ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。</p><p>23 しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、</p><p>24 しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。</p><p>25 なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。</p><p><br/></p><p><strong>神の知恵</strong></p><p><strong>十字架のことば</strong></p><p>パウロのメッセージの中心は、キリストの十字架でした。神が人となり、罪人を救うために十字架についてくださった。これが、「十字架のことば」の内容です。これを伝えると、聞く人々の内に二つの反応が生まれました。（1）それは、滅びに至る人々には愚かに聞こえます。（2）しかし、救いを受ける人々には、神の力となります。<br>当時、知恵を誇っていた人々が3種類いました。（1）「知者」とは、ギリシヤ哲学に通じ、物事を論理的に推量できる人々でした。（2）「学者」とは、律法学者のことで、旧約聖書に精通し、その知識を誇っていた人々でした。（3）「この世の議論家」とは、それ以外の論争好きな人々でした。（4）しかし神は、これらの人々の知恵によってではなく、「宣教のことばの愚かさ」によって、信じる者を救おうとされました。それを証明するために、パウロはイザヤ書29：14を引用しています。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」</p><p><br/></p><p><strong>パウロの宣教</strong></p><p>次にパウロは、自分の宣教方法について語っています。（1）ユダヤ人はしるしを要求しました。「しるし」とは、イエスがメシヤであるという「しるし」です。もしイエスがメシヤなら、すでに地上に神の国が成就しているはずです。しかし、イエスは十字架につけられて死にました。十字架のメッセージは、ユダヤ人にとっては、「つまずき」だったのです。（2）ギリシヤ人は「知恵」を追求しました。彼らにとっては、十字架で死んだ罪人イエスが救世主であるというメッセージは、あまりにも愚かなものでした。（3）しかしパウロは、人々の考え方に迎合げいごうしたメッセージではなく、「十字架につけられたキリスト」だけを宣べ伝えました。<br>あなたは、「なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです」（25節）というパウロの言葉を、どのように聞きますか。人は、十字架のキリストを信じることなしに救われることはあり得ません。もう一度、最も大切なメッセージとは何であったかを思い起こしましょう。</p><p><br/></p><p><strong>きょうの祈り</strong></p><p>天の父なる神さま。この世がいかに軽蔑しようとも、私は「十字架につけられたキリスト」を宣べ伝えます。どうか私を力づけてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。</p>]]></description>
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         <pubDate>2026-08-24 20:59:17 UTC</pubDate>
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